| 古剣記 2 |
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2012年 |
昨日、のんびり温泉につかっていると、ふだん考えないことも考えだす。 武の稽古で非日常を体感することが、日常世界の厚みとなるのでは。 というのは少し違っていたようだ。 以前、山田史生先生に「もともと武術には、日常も、非日常の区別もなく、連続しているのではいないか」と指摘され、あのときはまだわからなかったが、 いま、ハッと思った。 家伝剣術伝書がいう「この術は、昼夜、甲冑を手放せない時代に生まれた」という表現が、今までとは少し違った意味で感じられてきた。 それは単に、大変な日々だったよ…ということだけではない。 家伝剣術の「生々剣」「性妙剣」風波の伝の器具での稽古時には、その世界の心身をを、いや濃厚に生きることを、体感を通じて教えてくれるものが含まれていたのではないか。 つまり、どこにも気持ちを留めず、こだわらず、求めすぎることなく、あきらめてしまうことなく、選別することなく、迷うことなく、自他の区別もなく、いまこの瞬間と一体となっていく…。 たぶんその方が、周囲の状況に鋭敏でありながらもマイペースだという、融通無碍な心身になるのではないか。 例えば野生動物の生活、心身には、オン・オフの境目がない。あったらすぐさま天敵に食われるだろう。 かつては人間もそうだったのかもしれない。でもいつかそうではなくなった。 武の技も、己の心身に滞りがあるから、相手の技にからまってしまうのではないか。 実際に「生々剣」「性妙剣」の稽古時は、全く武術だという意識がなく、拡散し止まった時間内を歩んでいくだけだ。 そのときにいささかでも闘争心や意気込み、はからい、自他の区別が混じれば、技は確実に自滅し、簡単に叩き落されてしまう。 ならば、敵を倒そうとしたり、我を張ること自体、いや武という存在自体が、不自然で居着きを生む弱さであり、否定されるべきことなのだろうか。 でも野生は、そのままで己の凄さ、素晴らしさには永遠に気付けない。 それを失ったからこそ、改めてわかることがあるのではないか。 というのも負け惜しみか。 己の凄さに気付くこともなく、その必要もなく、それを完全一体となって存在していること自体の崇高さに、かなわないなあ。 無刀氏の指摘、手首と肩の連動で、中段からの斬りおろしが発生するのは面白いかもしれない。 家伝剣術伝書の説く、身体各部の「権衝」(バランス)の大事にも一致する。これは以前気付いた、小太刀のさばきと残心にもつながり、それが上方だったのが、下方になるだけか。 S先生と稽古した、甲野善紀先生の「投げ縄の術理」 相手の腕を握らない、特に親指を使わないということ。 術者本人は実感が無く、非常に頼りなく、これでは瞬時に逃げられてしまうよなあと不安だ。 だが逆に自分が受けてみると驚きだ。 慢心の力でガッチリ握られた方がなんとか脱出できるが、これだとフワッとさわられているようなのに、逃げようとすると、まるで濡れぞうきんがヒタヒタついてくるような、真綿でしだいに締められいくような、不思議な重さが発生し、逃げにくい。 これは、ある柔術の先生が言われていた「握ると支点ができてしまう」という教えも想起されるし、私にとっては家伝剣術の柄の握り「鶏卵の握り」の意味を、改めて認識し直すきっかけとなりそうだ。 ともかく昨日の家伝剣術小太刀「性妙剣」もそうだが、術者には全く手ごたえが無い方が、相手には確実に通じていくという状態があることを何度か体感させられた。 同じようなことは、中国拳法などで何度教えられても、額面通りしか読めず、すぐにわからなくなってしまうのだが、 改めて、すぐに実感を求めてしまう私自身の性分が、家伝剣術の気付きを遠ざけていることに気付かされ、アタマをかかえてしまった。 いったい何が本質的な稽古なのだろうか。 いまの私はその境目の感覚を浮遊しており、もどかしくてならない。 その境界はすぐ目の前、自分の身の内にあることは確かなのだが、 稽古しているつもりで、紙一重で、絶対的に隔絶されている全く異なる層へとはじかれてしまい、永遠にダメなことをやっている、という笑えない悲劇になりそうだ。 まずはここ数日は、昨日、S先生と無刀氏から気付きをいただいた、家伝剣術小太刀のさばきと体当たりが融合したような身法を手掛かりに、探究しようと思う。 古い武術は、競技スポーツのように特定の条件設定がなく、非常時という日常の延長上に使用することを想定しているので、暮らしのなかで工夫できるのがいいところだ。 それにしても毎週毎週、父は大会や会議の役員として招かれていく。本当はじっくり絵を描きたいのだろうに…。 大組織は本当に大変だ。大会だ。その準備ための会議だ。審判を選出するための会議と講習会だ、そのためにはまた会議だ… と、組織を運営・維持するためのエネルギーばかりが膨大となって、一番の大事な稽古そのものができなくなってしまう。 たとえ稽古をやろうとしても、いろいろ工夫しようとしても、その方法と正解を決めるためにまた会議を、許可を…。 昨日の稽古後、無刀氏と「我々が稽古している古い武術たちは、おそらく今後も誰も見向きもせず、いつ絶えるかわからないまま、ひとりひとりが個人で細々とやっていくことになろう」と、さびしく話していたが、 逆に考えると、だからこそ、稽古そのものに没頭できるのだ。「屁振ってもひとり」の自由と幸せをぞんぶんに活かさなくては。 その明かりは小さくとも、生き生きと新鮮に燃えていれば。 帯に小太刀の模擬刀一振り差して、稽古していたら面白くなってきた。 大太刀がなくとも、脇差一本あればかなりのことができたのではないか。 いろんな姿勢でも武器が邪魔にならず、身体が自由で、まさに手の延長のように、左右どちらの手でも抜刀し、急に切り替えることもできる。 二本差しの武士でなくとも、往時の一本差しの者は手ごわかったに違いない。そして剣術と体術の間、小具足とはかなり恐ろしい術だったろう。 今日の修武堂稽古は、我が家の稽古場。 T氏にお付き合いいただき、皮小手に袋竹刀で、相手の構え、斬りごと潰すような、剣術の重い切り落としを様々に工夫。 そしてS先生にお相手いただき、家伝剣術小太刀「性妙剣」。 こちらの小太刀木刀の鍔がずれるほど大太刀で思いきり打ち落としていただくが、ときどき意外な現象となる。 やっているうちにこの素朴な形からは、なにか奇妙なことが発生することがわかった。だが、やっている本人は実感もない。 そのうち、己の手応えの無さに耐えられてなくなり、調和を自ら崩し、技自体がダメになっていく。 そして、大太刀による生々剣だが、S先生と無刀氏にお相手いただき、剣を捨てて素手のままでも何かの現象が発生することがわかった。 そしてお二人から、体術の立ち技、寝技の腕ひしぎ逆十字などの関節技からの逃げ方を教わる。 そしてS先生から、体幹を伴った重い突きをお教えいただき、家伝剣術小太刀の体当たりについて、大きく気付かされることがあった。 言われても気付けないような、ささやかな動きの違いで、技の威力が全く違ってしまう。 プロテクターを着用した無刀氏相手に、それを工夫する。 ふつうの歩みのままでいけば、こちらはあまり実感がなくとも、相手には大きな衝撃となるようだが、 少しでも体当たりしてやろうと思うと、相手に与える衝撃は減殺され、己へ帰ってくる反動も脳天へ響くという、全くダメなものとなってしまう。。 これは「性妙剣」にも関わろうが、己のほんの少しの意識の違いで、全く技の次元が決定的に全く変わってしまう。それがなんともできず、むずがゆくてしょうがない。 これでまた独り稽古の大きな課題をいただいた。今日の稽古をいただいた皆様に深く感謝した。 午後の士塾(もと「さむらい塾」)には、山田先生と米国人N氏、そして4名の小学生がおいでになられ、賑やかだった。 終わった後、大人の方だけで、基本中の基本「生々剣」を改めてじっくり何度もやったが、我ながら改めていろいろと気付かされる学びとなった。 「剣道をなぜやめた。もったいないよな」と心配してくれた先生がいた。 与えられたひとつの教科書内を、脇目も振らず歩いていたら、それは安心感と保証ががあったろうが、 私はどうしても、未知なる世界も知りたくなってしまう。 不安を抱えながら、とぼとぼ独り歩き続けている、この迷い道こそが、小さな私を鍛え、豊かにしてくれているのではないかな。そうでなくては絶対に気付けなかった喜びが多すぎる。 確かに木刀の柄を長めにあまして(または右拳を刃部までずらすほど)両拳をつけるように握って振ると、全くといっていいほど体感が変わる。 木刀の振りに体幹が寄り添って一致していくような感覚がある一方、身体は軽やかである。 しかしふと気づいた。 この持ち方は、林崎新夢想流居合の三尺三寸刀の長い柄や、鍔無し木刀ならばできるが、常寸刀や鍔が付いた木刀では困難ではないか。 つまり、なぜ刀には鍔が付いているのかということではないか。 それは拳の盾となるだけではなく、刀全体の重量バランス構造、それを活かした操法に無縁ではないだろう。と気づけば、また違った操法が出てくる。 一方、刀を柔らかく持つほど、いや手を開いてなるべく握りしめないように持つと、どうしても体全体をつかわざるをえなくなる。だからこそいいのかな。 とやっていたら翌日は、またまた稽古は停滞し、嫌になってしまった。 さて、新潟県の某先生から、かつて同地に伝承されていた「一波流兵法」(剣術か)の古伝書コピーをお送りいただいた。 門外漢にはその詳細はわからないが、林崎新夢想流居合にも似たトンボ絵が、わざわざ区別して印をつけている身体の部位が印象にのこった。 一般に丹田と呼ばれる部位か。いやそれよりも少し下方、腰部の中央部の表現が、四肢を束ねる小さなコアにも見えてくる。 なんだか気になって、マネしてみると、ふだんどうしても重さが感じられて不快だった部位が解消され、肉の重さがなくなり、総身が軽やか爽快になる。 総体のびやかであること。すなわち動くとき、地面が地を蹴らず、腕が胸を蹴らないように…、 とやっていくと、その手がかりのなさに不安が生じ、逆に身体のどこかによどみが生まれた。 ならば身体構造上、どうしてもバラバラにはできない腰のあたりをかすかな手がかりにする。 仕事中、廊下を普通に歩いていながら、立っていながら、世界に身体をのびやかに広げていく爽快感。 デスクに座って、動くとき、ものを取るとき、よどんでからのばしていくのではなく、迷わずためらわずのばしていく。そういえば家伝が例える「行雲」や「激流」は、確かにそのように動くものだなあ。 簡単な表現だが、これがいかに普段できていないか。私は迷いすぎで、ためらいすぎで、かえって不自然な生き方をしている、己を己で封じているのではないかと思ってきた。 はからわずに、もっと信じて、まかせていいのではないか。 実技でいえば生々剣や、頭を抑えられた正座からでも煙のように立ち上がる術、試し斬りでの刀法にもヒントがあったのではないか。 また、袋竹刀の大太刀で自由に打ち込んでくる相手に、我は小太刀で対するとき、やはり少しでもよどんだり、ためらいがあれば、簡単に打ち据えられてしまうものだ。(だからといって何も素早く動けということではない) 家伝の「一足三足 満月にいたる」ではないかな。 そのような心身操法(工藤忠筆の北辰堂扁額にある「至誠通天」とでも例えておこう)は、道場での稽古だけではなく、ふだんの暮らし、我が物事への取り組み方、つまり生き方そのものから根本的に転換していかなくては、技そのものも根本的な改善はないだろうことを確信してきた。 その稽古は、私の暮らしを人生を全く鮮やかにしてくれるだろう。 庭の三本の桜が満開。青い空に鯉のぼりも泳いでいる。 その下で、風姿花伝勉強会と真剣稽古。 今日はテキストを変えて、17世紀末の臨済宗僧侶、白隠による「夜船閑話」。 そこに記された「軟酥(なんそ)の法」を味読した。 「夜船閑話」は、不老の剣を見出していった幕末の剣豪白井亨が参考にしたことで有名だが、原文を読むのは初めてだ。 全身をまんべんなく滴り落ちるものが、足元からではなく頭頂から、しかも冷たいものではなく、暖かく薫りがいいものが、という表現が、絶妙な導引だと感じた。 滞らず、たおやかに流れ続けるような、生き生きとした全身へと活性化されていく気がする。 これが少し違うだけで全く違う身体となるだろう。 かつ、このような健康法があるということは、17世紀当時の人間でさえ、疲れると身体各部が詰まったり、居着いてしょうがない状態があったことの反証といえ、親しみを覚えた。 そして、それぞれの愛刀で試し斬り稽古。幼い息子も参加。今日は土壇切りも体験できた。 確かに真剣は危ない。しかし普通に稽古していればそれほど危ない気はせず、必要以上に怖がることはないのではないか。 むしろ料理用包丁の方がとても危ない気がする。それはたぶん私が料理ができないからだろうが。 終わって、焼肉パーティーとなった。 桜吹雪のなか、山田史生宗家による錦風流尺八を拝聴。そのうちみなさんが持参された三味線、ネプタの笛などが始まった。 なんと優雅な花見か。普通に剣をやっていては絶対に気付けない多くの視座を、みなさんのご縁からいただき、いろんな場面で救われてきた。 さて、一年前からずっと待望していた満開の桜は、出現するやいなや、散り去っていき、本当にそこにあったのかどうかさえ怪しい幻のようだ。 毎年それを惜しんで焦っていた自分のこっけいさに気付く。 「昨日は」でも「明日こそ」でもなく、「特別な場所」を選んだり、偉大な先生の教えに身をゆだねきるのではなく、 「いま」「ここ」こそ、私のすべてであり、そこに生ききっているか。 野生動物はそうだろう。いや私だって幼い頃、永遠のように濃厚な時間を堪能しきっていた頃の心身はそうだったはずだ。 今でも覚えている。それが中学生の頃からか、己の心身からしだいに抜けていき、昨日のこと、明日のことばかり気にして、いまの空虚感に焦るようになったことを。 ことに、インターネット、ツイッターなどで、刻一刻と情報が手に入る現代では、己が己の場と時を生きることは大変難しくなってきているのではないか。 つまり、道を歩きながら、目前の光景よりも、スマートフォンなどのタブレットに表示される、発信力の強い「他人のいま」に同化、影響され、己の「いま」「ここ」が空虚になってしまいがちだ。 と思えば、家伝剣術の歴史は、単なる先例の義務的遂行ではなく、 先師達の無数の「いま、ここ、こそすべて」の集合体なのではないか。 伝統文化、遺産は各種たくさんあるが、それらを守り伝え、保護していくために、たくさんのお金が動いているのだなあと驚嘆。 一方、そんな制度に頼る術を知らずに、代々私財をなげうち、細々と家伝をやってきた我が一族が、こっけいなゴマメの歯ぎしりに思えてきた。 例えば、いかに我が町が城下町だった、といっても、尚武は遠い昔のこと。 それよりも、いっとき外から呼んでくる薪能などの歌舞音曲に、高い観覧料が発生する世相となっている。 まあいい。誰にも頼らず自活しながら、自分たちの生きがいとしてやっているからこそいいのだ。だからこそ自由を得ているのではないか。 つまり、補助金、指定、肩書など、現代の「強力な延命装置」をつけてしまえば、やがて文化は、それなくては全く生きていけないという、脆弱かつ奇妙な存在になってしまう。 ささやかであろうとも、地に根をおろして自ら立ち続ければ、野の自由と生命力を得ることができる。 そのためには、よけいに大きくなろうとしてはいけない。 ほどよい状態のままで。 そういえば武は、もともと観客や他者の評価を要しない世界だった。 すなわち、敵と対する瞬間、発生する現象と一体になること。そこに己自身の成否が自ずと示される。 ともかく伝統文化そのものをそのまま堪能し、そこから生き生きとした「いま」を体認できる豊かさを喪失してしまえば、 「伝統だから素晴らしい」という盲目的な義務感だけの世界になってしまい、 「延命装置」が出現し、そうなれば決して長くはないだろう。 大学院の先生方との研究会で、日帰りで東京へ。 新宿の大雑踏をすり抜けながら、ふと、自分の内面の調和的リズム、時間感覚が、いかにずたずたで途切れがちであったのか。 そのことで、いかに己と周囲を狭めて苦しめていたか。そしてそのような心身は、武技上達を妨げるだけではなく、日々を生きること、目の前の世界の認識の有り方そのものに直結していることが、しみじみと省察されてきた。 もっと、ラクで豊かで強靭な拍子があるだろうに。 家伝剣術伝書が図示する「長き拍子」を体認するための稽古器具の重要性が想起された。 思えば現代社会は己の拍子をかき乱すものばかりだ。やったことはないが、便利なツイッターも、ひとつ間違えば、常に他人のリズムに同化、融合させられて、己自身のペースが無くなってしまうのではないか。 あたかも武でいう「先をとられている」状態になれば、それは己の心身ではない。 深夜、やっと帰宅するなり、気づいて木剣を振る。 先日、ご教示いただいた中国拳法の剣の握り。 両拳をつけ、柄をあます握り方は確かに有効だった。 だが、同じような構造を、我が身体で担えば、必ずしもそれでなくともいろんな使い方がありそうだ。 つまり、なぜ家伝剣術が、両肘を張るような構えをするのか、それでいて幕末の先祖たちの写真がまるで溶けてしまったかのようになで肩であるのか、 なぜ新陰流などが目付のひとつに峰・谷(両肘)を挙げたのか。 ということがつながってくるか。 すると「願立剣術物語」が「ただカイナばかり使うことぞ」は、この遣い方を少し違った視点からとらえているのではないかなどと。 まあ「必ずこうでなくてはならない」という握り方はなく、身体の状態と状況に応じて、自ずと変化して定まっていくのではないか。 とにかく、特段両拳をくっつけて構えるわけではないが、それでも剣の斬りと体さばきが一致して、斬り込みながらさばいていることもある。 自ずと剣の刃筋が立つし、斬りに速さと体重が載る。 今まで使っていなかった上半身の体幹部がむずがゆい。 この使い方では、重さ一キロをゆうに越える重い刃引き刀も、重さが苦にならず、斬り込む速さは、軽い木刀ともそれほど差異はなくなるようだ。 以上、これらのやはり脚部が突っ張らないことが大前提。 かつ、竹刀剣道のように斬りと踏み込み足を一致させることは、逆に居着きとなる場合もある。 このようにやっていると、ますます剣技が体術との境目が薄くなっていく。 前近代の剣技を稽古しながら、現代にも適用できる技も稽古できるのかと、思えば世界が広くなって面白い。 剣と柔のつながりを感じるためには、可動域が広く、便利すぎる手首をなるべく動かさないで剣を遣うことだけでもかなり効果があると思う。 これらの新しい気付きで、組太刀、竹刀稽古をやってみるのが非常に楽しみだ。 今日の修武堂稽古はなかなか面白かった。 先日の剣技での気付きを提案し、みなさんのいろんな視点から検証していただいた。 先日お教えいただいた中国拳法の剣の持ち方、遣い方が面白く、いろんなことで試してみた。 古伝の剣の握りの記述が想起されてきて、かつ林崎新夢想流居合の独特の斬り方でいままでどうしても違和感があった所作が、まるで霧が晴れるように、かなり面白く見えてきた。 とにかくなんだか、斬る前から太刀筋が、あらかじめレールのように敷かれて導かれているような気がする。 そのうち、片手遣いだっだらしい中世の太刀の操法、腕抜きの紐まで活用したという抜刀の理まで連想された。 と、S氏が道路工事仕事で先輩たちから教わったという、効果的で疲れないシャベルの持ち方、遣い方が似ていると指摘されたのは興味深い。 往時は、我々が忘れたいろんな剣の握り方、遣い方があったはずだ。 やはり道具は、実際に遣う場がなくなると「こうあるべきだ」と単一的、固定的な観念に拘束されてしまうのかもしれない。 一方で、達人や優れた流儀が出現すると、自らをなげうって、誰かの答えと「それのみ正解だ」として安心し、知らないうちにそれを規準として他を裁き、己と世界を狭めてしまう危険性も、私は持っている気がする。 他人の悟りに合わせようとしたり、目標を定めて途上にあることを焦ったりして、「いま」と己を空っぽにしたまま生きていくのではなく、我は我に与えられた我なりの悟りを。 さて、弘前藩の當田流剣術の歴史と現在について 雑誌『月刊 秘伝』最新5月号(http://www.bab.co.jp/hiden/)に掲載された。 正確な姿を知りたい方は、ぜひご覧ください。 上位部署への異動だから「栄転」なのかもしれないが、当人はのんきな自由さと創造の余地を大きく奪われたようで落胆甚だしい。 まるで細かい諸々の規則と数値が、網の目のように張り巡らされた洞窟だ。 先輩住人たちは、外からやってきた野蛮人の一挙手一投足を矯正する。 思えば、法令と儀式を遵守することが仕事であるのは、近世の城勤めの武士にも似ているか。 となると、どうりで混沌とした戦国末期の方が、開祖と呼ばれる人々が出現したはずだ。 人工的な拘束に満ちた環境のなか、己の生命力を枯らしてしまわないためにも、家伝剣術の稽古で心身を高めていくことがますます重要となるなあ。 さて、韓氏意拳の総帥、韓競辰老師が、光岡師範や鹿間師範らとともに弘前へおいでになられた。 分館のS氏とH氏のご尽力の賜物である。深く感謝いたします。 達人に直接触れ、目からうろこがおち、感嘆することが何度もあった。 剣術と剣道の狭間で模索してきたこと、家伝剣術古伝について私が誤読して稽古している部分、当たらずとも遠からずの部分など、いくつもの疑問が整理されるような気付きをいただき、ほのかな希望の灯りが灯される。 教えられなくては、見過ごしてしまうことがあるのかもしれないとも思った。 翌日は、老師御一行の三内丸山遺跡見学に同行させていただき、夜は我が北辰堂にご案内した。 道場内にある、祖父や父、それ以前の父祖達や先師達が使ってきた剣道具や近世の剣術道具、刃引き刀や木刀などをご覧いただく。 そのうち急に、韓老師による猛烈な御指導が始まって、一同はその剣技に圧倒された。 それが何かは全く説明できない。中国語がわからない私は、五感で感じ取ろうと木刀を持って立ちつくすだけだったが、なんとなくインストールされるものがあった。 老師から「最初見たときから比べて、動きが大きく向上された」との有り難いお言葉をいただいた。 一晩寝て翌日、なにげなく職場の渡り廊下を歩いているときなどに、ふと今までの模索稽古で、未消化だったいろんなパーツが、意外なかたちでくっつきだし「あれはこのことだったのか…!?」といろんな気づきがしみ出してくる。 剣と身法のつながりから、家伝剣術の奇妙な所作の必然性が想起される。さあもういちど根本から形を見つめ直そう。 そして竹刀剣道稽古で誰しもがよく体験する現象について、それに善悪はなく、貴重な学びであるのだが、もしかするとそのことが剣術技法から競技的な竹刀技法への歴史的変容のスイッチともなったのではないかということ。 さらにかつて「剣を持たない時代に、剣術をやる意味があるのか?」と疑い「剣は剣、体術は体術で別物である」としてきた自分の頑迷さが溶解していく。 明らかに剣は、体術の、身体の、腕の延長なのではないか 何よりここ一ヶ月ほど工夫して「これはどんなものか」と半信半疑だった剣の操法が、このまま捨てずに探求してみる価値があろうことにも気づかされた。 なんと私は恵まれている…などと、以上すべて我田引水である。 夜の懇親会でも出ていた話であったが、やはり近代において武、剣技の所作だけではなく、その土台となる認識、感覚自体がすり替わってしまったのではないか。それは日本だけではなく世界各地の状況と共通しているというお話もあった。 まるで、度があわないメガネをかけているかのように、伝統の稽古そのものが見えなくなっており、曲解したものを「古来からの正しい伝統」だと一生懸命こだわって世界を狭めている我々がいる。 そこからは、いまここに生きていくための理は生まれてこないだろう。 私は何者で、いまこの瞬間、いかに世界と向き合っているか。 私の剣はそれを学ぶためにあるのだなあ。 通勤電車で読んでいる、山田史生先生著『絶望しそうになったら道元を読め!』 (http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036690) 「第四章 「われ」を世界に押しつけない」、 ハッと何か響いた。 言葉にうまく表現できないが、急激な変化を目前に少々緊張していた、ここ数日の心身の居着き、重さがふっと溶解して、ラクになり、余裕を持って目前の事象に対することができるような感覚が生まれてくる。 そして、いままでの自分のかたくなな、剣の稽古観まで揺さぶられる思いがした。 なんとつまらぬことをやっていたか…。 それでは大事なことに気づかない、もっと稽古は、世界は…。 ということを、理屈だけでなく、五感と全身で感得できるのが武ではないか。 なかでも形稽古は、誰しもがその法則を体認できるツールではないか。 月刊誌『剣道日本』特集「足は自由だ!」掲載の座談会http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=2789) 高名なお二人の先生のお導きで、わが身のほども知らず、かなり自由勝手なお話をさせていただいた。 伝統的な内容の剣道雑誌としては、かなり画期的な特集であり、編集部の挑戦に大きな拍手を送りたい。 共感してもらえる方もいれば、反対に、編集部コメントのように「古流の話だから自分には関係がない」とか「正しい剣道には関係ないこと」と、黙殺される方々も少なくないだろう。 それでも歴史的事実は事実として、ペンディングしておきたい。まあ「このようなやり方もあるのか」という例として、少しだけご高覧ください。 さて、小学生の息子と「遊び」だと称して、袋竹刀で自由に楽しく打ち合い、組打ちもする稽古の後、ふと刀に持ち替え、居合稽古にしたら…。 そういえば当流剣術では、自分で持って少し軽いくらいの剣を使えという。 宮本武蔵の流儀では、まるでカヤの棒のような細い木刀を「重く」遣うらしい。 確かに、軽い木刀での稽古は、感覚も身体も研ぎ澄まされて、いろんな気付きがあり、楽しい。 しかし、実際に打ち合って折れない堅牢さを備えた刀になると、構造上どうしても重くなる。 それを操るためには、と思って少々重い刀で稽古すると、それはそれで呼び覚まされる身体の部位、身体全体の操法があるような気がする。 さあ、新しい異動先が決まり、七年間なじんだ多くの人や場に別れを告げねばならなくなった。少々慌てている自分がいる。 そうだった。剣の攻防において、そこに心を身体を留めてはいけないことを、稽古で身につまされて学ばされているではないか。 上司からは「新しい職場で最初から飛ばしていくな。まずはローギアから」と励ましてくれた上司が「ゆっくり急げ」といったアドバイスに、家伝剣術の拍子、調子を連想してしまった。 古い剣術で学ぶことは、現代の暮らしの折々でも…。 刀鍛冶が打った刃引き。 重さは一キロを越えるが、腕力ではなく、全身を遣って振ればそれほど不便はない。 一組そろえれば、家伝剣術の組太刀稽古ができる。 剣術を伝える身として探究すべきは、もともと稽古の代用品であった竹刀の操法に習熟することではなく、そのオリジンである刀の操法だ。 実際に竹刀稽古ばかりでは、家伝剣術の形が求める所作や動きのすべては理解できない。 だが、ときおり刀を使うことで、その道具としての機能的特性から、形の所作が示すものが体認されてくることが多いのだ。 さて、模擬刀を「刃引き」だと混同して「日本剣道形を刃引きで稽古した」と、刃部同士ぶつけてボロボロにしている例があるという。 それはおそらく、日本刀特有の構造である鎬や棟を状況に応じて遣うことなく、棒状の竹刀の感覚でガンガン打ち合い、無用に刀を壊している例が多いのではないか。 といっても、その稽古は危険が伴うし、誰しもが刃引きを入手できるものでもない。 とすれば、木刀という稽古道具の特性が改めて思われてきた。 竹刀より強固で、刀ほど危険ではない。だから存分に打ち合うこともできる。 かつ刀に準じた構造をしているから、普段から刀の道具としての特性を体得していた往時の武士達にとっては、安全に刀法をそのまま活かせる、かなり優れた稽古道具だったのではないか。 ということは、剣道部だったころは全く気付かなかった。 おそらく、最近、真剣で稽古することが多くなるにつれて、 その感覚を木刀稽古にも投影できるようになってきたのかもしれない。 やはり実物そのものに触れる実体験こそではないか。 オリジンそのものに触れたことがなく、理屈や言葉だけで「刀法」なるもの、それに準じた有効打突を語っても、 技術はまるでUFO談義のように、空想のまま迷走し、異なるものになってしまう気がする。自動車教習所のシュミレーターと実際の自動車が、永遠に同じものにはならないように。 刀そのものが持つ機能的特性を活かすためには、自分がどう動けばいいのか、と刀に耳を澄まし、教えてもらう…。 その先に、なぜ、人殺しの道具であったはずの刀から、人を活かす理が導き出されたのか、自分なりに感じ取ることができれば幸いである。 実は、刀法だとか有効打突とは何かという、学びの機会は、講習会に通ったり、誰かの許可を得なくとも、 道具そのものを自分で触ったものならば、いつでもどこでも誰にでも開かれている。刀そのものに教えが内蔵されているのではないか。 そのようにして前近代の人々は、ひとりひとりがダイレクトに道具そのものから学んでいたのだと思う。 3・11発生以来、被災地でずっとボランティアを続けている教授がいる。 「モノはだいたい補充されてきたが、心はまだまだだ。震災を生き残ったのに変貌した生活のなかで悩み、自ら命を絶つ人が少なくない…」 ふとしたつぶやきに、絶句した。あまりに遠い復興を思えば、わたしたちの東北は、もしかすると古代のように「化外の地」へと戻っていくのではあるまいな…。 そうなると、「どう稽古すればいいのか」だけではなく、良いことも、悪いことも、仲間同士の喧嘩の仲裁さえも、地元で解決してはならず、必ず中央組織の裁定を受けなくては前へ進めない。 という話を聞くと、疑問を感じるようになってきた。 そのような習慣を心身に深く刷り込んでいくのは、生計をかせぐための日々の仕事だけでまぬがれたいなあ。 自主自立の戦国末期の武士たちが創造した文化を稽古しているはずなのに、と自分を恥じる。 前近代の武はどうだったのだろう。もちろん全国組織などないから、中央組織の判断を仰がず、個別の師弟でやっていたのではないか。 その理由として、明治以前は、藩ごとの自律性が高かったという。いまでいう地方分権のような感じか。 そして、藩を越えて結びつくような大勢力が出現するのを恐れた幕府が「一つの流儀は藩域を越えて支配力をもってはならない」とした、という説もあるだろう。 でも、それだけではないだろう。 一定の修行過程を終えた者は、流派から独立した師範となり、ときに自分で創流までしたのだから、同じ藩内でも各武士の自立性が高いのはなぜだろう。 最も大きな理由は、つまり武が、現実に直面する技術だったからではないか。 すなわち「競技」であれば、全員が同じフォーマットでなくては、試合という非日常空間が成立しない。だからそれを定める「中央」が必要不可欠である。 もちろん、そのフォーマットを全国クラスで切磋琢磨すれば、高い精度の技術が形成されるという良面がある。一方でそのフォーマットは、非日常における特定技術へと限定されていく現象も発生しよう。 だが武道。武術が「競技」ではなく、フォーマットがなんだかわからない、混沌とした現実に向き合うものとしたらどうだろう。つまり非日常と日常が連続しているのだ。 それぞれが個別の現実、危機に、たったひとりで直面、対峙し、その可否を己自身が受けざるをえない。 そのときに「私は○○に属している」「よって中央の認可を受けてから動く」 ということは、なんら役に立たない。中央制御ができないことになる。 現代社会における危機とは、往時の斬り合いとは全く異質であろうが、各個がいまここで即断、対峙しせざるをえない現実を生きている、ということにおいては、今もなお共通している。 多くを失ってしまったこの世界で、武ができることといえば、 己の心身という、最後のよすがを活性化して、 「認可された手続きを踏んだからこうなるはず、大丈夫だ。」という慢心を解除し、 現実世界の調和と響き合い、危機を、身体そのもので感じ取って、即応していくための智慧の練磨とはならないか。 家伝剣術稽古。 身辺に大きな変化があると、稽古の意欲も変わってくる。 いままで眼をつむっていた沼の底も、あえて探りはじめるものだ「いまやらねばいつやるのだ」と。 形は、そうなるべき動きを示唆しているが、打太刀はそこで居着きやすいところをあえて打ちこんできているな。 つまり、打太刀はスキを突いてくる敵でもあり、あえて我に切実な課題を突きつけてブレークスルーを迫る師匠でもある。 弟子はそれに即応して、心身すべてを駆使して、瞬時に解を出さなくてはならない。 そうでないと痛い目にあうぞ。 まるで動く禅問答だな。 ということは、やはり師匠である打太刀は、かつて同じ道を経てきた者なのだ。 だからこそ使太刀の課題を見抜き、示唆できるのだ。 以上、当たり前のことであろうが、改めて新鮮に感じられた。 さて最近、剣道をガンガン稽古している子どもに剣術を教えることがある。 なるほど先をとって動くことができるし、基礎体力もある。 一方で、激しく稽古してきた分、無意識まで刷り込まれた「正しい基本」のロックが固い。 例えば、どのしぐさでも「右足前つま先立ちの送り足」でやろうとしてしまい、剣術特有の多彩な動きが阻害されている。 そして、打つときに、どうしても最後にポンとスナップをつかって「打ちましたよ」という力んだいうしぐさが抜けない。 それらのことが、刀の機能そして、もともと彼が持っている「自然力」を自滅させていることを、なかなかうまく伝えられない。 私は愚かな師匠であり、逆に彼は私に何かを教えてくれているのだ。 誰かがいっていた。師匠は必ずしも完全でなくともいいと。 (どだい完全を求められれば私は一生、教えることができない。するとあまりに小さな我が法灯は、すぐに消えてしまうだろう。) 相手を学びの入り口まで案内し、いま自分がわかっていることを伝えればいい。 あとはあなた自身が泳ぎなさい。もしかすると私よりもうまく泳げるかもしれない、 とエールを送り、弟子がどんな花を咲かせていくのか、楽しみにしてじっと待つのだと。 それならば、不完全すぎる私でも教えることが許されようか。 稽古後、弘前市土手町、老舗の喫茶店「ひまわり」。 「武道とはなにか」いろんな議論があるが未だに明確な答えは出ていない。 (それでも義務教育に組み込むというのだから少々無謀な気もするのだが) 山田史生先生が、重要な視座を与えてくれた。 「もともと武術、武道とは「ピンチを想定して始まる」もので「どうしたらピンチに陥らずにすむか」を模索することではないか」 ハッと考えさせられた。 つまり、試合場に入ったら、稽古着を着たら、面を付けたら、礼をしたら、というスイッチとともに非日常世界へ入っていき、没我状態、鬼神となって、たとえ親しい友人、先生であっても区別なく、全力を尽くしてかかっていく…! 終わりのホイッスル、礼をしたら、再びスイッチを切り替えて、穏やかな平常へ戻ってくる…。 とやってきた私の感覚は、近現代スポーツとしての身心ではなかったか。 確かにそれで体得できる深い身心と世界もある。 だが思えば「昼夜、甲冑を手放せなかった戦国期の先人たちから生まれた」という家伝剣術伝書を読むと、父祖達の武は、日常と非日常の区別がなく、連続していたようだ。 常に身辺を整えておくこと、いかに危機を察知し回避していくか、もし最悪の状況に陥ったときは…という教えが連綿と書かれている。 (ことに震災で全く変貌してしまった我が国の現状も、そうなりつつある気もするが) 以下は以前にも考えたことだ。 特定の時代には、仕合の場と時刻を定めて、人前で妙技やスペクタクルを発揮する兵法者たちがいた。 その延長上にとらえた武は、競技の性格を帯びやすくなろう。 だが多くの武士たちは行住坐臥がその場であった。 日常に暮らしながら、人より先に危機の予兆、アラームを感知し、火が大きくなる前に消してしまうこと、それでも起こってしまった危機をいかに鎮めるか、という役目をする者たちだったのではないか。 そのような災厄の察知と回避、鎮めを行うためには、ふだんから緊張していればいいのではない。それでは居着きと疲れでセンサーが麻痺してしまう。 そうではなく、どのような状態が安定なのか、調和的状態なのか、自然であるのか、ふだんから感得しておくことではないか。 つまり、万物の調和的響き合いを、世界の美しさを、日常的に我が身で体認していること、またはそれと我が存在が一体化している心身こそが、最も武が発動、機能しやすい状態だったのではないか。 簡単に例えていえば、脱力しすぎず、力みすぎず、自転車を漕いでいるような。 よって稽古でも、気合いとガマンで己の心身に耳をふさいでいる方法では、世界にも目をつむっているような状態で、何も察知できないおではないか。 だからこそ、近世の父祖らが記す稽古方法は、己自身のクセを解消していき、身体各部の連携がとれ、技が熟する状態「自然力」を説いているのか。 そのような、クセをとりのぞいていく稽古は、他人との比較ばかりでは成りたたない。「お前より俺の方がクセがないぞ」と誇る競争など成立しない。だから己独りでの探究が必要不可欠となる。 ともかく、このような、敏感に危機を察知し、鎮めることができる心身は、もしかすると己ひとりから、周囲の環境や集団、そして社会全体へと拡張していくことができたのではないか。 とすれば、剣や武が神事とつながり、武士が政治を司るようになったことも不思議なことではない。 しかし武と美がつながるという推論が出てくるとは我ながら驚きである。 父はそれを知って絵描きをやっているのだろうか。 五輪書勉強会。「一 兵法の拍子の事」。 宮本武蔵は言う。歌舞音曲、各武芸、諸芸に拍子がある。 武士が出世したり、出世できなかったり、商売が栄えたり、衰えたりするのも拍子がある。 この「拍子」は、単純に「リズム」と英訳できない、日本人独特の身体感覚だ。 それでは「拍子」とは一体ぜんたい何なのだろう。 我が家伝剣術でも「拍子」や「調子」の鍛錬を説く。 例えば、近世の父祖達が記した伝書では「拍子」を体認するための器具が図示されている。 私は100円ショップの材料で再現して試している。 簡単に言えば、片手で水を入れたバケツを縦方向に回転させる。 「長き拍子」ならば水は落ちてこないが、悪しき「短き拍子」が混じるとすぐに水がこぼれてしまうのだという。 現代人ならば「それは遠心力でしょ」と解説するだろうが、父祖たちはその現象が発生する状態を「戦いで有効な拍子である」と体認した。 もうひとつエピソードがある。 数代前17世紀の父祖は、弘前藩士でありながら、江戸幕府老中松平定信に報告されるほど、剣の腕がかなり立った。 六、七名でかかっていっても、かすることもなかったというから、子孫である私の劣化は甚だしい。 その彼に「拍子とは何か、スキとは何か」尋ねた藩士がいた。 我が先祖は「両手に二本の火箸を持って、素早く畳を叩いてみなさい。私は扇を持って、そのなかを通してみせよう」といい、その通りにしてみせたのである。 「どうしてこんなことができるのか!?」と驚く同僚に先祖は、 「あなたの左右の手は、それぞれ動きに癖があり、それにつれてスキが生まれる。そこを通せば当たることはない」と説明したという。 そして伝書では、敵の動きに応じて動くことを「敵につかわれる」といって忌み、それに構わずに、ほどよきところへ一太刀打ちこむことこそ真の拍子だと記している。 つまりだ。武の先達たちが説く「拍子」とは「相手の呼吸を、リズムをはずしてやろう」などという戦術、相対的リズムではなく、己の内側の絶対的リズム、調和的状態なのではないか。 「拍子」とは、自他がなるべくしてなる、自然なあり方のことを言っているのではないか。 山田教授によると、曹洞宗開祖道元は悟りについて、自分を無くすると、世界の方からあるべき姿を教えてくれるという、主客未分の状態で説明したという(山田史生『絶望しそうになったら道元を読め!』光文社新書、2012年)。 自分を無くする、無意識のうちにやってしまっていること、我々人間にとってたくさんあり(例えば、歩くこと、話すこと、見ること、聞くこと、心臓を動かすこと…)、 それらの行為は「これからやるぞ!できるかな?」などと決意したり、可否を占ったりしなくともいつの間にかやっている、かなり安定している行為だ。 だからこそ、具体的にどのような行為であるか、特別に意識することすらしていない。武技もそこまで無意識化できれば、ものすごい達人になるのだろう。 そういえばある師範は、昭和期の達人(故人)のビデオを見て「まるで茶碗と箸でいつものようにご飯を食べているかのように、なにげなく自然である」と讃える。 よって、武蔵が「まず合う拍子を知って、違う拍子、食い違う拍子を知ることだ」というのも「自他のリズムを比べ、相手のリズムを乱せ」ということばかりではなく、 己が自然なありかたを体認していれば、世界のありかたと一致していれば、自ずと敵の不調和は見えてくる、という高いレベルにつながらないか。 武とはルール上の強弱を問うことではなく、世界をいかに認識し、つながるかということを、体感を通じて端的に学べる、なんと優れた修養方法なのだろう。
比較的安く手に入れた、黒づくめの甲冑(当世具足)は、現代の新物だ。 飾って、コスプレしてニヤニヤするためではなく、着用して、家伝剣術を実験稽古するために買ったのだ。 しかし現代物だからといってバカにできない。 なぜなら博物館の展示作業で、幕末の弘前藩主の高級な甲冑、および普通の藩士の甲冑などの実物を扱ったら、 装飾や細工は違っても、基本的な構造は同じであることがわかった。 しかも、それらを本物を扱うときにも、実際に新物を着用した経験が活きてくる。 着方の詳細、例えば甲と面頬の付け方、篠小手の付け方などは、近世の文献や現代の甲冑辞典などを見ても、細かい点がよくわからず、動くたびにずり落ちたが、 実際に着ていろいろ試行錯誤しているうちに、自分なりにいい着用のコツが自得されてきて、先日ようやくフィットする結び方を見つけた。 たぶん戦国期の人々も、いろいろ自分なりの着用のコツがあって 「これぞ正しい着方です」というようになったのは、現代の和服着付け教室のように、それが実用性を失った時代からではないか。 思えば現代の我々が「正しい洋服の着方とは?」などと考えずに毎日着ているように。 そしてときどき、実体験もないのに「甲冑を着たら体が重くてよく動けないものだ」と講義してしまう、歴史家、郷土史家がいる。 それは、胸を張って地面を蹴って進む現代ウォーキングで想像するからだ。 実際にはそうでもない。その人の身体の遣い方による。重さを活かして地を蹴らないように進めば、案外動けるものだ。 それに稽古でその甲冑姿に向き合うと、上手に身体各部を防護しているため、剣で斬り込むよりも、槍や長刀、長巻、または弓、鉄砲、または鎧通しを持って組打ちする方が効果的であろうことも、なんだか納得できる。 かつ、この甲冑の基本的構造を、かなり簡便にしていったものが、剣道防具であろうことも実感としてわかった。 さて、ニュースで童謡「ふるさと」を絶叫し「被災地のがれき処理は受け入れない」と騒いでいる人々の姿。 でも、世界のスポーツ大会で「侍ジャパン」と胸を張りたいならば「義をみてせざるは勇なきなり」ではないかな。 今日は広いスペースでのびのび稽古ができるから、ひとり愛刀(真剣)で家伝剣術の動きを工夫できた。 なぜか真剣で稽古していると、独り稽古でも、いろんな気付きが引きだされ、夢中になってアッという間に二時間は経過してしまう。 ふと我に返って、模擬刀に持ち替えたら、ほぼ同じ形状なのに、、なぜかとうてい刀には思えなくなり、単なるのっぺりとした鉄の棒にしか思えず、何もインスパイアされなくなるのはなぜだ。 その後、T氏にお付き合いいただき、互いに全身、甲冑(当世具足)を着て、家伝剣術や、林崎新夢想流居合、受け身、走ったり、いろんな実験稽古をした。今日はその二日目だ。 甲冑姿で、袋竹刀による自由に打ち合い稽古も試したが、 構えた瞬間、甲冑姿が全身各部をうまく防御していることがハッキリとわかり、ただひたすら甲冑の上を叩くばかりで、突き以外、いったいどこに斬り込めば効果的なのかわからない。 それではと、互いに刀に持ち替えて、家伝剣術の組太刀をやる。 するとしだいに、素肌で遣っていた剣術技を、対甲冑時にはどのように変化させて使えばいいのか、気付きが出てくる。 家伝剣術は充分に対甲冑に使える。このようにすれば鎧の隙間に剣が入っていけるか…。我ながらこんな遣い方が出るか…と面白かった。 間違って、違う太刀筋で斬り込んできたT氏の刀を、受け止め防いだ瞬間、 我が日本剣道用の少し厚みのある丈夫な模擬刀の刃部が、T氏の刃引き真剣に簡単に削り取られた。やはりモノが違う。 そして全身甲冑姿になると、あたかも濡れて重くなった衣服を着ているかのように、全身まんべんなく鎧の重さが乗ってくるのが実感される。 これでは、竹刀剣道用の爪立つ送り足や飛び込む足は使えない。 しかしだ、いくら鎧を着てるからといっても、相手の刀はかまわずいつものように速く襲ってくる。 だからこちらも平服時と変わらず、速く自在に動ける足遣い、身体技法を維持しなくてはならない。 とやはり宮本武蔵が「五輪書」で説く姿勢、歩法が、甲冑姿でもかなり効果的であると感じた。 そしてあまり身動きできない分、平服時よりも大きな構え方にならざるをえないのだが、そのことで気付かされる体幹の遣い方がありそうだ。 とやっていくと、身体の遣い方、有り様によっては、重い甲冑を着ていながら、身体の重さを感じなくなることがある。 このように、ふだん甲冑を着たり、脱いだり、しまったり、数時間着用しているだけでも、だんだん体がそれになじんでいき、その扱い方、言葉にできない着用のコツや感覚も喚起されていくような気がして、興味深い。 仕事で、土曜日の定例稽古に行けず、遅くまでひとり残業。 工事作業を監督する傍ら、神社史の難解な記録の検索にあたる。 古典籍は催眠効果が高く、必死に目を覚ますため、こっそり暗室で、子ども体験用備品「忍者刀(?)」を振ってみる。 陸上にいながら、ツルツルすべる雪上のスキーをやっているような身体を遣うということが、よくよくわかっていなかったが、今日はその有効性が、少し感得し始めたかな。 中心線を立てたままで、地を蹴らずに、真横へ移動すること。 そんなことドンくさい私にはとうてい無理だと思っていたが、 体幹の操作、左右の体幹の一瞬だけの不均等さ(かつ調和も同居したまま)で面白く再現できる。己のふだんの人体イメージ、固定観念を変えるだけか。 素手の方がやりやすく、得物を持つと固定観念が邪魔して、精度が低くなり、まだまだ工夫しないといけない。 それでもこれは当流の八字二刀や烏足などの技法を習得し、レベルアップするうえで、かなり役立ちそうだ。 翌日3月11日日曜日14時46分。 言われようと言われまいと、必ず黙祷しなくてはと決めていた。 一年前のあの日は金曜日だった。晴れた空から少し粉雪が舞っていて、余震が続く混乱のなか、路上を彷徨い歩いていた。 テレビで3.11一周年特別番組を見ていると、まるで昨日のことのように蘇ってくる。 あのときの教訓を忘れ、安穏とマヒしてきた私を震撼させてくれ。 一年前のちょうどそのとき、私は岩手県遠野市立博物館で、ジオラマ地形模型の可動ボタンを押した瞬間だった。 ジオラマより遥か地底奥底から、重低音の巨大な地鳴りが始まった。 まさかそれが日本全体、無数の人々の運命を鳴動させる東日本大震災であり、私自身、数日間、被災地を野良犬のように彷徨うことになるとは全く予想できなかった。 いまも残る、あまりに深い国家的ダメージが、夢まぼろしだったら…と思う。 悲劇を悲劇のままで終わらせず、そこからジャンプする啓示にするため、あのあといろんな人々がいろんな見解を述べてきた。 生活の根幹を喪失した、被災地の人々は、今も前例なき過酷な闘いのなかだ。 その言葉は、とつとつとして素朴だが、借り物ではない迫力に裏打ちされている。 スポーツ選手は「がんばれ」「あきらめなければ夢はかなう」と簡単に励ますが、闘いの大きさ、難易度が全く違う気がしてならないのは私だけか。 すなわち震災との闘いは、最初からルールや形式があり、解法を監督や先生が提示してくれて、その通りやると「はいこれで終わり」という明確なゴールが設定されている受験勉強や競技スポーツという、平常時の世界ではない。 与えられるままに、従前システム、サービス、アイテムの組み合わせ、アレンジ、その活用の巧みさを競うのではない。 今まで従前としてきたものを、生きることそのものの根幹を、もういちど最初からとらえ直さなくてはならない。手段も方法もゴールもない。すべてを自分自身で全く新たに創造しなおさなくてはならない。 という、まるで人類文明が何度も乗り越えてきたであろう、大転換期における崇高な歩みを、辿り直しているかのような姿に、 やがてこの悲劇と混迷を乗り越える、新しい人々、偉大な智慧、文明が熟成、創造されてくることを確信してやまない。 私もそれに学び、続きたい。 通期電車のなか、魚住孝至氏『宮本武蔵-日本人の道-』(ぺりかん社、2002年)をようやく読み終える。 多くの示唆に富む著作であった。以下は己の備忘録として。 「武公伝」による実際の武蔵の太刀遣いは「至極静にして、たとえば江口湯谷(えぐちゆや)などの仕舞を見るごとし」だったという。 これはおそらく横から見ればの光景であり、立ち向かえば、どうしても気配を察知することができず、とらえにくい動きであるうえに、接触しただけで大きく崩されてしまうような、各部が精妙に整体した状態の動きだったのではないか。「見えているはずなのにどうしても打たれてしまう」。 力まかせの強弱で、ブツブツ途切れ、フェイントで間に合わせようとする私のガサツな動きからは、遥かな世界である。 そこまで行けずとも、たとえば竹刀稽古だけでも「上手のすることはゆるゆると見へて間のぬけざるところなり」(五輪書「風の巻」)ぐらいは感得してみたいものだ。 そして、一刀流が、16世紀末の小野忠明の代に二十五本しかなかった切組が、17世紀前半の二代目忠常には五十本に増え、17世紀後半の三代忠於が百十三本に増やしてから伝授方式を確定したことを知り、マイナーで未だ切組本数が少ない家伝剣術の特性について考えさせられた。 武蔵の「兵道鏡」の「前八之位大事」では、初めに習い覚えるべきこととして「前八」があるというのも知らなかった。 それは、初心から太刀のくせや身なりをよくするため、まず身のひらきを覚えることを説いており、我が家伝とも似ていて面白い。 そこでは、飛んでも回っても、身なりはまっすぐに、しずかに、「しもはゆるぐとも、かものうごかざるやうに、たとへばそらより縄をおろし、つりさげたるものと心にあるべき也。此儀、一段面白たとへなり。」といい、まるでスキーのモーグルを連想した。 遥かなレベルに到達した宮本武蔵は、兵法の道を探究していけば、誰しも自分と同じところに至るはずだ、と説いている。 後世の者も、直なる道を言えば、必ずや自分が説いた道に従うことになるだろう。それは自慢ではなく、天に鑑みて道とはそうしたものなのだ、という(「五方之太刀道」)。 とすれば、武蔵が様々な伝書で説いている、武の、剣の基本的な足遣い (たとえば、つま先を浮かして踵を強く踏み、飛ぶ足を嫌い、常に歩むがごとし、右左、右左と踏み、方足踏むことあるべからず…など)にもう立ち返る必要があるのではないか。 それは、ここ100年の「正しい基本」より以前、遥かに長い時代にわたって、多くの流儀で使われてきた技法だったはずだ。 いくらそれを理屈で否定しようとしても、心ある人々は、もうすでに少しずつ気付いており、やがては大勢の人も戻っていくのではないか。 首都圏に住めば、有名な先生や選手といつも稽古できるのだろう。いい環境だなあ、と思っていたら。 先日、ある方のお話を伺うなかで、少々ショックだったことがあり、ときどき考えてしまう。 田舎にいてはわからない組織構造があるものだと、つくづく思った。 首都圏には、まず市町村の団体があり、その上に、区の団体、都の団体、と上部組織といくつも重なり、その上にようやくトップの全国組織があり、国家官僚が役員を務めることが多いという。 これが田舎ならば、自分が所属する市町村団体から、ダイレクトにトップの都道府県組織へつながり、両者の人的交流は密接で、重複している。それが当り前かと思っていた。 だが、我が県よりはるかに狭い面積の都内の方が、より多くの階層がひしめきあっており、上位と下位には明確な住み分けがあって、自由・活発な交流をする雰囲気でもないらしいことが伺われ「そんなに近所でどうして…」と本当に意外だった。 組織とはなんと複雑でやっかいなのか。長く前近代まで一対一の師資相承だったこの世界が、個々の人間が消えて大きなシステムへ…。とは、ノンキな田舎者の嘆息かもしれない。 それにしても、それほど盤石な組織構造があり、日本全国すみずみまで統括しており、それも国家官僚組織と連携しているとすれば…。わが地方にいては絶対に「もらいは少なく」不可能なことがあるのではないか。 この地方で、巨大組織の末端として「官位」を受けることを誇りとし、もともとここにあるものをないがしろにして、必死に中央の意向に沿うよう稽古を続けていくことは、武技でいえば、いつも先方に、先も調子も拍子もとられて、動かされているような状態にも感じられてきた。 そのような生き方が、本当に、自らを、いや父祖たちの、先人たちの、我が受け継いだこの土地の風土ゆえに育まれたものを活かすことになるのだろうか…。 マクドナルドのように「どこにもあるもの」「どこでもできること」はおまかせしよう。 だが、拙くとも、この土地だからこそできること、遠方にいかずとも、もともとここにあったものに感謝して熟成していく喜びを見つけていかなくては、 なぜここに生まれたのかわからず、己もふるさとも、ますます希釈され、無個性で交換可能な一パーツになってしまう…。 ささやかであろうとも、我はこの風土なりの剣を、みなさんに提供し、活かしてもらえるだけの内容に磨きあげられるだろうか…。 と悩む私は、身の程知らずの不遜なネズミだな。 二十代のころから、何度も巡る思いだ。 聞くところによると、カゴのなかで育ったマウスは、カゴを取り払っても、なかなかそこのエリアから出ようという発想がわかずにあたりをウロウロしているが、 一度そこから出ることを覚えてしまえば、二度とつかまらなくなる野性のネズミに戻っていくらしい。 深雪をかきわけ、かきわけ、庭の稽古場へと進軍する、父、妹、我と幼い息子。 途中、庭の小さな納屋が、雪の重さでつぶれていたのを発見し、一行は絶句…。 気を取り直し、雪に埋もれた稽古場をシャベルで発掘し、凍った板の間の上、皮足袋を履いて、家伝剣術稽古。 その後、剣道防具を着ける。久しぶりに剣道教士八段の父の指導で、息子は基本を、私は四段の妹と、様々な基本技、約束稽古、地稽古をやる。 本当に久しぶりの送り足、踏み込み足での剣道だ。 ふだんの剣術稽古のお陰か、身体がそれほど重くなく、固くならず、あまり苦なく飛び込み面が出る。 そのうち、妹に断って、歩み足剣道の地稽古をやってみた。 あまり習熟していない私でも、中心をとって構えているはずの妹に、表と裏を転換しながら、スルスル間合いを詰め、どこの間合いで打ってこられても応じ技が出やすい。 しかも、送り足を使う先方が居着いてしまうような深い間合い、つまり、もうすぐ鍔競り合いしかできない間合いとなって動きが止まっても、こちらはまだまだ動けるため、ラクに打てる。動きが止まらない感じがする。 そして、基本のつま先立つ足さばきより、遥かに疲れない。 おそらくこの技法は、高段者の方々が、若い弟子たちに稽古を付けるときに何気なくやられているのではないか。 たぶん往時の北辰堂の先達、岩田師範、佐藤師範が幼い私に稽古をつけてくれたときも。 何より合い面を打ち合うとき、妹は剣道の常識として相手の面の有効打突部位をとらえて打っていることが察知されたが、 そのルールを忘れた私は、いつもの剣術稽古通り、面を打ってくる相手の構えごと斬り割ろうと打っているのだから、ラクなのだ。 と思ったら、それは父がふだんの剣道地稽古ですでにやっているのだという。 (打突部位制限無しによる袋竹刀の打ち合い稽古をやると、相手をとらえる眼が変わってくるかもしれない。小手、面、胴、突き、という個々のブロックで把握するのではなく、相手の全身をより総体的に認識をしようとするため、父が発見した「絵描きの色彩の響き合いを見るように、遠目で相手に向かう」ということが、より実感されてくる) かつ、よくよく考えると、相手の妹は常寸の三尺八寸竹刀だが、竹刀を忘れた私は、小学生の息子の短い三尺竹刀で地稽古をしていたのだった。普通ならば間合いで不利なのだが、歩み足になるとそうではなくなるようだ。 もしかしたら刀の長さほど短いからこそ、間合いが詰まっても自在に動けたのかな。 近現代剣道は遠間から飛び込んで面を打つことを重視し、青少年の体育としては効果があるのだろうが、刀法からするとかなり危ういだろう。 例えば、魚住孝至氏の『宮本武蔵-日本人の道-』(ぺりかん社、2002年)によると、武蔵は、現在の剣道よりもかなり近い間合いで斬り合っていたという。 竹刀稽古は爽快だ。青少年期はこうやっていたのだったな。 でも私は、その爽快さで「これでいいのだ!」と立ち止まらずに、自らにひとつひとつの技を、動きの質を、問いただしていく稽古もしなくてはならない場に生まれ、生きていることを忘れてはならない。 以上、工夫は大変面白いが、昇段試験や試合では認められないかもしれない。 でも私が体認したいのはそれらのフォーマットではない。 今はほとんどの人が「非」として捨ててかえりみなくなった、もっと広く深い何かである。 今日は弘前大学と新日本教材社のご協力で、修武堂ナイフ鍛造体験会。 「刀はどうやって造られるのか」実体験から学ぶのである。 弘前藩刀匠家故二唐氏の弟子だったT氏はさすがにうまい。 私などはバカ力でハンマーを二本折ってしまい、叩きすぎでナイフが薄くなってしまっい、なかなかうまくいかなかった。 され、袋竹刀同士で自由に打ち合う地稽古。 その途中、ときどき互いの感想や推論を交換し「いまの現象はなんだろう」と、条件をつけてもう一度検証してみたり、古伝形の所作通りにやってみたり、木刀や模擬刀へ変えて検証してみたり… とやっていると、稽古が楽しくてアッという間に時間がたってしまう。 たぶん集団指導以前の、マンツーマンによる師資相承のころの武も、こうやって稽古されていたのではないか。 それは毎日決まったセットメニューを盲目的にこなすガマンの練習ではなく、 毎回、新しい探究と気付きに胸おどりながら、源流を、その先を拓く稽古である。 さて大太刀の相手に、小太刀の袋竹刀でかかっていくと、相変わらず簡単に打ちのめされてしまう。だが最近少しずつ何かが変わってきた。 「小太刀だから間合いで劣る。だから半身にしなくてはならない」ということは唯一ではないようだ。 最初は家伝剣術式に、向身になって、ある所作で全身の規矩を立てて構える。 打突制限なしの相手に、フェイントで飛びこむよりも、ある状態のまま、するする入っていった方が、なぜか打たれずに入っていける現象が発生するのだ。 今日はいつもより低い腰で、かつなるべく地を蹴らずに間合いを詰めてみる。 相手の制空権に入ったとき、いろんな現象が発生し、心身がちぐはぐになるが、いかに居着かず視野狭窄にならずに、のびやかで密度が濃い時間の住人となって変化へ対応していくか…。 それを工夫するには、相手より短い小太刀の方がいい感じもする。もちろん小太刀だから、相手の腕を抑え、つかむという体術、小具足のような技法も出現する。 今日はなるべく地を蹴らずに間合いを詰める途中、烏足で流れを急転換することを工夫してみた。 実際に使う烏足は、大仰な動作ではなく、本当にささやかなものかもしれない。 これは下田氏が研究されているスキー理論が参考になった。 スキーは、滑る雪上で、足をつかわずに、しかも中心線をゆがめずまっすぐ地に立てたままで、縦横無尽に進路を変えることが要求される。だからあれほど緻密な身体操作が拓かれるのだろう。 そのほか三名で工夫していると、形の外見上は、まるで時代劇かなにかのようで実現は無理かと思っていた、某古流剣術の小太刀の形や、本覚克己流柔術の太刀どりが、実現可能かと思われる気付きが出てきた。 特に後者は黒石よされの踊りにヒントがあるらしい。 夜、帰宅してから、みなさんの胸を借りて袋竹刀で自由に打ち合う地稽古。 T氏開発、甲野善紀先生ご推奨の袋竹刀「源悟刀」は素晴らしい。 防具無しで思いきり迎え突きをしてもケガしない。(でもマネしないように) 現在も進化中で、柄巻きをつけたり、やがては太刀反りもつけるらしい。 さて、わたしたちがやっている袋竹刀稽古に特にルールはない。 それぞれが普段工夫している剣技をいろいろ試し、お互いに打ち、打たれて失敗のなかから学ぶのだ。 私は家伝剣術の実験を。 剣道のような全身防具は使わない。薄い格闘技用マスクと、オープンフィンガーグローブだけ。 (小手なしで打ち合い稽古をすると、ときに拳同士が衝突したときに、手指をケガすることがある。それは幕末の弘前藩一刀流も経験済みで、シナイ稽古で拳を痛めるので細い手袋をつけていたという) 強固な防具で全身を覆うと、動きや技が阻害されるだけではない。 己の技が身体感覚が、小手・面・胴という定められた打突部位には敏感だか、他部位が鈍感になってしまうのだ。 素肌に近いほうが、袋竹刀がかすっただけでも、自分が打たれたことがハッキリと実感され、五感がするどくなるのである。 一点だけ。お互いになるべく、スナップ打ちやチャンバラに陥らないよう、剣術、居合、試し斬り稽古でやっている、刀の遣い方で打ち合うようにしている。 最初に「お願いします」と互いに礼をしたら、構えや技は自由、打突部位は無制限、もちろん歩み足、体術も可。 とにかく、竹刀剣道式の地稽古が唯一の「正しい」方式ではなく、さまざまあるうちのひとつの選択肢であったことが実感としてわかってくる。 もともと剣の理は、組織で制定、管理し、許可、発行されるものではなく、もっと大きく普遍的な存在で、世界の自然のそこかしこに、我々ひとりひとりの心身のなかに既に内包されており、それを己で発見するものだったのではないか。 哲学とは、文化とは、文明とは、そういうものではないか。 いくら激しく打ち合っても、憎しみを含んだ喧嘩をするばかりでは稽古にはならない。つぶし合いに陥れば憎しみが、彼我の身体を、信頼関係を、稽古していく場を壊し、今後の上達はのぞめなくなる。 (かつてそのような例を見たことがあるし、自分もその入り口に入りかけたことが何度かあった。一歩間違えば泥沼が口を開けているとは、なんと業が深い世界か) だから、いくら攻防が過熱しようとも、心身の底には静かに、己の技と心身を見つめ続け、稽古相手へのリスペクトを忘れない、もうひとりの自分を忘れずに。 個人的に私は、打たれたら素直に「参りました」と、スキを教えてくれた相手へ、心の内で礼をするようにしている。 疲れたら無理せず休む。そして小太刀の袋竹刀などに持ち替えて大太刀相手に、などと別の条件での試みをすることもある。(ちなみに昨日は小太刀の袋竹刀が途中で折れてしまい、使えなかった…。) 他にも袋竹刀稽古の利点は数知れない。 ○何万円もする高価な剣道道具一式を購入しなくても、安価な袋竹刀一本用意するだけでよく、リーズナブルかつ準備や持ち運びも簡単であること。 (よって学校体育での剣道授業に最適ではないか。) ○打突部位が無制限なので、技も無制限となり、古流や居合の技を対人稽古で自由に打ち合いながら試せる。 ○身体の自由度が高いので、対鑓や長刀、組み打ちなどの他武技も織り交ぜて稽古できる。 ○形稽古で木刀にかえて、少々かけひきを入れた約束組手のような稽古ができる。 相手と向き合っている時間は、日常とは全く異質な時空、非日常のハレが全身に感染する。 迷うこと、考えることが一瞬たりとも許されず、己の心身のどこをどう遣っているのかもわからず、濃厚で、過去も未来もなく、まるで時間が止まっている。 彼我が対立しているようでつながっているようで、その輪郭が現実世界のなかから浮きあがり…、ええ~い筆舌に尽くしがたい。 とにかく私は、生きていることを全身でびりびりと実感している状態が出現する!! よく「どうやって有効打突と判断するのか」という質問がある。なるほど。 だが、私はあえて審判や判定をつけないことにしている。 なぜならば、試し斬り稽古や組太刀稽古の経験、体認があれば、たとえ袋竹刀で打ち合っている最中でも、いまのは斬れたかどうか、刀法かどうかは、己自身が一番よく実感しているはずだ。それを審判の眼を気にするからおかしくなっていく。 審判は、近代の撃剣興行が、相撲行司をマネて始まったらしい。ジャッジや勝敗を第三者向けに明らかにしようという近代スポーツの視点を重視し始めると、技のアピール度を考え始めて、競技技術へと変質していく気がしてならない。竹刀剣道時代の私自身がそうだった。だからやらない。 かつ、現在の有効打突の規準が、日本刀の技法と一致しているかどうかはわからない。拙い稽古ではあるが試し斬りや剣術などからは少々疑問を感じるが…。 実際にそのような遣い方では対象物を斬れないことが多いからだ。もしかすると、竹刀独自の価値観で形成されている可能性はないだろうか。 そして打突部位の制限には、ひとつ問題点がある。 これは私自身が袋竹刀地稽古で身に沁みてほとほと痛感、反省し、嘆いていることだが、剣は身体のどこが接触しても危険だということを忘れてしまい、剣技だけではなく、、心身の感覚、敵を認識することも限定条件のなかで作り上げ、己の心身へ刷り込んでしまうことだ。 それ以外の部位に無頓着になり、見えないバカの壁が生まれてしまう。例えば昨日も途中で肩や二の腕を打たれても「一本ではない」と考えてしまい、堂々と中段の構えで相手の喉元に剣先をつけてしのいでいるのだ。竹刀剣道試合なら判定を逃れられようが、剣術ならば全くナンセンスであり命を落としているではないか。 という袋竹刀稽古。 翌日、雪下ろしに大汗をかきながら、屋根の上でふとひらめくことがいくつかあった。 昨日打ち合いのなかで、偶然発生した現象がフラッシュバックして「あれは家伝剣術形の気付かなかった側面を示唆しているのではないか」「あのときの対応のヒントはあの形に秘められているのではないか」などとと考え始めるのだ。楽しい。 全く竹刀稽古をせずに、形稽古だけで達人になる方もいる。確かに竹刀稽古だけでは、やがて安全で楽しい叩き合いゲームになってしまう恐れも大きい。 しかし無能の私にとっては、形や独り稽古で立てた推論を、他人との千変万化の関係のなかに投じてみて、こけつまろびつ、独りでは気付けなかった慮外の失敗を繰り返すなかから、新たな課題を気付かされていく、という愚者の方法も大事だと考える。 亡き祖父が、幼い頃は家伝剣術の形稽古よりも、竹刀稽古が面白かったと言っていたことが思い出されてくる。しみじみなるほどなあ。 と、雪解けで滑りはじめた屋根の上、 うっかり両脚が音もなく急にツルッと滑り、屋根からドッと落ちること二回。 豪雪と本覚克己流柔術稽古のお陰だ。受け身をとって全くケガはなかったが、 滑り落ちるとき、全く気配なく、あらがう余地なく、全く手ごたえなく、巨大な目に見えない流れにのせられたようで、達人に投げられている感覚はこんな感じかなと、喜ぶ変わり者かな。 「近現代の剣道が、伝統主義、権威主義に落ちることを脱し、開かれた民主的な競技として発展するためには、 「打突=日本刀による「斬る」動作」という固定的観念を解消し、戦時下の忌まわしい技法から抜け出すべきである。」 という意見は、かなり前から有志によって提出されてきた。最初はなるほどと思った。 だが最近、自分の剣術の稽古をしていると「斬る動作=忌まわしい」という考え方は、実際の刀を使った経験がない、または「斬る」という身体技法そのものの質的構造を体認しないままに発想した観念論ではないかと思うようになった。 刃物は闇の部分だけではない、人間が文明を創造するうえでの利器でもあった。 刃物は「打突」つまり点の連続を要求しない。流れる線でこそ特性を発揮する。 だから人間が刃物を活かすためには、野生動物のように殴りつけるだけのがさつな動作ではなく、居着かず途切れずに流れ続けるという、よくよく練られた身体技法が要求されるのだ。 自ずとその背後には、同じく居着かない心が導かれていく。 それは体術でも同じらしい。 例えばパンチ、突きは、私のような初心者では、拳の衝突予想ポイントで最大の威力を発揮するように打つ。よってそこまでの途中の過程、突き終わった後はあまり威力が無いことになる。 もともと、敵も我も、意思を持ち、戦術を駆使し、相手の響きで常に変化しあっている。だから、どこで彼我が衝突するか、闘いの一瞬で正確に予想することは不可能に近い。人智を越えているしコンピューターでも無理だろう。 となると、予想を裏切られた突きは、中途半端な威力、武技にならざるをえない。 その点、刃を持つ刀は常に流れて留まらない。どこで衝突しても触れても、たとえ静止していても威力を持つ。 現在の武道では物打ち部分だけを重視するが、それならばそこだけに刃がついていればいいはずだ。しかし実際の刀は、切っ先から根元まで刃がついている。それはどこで衝突してもいいようにしているからではないか、というのが私の勝手な推測だ。 (例えば、魚住孝至氏の『宮本武蔵-日本人の道-』(ぺりかん社、2002年)によると、20代後半の武蔵は、養父の当理流の教え「太刀合を積もる事」(刀の切っ先五寸ばかりを過去、物打ちを現在、当たるところを未来という)を守っていたが、五十代の円熟期になるとそれを提示しなくなっているという。なかなか示唆に富む話ではないか) だから体術もより高度な教え、とくに中国拳法などになると、敵とどこで触れても威力があるようになるため、己の身体、技を、まるで刃物や刀のような機能、状態になることをを目指して功を積むらしい。 つまり「人を倒すだけの剣術に比べて、竹刀剣道は彼我が協奏的に技を成立、活性化させるという活人剣的な特性があるから素晴らしいのだ」という指摘があったが、 それはもともと剣術に由来する特性であって、そのときに同時に、斬るという刀の特性を引きだすための技法も駆使することは、より精妙な己の心身と彼我の関係を構築することになるのではないか。 つまり戦後ずっと解明されてこなかった「なぜ刀法を稽古すると人間形成につながるのか、その明らかな構造が不明である」という議題を実技そのものから考えていくヒントにはならないか。 以上、刀を使って実際に稽古することなく、机上の観念論に陥れば、大きなものを見失う気がしてならない。 武とは何か。 それを定義できるだけの力量が私にはないが、その条件のひとつに「混沌とした現実に向き合うこと」があるのではないか。 一方、複雑怪奇な現実とは一線を画し、わかりやすく整備された環境で行われ、それが無くては成立できないのが競技ではないか。 数百万円かけて道場の床を直すことに決まり、みんなから集金となった。 私から見ればこの床は、先輩達の血と涙と汗が沁み込んだ歴史的遺産であり、そのうえで稽古できることが大好きだ。まだまだ使えると思っていた。 「少しゆがんでいる、傷が増えた。ケガの危険性がある」と指摘されても、どこがどう悪いのかわからない。 なぜならば、これほど平らで滑らかな地面など自然界にはどこにもなく、当たり前ではなく特異な状況なのである。 だからこれでしか動けないとしたり、ケガしてしまうならば、とうてい現実世界で生きていけない。ましてや災害が打ち続く現代においては。 床ばかり気にするが、床だけあれば道場なのではない。それより補修すべきは古くなって錆びてきる水回り、便所、朽ちてきた屋根、塀などいくらでもあろうに。 この業界が、板の間と同じく、惜しみ無く投資し、厳しく管理してやまないものに、竹刀、防具がある。 平らな床、竹刀、防具という環境ゆえに、成立、発展してきたた技術体系だから仕方がない。それでこそ熟す技術もあろうし、それはそれでいい。 だが、もし「武である」と名乗るならば「これがないとできない」というのはいかがなものか。例えばかかってきた相手に「道場でやろう」「防具を着けるまで待て」とは…。 限定された技術と、開いている技術では、どちらが我々が生きているこの広大な現実世界とつながり、語ることができるのだろうか。 例えば、3.11の被災地から歩いて帰ってきた私の歩みは、剣道で習った板の間上用の足遣いではなく、環境を選ばない家伝剣術の歩法だからこそだった。 かつ、これから安定した環境ばかりではなくなるだろう我が国で、常に整備された道場環境が手に入るとは限らない。 特定の環境や道具ばかりに頼っていては、自ら世界をせばめてしまい、普及どころか稽古の存続すら難しく、やがては誰もできなくなってしまう。どんな環境だろうと、いろいろ稽古できるセンス、バイタリティさが必要不可欠か。 私は幸いにも、平らな床も、竹刀も、防具も無くとも、それなりに稽古を楽しめるようになれた。 室内だろうと山野だろうと、無手またはそのへんのありあわせのもので、自分の動きの質を改善していく、新しい発見をしていく稽古の喜びを得られるようになりつつある。 そしてその推論を、仲間との対人稽古に落として試してみる。そしてまた工夫…を繰り返す。 徳島調査のホテルでは、部屋で靴べらを剣に見立て、自分自身のいたらなさ、まずさと向き合い、あれこれ工夫していたら、いくらでも課題は湧いてきて、ひとり楽しめた。 遥かな道を、独特の道を、選んだと。行くのだと。 なぜか毎年2月11日建国記念日前後は、何か変化がある。 10日。武術・武道系の全国誌取材が来られ、地元の古流の先生方をご紹介。実技撮影で、私は柔術のやられ役を務めた。 翌11日の取材は、修武堂各位にお願いして、単身、剣道全国誌の取材依頼で上京。なんと春のように暖かい東京よ! 歩み足剣道の打味一範先生、並足剣道の木寺英史先生とお会いし、対談と実技撮影があった。 最初は「私の拙い技量では…」と迷ったが、剣術と剣道の狭間で迷う者がいる実例紹介になろうし、何より私自身の貴重な学びになると。 本でしか見たことがなかったお二人の高名な師範は、本当に柔和で、ひとめで聡明な達人であられることが直感され、私は恐縮した。 私のような田舎剣士をお引き立ていただいたお二人と編集部に、深く感謝申し上げます。 都内某所の地下道場で撮影。 とことん恥をかこうと、おふたりの先生に家伝剣術「生々剣」と表三本目の斜の構え。小太刀表二本目のさばきをご紹介する。 袋竹刀で、打味先生の歩み足剣道を体感。まっすぐ構えた中段の構えに対して、左右に細かくかわしながら、ぶつからずにスルスルと入ってこられた瞬間、その精妙さにアッと驚き、大きな示唆をいただいた。 昼食と夜の酒席をご一緒させていただきながら、お二人の貴重なお話に感銘するばかりで、とても素晴らしい一日をいただいた。各位に御礼申し上げます。 翌日は、数年来念願だった、I流Y先生のところへ。 昔、御尊父から古流剣術を習ったというY氏は、長じてから各古流や西洋剣術などと交換試合をされてきた猛者だ。 その御流儀は、我が家伝流儀との類似点がいくつかある。 よって私は、我が流儀の津軽伝播以前の姿に関わる先輩流儀ではないかと推測し、今回はまるで三百年前へタイムスリップできると期待で胸が膨らんだ。 直接お会いし、いろいろ御教示を受けた。お約束だから詳細は胸中に秘めるが、鋭く厳しい技を拝見し、大きな示唆に感激しながら帰路についた。 以上、いろいろな剣の探究があることを改めて教えられ、私にとって大きな転換期となりそうな濃厚な三日間だった。 緊張感から解放されたのか、帰りの新幹線では急激に腹が減り、食欲が湧いた。 帰宅して本当に不思議なことは「こうでなくてはならない…!」「もう時間がない…!」といった、十数年以来の心中の焦り、強迫観念が、いつの間にか溶解したことだ。 だからといってヤル気が失せたわけではなく、家伝剣術への稽古意欲が、以前より確かで安定した地下水脈のように、さらに深いところからこんこんと湧きだし始めた気がしてならない。そこに不安定な焦りはない。 生来、私に与えられてしまった、やっかいな課題は、もしかするとそれは私自身でしか解けない課題なのではないか。ささやかでも必要な我が係分担なのだ。 私の剣がいったい何者であろうとどうでもいい。 つまり、結果として私自身が組織に属してこなかったことは、いいことなのかもしれない。賞賛も承認もないが、しがらみや拘束とは無縁に、思いのまま失敗ができる。〆切も強制もない。 歩みは遅くとも、己自身が本当に腑に落ちて安心立命をえるまで、一生この道を愉しんでいこう。 明日からフィールドワーク調査で、四国の徳島市山間部へ。また、何に気付かされるだろうか。 (追記) これらの取材は『月刊秘伝』(http://www.bab.co.jp/hiden/index.html)3月号、および3月末発売予定の『剣道日本』(http://www.skijournal.co.jp/kendo/)に掲載されるかもしれません(?)。ご高覧ください。 今日は今年4、5度目の屋根の雪下ろし。こんな年はほとんどなかった。 次の屋根へよじのぼるため、大きなハシゴとスコップ等を引きずりながら庭の雪原を移動する。まるで泥田を這うようなキツさだ。 雪はかたづけても、かだづけても元通りに積もってします。まるで海の水をかいているような人力の限界を感じてきた。とうとう新しいスノーダンプも曲がりはじめた。 かつ日がさして、少し解けはじめた雪だから危険だ。滑りやすく滑落しやすい。 雪を下ろし終わった後の濡れたトタン屋根の上。少しでも踏みしめれば屋根下へすべり落ちる。背筋が凍る思いで必死に浮身をかけるいい稽古に。一回だけどうしようもなくなって自ら雪ヤブへ飛びおりた。 調子にのって、屋根から屋根へ飛び移りながら降りていくと、いきなり足元全体が動いた感覚がした。 「まずい!!止まるな!」と感じてそのまま走りだした。案の定、最後に足を置いた屋根全体の雪が、数メートルの巨大な一枚岩盤となって、雪崩をうって後ろから追いかけてきた。逃げ切った。 それを見ていた家人によると、まるでアクション映画のような大仕掛けで、もう少しで生き埋めになるところだったという。 クタクタになったが、夕方は青森県武道館柔道場で稽古。 大小二刀を差したままの受け身を工夫していると、無刀氏がやってきた。 雑誌取材前にもう一度、本覚克己流和(柔術)のおさらい。 といいながら、今日は無刀氏による新しい気付きがあった。 柔術も剣術と同様、中心をとられるとなかなか対抗しにくい。例えばこの柔術では、相手に胸をとられて中心を制せられると、なかなか入り身で入っていけず、身体を左右に割る、身体をゆさぶりながら…などいろんな模索をしてきた。 だが前足の開き具合で、相手につかまれてとられた中心を、すんなりと解除して入っていけることが判明した。有名な鹿島神流國井善弥師範が説いたという、ソの字立ちの意義が想起される。 そして、相手の動きを引きだして、ガッシリ掴まれる前に後の先で対応し、ぶつからずに投げる、などという遣い方が出てきて、まるで体術をやりながら剣技と似ているな、と思い始める。 そして次の形を工夫してていると、いつの間にか相撲のような稽古になってきた。キツイ。 なんだか一日中、身体を駆使していると、アタマや理屈がすっかり溶解して、感覚優先の世界に生きている自分がいた。 特に、庭の稽古場の屋根雪下ろし中、キツイのにランニングハイのようになり、自動的に動きながら、全く関係ない日常のいろんなアイディアが湧いてきて、思索している自分に驚いた。 このような肉体労働を毎日していると、理屈中心の事務方と話が通じない、という現象は、確実にありうるな。 今週末は、二つの武道・武術雑誌の取材依頼がたまたまダブルブッキング。一方は東京で、片方は地元で。どうする…? おそらくネタ不足だから、このような地方にまでおいでになるだろう。わたしひとりではとうてい足りないので修武堂の各位にもご協力いただきかないと。 まずは自分の稽古。 みんなを待っているとき、帯刀し、抜刀しながら、メチャクチャに剣道場を走っていた。現代の我々がよく見る居合は、静かだが、往時はそんな状況が許される場ばかりではなかったろう。 サッカーのドリブルやラグビーのように、ランダムに駆け回りながら、抜刀し、刀を斬るという稽古も面白く、いろんな気付きがありそうだ。 脚部が体幹からはみださず、かつ体をねじらず…などとやれば、いろいろ動いても、案外全身のまとまりがついて、バラバラにならずに、変化が続くような。 調子に乗ってやっていたら、抜刀してすかさず後方に突きを入れる所作で、己の股の付け根あたりを突き刺し袴が破れる…。 よかった袴のお陰で無傷だった。 総合格闘技・柔術のマッチョマンクラブの稽古場をお借りして、無刀氏に大太刀の袋竹刀を遣ってもらい、我は小太刀でかかっていく軽い地稽古を。 竹刀剣道風の小さく細かく速い打ちをやられると、なかなか入っていけない。突きの連続攻撃、かつ打ちの途中で軌道を変えて打ってくる。 だんだんスポーツチャンバラ風になってしまった。相打ちが多く、これでは双方無事ではいられない。課題は多いなあ。でも小太刀のさばきはこのような稽古でもいきそうだ、などとやっていると小太刀の袋竹刀が折れてしまった。 その後、木刀や模擬刀に持ち替えながら、家伝剣術形をいろいろ実験する。 棒状の袋竹刀とは異なって、反りのある板状の刀、それを活かすには。 模擬刀でも切っ先は刺さるから、正面同士の争いがいかに危ういかとピリピリと感じられる。 だから相手と正面を合わせながら、斬り込みつつ半身に入っていく、という家伝剣術斜の構えによる「行雲」をやっていた。 青眼に構えた無刀氏の模擬刀を、我が斜の構えから木刀を振りだして払いつつ、入り身に入って袈裟に斬り込んだところ、「あれっ…!?」という皆さんの声。 払った瞬間、相手が構えている模擬刀が、物打ちあたりから折れて、飛んでいった。 首をうなだれる。それほど力を入れたわけではなかったはずだぞ…。今日はなんと道具を壊す日だ。もったいなや、もったいなや…。 いい経験だ。模擬刀とはいえどもやはり刀は横から叩かれると折れやいことを目の当たりにできた。 そのとき我は木刀ではあったが、打ちこむときに刀身が回転し、相手の刀に峰で衝突することの効果。また斜の構えから刀の振りだしと体幹が一致することの威力…。 NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたか」第一回「旅はアフリカからはじまった」(http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html)を見た。 遺伝子ではたった1パーセントしか違わないサルとヒト。 ではなぜヒトはこれほど地球全域へと勢力を拡大できたのか。 生態実験によると、サルは他者から頼まれないと助けないが、ヒトは頼まれなくとも感じておせっかいを焼くらしい。 相互扶助でヒトは勢力拡大を可能とした…というのであるが。 つまり我田引水によると、サル同士の関係は常に遅れた「後出し」であるが、ヒトは彼我の状態を事前に感知し「後の先」で積極的に関係を構築していける。 ヒトは協奏的に、己ひとりではできない新たな関係、創造を生み出していくとことかな。 武術でいえば…。 サルの「後出し」は単なるモグラ叩きにすぎない、見たら叩く、叩かれてから反応する…、それでは命がなんぼあっても足りない。 しかしヒトの方法はまるで熟練者の技である。 もしかすれば武も、ヒトであるがゆえに、生み出すことができた文化なのではないか。 一方で、相手の反応を感知する能力を持つ人間だからこそ、違うことをするのは大変だ。とくに狭い小さな集団、地方ほど、その同調圧力が濃い。 なぜ私に「異端」を歩く役割が与えられのか。たぶんそのことは善悪や損得を越えている。 違うことをしている私にも、それを批判する方にもそれぞれ背景があり、この大きな世界のなかではそれぞれ何らかの役割をもって連携している。互いから気付かされ学び合うチャンスを造り出しているのではないか。 だから、与えられた役割を粛々と務めていこう。 青森県内は記録的な大雪。 すべての交通機関がまひし、毎日の通勤も不可能となり、全く予定はたたず、イライラするばかり。 でも巨大な大自然の前にはどうにもならない。人間の思考で設計した諸々の機械や、社会のしくみが、いかに非力か、つくづく体感させられている。 思えば、我々が構築しているものの多くは、土台である大自然が穏やかなときしか通用しないのかもしれない。 畏怖しながら、我が小さな力でやれることをやり、ひたすら待つしかない。 それでもときには、生死に関わり、切羽つまって待てないときもある。 そんなときは、生身の心身を駆使しながら、とっさの判断力、主体性、五感、洞察力、臨機応変さ、バイタリティ、他人との協調力など、ホモサピエンスとしての生存能力が試される。 思えば、私の心身そのものは、この荒ぶる自然の一部であり、その偉大な働き、仕組みにつながっている存在だ。 だからか。我々の心身は、すべて己の思考通りには動かない。ときどき意外なことをやってしまう。 妙案がひらめいたり、ド忘れしたり、喜怒哀楽をし、ナイスプレーもあれば風邪もひく。酔っ払ってどうやって歩いて帰ってきたかわからずとも帰宅している…等々。生き死にだってそうだ。 よって稽古で「こう動くのが正しい」なとど、自分が理解できる範囲内だけで思い込んでしまえば、生来の自然の精妙さを狭め、殺してしまうのではないかいな。 だからといって、野放図にしてもいけない。ただただ快感にまかせたり、己のクセにまかせるままでは、そのうちいびつになって瓦解する。 生来の自然の不可思議さと、実践的経験を踏まえた人の思考が、邪魔し合うことなく、、心身のうちで調和的に働くことで、想定を越えた妙技が発現する状態を、武の先人たちは「事理一致」といったのか。 さてさて、私は何のために剣をやっているのだろうか。 家伝への義務感だけでは続かない。 だからといって試合のため、昇段のためにはならない。資格取得、就職、お金儲けのためなどの現世利益には全くならないことは明白だ。 そして「剣の強さ」を求めても、この現代では非力である。 そうではなく、強いていえば、ただ「できるようになるため」。 そのことで「目の前の日常世界の感じ方、見え方が一変する」その喜びが体感できるから、批判されても飽きずにやっている。 青森県内は記録的な大雪。車を運転中、猛吹雪で何度も視界ゼロになり戦慄。まさしく「フォースを使え…!!」 あちこちで交通機関のトラブルが多発。横浜町でも視界不良で100台以上の車が数時間、立ち往生している。 今日の出前授業は猿賀。 小学校3年生に、水桶と天秤棒で、昔の水くみ作業を体験してもらった。 と、子供たちの動きに目がクギ付けになった。明らかに異質な動きをしている。 全員ではない。筋力があってしっかり担いで歩いている子は違う。ようやく担いでぎりぎりで歩いている子どもの場合だ。 そんな子ども達は、ゆっくり、よちよち歩いているのに、なんとなく次の動きが把握しにくく、予測しにくい動きをするのだ。 二つの重い水桶を吊るした天秤棒を両肩に担げば、どこか一部でも崩れれば、一瞬で全身も崩れてしまう。 つまり、まるで自転車に乗っているように、全身すべての箇所が連動、すべての部分が、全身バランス維持のための必要不可欠なパーツとなって参加せざるをえなくなる。 すなわち、水くみ作業体験中の子ども達は思わずとも、全身どこもかしこもが、ずれたり遅れたりすることなく、精妙に連携一致し、願立剣術物語が説くように「船の舳先と船尾がずれることなく一度に動いている」からこそ、ふだんとは違う、異質な動きに見えるのではないか。 あのような動きで剣術や各種武術をやればどうなるだろうか。 そこにいるのに、なんだか輪郭全体が揺れていて浮きあがっているようでハッキリせず、次の動きが予測しにくい。打ちんでもずれたり、遅れてしまう、という現象が発生しそうな予感がする。 かつたぶんそのような動きをしている者にぶつかると、重く崩れず、こちらが痛いだろう。 もしかしてこれがいろんな武が説く「八面玲瓏の身」のヒントではないか。 授業をやりにきたはずが、逆に子ども達の背中に大きなヒントをもらってハッとした。 気付きと学びはいつどこで出現するかわからないものだなあ。この僥倖に深く感謝し、こっそり彼ら彼女らの背中を伏し拝み、さて何をどうすればいいのかと深く考え込んでしまった。 撤収作業をしながら、私はできるかなとやってみると、身体のどこかで踏ん張って、安易な力みでやってしまっている。 「ひとつの過程を終え、将来の指導者となるべきみなさんに、さらなる課題が無いと上達意欲がわかないだろうから、この大会試合を開催した。」 それを聞いて、高校時代、剣道部をやめるとき言われたことを思い出した。 「ひとりで稽古を続けるといっても、試合も昇段も無ければ、励みはないぞ」 さらなる勝利を!強い相手を!というのは競技スポーツの常識だ。 武だってその性質上「他人を凌駕したい」という思いが湧くのは当然だ。私だってそうだし、若い内はそれも必要な学びとなる。 しかし、もうひとつの考え方があるのではないか。 修行が進み、生涯武道を考えはじめる年代になっても 「試合で勝った」「昇段した」「他人に凌駕した」 という結果、相対評価を求め、それを稽古の意欲とすることを続けていくのは、主体性がなくて寂しいのではないだろうか。 稽古が進めば、それまでの経験から見えてくるもの、己自身のモノサシ、絶対評価、生まれてくるのではないか。 「我に足りない部分がある。それを補正していけば自然と他人にも敗れなくなる」と、たとえ独り稽古でもたくさんやることがあり、深まっていけるはず。 でもその規矩が何なのか、どう稽古すればいいかわからない。だから試合と昇段という、他人による判定、相対評価をほしがる。そして老いたら、若き日の業績を掲げてしのぐ。 という近代の武がここ100年続いた。 他人に与えられる課題ではなく、自ら見つける課題へ。 高校時代はうまく言えなかったが、いまはなんとなく説明できるかもな。 稽古仲間T氏は、刀や武具の製作やメンテナンスのみならず、袋竹刀の開発研究に余念がない。 いろんなタイプを比較し、我々との稽古で実験し、剣道高段者にも意見を聞いたりして、ベストを目指されている。私もプロトタイプの大小をいただいた。 ついにようやく完成品が見えてきたようだ。「無刀取りの稽古にも最適だ」と太鼓判を押していただいた甲野善紀先生から、先日、T氏の名前のひとつをとって「源悟刀」と命名していただいたという。 一日も早く市販可能となることを願っております。 さて、久しぶりに、五・六・七段の脂の乗り切った剣道高段者の先生方の試合を拝見した。いずれも猛稽古を経てきた強豪ばかりだ。 いままで雲の上の強さだろうと考えてきた。だから学ぼうと拝見しながら、なぜか意外な感覚が生じるのを禁じ得なかった。 何か、あえて己の身体に拘束や制限をかけているようなキツい体の遣い方。太く固く重い柱のように地面に起立し、ドンと床を蹴って、精いっぱい伸びきって打ちこみ、アクセルとブレーキを繰り返し、ギシギシと軋むような。 だから、稽古人も道場の床も痛んでしまうのではないか。力みを抜こう、抜こうという稽古ばかりしている今の私なら、悲鳴を上げてしまうだろう。 そして打突部位以外にも、打突の余勢を無数に浴び、相打ちや鍔競り合いで拳と拳が衝突したりこすり合っても全く気にされない。 だがもしも防具がない本来の状態ならば、無事ではいられない技法だろう。 剣道という専門技法で稽古すれば全くかなわないはずだ。しかしもしもだ。打突部位の制限をはずし、いろんな剣術技法や歩法が許されるならば、自由に打ち合う地稽古をお願いすれば、いい勉強をさせていただけるな、と感じる不遜な自分がいた。 いやその前に、技法観の違いから「邪道」の私は全くとりあってもらえないかもしれない。 そういえば、T氏の袋竹刀開発では、複数の剣道高段者へも紹介し「学校体育で防具無しの初心者向けにはいかが」と、ご意見とアドバイスをもらったそうだが「いいね」という意見もあれば否定もあったようだ。 その理由が興味深い。「柔らかすぎて、打ったとき手ごたえが少なく、パーンという音がしないし、突いたとき相手を押しとばすことができないから、こんなもの剣道には使えないぞ」という辛辣なご意見だったそうな。 だがその意見は、強固な防具を着用して、強固な竹刀で打つ稽古と感覚が当たり前であるという思い込みがベースとなってはいないか。 T氏の袋竹刀が、なぜに柔軟さとちょうどいい固さを共存させているかといえば、もちろん、防具無し、打突部位無制限の打ち合い稽古を可能とするためである。そうなれば多彩な古流の技がなんでもいろいろ実験できる。 かつ、突きに手応えを求めるのも疑問である。なぜなら真剣での試し切り稽古をすればわかることだが、突いたときはほとんど手ごたえなどなく、スルリと入ってしまうものである。 パンと音をたてて打った手ごたえがあり、かつ押してドンと突き飛ばせるとなれば、それは刃物としての刀ではなく、杖術のような鈍器の技法であるといえよう。 手ごたえを稽古眼目としてしまえば、本来の剣技から離れてしまう恐れがないか。 すなわち、インパクトの瞬間的手ごたえではなく、接触してそのまま斬りつぶしていくような重さこそ目指すべきではないか。 そして、弘前藩伝の當田流剣術の演武を拝見しながらもいろいろ学ぶことがあった。 つまり、その形の所作のなかには、私が悪戦苦闘している、打突部位の制限無しの袋竹刀自由稽古や、刃引き刀での組太刀検証で、ときどき生じる現象と似ているものが見てとれるのだ。 剣同士を打ち合わせるやいなや、擦り込んだり、ねばるように斬り割ったりする所作を拝見したとき、T氏との組太刀検証で、刃引き刀と模擬刀がジャリッ!とこすれあう寒々とした音が思い出される。 やはり古流の形は、真剣を使った技法であること、私の拙い模索稽古など、先人達がすでに発見し普通にやっていたことを思い知らされる。 他にも古流演武を見て「昔の剣術は、重い鎧を着て不自由な姿勢を強いられる「介者剣法」だから、低い腰を使うのだ」という説明をよく聞く。 完全否定はできないが、最近とみに疑問を感じてきた。 なぜなら、実際に鎧を着てみると、思ったより重さは感じられないから、特に腰を低くしなくとも意外に動けるものなのだ。 だから低い腰の理由は甲冑のためだけではなく、そのような姿勢だからこそ発揮される術理があったのではないか。 例えば、斬りが体幹とつながることで「手打ち」にならずに重く速くなること。歩法においても足だけが暴走せず、体幹とつながることで、重くかつ気配が消えて自在になること。打突部位の制限がない状況だから、相手からの攻撃目標が小さくなること…などなど。 我々はそれを忘れただけなのだ。私の稽古が進めば、もっとさらなる意味が感じられてくるはずだ。 体育館で稽古をしている。隣はこどもたちの体操教室らしい。 床下にスプリングが仕込まれた畳敷きの柔道場。充分にクッション性があると思うのだが、その上にさらに分厚い体操マットを敷いて運動している。 そして親御さんたちは畳のなのに、さらに敷物までしいて観覧している。 なんという過剰すぎる安全性。 あまりに危険を排しすぎたバーチャル空間で運動していれば、子ども達の心身や感覚はますます鈍感になって、ノイジーなこの現実空間では通用しなくなってしまうのではないかなあ。 いや、この現代では、寒くて古い板の間道場で、しかも受け身の稽古もしている我々の稽古の方がが、変わっているのかもしれない。 痛みに耐えよ、という無理な根性論ではない。 例えば体術系のお仲間の話だ。 突き蹴りの稽古は、素肌の方が、どれくらいの加減で痛く、ケガするのかどうか、肌身でわかるから、ライトコンタクトや当て止めなど、様々な微妙な遣い方を通じて、感度が高い、いい稽古ができる場合がある。 しかし逆に安全性のために厚い防具を着用すると、そのことで鈍感になって、稽古が現実を離れて過剰になりやすく、ケガしやすくなる場合があるという話が出た。 剣の稽古でも同じ場合がある気がする。 今日もT氏に袋竹刀を用いた自由打ち合い稽古をお願いした。 ようやく我々も、竹刀剣道風、またはスポチャン風のスナップ早当てを抜け出し、刀法、剣術らしい攻防になってきた。 ふだんはひとり稽古、形稽古で自分の動きの質を練る。それを相手付きの稽古で試す。 以前は常に対人稽古をしないと上達しないのではないか、という疑念があったが、最近ようやく、ひとりの形稽古が、相手のある自由打ち合い稽古に直結して、効果が見えてくる感覚が出てきた。 今までの経験上、ケガしやすい顔面と拳だけは薄いプロテクターを着けるが、ほか全身は防具無しでやっている。 すると互いに、身体のどこだろうと、相手の攻撃がかすった感覚がわかり「もしこれが刀ならばやられている」と、攻防や技の緻密性を意識せざるをえなくなる。 ぶ厚い剣道小手ではわからなかったことは、手首や拳を打たれること、鍔競り合いをすることが、いかに手指に痛みを感じることか。これが剣ならば、大変なダメージを受けて戦闘不能になるだろう。 そのあと、袋竹刀のまま、形をもとにした約束稽古、そして刃引き刀に持ち替えての組太刀。 やはり刀の感覚は全く違う。鎬や棟、反りなどの特性と具体的な遣い方を学んでいく。 木刀や竹刀だけでは大変な錯誤をする、と千葉周作がいったいたと思うが、全くそのとおりかもしれない。 T氏の刃引き刀と軽く打ち合わせるだけで、私の模擬刀の刃が欠ける。 歩みながら間合いを詰め、上段や八相に刀を構えた上半身、それが釣り合ったような状態のままで斬り込む。 斬り込むが腕をあまり使わない。両足も地を踏みしめない蹴らない。全身の変形で斬り込む。 という技法がなんだか現れてきたが、これは実際に通用するのだろうか。 慣れない感覚なので、どうなっているのか自分でもよく認識できない。 だがときどき、樋が無く重い組太刀用刀が、初動時にかすかな風鳴り音を立ることがある。その後は力まずとも急制動している。 でも刀を振っている感覚ではない。しかし今まで腕で振っているよりも速度が出るような感覚もある。ますます、見知らぬ風景が見えてくれば面白い。 強固な全国組織によってすべてがきちんと規定されている現代武道。 私はそれをやるために生まれてきたわけではないようだ。私がやらずとも多くの方々がやられるから大丈夫だ。 だからといって、変更不可の「伝統文化財」保護のために生まれたわけでもないようだ。 どちらにせよ「これこそ正解だ」と居着き、耽溺していては淀む。淀めば魔が生じる。 家伝剣術の父祖たちは、我が流儀が「正しい答え」「最終ゴール」だと固定していない。 逆に「この先どんな世界が発見されるかわからない」「その先を探れ」と書き残している。これは当流だけではなく、往時の各流儀はすべてそうだったと思うのだが。 我が家だけの小流儀だから、好き勝手に模索し、失敗しても、どなたにも迷惑はかけない。 誰も守ってはくれない雑草だが、その分、大組織のように「これをやってはいけない」「これは正しくない」などと拘束を受けることはない。。 剣だろうと、鑓、長刀、棒、手裏剣、体術、他武道、他流儀だろうと、なんでも学んで転んで栄養素にすればいい。 私には、その勝手気ままな自由が許されている。なんと幸運な。(父も渋々認めたようだ) すなわち、代々模索し続けてきた「心身の思想」。 不変の文化財ではなく、歩み続けてきたその行為こそ、私は受け継ごう。 二度と同じ川は渡れない。先人たちの遺産を手がかりにしても、その通りの歩みになるはずがない。 いまこの我が時代での試み、模索をし、見知らぬ風景を感じながら、川の流れを豊かにしていきたい。 まあその意味においては、私がやっていることは、固定化した「道」ではなく、いろんな形態が許されていた往時の、やはり「剣術」の範疇に入るのだろう。 ともかく、現代において「道」は、公式テキストがあふれ、誰にとっても既知の世界となってしまったが、逆に「術」の方が、我々が見失った未知の世界がたくさん埋まっているような気がし、それを発掘している現場のワクワク感があるのだ。 狭い居間で稽古。 「体術と剣術にはつながりがある」と言う達人は多い。 凡人ゆえに「本当かな?」という深い疑義とあきらめがあった。 でも「もしかしたらそうかもな」という淡い希望も芽生えることがある。 そういえば家伝剣術も、もともとは「出場者は定められた形態の剣を使うこと」という競技世界の産物ではないなあ。 「剣があれば安心だが、そうはいかない場合にもなんとか生き残らなくてはならぬ…!!」という、広い世界から生まれてきたはずだ。 かつ、道具や武器が「人間の手の延長」だとすれば、たとえその延長部分だけをはずして、本来の手だけになろうとも、なんとか機能するはずではないか。 今のレベルからは遙かな遠望ではあるが、おそらく、体術と剣術のつながりが体認できるようになれば、 そのときには相乗効果で「敵が頭をねらってくれば、我は足を切ればいい」などという、スキ狙い、フェイントの応酬を繰り返す攻防から解放されるようになれるのではないかなあ。 「願立剣術物語」が示す「病気之身之事」「一 目ヲ頼、敵之色、表裏ニ付、太刀ヲ合ント思心、不止事」だ。 だいたい、本当の命のやりとりから編まれた古流の所作に、フェイントや小刻みなステップワークで対峙する形は皆無であり、すーっと歩いていくだけだ。 なのに私は、自由稽古になるとそれをやってしまう。ということは動きの質、土台システムを錯誤している可能性があろう。) すなわち、気で攻めて、引き出し、起こりをとらえ、応じる…などという技法が大変効果的なことは学ばされてきたが、様々な身体操作のなかには、それらのシステムを乗り越えてしまう技法があるのではないか。 前近代の一部の人はそれを発見していたのではないか。いろいろな師範の技を体験したり、我がかすかな手がかり「気配を消した突き」に気づいたことから推測している。 うまくは言えないが、つまり、決定的な打撃を回避しつつスルスルと間合いが詰まり、接触したときの全身が自在さで堅牢である…という、古人たちが「八面玲瓏の身」とたとえた状態と無縁ではないのではないか。 (もちろんそれは打突部位や技が無制限という状況下だ。 例えば打突部位を小手・面・胴・突きのみ、というように攻撃部位を制限してしまえば、そのルールを活かせば、ルール自体が全身を防御するバリアになってしまうから、他はいくら当たっても「(打突部位には)竹刀がかすりもせずに…」というレベルは比較的発生しやすくなる感じがする。 しかしそれでは実際の剣技、または違う状況下、武では無効となりやすい。) それが体認できれば、私としては夢のようなことだ。 遙か遠くだ。いまはまだまだ居着き、引き出され、打たれ、こころが騒ぎ…。 だがこの堂々巡りは、私の頑迷さで永遠に気づけないのであり、もしかしたらまつげの先に存在しているかもしれない。 ひとり勝手に「こうあるべきだ」という理想論に居着かずに、小さな己のこだわりを開いていくなかから見知らぬ地平に気づかされることだろう。 私は古流を受け継ぐ者だが、剣術にも、剣道にも、懐疑することから始まったから、ひたすらそれを「正しい」「唯一無二」などと祀り上げることはできない。 確たる見通しなどない。かすかな手がかりで大海を迷い、激流のなかで泳いでみて、その生命力を我が身で体認するまでは安心立命がない。 そのとき、私がどんな姿になっているかも全くわからない。 家伝剣術。片手の小太刀のみで、相手が両手で構えた堅牢な中段の構えに接触し、下方へつぶしていく所作を実現化させるのか。 ふと浮かんだのが「右手と左手と割々になるな」とお盆を持ってこぼさずに座ること。 もしかすると、右手に刀を持っても、左腰に大小を差していること自体による、身体左右のバランス効果もないだろうか。 そのうち立ち居合になる。 「抜く手を見せずに抜く」までにはほど遠いが、まずは「右手を柄にかける」と「抜く」所作の境目が溶けてなくなるように。 これには我流「気配を消した突き」が、そのまま応用できないかな。 「最初から右手は柄にかけていない。その方がいい」と何年も前に甲野先生がおっしゃっていたことを思い出す。実際にそうかもしれないなあと。 刀はよくよく教えてくれる。 抜いてまた納刀する…の繰り返しだけで、身体のあちこちの複雑精妙な連携が自ずと要求されているのだなあ。その面白さがやっとわかった。 さてNHKの海外向け「SAMURAI SPIRIT」は大変おもしろい番組だった。 格闘技の有名選手ニコラス・ペタスが各種武道を体験して歩く。 あるときは防具を着けて、剣道強豪大学現役選手や「神のようだ」と崇敬されている範士八段と試合体験。 経験者が圧倒的に勝つかと思ったが、意外にもうまくかみあわず、同じ武道仲間同士ならば出るはずのキレイな技がなかなか出ない…。 ということは「これが基本だ」と稽古するほど、その人のなかに共有ルールという、ある拘束ができてしまい、同じ仲間の技にはかかりやすくなるということがあるのだろうか。幕末の誰かが言っていたようだが。 私もよくよく気をつけなくては。 武術、武道は、お互いにルールと技術体系を共有しあうもの同士の競技ではなく、自分と異質な相手にも対する世界なのだから、動きの質自体が転換しなくてはならないのだろう。 今日も古い実家で、屋根の雪下ろし。 有料フィットネスクラブに行って、己ひとりのためだけに、機械的な画一的運動をするよりも、雪かきこそ無料で、多種多様な運動を自分のペースでできる。もちろんダイエットになるし、片付けた成果は社会みんなのためにもなる。何よりそのあとの風呂や温泉は格別である! だんだん曲がり、壊れていくシャベル、スノーダンプ。仕方ないから残った道具を活かすしかない。 場にあわせて道具を使い分けよという、宮本武蔵「五輪書」はその通りだ。 短いシャベルなりの特性や、目の前の斜面が迫っているときなどは、逆手でオールを漕ぐように使った方が、ラクで効率が上がることも面白かった。 また不安定な足場での長時間作業は、ガンガン力むよりも、まるで泳いでいるときのように、全身をまんべんなく丸く使った方が、疲れず長持ちするし、そのうち動いていることで心までのびやかになってくる感じもした。 もしかすると剣が実用性を帯びていた往時は、握りや構え方、操法も、現代のような形式主義ではなく、臨機応変な様々なやり方があったのではないか。 そうなのだ。武道・武術には本当にいろんな方法論と展開があるものだ。 剣技ではみえないものがあろう。体術も学べばもっと広く深い気付きがあるはず。もまれて失敗する実体験のなかから、家伝剣術を研鑽していきたい。 といって、いろいろ食い散らかすだけのレベルを出ていないな。 夜、H氏がやっている某中学校柔道場稽古へお邪魔する。今日で二回目。 各種体術や総合格闘技等をやっておられる同氏とK氏に、組み方から、仕掛け、崩し、一本背負い、十字固め、三角締めなど、柔道、柔術の基本を少しずつ手ほどきをいただく。そのあいまに紹介される、各種空手や中国拳法の突き蹴りのお話も興味深い。 翌々日は「さむらい塾」で「日本刀はどのようにして造られるのか?」学ぶために、親子たちによる刀鍛冶体験ツアーを実施した。 黒石のY刀匠の工房。子ども達は、見たこともない道具、初めての鍛造体験に目を輝せていた。 作業終了後、刀匠は脇差や刀などを見せてくれた。鋭利なそれらを握ったとき、以前の感覚をまた思い出した。 たぶんこれを身に帯び、感じていれば、私のように迷うことなく、誰にも教えられずとも、確かな武の稽古眼目が、ひしひしと痛感させられていくだろう。 それを握ればハッキリと教えられる。この道具は、生々しい闘志や感情、大力同士の衝突、手ごたえ、居着きを全く要求していない。いやそれが無効だと完全に拒否している。そのような世界を超えてしまっている。 その代わり、鋭敏かつ精緻な心身操作、武技でなくては、とうてい命がないことをハッキリと示している。たぶん一瞬のこと。感じることもなく終わるだろう。それがお前にできるか、それにどう対抗するか、と迫ってくる。 夜は、せせらぎ温泉で修武堂新年会。 相撲は神事か、競技か、武道か、格闘技技か…で始まった、伝統技芸存続の課題と楽しく、マニアックな武術談義。 私の活動を批判されている現代武道師範から見れば、いかにも邪教か悪党の集会に見えるかもしれんなあ。 存続の危機にある我が家伝剣術について聞かれ「残念ながら、刀が実用性を失った現代では、いつ滅びてもおかしくないし、そうなっても誰も困らないです」と答えた。 すると「刀が実用性を失ったのは長い歴史のなかで、ここ一世紀の短い間にしかすぎませんよ。だからもしかすれば、またその意義が何らかのかたちで必要とされる時代が来ないとは限りませんよ」といったS氏の言葉に励まされ、目からウロコが落ちた。 確かにそうだ。剣術などの古流が実社会に生きていた時代は遥か長く、国民教育を通じて定番化した剣道などの近現代武道が成立したのは、つい最近のことなのだ。 それは、刀が社会から消えていき、竹刀へと交替していった流れと一致している。 竹刀という便利な稽古道具は、剣技の安全性、交流性、普及性を開くうえで多大な役割を果たしてきた。私もその多大なる恩恵を受けてきた。 だがそれはあくまで刀の代用品であり、オリジンの刀だからこそ、見えてくるものがあるのではないか。 つまり、刀、刃物は、人類文明史のなかで最も身近で、必要不可欠な道具である。 それが代用品と大きく違う点は、 自然界の材料に劇的な化学変化を与えて造るものであり、 その製造とメンテナンスは、高度な技術や秘伝を保持してきた伝統の職人しかできず、大量生産には不向きであること。 その特性を活かして使用すれば、他の追随を許さぬほど、大きな効力を発揮し、その成果はやり直しがきかないこと。 よって、人の関与のしかたによっては、幸をもたらす利器にも、死をもたらす凶器にもなりうる二面性を持つ微妙な存在であり、何かのシンボルにもされること、などだ。 以上の特性はなんだか、人類の新しい道具「原発」とも共通してはいないか。 特に私は「やり直しがきかない」という、刀の切実さを見落としてはいけないと思う。 つまりだ。やり直しがきかない大きな力を持ち、福音と災厄の二面性をもつ刀の操法を学ぶことは、原発が事故で災厄へと一変してしまった現代において、道具と人間の関係、ありようを再考する、ささやかな学びとなるのではないか。 それは「剣の理法は…」というテキストの受け売りだけではいけない。すぐに形骸化し、現実の前には無力となってしまう。 実際の道具そのものを使う稽古を通じて、自ら体認していかねば。 昨晩は、途中で尽きてしまう初太刀の状態を改善しようと。 部屋の角を相手に、その状態を保ったまま、二の太刀、三の太刀…と変化を続けられないかと工夫していた。どうしても自分でよけいに力んで、自分の状態を壊してしまう。 これが相手に打ち込まれるところだ。 そのうち、すでにそのヒントは家伝剣術の次の段階の形で提示されていたことに気づけた。 我流ではなく、伝承形そのものをやればいいではないか。 翌朝、降る雪がいったん小休止したら、冷えて道路はアイスバーンへ固まった。 平らなアイスバーンもあれば、山の稜線のようにもりあがった氷の峰上を綱渡りしていく細道も。これは滑らないと思ったらブラックアイスバーン、粉のザラメ雪かと安心したら底にアイスバーンが隠されていて、ツルッと足元をすくわれる…。 千変万化の氷雪悪路が展開し、毎日毎日、バランスを体認しながらヒヤヒヤ歩くしかない。 通勤時、やれやれ…とため息をついていたら、ふと「これをやればいいではないか」という声が聞こえた気がする。 つまり、剣術の自由打ち合い稽古の課題だ。 ときどき発生する、あの奇妙な現象。力まず、全身が柔らかに調和したままツーッと入っていく、そのとき、どうしてか少しだけ相手の反応が遅れる、打撃が回避できている、というような初太刀の状態が続かない…!と悩んでいるが、 ふだん氷上を歩くとき、ずーっとその状態で歩いている、もうやっているじゃないか。 初心の方に家伝剣術「表」一本目を紹介するとき、参考としてお盆を持ってこぼさないように歩くのをやってもらうことがある。 「願立剣術物語」にも 「身之備太刀構ハ器物ニ水ヲ入敬テ持心持也 亂ニ太刀ヲ上ケ下ケ身ヲユカメ角ヲ皆敵ヲ討敵 ヲ押ヘウケ開キ外ルヽ事ナド大キニ悪シ惣テ太刀 先ヨリ動事ナシ唯カイナ計ヲ遣事ソ左右前 後上中下段丸ク切々不成様ニ能イキオイヲツ ヅケ上手ノ文字ヲ書コトク也能手ノ文字ヲ書ニ 筆先ヲ遣分別智恵ヲ以テ書ニハアラスト見ヘタリ」 とあり、そのような身勢と歩法からなる、太刀遣いが示唆されている。 私はさらに「同物語」の 「一、或狩人ノ物語ニ小ナレトモ小鳥ハ打吉大ナレトモ鹿ハ 打カタシ云リ思ニ鹿ハタユミナク歩ミ行故ニソコト云トヽ マル処ナクシテ打カタカルヘシ小鳥ハ此枝カノエダニウツリ留 処有テチイサケレトモ打吉キト見タリ」の文章も関係があると思う。 しかもアイスバーン道は、まるで不規則な起伏なので、調和した身勢のまま、臨機応変な変化までやらなければ歩いていけない。 その正否は瞬時に我が身体に現れる。 身体や路面の状況に沿わずに、我が思いだけが暴走して、必要以上に力んだり、踏みしめれば、即座に全身の連携は壊れてバラバラに、ヒヤッっと肝が冷えて体感できる。 それを毎日毎日やらないと生活できない我が故郷。 本当にいい稽古をいただいているのだ。毎年忘れては気づきを繰り返している。 そういえば、有名な土門拳の写真「江東のこども 近藤勇と鞍馬天狗」(昭和30年)に、鉢巻き姿に棒きれで、チャンバラごっこをする子供らの姿が写っている。 その姿勢は、まるで猫のようにまあるくしなやかで、私の剣技のようによけいな力みやカドがない。 おそらくその姿勢は、現代武道のピンと伸びきった「正しい姿勢」からは否定されるものであるが、全く反対に「その身体の状態、遣い方が武術的にいい感じだ」とおっしゃる師範もいる。なんとなく、それがどんなことなのか、感じられてくるような気がする。 だから、布団のうえで幼い愚息とチャンバラごっこ、ノールールの格闘ごっこをしながら、身体の本来的な良さを、後天的な技術指導で壊してしまったらもったいない。どうすればいいのだろう。 「五輪書」勉強会。 「一 兵法に武具の利を知と云う事」 道具とはそれ自体が目的とはならない。目的に沿った道具を、人間が最も有効に使っているとき、その道具は透明な存在となる。 武蔵はいう、すべての道具は、その能力を発揮すべき場、ときを得れば、その利がひきだされるもんであると。 ここで武蔵がいう武具の「利」とは、道理というより、現実的な有効性のことを言っている。 例えば、脇差は狭い場、敵と近間で利を発揮する。太刀は大抵どのような場でも利があるという。 そして戦場では、同じ力量で比べれば、長刀(薙刀)より鑓の方が優れるという。 槍は先手で、長刀は後手だ、というのは私の稽古レベルではまだよくわからない。もしかすると「突く」(点)の鑓に対して、それに加えて「薙ぐ」「払う」「斬る」という(線)の薙刀という、動きの違いも関係あるのだろうか。 まあ、いずれにせよ、鑓も薙刀も狭い場での使用には向かず、広い合戦の場の道具であって、場に応じた使い方を知らずに道場内での末技だけでは実の道とはならないという。 そして弓は、合戦の場でのかけひき、鑓隊や諸隊との連携において、初動が容易であって平地の戦闘によいという。 そこに、当世は弓などの諸芸でも花多くして実少なく、そのような芸はいざというとき役に立たない、という記述がある。たぶん武蔵の時代から武芸の華法化はあったのだろう。 例えば現代の弓道は、すっくと立った姿勢から矢を放つが、近世までは違っていたらしい。稽古のお仲間T氏によると、二十年前までの五所川原市には、藩政時代の某弓術流儀の継承者がいて、たとえ這っても、寝ても、歩きながらでも、どんな姿勢でも必ず射ぬくという技を体得していたそうな。 さて、武蔵が指摘する「弓の徳」は面白い。放つ矢が人の目に見えることがよく、鉄砲の玉が見えないところが不足であるという。もしかすると、一斉に放たれた多くの矢筋が見えることによって、その場が一気に抑えられ、敵はおじけづき、味方は勢いを増すという効果もあったのではないか。 そして武蔵は、馬も刀脇差も、鑓長刀も、弓鉄砲も、そこそこ使え壊れないものがいいという。これは生死がかかった場において、特異な機能を持つが調整が難しかったり、扱いにくい武具よりも、安定している武具の方こそ実用であるということだろう。 それとともに、偏った好みをせずに、柔軟なバランスを考えよ。人マネではなく、我が身に合う武具を使うべきだと説いている。 そのときに山田史生先生が「あまりにピタリと遣いやすい道具よりも、少しだけ遣いにくい道具であった方が、人間側が技を磨いていく余地が生まれて面白いのではないか」と言われた。なるほど。 今年は屋根の雪下ろしが多い。 確かにグッと地面を踏みしめるよりも、足裏を浮かしている方が、振り下ろすシャベルが深く突き刺さっていく。 厚さ十数センチとなってしまった屋根上の厚い氷の塊を、古いマサカリで叩き割っていると、途中で刃部がとれてどこかへ飛んでいき、その後、木の柄も折れてしまった。 調子にのって、スノーダンプで雪塊を落としていくと、いきなり、足元数メートル幅が巨大な固まりとなって滑り落ち、ツルツル滑るトタン屋根に取り残された。行くも戻るもできなくなった。 怖いからといって、シッカリと両脚を踏みしめれば、逆に足元から滑り出し、屋根下で雪片付けしている家人へと落下しぶつかってしまうだろう。 どうせ落ちるならば、どうにかして落下軌道を代えて飛び降りよう。うかうかしてはいられない。 滑るから、全く踏みしめずに飛ばなくてはらない。ままよと、左足を一歩前へチョンと置くやいなや、右足と体幹を遠方へ投げ出すようにして、屋根下の深い雪藪へとダイビングして助かる。 という経験をしたらその夜、その踏みしめない足が稽古でも重要なキーワードであった。袋竹刀での自由打ち合い稽古でも、あきらかに有効であることを痛感できたのだ。 大太刀の袋竹刀に、我は小太刀の袋竹刀でかかっていく。 打突部位は全身、技も無制限でやると、小太刀を構えた右手の拳、腕のあちこちを打たれ、かすめて悔しい。鍔競り合いでは相手の柄にこすっていく素手の手指が痛い。 これがもし木刀、いや刀を使った場合、私の手指はボロボロにつぶれ、削られているはずだ。 竹刀稽古で、防具を着用し、打突部位を限定したことは、安全性と太刀筋を明確にするために大変有効であったろう。その一方で無数の返り太刀を浴びていることに気付きにくくなったのではないか。それを痛感させられる。これでは剣技とはなりえない。 どうすればいいのだろう…と、逡巡していれば、大太刀に先をとられてしまい、ますます攻められ打たれる。だから攻めは忘れずに、むしろこちらから仕掛け、先を取り続け「打たれて学ぼう」といろんな構えや方法を試してかかっていくようにした。 そのなかで意外な現象が、またもや数回発生した。 それは、ダメもとと、いたずら心で使ってみた家伝剣術小太刀「表」の「性妙剣」、そして気配を消したパンチを応用した突きの効力だ。 これらを演武でやれば、あまりに単純・素朴で、まるで武技に見えない鍛錬形だと思われるだろう。私だってそれを遣うときは、闘志や戦意は消えて、ボンヤリした感覚で、むしろ斬られにいくような頼りなさだ。 だが、それがなぜか、いろいろフェイント、戦略を駆使して打ち込むことよりも、目に見えて効くのだ。なにより相打ちや二の太刀を受けることがなくなる。 相手にとってはやりにくい。戸惑うのだという。お相手された下田氏は「ロボットには通じないだろうが人間には通じるだろう」と指摘された。自分で受けたことが無い私にとって興味深い指摘である。 そのとき、ちょっとだけ気付いた点は、少しでも私が踏みしめれば、相手は敏感にこちらの動きを察知してくることだ。それはおそらく、修練の有無を越えて、生物としての人間が誰しも持つ、本来の能力であるからこそ、手強い。 そうなれば、普通の竹刀剣道地稽古のように、攻めとフェイントの応酬で、相手のスキをつく方法となろう。 だがそれは、コンディションや彼我の相性、運などの様々な不確定要素のなかで常に揺れ動く技法であり、ジャンケンのような不確かさではないかと悩んできた。それを越えることはできないものか。 ところが、踏みしめない足遣いでの打ちは、闘志を燃やしたり、攻めやフェイントを全く使わずとも、ふだんのような落ち着いた心構えのまま繰り出すのだが、なぜか相手の反応が確かに一瞬遅れ、戸惑って居着く状況が発生する。 かつ、こちらの打ちが、まるで形演武のようにスルリ、スルスルと入っていく瞬間があるのだ。これは以前にもときどき体感していた。なんでこんなにヤル気のない打ちの方…。 願立剣術物語だったかと思うが、「歩みが滞らない鹿は打ち難いが、木々へ飛び移る小鳥は打ちやすい」というたとえ、そして弘前藩の當田流剣術伝書が「諸流でも同じこと」と説いている記述などとも関連があるのか。 自由な打ち合いのなか、いろいろ頑張って駆使しているはずの私のこざかしい技がそれほど有効ではなく、逆にこれほど工夫せずに使っている、どうみても効力がなさそうな素朴な家伝剣術形の方が有効性があることは、意外というしかない。 そういえば剣道の懸り稽古などで「疲れきって動けなくなったときにいい打ちが出るものだ」という教え方が有名だ。 学生のころは「都合のいい、シゴキの正当化だよなあ。いやだなあ…!!」と、必死に先生へかかっていったが、確かにそのヘトヘトで動けなくなった状態で、何度か、意外な面が打ちこめることがあった。 それはもしかすると、精神論だけで処理してしまうのではなく、そのときの身体の遣い方そのものが、よけいなカドが抜け落ちて、まるくまんべんなく遣っているような状態が出現している可能性はないか。そのときの身体の無力さ、非力さの状態が、家伝剣術のこの形の遣い方と似ている気もする。 しかしいずれにせよ、現在の私の問題点は、初太刀の状態がそのまま続かず、相手の動きに反応し、闘志と恐怖で足を踏みしめてしまい、己の状態がすぐに壊れ、二の太刀まで続かず、そこを打たれてしまうことである。 それを解消するためには、打ち合い稽古オンリーでは難しく、そのときどきに動きの質転換するための形稽古に立ち戻るしかないのだろう。 そして下田氏が、ネプタ祭りで長時間歩きながら横笛を吹いても疲れないために、工夫されている、身体各部をつなげる遣い方と、S田先生が言われていたことも重なり、 フェイントや連打の応酬という駆け引きの連鎖を越えて、接触したときに相手を斬り割る、斬りつぶすという、剣技や体術へのかすかなヒントが、今日の足遣いとともに希望をもたらしてくれるような予感がある。 たぶん、これらの技を遣っているときの心身内部のリズムは、闘志のドラムを激しく叩き続けるような感じや、セキレイの尾をチョコチョコ振るようなフェイントなどのドギマギした感じとは異質なのではないか。 まだまた私の例レベルでの体感だが、それをやっているときは、家伝剣術の器具が示すような、間欠が無く、安定したたゆみなき流れでいる方が、具体的に有効なのではないか。 以上、現在の自分のように、まとまりなき、混乱した覚書で終わらざるをえない。 山田史生先生に励まされるように、時間と目的を限定した「買い物」ではなく、あちこちさまようこと自体を堪能する「散歩」をこのまま続けていこう。 今日も実家屋根の雪下ろし。簡単な葡萄棚がつぶれかけ、父のアトリエ、庭の稽古場や東屋の屋根雪もたまっている…。 起伏に富む庭の雪原。ぬかりながら歩く、いや這うことも、いつの間にか馴れてきたらしい。よけいな力みがとれて、労働作業のエネルギー効率が良くなっている。 屋根雪を下ろす作業は危険であり、今年も何名か死傷者が出ている。 屋根の斜面は多様だ。深くぬかる雪藪、振り下ろマサカリが折れたほどの分厚い氷の塊、かと思えば、立っているズルズル滑り落ちていく箇所や底が抜けている箇所…。 充分留意してやっていると、ふだん道場ではできない、微妙な力の遣い方、全身の重心やバランス操作の切実ないい鍛錬、稽古になる。 帰宅してから、はじまったばかりのNHK大河ドラマ「平清盛」を。なにやら地元知事が「鮮やかではない。薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にはならない。観光にも影響が出る」と批判したそうだが、私は真逆だ。 いままでの時代劇のように、ただただキレイな身なりはまるで絵空事、バーチャルだ。 今回は、公家たちが抑え気味のキレイさである一方、俗世の武士や民衆が土や垢にまみれているからこそリアルであり、エネルギッシュな生命力さえ感じていいではないかいな。NHKは、よけいな抗議に屈せずに、どんどん汚くやってほしい。 不純物をとりのぞき、規格化するほど、失うもの、貧しくなってしまうことがある。 土方巽や大野一雄の前衛舞踏の講座でおいでになられたI教授のお話は面白かった。 この日の津軽地方は大雪。人間世界はすっかり覆われ、交通機関がマヒしていた。 青森市内は、歩道も交差点も信号も、雪の山々に埋もれ、まるでけもの道を歩くマタギか、塹壕戦中の歩兵のようだ。 地吹雪で視界がふさがれ、かつアイスバーンという悪条件だから、どこが車道かもあいまいになり、自動車のハンドリングもブレーキも不確か、事故も多発している。 つまり通常の交通ルールだけでは間に合わず、各自の臨機応変が求められるのだ。 人智を越えた強大な自然と対峙する、切実な状況下、神経がピリピリしなんども試されるなかから、イマジネーションが喚起される。この東北の大雪は、経済効率の障壁ではあるが、人間の能力をインスパイアしてくれているのではないか、というのだ。 舞踏については。 ・我々は生活のなかで、日常と非日常を常に行き来している。日常を確かにしているから、非日常が生きてくること。 ・大きい空間での大ぶりや、客のウケをねらって舞うことから、ささかやなも何かを見失うことがある。 ・老いをポジティブにとらえる舞いがあること。日本および東北の風土、生活、労働から培われた身体、地域的なものを探求しながら世界に通用するものを見出す。 ・舞いのなかで、自分の身体の奥にある、気づいていない先祖達の記憶(自分は体験していないが、親たちから話を聞いているうちに、いつのまにか先祖たちの記憶、体験が再編集されて、疑似体験を共有してしまっていること)が引き出されてくることがあること。 ・ものを創造するとは、目的や締め切りがなくとも「何か作ってみたい」という本人の欲求のまま動くことである。その動くこと自体が、心の安定、よりどころになる。 ・「これが私だ」とワクを決めてやるのは自分で限界を決めてしまっているから発見が無い。逆に「こんなものができてしまった」「こんな私がいたのか」と気付かされる創作行為「まるで何かに作品を作らされている」行為は、より広い世界へ開いていること。 などなど興味深いお話だった。 昨日の青森県武道館。中高生向け剣道練成大会。 その講座一コマ。県内外の八段の重鎮が並ぶ前で、中高生百数十名相手に、家伝剣術ミニ講座をやらせていただいた。 決して売り込んだわけではなく「本当にいいのかな」と思う意外な依頼であった。 マイナー剣術の話をしても、青少年は興味がないだろうし、剣道講座では違和感があって忌避されるのではないか。なにしろ「邪道」稽古とお叱りを受けている私が講師をやるのはいかがなものか…と、最初は不安であった。お断りしようかとも。 しかし、もし本当に不必要なことならば、途中でなんらかの障害が発生しできなくなるはず。これも何かの必要とご縁でやることに導かれているのかもしれない。恥を忍んでと。 まず父子で家伝剣術を演武。 そして最初に私が短い講義をやる。 刀から木刀、そして袋竹刀、近世の小手などの実物を見てもらい、それぞれの遣い方と特性から、現在の剣道成立までの歴史について解説。 最初から講師用雛段では話さないと決めていた。そこから下りてズンズン生徒達のすぐ目の前まで近づいていって話した。 「そもそも武道とは…」といった一般テキストの引用か精神論で飾っても彼らは聞きあきているはず。心には響かないだろう。 だから、なるべく私自身が模索稽古で実体験、失敗した「生」の話を例に、血の通った自分の言葉、わかりやすい言葉をえらんで…。 「ふだんやられている剣道とは違う奇妙な形を見て、驚いたでしょう。しかたありません。でもたぶんみなさんのご先祖が稽古されていたかもしれません」 昼食後で眠いはずの中学生たち、さっきまでおしゃべりしていた生徒達までが、食い入るようにこちらを見ているから驚いた。こちらもそれに答えねばと熱がこもる。 授業、講義とは一方通行ではなく、双方向で互いに創り上げていくライブだといつも思う。 その様子に気付いた司会者が、すぐに縦横に整列させられていた正座隊形を解いてやり、自由に前に出ていいと、私を取り囲むように車座にさせてくれた。 真摯な眼差しがまぶしく、うれしく、ついつい解説がはずむ。特に真剣を使った稽古や防具無しで袋竹刀稽古をしてケガした話などは興味津津らしい。 最後は「剣術から剣道に変化して、道具が真剣から竹刀へと変遷したが、刃筋と通す理合だけは、今も同じく受け継がれているのです。それをよくよく意識して稽古に精進されてください」と、強引に結ぶ。 その後、父は、私をモデルにして、剣道とは異なる剣術の構えや斬り方、撞木足、歩み足、そして共通する面、命のやりとりの切実さなどについて講話を始めた。 穏やかな話しぶりながらも、今日は剣道教士八段の立場ではなく、一剣術宗家の立場から、少々過激な内容も話はじめたから驚く。 「こんな話をする剣道八段はいないだろう。父の立場は大丈夫か」と心配になる一方、祖父の代から葛藤してきた世界へ、真っ向から語りかけている父の姿、そして私の活動を理解し支援してくれているのだと気付き、なんども反発してきたその背中をふし拝んでいた。 今日の我々の講座は、剣道講座としては、逸脱した妙な講義であったかもしれず、かつ生徒たちにとっては三日間の練成稽古のなかの一瞬であり、みなさんすぐに忘れてしまうかもしれない。 それでも、剣はたったひとつではなく、いろんな方法があるのだなと、子どもたちが頭の隅に覚えておいてくれれば幸甚である。 このような機会を与えていただいた日本武道館と関係諸氏に深く感謝し、翌日少し幸せ気分で、青森県観光施設アスパムのカレーライス・フェアへ。 食べるのではない。全身黒づくめの甲冑姿になり、着ぐるみ「さんまるくん」と並んで、博物館宣伝チラシを配る広報仕事。今日は誰も私を覚えていませんように。 亡き祖父の伝統を引き継いで、北辰堂の剣道稽古は例年12月31日が稽古納め、翌日1月1日が稽古始め。 だが風邪を引いた愚孫の修武堂・さむらい塾の稽古始めは本日と、遅れて始まった。 修武堂稽古には、リベロ津軽サッカークラブの高校生10名がおいでになられた。友人F氏のご紹介である(http://www.libero-sc.com/blog/index.html)。 無刀氏、S氏らが、武術的な身体操法をご紹介。いろいろ体験していただいた。私も突きのさばき、居合など拙い技法をご披露し、高校生達に少しは驚いてもらったようだ。 当会はいろんな武歴の猛者がそろっておられるから、これからの交流のなかで、サッカーの身体接触やボール争いなど、いろんな局面での身体操法の工夫案が生み出されていくかもしれない。楽しみだ。 自分の稽古では、S先生のご指導で、木刀を遣って、ソクイづけのように粘ったり、斬り崩すような剣術を工夫した。 我が太刀は相手へ届くが敵の太刀には触れさせないということが必要だ。相手の構えごと斬りつぶすことである。つまり相手のスキを見つけて、軽いタッチの速さのみを競う竹刀稽古だけでは、相打ちを乗り越えられない。 このような稽古は、たとえ木刀を使わずとも、剣技がそのまま素手の体術にも適用できることもわかり、大変興味深い。 また袋竹刀で家伝剣術小太刀のさばきを試したが、相手を替えても一定の効力が発生しつつあることがわかったから、次の段階を目指さなくてはならない。 (最近、少しずつ体得しつつある技があり、起こりを消した突きも、剣道教士八段の父や、有段者の妹にも驚いてもらったから、現状の稽古指標が何らかの意義があったのかもしれない。そしてやはり一歩ではなく半歩がいいのかもしれない。 ただしさすがに父は、受けを散らしてきたので、初めて数発だけ空振りしたが、そのために、そのような乱雑な状況下でもつかいこなすいい気付きをえられた) さむらい塾では無刀氏が子どもたちに多彩な受け身のご指導をいただいた。 一方、下田氏が奈良県の宝蔵院流槍術の稽古始めにお邪魔するそうだ。同流は幕末まで我が弘前藩でも伝承され、我が家伝剣術の師範達も習得していたものである。 また広島のM師範から、最新の武道史研究の成果をいろいろとご教示いただく。そのたびに武道は歴史のなか、さまざまなに変遷してきたものであり、現代の我々がやっている形態も、実は変遷の一過程であることがハッキリわかってきて、「伝統だ」といって現状に固執し、居着くことの愚かさを思い知らされる。 ちょうど明日は、青森県武道館にて、全剣連による中高生の剣道強化合宿があり、お招きで父子で当家伝剣術解説演武をさせていただく。 よくある形演武と精神論講座で終わるのではなく、刀から木刀、そして袋竹刀、現在の剣道竹刀への道具と技法の変遷を例として、現在の剣道が生まれてきた歴史的背景について、簡単にご紹介したいと考えている。案外そのような話が聞ける場はないだろうから。 今年は新年早々いつのまにか、いろんな方々とのご縁が広がりつつある。
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