バナー 10000011
吾妻山よもやまばなし

○吾妻山(1239m)
 吾妻山は、中国山地の広島・島根県境に位置し、神話や伝説と恵まれた自然の宝庫です。なだらかに広がる草原に、春から秋にかけて高山植   物が開花し、付近のブナ林では、多くの小鳥がさえずります。冬には2mを越える積雪があります。

名前の由来
 この山は、伊邪那岐命が比婆山に眠る妻の伊邪那美命を、「ああ。我妻よ」と、山頂から叫び、生前をしのんだことから吾妻山と呼ぶようになったと言われています。

○比婆道後帝釈国定公園
 吾妻山一帯は1963年7月から比婆道後帝釈国定公園に指定されています。

吾妻や山の備北層群(海底であった頃、推積した地層)
 約1600万年前、吾妻山は古瀬戸内海の海底でした。当時このあたりは、亜熱帯から熱帯的な気候で、海浜にはマングローブの林が茂り、クジラやサメが群れ、ヒルギシジミやビカリヤなどの貝のすむ海でした。ここからはザルガイの化石が発見されています。

○吾妻山周辺の植生
 この地域は、中国山地特有の隆起した準平原地形であり、山頂部にはかなりの範囲にわたって緩やかな斜面が残っています。その斜面にシバ群落が発達し、あいだにはレンゲツツジ・アカモノ等の亜高山生植物やほかでは大山、道後山デシか見られないダイセンキキスミレも見ることができます。

○吾妻山周辺の動物
 あまり特徴的なものは生息していません。蝶類ではアサギマダラ・スジボソヤマキチョウ・ゴマシジミがみられます。

たたら製鉄
 たたら製鉄とは、砂鉄から鉄を作る技術のことです。明治の始めまで、砂鉄と木炭にする原木の豊富な中国山地で盛んに行われていました。比和でも盛んに行われていました。


<砂鉄をどうやってとったのか>
・鉄穴(かんな)流し
 花こう岩類の風化した山肌を掘り崩し、水の流れを利用して土砂と砂鉄とに分け、水底にたまった砂鉄を採取する作業のことです。比和では、砂鉄をとるために鉄穴(かんな)流しを行っていました
山の斜面を切りくずし、その土砂を水路に流し、沈んだ砂鉄をとります。土砂の中に含まれる砂鉄の量はわずか0.1%〜0.6%なので砂鉄をとるためには多量の土砂が必要です。そのため、かんな流しの行われていた所は、地形が全くちがったものになってしまいました。
吾妻山にある3つの池はかんな流しのために作られたため池です。ここから水を流しかんな流しを行っていました。吾妻登山道(車道)から「かんな遺構、かんな残丘」を見ることができます。

<吾妻山が草原になったわけ>
 たたら製鉄は高い温度を必要とするので燃料に木炭を使いました。木炭といってもまだ炭になり切っていないものを使ったそうです。一度の操業で使う木炭を生産するためには、ひと山をまるはだかにするほどの木が必要でした。吾妻山は、木炭を生産をするために木が切られ、その後、牛を放牧したので木が生えず草原となりました。

鉄穴残丘
 砂鉄を含んだ山肌を掘り崩した跡にできた地形です。掘り崩すことのできなかった部分がところどころに三角錐の丘となって残っている特異な地形のことです。

鉄穴遺構
 鉄穴元池(吾妻山池の原にある池)にためた水を採取場まで引くために作られた水路のことで、鉄穴水路、鉄穴井手ともいいます。水路の勾配を調節するため、夜間松明を持った人を配置し、水路をほったといわれています。