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機上でサインをする
飯沼飛行士
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大正元年8月2日、長野県南安曇郡豊科町南穂高に生まれる。数々の苦難を乗り越えて飛行家を志し、松本中学から
逓信省委託操縦生試験に300余人中4人合格という難関を突破し、所沢陸軍飛行学校に入り優秀なパイロットとなった。
昭和7年、朝日新聞社に入り、昭和9年には大阪―北京間2000キロの訪問飛行に成功、昭和10年には東京―台北間2510キロを10時間31分で飛ぶ
など、つぎつぎに海外への航空路を開いた。昭和12年4月には、亜欧連絡記録大飛行で純国産機「神風」号の操縦士に選ばれ、東京―ロンドン間15,357
キロを実際の飛行時間51時間19分23秒という、当時としては驚異的な世界記録で飛行し、大西洋横断飛行を
成し遂げたリンドバーグと共に世界的なパイロットとして称賛されると同時に、日本の航空技術の名を高め、あわせて国際親善の役割を果たした。この大飛行
は、国をあげての壮挙として日本国中をわき立てた。(当時26才)
その後、日華事変、太平洋戦争となり、昭和16年12月南方作戦に従軍中散華、29才の生涯であった。飯沼飛行士には、日本、イギリス、フランス、ベルギー、イタリアからそれぞれ勲章が贈られている。 |
所要時間94時間17分56秒
15,357キロメートル
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飯沼飛行士
ブロンズ像
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