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稽 古 日 誌 14 目 録 |
晩年の笹森順造師範が打太刀を、北辰堂の岩田夏岳師範が仕太刀をやって、ともに津軽の小野派一刀流剣術を演武している。まあ、両者の系統は、もともと同根であるから当たり前である。 私は幼いころ、岩田師範によく剣道の地稽古をいただき、巌のような姿にしゃにむにかかっていったものだ。 そしてよく、岩田師範と佐藤兵衛師範が、鬼小手を着け、刃引き刀を激しくぶつかり合わせる、小野派一刀流剣術の稽古を静かに見ていた。 それが普通の剣道道場の風景だと思っていた。 成人してから、そうでないことがわかってきた。 津軽の小野派一刀流剣術中畑師範から兄弟弟子のように習った、故笹森師範と故小舘俊雄師範。小舘系統が岩田師範へ受け継がれ、そのまま現在の北辰堂で継承されている。 関係者によると、現在の笹森系統と小舘系統の技には若干の違いがあるとも聞く。 一方で、笹森系統も、東京に出た系統だけではなく、現在の津軽にも残っていると聞く。 ともかく小野派一刀流剣術が播いた種は、大変な影響力を持っている。 さて武とは、度胸や力自慢の前に、例えば大火事を消すことより、火の元を察知して事前に消す能力ではないか。 つまり、斬られてから、殴られてから「まずかった」と知るずっと以前に「これはなんだか危ない気がする」と敏感に感知して解消し、すぐ安定と調和に戻せる能力が必要なのではないか。 それはそっくりそのまま、身体の精妙なバランスや中庸を求める実技稽古のなかで、身心を駆使して体認しながら養成されるのだろう。すると周囲の環境のバランスにも敏感になるのではないか。 それは現代の危機管理だけではなく、会社経営、人間関係にも応用できよう。 そんな武を求めたのは武士だけではない。 かつて村落に住む民衆が芸能と称し、古流武術を習得していたことを、改めて知らされた。 埼玉県立民俗文化センター1985年『埼玉県民俗芸能調査報告書第四集 原馬室の獅子舞・棒術』には、真剣や六尺棒、木刀、小太刀で、独演の居合、二人で打ち合う剣術や棒術などが写真付きで報告されている。 そのなかの刀の振り方、座り方は、有名な古流剣術そっくりのしぐさをしている。 たぶん、これを精緻な形稽古でやれば、そのまま武術の基本が習得できるのではないか。 これを民衆がやっていたとしたら、武は武士の専売特許ではなく、さらに多くの階層へ普及していたのではないか。 でも、近代以降の武道は、その技を見取る眼を失ってしまった。おそらく、非実用的な舞踊だとしか見えず、沈黙してしまうに違いない。 なぜなら競技化のなかで、あまりに基本とする技が変形してしまったからだ。 思い直した。 もともと世界には古流が満ちていたのだ。武士にも民衆にも…。その時代の方が遙かに長かったのだ。 現代武道師範からすれば、私は突飛なこと、勝手なことをやっているように見えるようだが、実はただ、かつての当たり前をなぞろうとしているだけなのだ。 逆に「疑うべきもない正しい自明のこと」と思っている現代の技術こそ、実はここ1、2世紀の急激な変化と全国化の産物である。 家伝剣術らは、それより遙か長い時代に敷衍していた存在であり、現代の「自明のこと」は、その前の深い地層の上に、上澄みのように乗っかった危うい存在なのではないか。 下の深層は、覆い隠そうとしても隠せない。私が力まずとも、あえて主張せずとも。だから右顧左眄せずに「事実だ」と堂々といればいいのだろう。 再び「三本足」シリーズを思い出した。 例え、トリポッド達が圧倒的な科学力を持っていようとも、たかだか百年の支配努力では、数万年続いてきた人類の文明を根底から塗り替えることは不可能であった。どうしても世界の隅々にわずかな者が残ってしまう。そこから彼等が地球の上に敷いた、上澄みのような支配は破綻していった。 つまりだ。思うより世界は、自然へ、安定へ、元のあるべき姿へ戻ろうとする力は強いのではないか。 それを心身で体認し、活用するのも武ではないか。 知人が、ある有名流派の再興に力を貸すことになりそうだ。 あまりに迷走している現状だから、今はどうか時が来るまでは、ひそやかにご精進され、やがてこの世界に、再び生命を吹き込んでいただくようお願い申し上げたい。 この津軽に我が家だけが孤立しているのではなく、同志が蘇って、切磋琢磨する世界となれば面白い。 これも少なからず私の活動の余波かもしれず、まさかそんな展開になるとは予想もつかなかった。 それで、ジョン・クリストファーによる三本足シリーズ(学習研究社、絶版)というジュブナイル小説を思い出した。 小学生の頃、ハマってしまい何度も繰り返し読んだ。なんでだろう。イギリスBBCでは連続ドラマ化されている。ストーリーは簡単だ。 あるとき異星から飛来した三本足の巨人。最初、地球人は撃退できたものの、いつの間にか人気テレビで洗脳が始まり、下僕となった多くの人々が津波のようにふくれあがって、互いの頭に洗脳キャップをはめ、互いに殺し合うことで、異星人による地球支配が完了してしまう。 ひとつの家族だけがスイス山中に逃れて、ときを待つことに。 それから100年。異星人による支配が疑うことなき自明の世界、全世界の常識となり、科学技術も中世期まで退化してしまった世界で、失われた過去に気づいた子供達や、地下活動をしてきた人々が立ち上がり、自由を求めて絶望的な闘いを挑む、というものだ。 「失われた歴史を求めて」という話形は、多くの人々の心をとらえる神話的要素があるのか、いろんな小説や映画でも使われる。最近でもスターウォーズ、マトリクス… 三本足シリーズ『トリボット 第一巻 来襲』(ハヤカワ文庫、絶版)の結末で、三本足に洗脳された全世界から追われて、ユンブフラフヨッホ駅山中に隠れた主人公は、何百年後かわからないが、いつか人類が立ち上がるときが来るまで「ぼくの仕事は、そんな日を実現するための礎を築くことだ。」と言う。 そのセリフは、廃藩置県後、急激に衰退していった家伝剣術を守ろうとした当時の門人たちの記録を見たあのときの記憶と重なってしまい、いまは小学生の頃とは違った印象で我に迫ってくる。 最近ようやく、私の身体には、かすかでも確かに、かつての武術、武芸にはかなり高度な理合が満ちていたのだ、という体感と確信が芽生えつつある。 これは他人の意見ではない。家伝の稽古や形、伝書の記述と、現在の自分の身体を通じた稽古を頼りに歩くなかで、独りよがりと言われようが、自分の腹の底からの疑いようも無き実感である。 もう十年早く気づけば…と何度も悔やむことが多いが、たぶん十年前の自分に出会って、稽古の規矩を説明しても、まるで未知の文明語のようで理解できなかったであろうと思いなおす。 残念ながら、凡才の私は、なるべき速度の歩みで、ゆっくり自然に悟っていくしかないのだろう。 明日は再び沖縄へ飛ぶ。 最近、私はただ真剣を振り回して、静止物を斬っているだけではない。 武というからには、他者との関わりがなくては、そのうち曲芸になるか単なる畳裁断職人になってしまう。 武道・武術をやると、人間関係がよくなる、らしい。 礼法は武に通じると古人もいった。 なぜなら武技は、生命のやりとりという切実な場で、適度な間合い、相手の気配を察知し、即応し、いかに接触し、自己を確立しながら対応し…など、他者との関わりを、命をかけて模索してきた。 人との和を結ぶ礼法や茶の湯に対して、武は甲野善紀師範が説いた「逆縁」の出会いである。 私は、かつての武家の礼法や茶の湯の所作のなかには、相手に対する護身の所作、つまり相手に危険性を感じさせずに、その場を和らげたままで動くための所作、身体のサインがたくさん含まれているような気がして、勝手に想像してしまう。 実際の稽古でも、打たれた我が痛みを知れば、相手にこうすれば、このくらい痛いだろうと、ありありと感じられてくる。 だから稽古では、自ずと暴力に制御がかかった、精妙にコントロールされた動きが自得されてくる。 やすやす簡単なことでは武技、刀は抜かないもので、本当に「いざ」というときまで使ってはいけない、ということが体感されてこよう。 竹刀剣道をやった人もすぐわかる。立ち姿だけではない、人との接し方で、中心をとる、いなす、先の先、後の先など、見えない地稽古をやっている方がいる。その姿は、鏡で私自身もそうである、いやらしさを見せつけられているようで、そのたびに自省している。 また先日の中国拳法N氏の自由組手では、一対一では競技スタイルに陥りやすいので、ときに二人相手に対多数も意識してやるという。 対多数は、林崎新夢想流居合でもやるが、それは複数の人間関係の精妙な動きを、同時に意識しながら生きる社会生活そのもののシュミレーションかもしれない。 カラダで、人間関係を体感しながら学べるのが武だ。 これはインターネットには不可能だ。体感無き人間関係は本当に危ういと思う。 その反面、現実社会やマンガのなかでは、本当は複雑精妙な個人やキャラクターの存在自体を、すべて数字のみで表わすようになっている。年収いくら、適性いくら、段位いくら、攻撃力いくら、はたまたアラサー、アラフォー…。 それはその人の属性のほんの一部でしかない。ただ複雑不可解な現実を前にして、目をつむって単純化して、理解したつもりになっているだけだ。 それがますます加速している現代において、人間が生物の本性として、取り戻さなくてはならない重要なことではないか。そうしなくてはやがて本当の現実に逆襲されるだろう。 先日、生まれて初めてやった、戦国武士のチャンバラゲームも、永遠に同じ動作を繰り返すことができ、しかも全く敵との関係を結ぶことなく、実感もなく、斬り込んでいく画面のなかのキャラクターに、違和感を禁じ得なかった。全く現実の武、人間とつながらない。 冷暖房完備の自室でこれに習熟し、現実もこうだと思い込んで、ストレスから多くの殺人をした、という愚か者が出てくることも想像できた。 そうなりつつある子供がいたら、なんの武でもいい。道場へ連れていこう。自分に肉体があること、そして生きた相手に向かうことが、どれだけ難しいことか、自分自身のカラダでさんざん体験させるべきである。 以上、これは武のスタイルによるだろう。 ファイト、ファイトで、俺が、俺がを通すそうと、ガンガンつぶしあい、パワーでねじふせてやるぞ、という競技スタイルでは、 このような精妙な心身を習得する前に、己の心身そのものが自壊してしまうかもしれない。 (実は、このような戦術が、あまり効果的ではないことを、体感として技としてありありと教えてくれるのが、剣や棒などの武器術である。) では、お前自身いい人間関係を作っているのか!?現実を把握しているのか!?と問われたら、下を向くしかないのだが…。 ここ一カ月、かなりの畳表を斬ったが、竹刀や木刀、真剣との感覚の違いに、たぶん私は先祖帰りしている。 今まで竹刀稽古で「有効打突だ」として打ちこんできたうち、いったい何本が、本当に斬れる太刀筋だったのか。本当に試合で勝っていたのか。 体術で、手のみで威力のない突きを「手打ち」というらしいが、武技として威力のない「手打ち」とタッチを何回当てても、何の意味があろうか。 無住心剣術の真里谷円四郎が「ハゼ釣り兵法」と批判した当日の竹刀剣術、 そして明治初期の旧弘前藩武芸師範達が「ススハライ剣術」と嘲笑った撃剣は、私の竹刀剣道そのもののような稽古だったのではないか。 今や絶対的な価値基準となった竹刀稽古は、かつては剣を使う前の模擬演習であって、それ自体が目的ではなかったことが実感として上がってくる。 演習自体が目的となれば、実技は大きく変容しよう。現在では演習のために、本来の目的を曲げているのかもしれない。 N氏が言っていた。稽古と安全性の両立は難しいが、防具をつけると安心感で稽古がゲームになってしまう。 危険でないことをいかに激しくやろうと、重みのない言葉をいかに乱発しようとも、わからない感覚がある。届かない世界がある。 武は、危険を我慢したり、度胸試しするのではなく、危険にいかに対処するかではないか。 そのうち少しずつ真剣に慣れ始めてきたような。 木刀や竹刀とは異なるこの感覚。 曲芸斬りではなく、腕力で振り回さず、対象物を斬る刀の軌跡が、同時に自分のなかの詰まりを斬って、まったく力感を残さないような感覚でやっている。 明らかに剣は、竹刀や木刀での打ち込みとは違う速さを発生させ、違う運動を人間に求めてくる気がする。 構えて、刀という道具の特性に耳を澄ませれば、いろんなことを教えてくれるようだ。 そうしたら、竹刀剣道でやってきた自分の地稽古が、いかにこれから遊離しているか、恥ずかしくなってきた。 一方で「相手の攻撃を受け止めて、我慢してから返せ‥」という武技が発想できなくなる。 試し斬りが終わってから、着替えて近くのスーパーに買い物に行ったとき家内に笑われた。 両肩が落ちてスルスル歩いており、まるで幕末の着物を着たお侍さんの古写真みたいで、全く洋服が似合わないというのだ。 なるほど。斬ったときに、肩や胸に詰まる衝撃を、すべて流しきってためないよう工夫していたら、そんな姿勢になっていたのか。 日常生活をしていたら、すぐに元の姿勢に戻ってしまったが、下田ゆうじ氏も指摘していた両肩が落ちた武士達の姿勢は、カッコだけではなく、刀という道具の特性に導かれて、自ずとそうなってしまう姿勢ではないか。 そのうち、日常生活での自分の感じ方、考え方、振舞い方も、強引さや滞りが発生することが嫌な感覚が生じてきたり、グッとこらえる前に先手を打って回避しようとする感覚が生じてきたりして、少しずつ変化しつつあるようで面白い。 一方で、家伝伝書に「他人に刀を見せること」の留意点が書かれているが、そのことを実感することもあった。刀には人を魅了して虜にしてしまう魔性がある。 私はそうならないとあらかじめブレーキをかけている。刀を買うときは必ず「稽古のためにボロボロにする実用道具だ。だから美醜は問わない」と己に暗示をかけてから買う。 もちろんお金もないから、安い刀しか手に入らないが。私にとっては愛刀になる。 なぜならば、モノはいつか無くなる。それに固執し、居つくことこそ己の欠点となり、武の本義とは異なってしまうだろう。 それより得がたく、他者に奪われない永遠の宝は、武から体認する無形の理だと思う。 といいながら、ぼんやり眺めていた旧弘前藩刀匠N氏に見ていただいた先祖伝来の刀の一振りが、弘前藩に我が家伝剣術を持ち込んだ人物と深く関わっていることを直感した。 その瞬間、まるで二百五十年前からの励ましを受信したようで、胸が熱くなった。 まあ、そんな装置でもあるから、やはり凄い道具だな。 以前も書いたことがある。ある方から一葉の写真を見せてもらった。 明治期、弘前市の東奥義塾前で、旧弘前藩小野派一刀流剣術の老師範と、近代剣道の祖高野佐三郎師範が、一刀流の形を打っている写真だ。 二人とも同じ流派の同じ正眼を構えているのに、全く違う身体に見えた。 高野師範の構えは近現代剣道そのもの。両足のつま先を相手へ向け、かかとを上げ、腹部を前へ張り、胸を反らし、剣先は相手の喉下につけている。 ところが老師範の構えは、かかとを地につけた種目足、やや首が前に出る猫背、構え全体が高く、両腕を伸ばすようにして剣先を顔面につけ、まるで我が家伝剣術「生々剣」「正眼」の構えを彷彿とさせた。 私は、老師範の構えが、雑誌で紹介されていた、小野派一刀流の「古伝」の構えにそっくりであることに気づいた。 やがて、その構えから大きく振りかぶって、かつ素早く面を打つ方法をひらめいた。 ふつう、一刀流から生まれた竹刀剣道の地稽古で、基本どおりに大きく振りかぶって面を打っていっても、小さく打つ差し面相手には間に合わないものだ。 分解写真を見ると、剣道全国大会の強豪選手などは、ほとんど振りかぶっていない。幕末に揶揄されたように、まるで鳥もちの竿を伸ばすようにして、飛び込んで面を打っている。 私も得意技だったこの面打ちは、現在では昇段試験の科目にもなっている。 しかし剣道の目指す「剣の理法」とはかけ離れてしまっているのは残念である。 実際に斬れないことは昭和初期から言われてきた。 だから刀法に忠実な居合の方が剣道をやると、細かく打ってくる剣道家に苦戦される。 剣道家は、はなから「大きくかぶる基本素振り」と「小さく打つ試合、昇段用」を別のものとして割り切って、区別して使っているからだ。 この地方で、剣道と居合道の合同稽古会がある。 その始めに、参加者の一体感を高める準備運動として、剣道修行者も居合修行者も、ともに剣道の基本素振りをやったという話を聞き、首をかしげた。 基本素振りが異なる両者において、勝手に「剣道側に合わせよ」というのは、あまりな強引ではなかったか。いや、もしかしたら、そのときの号令者が、剣道技法しか知らず、それこそ唯一の「正しい基本である」と勘違いしていたのかもしれない。 だが、もともとが剣の理法を目指すなら、居合道の素振りに合わせる方が筋ではないかな。 さて一刀流老師範の構えに戻る。 私はその写真の姿勢から「大きく振りかぶること」「間に合って速く打つこと」「威力」は、共存していたのだとひらめいた。 その打ち方は、外見上はなんら特徴がなく、筆舌に尽くしがたいが誰でもすぐにできる。立っていることに敏感になれば。 よく古流や合気道の師範が、剣を構えた我が腕を、上から両腕で思い切り押さえられたままでも、難無く上げることができる、という技を示されるが、実験稽古をしてみれば、なんとなくそれに近い芸当も可能となるようだ。 そしてこの技の理は、そのまま古流剣術の鍔競り合いからの技「獅子の洞入り」などにも使える。 この面打ちを、打ち込み台相手に実験しているが、剣道式の面打ちより力感がないのに、衝撃が大きく、打ち込み台が倒れてしまう。試し斬りでも実験したがかなり斬れる。 しかし、強固な剣道の面をかぶっている相手をつけて、竹刀で打ち込もうとも、かなりの衝撃があり、人相手には少々危険かと、実験していない。 かつ、私自身まだまだ、引き金を引いたら飛び出す鉄砲玉のレベルであり、生きて動く相手向けのコントロール性がないからだ。 国防のお仕事をされているN氏が帰省された。 オーストラリアン柔術、形意拳、八卦掌、太極拳などを学ばれてきた同氏に、体術による自由組手の方法を教えていただいた。 イチかバチかという打ち合いや、一対一の単なるゲーム、体力勝負で終わらずに、確かな武技を拓いていく方法だった。 剣術の稽古とも通じるなと感じた。お教えに感謝したい。 未知の武と接することは大変刺激的であり、多くの気づきがある。 たぶん現代武道各分野の草創期には、ドラスティックな出会いといろんなものを吸収しようとする豊かさがあった。 しかし、いまや多くの全国武道は、細分化して閉じたカラのなかだけで、特定の同じ技術をなぞることに一生懸命になっている感が否めない。 例えば剣道の先生に「竹刀が無いとき、落としたとき、どう戦えばいいのですか?」と聞いても「バカな質問をするな!」と叱られるだけだ。ルール上の解説はしても、納得する答えは返ってこないだろう。 居合に入門した知人は「敵が形通りに斬ってこない場合どうすればいいのでしょうか」と聞いたら「これは剣道ではないのだ!!」と叱られ、疑問のまま辞めてしまったという。 体育の先生で剣道専科の方を、修武堂稽古へお誘いしたら「他流派とはやらない。そちらが剣道道場へ来られたら稽古しましょう」と言われたこともある。 特にこの地方では、今やっていることを「伝統」「自明のこと」として棚上げしてしまう傾向が強い。 だから、全国武道高段者からすれば、いろいろよそ見して試みる私は「ひとつの道を極めない前に、いろいろやるなど不届き者、困ったヤツ」に見えるらしく、説教を受けたことがある。 しかしその観念こそ近代の産物であり、近世の武士は武芸十八般だ。 だが、音楽、美術工芸、アートの世界は全く違うようだ。 洋楽だろうが津軽三味線だろうが、漆芸だろうが、染織だろうが、美を求めるためには、異なるジャンル同士、老いも若きも、互いの特質、表現方法を学びあうと、活発にコラボレーションしている。 いったい、どちらがこの先、豊かな文化を拓いていけるのだろう。 たぶん、大きな武道が閉じてしまうのは、互いの存在をライバル視してしまうことだけではなく、異種と交錯することで現在の技術形態の変更が迫られれば、組織維持のための重要なシステムである、試合、昇段等の規準そのものが揺らいでしまうからではないか。 しかしだ。武の本質を求める、若く志のある方々は、それにとらわれず、また表面は従っても密やかに、様々な異なる武種の経験を積まれている。 この地方においてもだ。そのなかから新しい世界が生まれてくるだろう。 馴れていない動きは、形をやると、新鮮な気づきがあるが、長年馴れてしまった動き、形を、再検証するのは大変だ。 自明のことだと、アタマが身体が、自分の感覚が閉じてしまっている。 でもひとつ救いなのは、ダメな部分がハッキリとわかっていることだ。このままのお粗末さで終わっていいのか…!と、できないことが恥ずかしく、悔しく、己が許せない。 二十年間沁み込ませてしまった動きを、底から解体するぞ。 あるとき、剣道稽古の後、着替え室で七段の先生同士が 「私はなかなか上達しない、数十年たっても、まだ高校生時代の剣風となんら変わっていない…」と深くつぶやかれた。 その先生の誠実さ、向上心に深く首を垂れるとともに「何年たっても変わらない」という言葉は、私自身耳が痛かった。 まもなくその方は、あまりの稽古熱心さに、完治が難しいほど関節を痛められた。 素手の武道よりは安全で痛みが無いはずの剣道でも、自分の力で身体を壊すことはたくさんあるのだ。 「昨日の自分に今日は勝つ」と稽古しても、 昨日と同じ方法で打ち続けようとする身勝手なアタマでは、自分をワク組みに閉じ込めるだけで、展開ができなくり、その不自然さが、やがて自然の一部である、人間の肉体そのものを壊してしまう。 形稽古は、そこから抜け出すために自省する効果的な道具である。 (だから、昇段試験の講評のように、所作の外形や、手順のみ指摘するのは、もしかすると審査員自体が形稽古の方法を知らず、単なる器械体操か儀礼としか認識できていない可能性はないか。ならば形稽古など全くやらず、打ち合っている方がずっと効果的である。) 試し斬りでさえ、対象物となる畳表を「コノヤロー」と力まかせに殴り続けるより、自分の身体のありように注視した方が、上達が早い気がする。 ときに対象物を斬った軌跡そのものの延長が、まるで自分の身体を同時に斬っているような感覚があった。その結果として対象物が斬れている。 よって、自分の動きの質的転換がなされないうちは、竹刀で打ち合う稽古はしない、と明言される師範も少なくないが、それも優れた見解であろう。 でも鈍感な私は、つまづいて、打たれれて、失敗して初めて知る己の欠点があり、近世以来、各流で試みられてきた竹刀を使った稽古にも、意義と魅力を感じている。ただそのスタイルが、一般的な竹刀剣道ではなくなりつつあるだけだ。 独りの形稽古で立てたひとつの仮説を、複雑な人間同士の関係のなかで発生する、神妙不測の状況へと投げ込んで、何が発生するか、という知的好奇心でもある。
忘れないうちに気づいたことを羅列する。 家伝剣術の中段の構え。 かつて祖父は「兜の前立てにぶつからないように構えろ」と言った。これは全く文字化されていない口伝である。 だがもしかしたらそれは、物理的な問題だけではないのではないか。 試し斬りのなかで発見した感覚から推測するが、そうすると、まっすぐかぶるよりも、古伝が記す身体各部のバランスを踏まえた上でやると、身体内部の垂線が立ちあがってくるのではないか。 そして「行雲」だ。古伝が示す身体各部のバランスを踏まえると斜の構えが少し変化してきた。そこから自ずと発生する斬りは角度が生まれ、術者の身体も二次元ではなく三次元での変化が求められ、相手の剣を跳ね上げる感じがある。 するとその後の担いで斬る動作がもう始まっている。 そのとき、木刀では、刃筋を無理やり転換しようとしていたが、模擬刀つまり刀の構造では、自ずと刃筋が自動転換するような。 しかし多敵向きだと家伝剣術伝書は説くが、本当にそうだろうか、全く不可思議な所作だ…とやっていたら、ハッと膝を打った。 これは、戦前の故笹森順造師範が説いていた、林崎流居合での対多敵の刀法そっくりではないか。 よく理解できずにいたが、祖父の剣道の先輩であった故笹森師範に、裏付けしていただいた気がする。 刀の握り。刀の柄は、竹刀の柄より短いので、構えれば自ずと両拳が近づく。それを離そうとするのは、やはり不自然だ。 試し斬りでやってみた、神道無念流の竹刀稽古で使うという、大きく身体を左右にさばく「切り返し」はよく斬れるなあ。さすがに実戦をくぐりぬけた古流である。 そして片膝付いて静かに刀をおく礼法。素早くやるが、決して刀も膝も打ちつけてはならない。これは簡単なようで奥深いなあ。 剣術や柔術の折敷く技にもつながるのではないか。実際に試し切りでも、折敷く斬りは、かなりの威力がある。 このような座ることだけではなく、調和したままで、カドを立てずに丸く動く、というのは、武技として気配を消すだけではなく、途切れない威力や瞬時の可変性など多くの実際の効果があると思われるが、本当に難しい。 それは「重き居仕舞を嫌ふ。剣の上に居る如くすべきなり」という教えにもつながろう。 この教えは、たぶん動作だけではなく、日常の行為、人間関係など万事に関わるかもしれない。先人たちのクールな、柔らかな佇まいは、決して外見だけではなく、精妙で、恐ろしい性能を秘めていたのかもしれな。 それが、いつから忘れられ、我々は具体的な力感ばかり求めるようになったのだろうか。私もそれでかなりの理合を見失っている気がする。 いつものように、庭の砂利石の上、雪駄を履いて、巻いた約50本の畳表を斬っていく。 機械的に速く斬っていくだけならば、すぐに終わってしまう。もったいない。 せっかく一晩水に漬けて用意したのだから、じっくり工夫しなくては。 先日のように、体のなかを通る細くて強い垂線。 その左右の体幹が、スムースに入れ替わること。よって両脚は踏みしめないこと。 などの有効性を改めて感じ、かつ構えや拳との関係があると、たとえ外見は上段で斜めに構えていても、内実は、正眼の構えより、かなりシビアな中心をとっていることがあるようだ。 そしてやはり、我流の斬りより、家伝剣術の斬り方が、ずっと安定した威力を生むなあ。 しかしそれ以外、今日はあまり新しい気づきはなく、切りながら少し退屈してきた。 斬れた。だからなんなのだ…と。 小人閑居して不善を為す。竹刀稽古をイメージして、攻めてフェイントをかけながら斬り込んだり、ジャンプして斬ってみたり、片手で斬ってみたり…と不要な遊びを始めるようになっていた。 昨日出会った、名久井の山中で陶芸をやられている方の言葉を思い出した。 当初の作陶では「こんなカタチにしよう」とデッサンで計画を立ててから作っっていたというが、今ではまったくしないという。 失敗から発見がある。ただモノの性質や理にまかせ、あるときは利用して、あえて不安定で、予測できない状況にして、どんなものが作品が生まれてくるのかと、作っているのだという。 そして自分が発見した様々な技法は、おそらく他の誰かも発見している、発見されていたはずだとつぶやいていた。 私の稽古はどうか。 まるで工業製品を作るように、あらかじめ自分で設計し、管理することで、自分でつまらなく、ちっぽけな限界となっているのではないか。 もっと、自分を越えた不測な現象に任せてみれば、もっと楽しく、その先は開けてくるのではないか。 先祖たちも、技の解説に「神妙不測」などと使っているということは、それは設計したものではなく、予想を越えて発見された理だったのだろう。 日常に、この小さな我が身に、神妙不測が宿っていることを体認できるならば、ゲームもケイタイもネットもテレビもなくとも、なんとこの世界は深く楽しいものだろう。 最後の一本だけは、斬りと、自分のなかの詰まりを消すことを一致させて斬り、 いつものように、目の前の霊峰岩木山に向かって刀礼をして終わった。 さて、これから約一時間かけて、山と積まれた斬ったあとの畳表の後片付け。家人に臭いと嫌われながら。 昨日、庭の稽古場。父と私と幼い息子。そして高校剣道部の指導が終わったばかりの妹がかけつけ、久しぶりに賑やかな楽しい稽古となった。 初めは家伝剣術、そして竹刀剣道。そのうち剣対薙刀の実験、家伝剣術小太刀は素手の体術にも応用できるのではないか…などと。 ふだん竹刀剣道を稽古している妹は、反応はいいが、やはり半身や一重身が苦手で、剣術も薙刀を持っても、正対してしまう癖があるようだ。 家伝剣術は、私が父の打太刀をやり、妹が仕太刀となってやったが、全く打太刀の視点から見た風景が異なる。 この技は、受けにとって本当に嫌な感じがするんだなあ。いつも遠慮なく打ちこむ私を、よく父はうまく扱っていたのだなあ、と改めて気づくこともあった。 自分の小太刀のマズさ、打太刀としてのヘタクソさを痛感した。本当にまだまだなんだと、あきれかえった。 明日以降やる、試し切り用の畳表数十巻を、水に漬けて帰った。 試し斬りをやって疑、ますます疑問に思うのが、竹刀剣道の「水平切り返し」である。 私は大きくなってから初めて見たとき、幼いころ剣道の先生に習ったものとは全く異質のものに見えた。あれで刃筋が立つのかと違和感を覚えた。 「刃筋を立ててやるように」というが、明らかに真剣を使った経験がないからこやれる技法ではないか。 実際に、普通の角度の切り返しならば、物体は斬れるが「水平切り返し」ではかなりの達人でない限り不可能である。まるで棒術だ。 まあ「切り返し」自体が、幕末以降、竹刀特有の稽古法から生まれた技法なのだから、もともと真剣と関係ないのかもしれないが。 身体が柔軟になるため、という理由で「剣の理法」から離れていくことをやっていては本末転倒ではないか。 今日は、旧弘前藩の刀匠N家へお邪魔した。 N家は先代から、故笹森順造師範、故小舘俊雄師範などの弘前藩の小野派一刀流師範方と親交が深く、両氏師範の刀や、北辰堂の同流用刃引き刀は、この家で打たれたものが多い。 私はここ数年、懇意にさせていただいているが、稽古仲間のT氏は高校生の頃から、いろいろ鍛冶仕事を教えてもらっている。 今日T氏は、以前N氏に打っていただいた、弘前藩林崎新夢想流居合の3尺3寸刀を持参され、その拵えが完成した報告をされていた。 急に私は、特別の二尺八寸五分の刀身をいただくことになった。大変光栄である。 これで私の刀が二振りとなった。これから時間をかけて、拵えを工夫し、自分なりの刀に仕上げていこう。 一般向けの普及活動の重要さも感じ始めながら、逆になんだか自分の技術志向が、ますますそれには向かない方向を向いているようで、自分でも矛盾しているなと苦笑する。 まあ、どうなるかわからないが、今は自然の流れにまかせていこうと思う。 約20年前、上梓された甲野善紀師範の『剣の精神誌』では、「天理の自然」と「人為」の関係を、生死のやりとりのなかで探究していた日本の剣術について、 現在では骨董品のようでありながら、扱いようによっては、これからの時代を拓く重要な鍵の一つであり、日本に遺されていた人間把握のための貴重な遺産ではないか、と説いていた。 そして、この遺産を継承し、人間の体感と遊離させずに探究していけば、根本的な生命の意思に逆らわずに、ハイテクをも扱えるようになるかもしれない、と述べられていた。 今日、出会えた方は、絶滅寸前の伝統工芸にたまたま出会って、再生させた方だった。 先師たちから「これをお前が守って伝えていかなくては永久に失われれるぞ。やってくれ。俺達は先に死んでしまう。それを見届けられないのが残念だ。」 と託された唯一の人となり、数十年後のいま、撒いた多くの種が、日本各地で広がっているそうだ。 さて、バガボンドの井上雄彦氏と内田樹氏の対談だったと思う。 剣で斬る。その大きなエネルギーが止まるとき、さらに大きな急制動力を必要とする。 その止める力で、剣は居着き、術者は反発力で自分の身体を痛める。 だが斬る対象物、敵がいる場合、それと衝突することによって、斬りのエネルギーは減殺されて、自分はもとのバランスを取り戻すことができる。 と述べられていたと思う。なるほどと膝を打った。これは素手の突き蹴りにも通じるか。 しかし、自分で実際に真剣で、畳表を試し斬りすれば、そうばかりでもないことに気づく。 つまり、剣が対象物に衝突した、という手応えがあった斬りは、精度が低いときだ。 満身の力で斬り込む。「斬ったぞ」と手ごたえと実感に満ち、我が勢いは受け止められ、ときには斬れずに殴るだけのこともある。 ときには、対象物の途中まで刃が入って、自力では抜けなくなる場合がある、 この状態は、見方によっては相手に刀を奪われた、いや刀ごと全身を拘束されたことになり、多人数の敵相手ならば、ほうっておいてくれないだろう。 だからもう一本、脇差しを帯びているのかな。 そうなるまいと、ますます力をこめてフルスイング…の稽古では、我が身を壊すだけでなく、武技としても、意志を持って変化し続ける相手には当たらない、居着いたものとなる。 ところが、精度の高い斬りのときには刀が、対象物を高速かつ強大な力で切断して虚空に抜けていくものの、術者にはほとんど手応えがない。 まるで箸を振ったくらいの軽さで、音もなく、大きな対象物がまっぷたつになるのだから、自分の体感と目の前の現象との違和感に自分で驚く。 そのとき「衝突して我が勢いを止めてくれるよ」という見込み、相手にもたれかかる甘えがあれば、裏切られ、肩すかしのように自分で前へつんのめり、止まらない剣はそのまま地面を打つこともある。 つまり、受けとめてくれることを期待せず、自分のなかでストレスを抱え込まず、という動きであれば、剣は初動を誘発するうえに、止めどもない変化の流れへ導いてくれる素晴らしい道具として覚醒するのではないか。 以上のことは、竹刀剣道時代には思いもつかなかった。 なぜならば竹刀は、激しい打突の際に生じる衝撃の緩衝材であるからこそ、打たれた方も、打った方も体を痛めずにいられるのであり、それが木刀や刀になればそうではいられない。相手を強く打ったその衝撃が、我が身へも跳ね返ってきて痛めるのではないか。 ボクサーがグローブを脱いで素手でパンチしたら自分の拳を骨折した、という話もだ。 家伝剣術も、竹刀稽古だけではなく「木刀や刃引きで、立ち木打ちを稽古しなくては、実際の斬り合いの理はつかめない」と説く。 これは、力まかせに激しく打ち込んで、己の身体に膨大な反発力を蓄積して壊すための稽古ではなく、いかにそうならないか工夫せよ、ということかもしれない。 強引さ、悪意は、相手だけではなく、自分をも破壊するらしい。 斬り合いながらも、相手にも自分にもとらわれず、自由自在でいるためには…。 昨日の試し斬りによる身体の疲労感が全くない。前回がウソのようだ。 少しは我が悪意が、強引さが、解消できていたのかな。 今日は、師を持たずに、自分で切り拓かれている工芸家と出会った。 でもこの方は、自らの作風実現の前にそびえたって、ねじ伏せることができない木の性質、自然が、ガイドライン、師匠なのではないかと思った。 完全な自由など、人間の幻想であり、人間をダメにしてしまうのではないか。ある程度の抵抗のなかからこそ、我々は生きている実感を、得がたきものを得るのではないか。 巻いた畳表数十本。庭で試し斬り。 前回のように、力まかせで真剣を振り回したあげく、その反発力で自分の身体を壊さないように。 のたうちまわったあの悪夢の三日間はもうこりごりだ。今日は技、身体の調和で斬るぞ。 始めるとすぐに、以前なぜ自分を壊したか、そのよけいな身体の力みが、ありありと感じられた。 例えば袈裟斬り。発生した威力が、自分の左胸や左腰でせきとめらている。これで我が身を壊したのだ。 力まかせの居合や試し斬り稽古を続けて、自分の体を壊されている方は少なくないと聞く。私もそうなる前に。 だから稽古しだいでは、悪い部分でさえ、理へのガイドラインとなってくれる。「この嫌な感覚は、警告だぞ…」と。 いかに、その力の流れの淀みを流し去ろうかと、左腰の開き、胸の落とし方…など、微妙な感覚を模索しながら斬る。 我が身体のなかで、斬りのときに少しでもねじったりするような感覚があれば、自分の身体の負担とともに、斬りの鈍さを生むようだ。 模索の途中、いつも斬れる太刀筋が、できなくなったりした。 斬るために斬る稽古だが、結果オーライでは、だんだん本質を見失ない、過激さを求めて曲芸となる恐れがあろう。 だから、武の稽古としては、斬れなかったが、今のはいい動きだったと、感じられるセンスが必要か。 そして、打ちこむ斬りと、切断する斬りの違いを体感した。外形ではよく区別がつかないが、後者は両腕の支点が流れている。 と試行錯誤を楽しむうちに、ふと上半身のある部分から、腰骨内部(たぶん私の場合は少し右側のソケイ部に寄りつつある)へ細い軸を通して斬ってみた。 もちろん両足は踏みしめない。軸は地から我が身体内を貫通して、細く強く伸びるが、我が身体は猫背とふわっと立つばかり。 左右の両腕や身体が、生々しい肉の塊としての重さを失って、両腕はまるでヤジロベエのように浮いている感じか。 すると、急に斬りが変わった。よりラクに、よりスムーズに、全く手ごたえがないのに、凄い勢いで面白く斬れる。 しかもより変化に富み、左右の袈裟も連続して斬れる。左手前の持ち方でも斬れる。片手でも案外斬れる。どう斬ろうと、連続しても斬れる感じとなった。 これは前回、苦しんだとき身体の痛みを一瞬でクリアにする方法に近い気もする。 気づくと、拳の握りが柔らかく、以前のように鍔に擦れることも無くなった。 肉体に負担が無い方が、斬りの威力が向上するとは、真に奇妙で面白い。 身体の状態にあわせて精神状態も変わってきた。 もしかすると、この身体の在り方の感覚で暮らせば、ふだんの優柔不断で怠惰な私を脱して、爽快、かつ一本筋の通っていながら、融通無碍な人間に近づけるのではないか。この感覚を逃がしたくない…と欲が出てきた。 それにしても、やはり理が近道ではないか。 私の理などたいしたものではないが、それでも、力まかせにやっているうちに、馴れで斬れるようになった「つぶし教え」よりは、思うより早く技法が展開してきた。 我慢して回数をこなすのではなく、一太刀ずつ新しい工夫を堪能していると、あっという間に準備した畳表を消費している。前回のような疲労感が全くない。 いたずら心で、映画の座頭市のように逆手に持った斬り方も試した。先日NHK講座聴講者にその有効性を聞かれたのだ。中国拳法の歩法でやると、案外斬れることがわかった。 ますます、竹刀剣道では有効打突と認めれる、手首によるスナップ打ちが感覚的にできなくなってきた。 竹刀剣道が動きの質よりも、相手との駆け引きに重点を置くのと対照的に、居合や抜刀は、我が身ひとりの動きを追求し、相手とのかけひきをあまり考慮しない。 どちらの世界からも外れ者とならざるをえない私は、両者合わせて剣技だと考える。 いくら反応して動けても、タッチしただけで技としての威力が無くてはならない。かといって威力があっても、動く相手に当たらなければ意味がない。 よってこの真剣刀法で、竹刀剣道の地稽古のように、先の先、後の先、押さえ、引き出す…などといった竹刀稽古を試みるつもりだ。 私の弱点は、特定の環境に、土地に、流儀に、生まれながら拘束されていること、居ついていることではないか。 もっと「自分らしい道」が「効率のいい道」があるのではないか。生まれなど捨てて、それらに乗り換えた方が結果がでやすいのではないか。 例えば、テレビに出るためなら芸を選ばないタレントや、当選するならポリシーをいくらでも変える政治屋のように。 今日、訪問先で陶芸家の方が、面白いことを言った。 陶芸を始めれば、最初はいろいろ作るのが楽しい。 そして三年やると、だいだいできるようになる。 しかしその後、自分の才能と、目指したいレベルとの大きな隔たりが、ハッキリと感じられてくる。 そこで商売向けレベルで安住してしまえば長生きするが、 「さらに高まりたい」という要求がある人は、暮らし、家族関係との調和、外部からの評価など、様々な要素がからみあって、追い込まれていく時期があるという。 そのとき、自分を否定しながらも、ブレイクスルーしていく人もあれば、意固地になって孤立化しすぎ、やがて精神を壊して命まで絶ってしまう人も少なくないらしい。 そのとき大事なことは、初志がなんであったのかということと、誰かに師事したことがあるかどうかだという。 確かに、己ひとり才能だけで開花していく人もいる。しかし凡人にとっては、師がいるということが、例え独立した後でさえも、その人自身を支える大きな指針となるそうだ。「こんなときどうする…」と 私はどうだろうか。 非才な私だから、自分のソースだけで進んでいくには限界がありそうだ。 だからか、私には師がたくさんいる。それは先祖や祖父、父だったり、剣道時代の師だったり、武の世界で大きく眼を拓いていただいた方だったり。 もし特定の師がいなくとも、自分自身が勝手にその人に「師事した」と思うことでもいいのだ。 そして何より、私にとって最大の師は、家伝の剣術形ではないか。 いくら迷って寄り道しようとも、戻ってこれる規準があることに感謝だ。 そして、他に選択肢がない。それでもこの断崖絶壁の道を、確かに先に歩いていった人々がいた、という「思い込み」が、非力な私を強くするのではないか。 例えば、小太刀の形を「奇妙な所作だ、止めてもっと他の方法を…!」とせずに「私にはこれしかない。わからないのは自分自身のせいであり、なにか重要な理があるはずだ…」と児戯に等しい歩みを続けてしまう。 実際、古流の形はまるで抽象画のように、様々な角度から見るたびに、様々な姿、ヒント、段階を示してくれる。 そのうち、ときどき本当に渡りかけていれば、その信念はますます強化される。 私は「拘束」されているのではなく、導かれていることに深く感謝しなくてはならない。 家伝剣術の小太刀。真っ向を斬ってくるのを横にさばくのだが、以前のようにアイーンという表現の上下の感覚だけではなく、 自分の身体の左右または斜め方向のラインも混じったような、複雑な感覚が出てきた。 もしかすれば、さばいた後の、小太刀のコジリの当てが全身とつながることでより強くなり、刀を持たない素手の場合にも使えそうな気もするが…。 そしてその動作自体が、即、小太刀の振りかぶりとなるか。すると、そのまま次へと変化していける。 これを止まらない歩みのなかに共存させていきたいのだが…。 また大太刀は、手首の在りようと肩の在りよう(落ち方)の連動、そこから背中や腰、両足の関係があるのではないか。これが違えば外形は同じ構えでも、内実はかなり違う構えとなるのではないか。 これはあの古い伝書の示す姿勢を体認するきっかけとなるかな。 それをまた、真剣の試し切りでも工夫しようと、数十枚の畳表を巻いて、庭で水に漬けて準備したのだが、雨続きでできずに困っている。 以上、一般向けの講座をやらずに、自分の稽古を深める時間がもっと、もっと必要だとますます思う。 しかしだ。先人からいただき、私を育ててくれている伝承は、我が身独りで腐らせるためのものではなく、何らかのカタチで世に還元していってこそ、生きるのではないか。 実際に、他者へお伝えする場で、我も気づきがあることが多い。 やはり武というからには、独りの世界ではなく、他人との関わりあいが必要不可欠な要素なのだ。 なにより私は「稽古が楽しい」と自己満足ばかりでいてはいけない立場に生まれた。 この世界の先人たち、父祖たちがやってきたように、この分野が、この先も生きていくため、ますます狭くなった世界のなかで、必要最低限の場を確保するため、どうしても闘わなくてはならない。もうその当番が来ている。 「人はなんともいわばいえ、我がなすことは我のみぞ知る」とはよく言ったものだ。 一方、弘前NHK文化センター講座「体験!弘前藩の古武術 その2」 ふつうの講座は、耳と目と頭を使う座学のみか、身体運動のみだろうが、我が講座は、身体稽古も、武術伝書の座学も、アタマもカラダも五感も駆使する「体験型の歴史講座」と銘打った。 でもやはり高齢の方々は、カラダを使わない、座学スタイルに多く集まられるようだなあ。 でも少数精鋭の講座となった。今日は、當田流棒術をお招きして、その演武を見て、実技稽古を体験してもらった。 改めていろんなことを感じた。 前回、剣が槍や薙刀に対するときの間合いで、川の流れのように詰めていく方法を考えたが、同流の形のなかには、きちんとその対策が内包されていた。 例えば、遠距離から打ちおろすように打撃を打つやいなや、反対の棒の先端が、下方から滑りだすように、伸びてくる所作が多いのだが、間合いを詰めていきたい剣にとっては、あれが本当にやっかいな所作であることが、先日の防具実験稽古から身に沁みてわかった。 先人たちは、我が拙い戦法を、すでに知っていると見た。当たり前か。 ただ私が、少し実験稽古をして、ようやくそれに気付き、形が意図するものを感じる眼を持ち始めただけなのだろう。 なにより、6尺3寸の長大な棒を駆使するために、要求される身体の遣い方が大変面白い。また新しい視点がありそうだ。 日本史上、槍がいつごろ、どのように発生したかについては、未だに明らかになっていないらしい。 だが、日本列島における槍の初出史料は、いまのところ中世期の津軽地方の合戦の記述だったはずだ。 防具と竹刀で、槍や薙刀との打ち合い稽古実験をやるが、槍にはたちまち突かれ、薙刀には足を払われるやいなや、股下や肩を斬られてしまう。いったいどうすればいいのか…。 ふと考えるとこれは「一定の間合いで対しなければならない」という竹刀剣道時代の技法、思い込みゆえではないか。 例えば、ボクシングのようにクリンチを忌避し、一定の間合いを保ったままの競技スタイルは、互いの打撃の応酬が続くことを目的としている。そうなると見る側も大変面白い。 長い射程距離を持つ槍や薙刀相手に、剣がそれをやっていれば、まもなく連続技の応酬に討ち取られるのは明白だ。 だがその間合いを固定せず、一瞬たりとも止まることのない激流のように変えていけばどうか。 互いの空間がつぶされれば、自ずと華やかな連続技は成立しえなくなる。 その際、竹刀剣道の踏み込み足では、一打ずつ流れが途切れ、そこをやられやすいようだ。 実際に自分でも毎回力んで「今回こそは」と飛び込んでも、ジャンケンしているような不確かさだ。 よって前に述べた、柳生宗矩が説く歩みがいい。 その歩みは、演武やデモンストレーションでは、全く見栄えがしないだろうがかなり有効だ。 一打目を斬り止めたその瞬間さえも止まらずに入っていくこと。 よって私は家伝剣術の生々剣の歩みが、槍や薙刀相手に使えそうで試している。まだ約束稽古のレベルだが。 そして今までの私の生々剣では不足であることが、感じられてきた。 つまり相手を空振りさせることばかりを目的にしてはならない。生々剣はそれだけを目的としているのではなく、もっといろんな現象を示しているのではないか。 例えばそのひとつとして、推進力を自動操縦にしたままで、変化可能な攻撃技ができなくてはならない。 まあその状態で使う技も、一瞬たりとも止まらず変化する彼我の関係のなかで発生するから、自分の意思だけでどうなるものでもないようだ。 昨日会った津軽塗の職人が、塗りながら自分の意図を越えた文様が発生していくことがある、といっていたことを思い出す。 武では、そんな神妙不測の現象の結果自体に、命がかかっていたのだから大変である。先人たちはどのように対応したのだろうか。 こうしてみてよく考えると、竹刀剣道では竹刀の先端同士がくっつくほど近い間合いでの開始線があるのに対し、日本剣道形や古い剣術はそれが無く、両者遠い間合いから始まり、だんだん間合いを詰めていく。 それは儀礼ではなく、まるで書を描くように、遠い間合いから身体の、戦いの流れが始まっているからこそ、その流れのなかで成立する理があるのであって、その流れを人工的に途中で区切ってしまえば、川は、技は、死んでしまうのではないか。 以上のことは槍・薙刀対剣のことばかりではなく、剣同士体術同士もそうなのではないか。 ずっと前、剣道の地稽古中。となりにいた師範が「こちらの地方の剣道は深い間合いで稽古されるが、関西では一足一刀の間合いからパーンと打ち込む剣風が多い気がする。私は後者が好きだ」とつぶやかれ、そうなのかと拝聴していた。 しかし「剣道の外道」と化した今の自分ならこう聞き返すかもしれない。 「一足一刀の間合いだけにこだわることは危ない気がします。そればかりでは槍や薙刀、体術相手には難しいでしょう。しかも真剣同士の場合、そこから全身を捨てきって飛び込んで打つこと自体、あまりに無謀すぎ、無事ではいられないでしょう。特定の間合いからのや技法に固執することは、かなり多くの現実を見失うのではありませんか」と。 斬り込むとき、脇腹が少しでもねじれる感覚があれば、遅くなるような。それには両脚が地に張り付かないことが大事か。 家伝剣術の形で、構えた肘へ斬りこまれたときに、後ろへ下がりながら、かわしながら、斬り返すときも同じか。ある部分を先端として、まるでそこが真後ろへ引かれていくようにする。 それは下田ゆうじ氏からお聞きした獅子踊りの所作から気づいて、ずっと難しかった所作が一気に打開されそうだ。 自分であれこれ思いついた技で稽古するより、獅子踊りや棒踊りの所作の方が、なんと精妙に組み立てられたものかと、目からうろこが落ちて、大変参考になることが多い。 たぶん民俗芸能の動きは、私の稚拙な武のように他人、敵に合わせようと焦ってやるのではなく、素直に己の身体の感覚、自然にまかせて、なるべくして発生する所作なのではないか。それは強い動きだろう。 それがさらに、何世代もの人々の身体を通過して、特異性が浄化されて、誰にでも共通する身体の理を発見していったのではないか。 そんな言葉無き、理屈を超えた世界を、近代的な論理、言語を中心とした手法で研究しようとする民俗芸能の分野は大変困難だろう。 我々は常に、思考と言葉を使っているから、その分野の研究は大変活発であるが、身体のように、使っていないもの、言葉にできないもの、意識していないものを、どうやって研究対象とするのだろうか。 だから、芸能の歴史や由来、組織、道具、楽譜、観光資源化など、周辺情報ばかりの分析となり、核である身体技法そのものについてはビデオで撮影して終わり、全く手をつけられない。 それらの情報だけでは、未来、その芸能そのものを復活させようとした人間が出現した場合、彼にとって本当に必要としているもの、知りたいものは何もなく、ほとんど何も参考にならないであろう。 今冬、ようやく青森に、新幹線が来る。 めでたいことなのだが、いまひとつ県民が盛り上がらないのは、人々の心の奥に 「今の時代、ユートピアでも何でもない東京とつながって、何の幸せがあるのか。」というニヒリズムがあるのではないか。 近代までは、交通網の変化がダイレクトに、その土地の生活や文化、意識を変えたものだが、すでにインターネットで結ばれてしまっている世界が、そんなに激変するものだろうか。 さて、調査に回るたびに、希少となった伝統技術職人たちの現在に、家伝剣術を重ねわせてしまう。 昭和30年代以降、ライフスタイルの変化とプラスティックの普及で、次々と同業者たちが消え、県内唯一の技術となってしまった老職人。 私は「伝統技の世界の最後」を覚悟した最終ランナーと会話している。 「これほど時代が早く変わるとは思わなかった…」の言葉が重い。 なかには家伝剣術より新しい時代に勃興しながらも、先に消滅してしまった技術もある。 「私の仕事の役目は終わったよ。現代はどんな仕事が羽振りがいいのですか」と問われ 「今の世は、どんな仕事もそうではありません…」と俯いて答えた。 もしかすれば、変化のなかでも、現在残っている分野の特徴は、 津軽ここだけにしかないこと、 クラシカルな部分とともに新しいもの、異分野も取り入れる姿勢があること、ではないかと感じてきた。 先日ご縁をいただいた文化人類学のS先生は、近世の社会には、各分野をつなぐOSのような世界観があったのではないかと語られた。 だから「水」などという抽象的な観念を言えば、異分野同士の武術であろうが、芸能であろうが「あのことか」とすぐに理解しあえた。それで当時の社会システム、経済も構築されていた。 そのOSを明治期になって壊してしまって、それぞれ個別分業化した社会へ転換してしまった。だから相互に通じなくなった。かつての世界はバラバラに孤島のように散らばっているのではないか。というものだった。 大変面白い考えだ。 そういえば、津軽の獅子踊りの所作もそうだ。 片手を差し伸べながら、もう片方の手は、腰のあたりで鼓を打つ。その所作は、剣術の小太刀の身体の使い方である。両肘を張った所作から後ろへ飛び下がる動きは、家伝剣術のものに似ている。 往時の人々の身体が、分野を越えて共通していた可能性を実感する。 これらの伝統技芸の衰退は、社会と時代変化というOSの変更に対応できなかったこともあろう。 しかし、ただ時代に対応しようと、追随するだけの現代の我々も、常に時代に裏切られ続ける存在である。 今は、新幹線向けの観光資源開発という、人為的に急激な変化が起こされている。 経済活性化は大事であるが、整形手術のように、今の時代の価値観だけで、他県人にウケる部分だけを、恣意的に無理に変形させすぎれば、 もうそれは自分の顔ではなく、己のアイデンティティーさえ失ってしまう。それは逆に外部の人間に底の薄さを知らしめてしまうことになろう。 「非県民」と言われる前に武にもどろう。 現代はこれだけ変化し、多様化する時代だから、もしかしたら、現代武道の競技、昇段という価値観だって、永遠ではないかもしれない。 だから、それに照準を合わせた武の人生も頼りない。 もしその世界が、技が、生き残るためには「こうでなくてはならない」とひとつのカタチに拘泥することなく、 常に環境の変化に応じて、とどまらずに、したたかに変形していく生物進化を見習うべきなのだろう。 いや不変もある。つまり、いくら時代が変わろうとも、我々が生身の身体を使って生きていくことは、未来永劫変わらない。 モノとしての刀剣はやがて錆びるが、無形の術、身体の理ならば、個人を超えて生きていくのではないか。 (私が真剣を用いた稽古に意義を感じても、刀剣自体に執着しないのは、そこにある。) 拙い稽古でも、たまに、先人たちが残した技の理が、外形だけではなく、あたかも生命のような、融通無碍の理として体認されたとき、 私は「生まれながらの自分の欠落をまたひとつ補った」という深い安堵感に包まれる。 そのとき、いにしえの先人たちの心身、感覚は、 確かにいまこの瞬間も生きている。我につながっている。過去も今も未来も一体であるという、このうえもない喜びに満ちる。 私のなかにあって、ときおり夜に襲ってくる、荒涼とした諸行無情への恐れ、虚無感に対抗できる唯一の武器である。 ただ、すぐにそれは「留まらずに先を目指せ」と迫ってくるものであるが。 たくさんの賞状と、有名人との記念写真。あちこちで開催する教室の話。 いくら聞いても、なぜかあまり記憶に残らない。 それより私は、その作品を創る技から、どのような世界が、どのような理が見えるのか、お聞きしたかった。 息子ほど年下の私に「俺はこの作品を作り始めて、三十数年になりますから」と胸を張られる。 「すごいですね」と感心したものの、帰宅してからよく考えると、幼稚園前から始めさせられた私の剣術歴も同じくらいなのか…。 長さではない。 それを生業とするかどうかも大きく関係あるが、漫然とやって何ら進歩が無い私とは違い、才能のある方は、数年で相応のレベルに達するらしい。 すると「長さ」は逆に、私の無能さの証明であり、恥ずかしくて隠したくなる。 だから私は、今まで漫然とやってきた、立つこと、歩むこと、剣の構え、振り…などを、根本的に見直さなくてはとならないと、夜、布団のなかでも途方にくれている。 その反面、見慣れた日常が、斬新な姿を見せてくれるかもしれない、という期待もある。 「試合競技、昇段試験のため」という近代生まれの新しい目的のためではなく、「生き残るため」に編み出されてきた家伝剣術。 それを「自分の自己証明のためだけにやる技」が、いかに人間としての風景が悪いものであり、そんなことより「お前自身、その探究そのものに夢中になっているか!?」と問われた気がする。 9月4日午前、東宝映画「星を守る犬」の大勢のロケ隊と、西田敏行氏、岸本加代子氏ら、白い犬が実家に来た。 数か月前から依頼があって、岸本氏らが演じる「(西田氏の役と別れた?)母娘が住んでいる家」として撮影させてもらいたい、とのことだった。 近所がすべて新住宅になった現在、江戸時代の武家住宅である我が家は明らかに「浮いている」。 珍しい前近代の風景だからとともに、背後に岩木山がそびえたつのがよかったらしい。夜は同じ弘前市内でねぷたの再現シーンらしい。 今か今かと、撮影隊を待つうち、座敷で歩みと斬りを工夫していた。 「このままでは一生かけても習得できない」といつものように焦るだけではなく、ちょっと見方を変えてみる。 もしかしたら稽古では、自分で、現実とはかけ離れたへ理屈を持ちだして、難しくしているのではないか。 例えば、家伝剣術小太刀には太刀取りがある。手に持つ小太刀を使わずに、相手の斬りを止めるのだが、不用意に手を出しては斬られてしまうだろう。 よってどうするのか…。 おそらく、せっかく全体が流れているのに、相手が斬りこんでくるその腕を止めようと差し伸べる我が腕が、流れを踏み台にしないことではないか。 これは左右へのさばきなど、初動をそのまま使うことなど、いろんな技法の根幹につながっていく予感がする。ずっと活かせずにいた生々剣のままで変化することを体認できるか。 もしかすれば、私が生まれつき得意な、手のひらや頭に棒を立てる曲芸とも関わるのではないか。 と、いつものように愚にもつかない、歩みを模索していて、柳生宗矩「兵法家伝書」を解説されている書籍(『禅の思想と剣術』日本武道館)が気になった。 禅学の深い分析は大変勉強となったが、どうしても柳生宗矩が説いた剣術の理を、無理やり近現代剣道の理へと結び付けようと、曲解されている部分がある気がしてならない。「剣術」のタイトルからは違和感を感じた。 例えば「兵法家伝書」の「歩之事」では「歩みは、早きもあしく、遅きもあしし、常のごとく、するすると何んとなき歩みよし。過ぎたるも不及もあしし、中をとる也…」とあるが、 それを「剣道の試合場や昇段審査場で入場するときに、あがってしまい、ぎこちなくならないよう、普段の稽古から意識するように」という意味で解説されていた。 残念ながら、その解釈は全く違うと思う。 切実な命のやりとりを意識した先人の「歩み」は、審判向けの外見や礼法のキレイごとではない。明らかに生き残るための実用技法なのだ。 だからといって「起伏に富む野外用の技法だからだ」と単純に説明できるものもない。 おそらく、剣で威力を保ったまま、かつ、いつでも変化する可能性を保持したまま、そして、間合いを把握しようとする相手の視覚を狂わせながら、打ち落されずに間合いをつぶしていく入っていく、精妙な技法のことを例えているのであり、そして槍、長刀、体術など各種武器術の操作へもつながっている歩みであったのではないか。 私はその歩みを、竹刀剣道の稽古ではなく、家伝剣術稽古のなかから、明らかな効果を少しずつ体認しつつある。そして一般向け講座でもその一部をご紹介している。 津軽塗の古作には、現代では途絶してしまって、再現不能な高度な技法で造られている作品が少なくないという。剣の世界でも同様の現象がおこっている可能性はないか。 「近世剣術が進化して完成した姿が、近現代剣道である」という、ここ100年の進化主義の歴史観、優越感のために、我々はたくさんの理合が見えなくなっているのではなかろうか。 もしかしたら、それは微かな感覚、微かな存在であり、どうしても力んだ手応えを求めて満足したがる私自身が「これでいいのか、こんなはずはない」としてしまい、見失いやすい気がしてきた。 凄まじく強かった無住心剣術の稽古は柔和で、まるで童の遊びのようだと笑われたというが…。 私の悪い癖は、どうやら私固有のものではなく、その所作をするときには、多くの人々にも共通することらしい。 ということは、それをいかに解消できるかという問いが、どなたにでも立てられてくる。 つまり形は、万人に同じ問いかけをし、それへの回答を求める試験石なのであろうか。先日、粗雑な試し斬りで、自分で自分の身体を壊した。 (ちなみに現代では、真剣による試し斬りを「抜刀」というが、この言い方はいつからなのだろう。たぶん新しいのではないか。 なぜなら、近世において「抜刀」といえば「居合」とほぼ同義であり、刀の斬撃力よりも「いかに速く抜くか」という武芸だったと思うが) 身体を自分で壊した経験は、歩み、斬り、突き、跳ね上げようとも、常にふだんの身体の状態をかえないこと、祖父の好きだった「平常心是道」の意義を連想させる。 例えば、無住心剣術「辞足為経法中集」でも説く、 「強くせんとて力むで、白眼たらしめば、足跨て行かれず、故にすくみ縮て飛び込む」 「柔にせんとて弱くす、弱ければ力なし、力なければうっかりとしておぼつかなし、故に考へ尋ねる、知ればかたよる、かたよれば形にあらはる…」などいう、私がよくやるダメな状態ではなく、 「性心気のままに立て、陰陽端無き体の動静、天理と等しくたがわざる如く、修行尤もなり」という状態は、そのようなことを説いていたのではないか。 「ならば、もういちどやってみろ」とばかりに、なじみの畳屋が、山のような畳表を持ってきた。 一方で最近、なんだか家伝剣術小太刀が気になって、枕元に新調したばかりの小太刀木刀を置いて寝ている。いつでも工夫できるかと。 藩中「名誉の達人」とされた、近世中期の先祖のマネでもある。 小太刀「性妙剣」は「至心妙剣」とも表現する。形の所作も名も難解でいったい何のことやらわからない。 間合いを稽古する形かと思っていたが、今日少し違う風景がかいま見えた。 先祖たちは、小太刀を風と波の関係に例えるが、変化し続ける対人関係のなかで「ぴったり寄り添う」ように変化するためには「合わせよう」と意識で計算して対応しているうちは、いくら頑張っても遅いだろう。 しかし、己の意図ではなく、相手がスイッチを押したままに従う「自動」の反応ならば、全く遅れない。ほぼ同時に反撃が終わる。 それを教えてくれるのが、この一本目の形ではないか。 ネットも世界につながっているが、あくまでそれは現在、ネット環境が整っている場だけであり、地球上のすべてではない。 しかし我々の身体は、それより遥かに長い生物の歴史と、地球上のあらゆる空間を共有して、つながっている。 企画化される以前の古い剣術、武術の稽古は、そのことを今ここで、独りでも体認できる有効な手段かもしれない。人間は誰しも、孤独の存在ではなく、理を共有しているのだ、ということが実感がえられるのではないか。たぶん、矮小な私の稽古からでさえも。
自らの世界観と自らの手で作品を創造することは、現代のような市場原理とバーチャルリアリティ全盛のなかでは、革新的な行為、闘いなのではないか。 各種工芸は、「こうであるべき」だと画一化されておらず、それぞれ分断化されたタコ穴にようにもなっていない点が、現代武道と大きく違う印象を受けた。互いに表現方法が違うだけであり、美を求めるためには、異分野の技法にも学ぼうという姿勢が感じられた。 なにより、技法を水の動きや木の性質など、大自然に学ぼうとしている点は、近代武道が失った視点ではないか。 と回っていくと、いつの間にか仕事を越えて、独自の世界を拓いている、約60名の哲学者に学ぶ旅になっている。 こうしてみると、いくら全国的に普及している大ジャンルであろうとも、自分たちだけが区切った特定世界のなかだけの甲乙、強弱を競うだけで、異なるジャンル、文化の前では無力ならば、実はそれは「狭い世界」なのではないか。 反面、たとえマイナーでも、自らを越える世界を畏れ、異なる世界にも向き合おうとしているならば、それは「小さい」とはいえないのではないか。 様々なことを後ろ姿から学んだ。 伝統の継承に新しい工夫を乗せていくこと。 技を名誉やお金などの何かのための手段にしないこと。 自分は作品を生み出す導管にすぎない。よって作品は己の支配やコントロールを越えており、何かの必要性のために発生してくる。しかし導管が汚れていてはダメだ。 作品に対する僅かなお金をもうけとするのではなく、自分が制作を続けるためなのだ。 自然の法則に従うように手を加えるが、加えすぎてそれを壊してしまってはいけない。これ以上を手を加えてはいけないという臨界点が感じられてくることなど…。 そう思うと、ここ数日、首のあたりの有りようを工夫していることも難しいことなのか。 「仰がず、俯かず、左右に傾かず」とは当流だけではないが、首の角度によって、鎖骨のあたりと肺にスーッと涼やかな風が通り始め、胸は開き、背中、両肩などへと何かが連動が発生する。 木刀を振ると、いつもと感じが違う。 炎天下で毎日、50巻以上の畳表を立て、力任せの真剣で、ブンブン斬っていたら、翌日から数日間、全身、奇妙な鈍痛に襲われた。 一晩目は左背中全体が、次の日は右背中全体が、三日目は真ん中の背骨周辺が、芯からゴリゴリと痛んで、数日間、夜ほとんど眠れず、七転八倒した。 左肩などは全体が、まるでアメーバのように波打っているのが実感できた。。おまけに頭痛と吐き気までする。 昼間も、背中全体のしびれが足まで走り、通勤電車や職場のデスクに座っていられず、電気が流れ続けているような不快感に叫びたくなる。。 不思議だ。いままで稽古でこれほどダメージを受けたことなどない。熱中症と筋肉痛の合併症か…。 しかし、ふだん健康体の私は、怪我や病のとき、どれほど自分が弱い人間か痛感する。ひたすらラクになりたいと嘆くばかり。 たぶん恒常的な痛みや病と付き合われている方の方が、心身ともに本当に強いのではないか。 何度か、心身操作で痛みを消せないかと工夫。 一度だけ、身体に細い細い中心線をとらえ、ある精神状態をとったとき、全身の痛みが雲散霧消した時間があった。それは握りしめればつぶれてしまうような、むずがゆい感覚だった。 悪魔は四日目にはすべて消えた。そして無刀氏の整体で調整してもらった。 何も痛みのない普段の心身が、これほど爽快であるとは…深く感謝する。 痛みのとき「すべて私の技が発した業なのだ。自業自得だ…」と思っていた。 なぜなら、おそらくこの痛みは、私の身体が粗末であるばかりではなく、 力任せの斬りの威力は、うまく解消し、調和されることなく、対象物からの不要な反発力となって、己自身の身体にはね返ってきた。 しかもそれを我が身体は、全体ではなく、どこか一部で負担していた。 よって身体が破壊されてしまったのではないだろうか。 粗雑な力は、相手を倒す前に、自分自身を破壊したのだ。 たぶん同様のことは、剣道、居合道、直接打撃制の空手やボクシングでもあるのではないだろうか。 素振りを急ストップさせるために肘を壊す。突きの反発力で自分の肩を壊す。殴った自分の拳が折れていた話など…。 ともかくこの体験は、「いかに自分勝手で、お粗末な力の遣い方なのか、その愚かさを痛みのなかでよくよく充分に思い知れ…!」 「そして治ったら、偏らない力の遣い方を真剣になって求めよ…!」 と、深く諭されるための体験だったのだ、と猛省している。 もうあんな体験は二度とゴメンだ。だから、生半可な技を使うのではなく、もっと形稽古で技の質を、身体の調和を求めなくては。 「とにかく相手より速く当たれば満足」ならば不要な話をいう (一時期のアメリカの空手では、突き蹴りというよりも、とにかく速く相手にタッチすれば有効一本だ、という競技スタイルも少なくなかったと聞く)。 武が求める姿勢は、現代の形競技試合や昇段審査の基準に合わせるような、外見だけで判断する美醜や風格のためではない。 おそらくその姿勢の見方は、西欧体操にならい、ひとりの指導者が全体の様子を外見で判断するという、一斉集団指導をやり始めた、近代以降の新しいものだ。 武の姿勢は、あくまで武技が効果を持つための実用目的ではないか。 身体各部が連動して成立する姿勢の有り様が、身体操作の質が、斬りの威力を産み、それが初太刀、ファーストコンタクトにおいて、あてのない命のやりとりという「負の連鎖」を、速めに確実に断ち切る行為となるならば、間に合わせの軽い技で自由乱打をラリーするなかからその技は養成されにくいだろう。 私がその「軽い打突による負の連鎖」つまり当流でいう「当たるか当たらないかメクラ打ち」の実例である。それはじっくりと技の土台を、質転換しなくては一生変わらない。 それとともに「黙って斬られるまで動かない敵」などいないから、独りよがりの技では通じない。 だから、虚実と変化が入り混じる対人関係のなかで「やるべきときに技が出る」という学習もしなくては、実際の武技としては効果がない。 その意味において、家伝剣術や林崎新夢想流居合、當田流、本覚克己流和などの旧弘前藩の武芸が採用した形稽古法が、単なるデモンストレーションや器械体操ではなく、両者の特性を帯びていることに気づく。 例えば、林崎新夢想流居合。 最初から相手をつけて自由に抜けといっても、三尺三寸を抜けるわけがない。長刀だからこそ、全身の連携が要求されるからだ。 だからまずは、独りでひたすら座って、身体全体の遣い方を根本的に学ぶ。 習熟してきたら、相手をつけて、突いてくる気配を察知した瞬間、その「あるべき」所作が、いつでも「心剣一致」で発動できるかどうかどうか稽古していく。 実際にこれは効果があると思われる。 例えば10年ほど前、北辰堂で小野派一刀流剣術代表・剣道教士七段の故T先生に、剣道の地稽古をいただいていた最中、私はなぜか思わず家伝剣術折身1本目が出て、相手の面を下からすりあげて小手を打った。自分でも驚いた。 すぐに先生は面の下から「おういいぞ。なんという技だ」と聞かれた。 つまり身の内に技が備わっていれば、虚実や変化のなかで、いつスイッチを押すかという稽古をすることも可能となるのではないか。 また同じところへ戻ってきた。堂々巡りばかりしているなあ。 真剣や木刀の代理品である竹刀は、それ特有の技法と世界を確立し、世界にまで普及・定着した。それはそれで素晴らしい。 だが私個人は、竹刀に練達する「剣道競技」での上達ではなく、刀を使う剣術の世界の理を求めている。 なぜならば、剣という道具の特性「剣の理法」で代々拓いてきた心身の文化であるからには、その根本を抜いてしまうことは全くの矛盾となってしまうからだ。 そして、多くの人が考えることを放棄するか、空虚なお題目としてしまった「なぜ闘争の術であるはずの剣の理を練磨することが、人間形成となるのか」という不可思議なテーマを、少しずつ紐解き、いつかは深く腑に落ちる経験をしたいものだ。 そのとき私は、本当に剣を好きになれ、この境遇に生を享けたことに深く感謝するのだろう。 林崎新夢想流居合の外物「寄足」。フキョの座りから霞に抜刀しながら、斜め後ろに飛べというのだが、封じられた両脚でできるかよ…? やってみれば、アタマで考えたほど難しくはなく、なんとなくできそうだ。もしかすれば、飛び下がる動作は、鞘引きにヒントがあるような気がしてきた。 かつその後の動作も、一般的な「両脚を踏みしめて斬る」という動作を封じている。やはり「脚力に頼るな」ということではないか。 近世初期、林崎甚助の門弟田宮平兵衛重正が、息子三平の足癖が直らないと怒って太刀で足を刺したら、三平の足癖が直って極意に達した、というエピソードがあるそうだが、同じような意味があったのではなかろうか。真剣での試し斬りの感覚が薄れないうちに、剣道の竹刀を振ってみた。動きが変わるだろうかと? 確かに、今まで馴れてきた手首のスナップ打ちが、なんだか感覚的にできなくなる。 でもこの大振りな打ち方では、いまひとつ工夫を加えないと、竹刀稽古では間に合わないだろう。以前、何度か地稽古で試したことがあり、やはり剣道用の打ち方には間に合わなかった。 多くの人々が磨いてきた竹刀特有の技法は、軽快で素早く手ごわい。 たぶんだからこそ、新陰流や他剣術も、真剣用と、竹刀試合専用の技法を分けて伝承してきたのではないか。 ただ、真剣の感覚から、もうひとつ感じられてきたのは、 いかに竹刀で飛び込んで差し面が入ったり、パンパンと軽快に「小手、面…」と連打を当てても、それが竹刀特有の技法であって、棒術ならともかく、真剣に持ち替えた場合には、現実的でない場合があろうということだ。 また互いに合い面をやって、わずかにこちらが速く当たっても、ほぼ同時に相手の竹刀の余勢をどこかに受けており、防具着用ゆえにその痛みを感じない場合もあろう。 武としての剣を求めている場合、技が入った、有効打突だと、喜んでいていいのだろうか…。やはりこれは防具と竹刀ゆえに成立する、特別な状況なのではないか、という違和感が発生してくる。 これは突き蹴りを用いる体術の世界でもいうらしい。 例えば、私の拙いスパーリングのパンチは、なんぼパンパン当てても、手足のみで、体重が乗っておらず、軽くて威力のない「手打ち」にすぎず、競技試合ポイントになっても、武技として見た場合、相手へ全く致命傷を与えることにならないのだ。 よって中国拳法のなかには、素早いパンチのコンビネーションを磨いたり、相手の変化技に応じようとすることよりも、 己自身の動きの質を高めることで、我は決定的な打撃をうけないが、我に少しでも接触した相手には、大きな威力を伝えるような技法を求める流派がある。 剣についても、大きなヒントになるのではないか。 二日間、真剣の試し斬りの稽古をやったら、その夜、上半身の背中全体、両腕の後ろ全体が、ぼんやりとけだるい。筋肉痛か。脚部は全く何ともない。 全身に力と衝撃を散らしているならば、こうはならないのではないか。やはり力で斬っているから、身体が斬ったときの反発力を受けて、疲労しているのではないか、と反省。 こんなときほど「しっかりしろ」と心身にムチを当てる稽古感覚では、ますます鉛のように重くなる。逆に身体の要求に耳を澄ませば、疲労、筋肉痛にかかわらずに、軽く動ける自分がいることに気づくようだ。 よく試し斬りで手の内が大事だというようだが、僭越ながら私はそれだけではないと思う。全身の連関がすべて関わって、斬りは発生するのではないか。 さて「剣の理法」は、原点に帰れば自ずと見えてくるか。 つまり、剣道をやる人々が「剣の理法」について混乱しているならば、実際に真剣を使って試し斬りをしてみることではないか。すると誰でも自ずと体感されてくる。 実は「剣の理法」というモノサシは、規則で下ろされずとも、道具を使えば体得できていく身近な存在なのだ。 なぜなら古代以来、無数の先人たちは、ルールブックを読んだり、講習会に通うことなく、直接体験で自ら習得してきたはずだ。 道具を実際に使ってみれば「自ずとそうならざるをえない」あるべき「剣の理法」、やるべき稽古が自然と体得されるだろう。 各人が内面で体得できれば、いちいち上意下達、組織全体で号令をかけずとも、 稽古の各現場で、師範たちは自らの実感をもって「剣の理法」を子供たちに指導し、競技試合特有の技法が出現しても「それは刀法にはならないよ」と示すことができるのではないか。 道具としての真剣の理に導かれて、全体としても「いくら竹刀の地稽古で速く当てようとも、こんな打突では剣では通用しないなあ…」というモノサシが各自内面化されることで「有効打突」問題が自ずと氷解し、心身ともに深く納得でき、自然にまとまっていくに違いない。 刀剣界も需要が増えて活性化しよう。そのうち、剣技は体術にも確実につながることがわかってくるだろう。 そうなると現行剣道の「正しい基本」技術は、根本から見直されなくてはならなくなって、かなり混乱するかもしれない。両刃の剣のような施策だ。 いや、このような意見は「第二次世界大戦前の殺伐とした戦時剣道へ逆行するものだ」と批判を受けるかもしれない。 いやその前に、愚かな刃物事件が次々発生し、刃物規制に過剰になった現代社会では、実行不可能なことかもしれない。 一方で近年は「剣道は斬りあいではない」と明言される師範もいる。 確かに現代社会向けには、通用しやすい主張である。 しかし、それこそ大きな矛盾に気づいていない。なぜならば、種目名に「剣」の字が入り、組織全体で「剣の理法による…」という共通理念を掲げている以上、 剣という古い道具の特性や文化性を無視してしまうことは、その全否定となろう。ならば別の種目として独立するしかなくなるのではなかろうか。 実用性を失った現代において、刀剣を使えるから武士、サムライだ、と胸を張るだけならばあまりに単純で、実社会では無力であることはわかっている。時代はそんなことを求めてはいない。 それよりも、これだけ刃物による忌まわしい犯罪が続き、刃物自体が悪者扱いされている現代において、刃物は剣は、忌まわしい存在ばかりではないことを。 そしてなぜ刃物(剣)による闘争という、恐ろしい技法を探求することが「人間形成の道」になるのかということを。 それを理念に掲げてきたのが剣道だからこそ、この時代の人々に説く使命があるのではないか。その課題に向き合ってきた世界は他にないからこそ、特権なのである。 「目標は昇段、全国大会出場」という、競技世界だけの価値観に留まらず、異分野、現代社会にも通じる哲学を示せれば、剣はさらに大きく豊かになる。 以上、このように組織にあわせて、上意下達される軍隊のような心身ではなく、各地でひとりひとりが自主自立しながら、自然、身体、道具の理という、身近にある普遍的な理を基準として探求してきたのが、もともとの武であったはずだ。我が田舎流派もだ。 よって、講習会や遠征試合で交流して、答えを他へ求めるという、近代スポーツ方式ばかりが、上達の道ではない気がする。 その前に、大自然によって与えられ、その普遍的な理につながっている、わが身自身の内を探求することこそ忘れている。 日常の我が身に、これほど精妙な能力が備わっていたのか…!?と、目からウロコの体感と発見ができる稽古があれば、それはその人の心身を、現状の見えない拘束から解き放ち、自由にする気がしてならない。 終戦記念日。テレビを見ながら正午の黙祷をした。 当家でも、亡祖父の弟三名が、南方や大陸で散っている。先祖たちの尊い犠牲の上に、家伝剣術そして今の私が存在している。 そして今日も庭で、畳表を斬る。 前回「剣の理法」と現行剣道について私見を述べた。 それにしても、竹刀剣道の基本の足さばきだ。 なかなか覚えにくい技巧的なもので、かなり徹底してやらされる右足前のすり足、送り足だが、実は大正期以降に全国普及・定着した新しい技法であることが判明している。 祖父の代の剣道の先生方(故人)も「昔の足さばきは、今のようにキレイではなかった」と言っていた。 それに実際にも、剣道の基本の足さばきでは、板の間以外の野外の不整地では使えないから、高段者の先生方も野外での日本剣道形演武を嫌がる傾向がある。 また、槍や棒、柔術、体術などの他武種への汎用性が低く、武芸十八般を目指した往時の武士達には好まれまい。むろん宮本武蔵は全く違う足さばきを推奨している。 なにより驚きなのは、剣道の足さばきを使わなくとも、真剣は充分に斬れるのだ。 ということは、いったい何のために、あれほど子供たちを叱りつけて覚えさせている足さばきなのだろうか。かなり限定された目的向けの技法なのではないだろうか。 ともかく二日間、たくさんの畳表を斬っていて、家伝剣術の構え、左右の袈裟斬りの連続、脇構えからの斬り、そして家伝剣術の小太刀の片手での斬りなどから、背中や上半身のある状態、中心線、体さばきと刃筋の連動、左右の釣り合い、歩法と斬りの関係、変化など、改めて自分なりに得るところがあった。 妹が言っていた、高校剣道がよく使う、小手、面、胴を一度に守る「三所隠し」。 これは高齢の師範によって「まるで雲助のような姑息な技だ」と否定されることが多い。 だがそれは、竹刀剣道の母胎のひとつ、一刀流剣術で使う「霞の構え」に似ている。 つまり、批判されている高齢師範方が生まれる前、中近世の武士たちも使っていた立派な伝統的構えに似ているのだ!? なのに、師範たちも尊敬しているはずの先人たちの技を「雲助だ」と笑うとは…。 「伝統」を看板にしている割には、過去の歴史変化に無頓着な証左ではないか。 我々には「剣の理法」にのっとった「竹刀剣道はこうであるべきだ」という、特定のイメージがある。でもそれは明治以降の新しい産物なのだ。 それを保持しようと、次々とルール改正をする。 ところがだ。剣道人の過半数が、真剣に触ったことがない現代において、その普遍的であったはずの「剣の理法」イメージ自体が、実際の真剣から大きくズレてしまい、アタマでっかちの実態無き幻想、特定競技専用の小さな観念となってしまってはいないか。 曖昧となった「剣の理法」をもって現状技法を否定し、矯正し続けるのはかなり辛かろう。 だからといって「日本剣道形を、木刀による基本稽古をやればいい」のではない。 いくら木刀を持とうとも、いつもの竹刀特有の操作法でやっているのでは効果はない。それに木刀と真剣は全く感覚が異なる。 かつ、近年編まれた「木刀による基本稽古」は、実際の斬り合いを体験したことがない、竹刀稽古に大きな比重を置いて稽古してきた、現代人の感覚で創造した形である。 それは伝統的剣技といえるのだろうか。 それならば、いくらマイナー流儀であろうと、実戦を体験した先人が編んだ古流と比べれば、野生種と養殖物のような違いであろうし、実際の「剣の理法」と、どれだけ親和性があるのか甚だ疑問である。 実際に、剣道七段に合格したばかりの方が、日本剣道形演武で、生まれて初めて模擬刀を帯びることになり、わからずに慌てて回りに聞かれている場面を見たことがある。もちろん模擬刀を振る所作も、竹刀と同じスナップ打ちであった。 こうしてみると、かつて外形にとらわれた型稽古を否定して「実戦性」をねらって誕生した竹刀稽古が、いつの間にか特定のフレームの中にとらわれた感がしてならない。 「こうでなくてはならない」と頭でイメージを作って、自然に発生する現象を否定するばかりで見ようとしないならば、ルールと変化のイタチごっこは、永遠に続くだろう。 それに、人工ルールで技法を矯正されても、競技選手としては優秀でも、現実の多様な世界で使う心身としては、特定の部分が抜けた、居着いた心身となってしまわないか。 以上、クドクドと述べたが、一番の解決策は、原点に帰ることではないか。続く。 父、妹、私は真剣で、水に漬けておいた、約50本の巻いた畳表を斬る。息子は見学。 いつものように山鳥も数羽飛んできた。 私の愛刀は九州産だ。なぜか先祖代々、九州の刀とご縁が多かった。 少し重め。反りが大きいため「剣術や居合向きではない」と言われるが、腕前が上がれば何を使おうとも…と強がっている。 私が大振りに、力まかせで斬るが、父はコンパクトな動きで何気なく斬っていく。 妹は背中の感覚を変えたら、斬りが激変した。 私は家伝剣術形で、相手の突きに対して、我が剣を左右に旋回させ、左右に身をさばきながら、左右の袈裟を連続で斬り込むのをやる。 あっさりとまるで扇風機のように切断できる。 こんなにクルクル回して刃筋が立つのか…と思うのだが、ヘタクソな私でも、家伝形通りにやるとなぜか斬れるのだから、形に込められた先人たちの経験智に敬服せざるをえない。 これが家伝剣術の古伝、切り回す技法「猿廻」へつながるならばうれしいのだが。 なぜ斬れること、つまり武技の威力が必要かといえば、切実な活殺の場を、なるべく迅速に効率的に終わらせるためではなかろうか。 ひとつひとつの技に効果がなく、何回もの攻撃を必要とするならば、そのたびに我が生命が危機に見舞われる回数も増えていく。かつ複数を相手にできない。それは剣だけではなく、素手の体術でも同じであろう。 だから、なるべく初太刀で、敵の戦闘能力を完全に封じてしまいたい。 そのためには、道具としての身体や、武器(刀)の性能を充分に活かして、初太刀に大きな威力を持たせることが必要となる。 それを知るための試し斬りであろう。 といっても、静止物を斬る稽古だけでは、剣技の稽古の一部であって全部ではない。 空手の瓦割りと組手の違いのように、それだけに通暁して特化してしまえば、異なる技術になってしまうだろう。 すべては精妙複雑な現実を理解するために、竹刀稽古と連携して稽古することが望ましい。 ふだん、現代剣道の現場にいる二人の話を聞く。 連盟の理念によれば「剣道は、剣の理法の修練による人間形成の道である」とされている。 しかし実際に真剣を使わない剣道師範が過半数である現在、「剣の理法」は実態を失い、混乱し、空洞化しているといわざるをえない。 例えば高校生以下の鍔競り合いルール改正。 私も幼い頃、何度も指導され、得意だった、互いの鍔同士を合わせて背伸びするように鍔競り合いと、そこから飛ぶような引き技は、竹刀剣道特有の技法である。 「真剣の理法」では恐ろしくて成立しえない。 数年前の全国誌。高名な剣道師範が「正しい剣道の鍔競り合い」の意味を、刀に例えて説明された。 でも明らかに「真剣を使われた経験がない」ゆえのこじつけであった。 実際の戦闘ならば、鍔を擦り当てるようにして拳がつぶされ、変化した剣や柄頭が、頭部や肩、脇の下などに摺りこまれ、いつのまにか体術へと移行していくだろう。 私は、体術での軽いスパーリングでも、剣道の「クリンチ式」鍔競り合いの悪癖が出た。 突き、蹴りから深い間合いに入ってから、動きが止まってしまい、柔道有段者に捕まってリフトアップされて投げられかけた。 すなわち、流れるような真剣は、その構造上、遠間だろうが近間だろうが鍔競り合いだろうが、どの間合いにおいても、動きを止めることを許さないのではないか。 ともかく「剣の理法による…」というが、本当に現状技術がそうなっているのだろうか。 その意味において、試し斬りも静止物相手ばかりでは大きな勘違いをする。 それは家伝剣術伝書でも戒めていることであり、ときには竹刀を使って、生きて虚実をかけてくる人間相手に打ち合う稽古が必要だ。 そのなかから、往時の武士達が目標とした「剣の理法」による斬り合いが、いかに高度な理を要求されるか、ひしひしと身に沁みてこよう。 私も日暮れて道遠しである。続く。 S田先生から、戦前の小学生向けの武道教授書を見せていただいた。 「柔道」はすごい。小学生向けに、素手で突き蹴りや逆手を使って、相手の太刀取りをする、柔術技法まで教えている。 このレベルは、現在では大人向けであろう。一部の師範しかやられていないか、違う武種におまかせ状態ではないか。 全国普及のために「学びやすく」簡便になったのだろうか。 今日も暑い。気温が人間の平熱くらいある。 遠くにねぷた囃子を聞きながら、義父と一献傾け、国政論を拝聴する。 おそらく、現在の不況、見通しの効かない世界は、数十年かかるのではないか。その間に人々は、この状態が普通だと思ってしまうだろうと。 政治の場に人材もいない。今まで「批判する」手法と才能で活躍してきた人がリーダーになっても、その手法と才能と、リーダーの適性は別であると。 リーダーとは批判されるものである。 それでも、全体に目配りしながら、清濁あわせ呑み、ずぶとく進める人間でなくてはならないと説かれる。 確かに現代は、自分では何もやらない、責任もとらないのに、自分の名前を隠して、他人の行為や成果を、批評する技だけに長けた、人間が大多数となった気がする。 一方で、その意見、クレームが、いかに無責任であろうとも、聞いてニーズに合わせなくてはならない、という社会的な雰囲気が強い。サービス業や商業が中心となった社会であるためだろうか。 しかし、それでは永遠に会議は踊り、事態が深刻化する場合もあろうな。 下田博次先生ご本人から新刊『子どものケータイ─危険な解放区』 (http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0551-b/)をいただき、拝読中。 携帯電話が、これほど未成年たちを虫食む存在であったとは。 インターネットで爆発的に拡散していく人間関係。一方でそれは深まる前に「こいつがダメなら次へ」と、彼も我も、次々と交換可能な存在となっていく。 読んでいて、武の稽古も同じかと。 ひとりの人間が一生のうちに出会える、武種、技、稽古相手の数には限界がある。 だから稽古は、量より質で上達を目指す。ご縁をいただいた技、稽古相手という限られた環境のなか、いかに課題を発見し、質的なチェンジを遂げていくか。 それが古い武の稽古観であったようだ。 加えて「技の非を相手に求めるのではなく、常に己に求めなければ上達できない」と渋川流伝書も示している。 つまり、我々の人間関係もそうなのかもしれない。 足元をないがしろにして、世界への拡散ばかり志向してきた我々。 表面上で終わる、他人とはうまくできても、愛憎が最も増幅し、混線しやすい隣人との関係には本当に手こずるものだ。 しかし、その難しい隣人関係を、仲良くできるかどうかこそ、人間関係の上達のための重要な稽古なのかもしれない。隣人だからこそ、失敗も許される。だからこそ稽古ではないか。 そのなかで質的に自分が変われれば、どんなタイプの人ともそれなりにやっていけるのかもしれない。 家伝剣術などの古い武は、その難しい隣人との関係、師資相承でやってきた。 微かなこの伝承は、全く大衆化、現代サービスには不向きであるから、普及もできない。もしそうするならば、変形するしかない。 なんでも公開して、共有化すればいいのではないと考える。つまり発見者への敬意なしに、力づくでこじあけて「お前もみんなに見せろよ!」は全く品性のない侵略者にすぎない気がする。文化とはそんなものではなかろう。 弘前ねぷた。今晩は実家仲町のねぷたに参加する。 ねぷたの素晴らしいところ、優れたところは、目的や意味がよくわからないところではないか。 拙論「争うネブタの伝承」(『北方社会史の視座 』第3巻)でも触れたが、ねぷた・ねぶたのルーツ、意味については、江戸時代から論争されてきたが、未だに明らかになってはいない。 なかには「俺の説が正しいのだ」と個人中傷までして品性を欠く方もいる。 一方で現代では「弘前の扇ねぷたは、邪悪なものを払う扇で、天に昇る…云々」などという、奇想天外な解釈も発生している。 おそらく永遠に「ルーツは闇のなか」であろう。 起源探究と意義付けは、適度でやめておこう。 わからないから、そこに豊かな様々な意義が盛り込まれ、多くの人々が自由に、好きな意義を感じて参加し、祭りはエネルギーに満ち溢れる。 なんのためかわからないが、楽しくてしょうがないもののために、ふだん声もかけない隣近所が一致団結し、意外な人が意外な場面で活躍し、大人は青少年をしつけ…と連鎖反応で、町の活力とセーフティーネットが蘇っていく。 いつの間にかそのムーブメントが、市全体の観光素材となって、全く異なる世界観である「目的をはっきりとさせる」観念市場原理、経済にもつながる。 まかり間違って、正しいルーツが判明し、正しい「使用目的法」が定まってしまえば、危うい。 自分のイメージを壊されて、ガッカリした参加者は激減する。祭りを維持するために「仕事」「義務」となり、観光のため、地域活性化のため、「面倒だな、今日は休みたいなあ」と、いやいや、ねぷた、ねぶた祭りへ出勤することになるのではないか。 いや、最近は、県内各地でそのような傾向が始まっている気もする。 東京からきた有名タレントが「なんで青森ねぶたは跳ねるの?」と聞いてきた。 喜びや踊りに理由がなくてはならないか。楽しいから踊る、それだけだろう。 ねぷたの行列では、サシマタと呼ばれる長い棒を持たされた。これは両手で支えるからこそ、腕のみならず、全身が参加できて疲れないし、サシマタに連れていってもらうようにすると、全く疲れず、勝手に足が進んでいくのではないか。 そのときの手の内、カイナ、背中、腰、脚部のどこも圧力を感じないような微妙な感覚が、武の歩法につながらないか。 そして、掌に立てた竹刀が倒れるままに相手へ打ち込めたという、近世の剣豪は具体的にどのようにしたのだろうか… などと、工夫しながら歩いていた。
・・・・喪神/五味康祐より でも、こんなに小さな集まりを始めたところで、なんら驚くべきことではないと思う。 新しく始めることは誰でもできる。 それよりも、地に足をつけて長く続ける方が、本当に大変なことだと思う。 だがその反面で「伝統」は、同じことを続けることに自己満足となり、やがて「我が世界こそすべて」と閉じこもり、他者を異端視、排除してしまう。 たぶん、現代人が考える明治以降の「伝統」「道」をやられている方から見れば、それより前からやってきた当流は「妙な困ったヤツ」に見えてしまうだろう。 いずれにせよ「こうやれば家伝剣術が上達する!!」とハッキリと示してくれるならば、剣道でも居合道でも柔道でも空手道でも総合格闘技でも、すぐ入会してせっせと通おう。 ところが当流、いや古い武術というものは、少し異なる理を必要とするようで、直結はしない。よって自分で歩くしかないのだ。 昨日、国の文化財修復機関の研究者から、面白い話を聞いた。 現在確認されているなかでは唯一の、古い組紐の伝承者が、青森県内にいるという。 「組紐」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%84%E3%81%BF%E7%B4%90) といっても、よく知られているような江戸時代の技法ではなく、それ以前、中世、古代にまでつながるような古い技法であるという。 その家では、代々女子のみが伝承し、産育儀礼、年中行事、信仰儀礼にあわせた組紐を製作してきたという。 組紐は、甲冑や刀剣、武具にも用いる。 私は旧弘前藩軍学者の家の史料群から、組紐技法を示したと思われる、暗号のような秘伝書を拝見したことがある。 組紐の世界も武道と同様に、近世もしくは近代の新技法を「古代からの伝統」視することが多いらしく、古代の正倉院宝物、中世の鎧の修復においても、江戸時代の組紐技法で間に合わせていたこともあったらしい。 ところが近年は研究が進み、より古い当時の技法の再現が可能となってきたという。 同様の「ループ組紐」技法は、アイスランド、アフガニスタン、アルジェリア、アルゼンチン、ウズベキスタン、オマン、ギアナ、ギリシャ、コロンビア、タイ、デンマーク、ノルウェー、パナマ、ペルー、フィンランド、ブルガリア、ボリビア、マケドニア、モロッコ、ルーマニア、ロシア、イギリス、エジプト、スウェーデン、スペイン、中国、ドイツ、フランス、ベルギーなど、世界各地でも伝承されていたが、機械化で急速に失われた。 組紐技法の一端を実演していただいた。その精妙さに驚いてしまった。 「覚えれば簡単ですよ」とおっしゃる。 だが、気づけば誰でもできる技であろうとも、私のような固定観念が強い凡愚には、一生気づけない理、目からウロコの技法も多いはずだ。 だからこそ、全く予想だにしなかった身近な理に気づくヒントを師からもらう。 それが伝統の学びであろう。 そこには、数十世代にわたる無数のトライアンド・エラーから発見された理があり、個人の工夫を越えている。 だから弟子はその次のステージへ行ける。 現代では武術、武道を商売にするイメージも多い。 だがそれは一例であって、前近代の武芸師範達のなかには、他人に教導することを、聖なる義務、名誉として考えていた人々がいたようだ。 だから信用できる者に対して、ほぼ無償で教えてきた師範も少なくなかったという。 当家も約230年以上、生業は必ず別にしておいて、剣については対価を求めず、むしろ代々の私財と家族と人生を奉じて、ボランティアでやってきた。 父も祖父も、その前の父祖達も、そして他の武芸師範の方々も…。 だから現代になって「指導料は?」と聞かれると 「いや、うちなんか取るほどの流派ではないよ」とふにゃふにゃ答える。 「お金を受け取らない教授は信用されないぞ」と想定外のシステム不備を指摘される。 そうなのか…と、うろたえて逃げてしまう。 衰退してしまったこの古い武芸、武術の世界。 先人達の足跡を尋ね歩いていると、自ずと歴代師範達の「人間」としての喜びと哀しみを知ることになる。 彼等へのリスペクトがある。だからその足跡への責任、守秘義務が生じる。 私はこの世界を、我が身ひとりで食い尽くしたり、それを売りにして、やがて破壊してしまうために生きているのではない。 我が代で挑戦すべきことはやる「実験機」であるとともに、次の人々へ「生命」を渡すバトンでもある。と勝手に自任している。 これは、「選択の自由」の方からすると、ひとつに拘束された田舎侍の「限界」に見える。 だが、好きで自分から囚われていくことを苦とはいわない。逆に生きるブースターとなる。 今では流行らないが、損得ではなく、ただ一隅に責任を負い続けることは、その人間を鍛えて、ひょっとすると全く違う姿へ化けさせる触媒となるものだ。 だから、たとえ異端として排除され、永遠に我が身に上達が訪れなくとも、悪意に身をゆだねて、この世界を壊してしまう輩には陥らない。 例えば、好き勝手な他流派評価や批判、各流の秘密や裏情報を流すことは、武の世界では伝統的なタブーとして掲げられてきた。当流もだ。 現代の情報社会に生きようとも、そのような行為で、世界に嫉妬と悪意を連鎖させて、先人達の足跡を打ち消し、後から来る者たちの希望を「どうせあれは…」と虚無の淵へと誘う呪詛には、絶対に与しませんよ。 ただでさえ武の危機の時代に「鶏小屋のなかで喧嘩している場合じゃないぜよ!」(参考「龍馬伝」のセリフだと思う?) 田舎侍は、武の素晴らしさ、生き残るための他流との協力は、蕩々とうたおう。 だが、たとえ他流のことであろうとも、無責任なゴシップや裏情報を求める方があれば、激しく門前払いいたす。 あらかじめご了承くださいませ。
でもその見方には、大きな二つの思い込みがあるのではないか。 まずひとつ。「剣道は痛い」というが、実は全く痛くはない。 他武道を経験するとすぐにわかる。私の拙い体験でも、全身防具で守られて竹刀を使う剣道よりも、素肌の格闘技や体術の方が、痛み、危険度はかなり高い。 そのことは、中国拳法の先生からも指摘された。悔しいけれど全くそうなのだ。 実際の真剣を用いた闘争は、バツグンに危険である。 そのため、逆に入念な安全策が採用された結果、剣道は、現代武道種目のなかでは最も安全で、痛くない種目となっている。 確かに「痛みや危険がなければ武道ではない」ということも必要なことであろう。 しかし、そればかりを追求するようになってしまえば違うことになる。 たとえば知り合いの剣道高段者には「木刀で形稽古するときも、本当に当てるようにやるのだ」と自慢をされる方がいる。 その気概は素晴らしい。私もそう思ったこともある。 しかしだ。人間の身体などは脆弱で、真剣でなくとも、木剣、素手でも、すぐに壊されてしまう。いろんな交流稽古で骨折してきた実感からも本当にそう思う。 致命傷を負えば、それから先のレベル向上どころか、長く遠い武の道を、途中であきらめざるをえない。ならば竹刀でやった方が効果的だ。 つまりは形稽古の特性ややり方、理合を知らないからゆえに過激に走るしかない。 それは毎度、度胸試しか我慢大会のジャンケンをしているような頼りなき世界で、術、法とはいえない。 武は「いかに危険や痛みをガマンできるか」ではなく「いかに危険に対処するか」という理を求める世界なのではないか。 そのためには、独りでも充分に、我が身の足りなさを痛感し、吟味、堪能ができる稽古のモノサシが、心身の内側にあるかどうかなのではないか。 そして二つ目の錯誤として「我がやっていることこそ一番」であり「それ以外は正しくはない」という過信と世界観の狭さを感じる。 往時のサムライ達がやっていた世界であれば、命取りとなったであろう。当流伝書にも唯我独尊を戒める言葉がある。 私が初めて、道場で高段者同士の剣道の地稽古を見たときは、2,3才だろうか。 輪郭が、存在がぼんやりとしたたくさんの影が、ひしめき合って動いている喧騒空間に見えて、あまり関心がわかなかった。 ちょうど武者だまりで、面を脱いで大汗を拭いていた、剣道教士7段で小野派一刀流剣術の故T師範が「ベロベロバアー」とあやしてくれた。その大きな両眼が恐かった。 次に市営体育館で合同稽古を見た。 自由な地稽古なのに、なんだか、ある特定のカタチのなかにはまっている、ちょっと不自由な動きに感じられた。 やはり関心がわかず「近日中に、これをやらされるのか…」と暗澹たる気持ちになったことを覚えている。 実際に防具をつけて稽古をやらされると、例え勝っても、見通しのないヤブのなかを、ただただ当てずっぽうにやる、終わりなき徒労のように覚えた。 むしろ形稽古に、静謐と、そうするべき動きをしているのだ、という安心を直感した。 この感覚は、たぶん一般の方と逆であろう。自由に打ち合う方が刺激に富み楽しいはずだ。 なぜ、幼い子どもがそう感じたのかわからない。 でも、現在の私の稽古の方向性は、その幼児体験からつながっていることは確かだ。 戦国末期、無数の戦場でやみくもな斬り合いをしてきた現場から、剣術の理が発見された。 やがてそれは形骸化し、今度は競技・試合という現場で使われていき現代に至る。 だがその技は再びかつてのように、混沌とした世界を迎えている気がする。 その証拠に、最近の剣道雑誌は、従来の基本だけではなく、人それぞれの工夫が打ち出されるようになり、素晴らしい現象だと思う。 まあ、それでもまだ、技術の外骨格だけは固定されたままではあるが。 当流の剣理もお役に立てればいいのだがと、淡い期待とともに拙い稽古をしている。 庭の稽古場を整備した。ついでに様々な探究稽古用の武具を持ち込み24時間いつでも使える「秘密実験基地」にしようと思っている。 庭の向こう側には国画会会員である父の絵のアトリエの建物が見えるが、ここは私の武のアトリエである。 保険会社が「ライフプランニングして安心」というCM。 私は全く信用できない。あまりに安易な「絵に描いた餅」だ。 その計画とは、現在のレベルから見える、仮の風景にすぎない。 自分が変われば、見方、感じ方、考え方が変わる。世界が違ってしまう。 どう展開するかわからない。それが面白い。武の稽古もそうだ。 例えば、本覚克己流和術の稽古。要求されている所作が難解で不自然極まりない。 あることに気づいた。我々は、技を仕掛ける方が流れる時間のなかで遣っているのに、受ける方は止まった時間のなかで受けているのだ。 全く簡単なことであるが、当人たちは気づかず、その可笑しな世界のままで堂々巡りを…。 両方が流れる時間となったとき、すべて氷解し、技は全く違う顔を見せた。 なんと自然でシンプルな所作だったのか…と目からウロコが落ちた。 つまらぬ目標を立てることこそ自縄自縛、多様な可能性に目をつむってしまうことだ。 それぞれの複雑で深奥な人生。他人にわかってたまるかと怒らなくてはいけない。 自分の心身を拓くことで、世界をより深く感じること。 実際に人を殺める義務を失った当家の剣も、そのためのひとつの方便ではないか。 だから、変わっていく、より見えてくるためには、その技術が、特定の「試合競技のため」「昇段のため」というワク内では、それ以上の展開を、最初から放棄しているようなものか。それより遙かに、遙かに広大な世界があるのに。 山伏の火性三昧を見た。 あれは実用とは違う。インスタント効果もない、明確な基準、品質保証もない。 つまり現代的な価値観、市場原理主義では認識できない。判定できない。 それでも多くの人々が、何かを求めて参集してくる。 祈りの世界は、何を計画して目指すわけではなく、時代ごとの価値観が生まれては消えていくなか、関わりなく、淡々とやってきた。だからこそ長く続いてきたのではないか。 その在り方は、思えば我が拙い稽古でも感じている。 例えば「生々剣」が功を発し、相手に打ち落とされなくなるときには、我に意図がない、目標がない、がんばらないときである。 しかし明確な意図、目標を持ちがんばると、すぐに相手の目に留まり剣を打ち落とされる。 つかみどころのない、己の身心の調和だけ優先することの不可思議さ。 ということは、私自身が、この世界に比類無き魅力を感じ、夢中になっている状態こそ。 このように武の稽古は、こころの在り方とそれがダイレクトに身体へ響くことを、体得する、体認する、自分の身体を通じて深く納得することができる。 その体験は、人間の骨を作る。安易には動かされなくなる。 現代において、体感から納得することは、最も失われている学びではないかと、ある方がおっしゃった。 政策や事業の云々よりも、ひとりひとりの人間が変われば、その集合体、社会全体も変わるのであろうか。 博物館展示作業中、一本目から二本目へのパラダイムシフトのヒントを気づいた。 動きに全力を注いでしまっては、変化できない。 自動操縦の流れが発生したら、別のもうひとりそれを離れて見つめている自分、いつでもその流れから離脱できる自分がいれば。 その後「剣の理法による修練である…」と毎日仲間と唱和した。 でも実際に、真剣を遣ってみると、重く、触れれば切断される道具で、竹刀剣道のような遣い方は、あまりにずさんで、危なくてできない気がしてならない。 古流も習得されている、ある剣道範士八段の先生は「竹刀剣道は稽古法のひとつである」とおっしゃられる。その通りなのだろう。 だが、真剣を日常的に帯びていた侍達がいなくなり、日本刀が現実から消え、観念の世界になり、感覚が薄れたとき、 竹刀稽古はすべての技術観のモノサシとなり、ついには形や居合道の技法にまで、強い影響力を与えていった。 「剣の理法」を、単なる観念や、現状ルール、現状技術との整合性から求めてはいけない。 単純に遡源に戻ればいい。 つまり、みんなが実際に真剣を持って、物を斬ってみればいい。現在の「正しい基本」でどれだけ斬れるのか…。 そうすれば、剣という道具の特性、そして「剣の理法」が自ずと体認されてくる。 そのうえで竹刀稽古を論じれば、いいのではないか。 家伝剣術伝書を改めて読むと、この問題を、先祖は体認していたようだ。 私はまだ把握できていない。だから探究する。
その「強さ」に敬服したい。だが若者ならばともかく、責任のある年齢となってからも、勝とうが負けようが、他者からご縁をいただいたこと、その出会いから学んだこと、への感謝はなく、 むしろ、そのご縁を人々を「踏み台」にしたうえで「俺が、俺はもっと」と自慢をされている姿勢には、あまり人間として敬服はできないなあと思ってしまう。 広大な世界を前に、限られた自分、自分の体験こそ一番だと思い、「俺流」を通し続けることだけが武ならば、世界は閉じていく一方であろうし、以外の世界からもリスペクトはないだろう。自省したい。 大衆の前でプロ試合をすること。その体験は重要だとうたわれる。確かにその通り、私にはとうてい及ばない、大変な稽古と度胸が試されるのだろう。 だが、見方を変えると、現代では最高の価値を置く興行試合は、近代の産物であって、日本の武の歴史にとっては、西欧出身の新しいスタイルではないか。 武には、個人や集団の存亡をかけて、我々の想像を絶する極限状態を乗り越えてきた、無数の先人の体験が折り込まれている。 よって、現代的な試合体験そのこと自体に、意義を覚えない価値観もあることを忘れてはならないのではないか。 人によっては、試合や演武でさえ「私の武は他人に判断されたり、見世物にされるものではない」と断固拒否されたまま、淡々と探究を続けられている方も多い。 最近、一般向けの講習会等で、さまざまな方々に、私の拙い剣術や居合の一端を、体験していただく機会が増えてきた。 まだまだ自分自身の稽古こそ大事であり、他人に教えるレベルにはとうていない。なのにやってしまう、おこがましさよ。 しかし、このふるさとで、この世界を見向きする人がほとんどいなくなった今、いや、このような稽古法があること自体、誰も知らない今、私の他に誰がやろうか。 そうでなくては本当に、先人たちが拓いたこの世界は永遠に失われ、様々な分野と同様に、全国画一化に甘んじるしかない…、という義侠心もあるのだ。 この古い武技たちは、現代人の我々からすれば、不可思議な馴れない所作ばかりである。 立っていること、歩むことだけで、なんと我々は不必要に力んで、自縄自縛になっていることか。そのことにすら自覚しないままにいることも 特に今回改めて感じたのが、多くの人々が、正対する姿勢以外の、半身や一重身がなかなかできなくなっているのか、ということだ。 そして対人の間合い、距離感が、かなり鈍感になっている気がする。 戸惑われる方々を前にして、なんと自分には伝える言葉が無いのか、いや、まだまだ自分がわかっていなことを痛感させられ、試されることばかりだ。もどかしくてしょうがない。 なんとか気づいていただこうと、あの手この手と、四苦八苦、空回り…。たぶん当流で、これほど多弁な男はなかったのではないか。 その方によって、きっかけとなる言葉、所作は千差万別だ。 なにかのきっかけで気付かれたとたん、その方が急にできるようになる。そなのだ、私のレベルなど、気づけば、誰でもできる理合なのだ。 だが愚かな私は、まつ毛の先にあった簡単な「それ」に気づくまで、足元の池に映っていた「それ」に気づくまで、なんと遠くを探して、無駄な模索が長かったことか…。 他の方に伝えれば一瞬で可能とされてしまう現象を見て、今までの私の徒労の無駄さ加減とともに、それより先に行かなくては、というプレッシャーも湧いてくる。 だからこそ、師範によっては「大事な部分は教えない」と隠されるケースが多いのだろう。 だがだ。視点を変えてみれば「この理は、私個人の独りよがりや幻想ではなく、多くの人にも通じる普遍的な要素がある」という可能性を、みなさんに証明してもらっているのではないか。 そうして共有してもらえることは、とりもなおさず、私のちっぽけさ、現在絶滅危惧種となってしまった当流・当家の孤独が、解放されていくきっかけになるのではないか。 それでも私は、無理な普及は望まない。生身の顔と顔を突き合わせた付き合い、我が身の程をわきまえたお付き合いのみでお伝えしていくつもりだ。 記念すべき、寺子屋活動による北辰堂使用は、実質的には2010年7月17日(土)から許可となった。 幕末から近代における国家的な普及活動によって作られ、定着した「ここ100年の伝統」の前には、それ以前からあった当流、そして私などは、あまりに小さく非力な存在である。 知らない人は「アイツがまた妙なことを始めた」と失笑するだろうが、とぼとぼでも、確かな歩みを続けよう。 やはり無刀氏、S先生、下田ゆうじ氏からいただいたアドバイスは、林崎新夢想流居合の抜刀で大きな示唆になる。 固定観念にとらわれた私だけの小さな眼では気づけない世界だった。深く感謝したい。 つまり我が身体の中心線を、固定しているばかりでは、かえって自分自身を拘束してしまって不都合である。 それは記録映像での私のマズイ抜き方でも明らかだ。 己の身体の中心線は、めまぐるしく転変させていいのではないか。 その中心線も、必ずしも地上に対する垂線ばかりではなく、左右斜めに発生してもいいのではなかろうか。 そのことで、より身体が効率的に速く動けるようになるのではないか。 従来あいまいだった非打や初発刀に重さ、威力が発生するかもしれない。 斜めに発生する中心線「当たり前だ」といわれればそうだし、耳で聞いて知識としては知っていた。 しかしその利便性を、我が身で実感したい。 林崎流居合のトンボ絵の身体に、なぜ中心線がなく、逆三角形で、しかも胸部中央に大きな黒点が描かれているかの理由を、稽古を通じてまざまざと体認していくことになるか。 そしてこの方法は、本日、修武堂のお仲間とやった本覚克己流和の稽古でも効用があると感じた。 例えば「腕流」我が胸を取ってくる敵の拳が、中心線ではなく少し左胸をとってくる場合、それをさらに左側へ入っていくことが難しかった。まるで山の峰を越えるようで、身体が大きく回ってしまう。 だがそれは私が垂線をイメージするからであり、斜めならば案外スルッと入っていけるか。 そればかりではない。S先生の説かれる理によると、それで立ち技をやった場合、我はラクだが、相手には問答無用の重さがかかるようだ。 本覚克己流の柔術は、林崎新夢想流居合もベースとなっている。共通性があるはずだ。 以上、私の稽古は昇段や試合とは縁がない。よって一般からの理解は少ないだろう。 それよりも、いかに先人達が体認したであろう普遍的な理を、この身で実感し、現代に活かしていけるかが、望みだ。 ただ武術、武道の世界は「見せたらすぐに技を盗まれる」といって、弟子にもなかなか理を明かさずに「見て盗め」という態度で伝承されてきた難しさがある。 その一方で、伝書にはかなり具体的な技術説明や理合が示されている場合がある。 でもそれだけ読んでもわからず、身体の稽古を通じて感覚的に理解していくしかない。 「いまこの瞬間、それを感じた…」となれば、私にとっては、心身がピッタリ一致したような確かな実在感だけではなく、小さな個を超えて、先人たちの心身、彼らが発見したであろう、普遍的な身体の理にアクセスできたような、最上の幸福である。
地方の我々が、長い物にまかれる安心感に酔っていてはまずい。 おそらく管理する側から見れば、一定のモノサシによるランク付けのなか、指揮系統が通りやすく、使いやすい存在となっている。 その分、我々は「自らが…」という、骨、気概が失われて指示待ち人間になって、やがては内容、質も…。 そのような地方から、日本各地から、この閉塞感を打破するような斬新な視点や知恵が生まれてくるものだろうか。 一方、観光客は、それより、その土地固有の風土から形成された、特徴的な文化、文物を見てみたい、体験したいとのニーズが高まるばかり。 同じことは、武道、武術にもいえまいか。 例えば、全国どこにでも売っている、ユ●クロの服について、 「みんな同じでは制服のようで恥ずかしいから、私はもっと自分らしい個性的な服を求めたい」と思う人はかなり多いが、 反対に武についてはそう思う人が少なく「既成服」のままが多い気がする。 武は、稽古を通じて、人間の心身の奥底に、深く響いていく。それが全国式フォーマットになるということは、 我々の心身自体が、ある一定の指揮下のもと、画一化し、管理化されてしまう可能性はないか。 ほかの文化は全く違うようだ。例えば、鰺ヶ沢町では、全国から集まった作家による工芸展C-POINTを拝見したが、本当にそれぞれが自在に、独自の多彩な展開をされていた。 武だって、もともと制服ではない。相手がこちらの技を知っているならば、互いに同じ技を使うならば勝ち目が無いではないか。 だから、それぞれがいかに相手が知りうる世界を越えた技を構築できるか、己の判断と責任で探究する哲学なのだ。 実際に百年くらい前までは、日本各地でそれぞれの歩みで、多彩な展開をしていた文化だったはずだ。 当時、他との出会いは、現在のように、全国式ルールブック合わせではなく、「このような考え方、方法があったのか…」と刺激的で、自分の知見が世界観が揺さぶられる経験だったろう。 もし他地方から来た人に、 「全国どこにでもある種目なら知ってますよ。 それよりも、この土地の人々が自ら探究して、自ら熟成してきた、この土地固有の武は、文化ありますか。 そこから、この土地のあなた方は、どんな心身を発見してきたのですか? それとも借り物ですませているのでしょうか?」 と聞かれたら、私はきちんと答えられるか。 (お知らせ) 山田史生先生による孫子勉強会、それが書籍となった。 下の者たちを「どうやって使ってやろうか」という孫子の兵法を、「ふうん、そんなふうに我々下位の者を使おうと思っているんだ」と「地べたから読み直した」という、 山田史生先生の新刊ちくま新書856「下から目線で読む『孫子』」(筑摩書房、2010年7月)が刊行されます。 今日、S先生と下田氏が、それぞれの全く別の稽古の場で気づかれた理合を教えてくれたのだが、不思議と共通性が感じられた。 という場合は、私自身へ何か貴重があることが多い。 どちらも身体の、右斜め、または左斜め同士の部位の関連性を実感されたものだった。S先生は中国拳法など、下田氏は林崎新夢想流居合の抜刀からの気づきであるという。 常に、身体を天地に貫くような垂線や中心線をイメージしがちな私にとって、発想の転換を迫られるようだ。 それを使うと、中国拳法のある所作や、我が家伝剣術のさばきが、自然なものとなり、下田氏によると林崎新夢想流居合の「押立」が自然と発生していくという。 私も林崎新夢想流居合「押立」で試してみた。なるほどと感じた。 体の中心線を意識してする場合より、各段にラクに、自然と所作が発生する。 数本やったら、懐かしい気がした。2年前に、無刀氏が提唱されていた、全身が上昇する螺旋状の動きになる、という推論とも似ていないか。 それをお二人のおかげで改めて思い出した。 私は以前から、日本各地の林崎流居合伝書で共通するトンボ絵の身体表現が、単なる略図ではなく、この居合の理や身体感覚が表出しているのではないかと考えて稽古してきた。 つまり伝書の逆三角形の身体は、不安定さを活かすだけではなく、円錐状の身体が巡りながら、その内部を、中心線が左右にクロスするように変化していく方法もあろうかと。 これはあくまで単純化した理屈であり、実際は、自分でも気づかない精妙な身体各部の連動性をベースにしている。 すると、この居合から編み出された、本覚克己流和が、正面同士の衝突を避けて、斜めに入っていけという口伝があったことを含めて、刃物相手も想定した体術であることもつながってくる気がする。 おそらく、このような発想は、全身を強固な防具で守られているゆえに、中心線同士の正面衝突を何度繰り返しても平気な、竹刀剣道の感覚や経験にとらわれいるうちは、私のように、なかなか導き出すことが難しいかもしれない。 実際に竹刀よりも薄い刀剣を持って、中心線の取り合い、面の取り合いをやれば、どちらも互いに無事ではいられまい。もし自分の打突が先に入ろうと、相手の余勢を免れることは難しいといえよう。 そうなると、実際の剣技において、正対するばかりの危険性、「正しくない」と捨ててきた前近代の、半身や一重身、撞木足の有効性が自ずと身に沁みてこよう。 その一方で、私は逆に、ほぼ正対したままで、両拳が左右にあまり離れないまま、コンパクトに効率的に抜刀できる押立を感じることもあり、今後の検討が楽しみだ。 以上のことから、先日撮影した記録ビデオは、すでに旧方式の稽古となっていく気がする。 私見だが、古い武術の形を稽古するとき、力をこめて無理やりでなくては可能とならない技だと感じた場合、おそらくそれは稽古のピントがズレている場合があるのではなかろうか。 むしろ、その所作をすると「自ずとそのような動きに導かれてしまう」といった自然な感覚を得たとき、先人が形にこめたメッセージを受信している可能性がある気がする。 つまり、形稽古は、手順を守るだけの機械体操ではなく。普段すぐそこにあるのに、なかなか気づけない理を、気づかせてくれる存在なのではなかろうか。 そのためには、組織の上意下達や他人まかせではなく、自分自身で探る姿勢が必要なのだろう。 愛刀での試し斬りに使うため、畳屋と契約して、古畳をもらっている。 畳屋さんにしてみれば、私は、処分に困るような廃棄物を、喜んでもらってくれる変わり者だと、思っている節がある。 あまりにもらって稽古場を埋め尽くしていた畳。 やっと斬りに斬って、スペースが空き始めたと思ったら、また山のように古畳を持ってきてくれるという。 斬っても斬っても、畳表は減らずに次々増えていく…。 悲鳴を上げたくなってきたが「もっと真剣に慣れろ」ということなのか。 こうなったら、とことん斬ってやるぞ。 ただし、静止物を斬るだけでは武として不足であり、変化する対人稽古の延長上に、ひとつの稽古法としてやるべきだと思っている。 たまたまホームページで「正しい下駄の履き方、歩き方について教えてほしい」という問いかけを見つけた。 それに対して「正しくは踵が…」「つま先が…」などという、いろんな具体的、合理的説明が返されていた。 幼い頃、祖父も父も私も妹も、毎朝道場に下駄履きで通い、遅刻するぞと走っていった私は、少し笑った。そんな「正しい下駄の…」という質問や理論があるものかと。 一本歯という特殊な下駄ならばともかく、また下駄による体感について話し合うならともかく 普通の二枚歯の下駄の「正しい履き方」「正しい歩き方」があると信じて、これほどまじめに理屈で議論したのは、日本史上、初のことではないか。 半世紀前まで、日常で下駄を履いていた人に「正しい下駄の履き方は?歩き方は?」と尋ねたら、たぶん妙な顔されるに違いない。 たぶんそれは「正しい靴の履き方を教えてくれ」「靴を履いて歩く方法を教えてくれ」という愚問に似ているのではないか。 「そんなこと考えたこともない、正しさなどない、理屈の前に、履いて慣れろ」と笑われるに違いない。 下駄は理論からではなく、人々の感覚から生まれてきた。「正しい使い方が必ずある」という思考こそ、近代の産物であり、はたしてそうなのか疑ってかかる必要はないか。 というようなことは、たぶん武士にとっての刀もそうだったのかもしれない。 「正しい斬り方を」と言い始めたのは、刀剣が日常から遠くなっていった時代からなのではないか。 それを取り戻すには、やはり理屈ではなく、使って慣れろか。 畳表でどんどん試し切りをやろう。 それはアイスホッケーの試合でもそうだった。初心者の私は全身プロテクターをいいことに、しゃにむに突っ込み、心配されるほどフェンスに激突した。安心感からだ。 しかしあれが素肌だったら、恐ろしくてできない。 その証拠に、ベンチで監督をやっていて、フェンスでつっこんできた選手と、私の素手の拳がぶつかっただけで、数日間痛んだ。 数年前、小手を付けずに、防具をつけた生徒と相面をやって、指を骨折したことを思い出した。防具に甘えて、感覚のセンサーを切っていたのだ。 これは、先日の人類学研究会で説明するとき「失敗したら危険な原発」の運用に例えてお話しできたことで、自分でも腑に落ち、ハッキリとしてきた。 つまり、原発を動かすとき「たぶん、このスイッチをおしてみたら…」と操作することは許されない。あまりに危険である。 よって、確実なことを少しずつ積み重ねた上で、慎重に操作していかなくてはならない。 ということは、生命がかかっていた実際の斬り合いは、無責任な言葉を応酬する、おしゃべり、トークショーではなく、ひとつひとつの発言に言質を取られる、まるで裁判か国会での証人喚問のようなものといえようか。以前にも書いたと思うが。 ゆきすぎた安全性は、何度でもやり直しがきくという安易さは、自由さの反面、人間の感覚をマヒさせ、身体技法を雑にさせるのではないか。 だからといって、斬り合いの場で、慎重すぎたり、臆病すぎたりして、機会を逃していても敗れる。武術とは大変難しい技術なのだろう。 父にいわせると「剣の稽古とは、その場で判断を誤らない稽古」「その場で最も的確な判断と振る舞いをする稽古だ」という。これは現実の日常生活にもつながることであろうか。 たぶん古い剣術、古い形は、このような状況を想定して編まれた。 だから「自由な打ち合いに使えませんよ」と全く打ち捨ててしまったり「形稽古だろうと、激しく本当にぶつけるようにやればいいのだ」と単なる激しさにしてしまうのは、おそらく、大きな勘違いをしている。 他にも、「いま」という時間の難しさについて、ベルグソンの説が紹介されたが、それは、日本の剣術や沢庵「不動智神妙録」、韓氏意拳などが既に認識しており、思考や論理に止まらずに、実際の身体稽古で体認しようとしていることも紹介させていただいた。 ともかく研究会では、今の私自身にできること、できないこと、「こんな体験をいうとアタマがオカシイと思われるかもしれませんが…」と言葉にできない感覚などを、迷えるままの現状稽古を、素直にお話した。それが良かったらしい。 ある教授からは、私のあまりの率直さに「よくある伝統芸道のように「私はこれほどの境地です」と胸を張って、煙にまいてしまうこともできるのに、どうして…」とも言われた。 しかしだ。実際に私自身、いまだ暗中模索だし。研究者の皆さんは、権威やヒエラルキーが、いかに発生し、造られていくのかも研究されている。 だから、虚勢を張っても、すぐに見透かされ、チープな研究素材となってしまうだけだ。 私は「「伝統だ」と盲信し、虚勢を張らないこと」において人後に落ちないつもりである。 そして「家伝剣術が、時代変化のなかで社会情勢と折り合い付けながら生き残ってきた話が、現在の人類学や開発学で大きな課題になっていることと通じるテーマだ」とも言っていただいた。 マイナーさゆえの私の葛藤は、私個人の問題だけではなく、世界各地で発生してきた現象とも相似しているのか。 しかし、私のマイナーな模索稽古を説明しながら、気がついた。 図らずも私は、竹刀打ち稽古、木剣刃引きの形、切組、真剣の試し切り、居合という、北辰堂の大先輩故笹森順三師範が提唱した「総合剣道」の稽古方法、 プラス、異種武器、体術と、様々な稽古をやっている。どれも未熟だが。 この間、もっぱら竹刀稽古専門の剣道高段者の先生から「ひとつを極めてから他も…」とお叱りを受け、アタマをかいたことがあった。 だが今思えば、私の方がより古い近世の武士達の稽古法に近いのではないか。 稽古とえいば、竹刀剣道だけ、居合だけ、形だけ、という人々が一般的になってしまった現代だが、 「ひとつの種目を…」の発想自体、近代における、人工空間内での競技選手としての観念であり、それでは複雑精妙な現実世界を相手にするには難しい。 そして何より「竹刀稽古だけをもって剣の道とすること」「様々な稽古をするのは邪道である」とすることは、同じ道場の大先輩、故笹森師範の本意を忘れているといえまいか。 私があんまり弱気で低姿勢なのも、かえってこの道の先人たちの業績に失礼をしてしまうのではないかと反省している。 誰もが忘れたこの道。次回は胸を張って反論してみようか。 といいながら、居間で、抜刀と納刀の所作を工夫している。 なんと自分が根本的にできてきないことがひしひしと感じられてきて、これで永遠に稽古が楽しめるなと独り喜んでいる。
の具体像を多く集積し、研究されている」という、大学の科学研究費補助金研究課題「マイクロサッカードとしての在来知に関する人類学的研究」研究会にお招きいただいた。 そこで、先端の人類学研究者の方々へ、家伝剣術の伝承と実践について、拙い体験談をご紹介した。こんどインカレに出場される大学剣道部の猛者も出席された。 出席されている方々は、アフリカやオセアニアなどの海外の身体技法を実地で調査されている。それから見ても、私の事例は面白かったようだ。 私自身も、大きく視野を広げていただく体験となった。 そのひとつ。「失敗が許されない原発」 つまり。「打って勝つな、勝って打て」という剣道高段者が説くハイレベル。 私の竹刀剣道、袋竹刀の打ち合い稽古、体術のスパーリングは、それにあまりに遠い。 「当たるかな、ダメかな…、ええ~い、やってみよう、それ!!」と安易に打ち込む「メクラ打ち」(家伝剣術のたとえ)ばかりやってきた。 本人は気合いを入れて、攻めたり、誘ったりして、姑息な戦術を駆使した上での攻撃のつもりだが、実際には当たっては喜び、外され、応じ技を使われては嘆き…と、まるでギャンブルのような不確かさだ。 このままでは「永遠に当たらない博打打ち」で終わるなと、ずっと嘆いている。 ふと思い直した。 自己弁護ではないが、これは竹刀やグローブという安全な道具に甘えた現象ではないか。 竹刀、グローブならば、誰しも生命の危険を感じることなく、自由自在に打ち合える。 だからこそ、武道が発展したのだとする人もいる。 だがその技とは「より先をとって…」「連続技で…」「しゃにむに懸かっていけば…そのうちなんとかなるだろうよ」と、安易になっていくのも人情ではないか。 剣道史研究では、幕末竹刀剣術がそれまでの剣技よりも「先を重視する技法」へと変化していったという。それはやはり竹刀ゆえのことなのではないか。 ところがだ。素面素小手、素肌で刃引き真剣の切組稽古をしてみよう。いくら鈍感な私でもそうはできなくなるのだ。 「試しに打ってみよう…!」というギャンブルができなくなるのだ。 つまり「打って勝つ」ことができなくなる。周到に勝ちを収められる準備を整えてから打つという「勝って打つ」しかできないことに気づくのだ。 これは、安永四年(一七七五)の弘前藩一刀流山鹿高美と江戸の中西派一刀流中西忠蔵の往復書簡にもあったと思う。(笹森順造著『一刀流極意』一刀流極意刊行会、昭和四十年)。山鹿は「竹刀の業は存分軽く、譬へは子供の遊の如くにし、勝負の処を深く思う事を嫌うて事可ならん」と述べていた。 10年前は全く意味がわからなかったが、最近ようやく感じられてきた。 初夏の庭、剣道着に袴。 一昼夜、水につけた巻き藁を立て、真剣で斬っていく。 腰に差したままの脇差は身体の規矩か。 T氏からいただいた大型水槽のおかげで、一回に巻き藁50本を用意できるようになった。 一本にだいたい三太刀斬りこむと、合計約150太刀斬りこめる計算となる。 有名な抜刀道のやり方ではない。家伝剣術や林崎新夢想流居合の形が要求する所作で、実際に斬れるかどうかのささやかな検証だ。 ヘタクソな私でも、数をこなすうちに、安定して斬れるようになるのだから面白い。 でも馴れではなく、ひと太刀ずつ違う試みをするつもりで。 林崎流居合の天横、天縦からの斬りは、故寺山龍夫師範がおっしゃったように斬れることが実感できる。 家伝剣術「生々剣」からの気づきによる、中段(八相に似た構え)、上段、下段からの斬り込み、初動の感覚、蹴らない足、背中と肘の関係、斬り込んだときの頭部と体とのバランス…。 構えで単なる脱力はいけない。まんべんなく均等に全身にゆきわたっていることが有効なようだ。 そして中段の構えは、拳、腕、肩などの身体の構造からすれば、自ずと刃部が寝る気がしていた。実際にそうゆだねた方が斬れる。 そしてよく、どっしり腹を据えて、どっしり足を踏みしめて斬れというが、私の場合は逆に、立つこと、歩むことなどで発生する、身体と地面との抵抗感が消えるほど、斬撃力が向上する感覚がある。 これは数年前に韓氏意拳の歩法をお教えいただき、それで気づいて家伝剣術伝書のある記述が、ぼんやりと見えてきたことと関連がある。 今までの気づきの有効性を感じながらも、すぐに変化技を工夫したくなる。 通常の斬り方から様々に太刀筋を変化させて斬ること。難しい片手斬りは、パワーではなく、やはり家伝剣術の小太刀や手裏剣で気づいた、左右の体のつり合いが有効であるようだ。 斬るなかで、鍔で指を擦りむき、家伝剣術教話「鍔の縁、下げ明けて」を身に沁みて知った。 意外だったのは、家伝剣術の形で、斜の構えから左右に螺旋を描くようにして刀を振り回しながら、連続で二太刀斬り込む形の有効性だ。 形の要求通りに、これほどメチャクチャに振り回せば、刃筋が立たない、斬れないのではないか、とずっと疑問だったが、あっさり連続で斬れるのだ。 斬っている途中、拳や体幹、腰部との、ある構造的なつながりがあれば、刃筋を意識しなくても、自ずと斬れるようだと、ハッキリと実感した瞬間があった。 よく斬れるという物打ち部だけではなく、鍔元でも斬れるかどうかもやってみた。うまくはないが斬れる。 だんだんしだいに、刀と身体の違和感が無くなって、溶け合ってくる。 もしかすれば昔日の武士達は、我々ほど真剣を怖がってはいなかったのではあるまいか。 なぜか刀を扱うことで、立っているという拘束感や力感が無くなり、自分の身体が柔らかくなっていく気がした。 一方で、体の輪郭はハッキリとわかる洋装の敵と、輪郭がぼやける和装の敵では、後者の方が間合いや攻撃部位がぼやけてしまい、やりにくくなるのではないかと夢想した。 和装の本人も、自分の関節部位を忘れ、まるで風に舞っている布のような自在さを感じて刀の操作性が上がる感覚があったのではなかろうか。 面白いのは、斬り込んで、自分でも驚くほどの斬撃力が発生するときは、全く力感がなく、まだまだこの先、自在に身体が展開できるという爽快な体感がある。 その点において、折敷く形から生まれる斬りの威力は凄まじい。全身が連携しやすいのか。 私は小学生の頃、剣道大会決勝戦で、折敷き胴で勝ったことがあるが、いまやそんな時代錯誤な技など、日本剣道形のとき意外、地稽古でも使う人などなかろう。 しかし実は大変な理があるのかもしれないと思った。 反面、斬れないとき、全身に力感がみなぎっており、急に鳥が重さを感じて地に墜落したような不快感が残る。 幼青少年期「激しい運動こそ稽古」という世界にどっぷり浸かってきた。 それで得るものもあったが、理合を掴めば、「当流の柔和無拍子の稽古などを脇目より見ば、さまざまに嘲り笑ふべし」(小出切一雲「無住心剣術書」)という稽古になるらしい。 なにより目先の問題は、斬った後、山のようになった藁の残骸の片づけが大変なこと、庭で斬る私を、新住民が勘違いして、通報しないかどうかだなあ。 剣道の現役選手でなくなってから、ずいぶん時間が立つ。 そのせいか、最近の剣道具の変化に驚き、現在の技術がありありと類推された。 防具袋にキャスターが付いたこと、剣道専用アンダーウェアの登場は知っていたが、ジャージ生地の稽古着と袴の登場には、本当に驚いた。 従来の刺し子の剣道着は、柔術の掴みや突きにも対応できるし、模擬刀や木刀が少々当たったくらいならば防護効果がある。 でも「洗濯しやすいから」といって、ジャージ生地にしてしまえば、地稽古中の竹刀の余勢が当たるだけで痛いだろう。このままでは近い将来、剣道着はすべてTシャツとズボンになるのではなかろうか。 一方で、剣道用かかとサポーター、居合サポーターの厚さが増しているのは、現在の技法がますます床を強く踏むようになっているからではないか。 私も十代、二十代の頃はお世話になったが、今では間逆の理を目指している。 また木刀で「中太刀」とあるから、當田流剣術かと思ったら、子供用の短い木刀だという。 「それはいいことだ」と思ったら「今年から子どもの昇級試験にも日本剣道形が課せられるようになったからだ」という。 たぶん、竹刀競技用へ特化しつつある現状技術に対し、刀法を意識させようということか。 しかし「木刀を使ったら刀法になる」とはあまりに短絡的ではないか。 いくら木刀、模擬刀を使おうとも、土台となっている基本技術、身体操作自体が、竹刀特有のものである限り、技術は変わらないだろう。 これは自省をこめて言う。 ただ外形をなぞったり、精神、気合いをこめて日本剣道形をやっても、自由な打ち合いで強くなるはずがない。それならば竹刀稽古の方が即効性があることは誰しも実感しているはずだ。 でも批判は許されないから、形を曖昧模糊とした存在としておき、儀式用や昇段試験用におとしめてしまっている。 私は残念ながら、竹刀稽古と日本剣道形の連続性を、実用の明らかな術理として体現されている剣道師範を寡聞にして知らない。 いくら高名な方の講習会や書籍での解説を漁って拝読しても、頑迷な私には、抽象論か精神論としてしか聞こえず、現実の使う技術としては、ほとんど腑に落ちない。 しかも日本剣道形成立の背景時代が、純粋な技術、理合の追求よりも、当時の各流派同士の政治的調整のなかから生まれ、中山博道師範が不足があったとコメントを述べている、という歴史を知って、落胆し、こうして深い渕をさまよっている。 つまり、竹刀稽古と日本剣道形稽古の関連性を、昇級・昇段試験科目であること以外、誰も本気で探求、実証しようともせず、 実は「竹刀稽古こそ最高」と心の内では思いながらも、一方ではあいまいな精神論だけで、形を権威付けのアクセサリーか、手順を守るだけの体操にしている気がしてならない。 そのような現状認識のままの形を、子ども達に指導しようとすること自体、大変な問題ではなかろうか。 私だったら、肯心自ら許すことができない。悩んでばかりいる私は、たぶん本当に「形」について悩んだことがないのではないか、と疑ってしまうほどである。 もともと剣術の形稽古を否定して生まれた剣道だ。それほど「形が使えない」ならば、すっぱり捨て、ハッキリと竹刀稽古専門としてしまった方が、一貫性があっていい。 それなのにどうして未だ否定したはずの「過去の遺物」である「形」に執着するのだろう。 もしかすればそれは、自ら「伝統技術」を標榜して、大会パンフ等ではそのルーツを平安時代の日本刀の発生に求める一方で、剣道以前の近世剣術を紹介すれば「私がやるのは今の技術です」と否定するという、矛盾した論理展開も関係があるのかもしれない。 ともかくそれほど日本の武道の多くは、形の稽古に関する智恵を、理を失った気がする。それなのに「木刀を使えば」「形をやれば」大丈夫だとは、あまりに楽観だ。 かつての寺子屋、私塾のように、子ども達や一般向けに武術と学問をやる。 資格取得や受験のためではない。生きている不可思議さ、喜びを深く実感するためだ。 頭脳よりも、カラダで学ぶ。それも津軽地方に伝承されてきた身近な学芸だから、高い受講料もいらない。 昨日、夢を見た。どこかの学校の女性教員が「お爺さまに大変お世話になった」という。 自分の動きの質が全く変わったのだと、何度も嬉しそうに語る。 そのうちに、古い建物のなか、和服を着た若き祖父と、屈強そうな門弟らしき男、若き父らが、木剣を使って、剣術の稽古をしている。 互いに袈裟に斬り込むが、紙一重でさばき、ギリギリですれ違って、互いの身体も木刀も全く触れない。間髪入れずの光景に、目を見張った。 稽古が終わると、大勢の子供達が遊び回るようになった。まるで学校の昼休みの喧噪だ。 なにやら私は、大勢の先祖達から励ましをうけたようで、胸をつきあげ、夢の中で嬉し泣きをしていた。 その後、祖父は門弟と剣道防具をつけて竹刀稽古をしていた。 弟子に、諸手で自分の喉へ突きを入れさせる。そのたびに祖父は丸くなって後方数メートルへ飛んでは立つのだ。 庭の稽古場を徹底的に片づけ、自分を整理した。 私は、この小さな城下町において、古きを継承しようとしているが、実は周りから見れば、全く新しいこと、邪道をしようとしているように見えるだろう。 当家は廃藩置県で剣術道場をたたんで以来、先祖伝来の家伝武術を、家族と有志だけの嗜みとして秘め、世情に従って、社会に普及した剣道に従い、それを「対外的に実力を示す場」として生き延びてきた。 よって何も知らない方々から見れば、当家の剣術こそ、見慣れぬ異文化であろう。 もしかすれば、人間関係の希薄な大都市で新しいことを始めるよりも、この濃密で強固な縁故のしがらみのなかで新しいことを始める方が、大変な勇気と闘いを強いられることもあるのかもしれない。 しかし不安に怯える必要もない。そもそも、このようなことは前例がないのだから、誰も保証できなくて当たり前なのだ。己が為すべきことをやるしかないのだろう。 と思っていたら、古い書棚で目に止まった古い一冊。 見知らぬ誰かが、まるで迷える今の私のために、最も適当な頁に栞を挟んでいてくれた。なんという偶然か。 「人はいかにも思はば思へ、狂人とも云へ、我心に、仏道に順じたらばなし、仏法にあらずは、行ぜずして、一期をもすごさば、世間の人はいかに思ふとも、苦しかるべからず」(「正法眼蔵随聞記 三ノ十 此国の人」)
時代遅れの私にとって、生活と全く無縁の、しかも見知らぬ他人のプレーに、どうして一喜一憂しなくてはならないのか全くわからない。 といえば「非国民だ」と烈火の如く怒られる世相なのだろうが。それでも全く関心がないのだからしょうがない。 それより先に、私たちの身近に、気づかずにいる豊かな世界、やらなくてはならないテーマなど、たくさんあろう。 例えば「国際平和への貢献より前に、自分の家庭内の平和こそ」 それらに目をつむって遠い世界ばかり…。 まあそれはともかくとして。 北辰堂道場内には、工藤忠の書「至誠通天」(至誠、天に通ず)」が掲げられてきた。 戦前の門人札のなかにも「工藤忠」の名前がある。 幼い頃から私は、その書もその名前もわからないまま、その下で毎日、剣道や剣術の稽古をしてきた。 先日道場で、東北大学名誉教授山田勝芳氏とお会いでき、ご著書『溥儀の忠臣 工藤忠 忘れられた日本人の満州国』(2010年、朝日新聞出版)をご恵与いただいた。 拝読しながら、書を遺した偉大な先達の姿を初めて知り、圧倒されている。 工藤忠は1882年、青森県板柳町に生まれた。上京し、サハリンから間宮海峡、ロシア沿海州、中国揚子江、甘粛省などをさすらうなかで、様々な運動に身を投じ、やがてラストエンペラー溥儀から厚い信頼を得て、満州国侍衛処長となる。 中国の裏社会に精通して、張作霖爆殺事件にも関わり、「大陸浪人の出世頭」とあだ名されて、小説「黒い落日」(秋永芳郎、1965年)にも登場、大河ドラマのような壮大なスケールの人生を送った。 工藤は青少年期に、北辰堂などで武徳会教士市川宇門らと稽古した剣術、撃剣、剣道を稽古したが、そこから修得した身心は、喧嘩ネプタだけではなく、大陸における様々な危機をくぐり抜ける場面において有効だったという。 このような先達に比べると、私の武は、稽古は、なんとスケールが小さいことか。 いや私だけではないだろう。 現代の我々は、なにごとにおいても規格、規則を作り、「ムダ」を仕分けし、はみ出す者に対しては、徹底的にクレームや中傷を浴びせることばかりに懸命となっている。 互いに足を引っ張り合うから、自分からやることが怖くて、やらない批評家、クレーマーばかりに陥ってしまう。 しかもその批評やクレームの矛先は、目先のサービスや、自分より弱い立場にある者にばかりに執拗に向けるが、 巨大な存在や、マスコミが作る流行には、驚くほど従順なのではないか。 このままでは、スケールの大きな人物、国家百年の計は出てこず、やがて社会全体がゆるやかに衰退していくのではないか。私も自戒している。 そのことは、拙い家伝剣術「生々剣」の稽古の実感からも、ぼんやり思うようになった。 最中、自分の心身自体が、少しでも、ある特定の規格や規則を意識し、互いに監視しあい、互いに批判しあうような状態となれば、すぐに自滅し、打太刀によって簡単に打ち落とされることになる。 伝書でも「一心」でなくてはならないという。 技が熟して、不動明王の如き存在となったとき、自ずと万障はさえぎらない、と説く流派もある。 よって、いつも周りに気をつかい、右顧左眄している私では、心身の構造上、生々剣に始まる剣技は修得できないことになる。情けなや。 思考だけの理論ではなく、肉体を通して考え、腑に落ちることは、その人にとって骨まで通底する土台、自信になる気がする。「本当にそうなのだ」と。 しかし、ときにそれは、やっかいな頑迷さになる。諸刃の剣だ。 本質的な事理一致とは、大変難しい。 「当流の技は○○の思想をもって…」と高邁で、難解な理念や大義名分を振りかざしても、実感としてピンとこないことも多い。 しかし、打ち合い稽古ばかりで、あまり考えないのも問題なのかもしれない。 例えば「剣(剣道、剣術)は愛である」という難しいテーマ。 厳しい肉体鍛錬を積んだ高段者による解説がたくさんあった。 拝読したが、背景が異なる様々な流派、思想のうわずみだけをパッチワークし、全体として飛躍した論理展開となった感があって、やはり実感としてピンとこない。 まあ、私のような低レベルではまだ理解できないのだろう。 高邁な哲学より先に、自分が稽古のなかで実際に体感した、ささやかなことから、理や思想を腑に落としていきたい。 それに比べれば、沢庵「不動智神妙録」はすごい。山田史生教授による勉強会だ。 冒頭の文章などは、竹刀剣道の地稽古または、袋竹刀で自由に打ち合う稽古、空手の自由組手、ボクシングのスパーリングをやりこんだ人は誰でも身に染みて実体験がある。 「あ~そうだよな~」と膝を打ちたくなるような、言葉にできそうでできない感覚をうまく表現している。 これを書いた沢庵は、頭のなかだけの空想ではなく、剣の実体験があったのではないか。 先週の勉強会では、たまたま津軽獅子踊りと舞踏をやられる古老O氏が、ご自身の実体験のなかから興味深いことをおっしゃった。 「(舞踏では)最初はジッと静止しており、そのうち導かれるままに動いていくのだが、その初動のきっかけは、自分が作るんだなあ」と。 ふと最近、稽古のなかでひらめいたことと似ていた。 ただ立つ。しかしその空間で調和しているだけでは、何も始まらない。 矢を放つのは、僅かな己の意志か。あとはそのまま流れにゆだねていく。 これは、相手がきっかけを作ってくれる場合もあろう。ただそこには己の自立性も必要だ。 当流の小太刀の表、裏の所作、そして當田流棒術のある形はそうではないかと思っている。 そのことは二年前の秋頃か、夜の岩木川河原での稽古で気づいた。先日甲野師範が工夫されていた、反射を超える「龍尾の原理」にも類似していないかと、勝手に連想している。 ともかく、過剰な意図をせずに、素直にそれに身をまかせられれば、過不足無くピタリとした対応が発生する。なんと静かでシンプルで、見栄えがしないのか。 ところが自由な攻防になると無理、無駄の雑音に満ちてくる。 信じ切れずに、何か継ぎ足したくなり、改変したくなり、結局全体がボロボロになっていく。伝書も説く「強いてやれば功を失う」と。現代では表演などで「見せつけてやる」という意識まで混じれば、全く武技は壊れてしまうだろう。 その一方で、最初のきっかけとなる意思の在り方自体も難しい。 毎朝通勤前のTVのモーニングショーから「○○してやろう」というフレーズの流行歌が流れてくるが、そのニュアンスに違和感を感じる。 「○○してやろう」といえば、カッコよく若者には聞こえはいいが、危うい。 「○○しよう」とは違い、己のみの過剰な意志、計画が通用するという奢りなど、偏りが少々混じっている。 ゆえに、現実を見誤った力業となって、流れが濁って尽きてしまう可能性が高くなろうか。 という理屈は、家伝剣術「生々剣」の感覚からだ。 「○○してやろう」は特に、相手と戦う武の世界ではすぐに陥りやすい。 私の稽古など、複雑性妙で巨大な現象を前に「○○してやろう」と小さな頭で画策することばかりではなかったか しかし現実の日常世界の雑事においてでさえ「○○してやろう」という対応ばかりでは、己の心身を摩耗するわりには、想定外が多く、あまり効果がないではないか。 稽古のなかでのわずかな気持ちのありようで、出てくる身体の技が違ってくる、ということがあるのではなかろうか。 ともに神妙不測で流れ動く存在に「計画した一点で打突を合わせてやろう」という愚かさは、剣だけではないのかもしれない。 もしかすれば「よりよい人生設計」や「○○のため」の資格試験勉強もか。 私はずいぶん「計画を立て確実に遂行する」価値観を刷り込ませて生きている。 その利も多いことは認めるが、計画がそうならないときには、己の怠惰を責め、そこで居つき、そのことで次の計画にまで響き、また悔やむ…という、悪い循環へ。 ときには実際が先なのか、計画が先なのかわからなくなることも。 資格もそうだ。せっかく習得たのに、今は違う資格の方が重視されるようになった…など。 これは武の立ち会いでいうと「相手とこう戦うぞ。こう斬ってくるだろうから、次はこうして…」と計画を立てて戦ったのに、相手は全く違う動きをして、我が混乱している間に斬られてしまった…という現象にも似ている。 つまり、これだけ変容が激しい社会のなかで、いくら綿密な計画を立てたり、「将来得する資格を…」とやっても、その計画や、資格の有効性や価値も次々と変わっていく。 これらの計画、資格、級、段位等は、不変、普遍の存在ではないのだろう。 そもそも普遍とは何か、人間の存在、能力とは何か。 それは資格や級、段位などの、その時代の価値観をベースとした人工規格で、判定しきれる存在なのか。 それらは、変化し続ける人間を、工業製品のように固定した品質のモノであると仮定しなくては、経済社会が成り立たないから、という方便ではないのか。 一方で、子どもにスケッチを教えていて、考えること、計画を立てることの得失について気づいた。 例えば、人物画をスケッチするとき「いま目を描いている。こんどは口を描いて…」と、ひとつひとつ考えて描いている人にうまい人は少ない。 アタマを空っぽにして、いま何を描いているのか、この先どのような造形になるのか全く考えずに、ただいまこの瞬間、目に映る線を追っていく。 ときどき我にかえって、全体とのバランス「響きあい」を確認してみる。 以上の繰り返しから、いつの間にか、いい絵画が生まれてくる。 このような活動は、武の稽古に似ている気がする。 「こう突くために」「ああ斬るために…」と目的や計画を脱ぎ捨て、ただ空っぽにして、フォームが、形が、要求している抽象的な所作をとりながら、自分の身体を第三者として観察するなかで、意外な、妙な感覚や現象が発生することがある。 「おや、これは意外な…」と。 そのときは、心身ともに全く新しい視界が開けたような、深い喜び。それが稽古の楽しみだ。 「もしかしたら、これは別のことにも応用できるのでは…」と試してみる。 たぶん上達とは、計画からではなく、現在の我の「想定外」から発見されることが多いのではないかな。 青森市諏訪神社となりのM氏の書斎を訪ねる。その言葉が耳に残った。 「伝統の文化は、それだけひとつ独立して存在しているのではない。 ある文化要素が失われれば、それとつながる文化要素も同時に消えることがある。 そして伝統とは、外部からではなく、内部から壊れていくものだ。」 私のやっていることは、どうなのか… 我がやっているこの世界は、実生活とのつながりを失ったからこそ、貧弱になったのかもしれない。 これを使って身を守らなくてはいけない、という切実さを、昇段や試合のためへとすり替えていった。 目的の変更にともなって、実技は変容したり、衰退し、競技用のスポーツ選手が増えた。 それでも特定のイメージだけが残ったため、現代ではその期待を煽るようなパフォーマーまでが出現している。 このような、小さな世界に耽溺しているうちに、巨大なチカラの前には、無力な世界となったのではないか。 そうなのだ。かつて私が懸命にやってきた昇段や試合とは、いったい何の基準だったのかな…と自問自答すれば、 決められた特定規格内だけでのうまさと勝敗であり、その世界から一歩出たら、通用するかどうかはわからないのだ。 たぶん、往時の武士たちのように、ワクを設けない、本質的な武の稽古を求めていけば、自ずと我々のような規格にはまった小さな人間が育つわけがない。 常に己自身の心身で判断する、という骨太い、ある意味では一筋縄ではいかない、ひとかどの人物となっていくのは当たり前だろう。それは残された伝書の一端を読むだけで簡単に推測できる。 さて私の拙い稽古。 刃引き真剣での剣術稽古をやるようになったら、真剣だからといって当たらなければ、不必要に怖がることはないと感じるようになってきた。 でも、互いに拍子がずれて、互いの切っ先が意外な交差をするときはヒヤッとするが。 同時に、今までいかに下半身と上半身の濃度のバランスが悪かったか、ジワッと思い知らされてきた。 一方では、久しぶりにスーツを着たら、首から肩から体幹から、なんだかピッタリこない。肩に引っかからないのだ。 先生方が使われている刃引き真剣の柄頭が、一様に、ねじ切れつつあった。よほど握りしめているのか。 となりには握力を鍛えるためのバネ仕掛けの器具があった。 恐らく、この重い真剣を操作するために、強大な腕力を志向されているのだろう。 私は真逆に、なるべく腕力を使わずに、全身で操作する方向を目指している。 すると、ブンブン振って、ギュッと止める刀法が、いかに雑な操作法で、かえって危険であることが肌で感じられてこよう。 そのような使い方は、竹刀稽古特有の、ある一点で狙い打ちする打突方法をそのまま使っているのではないか。 しかし、我も敵も互いに流動しているなかで、ある一点にこだわることは、川の流れに印を付けるのに等しい徒労である。 「(竹刀での)打突は、中結いから先の方で打て」というが、それではなぜ、その竹刀の原型であるはずの日本刀の刃部が、切っ先だけではなく、刀身ほぼ全体に長くついているのか。 それは、どの時点で衝突しても、威力がある技と、一体になるための構造ではないだろうか。 二刀流は、私の専科ではなく、余技である。 剣道部の顧問時代、生徒相手の地稽古で、大小の竹刀を持って試してみたり、稽古会の仲間と袋竹刀での自由打ち合いで、メチャクチャに試す程度で、きちんとした基本は知らない。 拙い経験からすれば、大小の刀を順番にイチ、二、と振るよりも、二刀が同時に動いて受けと攻撃をなす方が、大変効果的であり、一刀からすれば大変手ごわいものだ。 ときに、重い刃引き真剣で二刀流を工夫してみる。二本の真剣をそれぞれ片手の腕力だけで自在に操れるものではない。 重さに振り回される。急ブレーキ、急発進で身体がきしみ、動きも途切れる。「これは大変だな…」と思ってきた。 だからか、有名作家のなかには、二刀流の宮本武蔵は強大な膂力であったと推測した人がいた。 先日、面白いことに気がついた。違うのだ。 剣に重さがあるからこそいい。それは全身の推進力のきっかけとなる。 そして剣を振り回すのではないのだ。 両手に剣を持つ。例えば、前後、または左右の敵へ刀を向ける。 その前の剣が落ちるから後の剣が上がる、左の剣がなぎる分、右が逆を動く…こと、つまり常に刀同士の重さのつり合い、バランスを取り続けるなかで、自ずと己の身体が動いていく。舞いのようだ。 すると剣の重さが消えていく。 これは、中国拳法の歩法を使えば、さらに体認しやすい。 すると自ずと、二刀は順番にではなく、ひとつの所作として、同時に動く。となれば先ほどいったように、受けと攻撃が一体化した、手ごわい動きとなる。その姿勢は、鉄人十手流の絵伝書にも似てくる。 重さに打ち勝とうとして筋トレをするほど、豊かな世界を握りつぶしていく。 反対に、重さをそのまま認めてあげて、何をしたいか耳をすまして、ゆだねてみる。すると安定していて、自在で、したたかで強い、身体の理、自然の理が立ちあがってくるのではないか。 同じことを、刃引き真剣の何分の一の重さ竹刀に持ち替えてやってみると、軽さと安全性に心身が油断して、ブンブン振り回してしまい、手と身体のつながりは千切れてしまい、真剣では不可能な使い方へ暴走していくことを実感した。 今日の、対人でやる刃引きの切組稽古では、刃部同士の衝突はやるが、素肌を斬るときは、もちろん寸止めをしないと大事故になるのでやるが、切組の途中、たとえ袋竹刀のように直接相手の身体へ当てなくても 「今のは斬れた」「いやそうではない…」という実感が、ひしひしと感じられた瞬間があった。 あたかも、リンゴの上の果物ナイフをそっとかざして、このまま下ろすだけで切れるなあ、と手前でソット力を抜いてやめること。筆で字を書いていて、線を引く途中で、紙から筆をスッと離すだけのことか。 この感覚は竹刀剣道の地稽古や袋竹刀での打ち合いでは、一度も感じたことがなかった不思議な感覚だ。 近世に、一刀流の山鹿と中西が交わした書簡にある「竹刀は相手にあたってから効果を知る。木刀、真剣はその前に知る」というような意の文と関連があるのかもしれない。 文久年間に飯野藩森景鎮が著した「剣法撃刺論」 「武は、自ずからもっている天理を活かすと、身心が自由自在を得て「一塵も障るものなし」仏教でいう不動明王の智となって、世界に恐れるべきものはなく、生死を離れた人傑になる」という発想。 先日「生きている実感」の学びと書いたが、さらに不動明王とは大変面白い。しかし普通の我々でも、ときに何事かを無我夢中になってやっている瞬間は、そうなのかもしれない。 また「形は元来、無形であって、その理を悟ってそのときに応じて現れる技が本当の技である。もし形を決めてしまった形があれば、真の剣法ではない。」というくだりにも、膝を打った。 森は千葉周作の弟子である。竹刀稽古とそれ以前の剣理が違和感なく解け合っていたようで、言い得て妙な優れた伝書である。 しかしその反面、随所には、後世の我々が、いかに我田引水して、当時の竹刀稽古を変容させて現在に至ったのか、その萌芽も感じとれて大変興味深い。 斎藤正『童戯の古典』(青森県、児童文学研究会、昭和39年)には、武術の稽古になりそうな昔の遊びがたくさんある。 万延元年生まれの祖母達から聞いたという、津軽地方の男の子、女の子の遊び。 指遊び、ねまり(座り)相撲、膝相撲、かがまり相撲、板はずし、おっつけっこ、手ひっぱり、ビッコたっこ遊びなどは柔術の稽古のようだ。 ぎっこうばったんは受け身か、こぱ打ぢは打撃か、タックルとキックを複合したような踏み馬、目隠ししてやるメグラ鬼や人あて遊びは、視界以外の第六感を磨けるか。 こぎ打ちは手裏剣、菖蒲打ちは剣術、頭上運搬する物運び遊びやがらがら遊びは歩行の質転換へ、ベンジャや雪すべらせ遊びは浮き身、顔あそびは感情表現か、陣取りは集団戦法…。 著者は、これらの遊びを通じて、無意識のうちに、間、加減、程合い、思い切り、積もり、的確な目当て、手加減などの勘や感覚が錬磨されて、後々の生活に役立ち、知らず知らずのうちに民族力が形成された、としている。 では現代の子ども達は、自らの身体を、五感を使って遊べているか。 私が子供だった時代は、屁かみが「危ない」と学校で禁止された。今の学校では、安全なはずの雪上での相撲までが禁止されているという。 生物として、最も基本的な資源である身体能力や鋭敏な五感。それらさえあれば、どうなっても生きていけるのではないか。 我々の時代には、その土台がかなり貧困化しているに違いない。 かつて、これらの遊びを生んだ、心身の感覚に優れた人々。そのなかでもさらにハイレベルな人々が編んだ古伝の武術。 それを弱体化した現代の心身を持って復活させようとしている私の無謀さを知るべきか。 先日は、遺族のお許しを得て、幕末の當田流剣術師範、弘前藩士浅利万之助の位牌に納められた遺髪に触れることができた。 同行者はびびっていたが、百年以上前の優れた武の先達、その生身の体に触れるなど、本来ならば不可能なことなのに、なんと望外の喜びか…!どうかお力をお貸しください…! と私は感激していた。やはり変わり者だろうか。 真剣による据え物斬りや、相手をつけて刃引きでの切組(形)稽古。 前者の稽古は己一人の感覚を、後者は自己の状態を対人関係のなかでじっくりと観察できよう。 特に刃引きによる切組稽古は、激しい動きとなる前から、ジワッと汗が滲み出て、終わった後の全身の虚脱感が違う。 これらを体感していると、現代剣道の昇段試験や試合、稽古で、一生懸命に追いかけてきた「正しい基本」「有効打突」等は、残念ながら「真剣の理法」ではなく、竹刀特有の技法であることがハッキリと実感されてくる。 重い刃引き真剣を、手首のスナップや腕だけで操作することは難しい。 両腕で一刀を操ることにおいても苦しいが、二刀になるとほとんど不可能に近い。 つまり、グッと刀を持ち、エイッっと、足が地面を蹴り、上半身が下半身を蹴り、腕は肩や胸を蹴り、手首は前腕を蹴って、重い刀を振りだす…。 という反発の連鎖から成り立つ身体では、大変効率が悪い。反発をなるべく解消したい。 今のレベルでは、生々剣のような、お盆をささげたような全身の状態で、剣を操作していくことを模索している。 実は、生々剣の状態を、そのまま他の技へそのまま応用できるかどうか、半信半疑な自分がいた。その自分を破っていくぞ。 具体的には、身体全面の、両肩、両拳、両腰骨、頭などの各部の互いの相関関係性がこわれないよう、まるでパントマイムのように動くのか。 すると全身の動きと剣の動きが直結し始め、剣の重さは消えてくるような。 このような技法の先に、改めて竹刀を使った自由な打ち合い稽古をすればどうなるか。 スナップで連打する現行の「有効打突」に対して「その打ち方、当たり方では…」という実感とともに「新たな有効打突」観念が生まれてくる気がしている。 そしてそれが、往時の武士達がやっていた稽古を呼び覚ますことになれば面白い。 仙台からお客様があった。工藤忠の研究者の方だ。 工藤は、北辰堂道場の大先輩、ラストエンペラー宣統帝溥儀の右腕であった。その人生は波乱万丈であり、大河ドラマを超えるスケールの大きさだったようだ。 かつての道場は、そのような破格な人物をたくさん輩出していたのかと思うと、規格にはまった我が小ささが恥ずかしくなってくる。 ささやかだが、そのような人物が育つ場をもう一度取り戻したい。 受験、資格取得、自己啓発セミナーなどとは無縁、全国的な組織や連盟とも無縁。 脳トレなどの思考優先の勉強ではない、身体優先の学びの場。 武士が学んだ剣や尺八などの地元の文化資源、技芸を通じて、各自が生きている実感とともに、己の指針をじっくりと模索できる場を始める。 陶芸、織物、染色、木工など様々ジャンルがあるが、そのほとんどは「伝統」といいつつも、近世以来の継承は断絶しており、ここ50年以内の新しい創作から生まれている。 我々が「伝統」だと信じているものが、実は「近代の産物であった」ということは、武の世界だけではなく、様々な分野共通のことなのかもしれない。 先日は親戚の結婚式で上京したが、たぶん首都圏で暮らしていたならば、家伝剣術はとっくに滅びていただろうと痛感した。 首都圏からの距離が、牧歌的に稽古できる環境を守ってくれていることに改めて感謝した。青森新幹線が来たら…。 「100年」で驚くほど、現代人の歴史認識は短くなった。弘前藩で導入してからでも約250年やってきた、といったら信じないだろう。 しかしだ。明治以降、誰も見向きもしなくなった家伝ではあるが、我が家代々の身心は、この伝承のなかで永遠の命を得てきた。 凡才にできることは限られていようが、私がきちんと種を熟成させ、蒔かなくては、この世界は、今すぐにでも消滅し、永遠に失われてしまうだろう。 まずは私自身が、心身ともに深く納得して伝承したい、日々を生きたい。そのために稽古している。 さて、木刀を構えて気がついた。 幼い頃、家伝剣術稽古で、剣を中段(当流では肩にかつぐ構え)や上段に構えたとき、祖父に「もっと肘を張れ」「このような感じだ」とやって見せてくれた。 あのとき、なんでそうするのか全くわからず「古色蒼然としたしぐさで、竹刀剣道の地稽古では使えないのでは…」という疑義があった。 しかし今日は、少し違うように思える。 構えたときに両肘を前後に張ることでおそらく、カイナ、肩甲骨、背中全体がつながる。 宝生流能でも、両肘を張って立つ所作があると聞く。 かつ、腰を落として腰骨を開き、薄氷を踏むような足裏を…とやっていくと、まるで、17世紀初めまでの先祖が師範をやっていた當田流剣術・棒術絵伝書の人物姿になる。 すると気づかないだろうか。渋川流柔術伝書が説くような「身一盃」の感覚。 床の上に立っているのではなく、乗っかっている置物のように、全身に浮身がかかってくる気が。 すると、自ずと切り出す剣が、立とうとする両脚の居着きから解放されるため、スムーズに速く、剣に体重が載って重くなる。 これは剣の重さをも消してくれるようだ。 例えば、一キロを超える刃引きの重い真剣で、竹刀剣道の打ち方、小手面の二本打ちをやってみる。 満身のスナップで振ろうとも、変化は遅いし、手首、肘への負担は重大で、非力では全くできない。いや腕力に優れた方でも、やがては各関節を壊してしまうだろう。 でも、カイナから肩甲骨、背中、腰部、身体の沈みの連携で操れば、それらの問題性の多くは雲散霧消してしまう。逆に剣の重さが全身の推進力となることも。 たぶんそのような状態は、素手でサンドバックを打つときも同様か。 バンバン、パンチして、拳の衝撃を肩で受けて自己満足にひたっている私ではなく、衝撃を全身に散らし、自分にとってはほとんど手応えがないのに、サンドバックが土台ごと揺れる大きな威力を生み出している、という突きがいいのではないか。 夜の真っ暗な道場、目隠しをして完全に視界をふさぎ、袋竹刀の小太刀を手にして、大太刀の相手へかかっていく「座頭市」実験稽古をした。 子どもの頃、得意だった目隠し鬼に似ている。 やはり、眼が開いている相手に簡単に打ち込まれる。 それでも、かすかな音、気配、体温?で、なんとか動き回る相手を捕捉できるようだ。 でも少し不思議だ。なんで…?人間のセンサーは眼や耳以外にもあるのかも。 どうやら、相手がこちらを意識してくれると、こちらもその気配を感じ取れるような…。 有名ハリウッド映画が「最近、不思議が足りないあなたへ…」だと。 生きていること自体、不可思議なこと、理屈を超えていることばかりではないか。すべて予測済みである人生とは神以外ありえようか。 渋谷のNHKで裸眼による3D映画を見たが、眼球が痛くてならない。 将来これが普及するとしたら、洗脳されるようで怖くて見ないぞ。そんなにリアルさがほしいなら、実際に生きればいいではないか。 庭で巻き藁を立てて、愛刀で斬る。 袈裟に斬り込むとき、その太刀筋を、我が身体が邪魔してはならない。 よって斬り込む剣の背後にある、我が身体も切断するかのようにする。 具体的には、太刀筋を、開ききっていない我が腰骨あたりがジャマしている。そこも開放する。 かつ「カイナを使う」こと 加えて、野口体操からヒントを得た。初動は重さで、動き始めたら筋肉は調整をするだけ。 それは、疲れていて、朝寝起きで、身体が重くて動かない…というときも同じか。 そのとき実は精神のこわばりが、身体の初動を阻害しているのではないか。つまり、居着いているのではないか。 自重と構造にゆだねれば、自ずと流れが起こる。動き始めれば、あとは流れにまかせられる。でもそれだけでは武技としては不足なので、筋肉が調整し続ける。 初動は、打ち合い稽古でも重要ではないか。 例えば、いくら剣道高段者でも、ウレタン棒を持って、打突部位の制限無しに、メチャクチャに打ち込んでくる素人相手に、全く触れさせずに制し続けることは、かなり難しいだろう。 例え先をとって出小手を打っても、後太刀に打たれてしまうケースが多いに違いない。 そのことから、おそらく「触れれば斬れる」実戦ならば、連打を磨くのではなく、普通人とは段違いに質が違う動きか、全く気配がない初動ができなくては、命が無いのではないか。おそらく体術も同じなのかもしれないが。 だからこそ、家伝剣術の形は、そのような動きを磨くために、形式的には一太刀か二太刀しか打ちこまない、非常に素朴な動きであるのかもしれない。 そして武技が、機械的な反射ばかりではいけないと気づかされる話を聞いた。 例えば、腰の刀が急に鞘走りをした(抜けてしまうこと)あっと手が出て、刃部を直接つかんで指を落とした。溶鉱炉の前で作業中、胸ポケットから落下した小物を取ろうと、思わず手が伸びて…。 ある程度コントロールできる無意識の動き、という技はあるのだろうか。 そして家伝剣術の生々剣。剣を持たずに素手で、両手または片腕でも、効果があるようだ。 普通ならば突きだしていった我が腕が、腰から相手に払い落されてしまい徒労感を覚えるのだが、それをやると相手は、我が腕を両手で思い切り払い落したはずなのに、止められずに差し込まれてしまったり、体ごと後ろへ飛ばされる現象が発生した。 でもこちらはノソノソ歩いているだけで、ラクで力を感じない。 たぶん諸流でも、すでに発見されていることなのだろう。 紹介された故野口三千三(みちぞう)氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E4%B8%89%E5%8D%83%E4%B8%89の著作には、示唆が満ちており、武の稽古についても大いに考えさせられる。 「敗戦後、私は、私自身の裏の虚脱と混乱の状態から抜け出すだめに、他の人のいうことをそのまま信ずることを一切止めて、私自身のからだの実感をもって、確実に信ずることのできることだけを頼りにして、一つ一つ丁寧に何回も確かめるという方法によって歩きだした。 「もっぱら「自分のからだは、ただ今、どう感じ、どう考え、どう信じているのか」という「ただ今の自分」という立場をどこまでも大切にして、人間における「何か」を探りつつけてきた。」 「今までの多くの体操は、感覚において視覚を重視し、測定可能な能力に着目し(図形化、数量化が可能)、客観的に体系化しようとしてきた。野口体操では、自分自身の直接体験による実感、それも内的な体性深部感覚を最重要な手掛かりにしようとし、主観を重視し、体系化にこだわらない」 (その証左として、映像で見る自分の動きが、自分の実感とは異なっていることがあるという。) 「精神を上におき、からだを卑しむ傾向は未だ変わっていない。そこで問いたい。脳はからだではないのか、と。誰もが脳もからだだと答えるだろう。では、その脳の働きが心ならば、ことばだって、からだの働きの結果ではないのか」 「ことばを探ることはからだを探ること。からだを探ることはことばを探ること。からだを探るということは、複雑極まりない自然のもの(構造)・こと(機能)としてのからだから、何事かを実感することだ」 「・理性、意識(意思)至上主義の誤り ・共通、普遍至上主義の誤り ・論理、科学、学問絶対主義の誤り ・分析、計測、数値、統計偏重主義の誤り、 ・絶対値、最大値、平均値偏重主義の誤り ・「欧米先進」至上主義の誤り ・オリンピック競技的在り方の誤り ・二元論および二分法的発想、線形論理の誤り。」 「「情報は変化しないから意味がある」と考えることが問題であり、情報は、ある条件のなかで、ある範囲に限って、何事を固定したものである。」 「生き物は変化流動し続ける存在であり、二度と同じ時、同じ所には戻れない「すべての物事に絶対的な基準はない。すべての基準は相対的にそのつど、新しく自分のなかに生まれるのだ」 「最初から「良い加減」だけをめざしてやるのは、いつも目的を意識してやるやり方ね。これは頑張りになり、狭い固い窮屈な考え方になる恐れがあるんですよ。」 「私のからだは地球物質のまとまり方、つながり方の一つであり、私の心はその働き方の一つである。」 「私とは、私が私だと思っているものと、それと関係するすべてのもの・ひと・こととの複雑な関係によって生まれ、現れるもの・こと-これを現象といってもいい-その総体である。したがって、その関係の変化によって私も変化する」 「(からだとこころは)渾然一体の総体になるわけですよ(中略)自分を遡ってみるとね。常識的には自分の一番のもとは受精卵だと思うんですよ。受精卵はからだなのか、こころなのか…こういってみるとね、これ、はっきりいえる人いないと思うんだなあ。」 「野口体操の要諦は、力を抜くこと、重さに任せること、意識を捨てること。」 「からだが柔らかいという場合には、関節の動く範囲、その空間的な動く範囲の量の大きさ、それを柔らかさというね。(中略)こういう柔らかさの考えを僕はとらない。そうじゃなくて変化の可能性の豊かさを柔らかさという。」 「筋肉の働きは、動きのきっかけをつくり、動きはじめてからな微調整をするだけ」 「力を入れると小さな変化は無視されてしまう」 (以上、野口三千三・養老孟司・羽鳥操2004『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』春秋社より抜粋) 明治期に青森市内で使われていた刺し子の消防服を見た。 模様が無ければ、全く紺染めの「剣道着」だと確信するだろう。 つまり、「神聖な存在」だとされる、現代の剣道着は、和装のなかでも、前近代の作業着の系譜につながっている可能性はないか。 私も年に何回かだけ、紋付き袴で演武するが、それは、自由自在な剣道着の感覚とは少々異なる。 「和服を着るといろいろな身体の発見がある」というが、それが剣道着でも同じかどうか。 たぶん剣道着は、往時の人にとっては、晴れ着や日常着とは異なる、いわば作業着か運動用ジャージのような、ラフでリラックスした構造の和装であったのではなかろうか。 といえば、不愉快に思われる方も多いだろう。 確かに剣道着は、真剣な稽古のための道具であるから神聖ではあるが、それ自体を目的化、神聖化しすぎて、「着装がうんぬん」と昇段試験の合否ポイントにすることは、実は新しい観念ではないか。 故大塚忠義氏の著作『日本剣道の思想』窓社1995年を再読している。 剣道界のエリートであった大塚教士7段は説く。 「日本剣道は歴史的構造的な複合矛盾を持ち、それを解決するためには、竹刀剣道としての客観的な技術目標を明確にし、それを評価できるようにしなければならない」 「それは、一部の指導者だけではなく、多くの剣道実践者の感性と悟性によって実現されつべきだと確信した。」 「剣道は「剣の理法による人間形成の道」です。と言っていれば済んでしまう。なぜだと疑問を出すことは、弱みを見せることだから、言わずに耐えて内的に乗り越えていくべきだ、ということになっているのではないか。」 「歴史的に「武」はいつも「文」に支配されてきた。「武」自身のなかから知性が生まれなければ、結局「文」に利用されるだけで終わってしまう。」 「剣の技が作った思想をいかに受け継ごうとも、竹刀で剣道する以上、竹刀の技が作る思想を鮮明にしなければならないのである。」 「剣道は「竹刀を刀だと思え」等とするような、刀剣の観念を脱ぎ捨て、全く竹刀剣道独自の世界観を、技術観を拓いていくべきだ」 など多くの主張が示唆に富む。 その分、古流にはあまり関心が無かったと見受けられる。 「形や動作が決まってしまっているので、どこで自分が負けたか、何故に負けたか、そのことを分析せずして、ひたすら練習の量を上げていくことにもなりかねない。」 「私自身、古流を学んでいるいわけではないし、たまに見たり、考えたりということですが、(中略)形や何かにはエッセンスとして残されていて、「体裁き」や、「間積り」、「拍子」など意味のあることはあるんだけども、斬ることそのものから言えば、非常にせこい空間を争っている。それは、たとえば、腱を斬るなどであり、一刀両断に打ち込むというような話じゃなさそうだ。(中略)技術をやりとりし、相互に高めあって洗練させてきた技というふうには、竹刀打ちの現代剣道に比して言えばそうは思わない。真剣の世界は虚構ではないわけだから、その一般化や洗練度合いにおいては現代剣道のほうが高いのではないかと思う。だが、比較はできない。技術目的が違うわけですから。」 という。 その一方で、 「剣道はかつて暴力であった。だが暴力・実用のなかでさえ、五輪書や活人剣、相ヌケという思想を生みだした。それらを現代的意義をもって鍛え直さなければならない。」とする見解には矛盾を感じる。 そして竹刀剣道の「一撃の美」「互いに心地よい打突」については、急に主観論となる。 確かに私も剣道経験者だから、その感覚はわかるが、全く部外者にはわかるだろうか。 その感覚こそ、同業者、後天的に学習した者同士でなくてはわからないものではないか。しかも、長い剣の歴史のなかで、近代以降、新しく形成された価値観ではないか。 皮肉を言えば、初心者に全く違う打突法と美意識を教えれば、その人は全く違う「一撃の美」「互いに心地よい打突」を習得するであろう。つまり可能性のひとつでしかないのだ。 互いにコミュニケーションをしあって攻防することは、竹刀剣道だけの特性ではない。 もともと中近世の剣術がより深い切実さのなかで体験してきたことだ。 権威主義が強い世界なのに、大塚師範は、私のような者にも二度ほどお手紙で、温かい励ましを下さる、柔軟で器の大きな方であった。残されたメッセージは今もその輝きを失っていない。 それとも憑き物が落ちたのだろうか。 これから、子どもたちに教えることを考えたとき、自らの過程を反面教師として反省せざるをえない。 思えば、木刀や竹刀や剣道防具は、生まれた頃からすでに見慣れていた。先祖の刀を抜いて柱に斬りつけてイタズラした。 まず5歳になると、木刀を持たされ、素面素小手で家伝剣術を学ばされた。 ふだんは優しい祖父であったが、稽古は違った。 ふだんの稽古でゆっくり動いていたはずなのに、八幡宮奉納演武になると祖父は、物凄い速さで打ち込んできた。必死に小太刀で受け流し、返した。 あるときは「泣き止め!!」と祖父に真槍を突きつけられたこともあった。 幼稚園に上がる前か、まもなく、弘前市民体育館の夏季早朝合同稽古で、竹刀剣道の地稽古を初めて見たのだろう。 そのとき、なぜか「やれやれ、これをやらされるのか」とあまりいい感じがしなかったことを覚えている。 7歳になると、祖父は暴れる私の右手をつかみ、引きずられるように道場へ連れていかれ「今日から稽古を始めるから」と師範方に紹介され、毎日、竹刀剣道稽古が始まった。 「行きたくない」と駄々をこねても、布団をはがされ、引っ張られるように道場へ。 全く稽古熱心ではなく、サボることばかり考えていた。 それでも意地と負けん気はあったせいか、青少年時代までは、剣道の大会や試合では勝ち、あまり努力しなくても上位入賞へと進めた。 そのたびに「また稽古が増える…」と暗澹たる気持ちになった。 一方で、中学生のころには「このやり方では、若いうちしかできない気がする。年取ったら動けるのかな…」という疑問があった。 それとともに、初めて見たときから、竹刀剣道の動き全体が、自由に打ち合っているようだが、実はかなり限定された外枠に拘束されており、窮屈な印象があった。 一方で、家伝剣術の所作には、それほど不自由さを感じなかった。 これはあくまで個人的な感覚であろう。全く逆に、剣道の故大塚忠義師範は、古流の動きを「限られた空間でやりあっているセコイ動きだ」とされていた。まあどちらも主観論だが。 竹刀剣道稽古で父は、攻めや打突の機会、構えなど具体的な理法を教えてくれた。反面、他の先生方からは質より量の稽古をいただいた。 特に部活動でやる竹刀剣道稽古は、あたかも鬼軍曹の命令通りに、見通しの無いブッシュのなかを、やみくもに駆けずり回る一兵卒の徒労に感じられた。 毎回稽古前には、自分に気合いを入れて飛び込んでいき、息を止めて数時間かけてやっとぬける。 やっと解放されたが明日もか…とため息の毎日だった。 稽古熱心な友達を見ると「なんと我慢強いのか…!」と首を垂れた。 だが形稽古は全く違った。家族とだけの家伝剣術稽古のみならず、みんなと一緒にやる日本剣道形の稽古でも、心身に清らかな流れがスーッと通っていく感触があった。 だが反面「これは自由な打ち合いで使えるのか」と疑問があった。 高校時代は、剣道部を途中でやめ「山岳部」に入った。 今西錦司の著作で「山でカモシカに出会ったら唄を歌え、すると聞き惚れて逃げない」というような文章に、底知れぬ広い世界を感じたからである。 そうしてみると竹刀剣道は、毎日、天候に関係ない体育館という人工空間のなか、しかも防具というカラに身体を閉じ込めて、外界と完全に遮断したなかで動く、非常に不自然で窮屈な運動に感じられ始めた。 だから、大自然のなか、雨風乱風、大地の砂埃にまみれ、駆けずり回り、のたうち回るような体験にこそ「生きている実感があるのではないか」と山岳部へ入った。 大学時代には、同じような体感をラグビーに求めた。大地の上で、道具無しの肉弾戦の実感は、さそや生きている実感があるだろうと。 ポジションはフランカーとウィング。思い切りタックルして気絶し、一時的に片目が見えなくなったり、相手のキックを胸で止め、肋骨にヒビを入れたり…。 剣道や剣術は、義務感からときどきやるばかりだったが、武芸伝書解読のため歴史学を、無形の伝承システムを学ため、民俗学を専攻した。 それから十数年の模索を経た今。不思議にもすべての試行錯誤がつながり始めたか。 そして、もともと出会っていた家伝剣術のなかに、自分が求めていたことすべてが用意されていたことが実感できるようになった。 暗愚だから、わざわざ遠回りしているような人生である。 伝統工芸展の準備で、M氏に聞いたお話が心に残った。 高橋一智(1904~1983)は、河井寛次郎の内弟子。弘前に窯をひらき、津軽の土で作品を作品を作った人物だ。 陶芸製作の準備、掃除、薪割りなどすべての作業を、誰の助けも頼まず自分でやっていいた。 その面倒さを尋ねたM氏に対して「自分だって大変だと思うが、仕事がそれを認めてくれない」と語ったという。 法律や他人の評価基準、流行に合わせるため、ではなく、 自分の内側、技の世界から求められてくるものにこそ従う、 という生き方は、表面ばかりとりつくろうような現代の我々が忘れていることではないか。思わず胸が熱くなった。背筋が伸びた。 歯に衣着せぬM氏は、痛烈に、伝統工芸の現状は、伝統を全く継承していないと語る。 「工芸とは、用即美であろう。だが今の人は、先人達の結果である「美」ばかり見て、そこから求めるからおかしな作品となっている。」 「裂き織りも、もともとは布の折り目に沿って裂く方法だったのが、現代では、折り目に関係なく、刃物で切り裂くようになった。だから構造上、弱くなるのだ。」という 自然の理を、素材をそのまま活かすこと。 リンゴの神様木村氏は「全く自然に放任してしまうことは違う。そこに自然の一部である人間の知恵も必要なのだ」と説いている。 私の武はどうだろうか。 自分を、与えられた心身の自然の理を、ヘ理屈と「正しさ」、我執のチカラで、ねじふせ、捻じ曲げていないか。 そんな小賢しさなど、天与の理の前には無力であろうに。 立ち、動く。なるべく地面との反発、抵抗を消したい。 だが、調和して安定しているばかりでは武にならない気がする。 不安定さが、再び調和と安定、バランスを取り戻そうとする自然の力を。 おそらくその力は、世界中どこでも発生する普遍な存在で、非常に強いものだろう。 それを動力源として利用する。それに身をまかせてみる。 思い出すのが、米沢市で見た伝書だ。 我が開祖が「十文字の円相ばかりでは足りず、加えて卍にした」と記している。 十数年前に筆写したときは、お経のようで全く意味不明であったが、もしかすればこのような意味かと。 狭い津軽に限られた土着性の高い武だと卑下していたわが家伝だが、よくよく考えれば、それ以前は、日本海交易で関西方面からもたらされたものであり、それより以前は関東や近畿など、日本各地の様々な交流から生まれた存在であり、広い世界につながっているのだ。 そして今日、寺子屋プロジェクトの実現について具体的な話し合いがもてた。少しずつでも始めるぞ。 素手で相手の刀を触れずにかわす、無刀取り、太刀取りの稽古。 まっすぐ斬りおろしてくる太刀をかわすことより、袈裟に斬ってくるのをかわすのは難しい。 先月、右袈裟に斬ってくる相手の脇の下へすべりこむようにして、かわすと同時にひじ打ちをする方法に気づいて、喜んでいた。 しかし今日、同様の技法が、本覚克己流和の絵伝書で示されていたことを初めて知った。 先人たちがその先で笑っていた。喜んでいた自分の小ささが恥ずかしい。 それぞれの技は、その時代の要請によって形成される。戦国時代か、近世か、現代なのか。 ハッキリとしていることは古い武術は、競技試合のため、昇段のため等という現代的な目的のためでは全くなかったことだ。 その技法は、混沌とした戦乱を、ルールがなく、老若男女や強弱の区別なく襲ってくる命の危険、実際の斬りあいを生き残るために編まれ、かつ実際の戦闘を体験していることだ。 その点において、その後に生まれた技法と決定的に異なる。よってそのことを体感できないのは、示せないのは私自身に問題があるのだ。 「身の備え、太刀構えは、器物に水を入れ敬って持つ心持ちなり。 みだりに太刀を上げ下げ、身をゆがめ、角を皆敵を討ち、敵を押さえ、受け開き、外るることなど、大きに悪し。すべて太刀先より動くことなし。 ただカイナばかりを遣うことぞ。 左右前後上中下段、丸く、切れ切れにならざるように、よく勢いを続け、上手の文字を書くごとくなり。よく手の文字を書くに、筆先を遣う分別智恵をもって、書くにはあらずと見えたり。」 (「願立剣術物語」より現代語訳) 前半は、わが家伝剣術の生々剣の感覚を思わせる。 興味深いのは「ただカイナばかり使うことぞ」だ。 数年前に甲野師範が指摘されていた。それを思い出し、改めて我流で再検証。 カイナ(二の腕)は、我々があまり使っていない部位だ。 だからランニングのとき、そこにiPodホルダーを取り付ける。 肩から動かせば気配が出やすく、身体がねじれてこわばりやすい。 しかしカイナだけを動かすつもりならば、意識せずとも、肩甲骨や背中、腕全体などが、力むことなく、ゆるやかに連動してくる。 そして願立が説くように、剣先から動かす方法(例えば竹刀剣道のように)では刀が重く感じるが、カイナを動かす感覚にすると刀が軽くなる。 さらに肩の位置、頭と脚の釣り合い、背中の連動をミックスさせる。いやカイナを使えば、連動せざるをえなくなるようだ。 連動すれば、斬りに体重が乗っていく。家伝剣術は説く。実際の斬りあいではチョコチョコと斬っても、相手は気が張っているので全く効果がない。だから威力のある斬りでなくては通用しないそうだ。 この身体で、刀を振れば、今までにない鋭さと、変化が出てくる。風鳴りが違う。 上段から振り下ろす初動が消える。腰を落とし、四股を踏むように斬りおろしても、両足を踏みしめていなから足音がせず、居つかず、すぐさま次へ変化できる。 特に当流の陰の構えから、左右の袈裟を連続して斬ることが、真新しくなった。 またカイナを使えば、動いている途中でも、慣性力を生かしたままで、全身の軌道変更もできるようだ。 福眞睦城氏に教わったが、某有名茶道流派の教えに「人差し指の力は軽く ただ中指に気をこめて持つ」とあるらしい。 中国拳法もそうらしい。津軽で出土した縄文期の粘土板に刻まれた人体の絵も、まるで中指と腕がつながったひとつの幹のように描き、他の指が枝葉のように描いている。 試しにやってみるとわかるだろう。中指から肩を通して体幹に通じる流れを感じないか。一方、小指はまた違った感覚が導かれよう。 加えて、古い新当流伝書に 「束長(つかなが)くとて、必ず握り手間の開くは嫌ふなり。 ただこの利は、束頭(つかがりら)をあましやすく所に利あること知るべく」 といって、剣を握るときに両拳をつけるような記述を発見した。 雪を気にせず、薄着で野山でも稽古できるかと思うとワクワクする。 今年の弘前公園の桜は、ちょうど連休中に、全樹木が爆発的したように満開となり、観光客が大津波のようにやってきた。 弘前公園近くの実家の周りは、渋滞と歩行者となる。 その人並みに見つからないように、庭で巻きワラを斬っていた。 真剣による据え物斬りは、剣道経験者よりも、全く経験の無い人ほどよく斬れるという。 帰省していた幼なじみ、全く経験の無いK氏が斬ってみた。 「刀の重さを活かして、自分が振るのではなく、刀の動きをジャマしないように…」などと愚にもつかないアドバイスをしたら、直立した巻きワラへ、浅い角度で刀を入れて、切り口がまっすぐに細長くなるという、見事な斬りを数本見せてくれた。 数日後、東宝映画社の某監督が、ロケで実家を使いたいと下見に来た。 今日で二度目。西田敏之氏主演の映画「星を守る犬」(原作村上たかし、『漫画アクション』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%AE%88%E3%82%8B%E7%8A%AC)を製作中だとのこと。 たまたまウチが、古びた家で、バックに岩木山が見えるのがよかったらしい。 先週は全く別に、NHKの番組が隣家を取材にきていた。 斜め向かいの当家を見て「あの家はなんだろう」と興味深そうに見ていたという。 我が町内は、近世の武家屋敷が集まる、伝統保存地区である。 当家は当時のままではないが、近世に使っていた家屋を明治初期に移築し、それに近現代の補修を加えてなんとか暮らしている。 幼い頃から古びたサワラの垣根や家屋が恥ずかしくて、友達に教えなかった。 最近は、周囲に新しい家が次々と建ち、古い我が家は引き立て役だ。 現在、周辺で、屋根の雪下ろしをしているのは当家だけかもしれない。 この古ぼけた家屋は、家のなかでの年越しや正月行事、玄関での作法、家伝剣術の伝承ともリンクしている。 近所には旧藩時代の各武芸師範家がたくさんあった。今でも、もと一刀流師範家の子孫などが住まわれている。 だが、実際に今でもやっているのは当家だけになってしまった。 本当に「時代遅れ」の家だ。「いまどき…」と珍しがられている。 変わったことに気づかないのは、当人たちばかりなり。 先日の甲野善紀師範の稽古会では、様々なジャンルのいろんな人々にご参加いただいた。お陰様で意義深い一日となった。皆様に深く感謝申し上げます。 そのなかで、正座したままで、相手に両肩を突き上げられても、のけぞらない座り技が紹介された。 たぶんそれは、最終目標ではなく、ひとつの仮の考案であろう。 それと、無刀取りで、少々お褒めをいただいた私は、翌日、さらに勝手なヒントをひらめき、全く関係が無いような立ち技において、今までにはない展開が芽生えてきた。 その身体のありようをとると、例えば、抜刀がよりスムーズに速くなること、剣術の斬りがよりラクに速くなること、素手の突きがスムーズに、体重を乗せて重く、射程距離がグンと延びること、間の前から体当たりを触れずにかわすこと…など、ほぼ不可能だったことが、いきなり可能となり始めた気がして、大変面白くて止まらない。 おそらく稽古で、個別の技をこねくり返してもキリがなく、各武芸伝書が述べるように、共通する根本的な身体の有り様が備われば、たいがいの技が可能となる、という世界があるのだろう。 現状レベルでは、この状態になると体幹は自然とねじらなくなる。 また身体の上下のつながりが強く感じられ、身体が浮くことと、下方へ沈むことが一体であることが予測され、その中心は腰または、仙骨あたりにならざるをえない。 腰は低くなるが、だからこそ、自在な足さばきを生むような。 もしかしたらこの状態こそ、家伝剣術の説く「腰のはまり」なのか。 この状態で座る。押してくる相手の力が、例え濁流のように襲ってきても、全くそれに関わることなく、我が身の上下左右の張力が釣り合い続けることだけに注視していればよい。その状態は、世間でいう気合いや闘争心ではなく、自分の内側への深い瞑想を必要とする。 さらに、この体幹の状態は、一年ほど前、林崎新夢想流居合の座り「フキョ」からの抜刀「押立」を工夫中に感じられた状態を想起させよう。 そのときは、その手前までたどりついたが、ある重要な要素に気がつかずに引き戻ってきていた。 その気づくべき要素は、数年も前に、故森文夫師範が来青する度に、ご教導いただいていたことだったのだ。頑迷な私は気づくまで長い時間を要するらしい。 これで歩く立ち姿は、ますますファッションモデル歩きから遠ざかり、近代以降の欧米式となった日本が忌み嫌ってきた猿人のような姿勢かもしれない。 他にも講座では、掌の各指の微細な動きが、体幹の有り様につながっていることが紹介されたが、大変興味深かった。 修験者などが、指を組み合わせて印を結ぶのは、手先だけではなく、それで身体や精神全体を連動させるスイッチにしていたのではなかろうか。 実践と思考が、いまこの瞬間に渾然一体となっているのが武術か。 ということはつまり「生きること」そのものであろう。 参加することなく、川向こうから、しかも遅れて後から分析、批評だけしているのが科学なのか。それはつまり「お客さんか、」「生きていない」のか。 難解な言語で表現する研究者。難しくて理解できないのは私がアタマが悪いだけではなく、 ときにはその文章自体が、実態や現実から遊離した記号の遊び、バーチャルである場合もないか。現実性が無ければ理解できない。 少数の人間にしか効かないワザを、ワザといえようか。文章や言葉も同じではないか。 たぶん「伝統を活かすこと」と「私意を加えること」は紙一重であろう。 しかしその結果は、全く違ってしまうだろう。 現代日本では、改良、改革、私意を加えることが大流行である。 私自身、なるべく伝承の本意に近づこうとしているが、果たしてそうなのか。明確な自信はない。 例えば、先祖が師範をやっていた當田流棒術。 絵伝書の構え、形が要求する動きを工夫してみる。 絵伝書は最初の構えしか示していないが、その姿勢から要求される次の動作を、いかに速く、軽やかで重く…と工夫してみると、面白い気づきが次々出てきた。 「やはり絵伝書の通りにやるとスゴイ。これは剣や素手にも応用できるかも…。浅利伊兵衛が次々と諸流の免許皆伝をなしたのも、各流毎に全く違うことをやったのではなく、普遍的な術理をつかんでしまっていたのではないか…」 と喜んでいても、果たしてそれが先人達と同じ感覚か、我意なのかは、証明できない。 でも理屈を越えて、当人にとっては、確かなものか、幻かは、稽古のなかで身に染みて確信できる、という境地があるのかもしれない。 太田尚充師範の『弘前藩の武芸文書を読む―林崎新夢想流居合・宝蔵院流十文字鑓』 (水星舎新書) には 、弘前藩における林崎新夢想流居合の師範のひとりとして、私から数代前の先祖が出てくる。 その落ち穂拾いしかやっていない、子孫のレベルを見れば「おいおい、全く違うぞ」と、いかほど嘆くことか。 みなさんで抜刀(据え物斬り)の稽古。幹事のT氏はもちろん、私以外みなさん慣れていらっしゃる。 動いている標的は斬れるかと、キャスターをつけて走らせている標的も斬る実験もした。 しかし、いつもながら思うのは、乱戦のなかでも、刃筋を立てて使うことがいかに難しいかということだ。 その後、刀の研ぎ師S先生に、刀の研磨の基礎を教えていただいた。 わたしの刀も手入れしていただいて鑑定していただいたが、まるで太刀のように腰反りが強く、斬るときに前腕に負担がかかりやすいらしい。片手で斬るのに向いているらしい。 この風変わりな刀も九州産だ。近世から当家は九州産の刀を多く使用してきたから、その御縁であろうか。 刀剣の構造をお教えいただいていると、この刀剣自体が、昔の剣術が説いた「八面玲瓏」そのものであることに改めて気づかされる。 対象にとらわれることなく、手応えなく通過し、ひとつの世界を瞬時にして両断してしまう刃物とは、他に類例がない異質な存在ではないか。 それに反して、私の技、私の日常の振るまい、存在は、なんと全く逆で、あちこちにぶつかり、ひっかかり、ぶざまな存在であろうか。 家伝剣術「生々剣」について認識が変わる。それはそれを使って稽古する使太刀ではなく、打太刀の斬り自身を試しているのではないか。 つまり打太刀が、「ある一点だけでの威力が成立する打ち」では対応しにくい。 だからか、竹刀剣道の方ほど、空振りをするのだ。 よくいわれる、どこで接触しても威力があるという斬りだ。 それが体得できていれば、充分に対抗できる。 それは剣だけでも、素手だけでもない。 掴まれる前から、掴まれても、相手にとらわれずに、我が身体内部が活き活きとしていること。 一方で、当流の古い伝書が、技を、以下の老子の教えを引用した解説していた。 「三十の輻(や)、一つの轂(こしき)を共にす。其の無に当たって、車の用有り。」(『老子道徳経』上篇十一) 「輻」(や)は、スポークのこと。「轂」(こしき)は、車輪中央の「輻」(スポーク)が集まっている部分で、空洞となっている部分を示す。 津軽に入ってまもなくの家伝。伝書は当時の藩家老職が書いた。 なんとまた謎解きのような。その奥底の理を感じたいが。 先日、アメリカは、テロには核兵器は通用しないといって軍事開発の方向転換を匂わせていた。まさか、もしかして個人の武技の時代に戻るのではあるまいなあ。 そういう点では、化粧という意味合いでの『入れ墨』など、身体に傷を付ける行為は、どこか家畜にナンバリングというか『印』をつけるような行為に思う。焼き印もそうか…。 『お歯黒』は、女房になったという意味での『印』でもあるのだろうとすれば、アイヌ民族の女性の口の回りの入れ墨も中国の纏足だって似たような意味合いを持っていたのかもしれないと思った。 はじめは服従の証し。あるいは服従しますという証し。ランクを下げて従属でも同じ事だが、それが転じて、あなた一筋という意味となって来た。 自分を飾る意味での事としてタトゥというのがあるけれど、これは勇ましさから端を発しているような。 こんな事を書くと、差別!いきり立つ人もいるだろうけれど、『嫁』という字にも、それらしい意味があるらしい。 先に『家畜』という文字を思わせる感じで書いたが、それは決して侮蔑しているのではない(字としては、人間と違うという意味だけど)。 田舎では、この地方では、寒いから特に農耕馬などは大事に大事にされた。 一家の中では無くてはならない存在で、我が家の実家では、昔は馬と寝食共にし、火の近く、カマドの熱気が、ちゃんと回るところに馬の寝るところがあった。 女性は、一族繁栄の為の貴重なものであるからして、本来裏を返せば、それほど大事大事という意味で『嫁』という字があったような気がする。 同等…いや本来は女性は、人間種において男性より上だったと思う。 そういえば、あからさまに大事大事としてみせるレディファースト的な考えは、意外と不純な動機から発生した文化なのかもしれないと、三文雑誌の『結婚詐偽』の事件など読んで思った事がある。 最初から、威張って強引に付き合えなんて事を言うやり方では『結婚詐偽』は成り立たないよな…と思ったりもした。 余談が過ぎた。反省。 ともあれ、『歯をむき出して』表す行為には、危険を感じるという事だ。 仕留めようとしても、ようよう相手はやっても来ない。達人は、表情変えず楚々として仕留めてしまったような逸話も、これに関連する話とも言える。 おバカな頭遊びと、お笑いくださいませ。 この『お歯黒』をネットで調べてみたが、今一つどうしてそういう風習が行われて来たか解らなかった。 という事で、これから書く事は勝手な想像。 歯を持った動物の行動に『歯をむき出す』という行動があるが、さしづめ『敵意』あるいは『威嚇』と言った段階から攻撃する行動の段階までの表現なのだろうと思う。 これは、きわめて『獣』としての行動とも言える。 霊長類…地球上の一番上に君臨する者(誰が決めたのか?人間だ)として、人間は自分達を『獣』とか『動物』という形容で括る事すら忌み嫌うようになった。 『生物』という形容ですら、嫌と思っている? 貧乏から金持ち…権力を持つものとなったなどなどの際に、よくある行動でもある。 過去さえ打ち消して、さもずうっと昔からそうだったというような…。今もある話だが。 『お歯黒』は、歯をむき出しにするのは『獣』のごとき(はしたない)行為として 人間様としてはあるべきではない事という意味、またついカッとなって歯をむき出しにしているのを隠す(あるいは隠そうとしてしまう)という仕掛けなのかもしれないと思ったのである。 えてして女性にそれをさせたのは、幼くおきゃんな娘時代もあっただろうが、結婚して一人前になったという意味で、今は歯もむき出さず貞淑お行儀がよい人間となったという表現の意味もあるのかもしれない。 それに、お歯黒だと、どうしてもその異様さから口をすぼめる事となり、楚々とした感じとならざるを得ないとう仕掛けとなったのだろう(『茶の湯』は作法として、そういう思惑の仕掛けでもあった)。 男どもは、充分その内在している女性の恐さを知っていたから、封印の意味で、そう流行らせたのだろうか…。 実際、「歯に海苔が付いているよ」とか言われると、人間つい隠してしまう。歯が無いと、あんまりむき出しにも笑えない人も多いと思うから 結構行動抑制の仕掛けだなと思ったりもする。 もう少し話しを膨らませると、「手にナニカ付いているよ」と指摘するより、「顔にナニカ付いているよ」と言った方が、注意がそこに行く。 注意度…警戒体制の順位があるということか?確かに、ここが攻められては危ない。 その逆もある。考えてみて欲しい。格闘しようとする際、歯をむき出してするのと、口をすぼめてするのでは、どちらがアドレナリンが上がりファイトしようという気や、身体の動き方を。 だからお歯黒は、男性が(独占占有制御の意味で)女性に手枷足枷させない変わりに、口枷的な意味合いでお歯黒させた(仕掛け)などと考えたら、男女参画を声高らかに謳い上げる方々にお叱りをうける話しだ。 しかし、お歯黒は、さらにいつのまにか『高貴』という意味合いを持つようになって、貴族達の男達にも広がったような…。 浅学非才なので 本当にそうか?と思うのだけれど、よく公家階級の人もしていたから そう思った。単なるTVの見過ぎ? 顔の表情というのは、やはり自分の意思の『表れ』をする事であり、そういう点では、毛深い顔は獣に近いという事もあって、眉や口、それから眼などは、その意思表示が倍加してしまう感じがするから、雅びな人々や、既婚女性は、忌むべき事として、顔を剃り眉まで剃り落した(?)という事も、同じライン上の事なのかもしれない。 顔の産毛も剃らないのは下層の階級で、下賤・獣に近く卑しいという事なのか。 でも、洋モノの映画を観た時に、女優さんなのに顔の産毛がえらい長いのを観た時には、ほほ~と思ったものだが…。 これは個人差があるのだろうと思うけれど、オーストラリア生まれのG流柔術のG先生は 顔は水をぱちゃぱちゃつけるだけで洗顔は終わりと言う。 昔、都会に住んでいた時、私が垢スリで顔を擦る話をしたら、信じられないと言われた。 文化の違いだけじゃなく、環境もあるだろう。それによって、行動や考え方が変るという話でもある。 さて男がお歯黒しないのは、攻撃するからであり、逆に眉を雄々しく描いたりするのとか。 鎧甲冑も、自分の身体をその機能重視の観点すら無視して、雄々しくデフォルメしたものとなったのは、先の考え方の逆の方向進化なのだなあと、勝手に想像した。男がつける頬紅もそうらしい。 その他にもする事はあったようで、男の化粧というのはそういう主旨から発達したのだろう。女性願望の化粧とは違うが、強さは美しさでもあるというのは解らないでもない。 自然界の動物でも、牡が華やかな自らだったりナニカを付けてそう設えをしているし。 動物社会に観られる牡らがするディスプレイという行為は、こういう事なのだ。 人間の牡は、男は、どこか野獣の面影を残さないと、自分の存在意義が薄れそうだからということか? また別な事を考えた。 お歯黒し、眉もなく、楚々として、虫も殺さぬ顔にて、突如ガブリとかブスリとかされたら、とても恐ろしい話。 武術は、そんな感じを目指しているわけだし、そういう意味では女性は達人?女性は恐い…かなと思った次第なのである。 話しがむちゃくちゃなようで、意外と自分的には納得している。 もっとも西洋の女性の文化には、お歯黒は無いから、やはり肉食系…狩猟民族系だからなのか…などと考える。 動物自体、雌も狩りをするから、そういう考えに至らなかったのだろうか? 今、俳句の会に入っていて、ときおり頭の体操にと、眼に映るものを見てとか、ふっと浮ぶ言葉を膨らませて、捻る事をしている。 これは、頭の稽古。ちょっと、用事を足しに、車に乗り込んだら、頭に『お歯黒』というキーワードが浮んだ。 句のコンセプトは、春陽気に誘われて、化粧、頬紅、お歯黒を、春向きに映えるように整え直すみたいなのを書こうとして、浮んだのだ。 化粧のみでいいのだけれど、今回は江戸情緒っぽくと思った次第。 しかし、今思った『思い』を詰め込むのは、この錆び付き頭には結構至難である。差し詰め『型稽古』のようなもの。 確かにベイリィーファットなウエストを、小さめズボンの押し込めるが如くであるけれど そして時には脂肪吸引せねばならないし、場合によっては、ズボンのチャックを壊したまま登場するはめ(字余り)とする場合もある。これは、一見窮屈と思えてしまう段階の『型稽古』な捉え方。 これまたありのままとして、俳句と格闘している内に、割と言葉単語を覚えるし、眼で一瞬の森羅万象を見て、心情を反芻、それを表現しようとする時に、堅苦しいと思っていた五七五の中に広がる宇宙を垣間見る事もあるような…。 季語自体を調べても、宇宙観というか自然観というか、奥深いものがある。 また季語に込められた、太陰暦にて生きていた人間の生態も見出す事が出来て面白い。 故事の倣いを見出せたりしたならば、意外と読めなかった伝書の例えの解読の助けになるやもしれない。赴くままにやっている事なれど、身体が欲した事なのだから、何か意味があるのだと思いやっている。 少しずつ 意味ある『型稽古』になって来たか…。 Y先生による、『孫子の兵法』・沢庵禅師『不動智神妙録』の座学を受けるのと共々、これまた自分自身のソフトウエアの稽古となっているような気がする。 そうして考えてみると、『させられている』内は苦痛なれど、いつしか『する』ようになると面白味を見い出すようになってくるという事。 そういえば、学校教育の教科書が厚くなったと報道されていたのを新聞で読んだ。 そこに小説家であるT氏のコメントがあった。文中要約に『どきどきする文章を』とあった。 氏は国語が嫌いだったとか。ドキドキする対象は、ストーリーに限らず文章の恰好よさも含まれるのだとも言っていた。 これだけしか切り取らないで紹介するのは気が引けるが、ならば昔の寺子屋風に、論語なんかを諳んじさせるのは、理にも適っていることなのかもしれない。 だからか、古剣氏の日誌にも登場するS氏が、寺子屋プロジェクトを立ち上げた。詳しくは修武堂の最初の画面をクリック、クリック…。 ともあれ、俳句。 はるか昔から綿々とこれを愛好する人が断たないのは、ちゃんとそこに見出せているものがあるから、その妙を伝えて来たからなんだろうと思いもした。 表面的に見てしまうと堅苦しいものの様に映って見えもするが、とてもそうではなく、その奥底は広く無限で自由な世界なのだ。これは、修武堂で稽古もしているおかげか? これだけをやろうとするならば、安易にそう思ってしまっていたかもしれないが、五七五にしがみついていけるのは、そんなところからかもしれない。 面白い事に、『守破離』は武術の稽古より、激しく行われる。一句でも、その新陳代謝が激しいのだ。 さて、そんなこんなを考えている内に、突然浮かんだ『お歯黒』の事が気になって、その考察が私の脳内では始った。 そしていつのまにか、作句の事は飛んでいる。 何度も書いたネタではあるけれど、昨日相撲中継を見て、お~と思った。 今注目株の力士が、土俵中央で押されても動かないのだ。 がたいに恵まれている力士ではあるから、そこそこの力量があればそうなって当然なのだろう。 ともあれ、ここが『強くなった』と言わしめるラインなのかな?と思ったのだ。 この事が鮮烈に思い出させるのが、かの千代の富士対小錦の取組み(この事も数回書いたような)。 小兵の横綱千代の富士が、巨漢小錦の突き押しにビクともしないのには、驚いたものだ。 力士といえど、他の武術を習っていたり、教えを乞う人はいるよ…と、私の太極拳の先生がいたずらっぽく笑って言った事を思い出す。 さてともあれ、土俵は滑るのだ。相撲をやるわけではない私が言うのもなんだが、本当に滑る。踏ん張れないのだ。 この間NHK大河ドラマ『竜馬伝』、千葉道場のシーンではマメを床に蒔いていた。 腰から下が、どんな状態でも磐石でなければいけないという事の教えだと、相撲を見て理解していたが、竜馬さんが、マメを踏む度「いてっ!」と呟くのには苦笑い。 角のある石じゃなけりゃ、気持ちいいんだと思うのだが、スニーカーなど足裏を保護している靴を履いて育っている私たちならば、そういう感覚になってしまうのかもしれない。 私たちは、足自体が『靴』でもあった事を忘れている。また足自体が『ショックアブソーバー』だった事を失いかけている。 私は、膝を痛め、その余波で股関節を痛め、そして足首も痛めている。 いいやこの書き方は、間違っている。そもそも、扁平足気味であり、受験生をし(一応) サラリーマン時代を経て培ったストレスのため、運動不足もあいまって、扁平足でも辛うじてあった『ショックアブソーバー』的要素(アーチ)が体重増加で無くなり、部活で常に痛め気味(捨て身技が得意?だったのでよく腰をしこたま畳に打ち付けていた)の腰に来て、やがて腰足首がこんな状態だった為に、膝を凍てついた道路で捻った為に、今有る状態と言える。 そのさらなる要因は、我が家はほぼ最初から椅子生活だったので、正座による、足首やら膝やら、股関節が鍛えられていなかった事にも起因している。 なんの事はない、緊張強張っているところを休ませるように設えてやると、動きが良くなるというもの。 休むんだもの、力は戻る(すごい超訳なので用語検索の事)。 しかし、この道理、現代人は、していない。日常生活をしていて、急に正座は出来ないのだけれど、座る前に、膝に負担をかけないような歩き方、抜き足差し足のような、そしてナンバ歩き、また能や狂言のような歩き方を真似て歩いた後とか、ともかく膝を休ませた後に、正座すると、わりと違和感なく出来る事は、この『カウンターストレインカウンター』的用法に近いなと思っている。 正確に書くと、膝を休ませてしまい過ぎるより、足首や股関節あたりの筋肉をも巻込んで アイドリング状態のように過負荷にならない程度に動かしていた方がスムーズである。 これは、休眠している機械を急に動かすと、ギクシャクしてしまうのにも似ている。 急激に刺激を与えると痛みになるが、ゆっくりそして徐々にだと心地よかったりするのに似ている。 攻撃的に刺激を与えるか、友好的に刺激を与えるかという事なのだろうか。 友好的というのは、相手も認めてくれるから関係が構築される事だと念頭に置かねばならない。それは、さらに相手の中にあるポテンシャルがあるから、相手もその範疇ならば友好的に歩み寄って来るというわけだ。 多分ここらへんは、操体的な見地なんだろうけれど、いやはや物騒な書き回しこじつけはいくらでも出来そうで、やはり武術と繋がる話だ。 先の力士の話しは、そんな事を考えているから 眼に入ったのだろう。先に書いた『柔道畳』の事にもリンクしているから、なおさらだ。 昔の畳は滑った。そこを上手くやれるようにならないと、足腰にムダな力が入り、さらに上半身も固くなる。 綱渡りをすればわかる話…いや自転車でも、私たちは実はそこらへんを上手くやれるようになったから乗れるのだ。 もっとも車輪が回る…つまり常に前進しているという事も助勢している。原理的に理解出来れば、後進だって可能でもある。 ともあれ、滑るものだという事を、体幹が認知出来た時に、逆に根が生えたようにも利用する事が出来る。 それが、先の土俵の話にも繋がるし、『竜馬伝』の話ともなる。 さきにちらりと書いた能や狂言の話だが、歩みを見ていると、足をすっと前に出す時に すこし親指がふっと上がるような気がして、これはなんなのだろうと?思ってもいた。 床を、頭が上下せずすーっと歩く為なのだろうと考えてもいた。ローラースケートみたいだ。足と床の間に紙一枚あるようなとも思っていた。 確かに、そんな事もあるのだろうが、この間、能をやっているH氏にあらためて歩法を聞いてみたら、ちょっと違っていた。 親指を上げる事が本体なのではなくて、親指付け根に、しっかと力を入れるという事だった。しっかと力を入れるという事は、親指を上げるように見える時に思った使わねばならない筋肉の流れのイメージと違う。 まだちゃんと文字に表現出来ていないが、親指付け根から、あれはしっかと床を掴むようにする為に起こす予備動作なのでは?と思う。 足指上げるという事に、重点があるのではないのだ。(あれ?以前誰かに 「御流は 足指を上げる流儀か?」と聞かれたことがあったな。なんで聞くのだろうと思った。 まあ、修武堂はある流派?と思われた事には苦笑した。 こちらはサークルというかサロンというか…。)…といいつつ、この予備動作。 ああやって見えるのだから、予備動作があってのことと、疎かにせず今後も考察せねば…。 さて、その足遣い。 これが柔道ならば、足技得意な柔道家なら、その間を見逃さず電光石火の足払いをするだろう。 足が、相手繰り出す足の接地する前ならば、決まる技だけれど、足が当たった瞬間に察知して床(畳)に着けてしまうと掛からない。 これまた話は逸れるが(前にも書いた話)、本覚克己流の件で世話になっている太田先生が受けたある老先生の足技は、真綿のようで抵抗感を感じない内に、掛かってしまっていると言っていた。 身体もガタが来て、もうどうにもならんよ…と、失礼ながら太田先生も充分老の域におられる方なのに、その老先生が言われたとか。 神妙の域となれば、一つの技は見た目の体力やら若さなどを越えてしまうのか…と、老いても精進する事の『楽しさ』を教えてもらったような気がする。 ともあれ、しっかと床を掴む。その足指遣いのイメージは かの西郷四郎を思い出す。 そう言えば足指長くしっかと床を掴める力が漲っている足の人は、強くなると、相撲だったか柔道で聞いた事がある。 足指が長く無いとしても、時として、身長より足のサイズが大きい人は、物理の原理を持ち出さなくても安定している。 ガンダムのプラモデルなどを見ていると、ほんとうにそうだな~と感じいる事すらある。 ならば、エヴァンゲリオンは、やはり精妙に計算された重心設計からなのか? マニアではないけれど…生業が設計屋なもので、どうしても構造力学的に見てしまうからか…?(構造屋ではないが…) 掴める足を養成するのはいい。しかし、歩みはガシッガシッとしたものでなく、すすすーと言うものでなければならない。 その為には、いやそれが出来ている時は、上半身は緩く自由だ。そして下半身も居着く事なく動けるのだろう。 なんとなく、某流の構えやその流儀にある無刀取りがそうなのかと、合点した。 また、草鞋が、足指が少し出ているように作られているのも、そうなのか?と勝手に想像した。 ともあれこの能や狂言の歩き方を15分するだけで、汗は出るし、下半身は張るという。 常日頃稽古していないと、ほんとうに大変なのだと、歩みについて聞いたH氏は言っていた。 静的な運動ではあるけれど、しんどいというのは、太極拳をやっていたので、なんとなくよく理解出来た。ガーガーガンガンやらずとも鍛えられるのだ。 心肺能力はどうなのだろう…、やはり走ったり、能動的な運動が必要なのだろうか。 方便だけど、歳とれば、持久戦にならないように出来るように神妙の域となるか、即諦めて逃げるか…、追いつかれたら、まあここまで生きたのだから…と潔くするしかないのかもしれない。 もっとも、そうならないように回避に心掛ける。 常に強張る身体では、視野狭窄となって針の穴程の弱点より、脆くも崩壊するのだろう。 弾力をもってというか、緩いからこそ出来るのだとは思う。 ただ、老体となり、前に転びたくない余り、屈んだ腰、前へのめる頭の為に、足首は固くなり膝も前に出てしまうような体幹のバランスでは、望むべくもない。 すっと頭頂から糸が出ていて、吊り過ぎていない程度にひっぱられる中で、一番身体に荷重の感じない位置バランスを維持する事が肝要だ。 やっぱり、腰かな…と思うのだが、最近は、足から上、腰から上、首付け根から上、この三点の連係だよなと思うようになっている。どれが欠けてもいけないのだ。 これに、名古屋の歯科医の方が提唱している『腔』の考え方も当てはめたり、そういえば胃下垂を整えるといいという考え方もあったけれど、みんな繋がっているような話し。 いやはや、尽きない。 私は あまりしないけれど(して欲しいという人以外…それでもしない)、骨をボキッと鳴らすテクニックがある。 やはり、いくら信頼関係があっても、やろうと気持ち思った瞬間に、相手は自分では意識しないのだけれど力が入り、防御姿勢ととる。ほぼ反射的に。 自分の中にある、かつての痛みのトラウマが、それをさせるとも言える。 筋肉を痛めると、緊張状態(警戒体制)を続けていて、防御し、その間、身体は修復を計ろうとするが、もう筋肉損傷が取れても、ようようその緊張状態(警戒体制)は、脳は解いてくれないものだ。 だから、アルプスの少女ハイジに出て来る、クララが車椅子から、立てるのに、ようよう立たないのもそのせい? 赤ちゃんは、転んでも前向きに立とうとするが、それは知能がまだ発達していないから、助かっていて出来る部分でもあるが、大人になってからだと、一旦歩行が出来なくなると 精神的にその恐さを克服しなければならないという、精神的なリハビリも必要だ。 筋力はあるのだから立てる!がんばれ!などと言うのは、間違った激励と言える。 さて武術的にこれらの事は、この間S先生と稽古したものに通ずる。 相手に警戒をさせなければいいのだ…というコンセプト。 皮膚がピクリと瞬間的に動くだけで、もう相手は反応してしまう事を、そうさせないために…みたいな稽古。 相手にも、そして自分も「やるぞ!」といきなり刺激与えては、相手は即座に体制をとってしまうという事を、わかりやすく説明してくれた。 術的な事、身体の構造、イメージとして…全部がないと難しい。 如何に、頭が先行しすぎて邪魔をしてしまっていた。眼を何も躊躇なく突くわが子を思い出す。 野獣と化せという事ではない。狂犬のようにヨダレを垂らし、敵意威嚇を放って挑むのとは違うという事だ。これは、施術でも言える。 とあるヒーリングの先生にお会いする機会があり、その方は何も考えないという事などをお話してくれ、おおいに共感を得れた。 ともあれ、畳。 クッション性というか安全を与えたという勘違いした設えは、かえって人間本来のメカニズムを誤魔化さしてしまって、とても危険なナニカをそこに作っているという事なのだ。 やはり、柔らかい畳は危険だ…いいや、そうではなく、柔らかい畳なら、柔らかい畳での注意点配慮を持たねばならない事を検証するべきだと思うのだ。 今までの稽古練習法を、そのまま移行していいのかと、今一度、関係者は考えた方がよく、 これは柔道のみならず、安全管理のあり方というのは、少しでも条件が変わったりしたら 再検証確認する事が肝要だという事なのだ。 この狭間に事故の要因は潜在しているのだから。 設え過ぎるからこそ、よけい配慮は必要。 してもしてもしきれないもの…あのハイブリットカーの一連の問題のように。 さて畳の事を調べたら、講道館創成期に嘉納翁が、稽古の為の畳の開発に尽力し、その当時の畳を復元しようとしているというのを見つけた。 私も、今の畳表がビニール性ではなく、本当の畳表の上でやった事を思い出す。 少し滑りやすい感じがしたし、体中すぐ擦り傷がついた。 また、中学時代の学校の練習場所は、コンクリート床の上に直置きだったので、投げられると本当に痛く、今にして思えば、よくやったなと思う。 今なら、身体はガタガタになってしまうだろう。 あるべくもないが(してはいけない)、柔道するものがストリートファイトしなければならないとき、ちょっとでも、土の上だとか、コンクリートだとか思ってしまったら、身体は途端に動かなくなるだろう。 剣道している人が、防具無しで木刀でするのとも似ているし、相撲の人が土俵を無くしたら…とか、空手の方が寝技に持ち込まれたら…とか、それらも似たような事が起きるのかもしれない。 身体に擦り込まれているものというのは、なかなかコントロールが難しいのだ。 なんにも考えないというのは、ほんとに難しいのだ。 これまた、遺伝子レベルのプログラムをどうにかしてコントロールしてやる努力…つまり 反復での働きかけしかないのかもしれない。 やはり稽古稽古なのだろう。鍛えて慣れて慣れて鍛えてという事か。 さて本流の話にもどる。 建築現場で、足場を歩く時、時折ヘルメットを足場枠にぶつける事がある事を思い出す。 確かに頭は痛くないが首に来る。 先のサムライ・ちゃんばら博覧会でのワークショップ後の身体のガタは、そんなのに似ているのではないか?と思っていた。 直接的な痛みを感じないから、誤魔化されてしまう事での弊害だ。 以前、某柔術の稽古会にお邪魔させてもらった時、その場所は、公共施設体育館内の柔道場で畳敷きではあったが、本来は板張りのところでするのだとおっしゃっていた。 受け身は、便法であるのだ。本来受け身なんてとられるような技であってはダメなのだ。 けれど板床稽古はさぞや痛かろうと思うのだが、やっていて夢中になれば、またそれが普通と思えるなら、板張だろうが土の上だろうが、関係なくなる事は、遊びでバスケットやバレーをやったりもしたので、解るような気がする。 余談だが、はるか昔習っていた中国拳法の稽古はそこらへんの空き地でやっていたけど 日本での武術(柔道)は屋根付き。 考えてみると、日本は雨が多いから、戦いが無くなった世の中(江戸時代以降)で、武術指導にて糊口を得る為には、屋根付き道場を作るようになったと、推察している。 相撲は、屋外でした名残りか、屋根付きな上に、さらに屋根を屋内の天井から吊してもいる。 意味はあるのだろうけれど、合理的に考えるといらないものでもあるが、かくて日本の武術も屋内になったという証拠でもある。 ともあれ稽古にて、板の上や土の上では、そこにクッション性のあるものがあるのだと思って、身体は畳の上のような受け身はしないし、投げるにしてもどこか躊躇は働く。 横暴に自分はよくて相手は構わないというのでなければ、稽古なのだから加減はする事になる。 それは初心者であっても、転んだりして痛みの経験があるならば、自分は痛くしてもらいたくないし、相手の痛みはわからないからいいんだとは、どんな横暴な輩でも思わないだろう。 そこまでは、思っていた。そんなある日。カイロの施術の中で 質問を受け説明している時に、はたと思った。 質問は、「どうして自分で揉んでも気持ちよくなくて、他人から揉まれるといいのだろうか?」という事だった。 確かに、自分で自分をくすぐっても、くすぐったくはない。さらに言うと、同じ力なのだろうけれど、自分で自分と叩くのと、人に叩いてもらうのでは、その痛みに対する反応が違う。 こむずかしい事は言えないので、説明としては、「自分だから」。「外的な刺激はやはり防御しなければと、身体は発動するのだ」とも。 例え、ふわりと触っても、自分が触るのと、人が触るのでは、身体の捉え方が違うという事。 発熱は、人のは解るが、自分のは分りにくい。 また、知らないで熱いものを触った時には「あちっ!」とやる反射運動は、身体が防御回避する事であるが、これは、体幹から遠ければ遠い程敏感で、頭に伝達してその指示待ちしていたら、重篤な事になるからである。 体幹に近ければ近い程、その伝達速度が遅くなるのは、神経の伝達速度能力が違うからだ。 妙な話をするけれど、ある身体の相談の話しで、「私不感症なんです…」という話に対して 「当たり前です。子供が通ろうとする場所が、過敏なら、出産時ショック死してしまいますよ。鈍感なんです。」と一蹴していた。 体は、その役割においてそのスペックの与えられ方が違うのが当たり前であり、器官のせいではないという事を言いたかったのだろう。 振り返ってみると、私は一応五体満足ではいるけれど、手や指を無くしかける事故にもあった。 それはそれは痛いものであったけれど、その瞬間を振り返ってみると、不思議と死ぬ程と思える痛みではなかった。 手指に関しては、角にしこたまぶつけて痛いなと思う程なもの。あれ?と思い その箇所を見た瞬間に痛みが激増した。 そしたら、血が吹出した。ちんけドラマでありそうなシーンだけど、ほんとにそうだった。 神経は、その痛み信号を体幹に伝える際に、ショックを和らげるように減速し、しかし現場は、その間、早く修復するべく、血は出るし、いろんな手立てが発動されていたわけだ。 本当に痛いだろうと思う衝撃の時は、意外と痛くないような気になるのだ。 かといって、打ち首になり、首が離れた瞬間はどうか?などとは想像はしたくないが…。 本題として頭にあった事を書こうと思ったら、えらい回り道をしてしまった。 さて、本題とは、柔道の畳は安全か?という事への思いだ。ずうっと書きたかったテーマ。大分過去の事のように思える、古剣氏の尽力された青森県立郷土館にて催されたサムライ・ちゃんばら博覧会。 不肖私めも、本覚克己流の検証と考察と称して、ワークショップをやらせてもらった。 会場はコンクリートの床に畳敷。痛いだろうなと思ったら 畳が柔らかくクッション性があったので、意外と痛くなかった。 ところが、調子こいて、飛んだり跳ねたりした翌日、結構身体がしんどいのが妙だと思ったのである。これは何故?と妙に頭に引っ掛かっていた。 だから、あらためて考えてみようと思いつついたある時に、ある中学校の柔道の部活にて 中学生が亡くなった事を知る。 びっくりして、コーチ・監督(かつての教え子…でも言っておくけれど日曜日午前中柔道を通して彼等と遊んでいたようなものだ)に連絡をつけ、話しを聞く。 ぜんぜん先の事(畳の事)とは関係なく、どうしたのだという意味で聞きに行ったのだけれど、聞いている内に、はっ!と『畳』というキーワードが浮ぶ。 「畳は、柔らかかったっけ?」と私。 比較的柔らかい方で 道場の床自体にスプリングが施されているとの事。一見すると安全上はいいような気がする。 でも…と、どこか引っ掛かった。 死因は結局ご両親の意向で調べる事もなく終わってしまったが(ご両親には痛ましい事故にも関わらず部活の再開を強く熱望していただき、励ましにも来ていただいた。まったく頭が下がる)、外傷も無かったと聞く。 その後ネットで検索してみると、柔道の畳製品では『安全畳』という言葉で、いろんなメーカーより出ている事がわかった。 工業系の仕事をしているものならば特にわかる、と思うが、安全というもの程、その一歩外はとても危険を孕んでいるもの。 さらに言うと、大したものでないものに対しても、安全というネットを被せた時、逆にそれに対しての危険度は増す事もあるのだ。警戒をしなくなるから、逆に有り得ない事故に繋がる事もある。 実は、『板子一枚下は地獄』であると言えるぐらい、表裏でしかない距離間に置かれるという事だ。 けっして、畳のみを云々するものではないのだけれど、防具や安全に稽古する為に設えたアイテムやら、その方法(練習)には、それによって潜在しる事になった、何か恐いもの危険なものを見逃しているのではないか?という事を、どうしても思わずにはいられない。 これは修武堂において、稽古用の柄物や防具、そして稽古法をも考えざるを得ない状況が出て来たりしているので、よけい最近痛感する。 また稽古法に躍起になりすぎて、その最終目的が見失われはしないか?とすら懸念する。そして、その稽古によるあらたな危険度を知らないでいる。 柔道に関して言えば、試合は畳の上で行う稽古を、スポーツ化したもの。 それにより内在する事となった危険性。 剣道はどうか?恐いので言うのはやめる。 金持ちはなぜ金持ちかというと、金持ちだから金もうけが出来るのだという話しがあった。 あのバブルが弾けた時にも、商売を展開していた人を見ているから、本当にそう思う。 本当の金持ちは、金持ちじゃない人間が、ようやっと小金を貯めた頃にそれを搾取する(そんな動物もいたな…)。 その豊富な資金力によって。それで貧富の差ができるから、さらに金持ちだなと思うし、一方では貧乏人はやっぱ貧乏人…と言えてしまうのだ。 ともあれ、その金持ちはごく一部の人間だ。選ばれし者と表する人がいるけれど、そこまで言ったら悔しいので、それは言わない。 ともあれ、反論に今でもサクセスストーリーで金持ちになる人はいるではないか?と言うけれど、彼等とて、金持ちからしたら、貧乏人。せいぜい肥えてから、搾取する対象でしかない。 だから、今好景気、にわか成り金が増えている中国大丈夫?なんて思ってしまうが、まあ 歴史は繰り返すとだけ言っておこう。 景気の山と山のタイミングの風を読めば、そして目立たぬように上手く搾取する輩から回避出来れば、そこそこ金持ちっぽくは生きられるのだろうな…とは思う。 これって生態系では、よくある話し。経済も生態系に似ている。 なり振り構ってしまったら、金もうけのラインには、永久に入れないからだ。 人間が人間でいれるのは、肉体的には劣るところがあっても、小ざかしい智恵にて、一応この生態系の上に来たのだから、そんな感じでやれば、金もうけ出来るのだろう。 タイミングや『風』というものも必要だが…。 …と、そんな考えの土台になる話しを教えてくれたある方は、別に金持ちでもなく、聞いて私がそうなれていないのは、生態系で言えば、どれだけやっても猿は猿だという事なのかもしれない。 こんな前ふりをしてから、こじつけのように書こうと思う武術について。 武術は、どうしようも揺るがせない遺伝子の所業(恐怖とか危険察知…あるいは癖習性などなど)を、どうにか操作する事(相手もそして自分も)に終始していると言えるなと思った。 脳の中(本能と理性)。身体の理。それら道具を持って学習し、いつかはそれが揺るぎなく見える遺伝子のプログラムに認知させ書き込ます事もあるのだろう。 それが進化とも言える。あくまでも 基盤がいる。突然変異でも そのベースがあっての事。 上書きする事だって、その下に覆いかぶせるものがあるからだ。それを、注意深く見落とさない事が肝要だ。時には拾い上げて見てみる事は必要だ。 やもすれば、その上澄みを掬っているだけな事になってはいないかと、現況を振り返り考える事も必要だろう。 実のある稽古とは そういう事なのか? 自分の柔道の教え子(ずうっと昔の話)が指導していた部活で、不慮の事故にて生徒が亡くなり、もうすぐ一年が過ぎようとしている。 某サイトでは、諸事情状況も知らず、心無い言葉が書いてあった。気にする事はない。 ニュースソースである週刊誌や新聞に書いてある内容と、その事実が思った以上に差が多々ある事を知っているからだ。かといって、マスコミを批判する気もない。 限られた紙面に押し込める情報量と、やはり個人の主観がどうしても表れる事での見え方が違うには、仕方が無いと思うからだ。 私の読んだ記事は淡々と書いていたけれど、これを読んだ連中の、見てもいない事実をここまで言い切っていいものか?と 誰かが教えてくれたサイトの書き込みを観て、勝手な想像は自重すべきと(これは自分もだが)思ったものだ。 さて、ある本に『日本人は残忍』という文章が載っていた。諸外国では 今だにそういう見方があるのだ。 異を感じるけれど、ふと思った。人喰い人種と言われた人らが、残忍とは言えるのだろうか?と。 家族もいるだろうし、代々生き繋がれて来た事実は、残忍だからでは出来ない事だろうと思うからだ。 この間、鮫の事をTV番組で観た。鮫は卵胎生で、卵が雌の胎内で孵化して育つ。 その胎内では、孵化した子供鮫同士が食い合いをするのだという。 そしてその中で勝ち残ったものだけが、海へ出て来れる。これを残忍とみるべきか? 赤ん坊に武器を持たせてみればわかる。彼等にそれを扱う筋力があれば 銃なら躊躇なく引き金を引くだろうし、刀なら振り回すだろう。 私などは、わが子によく眼を突かれたものだ。察知出来ないのだから。 しかも、可愛さに釘付けになっているから、視野が狭くその死角から指が入ってくる。達人だ。彼等は、取りようによっては残忍なのだ。 だから私は性善説は信じない。かといって性悪説も信じない。これがありのままという事で捉えねばと思うからだ。 さて、もう一度、鮫の話し。 この間の毎日新聞に、マウスの嗅覚細胞の遺伝子のあるものを欠けさせたら、そのマウスは猫を警戒しなくなったと書いてあった。 本来なら嗅ぐという行為にて、危険と思うようにプログラムされているという事だ。 猫は鼠の天敵だから、そうしろと進化の過程でなったという事なのだろう。猫の発する特定のフェロモンが関係するんだろうな…。 この話しを発展させて考えると、鮫は血の匂いを嗅ぐと、同類同士だろうが、少しでも傷付いているとその匂いに反応して喰い合うという。 鮫の赤ちゃんも、すでに胎内にて、そのプログラムが発動して、自分の兄弟姉妹を食べてしまうのだろうか。 ともあれ、犬と猿でも、猫と鼠でも、人間と野獣でも、仲良く出来るケースがあるのは、進化という後天的なものだから、先とは逆の操作も可能かもしれないと思わせてくれる。 確かに遺伝子の仕業としても、それを抑え込む何かがあれば、発動はしづらくなる。 これを逆手逆手に使えたら、これまた武術的な話しともなるが…。 達人は、フェロモンまで味方にして、戦うのだろうか。 無我の境地が、そのコントロールの極地?なのかなと思えてしまった。 またさらに戻る。 『日本人は残忍』。『残忍』という言葉の由来はわからないし、ちょっとこの言葉が合うのか?と思う。だって、『残る』に『忍ぶ』だから。 まあ『残酷』ならば、少しはしっくりくる単語だと思いつつ 思いを更に展開すると もはや『悪』も『善』も無いなと、今更ながらに思う。 ひとつだけ言えるのは 何につけても先んじたものが『ただ勝つだけ』… そしてそれは『単に強かった』という事。それが道理だろうとは思っている。 奈良市内の路上で、包丁を振り回した中年男が、警察官に取り押さえられたという。 右手右足前の剣道風「中段の構え」で警杖を構え、遠間から近づき、そのまま近間でも打ち合った写真。 命を賭して他人を守る、自己犠牲の貴き職責に深い敬意を表したい。 だが、たぶん訓練で習得された竹刀剣道のような遣い方で、現実の刃物に向かうのはあまりに危険であろう。 先日、大太刀対小太刀の袋竹刀稽古をやったときに、小太刀の不利さを痛感したが、相手は剣の場合だ。 剣道の稽古、試合ではやらないが、実際に刃の無い杖を、あのように構えて差し出したら、、私だったら「ありがたや」とその棒の先端を掴んで、懐へ入りたくなるだろう。 掴まれたら、杖の嗜みがあればいいが、そうでない場合は当方がマズいこととなる。 刃物を持った人間との近接戦闘になってしまえば、ほとんど昔の戦場の小具足か柔術か組み討ちだ。 これに対しては、剣道も柔道の現代武道も、ボクシングも総合格闘技もレスリングもほとんど対応策を知らない。逮捕術がどうなのかわからないが…。 中段に構えてはダメだ。 上段や八相、下段などに構え、剣を飛ばすのだ。 この現実の光景を拝見して、驚いたことがある。 私は古武術の剣や杖、棒など技は、武士の時代が終わった現代では、永遠に使うことが無い化石か遺物と思っていたのだ。 しかし、現実に使わざるをえない場がこの現代社会でもあること。その場では、競技化した現代武道技術よりも、多様性がある古の武術の方が、多いに有効であることをハッキリと教えてもらった。 現場はルールと条件を揃えた競技試合コートではない。 竹刀剣道や柔道のみの知識・技能だけであのような現場へむかえとは、対応性が乏しく、あまりに危険ではないか。 今年は、津軽の伝統工芸をテーマとした、大規模な特別展を担当する。 亡き祖母が大好きだった分野。実家には祖母が収集したコレクションや書籍がたくさんある。まさか、こんなカタチで再会しようとは…。 わが津軽には、津軽塗り、コギン刺し、打ち刃物…などの優れた伝統工芸がたくさんある。 そして、それら伝統のワザを、現代へ活かそうと作品作りをしている、若い現代作家たちもいらっしゃる。無刀氏によると、俳句の世界もそうらしい。 それでは、伝統武道の世界はどうなのだろうか。 一般的には「現代の武道を極めて高段者になった後に(教養として)古流をやるのだ」ということが多い。 本当だろうか。だから、古流が中途半端になってしまうのではないか。 なぜなら、古流と呼ばれる、近代以前の武術は、往時の武士達が、幼い頃から真剣に取り組んで、一生かけても間に合うかどうかという難しい世界だったのだ。 なかには実際に、普及向けの現代武道の基本よりも、かなり複雑で、難しい所作を求められる技が少なくない。 その世界を、我々現代人が、片手間にやろうと思うこと自体、先人達に対して、不遜な気がしてならない。いかがだろうか。 また私のように、幼い頃から古武術と現代武道を併習したり、長じて様々な武術や流派との交流からお教えをもらっている私のような者に対して「いろいろやる前に、ひとつの武道を極めてから別のものを参考にせよ」と忠告をいただくことがある。 本当だろうか。 私のような凡人では「ひとつを極める」まで待っていたら、一生かかっても間に合わないだろう。 それに何よりも、江戸時代の武士たちは、弓、馬、剣、槍、柔…など、武芸十八般を習っていた事実がある。その先人達の行為と矛盾するではないか。 私の先祖も剣と居合だけではなく、他流の棒術や槍術を習得していた。 たぶん「ひとつの種目を極めてから…」とは、明治以降、武芸が各種目に分かれて「武道」として競技化してからの考え方ではないか。 特に「開かれている」技術ならばいいいが、近代以降の専業化しすぎた技術では、それに習熟するほど、ますます身体が特異化してしまい、他の世界へ移行しにくくなる、ということがあるのではないか。 何度も言うが、本当に残念ながら、武は、かなりの部分が変わって失われたのだろう。 なぜなら、私も含めて、過半数も現代の武道修行者が、江戸時代の武芸伝書をほとんど解読することができない事実は、現在の武、稽古が、かなり違ってしまったことの証拠であろう。 だから「古流は難解だ」イコール「現代武道の高段者になってからやりなさい」となったのかもしれない。 でも、徹底的に現代武道の基本をしみ込ませてしまってから、異なる武をやろうとしても、かえって受容しにくくなるだろう。 家伝剣術が、現代においていかに規格外だろうとも、その存在意義について私がどれだけ悩もうとも、 実際に、往時の武士たちがこれに命をかけたこと、歴史が続いてきたこと、その末端である私がここに存在することは、ゆるぎない現実である。 そのことは、私の好悪や判断を超えている。ただ真正面から受け入れて、自分の役割を粛々と果たしていくだけなのだろう。 自分の身体のなかの居着きを発見する。大事なのはその後なのかもしれない。 「ダメだ。消えて無くなれ、無くなれ…!」と無視するだけではいけない。 正も悪もないのだ。その居着きがあること自体を認めてあげて「いかに、ほかで分担できるか」探るのはいかがだろう。 一方で、また自分の頑迷さに気づいた。 いままでは、初心の方に「どうして刀を左腰に帯び、構えたら右手前に持つの」と聞かれると、「それが基本であるっ…!!」と威張るのは滑稽だから、 「かつての礼法全体のひとつとして組み込まれてしまっているから、誰かひとりそれを違えると、礼法全体の歯車がズレてしまうのでは…」などといって、ごまかしていた。 ところが、家伝剣術の祖法を読めば「必ず右手前でなければならない」という固定観念が疑わしくなってきた。 右手前、左手前、片手どころではなく、両拳をくっつけて握るなど、筆舌に尽くしがたい様々な構えがあったようだ。 ある用法を試してみた。それはまるで時代劇のような奇妙な片手構えから、打ち込むとともに両手構えになるのだが、その腕の所作自体が、全身の推進力やさばきを生むような感じがあり、パズルを解いているようで大変面白い。 また、右手前、左手前の構えを使い分けることは、剣道の地稽古で中山博道師範や中倉清師範も多用したそうだが、サルマネしてみると、そのまま棒術や、素手の体術の動きにもつながっていくような気がする。 常に右手右足前という剣道式構えが、なんと窮屈で不自然であり、いつの間にかそれにとらわれたままで、すべてを工夫している自分が愚かしく思えてきた。 今までの数少ない気づきを思えば、私の思い込みを全く越えた別の場から発見できた。 広大な現実世界を前にして「これが正しい」と目をつむるな。 すべてを知覚できない限りある我々は、そのまま立ち尽くし感じるしかないのではないか。 年度末、今年の仕事の総括があった。いろいろ挑戦すればするほど、評価も批判も多くなる。でもそれを恐れて、新しいことをやるあのワクワク感を失うのはもったいない。 いろいろ反省も多い企画展「サムライ・チャンバラ博覧会」。特にその体験会は「博物館、学芸員のやることではない」「展示解説や講座の方が」という先輩からの批判があった。 たぶん「博物館はモノを展示するところだ」というベーシックな発想なのだろう。 「だが、モノも資料だが、そのモノを使う人間の技術も資料、無形文化財であではなかろうか。博物館はそれをどう扱うのか、という試みをしたのだ」と弁をふるったが…。 また、解説や座学という方法も、眼と耳しか使っていない。いかにも身体を忘れた現代人の学び方であり、実感がない。だからこそ、膨大な内容を身にしみて感じ取れる「体験コーナー」が各地で流行っているのではなかろうか。 すぐに身体技法を気にしてしまう私だが、先日、調査で訪れた石垣市立博物館の絵画を拝見し、オヤッと思った。 空手は、武器を持たなかった沖縄で生まれた武芸だ」という話をよく聞く。門外漢の私は「なるほど」と聞いていた。確かに沖縄の士族は帯刀せず、扇子を帯びていたようだ。 だが、前近代と思われる八重山の祭礼を描いた絵画には、たくさんの武術が描かれており、そのなかで刀剣や様々な武器を遣っているのだ。 例えば、矛を持った男と両手に鎌を持った男が戦っている図(「御嶽詣の図」(2)、「豊年祭の図」)、 杖や棒を携えて同様の構えをしている数名の男(「弥勒の行列」(2))、 棒対棒の戦いの脇で片手に刀剣を捧げている男(「道踊りの図」(6))や、両手で長い刀剣を上段に構えた男が、薙刀らしき長柄の武器の足斬りを飛び上がってかわしている図(「道踊りの図」(2))がある。 特に「棒技の図」「馬競べの図」等には、棒、鎌、中国の棍や槍術らしき絵とともに、長い刀剣を使って戦っている男が少なくない(石垣市立八重山博物館1993年『八重山蔵元絵師画稿集』)。 かつての祭礼に武術が演じられていたであろうことは、日本本土の各地と同じであるが、その姿勢もだ。 いずれの絵も、一重身や半身、腰を低く落とした構えで、まるで當田流剣術・棒術などの日本本土の中近世の武芸伝書絵と変わりない。 実際、全国から各流派が集まる演武会で、沖縄の古い武術の演武を拝見すると、その絵画を彷彿とさせる構え、様々な武器を使用されている。 「武器をもたなかった」とはいわれるが、あれだけ海を通じて、諸外国や様々な文化圏に開かれていた沖縄だ。武においてもさぞや様々な異文化交流が蓄積され、現在メジャーな素手や棒の技法だけではなく、様々な武器術の伝承があったのではないか。 一方で、沖縄の古流空手師範のなかには「空手による突き蹴りの間合いと、刀剣で斬れる間合いは、ほぼ同じである」と体感されている方もいるらしい。 とくに絵画に示された武芸の姿勢は不思議である。それは、古式ムエタイや、オランダの古い武芸を書いた版画タルフォッファーで使う姿勢にも似ている。 つまり、現代武道のように、組織やルールブックで統一し、中央審査や講習会での「正しい基本」の普及に努めたわけではないのに、 体重差や階級性無し、引退無し、素手だろうとなんの武器だろうと使用可、というルール無しの過酷な状況で使った古い武芸において、各文化圏が、似たような姿勢や技法を使っていたのか。 我々は「自ずとそうなる」という、見えない身体の理があること、それは文化や文明を越えて、人間へ共通する何かを含んでいる可能性があること、 その偉大なものが、実は一番身近な、自分の身体に潜んでいる有難さを、改めて認識し、もっと耳を澄ますべきであろう。 家伝に「前筋、後筋」という教えがある。 これをその部分だけで工夫していてもいけない。 それと下田氏の気付きをヒントに、部分を全体に投げ込んでみる。 五本それぞれの指をキーにして、腕のなかに相反するふたつの流れを導く。 そこで止めず、その流れを全身のなかで落とし込んでみる。どうなるか。 するといろんな遣い方での効用が発見できた。 例えば抜刀時。敵が刀を抜こうとする我の右腕を抑えていても、止められず、ラクラク抜くことができる。 反対につかんでいる敵にとっては、まるで固い木のワクをつかんでいるような無力感を覚えるようだ そして例えば、剣を上段に振りかぶるとき。 まるで両腕から両肩にかけて、まるで帽子を反対にひっくり返すようにやる。(斬りおろすときは、その逆をやる。) すると上段の構えを、腕だけで持ち上げる苦労が少なくなり、まるで背中中央から両肩、両腕にかけて、ひとつのワクがあり、それに載せているような感覚となって、ラクであり、いつまで構えていても疲れないようだ。 このとき、頭上で自ずと両肘は左右に開くようだ。 なるほど。なぜ古い剣術の絵、または林崎新夢想流居合の上段の構えが、そのような姿勢をとるのか、実感としてわかったような気がする。 いや、もしかしたらこの遣い方は、幕末の講武所師範窪田清音の記述、または体術の手揚げの基本かなにかで、たぶん発見されているような気がする。 もうひとつ、この腕の遣い方は、無手での太刀取りにも応用できそうだ。 今までの無刀取りは、上段からまっすぐ斬りこんでくる相手向けに工夫していた。 でも今回のは、大袈裟に斬ってくるという、やりにくい相手でも、かなりラクに通用する。 まるで前腕の外側に、鉄のレールがついていて、それをガイドに動くような感じか。 案外さばいた後も余裕があり、二の手、三の手が連発できそうだ。 傍から見ていれば、舞いを舞っているような感じだろう。 定型の形から、さまざまな応用がつむぎだされる。 我が一代限りの思いつきでは限りがある。そんなとき先人の遺産は、何世代の経験が詰まったデータベースであり、導いてくれるガイドとなる。 昨年から、家伝剣術の古法の再検証をやっているが、引き続き、それ以前の祖法の検証も始めた。 当家の父祖たちも見たことがないであろう、祖法についての詳細な文書史料を拝見できるのは、現代の情報化社会のお陰だと、深く深く感謝しなくてはならないなあ。 通勤電車の行き帰り。まだ冒頭しか読めていないが「やはり」とうなづくことや「こんな教えもあったのか」と気づかされることが多く、興味は尽きない。 それにしても思うことは、どの地方の流儀も、心身について膨大な理合を蓄積し、高度なレベルを感得していたことである。異流儀間で互いに共通する理も少なくないようだ。 現代の古流継承者のみならず、現代武道や格闘技が取り組んでいるレベルは、この伝書を記した、かつての武士達の足元にも及んでいないことが、アリアリと知らされてくる。 なのに、現代の我々は、それらをかえりみるどころか、気づくことなく、おざなりの権威付けイミテーションとして利用するだけで、思考停止しているのではなかろうか。 実用の場を失うことが、実技にとってこれほど決定的なダメージを与えるというのか。歴史は進歩ばかりではなく、後退もするのだろう。 幕末以降の竹刀稽古と乱取りの大流行が、これら各地の古法を一掃していったといわれるが、捨て去るには、あまりにもったいない内容だったはずだ。 そのうえ、明治以降、普及のために、技法を簡便化、統一したのだから、本当にもったいない。 その意味においても『剣道日本』最新号(2010年4月号)の古武道大会の記事は、大変面白かった。 現在、素手の武道・武術がこれほど多様化しているのに、現代の剣技は全く反対に、なるべくひとつの技へと規格化しようとがんばっているから、本当に不思議だ。記事のとおりである。 かつて多彩だった技法を閉じて、たったひとつの「正しい」答えだとしてしまえば、権威には都合がよく、みんな中央審査と全国大会を目指してくるから管理しやすいし、管理される側も「これでいいのだ」と安心できるだろう。 でも忘れてはならない。多様性を失った文化や生命は、貧しく、脆弱になっていくのだ。 それに「これが正しい」と言い切れるほど、武道・武術が簡単なものだとは到底思えない。 私は逆に、競技としての竹刀稽古ではまってしまった、定型のカラから、己をいかに開放し、無形に至ればいいのか、悩んでいる変わり者である。永遠に救われないだろうなあ。 自分のなかの闇を見つめる経験から気づいた。 人間のなかで、いや武の稽古において「自然」「本能」と「思考」はどのように関わるのだろうか。 最近、感動した近世の武芸書たちは、思考よりも生来の心身を活かすことをうたっていた。 例えば、いちいち考えずに即応する、野生動物達の動きは、電光石火で、我々人間はなかなか対応できない。本気で戦ったら人間に勝ち目は無いだろう。 しかし一方で、当会T氏や民俗研究者の体験談によると、それほど素早い野生動物でも、板や棒きれ、針金、素手でも簡単に捕獲できるそうだ。 どうしてかといえば、パッケージ化されている彼らの本能、習性を利用すればいいのだ。 ということは「本能」に身をゆだねれば武術もOKということではないのかもしれない。 よくよく伝書を読めば、「小智がない、4,5歳以前の幼児」に戻れとはいうが、「野生動物になれ」とは書いていない。 つまり、人間としての思考や理性をすべて捨てよ、と言っているのではない。 たぶん、人間における「本能」「自然」と「思考」「理性」は両方必要であり、それらの絶妙な配合率がのなかで、先人達の武術稽古がなされてきたのではなかろうか。 例えば、なにが「本能」「自然」かを再認識できるのは、人間に「思考」「理性」があるからだ。 また、パッケージ化された野生の習性から抜け出せない自分に気づき、そのカラを破って、新たなシステムを模索できるのも、人間に「思考」「理性」があるからであろう。 一方で、「正しい基本を」「こう動くべきだ」という試合競技・昇段用の技法と思考体系から抜け出せない我を解放してくれるのは、己の心身の素直な感覚、つまり「本能」「自然」に耳を澄ます行為だろう。 堂々巡りとなってしまった。 最近、顔や雰囲気が変わったねと知人から指摘が続いた。「温泉帰り」みたいだという。たぶん脱力したマヌケ顔なのだろう。 三月は人の去就が多い時期だ。公私ともに、身の周りで親しい方々の別離や死、新しいスタートなどに立ち会う機会が多くなった。 人の一生と、縁の奇妙さ、そのなかでの我が無力さを深く考えさせられた。 「あのとき、ああすればよかったのかな…」と悔いるものだが、仕方がないのだろう。 人間関係とは、相手と我のみの直線だけではなく、この世界の様々な要素も複雑奇妙に連関しあって、人智を越えた動きをしている気がする。 そのなかで過去を思っても、それは「流れる川に目印をつけようとする愚かさ」「乱戦のなか「斬られたから」と立ち止まってしまう愚かさか。 それより「いま」この瞬間から何ができるか。為すべきことを為すしかないのではないか。 ときどき、そのような追い込まれた事態になると、最近がなぜか予感があたることが多い。 一方で、ある明け方、布団のなかで、懐かしい幻影に襲われた。 幼い頃から風邪をひくと出現する悪夢だ。祖父も私も幼少期は病弱だった感がある。しかし二人とも、剣の稽古のなかで、青少年期には人一倍頑健になったタイプだ。 この悪夢は、言葉でうまく表現できない。半覚醒のなか姿なき物体が出現し、誠に奇妙な空間感覚となる。私自身、どうしてそんなつまらない幻を怖がり、嫌悪するのかわからないのだが。 三つ子の魂百まで。なんぼ年をとっても、眼をそむけてきた存在は一生消えないのだろう。たぶんこの正体不明の悪夢には、私が忘却している心の闇、深層心理が反映されている。 それがなにか。今度こそ真正面からその奥底を見極めて、きれいさっぱり打ち砕いてやる…。 幼い頃は全く太刀打ちできなかったが、今の私はそうはいかないぞ…。 しかし、なんぼ考えても、正体が把握できない幻影だ。よって自分の感覚をだますことで砕こうとするが、かなり手強く、どうにもできない。 そのうち、ふと気づき、幻影を見つめ続けながら、寝たままでいろいろと姿勢を変えてみた。 あるしぐさをしたら、なぜかその幻影はスーッと雲散霧消したのだ。 なぜだろう。全くわからない。とにかく思考だけでは、我が心身の幻影は納得してくれなかった。 身体が伴って初めてそれは反応した。心身が、ダイレクトにリンクしていることに改めて気づかされた。またヤツが現れたら試してみよう。 古来から宗教家たちが、結跏趺坐を組んだり、手指で印を結ぶのは、単なるカタチではなく、心身の微妙なスイッチを入れるための装置なのかもしれない。 布団のなかの暖かさが広がり、再び心身が柔らかくなって、深い眠りへ戻れた。 石垣島では、地元の踊りを習ったが、やや半身で、腰を落とし、同じ側の手足が連動させる、いわゆるナンバの動きで私は覚えやすかった。 他の観光客達は、まるで「気をつけ」か、電柱のように直立したままの姿勢から抜け出せないようで、四苦八苦していた。 そのうち地元の老婆が、頭の上に、中身の入った一升ビンを立てたまま、自在に駆け回って踊り始めた。生活の中の頭上運搬習俗で養われた技法で、このあたりにはできる方が少なくないらしい。感服した。 下田氏から、ハワイ土産として、現地で販売されている武道雑誌のコピーをいただいた。 『the way of Kendo & kenjitsu』の著者は、アメリカ在住のダレル・マックス・クレウグ氏で、剣道および居合道の高段者であるとともに、空手、柔道、柔術、合気道も修める武道家である。 この著書で説かれている、剣術から剣道への歴史、およびその関係は慧眼である。日本の普通の剣道家でさえ、ここまで認識されている方は少ない。 また『THE HISTORY AND LEGENDS OF LUA』は、ハワイの伝統武術ルアの解説書である。 そこには、素手の突き蹴り、棒術や刃物等の対武器術が示されているが、まるで日本の小具足術、柔術と全く同じで、本当に異国のものかと眼を疑った。 まあ、人間は文明を超えても、身体構造が同じなのだから、武術も突きつめれば、文明を超えて同じ手法になってしまうこともあろう。その点が、文化の差異に既定されやすい、スポーツ競技と異なる部分であろう。 それにアメリカやハワイは、明治・大正の頃から、移民とともに、日本の各種武道が輸出・普及をはかってきた国々だ。 すでに武術・武道は、日本特有のお家芸ではなく、場合によっては海外の修行者の方が高いレベルにあり、日本人の方が全く門外漢というケースも少なくないようだ。 尚武の遺産を知らずに、サムライの国、サムライ・ブルーだと安易に胸を張っていいのか。今後我々日本人は、なにを提示できるのだろう。 とうとう日本の西の果て、与那国島へ着いた。 風が強い。レンタカーで何度も迷いながら、ようやく約束していた与那国民俗資料館にたどりつく。 入館すると、ちょうど91歳の館長I女史が、団体相手に笹森儀助の話をしていた。 笹森儀助とは、今から百数十年前、南嶋探検の途中、与那国にも滞在し、人頭税廃止運動等に活躍した弘前藩士。大先輩である。 ちょうど「与那国と津軽にはアッパという同じ言葉がある」という解説をされているときに、津軽人である私が出現した。しかも館の前は、笹森が上陸した浜であった。 なんという奇偶だろう。よく来たねと何度も握手を求められた。二時間ほどお話を拝聴できた。私には標準語で話してくれるが、お仲間との会話は地元の方言で、全く単語ひとつさえも聞き取れない。 若いころは「孤島に生まれて親を憎んだ」というI氏だが、50歳になったとき、郷土史家の父の意志を継いで、島の文化を守り伝えるために開設した私設博物館。 半生をかけて守ってきた。御本人の解説はすべて実体験であり、リアルな迫力を持って胸に訴えかけてくる。 展示物を拝見しているとわかる。ここは決して日本の最西端ではなく、台湾などの広い海外との交流からもたらされた文物が、生活のなかに混じっている。その流れが近代以降に沈静化したために、独特の文化を熟成したのではないか。 ここの博物館は、特に宣伝もしないのに、全国各地から様々な人々や研究者がやってくるという。なぜだろう。 たぶんそれは、ここの文化、風土が、ありふれた全国式ではないからだ。みんな見知らぬ異郷を体験したくてやってきている。 現在のように過度な情報化社会になると、どこいっても同じような顔ばかりで、たいくつになってしまう。 特に前日に泊まった那覇中心部は、まるで東京のようなどこにでもある街並みで少々退屈し、何かここらしいものが見たくて、わざと路地裏を探検した。 文化の伝承とは、なんでも公開して、交流すればいいのではない。それが行き過ぎると、自画像が変形し、不特定多数によって消費されてしまう。 他者とは、共有する部分と、隔絶して秘めておくコアの両方のバランスが必要なのではないか。これは個人の存在もそうだろう。 秘境のままでいることが、大きな魅力となる時代が来ているのではなかろうか。「なんでもインターネットに載ってないのだぞ。知りたかったら、見たかったら、現地に来て、本人に会って直接体感しろ」ということだ。 ネット社会に出遅れて、情報があまり流れていない我々地方こそ、今から「あえて情報を出さない」という戦略が有効であり、可能ではないか。 そして、そのことが、貴重な教えを現代で食いつぶすことなく、後世へのタイムカプセルとして伝えることを可能とするのかもしれない。 「聖人は法を秘す。秘するにあらず、伝えんがためなり」(宝蔵院流鑓術) 一方で、I氏の生き方から、「なんでもできます」ではなく、ひとつのポジション、一隅を深く掘り下げることが、実は全体にとっても、必要不可欠な存在となることを教えられた気がする。 飛行機機内で、太田尚光師範による『弘前藩の武芸伝書を読む』(水星舎2010年)を拝読。弘前藩の林崎新夢想流居合と宝蔵院流十文字鑓のご研究である。 林崎新夢想流居合の系図には、私から十代前の先祖たちの名前があるし、宝蔵院は幕末の当流高弟達が併習していた流儀である。 (ちなみに弘前藩の多くの伝書では「神夢想…」ではなく「林崎新夢想流居合」と表記している。我が家もそうである) 翻刻された弘前藩武芸伝書の内容を読み込むほど、ふるさとには、なんと高度な武芸と理合があったのかとため息が出る。 その術理や教養と比較しても、現代の我々の一般的な武道は、明らかにかつての武芸のレベルを失っている気がしてならない。 現在の様々な武術・武道書や稽古、講習会では、即物的なことか、単純な精神論ばかりで、このような内容を説いている場はほとんどないのではなかろうか。 現代の修行者は、これら先人たちの高度な遺産を本当に読み、踏まえたうえで「人殺しの「武術」から「武道」へ昇華したのだ」「正しい構え、基本を」と標榜しているのだろうか。歴史は進化しているばかりではないようだ。 「鳴子をば己が羽風に引きたてて、心とさわぐ群雀かな」 「白露は己が姿のなきままに、紅葉に置きし紅の玉」 などの宝蔵院流の連歌。 太田師範による読み下し文とともに読むと、そこには術理のみならず、心身の連関や、稽古、伝承の在り方等、悩むばかり私への示唆が提示されており、武の稽古と日々の暮らしとの連関性にも気付かされる。 貴重な教えは身近な生活のなかにたくさん埋もれていた。闇の中で北極星を見つけたような気持ちになった。 国からの依頼調査で日本最西端の与那国島へ。雪の津軽とは気温差20度近くあるらしい。 飛行機を羽田、那覇で乗り継ぎ、いま石垣上空を飛んでいる。 交流が進むほど、互いに均質化し、他の可能性を見失うこと。 いまここでの即効性にとらわれると、何かの可能性を見失うこと。 これらは幕末以降のシナイ剣術の流行で、歴史が経験済みだ。 条件をつけて制限すればわかりやすいが、多様で複雑な現実世界から遠くなってしまうこと。これは武芸から近現代武道になって経験済みだ。 現代の我々は各所で「最強」という言葉を簡単に使う。だが近世の各武芸書には「最強」という言葉が見つからない。 むしろ「敗れないため」の理を説き「広い世の中には、どれほど強い人、他流があるかわからないものだ」と油断を戒めることが多い。 この多様な現実世界のなかで「最強」と簡単に言えるのだろうか。「最強」とは、条件をつけ、制限した人工空間内での規準によって判定される架空の存在であり、近代スポーツが生んだ観念ではないか。 もし本当の「最強」があるとすれば自然ではなかろうか。条件や制限をつけずとも、努力しなくとも、力まずとも、いくら止めようとしても止まらずに、常にその状態になろうとする不可思議で、目に見えない作用。 それは武技の成立だけではなく、そのベースとなる我々人間の存在や万物を通底している。 「強い」「敗れない」とは、いかにその理にかなっているのか、ということになり「弱い」とはいかにその理から離れているかということになろうか。 そうなれば稽古のなかで、勝った、負けたよりも、「今のは次につながるいい勝ち方(または負け方)だった」という己の視点が自ずと生まれてこよう。 と思えば、昨日の那覇・与那国便が天候不良で欠航になったと悲観しても、大きな流れのなかでの自然なことだと気付けば、仕方がない。私に縁が無かったのだ。 今朝の便も危ぶまれたが、このように無事、着いたではないか。これも自然の流れかな。 米国アラスカ州アンカレッジから、S流柔術を嗜むK氏が交流稽古においでになられた。最近なぜかお客様が多い。 安永4年(1776)、弘前藩一刀流組太刀の名人山鹿高美は、江戸で竹刀防具稽古を発明した中西忠蔵へ書簡を送った。 以下は、笹森順造師範『一刀流極意』掲載の同文書「先師遺訓」のなかから、現在の私が気になった部分を抜粋し、意訳したものである。 「剣術を志す者、健やかで力量があることをよしと稽古する者、早業で筋骨たくましく進退が軽いことをよしと稽古する者、生まれつき技を好み怠らず稽古する人、理を捨て勝負ばかり尽くす人、伝授された事ばかりに心を尽くして業に至らない人、他流と試合して勝負事ばかりに拘泥する人、それぞれ人々の見込みや得手があろうが、これはみな実の稽古にかなわない」 「世間の多くは、他流の善し悪しをいい、試合して負ければ流儀をそしり、勝つと流儀を良しという。こらは真の学がない稽古である」 「勝負におよんで、これでいいということはない。敵によって変化自在の場である。身を反らしていいときもあるし、腰をかがめていいときもあろう。これだと限ってはならない。今日の執行を専ら尽くすことである」 「筆を取るとき、悪筆だからと止めて、上手に書けたといってやる、ということなく、善悪ともに止めることなく為すのである」 「木刀は、敵の気に当たって後に勝を制す、竹刀は体へ当たった後に勝を制す」 「流儀にあわせようと、目を付けるところを教え、体や足の踏み様、身を捻じらせるなどして、自然に備わっている勝負気を迷わしてはならない」 「打太刀は、仕太刀がやりにくいように仕かけて、悪いところを打ったり、裏をかいたりして稽古することは、正道の実のある学び方ではない。もともと打太刀は人を導くための取次であると知るべきだ」 「すべて形より生じて、形を離れることを、技の主とする。しかし、初めから形を離れて無形に至ることはできない。人間の居るところは家である。家がなくてはかなわない。その要とするところは、大工がいろいろと細工をするところではなく、ただ家のなかの空間に用がある」 これは主に、形稽古へ取り組む要点を示している。 山鹿は、弘前藩という地方の武士でありながら、当時、江戸で最先端技術竹刀稽古を開発した中西家と、稽古方法をめぐって互角の問答をしていた。 現在の我々は、このようなふるさとの優れた先人達の遺産には全く目もくれず、与えられた全国組織の支部として「全国大会出場」を第一目標とするような中央志向、そして「形はカタチだけだ」としか認識できないレベルに甘んじている気がしてならない。 例え山鹿のレベルになれなくとも、全国組織が帯びてしまう、中央集権システムのなかでいくらやっても、地方の我々は「モライが少ない」のだ。 でも、武が探求する理は、元来、それぞれ人間がもともと持っているものだというから、誰にでも開かれている存在であり、組織だけが管理して所持しているものではない。 ならば、我々も、誰かに造ってもらい、与えてもらうだけではなく、自らの頭で考え、自らの足で歩く覚悟をした方がいいのではなかろうか。 その先にこそ、ダイレクトにナマの世界に触れられる、ダイナミックな自由が待っていると思うのだ。 祖父が笹森建英先生からいただいた、笹森順造師範による『一刀流極意』の本が数冊ある。順造師範は、祖父の先輩にあたる。 その長子であられる笹森建英先生は、現在弘前在住の民族音楽研究者であられるが、幼い頃から、御尊父順造師範に師事し、弘前藩伝の神夢想林崎流居合および小野派一刀流剣術を稽古されたそうだ。 わが北辰堂にも、順造先生と同時代に学ばれた、小舘俊雄師範の小野派一刀流剣術が継承されている。まあ近世から近代にかけての弘前には、小野派一刀流も林崎新夢想流居合も、複数の師範家が存在したのだから、当たり前のことだ。 北辰堂の小野派一刀流剣術は、伝承されている師範達によると、東京を中心に普及している伝系の技法とは、若干の差異があると聞く。 以前、仙台の稽古会で、関東で小野派一刀流を稽古されているという剣道家に「北辰堂でもやってます。お仲間ですね」と話したら、「うちの他に伝承がるわけがない」とアタマから否定されたことがあった。 情報量が少ない我々田舎は「存在しないもの」と思われてしまう現代だからなあ…。 ともかく『一刀極意』に収められた情報量は膨大であり、一刀流の教えのみならず、日本剣術史上における竹刀稽古の発生事情、近世から近代までの弘前地方における剣術・剣道の状況等、多彩なことが読み取れる。 昭和40年の発刊以来、多くの剣道家から「必読の書」と賞讃されてきた。 だが我々は、その高度な内容を、どれだけ理解し、どれだけ現実の稽古に反映させてきたかと問われれば、誰しも沈黙せざるをえない。 「日本の伝統文化だ」と胸を張りながら、これらの先人の遺産を、ただ貴重書のコレクションとして、神棚に祀り上げてきたことが多かったのではないか。 そこには、弘前藩士一刀流山鹿八郎左衛門と、江戸の中西派一刀流中西忠蔵が、形稽古と竹刀稽古両方の得失について論じている、有名な文書が収録されている。 以前も報告したが、また新たな視点から読解が進んだので、次回改めて報告したい。 手順を守るだけの形稽古はいけない。だが自由な打ち合い稽古でも、実は同じパターン(形)の組み合わせから抜け出していない事実もある。 それをどう解消し、無形にいたるのか…。 これは剣だけではなく、体術、礼法、仕事など万事に関わることであろう。 これから稽古にいく。今度は海外からのお客様だというが…。 前回の「ゆっくり稽古」では、大汗はかかなかったが、脂汗をかき、心身の奥底まで大変疲れたらしく、久しぶりに風邪を引いた。インフルエンザ流行にもかからなかった私が…。 それにしてもあの感覚は一体なんだったのか。単なる錯覚だろう。 錯覚を起こすとは、全く私らしくない。 いつもは、少しでも頭や感覚が鈍くなるのがイヤだから、酒はほとんど飲まない。タバコは絶対にやらない。歌舞音曲の類も全く嗜まない。その私が、シラフでボンヤリとなるのだから、大変珍しい体験であった。 例えば「五体は天地の釣りものなり」(願立剣術物語)ということがあるそうだ。 それは、いつものように目の前の敵のみに注視している状態とは違い、あのような状態の方が近い気もする。 韓氏意拳で習ったことも思い出す。 すべての要素は一部にしかすぎず、ひとつひとつのみに注目していては、精妙な全体の連動を見失う。 「これが自然だなあ」と考えたときや、「自然にしよう」と何か加えたり、「あのときが自然だったな」と計算したり、再現しようとしたら、すでに「自然」ではない。 だから思考をはさまずに動く。でもただ動いていればいいのではない。 後天的なクセがついたまま「何が自然の状態かわからないまま」やるのは、まるで野に放した外来種が異様に繁殖し、環境がいびつになっていくのを見過ごしているような放任にすぎない。だから思考も必要だ。等々… その意味においては、従来の我が稽古法から見れば、新しい局面を知ったのかもしれない。 ともかく、何もわかっていないくせに「この感じだ!」と味わって拘泥したり、「ああ動くべきだ」と小賢しい計画を立てがちな小我から抜けだし、推し量れない世界が身近に潜んでいることを体感できたのだろう。 このように、自ら探求する稽古は、五里霧中の辛さと表裏一体に、本当に楽しいものだ。 つまり、人間の存在に深く関わる武の理合は、有名道場や講習会だけに存在するものではなく、仏性のように、すでに各自の身の内に存在している存在なのではないか。 そのことに気づけば「あれをすれば昇段に響く」「これをすると破門される」「○○流派は」などと、世界の一部に気兼ねして苦しむことなく、いつでもどこでも工夫し、堪能できる。 事実、江戸時代の武士だって、全員が有名流儀で「正統な伝」を受けていた人ばかりではなく、たまたま縁があった断片的な教えから、前人未踏の術理を習得した人物がたくさんいたのだ。 ふるさとの人々は、そのような身近な先人達の遺産には全く気付かず、縁もゆかりもない、遠い方ばかり見ている気がする。 なんともったいなや、と今日も落ち穂拾い。 仮に「ゆっくり稽古」としておこう。 関東からの交流稽古の方からいただいたヒントをベースに、自己の工夫を交えた稽古だ。そのなかで、生まれて初めて、酒も飲まずに自力で、夢うつつの状態となった。 その原因としては、目の前の相手だけに視野狭窄となる一般の稽古ではなく、死角となりやすい真後ろ、左右へも意識を拡張したまま、刃引きの真剣で相手と形を打つものだ。 同時に、我が全身各部の協調具合にも注視する。 いったん動き出したら、途中で「この動きはまずいな」と感じても、その反省に居着いたり、言葉にしたり、やり直したりして止めない。川の流れのなかに溶かしてしまう。 相手を感じて反応しているようで、そうでもない。何かをやりながら片手間に斬りかかり、受けている感覚だ。 こうなると、単純な私の頭は、どの一点にも集中できなくなり、同時並行でようやく全体をぼんやりと感じ続けるしかなくなる。 その状態は、竹刀剣道の懸かり稽古、アイスホッケー試合フル出場、マラソン、登山などのような激しい運動の途中、心臓も筋肉も爆発しそうで、心身共に鉛のように重くなっていく感覚とは明らかに違う。 非常に冷静で、身は軽やかなのだが、意識はぼんやりと拡散し、夢の中のようだ。 360度全方向の立体感があり、隅々のかすかな揺らぎが響いてくるような異様な感覚だ。 もしかすれば達人は、この先に、相手の意図や先を感知し、前後左右の多敵にも応じていたのか。 阿頼耶識(あらやしき)といったら大袈裟だろうが、拡散していく我が途中で恐ろしくなり、グッと理性で握りしめて、引き戻そうと思った。 しかし「元の木阿弥に戻るより、この先になにがあるのか見てみたい。任せてみよう」とそのまま流れに乗った。 終えた後、非常に疲れた。帰ってからもなかなか直らず、車の運転ができるのか不安だ。 窓ガラスごしの遠くに、風に揺れるサワラの枝や、屋根から雨だれが落ちて岩にあたっている様子が見えるが、まるで我が身のことのように響いてきて奇妙というしかない。 これはきっと野狐禅、魔境に陥ったのかと、さっそく知り合いの若きイタコへ聞いてみた。 すると「言葉ではうまく表現できない」が「そのような感覚を体験したことがある」「覚えておくべき体験である。進化しているのだ。安心せよ」と励まされた。 このような遊び稽古が、具体的にどのように実技に反映されるか、まだ全くわからない。 この稽古は、単に「形稽古だ」「自由稽古だ」「ゆっくりやるのだ」「中国拳法の推手だ」と言い切れない感じがある。そのどれでもあり、どれでもない。 自分でも理解できていないので、他人にうまく説明しようとして、無力感に口をつぐむ。 津軽三味線の名手高橋竹山も「速いのはごまかしが利く、ゆっくり弾く方が難しくて稽古になる」と言っていたそうだが、額面通り単に「ゆっくり」やればいいのではないはずだ。 ただ思い出した例え話がある。 「思考では「群盲像をなでる」のように二次元としてしか把握できないが、理解しようとせずに、ありのまま、三次元のままで体認すること」というお話だ。 私の限られた拙い経験では、現状の「生々剣」が発現するとき、この感覚に似通っている。いや現在の「生々剣」は、これを人口的にねつ造しているか、またはこの入り口にすぎない。根本的に見つめ直すヒントになろう。 もしかすれば、生々剣が、ほかすべての形へつながっていく、大きなきっかけとなるか。 ともかく、我々は、いにしえの武の稽古方法を見失っている。だから私のように、現在の視点でなんぼ古伝書を読んでも、我田引水のことがあろう。 例えば、日本の伝統武道であるはずの剣道。その有名な中央の師範でさえ、まだ100年も経過していない昭和初期に記されたテキストを指して「古書」というくらいの浅い歴史感覚なのだ。 むしろ、それは高野佐三郎師範が、古来からの一対一による資師相承を転換し、近代学校教育の集団指導方法に適用するために新しく改良した「基本」を示したものであり、「古書」ではなく、剣技における新しい改革だったといえよう。だから現代人でも読めるのだ。 反面、それ以前の近世武芸伝書を、具体的な実用技術書とは読めずに、精神論を語るイミテーションか、別分野ととらえてしまうことがあれば、すなわち、その人の稽古観、理合自体が、中近世以来の「伝統技術」ではなく、近代の高野師範以降の新しい技術であることの証となろう。 それは善悪ではない。ただ簡単に「伝統」と言い切って、我のみの「正しさ」を語ることだけは、いかがなものであろうか。 相手との関わりのなかで、己の技を拓く、形稽古と自由稽古の中間のような稽古方法を試す。 重い刃引き刀で、互いにふだんの半分以下の速さで形をうつ。 または打太刀の自由な動きにピタリと寄り添うように、こちらも変化して付いていく。 ギザギザに欠けた刀同士がこすれる音。 相手に注視するのではなく、いくら動いても、我が全身すべて調和したままでいけるかどうか、自らを注視し続ける。 外見は推手のようか。当人達は濃密で、かえってごまかしが効かず、己の動きのアラさがありありと感じられてくる。 今度は意識を、前方の敵だけではなく、背後や左右などにも拡張し、まるで室内の空間全体と我が身を溶け合って、部屋の隅々までセンサーを伸ばしながらやってみる。 奇妙なことを書くが、あくまで私の主感である。 そのうち、アタマ半分だけ覚醒し、時間が止まっているような、背後も、部屋の隅の気配もあり、窓の外の、風にそよぐ木の枝の動きまでが、空気を伝わって波のように実感として身に染みてくるような、妙な感覚となってきた。 だが、ひろびろと四方八方へ拡張した空間認識も、相手と切り結ぶときは、その瞬間に、その一点へ、まるでジョウゴか、二次元状に、グット縮小することが、ありありと感じられて面白い。 そのほかにも、交流稽古中、いきなり可能となった技があった。 家伝剣術。小太刀を片手にダラリと下げたまま、上段に構えた相手に走り寄り、真っ向を斬られるが、全く触れず左右へ変化して、刀の柄で当身を入れたり、片手で喉輪を入れるものだ。 ほとんど小具足か、素手の柔術であり、無刀取りにもつながろう。やってみると手に持っている小太刀を使わず、無手でも可能である。 二十代の頃は、走りこみやロープワークをやっても、急ブレーキ、急ターンでグッと踏みしめ、居着いてさばけず、必ず竹刀で打たれ、永遠にできる気がしなかった。当時取材に来た人に笑われ、悔しさにホゾを噛んだ。 だが、先日の一般向け講座で、下田氏が話されていた、帯刀したままの歩き方を聞きながら、ヒントがひらめき、思い出して、T氏や無刀氏に袋竹刀で打ってもらい試してみた。 いけるぞ…。まさか、こんなに簡単なものであったのか。これならば、お伝えすれば、その場でご老体、女性、お子さんもできよう。稽古とは、気迫や努力だけではなく、コロンブスの卵かパズルを解く行為にも思えてくる。 駆け寄るとき、ねじらない体幹の「静」だけではなく、手足の揺らぎ「動」が変化のきっかけを作ってくれる。 そして走行中、身体と地面とのかすかな縁が途切れないからこそ、相手の打ちを待って、後の先でさばける余裕がある。 形が要求する所作は、さばきの動力源であり、そのまま当て身や喉輪となることがわかった。なんと無駄なくシンプルに、一度にたくさんのことをやっているのか。 ただし、このような形稽古の際、相手をしてくれる打太刀のセンスも重要である。 もちろんヤラセはいけないが、規矩を持たない打太刀相手では、すぐにフェイントの応酬や駆け引きという、迷路へ入り込んでしまい、形稽古の特性を失ない、単なる負けん気の勝負になってしまう。 私も何度もそのような無明に陥り、互いの芽を刈り取ることばかりに汲々としていたことがある。充分に留意したい。 関東から三名の方がいらっしゃり、二度目の交流稽古を行った。 いずれも剣術、柔術、中国拳法等、複数の有名流儀を習得されている方々で、様々な刺激と多くの示唆をいただく貴重なご縁となった。当流「生々剣」に似た剣技が他流にもあることも知った。 方々には深く感謝申し上げます。 なかでも印象に残ったのが、方々が編みだしたという、木刀や刃引きによる、ゆるやかな自由稽古であった。私もやってみようかな。 「技は覚えただけではダメだ。実際に使ってみてわかることが多い」と先日イタコに教わった。 確かにその通りではある。古流師範のなかには否定される方もいるが、その一環として竹刀稽古があろう。私はそこからも多くを学んでいる。 だが、私の竹刀稽古はあまりに「やっつけ仕事」で、形稽古の成果を活かして質転換ができていない。 間に合わせで、まるでシャモの喧嘩か、パチンコのように単純で、ブツブツ途切れる私の竹刀稽古を是正し、クセや限界を拓いていく稽古のヒントはないか。 その思いは、夜の沢庵「不動智神妙録」勉強会で読んだ、とらわれの多い剣技に関する例え話のなかで、ますます膨らんだ。 「武の稽古は、己のとらわれを消していくためであり、敵はその行為を助けてくれる存在ではないか」というY先生の言葉が残った。 さっそく翌日、新しい稽古を試してみる。お相手は、下田氏。 同氏によれば、スキーの世界では、形稽古と実践が直結しているという、 つまり、自分の技を増やすためには、常に現場主義・実践主義ではいけない。 スキーをはかずに、平地で、ゆっくりした動きのなか、安心してトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、己にとて未知の技、領域を拓いていく。それを実地に活かしていくのだという。 そういえば曽祖父による家伝剣術の形稽古は、飽き飽きするほどゆっくりやっていたという。林崎流居合も「極めて静かに抜かなくては、一生手癖悪し」と説く。 近現代武道の稽古は、そのような稽古を「ダラダラしている。気合いを入れろ!」と許さないだろう。 たぶん近現代剣道の稽古は、カタチばかりを守るの形稽古と、好き放題の自由稽古の二極ばかり伝承し、その中間を喪失してしまっている可能性があるのではないか。 「腹から打て」という父の連呼を「よくある話だ」と信じていなかった。 でもハッキリと一理ありそうだ。私の場合、両脚の力みがそれをジャマしていた。仕事帰り、駅へ急ぎ足の途中、気付いた。 脚はほとんど使わない。いや少しでも力んで、脚で歩き始めると遅くてしかも疲れる。 腹というか、ソケイ部というか、仙骨というか、そのあたりから前へ出る。 それだけでは、体幹全体のつながりが壊れてしまう。だから家伝伝書が説くように、肩を使う。それはほか各部とのバランスのなかで。 なんだか面白いほど、速足のサラリーマンたちを抜いていける。 書店で立ち読みした格闘技雑誌。思い出した。 昨年末、テレビの格闘技試合で、相手を激しく負傷させて勝った選手が、h本当に見苦しい行為を行った。その瞬間、激しい嫌悪感と怒りを抱いた。 「私はもう二度と、この手の番組は見ないぞ…!!」 ショーだと笑うかもしれない。しかし、もし往時の戦場でそのような振る舞いがあったならば、周りの武士たちはただでは帰さなかったであろう。「なにやっても勝った者が勝ちである」という現象を許さなかったであろうと、ハッキリと想像できた。 雑誌ではその問題を議論していたのだが、関係者のコメントには再び失望した。 当事者だけではなく、その指導者たちも、様々な理屈をならべて、論理のすり替えをしているだけで、誰も責任を取ろうとしない。誰も戒める人もいない、断固たる態度がとれないようだ。 あれほど厳しいトレーニングを積んだ猛者なのに…。その論理展開は、現代の格闘技ブームの低迷だけでなく、基本的な感覚さえ喪失している現代日本の病的な風潮を表している気がする。 下田博次氏にお教えいただいた美学の話を思い出した。 「他者といかに戦い、どのように美しく勝つか」ということは、その人間性を端的に表す行為であり、周囲の評価にさらされるものだとは、このことだったか。 醜い行為で他者を粗末にした者は、周囲にそのように判定され、やがてはそれ以上の憎しみと危険にさらされる運命となったのではないか。 ともかく私はなぜか、他者の存在自体を軽んじたり、なぶるような行為が大嫌いである。 いま流行りのスポーツのモチベーションとは、「アイツを倒してやる!」と対戦相手への闘志や憎しみを増加すること、「自分は強い」と連呼することが多い。それで果して社会公認のスポーツなのか。 そしてそのような志は、試合競技では有効でも、その上の大きなシステムの前には無力で、簡単に取り込まれてしまうであろう。 それだけではない。かつての武士達が戦いのなかで、いつ敗れるかわからない、自他の命のはかなさと、それへの共感、深い敬意、、人の力を超えたものへの畏れから熟成したような哲学は、生まれてこないだろう。 「古流とは、現代武道をしっかりやって、高段者になった後に(権威付けのために、教養のために)習得するもの」と考えていること自体、認識が甘すぎる。 若いうちから本気なって取り組もうとも、ものになるかどうかわからないほど難しいものだ。 たぶん、この世界のリアルさ、深さ、楽しさを体認できる機会がなかったからこその認識なのだろう。 明治維新以降、青森県内すべての武芸師範家が途絶していったなか、世の動きとは反して、何の報いもない家伝を密やかに継承してきた、先祖たち、祖父、父らの孤独は、いかばかりであったのか…。 今日の講座、家伝剣術の基本をお教えするために、袋竹刀で何度も打たせた肩がひりひりする。 思えば、弟子達に毎日、小手を打たせてやっていた祖父のくるぶしは、大きく変形し、はれ上がっていた。 私のいまは、父祖達の孤独と闘いを受け継いでいる。だから孤独ではない。 楽しい気付きもあった。下田氏がスキーから工夫されている、左右の腕を振ってはいるが、体幹をねじらない走り方を拝見しているうちに、家伝剣術小太刀のヒントをひらめいた。 世界遺産、早池峰神楽の「岳(たけ)神楽」の伝承者にお聞きした、厳しい師資相承の姿。 ムラ以外の外部には絶対に教えない。ムラの若者たちはひとりひとり、村内の大人や親へ弟子入りし、口伝を受けながら一生かけて学ぶ。 芸態も、観客のウケをねらえば、芸は変質してしまい、やがて失われる。だから反響は関係ない、永遠に自らの伝承を守ること…。 広報だ、普及だ、アンケートで要望を聞いて、わかりやすく…と騒ぐ、現代の大勢とはあまりに異なる潔さに、我が身、家伝剣術のことを省みた。 かつての家伝剣術には、数百名の門弟がいた。しかし時代の変遷のなか、「よりいいものを…」と去っていき、最後に残ったのは宗家である我が父祖達だけだ。 つまり伝承は、門弟数の多さではない。「飽いたらやめる」「もっといいのが」という「選択の自由」を拒否し、最後まで残って責任を取る覚悟の人間が、幹が、ひとりでもいるかどうかではないのか。 面白い話も聞いた。特殊部隊が小銃を構えて、いつでも引き金を引けるよう進んでいく歩き方は「銃をかまえるやいなや進む、足を使うな…」。 聞いた瞬間、「当流の生々剣」だ…!と驚いた。やはり同じことは各分野で使われているのだなあ。 演武直前に、気付いた素振りのやり方がある。これはスキーの体幹を使った体重移動の話をきっかけに、新夢想林崎流居合および家伝剣術の振りかぶりから気づいた。 左右の半身へ転換しながら、左横、右横を連続で斬る。このとき手足が消えた、置き上がりこぼしのように、体幹、我が身内の左右の内臓の重さを使ってさばくと、速くて重くて途切れない斬りとなるか。 これを、数年前、先輩から聞いた、神道無念流式の切り返しへ活かす。 正対したままの竹刀剣道の切り返しとは異なり、左右に大きく全身ごとさばきながら行う切り返しで、数回で息があがるキツイものだった。 しかしこれで氷解した。体幹を使えば、キツくはないようだ。 NHK大河ドラマ「龍馬伝」。北辰一刀流の師匠へ「黒船の前には刀など縫い針じゃ!!」と叫ぶ坂本龍馬。 いかにも。だから幕末の武士達は、数百年以上帯びてきた刀剣を捨てた。 現代はどうだろう。巨大な社会を構成している最小単位、我々人間の内側が空洞化し、揺らいでいる。だから社会も揺らぐ。 ならば逆に「縫い針」に戻るべきか。 「それを使って斬り合え」「試合に勝て」「昇段を」という次元ではない。 それでは、「黒船」のような、より大きな存在、システムには、簡単に取り込まれてしまう。 剣が武器としての役割は終えても、己がいかにあるべきか。他者といかに関わるべきか、という、人間の永遠の問題を体認するため。 大会では剣道の先生から忠告。 「手順通りの形稽古では、踊りになってしまう」 「やはり竹刀剣道で自由に打ち合う経験が無いと、形も下手なものだ」 耳にタコができるほど聞いた、近世後期以来の見解。 「剣技すべての価値判断は、現行の竹刀剣道の理合でできる」という錯覚は、他に比較の対象や経験を失った、近代以降の文化的単一化さから生まれている。 お恥ずかしいことに私も、そう思っていた時期がある。 そういえば、デュルケム学派のモースは、身体技法の研究で、ハビトゥス(型)の概念を提唱した。 その型とは、文化によって作られ、社会的に学習する動きで、無意識のうちにその人自身を拘束してくる動きのことをいう。 それを踏まえたプルデューは、慣習的な行動とは、ある特定の型を少しずつ、ずらしながら、転換させながら、再構成させながら使っていくことだとした。 つまり、我々の動きは、無意識のうちに、学んだパターン、型の影響を受けているのか。 だから、形稽古も、「思いのままにやる」自由稽古も、実は定形パターンのマイナーチェンジやアレンジから抜け出していない可能性がある。 人間誰しも、自分で思いつかない動きとは、本当に思いつかないものだ。 その見えない想定外、無意識ののパターンを、意識的に発見し、分析し、バラバラに解体し、再び組み上げる、という行為をしなくては、違う動き、ステージへは転換できない。 それが、現代人が忘れた、形稽古の効用だったのだろう。 協会の広報誌を読んで稽古している方々のなかに、江戸時代の伝書を読んで、稽古している妙な男が混じっている。 そこから、精神論のイミテーションとしてではなく、具体的な技術論として読み、かすかな希望をもらい、我が身の至らなさを痛感している。 現世の先輩方とはズレていても、百年前の先人達には忠実なのではないか。 最初に発見した先人達は、単純なファイターや、常識人ではなく、よほど斬新で柔軟な視点を持っていたはずだ。 そうでなくては全く気付かなかったろう。 その剣を打ち落とそうとする相手は、力と速さをこめるほど、空振りする。 反対にソッと寄り添うとすると、簡単に捕まえることができる。 だがそうした相手は、こちらに囚われ、死に体となってしまう。 しかし「やるぞ!」と闘志に燃えるほどできない。 相手の存在を考えない。はかりごとをしない。 ただひたすら、自らの状態のみに注目する。 まるで新宿駅の雑踏をすり抜けていくように。 その感覚はあまりに微妙で、何度やっても「成功できる」確信が全くない。 シッカリ手にしようとすると、むずがゆくて、放り出したくなる。 自分が考える武技と全く違うので、愚かにも立ち往生しているのだ。 「本当に大丈夫か…!?」と予測をし、計画を立て…と、私は常に「世界を疑う人間」になってしまっている。 だが「できるかどうか…」といくら未来を占ってもあてにならない。 確信するが、盲信はしない、というのか。 しかし私自身、日々の生活で「できるかどうか」いちいち占って生活してはいない。 例えば帰宅途中「この先も歩けるのか?」確証が無いのに「歩いて帰るか」といささかも迷っていない。 「明日も事故無く、確実に生きてるのか?」証拠がないのに、のうのうと生き続けている。 すでにやっているではないか。 帰りの電車で再読する、渋川流「柔術大成録」の「水と油の例え話」「盃一杯の水」「反求」が新たな味わいで迫ってくる。 仕事をご一緒した方とお話するなかで、彼が射撃競技の元国体選手で、警察で射撃訓練コーチをしていたことを知り、さっそくライフル射撃の基本の構えをお教えいただいた。 安定するという気温の構えが、意拳のタントウや剣術の構えと似ている気がした。 しかし意外なのは、その構えがよく当たる位置でありながら、動く的を撃つ場合に、次への変化に乏しく、誤射しやすい「死角」となるという話だ。 20年前、山形県米沢で撮影した、家伝剣術の親戚流派の伝書を思い出した。 我が剣術の開祖が語ったという卍の教え。 それによれば、あるとき、ようやく体得した十文字の安定だが、安定ばかりでは武芸としては足りず、さらに工夫を重ねて卍になったという。 あの頃は、なんのことやらと…。 舞台監督中、ふと気づいた、目の前の舞台上、三番叟の舞い。 全身が調和したまま、手に持つ扇を先端として、それに導かれて舞うのか。 そのとき全体がうまく連携していれば、あたかも扇だけがひと筆書きのように宙を舞い、背景にある舞手の身体が、すっかり消えているように見えてくる。 これは道具を使うからこそ、出現する身体、技でなはないか。 しかし、どこかが力んだり、遅れたりしてよどんだとたん、一瞬でぶざまな身体が露見する。 それは剣術でも同じなのか。まるで剣だけが宙を待っていれば、その背後の身体に切りつけるスキが見つからない。 となれば、日本の剣術が、防御用の盾を使わない理由となろうか。 それにしても、民俗芸能の舞いは、現代の我々には発想できないような身体遣いが豊富にあり、現代の筋トレではほとんど補足するできないだろう 演者は、太鼓や笛、手ビラカネのリズムに乗りながら、己の肉体があることの喜びを体認しているようだ。いや、面をかむり神仏の存在と一致した自動操縦の舞いなのかもしれない。 私自身、すぐそばで一週間、異形の神仏達を心身にインストールしている感覚だった。 山伏神楽がやる、まるで練功を誇るかのような軽技。 各地の民俗芸能には、武芸の技や伝書が併伝されていることが少なくない。 岡三沢神楽を拝見しながら、なるほど、こうやると空中回転やバック転、受け身などの柔術技法を、二人組で安全に覚えやすいなあと、独りよがりの視点で勝手に学ぶ ただ、芸能と武術の違いは、酒を飲んでやることか。芸能にとっての酒はたぶん、感覚を開き、神仏とつながるための必要なアイテムなのだろう。 しかし「もっと多くのピンマイクやスポット照明、ドライアイスを使いたい」などと、現代の舞台装置で、過剰な演出を試みようとする民俗芸能団体が少なくないのには、少しがっかりした。 機械の力に頼るほど、本来の技は、縮小し、芸態も全く変わってしまうに違いない。 つまりだ。民俗芸能が生まれた中近世を考えてみたい。当時、ピンマイクやスポット照明があったろうか。先人達は、ナマの声と身体で表現し、伝承してきたはずだ。 生身の身体だからこそ、我が心身がある喜び、深奥な世界にダイレクトにつながる感覚に打ち震えることができるはずだ。 このように各地の民俗芸能が、ステージ公演用に変化している状況は、民俗学がすでに指摘してきたことであるが、我が青森県でも発生している現状を初めて目のあたりにした。 依頼する側も気をつけなくてはならないと反省した。また我が家伝剣術の伝承についても気をつけようと感じた。 プロスタッフにとってもキツイ現場だったという。普段全く飲まない栄養ドリンク剤をいただいた。仲間として認めていただいた証と喜んで頂戴する。 しかし栄養ドリンクよりも、緊張と疲れでガシッと力んでくる肩や背をスッと落とすだけで、まだまだ続けられる柔らかな心身になる方法の方が、ずっと有効だと感じた。
なぜかド素人の私が全舞台の総監督。それを一週間毎日9~10時間やった。 耳にインカムをつけ、舞台装置担当、音声担当、ビデオカメラマン、アナウンサーなど、二十数名のプロスタッフに、指示を送り、演者の控室に伝令を走らせる。 真っ暗な作戦本部「奈落」に立て篭もり、飯も食えず、トイレにもいけない。 毎回、全く違う公演内容。しかもリハーサル無し。短時間で舞台も演者もすべて入れ替える。 即席の舞台小屋だから、モニターも無く、舞台上も観客席の様子も見えない。だから、気配や幕間から覗き込むようにして監督をするしかない。 舞台裏は火事場の騒ぎ「動」でも、観客には、あたかも、予定されていたかのような自然な流れ「静」に映るように導きたい。 私は毎日失敗しながら、プロたちの技を盗み学んだ。 入念な打ち合わせで作成した詳細なシナリオがあっても、舞台は始まったとたん、刻一刻と変化、民俗芸能のバイタリティによるアドリブ、想定外が連発し、全く当てにならなくなる。 それでも、シナリオ、作戦、型、戦術、兵法は、あらかじめ作成し、みんなで共有しておくべきなのだ なぜならそれらは、たとえ変化のなかで崩れ去っても、実は無形の存在となって、陰から我々を支えている気がした。 まるで最前線の軍師。秒単位で判断を迫られる戦場での軍師や組織のあり方、勉強会をやっている孫子の兵法について、体認を通じて考えさせられた。 責任者である私は、予測し、判断し、命令する。。 だからといって鬼軍曹ばかりではダメだ。 個々が自主的に活動しながら、有機的に連携し、響き合っているかどうか。私自身が、各部を感じ、各部をつなぎ、全体のバランスを調整し続けていなくてはならない。 家伝剣術伝書曰く「技が熟するとは、身体各部の響き合い、調和をいう。すると力まずとも自然理力が生まれる」。 宮本武蔵も、個人の武芸が、集団の兵法にもつながると考えたそうだが。 乱戦のなか、指揮官である私が、ひとつの失敗にクヨクヨして心が止まれば、舞台が止まり、ステージ上の演者、観客、次の部の公演および受付と観客…など、すべての連動が崩壊していくことを察知し、危ないと冷や汗をかいた。 いやおうなしに、いまこの瞬間の私の判断は、ここにある数百名の集合体によるテンセグリティーの始動点といえよう。沢庵の不動智も思い出す。 例えそのときに、判断を少し間違っても、周囲に動揺を見せてはいけない。確信に満ちているようにして全体の安心を保ちながらも、立ち止まらず、密かに、確実に、流れを修正していくのだ。 一方で、本当の軍隊において、旧来の「本部から前線への指令システム」から、「最前線からの情報と判断を優先するシステム」への移行が試みられている話が、有効だなあと、実感として学べた。 しゃにむに働いていれば「社会人」なのではないようだ。 確かにそれで鍛えられる要素はある。 反面、事務仕事などの閉じられた環境での職場では、家と会社の往復の世界しかみえなくなることがあろう。 青年時代、あんなにあったいろんな視野や批判精神が貧困になり、 根拠が定かでない、安易な会社の方針、上司の命令、能力セミナー、脳トレ…を、やすやすと受け入れてしまう。 やはり、よそ見できる余裕が無くてはならない。 生業から全く独立した、もうひとつの世界、もうひとつの視野を持つべきだ。 急流のなかにいる人よりも、対岸で見ている人の方が、大局を認識していることがある。 そのようなバランスこそが、いざというときに己を救い、やがては社会を偏向から救う動きになるだろう。 現代において、剣で斬り合うことは無い。 (まあ、ごくまれに、刃物による犯罪があるから、全く無いとはいえないが) ならば、先人達が熟成した、そのなかの理を抽出することこそ。 近世に弘前藩で編まれた社家神楽で、津軽の神官だけが舞う「津軽神楽」に「四家(しけ)の舞い」という演目がある。 これは社殿の改築や新築の儀礼で舞うもので、三十数年ぶりに復活した。 仕事でその記録映像を見ているとき、おやっと思った。 真剣を振る四人の神官達は、両手拳をくっつけるようにして刀を持ってるのだ。 昨年から、甲野善紀師範が気づかれて、効果を提唱されている握りとソックリだ。 多くの近世絵画史料でも、両拳をくっつけて刀を持つ表現が多いという。 現代の居合も剣道も、両手拳を離して持つのが常識となっている。 しかし、やはり、近世の人々は、握りをくっつけて持っていたということか。 それが実用を離れた神事のなかで残っていたのだろうか。 四家の舞いでの握りについては、伝承なのか、個々人の偶然なのか、まだまだ検討の余地がある。 それでも、この刀剣を扱う神楽は、小太刀の構え方が我が家伝剣術と似ていたり、山伏神楽のような曲芸をしたり、両刃のツルギを振る動作に、日本刀以前の用法かとロマンを感じたりするなど大変興味深い所作が多い。 1月27日、青森県立郷土館での公演(http://kyodokan.exblog.jp/i19/) で直接ご確認ください。 数回だが、こんなわたしが、大学非常勤講師をやることに。 乱世は、わたしのような海千山千が跳梁跋扈するものだ。 学生のフィールドワーク報告に対して、拙いコメント役をやる。 みなさん、興味深い報告ばかり。何よりその真摯な姿勢に引き込まれる。 そのなかでも東欧からの留学生による、山伏神楽の調査報告は面白かった。 昔ならば「異国の人が、日本文化へ勘違いしたイメージを持っているなあ」としたろう。 しかし今は違う。彼女は、由来、祭具、楽器構成などしかとらえない、一般的な民俗芸能調査よりも、技そのものの伝承、舞い手自身の身体感覚について、意識している。 それにしても今年は雪がよく降る。 一日何回雪片づけをやっても、巨大な白い塊のなかに埋もれていく。 まるで大海の水を汲んでいるのか、賽の河原か。 通勤途中、凍結した路面を、蹴らずにいかに速く歩くか、毎日工夫。 ついつい調子に乗って、アイスバーンの上を走っていたら、見事な勢いで滑って転んだ。 ウルトラマンの飛行のように、両腕を広げ、頭から真っ平らになってダイビング。 これほど見事なズッコケかたは、幼稚園以来ではないか。 氷上の転倒は、瞬時のことで、ほとんど受け身がとれないことが多い。 以前、私の前を歩いていた男性が、ブラックアイスバーンの交差点で転倒、コンクリートに頭を強打、動かないので救急車を呼んだこともある。 でも今回の私の転倒は全く痛くない。気持ちいいくらいだ。 立ち上がって数歩あるいて気がついた。この感覚は何だろう。 達人に投げられると「どうして自分が崩されているのか、投げられているのか」全くわからないまま、全く全身がコントロール不能となって、気持ちよく投げられてしまうという。 こんな感じなのか。 書籍『古武術で毎日がラクラク』(詳伝社)のなかで、荻野アンナ氏が、武術の足踏みのことを「まるで雲にのっているイメージ」と表現され、言い得て妙だなと思ったことがある。 しかしアイスバーン、氷の上を歩くときは、さらなる微妙なレベルが要求される。 ほとんど摩擦係数が無い状況では、少し力んで踏んだ、その自分の力のせいで、空回りし、全身のバランスを失ない転倒する。 では、どうすればいいのか。 自分で出した力み、偏りは、自分自身の内部で帳消しにしなくてはならない。 かつ、眼で「やぶだ」「氷だ」と路面情報を読み、刻一刻と歩法を替えている私たち。 しかし冬道では、表面上は「粉雪だ」と安心して踏んでも、その下には、前日までの氷が隠れており、大きく転倒、骨折、ということがある。 つまり地表は頼りにできないのだ。 よって、相手(地面)との関わり合いで格闘するより、己自身の状態がいかにあるかが重要となる。 つまりだ。意外にも氷上では、ほとんど地面を蹴らなくとも、なんとか前へ進める事実を体認できる。 などと帰宅してきて「少しでも力めば転倒する氷上だぞ」と刀を振る。 何回繰り返しても飽きない難しさ、妙味があるではないか。 雑務でからまり、焦げ付いている感情が雲散霧消し、身心に清らかな風が通り始める。 毎日歩くたびに、こんな工夫と発見ができるとは、よくぞ雪国に生まれけり! 我が青森県は、自殺率全国2位である。効果のある予防策があまりない。 確かに、冬、鉛色の薄く暗い雪の日々が続くと、どうしても心身が閉じこもって、陰鬱になってしまう。 稽古する前に、肌が張り裂けるような雪の冷たさを、全く気にしなくていい地方があったら、その幸せを深くかみしめてほしいものだ。 定例稽古後、T氏のご紹介で、弘前藩代々の刀鍛冶の家へお邪魔した。二度目である。 北辰堂道場にある、小野派一刀流刃引きの刀だけではなく、東京の同流御一門の刀剣類も、この家で鍛えられたものであると聞く。 おそらく我が家の先祖たちも、この家の方々が鍛えた剣で稽古してきた。 近世以来の伝統の技だけではなく、旧帝大の金属学科にも学び、いかに現代に活かそうか、ビジネスや実社会でも闘ってきた方でもあった。 刀鍛冶の技術は、現代の原子炉のシャフトの造りに活きているそうだ。 貴重なお話をお聞きするうちに、私は最近の疑問をぶつけてみた。 どうしても私の稽古は、ただ「相手に当ててやろう」と、「敵を基準」に稽古してしまう。 だが、確かに、なにかある法則があって、それを我が身にまとえば、慣れや体力や闘志といったものよりも、効率的にふるまえるような気がする。 例えばふだん全く竹刀剣道の稽古やっていないヘタクソな私が、ごくたまに地稽古をいただいたときでさえ、親父が発見した理を猿マネしただけで、なんとかペースに乗って、しのいでいるときがある。 だから、最近はようやく「自分の頑張りを押しとおす」のではなく 「私自身が、どのようにふるまえば、この道具をジャマすることなく、その最大性能を発揮させられるのか」と、道具に、剣に聞く稽古があるのではないかと、思えるようになったと。 すると刀匠は、うなづきながら「(鍛冶仕事で刀を打っているとき)最近、鉄の方から近づいてくる気がするようになった」とおっしゃった。 それとともに「達人は、最短距離だ」ともおっしゃった。 「俺が造ってやろう」ではなく、自然の理にそのまま従うということなのか。 私ごときには、まだまだとうてい理解できない、高い境地であるのだろうが、なんとなく胸の奥底へ響きいるような言葉で、忘れられない。 実家の近所に、これほど深遠な技の世界、家筋があったことに、気がつかなかった。 さすが弘前は、近世初期からの城下町だっただけに、無形の文化遺産が、地下水脈のように流れているのだ。 我々は、それを見失って、違うところを探して、ため息をついている。 我が稽古の基準である、剣。 とすれば、その刀を造る家がなくては、我が稽古も家伝も家もありえない。 お話を聞きながら、父と私の稽古のため、新しく刃引き刀を、そして林崎新夢想流居合の三尺三寸刀を打っていただこうと考えた。
実は 家の仕事場は8畳の広さにて L字型に壁伝いに机を作り付けていて どんどん資料などを広げる事も出来るし 家の者も使うワークルームとしても使っているのだが 受験生もいるもので 仕事場を明け渡し 座敷にパソコンを持って来て仕事をしている。 まだまだ資料を辺に置ながらの仕事ではあるけれど ノートパソコンがあれば データはネットで検索すると出来るし コピー&ペーストで資料に作成が簡単でもある。 カッターやら糊やらもいらず 本当に便利になった。 ともあれ 座卓に座ってやる故 胡座や長座そして正座となる。 昔は苦もなくしていたのだろうけれど 腰が痛い。 足で座るのではなく 骨盤で座るので 安定が悪いのだ。 足から背骨への力の連動とはちがい 行なりで どっしり安定する座りが出来ない尻(サルのように座布団状になっていないから)上手くない。 股関節が 四足歩行の動物よろしく 前後の動きには対応しやすい機能は残っているが、横に開くのは難しくなって来た。 歳をとると 二足歩行の為の機能を確保する為に 横に動くとか ともかく股関節の可動域を制限するようになってくるから よけいそうなるだろう。 前への転倒を恐れるあまり 足指に力が入り 足首 膝も 柔軟性は失われて行く。 日本人が和式の生活から 西洋式の生活をするようになって来たので よけい膝などは固くなり 股関節はさらに固くなってきている。 せっかく得た可動域は 椅子文化圏の生活で 失いつつあるのだ。 さらに そう言ってもまだ生活は和式の部分も残しているので 退化して来た身体には 酷な状況をさらに強いているとも感じる。 恐らく 日本人はそういう状況下にあるから『膝痛』が多いのかも…と面白い発想をしてしまった。 西洋文化圏の生活行動をずっとしているのならいいのだが 今の日本人の生活は 中途半端だ。 私の知っている中国の方は 座敷に風呂で使う椅子を持って座った。 今は、老人向けの座敷で座る椅子(座椅子ではない)がある。 道具は 今の日本人の状況をフォローしている典型だ。 股関節…骨盤が開き過ぎると腰痛にもなりやすい。 妊婦は早めにサラシを巻いたものだが これはその為に合理的に考えられた方法でもあるが あれは適度に骨盤を締めながらするのがいいのだと思うけれど 重みでややがに股になっていたり 骨盤が開いたままですると 先の効用を狙った補助具としての役割をしていない。 鉢巻きや襷 帯 手甲脚絆は みな何も意味無くやっているのではないのだ。 さて 我が家は どういうわけか 小さい時から椅子の生活をしていたので 結構歳の割りには 早くから正座が不得意だった。 座敷に座っているのが苦手だったのだ。 小さい時からそうだと そういう体つきになるものだな~と 外国の方が正座しにくいのを見て つくづく思えるのは自分もそうだからとも言える。 その上、膝を何度も捻り痛めているので 膝も固い。 胡座を掻くと言うのは 股関節だけでなく 膝にも撚れを生じさせるので 長時間座った後に立つのは 本当に容易ではない。 でも このところの仕事で そういう体勢をとらざるを得ない中 ふとほんの少しだけだけど 可動域が上がったのでは?と思えた。 長時間でなければ…極端でなければ…可動域は上がって行くのは わかっているが ほほ~と思った。 但し そういうつもりでの体勢ではないから ああこれ以上するから 『痛み』となり『損傷』となるのだなとも思った。 しかし『矯正』は 全体のバランスを見てしないと 悪しきものになってしまう。 そういえば 私が習った太極拳の老師は 套路での動作を 自分の通りにしていないからと矯正したりしなかった。理さえ踏まえていれば それでいいのだという事だ。 「人は松だから…」と老師の老師が言ったという言葉。みな松は同じ形をしていないという事か? みな骨格の構成している角度や長さや筋肉の付き方が違うのだから 老師と同じくとコピーに躍起となる事は愚の骨頂なのだと言う意味なのかもしれない。 かといって 理さえ踏まえていればいいというのではない。 ほんのすこし 自分の身体を導く範囲を 広げてあげる努力をすれば 今ある域は とても楽になるという事。 所謂これを『練る』という事なのだろう。 『練る』域を逸脱してする稽古は 『痛み』として 後に自分の足枷となる。 しかし現代社会。その事を理解して 毎日を生きられない状況にあるのだ。 実は 回りの生活ツールが便利になればなるほど 私達は今以上の身体を酷使している。 『便利』という幻想が 次はこれが出来る さらにこれだって出来ると 際限無く身体を酷使しているのだ。 農作業など 極端に身体を駆使する事をすれば リミッタ-が働くが リミッタ-が作動するギリギリで ずうっとやっているから 表立って見えない『金属疲労』のような状態を蓄積している。 つまりストレスだ。頭は 『痛み』信号を現場から受け取らないままでいるものだから どんどん『動け』『働け』信号を送り続ける。 ともあれ『矯正』も ちゃんと考えるといい意味でもあり 『進化』とはその長期の形でもあるのだから いい方向に導く事を考えないと いつか人類の身体は大きく反旗を翻すだろう。 ある意味 人類が人類になった まだ解明されていなり進化のミッシングリンクもそういうメカニズム(ディープインパクト)があったのかもしれない…と考えるのは あたらSFチックではないかもしれない。 宇宙の成り立ち(ビックバン)や 『無から有へ』という考え方 『脱力は力を抜く事ではない』などなど みなそういう状態の分岐点表しているな~と漠然と考える故の 妄想というか絵空事ではあるけれど…。 しかしながら こう膝がたまらないのであれば 私も知り合いの『イタコ』の方同様 座る事も出来なくなってしまうかもしれない。 彼女には これら一連の事を危惧して いろいろお伝えして来たのだけれど ミイラとりがミイラになるかも…とすら思った。 やっぱり無理はいかんです。 K先生にも ほんとうにそう思っておる次第です。 (追記) 稽古の時には ある程度ウォーミングアップしてから 正座するのだけれど 刀を帯に挟み 稽古場の畳を数回歩行したりすると 意外と早く座れた事。一本歯の下駄を履いた後も そうだった事。 どうしてだろう…と最近考えております。 元日、大雪をかきわけて庭の稽古場。一族による家伝剣術稽古初め。 冷蔵庫のような寒さ。皮足袋が一足たりず、仕方なく私だけ素足。 妹は剣道有段者で、現在、高校で剣道部顧問をやっている。 久しぶりにやった家伝剣術の動きは、竹刀剣道の基本動作のみでは、処理しきれないなあ、と感想をいう。 確かに彼女は、ひとつひとつの所作を、剣道風のしぐさへ変換してしまっている。 具体的にいえば、足遣いだけではなく、すべての斬りを、常に上から叩くように変容させてしまうのだ。そのことが逆に、技の、身体の可能性を閉じてしまい、自縄自縛となっているように見えた。 それを指摘しながら、近世の剣術形が、近現代剣道の所作へと、自動変換し、やがては全く違うものへと変質していく過程を、直接、目の当たりにしたいい経験となった。これは自省も含めて。 その後、剣道有段者の妹相手に竹刀を持たせて胸や腹、のどを突いてもらい、我は無手で、左右にさばけるか実験。案外通じて喜ぶ。 するとそれをベースにいろんなアイディアが。脇構えからの所作がコンパクトになることなど…。 思えば、剣や武の理合とは、私独りが自力で創るのではなく、もともと「そこ」にあったのだから、頑迷な私が眼を開いて、気付けばいいだけなのではなかろうか。 だから、そんな難しいことはなく、道はすでに示されているのかもしれない。 実家に数日滞在して、この近世以来の武家住宅街も、地域の連携力が衰退した現代日本の縮図なのかなと感じた。 有為の人材が近所にたくさんいるのに、互いに顔もわからない。それでテレビやインターネットで遠くばかり見ている。 思えば、30~40代の我々の世代は、ネプタなどで、上の世代が継承してきた地域の力に育ててもらった。 なのに自分たちは、己の自由きままさを求め、そこから離脱していった。 そして分断され、個々人の根さえも枯れ始めた社会。 「俺流」「私の生き方、個性、キャラ」を主張し、誇ること、は必ずしもいいことなのだろうか。 その考えは、己の誕生や人生、役割とは、自分自身ですべてコントロール可能であるという、ひとりよがりの前提にたっているのではないか。 それは勘違いではないか。 人間は、好むと好まざるに関わらず、生まれ、気付いたときには「なにかの場」へすでに投げ込まれているのだ。 だから、己が社会でどんな配役、役割をするのかなど、きっちり計画できないし、わからなくて当たり前なのだ。 なぜならそれは、己のみで決定できることではなく、周囲の他者との関わりのなかで、自ずと形成されていくことだ。 もしかしたら、今求められている新しい英雄とは「俺が!俺が」という自己主張タイプや「責任者出てこい!」という批評家ではなく、 「すみません。ただちに私が直します」と社会を修理し、分断された個々をつなぐ、地味な裏方なのではないか。 年末に、林崎新夢想流居合「二人詰」を稽古。 二人の敵を相手にする技だ。 一般の居合でも多敵の技があるというが、設定では順番にかかってくるという。「同時に来たらどうするのですか」と聞いて叱られた話を聞いた。 しかしこの弘前藩士達が稽古した林崎の居合では、まさに二人または三人の敵は、同時に抜刀してくるのだから、過酷な設定だ。 それに対して我は、三尺三寸刀および脇差の大小を帯び、ときに両刀を抜いて対応するという居合。 非打や鞘当も武技となる。なぜに様々な位置からの座り技を稽古させられてきたか、エイ、ヤーとひとつずつ動作を区切らずに、一筆書きか竜巻のように滞らずに動くことの必要性が、ここでようやくわかってくるのだろう。 大晦日の朝は道場で、久しぶりに先生方に剣道の地稽古をいただく。 少しふだんの形稽古、剣術、体術稽古の工夫を生かすように稽古。 すると「久しぶりの竹刀剣道稽古だが、思ったより動けるな」と自負したが、剣道としての基本に忠実にやっているつもりでも、やはり私のは少しズレてしまったらしく、様々な修正をいただいた。 しかし、生まれて初めて?父に「なかなか強くなった」とお褒めをいただき、少し恐縮。 地稽古中、、面のなかで、自分の荒い呼吸が消え、回りの竹刀や声も消え、無音の光景が広がり、全身が空気中に拡散してしまい、対する父の思念だけが感じられるようになった、不思議な一瞬があった。 先生方が、楽しみながら竹刀剣道をやられていることが少しわかった。 |
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