稽 古 日 誌 7 目 録

柔術と合気道①

柔術と合気道②

柔術と合気道③

御礼

腰痛と青空

ねぷたケンカ

文字のありがたさ

向かいあうこと

後の先の剣

伝統と個性

夜行館

満ちた一杯

常の心

場面を分けること

クモ

動物

他流

どっちでも

御涼祭①

御涼祭②

アクション仮面

ダークサイトも

風のなかの静寂

担ぎ屋さん

腕が流れる

ホーログ竹刀

育む稽古

「はやぶさの柴久」孫の意気に感ず

形は容器

開放

祖父のメモ

自縄自縛

問いの立て方

規準

ナンバ

揺らぐ楽しさ

グローブで顔面を

回路へ

正負の法則

刀を振らない

理性の手綱

既知に未知を感じる

當田流棒術メモ『型に思う』

ゲージツ談義

粛々と

開くこと、閉じること

當田流棒術メモ『差異を知る』

殺陣にはならないけど殺陣

ぎこちなさ

綱引き状態

感覚のパレット

シャドウィング

種類の違う原動力

感性と理

設計しない中心線

鏡はいらない

ループ越え

多面体

重さを落とす

御夢想

それなりに動いてます

長岡の花火

チャンチャレンコ

継承

再びの表

袈裟斬りとよされ踊り

試合が奪うもの

変形へ

折敷へ

一筆書き

一律化①

一律化②

先師たちの口伝

棟打ち

椿三十郎

無形の遺産

LED

追い越すな

次の扉

雑踏

浮遊するフキョへ

克己流と林崎流

埋め込まれた規矩

留まる者

除雪稽古

足裏

学校と武道

  文科省が、全国の学校の教育課程に、武道を取り入れ、伝統文化で礼儀とマナーを躾けるという。おそらく柔道、剣道もその中心となるが、指導できる教員が少ないため、体育教員を町道場へ研修に行かせるという。

これで武道人口が増える!と喜ばれる方もいよう。様々な団体や組織の利害も絡んでいるのだろうが、安易な感じは否めない。

武道をやったから礼儀やマナーができるか?という批判はごもっともだ。また、近代にたくさん改良されてしまった武道(武技一般を示す「武道」の言葉自体、近世とは異なる近代の造語である)を「伝統文化」とするとらえ方自体、いかに日本人が、自国の文物を忘れてしまい、あたかも外国人のような視点でしか見られなくなったことを示している。

 武は師から弟子へ、個人から個人へ大事に手渡すものであり、組織を通じて一斉に教える武術・武道は、軍隊方式か競技的存在にならざるをえないのではないか?

 私も剣道部員であり、剣道部顧問でもあった。スポーツクラブであるから、大会での優勝成績が問われ、礼儀やマナーでさえも、試合能力を磨くために費やされてしまうことも多い。

そうなれば、多様な場や人生に応じ、他分野へも移行できる豊かさが限られてしまい、ある特定の用途へ、または選手すべての心身の統合・管理化に向けて特殊化していく。

大会でしか、その競技でしか通用しない、常識、礼儀まで生み出されていく。それが社会に通用する人といえるだろうか。ひたすら普及を目指した近代武道の弊害ではないか。

 全く違うのが、マリナーズのイチロー選手。

私とあまり変わらない身長なのに、動きにおいて、マッチョで大きな欧米人達を凌駕し、怪我も少ないという。多くの人は、彼の記録の数字やパフォーマンスばかり気にするが、それこそピントはずれではないか。

苦痛を伴うことはしない、動きは自分のカラダに聴くのだという。

その独特の方法にこそ、我々が見失ったものを気づくべきなのではなかろうか。

日本のプロ野球。ジャイアンツのなかにも、どうしても筋トレをやめるのが恐くて、ますますボロボロになっていく選手もいるという。いまの流行は加圧式トレーニング?

自分の心身で体現するのに、他からもらった「心身はこうするべき」「鍛えるべき」という先入観念に生きている。私もだ…。

その背景には近代がある。昔から風土や仕事によって、経験的に培われてきた人々の心身は、明治以来の学校や軍隊が、国家的に画一的なスタイルへと躾けていった。

「東京桜田外陸軍調練場之図」などは、その差異をハッキリととらえている。

スタイルだけではない、観念もだ。日露戦争では、戦術よりも整然と行動する「見栄え」が優先された。いったん敗走すれば、もろくも崩れたという(川村邦光『民俗の知の系譜』2000年、昭和堂)。

野生動物は筋トレしないのに凄まじい。人間だってもともと野生動物だったのに。

この差は、生物的構造の差異だけでなく、我々の先入観念がジャマしているのか。

あらかじめ用意された競技ルール、「基本テク」を疑うことなく、素直に従う。

ファッション、音楽、料理ばかり自分好みはうるさいが、心身はどうなのだ?

カタログで選ぶ、整形手術ばかりが自分好みのカラダではないだろうに。

ここ数世代にわたって、己自身、家族、社会、国民全体へと躾けられ、網の目のように広がった心身の先入観。

私のように、古い武術を再生するためには、どうしてもそれと格闘しなくてはならない。冷たく突き放した第三者による論文ならば誰でも書けるが、私の場合は理屈のための理屈で終わってはならない。

それを実感として体得せねばならない。キツイなあ。

どう気づいて、どう自らを見つめ直していけるのか。古色蒼然とした田舎剣術を窓口としても、現代社会の心身の危うさと直接関わる、大きなテーマになると思うのだ。

無能で頼りなき私だ。だがこの作業こそ、有名人、組織、目に見える優勝メダルまかせではなく、個々人が自分の体認とともに、ふだんの暮らしから、少しずつ地味に始めるしかないよな。

 「膝をえます」のもいいが、それより「足裏全体を引き上げる」方がいいか。

多くのクレームを受けながら、博物館駐車場係。ハッと気づいた。

上京したとき稽古の中である方から教わった。もしかしたら下田氏も言われていたか。

即座に私は、生々剣を連想した。

いつもいつも、足裏をアタマのてっぺんへとつなげる。

その方が、カラダの途中で途切れない。つまり「アソビが少なくなる」?

つかず離れず、全身がボールのようになるか。

その方が動いているときもイメージしやすいし、後進するのも居着かずラクか。

つまり、全身を延ばしすぎず、縮まず、ということ

抜刀も同じ。刀の柄に手をかけたときには、抜けるか抜けないか、既に決まっている。

ボーリングもそうだ。私は初心者だが、手からボールが離れる直前の感覚で、既に結果が見えてしまい、振り向かずにレーンから出てきて、笑われることが多い。

十代の頃から、その感覚は、居合に似ているのではいか…と感じていた。

それを二十年ぶりに納得している。

私の場合、刀の柄に右手をかけると、右肩前方が詰まるようだ。

詰まらずにソッと手をかける。いや全身が連動していれば詰まらないのだろう。

たとえ右肩前方が詰まってしまっても、それを全身に散らしていくことで、刀が抜けていく。散らすためには、カラダが前ばかりでなく、後方へも行く。それが鞘引きにもつながる。かつ、そのためには両膝も浮いていなくてはならない。

でも、刀が抜けていくにまかせれば、剣先は斜め右前方へ大きく展開するので、見栄えはするが、全身との連携がちぎれて暴走した、死に太刀となる。

そうならないための左拳による非打ちである。

 我が博物館の朝は、学芸員および総務全員による除雪から始まる。大雪の中から、博物館を発掘せよ。

昨日の朝は、鼻穴の中を呼気が通過するとき、寒くて痛かった。

今朝のTV、関西の野球場中継で、みの○んた氏「10℃か、そりゃ寒いね~」と。

誰か彼をここへ連れてこい。

他部署では、除雪専門業者に依頼している。当館だけそんな予算は無い。

だから自分たちでやる。当たり前といえば当たり前か。それを稽古にするのだ。

青森県では「健康雪かき体操」、雪かきでダイエットなどが推奨されている。

私の方法は全く別だ。武術へ生かすため。

スノーダンプで雪の固まりへ突っ込む。

甲野師範からお教えいただいた「追い越し禁止」でやってみる。

スノーダンプの先端から、我がカラダが一体となって、調和を保ったまま…。

ところが、固い雪にぶつかった瞬間、グイッとカラダがたわみ、肩が詰まって突き出る。

追い越してしまったのだ。あとはウンウンと単なる力比べになる。

力みが、順番にカラダのなかを伝染していく。

肩をつっこみ、腰を入れ、腰を落として脚を踏ん張り…、歯を食いしばって相撲のように。

先年までは、こんな「汗をかくいい運動」で終わっていた。

非力でも老齢になっても使える武術のチカラを。

一箇所で詰まる問題を全身で解決したい。

相対的に、詰まった肩が後ろへ下がってもいいのだ!!と思い出した。

グッと差し込んで力んで詰まった、ガンガンやっても動かない。

そのとき詰まった肩を開放する。スーッと後方へ流す。

それだけでなく、下半身全体へスーッと流した。

すると驚くべきことに、半分以下の力で、地を踏みしめている感じもなく、

固い雪が割れて、カンタンにダンプの先端が滑り込んでいくではないか。

ウソのようだ。たまたまかと、五回繰り返して、五回とも連続でいく!!

俺にもできるぞ!ワクワクしてきた、面白いぞ!ウッ、今回は失敗…

回りを見渡せば、ニヤニヤと除雪しているのは私だけだ。

まっすぐ立とうとする姿勢にこだわっていてはできない。姿勢よりカラダの状態だ。

それによっては、猫背になったり、腰が低くなることもあろう。

それが古い武術伝書たちが描いている、あの独特の姿勢なのか?

でも動いている相手、乱戦のなか、ひとつひとつ止まって味わっているわけにはいかない。

その意味において、意拳のように全方向の調和、または沢庵和尚の説く、自己を見失うことなく、居着かずに変化に応じ続けていく「不動心」などがあるのか。

「不動心」は、雑踏の中をスルスル抜けていくことにも関連あるのかな。

と、上司の「止めー!、館内の仕事へ…」

コピー室。大量コピースイッチを押して待っている僅かな時間がもったいない。

そばにあったモノサシで空を斬る。誰にも見つからないように。

まさしく先端から、つまりカラダからでなく、刀から先に走るのか。

強く振ろうとして、我がカラダが刀の動きを邪魔してはいけない。

カラダは全く無いものとする。刀だけが独立して空中に浮いて動いているように。

ふだんは、ちゃんと忙しく働いております。誓います。

 家伝を一般に公開することがいいことなのか、迫られる

まずは、稚拙なわが家のヌカ漬けのような気がして、恥ずかしいこと。

何より恐いことは、組織を広げるほど、技術は磨かれるのだろうが、

一方で、組織維持のため、稽古以外のことでも消耗するだろう。

段位、役職の発行、金銭面、人間関係から派閥争い、一度固定した技が改良できない…。

優れた理合でも、それらに忙殺され、動脈硬化してしまう流派も多いのではなかろうか。

父もそれを危惧して、ずっと公開しない。私にもそんな器量がない。

だから誰にもジャマされず、自分でまだまだじっくり工夫を続けたい!というワガママだ。

甲野師範だって「あなたの流派が父子二人しかいないのは、いいことだ。しがらみなく、思いのままに工夫しチャレンジできる」と励ましていただいた。

まあ、それだけに、独りよがりの弱体化と紙一重だ。

もしアンタが交通事故で死んだら、絶えちゃうよ!といわれることもある。

他人から見れば、さぞかし頼りない伝系なのだろう。

でも、「俺は絶対に途中で死ないぞ!!」というオメデタき自負があるのだ。

私のような独占欲が、当流の伝承をつないできたのかもしれない。

外国では、代々同じ家業をやるのは才能が無い証拠だといわれる。

日本の現代人の多くも、同じ人間が同じ職業を続けることを、弊害と見る。

確かにそうだろう。

でもそれも一面的な考えではないか?

長い間、日本の人々には代々の家業があった。

だがこの半世紀で、仕事も趣味も、自分の好みで、いつでも乗り換え自由になった。

そのときどきの手柄を、自分の勲章にして、スキルアップしていく。あくまでそれは自分が目的だが、それが組織を活性化することも。

だが、目立つアイディアを提案したが、途中で、他に利を見つけて立ち去る人も多くなった。

残された人が、責任を負わないアイディアマンのチグハグさ、後処理に追われて、反対に混乱することも。

最後までとどまり、社会に責任を負う人が少なくなったのではなかろうか。

特に私のような、未来永劫、人々の文化財を保存していく仕事ではそうおもう。

家伝武術も、近世後期に600数名いたという門人達は、ことごとくやめていった。

一方わが家が、元指南役のプライドだけで、代々の人生と資財を投げ打ち、最後の伝承を、かろうじて持ちこたえてきた。

この先、いったい誰が、このマイナー武術の責任を負い続けるというのだ。

つまり、それぞれの物事には、嵐ですべての水夫が逃げ去ろうとも、

「船と運命を共にする船長」がいなくてはならないと思う。

 新夢想林崎流居合の抜刀。今日は短い常寸刀で。

スッと右手を柄にかける動作

そのまま身をゆだねれば、自ずと左半身が、相対的に後方へ流れる気配がしないか。

あとは、刀をガイドラインとして随うだけ。

素直に随うほど、それほど右手は前に突き出さずとも、力まずとも、

勝手に刀は前方へ飛んでいく。

同時に、全身が外へと突っ走って調和を壊さないよう、

上下左右のまとまりを保つ

つまり、抜刀時に力みがちな右膝

これは伝書によると「規矩」ともいわれるが、

それを吊り上げる。

すると左半身は自ずと連動し、

なんと左拳、左半身による鞘当て「非打ち」の動作が、自動的に発生するようだ。

突き出された鞘の左拳、そのまま右手の刀へと移行すれば、

天横構えへとつながっていく…

そこでとうとう流れが止まってしまう。まだですな…。

非合理に見える型が、よくよく練られた、

いや、人間のカラダの構造に従えば、次々と連動して現れる、真に自然な所作ではなかったのか、

人工的に強制して作るのではなく、

あらかじめ埋め込まれているものがあった?

それを先人達が創り上げたというより、発見したのではないか。

それを「身の規矩」と呼んだのだろうか?

 子供が左右にステップを踏んで無邪気に踊る。見ていてオヤッ、どこか奇妙だと。

大人がやるように、しっかりと地を蹴って重心を一回ずつ上げ下げし、力んでギコちなく移動しているのではない。

重心を低空に浮かせたまま、凧が左右に揺れているような、足裏が床に吸いついてしまうのを、一回一回「垂直離陸」で引き上げるような印象なのだ。

彼はテレビのマネで、何も考えていない。私がやるとそうはいかない。

そして本覚克己流柔術。弘前藩独自の流儀だったが、現在は當田流ともどもなぜか、日本各地へ伝書が流出して、縁もゆかりも無い方が持っていたりする。

素手だけなく、刀も小刀も棒も多人数も想定する総合武術だった。

空手の某有名師範は、戦争のある海外では、日本の競技化、専門化した武道・武術の設定では、話にならない状況があるという。

ちなみに本覚克己流は、グレイシー柔術のベースとなったコンデ=コマこと前田光世が、明治26年、青森県尋常中学校(現在の弘前高校)に入学したとき、柔術部で旧弘前藩士斎藤茂兵衛から学んだという説がある。太田尚充先生は否定されていたが。

我々の復元する検証稽古では主に、近世の絵と文字の伝書をテキストにして、柔道有段者の無刀氏が取りをやり、私が受けをやる。

ああでもない、こうでもない…と試行錯誤する。当初は、体術素人の私でさえ、こんなのありかよ…?と思う型ばかりであった。だがそれは、私の眼が無いからであった。

だんだんやっているうちに、やはり実用の凄さが、少しずつかいま見えてきた気がする。

一本目の「腕流」と表と裏。

素手同士の立ち技で、逆関節を極めながら投げ、なかには地に落としながら、膝を落とす。うまく稽古しないとヒジを折る。

かつての師範達は、受けを取れないから、空中回転していたという。

まずは、取りが受けの攻撃を充分受けてから、ヨシ行くぞ!という、ひとつひとつを止めたロボット稽古では遅いし、パワー比べになってしまう。もう片方の手からパンチが飛んでくるだろう。そんなはずはない。

無刀氏の技を受けながら、最近になってようやく、受けの起こり、先をとらえた取りが、後の先で、入り身に入りながら極めていくイメージが浮かんできた。

柔術だって、剣のように先の先や後の先、流れが必要なのではなかろうか。剣道や空手の方ならすぐにイメージできよう。

それは、S氏の亡き御尊父が「大きな敵のチカラを真っ向から受けるな、斜めにさばいてかわせ」といわれたこととも重なろう。

そしてその技自体、指先から「追い越し禁止」で、流れを止めずに。

そうしていけば、ロボット型の姿は豹変し、生きた理を示してくれないか。

私などは、相手の攻撃を真っ向で受けないなら、体格差や刃物相手へもそのまま応用できるのではないか?だからこその現代格闘技の設定とは違う、総合武術だったのではないか。

またひとつ、温泉に入りながらアッと気がついた。

克己流柔術の一本目「腕流」と林崎流居合一本目「押立」の初発刀は似ているな…。

真っ向から受けない「三角(みすみ)のカネ」の理合で共通しないかと。

克己流は、新夢想林崎流居合の達人で、戸障子を開け、素手で庭の雀を掴んだ、という添田儀左衛門らによって、真極流柔術など複数の武術をミックスして編まれた。

だから私の我田引水だけではない、共通性があっておかしくない。

ならば、私だって、剣の理合から、本覚克己流柔術の技解読にお手伝いできるか。

 ついに津軽に雪が積もった。また雪との格闘が始るなあ。

昨日は数時間、広い剣道場で独り、いかに野生動物のように刀を振れるか、いろいろ駆け回る。

どうしても、立っても走ってもフキョをしても、動かない箱の如く居着いた自分を感じて、立ち尽くす。そんなとき道場の空気は鉛のような重さに思え、立ち尽くす。

三尺三寸の抜刀、各部位をどう動かすか…、分析しはじめたら、大きな動作となっても抜けないし、固くなり、ますます自縄自縛に。あまりのヘタさにガクゼンと床に座り込む。

己の固さに絶望したら、タントウ、歩法をしてリセット、また木刀を三尺三寸を振る…の繰り返し。特に意拳でお教えいただいた歩法を思い出してアッと気づく。

自分では、己の心身の固定観念を解こうと悪戦苦闘しているのだが、遊んでいるかと思われだろう。

やはり、両脚折り敷き、しかも両つま立つ林崎流居合のフキョからの抜刀で、胸を張って姿勢を正そうとするのは、脚と足首の自己主張で、全く動かなくなるのではなかろうか。

地面に根を生やしているのこそ、居着きだけでなく、体全体のまとまりが下方へ向かって崩れているのではないか。

よって、座っていて座らない、自分の手足の区別を溶かしてしまい、昆虫か何かのように思えば、それほど分析しなくても、何故か長い刀は抜けて飛んでいくな。

後から自分を振り返って、想像していたよりずっとコンパクトな動作で抜けるんだなと驚くことも。一気に道場内の空気が軽く明るくなった気までしてくる。

抜刀から鞘当て(非打)による正対へ変化し、天横、天縦からさばいて二躬、納刀へと、流れと重さを落とさず、全身の調和を…とユックリやっていくと、座っているとも立っているともいえない、床上に軽く触れるように浮いて転がっている丸いアメーバが、パントマイムしているような、不思議な感覚の自分がいる。

レベルは全く違うが、先人達が淡々とした伝書の記述しかしなかったわけがありそうだ。

壁には、「千日をもって鍛とし、万日をもって錬とす」というよく聞く言葉が。

己の未熟さを思うと恐れ多くて直視できない。

しかし生意気を申せば、これでいいのだ!と答えを知っている人ならば「千日を…」とやればいいが、必ずしも武士達の稽古方法が、何度も刷り込み、鋳型にはめていくばかりではなかったのではなかろうか。

特に林崎流のフキョは窮屈な姿勢すぎて、私のようなセンスの無いものが盲信して繰り返すだけでは、壊れるだけであろう。

ならばどうずるか?そのなかでいかにのびのびとやるのかという課題であって、先人達が、未知の動きに気づくための、また自らの動きをチェックするためのリトマス試験紙として用いた稽古もあったのではなかろうか。そうなれば本数の多さではない。ひとつでも目が覚めれば得難い稽古だ。

これはあくまで私の拙い体感からの推測である。でも今はそうとらえなくては、古人達の閉ざされた壁の向こうは打ち破れそうもないなあ。

とやれば、ふだんの行住坐臥から、技の質はつながっているといわれることがナットクだ。

 東京の雑踏で、見事にすれ違っていく人々。

かつてここに住んでいたときは私もできていた。

田舎に引っ込んで、久し振りに出てくると、とまどい、雑踏を淀ませてしまう。

面白いことに気づいた。

スムーズな雑踏のなかで、私が向こうから来る通行人に、よけようと意識を止めると、瞬時に向こうも感知して足を留め、よけようと互いに淀むのだ。

学生時代に、コミュニケーション学の講義で、挨拶のとき、互いの反応が無数に反射しあって増幅していくような話を聞いた。その増幅で、互いが居着いていくのか。

これは武術でもヒントになるか。

雑踏のなかではむしろ、周囲の人をヒト扱いしない方が、スルスルよけられるようだ。

人間として認識しないから、あんなに平気で他人の傍まで寄ってくるのか。皮肉なものだ。

一方で、わがふるさとはどうか。

仲間内では、甲野師範から立ち姿が絶賛された人もいるし、各種中国拳法講座で、首都圏の方々よりも、飲み込みが早いですね、とおほめいただいた人が少なくない。

周りに自然が多いし、近代化に乗り遅れたので、その分、我々はより野人、いや昔の人のカラダに近いのかもしれない。

だが、ふるさとの人々が優れているとも限らない。

狭い空間で、己の身を所作を、コンパクトにすることを知らない人も多い。

だから、通路も、エレベーターの出口も、一人で塞いで「我が道」と、ノッシノッシと出てくる。その尊大さに、譲った方がハラ立つこともある。

これは、人口が少ない分、パーソナルスペースに余裕があるのと、家庭内で躾けられた礼儀作法が、今や日本全国で崩壊し、「気ままにリラックス」ばかりの現状と無縁ではない。

最近ではふるさとでも、幼い頃から厳しく躾けられた正座をしている私が、かえって周囲の人々に違和感を与えてしまい、「この人は武道をやっているから…」と浮いてしまうことが増えた。だから、慣れないアグラをかいて、リラックスのふりをすることも多い。

礼儀作法は、時代の変遷とともに変化してきたのは確かだ。

だが宇城憲治師範のセミナーで、礼儀作法が「統一体」と呼ばれる武術の理合とつながるものであろうこと、ひいては他武術や家伝の「自然力」などとの共通性を予感した。

作法や所作を、見た目や精神論だけでなく、カラダの効果的な操作として見つめ直したい。

 弘前市立笹森記念館の武道場。幕末、弘前藩によるホンモノの修武堂があった場所だ。

昨日、ここで津軽の古武術再生の転機が…。

本覚克己流柔術(和)再興のため、S氏、無刀氏と太田尚充師範の柔道教室にお邪魔した。

柔道八段の太田師範は、つい最近も、マスターズでも優勝された。一方でフィールドワークに基づく、青森県内の様々な武術史研究の第一人者であられる。

多くの貴重な御著書があり、我々はそれらを稽古のテキストにしている。

三戸地方の神社では、柳生心眼流の奉納額や記念碑を見た話。

八戸の古い柔術では、狭い土地にムシロを敷いて野外の稽古をし、終わった後、ムシロは吊下げて乾かした話。

本覚克己流宗家故大津師範や旧師範方にも直接インタビューされた。

実技は紹介してもらえなかったが、当て身の箇所は数千あった話、柔道のような受け身では、石の河原、木の切り株の上で大ケガするため、投げられても身を円転させて立って着地するものだという。

母流儀である、秋田の真極流御夢想柔術伝書も見せていただき、多数の技名が、克己流と実際に一致することを知らされた。

太田師範の前で、無刀氏が取り、私が受けで演武し、現在の本覚克己流の復元状況をご覧いただき、アドバイスをもらう。

いろんなバリエーションが想定され、それが実戦想定や「口伝多し」なのかという推論、疑問点もお聞きいただいた。

太田師範からは、一本目の「腕流」は「うでながれ」ではなく、取りの視点から「うでながし」ではないかということ、

そして二本目「違詰」は、我々の復元より腰を大きく落とすことを、師範自らが私を投げてお示しいただいた。

そしてS水氏が、當田流宗家故寺山龍夫師範から不思議な柔術の座り技を教わったという、それが本覚克己流であったことも判明した。

すると、我々の拙い「腕流」の演武を見ていたS氏が、亡きご尊父からお教えいただいた幼少の記憶が蘇えってきたという。

御尊父に「腕流」をかけられ、どう逃げるかと試されたという。

実際にかければ同門同士でも大ケガすること、もしそれから逃げるためには、飛んで回転しかないこと等‥。

無刀氏と試行錯誤した復元型が、全くはずれていたのではないことを証明されたようで、大変感激した。

「腕流」は有名な武術研究の師範が、ご著書で復元されているが、我々はもっといろんなカタチがあったと見ている。

しかし、克己流も、林崎流も家伝剣術も、いつも一本目の型が、次の扉まで開ける、大きな導きをしてくれる気がする。

太田師範から、今後、ひとつの技について、記述の異なる複数の伝書を比較しながら検討すること、正解は見えずとも「我々はこう解析した」と歩み続けよ、励まし頂いた。

他にも、武術としての危険な柔術技をカットしてきた、日本の近代柔道スタイルが、国際試合において、ときおり外国の柔道スタイルに、遅れを取る場面が増えてきたお話なども続いた。

これから、太田師範のご教示をいただきながら、本覚克己流の検証とともに、津軽の古い武術たちの伝書や古記録類の勉強会もスタートするかもしれない。

これから再生するのは、私の家伝剣術だけではない。

ともに再スタートし、ひとりひとりが、誰かにもらった既製服に依存するのではなく、自分の心身をベースに、切磋琢磨しあう豊かな世界を取りもどすのが、修武堂の目的なのだ。

 上京して、昨日、久し振りに甲野先生に御指導いただいた。

私のご無理のお願いに、他にも数名お集りいただき、大変恐縮した。賑やかさに、十数年前の学生時代、毎週、松聲館に通っていたころを思い出した。

今回、甲野師範が「追い越し禁止」、タメたり力んで縮まず、伸ばし過ぎず、などといわれることが、「願立剣術物語」の「手に引かれて…」や中国拳法だけでなく、統一された体、家伝の「自然力」などとも共通する要素ではないかと勝手にイメージした。

己の技の「流れ」を止めないため、居着かないために、場合によっては前ばかり出る体ではなく、後退する箇所もあるのには目からウロコが落ちた。

しかし、拙くとも私が工夫していた剣術の斬りは、当たらずとも遠からずかもしれない。

竹刀剣道の試合では、速くあてようと、よく竹刀の先端から飛んでいくように打っていた。「ダメだ、腰で打て」と注意されると打ちが遅く、間に合わなくなる。これは、おそらく「追い越し禁止」と関係あったのではないか。

全身の構造、調和を崩さないまま、先端も腰もどちらも整ったままで打てばいいのか?

思えば、水槽の金魚でさえ「追い越し禁止」で動いているときは素早いが、身をよじってタメを作った瞬間に動きが止まっている。捕まえるならそこだ。

そういえば、亡くなるまで神技といわれた某高名師範の写真。その姿は、不思議なほど力みが無いのだが、技を受けた方は大変な勢いで吹っ飛んでいる。

その極意を全く見取る眼が全く無かったが、今後少し、見方が変われる期待がする。

しかし、鹿島神流剣術をベースにされた甲野師範の剣術は、まるで野生動物だ。「もとの型はこうだが、私はこうやる…」と。

間合いも「この辺りで止まるだろう」という、こちらの予想を越えて、ツルーッと滑り伸びてくるし、私の小手打ちを真横に抜いて、そのまま変化してまっすぐ打ち込んでくるのは一筆書き、まるでカドが無い。どちらも剣道経験者は「まさかっ!!」と思うだろう。地表を低空で滑りながら突き上げてくる袋竹刀は、ムササビから急に角が生えるようだ。

これは、剣道や居合道の、地面に直立する姿勢、地面を蹴る技術からは生まれない。

私がまだまだ、近代の武道が形成して、全国普及した、既成の概念に縛られて稽古していることに気づく。

やはり、大事なことは、背筋の伸びた姿勢ではない。腰を入れた姿勢でもない。

刀と体が一体化し、ひとつの生物のように連動することではないか。「正しい姿勢」を作るほど、刀は永遠に自分にとっての異物であり、体と分離していく可能性がないか。

ホテルで見たテレビのニュース。淡々と畑を耕やす農婦。慣れた人の鍬は全身で振っている。姿勢を固めていない。

(※追記)

2月下旬か?弘前で甲野善紀師範の稽古会を計画中。正式に決まりましたら、みなさまにも告知いたします。

 国立歴史民俗博物館で作成中の、民俗の記録映画フィルムとシナリオチェックのため上京。

新幹線では、先師小田孫兵衛の口伝メモを見て、家伝剣術の全型を復習。

それを記したK師範、直筆のお手紙「一生懸命、稽古してください」「頑張ってください」

簡単な言葉だが、祖父や先人達と、私にまでつながる縁の不可思議さ、先人たちの苦労を思うと涙が出る。雑誌SPAを読む、隣の男性に気づかれないよう車窓を眺めた。

丸の内のオフィス街が見えてきた。ここで働く人々からすれば、私のような土俗的なものを指標にした生き方は、なんと社会からズレた理解不能に見えるだろうな。

同じ時代の日本にいながら、隔絶の感がある?と考え出したら可笑しくなってきた。

駅構内を歩く。しかし、東京の人々は、人混みをよどみなく抜けるのが上手いな~。10年前、私もここに住んでいたはず。すっかりズレてしまったなあ。

でも、みなさん間合いが近すぎるよ。どうして見知らぬ他人に、ここまで近づけるのかと何度も思った。混んでいるからならわかる。混んでいないときも近いのだ。

例えば、人気のない通路でも、道を譲ることなくギリギリですれ違っていく男。こいつ敵意があるとしか思えん、「抜き打ち」か!?。

以前、演劇のH氏が「東京と青森の田舎では身体感覚が全く違う。だって、通過駅を物凄いスピードで走っていく電車のすぐギリギリのホーム端を、東京の人々は、平気な顔で歩けるのだから…」と言っていたっけ。それは、よほどの達人か、鈍感か。

と、空いているロッカールームなのに、見知らぬ若い女性が、平気で私の数センチ近くまで歩み寄ってきて荷物を開き始めるから、私の方が驚く。

「なんの御用でしょうか?」この距離は他人のものではない。まるで知人か家族だ。なんと無遠慮で無防備なのか!?

いや、彼ら彼女らは、私に人格を見ていないのだろう。私をモノとしてしか認識していないのから、近寄っても平気なのではないかいな。そう思うとバカにされたようで、腹が立つなあ。

クリスマスが近い首都圏では、装飾のためだけに、LEDイルミネーションだ、点明式だと異様な数の明かりをつけ始めたようだ。「ステキ」と、マスコミは諸手を挙げて称賛するだけ。

だが、その電力の多くが、原子力発電所のリスクと共存せざるをえない、我々地方から送電されていること、そしてますます、その設備強化が予定されている我が地方では、それほど電気を使えてはいないことを忘れないでほしい。

リスクとは無縁に、電気をイチバン使うところで発電するのが、イチバンだと思うのは私だけか。

 集中豪雨で連日、交通機関がマヒ。連鎖反応で、人身事故、急病人発生…、一時間、車内に閉じこめられる。

異様にため息をついてイライラする人、駅員に「訴えてやるっ!!」と怒鳴る人。

バカか。人智を超えた天災。駅員も懸命に動いてくれている。

こんなときは、ジッと待つしかないではないか。

我々が、どうにもならない自然の中で生きていることを忘れている。

すべて人間がコントロールできるはず、担当者が怠けているせいだと、他人に不満をぶつけて解消しようとするのは、なんと見苦しい。

待つ間、お陰で、菅野覚明氏の『武士道に学ぶ』がじっくり読めた。

またかよ!というような固定観念に縛られない、目からウロコの「武士道」である。

なかでも武技はもともと「非日常のハレの存在である」ということ、ことさら家伝剣術を現代社会と結びつけようと焦る私が、一面的な視点にすぎないと気が付いた。

 一人の武士の生全体が優れていた、という死後の名誉を残すことが、子孫、後継者たちの生きる力、無形の財産になるというのにもアッと思った。

 カネやモノなどの有形の遺産は、案外早いうちに無くなる。しかし無形の遺産は、人々が語り継ぐ限り、彼らの胸を熱くして、ずっと無くならない。

 以前、ある方に「あなたの父祖達は、ずっと悩みながらも剣の世界を耕してきた。その成果はどの世代で咲くかはわからないが、そのお陰であなたの世代で花咲いていることもあるはずだ。だからあなたも耕していくのだ」と指摘されたことを思い出した。

 近世、私から数代前の父祖に達人が出た。彼の技が、江戸幕府の松平定信へ報告されこと、信じがたい様々なエピソードを子孫達は誇りとして、それに習おうと、彼の名前を繰り返して子供たちへ付けたようだ。

 時代が全く変わり、この混迷の現代でさえ、祖父が、父が、私が、父祖達の遺産を指針にすることで、人生を、生活をどうするべきかの判断基準が見えた。

 家によってはそれが、代々の田畑や選挙地盤の場合もあろう。だが、下級武士だった我が家の場合は、有形には恵まれずに、無形の遺産が残された。

 それに随って、なんとか代々、命脈をつないできた。これがなかったら、一族だって、多くの家々のように、それぞれの自由を求めて四散していたであろう。

 今まで、家伝剣術は自分の足カセとばかり思ってきた。他人に「うらやましい」といわれても「我が身じゃないからカンタンに言えるのさ」と。

違う。本当は、この愚かな私に指針を残してくれた父祖たちには、感謝しても足りないくらいではないか…!と目が覚めた思いだ。

それより、お前自身が、後世の指針となるものを残せまい…!?と責められるようだ。

「武士道」は過去の遺産で、そのままでは現代には適用できない。

だが、我が父祖達は、血を血で洗う戦国期の津軽に移住して以来、生死の境を体感する凄まじい日々のなかから、電車でイライラする我々とは格段に違う心身を見い出していたに違いない。

その深さを少しでも実感したくて、彼らの残した遺産、家伝剣術を学ぶ。

明日、久方ぶりに甲野師範に稽古をいただく予定だ。

 剣。足腰をどっしり据え、垂直に立ち、まっすぐに振りかぶって、まっすぐに斬る…。

これは誰しも、刀法の基本だと思うだろう。

それさえハンパな私だが、それが揺らいできた。

稽古、初心ではそうだろうが、あるときにそれを脱しなくてはならないのではなかろうか。いや、初心から違う方向で…。

次々と変化し続ける闘争の中で、我が身を固定してしまっていいのか。

土壇を斬るのとは違うと家伝伝書も説く。

それに、家伝剣術や林崎の型自体、そのような姿勢とまっすぐかぶって、まっすぐ打つ刀法では、ますます解析できないことばかりだ。

野生動物や激流のように、よどまず、流れ続ける身体が欲しい。

二週間前から、ちょっと試している遊びは、八相や上段から斬り下ろした勢いを全く止めることなく、振りかぶり、二太刀目の斬りまで、よどみなく、ラクに動く稽古だ。

普通は、エイッ!と斬り下ろして止まり、もう一度振りかぶって、またエイッ!と二

太刀目を下ろす。見た目もカッコイイ。

新作映画「椿三十郎」CMで、織田裕二氏がやる薪割り刀法?

しかし、自分が手応えに酔っているうちに、相手は逃げ、動作のつなぎ目に斬り込まれる。自分もオン・オフの繰り返しに、カラダがギシギシ辛い。若い者にはかなわないと。

よって竹刀剣道では軽く速く連打するために、大きな振りは初心だけで、実際には手首による小さいスナップ打ちになったのだと思う。

でもそれでもやはり、竹刀を我が身からちぎれるほど放り投げては、グッと握って引き戻し…というアクセル、ブレーキでキツイことに変わりはない。

ところが、林崎居合の振りかぶり方「天横一文字」「天縦一文字」を溶かしてしまうと、全部の動作がつながって一筆書きになりそうな気がする。

パワーはいらない。うまくいくと、初立ちの斬り下ろしの勢いがそのまま、自動マシーンのように、水中を泳ぐ魚のように、一筆書きで走っていく感じがする。

もうひとつ例えれば、林崎居合の一本目「押立」を立ってやっているともいえようか。

はたから見れば、らせんのように、中国の剣術のように、刀を我が身の回りに円転させているように見える、いや、駄々っ子のように暴れて手がつけられない様子かもしれない。

木刀ではまだいいが、模擬刀に変えたとたん難しくなる。

やはり、刃筋が立ち続けないととスグに、所作が滞るのが敏感に体感できる。

縦横まっすぐと、わかりやすいカタチで止めて、そこに意義や外見の美を見いだすのは、ともすれば、斬りの構造を単純にし、効果を半減させているかもしれない。

もうひとつ。

足首、下半身の力みの開放、剣にピッタリと寄り添ったまま全身も動く…などと稽古していたら、剣を左肩に担いだ中段(八相)の構えからの斬り下ろしで、風鳴りが前方ではなく、我が耳元、つまり斬り始めで鳴ることが増えてきた。そして途中に急ブレーキをかけることなく、剣がフワッと急停止、急転換できそうな。少しは改善されたか。

その先に、自由自在な寸止めの木刀稽古があるのでは。

この前、光岡師範は「心のありようだ」と教えてくれた。

独りでようやくやっている私が、相手に向かったとき、「平常心是道」のびのび、淡々と行えるのか。

 学会のため、自家用車で南東北まで。

町並みが、どこも画一化していることに改めて気が付く。

コンビニ、ファミレス、携帯電話ショップ、レンタルビデオ…と、私の近所と変わらぬ郊外が続く。「ホントに違う地方に来たのかな…?」

豊かさを目指しての「全国展開」なのかもしれないが、日本全国、同じような風貌とライフスタイルで暮らしているのでは、あまりに面白くないなあ。

そうなると、その土地ならではの、古めかしい名所、建物、食事を探すようになる。

武術雑誌で、刀の棟を使う特集を見つけた。

そのS師範は昔、東北の武術ご調査で、祖父を訪ねてこられた。私は別室で控えていた。

田舎者の祖父は隠すことを知らない。気前よく、いろんな資料を公開したようだ。

そのとき収集されたご成果は、どうなったのだろう?まだご報告をいただいていない。

フィールドワーク調査をやる者として、一方的な採集で自分のコレクションにするだけではなく、地域に還元するべきということが、我が身のことと痛感した経験であった。

もとい。一般に、刀の棟で攻撃を受ければ、刀はスグに壊れてしまうという説がある。

雑誌では、古伝に棟を使う方法がある、と反論されていた。

確かにそうだ。古い武術で使われならば、何か意味があったはず。実戦を知らない我々がとやかく言えるはずもない。私も実際に刃引きで実験してみよう。

素手の武術と違って、道具を使う武術は、その道具の特性に随わなくてはならない。

いや素手だって、「我が身」という道具の特性に随うか。

雑誌で、脇構えから、相手の中段の構えを斬り割っていく型に、目が止まった。

家伝の剣術にも似たような所作がある。大太刀、表と裏の三本目。

この二本で、現代剣道では失われた、脇構えの実際を学ぶことにつながると考えている。

近代剣道の祖、高野佐三郎師範も、日本剣道形の脇構えは、逆袈裟を斬るためにも使うと述べていたと思う。

現代の剣道では、まっすぐ振りかぶって、まっすぐ打つことを多用する。だから、高野師範の通りにしたら、防具ハズレの脚や二の腕をしたたかに打ち、邪剣といわれるだろう。

つまり、そのような太刀筋を全く想定外にして成立している。よって脇構えは全く意味不明となった。

斜め下から上へと振る掌底や打撃は、見えにくいという。

これは剣術も同じで、格下の打つ袋竹刀が見えているのに、反応が遅れることがある。

理由はよくわからない。人間の眼球の生理的盲点のためかもしれない。

生理的盲点については、両目2.0の私も、見えないポイントがあることに驚いた。

おそらく脇構えの利点のひとつかもしれない。

家伝剣術。

今まで、斜の構え(脇構え)から刀の横で、相手の中段の構えを叩いていた。

昨年から、それでは刀が折れるだろうと、刃部で叩くように変えてみた。

すると次ぎの太刀で、左肩に担ぐようにしながら、相手の左袈裟を斬るのだが、我が左側を向いていた刃部を、全く反対側に転換させなくてはならない。

左右の手と体さばきに連動すればいいと思っていたが、どうもスムーズではない。

右手首のねじりや、左手の使いに不自然さと、遅れを感じてならない。

ところが、最初の斜の構えから「刀の棟」で相手の中段の構えを叩けば、そのまま刃部を転換することなく、より自然に左袈裟へと移行できるではないか?

よりスムーズになれば、全体の動作イチ、二を、一回の一筆書きで終われそうだ。

こうなると刀の特性が教えてくれるのか、人間の体の構造が教えてくれるのか、どちらが先かわからなくなる。

ふたつの要素の響き合いがガイドとなって、「自然力」を見いだしていくのだろうか。

  昨晩、祖父と父のビデオを通覧。できなくとも、とにかく全部覚える。

なんども繰り返し、ひとつひとつの型、そしてそれがつながる全体の構造が、何をいわんとしているのか?抽象画をぼんやりと見て、その奥底を感じられるように。

今の至らぬ視点では、全く読み取れない部分がたくさんある。

 小太刀の「裏」四本目で、オヤッと疑った。

 いくら祖父が、幕末の侍だった4代前の先祖とその高弟に習ったといえ、この所作はカンチガイしていないか…?近代剣道の日本剣道形に影響されてはいないか?

 もう一人の流れ、幕末の小田孫兵衛先師の記録でチェックする。

小田師の伝書、口伝、型には一部、当家と異なる教えがある。

これは古伝か、小田師独自の工夫かわからないが、違う角度から家伝剣術を再検証するには、本当に貴重な記録だ。

これに出会えたことは、私にとって奇跡中の奇跡であり、天に深く感謝しても足りない。

与えていただいた、祖父の高弟で神奈川にいるK師範にも深く感謝する。

チェックすると、やはり、祖父の小太刀は間違っていなかった。

疑ったのは私だ。ごめんなさい。素直に稽古しなきゃ。

また、小田師の伝を再読して、数種ある家伝の基本の構えをすべて見直す必要も感じた。

私が幼い頃、祖父から直接受けた口伝とも照合しながら、あとは自分のカラダに聴く。

淡々とした文言で、他人が見ても面白くないだろう。

だが、自分なりに工夫していた箇所は、リクツではなく、なんとなく口伝の意図が感じられる。まだ稽古していないところは、やはりわからない。

晴眼(正眼)、中段、上段は、なるほどな。中段は、現在の工夫がズレてはいないことがわかったが、小田師の口伝で、祖父の口伝が何をいわんとしていたのか、さらに腑に落ちたし、所作もラクになった。

下段は、こんなやり方があるのかと意外だった。これにすると従来の型が全転換するな。

斜の構え(脇構え)は、私がカンチガイしていた。でもまだしっくりこない。

小田師は「生々剣」を、違う角度から説明していた。その文言に眼がクギづけになった。

本当にうれしいことに、私の方向が間違ってはいなかったのだ…!!

現在の私の「生々剣」は、試行錯誤の末に発見したが「独りよがり」かもしれない…という疑いがずっとあった。

しかし、タイムスリップして、幕末の先師に直接に保証してもらったかのような嬉しさで、その文言を読みながら、涙が出る思いだった。

とにかく、あきらめずにやっていけば、何かは見えてくるのだろう。

ただ、まだ完成ではない。進路を確認できただけだ。「生々剣」自体、発見から、一年以上たって、少しずつだが、自分の中で変わってきている。

これが現在唯一のリトマス試験紙か。

某有名師範が「段階を追ってステップアップして学んでいく過程が無い武道・武術は、おかしい」とコメントしている。10年前はなるほどと思った。

しかし、その思考自体、西洋的なもので、武道・武術に適合するとはいえないかもしれないと、最近思うようになった。

西洋発の近代教育は、技術をいくつかの要素の分解して、基礎から応用へとだんだんレベルを上げていくカリキュラムが多い。現代人が小・中学校から生涯教育までなじんできて「当たり前だ」と思っている学び方だ。 

だが、教育学の生田久美子氏の研究によれば、日本の伝統的な技芸は、段階は設けずに、初めから極意を教えてマネさせ、師匠の不透明な評価を得ながら、自分で見出していくという独特の特徴があり、それはそれでよくよく構築されたシステムであるという。

日本の武術も、我が家伝剣術もその世界にあった。

なんでも疑うばかりでは、私は大事なものを見失う。目の前にあるもの、あるがままの姿にも、奥深いものが隠されていることを知らなければ。

  通勤電車で、居合の刀袋を背負ったスーツ姿の若者達と一緒になった。

 大会だろう。数年前から弘前の大学では、剣道よりも居合がブームらしい。

 マイナーだと思っていたが、若い方々が増えているのは嬉しい。茶髪もいるぞ。

ご同行の士か…としみじみ。いや、私の稽古を見たら「そんな邪剣とは違いますよ」といわれるだろうなあ。

全国を覆う、一律化に取り込まれて、ふるさとを、己を見失わないためには、もうひとつ。自分の頭で考え、自分の体感に聞くことではなかろうか。

例えば、竹刀剣道の大多数は、百錬自徳といって、膨大な稽古を積めば自ら理合は体得できるという。何度も聞かされ、道の厳しさと我が努力の足りなさを恥じた。

そして指導者は、主に精神論や心構えをいい、こと細かな技術について教えてくれる場合は少ない。教えようとする人がいても、「やめろ、自得させろ」と止める人もいるという。

でも、稽古量をいくら増やしても、たぶん「足りない」と言われる気がしないか?なぜ?

「稽古量を増やせば上達する」というのは、父が否定する。ただ動いているだけで、理が違えば、悪い癖がつくだけ、ムダな運動にしかすぎないという。

前回書いたように八段の父は、体育大学で剣道を学んだわけではない、警察官でもない。つまり剣道のアマチュアだ。稽古も無理しない。疲れればすぐに休む。もっともっと稽古量が多い方は星の数ほどいよう。

そしてテキストを鵜呑みにして稽古してきたのではない。無理せず、自分の自然な体感に聴きながら稽古をしてきた。

「膨大な稽古量を積めば自ずと上達する」という観念は、剣道の懸かり稽古のベースを生んだ無刀流の影響であることは先行研究が明らかにしている。

それとともに、理合よりも、打ち合う即効性を優先したために、理を学ぶ機会に恵まれない庶民にまで流行した、幕末のシナイ稽古が作りあげた観念ではないか。

理合は上から発行するものだけでいいと、各自の工夫を制限し、ひたすら稽古せよというのは、組織維持のためには有効な手段であろう。

しかし一歩間違えば、依頼心が強く、己では判断できない、イエスマンだけを育てることとなろう。いつかはそれで組織自体も脆弱化していくか。

各自が自分のアタマで考え、自分のカラダに、感覚に聴きはじめることは、組織をまとめる上で恐ろしいことなのだと思う。

反面、近年の剣道雑誌では、従来の枠組にはない、新しいアイディアによる理合を唱えられる方々が増えた。これは素晴らしいことだと思う。

面白い、参考にしたいと、読みはじめてアッと気がついた。

目的が根本的に異なる。一定のルールと基本の枠組み内での技術競争も素晴らしいのだが、家伝剣術の設定はそれをはみ出している。何を目的としてやるのか。その差異を差し引いて学ばなくてはならない。

たまたま祖父が「心剣一致」と書いた手ぬぐいが引き出しから出てきた。

たいていは「心正しからずば剣また正しからず」といって、「正しい基本」を強調するフレーズとなる。となれば聞き飽きた。

これを我流に読み代えた場合、その難しさにガクゼンとした。心のままに剣を操れるか?

  仲間と飲み会。東京出身の近代史研究者が、「青森は原発を批判してはいけない。あれに頼らなくては、この県はとっくに吹き飛ぶよ」といった。そして次々に、この県は昔から遅れてきたと…。

怒り心頭に及んだが、反論できずグッとこらえた。

彼は「あなたはお人好しすぎる、もっと自己主張をしなさいよ」と、ありがたくも説教してくれた。

実は、アタマの中では既に刀を抜いていたが、ご自分の説に酔って、相手の雰囲気が読めないらしい。

どうやら彼は、全くの部会者として、この県がどのように近代化していったのかが関心があるらしい。私は写し絵として、どのように地域的特徴を失っていったのか明らかにしたいと考えている。

中央の考古学者が「三内丸山遺跡ブームは地方ナショナリズムだ」というらしい。

一方で、下田氏は「弘前が、つまらない一地方都市化してきた」と危機感を訴えている。

「いつか全国の町は東京化する」といった研究室の先輩もいたっけ。

経済が厳しくなるほど「長いものに巻かれろ」という、無言の圧力が強くなってきた。

地方ナショナリズムなど可愛いもので、むしろ日常生活のすみずみまで埋め込まれている、その巨大な流れの方が恐ろしいとは思わないか。規準を作る側にいれば感じまい。

我が家伝剣術も近代以降は、一律化の一翼を担ってきたかもしれない。

父は剣道八段になってからから、毎週、各大会や講習会の監督に借り出される。

「高段者でも基本ができているとは限らない」という。

以前たまたま、剣道の専門大学出身の高段者に、竹刀の持ち方から、構え方…をイチからお伝えしたら「目からウロコが落ちた」と驚かれたという。

それは父が自得した方法の一部で、いつも食卓で聞かされている。

箸や竹のモノサシを使って教えられる。たまにしか剣道をしない私がマネしても、確かに目に見えて効果があった。何かしら理合があるのだろう。

だが、たぶんそれは「正しい剣道」そのままではない。「正しい基本」を参考としながらも「こうした方が、無理がないだろう」と自分なりの体感に従って編み出した方法になっている。全国式の「鵜呑み」ではない。

なにしろ父は、生まれたときから田舎道場の稽古だけ。中央の有名師範と全く面識が無いから、情報もコネもない。それでも昇段したから取材陣は驚いた。京都の八段戦で無敗なのだから、何かの理があるのだろう。

 彼は「腕ではなく、ハラで打て」と一般的な剣道のアドバイスをする。またかよ…!と思わずに聞くとそうでもないようだ。

それは、腕だけ暴走しない、全身の構造的な調和を保ったままで動くという、いまの私の剣術の参考となることかもしれない。彼の面を受けた高段者は「風圧を感じる」という。体重を乗せた打ちになっている可能性がある。

 構えもそうだ。いったん両手の平を上にしてから、手首を返して剣を持てばいい、という父の我流は、知らぬうちに甲野師範の介護術と同じようなことしていた。たぶんそれは、竹刀から腕が、体幹部とゆるやかにつながるのだ。

 祖父の代から父は、全国式普及の立場にいながら、実は全国式を盲信せず、己自身の体感に従って稽古してきたといえよう。

多くの現代武道は中央組織と支部があり、試合、昇段、講習会を通じて、会員の心身は中央を基準として標準化されていく。スポーツの官僚制だ。これは逸脱した私のような部外者ほどよく見える。

これは、ここ100年の新しい現象で、かつて各地方には独自の流儀が百花繚乱した。

それは幕府が藩域を越えて門弟を持つ流派を禁じたこともあろうが、当時の武士たちが、組織や他人ではなく、己自身を頼りとして工夫していたからではないか。

剣道八段で古武道宗家は、国内で父一人になってしまったかもしれない。だからこそ父には、「これが正しい剣道だ」と全国一律化していく流れに対して「剣の方法は一つではないし、地方にいても独自の方法で稽古できるのだ!」と身を持って主張することが、郷土の人々にも勇気を与えるはずだ、それこそ剣道界では「八段」の看板だからこそ、発言できる特権ではないか、とけしかけている。

確かに地方の古い流儀達は、枯れ木になった。

でもそれは「劣っていたから」よりは、なんといっても、みんな同じ方向ばかり見て、古い流儀に、ふるさとに、生き血を注ぐ人がいなくなったからだ。人がやらないから枯れたのだ。見えなくなったのだ。

どうしようといろいろ、悩んでいるが、単純なことか。

捨てるな。

真っ向から向き合いさえすれば、何かを語り出すはずだ。

俺のようなバカにでも。

  斬りで、手ごたえがあるほど、木刀が刀が、全身の調和から飛び出して離れてしまう。

離れれば、コントロールできない。すると、二の太刀へと移行できない。

そこが技の切れ目、居着きだ。

私の低レベルでは、大きく振った方が、なんとか調和が保てる。

手首のスナップで小さく速く振ろうとするほど、アクセル、ブレーキを繰り返して居着くのではないか。

そして、動かないときも、斬っているときも、停止したときも、

自分のカラダの内部で、圧力の増減がないのがいいのか。

増加、つまり力んで行き過ぎがあれば、居ついて次の太刀が出ない。

減、つまり八相や上段で、剣を腕や肩に載せて脱力しているだけの構えでも遅くなる。

一筆書きのように振るのはいかがか。

でも、竹刀剣道の有効打突の観念から見れば、一本とは認められないものであろう。

幕末に弘前で流行した竹刀稽古を、武士がススハライ剣術とバカにした意味は、その差異にあるのか。

昭和30年代、津本陽氏が通う警察の剣道道場に不思議な中年男たちが来たという。

四段と自称する五十男は、その辺にある、古い防具と重い竹刀を借りて稽古をすると、道場の六段が歯が立たない。

その男は俊敏で複雑な組み合わせ技を数多く使った。横面から胴を抜き、小手を打ち、突きとバババッと十くらいの連続技と突き。竹刀にからみついて離なれない技も。

六段錬士は五回試合して全て負け、最期に面を打ち込んだところを、さばかれて首を掴まれ床に叩きつけれ、真っ青になったという。それを見ていた師範は「用がある」と逃げた。

後日、道場の人々は「ヒネた邪剣だ」と噂したが、津本氏には負け惜しみにしか聞こえなかった。(津本陽「剣豪たちと日本人の精神」(『オール読物』2004年11月号)

これをマネしてもスナップ打ちでは十連続の打ちはできない。これこそ古い剣術のように、途切れない一筆書きのような遣い方だったのではなかろうか。

むしろ途切れないループのように動けるからか。

剣道の有名八段の語るエピソードにも、不思議な達人が登場する。

地方での合同稽古中、小柄な御老体にかかっていく機動隊の若者たちが、次々ともんどりうって床に叩きつけられていく。稽古終了後、声をかける前に帰られてしまったという。

黒田師範の先々代と先代が、小沢範士九段の道場へ竹刀剣道で出稽古した武勇伝も有名だ。黒田師範のお父様一人に、道場生全員がかかっていっても、涼やかに稽古を終わられてしまった悔しさに、小沢師範は構えが違うと言ったが、当流ではこれでいいのですと答えられたという。

これらの信じがたいエピソードを、見えなくしているのは「正しい基本」かもしれない。

我々は、限られた情報しか教えられていない。そのなかで稽古している。

正しい基本通り、しっかり打てとやるほど、何かから遠くなっていくこともありうる。

 斬りは、肩から打ち出さないように、と気づいた。

じゃあどうする?といえば、現在気づいていることは、文章表現できない。

剣から先に、という感じでもない。かすかな感覚。

後ろへ飛び下がるのも同じ。地を蹴ると実感があって気持ちいいが、ドッコイショと遅い。足が床に張り付いて残る。そこを斬られる。

先々週か、下田氏が片側の肩から、後ろ斜め上へ吊り上げられるように…という動作を教えてくれたのを思い出した。それとともに、下半身の操作もあったような…

自分なりに。小学校への出前授業、体育館での待ち時間…。

半身となり、後方の肩から引かれるように。

蹴らない、でも体の他のパーツも全く遅れないようについていく。

ハンガーにかけられた着物が、そのままのバランスでフワリと引っ張られていくように。

昔、甲野師範が「追い越し禁止」「アソビが無い」といっていたのと関係あるのか?

これがホントに難しい。人のカラダはあちこち動くから、どこかが遅れ、独走する。

感情や分析が混じると、なおギコちなくなるな。たぶん対人になるともっとだ。

それでさばく移動距離も、ちょうど調和が壊れない距離があるようだ。

それ以上、欲張るとすぐにギコちなくなる。そのときは、一歩で終わらず、素直に足を継いでいけばいい。歩数など関係ない。

これは家伝剣術の、「折敷(おりしき)」一連の型に登場する所作に通じると思う。

折敷も後半に学ぶ型だが、字の通りに折り敷く。

屋内での戦闘で、かもいにぶつからないように使えるのだという。

相手の斬りを下がりつつ、左右にさばくのだ。

以前、袋竹刀でやって間に合わず打たれた。

10年前の雑誌取材では、父が上段から思い切り振り下ろした木刀を受けた。

やせ我慢したが、帰りには拳がグローブのように腫れた。

そのとき、剣道式の蹴る足では、絶望的に間に合わないのだ…と知らされた。

このようにやっていくと、同じカタチの動作でも、毎回、毎回全く違うのがわかる。

人間は、二度と同じ動作はできないのではなかろうか。

おのれ独り、とらわれずやることは、気づかなかった動きを発見するには優れた稽古か。

武道より舞踊の方が、驚異的な動きを育てられるのもナットクできる。

10代20代の頃は、こんな稽古は、自己満足の使えない遊びだと思って封印していた。

その後は、外形だけ気にする型稽古を始めて、進まなかった。

やっと最近は、それより内実を。自分の体感が先、カタチは後から…、という意識に切り替えてから、霧が晴れていく予感がする。

家伝伝書には「閉眼」という、ひとつの稽古方法がある。

眼を閉じて、己の身体に静かに聴けば、その虚実の様子がわかるというのだ。

これは日常生活でも工夫できそうだ。駅のホームで電車を待つときにも、どこか一部に頼って立つでもなく、草木のように、全身ゆるやかに、涼やかに何かが満ちているような。

このような感覚だと、栄養ドリンクを飲まずとも、疲れないオヤジになれるかな?

10代の頃、今より遥かに運動してたのに、生活体力が無く、風邪も引きやすかったのは、このバランス、安定飛行を知らなかったかもな。いびつに力んでいたり、脱力していたり、チグハグな心身。今思えば、なんと不器用で、ギスギスした毎日か。

確かに面白かったが、もう戻りたくない。年取った今の方が、遥かにラクで充実した運転になっているのが確かだからだ。

先祖たちは、独りの己を見つめた先に、人を相手に先の先、後の先とやったのか。私は逆コースだな。

そう思えば、師匠と弟子とでやる型稽古という方法は、素朴に見えて、実はそれらをすべて育む優れたシステムだったのではないかと思ってきた。

まあ、それさえ、超えた世界もあったらしいが。

いずれにせよ、始まったばかりの楽しさに喜ぶ私だ。

  変形(へんぎょう)は、大太刀の型の、最後の過程である。まだまだなのにやる。

まさしく「変形」。妙な構えをとる。

その三本目、斜(しゃ)の構え(脇構え)から歩み寄り、相手の突きをさばく。

左右に刀を振り回しながら、それに付き随うように左右の半身を切り替える。

このステップ、いくら考えても遅いなあ。

中心線を意識して、左右にカラダを割って、差し替えて…、

とやるほど、できないのだ。遅くなる。

あまりに一重身すると、また窮屈で動けなくなる。やや半身程度か。

日本剣道形で脇構えは、相手から剣の長さが見えないように背後へ隠せと指導が入るもの。

本当だろうか?その窮屈な姿勢で、かえって動けなくなる人もいると思う。

これこそ、竹刀剣道の打突部位では、理解できない術理が含まれているのでは。

たぶん、常に上から叩く、という先入観が、脇構えを居着かせ、死なせた。

上下左右、斜め…と様々な斬りができることこそ最優先事項ではなかろうか?

足で蹴っていては全くダメ…。

下半身が開放されると、刀に振り回されるように、あとはなるようになれと、

思わずとも意外な風に両足が動いていた。体さばきと連動して。

意外だな、こんな方法もあるのか?でも、どうやったかと分析するとわからんな。

ひとつだけわかったこと。

他の型でも気づいたが、上段も、八相も、斬るとき、肩から打ち出すと、全然ダメだ。

急に全身が、ねじれるように居着く。剣も遅くなる。

剣の動きを、自分がジャマしないように。

下田氏も言っていたが、感覚と言語の世界は別でも、

両者の特性を知った上で、自在に行き来できる能力を体得したい。

どちらか片方だけでは、この混迷の時代を泳いでいくには難しい気がする。

私はどちらも、中途半端なのだなあ。

下半身の力みや中心線を意識しすぎて、固まり見失った技法

初期の立会いのとき、自分がそのスタイルに入っていくと「鎖で繋がれてしまったよ

うな恐怖感」が出ました。

自分は無知なので、相手の攻撃のパターンを「全く知らない」

どこから、どんな風に、どれくらいの速さで来るのか分からない。 

構えたとたんに、やられている。

その最中に、両足を固定されてしまっているような印象なのです。 

下半身の力みは、怖いものです。

別に素人なのだから、剣術らしく見えなくとも良い、、と思うようになり

「安心できるスタイル」を求めて稽古を始めました。

そうすると、日常の生活と似たような感覚になり、ちょっと余裕が出て、相手のパターンを知らなくとも、その動きが見えるようになりました。  

見えるけれどもまだ技を持っていないので、見えるだけです。

極端な事を言わせていただけるのなら、、

試合形式そのものが、身体感覚を磨いていく上で障害になるかもしれない。

例えば、道場に入ったら、「いつやられてもおかしくは無い、文句は言えない」

というような状態にすると

とたんに、自動的に、身体が目を覚ましていくのではないかと思います。

そんな考えで、「古剣」さんが私を「隙をねらって、徹底的に追い詰めていく」というようなスタイルの実験もしてみたいと思います。

そのなかで「スイッチ」が入りそうなものが自分の中に幾つかあるような感覚が強まっています。

そこで私が感じた事をとりあげてみるというような、、、、、、

右袈裟に斬り込みながら、半身に開いてかわす所作 について

私の勘違いかもしれませんが、またしても「共時性」かなと思いました。

似たようなイメージを練習していました。

特に私の場合、「中心線」の利点の知識が無いので、小山さんに対してこちらも中心だけで構えると

正面衝突のような恐怖感が生まれるのです。

正面衝突では勝てるわけが無いので、、

できれば相手を左右に流したいわけです。

そこで、ケサに切り込む動作と「よされ踊」のしぐさが重なり、、

切り込む原動力で、同時に移動も出来る?

移動した方が威力がでる?

と感じたのです。

はじめはその動作で、まず相手の刀を振り払ってからすれ違いざまに斬るというイメージでしたが、上手くいけば、振り払う動作を斬る動作に出来るようなかんじ、、

動きのロスがなくなってくれば、結果として威力が出てくるのではないかと、、思ったりする。

威力を求める動作がロスに繋がる、、かも。

威力が無くていいのかもしれない

次回お願いします。

『秘伝』誌2007年11月号p15上に目がクギづけになった。

有名な斬心塾東郷秀信師範が、分解写真で、剣で中心線を守る相手に対して、右袈裟に斬り込みながら、半身に開いてかわす所作を示されていた。

これは、ナンバを使った体転の例だという。第二次世界大戦中、白兵戦で何人も斬ったという人の秘訣として「相手が掛かってくる刹那、体を半身に開いて袈裟に斬ると、面白いように斬れる」とのコメントを得たという。

(祖父が戦前に剣道を教えた門下生たちも、第二次世界大戦では実際に斬り合いをやったという。十数年前、病院の待合室で、その方々にお話をお聞きしたことがある。剣道式の打ち込みでは、なかなか斬れず、突きが一番使えて多用したこと、剣道風にまっすぐ打ち込むと、空振りしたとき誤って、自分の前膝を斬るものが続出したので、両膝を開くように腰を落として斬るように指導が入った。祖父自身も、戦時中の空手?だと称して、幼い私に、人体の急所ばかりを突く体術を教えてくれた…。以上、不幸な歴史を推奨するわけでは決してない。)

東郷師範の示される斬りは、半年前に、家伝剣術の表二本目を再検証していたときに、私のなかから表出した斬り込みも似ていたと感じた。まあ、外見ばかりではわからないが。

大変不遜ながら私の場合は、これをやると、少々早足で、ジゲン流のように真っ直ぐ相手の右肩へ斬りこんでいくように見えて、実は正面衝突ではなく、斜め右方向へスライドしていく流れが合成されると見た。

一点集中ではない。複雑な多面構造で斬りが発生する。

だから、動作を読みにくい。大きな力に小さな力で対抗できる。当方のロスも少ない。

それを、基本で極意にも通じる初太刀「生々剣」の次に学ぶことになっている。その後の一連の型へもつながっていく術理になると見ている。

たぶん素手の技術にも、応用できないかと…。

屋内の居間で体感に聴きながらやっていると、そうなった。

数日後、無刀氏へ受けてもらうと「威力が小さい…」とあまり賛同を得られなかった。

実際、私の技術自体、未熟だったのだろう。

「やはり、またカンチガイか…?」とそのままに封印してしまった。

もっと己に自信を持て!もう一度、再検証したい。

類似する斬りは、有名な黒澤明の映画「七人の侍」でも、冒頭の立会いで出たと思う。

映画の殺陣は、香取神道流の杉野師範が指導されたと聞くので、同流の技ならば、同根の家伝剣術への影響もあろうか。

(追記) 

 家伝剣術のルーツを探るため、新潟県佐渡島羽茂城下周辺の「一皮流剣術」および、昭和30年代まで、福井県警察の剣道師範が伝承されていた「シントウ流剣術」の情報を集めています。

どんなささやかなことでもいいですので、ご存知の方は、メール等にて、お教えくださいませ。よろしくお願い申し上げます。

  団塊の世代が大量に退職し始めた。

我が職場でもゴッソリいなくなる。大きな成果と大きな問題も残されて。

ちょうど私は、方々のお役目を少しずつ背中に受け渡され始めた。

無能でもやってみせるしかない。重い責任感に緊張する。

旧弊を糾弾し、現代社会のベースを構築してきた人々。

本当にお世話になりました。ご苦労様でした!といいたい。

だが、後進の我々は、彼ら彼女らと同じライフスタイルは描けない世界にいる。

継承するという重さ。家伝剣術では、10代後半から意識していたっけ。

拙くとも一生稽古を続けるつもりだ。自分は、継承されたものを生かすため、失敗を繰り返す実験台だと思っている。稽古でケガするのもしょうがない。そうでなくては、得るものも得られない。

しかし最近はより具体的に、稽古法だけでなく、他人へ伝えることについても考え始めている。どうするか?

年老いても、自分は動かず、怒鳴るだけのコーチにはなりたくない。

幼い頃から剣道道場では、老師範も若者も子供も、みんな同じ稽古をし、師は死ぬまで自分のカラダで見本を示してくれた。曽祖父も祖父もそうだった。今は父がやっている。

それが当たり前だと認識していた。師はやってみせる。弟子は見て覚える。たぶん日本の各芸道の世界はそれが多かったろう。

長じて、他スポーツに触れたとき、自分では動かずベンチで怒鳴るだけのコーチなる役目に驚いた。それで、選手が言うことを聞く現場を見て驚いた。

この人は選手に「コーチが自分で見本を示してください!」と言われたら、どうするのだろう?よく威厳を保てるな?と。

そう言ったら「現役選手が、自分より強くないと困るだろう、武道の方がアグラをかいているのだ」という面白いリクツを聞いて、また驚いた。

たぶん、技術がルール内だけなのか、生きることとつながっているのかどうか、また、西欧的な練兵スタイルの影響も関係あるのかな。

とにかく、先祖から継承したお陰で私がいる。遺産を受けるだけで、後に何も残さずに、私一代で食い尽くすワガママは、あまりに不遜で見苦しい。現代の社会はそれが多いかもな…。

おそらく私も、「何か」を受け渡して行くための仮の器にすぎない。その役割を果たす中で、愚かな私が、なんとか成長させてもらっている。

でも稽古を積むほど、己のやったこと、流儀を独占したいと、執着が増していくこともあるだろう。それは、己だけでなく流儀の可能性を狭めてしまう。

例えば、リレーでバトンを受け取ったランナーが、このまま渡したくないと、次のランナーに渡さずに走り続けてしまうのではレースが無意味になってしまう。

社会の変化だけでなく、バトンを渡すまいと、とらわれた個人のココロのために、消えていった優れたワザが、どれだけたくさんあることか。

問題は、己の探究心と執着の見極めをどうするかなのではないだろうか。

自分に願う。いつか命が尽きるときは「この流儀は棺桶まで持っていく。誰にもわたさん…!!」などと、見苦しい執着をするなよ。

死の床ギリギリまでは稽古したい。でも「やるだけやった。あとはすべておまかせする!御免!」とスッパリ、ニッコリ消えていける自分になりたい。

幕末の志士だったか、志が遂げられるならば、たとえ自分の遺骸がドブに捨てられてもいいのだ、となりたいものだ。

知やワザを他人に、後世に、どう伝えていけばいいのだろう。

近現代の学校教育システムや、伝統的な職人の門弟制度、ムラの神楽の稽古などの教習方など、それぞれの長所、短所を研究することで、自らの取るべき方法を見出していきたい、という強い欲求が湧き上がっている。

学士は歴史なのに、民俗で修士号を取った。分野変えは恐れない。探求したい存在が先で、学問の領域や看板に固執するのは、後回しだと思っている。

以上、多くの方には、意外な話に聞こえただろう。

だが似たようなことは、近世から続く、當田流棒術の国内唯一?の伝承者と化してしまったS氏、無刀氏も、しだいに意識され始めたに違いない。

  先日、古伝空手の有名師範のセミナーを受けた。G館の方々ともご一緒できた。

「統一された体」が持つ威力、日本的な作法との関わり、直接に師範の技を受けたりして、多くの示唆をいただいた。

過去、現在、未来の「現在」、「いま」が大事であることなど、知識や思考では間に合わないこと、全体は個々の集まりではなく、初めから全体としてとらえるべきこと、競技武道は土俵の外では通用しにくいこと…なども。最近、他師範方からも学ばせていただいていることともつながる気がした。

武道型から、現代社会に応用するいろいろなヒントを提案される柔軟な発想に驚く。

普通の武道やスポーツは、動きの順番、外形の説明、ルール内での戦術に終始し、他分野の方々にとっては、社会とは違う、競技世界のみでの話だと思うだろう。

おそらく師範は、型の本質的な理を体得されたからこそ、武術という領域や土俵を超えて実社会へつながる、自由自在な発想なのであろう。

 かなわぬ夢であろうが、我もそうなりたいものだなあ。

武道・武術が、現代日本人に重要な位置を占めている!と確信できる人は幸せだ。

おそらく圧倒的多数の人々にとっては、旧時代の遺産で、関係無くとも生きていける存在だと認識している。存在すら知らない方も多いはずだ。

家伝剣術だって、地元の知識人から「チャンチャレンコ(津軽弁で野卑な踊りという意味か?)」などと揶揄されるぐらいだ。

師範のような世界を確立できれば、我が家伝でさえ、現代のいろんな方、そして未来の方々にもお役に立てる存在となるのだろうなあ。

まあ、その前に地道に稽古するべきか。

往復のバス内では、渡部信一編『日本の「わざ」をデジタルで伝える』(大修館書店)を読んで面白かった。

伝統の舞いや技を、モーションキャプチャでデジタル記録できるか?と疑っていた。

しかし、この本の認知科学、教育学者、エンジニア、演出家などの方々は、「できること」と「できないことがある」と明言されている。その誠実で情熱的な探求に、大変共感を覚えた。

 勤務先の博物館で、山下清画伯(1922~1971)の芸術と人生を紹介した展示がスタートする。

 山下氏は、幼い頃の病で、言語障害と知的障害になってしまう。しかし、養護施設で貼絵との出会いが、同氏の非凡な芸術センスを開き、米国のライフ誌に絶賛されるなどして、放浪の天才画家としての生涯を歩むことになった。

 貼絵「長岡の花火」(1950年)は、見る者をクギ付けにする。

 まるで写真のように一瞬を切り取ったような。

 それでいて、ひとつひとつの絶妙なバランスから成り立つ構図、花火の一瞬の閃光が照らし出した、天と地に深く広がるような空間が実感できる。

 おっと、コトバで絵を説明する愚かさだな…

 彼は、テレビや演劇のように、放浪先で風景を見ながらスケッチしたのではなく、帰ってきてから、記憶を頼りに描いたのだという。

 驚きだ…。一瞬で、全体の響き合いをそのままに感知すること、それをいつでも再生できる能力をお持ちだったのだろうか。

 私ならば、自分のアタマで、いろいろなへ理屈や分析を介入させてしまい、このような突き抜けるような花火の世界にはならないだろうな。

 最近、レヴィ=ストロースの唱えた、芸術分野にもつながるという、「野生の思考」が気になってしょうがない。

 つまり、日常の思考、論文を書く思考では、武術はうまくならないのではないか?家伝の型も語ってはくれない、全く違う眼が必要なのではないか?という疑問があるからだ。

 非常に頑固に見える父だが、実はそんな世界を、絵画を通じて感得しているのだろう。

 たぶん様々な芸術は、現代社会を動かしている経済原理などの様々な論理では、全く説明できない、飼いならすことにできない、恐るべき、異質の存在なのかな?と最近になって気づいてきた。

 山下画伯は、放浪癖が悪いと思いながらも、自分で止められなかったのだと記している。

 たぶんそれは、社会的制約やリクツを飛び越えてしまう、止むに止まれぬ命の衝動だったのだろう。それが芸術の原動となったのだからこそ、数々の名画を生み出したのではなかろうか。

 私には残念ながらそんなものが無い。ありふれた価値観と世界にベッタリだな。脱却しようとして怖くて、どこかでそれに固執している。

 だから武も開けないのだろうな。

  以前ほど各団体の練習に参加できなく練習不足を実感している昨今ですが

時間を見つけては行動しております。(今回は報告のみ)

10月初旬八戸で行われた柔術白帯カーニバルへ参加。

23ヶ月まともに練習もしてなく風邪引いての出陣。

HMCからは4人参加。うち一人はG先生の長男も初挑戦。

重量級で出場のOさんは1位取れましたが残りは判定負けで終わりましたが課題も見えたので次に奮起。

躰道は今、体験教室を開催中。10数人参加してますが年少もいるので大変ですが見てておもしろい。挨拶だけでもできるようになればいいな~

上級者は11月の全国大会に向けて頑張っております。

合気道はH大合気道部第44回演武会が行われました。

私は最後のY師範の演武しか間に合わなかったですがY師範の動きは膝悪くされても冴えておりました。

大学は生徒減少で大変みたいです。練習生募集中です。

総合では最近、プロシューターに昇格した同期の主催している道場へ。

飛びつき技をドンドン狙っていきました。まだいけそうです。

HMCは最近若手が練習に集まってくるようになり10人超える時も!

人が多いと楽しいです。

修武堂では時間的に遅く着くので座談会で終わる時もありますが、G先生の

教室が次にあるのでそのまま撮影の手伝いとご子息、練習生と練習していくので何とかついていけてます。

これからもいろいろ活動していきたいと思いますのでその時はちゃんとした稽古日誌や感想などかけたらと思っております。

 修武堂は初め、暖房無しの板張り道場で、先輩と二人だけだった。

なんら方向性もヒントもなく、型や動きを試行錯誤した後、

凍えてしまうし、地味な動きでサッパリしない。

とにかく実感を、ガンガンやろうと。

最後は、防具をつけて竹刀稽古をやる。

学生のように、ただただ、運動量と回数をこなし、ぶつかり合うだけ。

息が上がり、鉛のように動けなくなったらインターバル、

ヘビースモカーの先輩は、窓からオエーっと吐いていた、

タバコやるかどうかで、ガクゼンに体力が変わるんだな…と。

昨日、思い出したのが、あるときの地稽古だ。

たまたま調子が良かった私が、いつもよりは、うまく打ち込め、さばけていた。

とたんに、先輩がキレたのか、いきなりメチャクチャに打ち込み始めたのだ。

打突部位も関係なく、怒濤のような攻撃に、私はなすすべなく、打たれた。

こちらも、こちらも、と機会を狙うが、攻撃どころか防御もつぶされるまま。

ようやく疲れて動きが途切れたときに、クソーッ!!と私も同じようにやり返した。

だが、先輩に比べると、どこかまだ足りない。ブレーキをかける自分がジャマする。

あれはなんだったのか!?

幼い子供に袋竹刀を持たせて、思いのままの打ち込ませると、慣れたはずの大人が入り込めないような、恐ろしく俊敏な、動物のような動きをして驚くことがある。

それはシロウトのメチャクチャな動きもそうだろう。

以前、テレビのバラエティー番組で、かなり有名な直接打撃空手師範に、ドシロウトのお笑い芸人が、ふざけた跳び蹴りをしたところ当たってしまい、師範は急に怒って追いかけ回していた。

その様子は、師範がなんとか、いつもの間合い、「土俵」に囲みとろうと焦るのだが、芸人は逃げる魚のように「土俵」に上がってこない。

この前「躰我」氏に、突き蹴りやタックルについてお聞きしたことも思い出した。

実戦ならば、そんなテクニックをすべて投げ出して、ワーッとムササビのように相手に飛びつく方法もあるよと教えてくれた。

「土俵」とは?我を忘れた、教えや基本に随わない動きとは…?

先日、光岡師範が言われていた「標準化することの欠点」と関わるのだろうか?

たぶん、これらの動きは、意識しない動きが、意識して作った構造を上回る、ひとつの多面的、とらえどころの無い複雑な構造として働くことがある、とのヒントか?

泣いてから強い、とは、冗談でもある一面を表すことなのか。

よくこれを、猛稽古の果てに自覚するのだ、とシゴかれたが、

それとは少しニュアンスが違うのではないかな…。

思えば私は、幼い頃からとっくみあいの喧嘩をしても、我を忘れてかかっていったことが無かったかもしれないな。

どこかで、醒めて見ているもう一人の自分がいた。「ここを殴った方がケガしないな…」「このへんが引き時だ…」可愛くない子供だ。居着いていたのかな。

日本の武術では昔から「夢想」(夢のようにあてもないことを想像すること)、「御夢想」(夢の中で神仏のお告げがあること)という言葉をよく好んで使った。

伝書を見れば、「御夢想」のシンボルから開祖へと線を引き、以下、弟子達へとつなぐ。

開祖達に、運動科学者より、シャーマン、アーティストの要素を指摘する人もいる。

開祖達は、自らが人造した技術ではなく、夢中のなかで、ただ「発見した」だけなのだ、という意味か。

ロマンにも思えるが、ある状態を指してそう例えたのか。

例の「動き」からまた1つ。

昨日、盆踊の練習会をしました。

三味線や唄の曲、つまり、「立ち止まれない流れ」の中でどう動いていくかという事を試してみました。

特に身体の重さというものが面白いのです。

そこで疑問が1つ生まれました。

「落として転がす」ということと「ぶつけて踏ん張る」という事は、一見似ているようで全く違う。

自分の体重を1つの大きな玉だとすると、ぼとっと 床に落とすとくるくると転がっていく…。

(これが次の動作を生み出すのではないだろうかと実験中)

雪の斜面に、ソリを落とすか、石を落とすか、というイメージもあります。

「ぶつけて踏ん張る」とは、自分の重さを床に落とすのではなく、振り込んで「ぶつけて」押し付けている状態ではないかと思うのです。

 もしくは、「途中で引き止めている」…筋肉の力で「吸収して静止させている」ような状態。

 余計な力みは、重さや力の伝達を途中で「吸収」してしまう。その負担が間接などにかかって支障をきたす。

 「途中で」邪魔をしないで床に落としたり、空間に放り出すような事をすると、楽になれるような気がします。

 でも、感覚的にはまるっきり反対の事をしようとしているのかもしれない。

 感覚としては「脚は何もしない」  現象としては、「重さや力がよく通る」と言うような…

 だから主観をどちらに置くのか?  

本人の感覚が踏ん張り系なのか脱力系なのかというところで 「重さを落とす」という同じ言葉でも、まるっきり正反対のイメージになるように思うのです。

 林崎流の天横と天縦の所作。

これを実際に遣うには、幼い頃から剣道で染みついた「まっすぐ振り上げる」「まっすぐ打ち込む」という先入観を壊したらどうだろう?

刀は、刃筋を通さなくては斬れない、折れてしまう、とよく言われる。

でも、動く人間と、動かない据え物斬りは違う。

また、生身の人間ならば、かすっただけでも大きなダメージのはずだ。

むしろ「刃筋を通す」という観念が強いほど、我が身を不自由に拘束してしまうのでは?

それは武として命取りか?

昔の剣豪に、ワザと刃引きの刀を使った人がいたのは、その意味か。

以前、下田氏が、無構え?から、私の面打ちを受け止めた。

「ちょっとクモの巣をはらうようなしぐさをする」と。

袋竹刀。動きを決めた約束稽古だが、なかなか手強かった。

フェイントか、二太刀目の変化で誤魔化すしかない。

私はいつものように、中心線を強く意識していた。

だが彼は、取り立てて中心線のような意識は無かったように感じられた。

だから、それも加えた構えと対応法をお伝えした。

が、私こそ、学ぶことがあった。

たぶん、私の構造が単純な直線状なのに対して、彼の「はらうような」は、複雑な運動線。

だから対抗しにくい?

これをヒントに、

いつも刃物が、我が身を包むように流れる、多面体の構造がひらめいた。

いやそれは動きだけではない、ひとつひとつの所作自体がだ。

野生動物は、直線を意識して動いていない。

小さい犬猫、魚でも、思い切り暴れるのを押さえつけるのは難しい。

人間だけが、縦、横、キチンと動こうと頑張る。だからわかりやすい。

うまく表現できないが、その感覚で剣術をやれば、もっともっと自由になれる気がした。

その方が、剣技と、刀が無いときの素手の術とのつながりが見えてくるのではなかろうか。

ただし、多面体といっても、互いの連携がチグハグならば無力か。

強大な一点突破にやられてしまうだろう。ヱヴァンゲリオンのヤシマ作戦だ。

家伝剣術の生々剣。

外見は、那須与一が放つ、一点突破の矢に見えるが、実は多面体の矢なのだろう。

だから、圧倒的に打撃力で勝る、相手の直線的な斬り下ろしでも、すり抜けていける。

ただし相手も多面体ならば…。一太刀一所作が、多面体ならばなんと不気味であろう。

だが、相手の技を意識したとたん、知らずにそれと噛み合う単純構造に陥ってしまう。

かまわずに自分のままにやれば、噛み合わない、だから、相手も対抗しにくい。

幕末の某が「剣術を習った者ほど斬りやすい」といったのは有名だ。

それは、人工的な習いが、天然の我が身の多面体を、単純構造へと劣化させてしまう弊害を説いたのか。

以上、実験で検証したい。

家伝剣術の型。

相手は仮想的ではない。だったら、自由に打ち合った試合形式の方がいい。

そうではなく、ボクシングでいえば、各ポイントを示してくれるトレーナーか。

だから、段階へ経ずに、ハナから負かしてやる!と無闇に意地悪する相手とは、型稽古はやらない方がいい。

一番大事なことは、私の所作が、何を語ろうとしているのか?自分に注目することだ。

その工夫をさせてくれる相手と稽古すべきだ。

その前に、独りの稽古を。

意拳の教えから、勝手に林崎居合と家伝剣術の一部がつながった!?

一般的な真っ直ぐ振りかぶって、真っ直ぐ振り下ろすという近現代剣道や、現代の居合の所作は、力感があって見栄えもする。

だが、上から真っ直ぐ叩くイメージでは、打つたびに重さを落としきり、すぐに引き上げるという手間がかかり、そこに動作の途切れが生じる。

ホントに昔のサムライは、そのような効率の悪い、刀法ばかりだったのだろうか?

実際に、現在の古流にもいろんな方法があるようだ。

かつ、剣道では大きな打ちが基本でも、試合や地稽古で使ってはゼンゼン間に合わない。

よって、できれば、打つたびに重さを落としきることなく、永久機関のように動かし、途切れることなく連打していきたい。

そこで林崎流の天縦、天横という振りかぶり方だ。

今まで記述通りにやっていたから、意味不明の器械体操だった。

自分のカラダの有効範囲や全身の連動を感じながら行うと、まことにラクで、振りかぶりと斬り降ろす動作がループのごとく、溶け合ったような。

天縦、天横の文言は、ポイントをイメージさせるための仮の存在にすぎないか?

たぶん、これを剣道稽古でやると「なんだそれは!、ケンカじゃないぞ、邪剣だ!」と叱られそうだ。

だが、家伝剣術にあった、打ち斬り、斬り廻しという技法を、生きた技術として体現するには、このアプローチもあろうか。

たぶん私は、相手との直線上だけに、技を限定していた気がする。

より複雑なベクトルを含んだ斬り、運動線があるのではなかろうか。

剣術の多彩な構えはそれを意味している?

近代以降、中段の構えに限定したことは、ある意味で、ベクトルを単純化してしまったのではなかろうか?

ウーン、フクザツで、文章どころが図示もできないなあ。

かし、亡祖父と父のビデオを見ながら、ある一本。

「どうしてこんなに難しい課題設定をしてくれたのだ!?」と泣き言をいいたくなる。

もしかすれば、いきなりはダメで、その前の型群で学ぶ要素をステップとするのか。

稽古も、論文書も、堂々巡りしかできない自分が情けなや。

このループを、破りたい。越えたい

想定外を、こんなのダメだと切り捨てることはカンタンだ。

慮外に取り組むのは、己の眼を広げること。

 父に、剣道の地稽古や懸かり稽古で、中山博道師範が使ったといい、現在も高段者が使うスルスルの歩み足を聞いてみた。

その歩み足は構造上、下位の者が使う送り足、踏み込み足の、途切れ途切れのリズムにラクラク入っていけるから、圧倒的優位ではないか?老化しても使える、と。

だから日本剣道形や古流は、歩み足なのではないか?と聞いた。俗には実戦だ、不整地だからだ…ともいうが、それは副次的な作用ではないか?

すると「いや、歩み足を使おうとも、常に右足前で打ち込む剣道式のクセを解消できねば、そこで途切れてしまうから、反対に打ち込まれてしまうものだ」との答え。

 ナルホド、既に工夫していたか。

 でも難しいのは、剣道が構えも打突も、「基本の正しいフォーム」を設定してしまっていることだ。それで昇段も試合も左右される。

私のようなセンス無しは、カタチを気にして上手くならない。

剣術の稽古でも、鏡を見たり、他流派の写真を見たり、絵伝書を見てマネしたり。

だが、外形から求めていた稽古のベクトルを全転換。自分の内部から求めることへ。

上段から斬り込む。どのような姿勢で構えたらいいかは、自分のカラダに聴くようにしている。前回の中心線の先入観をほどいたら、今までの拘束感も開けてきそうだ。

ならば、斬り込む動作や、斬り終わった後の姿勢もそうだろう。

剣の動きに全身すべてが協調しているかどうか。斬り終わった後も、剣が居着かず、すぐに変化できるかどうか…とカラダに問うていけば、こうなるしかないという姿勢がある。

鏡を見たり、足幅がどうの、角度は何度で斬るものだ、押し斬りだ引き斬りだ、斬り終わった後の剣は水平に止めろなど…という外形は、後からついてくる副次的な問題にすぎないのではなかろうか。

だいたい、鏡を見て、己の姿勢を矯正するというバレーかダンサー、軍隊のようなことは、昔のサムライがやっていたろうか?

鏡自体、貴重すぎて、ご神体か顔の大きさぐらいのもので、全身を写す大きなものは無かったろう。

といえば、鏡を使うとは、いかに現代的な、西洋的な稽古法であろうか。

 家伝伝書では、眼をつむって動けば、己の全身の協調、粗密を感じ取れると書く。

これは、外形を気にする現代武道とは、全く異なり、外に現れない己の内側を問題としていたのだといえないか。

あと、下田氏の発想した、「種類の違う原動力」も面白い。このことかなかな?と、家伝剣術の工夫中、私も気づいた。

できれば、それを落下させすぎてしまわずに、永久機関のようにしなくては、次の変化に対応できない。それが難しいなあ。

 昨日の意拳の稽古から、次々と勝手な発想が飛び出している。

先日、京都駅で見た2メートルを越す大男。

あの体格差に、素手で立ち向かう自力の限界を感じた。

まあ、道具を用いれば事情は変わろうが、それでは問題が変わるから触れない。
渋川流の「柔術大成録」が述べること、

器の大小ではなく、一杯に満ちているかどうかが、大事であるということ、

そして、水に落とした油を、いくら混ぜても混じらないことを例えていたこと

…などがときどき、脳裏をよぎる。

それらの話が実際には何を例えているのか、いつか体感できればと期待している。

自分の実体験以外は信じない、というのは誠実だ。気骨がある。

だが一面では、己に酔って視野を狭めて引きこもり、可能性を放棄している、とはいえないか。世界はそんなにつまらないものだろうか。

足指を浮かし、カカトをつけ、膝をえまし…と最近やっている、技巧的な足遣い。

だが、それ自体、私固有のクセに気づくための仮の便法であり、そんなことしなくてもいいのかもしれない…。

パーツに注目せず、もっと全身との調和のなかに溶け込めば、普通の状態がわかったら、お役目不要のコルセットか。あとは拘泥せずに捨ててしまえ。

あとひとつ中心線について。

 剣道稽古では、コトバだけでなく、体感でも、この意識が無いと、全くやってられない。

 ところが、家伝剣術はどうだったっけ?

 今まで、剣術でも中心線!とやってきた。体術にも。

 だが、昨日の意拳の稽古から、そんな単純なことばかりではないのでは…?私の先入観ではないか?それに固執するのも誤りではないか?とフト思った。

 これは以前、お仲間のS氏が、腰を割って使う意識を持ったとき、某師範から「意識する必要はない」と指摘されたこととも関わるかもしれない。

 思えば家伝の伝書には、「正と向かい合い、八の字で左右へ変化する」という文言や、「両拳が乳首の間から出ないように使う」といった記述はあるが、強いて「中心線」「センター」という文言が無かったなあ…。まだ全部読んでいないから大きいことは言えんが。

 そして構えだって様々だった。

 もしかすれば、「中心線だ!」と初めから意識して、無理に作る存在ではないのか?

そうするほど、形は、技はいびつになるか?

剣道の動きならばいいかもしれない。だが、より広範な状況を含む剣術の場合は?

実際に、そう意識した私の斬りは10年以来、どうにも窮屈すぎて無理していたのではなかろうか。

もしかすれば、上記の文言などをヒントに稽古するなかで、全身が「習熟」して「自然力」が立ち上がってくるとき、意識せずとも、いつの間にか自ずと「そのようなもの」が発生してくるのではないか。

それは一本の線ではなく、複数だったり、太い帯状の存在になったり、複数のベクトルが合成したものとして、発生することもあろう。または、相手との相対関係の中からも。

だが、最初から頭で設計すれば、逆に自縄自縛となり、一点対決の体格差やパワー比べから、一生脱却できないかもなあ。

そのヒントは、いつもの生々剣でも学んでいる。

光岡師範のいわれた、稽古で教えるひとつひとつの動きは、クレヨンであり、実際の絵を描くのは各人である、というお話は印象深かった。

 型は実戦の雛形ではなく、本質を伝達する器であるとは、以前から流行った言葉であるが。それは武術に関心の無い方々にも通じることか。

例えば、お経や哲学だって、24時間、それに固執するための道具でなく、千変万化する日常の今ここで、融通無碍、どう応じていくかという実践のためのヒントではないか。

 光岡英稔師範による韓氏意拳講習会。

いつものように、学理の奥深さ、緻密さ、膨大さに圧倒される。

己の幼稚な探求が、愚かに見えて、明日からどうしようか、路頭に迷いそうだ。

お教えを手がかりに、ちっぽけな己の役割を照らして、少しずつ歩んでいこう。

感性や感覚のお話をした。

思えば私は、…してはならない、…ねばならぬ、という強制や禁止ばかりで稽古してきた。

そして昇段試験向けの外形と、試合向けの即効性は?という先入観。

それがいま、競技とは違う武術を探る上で、道をふさいでいるのではないか。

このような思考法は、武のみならず、私自身の普段のふるまい、人や物事への応対そのもののベースにまで、強く影響している気がする。

わかりやすくスタイルを整えるとは、軍隊や商業などの現代的なニーズにマッチするもの。

しかし同じ芸事でも、絵画、音楽、舞踊…の芸術分野は、そうではない。

いかに感性を開くか、とベクトルが全く違う。

だからこそ、舞踊の人々の方が、驚くべき身体技能を習得できるのかもしれない。

確かに、感性は重要だが、他人と分かち合うためには、理合も必要だと言われた。

職場でも、何かを提案しようと頑張る人がいるが、論理がチグハグなため、みんながついてこない。結局、その意見は私見だと、通らない。バランスなのか。

不運にも、古い遺物を継承する立場に生まれた私は、一代限りの思いつきだけではなく、後の方々も活用できるものとして、提案していく義務がある。

また、同じ現象を体験しているのに、その人の状態や視点によって、異なる現象となる。

同じ動きでも、受けによって「あなたは凄い力だ」とも「あなたは、なんとしなやかだ」ともなることを、我が身の動きで、実体験させていただいた。

これは、数年前から稽古中、陥りやすい感覚、錯覚であった。

目が開かれるほど、いままでの足場がわからなくなる。

片田舎にいながら、武のご縁には、大変恵まれている。本当に感謝せねばならない。

問題は、私自身がそのなかから何を学び取っていくかだ。

先祖の遺産を再生しながらも、コピーではなく、その先をも探求するために。

  相変わらず私は、摩訶不思議な独りよがりの世界を突き進んでおります。

  現時点では、筋肉の踏ん張りではない、「種類の違う原動力」をどうやって生み 出し それを立会いに活かしていくかという目的でやってます。

 先日の稽古の後、1つの動きの流れが組みあがりました。  

 はらい上げること波の如く、切り下ろすこと滝の如し。(イメージを起動させ るた めの呪文のようなものです)  

 上段からの剣を、、、、、、  右肘で吊り上げて掃い(剣先は右から左)  波が立ち上がるように右手、右肘、右肩がせり上がる。(ここまでは先日の立 会い で試しました)  頂点に達したら、、左手を離し、、  左肩の上に乗せた皿の水を右にこぼすような感じで、左肘を吊り上げ、、右半 身は どろっと垂れ落ちていく。  

 その水と、右手を同化させて、左肩から剣先にかけて一気に怒濤の如く水が流 れ落 ちるようにする。  ザブーン どわぁー ぼたっ  っという感じ。  其の時、右足を前に出し半身にすると楽になる。  右半身は雪崩のようにくずれていかないと上手く行かない。  

 これを応用すると、、逆立ちも楽に出来るようになりました。身体能力を磨い た人 なら、空中前転もいけるかもしれない なんじゃこりゃ? というような話ですが、、お暇なときに実験や練習にお付き 合い 下さい。

  このような物事をある程度自分の中に蓄積することが出来れば、、 経験の浅い私でも、、立会いにおいてある程度、「古剣」さんの動きに対処できるよ うな 可能性を感じています。 (立会いでは段階的に、手加減を緩めてみて下さい。 ちょっとコワイけど、、 そこ が大事)

 先日の「蹴らない動き」と同様、まだまだ「威力や、速さ」はありませんが、踏 ん張 りや、筋力ではなく、、 体の中の「水のような重さの動きの存在」を利用していると言う実感は確かにあ りま す。

  プールから上がったときのような感覚です。 本当に幽かな感覚と減少の組み合わせです。実感と幻影のギリギリのところです 。 今の段階で「実用的な結果」や「正しさ」を求めると、台無しになってしまうよ うな 気がするのです。

 半年くらいかけて練っていこうと思います。(型の稽古は大変参考になります) とにかく、私は試合に出るわけでもありませんので、、全くの自由な可能性を含 んだ 遊びとして楽しんでいます。

英語のトレーニングで シャドウイング というのがあります。

誰かが話しているのを聴いて、あとを追うようにひたすら真似をして発音するものです。

これのいいところは、内容を考えていると、追いつかなくなる。と言うところ。 

そのうち、内容はあとから付いてくるという現象が起きます。

自分の動作について、これが出来ないものだろうか?と実験しています。

つまり、動作の最中に体の中に現れる、重さの移動や、重力の作用、筋肉の仕事、全体の作用などを、、シャドウイングをして、リアルタイムで、イメージで再生していくような作業です。

笛を覚えるときに、似たような事をしていました。

誰かの笛を聴く、その音が自分の中に入ってきたときの感覚、、

それを、今度は自分の中で再生してみる。

相手がいなくとも、リアルな再生が出来るようになったら、今度はそれを、現実の音として演奏できるようにやってみる。というような具合です。

これは、ネプタ絵も同じような気がします。

ハワイのねぷた、昨年描いた私の絵と、、今年描いた私の絵  (どちらも自慢できるものではありませんが、、、)  何かしらの変化が起きています。

それは、自分の中での 「イメージの再生」 がクリアーに出来るようになってきたという事と、

それを「現実に再生」するにはどのような技術が必要なのかと言うことが少しだけ分かってきたからなのだと、考えてそういう意味で、自己満足に浸っています。

伝書にあるような型という存在はイメージを、現実に再生させるためのプログラムのようなものではないか?と思うのです。

当時の人々が持っていた身体感覚であの図解を見て、、抽象的な解説を参考にすれば、

伝書を元に、技を再現すると言うことは、昔の人にとってはそれほど難しいことではなかったのではないかと思う。

そのためには、

 まず、当時の人々と同じような美意識や、身体感覚を探り

 そこから、一連の動作に必要な、動作の感覚を組み合わせ、、

        その組み合わせた感覚、(意識と感覚で成り立つシステム) を稼動させるために、、その段階で初めて「時計を見るようなしぐさ、、」とか、、そんなようなイメージを電源として、、感覚と意識の連動システムが稼動する。 

甲野先生はその段階までいけるので、なにげに「時計を見る」という事だけで技を繰り出せるのではないかと思い始めています。

だから身体が動く、、、

そんな事をしてみたいと思うのです。

道のりさえつかめれば、それは超人的な世界ではなく、むしろ、楽で、心地よい世界のはずだと思います。

現代日本人が甲野先生のようになろうとするときの段階、、その11つのステップは子供が遊んでいるような物事かもしれない。

本などを見ている限りは、まだまだ、その間を飛ばしすぎて、いきなり結果論になってしまっている。

スキーの初心者は、スキーの板をつけた感覚を日常のものとする必要がある。斜面を滑るのはその先の問題。

そのあたりの議論があまり無いので、「あの人は超人だ」というイメージになってしまっている。

規定の動きに、活かしていくということでも、林崎流は興味があります。

先日「無刀」さんとの取り組みを横で見ていたら、いろいろとひらめきがありました。 

むしろ、型をみていると、そこから湧いてくるものや、なるほどと感じることもあります。

素人のカンなのでお恥ずかしい話ですが、相手に対しての動きなどは、「応用」のような気がするのです。

 おかしな話かもしれませんが、スキーで、でこぼこな斜面を滑れるようになるには、平らな斜面で、でこぼこな斜面を滑っている動きが出来ないと、上手くいきません。

つまり、脚を曲げて地面からの反動を上手く逃がすことで次の方向に向けていくと言う動作。

これを平らなところでは能動的、意識的に行い練習しますが、本番のでこぼこ斜面では、でこぼこを乗り越えるときに「自動的に、受身的に」この動作が現れるようにします。

これは実際の地形を利用して行うわけです。

でこぼこにあわせて、動きの形をイメージして筋肉で作っていこうとすると失敗します。

今現在、どういう形になれば一番、力やバランスがいいのかという事を、感覚でとらえて、その通りに身体をまかせていくことが大事です、そしてその状態は常にめまぐるしく変化していくので、自分の動作などを、言葉で起動していると間に合わないのです。

たとえば、後ろへ転びそうなとき「手を前に出す」という言葉を浮かべていたら遅い。  

その瞬間、手を前に出すときの、感覚を思い浮かべると、そのときにはもう手が出ている。

こういうのをとっさの反応と言うのでしょうが、、、、  

普段から、自分の動作を、言葉で縛らずに、、「あの感じ、、」 とか 「ぐいっといってキュウ」なんて感じで、動作の感覚をパレットのようなものに並べるような事を続けてみると、なんとなく、「とっさの動き」というものを、意識的に引き出せるような気がするのです。

言葉で動作を引き出したり、動作を言葉で追い続けていると、、現実の力学的な変化の状況に一瞬遅れながら動き続けることになるような気がします。

もちろん、ゆっくりと、反復練習をするときは違うのかもしれません。言葉も必要です。

でもそれでさえ、現実の状況に遅れている。

おかしな理論かもしれませんが、、、、反復練習だけで身につくものは、誰でも出来るようなことが多い。

先ほどのような、言葉ではなく「感覚で動作を捉える」ような物事の場合、、

反復も大事だけれど、、いかに「動作を捉える感覚をイメージ」できるかと言うことが一番大事だと思うのです。

その「イメージ」を、いつでもどこでも、瞬時に思い起こすことができれば、、、、

身体は黙っていても、、オートマチックに起動できる。

上段からの剣をはらう場合でも、、、

「前足浮かせた時に、ちょっとクモの巣をはらうようなしぐさをする」 という呪文のようなイメージを起動させます。

それに身体が反応すると、後は物理的な力の作用が自動的に働き、思っても見ないような作用が現れる、、、。

先日、立会いのお相手をお願いしたとき、個人的には、その一連の方法を確立できたと実感しました。

まだまだ、作用は弱く、、ネタ数も少ないのですが、地道に遊んでいこうと思います。

メールを書いていることで、頭の中が整理され、答えが自分の中でみつかることもしばしばあります。

昨日の立会いなどで、すこしわかってきました、 

自分の中の感覚を、少しずつ、立会いなどに応用できるようになってきました。

いろいろ見つかるのですが、それが即何の役に立つのか?ということは分かりません。

ただ素材が少しづづ増えているという状況です。

何かの拍子に こうゆう使い道があったのか とわかるという具合です。

私は特に剣術の経験が浅いので、「戦術」とか「型」が身についていないということもあり、「古剣」さんと立ち会うとき、動きの予測がつけづらい、 

それならばと、、まず自分の動きを磨いていこうと言う思考です。

 いま注目しているのは体の重さを瞬間にどうやって崩すかということと、 

体の中で綱引き状態にならないようにする事です。

足を消すことで、実際に動けるのに、そんなことで動けるわけが無いと言い張るもう一人の自分が邪魔をする。

腕を伸ばしているとき、肘の裏のほうの筋肉は使っているけれども

内側のほうはゆるゆる状態にすると、腕が一本の棒のようになる。内側に力をいれずに、外側だけ入れると言うのも結構難しい。でも一体何に使えるのか分からない。

左肩を吊り上げると右手が下がるけど、左肩を吊り上げるのと、左肩を突き上げるのはなんとなく違う気がする。

突き上げると言うのはその部分だけを力で押し上げているような感じで、

吊り上げると言うのはそこにフックを引っ掛けて引き上げれているような感じ。

そうなれば自然と、同時に、どこの部分が下に落ちていくべきなのかがわかってくる。

それをつかって床に落ちた物を拾ってみるなど、 この動きで、半身を入れ替えながらやってみると、 左右の肩が回るようにして、ナンバ状態で進んでいく、、、

そんな事を試しています。

とにかく昨日のように、「古剣」さんとの立会いの中で使ってみて便利なようであれば採用する、というような事を続けています。

ある程度、進んで、いくつか具体的になってきたら振り返ってみようと思います。

 夜、古剣氏の召集で北辰堂道場にて稽古となりました。

 今、本覚克己流のせめて断片でも研究者の太田先生に披露し意見を賜りたいと、先生の研究された伝書資料のコピーを片時も離さず、なるべく時間が空くと読むようにしていまして、その為の稽古になるなと行きました。下田氏も呼ばれていました。

 さて私は、今左五十肩で苦しんでおりまして、リハビリにも通って、六割程度の回復まで来た感じがあります。 

中々、肩甲骨の裏表に付いている筋肉が硬直して、胸を張ったり、すぼめたりする具合がよくありません。 必然、左肘をちょっとロックされただけで、合気道技はギブアップです。ましてや柔術系の逆手となる技は、真似事であっても破壊に至る感じなのであります。 

この間、合気道での木剣の稽古をしましたら、すごく辛かったのですが、後でとても肩の具合がよかったのでありました。ちなみに、当方の合気会は舟漕ぎ運動したり杖や木剣もやるので面白いと思っています。武器というか道具が自分の身体の状況を素手の時より如実に表してくれもします。最近は、鏡を見たりもしています。

いやはや、身体を無理して作り過ぎている、作り過ぎている。肩の動きが誇張された感じになったりして、見苦しく、不自然でなりません。 

ともあれ、道場の鏡の前で 肩のウォームアップを兼ねて素振り。右足前にて右手柄の前を握り左手は柄後ろを握っての素振りは自然に落ちて行く(刃筋が綺麗に対象物に斬れて行く感じ)のですが、足を踏み変えての素振りがどうも上手く無いのです。 

刃が落ちながら横にスライドして行っている感じ。これじゃあ、斬れません。右手が横に引いているのか左手が押しているのか?などと考えながら、どうにも治らず、しまいには手の内が塩梅よくなくてぐちゃぐちゃになりました。 考え過ぎてなのか?前にはそんな事はありませんでした。 

ふと、ずうっと昔TVでやっていた『正木博士のノンロール打法』というゴルフのスイング理論を思い出したました(この事も以前書いたような)。 

私はゴルフはよく知りませんが、ゴルフボールの芯にちゃんと当てる事が出来れば、弾道はスライスカーブとはなりません。しかしスイングの中で、少しどちらかの手が引っ張ったりつまり均等な力で連動して動いていないとクラブのフェイスが、卓球のラケットのような動きとなってボールに変化を与えてしまうぐらいは理解してました。 

そうさせないように、フォームを固めるプロは訓練をするのでしょうが、ゴルフ自体は悪い競技ではないとは言うものの、脊椎を捻るのとかがめるのを同時に行う(三次元方向に行う)事により、腰を痛める方も多いとも聞いた事があります。 

プロは何でもそうですが、楽しいもので健康的なものでも過剰にやりすぎますから、身体を酷使してしまいます。エアロビだって、その日の運動量分すればいいものを、インストラクターはオーバーワークしていますから、身体のコンディションはあられもありません。恐らくビーザートキャ○○のビーさんだって、お疲れなような気がします。心なしか笑い顔に悲愴感が見えるのは私だけでしょうか?

 バレエなどとダンサーの方の血の滲むようなレッスンしたプロの足や身体は、悲惨なのでは?と思ったりもします。 ともあれ『正木博士のノンロール打法』で述べられたスタンスとフォームでボールを叩きますと、フェイスは芯に当りさえすれば、その後にフェイスがズレてカット回転を生ませる事は少ないとされています多分数十年前のTVでの記憶ですので。 

ゴルフスイングは、肩の水平方向回転と腰の水平方向回転(屈んでしますから、正確な表現ではありません)が平行に行われ、その時間のズレが撚れたゴムがプロペラ回す模型飛行機のように力を生み、ゴルフボールを打つ事になるのですが、その撚れてから戻るまでに軸がずれないようにする余り、力んで逆にズレを生じて、色んな弾道を描いてしまうと思っています。 

しなやかな柔らかい女子ゴルファーの方達は、よく軸をキープ出来るな~と感心しもします。時間のズレを筋力の弾力強さで速める事により、より遠くへ飛びますので、飛ばし屋の方は究極はほとんど腰と肩の回転が一緒に見えもします。

しかし、固く無くそれがしなやかに見える方は凄い感じがします。野球のバッターなどでも、そんな感じが解ります。それに緩急のレンジがあるなと感じるのは、イチロー氏などのスプレーヒッターではないでしょうか。 

『正木博士のノンロール打法』は、距離こそ出ませんが、やる肩と腰の回転がフォームにより平行に且つタイムラグも少ないので、スライスやフックが少ないと記憶しています。 

距離が出ないのは、捩れている事を元に戻そうとするあまりに生じる力みを、スタンスが拘束してさせないようにしている感じがしました。 

そのフォームは、上に振り上げるような従来のフォームと違い、水平な感じに近いものでした。肩と腰が、自然に同調してしまうという感じです。 

文字にしますと、これ程までになる事ではありますが、先の左足前の木剣の素振りの時に、腰を素直に連動させようと意識しましたら、斬りの軌跡はスライスになりにくかったような。どちらの腕も引っ張りあいをしている感じが少なくなりました。 

そうやってひとり遊びをしている間、下田氏と古剣氏の稽古。ちゃんと見ていたわけじゃないのですが、素手と刀の対戦した場合の稽古なようです。ボクシングで言いますとスウェイバックのような。蹴ってバックすると遅いとかどうとか

無刀取りは、反対方向(刀に向って)に速い刀より速く動かねばなりませんから、使う筋力は違っていても似たコンセプトであります。まったく『蹴って』はタメを持たせないといけないので、その分遅くなります。 

しばし、二人を見入っていました。面白いなと思ったのは、下田氏の動き。彼は武術をしているわけではありませんから、どこか武術的な動きには見えません。片や、古剣氏は剣道剣術の動きとして見えます。根本的に動きの質が違うわけです。 

これは、武術的に下田氏が劣っているという事を言うのではありません。武術に限定されていがちな古剣氏の動きは(ごめんなさい!私もです)、ある程度整合性を持って読めるのに、下田氏のは不思議な感じ。表現しにくいです。 

でもひょっとすると実は彼の動きの方が自然であって、古剣氏の動きは特化されているのだな~と感じたのでありました。糸口を見つけ、答を見い出すのには、下田氏の動きの方が、色々な糸口が内在されて見えていて、どれをも語る事が出来ると言ってもいいのかもしれません。

武術は、練れて行くと内なる方向へしまいこんで行くようで見せてくれないというか、動きがパターンとして整理され過ぎて来て、咀嚼する面白みがないような気がしました。 

それにしても、民俗芸能を研鑽する為に、色々工夫をされている下田氏には頭が下がるばかり。 

その内、私と古剣氏の稽古になっても、じっと見入り、絶えず思考している感じが、刺すように解りました。その為にぎこちなくなって、自分の工夫が妙なものになるまいと思う余り、下田氏の存在を無視した感じになってもしまったのは、まだまだ修行が至りません。観られても、何しても出来るようにならないといけないわけです。

丁度、ひとりで稽古工夫している内はいいのですけれど、対人となった際に、充分にやれなくなるのに似ています。 下田氏のきごちなさは、大変興味深く、古剣氏と私のぎこちなさは、いただけないものだとおもった次第なのでありました。

ちょいと時期を逸してしまいましたが、夏の終わり、下田氏の誘いを受け、修武堂初の演武を披露した事を受けての稽古日誌です。

書き散らかしていた中に紛れておりました。オクラにするのも忍びないので、掲載してもらうべく、古剣氏に託しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・

ずっと昔 俳優の勝新太郎とその兄の若山富三郎の殺陣『田村』をTVで観た。 けっこう 亡父に どういうわけか映画を観に連れていってもらったから 勝新さんは 「兵隊やくざ」シリーズの頃から観ていて 「座頭市」シリーズも観ている。 

ついでに書いてしまうけれど 高倉健の「網走番外地」シリーズで観ている。またまたついでに余談だが 古い映画雑誌を観ると 高倉健もそれから菅原文太も 最初から仁侠モノのイメージで売り出していたわけでなく 恋愛モノで伊達男というか 今風のドラマの若者役と同じような感じで出演しているから 「え~~~っ」とこちらが恥ずかしくなるような気すらしてしまう。 

高倉健が佐々木小次郎役で ヅラをつけているのは 初々しいとみる向きもあるけれど やっぱり私は恥ずかしい。あのイメージの健さんには 私的にはごめんなさいなのだ。 

菅原文太さんが いくら「仁義なき戦い」ですごんで観ても ナンパな映画に出ていたのを知ってしまって以来 これまた気恥ずかしく イメージしてしまうとごめんなさいと思ってしまうのである。 

ともあれ 最近は東映の往年の時代劇映画が気になっている。 映画的という言葉で括っていいかはわからないが 演出上誇張はあるのだろうけれど 刀をどうニ本差しているか?とか 往来を歩く人々はどうして歩いているか?とか お辞儀や 飛脚の走り方 罪人の縛り方etc 十倍楽しめる。 全然違うものを作り出している訳ではない。古来からあった事が エッセンスとして入っているのであると思っていいのだと思っている。 

身体の動きについて 古剣氏程ではないにしろ 古来から伝承された武術を通していろいろ気付かされるわけだけれど 『おお!』と思ったことは どこかしこかの伝書に記述していることであることを その後見つける度に 『そりゃ そうだよな~。とうの昔の人は気付いていたか~。』と 軽い疲れを覚えることが多々ある。 

『死』を賭して編み出したものだもの 安穏とした世の中で思い浮かんだ発想より 凝縮されたエッセンスが抽出されているのである。 『おお!』と読み解いたなどど思っていても 実はそれは山を登って見える風景にあらず、裾野の野辺の草程度のものであるのであろう。 

孫悟空ではないが しゃかりきになっても 所詮はお釈迦様の手の内を出れない域だと 先人の伝えに その先を仰ぎ観るしかないと思っている。 

ひと一人の時間は限りあるものだし 途切れ気味 あるいは消滅してしまったものを 掘り起こし紡ぎ直すのには限界はあろう。

またこの世に そぐうものなのかも解らないでいるから ややモチベーションも上がらないという具合な心境になる事すらある。私以上に 否 私は単に空いた時間を面白く使っているだけで 古剣氏程は悩んでいない。

脳天気というのではなく、真摯にやっているのだ。私のしている事は 「この技凄いな~」「ほほ~」と感心し そのエッセンスに浸れる喜びで 和気あいあいとした満足感にお月謝を払って楽しんでいる方と あまり変わらないのだ。 

ともあれ時代劇映画。気になっている。その中で特に気になるのは『

殺陣』のこと。 

これは この間『春ねぷた』と称して 春の観光の呼び物のひとつとして 久々にねぷたの練り歩きに参加させてもらった時に ただ刀を差して歩いているだけでは 仮装しているだけで 間が持たないな~と思ったことも起因している。 

古剣氏は 一本歯の下駄を履き 三尺三寸を振り回していた。先頭を切っているから 邪気 魔祓いとしても様になっていた。 私的には 歩きながら どう立ち振る舞えるものかと 古剣氏の後ろでじっと観察してしまった。

「止まらず」とは 歩くことで「居着かない」身体がずうっと連続して持続すること(当たり前だ)。 だから とてもスムーズに長い刀が抜けていた。

 道場で 静止して さあ抜くぞという時の 身体に見える強張りなど ぜんん見えない。『な~んだ 歩いていてやったほうが ずっと簡単なものなんだ。逆に 静止してからのは 自分で自分を難しくしているんじゃないか』とさえ思ってしまった。 

人間は 否 動物は死ぬまで動いている。実は静止状態など有り得ない。それを逆行して、がんじからめの鋳型に入れて 技を具現化練り上げしようとするのは愚かなことなのだと 今さらながらに思った。 静止の中にも『動』をイメージしてやるのと 無理くり静止の中にさらに完全なる『静』を求めてしようとするのでは 初動の表れが違う。

完全なるゼロ地点を持とうとしがちに勘違いしてしまってはいけない。 三尺三寸を抜くでも その趺踞に静止を得ようとしてしまってからするのはダメだと思っていた。

趺踞の形は ある動作の一地点なだけであってとは よく古剣氏とは話していた内容でもある。「転ぶことをいとわない」というイメージのキーワードも そうして生まれた。

そしてこの度 まさに「歩いた(動いた)」。これは普通のことだ。そしてその中で「抜いた」。極めて 戦いではあり得る姿である。

では「静止」という意味は なんなのだろう。見た目の意味合いは同じに見えるかもしれないが 「静止」ではなくて 「一定地点」という意味で考えると見えて来るかもしれない。丁度 ヘリコプターのホバリングのようなイメージだ。  

完全に静止はありえない。足がある程度の重さがあり、体全体がロック出来ないと無理だ。微動して、かろうじてとどまる事が出来るのだ。しいて言えば、四つ足動物は、さらに私達二足歩行動物よりは、微動のブレは少ない。四肢を踏ん張る事の意識による筋肉微動があれば、おのずとバランスされるのだから『動いているという意識』を押さえ込もうとしない。先に言ったホバリングだ。

『歩行』から始り、古剣氏の家伝剣術の真似事としての『生々剣』などでの初動など。最近やっていないが『太極拳』での起式の初動も少し変化するかもしれない。 いろんな思いが交錯する。 

さてそんな折り 下田氏からイベント参加のオファーが修武堂にあった。 生来、出たがりな古剣氏は乗り気。端は 畑違いでイメージ出来ていなさそうな感じ。けっしてノリが悪いのではなく、まったくもって、どうそぐうものなのか判らないから判断しようがないと言ったところ。 

もっとも、皆様多忙でもあるから、直前まで判らないといったところが、正直な本音。 

さてそろそろ日も迫り、何となく演武をするというラインで決まっている感はあったのだが、具体的な行動は無かった。 とある稽古日。躰道と合気道、そしてブラジリアン格闘師のH山氏が中心となって、集団での『殺陣』が自然発生的に行われた。 

興味深く観ていたら、その内構想が広がってかいろんな展開をしだしたが、いつの間にか路線がコミカルなものに。これじゃチャンバラトリオじゃないかとすら思ったが、逆にチャンバラトリオのあのスタイルの完成度をしみじみ思わずにはいられなくなった。 

その日終え。ともあれ、演目は何がしかの演武と『殺陣』の演目を組み入れた趣向というアウトラインは、この時に出来たようだ。 

結局は下田氏と古剣氏だけが、確実に出演する事は決まったが、武術的な演目が無い修武堂とも言えるから、誰も協力出来ないなら稽古日にH山氏とアウトラインを作ったらしい殺陣を、モノにして演じるという感じとなっていた。

夜、北辰堂にて稽古するからとお誘いを受けた。武術の稽古というより、芝居の稽古である。

私的には懐かしい(元演劇部でもライター兼大道具係)。殺陣の演目は短いのが5本あり、それのみ。それじゃあ修武堂的には非力と、最初は古剣氏によりイベントの成功を祈願して魔祓いに林崎居合をし、その後に殺陣。當田流棒術のS水氏さえ都合が合えば、不肖私めと棒の型をと、具体的提案。

そうやって、別演目を提案したのは、殺陣の型5本と言えどその振りを覚えるのは大変で、しかも今の段階では未完成なものだからという理由であった。またでしゃばってしまった。 

でしゃばりついでに、音楽ライブイベンドなのに、何故修武堂がコラボするかという意味が欲しいからという意味もあり、『祓い太刀』の意味合いをも語る。 

実はイベントが行われる場所『弘前市立観光館』は、(弘前藩の)修武堂発祥の地でもあるから、参加するべくして参加する縁が繋がれたそして意義のあるという事(下田氏は知らなかったようだ)。 またこの敷地内に併設する体育館では、ぐれん流のグレン師範の息子さんが、とある妖気を感じる場所らしい事(まあ色んな事があった場所ではあるから)。 

ともあれ未完の殺陣の型を拝見。

殺陣は、斬り役より斬られ役の方が上手くなければ映えないと聞いた事があるが、まさにそんな感じ。太刀捌きが下手ではない古剣氏であっても、殺陣向きの太刀捌きはまた趣きが違う事をも知る。 

そして『舞い』にならず、かといって『型』にあらずを表現したものにするには、結構『殺陣』というものも難しいものだと痛感。 師匠がいるわけでもないから、御専門の方から言わせると稚拙は話しと笑われるかもしれないが、刀を交差し合わせ見せる事にも、『殺陣』的な用法がある事を知る。 

刃筋を思いきり合わせる事、斬り結ぶ事が、そうそうあっては刃が持たず折れてしまうから、刃の横腹を平手打ちのように合わせるような形になる事。

これから考えると、真剣勝負は刃の合わせがあっても一~ニ手で決めなければいけないなと思う。テニスのラリーのようにはならない。だから剣術の『型』は数手で終えているのだろうと合点した。 

見せ方としては、所謂『かぶる』と称して、極めの『斬り』をする時、主役の前に斬られ役がかぶっては見苦しいものになるという事を知る。 また二人の演技演武なのであるから、三つの型は、剣術の型のように明白な区切りは不自然で、それなりの繋がりを感じさせないといけない。

斬られ、その場に倒れて、また起き上がるのもしらけるので、そこには表現を考える必要がある。斬られても、不死身の男のように、平然と構えられても困るのだ。斬られ役は、そんな事を考慮出来なければならないから難しい。斬られながら、主役が斬りでの極めポーズがあるのを見計らい構え直すというのは、結構難しいのである。

いつのまにか、何度も古剣氏にダメ出ししていた(演出家か!)。とりあえず3本の殺陣を整える事が出来て解散。その後の稽古はのりかかった船の私が、個別で別な日に別な場所にて、めいめいと稽古する事に。 

古剣氏と稽古。斬られる役の演技とタイミングのアドバイス。ひじょうにタイミングの取り方が難しい事を二人で知る。『殺陣』は馬鹿に出来ないぞと思う。また古流の型が、こういう流れでこう使われるのでは?というシミュレーションになったようで面白かった。 

下田氏と稽古では、主役の太刀の振りを確認なんたって素人さんなのだからと思っていたのであるけれど、段取りはすぐ飲み込んでくれた。でも、刀の抜きから握りから振りから、今いちしっくりこない。

技量はそれなりになって来たから、古剣氏の『斬られ』で、いくらでも映えるはずなのだけれどと思った。 いつのまにか『殺陣』の振り付けというより、どういう心境でどうなったからこうなったという状況を説明してやってもらうという形になった。おこがましくも演技指導ではないか! 

あくまでも主役で、強さがあるという自覚を持って欲しいという事を第一に思っていただき、さてこの『殺陣』の状況説明。 

夜道を、ほろ酔い気分で歩いていると、もの陰から刺客が現れる。「何やつ」と一瞬立ち止まるが、それ以上には動じない。刺客刀をさっと抜く。「無益な事を」と思いつつ、相手になるべく刀をゆっくり抜き構える。『いつでもいいからかかって来るがよい』とでもいう感じの構え

そんな話しに終始して『殺陣』の稽古となる。 俄然、主役らしい感じとなり、ギクシャクした段取りをなぞるような『型』苦しい『殺陣』が、『生』を持って来た。下田氏、そのイメージ指導があって、いい感じになりましたと、労いの言葉を賜る。実は、私が教えられた。伝書と師匠と弟子を繋ぐモノの何かを感じたような気がした。 

さて当日、セッテングのボランティアに、腰道具(大工道具)を持って参加。立ち回りの範囲を確認する為に、また多忙な下田氏とプチ稽古。まるで舞台での、売れっ子スターが来るまでの代役稽古。 

古剣氏が、その後到着。プログラム進行の説明と 斬られ役の立ち回りの確認。 結構迫力をつける為に、下田氏とは慣れも出て来てギリギリの間合いでやって来たせいか、彼とはその間合いが合わず、彼の指を斬る。指より血がタラリ。

昔、斬り合いが終わった後には、よく指が落ちていたという話しを古剣氏から聞いたが、さもありなんと思う。斬られないように斬りに行こうとすると、そんな位置が斬られる頻度として高いのだろうかと想像した。

ともあれ模擬刀と言えど、刺そうと思うと刺す事は出来るし、斬れもする事を、あらためて知る。古剣氏には謝まらずにはいられなかった。幸い対した怪我でないと、続行。 

下田氏の多忙の合間を縫って、間髪入れず、二人に『合わせ』をしてもらう。そしてサイは投げられた。 

本番。林崎の居合いにて『祓い太刀』とし、S水氏も来られる事が出来たので(感謝)、棒術の方2本を初披露。そして『殺陣』。最初の段取りの流れとなる事が出来た。 

『殺陣』演武途中、下田氏鞘を落すアクシデントがあったけれど、それまた、動きの流れの中でありえる状況として映り、そしてその状況を下田氏は対処した。アドリブという言葉にしたら軽くあしらったような感があるけれど、そういうもので無く、思った以上の迫力を私は感じた。 

つくづく、単に私のした事は、『殺陣』の進行方向を確認しただけで、下田氏の気合いと想い、そして古剣氏の培われて来た剣術における身体使いの上手さが出た結果だったと痛感した。 

古剣氏談としては、その間や間合いが とてもゆとり感じられ云々と言っていたが、それは『殺陣』という動作の中の意味心理状態を下田氏が理解したからこそである。かえって、知らない古剣氏がいたからこそ、そのコントラストは如実に出たとも言える。 

ふと『型』と『殺陣』の間にあるもの『型』を編むという事は、どういうスタンスであろのだろうか?という事を垣間見れたような気がした。 

『型』の成り立ちや、どういう程度を表現しているか?という事を検証する為には、『殺陣』という場に置き換えると、意外と見えて来るものがあるのでは?と思わずにはいられなかった。 

ご座興に披露する事になる機会もあるかもしれないが、今度また『殺陣』をやってみるのもいいかもしれない。 

否、むしろご座興に見えるものこそ、確固たる技量に裏付けられたものでなくてはならないのだ。音楽で、鼻歌のように軽く歌っているような人程実はすごかったり、サーカスでおどけてみせる道化師こそ、一流の業師でなければならないようなものなのだから。 

コミカルたっち、チャンバラトリオスタイルがどれほど難しいか知る事になろう。おちゃらけさえすれば簡単に出来ると思ったら、むちゃくちゃ苦労するはずなのだ。 

だから、よくよく考えてオファーを受けて頂きたい。古剣殿。 とくに金を徴収した席では まだまだなのであるから。  

 教えてみる事によって知るその人と自分との技量の差に、自分はどの程度苦心工夫をして来たのかを知るという話。『教える事によって学ぶ』という話。 

上手く教える事が出来ないというのは、自分の中で曖昧になっているという事を発見出来ます。言葉表現は、それ自体曖昧なものですから大変という事を知るだけでも勉強になります。 

ましてや実地でやってみせ、真似てもらう際に、その人のまずさを知るだけでなく、自分の身体の動かし方のまずさや誤解を知る事があります。必然どんどん恥をかいて行きます。そして、もう一度工夫が始るわけです。 

また初心者にやってもらう事で、この技の凄さとか精妙さをつくづく感じ入りもします。理に適ったものでなければいけないのだなと思い知らされます。 

ある時稽古会で 當田流棒術のS水さんが来られたので 今回はこの間の『拍子』の事を考えた『型稽古』をとも考えたのですが S水さんが棒を二本持って来られたので 他の方にもやってもらう事にしました。学生のN田君は『振り』の練習の為に、住宅用の手摺棒をホームセンターから買って来て稽古してますからそれなりになって来ましたが 相手を立てての型稽古は初めてです。途端、ぎこちないものになってしまいました。 

これは、林崎居合でもありますし、古剣氏の家伝剣術でもあります。実際組まねばはじまらない体術は、相手の動く方向を知ってやらないと、ぜんぜん上手く行きません。剣術も体術も、組んでの稽古はどちら側の立場も出来き、相手にも教えられるようにならないと、本物ではないのだなあと痛感させられます。社交ダンスを少し習った事がありますので、よけいそう思います。 

今のところ、私は棒を受ける立場の役目をこなす事が精一杯で、そのようなゆとりはありませんが、やはり次ぎの一歩を踏み込む為には、いつかは覚えなくてはとも思っています。ただし体力が続くかどうかは、不安ではあります。あと脳味噌も、理解してくれるかどうか。 

次ぎに、こうしてやり出したおかげで、他流の棒の特長が少し理解出来出してきたというお話。 

一口に『棒』や『杖』の流儀と言ってもまったく考え方の違いがある事や、『刀』という刃物のようにちょっと引いたり突いたりしただけで殺傷にいたらしめるものとは、大きな括りで捉えてみても、あきらかに『攻め』の意味合いが違うという事が解るようになりました。その点では、刃物系以外の武器での技の方向的には同じだとも言えます。 前も書きましたが、竹内流の棒を見せて頂いた時の印象や、DVDに撮ってもらって観た琉球の棒(日本武道館での演武)も全然私達のやっている棒とは違います。中国拳法でのモノもそうですね。 多種多岐に渡って、棒系の武術だけを研究してもしきれないだろうと思う程です。大袈裟に言えば、人ひとりひとり分の技はあるかもと思わずにはいられません。 

確かにその通りで、棒を一つ振るだけでも、その人間の身体つきなどいろんな条件があって、工夫が違うはず。 柔道をやっていたり、あるいは剣道をやっていたりするだけで、その立場から他のものを観ると皆同じに見えてしまうのに、自分がやっているものは、同じ技名称であっても独自の工夫と見解があると思いますから、まだ棒の入り口でウロウロしているだけの私ではありますが、そう思えるようになった次第です。 

こういう言い方は失礼だと思いますが、最初は誰も継承して行く者がいなくなりそうだと思って、おつき合いしだした當田流棒術ですけれど、段々その妙味が見えて来もしまして、楽しくもなって来ました。 おかげで、棒を通して他の武術も見れて来た感じもあります。極める事は無理なれど、こういう味わい方もあるのだなあと、やらせて頂いている事に感謝せずにはいられません。

こうなると、いつかは演武してみたいものです。いいのです下手っぴでも。継続して伝承されていけば、次ぎの世代の者が、さらに整えて行ってくれるはず。こうして、伝承されて行ったものが豊穰されて行くのだと思います。

たとえ失われたモノや現代では理解が得られないものであっても、息吹きが注入され蘇る。ですからそれを信じて、稚拙なレベルなものでも育てて行く事が肝要であると思いやるようにしています。 

めざせ、日本武道館での古武道演武大会!なんて思っております。言うだけタダです。

  弘前大学公開講座、アレクサンダー・テクニーク講座を拝聴。十数年間から名前だけは知っていたが、実際に見るのは初めてだ。

 驚くほど東洋的で、とらわれや先入観をはぎ取り、自らが本来持っていた身体に戻すという教えなどは、現在、取り組んでいる稽古方向と合致することも多かった。

西洋では「自然はコントロールすべきもの」というスタンスではないか?というイメージが壊れた気がする。

コンセントレーションという言葉が、元来は「周囲全体を把握する」意味だったのが、現在では「一点集中!」の視野狭窄として、カンチガイされているというお話もナルホド。

もう少しお時間があれば、己独りの心身だけでなく、他者との関わりについてもメソッドがあるのか、お聞きしたかった。

ゲストは、西洋音楽、日舞の師範、現代の演劇の方々だったので、他者と同調しながら創り上げることに秀でた方々なのだろうが、武ではそれだけでなく、ずらす、はずす、という技術が必要になってくる。そう思うと、ここでは場違いな質問かと控えてしまった。

前日には、ある日本史の研究者の方に、実家の由緒書きなどをまとめて拝見していただく機会を得た。

いろんなことがわかった。先祖は家伝剣術だけではなく、新夢想林崎流居合、當田流剣術と棒術も修めていたのは知っていたが、宝蔵院槍術、某流馬術、某流弓術、反求流鉄砲術なども修めていたことがわかった。津軽信政時代の津軽塗りの大家とも姻戚関係があった。

当時は、やはり武芸十八般、そして工芸まで、いろんな身体から学んで、技術を構築していのだ。

そして、家伝剣術の明治・大正期の門人帳に、第五十九国立銀行(現在の青森銀行の基)を創った、弘前藩家老大道寺繁禎と、弘前市初代市長で東奥義塾、東奥日報社を創設した菊池九郎の名が記載されていて、驚く。栄えた時代もあったのか…。「大成しない」と言われる私が、申し訳ない。

無刀氏が、当会の交流する稽古についてコメントされていた。その通り、当会にはキチンとお教えできるものを未だ確立しえてない。でもその実、私以外の各位は、それぞれご自身が求める確固たるスタイルをお持ちなのだ。

それでいいのだ。ここは様々な武の可能性が生まれ育つ、実験農場。真理を求める方法はたくさんあろう。研究論文がそうだ。どれかが生き残って未来をつないでいく。私はその交流の場を作る係にすぎない。

つまりだ。現代社会のように交流が進み、その中から新しいものが生まれることは素晴らしい。しかし、それが進展しすぎると、やがて互いの差異は、資源として消費尽くされ、消え始め、全く同化してしまう。

多様性が失われて、均質化、一面的になることは、ある面では、複数あったはずの可能性を限定し、ひ弱になってしまうことを意味する。動植物の進化や生物の免疫力がそうだろう。

20年前、来日したレヴィ=ストロースは、各文明それぞれが独自性をもち、互いを豊かにするためには、外へ開放する時期と、内へとひきこもる時期の二つのリズムが交互にあることが必要だと述べている。

あるときは交流し、あるときは自分独りで醸成する。独特なスタイルを形成した日本文化がその実例だという。

武の稽古も、同じか?開くことと閉じることは、バランスなのだろう。

でも、とりわけ、先人たちの独創性、偉大な知性、優れた哲学はいつも、彼らひとりひとりの深い孤独から生まれてきたのではなかろうか?

「人は何とも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」

 晴天の霹靂か。否、当然の帰結か。

 歳を重ねれば、いつか何かの生活習慣病のひとつの冠は、頂く事になるだろうとは思っていたが、行きなり強制入院させられそうになる程の高血糖(なにせ計器が計測不能を告げるんだもの)で、糖尿病を宣告された。

医師は、そこに『ちょいと疲れている感じと、喉が乾いてしかたないの』と事の重大さを自覚していない男に目を丸くして、口角泡飛ばし入院を勧めた。

『でも~。義母を介護してまして、実母を病院への送り向いなどしてまして、入院なんて出来ません』と、この後に及んで、事の重大さを解っていない男であった。 

脳裏では『ただ、寝不足なだけなのに』と思う自分。『これで糖尿病なら、今までの不摂生でとうの昔になっていないといけないはずなのに』と思う自分。『わりとそれでも寝てる方だけどご飯も普通に食べているし』と、苛酷な状況下を潜って来て身体を酷使して来た覚えはない自分を思い、『なんで?』と思わずにいられなかった。 

諸悪の根源はストレス。かといって、あからさまに与えられるストレスというのは、あらかじめ覚悟が出来るから、意外とダメージはない。ふにゃけている時、意識していない時の、何気ないストレスが蜂のひと刺しになったようだと、『ストレス』くんの巧妙な攻撃に、感心してしまった。 

まるで、亀のように身体丸くして、攻撃を耐えしのんでいたのに、攻撃が終わったかと思い、首を伸ばした瞬間に、偶然当った顎への軽いパンチで KOされたようなもんだな~と 高血糖で恐らく頭があまり廻っていない男は考えていた。 

ある人に言われた。「どろりとして砂糖水が血液の中にあるようなもんで、末端まで染み通っていかないんだよ。末梢の血管まで行かないと言う事は、そこが腐ってしまうんだな。」

糖尿での壊死の事を言っているであろう。耳を澄まし、五感を研ぎすまして、指先の末梢を流れる血液を感じてみたら、本当にドロリと成り過ぎて、行き渡っていない感じがした。痺れさえあった。指先をぎゅっと加圧して血が行かないようにした時の感じ。

昔の仕事(ログハウス)で、チェンソーを長時間回し過ぎ、白蝋病(冷たい水分の含んだ軍手で手がふやけたままにして長時間振動を与えると、毛細のさらに毛細血管が破壊されて血が行き渡らなくなる感じ。本物はまさに指が蝋燭みたいになっていたな~)気味になったから、その感じがよく解るのだ。

まったく自分の身体なのに、さっきまで耳を貸していなかった自分を思った。これらは身体と心の一致というか、絶えずフェードバック、呼応しあっていない結果である。頭はそれでよくっても、身体は違う。

しかし、そんな事お構い無しの現代生活。頭は身体の一部であって、頭の支配を身体は受けているわけではないのだ。でも、『意拳』の講習会に行くと、いかに身体と心が同一であるはずなのに、こんなに冷めた関係なのかと思い知らされる(先日アレクサンダーテクニークのセミナーに行って来たが、これでも、そんな自分が掘り起こされそうだ)。 

この間、とある方との話し。念仏などのキーワードになる言葉の話しとなった。 我が家の宗派は浄土宗である。親戚は日蓮宗も禅宗もある。ともあれ南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、それこそアーメンでもいい。それは魔法の言葉であろうか?という話しになったのである。 

おそらく、これらを唱える事で心安らかになるとか、あるいは浄土に行けるなどといきなり言い切ると、誤解を招き、実際誤解しているという話しになった。 

例えば、ある徳のある人物が辻に立ちこの世の生き方を諭し説き、その迫力が魅力であり、説得力で心に浸透させた上で、『念仏』いう言葉の配列を紡ぎ出してあげて、それを唱えるだけで、今度は即、心の安らぎがあろうと強く説く。何となく、『催眠術』の暗示のキーワードになる言葉をセッテングするまでのプロセスと同じではないか。 

いいや。そう書けば、『催眠術』を怪しい術のようにして言っているようだけれど、それはまったく誤解で、『言霊』効果のメカニズムという観点で、『催眠術』も一緒だと言っているつもり。言葉が実体のあるパワーとなっているという事だ。そうやって、信じれる方が羨ましいと常々思っている程、少し捻くれた皮肉を込めた思いを孕みながら、そういう事が出来ない自分がいた。

最近、浄土宗のお経ってどんな事言っているのだ?と、解説書を借りて来て読んだ。深部まで理解したわけではないが、それはまがまがしく何か神秘のパワーがあり、法力感じる神々しいばかりの有り難い言葉なのか?と思ったら、単に礼節に沿った事を普通に書いてあるなと印象を持った。

昔『チベット死者の書』を読んだけれど、それもそんな印象だった。それが解ったら、なんとなく南無阿弥陀仏って唱えられるようになった自分がいる。そんな歳なのかもしれない。大分掛かったな。

でも、お願いする時の神仏頼みの呪文としては、絶対言わない。感謝とか、普通に挨拶する気持ちだけだ。でないと、生来から自分には、好い事が起きないから怖いのだ。だから、お守りは持たないし、人を案内する事はしても、自分から神社仏閣では拝まない。手を合わせても、頭は真っ白にしておく。

さて今、また『本覚克己流』を少しずつやりだしている。 いつかは、この流儀の研究者であり、県の柔道界の重鎮である太田先生に見ていただきたいと思いつつ、遅々としてすすまない『本覚克己流』の技の研究ではあるのだけれど、先生の御高齢を考えると、急がないといけないと思っている。 

先生が、どの程度生の『本覚克己流』を見ているかは知らないけれど、何本かでもいいから、『型の型』のように、ただ形だけでもいいから伝書を読み解き整えて、意見を聞きたいと思っている。 

しかし、やはり伝書資料よりの掘り起こしは難しい。 先年東京中野の体育館にお邪魔した竹内流の河野師範らのように、より柔術に精通している環境がないので、解釈がはるかに逸脱しているのではと思う事しばしである。

さらに思うのは、伝承伝播の妙だ。私は、スポーツ柔道をやって来た身であるから、少しは合気道をやっているからと言っても、柔術の生きた伝承の仕方を見て体感したわけでないから、なんともイメージしにくいのだ。 

頼みは、関口流の流れを汲むというオーストラリア人のグレン先生がやっている『グレン流柔術』からのアドバイス。 

ここで少し注釈。私観と言われたら仕方が無いが、グレン先生の技は、お父上から習われた古式の趣きは無い。正確に言うと、お話頂いた限りで印象を受ける先生の若かかりし頃の稽古風景は、中野で体感した竹内流の稽古を彷佛させるような感じはあるし、もっと殺伐として厳しい稽古だったようには感じた。 

今のグレン流は、先生が今の時代の中で、使えるように整えなおしている。ひとつひとつの技は、確かに今まで培って来たものだろうけれど、私達が伝書を読み解いて覚えたような気がしているものとは違い、リアルにイメージ出来、身体に染み込む。

多分こういう感じで柔術は教えられて来たんだろうと思う。伝書の行間を、師が口伝えで、言霊を持って注ぐという感じだ。化石として存在している伝書では、自分の想像力しかない。考古学の学説が何度も覆されるのは、言うだけ勝手の想像の部分が多いからだと思うように。 

ともあれ相手(私)を立て、グレン先生はその用法を説明する。どんな動作も半端な『止め』がないから痛い(手加減はしてくれているのだけれど)。こういうところは、多分そのまま昔さながらだったと思わずにはいられない。 

なんで痛いのだろうと思ったら、昔カンフーをやっていたという中国人の友達の打撃系の技を取り入れたからというわけではなく、はなから一個一個の技での接触が、当て身の初動が無くても痛いのだ。極端な言い方をすれば、身体を躱しはらったりするのだが、決して空手のようながっしりしたはらいでないのだけれど、痛いのだ。 

人に教えるための、見本としての技で当て身をするのでさえ、先生のは軽くやっているつもりでも痛い。厳しいのである。私が軟弱なだけとも言える。先生は、今のオーストラリアの柔術界では、合気道のようにソフトに教えるから、柔術と合気道を混同しているようだと言われた。

どこが違うか、この地(日本)で説明したいから、日本語の説明(合気道との差異)を書いてくれと言われた事がある。稚拙で、それこそ柔術界合気道界の諸先生に見せたら、笑止されるかもしれない文章だったけれど、英訳しやすいように書いたつもりだ。文章が、日本語をたどたどしく話す外国人の言葉のようになった。そうなってしまう形態に『伝達の妙』が見隠れしたので、これまた勉強になったが。  

ともあれ、こうした一連の行き来(意思の伝達)が師匠と弟子の間の存在し、この『本覚克己流』にもあったのだろう。しかし、『本覚克己流』を修めた人間が目の前には現れてはくれない今、ともあれもはや化石と同じ『型の型』になりさがろうとも、やらなければ埒が空かない。先の光明すらないと思いやっている。 

最近は、技の表と裏の用法を平行してやっている。ほぼ同じ組み形から、それぞれ展開が違う技となる。表だけを一通り修めてからと思ったのだが、こういうやり方が、それぞれの技を検証する為のお互いが、お互いの鏡のようになって手掛かりになりやすいからと思ったからだ。 

さらに検証する上で、手掛かりを頂いた事があった。合気道の稽古の際、今こちらに単身赴任されている本部道場に通われていた方が来て稽古をつけてもらっている。 

ご存知の方が多いと思うが、合気道にも技に表裏がある。もし実戦で技を掛けるとなると、好きな方の技、得意な方の技を掛けるのだろうと、柔道出身の私は理解していた。試合では、強引に自分の得意技に持って行く事が攻防の常だと思っていたからだ。これで、私の柔道に対する理解度の程度が知れてしまい、お恥ずかしい限り。 

その方は、その時の間合いや、相手がどこまで踏み込んで来たかとか、自分の技の繰り出すタイミングの早さ遅さで、技が表裏になるだけでなく、違う技になる場合があるのだと教えて頂いた。つまり身体は自在な反応をするという事だ。それはすごく当たり前の事。 

でも、どうしても柔道競技で、数手の技しかないから、馬鹿の一つ覚えのように繰り出すしか能の無かった私である。合気道では、どうしても『表と裏』と交互に稽古するわけなので、身体は『自在』さを理解するレベルには到底なれそうもない。 

合気道では、掛けようとして仕掛ける事は無いから、最初から掛けたい技を目論んでいるわけではないと理解している。もっとも、相手が掴もうとして来ている手を、瞬間的、本能的にある方向に誘導している感じはある。それは自分の身体的に『動きやすい方向』に行きたいという潜在する意識からなのか?柔道的に言うと『動きやすい方向』は得意技となるような感じがする。

話しは逸れたまま、もう少し続けるが、ならば相手のその癖を見抜けば、その技は掛からないともなりそうだが、中学時代、私の先輩で背負い投げの名手は、こちらはがっちり技が掛からないようにしているのに、するりと抵抗感無く身体翻し、担ぎ投げる。

いいやそれは適切では無い。『背負い』と書いたが、おんぶされた衝撃は無く、ふんわり背中にのっかりそうになった(つんのめったとも言える)と思ったら、前に転がされているのだ。差程引っぱり込まれたという感じがない。端で見ていると、翻り、手をこねまわしているというか手揉みしているような感じ。まったく、崩しとタイミングさえあったら、ふんわり投げられて痛くない。

極端な言い方をすれば、技を掛けられた瞬間、抵抗なく投げられたいと思う感覚になってしまうのだ。『背負い投げ』を『担ぎ技』ではなく『手技』と分類している由縁は、この事から割と早い内に理解していた気がする。一応試験的には『背負い投』=『手技』とは書くだろうが、理解はしていない人は多いのはないだろうか。 

別な先輩に、技が粗い方がいて。内股が得意技だった。股間を強く大腿部で蹴りあげるような掛け方。その先輩と稽古が当らないように、逃げまどったものだ。稽古というより、その方とやるのは、一つの制裁のような気さえした。だから、内股という技をする人は、潜在的に嫌いなイメージがついてしまった。

でも、高校となり、また柔道を続けていた(二年でやめた)ので、先生は他の学校に出稽古に連れ行ってくれた際、ある学校の先輩で内股をする人がいた。 不思議な事に想像してみて欲しいが、鉄棒に跨いでいると、バランス崩してくるりと廻ってしまう事があるが、翻り跳ね上げる足大腿部に、自分が乗っかり、自分でひっくり返っている感じなのだ。股間は蹴り上げられている感じは無い。先の先輩ともども、組んだ瞬間、掛けられてもしかたないなと思わせてしまう。合気みたいなものか?

ともあれ、もう崩されているのだろう。技は技以前に、決められているという感じだった。 これらの体験から、嘘臭くも感じた『空気投げ(隅落し)』もあり得ると理解出来たし、相手十分に崩され(自ら崩れて行く)タイミングさえあえば、二間ぐらいは吹っ飛ぶ事もあながち嘘ではない事は理解出来ていた。でも、その答に到達する才は無かったとも言える。 

ちなみに、こうしていとも容易く投げられたのは実力の差もあったからとも言えるが、何で出稽古していたかというと、入部当初、自分の所属する部の三年生を投げる事も多かったので、先生が見込まれて仕込もうとしたのだった。

中学時代の部活動では、十番内ぐらいの実力しかなかった私なのにである。だから、多少、他の出稽古に行っても、それなりの稽古は出来ると思っていたが、井の中の蛙だったわけだ。 その内、蛙はおたまじゃくしに戻った。中学出立ての人間と高校生の違いは、そのスタミナと学習能力である。程なく、技の癖は覚えられ、自分のスタイルはガタガタになった。スランプとなり、やがて自滅した。

話しは長くそれたが、合気道での技の繰り出しの考え方は、『目からウロコ』であった。考えてみると、とても当たり前の事なのだけれど、そしてそう成る為に、部分部分を稽古し、やがて繋げて、どれでも出来るように成る為の身体作りをしているわけだ。 

『本覚克己流』は、表一本目の『腕流』の組み形(相手の初動)から、いろいろなものが派生するとの趣きの記述がある。相手右手にて自分の左胸倉を掴むあるいは掴みに来ようとする・とは考えてみると、パンチでも胸倉掴むに来るにしろ似たような動作であり、技の繰り出そうとする時の原点的なモノと位置させている事は極めて自然だ。

恐らく他の流派ですら、ここから始るのではないだろうか?などと、勝手に、合気道をもやっているせいか思わずにはいられない(正面打ち)。剣道ですら、上段の斬り(打ち)だし。 そういう思いが、また『本覚克己流』を読み解く気持ちを 再燃させてくれたわけである。

違うものになりはしないか?という恐れは、もう気にしない事にした。 最終目的は、心身一体となって動くのでなくて反応する事を目指すのだ。

しかも『身』は、体力に任せてやるのではなく、本来元になっている程度の力(歩いたり、箸を持って食事したり、立ち座りしたりするという事。普段に出ている力の事。爺になっても、歩けるという分の力の事)で。 

考えてみると、力任せでは、加齢とともにパワーダウンしてしまう。でも、上手くすれば死ぬまで自力で立ってあるく事が出来るのだそんな事を、車で農道を走っている時、おばあさんが鍬で畑を耕す姿を見て思ってしまった。黙々とやっている、その姿を見て。 

ともあれ、頭の配慮ない振るまいに壊れた身体には『ごめんなさい』と謝罪する日々ではある。 そりゃ~そうだろう。頭は、ずっと起きていてもへたれない。廻りが、ついていけないのだ。極端な言い方をすると、脳と言うのは、永遠に生きられる。物体としては消滅する事があっても、意思は次ぎの者に継承という形で、生き続ける。 

でも実際は頭ばかりが生きているのではない。身体も何も皆あって、ひとつの『カラダ・自分』なのだ。 謝罪もそうだが、それを気付かせてもらった『病気』には、感謝すらしている。 さてさて、粛々と今ある事をして行くのみだ。

  私は、古剣氏の御実家の改修工事を請け負わせていただいている。

移築した古い佇まいの改修と、私の高校時代の美術の先生でもある大先生のアトリエの収蔵庫を増築しているのである。 

下級武士という言葉は適切ではないとは思うが、一般的お武家様の住宅と言えばいいのだろうか、城まで十数分しか掛からぬ距離にある古剣氏の御実家は、時代の変化を遂げ、 文明の恩恵は受けているけれど、中々良い感じ。これまた言い方は適切ではないだろうが、もしこの時代に『武士階級』が存在していたら、その一般的武士の家は、慎ましいながらもこんな感じに時代の変化を取り入れているような気もする。 

一番いい感じなのは、玄関を上がっての座敷。炉が切ってあり、必然天井は無い(あれば煤惚けて大変だ)。 古剣氏曰く、すわ!一大事と刀振り回すのに天井は邪魔になるとの事で、その場所だけは天井が無い。長押(なげし)には槍が掛かっている。

昔はその部屋も窓より光りが入っていたのだろうが、今は増築され光りが入らない部屋でもあるが、そこは現代。ご祖母の采配により、天窓がついている。天窓は昔もあったとは思うが、網入りガラス(強化しているガラス)による屋根とした小さな鳩小屋のような天窓である。

今ある天窓のように雨仕舞が上手く施工出来ない時代であるから、鳩小屋のように屋根にまた突出して立てる『明かりとり(煙り抜き)』は古くからあったが、雨風がある時は閉じるようにも出来る構造のもあり、それらは結局暗い。 

やがて炭で暖を採れるようになったから、いぶられる事もないかので炉を使ってもいいのであろうが、それをしなくなった分、煙り抜きの無い密閉され、まったくの採光としての天窓となった。 

雪もある地方の事であるから、ちょっと冒険的施工ではあるけれど、とてもいい感じに光りを家の中に優しく取り込んでいる。くわっと明るくないのがいい。スポットライトのように日の傾きに合わせて、炉や神棚を照らしていい感じでもある。 その部屋越しに見える隣の部屋(奥の間)が、奥庭からの反射光を窓から受けて、これまたいい感じで浮き上がって見える。前の間の『暗』と奥の間の『明』の雰囲気が堪らない。

とかく昔の家は薄暗くじめりとしている印象を持つが、この家は確かに全体的には『暗』だけれど、じめりがない。風が抜け、日陰となる縁側の心地よさを全体的に感じる佇まいなのである、住いは夏を旨として作るという典型か?冬は寒いだろうとは思うが。 実際寒いと、古剣氏は言っていた。

寒けりゃ、服を着ればいい。自分からの温度調節をしなくてよくしてしまった現代の住環境は、人間に重大な影響を及ぼしているのだから。それでいいのだ。鳥のインフルエンザだって掛かってしまいそうになっている昨今、それが何故か?って思っていないとも言える。もっとも、そういう事を仕掛けて、明日の糧にしている商売を私は生業にしているのだが。 

ともあれ敷地廻りが程よく日が照り、じめりとした感じにはならない庭となっているせいなのだろう。カビ臭かったり、苔はあるけれど苔臭かったりしていない。まことイイ具合だ。 

家の随所には、この地の女性の地位向上に腐心したという信念のあるご祖母(小学校時代教え子である伯父談)の意思が注がれているようだ。いい意味での昭和の香りも残る家でもある。 それももうすぐ終わり。 私の仕事にはつきものの事ではあるけれど、気に入った空間を味わえなくなる事は、やはり寂しいものだ。

昨日は、愛おしさも湧いて来たのか、頼まれた事を自ら習い覚えてた多少なりな木工の腕を持って、あちこち修繕させてもらった(一応設計屋なんですが、雑用仕事なんでもします)。古剣氏のお母上にすすめられ昼食を御馳走になる。大先生と対座しての昼食。 

最近は、打ち合わせの後にちょっと大先生とは『芸術談義』に華が咲く。いや、私などとの話しは高尚の域は無く、話しを合わせて頂いている感が強い。だから、むしろ『ゲージツ談義』と言った趣である。 

今回もいろんな話をした。版画の話や彫刻の話しは、多少なりとも知っている木工の見地からお話を返した。材料の保管管理という話しでもある。 彫刻の話となったら、大理石の話しとなり、こちらからは建築での石工職人に話し、あるいは墓石の話しをしたりした。

色や光りの話しからは、ヨーロッパの話し、イギリスの湖水地方旅行の話しを聞かせてもらったり、私の方は、上野で観た現代美術展の話し、デザインの話し、バウハウス、北欧でザインの話しをさせてもらったりした。

 唐突であるが、私も油絵を数枚描いた事がある。それも二十代後半だから、大先生に習ったわけではない。ふと、兼ねてからの疑問(大先生にとっては愚問であろうけれど)をぶつけてみた。「先生の場合、どの時点をもって『この絵』の完成を見切るのでしょうか?」と私。「自分がもうこれでいいという時じゃないでしょうか」と大先生。  

それは、以前にも他の絵の先生にも聞いた話ではあった。私としては、次ぎの質問が実はしたく、思いきって聞いてみた。「でも先生。後で、また書き足したくなるとかはありませんか?」 それは、完成を完成と見切っても、時を経ると心境も変わり、また違うものが見えてくるのではないか?という意味である。 

でも、失礼な質問だ。人間には『不動の信念』は無いという事を暗に示唆している事でもあるからだ。大先生に対して、そんな安易な心変わりありませんか?と聞くなんて。 大先生は言った。「ありますよ。そりゃ~。でも、大方は描く気にはなりません。前に描いた絵の方が良く見えたりする事もあります。だったら、また更に同じものを描こうという気になるかったって言ったら、それも無いな~。」至って軽い答に、拍子抜けした。 

大先生の人と成りをもっと補足しなければならないだろうが、上手く出来ないながら言わせてもらうと、家伝の古流剣術守られている宗家ではあるものの、芸術観はいたってアグレッシブな方である。いろんな技法を試しやっておられる。

これまた失礼な言い方をしてしまった。「先生の個展を観ましたが、こうしてアトリエにある作品をちらり拝見させてもらうと、いろんな画風があり、いったい先生はどう言う作風なのだろうと思ってしまいました。」 言い方を間違えば、確立していないという言い方でもある。 

しかし、家伝の古流を守られておられる方だという事など色々な事を総じて思うならば、芯と成る、芯に流れる心は、一本である事は間違いない。そしてそれは固そうで、どうしてどうして柔らかいのだ。こちらが面喰らう程。

「絵はね、偶然の産物なのですよ。一個一個の色を筆からカンバスに載せる時、それは計算したものではない。偶然の中で決められた絵の具の量、偶然の位置。全部が偶然ではあるけれど、それはそこでいいのだと思う事に自分の意思があるからこそ、自分の作品だと言ってもいいのではないでしょうか?」 

『偶然』という言葉は、ひどく無責任な言葉とも取れる。しかし、それは実は『必然』と身体が判断した事であると言い換えてもいい。大先生が言っている事はそういう気がしてならなかった。 

本当は、家伝剣術の事などを含め、武術の話しを聞きたくはあったのだけれど、畏れ多くて、聞けなかった。古剣氏との観点の差異を知ってみたかった。実は、『ゲージツ談義』でお茶を濁し(失礼!)、そういう話しとしたかった。 

でも、いつのまにか當田流棒術を修めたわけでもないのに、太刀を持ち、受けさせてもらっていて、『型』に内包されているものが少しずつ見えたりしている今、『本覚克己流』もまた動きだし、伝書のみの解読にひいこら言っている自分がここにいるのだけれど、大先生とのお話は、充分武術的なものを頂いたような気がする。今回一番の収穫であった。

しかしながらしいて言うと、剣道で言うならば、少年豆剣士の細く軽い竹刀が大人の剣士に掛かって行くが如くな感じで、試合にすらならなかった。ああ、赤面。古剣氏、お仕事頂き、本当に有難うございました。

補足 古剣氏とその話しをして、『ゲージツ談義』で思い出した事がある。 現代アート的な趣きとして、何枚も手描きで同じ絵を描くという趣向だ。先の話しでは、描く気にはならないと大先生は言ったが、私は畏れ多くもそれをしてみて欲しいとも言ったのだった。 

同じ絵は同時には描けない。当然、その間には時間差がある。同じ絵の中ではあるけれど、その時の、心境の違いが出て来るはずだ。その妙味を味わうという事があってもいいのはないだろうか?という意味だ。 

違う画風となった事により、その変化が読み取れるという事はある。例えば、ピカソは割と写実的な『青の時代』を経て、あのスタイルとなった。身近では、漫画がそうだ。新人の頃と、いつのまにか変わっているのが多い。何度も人前に曝され、変化を遂げて行っているとも言える。  確かに上手くなっているという方もいるが、逆にそれがつまらなく感じられてしまう事も多い。 

そういう点から、先の質問で大先生が「前に描いた絵の方が良く見えたりする事もあります」と言って、描き直す気にならないと思う事もよく解る。私などは、前の設計図面等を見ると、今の自分が恥ずかしくなる事すらあるのだから。 

そんな話しをしたら、古剣氏は「まるで型を観る事に似てますね」と言われた。芸術も武術も格闘という意味では同じだという事かもしれない。一見違う事を大先生はやられているように見えるのだけれど、実は繋がっているのだ。 

大先生は柔らかい。「え~!どうしてこんなに頭が固いのかな~って思う事多いですよ~。」と息子の古剣氏は言っていたが、停滞する事を忌み嫌うが故に、これをもってバランスされておるのだな~と思わずにはいられない。

下手をすると古剣氏の方が、そういう意味合いを持ってツールを確立しないと、大成は望めないのではとすら懸念してしまう(失礼)。ただでさえ、魔に引き込まれかねない世界(武術と民俗学)を研究されている方なのだから。 

ともあれ、私も建築するという事と武術も繋がっていると思いやっている。 建築特に『住い』と言うものは、人間の『業』を集約している場でもある。時として、魔に見入られてしまって、家の者と同じ苦しみの中にのたうつ事すらある。シンクロせねばならないのだけれど、シンクロしてはいけないのだ。 

武術からいいや修武堂からは、色んな事を学ばせてもらっている。人に言わせると「ほほ~イイ趣味ですな」と言われるが、これも仕事の為の栄養なのだ。むしろ、同業者にやってみたら?って言いたくもなる程だ。福祉関係をやっている連中には、言うのだけれど

 この間、古剣氏が京都に出張の為、修武堂の稽古が休みではありましたが、二週間おきでしか稽古の出来ない當田流棒術を、記憶力(飲み込みが)悪いので、私は古剣氏のお父上…大先生に頼み、北辰堂道場をお借りしてやる事にしました。 

今、裏5本を検証しはじめています。故寺山先生の教えを受けたS水氏の記憶のみが頼みの綱ですが、ところどころ記憶が欠落しているので、月刊『秘伝』に載っていた岩井師範の資料も参考にしてやっています。この事は以前も書いたと思います。 

S水氏が覚えているという表五本の内一本は、裏五本のモノでした。四本は知っていたので、その技の前後の技を考慮し、故寺山先生(S水氏の師匠)ならば…という解釈で、その一本はある程度形になりました。

解釈と言っても、よけいな情報を練り込んで作り上げるのではなく、故寺山先生の技は、どちらかと言えばデモンストレーションとしての、あるいはプレゼンテーションとしての『型』の表現ではなく、シンプルでストレートな感じの解釈なような感じ。ですから、動きの中でどこでも幾多に変化出来そうな感じの選択肢がいっぱいあるような作りとなっています。 

実際ブランクがあったとは言え、S水氏の棒は同じ風に太刀の軌跡が出来ない私に合わせて、知らない内にそれにあった技となって繰り出して来ます。

例えば脛を斬り付ける動作が腕になってしまったりしたら、それに対しての防御や攻撃が変わってしまうのです。自然に勝手に合わさってしまうのでしょう。 

このような事は、古剣氏もあるようで、家伝剣術の演武をしに行った際に、仕太刀の動作が間違ったり狂ったりしても、打太刀である大先生は、何とか繕ってくれたと言う事があるそうです。

もっとも、その際には端では判りませんが、ジロリ睨まれ胆を冷やしてしまうと苦笑しております。 

私は打太刀でありますが、そんなゆとりはありません。仕太刀の棒、S水氏が瞬時に合わせてくれるのです。ふと疑問に思い、打太刀の軌跡をちょっと変えた事があります(すみません実験です)。ちゃんと打太刀の軌跡を捉え、さらに攻撃をして来ました。ただ、覚えた軌跡をなぞらえているわけではないのです。これは、段取り細かく決まっている演武だと、難しいのかもしれません。 

『型』のモーションひとつひとつに選択肢というか、いろんな含みが内包されているからこそ、またそしてそういう事を教えてもらっているからこそ、出来るのではないでしょうか? やはり、生きた言霊を与えられたものの強みであります。ここいら辺が『本覚克己流』とは復刻の度合いが違います。 

以前、東京中野の体育館での竹内流の棒を見せてもらいました(というか横目で見ていました)時、棒の真ん中を持ち、棒を振る時の手の内について教えていたのですが、まるでバトントォワラーの方の、手の内のよう。しっかり握り、手首のみの強さで振ったらば、あれほどスムーズには廻りません。手を開き、小指から指折り数えるようにやっておりました。体術も折り込んだ動きがあるからでしょうか? 

今の所の検証ですが、冨田流棒術は棒を使いつつの体術は見受けられません。棒の長さを最大限に使い、棒本来の間合いでの勝負をします。時には隙を作り、自分の中におびき込む事はあります。また、受け止めるという動作ではなく、受けたら即攻撃または誘い受けるように見せてそのまま打ってしまいます。 

演武的には、安全を考え、間合い遠くし手を打つとかなどになっていますが、実際の所、斬られるという事を考えると、躊躇せず頭を叩き割るような動作として、寺山伝の『型』は行われ、S水氏もその意味合いを叩き込まれて来たようです。そこでそういう教えだけでは、いざという時、難しいだろうという工夫が、寺山伝の冨田流棒術には更にあります。 

打太刀の鍔が、ネコ車のタイヤのようなものになっているのです。重いです。自在に振り回せません。ですから、私達がやっている『型』の趣きがシンプルなのには、このような理由があるような気がします。 

『型』を『型』としてやって『打』を残心のみにとどめず、思いきり脳天めがけて打って、その技を確かなものにしようという意図から、鍔をクッション性のある皮製の厚い鍔として、その『打』を打太刀は脳天の位置を防護し受け止めるのです。S水氏は、思いきり打って来ます。ズシリと響きます。これまた面白いもので、未経験者に打ってもらっても、所謂手打ちとなり、浸透した力を感じません。 

これで判るように、私達の『型』の間合いは、本来の撃殺する為の間合いでやっておりますから、考えてみますと、結構危ない間合いでやっているわけです。 感覚的なものだけでやってはいけないと、S水氏とは、一間半を境に『足一つ前』とか『足一つ後ろ』とか間合いを検証して、今の間合いとなってやっています。 

裏五本は、当初表の技だと思った技が一本記憶にあるだけで、後はまったく岩井師範の技を寺山伝風なアレンジでやるしかなく、困難を極めています。

『型』を殺陣のような振り付けにするのではなく、必然性を考え、且つ身体を練る事に気を付けてやっています。ですから、『型』の検証を通して、その巧妙さに感心する事ばかり。ふと多才な技がある流派が強いかと言えばそうではないな…と思わずにはいられません。一手に精通していれば、なんの恐れも無いのかもしれません。

そういえば、とある方の空手をやっている先輩は、来ると判られている中段突き一つで勝つと言っていました。その技に精通していれば、来られると読まれて防御されても、それでもその隙間が見え、行える…というような事を思ってしまった次第です。そういうことからか、表五本は一通りやれるようになっても、毎回気付く事ばかりで至らなさを痛感させられもいます。

 この寺山伝の工夫は、『型』と『実戦的稽古』との一連の流れを結ぶ一つのやり方を示しているとも言えるのではないでしょうか? さらに寺山先生は、生前この『型』から先へ繋ぐ『型』の稽古の後の稽古として、防具を開発し、試合の出来る形にしたいと構想もしていたようです。それはどのようなものか、今は知る由もないのが残念です。 

ともあれ、いつのまにか冨田流棒術の打太刀という、本来ならば師匠がせねばならない立場をする事になってしまったわけですが、これはこれなり、『師匠の目』という事を体感出来る事ともなり面白くあります。修武堂という環境ならではの事なのかもしれませんね。 

そういえば先日、護心館S先生が県立武道館で稽古なされていたので、少し覗きに行って来ました。他の方は、御都合悪かったらしく先生一人…。

その時の事は、先生の稽古日誌に書かれてありますので、御一読していただければと思います。

http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=gosinkan

 その中では、修武堂とS先生の意識の微妙なズレを感じていると書かれてあります。以下はその箇所の文章です。

『修武堂さんは答えを模索しつつ稽古されてるのに対し、護心館の白兎さん(S先生の事:無刀注釈)は 既に答えが出ていて「その答えになるにはどうすれば良いのか?」を模索してるところだと思います。』 

言い得て妙です。私達はそんな感じで稽古していたとは…。 

これじゃあ、先のような事をしていては、尚の事、先生にはそう思われてしまうかもしれないな~と思った次第でもあります。でもそう言わず、無料練習台として、修武堂の方々をお使いになられては?とも思わずにはいられません。

しかし、まこと奥ゆかしい方ですので、無理強いは出来ません。それこそ引っ張り込んだら、思わず私、宙を舞っている事ともなりかねませんので…。

でもでも、S先生。答はもう出ている事に対して、私達は(も)やっているのだと、私も思います。『型』を通して感じる事なのですが、『型』というのは、その時、その時の自分のいるステージにより、変わって見えて来るのだと、最近しみじみ思うようになりました。 

今は、これが『答』なのだという見え方が出来ないレベル。私は、飽きっぽい性格ですから、やはり『型』は『型ッ苦しい』と思わずにはいられません。つい自分流にいいように解釈してしまいがち…。じっとしていられないのですね。

そういう自分を、ひとつひとつ潰して行かないといけないな~と思う日々でもあります。いろんな事に手を出している感は否めませんが、そうやって手を出す度に、あれとこれは同じでは?と思い事多々あります。これは、あれやこれややるからの妙。それでも、落ち着き無いといぶかる方もおられるかもしれませんが、思い巡らすと、どれもこれも、同じ方向同じ答に向っているのではないか!と思わずにはいられません。 

多分私の場合、野辺の花を楽しみ、散策しながら、『答』と言う山を目指しているのでしょう。脳天気です。急いても急かなくても、自分の成す分というのが決まっているような気がします。まったくノー天気です。私はそんな感じで、修武堂を『味わい』に来ているのです。 

どうかどうか、S先生の閃きの手助けになるかもしれませんから、お出でなさいませと願ってやみません。また、定例(もともとは無いのですが…)が来れなくても、ご一報くだされば、召集もかけましょう。みんな、そうやっています。最後は伝言みたいになってしまいました。 

ともあれ、『當田流棒術』。今、なるべく早く映像に撮って残したいとも思っています。昔は、手書きの伝書。それを見て思い巡らしているわけですが、後進の方が、さらに考察していただければ…と思う故、リレーのバトンのように、駅伝の襷のように、下手は下手なり残さねばと思っている次第です。年齢的にはカウントダウンが始ったと認識しているもんで…。

  今日、ひょんなことから、久方ぶりに、家伝剣術の型ビデオを全部見ることになった。

30年前、祖父と父が、当時の日本武道館や文科省が記録用に作成した、岩波映画社によるものだ。いつの間にか勝手に、某民間会社がビデオにして、一般に販売している。

自分の家の映像なのに、お店で買った。おかしくないか?

肖像権などのすべての権利関係をクリアした上で、販路に回したのか?

あいかわらず、一般受けしない地味な型だ。アクションも、ケレン味も無い…。

動きだけ見ていればそうだろう。他みなさんも飽きていたに違いない。

だが、私だけは、型の所作が要求してくるものが、以前とは違ったニュアンスで実感された。

実際の斬り合いについて、この所作は何を語ろうとしているのか…。

認識の変化で、生々剣のヒントがつかめた!小太刀のさばきが…、などと、氷山の一角だけを発見しただけで、小躍りしている己が愚かに思え始めた。

幼い頃からこの一連の型を見ながら、面白くないと勝手に考えていた自分が砕け散った。

現在、私が推測しているレベルより、さらに高い、いや、全く異質な理の発見、習得が必要なのではないだろうか、と恐ろしくなった。ガクゼンとした。

一方で、見慣れていたはずの家伝に、未知の型を見たようだ。

型が饒舌にいろんな未知を要求してきそうな予感がし、新鮮な気持ちで探求できるかと思うとワクワクする。

これは面白いことになったぞ。

家伝型は変わっていない。いつの間にか、同じものを見つめる私自身の認識が変化しつつあるのだろうか。

私の心身のすべてを投げ込み、じっくりとこれらを再生していきたい。

 足首の固さを実感するばかりだ。今春、下田氏にスキーをお教えいただいた翌日、足首がとろけ、平地も、階段も、床面をなでるような感覚に、我ながら驚いた。

この固さは、竹刀剣道のつま先立ちや、得意だった短距離走の足か。

その逆、蹴らない足、滞らない足を。滞らない身心と武技につながると。

足首のロックをはずす、とたんに全身の連携が変わったのか、ぐらつき始める。

いや、自在に。あちこち、意識していなかった箇所の居着きが体感される。

親指、拇指臼のロックをはずす。

あれだけ工夫してダメだった膝も、脚も柔らかく、軽くなったか。

武術に関心が無くても、自分の歩みが変わった感覚は、思考まで揺らぐかもしれない。

親指を上へ反らすと、膝から上はやわらかいが、膝下を包む外側の筋が張り、蹴ることができなくなって、膝下が体全身を下から浮き上げている感覚も出るようだ。

宮本武蔵が、カカトをつけ、つま先を上げ、「膝から下へ力を入れよ」と書いているが、全くわからなかった。これと関係する感覚か?

といって、特定の部分や感覚ばかり味わい、分析し、滞りたがるのが私のクセ。

これが上達を阻むひとつ、我の強さか。

 スポーツの最中に、いちいち考えていては遅すぎる。教えられなくとも無我夢中、没入して動いているはずだ。

だから、何かを感じたら、意識のフォーカスをボンヤリと解いて、全体へと広げてその一部へ戻していく。あとは自分の感覚にまかせよう。という稽古を。

でも、己ひとりの感覚ばかりでは心もとない。実際、うすボンヤリと、ジワーッと体感にまかせているとき、誰が、野狐禅ではない、魔境ではないと証明できようか…。平常の心身ではなく、思いつめていること自体、異常なのかもしれないが。

無数の先人の体を通過して、普遍化された型のガイドラインも必要だ、と実感できたのは、小太刀のさばきのお陰。

我流で両手をダラリと下げた状態からやるよりも、型どおりに、片手を相手の顔面へさし伸ばした姿勢からやった方が、圧倒的にラクで速いことに気がついた。だから実際にこれを遣ったのだろう。

ランニングとロープワークで、フットワークを鍛えた20代にできなかったさばきが、発想の転換でカンタンにできるように。なぜかはわからんが。

感覚に静かに聴く、でも型もガイドラインとする。という稽古は、他でなんども教えられたことだが、自分の頑迷さがジャマして、実際の体感としてなかなかできていない。

自分のなかの感覚は、暴れ馬か悪魔で、理性の手綱で強く引きとめておかなくてはならない、という強い盲信がある。

ときと場合によって、理性の手綱は、必要なのだろうか。

それが感覚と経験で創られた古い型を見えなくしている。

 刀をコノヤロー!と振ろうとすれば、発射台となった我が身は居着き、止まる。

だから、刀に振り回される。

というより、刀に全身が先導されるが、つかず、はなれず、ソッと一致してついていくように。

素手の場合「指先から動け」というのもそうなのか。

これが難しい。ヨッシャー!と速く振ると暴走。ユックリ…と、意識しすぎてブレーキかけすぎてもダメか。

居合は「極めて静かに抜かなければ、一生手癖が悪い」とするのも、少しニュアンスをカン違いしていたか。

私は上段から斬りおろすとき、刀が走り始めた瞬間、胸のあたりから腰のあたりが、全身から一瞬ズレている。抜け落ちている。

同じことは、他の武器術でも、体術でも同じか。素早く打ちこんだと思っても、スターと衝突時だけ意識が強く、その途中は目をつむっている。ひとつのことにとらわれて、自分に酔っている。思えば私は、そんな打ち込みばかり無数に繰り返してきた。

そのスキマから、技が壊れる。敵にも差し込まれる。

動いている途中も、ひとつに凝り固まった状態ではなく、満ち満ちて自在に動ける状態、つまり平常の心身でいなければ、武技としては…とフト、考えさせられた。

 私にとっては、できそうもない、遥か遠くのことに思えてしまうが。

上段から斬り割ろうと力むほど、威力は増すが、身はその場に張り付けられて動けない。

ここ二週間前からの勝手な推論。体重計に乗り、上段に構えたときも、振り下ろしたときも、針が動かないのがいいのではなかろうか?つまり、構えも斬り終わったときも、  全身のバランスに異常な増減が発生しなければ、居着きから開放され、自在さや速さにもつながろうか。

今それを家伝の奥伝で試している。生意気にも。

おっと、また理屈に縛られている。

 下田氏のいった、両手を挙げることもいいが、片側が落ちるから、片側が上がるという動きもあるのでは…という話。

 確かに新夢想林崎流居合では、スネを斬り払ってくる相手の腕を、片手上段から切り下ろして止めるとともに、座る所作が多いなあ…。

 昨年、北辰堂で甲野師範からの一言で、少しできるようになった、さばく家伝小太刀型。

 あの型だけ、なぜ甦ったのか。そこから何を読み取るか…と、悩む帰り道。

 などなどから、ちょっとひらめいた。部屋で木刀を持つ。

 諸手で、胸の前に剣を立てた「陰の構え」または上段から斬ったときだ。

 なぜ、斬り下ろしたときに、足が止まるのか。

 岩木山中の凸凹荒れ地で、走りながら前後左右の草木を斬り払おうとして、できなかった。

 いくら速くやっても、刀を振る動作ごとに、いちいち私の足が止まるからだ。

 力んで斬るたびに、過剰にプラスを発生して、カラダのバランスが破綻して苦しんでいる。

 それを解消するためには、いくら動いても、全身上下左右の、プラス・マイナスの帳尻が合うことか?釣り合いか、正負の法則か。

 だからといって、コノヤロー!と斬っても、ソット帳尻合わせましょうと計算して斬っても、どちらも微妙にズレて、足は床に張り付き遅くなる。

 なぜ張り付く…!?と自分のカラダの細部を分析するほど、動かなくなった。

 なんだか知らんが、フィーリングにまかせよう!どうせこの剣術は、前近代の感覚で拓いた技術なのだ。イケル感じだよ…と、アタマがかすかに、ウスボンヤリと感じているぐらいに。足の重さが雲のように消え…。

 うまく説明できない。うまくいったとき?は、手応えがほとんどないが、力んだときよりも、斬りは速くなるし、両足も動ける。

 でも、その釣り合うポイントは、掴もうと思えば、握りつぶしてしまいそうな微かな存在に思える。

 それがわかると一回一回の斬りが、なんと難しく、斬新で楽しいことか。

 こんなんでいいのかな…。稽古になるのかな。もう少し工夫します。

 一方で、約十キロ体重を落としたのに、自分の身体の重さが変わった実感がまるでない。

 でも、お米十キロの袋を持ったとき、驚く。こんなに重いのが、身体から落ちたのか!?

 同じ十キロでも、全身に少しずつ、分散してまとっていた重さと、腕だけで持った重さとでは、体感がこんなに違うとは…?

 武術では聞く術理だが、ホントにそんなことあるのだなあ。

 偶然にもダイエットは、それを体感で教えてくれたか。

 明日から京都へ行く。

(是非とも、「生きた」新夢想(神夢想)林崎流居合を復活させ、津軽の人々の誰もがフリーで使える、武の共有遺産にしたい。

いま、やらねば、再び永遠の闇に消えていくだろう。

だからいつまでも一本目に拘泥せず、互いの共通課題として、稽古のたびに、ひとつずつ形を、未熟なりに探求して次々進んでしまう。

全体の輪郭をつかんでから、また戻ってくる。

その循環の探求のうちに、全体性と、個別の形の役割、互いの形のリンクが感じられてくるのではないか?

という古剣からの提案に対して。)

林崎の稽古 是非お願い致します。

囃子の世界も似ていますが、西洋音楽に慣れ親しんだ身体と価値観で祭囃子を見ても、貧相で幼稚なものとしか映らない。

こちら側の感覚が分かってくるような身体や感性になっていると、とたんに面白く感じる。

そんな事があるはずだと、思いながら、津軽の囃子を習得してきました。ますますその感覚が強くなっています。

武術の世界もなんだかに似たような事がありえる気がします。

スポ根的に見たり、工学的に解釈すると味気ない型の数々でも、その頃の人達と似たような身体の感覚になっていくと、とたんに型という回路に電気が流れるのではないかと思うのです。

そうだとすれば、現代の運動の知識はほとんど当てにならないのかもしれない。 

囃子の場合は、難易度というよりも、見ているものが根本的に違う、という問題がある。もともと、違うものを見ているわけだから、出来る人と、上手く行かない人が出てくるのは当然です。

それを、「大多数の人が理解できない」という理由で、「特殊技能」となってしまうわけです。

見ること自体は難しくもなんとも無い。でもそれをちゃんと見ないと先に進めない。

そういう意味から、型の稽古でも、自分の身体に聞きながら、型を繰り返すと、10回やっても、毎回新鮮だと思うのです。

なんとなく道筋が見えるような気がします。

 実用的でなければ意味が無いが、即実用へという考え方は落とし穴です。

まずは芽がでて、それを育てると、完成するというようなイメージがあります。

下田氏と、スーパーセーフの面に、オープンフィンガーグローブ、剣道の胴を付けた。

今まで、ライトコンタクトやグローブをつけた簡単なボクシングはやったことがある。

一度は勉強してみるべきだと思っていた。

双方ともビギナーなので、スタイルはどうでもいい。顔面を思うがままに殴り、それをさばいたりするサルマネをした。

互いに威力も弱く、いまひとつわからなかったが、私の誇大妄想は解けた。

これは稽古の一助であって、全ての解決策ではないな…。

「殴り合ってみないとわからない」という言葉は確かだ。

しかし、慣れ親しんだ、竹刀剣道の地稽古と、方法を変えるだけで、若さとともにスグに私の限界が来るであろうこと。デカい人にはかなわないであろうこと。

何より、私の根本的な動きの質は、なんら解決されないであろうことを、ハッキリと実感できた。先の先や、後の先、一撃打った後、居着いて止まっていること、など…。

たとえ私が慣れて、ハードパンチャーになれても、また再び同じ問題に突き当たるだろう。

私の場合はだ。その意味においては、長い間の疑問が氷塊した、いい学びであった。

一方で、防具を着用していることが、感覚をマヒさせることもあるのか。

G師範の体術は、全く防具を使わず素手で、痛みのあるライトコンタクトだ。よく考えられた方法なのだなと、改めてわかった。

例えば剣道防具を着用すれば、思い切り竹刀で打ち合える。

だが、素面素小手になって、木刀や真剣で構え合った瞬間、全く世界は変わる。私の心身は凍り付いている。特に刃引きの真剣の切っ先の怖さといったら…。

下田氏は言う「あなたは、殴られた実感を確かめたいというが、竹刀や木刀で叩かれて、痛い体験をいいだけしてきたはずでは…?それより感覚、感性ではないだろうか…?」

根本的な自分の動きを。いや、即応できる、生き生きとした感覚を、心身を。そのための内観を。

つまり、多くの人とお付き合いしたからといって、人間のレベルが高まるとは限らない。

単に、調子がいいヤツで終わる、つまり目先の対応で終わることもあろう。

もうひとつ、己自身を深く見つめる眼が必要不可欠だ。

それはたぶん、動きも同じなのではなかろうか?

かつて笛やスキーの上達で苦しんだ経験を下田氏が語ってくれた。

上達を妨げるものは自分の中に沢山いると思うのです。

自分のイメージ通りの上達を強制する存在、

出来ない事にあせる存在、

羨み妬む存在、

しがらみに縛られた存在、

過去の自分、

模索を無駄なことと考える存在、

新しい自分に戸惑う存在

謙虚さを安全地帯と考える存在、などなど

そういう自分の中にいる連中と一緒に頑張っていると、感覚はどんどん鈍くなっていく」

これらは未知を見つけるときに、感覚を拓くということか、私は、自分を封じているものが多いなあ~!

 今日の定例稽古会では、皆さんからそれぞれの体術を教わった。

本覚克己流では、無刀氏によって危なく、肘を壊されるところをした(笑)。ホントにこの柔術は逆関節を極めながら投げたり、投げながら膝を落としたり、ゆっくりやってもケガしやすそうだ。

S氏には、柔術の突きやさばきの稽古法と肩肘関節の極め方を、G師範とH氏にお相手いただいて、対警杖取りの組み技などを。G師範のボディーが直撃、強烈だ。

ますます武器術は少数派になったが、S先生には、刀を振り下ろすならともかく、振り上げるとき、どうすればナマの力ではなく、自然と挙がるのか、ということについて、貴重なアドバイスもいただいた。

それにしれても素手の技術は、小人数でもこれほどバラエティーに富むのかと驚くばかりだ。

今から私が学ぶには遅すぎるのだろうが、それぞれの外形の違いに惑うことなく、共通する要素を感じ取りながら、これからもみなさんにご教示をいただきたい。

その意味では、私だけ得している稽古会で、みなさんにメリットは無いのではないか?私のために、ボランティア指導に来てくれているような。ありがとうございます。

実は、和やかダラダラ稽古会に思えるが、見ようによってはキツイのだ。

だって安心する答えが無い。様々な方々にもまれ、自分の立てた問いが揺らぐことばかりだ。

だがその辛さに倦んで「俺はこれでいいのだ」と閉じこもるのが、この稽古会ではない。

ヘーッ!こんな方法もできるのかあ~!!という、パラダイム転換の喜びを感じながら、少しずつ歩んでいきたい。

 農業に従事しながら、福島県の民俗研究をされた橋本武氏。

田下駄「なんば」の研究から「なんば(ナンバ)歩き」にも、ブームになる以前から言及されていた。

 「なんば」は「南蛮」と書き、唐辛子の形状に似ているとか、渡来品、近世の「駿河志料」による難場(難儀なところ)で履だという説、貞享元年(1684)の佐瀬与次右衛門「会津農書」の「南蛮大足(カンジキ)」などの様々な説があるとしながら、いずれもにも疑問を投げかけている。

 他にも山口賢俊氏が、越後佐渡地方で藁製の履物で雪を踏むが、その体を左右に傾けながら歩くかっこうの人を「なんばに歩く」と語ったとの報告。そして、田下駄の研究者、潮田鉄雄氏による、能や日本舞踊で足をすり足にして歩いたり、手足を同時に出して歩くことに「なんば」ということばを当てているということを紹介。

橋本氏は「なんば」の「なば」は「ないば」といって、苗を結ぶワラ、苗場、苗場を踏むなどと関連し、「なんば」は苗とみるべきかと述べられた。

 なかでも次の箇所が面白い

 「かつては兵隊にとられ、行進に手足を同時に出す人がいた。消防組の検閲などにもこのような人がいて、笑いの種であったが、江戸時代かの歩行法の慣習の名残りという人もいる。とりわけ「なんばに歩く」といわれる地方もあるほど、農作業が癖となって常の歩行、屈伸に及ぼしている。概して農作業は前かがみ姿勢が多く、民俗芸能などの田植え踊り、大黒舞、田楽などは前屈伸動作に終始するようである。

 以前に湖西(秋田県猪苗代湖)の湊町地方では、農繁期にこびる体操、腰のばし体操を全田圃にスピーカーで号令を流して、農民の腰まがり予防体操を実施したことがある。(原文のまま)」橋本武「猪苗代湖周辺の田下駄」(戸川安章ほか『北海道・東北地方の民具』明玄書房1982年)

ここ100年で、日本全国のムラ、生活のすみずみまで、近代の西洋的な身体が入り、「あるカタチ」に矯正していったのだろう。

 「なんば」が何か?という議論よりも、ここ100年で私たちのカラダが大きく変わってしまったこと、カラダの使い方はひとつではないこと、に気づくことが重要なのだ。

 古い武術をやる前に、土台となる私の身体が「近代」に染まっている。

 日本風の寿司を作ろうとして「SUSHI」「スシ」になってしまっている、海外のレストランのようなものか。

 そのようなズレは、わかっていても、なかなか直らないものだろう。

 ならば、その近代的な身体で、近代的な格闘技をやった方がしっくりくるだろう。

 でも、ルールに合う動きが、誰かに号令かけられるブートキャンプのような一斉運動が、やがては、国民の身体の管理から、社会や国家の維持、運営へつなげていくシステムの一部だった近代がある。今もそうかもしれない。

だから、制度や基準から離脱して、勝手に自分のカラダの野生、自然に聴いて「アヤシイ武術」を稽古することは、ささやかでも、反社会的な行為なのかもしれん。

 いや、全く相手にされていないだけだったぜ…。

 旧岩木町では、「農作業をやった人ほど獅子踊りが上手い」という方がいるらしい。

武と舞のことも考えている。今度、下田氏と、ボクシングでも空手スタイルでもない、拍子も身体もリズムが溶けてしまったように、津軽の盆踊りの舞いが、体術につながるか検証してみる予定です。

 週刊文春で、青森ネブタに感動した林真理子氏が、弘前ネプタの乱れを嘆いた。

 これを受けて「同じ県民として恥ずかしい」という新聞投書。

 他県の意見に左右されて、自分たちのスタイルを変えようと焦るのは、大正時代のネプタでもあった。

 ところが、現代の弘前人はたくましい。祭りの規準作成を巡る会議では「それぞれのネプタがある。祭りは観光客のものじゃない、実際にやる私たちのものだ。」という意見が大勢を占めたようだ。

そして「たった一回見ただけの人間が、祭りを判断できるか!」と怒りの声も。

 それを見ながら、なんと頼もしい!と思った。津軽の男だ、ジョッパリだ。

最近、世の中を覆い始めている、安易な均質化、グローバリズムに、実感として異議を唱えている。だから、辺境の津軽に住み続けているのかもしれない。

それを拝見しながらフト、どうして津軽の武術は、こうならなかったのだろうか?なぜ、それぞれのやり方がある。としなかったのか?と…羨ましくなった。

近代以降、みんなで一律、中央化へ。

それ以来、武は自ら探求するものではなく、中央から受け取るものとなった。

我々のやり方があるんだ!と胸を張る少数派は、変わり者扱いなんだろうな…。

一方で、全国組織の序列化の末端で苦しんでいる。もっと全国レベルに…!と

規準は、ルールは、中央組織が作り、一方的に通達される。従わなければ参加することができない。それが近代スポーツの特徴、中央集権的性格だ。だから、それに追随するうち、一生、末端なのだ。誰のための武なのだろう?

半ばは中央に、だが最後は己自身の道を、という、したたかなスタンスはいかがか…。

 素手の武術の多くは、威力と重さが必要といわれる。これは速さを競う竹刀剣道からすれば違和感があった、という話をしていた。

すると下田氏は「武術の威力とは、何キロという数字で表せるようなものではなく、複雑な様々な条件がからみあった、全く異なるものなのではないか?」

「威力も、ある程度の重さがあったら、それでいいのであって、あまり威力ばかり追求すれば、技全体が変質してしまうのではないか?達人に小柄が多いのは?」というご質問にドキリ。

ナルホド…。下田氏の津軽の笛はかなりのレベルである。その稽古は、楽譜も無しに、五感だけ、見よう見まね、という昔ながらの方法だったという。その際に、音に色や感触のあること、いままで聞こえていたのに気付かなかった音があることに気付いたという。また、共感覚というらしいものを感じたらしい。

なにより、同じことを繰り返しやれば上達するのではない気がする、という言葉は重い。

つまり学びには、やり方、「問いの立て方」が重要なのではなかろうか。

受験やクイズで一問一答式ばかりやってきた我々が見落とすことだ。

同じ資料を見ても、何も見えない私がいれば、クロード・レヴィ=ストロースのように、目からウロコが落ちる示唆を見出す人もいる。

○○の試合で勝ちたい。○○の技がうまくなりたい…。と設定したときに、実はその目標のレベルによって、我々の術自体、成長度が決まってしまうのではなかろうか。

これは研究論文も同じである。ウケるため、学位をとるため、という予定調和、効率を目指した研究と、何よりただ知りたいのだ!という本来の学びかどうか。長く生きて経験が多いから高い人格で、若いからまだまだか、とは限らないということでもある。

遠くに求めた極意は、足もと、まつ毛の先にあると古人は言った。

それをますます遠く、わからなくしているのは、私自身の頑迷さである。どうしたら、本質につながる、利口な問いを立てられるのかっ!

武と関係なさそうな、私自身の日常と、仕事、研究は、「問いの立て方」で世界が全く変わってしまうことを知るための、用意された重要な学びなのだろう。

 最近、津軽の日本海側の海底から、未知の宗教遺跡が二か所発見された。そのうちニュースになるだろう。しかし遺跡は、従来の記録に無いようで、地元でも全く予想もつかない珍事に、首を傾げている。従来の歴史ストーリーの上に置き場がないのだ。

理解できようとできまいと、想定外の未知が、実際に身近にある。見えるかどうかは、己自身にある。

 深浦の有名祈祷寺へ資料返却。休み時間に工夫。

このお寺さんとは相性がいいのか、いろんなこと気づく。昨日の生々剣、より足首のコワバリを開放し、草木のようにユラリと立ち、全身をフワッと広げて風を受けて、微妙に落下しないで漂っている凧のように。立っている感覚が全く変わる。

家伝の「腰のはまり」「全身のバランス」は、解剖学的なことよりも、こんな感じかな?

 ここから、なんども蹴って飛び込み、足裏にタコを作り、皮をむく徒労、永遠に続くフェイントの疑心暗鬼とは、間逆の世界に行きたい。ラクで涼しくて、遅いようで、いつでも相手のスキマにスルスル浸透していく世界を。

 そういえば、宮本武蔵は「五輪書」のなかで、姿勢について、うつむかず、仰がず、傾かず、つま先を浮かし、カカトをつけ、尻を出さず、肩より総身は均しく覚え、首筋に力を入れて…と説いていた。だんだん現代剣道から遠くなるような…。

 カカト、足指をそのようにした上で、膝を和らげ「えます」と、床に張り付いた足が解放されて、重心の移動と同調して、蹴らずに自ずと歩みが出るように。全身は濃淡がなく、布を垂らしたような。

実はこれで、願立剣術物語のいうように、相手を目当てにしないことができるのか?剣でも素手でもと考えている。

でも歩み始めると、敵を意識したとたん。どこかが力んで、体重を落として、居着いていく気がする。何かを目標としたときに、自ずとその目標に、自分自身の心身が縛られてしまうのだろう。これは5歳から、いいだけ対人稽古をやってきた私にとって、骨の髄まで沁み込んで、ぬぐい去れないことだ。

 とにかく歩み。そのとき、武蔵の説くように、力の入らない「うなじ」を力もうとすると、それによって他のカラダに意識が回らず、自ずと「肩より総身は久しく覚え」となるかと感じた。

 信じるな。勝手な実験です。

 先の先、後の先が稽古できない。

昔の竹刀剣道では、対の先、対対の先という言葉も使ったようだが、最近はあまり言われないようだ。

竹刀剣道の稽古では、常に言われる。いや自ずとイヤと言うほど体感させられる。

たぶん空手、柔道の世界もだろう。

これを上手くやると、パワー対決を超えて、枕の押さえ、スタートでコケさせる、誤発射させる、空振り…などという様々な現象が生まれる。

私は、いつもやられる方なので、偉いことはいえない。

型稽古でもやりたい。そうなれば、もっと型は無限に語り始めるだろう。

急激なダイエットで、全身がフラフラ。独り稽古で全身の調和を取り戻すのだ。

生々剣に戻った。腕を揚げ始め、バランスが傾いてから歩み始めるのでは、ダメか。それではカラダがこわばっている。アタマでカラダを止めている。

カラダにまかせれば、かすかでも、腕が動き始めたと同時に、自ずと歩みが発生する。同時に「腰のはまり」。つまり、全身を取り残さずに、尾骶骨もその流れに滑り込んでいくのが必要か。意拳の歩法から、勝手に発想。

意識してやると、ギコチなくなった。でも、動いている途中、考えたくてアタマがむずがゆくなる。

そのためには、膝や足裏の遣いだけでなく、足構えもキーポイントだとひらめいた。

夕食時にイスに座る瞬間、ここ十年間、捨てて省みなかった、祖父のメモのスケッチがひらめいた。

古武術ブームで「低い腰」の重要性を聞いた私は、その足遣いを明治以降の近代化した竹刀剣道の影響ではないか?と勝手に邪推し、有名流派のマネを始めてしまっていた。

ところが自分のカラダに聴くと、私にとっては、祖父のスケッチの方が大変調子が良い。

祖父のメモは、幕末のサムライに教わったメモだ。

素直に受け取るべきではないか。子孫である私以外、誰がそれをやるか。

フラリと無構えに立ち、腕を上げながら、足が出る。いや、ただ、歩いているだけか。

たった十数センチ、歩幅を変えただけで、足のつっぱりが消え、ラクラク歩めることか。

竹刀剣道に応用すれば、構えを解いた下段のような姿勢から、中段の構え、面打ちの動作を、区切らずに、蹴らずにスーッと動くのにも似ている。

学生時代、仲間同士の地稽古で、たまにフェイント代わり使ってイケた打ちだ。現在は、偶然にも父が地稽古で使うらしい。

飽きてきたら、剣を捨て、キックスタンド相手に、素手の拳と蹴りで打ち込んでいた。

というより、拳を突き出した姿勢のまま、ツルーッと滑って全身で衝突したような。

たまたま当たる先端が拳だっただけ?こんなんでいいのか?

でも剣道人が突き蹴りをやるなら、この方法がやりやすいかもな。

固いアタマを柔軟にすれば、家伝剣術の理合で素手も…と勝手な工夫をする楽しみ。

 やっと、二つの論文から、解放された。

 パソコンに向かう眼と指、アタマばかりが異常に興奮している。

 なんと窮屈な。文筆活動をメインとする方の多くが、カラダを衰弱させてしまうという。

 俺はこんなアンバランスには耐えられない!

 やっと稽古できるぞ

 夜、床の中で少しずつ、骨と筋肉のスキマから、コワバリが抜けていくのを確かに感じた。

 剣を持つには、食事のハシを持つように、両手で拝むように。両手で水を入れたウツワを捧げて歩くように、などと、古伝の剣術は説いた。

 実際にやってみる。

 重いものを持ったときよりも、軽く、それも壊れそうなものをソッと持ったときの方が、自ずと全身が微妙につながる気はしませんか。

 その上で、竹刀を、刀を振ってやろう、パンチを出そうとしたとき、そのバランスが壊れる気がしませんか。じゃどうする?

 家伝剣術の例え話。水杯を、棒の付いた板に載せ、ユラユラ振る、あるいは輪に回す。いい拍子ならば、水はこぼれないという。もしかしたら、これは、音楽的なリズムだけではなく、動きの質も含んだ話ではないかな…。

 この間、無刀氏と本覚克己流の「腕流」の裏をユックリやった。相手の右腕を両手で抱えてヒジを極めるのに、なかなかうまくいかない。

 うまくいったときは、腕に力を込めるのではなく、自分のカラダの濃淡、区別が消えて、両腰骨のあたりから、スッと全身が一致した感覚があった。

 動いて、いなしてくる相手にはまだ通じない。今はそれでよい。目先の損得で形のメッセージを見失うな。

形は、術理の容れ物にすぎない。道具だ。

だから、容器のカタチは何メートル、何センチ…ということより、

中に何を入れるかだ。

形には、ココロだけではない、実際のカラダも入っている。

中身を知るには、稽古の実感が無いとわからない。

カタチはどうでもよい、自由に動け!とやっても伝わらない。

だから、仮の容器を使って、他人に手渡すのだ。

絶対の容器など無い。いろんな容器があるだろう。

どの容器がいいか迷うより先に、

ご縁のあった容器でいい。本質を探るのだ。

もし、自分の容器が変形していても絶望するのは早い。

もともと形は、人間のカラダ、自然から発見された。

そこに戻ればいい、自分のカラダに聴けばいい。

ところが容器に、経済原理、組織の論理…が入ると

中身より、容器が大事になる。

「正しい形を」「動きに著作権をつけよう」

これは本末転倒だ。

よし、カタチを覚えた。さあ、かかってこいっ!!あれ?うまくいなかい…?

とやるのも愚かだ。

相手が自在なら、我も同じに、形に拘泥せず、変幻自在に使えばよい。

例えば、自転車の乗り方に基本がある。

でも、その動きばかりでは、にぎわう街は走れないだろう。

だから形は生命を失った。使えなくなった。

 古剣氏に頼んで、修武堂のトップページに『純金こけしオーナーズクラブ』というバナーを貼ってリンクしていただいたが、諸兄方々には何の事か解らないでいると思う。

 『純金こけしオーナーズクラブ』とは、津軽藩分家の黒石藩のあった黒石市というところで、今行っているイベントである。

 黒石市は、実は夕張をはじめとした破綻もしくはもう『死に体』の自治体となっている地方都市のひとつである。

 こんな書き方をすれば、何だ!と憤慨する方もおられるかもしれない。しかし、今や自己破産・生活保護というような類いの言葉が、何も恥ずかしく無くなった時代。もはや、見栄も外分も捨て、ともかく生き延びねばならない時代である。

 飢餓飢饉の時、最初は分け合う事もあったかもしれないが、最後になれば体力のあるものが生き延びる事になり振り構わない。これを浅ましい本性と誰が責める事が出来よう。

 日本全体、下手をするとそこに片足を突っ込んでいるとも言える。今、こっそり自分だけは抜けようと逃げ出しかけているモノ・者すらいる。これまた世の常だ。

 ただ、まだ、活路はある。栄光ある勝利ではない。生きるという権利を、確保する事という意味だ。人間はプライドがある内は、動物はこれを持って(生きれば勝ち)良しするのに、中々納得出来ない生物なのかもしれない。武士は喰わねど高楊枝とは言うが、喰い生きる欲には、最後はかなわない。

 ともあれ、かの『ふるさと創生資金』という名であっただろうか、さもどこからか湧いたような金(実際は私達が払っていただけ)を地方自治体に、政府を恩を売るかのようにバラ蒔き、この黒石市は地元の工芸品であるこけしをイメージして『純金こけし』なるものを作り、観光の目玉として付加価値を持たせる事を考えた。

 が、経年、色々あって市の財政はひっ迫、借金は約450億になると聞いた。毎年その金利を払うのにヒイヒイ言っている。

 そういう話しは、どこにだってある。家なら一家離散しているという話は、もう麻痺して驚きはしない。今有名なところでは夕張市がある。

 しかしこの夕張市。ある意味、『夕張』というブランド名がある。メロンばかりではない。だから企業などが梃子入れに参入しているという話しすら聞く。実際行ったわけではないが、少なくとも『名』がある事は、復興を模索するには効はあるはずだ。

 だが、この黒石市。そこまでのパワーバリューは無い。再度断っておくが、ここだけがそうだというわけではない。近くに大鰐町というところもあるし、実は表立ってはいないが財政苦しい地方自治体はまだ、しかも腐る程あるはずだ。

 しかし悲しい事に周辺地域では、貧乏借金だらけの町と合併するのは堪らんと、あからさまに仲間はずれ。周辺地域のお荷物とか癌とまで言う輩すらいた。

 愚かな話、お荷物というならば癌というならば、何とかしないとその影響病魔が自分達まで侵食してくる事をイメージ出来ないでいる。

 だからどう出来る話ではないが、せめてだから、当の本人(黒石市)が何かしなければならないのに、宮崎の東国原知事のように宮崎が良くなるなら道化でも何でもする気概もない。

 苦し紛れの、けれど焼け石に水の、純金こけしの売却で金利補填したらいい…などという短絡的な思考やら、ならばと市民運動として「なんとかせにゃならん」というシンボルとして打ち出した『純金こけしオーナーズクラブ』を、「そんな事やったって何になる」「一口の値段が高い」などと勝手に陰で言うだけで、何の動きにすらなっていない。

 『反発』『疑問』も動きである。『純金こけしオーナーズクラブ』を仕掛けた人物は、それすら、良しとして仕掛けている。しかし、表だって来なければ、喧嘩をふっかけて来なければ、何もそこに発生しない。

 ポジティヴに計算すると、市民が一家族一口加入するだけで、それは達成出来るらしい。しかし、呼び掛けても差程集まっていない。リミットはもう間近なのにである。かえって、まったく違う地域の人らが、マスコミやネットで見て聞いて意気に感じ、応援し、加入してくれている。

 ボランティアも募集したが、実は誰もいない(多少の申し出はあったようだが)。黒石市民が想いしなければならない運動なのに、市民がいないのである。これには、唖然とするばかりだった。

 私は、その話を聞いた瞬間、馬鹿に火が付いた。最初は宣伝に協力する事はしていたのだけれど、あまりにも悔しい話だと思って。崇高なボランティア精神からではない。ただただ頭に来て…。二三知っている黒石市民に、それとなく聞いた。

 「ああ…。あのオーナーズクラブね。一口払うぐらいだったら、明日の生活費にするよ。高いんだもの。」一口一万円である。当初は二万とも聞いた。「もう少し安けりゃね~。」

 そう言うなら、そう言いにいけばいい。そういう提案すればいい。今、この企画を回しているのは、たった一人。そういう意見からの発想展開が出来ない。ただただ、陰口だけ。人間ひとりの発想なんてたかがしれているのに…。

 立ち上げの際には、市のお歴々が名を列ねているが、実質一人。企画も練り込めない。戦略も人材がいないので立てられない。必然戦術も立てられない。

 一寸法師のように 針の刀を振り回してチクチク散発的な仕掛けしか出来ないのである。地域存亡の時にである。戦なら、負けたら城を明け渡さねばならない。だからこそ、今とりあえず何かをシンボルとして、力を結集する一石になればと思ってやっているのである。

 そのビジョンが見えないのか、民衆が短絡的なのか、『純金こけしオーナーズクラブ』=買い取りのためとしか理解していないようなのだ。いいや、多分本当は知ってはいるが、行動する気にはならないようなのだ。

 誰かがすれば…そんな感じ。困った話である。

 私が半ば罵倒するように言えるのは、この街の人間だから出来る事なのかもしれないが、少なくても何の益をも求めず、私は肩入れしている。

 これはこの地域だけの問題なのではない。近隣の地域、県しいては日本人の悪しく巣食う問題であると捉えて。今、私は余生のカウントダウンが始ったと思うにつけ、いつもどこかで見て来たこのような様に辟易し加担する事にした。

 だから、場違いなところでもどこでも、ちょっとでも『黒石』という街があり、今ここが瀕している状況を話そうと思ったわけである。

 今これを仕掛けている人間の名は 柴田正大。東京でコピーライターをしていた。老齢の両親の介護の為にUターンして来た男である。

 おおよそこんな土臭いドロドロした事が似合わない感じの男と私は思っているが、その彼が何に揺り動かされ、このように今生きているのか興味があり、加担してもいる。これは、仕事柄マンウオッチングする性かもしれない。

 でも、そんなの関係ない。

 彼に、初対面の時に聞いた。「コピーライター?ここじゃ喰えないでしょう?」今でも思い出す。地方に来て、これ程勝算の薄い商売はないと思ったから、素朴に聞いたのであるが、彼は薄笑いを浮かべ

 「そうとも言われますが、この商売、この地でやっている人がいないという事は、商売仇がいないという事でもあるわけですから、とてもおいしいとも言えます。」言い得て妙である。確かにそうだ。

 『なんだこいつは?絶対勝算あるわけじゃないのに、痩せ我慢じゃ無い自信のようなモンは?』聞けば、老年の人達で、農民運動青年活動した人なら、一度は聞いた事のある傑物の孫だとか。「はやぶさの柴久」こと柴田久次郎という。

http://www.poblog.jp/user/kimusyu/index.php?blog_no=41&category2=553

 何度も時の権力に投獄され、脱獄すらしたという人物。そのすばしっこさから「はやぶさ」という名が付いたのであろうか。修武堂的にいうと、柴久翁も何か武術的な事をやっていたのでは?などと思わずにいられない程、武勇伝はあるらしい。

 黒石は、探れば津軽藩城下で失ったような武術伝書が、免れて出て来そうなところでもあるから、隠れた才人が居たかもしれないと、密かに思っている土地でもある。

 今とある関取に注目していて、彼が引退後、今でいう異種格闘技の興行をした史実が残っている。名を綾川五郎次という。事業家であった。

http://www.7-dj.com/kurobun/08_ayakawa/08_ayakawa_01.html

 じつは、彼と本覚克己流、ダメでも時代的にコンデ・コマこと前田光世(グレイシー柔術の祖?)との接点がないかと思い耽っている。

 ちなみにこのURLの黒石人物伝を編纂しているメンバーのひとりは、正大氏の父黎二郎氏である。彼の父はジャーナリストとして、地方紙の編集局長をしていたとか。

 今 津軽出身で密かに注目されている陸羯南(くがかつなん)や、佐藤愛子サトウハチロー氏の父佐藤紅禄(ちなみに彼の生家跡地は縁戚の店になっている)も作家に転身したが確か前はジャーナリストだったから、面白い方だったに違い無い。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=%8D%B2%93%A1%8Dg%98%5C&lr=

 さて その綾川が、とある事業を起して住んでいた場所に縁あって住んでいるいるのが、この柴田家。今は「はやぶさの柴久」の孫である正大氏が住んでいる。

 ともあれ正大氏。飄々としていて、『武』的な様相は全然無いと言ってもいいが、それこそ『言葉を紡ぐ』という行為にそこまでするかと思う程、してきた仕事の話を聞くと、鳥肌が立つぐらい言葉も『刀』かと思わせるし、その時の氏の眼は寄らば斬るぞという武士のぎらりとした眼に見えた程である。

 話しは 相変わらず飛んで歩いてしまった。今この「はやぶさの柴久」の孫 正大氏に応援して欲しい。

 する事は、一口加入してくれる事…ではない(それはそれで有り難いが)。ともかく、『純金こけしオーナーズクラブ』というのがあり、黒石市という街の事を、一人でも多くの人に知らしめる事。

 リンクしてくれてもいい(『純金こけしオーナーズクラブ』はリンクフリーにもなっている)。口伝えで教えるだけでもいい。その中で余禄のある方は加入していただければいいのである。

 これだけ端で注目しているというカンフル剤を、この街にこの街の住人に与える事が大いなる目的であり、それによって周辺地域の住民の意識も活性化させて、よりよいビジョンを持てるようになりたいのである。

 実は、周辺地域も疲弊している…。

 だから極端な話、無形の恩恵には感謝する気持ちも持てない、無形の文化財産は腹の足しにはならないという風潮の中で、細々と個人レベルに近い状態でそれを維持しようとしている市井の人々がいる。

 津軽藩の武術なども、その一つ。刹那的でお寒い文化意識。

 だから、他の地より来られた方に、そういう話を聞かれても、あまりに答えられない自分達がいる。別な方面でも、Uターンして来た人達が、あまりに知らない我が故郷の事を、異口同音に言っている。伝えるという事が 疎かにされて来たというわけだ。

 だから私も、何に急き立てられてするわけでもなく、こうしてお先棒担ごうと思った次第なのである。急いで書いて内容はこの様であるけれど、ここを見られる諸兄氏方々に、一石を投じて、なんらの波紋となれば幸いでもある。

 なりふり構わずいいます。いろんな意味で、協力頂きたい。

   ケンカネプタ論文への執着から、心身が一枚一枚、はがれて、自由に解き放たれていく喜び。

論文の途中でたまたま出会った、民俗舞踊を実践されてきた小林正佳氏の著書「踊りと身体の回路」(青弓社1991年)

通勤電車でしみじみ噛みしめて感動。この本に出会うためにケンカネプタを勉強したのかもなあ!

この本のタイトルを「「武術」と身体の回路」と読み替えても全く違和感のない内容だ。

ここ10年、特にここ2年の修武堂、家伝剣術の試行錯誤で、ようやく目を開いてきたこと、意拳でお教えいただいたことなどが、この本に既に書かれていた。

道は違えど、小林氏のセンスの凄さと、目指すものがこんなに似ているとは、いや私ひとりの発見など、先人達がすでに知っていることだ、思いあがるな!ということだ。

10年前にこの本に出会っていたら…。と思うが、当時のバカさなら読めなかったかも。少し成長できたからこそ、いま…。

民俗芸能という研究分野はあるが、第三者、観察者に留まる限り、コトバだけで操作している限り、絶対に見えないことがあると確信する。家伝武術の稽古で実感としてわかってきた。

私だってそうだ。西洋合理主義に基づく「研究」という視点の一面性。それを知っているかどうかどうかで、全く違ってくるのだろうな。

まだ途中なので、その本のすべては説明できない。でも「形」の動きは、特定の天才のためではなく、世代を越えて、私のような無数の「凡人」のカラダを経てきたからこそ、不自然な動きは淘汰され、極めて理に適い、自然な原理に従った動きとなった、開かれた様式である、という意見には、目からウロコが落ちた。

もちろん形式主義とは無縁の形のことだ。

ならば、戦国末期から伝承されてきた家伝の田舎形でさえ、私がこんなにセンスが無くとも、耳を澄ませば導いてくれることになるか。

また、岩手県のさんさ踊りの太鼓と足どりを例に、リズムの頂点から頂点へ、あるいは形の一点から一点へ向かって動くよりも、一音一音の長さを生かしきること。

形ができあがったと見る間に消えてゆく、一連の流れを生かしきる。部分部分ではなく、全体に緩やかにつじつまが合っている。

という文章には目がクギつけになった。

これは、私の現在の課題である。下田氏の大太刀の袋竹刀と、私の小太刀の袋竹刀で軽く打ち合っても、剣道式の一本ずつ打ち切って、動きが心身が途切れることから抜け出せない。

今度は、格闘技用の防具を買って、素手で打ち合って試そうとして、同じことの繰り返しだと無刀氏にたしなめられた。

それでは、防具によって、逆に既存のスタイルにはまって、自分のいまの体力を使うばかり。すぐに限界が見えてくるだろう。剣道の竹刀稽古でずいぶん体験したはず。

むしろ、現在のような抽象画のような稽古の方が、いろんなものが紡ぎ出され、「育む」稽古になるのでは、という指摘だった。

「育む」いい言葉だ!

 加えて、本覚克己流柔術の一本目「腕流」は、素手であるが、家伝剣術の一本目「生々剣」の原理とつながらないか?とアドバイスを。

ナルホド…、また稽古お願いします。

 短期間で「健康的に」8キロやせた。

「身が軽くなったでしょ」というが、なんにも変らないぞ。

 あいかわらずヘタくそだ。まあ、空腹の方がやや感覚が敏感になる感じはある。

ケンカネプタ論文で、意外なことを学んだ。

 郷土史家船水清氏の本。市川宇門師範らが活躍した、明治期の弘前の町道場では、現在の剣道の竹刀ではなく、「ホーログ竹刀」といって割竹14本で作った袋竹刀で稽古していたという。

 その稽古は「ホーログ調練」といわれ、現代の剣道よりも激しかったという。

また毎年、正月の新年会では、市内の四つの道場が集まり、青少年が剣道着に袴のモモダチ、鉢巻で、木剣で戦ったというから寒気がする。

(船水清「ネプタ今昔ばなし」(同『新津軽風土記 わがふるさと 第三巻 黒石市・南津軽郡編』(付録)北方新社、1980年)

また、ケンカネプタの実録、大條和雄氏の「ザ・ねぷた」には、明治から昭和初期のケンカネプタ用の剣法として、なぜか我が家伝剣術がたくさん登場する。

家伝剣術を習った市川師範の稽古は恐ろしく、突きや投げ、組み打ちを多用したらしい。その風景は、稽古というよりケンカか潰しあいだ…。

 「ホーログ竹刀」らしき先祖の遺物が実家にもある。弘前は、近現代剣道がジョーシキになる「以前」が、身近に感じられるタイムカプセルがたくさんある。

  道は、たったひとつではなかったのだ。

   論文がなかなかまとまらず、家人には「いつも虚空をにらんでいて、何かにとり憑かれているようだ」と言われた。そのイライラと、節制も含めて、体重が七キロ落ちている。

久し振りに定例稽古に行った。

ここ一か月、ろくに動いていなかったから、今日は動けるか不安だった。見学も含めて、お客様3名、計約10名の少し賑やかな感じに。少しずつ慣らし運転。

S田先生からは合気上げを教わる。いままでのような背中や胸の操作を捨てて、相手にかまわず、ただ上げる。願立剣術物語の「初動、二度とゆるむまじきことぞ…」なんと同じことは、踊りの世界でもいう人がいた。それは後日にでも…。

久し振りに無刀氏に、本覚克己流和術(柔術)一本目の「腕流」をお願いした。

数週間前から思いついていたことを試したかったのだ。

でもそれがどういうことをやりたいのか、なかなか無刀氏へうまく説明できない

「ハイ、胸を取りに来たら、その腕を掴んで、もう片方で入り身に入る、イチ、二…」

というロボットから脱皮したいのだ。

以前は、相手のカラダの構造や反応を考えて、知恵の輪のように「こうですか?え?利かない?」とやっていた。相手が待ってるわけないだろ!

それに相手のカラダを読むセンスが無い私には、遠い遠い遙かな道に思えた。たぶん剣自体が、なるべく相手のカラダと接触していたくない、という感覚があるからか。

こんどの腕流は、相手の状態は全く考えない。中心線がどうであろうと、利こうが利くまいが、我が体が、指先からのびやかに安定して流れていくだけ。

相手が我が胸を取ろうとする、その先を感じタ!とほぼ同時に、後の先で、迷うことなく、ツーっと川の流れのように、処女脱兎の如く入っていく。さっきの「初動二度…」、意拳の歩法、護心館さんセミナー、剣道の基本稽古、剣術、無比無敵流の伝書…からヒント。

この体術ド素人の私でさえ、うまくいくと、自ずと相手の肘を決めるのと、入り身で体幹部へ斬り込んでいくのが一致し、効くことがある。逆に極めようとすればできない。

お互い複雑に暴れている瞬間、瞬間のなかで、接触してから相手のカラダを読み、合わせていくのは超至難の技だろう。それならば意拳の説くような、自己の安定を優先するという方が、納得できる。

形名「腕流」の通り、私の腕が流れていくぞ。そうか!「流れなくてはならない」ということか。いや腕は先導で、全身が一致して流れていかなくては。これは検討の価値ありかな…。

ただ、無刀氏へは、何をしたいのかうまく伝えられないままに。それに、このままのレベルなら、チョット間違うと、受けを取る相手の肘をホントに痛めてしまうだろう。それでは上達の道が閉ざされてしまう。

だからといって、ブレーキかけながらノロノロやっては、もとの黙阿弥か。

ケガせず、思いきり稽古するのは、これをどうやったらいいのか?

着替えながら、下田ゆうじ氏が、本覚克己流柔術師範代だった、S氏の亡き御尊父の話をしてくれた。師範は病床にあったが、いたずらで、下田氏の腕をスルスル極めて動けなくしたという。

帰路、いつの間にか、理屈なしに、りんりんと蘇ってくる心地よさがあった。

やはり動かないと、精神まで腐っていた。デスクワークのみの研究者はできないな。

ようやくまとまりだして、当初のドキドキ感が薄らいできた論文。いつまでもここにいては清流が濁ってきそうだ。

早く終わらせるぞ、次のワクワクが待っている。

再現された実寸大の北前船。全長32m、高さ28mの帆柱、千石積み(約150トン)。

現在、国内で最大、しかも唯一、航行可能な北前船である。

その巨体に圧倒されるが、船内は迷路か洞窟のようで、とても歩きにくい。

フラットな面は少ない。段差は大きく、窓や通路、さまざまなカラクリ部分、無数のロープ、四つんばいでやっと通れる入り口「猫クグリ」。

かつての日本人は、この狭い迷路を、野生動物のようにスルスルと動いていたのだろう。

ところがどっこい。安全に慣れ、なまったカラダの現代人が乗ろうとすると大変だ。

子どもはスルスルと急なハシゴを登る。だが、大人たちの多くは全くブザマな…。

船が揺れる。初老の男性二人が、まだ足腰は強いとばかりに、ダン、ダンと、床を踏んばり「どうだ!」とみせた。

いかにも、近代体育のやり方。現代の若者も同じ方法をやるだろうな。でも、それではキリが無い。なんと危なや。

かつての船乗りの身体は、こんな単純じゃなかったはずだ。

どうしようか。船に乗っているようで乗っていない、二本足でも二本足じゃない。

肩から下をグニャリと溶かし、軟体動物のように、足裏がヒタヒタと船底へ吸い付くようにしてみた。

でもホントに、我々は、生物としてかなり衰えたんだなあ~。

幼い頃、青函連絡船乗り場には「担ぎ屋さん」と呼ばれる、おばさんたちがいた。

自分より重そうな数十キロの大きな箱を、背中を折るようにして背に乗せて歩いていた。

そこを今は、老若男女がトローリーバックを引きずる。

周りの人にとっては、ホントにジャマなことがある。

まるで長く太い尾を引きずる、ノロマな動物がヨコを歩いているようで、思わず踏みそうになる。

それぞれ事情があるのだろうが、ホントはいらない人も多いのでは。

海外旅行でないなら、必要最小限、自分のチカラでもてる荷物を、欲望に、まとめる知恵が必要ではないか。

カラダは衰えたが、身にあまる荷物だけは増やしている私たち。

青森湾沖。北前船の帆走実験。

私は、現代のクルーザーで並走し、ビデオで記録する係。

ここ一ヶ月で5キロ体重を落とした。青い海と空でまた日焼けか。

先日のライブで、無刀氏や下田氏の斬られ役で、模擬刀で一寸だけ、斬られた指関節部のキズと、二の腕裏にあるかすかなキズが、くっついてきたのかカユイ。

 その瞬間はわからない。後で確認したらスーッと長く斬れていた。

 あれほど注意して、軽くやってこのザマだから、我々の未熟さとともに、かつての斬り合いが、いかにカンタンに体中切り刻まれたか、実感できた。

 さて、クルーザーは北前船に合わせて、同じスピードで走った。

 ここで不思議な現象が発生していた。

 帰港して「風が強かったね」という私と、北前船の乗員の話が食い違うのだ。

 わがクルーザーは、エンジン音とともに波に揺られ、しぶきを上げる。進んでいる爽快感。

 なのに同じ時間、北前船甲板の人にとっては無風、無音。進んでいる感覚が無い。眠くなるほど穏やかだったという。

全く同じ時空にいるのに、すぐそばにいたのに、これほど違う世界を生きていた…。

アインシュタインの相対性理論じゃあるまいし。

たぶん、こういうことだ。

いつも、自力で進もうとガンバるクルーザーにとって、風と波は永遠に対立する相手。

その分、反動を受け続ける。

しかし、風と波と、完全に一体化してしまった北前船にとって、それらは存在を消してしまうのだ。反動も雑音も生まれない。

だから、北前船でさえ、止まると風や波のゆらぎを感じ始めるのだという。

そしてもうひとつ。

風と波と一体化した北前船は、本人が静寂で安定しているのに、他の船にすれば、それとぶつかれば、物凄い衝撃力を受ける存在なのだ。

目からウロコが落ちた。なんだか、武術だけでなく、人生についても…、凄いことを暗示している気がする。

 最近、全体が一致して動く北前船に乗って、願立剣術物語の記述を思い出す。

 昨晩は、願立剣術物語のマネをしようと、木刀をまるで水を入れた器を捧げて持つようにして構え、その調和のまま振ろうとして、なかなかいかなかった。

次は、帆船が逆風に向かって進める、というマギリの方法について。

これこそ武術に使える?と考えたが、アタマじゃわからんから、ヨットで体感で教えてもらうつもりだ。

   ここ数週間、ケンカネプタの論文を書こうと、自分を追い込んでいる。

何かやろうとハマれば、回りが見えなくなる。

おとといは、どうしても論理の展開が通らず、数年ぶりにアタマが混線、ヒートアップする実感がした。眼精疲労で吐き気までしてきた。

材料を集め過ぎて、どう料理していいのか、手に持った包丁が動かない感じか、土石流のなかを泳いでいるようだ。

調査のなかで、我が血脈であと二人、刀槍で乱闘した明治・大正のケンカネプタに参加していた人物、そして実際に人を殺めたが、その心意気を市長に認められ(?)、後に重役に取り立てられた人物がいたことに気づいた。

病弱できまじめだったと聞いた曾祖父、そして二代前の叔父さん…。

今回のテーマは重すぎる。ドロドロと喜怒哀楽が渦巻いている。それに足をとられて見失わすに、どのように本質をとらえていくか…。武術と同じか。これは自分との勝負だ。

同じテーマに取り組んだ笹原茂朱先生は、何かに取り憑かれたように書いたと語っている。自分は未熟でそこまでいたっていないようだ。

寝転がったり、散歩したり、風呂入ったりして、もがく。

ついには木刀を持って、パンチスタンドを打ち始めた。

待てよ、俺は剣道のクセで、左腕で剣を支えて操作しているな。打つときも、左肩をジャンプボードに、剣を飛ばしているな。

だから遅いのか。体に濃淡をつけずに剣を扱わなくては重い斬りにならないかもな。

足で地面を蹴って打ちこむのが遅くて若さの限界が来るなら、腕だって同じだろう。

ポンポン、スナップで竹刀を飛ばすのは、叩こう!という剣の操法の一部しか使っていないのかもな。

願立剣術物語は、ハシを持つように、水を入れた器を両手で捧げるようにと書いていたな。つまりスッと剣を伸ばし、ひと筆書きのように、剣の変化が全身の変化とつながっているような使い方だってあるはずだ。

  武器は構造が安定しているから殺傷力となる。

 だから手足を武器にするには?

 水はつぶそうという意図はないが。常に変化しようとしている…。

いつもまにかノートパソコンへ戻る。

スーッと頭のなかに涼やかな風が通った!書けるぞ…!

目の前の霧がハラハラと消えていく、爽快感。苦しんだからこそ、この流れに乗った喜びはこの上もない。流れを逃がさないよう、怒涛のように一気に書いてしまえ…!

いま、青森も弘前もネブタの乱れを一掃して、伝統に戻せ、規格を作ろうと叫んでいる。

武道の世界と似ているな。

 たぶん、私のケンカネプタの論文は、眠り流しだ、七夕だ、盆の精霊流しだ…というキレイな「正しい伝統ネプタ」が好きな方には、嫌悪すべきもの、黙殺すべきものになるかもしれない。

しかし私は、江戸時代から近現代にかけて、我々が伝承してきたある要素を、事実に照らして忠実に述べるだけ。

そして聞き飽きたイメージを根底から見つめ直す。

物事は、明るいことだけではなく、暗さからも成り立っている。片方に目をつむることは、未来をも見失うことになろう。

なんてね。駄作だったらごめんなさい。

 

笑鬼ライブのビデオをいただいた。

初めて自分の林崎居合を見た。

これじゃ素人には受けないアクションだと思った。お恥ずかしい。

でも個人としては、面白かった。

自分では、一般の人にわかりやすいよう、派手になるよう、力入れて、メリハリつけて、と演じたつもりが、逆だった。

地味なアクションね~。

ところが、武術として見れば、自分で思うよりカドがとれて、スルスル、スラーリと何気なくやっている。

動作の始めと終わりが一致して、我ながらよかった動作があった。

立ち膝のままのさばきでも、ドッコイショが溶けて、スルスルやっていた。

少しは上達したようか。

しかし、このアクションじゃ、意味不明、ウケないよなあ…。

自分が見えぬとは幸せなことだ。

   笑鬼ライブ。修武堂は、前座で、祓いの演武をやらせてもらった。

S水氏と無刀氏は當田流棒術を、私は林崎流居合をやった。

ここは幕末に、弘前藩が作ったホンモノの修武堂があった場所。

そこで150数年ぶりに、両流が行われるのは感無量だ。

そのキッカケをくれた笑鬼下田ゆうじ氏と、殺陣もやった。

私が斬られる役だが、難しい。

木刀でやるはずなのに、当日になって模擬刀でやるはめに。

すわっ、大事故かっ…!?と思ったが、やってみたらなんともなし。

二日前までと下田氏が全く変わったのだ。

今までお互いに先をとろうとして、ガチガチだったが、今はユッタリと後の先を待っている下田氏に気がついた。

これなら斬られ役は、先をとろう!と焦ることができ、思いきり暴れて、気持ちよく斬られやすくなる。

急激な上達ぶりには、下田氏のセンスとともに、前夜の無刀氏のアドバイスも。

でも模擬刀は刃こぼれしたかもな…。もったいない…。

音楽のド素人で全くセンスのない私。でもライブでは、何より、リズムと音と他人と同調し、身をゆだねるかのように感応していく出演者に目を見張った。

カラダの使い方もそうだ。うまい人はクタッとして、音楽と観衆に即応して流れていく。先とも後ともつかず、ピタリと。その感応からまた新しい自分の波を生むという連鎖反応に見えた。

オレが、オレが!と敵対ばかり考えて力む自分が、愚かに見えてきた。

だからか、歌い終わったバンドの小柄な女性が歩いてきたとき、思わず後ずさりしてしまった。私はキンチョーして自分と他人との区切り、間合いを設けようとしているのに…、この人は全く関わらず、くったくのない笑顔で、スルスルと入ってくる気がしたのだ。チョット待ってよ、こちらの準備ができてない…。

家伝剣術だって、大阪の天王寺の鐘を例にとり、戦う心身のリズムを説いている。なんだか音楽には学ぶことが多いのではないか。

若いイタコさんに指摘されたことがある。「(あなたは)知識ばかり詰めようとして、アタマで考えすぎている気がする。そしてアセりすぎている。それではもっと見えなくなる。もっと開き直って自信を持ち、もっとカラダで…、そのとき初めて何か得るものがあるだろう」

その通りだな…。チグハグな、ココロとカラダがひとつになる日まで。

   笑鬼の御霊祭、もとい「御涼祭」ライブ、

前座の祓いの太刀で参加。

笑鬼のケンカネプタ囃子には、ジャワメイた。

無刀氏は、弘前八幡宮山車祭の囃子に、泣いていた。

ラビラビのパーカッションと歌声には、背骨から誘導されるものがあった。

独特の存在感のある、ふきた氏のロック。荒ぶるカッコよさ。

「祭りは民衆のものだ‥!」と叫んだコトバが印象に残る。

下田氏が、ラップ調で繰り出すメッセージにも通じること。

「正しい祭り」とは‥?、安易な「中央志向」とは…?、

青森ネブタ、五所川原立ちネブタに、客をとられ、控えめに見られる弘前ネプタ。

今、しきりにその「整備」が叫ばれつつあるらしい、「正しい祭りを‥!」と。

しかし、残念ながら

祭りは千変万化してきた。過去の実像を知れば「こんなの違う」と嫌がる人もいるだろう。

変化が祭りの生命力、本質かもしれない。

「正しい祭り」とは、その人が一番好きだった時代のことを指しているのだ。

しかしそれは、川の流れのなか「ここだけが正しい川だ」と、印をつけようとすることだ。

印をつけたいなら、流れを、生命力を止めるしかない。

これは、武道の世界でもいえることか。

私自身は…!?

確かに、幼い頃からの、自由に打ち合う稽古が充分に勉強になった。

それが形稽古への不信感を持たせたかも。こうはいかないよと。

 自由な攻防のなかでは、相手とのかけひきだけでなく、自分の身体でさえ思うようにはいかない。

疲れてくれば、手足は鉛のようになり、ヨダレも鼻水も、心臓が口から出そうになる。

必死で出口を求め、ここで止めてくれと叫びだくてもできない、一方で打たれると「痛いぞ、コノヤロー!!次の一撃で目にもの見せてやる!!」というクソ根性だけ再燃する。

疲れて動けなくなったときに無心の打ちが出ると先生は言った。

とにかく負けたくないとなれば、打突部位も何もない。体当たり、クリンチ、拳で押さえ、殴るような面を、とにかく散らして、ぶつかって、いなして…。

いい稽古をいただいたのだと思う。

でも毎回毎回、根性を入れて暴れては休み、再び明日も…と、心身を酷使するだけの無明の苦しみ、いつか老いるシャモの喧嘩ではないのだろうか‥「武道は人間形成」というが、気合いとシゴキばかりで、本を読んだ方が、生活の悩みを変えてくれるではないか、と疑問を。

としていたら、自由な攻防の稽古?でさえ、絶対的な存在ではなく、新しい時代に開発された、暗黙の了解とルールがある、稽古法のひとつではないかと思ってきた。

形へも、自由稽古にも、疑問を感じて、自分のルーツである、マイナー家伝剣術形の再検証へ。

最近、取り組んでいる本覚克己流和(柔術)の再現稽古。

ガチガチなロボット稽古から、生きた稽古へ脱皮できるか。

無刀氏との「腕流れ」の裏と表の形、

下田氏との袋竹刀や素手で「後の先」を取る稽古、

中国拳法の指先から動くこと、

キックスタンド打ち、

K氏のコトバ「流れを大事にせよ」、

S氏の亡き父上の言葉「大きい敵とは真っ向から組むな」「すれ違いざまに…」、

克己流伝書「いろいろ変化や口伝あり…」などが、すべてパズルのようにつながるような妄想が。

最近ようやく、オレは形稽古だ、私は乱取稽古だ、といちいち区別しなくてもいい方法があるのではないか、両者に共通して求められる稽古眼目がありそうな、うっすらとした予感がしてきた。

私は「自分」である前に生き物だ。不信感にまみれた臆病な意固地さを抜け出し、生物本来の、こだわらず、期待せず、無理を通さず、、変化し続け、考えずとも即応している…、複雑奇妙さを少しでも感得してみたい、取り戻してみたい。

 また妄想です。いつものように稽古で打ち砕いてもらおう。

 民俗の論文で、各地の古流武術の礼法と稽古法の報告があった。

拝読しながら、同業の方々の現在がリアルに類推できた。

そして「この時代に古流剣術をやる」という、我が時代錯誤を、鏡で見せつけられた。

かつては、その稽古たちだって、現代格闘技と変わらぬ熱を帯びていたであろう。

もちろん、今だって変わらぬ熱とレベルを維持されている流派もあろう。だかそれは少数で、多くは沈静化してしまったのかもしれない。伝統性と表裏一体の形骸化

何の疑問も持たずに、同じフォームを繰り返すだけの流儀もある。

これらの稽古風景を知ると、現在の模索する私の稽古方法が、古流としては、かなり変わり者だと実感した。

一方、これらの流儀の稽古がシンプルに見えても、ときおりのぞくものが、長い歴史が編み出した、なるほどよくできた稽古システム、門弟システムであったと教えてくれる。

ポツリ、ポツリと説く、口伝のなかには、ドキリとさせられるコトバが残っている。

よくあるお世辞ではない。模索する稽古の体感からも、類推できる。

現代の武道や格闘技と同じく、ホントに生きて熱を帯びていた時代が確かにあったのだ。

それが沈静化していった歩みを知ることは、現代武道・格闘技の明日を知るうえで貴重なヒントになるはずだ。

 面白い話を聞いた。担当している博物館の北前船展だ。

青森湾には、近年、建造した北前船が係留されている。現在、失われた操船技術を再現するために、実験航海が続けられている。

風を受けて航海するとき、真後ろからまっすぐに受けた風では、航行が不安定なのだそうだ。意外にも、風を斜め受けた方が、船底の「根棚」(ねだな、キールのこと)に受ける波と相乗効果で、より安定して走るのだそうだ。

ずっと前から甲野師範がいっていたことと似ているような。愚かにも理解できずにいた。

私見である。これを武術でいえば、相手の力を受けた方が、自分の力と相乗効果で、より安定した力が発生するということがありえるのだろうか?理想論かな。

安いキックスタンドへ、突き蹴り…の猿マネ。

剣と間合いの感覚が違う。小太刀やナイフより短い、我が拳の間合いの実感がわからず。

低レベルだから、実際に当ててみてわかることも。慣れた間合いを素手の間合いへ翻訳。

ある格闘技の方々が説く、ケンカ向けのパンチ、そして中国憲法、日本拳法…、中心線の前に突き出した拳のなかに、自分の身が隠れてしまうそうな。

ときどき、剣道の面打ちみたいにみえた。竹刀が無いだけ?

面打ちだったら、幼いころからイヤというほどやらされた、稽古で試合で。私の低レベルなら、かつてやったことを応用するのが近道か。

以前、伝統空手や総合、寝技もやる直接打撃の空手の稽古にお邪魔したとき、フェイントの応酬、先の先、後の先などについては、竹刀剣道の地稽古と似た感覚だと感じた。

手が剣に拘束されていないだけ、自由さがある。足まで使う。

それだけに私などは、パンパンと軽く叩いてしまい、タイミングがあっても、タッチしただけ、突きに重さが、威力がない。カバティか。

だからといって、キツイ筋トレを再びやる気はない。

博物館展示の大工作業中に工夫。指先から動くが、全身がまとまって、自在についていける重さを。

ふと、剣道で「腰を入れろ」と何度も叱られたことを思い出す。いままで「居着く原因だ。近代武道の因習だ」と否定していた。

しかし視点を変えると。指先と仙骨の距離が離れすぎて伸びきる「へっぴり腰」もダメ。近すぎる、つまり「腰を入れすぎ」もダメということか。両者とも、全身のバランスが壊れ、歪んでいるのか。

そして剛力にからめとられない力とは?

もしかしたら、相手と組もうとした瞬間、いつの間にか相手と同調して互いにダンスに。互いにわかりやすいカラダになる。

剣もそうか。打突部位を定めたから、動きも限定されて、同じような技を使い、読みやすい。だから素人やスポーツチャンバラのメチャクチャな動きに戸惑う。

子供や野良犬、猫が、イヤダイヤダと暴れる感じはどうなのか。こちらに力があっても、なかなか止められないものだ。

なぜだろう。常に複雑に動いて変化しているからか。そこを相手は一点で止めようと無理をしているから、かみあわない。

 ここ数日、なぜか、素手の体術をもっと真剣に学ぶべきではないか…と。

いまどき誰も剣で斬り合わない。でも今まで代々、剣で探してきた。その遺産の延長上に、いまの時代を生きなくてはならない。

すでに手遅れだろうし、センスがないのも知っている。ヘタはヘタなりに。

実は修武堂の過半数は、素手の武術経験者。これはチャンスではないか。

古きを尊敬しつつ、自分の代での新しい開発に、胸を震わすのも楽しいか。

幕末、藩主の命令で、一刀流式シナイ稽古を導入させられた先祖たちも、新しい世界と出会うワクワク感があったかもしれない。

博物館展示作業。床へ座った姿勢で細工をし、立ち上がり、ハシゴを登って上へ、という、高低差の大きな動作を繰り返す。

昔の職人は慣れていたろうが、現代人なら腰にくるかも?

どうラクにやろうか。背筋を伸ばして直立しようとこだわらない、四つ足の動物か、昆虫のように。

一般には、すぐに腰が大事だというが、ホントにそうなのだろうか?

私の場合、脇腹から肩胛骨にかけての背中がサボっていたことに気がついた。そこを意識し始めたらチョット、ラクになった。

フト気づく。林崎居合が座り技を繰り返すのは、クモのように全身まんべんなく使うことを学ぶのではなかろうか。

とにかく武術では、いかに身体を拘束から解放し、ラクにスムーズに動き、自分の体重を漏れなく敵に伝えるか。そうでなくては千変万化の電光石火に対応して、威力が出ない。

カベに絵馬を打ち付ける先輩の補助。背後から道具類を手渡しながら、コッソリ別のことを工夫していた。

足指を浮かし、膝を吊り上げて、フワッと立ち…、アタマのなかは相手と突きの先を争うイメージを。今すぐ稽古したくなっていた。

と、いきなり先輩が絵馬を落とした。その瞬間、我知らず、私の手がつかんでいた。

危ない、危ない、よそ見していたお陰だ?。

でも武では喜べない。以前、父との竹刀稽古では、グッと攻められ、この反射運動を逆手にとられ、アタマは察知して止めていたのに、身体が反応してしまった。

おっと思う前に、小手面の二段打ちを誤発射していたのだ。

一秒にみたない時間、小手面と動いていく自分の腕を「愚かなり!やられるぞ!」と他人事のように見ていた。そこを後の先で父のすりあげ面をもらった。チクショー

カネは無くとも、自分の心身ひとつあれば、いつでもどこでも稽古が楽しめる。

短く小さな我が一生に与えらるチャンスとご縁は限られている。

もっともっと!と焦らず、ひとつひとつをどれだけ深く噛みしめるか。

伝統のイヤなカセが、かえって生きようという私のバネになっているとは皮肉だ。

格闘技の雑誌。グレイシー柔術が流行った十数年前は、よく読んだ。

今ももの凄い筋肉、強そうな格闘家たちが並ぶ。逃げるぞ!

古ぼけた家伝剣術が無ければ、たぶん私も現代の格闘技を習いにいったろうなあ。

ところで、総合格闘技の有名選手は、どんな練習をしているのだろう?。

キツそうなスパーリングや筋トレ‥の写真。

今までならイメージで圧倒されていた。が、年とってヘソ曲りになった。

よく見ると、スタンド、寝技への移行、寝てパウンド、寝技‥、

つまり、複雑な試合全体の流れを、場面ごとに分けて、状況を想定しながら稽古しているような気が…。

つまり…、昔ながらの型稽古の延長ではないか‥!?。少しフリーな動きが許された、荒くてキツイ型稽古か?いや、フォーメーションを設定して行う西洋スポーツの練習法かも…?

「分解した」なら、いざ試合では、それらをどうスムーズつなげるのだろうか?と形稽古と共通の問題が発生するかもな。

場面ごとのスキマをどう埋めるのだ?私などはいちいち考えて止まってしまうだろう。

となれば次は、全部をつなげる稽古が必要になるのだろう。メニューが増えるな。

でも、つなげた瞬間、個々の場面は姿を変えてしまうか、お互いにジャマしはじめるか。

一方で「こうきたらこうする」というセオリー稽古が、互いに想定できる同質の技を作ってしまう危険性はないのだろうか?剣道の稽古も似たような要素があるかもな。

シロウトの浅はかな疑問だ。プロはそれを既にクリアしているはずだ。それも学びたい。

同じ雑誌には、実戦を狙った総合でさえも、近年は専用の競技的技術が生まれてきたと指摘する人が載っていた。護身となれば、流行のタックルや寝技は、また変わるだろうというから驚きだ。

その方々が提案する技写真。中国拳法や古い柔術拳法のスタイルのようにも見えてくるから不思議だ。

家族がエクレアを切ってくれた。その果物ナイフに目がとまる。

おっと忘れていた。もし素手だったら、この刃物にどう対すればいいのか?

  ここ数日、自分の自信の無さについて反省しはじめた。

  技と「流れ」について考えていたとき、フト思ったのだ。

 これではいつまでたっても、技は変わらない、上達しないのではないか?とひらめいたのだ。

 今まで、技より心だ、武道は心を鍛えるもの、などとといわれれば、常套句だと思っていた。

 それより、失われた技術そのものの探究が、と。

 しかし身体が、技が、区切った途切れたパーツではなく、ひとつの循環し変化を止めない流れであることを要求するならば、自分の精神もそう用いるべきではないか…!?

 おっかなびっくりの、不審と不安に居着いた精神が、よどみない身体とつながるだろうか?

 スッと動こうとしている体を、ここがおかしいぞと分析することで止めようとしている。

 そのうち思い出したのが、以前から何度か、韓氏意拳の光岡師範がされた例え話。深海へ潜るダイバーの話だ。

 彼等は、大変な水圧に耐えて、つぶれずに生還する。

 しかし、水中で僅かでも身体の、精神の微妙なバランスを崩せば、たちまち強力な水圧に襲われ危険な状態になる、というものだ。

 以下は、全くの私見だ。

 無理なポジティブ、自信過剰に居着いて、周囲の状況が見えなくなるのではない。反対に不安におびえて視野狭窄となったり、分析マニアになって自然を握りつぶしてしまうのでもない。

 自信がありすぎるのも、自信が無さ過ぎるのもどちらも片寄っているのだ。

 繊細と大胆の両者の中空に、安心して浮かんでいるような心か。

 安定せよ、安定せよ!ファイト!、よく考えて…!と焦らずとも、私はいつものまにか存在して、このように生きている。身体に自動調整機能があるならば、ココロにもあるはずではないか。

 ハラをくくって、現状をありのままに認め、信じて委ねきることも、私が学ばねばならないことなのかもしれない。

 特別なことではない。角を曲がった瞬間、いきなり出てきた人を、思わずとも避けていた!?という経験も、人間の心身の高度なバランスと連携を探る上で、ヒントになるのではないだろうか?

 私の小賢しい工夫や、ゴマメの歯ぎしりよりも、素直に耳を澄まして、自分を包む巨大な自動調整機能を感じ取り、それにゆだねること。

 それでなくては、私の武は、いつまで立ってもシャモの喧嘩か、運だめしにすぎず、全く新しい段階が、見えてこない気がするのだ。

 「平常心是道」ということなのだろうか。

 それは亡き祖父が大好きで、頼まれればしきりに書いた言葉だ。

 もしかすれば、日々の暮らしの雑事や喜怒哀楽との付き合いでさえ、この身体のバランス、技の精度にかかわってくるのかもしれない。気になることがあれば、技がきかない…。

   定例稽古。下田氏が重さが載った斬りとは…、全身がまとまるといいのか…、そのために斬りと共に両足を引き上げるのでは…と工夫されていることを提案された。

 始められたばかりなのに、目先の打ち合い効果より、一太刀の質を問うとは見識が高い。

先の先、後の先の感覚もご紹介しようと、袋竹刀で軽く打ち合う。私自身は、飛び込んで打つクセをやめ、なるべく一筆書きで流れるように斬り続けること、剣に対し小太刀で家伝の風波の伝を体現できるか工夫。できない。相手に反応しドギマギし、カド立つ心身。

呼吸を整える間、韓氏意拳のケイタイ訓練や歩法をおさらい。「指先から動く」とは…。

H氏には軽い乱取りで、柔術の寝技をお教えいただく。強引にしようとしたり、自分の体のまとまりが崩れると、すぐにやられてしまう気がした。

稽古終了後、たまたまS氏が、今は亡き超有名柔術師範の斬りについて教えてくれた。相手が僅かに接触した瞬間、体ごと飛ばされるそうな。他にも同氏の合気上げ稽古で、対抗するという意識ではなく、なにげなく相手に入ってしまい、力を超えてスルリとやってしまうことを目指されていることなど…。

思えば二日前から、パンチ・キック用のスタンドを買って、相手を相手と思わない、自分の安定こそ大事。歩いている方向に、斬ったところに、たまたま相手がいた。というようなことを工夫していた。

しかし、どうしても的を意識して、ねらって殴ってしまう。とらわれてしまう。どうあろうと迷いなく、全身が一致して動くことなのかな。

普通に歩むときも、少しも身体のすべてを漏らすことなく、一斉にピタリと連動して動くということなのだろうか?

思えば気持ちが充実しているとき、身体も軽やかであるが、少しでも気がかりがあれば、なんだか身体も欠けている気持ちがする。

小さい器でも、満ちた一杯ならば、大きな器で漏れがある器より優れる、という渋川流「柔術大成録」を思い出す。

そしてもしかしたら、相手との敵対関係を強く意識するほど、自らの術理自体の可能性を封じてしまうのかなあ?私の先入観と全く違う世界があるのだろう。

となどと、帰り道、愚にもつかないことをボンヤリと。

でも、昨日からのことはすべて、生々剣のヒントを暗示してくれている気もするなあ。

   弘前ねぷた。異形の夜行館に飛び入り参加させていただく。

浴衣の下田氏、稽古着の私、模擬刀を腰に差し、ねぷたケンカ風の斬り合いのパフォーマンスを。

少し打ち合わせて、あとはその場の感覚でやろうと。ダンスをやるように同調して。 

事前に代表笹原茂朱氏に、見せるコツをお教えいただく。

笹原氏の掲げるタイマツの前で斬り合う。お互い緊張して、想定外の斬り合いに。

とくに、コンクリートの上で、お互い斬って斬られて、こけつ転びつ、のシーンが二回ほど発生したのは面白かった。

切り結んだら、下田氏が倒れ、馬乗りになるようにして剣を刺す。切り結んだら、下田氏が剣をすべらせて私の左腰をなぎったから、私は倒れて落とした剣を拾って逃走…。

ちょっとドギツかったかもしれない。見せるにはまだまだ稚拙だった。

とにかく、自衛隊の抜刀隊のような、キレイな正統派集団演武ではなく、どうなるかわからない、自由自在な実際の斬り合い風をと。

「正統ネプタ」が大好きな方々には、苦言をいわれそうだな。近年、弘前ネプタも青森ネブタも「正しい伝統に戻そう」とうたいはじめている。

少し歴史を調べれば、ネプタ・ネブタは変化、変化の連続で、正しい姿、伝統という固定した姿ではないことがスグにわかろう。みんなそれぞれ、自分の好きな時代の姿を「正しい伝統」と思い込んでいるだけだと思う。

何かのために、造られる伝統のイメージ。どの世界にもあること。「美しい日本」もそう。

たぶん、江戸時代から20世紀初頭まで、百年以上、繰り返された、伝統のネプタ喧嘩の姿を知れば、現代人は戦慄するに違いない。しかし確かにそれも、ネプタ文化を構成したパーツの一部であった。

ひとつに目をつむることは、現在と未来にも目をつむること。

いま、そのもうひとつのネプタの歴史、「正統ネプタ」イメージに反する歴史を再検証する論文を書いている。

しかし、即興で見せるとは、大変難しいなあ…!

大観衆のなか、緊張して硬くなる私とは全く違い、白塗りの顔で、フワリフワリと自在に漂いながら舞う女性たちの方がスゴイと気がついた。

    論文作成のため、木造町のねぷた祭りを見に行った。

下田ゆうじ氏の導きで、高名な笹原茂朱氏にご縁をいただいた。

唐十郎氏と「状況劇場」を創設した後、芝居の原点を求めて都会のアングラから、村々の小屋掛け芝居に転向して各地を放浪、近年は津軽を拠点とし、夜行館を主宰されている

唐十郎氏との思い出話や、私が生まれた1969年、機動隊200名を相手に上演した「新宿西口公園事件」の生々しいエピソード、小屋がけのたびに、各地のヤクザに命がけで交渉に行ったこと、北辰堂の故岩田夏岳師範とのご縁を聞いた。(小学生のころ、剣道と小野派一刀流、日下新流柔術を修めた岩田師範は、我が祖父を慕ってくれ、よく家に飲みに来られた。笹原氏は岩田師範から、北辰堂における道場破りや足払い、本当の礼儀について教わったという。私がもう少し大人だったら、岩田師範にお聞きしたいことはたくさんあった。)

 笹原氏の圧倒されるような存在感と激動の人生に圧倒される。

 間合いや拍子について、演劇と武術は共通するのではないかという。それに答えられない我が腕前の無さを恥じる。

 笹原氏は、かつてナマで、代々のねぷた喧嘩師に会っている。その聞き取りをまとめた『ねぷた祭り 明治・大正・昭和』(少年社)。私ごときでは迫れない迫力だ。関係者のほとんどが鬼籍に入った今ではもう遅いか…。でも書こうと熱くなる怖さ知らずの私だ。

 京の都、K氏からメッセージ。

「作曲家は、森羅万象、有形無形に散らばる音を拾い集め、紡いで、一つの曲という、布を織り上げます。

 それは彼の才能であり、技術の向上により、可能な作業であり

 でも最終的に、布を織り上げ、飾るのは、彼という強烈な個性であり、

 そして貴方を表現する、とても大切なツールの一つではあるけれど、

 強さとは、技術を高め、他人より抜きん出ること、だけではないはず。

 貴方自身の魂、そのものを輝かせて、貴方自身を唄いましょう。」

 伝統を継承するうえで、いま流行の「個性」は、己は、滅却すべきものではないか…。まっさらにならなければ、先人達の無言のメッセージとコンタクトできない…。という、ここ十数年の考えも改めるべきかな?

 それでは、あまりに自分を信じていない。つまり、受け継ぐ私自身が、生き生きとした良質の容器でなくては、伝統も生命を失うのかもしれない。

どこまでは伝統で、どこまでが私の工夫になるのかは、この先も生きてみなくてはわからないが、代々の新しい生命力も吹き込んでバージョンアップしていかなくては、とっくに途絶えていたはずだ。そうせずに化石となった伝統のワザはたくさんある。

素っ裸の私自身も豊かにせねば、継承レベルも貧困になる、ということなのだろう。笹原氏との出会いは、それを暗示してくれている気がする。

    定例稽古。某柔術を修行されている若い方が見えた。最近新しい方も何名か増えた。ふと見ると、賑やかな稽古会となっていた。

8月23日、笑鬼主催のライヴの前座をやる。獅子踊り、津軽三味線、ロック、パーカッション?など様々なジャンルのコラボレーションでトランスするらしい。

初めての方が、見て楽しいチャンバラをやろうと四人で工夫。H氏のアイディアに脱帽。

下田氏の無刀取りは興味深い。二軸歩行を応用したらしい?が、よくこんな発想が出るなと驚く。やりながら、面白いことを言った。「できるかな?と疑えばダメになる。やろうと工夫するとダメになる。ただやるということが難しい」どこかで教わったようなコトバ。

するとS先生は違う方法でやってみせた。いろんな方法があるのね…。家に帰って独りやってみた。案外いけるかもな。

家伝伝書を再読した気がついたこと。敵を押さえて、手を出させて、そこを取る。つまり後の先だ。無刀取りの稽古は、後の先で稽古を始めねば、いつまで立っても同じ繰り返しか。

私の低レベル竹刀稽古では、先の先、後の先…など、いちいち考えていない。無我夢中で打ち合う。カラダで覚える。後から考えて、そうなのかなと…。素手の格闘技もそうなのではないだろうか?

と思ったら、家伝剣術の大太刀も小太刀も、さばく形の構造自体が、無言のうちにそれを語っていたではないか。

何年も前、北辰堂で親子で演武したとき、ある老先生が「お手前の剣術は、後の先ですな」とおっしゃられた。そのときは全く意味がわからなかった。今日それが氷解した気がする。

それを見抜けずに、すぐ実戦だ、先の先で試そうというピントはずれの私だった。やはり形を分解して使ってはいけない。それでは一生、自由乱打で使えない。一連の流れのなかで稽古しなくては。

これに気づいたのも、いつもさばく弟子側ばかりではなく、打ちこむ師匠側をやって視点を逆にしたからだ。下田氏に感謝しなくては。

昔は私も「古武道なんて、剣道では瞬殺だ」という、単純な世の中知らずだった。いまの私の形は、自由な打ち合いが苦手だから、段を取るため、年とって体が動かなくなったから、カッコいいから、古武術が流行ったから、○○に飽きたから…などという理由からではない。

生まれる前から用意されていた私固有の宿題だからだ。私がやらねば、この小さな世界は絶えてしまう。

   家伝剣術伝書は、波や風に例えている。これらはいつでも、どんな状況にも、間髪入れずに即応して変化でき、しかも流れは途切れない。だからといって、前もって変化しようと計画しているわけではない。

人間ならどうするのか?調子のいいときは、館内の曲り角で、突然出てきた人とぶつかりそうになる。と、思わずとも、即応して次の脚が出て、軽やかに反応し、かわしている自分に驚く。自分でもうまくやったなと後で気づく。誰でもあることだろう。

たぶん、同じことを、タイミングを合わせて計画してやれば、こうはいかないだろう。ギコチなくなるかもしれない。何かに思いつめているときもダメだろう。

もしかすれば、武道・武術でも、向かい合って構えようとしない人ほど、やりにくい、噛み合わないのではなかろうか?

試合になれてしまえば、さあ始めようと、相手も土俵に乗ってくれる。こちらの闘争しようという意図を理解してくれ、受け止めてくれるケースのみを大前提としてしまう。だから互いに戦いを作り上げるのである。その状況でしか通用しない技をやっている可能性もないか?

もしも片方に戦う意思がない場合、片思いとなる。片方が無理やり技を仕掛けようとするほど、自らバランスを崩していくかも。

家伝剣術には「免書追加」というものがある。夜は枕元で一段落ごと噛みしめて寝るようにしている。

先祖の記録によれば、これはもともと無かった伝書であるが、津軽に来た段階で、無言の教えや口伝を文章として書いたものだという。

 無形の技を伝えるうえで、文字記録には限界があり、カン違いも、とらわれも生みやすい…という問題はあろう。だが、この文字記録のお陰で、意味不明の免書が、実際には何を伝えようとしていのか推測できるのだ。

 文字は完璧ではないが、文明が生み出したひとつの道具として、やはり有効なのだ。感謝します。

 免書レベルにとうてい届かない私が、読んで何になる。

でも仰ぎ見る山頂の姿を想像してみたい。

 内容については、うまく書けない。だがなんとなく家伝剣術は、相手に合わせることを「相手に使われる」といってしない。己が偏らず、中央に、あるべき存在となれば、自ずと当意即妙に応じていける。というような境地を目指すシステムなのかもしれない。

 夢物語に聞こえよう。だが、これはスポーツ試合用ではなく、実際の生命のやりとり向けに開発した技術がいっているのだ。

もしも、それが体感できれば、文化の差や時代を超えた普遍的なテーマにもつながるに違いない。

それを求める方便として父祖たちの時代は「剣」だったのだろう。

そうなれば、家伝は「剣術だ」と意固地になるのもおかしな話だ。求める本質さえ違えねば、方便は時代とともに変えてもいいのかもしれない。

そう思えば、この道は、案外マニアックばかりではなく、そこかしこの隣人達にも関わる広い道なのかもしれない。

   弘前市内は、あちこちでネプタ囃子の練習が始まった。

実は今度、ねぷたケンカの論文を書くつもりだ。いままでのねぷた研究が、七夕や眠り流しなどのキレイな起源論のみにこだわって、目をそらしてきた、ダークサイトである。でもこれもねぷたの必要不可欠な一要素であろう。

江戸時代から大正までの弘前ねぷたは、市中あちこちでゲリラ戦のような斬り合いを繰り返していた。

青年達が町ごと、道場ごとに分かれ、投石、竹ヤリ、棒、木刀、真剣を使い、見物人も巻き込んで衝突した。毎年、破壊行為や死傷者を出し、警察も手が出なかったという。明治初頭、他県出身の知事は、自分が参戦した「田原坂の激戦よりも凄い」と驚いた。

我が先祖や流派の先輩方も、凄惨さで有名な「北辰堂襲撃事件」の当事者だ。

野沢如洋という日本画家、教育長をやった道場の大先輩。お二人とも柔和な文人かと思っていたが、これらの喧嘩を経験していると聞いて驚く。柔らかな絵と、風雅な歌の陰に、血なまぐささが同居していたのか。

エピソードは、集団での武器を持ちいた都市戦闘の実態、異種武器戦、斥候や伏兵の知恵、一騎討ちに酔っていると伏兵に襲われやすいこと、引き際を見極めねば命を失うことなど、現代では得られない生々しい体験談ばかりだ。闘争のリーダーとなる喧嘩師は、若者よりは中年が多かったといい、この経験が日露戦争や第二次世界大戦でも生きたという。

実際の斬り合いのなかで、我が道場の大先輩は「道場で正眼に構えて、ヤーと稽古するのとは全く違った経験だ」とつぶやいたという。それを試すのが目的でもあったという。大正期の喧嘩には幼い祖父も参加した。うちの剣術も学ばれ、戦前の天覧試合で優勝した市川宇門剣道師範も参加したらしい。

当時、近代剣道普及のために中央から来た人々に、突きや防具はずれ、脚を打ち、組み打ちを仕掛けて、手こずらせた剣風は、そこから来ている?

他流試合をやって、グレイシー柔術誕生のきっかけとなったコンデコマ前田光世も、この地の出身であるのがナットクできる。

もちろんいまは全くそんなことありません。安全な楽しい健全な祭りです。ねぷたには「石打無用」と描かれているのが唯一の名残りです。

   午後の青空、公園の芝生を一時間ほど走る。といっても普通のランニングだけでなく、意拳の歩法や我流ナンバ走りを。炎天下で汗まみれになった後の、うまい水を飲むためだ。

今日はなんだか体が重い。ここ数日、背中の下、仙骨と骨盤の繋ぎ目あたり、キレイな逆T字ゾーンとなって、かゆい、というかダルいのだ。K氏にも指摘された。

私には珍しいことだ。なんでだろ?思えば一週間前、仕事での荷物運びか?

辞典でパンパンに詰めた重い重い段ボール箱、約100箱をささげ、階段を何度も往復。自分のカラダの安定を体感するいい稽古だとやった。細くてツルツルすべる民家の階段、しかも箱が破れているのもある。バランスを取るのが難しく、しかも不慣れで転ぶ同僚とのパスワークがぎこちなくて、珍しく疲れた。

もうひとつは、我流ナンバ走りでの工夫だ。走行中に腰を意識すると、意外な感覚があったので、繰り返して工夫したのだ。ちょうどそのポイントだった。

そのためか、無意識にその部分や体幹部をサボろうとしているのか、脚でつっぱって立っているようだ。カラダをもみほぐそうと、ラグビー場で、無刀氏の野生動物風四足歩きをやってみる。骨盤が一枚から複数へと割れて、いい柔軟運動になった感じがする。

我流ナンバ走りをもう一度。つまり、足首から頭頂までを一気に倒していこうとしながら、胸のあたりを意識して…、首を突き出して…、真ん中の腰も付け加えて…と、まだ部分部分のみの操作にすぎなかった。

実際に、全身でザワッと走りだすのだろう。やってみた。願立剣術物語がいうように、船首と船尾が一致して進むように。実寸大の北前船は、本当にそのように揺れていた。あれに触れたら、その一点に、一気に全体の重さがくる!と思うと背筋が凍った。腰の痛さは、そのことを教えてくれる反面教師なのだろう。

この先に、家伝剣術の小太刀の形の課題を見ようとしているのだ。

 全身で動く、そのことを学びたくて、意拳で習った歩法を何種類かやる。

なんだかこの間よりノらないな。先日、光岡師範は、喜怒哀楽が激しいときには、タントウをやらない方がいいとおっしゃっていたような気がする。もう少しやってダメだったら帰ろう。

体術か…。無刀氏は、柔術や合気道、柔道のことの特性を分析されている。この年で、遅く始めた。今から筋トレ、戦術、あいてを読む…などという高等技術をやるのは面倒だ。

だからこそ、自分のことを尽くすだけという韓氏意拳がいい。指先から動くといいながら、それをはりきりすぎて、逆に自分の安定を崩しているなあ。ダメだなあ。ラグビー場の端から端は遠いなあ…。息が上がってくる。

待てよ…、ガンガンやるより、ゆったりやるほうがいっているかもな?

このような稽古は、時計の時間ではなく、自分の時間を。

もともと自然や季節に合わせていた人間のリズムは、近代以降、工場生産や機械文明に合わせた時間が、個々人に躾られた。社会を構成するために。

そのモノサシが、稽古に、上達にも適合しているかどうかはアヤシイ。例えば絵を描くとき、論文書くとき、何回やった、何時間やったやったぞ!というノルマはない。それより気づきだ。なのに、稽古に関して目立つカタチ、数字ばかりを大事にする私の先入観をぶっ壊そう。

「流れが大事だ」K氏が読んでくれたな。何の意味だろう…。

なんでも固定して分析して考えるのが好きな私。でも動いてこそ、生まれる働きがある。空気は止まっていては力を持たない。水もだ。動いて流れとなってこそ、風となり、水流となり、止めようとも止まらない力となり、他者に作用する。私の稽古法は何か足りない…。何かズレている気がする…。

家伝伝書になんだか書いていたな…風波の伝だったかな?また読んでみよう。

 京都からK氏がおいでになった。修武堂みんながそれぞれのアドバイスをいただいた。

やはり、道場の傍らで先人が見つめていた。

何年か前から、私もS先輩もH君も、なんとなくわかっていた。やはりか…。

私が生まれる前から…、

初めて見学にきたとき、暴れるのを爺さんに引きずられて入門した朝、

竹刀を初めて持ったとき、初めて防具をつけたとき、

足裏が凍り付いたとき、負け悔しくて泣いたとき、今は亡き先生方との稽古、

サボり始めたころ、爺さんが独りで門下生を待っていた朝、

かかり稽古で足腰が立たないとき、爺さんが亡くなった朝、

親父が八段とったとき、就職先が無くて独りで汗かいていたとき、

甲野師範と初めて真剣で斬り結んだとき、剣術で木刀が折れたとき、

生々剣を体感したとき…、すべてそこで我々を見ていらっしゃった。

時代は激変したのに、チョンマゲ姿のまま、自ら留まり、まだ修行しようとしている。

大正になってもまだ、ねぷたケンカで、真剣の斬り合いを繰り返した、この弘前らしい話だ。

床板には、代々の人々がしみ込んでいた。ドロドロとした人間らしい感情の層が…

どうそれを昇華させていく?  私はどう生きていくのだろう?

代々、悩みながらこの土を耕し、種を蒔いてきた。

収穫はいつの時代になるかわからない。

でも収穫だけが目的ではない。喜びの収穫は、反面、すべての完了を意味する。

どうなるのかわからずに、明日を夢見て、耕し続ける行為、

探求に我を忘れ、渾然一体となることにこそ、意味があるのかもしれない。

いわれるほど歴史の縦軸ばかりに偏ってはいない。自分の人生、横軸も充分楽しんでいるつもりだった。

「ここは袋小路だ…!」と自分の錯覚に縛られているらしい。

見上げよ、天は開けているじゃないか。飛び上がる脚力も翼もある。

と、大いに励ましていただいた。

心身を消耗させてボロボロになりながら、我々みんなを診てくれた。

一同を代表しまして、深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 そのような中、最近、ある雑誌を買いました。何んとなく買ったのです。初めて剣道専門誌(剣道日本)。剣道における足捌きの基本ついて特集が組まれてありました。

 多分、多くの剣道をしていらっしゃる方に、アキレス腱断裂や膝傷害を抱えてある事に、最近興味を持っているからです。 剣士で、独自に林崎の三尺三寸を学んでもいらっしゃるI先生から膝が悪いという話を聞いたり、『立ち切り』をも達成した小野派をしているSさんの末期的な膝傷害を知っている事。

古剣氏のお父上も、この間お話しする機会があった際に、どことなく膝が悪そう…と見えた事も、動機としてあったからかもしれません。この問題は、『歩法』『足遣い』についての考察を、ミクシィでの議論した事も合わせて、後日書く機会に譲りますが、その雑誌の中に、この地の古くから残る道場『北辰堂』ゆかりの笹森翁の事が書かれてある記事を見つけました。 

古剣氏に誘われてやりだした民俗学で、ご子息で音楽が専門の笹森建英先生とも知り合えた縁で、さらに津軽の偉人『笹森順造』には興味があったのです。 ちなみに、ご子息笹森建英先生は、クラッシックが御専門(宗教音楽も…)ですが、戦後、ジャズについて本を書かれ(確か『アドリブ』に関して書かれたとか)、長く日本では『ジャズのバイブル』として、ジャズメンの宝とされていたようです。 

先生は、「当時、出版するという事に対しての知識(印税の事)が無くてね。原稿は、出版社に売ってしまったの。印税の事知ってたら、今頃、大金持ちね。ふほほほっ。」と悪戯っぽく笑っておったのが印象的な老紳士です。 民俗学との繋がりは、『イタコ』の巫業を音楽的見地から考察研究されております。 

話しが逸れついでに書かせてもらいますと、これまた縁か、よく私を可愛がってくれた 伯父とも故知の仲だとか。 伯父も、音楽家なのは知っていましたが、中央の芸術関係の方との付き合いも広い人でした。 

『上海バンスキング』の戯曲でも知られている斉藤憐氏(私的には『黒テント』のイメージの方ですが…)とも知り合いらしく、昔、その芝居がこの地で公演された時、劇場でばったり遭遇。「斉藤君の芝居だからね。それにデコちゃんも出てる事だし。」「デ…デコちゃんって、吉田日出子…さんっすか?」って…。 

ともあれ、伯父と笹森先生。とてもユニークなこの二人。昔はどんな活動してたか?と思うと、想像しただけで面白くなりますが、これまた、ぐっと話し堪えて、さて本流…。

紙面記事、その中の一節。本来は 笹森翁という人物を描いておるわけでありますけれど、どういうわけか、近代柔道の祖嘉納治五郎との会話した内容が載っております。

笹森順造が、洋行先の会合で、嘉納治五郎に語った会話の内容だそうです。『(途中略)…「日本の柔道は本来武術である。柔よく剛を制し、小よく大を下し得るのは日本武術の特長だが、しかるに講道館は新形柔道による体力善用を唱え、合理的に制すると称して、一発で死命を制する極め技を封じてしまった。この新形柔道で勝負したら、体躯巨大、膂力超絶の欧米人におくれをとるのではないか?」

笹森順造は、合理化という名目のもとで伝承武術から排除されていく極め技の数々を惜しみ、その復権を希望しているのであった。(排除されていく極め技こそ武芸の妙術ではないか)…(以下略)』(剣道日本8月号掲載『笹森順造という日本人(堂本昭彦)』より抜粋) 

この度、古武術雑誌月刊『秘伝』の特集「仕留める柔道」の中で、『寝技』の事が書かれてあり、去年お世話になった竹内流高城師範も写真が載っておりました(本に向って思わずお辞儀してしまいました)。 

そういえば細々研究中の『本覚克己流』の伝書では『寝技』が無い事に気付き、グレン師範はお父上から習っているか聞いたところ、出るわ出るわで、ビックリ。 聞いた事を後悔した程、御披露していただきました(お陰で、『病気持ち』の身体はふらふら…痛かった…情けなや)。 

それで 先の経緯となり、直訳調の文章を書くに至った次第なのでありましたが、思えば、何故先人は、武術だけでなく有形無形なものを、こうまでして残そうとするのか?という問いが浮かんだのであります。古剣氏も、今尚思い悩みながら、家伝剣術の継承する事に、腐心精進しておる命題です。 

私も、カウントダウンの声が、おぼろげながら聞こえる身となりまして(『病気持ち』となりさらに…)考えた事は、生物に別に証しを残そうとする習性があるのだというのではなく、ただ、そうしたいと思う事(そうするという事)で、結果的にモノが残って行く(繋がって行く)だけなのだという事。 

そこに意義価値観を云々する事は、ただただ滑稽な様なだけで、裏も表も、深いも浅いもなく、ただする事で、次ぎの者がそれをまたする…その繰り返しなだけなのだなあと思ったのでありました。 

だから、私も、したいからする事にして、何の為に?と考えて、時間の浪費はやめる事にしたのでありました。 これは、決して、虚無的でも冷めた心となったからでもなく、自分が刻々と時間の中で生きている事で、『意を持って(している)事』という捉え方でいいのだなあと思うようになったからであります。 

上手くすれば、『技量』というものもついてくるでしょう。でも、計り自慢する事には意味を感じなくもなりました。 そうしたら、一刻一秒が、素直に有り難くて楽しくなって来たのであります。一瞬でも、濃厚な感じすらして来ました。面白い感覚です。 

そして…。本来、『武』は殺伐としたモノなのに、それを通して、身体が知り得るものが多くもなって来たような気がします。見えるだけで、自分は出来ない事は多いけれど、それはそれで構わなくもなりました。 

そう思うようになったせいでしょうか、不思議な事に、この間の稽古会では、固い股関節ながら、趺踞がちょこんと出来たではありませんか。膝が折れ、右踵が左脹ら脛にフィットし、左踵が、肛門にすっと当り、いい感じで安定しました。 最近、体重が軽くなったのに、膝が痛いのは、バランスが崩れて来たせいかなと思うようになっていて、正座も少しきつく、『趺踞』などは出来ないなあ…と思っていたのです。 

もっとも、三尺三寸が上手く抜けないくせに、人には教えている『恥知らず』でありますから、 もとより『趺踞』で、こんなにフィット感を持って坐せた事はありません。 まこと感謝でありました。 

また、肩も痛め、受け身が満足に取れない程なのに、何故か『無足の受け身』もどきに、いいフィーリングを感じもしだしました。これまた感謝であります。 

そして…。最近、稽古日誌に登場の下田氏と、『歩法』の考察で『押し合い』をした際には、以前なら、体重もあり負ける事が無いと思っていたのに、自分が紙切れにでもなったのか?とショックを感じもしましたが、同時に、いかに自分は『自分の重さ』に頼っていたかを知る事ともなったわけで、『これから工夫が始められる…』と、またまた感謝した次第なのでありました。 

縁も何も、不思議に繋がる昨今です。面白い。面白い。 さて、中断している稽古日誌数遍も、書かないと…。

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『柔術 と合気道の比較』 素手で戦う方法を、『体術』という。 打撃(パンチやキック)をメインとする武術には、日本では『空手』が代表的である。 『投げ』や『固め技(ロック)』、そして『寝技』を含んだ武術を『柔術』と言う。 

しかし『武器』は、その延長上にあるとして、使わないわけではない。『合気道』は、『柔術』から別れ、『柔術』のコンセプトの一部を、特徴的に発達させた武術と言ってよい。 

だから、その発達の過程の初めの頃は、あまり『柔術』と変わらなく見えた。 戦う事を目的としたテクニックであるから、相手には、とても危険なもの。 

でも、『合気道』は、段々、相手を傷付けないようにと、ソフトなコンセプトに変化して行った。 

ちなみに、『柔道』も、『柔術』から、また別な方向に別れていったものである。スポーツ競技として、ルールを作り、危険な『打撃』や『投げ技』、『固め技』『寝技』に、制約をした。

『柔術』にはあった『武器』の扱い方や、武器に対しての『技』は、先人に敬意をはらい、『型』としては残しているが、競技のルールの中には入っていない。 

『合気道』は、『寝技』をやめてしまった。 メインの原理は、攻撃をしていくる相手の、動いている時の力の量と、力の作用方向に対して、人間の体の特性 (筋肉や骨の性質や人間の習性)を利用し、そこに物理的作用(てこの原理や遠心力など)をさせて、投げたり、体の一箇所あるいは数カ所をロックして、相手が動けないようにする。  

『柔術』も『合気道』も、相手の関節を、動きにくい方向 あるいは動けない方向に捻る事で、相手が我慢出来ず、自らが投げられるあるいは転ぶという技が多い。身体のメカニズムを応用しているといっていい。 

『柔道』は、相手の重心の物理的作用を利用して、スピードとタイミングをもって投げると言えよう。ルールとして、関節をロックして投げる事はない。また、スポーツであるから、相手を失神させたり、死にいたらしめるまではしない。 

『合気道』は、相手が攻撃しようと思う考えを諦めさせる事が、最後の目的であると言える。技は、手段として使うが、平和的なコンセプトとして持っているのである。

 だから『合気道』の技は、相手を傷つけるものではない。動物を『捕獲』するというの考え方に近いだろう。傷を負わせても、最小限の範囲になるように配慮する。 

『投げる』という事は、『柔術』も『合気道』も『柔道』も、相手が攻撃してくる動作によってある力の方向、つまり作用しようとする方向を妨げない。 

もし、それを阻止しようとして、自分も力で対抗しようとする時、自分がパワーもテクニックも無かったら、その攻撃を受けて、ダメージを得るだけである。 

まるで、川のような流れる水をコントロールしようとするようなものだ。自然を人の力でコントロールするとは愚かな事である。相手のパワーに、無謀に立ち向かわないという考え方である。

ただ、『柔術』も『合気道』も『柔道』も、身体を動かすプロセスと、その結果は違う。 打撃という戦い方で、相手を自分がコントロールするという目的が達成出来ない場合を考えて、技が数多くあるのは、『柔術』そして『合気道』である。 

『柔道』は、スポーツとしてルールがあるから、そのような事は考えなくてもいい。 相手の力を応用した反動や遠心力と、『てこ』などの物理的原理を応用した『投げ』は、『柔道』でもある。 

しかし、人間の身体特性の考え方を使って、相手の『関節をロック』したままでの『投げ』はない。 また、『関節をロックして動けなくする』というテクニックはあっても 腕だけだ。 

『柔術』は、あらゆる関節を攻めるノウハウがある。『合気道』には、『首を絞める』という技がない。『寝技』もない。相手の『関節をロック』したままでの『投げ』は、『柔術』でも『合気道』でもあるが、『柔術』は、関節がねじれない方向に捻り、コントロールする事が多い。速効性があるからだ。 

『合気道』は、関節が捻れる方向に捻り、その限界で『投げ』の形となるコンセプトであるから、タイミングが悪かったり、色々な条件で、有効に極まらない事が多い。習得は難しいと言える。 

『合気道』は、相手の攻撃の力の作用線上で、まるで待っていて、受け止めようとするような動作をする。受動的である。 強く踏ん張って、受け止めようとはしない。その接触点において、自分の体のポジションを移動する事で、その作用方向を変える。相手のバランスが崩れて行く方向である。 

『柔術』は、受動的な考え方をして技を使う事は無いが、体の使い方は、この点では一致している。  

『合気道』は受動的と書いたが、フェイクとして相手に攻撃をし、それによって反応する事を導く事もある。トラップとして、積極的に技を仕掛ける事はある。 結局は、相手が動くという事を利用している。『どんな大男でも、道に落ちている小石につまずき倒れる事もある』ということに似ている。 

『合気道』も『柔術』も、そして、ルールのあるスポーツとして進化した『柔道』も、人間の体の特性や物理的作用を利用して、似たような状態を導く。この現象に、こちらから力を加えると、『転ぶ』というより、むしろ『投げる』という状態が明確な事になる。 

スポーツとして存在するようになった『柔道』は、この事で勝敗を決める。 『寝技』というのは、一定時間相手が起きあがれないように、自分がコントロール出来るという事である。 寝ての攻防で、『首を絞める』とか、『腕関節をロックする事で、相手が「参った」と自己宣告』する事も、勝敗のルールとしてある。元々は、古来からある『柔術』の技を、創始者が、判りやすく、使いやすく、かつ、高度な技として高めるための検証し研鑽し、再構築したものだった。 

ひとつの流れが、柔術の中から別れて行った言える。 他の『柔術』と違うのは、万人の心身鍛練のために、スポーツとして普及させるというコンセプトが加わり、『武術』としての理念(相手にダメージを与えるという危険性)が、薄くなったと言える。 

一方、『合気道』や『柔術』は、派手に『投げる』事を必然とはしていない。 つまり、相手がバランスを崩す時点で、こちらが相手をコントロール出来ればよい。誰も、生死の駆け引きの最中に、ジャッチするものはいない。無意味な事だ。そこにあるのは、手段はどうあろうとも、勝つか負けるの、二つだけなのである。 

『合気道』は、関節などをロックして、相手を動けなくしてしまう。 相手を『投げる』においても、地面に叩きつけて、相手を傷めるような事は少ない。 戦いは、さらなる戦いを招くから、回避する事に努めようとする。場合によっては、逃げるチャンスが出来ればいいのである。 

『柔術』は、このように優しくはない。『柔術』は、相手を『破壊』するまでのプロセスをプログラムされていると言えるが、『合気道』は、相手の『攻撃心』が失われたら、目的を達すると言える。 

別な例を引用する。 人間の関節は、ある方向には『ねじれ』、その反対方向や別方向には『ねじれない』あるいは『ねじれにくい』。 また、『ねじれ』る方向にあっても、範囲があり、ある限界を越えると、これも『破壊』におよぶ。 その範囲内で、段階的に、物理的な作用を使って力を加え調整する事により、相手の抵抗の程度をコントロールする。

そういうレベルまでの習得は難しいが、『合気道』は、そのプロセスを学ぶ事に費やする。何度も書くが、けっして、『破壊』して、相手を傷めつける事を目的としていないからだ。 

『柔術』は、『破壊』にいたる『ねじれない』方向に作用させて、『攻撃力』を奪う。 これによって、判断を躊躇する時間を、自分にも与えない事にも役立っている。反撃のチャンスを与えてしまうからである。あくまでも相手を『死』に追いやり、『完全なる制止』を求める事を、常に頭にイメージする事を大事としている。 

相手の関節に及ぼす技を例えにして書いたが、この事は、すべての技や技の展開において言える。 人間の体の特性 を利用し、物理的作用(てこの原理や遠心力など)を使うというのは、 同じではある。 

そして、ある時代になると、『柔術』から、『合気道』という考え方が、別れて行き、独自の進化を始めた。 『柔術』から、別れ育った武術であるから、以前は、『急所』の位置も教えた。しかし、今は、ソフトな教え方、形式的に知識として教えるだけ、もしくは省略している。 

『柔術』は、他の武術と同じく、相手の攻撃の気配を事前に感じて、反応する技や考え方もある。 『合気道』は、相手が攻撃する前に、攻撃し、制する事は無いし、モットーに反すると考えている。

 『柔術』 は、『空手』など打撃系の武術と、テクニックは違うが、パンチやキックのテクニックはある。 そして、パンチあるいはキックが効果を与えなくても、『投げ技』や『関節技』『絞め技』など、その後のバリエーションは多才である。でも 大事な事は、常に一撃目で終えてしまう気持ちを持って反応する事を、心掛けている。 

『合気道』は、強い『当て身(パンチ)』による制止力にあまり期待していないため、投げ技や関節技で相手を制するとなると、『柔術』に比べるとハンディがあるようにも見える。 また、相手を傷つける事が目的ではないので、技の強弱を更にデリケートにコントロール出来るようになる事が、『達人』の域とすると、それを目指すには、さらに難しく、習得の効果が表れにくい。しかし、その域に到達すれば、ハンディとはならない。 

考えてみると、『柔術』も『合気道』も到達して行く所は同じである。元の発祥地点が同じなのだから、不思議ではない。 

次ぎに、相手の攻撃を制し、次ぎの攻撃が無いか、あるいは他方からの攻撃が無いか、警戒する気持ちを絶えず持つ事。また、すぐに次ぎの攻撃体勢となれる構えを保持する事を『残心』という。『合気道』を習得する際に 強く指導される事は無くなったように思うが、 他の武術でも、これを大事とするとある。 

『柔術』の場合、相手を制するという事は、動けない程のダメージ、あるいは死にいたらしめるから、次ぎの展開としては、他方への警戒に気持ちに、集中力を向けしやすい。

『合気道』の場合、相手を制しても、解放したら、反撃されるかもしれないというリスクが伴う。したがって、制した相手が反撃してこないか警戒する事、及び、他方からの攻撃を警戒する事と、二方向での警戒が要求される。 

『達人』になれば、相手を痺れさせるなど、一時的に動けなくしてしまう技もある。しかし、魔法のように見える技を習得するまでには、多くの時間を要し、しかもマスターするのは難しい。 

いろいろ『合気道』と『柔術』の違いを述べて来た、 まとめると、元は同じであるという事。 相手を制するという事も同じではあるけれど、技の考え方には違いがあるという事。 習得での 早い進歩と即効性は『柔術』にある。 相手を傷つけず、『捕獲』する事に似ている『合気道』は、習得は難しい。 

なぜならば、凶悪事件で、警察が犯人を殺さず捕まえる事に主眼をおいて向う時、多人数で数の上で有利であっても、捕まえる側に犠牲が出るというケースを イメージすると理解出来るであろう。 

しかし、『達人』の域となった方を見ると、どちらもすごいと思う。 強ければ、攻撃に対して、どのような展開も対処も自在なのだから、『合気道』の達人、『柔術』の達人、あるいは他の武術の達人というカテゴリーの分け方は、彼等にとって無意味なのである。 特に、『合気道』も『柔術』も同じ血を持つものであるから、到達した域の人は、「どちらの系統か?」と、私達には判断は出来ない。(了)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まったく、簡潔にもならず、長文で言葉足らずではありましたが、さらに『柔術』の事を書きながら、この時代に『古武術』とは?という事を、またさらに考えさせられた次第でもありました。 

   久しく書く気にならなかった稽古日誌でありました。別段 修行の壁にぶち当った訳でもなく、ただ書く気が起きなかったのです。 

…と思っておりましたら、不覚にも糖尿という病気を患う事となり、それも遠因としてあったようで、『ほぉ~』と合点となったわけであります。 

もっとも、怠け癖が生来無いわけではなく、これを原因として『怠け』を肯定されたら、端に迷惑も掛かろうというもの。 どうかどうかお気遣い無く、今まで同様、叱咤していただいて構いません(誰に向って言っている??)。 

…と言いつつ、ひとつ言い訳させていただけるとしたら、昨今流行りのミクシィとやらの、古武術介護のコミュ(集い)では、結構熱く『ナンバ』歩きの事を中心とした『身体操法』について語っております(ミクシイでは、何故久しくなったか、その経緯を書いてもおります)。 

面白いもので、ここでは古武術をやっておらぬ方らとのお話となる事が多いので、語り口も勝手も少々こちらと違い、これはこれでいい『文章上での稽古』になりました。 

…とは申せ、その輪を手繰ると、これまたこちらでの縁で知り合う事にはなろうかという人とも会ったり、繋いでもらったり。 いやはや、電脳世界は、遠いものを近いものにしてくれて、驚くやら嬉しいやらであります。ただ、増々自分の稚拙さが露呈してしまっていますが…(苦笑) 

さて、『文章での稽古』と書きましたが、面白い経験をさせていただきました。 

それは、修武堂に来ている「ぐれん流柔術」師範グレン氏との稽古中の会話での事。 

実は修武堂の稽古は、体育会系のようなガンガン稽古ではなくて、和気藹々。下手をすると、道ばたで立ち話に興じているおばちゃんのようで、稽古らしくはありません。期待して来たいという方らに、説明する時困る程です。 

グレン師範も、昔習っていた英会話教室の先生だった縁ではありましたけれど、以前にも書きましたが、彼が柔術をしていた事は当時は知らなくて、大分経ってから知り、でもその後、怪我をしてしばらく稽古や教室は中断したとの事。

ある時、ばったり会い、少し元気が無かったようなので、リハビリがてら…とお誘いしたものの、それでもあの稽古を知っていたので、怒って来なくなるかな~なんて思っていた程です。

実際、ぐれん流柔術の教室は、まったく普通に体育会系であります。手本に見せるライトな攻撃技でも、い…痛い。『受け』は、大変なのです。 

 ともあれ、話しの内容。 古来の気風を残したオーストラリアン柔術は、私の『受け』で受けるもの以上に稽古は厳しいらしく、常に怪我と背中合わせの危険な稽古だそうです。 一時期、私も習いもしたので、おかげ様で去年お伺いした竹内流の稽古会では、少しはビビる事…失礼非礼はありませんでしたが(たぶん…でも手加減してくれてました)、誠に『柔術』は、畳があっても無くても同じに危険な稽古だなあと感じておりました。『受け身』なんて、役立てる前に、ジエンドです。 

しかし、最近オーストラリアでの柔術の稽古風景は、ソフトになったとグレン師範はおっしゃっていました。 「タブン オカネノタメカモ シレナイ」。つまり、危険な稽古では、生徒が集まらないからだろうと言うのです

 ただ、それでは『柔術』本来のコンセプトが教えられないともおっしゃっておりました。 死命を賭ける状況にあった時の自分の身を操り、相手を制す法だから、稽古でギリギリその状況を体現し、いざその時には発揮出来るようにと先人が苦心工夫したのを 流儀と称して行って来たわけで、それを『経営』の名の元で失いつつある…という意味だと思います。 

さらに言う事は、 見た目は『合気道』に近い感じになって来たというのです。『合気道』をしている方に誤解を受けないように補足しますが、グレン師範は『合気道』のコンセプトを知らない訳ではなくて、要は『習いに来る方』が、『合気道』といっしょくたなイメージを持って来られるのを、『柔術を教える方』があまり正さないで、そしてソフトな稽古にもしているから、よけい『合気道』ぽい感じに、受け止められているようだとの事らしいです。 

これでは、私が思うだけでも、『柔術』と『合気道』の方にも、本意ではなかもしれません。 そこで、自分(グレン師範)が日本語で、『柔術』と『合気道』の違いを説明する時、どう説明したらいいか?との話しなのでありました。 

私も、間違って解説しては一大事。これこのように、句読点ばかり多くて、簡潔明瞭でない文章では、先生も理解に困るだろうと思い、「先生、私も、簡単には言えない部分(このニュアンス解るかな…)もあるし、間違った事を言ってはいけない(ホントは『表現しにくいので…』と言いたいんだけど…)ので、家に帰って、タイプしてみます。後でメールします。英文に直して、先生、解るなら、OK。」としたわけです。 

しかし、結構、簡潔でイメージしやすくというのは難しいもの。 英語的な感覚での表現で『日本』を語ると、どうしても、私達が西洋映画で観るような感じになってしまうのでは?と思います。 

人間の付き合いがまだまだ殺伐としていた時代が、差程ずれなくあったとしても、西洋も東洋も、また東洋だって、中国のような大陸と島国日本でも、『武』の成り立ちが違います。よく、中国の歴史を読むと、特有の誇大誇張もあるのでしょうが、戦での兵隊の数も、その死者の数も豪快そのものなのは、『武』的な教育が受けていない…否、受け切れない…それも、おいそれと民衆が「『武』を備えたら何するか判らないから」として、日本以上に制限されていた環境にあったからなのかもしれません。 

そりゃそうです。武力が無くても、あの中国の『民衆』という数が動けば、その『うねり』は施政者にとって『自然の脅威』と同じ。ある意味、統治コントロールして、その時代を治めているとしても、大河を浅はかな人間の知恵で築いた薄皮のような土手で押さえているようなもの。

また、辛うじて『鞭』で自分の権限を誇示している野獣の調教師のようなものに見えます。ですから、『武』の豊穰浸透した様相が違ったのだろうと、最近思っています。  

ともあれ、西洋の方が日本人に『日本的なもの』を説明する為には…と思いつつ、その前に私が思っている『日本的なもの』を表現してみようと、一応やってみたら、私達が英語を直訳した時のような文章になってしまいました。ちょっと変な感じです。

そんな思いもあって、書いて、師範にもお見せした後、「先生。意外に難しかった…です。先生、『違う』と思うところあるかもしれないです。今度、この文章、稽古日誌に掲載します。日本人でも、『柔術』と『合気道』の人も、『違う』と言うかもしれません。でも、それが、修正するデータになり、私には勉強になります。稽古になります。そして、さらに…いや…また修正して、先生に、より正確にお伝え出来る事になるとも思います。」とも言いました。 

まったく、会話が『直訳調』になってしまっている自分が、妙ではありましたが、とても『柔術』を見直すいい機会になった事は確かではありました。グレン師範、感謝であります。以下は その原稿であります。


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