稽 古 日 誌 2 目 録

見知らぬ先人より「流水の如く」

駆け出しのつぶやき その9 恨みつらみ

駆け出しのつぶやき その10 力…

伝統に甘えない

踊らないために

複眼の生き方

各種ウエポン大集合

土左衛門

パントマイム

捕縛緊縛 捕縄の術 そして早縄…

埋蔵教

武技における自然とは?

第1回韓氏意拳弘前講習会を開催

東京オリンピック・負けるを知る事

稽古する楽しみ

怪力男

真剣で斬りましたっ!

闇の中から

最敬礼

型をマニュアル化させないぞ

面白いぞ!幕末写真~ハリスとサムライの立ち姿~

農耕民族

子育ては武術論?

やさ(易?優?)しいという程に…

自分のカラダから見る世界

人の応対は武術

今日の稽古

夢のまた夢

防具を買います

先生

四股踏んじゃった

祭りの後で

燃えよ剣

死生観

ダベリング

吹雪の下で

よみがえれ小太刀

八字二刀

魔に入る

型は型として

韓氏意拳を学ぶ日々①

ミエナイチカラ①

ミエナイチカラ②

剣の体当たりと走り

2005年本当にお世話になりました

顛末…いえ顛中記

家を建てる

無力 

新たな年へ

除雪で稽古?

鶴亀

覚悟

型稽古に流れを通す

剣に体重が乗ること

亡国

ぶつからない

生々剣考察

ネガティヴシンキング

気を一体に通達す?

武は文化財か?

展示替え作業にて

スタック…

幕末からのメッセージ受信中

腰って面倒だ

オーブ

イタコ調査より

山の宿

続・山の宿

古い大学ノート

我が為すことは我のみぞ知る

今さらながら

八方の目配り

願立雑感

置き文

日本武道館演武

選べるツラさ

韓氏意拳ありがとうございました

一刀流の稽古から

光岡師範 第1回韓氏意拳弘前講習会開催

執着していても時はどんどん流れて行く韓氏意拳

武器術 体験二題

「転ぶこと」をいとわない身体

演劇に学ぶ

よみがえるか?本覚克己流柔術

初代「古剣」様へ

今日は一日武術漬け①

今日は一日武術漬け②

矢を射る「静電気」男

虫から世界をのぞく

通勤電車にて

海外から秘伝?を求めてこられた方々へ

三尺三寸を抜く…その1

三尺三寸を抜く…その2

三尺三寸を抜く…その3

三尺三寸を抜く…その4

居合が激変しつつあるよ…?!

中国拳法から学ぶもの

形と乱取りをつなぐためには?

続 三尺三寸を抜く…その1

続 三尺三寸を抜く…その2

続 三尺三寸を抜く…その3

続 三尺三寸を抜く…その4

柔術でもみ洗いにされる

発見?忍者走り

稽古で求めるキレない心身①

稽古で求めるキレない心身②

誘導される動きとは

ワタシは畜生兵法

脳とサイボーグ①

脳とサイボーグ②

津軽もサクラサク!!

 凡下の腕前のくせに、へ理屈と大言壮語ばかりの稽古日誌。我ながら見苦しい現代日本人だなあと思う。

 29日夜、弘前公園外堀の桜が少し芽吹いた!春が来たのだ!

 調査先で風邪をもらったのか、ノドにタンがからみ、全身ダルい。しかし明日は武徳祭で形を打つのでしっかりしないと‥。

 夜、明かりを消した部屋で木刀、竹刀で感じるままに動いた。グッと力が入りそうになるところを砕いて、ただ動くだけ。末端からなめらかに動く軌跡を、全身がジャマしないように。

 足はかなり軽くなった。斬りにしたがって半身から逆半身へ転換する際、切り下ろす剣に引かれて全身が変化するとラクで速いな?。いかに今まで足腰がよけいな主張をしていたのだろうか‥。

 たった5分の我流体操に近い。でもカラダとココロをまとめる、いいならし運転。

 私の稽古は、大それたことよりも、凝り固まった小さな自分を開くためにあるんだな。

 翌日の大会。當田流剣術も拝見。大変興味深い。竹刀剣道からは理解しにくいだろうが、打突部位制限無し、鍔競りができない剣の世界をうかがえた。当会には當田流棒術をやられるS水氏がいらっしゃるが、やはり技法が共通している。

 何より、以前、袋竹刀で乱取りしたときに、経験した場面と一致する部分があったことに驚いた。ああそうか、あのときはああやればいいのか‥!

 全国クラスのハイレベルな居合を抜かれる先輩から励ましのお言葉をいただいた。感謝申し上げます。

 脳は不完全だ。だから「脳さえ強化すれば」とは、脳は全知全能というオゴりを感じるし、脳へつないだマシンで、カラダをすべてカバーできるとは、運動オンチだからこその発想かと、勘ぐってしまった。

 いや何よりも、デスクワークオンリー、汗かくまえに情報検索ですべてわかったつもりという、バーチャル化のすすむ我々現代人の心身を反映しているのだろう。

 さらに現実の肉体を失ったバーチャル世界が、インターネットである。

 岡田翔平氏によれば、ここ十年で急発達したインターネット世界では、現実世界と類似した慣わしや儀礼が生まれつつあり、民俗学の研究対象となると述べる(岡田論文「民俗学の新素材-インターネットを事例として-」『歴史民俗資料学研究』11号)

 しかし、武術の稽古から教えてもらっているから反論したい。人間は、脳からカラダへと一方通行の存在ではない。肉体を使って動いて初めて認識できる世界がある、双方向世界なのだ。

 「言葉がすべて」と考えていたという立花氏は、腕へ電極を差し込み、脳と指の感覚とロボットをつなげて動かし、言葉にならない感覚があったと驚かれていた。

 しかし、言葉にならない感覚など、別に真新しいことではない。電極を使わずとも、生身の肉体稽古からでもいくらでも体験できる身近な世界なのだ。自分で動けばわかるはず。スポーツ選手やダンサー、宗教家‥。日本の無住心剣術や中国の韓氏意拳だって遠い過去に発見している。

 それをあんな単純構造の機械と接続しても、微妙なことができずに、欲求不満が募るばかりだろう。何年か前、両目と耳を覆うヘッドギアをつけて、3Dのバーチャル空間を移動するゲームを体験したが、かゆいところに手が届かない感じがしてイライラした。

 上達したい私は、小賢しいアタマを捨て、精妙なカラダにまかせようとする逆コースを選ぼうとしている。将来、武術の目的は、人を殺めることから、バーチャル化、サイボーグ化への反証を示す研究となるのかな。

 映画監督押井守氏も番組で、現代人は都市システムに接続されたサイボーグではないかといった。いかにも都市住民の感覚だなあ。

 つまりそれは、接続プラグが用意されている、都市の「勝ち組」の話であろう。システム外のマイノリティー、地方に生きる我々からは共感できない話だな。有効求人倍率全国最下位の地に住み、変わった武術と民俗学をやるという三重マイノリティー?の私など、接続するいいプラグが見つからない。すると野生の存在か?

 それに、インターネット、サイボーグが、いくら素晴らしい世界でも、野生、自然と根本的に違うことがある。

 それは、電源が切れれば、システムが壊れれば、人間の関与が切れれば、すべて無となる、あまりに弱い世界であるということだ。

 野生、自然はそうではない。人間の関与とは関わりなく存在しつづける、したたかで磐石で安定した存在である。人間の脳とカラダもその一部であることを忘れてはならない。

 人間が作ったものなどアテにならん‥。雪が降るたび電車が止まる田舎の私は、つくづくそう思うのです。

 NHKスペシャル「立花隆 最前線報告 サイボーグ技術が人類を変える」を少し見た。 ヒトの脳とコンピューター、ロボットの融合が現実化しているという。それをテーマにした「攻殻機動隊」、「イノセンス」、「マトリックス」などのSF映画も見た。

 このような研究は、人間の心身を探求するいいチャンスとなるだろう。医療や災害現場でも有効であろう。だが、良きこと、悪きこと、不可能なこと思い知るのではないかな。

 武道、武術の稽古を思う。相手との立会いどころか、己自身のことさえわからない。

 なんでできないのか、なんでできたのか、分析しても完全な合理的説明などつかない。 私がバカだから?いや古今の記録にもあるから、他人も感じていたことらしい。

 それだけアタマは完全ではない。不完全な脳と言葉だから、勘違い、幻想、発見、芸術、宗教、文化‥が生まれる。

 それなのに現代人は、「脳」ばかり重視している。「脳を鍛えるドリル」「知能指数」‥。

 一方で人間のカラダが、単純な機械にチェンジできる、という安易な発想があるようだ。 番組では、人間が着用すると約10倍の力が得られるパワードスーツ?まで登場していた。あれを使えばガンダムのごとく無敵になれる?

 はたしてそうかな?

 中学生の頃、マンガ「北斗の拳」のマネして考えた。単純に拳をまっすぐ出すといっても、人間は複雑すぎる。肩、肩甲骨、腰、脚の関節の位置や強弱、各部位の動くタイミング、無数の組み合わせによって、無数の違いが生まれるなあ‥と。

 そんな果て無き複雑さを、医学、スポーツ科学、ロボット開発はどのように考える?

 いくらパワードスーツで強力を得ても、単純構造のアラい動きをベースとしている限り、生物特有の精妙、絶妙な動きにはかなわない。見よ、野生生物や昆虫の凄まじい動きを。弁慶と牛若丸の立会いになってしまう。

 それに人間だって、言葉にできない肉体労働のコツ、職人技、思わずして相手に打ちこんだ、という世界がある。そのときは合理的思考が介在していない場合が多い。つまり脳は己のカラダさえ管理しきれていないのだ。

 家でテレビ見ながら生々剣。刀を持たずに素手で両手を上げていく。どこかの部分のみで上げないし、ガマンしない。歩み出すとき、カラダの一部を置いていかない、全身が自然に一緒に動き出すように。

 だがまだ、弱そうな自然な動きが、どう武術としての威力を生むのか疑いがある。

 長い引用です。

 「人生まれて習わざれども自然になすこと数多し、すなわち天徳にして性の所作なり、この良能に任せて敵を討つべし、習いをもってするは人為の私意なり、(中略)当流にてはなにごとも求めず、ただ自己の良知良能に立ち帰り、基づく工夫を専用とするなり」(小出切一雲「兵法得悟」)

 どこかで聞いたようなことだぞ。

 「俗語にいう畑水練の類は、みなみな意識のなすところなり、意は真実のものに逢いては必ず変じやすきものと知るべし、ゆえに一切の文字学問者、見聞覚知ありて弁口のかしこき者、当流に第一きらうなり、見聞は耳目より入るなれば、大概は意に止まりて意の覚知となりて、結局自然天生の心の妙を塞ぐものなり、」(小出切一雲「夕雲流剣術書」)

 ヘタにアタマで考えると自然から離れる、耳がいたい話だ。

 「人当流の稽古初めより極意まで、赤子の心と所作とに基づきて修行す、敵に向かって太刀討ちすといえども、早からず遅からず、よきかげんというもなく、我が自然の常の受用にまかせ、強からず弱からず、好き加減ということもなく、このまた自然に任す、勇気を我に張り発することもなくまた怯を示さず、敵を見ず、我をおぼえず、畢竟近く採りてたとえていわば、朝夕の物喰う時に膳に向かいて、箸をとる手の内、太刀を取るに好し、飯に向かいてはしを取り直して喰う心にて、敵に向かって太刀を用いるまでの働きの外に、なんなりとも一毫も添え足すものはなし、もし少しもそえたすものあれば、当流成就の人にはあらず、ここをいわんとては、太極本然の位、あるいは無為の所作、あるいは恬淡虚無などと、語るによって、聞く人その語に取り付き迷うていよいよ正理を失うなり」(小出切一雲「夕雲流剣術書」)

 赤ん坊になれ、言葉にして考えるとズレてしまう、いったいどうすればいいのだ?

 それにつながる稽古風景をうかがえるのが、次の文章だ。

 「日々夜々の工夫、ただ天理人欲のさかいを見分け、天理に基づいて人欲をすて、聖の体用と一般なる修行成就の上にて、(中略)無知盲昧の人、世間一切の所作兵法を見馴れたる眼にて当流の柔和無拍子の稽古などを脇目より見ば、さまざま嘲り笑うべし、必ずそれを怒り憤ることなかれ、もしまた太刀先へかかってただちに負けて見たるものは肝をつぶし、ありとあらゆる不審をおこして、神変か魔法外道か放下流の術かなどと、おどろき褒め崇むべし、これまた聞き入ることなかれ、邪理邪道にまよい染みつきて、人霊を失いたる畜生どもが眼に、善悪の見ゆべき子細はなきはずのことなり、…」(小出切一雲「夕雲流剣術書」)

 十年振りに再読している無住心剣術の伝書。テクを工夫することを「畜生兵法」と否定し、赤子のような精妙な自然本来の動きを求めたようだ。

 夕雲は、このような深遠な術を二、三代と伝承していく困難さを言っていたようだ。残念ながらその通り、現代では大半が理屈のみで形骸化してしまったといえよう。

 祖父の師匠が使ったという山岡流は、立ち切り稽古という猛稽古を通じてそれを求めた気配がある。だが、ただやればいいと形式化してしまい、試合で効果がないと竹刀剣道から消えていったという。

 無住心剣術が引用する老荘思想は、崇高で大変魅力的だ。日本の弥生時代初期に、こんな斬新な哲学が誕生していたとは驚異である。

 それだけに少しでも勘違いすれば、生身の肉体を持つ我々は、現実世界で生きることを放棄してしまうだろう。ヘ理屈や形骸化ではなく、生きた世界としてどう体現するのか?それをハッキリと体感できるのが武技の稽古なのか。

 先人の道を仰ぎながら、私は何を学んで、どう求めていったらいいのだろうか。以前、韓競辰老師の講習会に参加された甲野善紀師範が、日本武術の立場から何を読み取ろうとされているのか。老師や光岡師範との交流を、私は横でタントウしながらジッと見取り稽古させていただいたことがある。ほとんど何もわからなかったが。

 確たる道が用意されていない分、さんざん迷えることは、頑迷な私にとっていい勉強なんだろうな。

 誘導される動きといわれれば、宗教か洗脳か?と思っていた。しかし、もしかしたら、その人にとって一番適した動きを見つけることになるのかもしれない。

 旧岩木町で民間信仰調査。偶然にも、亡き御尊父がシャーマンだった方とお会いした。

 私には全く霊感が無いが、最近は仕事柄よく御縁がある分野となった。

 住まう土地自体が代々、不慮の死者が集まる「業のある土地」だといい、そのための家系だと霊示され、ご自身もセンスがあるらしい。高卒後、上京して日本史を専攻し、長いサラリーマン生活のあと、帰郷して農家を継ぎながら、ジャズやロックコンサートなど地域の文化事業を立ち上げ、地域の獅子踊りを継承し、路上やステージで現代舞踏をやり、ソシュールを議論したりと、多才に活躍。彼はいう、カネばかり基準にする現代、カネにならんと文化を切り捨てていけば、必ず社会はダメになると。

 田舎でも津軽には、人知れぬ教養サムライがたくさんいる。城下町はスゴイ。300年間の文化ベースが、今も周辺地域にまで流れ続けている。

 無力でも、一人一人が賢しく流されない社会は、巨大な力でもカンタンに操れない重臣が生まれるだろう。個人の研鑽は独りよがりに終わらず、広い社会へ反映していくのだと、ようやくわかってきた。

 シャーマンの話は、またまた武術と重なりある。

 その方は若い頃、祈祷していてトランスが深まり、このまま行きすぎて戻れるかな?と怖くなると、お父様は「もうそれくらいにしておけ!!」と諭し止めてくれたという。

 舞踏では、古い道具を持つと、使っていた昔の人の汗や体感が、握った腕から体幹へ伝わり、自然とカラダが動きだすらしい。そのときは、まるで天から吊られて操られるマリオネットになった感覚だというからスゴイ。

 獅子踊りを伝承することも、自集落スタイルを守ろうとするサムライだ。

 実は近代以降、集落毎に個性のあった獅子踊りが、競技大会に参加するたびに、所作も衣装も一つの権威のもとに統一化されつつある。かつてのユッタリリズムも、機械に囲まれた現代人の速いリズム感に変形してきているという。

 だからこそ彼は、周りと変わっていてもあえてムラ伝承のスタイルで通す。ときに、ゾウリやワラジを履いていた頃の人々をイメージしてやると、自ずと古態の踊り形がわかってくる感覚があるという。

 道具から、動きを導かれるとはウラヤマシイ。先祖の刀を握っても、固いアタマでバリアーを張っている私は、全くアクセスできず導かれない。

 その後、神仏混淆の某寺で、護摩祈祷をビデオで記録撮影していたとき気付く。撮影中、手ブレしないようにカメラを移動しながら、プルプル震えて疲れる腕。

 そうか!ブレーキかけながらアクセルを踏んでいるからだ。ブレーキばかりもダメ、アクセルばかりの暴走もダメ。オートマ自動車のクリープ現象のように、何も意識せず、スーッと動かした方がブレずに疲れない。

 中背でゴロリとしていて、柔道中量級と間違えられやすい私の体型。ここ二ヶ月はランニングや乱取りなどのガンガン稽古をやっていないためか、自分のカラダの変化を感じる。 足が細くなってきた?それが、よけいな力みが抜けて自然になったのか?、それとも退化なのか?以前は、ここでスグに焦って、雨の中走りこみを始めたものだ。だが、それで剣が変わったか!?

 もし私のカラダも自然の一部ならば、走らないことで、走りこみ用に特化した部分が引っ込んで、全身のバランス調整を目指しているのかもしれない。

 近世後期の白井亨は「兵法未知志留辺」で、筋肉マンから脱皮し、衰えないチカラを目指す際に、水ゴリや白隠禅師の練丹法を試しているが、具体的な武技の稽古の記述がない。 これは、水ゴリや練丹とは、単に精神やハラを鍛えるというより、猛シナイ稽古で偏った心身のバランスを、なだらかに復旧する緻密な作業だったのではなかろうかと勝手に想像している。入江先生のただ立って、手先から引かれるだけ、という動きがヒントとなって何かに続いていくような気がしている。

 今はこの不可思議な退化?に、身体をまかせて、違う可能性を試してみようという気がある。戻れない衰えなら怖いなあ。

 定例稽古会のつづき。

 私は家伝剣術形の再検証で、中国拳法のS氏と、「稽古人」氏と別々にお相手していただいた。偶然にも両者の見解が一致したことは、ただ歩んでいって、相手が斬り込んできても、そのままこわばらずに、自然に歩んでいくことの重要性だった。

 ランニングをやめた私の脚は、つっぱらなくなったが、反対に斬りを蹴らずにさばこうとするたびに、ツーッと滑りすぎて転倒するようになった。これも情けない。

 間合いに入るとこわばる、さばいた後こわばる…。心身ともにスイッチが途切れている。ガン、ガン、の「ン、」の切れ目を斬られてしまう。

 実際、私が形をうつところ、竹刀剣道をやっているところ、動いているところをビデオで見ると、そんなダメ動きのオンパレードなのだ。

 ファイトだー、気合いだーは、力んだ、抜いた、力んだの連続、オンオフ、カドがありすぎ。瞬間毎に身も心も力んでフリーズ。カラダもココロもちぎれた、スキマだらけといえよう。それで鍛えた?ココロはぎこちなく、アッと驚かしやすいし、すぐパニックでキレるもの。

 おとぎ話では、昔の達人はとっさに襲われても、瞬時に対応したという。いつも警戒していたのでは疲れてしまう。そうではなく、ふだんから動作とココロの使い方にアラがなく、調和がとれ、常にアイドリング状態の心身だから、乱れることなく技が流れ出るのだろう。

 そのように、熟するほどに調和がとれ、凄まじさが増すワザこそ、流行りのアンチエイジングな心身であると考える。

 以前、騒がしい学校にいたときの経験だ。よく生徒たちは私を驚かそうとして、物陰から急にとび出してきたり、いきなりモノを落としたりした。でも、彼等は成長途中で心身ともにギコチナイ青年だったからだろう、いくら動作を速くしても、年上の内面リズムから見れば、ぎこちないスローモーのように見え、驚かなかった。

 教室ドア上に仕込まれた黒板消し。さあ授業だと、知らずにドア明けたが、コマ送りで落ちてくるのが見えてかわせる。何度やっても引っかからない、驚かない私に、生徒達はやる気をなくした。今思えば、騙された演技をしてやることも…。あのときはいつもアイドリング状態だったのかなあ、生活が変わった今は全く自信が無いが。

 流れつづけるキレない心身。弘前藩伝の古流柔術は、相手とガッチリ組んではいけないというらしい。つまり固着して力と力のぶつかりに持ち込まないのか。

 躍動感のある葛飾北斎の浮世絵は、写真のように現在を切り取ったのではなく、少し前と過去と少し先の未来の像までが、同じ画面で溶かし込まれているからこそ、絵に生命力があるのではないか。

 祖父の好きなフレーズは「平常心是道」「溶けて流れて皆お~な~じ」

 林崎居合の抜刀もそうだった。流れは、力を込めると握りつぶしてしまい、脱力しすぎてもダメ。

 根幹をつかまなくては、何の武道、武術をやっても、何本形をやっても、私は永遠に堂々巡りだろう。私のアラ動作とアラいココロの切れ目を溶かし込んで、自在に流れていくためには?

 まず筋トレこそ、心身を固着して流れを止めてしまう真逆の方法かもなあ。乱取りや自由乱打の強化ではなく、ゆっくり動く形稽古のような方法しかないかもなあ、という実感がまた深まる。

 家伝剣術は、愚かな私がそれを学ぶための課題となろう。何ものかよ、私は粗末な素材ですが他に使い道がないようです。どうぞ存分にお使いください。

 これでも幼い頃の私は、よくガマンする子であった。小学校低学年まで少しガキ大将であったが、4年生から人生論を読み始め?ガマンする礼儀正しいしい子になってしまった。今は…?

 稽古から私がイメージする「キレない心身」とは、つらいときにガマンしたり、ドッシリと落ち着いている心身ではない。状況を反映しながらも、しなやかに流れている心身だ。私に欠けているものだ。

 いつもの武道館が空いていないので、庭の「稽古場」で定例稽古。

 普段は、家族の剣術稽古だけで使い、他は入れなかった。私が懇願して昨年から会の稽古へ開放した。亡き祖母が立てて20年。押入付き二十畳ほどの板の間だが、古びてきて、少し物置きにもなっている。

 暖房が無く冬は凍り付くが、春夏は庭の桜や草木に囲まれ、隣りの東屋で山々を眺めながら野点(のだて)ができる。後は、立木打ち施設が欲しいな。川沿い向こうは、江戸時代の我が剣術道場の跡である。

 稽古着に着替えて、床を水拭きしていると、みなさん集まってこられた。

 今日はいつもの四名とH女史も。H女史は、学生時代はバスケで全国トップクラスの選手で、服飾学校の教授をされたり、ニューヨークで日舞のパフォーマンスをされたり、映像関係のお仕事で活躍されたり、と多才な方だ。小汚い稽古場にご案内するのだから、失礼なことです。

 狭い稽古場で思い思いの稽古。無刀氏とS氏は寝技、S水氏と稽古人氏は當田流棒術の検証、また相手を変えて違うことを…。

 私は袋竹刀とセーフ面、グローブを付けて、家伝剣術形の検証。防具付けたからといってガンガンの乱取りではない、カタチ通りの稽古でもない。いい案配での検証。上達へのカギを握るであろう「いいアンバイ」がまだわからない。

 我が会は、絶対的な術を体現できる方はいない。だから権威のある一方的な指導が成立せず、互いに模索しあうしかない。

 独り稽古は、各自家や他武道でやる。しかしそれのみでは得られないことがあるからこそ、他者と研究稽古会だ。

 稽古会は、最初と最後に座礼する他は、メニューが何もない。3時間だが、自由で和やかな雰囲気なので体力はいらない。しかし自由だからこそ、談笑だけでなく、いろんな気づき、トライアンドエラーも飛び出る。何か確実な道を示してほしい方、自分のやり方に固執していたい方にとっては、迷う不安な場かもしれない。

 正解は知らなくとも、やらなくては永久にわからない。だから、導いてくれる師範のいない剣、柔の乱取り以前の形稽古(組稽古)をどうするのか?

 我々の経験と体感を信じるしかない。スポーツのように「私はコーチ」で「君やる人」指示通りやりなさい、という一方的コーチングではなく、自ら体現することを優先する。 いつか稽古の中で、当てずとも、今のは斬られた、今のはそちらの拍子が抜けていた?…と、互いを指摘しあい、切磋琢磨していく形稽古レベル(共同幻想ではなく)まで熟せればと願う。そこまでいけば、ハイレベルな乱取りへ開いていけるだろう。

 最近はたまに、そのような場面が、発生することがあるようだ。

 そんな高度な稽古で、何本の形を習得できるか?凡才にとっては、家伝剣術形が、地味で本数が少ないことに感謝せねばなるまい。 

 今日は仕事で、重い荷物運びと簡単な大工仕事。

 連夜の家伝剣術稽古で眠いのに、なんだか以前よりカラダの操作性があがったか、細かい組み立て作業も、重い荷物運びも、比較的リラックスしてカンタンにできる感じがする。

 肉体労働も稽古だと楽しんだ。こう持ったり、ああ運んだり…。

 腰が痛い、腕の筋肉が…、とヒーヒーいう同僚や、トラック便の方の動作までなんだかぎこちなく感じて歯がゆいくらいだった。みんな疲れていたが、私は何ともなし。知らないうちにいろんな稽古で体力がついていたんだな。

 ある方からお聞きした弘前藩伝柔術の走り方。

 少し半身になって走り、サンダル履きでも雪の上ぬからないし、時間とともにだんだん加速がついたのだという。

 流儀の成立状況から推測すると、その走り方は、弘前藩中川流忍術の早足の技法に関わるかもなあ?。その早足名人は、久渡寺の山々の木々を飛ぶように駆け抜けたという伝説あり。柳田圀男も「明治大正世相史」で、かつては肩を突きだして歩く人がいたと記している。日本人の歩行は多様だった!?とは数年前のブームかな。みんな忘れたろう。

 実験だ。少し半身、突き出した肩から前へ引っ張られるように倒れ駆けてゆく。

 意に反してだんだん加速するっ!!止まらないっ!!壁に激突…。

 私は小さい頃から短距離走だけは自信があった。いつも一位か二位で、山野の鬼ごっこでも、誰にもつかまらない自信があった。今はちょっと…。その走り方とはまるっきり違う方法だ。

 さて実験の結果、この柔術走り?の利点とは。

 普通の走り方。つまり、地を蹴り、左右の腕を交互に振って走る方法ならば、時間とともに疲労しスピードが落ちる。しかも、カラダをねじるから手に道具を持てないし、抜刀もできない。その意味では、モデル歩きやデューク更家氏の歩行は、現代の美的形式やダイエット向きであって、道具を使うこと、生きるための実用的機能には欠けようか。

 ところが半身で走ると、倒れていくのでラクだし、走るほど加速する。カラダをねじらないから中心線がブレずに、走行コースが安定し、走行中に抜刀ができるし、諸手で長い道具が使える。槍の穂先も全くブレないそうだ。

 武士は戦場で、抜き身の刀の刃を右へ向けて、右肩へかついで走ったというらしい。それをこの走法で試した。

 なんだか効率がいい。しかも、走行中に担いだ刀を袈裟斬りに振り下ろしながら、半身から半身を入れ替えても、全く減速せず止まらずに駆け抜けていけるようだ。

 これをスローでやると、そのまま剣術形だった。つまり八相から間合いを詰めて半身を入れ替えながら斬り込む形だ。

 雪も解けた。西洋風ランニングをやめた私は、乱取り用のスタミナつくるため、もいちどこの走りでランニング始めようかな。

 ただし、マネしないでください。慣れずにやると、カンタンに加速しすぎて、半身を入れ替えた瞬間に、足首を折る危険性があるのだろう。要注意!

 やるなら、各自ちょうど、のびやかな速さで走って試してください。もうひとつ、家伝剣術からも違う走法も考え中です。

 以前報告した家伝剣術の小太刀の形も、バージョンアップ。

 正面への斬りを、我は小太刀を肩にかつぐように、ふれずに横へさばく形。右は小太刀とともに浮き身がかかるからいい。だが、僅かな左半身の踏みしめが残っていたから、まだ居着いていたとひらめく。

 さばいて一重身になるとき、カラダの左右も同時に上下に縮む感じだ。

 そう思うと、次の形「斬ってくる相手の腕を取る」の工夫もひらめいてくる。今までの「こうであるはず!」という観念を変えるだけで、私の拙い動きが激変できるかもなあ。

 飲み会の帰り、人影消えた夜道で、傘を片手に試しながら帰ってきた。

 全身の調和をこわさぬように動くから、一度にすべて変化でき、間に合う?その動きは筋力や体格差とは関係なく、わかればカンタン、感覚こそ重要か。(ただし私の低いレベルでの話だ)

 

 弘前公園のサクラのつぼみがふくらんできた。春が大好きだ。ワクワクする。

 ちょうど今の時期だったか、三歳前後の幼い記憶がある。家の玄関前で横たわる白いヘビを見つけた。怖さを知らずに思い切り右足で踏みつけたが、ヘビは煙のように消えた。私は草むらの中を懸命に探して追いかけたが、二度と見つけることはできなかった。古来、白蛇は神の使いと考えられるようだが、それを踏みつけようとは、なんたるヤツだ…!?

 ヘビのようには柔軟になりたい稽古。格闘技サークル、マッチョマンクラブで柔術寝技の稽古をいただく。古流柔術ではない、現代柔術の乱取りである。二度目かな。かなり手加減していただいたが、私はまるで洗濯機の中の洗い物のようにもまれていた。

 H氏に手解きをいただいて、立ち膝から柔道着をつかみ合い、相撲状態(俗に津軽では「ねまり相撲」といって子供らの伝統的な遊びだったが、私は古い柔術の稽古法ではなかったかとにらんでいる。)から寝技への展開を教わる。

 なんと難しいものか。なんと泥田を這うようなスタミナを要求されるものか。

 順繰りに皆さんに寝技で組んでもらう。かなり手加減していただき、みなさんに遊んでもらったという感じだろう。腕ひしぎ、三角締め、胴着でのエリ締め‥、腹で上から口をふさぐ技?私はギブアップのタップを繰り返す。こらえずにキメの入口に入ったらスグに降参する。

 やられて当たり前だから、寝ながら手をとられそうになると、推手のようにしたり、胸の前でボールをかかえたようなタントウや、波乗りをイメージしたり工夫してみた。

 柔道のオリンピックのコーチメンバーだったというS師範はスゴイ。青年時代には有名なルスカと数度対戦したことがあるという。

 かなり手加減していただいたのだが、組んだときに全くつけ込める体感がしないのだ。もともと私は攻め方は全く知らないので、なにしていいかわからずに、ただ逃げるしかないのだが、微かな動きでも、すぐに先手先手と逃げ道が読まれて封じられていく気がして、あまりの無力感にやる気も失せてしまうのだ。そのうちに取られてしまう。

 「君はガードが堅いねエ、組んだときのキケン察知能力がいいねエ、センスあるよオ」と師範の爽やかな笑顔におだてられながら、私は全くなす術なく五回も秒殺された。笑うしかない、ハハハ‥。赤子の手をひねるように

 剣は目が重要だが、寝技は目よりも接触したときの、全身で立体的に感じるのかなあと思った。私は相手のカラダに微かな変化を感じたら、とにかくズラすように逃げるのみ。

 地面に立って蹴って動く剣道とは、使う筋肉や体力も全く異違うし、技もあまり限定されていない自由さを感じた。

 一方で、一本調子のバカ力ではなく、柔軟に広いアンテナで相手を読み、技を引き出させて取ることは、剣技と同じだなあと感じた。

 終了後、軽くやられたのに、何度も締められた首と、何度もひしがれた左ヒジが少しキシんだが、力まずに脱力して全身まんべんなく使うようにすると、全く痛みを感じない。

 なんで?同じ部位なのに、力んだとき使う筋肉と、脱力したときに使う筋肉と違うのか?のびやかに動かないと、痛みを感じる。これもいい体感の稽古だなあ。

 師範は気功もやられるようだ。「アンタは酉年だから、一代様(守り本尊)は不動明王だな。胃腸が弱いだろう。」と指摘されて当たっている‥。何かのときの印の結び方と文言まで教わった。民俗学の血が騒いだ。

 その後は、家伝剣術稽古へ向かった。

 すがすがしい汗をかいたし、大変勉強になった。生きている人間相手の体術の難しさをナマで学ぶことは、剣だけでは一生わからないことがたくさんありそうだ。今後ともよろしくお願いします。

 組み打ちは現代剣道では「正しい剣道」ではない。しかし古いシナイには組み打ちが多く使われたようだ。千葉周作だけでなく、我が弘前藩の一刀流師範などは、明治期まで組み打ちを多様していた記録が残る。武術だからどんな状況でも、という観念があったのだろう。

 まあ現代剣道でもシゴキで使う方もいる。ただそれは、組み打ちをかけていい上位の師範から、組み打ちを受けても、こちらからはかけてはいけないという、遠慮した下位の者への、一方的な行為が多いだろう。しかし互角にやりあえば、若さや体格差に圧倒されるかもしれないし、違う術理が必要とされようか。(ある剣道の組織では、現代でも組み打ちをする剣道を稽古されている。勉強のためにも、鍛え直していつか稽古をいただきにお邪魔したいと考えている。)

 組み打ちは確かに危険な行為であり、老人や子供の稽古には向かないから工夫が必要だろう。剣道が弱い私など、スグに組み打ちばかりに持っていってゴマカシそうだ。

 でもその状況を完全無視したまま、技術を積み上げてきたことが、実戦ではありえない竹刀稽古特有のつば競り合い問題を生んでしまったと思う。それを幼い頃から身体に染み込ませ、相手に接触したら安心してしまう私は、技の構造だけでなく観念まで更新しなくてはならない。

 更新といえば、重くて見にくいこのホームページ。ごめんなさい。いつか改良します。

続 三尺三寸を抜く…その4 『する前…さらにする前から もうすでにはじまっているという事』

実際 先だって青森県に ある目的を持って来られたB大のバスケの監督I氏に 半ば冗談で「三尺三寸抜けるようにしてあげましょうか?抜けますよ。」と言って試しました。

確証はなかったのですが それを成就させるには このワード『三尺三寸抜けるようにしてあげましょうか?抜けますよ。』が重要で 実はもうこの時点で『やる気』を『期待』にし『現実化』する為の『動き』ははじめていました。

つまり 気持ちの上で 「ええ!出来ませんよ。無理ですよ。」と とかく控えめになりがち(引きがち)の状態に行く前にロックを掛け 抜く前から『アイドリング(パワーオン)した状態のニュートラル』の地点に立ってもらう為です。

これは 催眠施術する為の暗示導入の心構えとしては初歩的な段階。やらせる側が自信を持った言動をして 相手を畳み込まないと なるものもなりません。

こちらもなりきる…という事が大事なのです。

幸い 私の下手っぴな技量は知りません。稽古会に来ていらっしゃる方よりは 自信ありげに見せる事の容易度は高いです。

それはともかく 似たような事 以前 ある発明協会の偉い方にやられた事があります。

あるレセプションでの事。共通の知り合いが居ましたで その方を紹介していだだきました。

独特のオーラ(ご高齢にも係わらず頭脳もパワーも全開という とある会社の社長さん)を持っている方でした。

打ち解けて いろんな話しをする内に

「超能力。誰でも有るさ。君だって このスプーン そんな力を入れず曲げられるよ。」との話し。

「…?」と私。

「『…?』じゃだめさ。出来るのに それにブレーキ掛けてしまうなんてもったいない。」とも。

さらに「今やったら すっと出来るよ。」とも…。

本当に自信ありげで 『この人の言う通りにしたら行くかもしれない』と思ったものです。

暖かい目で 私を凝視してくるもんですから 本当にそんな気がしてきました。

…で 結果は。

曲がりませんでした…というの語弊が有ります。

スプーンは会場のものなので 曲げてはいけない代物。

実はやったのです。「くにゃ…」と曲がりかけたのが判って 慌てて止めたのです。

その方は ニヤリと笑って 大きくうなづきました。『ね~!』って感じで。

彼程の オーラ力を持っているわけではないのですが 今までは 『三尺三寸の抜き』に関してはある程度して来た方である古剣氏に いろいろ試してみてスムーズになって来ましたので 別にやってみる事も面白いとふと思い 「抜いてみればいかがですか?」と頓着なく勧める古剣氏を受け そう声を掛けたのです。 

I氏は バスケの監督さんとは言え 古武術の稽古も研究され古武術における身体運用操法には優れている方でもあります。

けれど 『三尺三寸』は抜いた事はないとの事。試しに帯刀をしてもらい 抜いてもらいました。

いい線ではありましたが 刀が鞘の内に少し残ってしまい どの方向に動かせば抜けるか難儀なさった御様子で 鞘の内で止まってしまいました。

でも 『つたない考え』での身体運用操法の考察の検証ではありますから その分を補ってくれれるだけの素養はお持ちな方でもあります。

ですから何度も言います通り 「三尺三寸抜けるようにしてあげましょうか?抜けますよ。」とは 古剣氏がなんの頓着も無く 遠路からお見えのお客さまに稽古の一貫を体験して頂くために言った「抜いてみませんか?」の一言を受けて 言ったセリフだったのです。

まるで ラグビーの横パスのように 軽く私に放り投げて来たものを 受け取った刹那 思いきりさらに横にパスを投げるような感じを 平素話す会話上でしたようなもんです。

上手く『間』を掴め はまったという感じ。

気持ちの上では 上手く横パスが続きそうな予感すらしました。私の中でも そういうモチベーションが大事なのです。

古剣氏にしていただいたように 前受け身をして頂き 帯刀をしての前受け身。そしていろんな風に身体に関するイメージを 話し合いの中でしていきました。

私ながら ちょっと驚きで I氏が三尺三寸を抜けるまでには時間は差程掛かりませんでした。

だって 『抜ける』ための身体要素はもうすでにある方なのですから それは当然です。

私は単に 鞘の内から刀が離れて行く為の軌跡をスムーズに描く為の 道先案内をしただけという感じです。

この実験は 最終的には 素人さんであっても本質的には誰でも持っているピュアな身体能力をちゃんと引き出す事で 三尺三寸が『抜ける』ではなくて 『抜く事も出来る身体』を刀という媒体を使って『体認識』する事で帰結すると思っています。

道具を使ってやると 無理がかかって逆効果な場合もあるとは充分認識した上での話しでもあります。

しかし 稽古会的には 道具術(この場合太刀という武器)と体術を上手く違和感なく融合させる事の意味合い(術理)を見出せれば…つまり総合的武術が出来る身体を練るための考察。

本来ある古武術の有り様だった…とは 大上段に言うつもりはありませんが ある意味 古剣氏の家伝剣術の体術的な部分を埋めるべくそのお手伝いとしての『気付き』の一片にでもなればという思いでもありますし 私自身の仕事の一貫としてある『日常生活を考える』上での 重要な道具立てになるからです。

こむずかしい 理由付けはこの辺にしまして ともあれ 第二弾の稽古コンセプトは さらに外的に身体をリセットしてあげて なるべくピュアな…身体の居着き少なく…ひきつれ 重さ感じずにした段階での『三尺三寸を抜く』という実験を試みてみました。

今回重要視したのは下半身。その注目点は『膝』でした。この先は まだまとめていませんが その内に『続 三尺三寸を抜く…その5』以降をまとめるつもりです。

続 三尺三寸を抜く…その3 『胸を折る』

それ以前にも 凝っている所をマッサージしてもらったりと S田先生や最近多忙で来れない作業療法士O氏なども入って 身体の妙を知る稽古をしたりもしていました。

前回の時点でも 上半身では 中丹田の巡らせ 操法を滞り無くする為『肩甲骨を剥がすような』ストレッチや『胸を折る』という事をしてもらう為に 荒療治ですが 胸に足を当て両手を引く(ちょうど逆キャメルクラッチ…よいこはまねしないで…)などもしました。

四つ足動物の 飛びかかる時の肩甲骨をイメージして 少しでも今以上に柔らかく 制約なく可動出来ればという事です。

前から 『刀を構えるという事』は 脱力して軽く前屈みになると 含み胸つまり『胸が正中線で折れる』感じが体感出来 その状態での『手のぶらり』のまま木刀を握ると しっくり木刀が掴める…として 稽古する時にやっています。

決して 肩が支点となって 腕を伸ばし 『切り手(親指と人差指でおりなすVの字)両手の一致』を心掛けるのではなく こうしてした方が 無理なく握れるからとやっていました。私でも 妙に様になれます。

木刀を そうして持って 上体を起します。また倒してそして起きます。

すると 胸が正中線を軸にして『蝶番』のように動きます。

まさに『蝶』とは言ったもので そこには肩が介在していない感じがしているような…。

この動作… どこかであるような。

これは 私の所属している合気道の会で たまに行っている『舟漕ぎ運動』ではありませんか。

今まで ただ舟を漕ぐ運動としてやってきましたけれど 足で踏ん張り 手を伸ばして上腕の筋肉にものを言わせて引き寄せる事をしていました。

で…これってなんの意味があるのか?とも。

以前 『延びる』牽引ロープについて書いた事がありますが ふと考えると 櫓を引くとは 上腕に任せ 肩に力を入れ 足で踏ん張って漕いでは疲れるもの。普通のボートのオールでも同じ事が言えます。

腕を伸ばし さらに延びるように上体に重みを掛けてそらして ある点(上手く表現出来ませんが ちょっとでも動く瞬間)の機を捉え 足からの力を伝達してやる事で 櫓が動きだし『漕ぐ』という動作になっているのが わりと正式なのではと思いました。

言葉にすれば 上手く出来ていませんが ともあれその軸となっているのは 正中線なのではと思うように…。補足しますと上半身を横から見ると前から後ろにかけての面体としてあるもの。線ではありません。

胸を張るとは 本来頚椎は前に前弯していて胸椎が後弯している(最近受けている講議の受け売り)事からすると 筋肉を緊張させている 身体からすると自然な状態ではありません。

行き過ぎればそれもまた『猫背』となり あまりいい事ではありませんが いわゆる『含胸』。

自然と『抜肩』…肩が落ちます。

『舟漕ぎ』では肩や腕に 漕ぐという事の主役を担わせているわけでなく 『胸を折る』という事での『全身参加』で それをスムーズに行っているのだと考えるようになりました。

『全身参加』の動作は 餅搗きや鍬入れ 薪割りもそうですね。

たた ものを『振り上げる』という動作なので 先の話しとは若干の違いはあるようではありますが 『体認識』の上では『胸折』の動作は入っています。

その為に 療法(整体とか)系の事により 外的にその要素を引き出しもしましたが 『帯刀して前受け身=転ぶ事をいとわない…という動機づけ』の際の 前に倒れこんで行く動作を この蝶番の動きをイメージして 更にそれを 丸い感じ 柔らかい感じ ふわりと落ちる感じでしてもらうイメージしてもらうよう アドバイスもしました。

これによって その後の動作…どこも引きつれる事もなく筋肉が伸びやかに動いて 『三尺三寸が抜けていく』という事をする為 完全『オフ』状態ではなく かすかに『アイドリング状態』した『ニュートラル』がこれによって維持される事を容易にするでのは…と考えたからです。

『ふわり…』とするイメージは リラックスして安堵感の身を『委ね』るイメージと捉えられるかもしれませんが そう考えるのではなく 動いて行く中で自然に力が伝達されているというイメージです。

それはまったく動いている間『パワーゼロ』ではない意識での『パワーオン』… つまり身体『アイドリング(パワーオン)した状態のニュートラル』から引き継いだ身体の動きのイメージを持ってもらう為のキーワードです。

これら過程 段階を 動きとして古剣氏が出来ても 本当にそうなのかという事になりません。

与える情報を 解釈する意識とその具現化は 人それぞれではあります。

でも 根源的な部分さえ間違っていない…というか 割と近くを言い当てているのなら この進め方は『有り(良いというのとは違います)』です。

つまり 他の人にもやってみると言う事です。

つづく…

続 三尺三寸を抜く…その2 『日常動作の変遷』

今のところ 本人(古剣氏)の感覚のモニタリングを聞き聞きしての事ではありますが もっと具体的に観たいがため ビデオで撮ってみるのもいいのかもしれない…と思っております。

表立って表れている変化を確認しようという思惑ではありません。

端で観ると 多分 その変化はわからないでしょう。 

ただ お互い 言う者と聞いた者のイメージにはズレはあるのだという事は容認して その画像の中に感じるその時のイメージを 今度は双方同じ媒体を通して比較検討する事が出来 いい手段なのかもしれないと思っているのです。

つまり お互い相互のやりとりでの中での事と お互い一つのものを見ての感じ方の中で 何が見えて来るか?という事です。

その事で 先の事を思い巡らした訳です。

ある事を『施す前』と『施した後』の違いという意味合いです。

マッサージでも瞑想でも体操でもなんでもいいです。

別段『居合』でなくてもよく 例えば『施す前』の『歩き』と『施した後』の『歩き』を 客観的にビデオ撮影により自分が体感してもらいたいという事という目論みです。

あきらかに『寝起き』と『日中』では 動作の『意気』が違うという事は誰でもが認めていただける事ですから これでその切り替わりを 画像を通して『体感体認識』して見てみるという事なのです。

こう考える事に至るまでの課程があります。

それは 『現代人の日常の動作』と『昔…この場合江戸時代の人以前でもいいですが 昔の人の動き』は違うと考えると こうして『刀を抜く』という事をしているのは 絶対的にスタートラインがずれているのではないかという事を 古剣氏と話しをしました。

彼も民俗学者でもありますら 民具等の使い方 身体の動かし方で 現代人はしていない動きを 仕事研究の中でも理解…いいえ痛感しています。

たとえば 『天秤棒』担ぎというのは 今はしない身体動作の一つでもありますし 昔の人は『車に乗って運転する』なんてのは絶対していない動作。

ましてや 日本人は車に乗る以前に 椅子文化が入り込みましたけれど 椅子に座る為の仙腸骨の使い方は 明らかに西洋人より下手であります。

これは 日本人と他の国の人間の動きの違いではありますが 似たような比較観点だという事は理解していただける事だと思います。

ちなみに厳密に言うと 雪国の人間と都会の人間の歩き方もどこか違います。

山間部出身の人間の歩きも違います。

『身体を動かす』という事において それは口の使い…『方言』にまで来てるような気さえします。

ともあれ そういう事なのに 現代の人間の現代文明の中でカスタマイズ化された身体を ちゃんと昔 刀を抜いていた時代の人間の身体にカスタマイズ化(あるいは現代というノイズを取り除くという事と 復刻するという事)しないで『抜いて』いたら どこかやがては行き詰まってしまうのではないかという事を語り合いました。

つまり嘘な事を やっているのかもしれない…という事です。

その時代のカスタマイズの情報を文献などで知るとしても それは化石的な情報であり 共感出来るとは言えリアル体感したものではありません。

ならば 侍の時代は 今の状況より原始的な『人間本来の動き』の名残りを表現出来ている時代の人間だった訳ですから 『ピュアにした身体』というか『素』な身体にしたらどうか…というのを もう少し明確にしてみようというのが この度の『(続)三尺三寸を抜く』のテーマなのであります。

『ピュアにした身体』というか『素』な身体にしたらどうかというは 具体的にどうしていいかは判りません。

ただ 赤ん坊として生まれ四つ足の名残りを経て二足歩行になった頃までの体内記憶を 昔は今以上に駆使して動いていたと思いますから 段々ずれて現代の日常生活の身となった今からその時点まで溯って行くという意識をもってその手段を考え 居合抜刀の身体運用操法に転嫁出来ればという事です。

つづく…

続 三尺三寸を抜く…その1 『歩く…から見えてくるもの…』

『歩いて』もらう…。

その日 あるいは昨日 疲れていた自分が表れる。

それは 今悩み事があるのかもしれない。

『歩き』そしてその風体に それが表れる。

それは その人が生きて来た人生が表現されている。

それは他の日常動作にも表れて来る。

『居る』事自体…『存在する』事自体…の表現だ。

…いきなりですが 役者がナニカを演じなければいけないとなった時の 身体訓練の際のイメージが浮かびました。

育ちや環境が…親から引き継いだ遺伝も含め それを内面から表現しないとリアリティが出ません。

この事をする為には 役者は自分というものを一回リセットしないといけないのです。

厳密には 亡失する事は無理限界があります。

どれだけ 掘り下げるか あるいは掘り下げたものを 素体に近付けた身体に装着出来るか…というディープ度の問題と言った方が正確かもしれません。

某スター俳優は 連続シリーズもののヒーローを演じ その人とイコールに思われる程人気でした。

後年 自分自身が仮想世界のヒーローと入れ替わってしまい不遇の人生を送ったと言われています。

かの007シリーズで ジェームスボンド役のショーンコネリーは 惜し気も無くその役を降りて 現在の活躍を得るようになるまでには 結構イメージの払拭には時間がかかったような気もしますが ある意味そうった事を考えたのかもしれません。確かそうだったようで…。

映画バットマンシリーズは 主役を特定してないのは そういう轍を俳優やマネージメントする側が嫌って来た風潮を表しているのだと 私は思っています。

スターウォーズシリーズは 順序を逆にして 大衆にその先を見たいという心理を煽りましたが 本当は単に美味しい部分の今作って当たりそうな部分を映画化したのだと言えばそれまでですが 結果長い年月をその間に置いたと言う事は成功だったわけで それが本当に綿密なはかりごとだったとしたら ルーカスは恐ろしい策士です。

まあ おかげでハリソンフォードは そこそこ売れて 上手い泳ぎ方が出来て 今日の地位を得たのですから それもまた人生なのかもしれません。

よーく観ると SWシリーズもインディージョーンズシリーズも そして私の好きな『ブレードランナー』も 彼の役作り…演技プランは違います。

監督自身の考えでの引き出し方や求めるものが違って それを表すものが違うのは当たり前なのですが ともあれ やるのはハリソンフォードという人間で そして彼の生きて来た人生を封じ込める事は仕切れません。 監督もそんな完璧な『色変え』を指示出来る人もいませんので どこか彼の彼自身の動きが出てしまうのは当然なのですが 上手く作品上だぶらないように 出てしまう『自分』をコントロールしているような気がします。

『あっ これって彼の地の動き仕草?』って思えるものが見えた時は 思わずニヤリとします。

SWシリーズもインディージョーンズシリーズも そして私の好きな『ブレードランナー』も そりゃ~『笑う顔の動き』や『歩く癖』を変えろのは無理ですが 結構或るシリーズでは使う 彼の地の『仕草』であっても 別なシリーズでは出て来ない『仕草』はあるんだな…と思わせられる事もあります。

古き良き時代の俳優さんは…例えばジョンウェイン御大は どれに出てもジョンウェイン。

言い方変えれば 不器用な役者さんではありましたが それを凌駕する絶対的なアイリッシュ親父の『存在感』があったので それはそれでよしと大衆に認知を受けてした人も居ますけれど 現代では 求める人の多様化で 強烈な『存在感』がどんな人間にも認められるには 時間が必要となって来ています。

そういう存在位置の俳優さんは少なくなりました。

難しいもんです。

『演技論』を 門外漢の私が 論じようとおもっているのではありません。

ただ どんな『身体の動き』でも 何かのインパクトを与える事によって 変わるのでは?という事を思い巡らした過程で ちらり思った事。

本稿のテーマは 前回のものも含め『三尺三寸を抜く』であります。

ある事を『施す前』と『施した後』の違いを見ながら検証してみた事のレポートという感じで書こうと思っている訳で 論を成すなどと 大それた事を思っているつもりもありません。

つづく…

 最近、自由乱打をやっていない。フキョからの抜刀ばかりだ。

 自由乱打へ直結する形を求めて…。

 恵まれた体力をベースに、自由乱打で次々と形剣術を撃破した千葉周作だって、何故か「実戦では形を知らなくては大きな勘違いを起こすだろう」といっているのは気になる。

 彼は、形は理、シナイ打ちは業として車の両輪にのように修行することを述べ、シナイ打ち込みの重要性を訴えた。打ち込み稽古は幕末の諸藩に導入された画期的な稽古であったようだ。自然にのびやかな宇動きへとつながった人も多かったのだろうか、近代剣道のベースとなる。

 だが私は、違うカタチで、形とシナイ稽古(乱取り)をつなげるために、拙い工夫をしている。一番乱取りから遠いはず?の居合だ。

 つい最近まで東北各藩に伝承があった林崎居合。この難技から、形と乱取りに共通するであろう「自然力」を抽出したいと考えている。(でもときおり、感覚を忘れないため、課題設定のためにシナイ稽古や乱取りもやるが。)

 独りでもできるし場所を選ばない便利さだ。

 最初で極意と云われる一本目「押立」。相手と密接するように向きあってフキョ、胸へ抜刀、鞘口で相手の左目を打ち(非打)、少し退いて「天横」「天縦」と構え、喉を付いてくる小刀を斜め横にさばきながら首筋へ袈裟斬り、右後へ大きく開くように納刀。

 形試合のように、一動作毎に力んで「エイッ!!」とメリハリをつけていては、派手でも死んだ形になる。乱取りでそんなことしていたら間に合わない。

 いつまでも一動作毎のパーツを見ていても、全体の生きた構造は見えてこない。乱取りで使えない。無刀氏いわく、一動作毎にエンジンを切っては始動を繰り返すポンコツ自動車に等しい。いつでも動けるようアイドリング状態を維持しなくてはと。そして全体の中でこそ生きてくるパーツがある。

 フキョから抜刀までは、ようやく軽やかに流れるようになった。動作もコンパクトになり、以前のように息を切らしたり汗をかくことがない。長い刀も重くない。ココロもカラダも少しでも力めば流れが止まってしまうから、途中で自己分析せずにサッとやってしまう。

 だが、慣れない次の非打から、流れが止まって力むのか、急に刀は重くなり、カラダが地面にへばり付く重力を感じて汗をかく。ここから先の形が、ブツブツちぎれて死んでいるからだ。

 動作が解け合い、形が流れると古伝書の内容が見えてくるか?

 最初の抜刀は相手の胸へ横一文字なのだが、なぜか伝書には「袈裟がけ」と描写することがある。今まで全くわからなかったが、抜刀から非打へと溶かして動くと、その中で「袈裟がけ」が現れてきそうなのだ。

 一本目すべての動きが流れるのはいつのことか。

 近いうち、修武堂で近隣の各種武道・武術にご参加いただく演武会をやろうかと夢想する。地元にはこんなワザがあったのですよと。

 でもそのときに、メリハリを消して流れるような形では、一般にはウケないだろうなあ。 

 アクション部門と分けますか…。ネタとしては柔術の早足または、ナンバ走りから抜刀、そして袈裟切りして駆け抜ける方法。工夫は次回報告します。

 

 自然と人間の作った型

 20世紀初頭の中国拳法家で、流派を超えた精武体育学校を創設した霍元甲(フォ・ユアンジア)。彼の人生を映画化した「SPRIT」を見た。

 実話はわからない。西洋のフェンシングやブレードソード、槍、レスラー、日本武道家とも立ち合ってみせる、映画用の派手アクションだ。

 だが、武術の家に生まれ、戦いの目的を、個人や流派間の抗争から、中国人のアイデンティティー確立のためへと変えていった男の人生には、感じるところがあった。

 彼はちょうど私の祖父が生まれたころ。当家最後のサムライである曽祖父とともに、家伝剣術も居合もリアルに生きていた時代か、と思うと感慨深かった。

 中国拳法は縁遠いと思っていた私だが、御縁から、桜庭晋氏が事務局を務める韓氏意拳弘前分館で学んでいる。 

 うまくは説明できないが、肉体を人工的に強化する一般的な運動とは全く異なる。とにかく生得ののびやかで自然な動きを求めるらしい。それが健康法に終わらずに具体的な武技となるようだ。

 現代人が後天的な学習や思考、近代運動の訓練等にとらわれて、本来の精妙な自然の動きができないようになってしまっている、だから慣れない動きにこそ、自然な動きが出ること。同じ動きを繰り返して熟練を目指す一般的な「熟練功夫」と、一回限りの自然な動きを求める韓氏意拳の「体認功夫」の違い。動作は変わっても根本は変わらないからこそ「初歩を学べ」とすること。前後左右上下に安定して強い「丁八歩」の足遣い…。

 仲間の中で私の歩みが一番遅い。だが、日本武術を再考する上で衝撃を覚えることばかりである。だからよく悩むのだ。これから家伝剣術をどのように稽古しようか…。

 古い日本武術は、型として固定された時点で形骸化したのだ、といわれる意味が具体的にわかってきた。

 シナイ打ち合い稽古や乱取りがいい?、型稽古がいい?、どの流派の技が凄いのか?などという議論は愚問なのだろう。

 繰り返すが要は、いかに自然に動けるかなのだ。動けばそのまま技になるということ。

 それならばむしろ、アタマ優先で動く型稽古よりは、素人が思いのまま、体感に従って打ち合った方が、のびのびと自然な動きになって強いこともあるだろうな。そのことは、いみじくも千葉周作が「剣術物語」の中でも述べていたことに気付く。

「余答へて、それこそ微妙き御尋ねなれ、道理を以て道理の通ぜざるは何そや、総て教に自縛と申すものあり、手の扱ひ、足の踏みやう、皆夫々の法あり、仕業の為めに自らを不自在にして働く故、巧者のものには叶ひがたし、撓打(シナイうち)は縦横十文字、己が儘の働きをなす故、中々窺ひ易からず、形にて覚えし術は、理害に破られて危き所ありと言えば、山口大に感じて其席を去る。」

 やはり、家伝剣術のような型稽古こそ、理に縛られて自然な動きからほど遠く自滅するものか。ならば感性にまかせたシナイ稽古に戻ろうかな?

 いや、力にまかせた自由乱打こそ、いつも自分のクセで同じ箇所が疲労したりして、将来性を感じ取れなかったはずだ。

 しかしその周作でさえ、先輩の一刀流白井亨らの形稽古を讃えている。

 白井は、血がにじむような膨大な量のシナイ打ち合い稽古を何年も重ねた上、それがやがては失われる若さゆえのものであったと嘆く。

 加齢による衰えを全く見せない師は、白井が猛稽古によって体に「邪念」が蓄積されているから、取り除いて本来の精妙な肉体に戻れ、と指摘する。

 「迷路に入ったような、日本の古い武術にいつまでもとらわれないで、完成された他へ行ってしまった方がいいかもな…?」

「それなら、なぜ自分にこの課題が与えらたのか、解いたことにはなるまい…」

「先日、本覚克己流柔術、最後の継承者S田氏から、再生への情熱を確認できて、胸熱くなったばかりではないか‥」

 帰りの電車。ホームでフト、手から導かれて動くことを思い出す。

 確かにその効果は絶大だ。甲野師範のご子息もプロスポーツ選手相手に実感されたようだ。だが武術では、導くはずの手先を伸ばした瞬間、そこを切り落とされてしまうかな?

 ならば、手先を出す気配を消すべきか、全く手先を出さずに動くことが要求されるか? 全く手を動かさずに、体内感覚の中で手先を伸ばして引かれて動くようにしてみた。普通に蹴ったのとは少し違う。検討の余地がありそうだ。

 夕飯。青森市出身のアーティスト矢野顕子のインタビュー記事(東奥日報新聞2006年4月8日付夕刊)がたまたま目に入る。天性の才能に恵まれ「自分らしく」生きてきたという彼女。

 だが、スキーのように、基本を学ぶ前にゲレンデに出て、楽しさと感性にまかせて磨いてきた技術が、あるときから伸び悩んだ。その停滞を乗り越えるのが基礎技術の練習だと気付いたという。以前、書いた津軽三味線の高橋竹山氏の言葉と似ている。

 「自然」に対する「基本」とは何か‥。

 うまく説明できない。今ボンヤリと考えていること。

 人間が具体的な物質であるという限界から、武技にも具体的なカタチは必要であろう。でもそれは、単なる鋳型にはめたような力んだものであっては「自然」をつぶしてしまうだろう。

 「自然」という遣い方、動けばそのまま技になるという世界。そのベースが掴めれば、近世に一刀流の山鹿家と中西家が議論した、型稽古派か、シナイ打ち合い稽古派かという、武道稽古永遠のテーマも、流派毎の差違も、型を何本覚えたかも、はては武道・武術というジャンルそのものさえも、乗り越えてしまう大きな世界へつながってしまうのかも。

 その前に私の意固地を解除しなくては。小説家の村上龍氏は、最新作「盾(シールド)」で、「やわらかくて傷つきやすい心を守る盾(シールド)」を描いたそうだ。私はそんなシールドを少しずつ解除したいのだ。

 私は弱虫ゆえに自らを信じていない。弱さを防護するためにアタマで作った拙いシールドがある。その未熟なシールドの管理体勢を解除しなくては、いつまでもギコチナイ心身。つまり与えられた「自然」を体認でき、上達へと開けていけない気がしている。

 家伝剣術も求めた「自然力」とは何か。あのあまりに微かな体感を思い出した。おっと、具体的なカタチとして記憶してはダメなんだったな‥。

 林崎居合。フキョから三尺三寸を抜き付け、納刀する。このくり返しだけで、かなりの稽古になりそうだ。剣にも柔術にも通じるかも…?

 以前から、フキョで足が凝って、しずしずドッコイショと、何動作にも分けてやっと抜いて、ヒーヒーいっていた。

 ところが、三週間ほど前から、なぜかカラダが軽く、ラクになり、一挙動でサッと抜けるようになったのだ。なんで…?稽古にお付き合いいただいている「無刀」氏に深く感謝したい。いま私は、このホームページのトップの写真のようには抜いていない。

 互いに何をイメージして工夫しているのか?先行する同氏の日誌「三尺三寸を抜く…」その1~その4、の内容とも同時にお読みいただきたい。

 何をしているかというと、受け身の基礎稽古、そして「無刀」氏独自の理論によるカラダほぐし?ゴムバンド巻き付け法?を試した後で、フキョからの抜刀をやる。

 我が正面に立った「無刀」氏が、私の動きの詰まり部分を感じたら、指摘してもらう。それをそのまま正確はできる才能が私にはないため、自分の感覚で試みる。経験が深く、様々な身体理論を工夫されている「無刀」氏に比べて、浅学非才な私はフィーリングでやるしかないのだ。

 持論だがこの図式は、組居合で稽古する林崎流のシステムに似ているだろう。

 つまり、林崎居合が常に師匠を仕太刀につけるのは、単なる対戦相手ではないのだろう。師匠が、打太刀の動きを常にチェックできる位置にいるためではないか。それは家伝剣術も同じであろう。我々の稽古は「無刀」氏が仕太刀役である。 

 あれほど地を踏みしめて動かず、ついに足袋を破いてしまった両脚が、今は軽く動く。しかも意識しておらず、自分でもどうやっているかわからない。

 実は以前のように、カラダを左右に割って云々…という分析する考えが無くなったのだ。なんでいくのか、コトバにならないのだ。あえていえば、超低空で浮いているボールが、ふんわりと膨張するようにカラダを使う感覚がある。

 なぜ急に変わったのか自分でもわからない。今後のために、あえて思いつく感覚をメモしておく。

 フキョ。両腕と両肩を胸の真ん中から、前へ折り曲げるようにしてフキョ。上半身は柔らかく、鞘を握る左手も柔らかく。

 座って、足指に我が体重が乗り切って落ちてしまう前に、ささやかにゆっくり動き始めた流れを握りつぶさないように、抜刀を始める。これは韓氏意拳の形体訓練の中で、我流で勝手にひらめいたことだ。

 具体的には。まず、左手で我が右膝窪みにつけている鍔を静かに、向きあった相手左上腕部に触れるように動かす。同時に地に着いていた左膝が浮きはじめる。このささやかな流れを逃すな。

 この工夫で、今まで汚濁物のように詰まっていた全身が、ザッと流れ始めた気がする。

 右手が優しく柄に触れる。同時に、胸の中丹田と背中のあたりから、前へ吐き出すよう、前受け身を取るよう、体を倒す。

 たぶんこのあたりから、抜刀が始まっているのだろうが、その感覚が無い。

 低空でカラダ全身を、前後、左右、上下へブワッと膨張させたかと思ったら、いつも間にか、抜刀の全工程が完了していたという感じだ。

 この感じが全身の協調ならば、パーツごとの動きを分割して感じ取ることはできない。自分の体なのに、あくまで全体イメージでしかとらえられない。

 全身で抜いている証拠として、割膝(正座した相手の両膝の間に、我が左膝を差し込むようにして正対してフキョすること)で間合いを詰めすぎた「無刀」氏へ、フキョから抜刀したときだ。

 刀を走らせながら、刀が頸部へ衝突するのをさけようと、急に間合いをズラした。思わずしてその変化の動作には、我が腕だけではなく、胴体や腰部などの方が積極的に参加して軌道を変えていたことに気が付いたのだ。

 強いて刀を握る腕に力を込めない。込めれば居着いて次の変化へいけない。ふんわり握って、全身で刀を抜くことが、斬りに全身の重さが乗って重くなること、次の変化にもつながろう。

 あれほど「力んで動かないっ!!」「股が裂けるっ!!」と苦しんだ重い足のことを全く忘れている。軽く動くし、動きもコンパクトにラクになった。

 この身体の余裕が、さらに次のステップへの工夫へといけそうだ。

 鞘の中で刀身がこすれないようにと、鞘から抜ける最後の三寸が引っかからぬようにと、抜刀後の切っ先三寸の如何…などを工夫する余裕につながってきた。

 また余裕は、独演で終わらずに、生きた相手をつけて間に合うか、先の先、後の先などを工夫できる段階が少しリアルな世界として見えてくる予感がしてきた。

 複雑な準備や思考を介さずに、考えずに、何げなく、自然に、シンプルに動けなくては、混戦の中で使えない技だ。それは竹刀剣道稽古の体験からも想像できる。型で養成する「使える動き」はそうでなくてはならないだろう。

 納刀も大変勉強になる。抜刀の後、納刀しようと動いていた仕草がそのまま、形での鞘口による目当ての動きと一致することに気が付く。

 抜刀後に、鞘口で相手の眼を突く「目当て」は、単なる武技ではないだろう。 そして、背中の中丹田の裏側を意識するだけで、まだまだ長い刀でも納刀できる余裕が出てきた。思えば、抜刀と納刀で意識する中丹田は、伝書のトンボ絵でも強調して描かれている箇所だなあ。

 三尺三寸で稽古した後の常寸の刀は、短刀のように短く感じる。それだけに私は軽さに負けて、腕だけで振り回して体幹をつかわないから、稽古にならない気がした。

 この抜刀から、微妙な全身の協調感覚をリアルに学んでいるのだとすれば、このフィーリングが、家伝剣術が求める「強いて力を出さずとも技が熟して生まれる自然力」の学習へも直結するかもしれない。ただし、あまりの主観に、他人へ説明できそうもないのだ。

 居合術の本質からすれば、まだまだ入り口にも入っていないレベルだろう。しかし、十年前には全く読めなかった超ハイレベルな黒田鉄山師範の『居合術精義」』を昨日拝見して、現在の自分のダメさが、具体的に痛感できる箇所が増えてきたのだ。うれしい。

 他にはS田氏から、弘前藩伝の柔術による、ナンバ風の走り方と、羽打ちしない受け身三種、しびれない正座をお教えいただき、大変勉強になった。

 特にお父様が使われたという走り方は、脚力が入らずにラクで、走るほどにたんだん加速がつき、走行中に抜刀も受け身もできそうだ。これで、名和師範の伝のように、右肩に抜き身を刃を外側へ向けてかついで走れば、戦場で駆け続けながら袈裟切りをすることが可能ではないかとひらめいた。感謝申し上げます。

 

三尺三寸を抜く…その4 『するりのるり』

 ここからが 稚拙な私の文章では 表しきれない話しなのですが…右足は前に振れた感じで前に出しましても なおも踏ん張らない事として言いました。なんと表現していいかわかりませんが 水面に浅い角度で小石を投げて 小石が水面を跳ねた回数を競う遊びのように 身体はまだ前のめりに『転ぼう』としていますから その落下放物線をもう一度引き上げる為に 後ろに蹴るというより送るという感じに近いかもしれません。相対的に見ると 動いているベルトコンベアの上に足を置いた時のイメージです。

 昔読んだ雑誌で テニスのトレーニング法(スピンボールのかけ方)に 壁にラケットの軌跡が描いていて それを見ながら振るというのがありました。ラケット面はあくまでも地面に対して垂直で 前方やや上方に向って振り そのピーク点でラケットを引き戻します。ちょうど 片方の先が上がったような 平べったい楕円の軌跡を描きます。そんなイメージを 次ぎに要求しました。但し 臍下丹田あたりに重心(ボールのようなイメージ)があったものが 身体を前に少し傾けたら(『転ぼう』としたら) やや鳩尾あたりに上がり…ここまでは 先ほどのラケットを振った時の軌跡のようなイメージ。それが鳩尾よりやや下に位置する所の背中を通り また臍下丹田あたりに戻るような感じです。

 ちょうど 横からみると 小さいアメリカンフットボールの形のようなループを描く感じとでもいいましょうか。(これらは何度も似た事を書きますが…) これは 転びそうになっても大丈夫なのだから…と身体を安心させる事で リラックスが生まれ 筋肉の伸びにリミッターをかけさせないようにする事により 抜く為の可動域を広げさせる事を目的としています。転びそうになる時点で 鳩尾までは重心は上がるのは出来ますが(自然にそうなってしまいます…ジェットコースターが坂を落下する時の感じ?) 

 重心をループさせて転がすのは(背中を通るという事) なかなかわかっていても運用出来ないようなので 鳩尾よりやや下の当たりの背骨を押してあげて確認させ 抜く際に 邪魔にならない位置から杖で そこちょんと触り この位置を通るようにと身体に促す事をしました。もともと 古剣氏は 三尺三寸の長太刀を抜けます。ただ 鞘から抜け切らない事を恐れるあまり 上体が硬直し 足も必死に踏ん張っているような感じです。途中までするりと抜けるのですが そこから後は鞘に当たっている刀を無理に引き出しているような感じ。よく観察すると  「今は切っ先より30センチ… おしい!今は10センチ…」と 鞘の内に残っている太刀の長さをなんとなく感じる事が出来ます。

 それは 抜ききる刹那 鞘に刃先が当たりブレーキとなっているという事。すると身体は抜こうとしますから 硬直し 可動域を狭めます。また 抜ききっても ブレーキ分だけ 刀に勢いがありません。つまり切れない『抜き』 形ばかりの『抜き』です。稽古会では S田先生がよく言う事です。最初「刀を差して転んでください」とした時には あまり著しい変化はありませんでした。私も 上手くその意味を理解させる事が出来なかったからもあります。

 ともあれ 転ぶ事で『ほぐれる』ものがあれば…と思いながら 何度か『前のめり(転びそうになるという事)』する事をしていただきました。次に趺踞よりの『転び』。その際 趺踞もある動作からの通過点として考え ぐらつく事を制する事とはしないように…とも。最初は 左膝を床についてもいいのでは…とも言い つい制約を掛けてしまって 自分を窮屈な状態に置いてしまう事を気がつく限り止めさせる事もしました。

 それらは アドバイスというのではなく 平素の日常会話としての中でのアプローチです。そして 転びながら『重心のループ』するイメージを まずは身体の中を通る位置的なものを確認。それは体感イメージ…あるいは よく聞く『内観』としてのアプローチとも言えるかもしれません。

 次に重要な背中の通過点を杖でちょんと その刹那にそっと押さえる事をしました。急にやると驚いてしまうので 話しをしている最中 軽く何度もやって 慣れていただきました。それらの事をしながら 何度か刀を抜かずシミュレーションをしてもらいまして 本番。

 切っ先は まだ鞘の内に残っている感じはしましたが 足捌きが 以前は…右足を前に出し 股を開いて左足をスライドさせ踏ん張る感じでしたが 表現は上手く無いのですが 右足は知らぬ間に前にあり 左足は股を開いて「えい!」と置き踏ん張る感じがなく すうっと なんの窮屈さもなくスライドしてある位置に。抜こうとすると 思いのほか 胸を張り腕を伸ばして 鞘から出そうとなるのですが そんな無理繰りな胸の開きもなく抜けています。

 三本目でしようか 三尺三寸の長太刀が そんな長さを感じず 鞘の内に当たる感じもなく するりと抜け 二人ともキョトンとしてしまいました。古剣氏曰く「ぬるりと抜けました。なんか変な感じ…。」もう一回抜いてもらいましたが その感じは 先の好感触を意識してしまい 足遣いはよいのですが 鞘の内に刀が残った感じがあり だめでした。

 「過去に執着しちゃ いけませんよ~。やめた方がいいかも…。」と私。「おお そうですね。」と言いつつ 三尺三寸の長太刀を帯から外しました。『過去に執着…』以前受けた講習会でも言われた事ですが 考えてみると よく野球の方が 去年とフォームが違うから打てないだの 打たれただのって言います。また 去年のよかった時のイメージを思い越して…とかも。時間が経っているわけですから 厳密に言うと その時の思いやコンディションが 固定されたままで 身体に持って来れるわけではありません。持って来れないから 焦る。焦るから まただめになる。これは自明の理。

 くしくも この間のイチロー選手の話しが 興味深く感じました。彼は 韓国戦などを終え 決勝には残れないという もう私達なら諦めかけてしまう時でも 「自分は 『優勝』をイメージしてやっているんだ」と 時には亡失してしまいそうになるのを堪えながらも言ってきたように感じました。でも 優勝した時のコメントは「正直 ここに来るためのイメージは どうやっていいのか浮かんで来なかった…」と あられもなく吐露した時には 思わず唸ってしまいました。

 モチベーションを維持するために イイ部分を切り取って身体感触に たとえ『過去』であっても含ませてやろうとする事は悪いとは言えません。しかし 『過去』を『執着』として使う事は なんの益も生まないという事を イチロー選手はちゃんとわかっているんだな~と ほとほと感心したからです。太極拳の老師にも 「気持ちが乗らなくなったら止めてもいいんです。疲れてまでやる事はありません。」と言われた事を思い出しました。でもこれに補足するなら 「そういう事は 若い内に備えつけていなければならないのです…」とも。

 割と高齢の方が多かったので 身体の土台のレベルの程度に合わせよという事なのでした。ですから 若い人には「太極拳ばかりじゃなく 八極拳でもなんでも 激しいものをやったっていいんです…」と頓着なく言われもしました。

 さて 「試しに 常寸の刀で抜いてみようかな…」と古剣氏。「まあ いいんじゃないですか…」と私。で やってみましたら…。抵抗感も無く 小太刀でも抜いているような感じ。いいえ 抜いているという感じがしないのです。速さもあるのでしょう。思いきりすっぽ抜けた感じで すごい速さ。抜いた瞬間 また二人びっくりしてしまいました。

 ともあれ 一連の実験は 今まで稽古修練している古剣氏だからやれる事なのかもしれません。しかし こうして面白いように変化を見せてくれました。しかも その感のアドバイスは『…な感じ』『…のようなイメージ』と誠に曖昧な事ばかり。『こうして こうして こうなって』などときっちり型の中に嵌めた物言いに全然なら無かったので この通り 文章に書いても 誠に妙なものになっています。でも 意外とそれがよかったのかもしれません。

 まだ入り口当たりをウロウロしている『願立…』の解読ですが なんとなく思う発露に書き綴っている言葉は みなそんな感じがしていたので ああ『真』を知るには あの時代のその人の思いをその場で感じ取れねば 理解出来ないなあと あらためて合点してしまいもしました。

 文字にして 例えば『するりと思う気持ち』と読んでも その意味が体感出来ません。師匠がその場に居て 「『するり』っていう気持ちが肝要なのだ」と肉声で語るから その質感や味が知れるのです。いくら古文書を読み解こうとも そこで得るものの差は 容易に埋まるものではない事も 同時に感じいってしまった次第なのでありました。

 ともあれ しばし 三尺三寸の長太刀についての実験稽古は その後があるのですが それは次回に…。実際は 現在書いている時点で3段階目の実験をしています。仮説倒れもあります…。

三尺三寸を抜く…その3 『四足の記憶…赤ちゃん…二足へ』

次に刀を腰に差しての前受け身。

 とたん柄が邪魔になって(気になって)上手く出来ませんが 柄を身体のどこに納めるかという事が判って来ると 柄が畳に当たっても 帯を伝わってくる突き上げの衝撃が無くなって来ました。

 「趺踞(ふきょ)より その『転んで行く』時の身体のイメージで 『抜く』という動作が出来ませんかね?」と私。常々私は 色んな流儀の型は 編み出しされた動きの一瞬を切り取っただけであるとして 『型』を構えるのではなく それ以前からある動きをイメージして その軌跡中にその型に至るのではないかと思っています。 そして止めてもなお『残心』するという事は 構える前から有る動作が始って そこに至ってもまだ先を意識して欲しいという事です。

 そんなに精通もしていない中国武術ですが こちらの形態ではその部分を静止の状態で表現せず綿々と続く先を行っているような気がします。起式…勢式なんでもいいのですが それから終式…収式は まさに本当に『初めと終わり』 『無極から太極』として表現しているような感じで。一方 日本の古武術の表し方はもっと狭義になっているように感じてなりませんでしたが イメージの中では このような思い方をすると 繋がるものを感じるようになって来た気がします(手前味噌ですが…)。

 そう思うと それぞれの流儀の『残心』の教えは どうなっているか?…などと またそっちの方にも興味が…際限ありません。ともあれ 私達は 二足で『立ち止まる』という動作をしている時でも 完全に身体は止まっているのではなく 絶えず身体修正しています。四つ足ならば 筋肉の緊張を操る事がおおむねで そんなに重心を揺らして微調整する事は 二足程いらないと思います。

 これらは 綱渡りをしたり 一輪車 いいえ自転車で その場停止をしている時の事を思えば理解していただけると思います。『歩く』とは その状態を発展させて つまり重心をその場に『留まるように』身体修正を小さくまとめる方向に終始努めるのではなく ある方向に解放してやる事で『位置移動』をしていると言えます。

 最近思うのは 『無』から『有』が生まれるという意識を持つという事で リラックス状態を『無』として考えていましたが 実際は 生命として今存在している時点で『有』でありますので 『留まる』状態とは車のエンジンで言いますと ニュートラル状態で 絶えずアイドリングはしているのだという事。

 いきなりトップでは走れませんので 瞬時の動きとなるのにも ちゃんとローギアから滑らかに入り 段々シフトチェンジはしているのだと思うようになりました。その一連の流れをいかに早くするかというのが 稽古の賜物なのではないかと考えています。ですから 太極拳では ゆっくりとそれを体感する事として あの緩やかな動きの鍛練法が生まれたのだなと合点しています。でも『無』から『有』。そのオンオフは『意識』上では大切でもあります。なんとなく 先程のエンジンの例えで言いますと そのエンジンを倍加し動かすターボというか添加剤的要素があるのではないかという事。

 太極拳を習った時には 老師に『動こうという閃き』を持って 『起式』が始るというような事を言われました。渾沌とした暗闇の無限に一筋の光りが見えた時 その方向に動き出す…というような感じでしょうか?「光りあれ」と神が言った瞬間 光りが広がり『昼』を作ったとは 旧約聖書の話しではありますが そんな感じのイメージに思えました。

 こういう点では オンオフはあると言えますが 身体的には ニュートラル状態なんだという事。実際趺踞(ふきょ)は大変安定が難しく なおもそれを制しようとすると 上半身は固いくなり ますますバランスが保てなくなります。古剣氏には 『無理して静止を作り出そうとしないように』という意味を持っての 説明をしました。『ある状態からその趺踞(ふきょ)に至り その不安定さから ある方向に身体を持って行くような意識を持ちましょう』と言いました。 

 ボウガンをやっている実弟が言いましたが 的を射る時の構えの際 心臓も動いているわけですし 絶えず『ぐらぐら』しているのだそうで その『ぐらぐら』している内の 照準に的が入りそうな位置の時に引き金を引くような事を言っていました。実際のクレー射撃とか 動体を撃つ時は相手の動きに合わせるようにして そこに来るであろう予測位置で引き金を引きます。静止している標的を撃つ場合は それは身体の微妙な動きであるわけです。それをコントロールしやすい程度のまとめ込む訓練は必要ではあっても 停止させるという事は出来ないのです。それを身体に自覚させたい…

 『転ぶ』は なんの支障も無い事…として 『安心』という動機付けの為に受け身をさせるのです。ひとえに 不安定な中にリラックス体を作るために…。大人になると 転ぶ事は少なくなります。バランスよく歩けるように身体が学習出来たとも言えますが 別な言い方をしますと 歩行中転ぶなんて格好が悪いですから 意外と『転ぶ』という意識を抑制してしまっているところにもあるような気がします。それがかえって『怪我』を呼ぶのであって 意外と酔っぱらった人が転んでも怪我をしないというのは 硬直した身体を地にぶつければ ガラスのようになり リラックス体では ゴムボールのようになるという事なのかもしれません。

 ここでは 『転ぶ』事が目的ではありません。『転び』かけてもリラックス出来るようにしたいからの布石です。重心がある方向に倒れ 浮遊して泳いでしまっているのを うまくコントロールしようとするのが目的。『転び』かける前に この場合右足が前に出すのですが ここでも『出す』のではなく 足が自然と出てしまう事をイメージさせました。

 左足で蹴り込み 右足は推進して前にくり出す…というのではなく 身体を倒して前屈みになろうとすると ふっと右足が軽くなり(浮身?) 同時に 倒れまいとして自然に出る足です。『出す』と意識してしまうと 身体に緊張が走ります。振り子が 重心を前に倒し(『転ぶ』という事)たら 自然に振れたという感じです。そうすると 『左足』は地べたに体重を伝えていたのが軽くなり 普通は『蹴り込』んで無理して床に力を伝達した後 引き上げ 後方に送って四股を踏んだ後のような体勢の時のような時に受ける太ももや膝への負担が無く すっと後ろに送れます。つづく…

三尺三寸を抜く…その2 『受け身から帯刀での受け身そして居合抜』

別の発見もありました。刀を差したままの『受け身』をするという事。

 古剣氏が 言い出しました。剣術をやっている方ならではの発想です。私的には発想した事がない事で これまた身体運用の妙を探究する事になりますし 転んで抜く…とはありうる想定なので 右回り左回りと 鞘を気にしつつ そつなく回る稽古。

 左回りは鞘がぶつかり難しいです。恐らく どこかの古伝流派には ある教えだとも思います。ただ 一連こうして 何も知らず工夫して色々な壁に当たりながら 時として古流のその工夫術理と巡り会った時に瓦解する瞬間 とても身体に沁み入って体得出来る亊もあるのですから 無駄ではないと 私は考えています(決して我流にならず やり方として確定せず 身体が上手く回れたら それはそれでよしとして…)。

 先の左回りの場合は 無理せず 刀を鞘ごと抜いて手に持って回る事しか 今のところ頭に浮かんで来ません。 下手にやると 鞘は折れ 刀が曲がりそうです。これらをやるという事には 少し補足は必要かもしれません。まったく知らない…我流を通すというのではなくて 私達がいる古流の稽古研究という環境(色々な情報も入って来るという事)の下においてやるという事が大事だという事。でなければ もっと外れたものになる確率が高いという事です。ああ これは先にも言いましたね…。

 さて古剣氏に受け身を覚えてもらう事で 『無刀取り』の際の強い突っ込みを躊躇しなくてもよくなる事が本来の目的ではありました。古剣氏自体 家伝剣術の小太刀の型にも生きれば…との思いもあります。太刀の間合いの中に 短い小太刀で入り込む訳ですから 転んでもいいぐらいの勢いで突っ込まないと 小太刀の間合いには 入れないからです(そうしたら 三尺三寸を抜く…という事への発想展開になって来たのですから 面白いものです。おいおい書いて行きます…)。 

 たしかに 不利な武力で闘う事で 胆力として遮二無なものを養成する必要はありますが そういう意味ではなくて むしろ早いながらの動作(体力筋力による力)でありながら ゆとり(『転んでもいいんだ』という身体へのアドバイス)がないと 色んな展開が難しいという意味からです。

 一見矛盾した考えではありますが 速く動けるから次への『ゆとり』が生まれるとは 早く動く中にすでに『ゆとり』があるから…という事で その為には 筋力のみでは難しいので さていかがするか?という事。『転ぶ』を踏ん張れば もうその可能性は死んでしまうので いかにその時生じたエネルギーを保有したまま次ぎへ運用する法が解れば 色んな可能性を秘めていると考察しているからです。

 そこで 林崎居合いで使う三尺三寸の長刀を抜くという事で 実験してもらいました。古剣氏は それを抜けるのではありますが とても苦しそうに抜いています。きつそうです。低く コンパクトに そして体勢を崩すまいとして長物を抜こうとする余り 身体が強張っている感じがします。足を開き 下半身は踏ん張った中で行うので 上半身もゆるみがありません。

 受け身の稽古で 古剣氏には 前に倒れて行くという事をいとわないようにする為に 前受け身を稽古してもらいました。目の前に何かが飛んで来ると 瞼を反射的につぶってしまうように 普通私達は 前につんのめったら 少し手が前に出て 転ぶ事に対しての回避行動をします。赤ちゃんは もともと『はいはい』から『立ち上がる』をし 倒れそうになると手をつく…つまり慣れ親しんだ体勢に戻るだけ…として自然にやっている行為です。

 これが 大人になったら中々出来るものではありません。立って二足歩行をし 手は作業す為 足は歩く為と 分業させて来た為に 四つ足歩行だった頃の身体操法の記憶は薄らいで来ました。そうだよな~と しみじみ中学柔道ボーイズに教えながら 自分で思った事です。そういや あいつら最近来なくなりました。どうしたんでしょ??

 前受け身を 『転ぶから受け身をする』という動機ではなくて 先のように思わず手が出てしまう…というように 予備動作をしない事を心掛けさせて なるべく顔面打つ直前まで 顔を庇うように羽打ちをしないで しかもリラックス体からの膝立ちでの前受け身を練習してもらいました。最初は さすがに恐いですが 身体に受け身をすれば顔面を打たないんだと覚えて行きますと だんだんリラックスというか『転び』にゆとりが出て来ました。つづく…

三尺三寸を抜く…その1『自転車』

古剣氏は 『受け身』が上手くなって来ました。

 私が 彼より秀でているところと言えば 咄嗟に転んだ際『受け身』をしてしまう…もしくは 後頭部は打たないというところ。これに関しては 多分柔道をやられておられる方は 長年やればそうなるのもだと頷いてくれる事だと思います。

 何度も言って来て もういいとは言われるところではありますが 私が子供達に柔道で教えられた事は これだけでしたが 中学に入り違うスポーツに進んでも これだけは絶対使えるから!と 教えたものです。

 中学時代 中体連で私達柔道の試合会場の体育館の隣の体育館ではバスケットボールの大会がありました。私達の会場に バスケットの関係者が 青ざめた顔をして走って来ました。試合中に骨折した選手がいるので…との話し。

 だいたい 柔道大会と言いますと 大方は『ほねつぎ』つまり『柔道整復師』の先生が来られています。どの先生が行ったかは記憶にありませんけれど 慌てず騒がず その会場に行き やがて戻ってこられました。

 聞く話によると ゴール下での攻防で ジャンプした人間に体当たりした者がいて ジャンプした者が横一文字になって 床に激突。その際 咄嗟に手をついた為 前腕の骨ニ本(とう骨と尺骨)がポキリと折れたのだそうです。「手がこの位置にあったよ~。」と同業の先生と 前腕の骨が折れた箇所からスライドして前腕が短くなったような身ぶりをし談笑しておりました。

 ある意味 それ系の怪我には ぜんぜん問題のない環境で 競技柔道の試合はあるのだなあと 思ったものです。ギブスはもちろんテーピングの類いまで どうあろうと出来る環境である事を考えると いかに最近はスポーツ理論や考え方が進んで来たとは言え まだまだ怪我への即応体制がたち遅れている…それは指導者だけでなく選手にも言える事で もう少し意識を持ってもらいたいなと思う次第でもあるのです。

 つまり 武術は『やられて何ボ』ですが その前段階で『やれない事』 そしてやられた瞬間や直後の対処もあるわけですから 西洋スポーツも怪我の対処治療としての『何ボ』ではなく これらの事を意識したノウハウを備えた方がいいのでは?とも思うのです。『受け身』というテクニックの修得は 本来実戦ではさせない事が肝要ではありますけれど それでも 瞬間『羽打ち出来ない!』と固い盤面に打ちつけられそうになったらなるなり 本能的に身体を丸めるとかのなんらかの『力の逃がし』や 『転ぶ事をいとわないリラックスした身体』が 身体になんらかな好転する作用をしてしまうようになるとは思っています。

 前の稽古日誌で 古剣氏が書きましたが 現在『本覚克己流』について調べ出ししていまして 漫画か何かの読み物でのフィクションでよくある『投げられたら 空中で回って立つ』なんて冗談みたいな話しもありました。恐らく 他の柔術流派の先人の武勇伝には そんな話し枚挙のいとまがないと思います。

 ふと考えてみますと 自分も似たような経験をした事があります。そんな 空中を舞う程の事をしたわけではありません(生来の運動音痴ですから…)。中学時代 部活も終わり 夕闇の中を自転車で帰宅している時の話し。道路左側を自転車を漕ぐ私。さらにその左は 幅1メートルほどの側溝というか 田舎道路の堰。きっちりコンクリート側溝で ここからここまでとは言えません。土が崩れないように水面までは法面(斜になっている)がついています。そしてそのさらに左は民家の生け垣です。私の後ろから横をギリギリの間隔で車が通り過ぎました。バランスを崩しました…というか 身体のどこかを擦ったような感じもありました。『転ぶ~~』と思ったので 咄嗟に右足で車の横(ドア)を蹴りました。

 格好つけるわけじゃありませんが 蹴飛ばして その反動で飛んだ…と言った方がいいでしょう。あっと思った瞬間 私は 生け垣に 蝉のようにへばりついていました。その前までの描写は格好いいんですが そのへばりついていた様は けっこうみっともなかった事覚えています。なぜなら 生け垣が生えている側溝との間は つま先立ちするぐらいのスペースしかないので 蝉と言いましたが カエルが両股開いているような格好で つま先立ちしながら 必死にへばりついていたのですから…。

 車を運転していた方が 血相変えて降りて来ました。あまりギリギリに車が寄って通過したから バランスを崩したと思っていたんですが ペダルがぐにゃり曲がっていました。ですから 運転していた方はますます慌てて 私の右足に異常がないか聞き 舐め回すように見ました。でもなんともありません。本当で言えば 交通事故扱いになるのでしょうが 中学生だったので そんな事も気がつくはずもなく 逆に自転車壊して親に怒られるな~と その事を瞬間過りました。

 その後どうして行ったかは忘れましたが 知り合いの自転車屋に連れて行くと言われ ついて行って そこでペダルを何とか直してもらいました。まあ そこまではいらない話ながら ふと今考えてみると 自転車に乗るというのは極めて不安定な状態であり それはけっしてガチガチに身体をしていては乗れません。どなたも経験している事ですが はじめて自転車に乗れるようになった瞬間というのは それまで上半身をガチガチにしてハンドルを操作し悪戦苦闘して乗れなかったのに ある瞬間にすっと乗れるように…まことに不思議な体験をしたと思います。

 今 何気なく乗っていても 力強くハンドルを握りペダルを漕いでいても それは決して力んではいないという事を自覚出来るはずです。バランスボードにのってもよく解るのですが 『このままバランスを保ったまま静止しろ!!』と身体を止めようとすると よけいバランスがとれません。

 どうも自転車を乗れるように…としている時には 頭は『じっと倒れない状態を作ってから 走る…』というイメージを促しているようで それがある瞬間『倒れない内に また漕いで 前へ進む』という 身の委ね方を体感し出来て それを身体が肯定しだしたら乗れるようになっていると言えるのかもしれません。

 その事を持って 身体がリラックスしているから 自在に力のオンオフが出来ると言えるのではないでしょうか?私が 瞬時の身体の捌きは ある意味自転車に乗っていたという条件が 重要な要因であります。その上に 転び慣れている…つまり 柔道での受け身をしている内に 身体が容認している『転んでもいい』とか『転んで 痛く無いように回避する』という事が その上に合わさって このような事になったような気がします。

 じゃあ今出来るか…と言えば なんとも言えませんが 中学時代のような動きは出来ない事は確実なのですど ここでひとつ付け加えるとしたら それは 中学時代の歳というのは オギャーと生まれてから そんなに年数が経っていないという事。これは 身体になんのリミッターもつけていないある意味身体能力が高かった頃… こんなに頭でばかり考えて感覚を大事にしなくなってはいなかった頃…に近かったわけで 言わなくても脱力やリラックスが出来 ストレスの為に身体機能が抑制される事(肩凝りになったり胃潰瘍になったり…)がない時期の身体だった事も効を奏したのではないかと思うのです。

 大人になり こうもストレスの為に ようよう自分の身体が自分のものでなく リラックスすら自在に出来なくなったと思うと 本当にそう感じます…。ともあれ『転ぶことをいとわない身体の為に 生まれるナニカ』があるのでは…と思うのです。薄ぼんやりとではありますけれど こうして修武堂に寄せさせてもらっているおかげで それを専門に考える職業をしているわけではありませんが 見えて来だしている事は 嬉しくもあります。

 もっとも 本当は最早語り尽くされている術理なのでしょうけれど 古文書が読めないで至宝の事が知らないでいるのと同じな状況では そういう程度なのです。ともあれ 実験的な意味合いもあって 古剣氏には『受け身』を修得をしていただく事は とても有り難いのでもあります。つづく…

 日本のどこかに「秘伝」がある、と信じてさ迷うシンガポールの方々に、自分自身重なる部分を感じて笑えないのです。なぜか‥。

 おととい米沢への稽古中、シンガポールから極真空手の師範?または「秘伝書」?を求め、ここ弘前市の相馬村へ来て、岩木山(西目屋?)山中で遭難された方々がいた。今も市内に滞在中と聞く。

 彼らの言葉には、一般的な日本イメージのキーワードが並ぶ。武道といえば国際的にも有名な「極真空手」、「秘伝書に読めばカンタンに強くなる」ということ。条件にあう「」伝説の師範」が見つからないようだ。

 残念ながらカン違いであろう。ともかく日本武道に過大なご評価をいただいているようでムズかゆい。

 十年前もテレビの全国放送で、欧米の超能力者が「世紀末の混乱を救うのは、北東北に住むアオキ先生の武道である」と予言したのを見た。複雑な思いだった。

 今回の遭難さわぎを、国内では奇異に取り上げている。もしかすれば、彼らの言動は事実と異なり、日本のマスコミが面白おかしく誇張して報道しているだけかもしれない。

 しかし。彼らを笑う現代日本人の持つ、武道へのイメージそのものが、外国の方々が持つ通俗的な日本イメージと変わらない気がしてならなかった。

 例えば、「現代、強い武道家は山になんかいない、町にしかいないよ」と考えるのは、町道場を開く近代競技武道のイメージであろうし、「秘伝書なんて、まるでロールプレイングゲームの世界だなあ」というのもわからないわけではない。

 私もそうだった。しかし学ぶにつれて、それをロマンだと一概には笑えなくなってきた。

 確かに津軽には、極真空手の師範もたくさんいらっしゃるし、様々な武術の秘伝書が各所に残る。「秘伝書」を発行するスタイルは近代武道ではなく、古武術を思わせる。

 空手でないとすれば何の武道か?空手のように、突き、蹴りを含む武術ならば、つい最近まで地元にも古流柔術が伝承されていた。先日の日誌でご紹介した御流儀だ。

 その師範は生前、絵伝書には意味不明のシンボルマークがあり、素人が見ても全くわからないが、稽古を通過してきた人ならば、重要な情報とわかるのだ、と言っていたようだ。ごもっともである。

 昭和の大坂万博でデモンストレーションを行い、警視庁逮捕術の参考にもされたというその流儀。今これから再生にチャレンジしようとしている。まあ、シンガポールの方々が求められる武道とは全く違うだろうが。

 迷う方々を、弘前観光協会がお世話しているそうだが、ご苦労が偲ばれる。

 だって現代社会で「武道を探したい!」といっても、そんな情報を集めた案内所は聞いたことが無い。マイナー武術ほど、一般的な情報ラインにあがってくるはずがないのだ。 相談された日本人こそ、どうしていいいのかわからず困っているのではないだろうか。 だってもう武道・武術は失われつつあり、現代日本人にとっては、、まるで「異文化」だからだ。私は、かつて家伝剣術の伝承を探して、全国を歩いたときの無力感をアリアリと思い出す。

 例えば、○○流の師範は?と探したって出てこない。

 ホームページやタウンページに乗った世界はホンの一部でしかない。人間は一枚看板ではない。オモテでは一般的な武道をやりながら、ウラでは違う古い武術をやっている方は、近代以降よくあった日常だ。当会の方々がそうである。個々人のご都合で秘められることが多い。死後に偶然、判明することも多いのだ。出会えるかどうかは「ご縁」としかいいようがない。

 ともかく、信じてさ迷うシンガポールの方々に、自分自身で重なる部分を感じてならないのです。 

 追記 

 そして今日「無刀」氏が、太田尚充師範の翻刻された、本覚克己流の技術伝書を持ってきていただいた。

 凄い…。様々な武術流派のミックスで、素手同士も、対棒、対居合、対剣、対短刀、対二人、対縄など、あらゆる状況で稽古したことがわかる。明日、S田氏にご覧に入れるのが楽しみだ。

 もしかすれば、ホントに復活するぞ…。

 通勤電車で片道約一時間、貴重な時間だ。

 以前は、稽古のためといって、手スリにつかまらず、揺れても立ち続ける練習をした。地面に立たなければいい、決して転ぶことはない。ツルツル滑るアイスバーンも同じこと。

 今はなるべく座る。未解読の家伝伝書を翻刻するためだ。今、二つの伝書を翻刻している。ひとつは有名な「願立剣術物語」。もうひとつは家伝剣術の「○○教話」だ。

 前者の公開は、他でもプロジェクトが進んでいるようだが、当会でも稽古資料として公開できるようにするために。後者は自分のためである。

 以前も書いたが、この家伝剣術伝書は、4代前の幕末から読んでいない。

 史料翻刻の講義をサボり続けた私にとっては辛い作業。藩の右筆ではなく、一藩士が我流の字体で書いた覚え書きのため難解である。大学生時代は1割も読めず。だが最近のF氏の手解きのお陰で目が慣れてきたのか…。七割ほど読めてきたのである。

 家伝剣術は、素朴な形で本数も少ない。これだけで命をかけられるのか…?と疑ってきたが、翻刻が進むにつれて、巨大な技術体系の一部が顔を現してきた。

 なるほど、これならば…。

 現代の武術や武道で重視する、心身の具体的な術理や先師毎の工夫はもちろん、かつては最重要事項であったろう生臭い護身術、対異種武器、対集団、死体の検分法等々。シナイや木刀、刀の作り方はあまりに細かくて辟易したし、体術の練達者への対応もかなり意識していたようだ。

 田舎流儀でも、一門を為して、生涯かけて稽古すべき内容であったことがハッキリと実感できて嬉しかった。

 例えば先祖は、剣オンリーだったと思っていた。だから末孫が様々な武術をお教えいただいていること自体、代々の中では異例であろうかと思っていた。

 だが実は、剣オンリーであった時期は近代だけで。幕末伝書には多彩な武技が現れる。つまり現在、会で多彩な内容をやることは、先祖帰りであるともいえようか。

 しかし、古い術を尊敬して、再生させようとも、懐古オタクにはならない。自分が生きている現在とつながるものにするべきだよなあ。

 東京の桜は満開らしい。

 でもこちらは、雨雪に吹かれながらパンフをかついで博物館の宣伝営業へ。県内の新聞、テレビ、ラジオなどマスコミ全社、そして北海道道南の観光会社数社を回ってきた。

 マスコミへの営業でいつも痛感するのは「あるカタチ」にはまらないと、取り上げてくれないのかな?という感覚だ。「これは記事になる、ならない、ウリは何ですか?」

 特に大手の報道がそうだ。さすがに現状の世をとらえているだけに、こちらの情報を取捨選択し、ツッコミを入れるのがうまい。それによると今の時代は、文化事業が全くウリにならないようだ。

 記事になる「あるカタチ」ってなんだろう?それは本質をついたものか。その選択基準は、誰が作ったものなのか?マスコミがとらえようとしている世論か?マスコミが誘導している世論なのか?

 何を報道し、何を報道しないのか?戦時中の基準は有名だが、おそらく現代でもあるモノサシが生きているのではないだろうか?

 実は限られた紙面や表現方法では、伝えられない現実の方が、はるかに巨大でリアルである。報道される世界は、客観的な警鐘を鳴らず「社会の木鐸」よりも、世俗の雰囲気にウケやすい、バーチャル世界である可能性もあろう。

 なぜそう思ったのか。北海道営業で豚カツをごちそうになった、ある昆虫研究家のお話がキッカケだ。

 高校で生物の教鞭をとらわれる傍ら、三十年間、昆虫の蛾(ガ)の研究をしてこられた方。失礼ながら初めは、小さな世界のコレクションかと思っていた。

だがお話が進むにつれ、あまりに精巧な蛾の飛行システム、種の分布が数万年に及ぶ大陸移動に関わるであろうことなど、大変大きなスケールの研究だとわかってきた。

 何より感銘を受けたのは、現在、人類が把握している蛾は、全体の十パーセントに満たないことだ。だからなんと、函館郊外のご自宅、住宅地内からも、新種の蛾が発見されるという。二十年前、裏山でも新種に偶然遭遇したが、その後二度と見たことが無い蛾もあるという。まるでUFOや未確認生物UMAの話ではないか?そんな世紀の新発見が町内でできるとは…!?

 その方はいう「未だ人間が知らないだけなんだよ。」

当たり前のことだが、自然は人類より前から存在している。その存在は巨大で、人間が開発して、アスファルトで区画整理し、人間の支配する世界にしたつもりでも、すぐそこに未知の昆虫が生きているのだ。

 そんな未知の広大な世界を研究することは大変なことだ。だからあらかじめ、分野を限って小さなワク内でやれば、締め切りに間に合って、目に見える成果は上がるだろう。私こそ○○地域の○○種の○○の権威であると。人間世界だけでの権威がたくさん生まれる。

 だが、そのワクを少し広げただけで世界は巨大になり、全くつかめなくなる。○○町の蛾だけといえばいいが、道南という、それでも一地域の蛾を研究したいと考えただけで、生涯かけても終わらないという。

 自然が人智を超えて巨大なこと、それを知ろうとするためにはどうするべきか。武道や武術の稽古も、知っているようで知らない、身近な自分と他人、人間存在を探っていることにつながると思う。

 だから、受験問題のように、初めから正解が出されていて、それに当てはめようとする求め方では、自ずから到達できる世界は狭くなるであろう。それは、巨大な世界を知らずに、人間世界の中だけでのママゴトにすぎないのかもしれない。

 現代はカタチで示す成果主義といって箱庭の中だけで騒ぎ、答えが見えそうにない深淵で巨大な世界に挑む偉大な行為を忘れているのかもしれない。昆虫学者の背中は、上手くならないと功を焦る私自身へ猛省を迫るものであった。

 私は「電車男」もとい、「静電気男」だ。

 職場で、同僚に書類を渡すとき、ビリッと静電気が走る。というより私のは、ときどき強すぎて、相手が痛さに飛びのくのだ。乾燥肌だからかな。

 一方父は、必ず空港の金属探知機にひっかかる。ポケットの中を空っぽにしても、ベルトをはずしても、ブザーが許さない。回りは怪しげに見る。

 なぜ!?仮面ライダーストロンガー一家か。どなたか原因を教えてください。

 駆け抜けること。

 先々週おいでになった防衛大の入江先生。駆け抜ける姿が眼に焼きついて離れない。甲野善紀師範のご子息が中国拳法をヒントにやられたことらしい。

 フワッと立ったまま、手に曳かれるように動く。展示室の番をしながら、お客様がいないときなど、柱やベンチ相手にコッソリ、マネしている。

 一回目。すり抜けた!?。二回目もすり抜けた!自分でも眼が回るようで、どうなっているのかよくわからない。三回目はガンっ!!とぶつかった。四回目は怖くなって足が止まった‥、五回目は力まかせ‥、六回目右手リードばかりではない、動きながら左右の手を使い分けるかな‥、

「俺の放つ矢を見よ。

 第一の矢はしくじった、第二の矢もしくじった、第三の矢もまたしくじった。

 第四、第五の矢もしくじった、

 だが笑うな、いつまでもしくじってばかりはいない。

 今度こそ、今度こそと、十年あまり

 毎日、毎日、矢を射った。

 まだ本物ではないにしろ、たまにはあたり出した。

 見よ。

 今度の大きな矢こそ、人類の心の真ただ中を、射あてて見せる。

 そしてぬけない矢を

 俺の放つ矢を見よ。」

 (武者小路実篤「矢を射る男」より)

 学生時代好きだった詩「矢を射る男」は、あきるような単純な型の中で、自分の動きの質を見つめながら稽古しているんだなあ。私の矢はまだまだあたらない。

 お客様が来たからやめて、そ知らぬフリ。

 最初に立ったときがカンジンだ。ガッシリではない。動いて一瞬でも足がグッとなればダメ。微妙なニュアンスで説明できない。ただ動くだけ。

 足は置物にすぎない、手に曳かれて動くとは願立だ。そしてこの間の韓氏意拳弘前研究会では、腕と肩と膝が一直線上になるのが自然だと教わった気がしたが?

 似たようなことは新陰流の伝書でもいう。家伝剣術では両拳が胸の両乳から出ないようにという。いずれにしても、腕とカラダの進行方向には重要な関連があるらしい。

 動く先が、相手との接触点まで、と意識してしまえば、そこが流れの終着駅になる。そうなれば、さらに手前からダメになりはじめる。ゴールを考えない。遠く向こうまで意識してやる。

 このことは、昨冬、来弘された甲野師範が、願立や韓氏意拳を例えながらの体術でもおっしゃっていたことと似ているな。

 中身は違うかもしれないが、以前、無刀氏にお相手いただいた体術稽古を思い出す。袋竹刀で打ってくる相手に向かい、こちらはオープンハンドのグローブを付けた素手の無刀取り。タックルするように、相手の背中越しから、背後へ抜けていく工夫も思い出す。

 「打った後、相手の後ろへ走り抜けろ」とする剣道技術は、明治の見せ物撃剣興行のときの「見得きり」か、密着戦を考えない剣道が、「打ち合いが成立する間合い」を作るための試合技術だと思っていた。だが、もしかすれば、流れゆくような技法が、一般向けに誤伝して普及したものだったりして?。 

 家で家族に袋竹刀でアタマを叩いてもらう。今度は立ち止まったところからではなく、遠くから歩み寄りながらながら、さばく。今まで間合いに入ると緊張し、工夫しすぎて足を踏みしめたり、もつれたりしていた。

 剣術がバスケと異なる点は、バスケの相手は、主にボールをターゲットにやってくるのに対して、武術は自分自身のカラダ自体がターゲットになることか。 

 間合いに入って、相手の起こりを感じたら、サッと手に曳かれるだけ。一度はしこたま当たってひっくり返ったが、なんだか可能性がありそうだ。この動きはこのまま家伝剣術の大太刀や小太刀の型と一致すると思った。

 素早く動くためにテンションをあげるかと思いきや、それじゃ叩かれた。反対にココロの使い方も、力まない、とらわれない、つまり、祖父の好きだった言葉「平常心是道」がいいのかもな。

 ランニングをやめて私の足は細くなり始めた。でも、地面への突っ張り感が消え、武術では下半身の自由度が増した気がする。足腰で踏ん張って立つというより、肩から足元まで垂らしたカーテンのような感じで濃淡が無いようになる感じがいいのかな。立ったときに首から下の感覚が無い、とおっしゃる高名な武術師範がいらっしゃる。天井から吊られたマリオネット、エアフックと例える師範もいるようだ。

 カヤ棒のような、あの幕末の警護サムライの立ち姿。和服の構造からして上から流れるように垂らすカタチも、当時の身体感と関係があるのだろう。

 剣術と居合の師範だった幕末の先祖の写真。代々うちの男は中肉中背であったらしい。チョンマゲ和服で二刀差し、両肩がストンと落ち、ちょこんとイスに座って写っているが、筋肉男にようなドッシリ感が全く無く、空中に浮いているようだ。

 午後、そして翌日は、鹿間師範をお招きした韓氏意拳弘前研究会。みなさんドンドン上達されているが、私が一番遅れている。

 入江先生とご先輩の長谷川万利子先生も飛び入り参加。初めての意拳であるのに、的確にポイントをついたご質問をされる、とびきり聡明な方である。

 「過去」は人間の経験が作りだした過ぎ去った幻、「未来」も人間が仮定した幻想にすぎない。それらではなく、体認する今この瞬間の原理原則を求めていくというらしい。

 全身の協調とバランスか。体認が教えてくれるカラダの変化の機会「天機」か…。

 私は小賢しいアタマのブレーキを解除して、なぜカラダの自律性にまかせられないのか…?。他の武術で覚えた悪いクセ、そして自分のことが大嫌い、「♪オンリーワン」なんてバカか、全く自己を信じていないことが、上達を阻んでいるなあ。

 考えなくとも、カラダは自ずといつも精妙なバランスを取っているという。

 カラダが優秀な馬だとすると、馬鹿アタマが手綱を引いてかえって馬をダメにしている。

 そのままバランスを崩さぬように動けば、全身が乗った重い突きとなる。願立や白井亨、一刀斉もいったことだ。ナルホド鹿間氏がなにげなく振り下ろした腕は、のしかかることや強引さを超えた、「問答無用」の重さであった。

 このように、人間の理論を超えた自然のバランスの凄さを説く術理は、サイコーかサイテーというカゲキさの賞賛、理詰めと細分化をモットーとして袋小路に入った現代文明への痛烈な批判となっている気がした。

 考えることをヤメヨウ、ただ動くだけ‥などと、迷い稽古に熱中していたら、脳ミソがショートしたらしい。カラダ全身の重みが消えて、鼻筋が抜けるようにキナ臭くなり、密度が濃くなってトリップしてきた?。

 タントウで腕を上げていく時計の二秒が、数十秒の長さに感じてくる。そして腕を上げるときの僅かな体内の揺れが、音叉のように反響して、全身のバランスが大きく揺れ動き始めるような実感がしてきた。これを開放したらどうなるんだろう?魔に入るかな。

 「意識が内に籠もってきている、もっと外の世界へ」という鹿間師範のアドバイスで、その密度が一瞬でパーンとはじけて、カラダの感覚が体育館一杯に、球体のように広がったことを覚えた。

 全くヘタクソのヨコ好きだが、ジワッと確かな「生きているっ‥!!」充実感を覚えるのは、ゲームでも酒でもスポーツでも無い。武術の稽古以外にはなくなってしまった。よくぞヘボ剣術の家に生まれけり。ナンてね。

 ここ二十年、あれほど歯を食いしばって、雨や吹雪の中もやったランニングを、しばらくやっていない。健康法としてならいいが、武術にとっては無用な消耗に、全くやる気がしなくなったのだ。やらなくなったら足の突っ張り感が無くなり、かえって足の自在さを得た気がする。はたから見れば遊んでいるかのような摩擦歩の方がずっとよく、歩行がラクで速くなった気がする。

 武の稽古は、トレーニングジムやランニングのような、カラダあちこち濃淡のある、軋むような疲労ではなく、湯船に入って温かさが、全身まんべんなく行き渡った感じで大変気持ちよいのだ。特に韓氏意拳の翌日は、なんとなめらかな我がカラダよ。

 今日は何時間やった。明日も負けずに道場に立つぞ…、というオンオフを繰り返す無理な日課ではなく、日常生活の中で気がついたら工夫している…という余裕のある楽しみになると、燃え尽き症候群や「いつまでやれるのかな?」という辛い悲壮感が無くなるのでは。引退無しで、人生をかけて熟成していけることにつながると思う。武技が健康法や養生法へもスライドしていったことがよくわかる。

 韓氏意拳で自然舒展(しぜんじょてん)…と稽古し、このように剣術や居合をやりたいものだと帰った。

 たまたま、全剣連「木刀による基本稽古」ビデオが目に止まった。

 カバー写真。剣道少年が、腹を突き出すように腰を反らし中段の構えをとっている。いわゆる剣道の「正しい構え」である。

 だが、なぜか「この少年は、背骨が後ろへわん曲しすぎて、折れているのでは?」と違和感を禁じえない。何度も目を疑い、父に見せ、誇張しすぎではないかと、真剣に心配してしまった。

 全国向けだから、連盟推薦のエリートをモデルにしているはずだ。それも木刀型だから現代剣道が想定する、最も理想的な構えであるに違いない。

 しかし、以前説明した幕末の写真だ。要人警護の武士達が両肩を落とし、猫背で幽霊のようにソットと立つ、重さを感じない姿勢とまるで違うのだ。伝統武道?のはずが、かえって当時の欧米人達の反り返って、硬く床に張り付いた立ち姿を、さらに協調した姿であるといえよう。

 こんなに反って固めては辛いだろうな。剣道部時代は私もそうしていたのだ。自然舒展(しぜんじょてん)にはホド遠い体幹部。長じるに従ってヘルニア腰は免れまい。

 そして、なんでもアリの斬り合いとなれば、下半身は斬られやすいし、投げられたときに受身も難しくなるだろう、無刀取りはもちろん、触れずに変化する技も難しいだろう…。

 幼い頃から見慣れたはずの剣道の姿勢に、大きな違和感を感じるようになった私の体感自体が、部外者として変化しつつあるのかもしれない。いいのか悪いのか‥。

 ともかく、入江先生、鹿間先生、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 追伸 『秘伝』様、道場ガイドに掲載していただき本当ありがとうございます。でも修武館ではございません。修武堂でございます。お手数ですが、なんとか訂正をお願い申し上げます。

 雪に覆われていた道が乾き、ようやく春が来るのかな。

 ふるさとの四季の移り変わりはハッキリとわかりやすい。身を粉にして、毎日かいてもかいても、人間を押しつぶしてくる豪雪でも、時期が来れば、何もしなくとも見る間に消えていった。大自然の前になんと人間は無力なのか。

 雪が降らない土地では、これほど「春が来た!」という身に染み入る実感、開放感はわからんだろうな。そのうち、フキノトウ、タンポポ、梅とサクラの花が一度に咲く、春の匂いが来るだろう。

 今日は一日武術漬け。午前は定例稽古会。防衛大学から、あの高名な入江先生がおいでになった。

 東京近郊では、甲野師範の影響で凄い技を体得した方が、入江先生を始めとして続々と登場しているらしい。うらやましい限りだ。

 最近私は、様々な分野のご縁をいただく機会が急激に増えつつある。もっと視野を広げて大きくなれとの導きだと感謝して、がんばらなくては。

 なのにお粗末な稽古で恐れ多い。まずは、当会唯一の共通課題である?林崎居合のフキョからの抜刀のご紹介した、というより、先生の目の前で、仲間同士の検討をご覧いただいただけだ。

 最近、フキョからの抜刀へ戻っている。

 以前は三尺三寸を抜くために、カラダを分割して云々…とやっていたのが、最近は全身をボンヤリと眺めながら、理屈よりも感覚重視でやっている。やっている私を無刀氏が見て、動いていない箇所を指摘してもらう。その指摘も「○○な感じで…」などと、非合理的なフィーリングである。最近は以前のように、カラダをパーツ毎に分解して、技巧的に考えなくなっているのだ。

 以前よりずっとラクに、そして低空で抜けるようになったか。そして抜刀と納刀を静かに繰り返すだけで、フンワリとした多面体構造の変化を求める、もの凄い稽古になるだろうという予感がする。

 その感覚で常寸の刀を抜くと、かなり短いジャックナイフを抜いているようなラクさだ。軽く過ぎて手先でブレてしまう。

 立ち膝の上段へ、相手が喉元へ小刀で突きを入れてくる。それを横へさばきながら袈裟斬りで返す型。床に張り付いた立ち膝で、全く動けず間に合わなかったのが、振りかぶりと斬りの動作によるカラダの揺らぎをそのまま生かすと、座っているのに一気に浮き身がかかって、瞬時にさばける予感がしてきた。

 これができれば私にとってのミラクルだ。イメージを少し変えるだけで、できるようになるかも。なにか崩れなかった巨大なカベが、カゲロウのように威圧感を消して、次々と新しい向こうが見えてくるのかもしれない。そう思えば同じ型の動きでも、全く異なる斬新さである。かつての武士の技は、スポーツ技能ではなく、職人芸だったのではないかと最近思うようになってきた。 

 次ぎにS先生へお願いして、袋竹刀で剣術型、約束打ち合い稽古。刀の構造から家伝剣術型を再検証してもらう。居り敷きながらさばいたり、上体はそのままで両足同時にさばけば、見えにくい動きになるらしい。ガンガン乱取りするより、毎回、毎回何かの気づきがあるのが楽しい。

 気がつくと向こうでは、数名が集まってグレン柔術のミニ講座をやっているようだ。グレン先生の鍛え抜かれた手刀は怖い。素手でさばいた後、中指が一ヶ月腫れあがっていたっけ。

 我々の稽古会はバラバラなのがいい。目指すところはバラバラだからこそ、流派内の共同幻想とならずに、垣根を超えた普遍の術理を考えなくてはならなくなるのでは?

 思えば発足して約1年半か。当初はS氏と二人きり、議論やケンカまがいの力比べで終わったり、何をしているのか互いにわからない型?をやったり、全員で拙い私の抜刀を眺めて終わることもあった。最初のゲストは総合格闘技の屈強な方だったが、あまりの弱さにあきれられたであろう。冷や汗が出る。

 私は今も上達してないが、稽古会の空気が、爽やかな流れと熱気が満ちたものとなってきたのはつい最近か。 

 修武堂の名前も私の趣味ではなかった。もっとクールな横文字にしようと思ったのだが、会のコンセプトが、旧弘前藩異流派合同稽古場のものにピッタリだったのだ。それに私個人の会ではなく、様々な武が集う場なので、勝手な思いが反映されていない名前がいいと思った。といっても、ほとんどは、できない私が皆さんに相談している会で、メリットは私にしかないといえよう。

 無刀氏曰く、武のダンスホールだ。突っ立ったままの壁の花で終わらないように、自ら会場を歩きまわってそれぞれの集団に参加して実験していく。毎回どんなアイディアが生まれるのかわからなくて楽しみになる。

 なんでも学びます。次ぎに躰道や合気道、総合格闘技をやられているH氏から、格闘技の基本を習う。ボクシング式の構え、パンチ、ステップ、そしてタックルして転ばすという一連の技術。少しずつ受身ができるようになってきた。途中でおとといお邪魔した合気道稽古の応用も出てきた。

 最後に入江先生から一手御指南いただく。

 座礼または、しゃがんだ姿勢で、上から押さえつけられても、そのまま立ち上がるという稽古。「そのまま立つ」だけだという。そのカラダで、正面から袋竹刀で切ってくるのを左右へさばいて脇を抜けてゆく技。

 入江先生は、体育館にバレーボールのポールを立てて、そこをすり抜ける独り稽古を重ね、ご専門のバスケに応用しようとされているらしい。

 対すればわかる。速い。入江先生は、円転しながら脇を駆け抜けてゆく。人間よりは動物のような得体の知れない動きを思わせる。スゴイ!こんなことができるのか。入江先生ご自身は、床を蹴ってバスケをやっていた頃に比べて、あまりにラクに手応えなくいくので、本当にできているのかどうか試してみたのだという。S先生や無刀氏は、興味深そうに何度も挑戦されていた。

 どうやるのか?やはりコトバだけではない、感覚のものらしい。蹴らずに進行方向へ手から導かれていくもので、甲野師範のご子息からもアドバイスをいただいたのだそうだ。アッと思った。昨年末に見つけた家伝剣術の小太刀のさばきと共通するものではないだろうか!?

 私のはレベルが低い。でも、まるっきり違う立場と地域で工夫していながら、偶然にも似たような方向へイメージできていた、とすれば、今後の大きな希望と励ましとなる。同じ人間のカラダだから、求めていけば自ずと近似してくるのならいいなあ。

 「古剣」というペンネーム。私が初めてではない。郷土の偉大な先達が使われた。

 八戸藩神道無念流を修め、近代剣道の大家、中山博道師範の有信館で剣道を学び、ふるさとの埋蔵文化財保護に尽力した教育者、音喜多富寿氏(1905~1975)である。彼は、八戸俳諧倶楽部を創設した北村益に師事し、北村から「百錬舎古剣」を受け、略して「古剣」の雅号を使われた。

 剣と文化財行政に関与した点で、私は後輩にあたる。でも名前はマネしたわけではない。私のは単純に「古ぼけた剣をやっている」という自嘲の意味だ。

 その師匠、百仙洞古心と名乗った北村益(ます)(1868~1951)がいる。八戸藩士家に生まれ、少年期から八戸藩伝の北辰一刀流剣術、大坪流馬術、当田清見流棒術、川崎流柔術、加賀美流打毬、溝口流居合、穴沢流薙刀、高巣流縄術、通神流剣術、一当流柔術、柳生流鎖鎌、神道無念流居合などの十二流派を学び、上京して根岸信五郎に剣道を学び、中山博道師範とは同門で、中山師範をして「北村さんには突きで苦しめられた」といわせたという。明治22年に士族の子弟らに対するリーダー教育と農学などの実学を八戸青年会を結成、明治40年八戸町長になった人物である。

 北村と音喜多は、昭和初期に八戸尚武会を結成している。この二人の修行歴を見ると、現代の剣道選手ではなく、なんでも使ってかかってこいのサムライ、総合武術家であったといえよう。そして近代の政治家は、文化も武術も玄人レベルの偉大な教養人であった。

 特に北村は、あまりに高名な近代武道師範、園部秀雄師範と中山博道師範の技術に対し、面と向かって反論するという反骨の人であったようだ。

 昭和15年、北村は「復古日本武道に関する建白」を当時の文部大臣へ提出する。

 その中で、青森県で薙刀講習会講師を務めた、あの高名な園部秀雄師範の技術指導に対して、その使い方が西洋式体操に近く、武術本来のものとしては使えないのではと、幾つかの疑義を直接投げかけている。園部師範の返答は、誠実なお人柄そのままに、これは御流儀本来の技術ではなく、児童用に改変して指導しているのだと答えられているのだ。

 また、北村の弟子小瀬川充氏によれば、中山博道師範の著作『日本剣道と西洋剣技』に記された中山師範の残心論も北村は否定し、訂正を求めたという。(八戸市図書館『郷土の先達 北村益』より)

 現代はどうか。例えば私の父は、全く中央の有名師範と面識が無い地方の一剣士だ。家に取材に来た全国誌の記者が「剣道八段合格に際して、どちらの(中央の)先生に師事されたのか」と聞くので、田舎道場稽古オンリーだというと、信じられないような顔をして驚いていた。

 近代スポーツとして、中央集権と官僚化が進んだ現代武道において、北村師範のような地方剣士が、中央有名師範に対して、面と向かって疑義を呈するなど、今ではありえないことだろう。

 しかし当時は、近代武道の普及まもなく、地方にも独自の武技が根付いていたからこその反論なのだ。その裏づけが無くなって、すべて中央向きになったことの原因は、衰退した我が家伝剣術にも責任の一端があるだろう。

 加えてこの史料からは、近代武道が、本来の技術追求よりは、わかりやすい体操スタイルへと変形しながら、普及を計ってきた過去が見えるのだ。

 近代はすべての分野において、地域性をならし、画一化へと向かった時代であったといえよう。そのことで欠落したものは、精妙な技芸において特に甚大であったと想像する。 民俗調査においても、村々の多様な伝統芸能が近代に、ひとつの権威が作った理念や基準に合わせようと、先祖伝来の獅子頭の角を折り、所作やリズムも変え、画一化した競技大会用技術へと横並びになっていった状況が全国にあることを紹介した。その姿に伝統の姿や自らのルーツを見ようとすることは、虚像を生むアブナイことなのだ。

 現代の我々の武の稽古も、その延長上にあるのかもしれない。

 思えば家伝剣術も、今の私が教えをいただいている技の多くも、一般普及には合わないマイナーが多い。だからこそ深く面白い。 

 無刀氏がビックニュースを持ってきた。

 本覚克己流柔術(和術)。近世に弘前藩士が、林崎流や柔術をベースに編み出した、素手や剣、棒、手裏剣などを含む総合武術だ。

 流儀名だけならご存知の方が多いと思う。全国誌で流儀名が引用され、流出した伝書類が東京神田の古本屋で高値で売られたりする。だが実態は全く不明であった。

 十数年前まで、弘前市内で外科医院を開かれていた大津育亮師範が伝承されていたが、ここ数年で、師範やお弟子さん達が次々と鬼籍に入られ、火事で伝書類も消失したと聞く。

 一度だけ修行者とお会いしたことがある。十年前、大学生だった私は、祖父を訪ねてきた空手の某師範とお会いした。祖父は和道流空手顧問もやっていたのだ。

 玄関先で祖父と二人でお話を拝聴した。その師範は本覚克己流もやられていること、継承者が少なくなり、今後どのように残していけばいいのか。最近はビデオやパソコンで記録して、動きを分析している武道もあるそうだから、それも検討しなくては‥云々。

 お聞きしながら、家伝剣術の現状と重なる点が多いと痛感していたことを思い出す。

 数年後、その方は祖父より早くこの世を去られた。私は祖父を載せた自動車で、ご自宅へ香典を持っていったことを思い出す。

 その後、雑誌で中央の武術家が、本覚克己流修行者を探していると告知するのを見るたびに、当地にいて何かしなくてはなあ、と十年が過ぎた。www.budoshop.co.jp/Yoshimine /bh2002/020215-25thKobudotaikai.htm

 先日は、無刀氏にオープンフィンガーグローブとヘッドギアを付けて、突き蹴り実験稽古にお付き合いただいた。素手で殴られる怖さと痛みを知っておきたいと思っている。その折りに、本覚克己流をやっていた方を見つけた!とのニュースをいただいた。

 無刀氏は全く知らずに、ずっとお仕事でお付き合いがあった若い方だという。たまたま当会においでになっているグレン=ウォーターズ師範が、ご自身のグレン流柔術DVDを日米で販売されることを話したら、実は幼い頃に柔術をやっていました‥と思い出話をされたのだ。

 以下は、無刀氏からのまた聞きの思い出話だ。

 幼い頃、日常生活でも父上がすれ違いさまにいきなり技をかけてこられ、よけ方がマズイと教えられたこと、弘前公園の工業高校脇の坂道を、回転して下りながら受身を稽古したこと。柔道の羽打ちのような稽古法があったこと。故大津師範と父上とで東京の警視庁へ技術講習に招かれたということ。父上は、テレビでボクシングやプロレスを見ながら「あんなに筋肉をつけてしまうことは、あまり良くないのだ」などとおっしゃっていたという。実家に残る伝書類も探してみるとのこと等。

 稽古後、無刀氏と屋台ラーメンを食べながら、何かの貴重なご縁だ、お節介だが、何かのお役に立ちたいものだと語り合う。

 近世以来、同じ藩のお仲間であった御流儀。昭和19年に大政翼賛会が主催し、青森県で開かれた「古来武道関東北大会」に出場した県内の古武術は、約30数流派であった。本覚克己流と家伝剣術はご一緒したいる。だが現在、ふるさとには家伝剣術を含む4流派しか残っていない。

 ここ十年、その消えゆこうとする伝統の明かりを傍観するだけであった。失うのは一瞬で、再びは絶対に戻らない。何もせずに見送ったのでは、先祖にも後世にも言い訳が立たないか。お前はそのとき何をしていたのか!?と。

 安易に中央へ輸出する前に、この地で生まれたワザは、まず、この地に生きる人々の血脈で再生したい。もしお役に立てれば…。

 ふるさとといえば、青森県では住民意思を全く問うこともなく、突如、今月中に、米軍Xバンドレーダー設置が決定となる。ワールドベースボールだ、チーム青森だ、カーリングやりたい!と騒いでいるうちに、もっと大きなニュースがボケている。

 貧しさゆえに、岩国のように毅然とモノ言えないふるさとは、いつもツケこまれて、米軍基地も核開発も産業廃棄物も、日本のイヤな部分はすべて引き受ける。片田舎なのに、他国のミサイルが一番狙うであろう国土防衛最前線に立っている。

 あのとき何をしていたの!?後世からいわれそうだよな。 

 弘前劇場。国内のみならず海外でも評価が高い、地元の劇団。

 入ると既にステージに役者がいる。開幕ですよー!が無い。

 既に始まって流れている世界へ、観客が後から入っていく感じだ。武術でいえば先を取られていることか。先をとられたあと、向こうのペースから降りようとするほど、我はリズムを崩してハマっていく。

 場面展開のスキマを溶かしてしまうことを、昔、甲野善紀師範は溶暗技法といった?と思う。警戒バリアーを張る前に、スルリと侵入されているのだ。それに似たようなことはは大東流合気柔術の木村達夫師範の著作にもあったような。

 人によっては「ワザが速くて見えなかったのだ」と感じるのだろう。

 一流の役者になれば、演技と現実の境界が無きが如し。動作にアラがなく、ユッタリで力が無いのに、場に即応して変化している。

 そうなれば、ココロとカラダを分けて考えることが不可能になる。恐らく自己と外界ともだ。我は世界の一部として一致してしまう。

 過去も未来もない、今この瞬間を生きる、前後裁断というらしい。韓氏意拳や新陰流でも似たようなことをいったと思う。今ここに生きれば、瞬間の密度と深さが増す、そうなれば、相手のアラに入り込めるのか。

 構えた瞬間に、カラダにささやかな「ある」流れ、揺れが芽生える。カタチを決めるようと踏ん張ってはいけない。それが流れ続けるよう、つぶさぬように、滑り出してゆく。

 以前、生々剣で同じようなことを何度も書いた。しかし、独り道場で刃引きの刀を持ちながら、どこかで疑い、カッコいいフォームにこだわって、流れをつぶしている自分に気がついた。これじゃ、いつまで立っても使えないよな。

 居着かない流れは、自ずと乱取りの中でも使っている感覚ではなかろうか。力んで固めず脱力しすぎず。乱取りと形稽古をつなぐ感覚かもしれない。

 このように居着くこと、固執することは武技でも使えないが、人間生活でも「苦しみを生む」といったのは仏教だったかな?

 見えないモノを感じ取れる畏友も、空気のよどんだ室内、流れのない沼やプールには、マガマガしいモノが生まれ、ゾッとする気配がこもりやすいという。

 弱虫で得意技にいつまでもしがみつきたい私だ。だが万事、よどまずに変化しつづけることこそ、清らかな強靭さなのだろうか。

 触れれば斬れる刀の刃こそ、居着きや固執とは全く無縁であり、少しでもよどめば斬られてしまう。その道具の操作を学べということは、意固地になりがちな私が、自ずと清流のように滞らない生き方を体得せよ、ということなのかもしれない。

 古剣氏とやった武器術の考察について 先に述べてみましたが 実はその前に 彼にやって頂いた事があります。

 古剣氏は剣道出身者。体術系の私からすると奇異に思えるぐらい 『転ぶ』という事に不器用です。 もともと 子供は転ぶ事が当たり前みたいなところで 身体の動かし方を覚えて行きますから 大人になっても別段出来ない事ではないのですが どうしても何かが邪魔をして 「転んでみてください」と言っても ようよう転べません。 

 私的に考察した見解ですが 古剣氏の家伝剣術は 剣道のような姿勢では出来ない… もっと言えば 体当たり的な要素が多々有り むしろ体術的と言ってもいいのではないかと思うと おおいに転がり 痛さに慣れ 痛さを逃す術(受け身等)を備えれば 多次元的にさらなる動きに幅が出るような気がします。 

 ですから 体操選手程で無いにしろ 三半規管を鍛える意味でも転がる事をし その内 転ぶ事での痛みの恐怖を克服するために受け身等をやるという事で 二人での稽古は(僭越ながら)最近そういう稽古からはじめています。 

 でないと 無刀取りの稽古でも 体当たりとなる事があるのに 私が思う存分それをする事が出来ないからです。 子供に柔道の受け身を教えても来た経験があるので 何気なく思っていたのですが 転ぶ以前から身体を硬直させていては ガラスや瀬戸物が上から落下して粉々になるが如く 身体にダメージを与えてしまうのだなあという事を 恐がりながら受け身をしている古剣氏を見て あらためて知りました。 転ぶ事の恐怖を取り除かないと いつまでもそういう『居着き(硬直)』で受け身をしてしまい 痛いだけです。 宙を飛んでいる最中には 力が抜けていないと(厳密には ふにゃりとしてはいけないようです。身を預けるという感じは近いかも…) 衝撃が分散されないのです。

 私の合気道の先生である T先生は普通の板床でもやってしまいます。すごいです。 ともあれ 硬直体と柔軟体での受け身…今さらながらに考えた事がないので 普段受け身はどんな状態をしているのかと思いやってみました。

 『羽打ち』して手を畳みに打ちつける時は 締める感じ。そして前腕までは一瞬硬直させているような感じ。でも肘から上には 差程力が入っていないような感じがしました。 事前に 身体を硬直させた形では 恐い感じがしましたし 痛かったような気もします。

 ここで断っておくと言うか踏まえて置かなければいけない事。これは投げを修得する為の 『受け』側を守る為の畳というクッションの上での便宜上の対処法だという事。 『投げ』方は 残心だけは投げ打ち砕くイメージを持っても あるところでは『受け身する余地』を与えているとも言えます。 『受け』の方も アクティブに受け身して 逃れたり攻めたりもあるでしょうが 本来ならば 土岩の上での攻防なのですから 『投げられる』とは『死』と心得て置く必要があります。実戦では 受け身等させてはいけないのです。 

 稽古と実戦の間には 相当な開きがあるのですが それを自分自身の頭の中でシンクロさせて 応用出来なければなりません。 竹刀が刀に変わっても 寸止めの突き間隔を実戦では無くしてしまう事も 道具を持とうが無かろうが動きに差異が出て来ない事も みな同じく出来るように…とする為に 先人達は稽古の工夫に相当な努力の陰が伺えます。

 意拳もしかり 『願立剣術物語』を読んでもそんな感じがします。 ここで思うのは 柔道には 『打ち込み』があり『約束乱取り』とかその後の『乱取り』とかありますが 『打ち込み』は 剣道で言うところの所謂『型』であります。 実際 組み合い動く中での攻防なのですから 『型』通りの軌跡を持って投げれる事はなく それから各自の工夫が生まれて入り方を自分のものとし 実戦に応用して行きます。 

 ですから ある意味 柔道で有名な方の教本を買ってそれを修練しても 身体のタイプやセンスが違うと 何の上達も得れない結果になると 私は思っています。 さてここで よく聞く『型稽古』で強くなれるのか?という話し。 柔道のノリで言えば 『型稽古』と『竹刀稽古』は一つの線上にあると思いますので 剣道も古流剣術もないと思っています。

 したがって 剣道も古流の型がいっぱい生かされて 当然剣道が行われていると思っていたのですが どうも違う事を知りました。 ルールが 本来あった修練目的を持たせなくなっているような気がします。 柔道は 際限なくある攻防をある段階で 意図的にある段階の攻防を止めているだけ(関節投げ技や当て身等)。 そのリミッターを取り 止めておいたオプションを付加する事で 総合格闘技に参戦する事が出来るとも言えます。 

 では武器術である剣道は どうでしょうか? 武器より体術 体術より武器と その間を縦横に動けた剣術家が 今もいるなら参戦しているかもしれません。 ただ 武器も使える…という事がある故 そんなにマッチョになる必要はないので 現在の総合格闘上では 明らかに不利ではありますが…。 ともあれ 本当は 剣道やってもみたいのですが 何となく引いた感じになっている事も 正直な気持ちなのです。 

 おっと 話しは脱線。 ともあれ 古剣氏も転ぶ事がスムーズになりました。まだ 歯を食いしばって倒れ込んでいますが…。 その後のメニューは 時間がないので 合気道技を掛け合い 関節のストレッチ。

 掛ける相手は いかにも『掛けるぞ!』というのではなく スムーズな体捌きと力の伝達を知る事が目的。 掛けられる相手は 『頑張る!負けない』と思わず素直に掛けられ 自分の関節の可動域を体感するのが目的です。なんとなく 気も通るような…。 私も 最近合気道の稽古に行っていないので かなり怪しい技ではありますが 時間も節約も出来ますのでいいかなと思って取り入れてやってみました。 

 本当で言えば これらをする前に 袋竹刀による対人自由稽古をして その後に又する時の古剣氏の身体の感覚を聞いてみたいと思っています。何かが違うという答えを期待しているのですが…。 

 その日は丁度そこへ 意拳の講習会に北海道より参加していたF氏が訪ねて来ました。 講習会後 この日を入れて二日 弘前に滞在するというので もしよかったらとお誘いしていだのです。  F氏は 意拳に惚れ込み 光岡老師の教えを乞いに全国どこにでも行かれ この度は 中国に韓老師の元へ行くツアーにも参加している方です。 自分は大した事がない まだまだだとおっしゃっているのを 無理にお願いして 粘椿をみてもらいました。

 なんの事はない ただ腕を上げる…という事が 身体の何処にも強張りが無く 無理のない 作為のない動き 自然の動き 普段何げなくしている動きが 出来ているかのチェックです。 意外とというか これは本当に難しいのです。 

 『腕を上げ』ようとして どこかに力を込めてしまいます。 でも 私達は 例えば ほっぺたが痒いと思ったら 自然に手がその位置に行きます。何処かに力を入れて 『ああ痒いから掻こう』なんて思っててから 行動はしません。思ってみたら 力を感じずに その位置に手が行っています。 それを 『さあしてみなさい』と言われて 出来るものではないのです。 

 チェックのために そっと手を添えてもらわれると もうその事を意識してしまって 作為なく上げる亊が出来ません。 手を添えると どこが居着いて 強張っているか 作為が有るか無いかを F氏の経験値でいいですから 見て下さいと頼みました。 私は全然ダメでした。もう身体がガチガチ。『上げるぞ』の意識。『ああ 筋肉が強張っている』との認識。それらが 身体の居着きを呼んでしまって あられもありません。 古剣氏は なんとなくいいフィーリングとF氏評。 ああ くやしいなあ… おっといけない そういう心が 自然な力を出す事を抑制してしまいます。精進せねばなりません。 

 いつになったら 登っているなあと 感じる事が出来るやら…そんな気持ちで その日の稽古を終えたのでした。Fさん ありがとうございました。また来て下さい!

 意拳の講習会に出れなかったフラストレーションからか 月曜の午前中の少しの合間 丁度 古剣氏が休みだというので 稽古しませんかと申し込みました。 

 実は 時折 こんな変則的に稽古会を内輪で行う事はあるのですが 今回は古剣氏が東京でお買い求めになったというスポーツチャンバラ用の『棒』 そして私が作った稽古用の鎖鎌での実験稽古 そして古剣氏家伝剣術の検証をする事となりました。 

 『棒』は両端がエアクッションになっているので 片端を掴んで『突く』とか 端部を掴んで遠心力を使っての振り『打ち』は出来ません。 ただ やってわかった事(棒術杖術を納めている方は当たり前の事なのでしょうが)。 どう振り回そうとしても 形としては両手で掴んだ棒の両手間を相手に曝す事は 太刀では両断されたりする危険性がありますので おおむね振り回しは 縦(或いは斜縦=袈裟)に円を描くような動作で 自分の攻撃圏を作り出し 身体の捌きをもって横の攻撃圏をカバーする事で 『球』のような攻撃圏を形勢するのではと思いました。 

 これに槍の要素が加われば 前後。そして薙刀の要素が加われば さらにもっと傾きを持った縦円の動作が加わり 身体の転換による攻防を楽にしてくれます。つまり 『斬れる』という要素が加わるので 動作自体も楽さが増すと言えるのです。 術理からすれば 『打下ろすが如く』が本分であり 先に刀がついているので つい『斬れる』要素に甘んじる事を諌めるような教えはあるかもしれませんが 遠心力と刀の切れ味があるのですから…。 でも 単に振り下ろすだけでも斬られるなあと思いました。

 さて これに対抗する太刀。 理論的には 太刀より動作が大きくなるので 惑わされる事がないよう努め 相手の拍子さえ捉えられれば  攻撃圏の中に入れるような気がしました。 少々 棒の部分が身体に『打ち』を当てに来ても 近ければ近い程衝撃は弱い訳で 頭以外なら多少骨の一つも折られる事を覚悟で入り込めれば 何とか刃物では制してしまう事が出来るかもしれません。

 でも そうは問屋が下ろさないでしょう。攻撃圏の内に入ってしまえば文字通り無用の長物と こんな私でもシミュレーション出来るのですから 長柄の物の術理はそれを凌ぐ術理を奥義として持っているのでは?と思ってしまいます。

 結局 こうしてやる事によって 色んな事を考える事が出来るというのが この稽古会の面白いところであります。 このように疑問を得る事で 普段単に武術の型を見ても見えない部分が 見えるような感じがしてくるから不思議です。

 さて 鎖鎌。 分銅部分をスポンジで作りましたが 扱いの難しさや私の作った道具の欠点も判りました。 まず 振り回す時のヒモがよれて来るのです。 各流派の中間をとってサイズを決めたのですが 分銅のヒモ取り付け位置 柄尻 柄先 鎌根元によっても ヒモの長さによってもその操作は違います。 柄自体の長さや 十手術のような『受け』捌きをするか否かによっても 握りを守るガードや柄を刃物に耐えうるべく鉄板を回すとか 本物は色々工夫がされてあります。どうも 一挙両得には行かない事を まざまざと知りました。

 そりゃあそうです。 死を賭して開発されて来た武器そして術理なのですから 私の考えなど幼稚過ぎて話にならない事を知りました。そして それもまた面白い。 ともあれ やってみて感じた事は 分銅術を主として行うか 鎌術(あるいは十手術等の短い長さの武器術)を主として行うかにより 攻め方が違って来るという事。 鎌の形状や分銅の長さにより どちらかに偏って行かざるを得ないのではないかと思いました。

 ただ 二種類の武器術を駆使するので 片方に居着かず 柔軟な対応を身体が素直に出来ないといけない事も思いしらされました。 頭をばらばらにして展開しなければならないので 意外とひとつの武器術で居着き易い身を解体するには面白い身体稽古かもしれません。楽器のドラムやエレクトーンを演奏するようなものです。 

 ともあれ分銅の運動特性を 新体操の選手のリボン競技のように熟知する事だけでも 面白いのだろうと思いました。そういう点では 投げ縄術や鞭術や中国武術の流星錐なども興味が湧くところ。資料を探しています。 

 さて 太刀対鎖鎌。長いヒモでの分銅を何度かはヒットさせましたが これが実戦なら打ち砕いているとは実感出来ないへろへろとした『打ち』。最終的には 鎌によってとどめを刺す事がいいのかなと推察しました。 捕り縄の『早縄』では何種か縛りの術理がありますけれど 長い縄をともかく放り どうでもいいからぐるぐる巻きにしてしまうという風にでもいいのだと聞いた事があります(投網みたいです)。 

 長いヒモでの鎖鎌は そんなスタンスを持っているような…。 短いヒモのは ヒモと鎌という連係というより 一体の動き一連の動きをもって行く感じなのかなあと推察してしまいました。ヌンチャクとか棒の先に分銅がついている武器(名前ど忘れ)みたいな扱いとなるのでは?? 

 ちょっと意外だったのは 長い分有利だと思う事は 太刀より激しい動きをしなくてもいいのだろうと踏んでいたのですが 実は長いレンジでの攻防になるので 太刀同士より よりそのレンジから逃れる為に 必要以上に動き回ってしまう事を思いしらされました。

  ゆとりがあるかと思ったら 結構遠間に逃げまどわねばならないし 棒や鎖鎌などは振り回しに結構重労働で 逆に世話しなく疲れてしまいました。 でも棒に関しては 先に槍や刀が付き 数人の雑兵に持たせれば 大した術も無くても 容易に鎧武者を仕留める事が可能なのだという事を痛感した次第。 

 これじゃあ 鎧武者も築き上げた武技も使えず たかだか百姓上がりの雑兵に突き仕留められたら 悔しかろうなあとも…。

 光岡老師をお迎えしての講習会が この度行われました。 

 私は 私用で午前中参加が無理な為 そのまま午後の部というわけにいかず 断念。 ただ 前日軽い歓迎会をと開いた席の終わる寸前…と 講習会が終わった夜の慰労会が終了後 修武堂でも時折使用させて頂いている 由緒有る北辰堂道場の見学の際と 老師を拝顔する事出来ました。

 本来なれば この本州の果てみちのくにおいでくださるというのは とても奇特な事。 昔なら もっと手厚く持て成し しばしの投宿してもらい 教授を受けた事でしょう。 …昔の人は この地までその高名が伝わっている方なら尚の事 持て成した事でしょう。 そんな事 しみじみ思いました。

 この度の会の報告やお礼に関しては 世話人より挨拶がありましたから 切り口変えて…。 今回参加出来なかった理由は私用もあっての事ではありますが 心無しかそれが残念でした。

 しかしながら 前回数度 東北圏などを見て頂いている鹿間老師の講習会のつい最近の会において 私はその時どうも疲れていたらしく(まあ ほんの早起きして あれやこれやバタバタやっておりましたから…) やればやるほど 自分の身体の強張り感じて 上手く…いいえ素直に身体の動きをさせてやる事が出来ませんでした。 

 ああ…と バットフィーリングが身体を走る度に 鹿間老師には見透かされてしまってしまいます。 そうなれば アリ地獄のアリのように どんどんドツボにハマって行きます。身体の中で通り巡る感覚が ぶちぶち途切れる音すら感じます。 終了後の慰労会の席で 鹿間老師の「たいぶお疲れのようだったですね…」と労いの言葉。完全に見透かされてしまってました。

 というか 韓氏意拳の稽古は そんな微妙さが如実に出てしまう稽古なのであります。 今回も 先の理由にて断念せざるを得なかったわけですが 今までの考えだったら せっかくの貴重な機会(光岡老師来青)だからと参加したのかもしれません。 しかし こんなバットコンディションの中で学んでも 身体を通り巡るものも薄く さっと沈澱する程度の理解度すらもままならないのなら しない方がいいとも思ったのです。

 いずれ またの機会もある事。またも その機会に臨む事が出来なくても また次の機会もある事。 結果 縁なく終わってしまっても それまた縁。『おしい』と思う 業の深さの『魔』に陥る事で 『見えるべくものすら見えなくなるぐらいなら しない方がいい』と思う気持ちを持つようにと 心に促したのでした。 

 韓氏意拳では 『執着』する事の悪事を諌めているような感じを受けます。そして その『居着き』『強張り』『留まり』を 解放する事を促してくれます。 この度にそう思えたのも 頭ではわかっていた事ながら 数回身体を通して教えてくださった…まだ狭い通りですが そんな前回の促しが 身体を巡っていたからなのかもしれません。

 おかげで 最近物忘れが激しいながら 思い出そうともがき苦しむ事も 無くなりました。 ぽっと 水面に浮かんだ閃きをそのままにして置いてしまって やがて沈ませてしまった事に よくああメモしておけばよかったと 悔やまなくなったのです。 

 これは 思考としてはわかっていた事ではありましたが なかなか実践を伴いません。また 運良くメモ出来ても そのメモすら無くすという事も多いのです。 まあ いつか思い出すさ…と思うようになったら 結構忘れそうになった事が差程時間がかからない内に思い出せたり…。少しは ストレス回避になったようです。

 身体に素直に…とか 身体が欲する事は何なのか?とかを考えながらして来た事は それなりにやって来た事の中での効用はありましたけれど 意拳においては 少なくとも私の中では こういう展開が身体の中(頭を含めて一体に…)を巡り巡るとは思いませんでした。 

 面白いもので 実を言いますと そう思いを実感すればするだけ 逆に禅の公案のように 身辺では それを疑い脅かすような事柄が次から次へと起きている事も 白状します。 ですから ますます身が強張り 何かが滞っていたり 阻まれている何かを感じます。固くて 打ち砕き すうっと通す事を すんなりさせてはくれないのです。矛盾してますよね。 稽古でも何でも 今までの事がなんだったのだろうと否定されているような気さえします。

  実際内面では もがき苦しんでいるのでありますが 苦しいながらも 苦しく無い…というのは語弊がありますが 妙な感覚でもあるのです。 ともあれ 抜けだせていません。何かしだす度に 現れて来る…という感じです。しようがないので 放っておく事にしました。 

 くしくも 光岡老師が言いました。「一歩歩く また前へ一歩歩かねばならない そこが崖でも… じゃあ どうするか?」 私らは 考えました。どうしたらいいだろうと。いい答えを考え巡らしていたのです。 

 そしたら 光岡老師は笑って言いました。「何も考えず 横に一歩繰り出せばいいのです…」すっと 打ち込まれた瞬間 身体が硬直したところを打たれた感じ。だめです。まだまだ 『居着く身体』です。 

 去る2月18日(土),国際韓氏意拳総会日本館代表の光岡英稔師範をお招きし,青森県初の光岡師範による韓氏意拳講習会が開催されました。

 当日は午前の部16名,午後の部13名の方々が参加してくださいました。講習は,口頭による詳しい講義・説明と実際の動きを取り混ぜながら進みました。以前から鹿間氏による研究会に参加していただいている方が大半でしたが,初めて韓氏意拳に接する方も何人かおられ,皆さん熱心に話を聞いていただき,とても良く伝わったような気がいたしました。それに,ところどころ笑いが起きるなど,楽しんでもくださったようでした。

 世話人自身は,今まで聞いたことを「何度も聞いていて,理解している」つもりだったところ,全然分かっていなかったことが判明して,愕然としたりしておりました。

 ヘラクレイトスの「人は二度と同じ川を渡ることはない。」という言葉が,講習ではよく引用されますが,人が実際に動く際には,今ある自分を表現することしかできません。それなのにどうも「(うまくできたというような)過去の記憶」,「(早く上達したいというような)未来への希望」といった,現実(現在)には存在しない幻想を,ついつい追い求めてしまっていました。何度注意を受けても,知らず知らず,いつの間にかまた同じ事をしてしまっている自分がいて,なかなかタチが悪いものです。

 やはり夢想願立の「願立剣術物語」にあるように,「心の偏り怒りを砕き,思うところを絶やし,幾度も病をおびき出し」てもらわなければ(自分では出来ないので)ならないのだな~,と気持ちを新たにした次第です。

 さて,私事はこれくらいにしまして,参加してくださった皆様,開催にご協力くださった皆様,鹿間さんそして光岡先生,本当にありがとうございました。お陰様で今回も大成功でした。

 これからもよろしくお願いいたします。

 一刀流といえば向身、一ツ勝は単純に上段から中段へ真っ直ぐ打ち下ろすだけ。

 こればかり稽古している、と言っても過言ではありません。

 私が初めて道場で振り下ろした太刀から、去年の稽古納めの時の太刀に至るまで、私の太刀の遣い方も様々に変化し、たかが、木刀を真っ直ぐに振るために、果てしなく苦労が続きそうです。

 真っ直ぐ振るといっても、打太刀を切り落とさねばなりません。

 上太刀を取る、後の先の太刀である、等と理屈を言う前に、自身の身体能力を存分に発揮した太刀でなければなりません。

 この、自分自身の身体能力を計る物差しとなるのが、向身でした。

 刀の振り方とは、と論じ出せば限が無いと思いますが、一ツ勝を繰り返していると、打撃の手応えが最も分かり易い答えです。

 私の太刀が最も威力を発揮するのは、「太刀にぶら下がるように遣う」時です。体重を活かした、重い太刀になります。

 手首のスナップ、肘の屈伸を使うと、どうしても打太刀に打ち負けてしまいます。正眼の構えそのままに振りかぶり、全身(腹筋)をバネにして打ち下ろすとき、腕や肩に力が入るのではなく、太刀と体が一体になったような感覚になります。

 その一体感とは何か、と考えた時、思いついたのが、「太刀にぶら下がっている」ような気がするな、ということです。

 天井に突き刺さった刀の柄を握ってぶら下がる、その姿は奇異で不自然であると同時に、ただ、ぶらさがっている、というごく自然な姿でもあります。

 さて、太刀にぶら下がった私に何が出来るでしょうか?

 体操選手でもない限り、私の筋力では到底、この姿勢をコントロールすることは出来ません。

 体を不自然に捻じ曲げようとしても不可能です。コントロールは出来ませんが、無駄に力んで体を歪めることもない、不動の姿勢です。

 体の各部が、ただ、有るがままに、刀にしがみ付いてるだけです。

 つまり、「向身」です。太刀筋は重力にシンクロした垂直なものです。

 長々と能書きを垂れましたが、

(七段目)「五体は天地の釣り物也、片つりになきように心得べし

(三十一段目)「身の備え、釣り合いの事  総て五体は釣り物也

 これを読んで私がふと思いついたことです。

 ただぶら下がって居れば自然に遣えるのに、ほんのちょっと体に捩れが生じただけで、太刀の威力が消えてしまうのは不思議なものです。

 ほんのちょっとの力みが、釣り合いを崩してしまいます。

 この向身が、半身、一重身を使う時の物差しにもなります。

 で、実は最近、ようやく、車の太刀も遣えるようになり威力も増しつつあります。筋力ではなく、骨格のバランスが上手く作用していると思います。

 一刀流脇構えの打ち落とし、打太刀の正眼を打ち落とすだけの組太刀ですが、力ずくでは絶対に打ち落とせません。しかし、構えた半身を正しく変化させ、刃筋の通りに打ち込めば、軽く振っても面白いように太刀が飛んで行きます。

 古武道の奥の深さ、先人の知恵を実感します。

  2月17日から19日にかけて、韓氏意拳の光岡師範と鹿間師範に弘前講習会においでいただいた。

 一流の講師陣はさることながら、当会出身の「稽古人」氏が、意拳青森世話人として活躍している。青森県内だけでなく、札幌からも参加されて17名程度。地方としては順調な滑り出しだという。

 光岡師範を青森空港にお迎えする。視界をふさぐ吹雪。師範にとっては日本で訪れた最北の地らしい。弘前までの小1時間、車中で、地吹雪の話から、津軽の風土、私が家伝剣術再生のためにお邪魔して稽古をいただいていること、武術、宗教など様々なお話ができ、楽しかった。

 講習会宣伝のため、FMラジオに出たというと、「あえて無理せずとも、御縁がある方とは必ずつながりますよ」といわれた。ナルホドとうなずく。

 しかし講習会当日、私は出勤だった。

 ギャラリートークといって、一般の来館者へお話をする当番だ。今回は歴史資料として、文字だけでなく、人の思い出や記憶、しぐさ、映像や音声記録だって貴重な歴史資料であるという民俗学概論を担当した。東京文化財研究所で国学院大のO女史、元小川原湖歴史民俗博物館長のS氏も来館し、岩木山お山参詣屏風図に描かれた絵画情報について談義した。

 私は武術稽古法だけでなく、民俗学の研究方法についても疑問を持ちながら模索中だ。みんなと同じにやらないとは、なんとヘソ曲がりな。

 ホントに残念ながら、夜の懇親会しか出られない。22時頃、講習会のみなさんを我が道場へご案内。

 建物が半分、雪に埋まっている。暗くて寒い。一昨年、甲野師範が喜ばれた刃引きの真剣をご披露した。何世代前に作ったのかわからない古く重い刀。刀どうし思い切り打ち合わせて使ってきたため、刃はギザギザ。両師範は楽しそうに刀を振られていた。

 遅刻した私は、光岡師範から個人的におさらいをいただく。

 前々から、鹿間師範に教わっていることなのだ。その度に感動しているのに、愚かな私は3歩歩いて忘れている。同じことを何回も聞いて喜んでいるのだからオメデタイ。

 万物を流れる原理原則と、ちっぽけな人間がコンタクトするためには「体認」しかない。 しかしその体認も、変化し続けてつかむことのできない幻である過去、現在、未来のどれもアテにできない。現在でさえ、つかんだ瞬間に消えている。川の流れに目印をつけようとしてもムダである。

 だから、人間では認識できないほどに、微かな「今」を体認する。だから自分のカラダの現状を理解しようと止めて分析してはいけない。生々流転する現象を、無理やり止めて、死に物にして、分析したがるのは近代文明のクセであり、人間のアタマの限界だという。 

 都市は、人間のアタマが造った、生々流転できない死物ばかりで覆われており、そのシステムに合わせるために人間が自らを矯正してしまっている。

 そして、力を用いたり、アタマで考えた具体的な動きや実感を目指してはいない。わからないまま、のびやかな状態「自然舒展」だけを求めて動く。

 型や技を具体的な固定したものとして稽古してはいけない、有形である人間が「それ」を稽古したり継承する方便として用いる。

 他の皆さんは既に学ばれたこと。一番遅れている私はまた感動した。一生懸命お聞きしたことを忘れないようにここにメモした。でも、私の勘違いもあるからご注意を。みなさん、ご自分で体認してください。

 武道、武術が「人間形成につながる」と近現代武道はよくいう。「本当か?」「具体的にどうしてそうなるのか?」昇段や大会成績ばかり目標にしていると答えられず、技は現代風でも、いきなりサムライを引いてお茶を濁してしまいたくなる。気持ちはわかるが、ホンネは、社会的な体裁を考えているだけのことも多い。

 しかし、具体的なカラダの実技を通じて、老荘思想、道教、陽明学、ギリシア哲学のヘラクレイトス、アインシュタインの相対性理論まで論じられる韓氏意拳には、「どうして?」という質問自体がナンセンスといえる。明らかに武は、ケンカに強くなる独りぽっちの道具で終わらずに、広大な世界へ心身をつなげてゆく大道になるのだろう。

 最後は、津軽藩ねぷた村の屋台ラーメンhttp://www.neputamura.com/ra-men.htmlでシメる。 中国で本場を食べられている両師範も美味いとご満足。

 夏には、世界遺産白神山地のブナ原生林で「韓氏意拳山ごもり合宿」はいかがですか!?と勝手に提案して笑いあった。

 実は懇親会へ行く前、新車のバンパーが氷のブロックで破損した。でもその分、いい稽古をいただいたのでナットクした。悪いことがあれば、いいこともある。世の中は差し引きゼロなのかもしれない。

 お二人の師範に深く感謝申し上げます。

 世の中は、トリノオリンピックに夢中かな?日本武道館出場のため、東京ドームホテル連泊。

 夜は「お上りさん」らしく、六本木ヒルズに立ち寄る。案外狭くて小さかった。ここが「日本をリードしている」と思い込んでいる場所か。広い世界のホンの一部に過ぎないだろうに。

 朝起きるとテレビで仮面ライダーカブト。前回の仮面ライダー響(ひびき)は、大人の後ろ姿や継承、土と人間を感じてなかなか斬新だった。が、再び都市でしか活動しないバーチャル、子供くさいオモチャヒーローに戻った?。つまらんなあ。

 ついでに近くの武道具屋を回る。

 いやあ。十年前の学生時代に比べて、商品のバリエーションが増えましたなあ。特に袋竹刀が増えた。柳生のもの、鹿島神流の固いタイプも。

 以前、袋竹刀はマイナーだった。学生だった私が、この店で恐る恐る在庫を尋ねると「あんな壊れやすいもの、売る店はサギですよ、ウチは売りません!」と店主が怒鳴った。今は同じ店が大量に並べて売る。商売は世に合わせないと…。

 この変化は、実際に打ち合って剣術を検証している人が増えた証と見たが!?

 乱取り用のパンチグローブもフィッティングして選んだ。打撃や掴みもでき、剣も握れるようなヤツが見つからず。柳生の伝統的な袋竹刀用小手を初めてつけた。前腕と手の甲、親指の上までを固い皮一枚でカバーし、四指はほぼむき出し。手首が固まって動かない気がした。検証用にスポーツチャンバラのエアー六尺棒を一本購入した。

 羽田からJAL最終便。手荷物で木刀よりエアー棒が不審に思われ、説明に苦労した。父は不思議体質で、何も持ってなくとも必ず金属探知器に引っかかる。

 青森行きは悪天候で、前日からことごとく欠航。目の前で秋田便も欠航に。青森便は、途中で引き返すかも?と飛ぶ。でも必ず着くとの私の確信通りになった。

 翌日。K氏にお付き合いいただいて、青森県武道館柔道場にて稽古。受け身、エアー棒と袋竹刀の打ち合い。

 無手での生々剣を検証。向き合い、互いに両手を前へ出し、胸をつき合う方法。なんと、相手の胸めがけて腕をぶつけるより、相手の後ろ十メートル向こうのトビラ目がけて、なにげなく手を伸ばした方が、相手より差し込みが速く、浸透力がありそうで、私より重量のあるK氏をラクに押し返せる。

 これは生々剣の感覚に近いか!?先日、秋田山中の温泉で独り工夫した歩み出しと同じ方法だ。袋竹刀を持ったら意識してしまってダメだった。

 武道館演武も勉強になるが、実は本当にエキサイティングでドキドキするのは、普段の工夫と稽古、見知らぬワザにお会いすることなのかもしれない。

 当分取材も演武もないので、再び地味な日常の稽古に戻っていく。

 次の目標はどうするのか?

 試合や昇段を励みにする生き方が近代競技の産物とすれば、このように技の上達や妙味を味わうことを喜びに生きていく人生は、古き時代のスタイルといえようか。それが楽しいことだと最近ようやくわかってきた。

 私の中で、ずっとカタチばかりか、まぼろしか、観念であった家伝剣術が、今は少しずつ実体になりつつある。

 それだけに通勤帰りも、自分は何もできない!上達したい!どうすればいいのだ?という負けん気がますますこみ上げている。

 しかし、久しぶりの東京では、ホントに日差しあふれ、豊かさを感じた。あそこで暮らしたら雪片づけで汗まみれにならず、長生きできるなあ。

 衣食住、娯楽、すべてが揃った選択枝。カネさえあれば手アカにまみれずとも。多くの方々は、用意されたモノをいかにうまくアレンジしてオイシく味わうか、ということに長けていらっしゃると見た。だから、ウンチクや評論家がもてはやされるのでは。

 うらやましい。武術だって選び放題だ。だが、目的意志が弱い私は、「これがダメならあちらへ…」と迷うばかり。広く味わうだけ。何者でもないお客さんで終わるかもなあ。

 そのユートピアに無くて、ふるさとにあるもの。土臭いへの字グチのオッサン、私を制限して課題から逃さないとする場、支えてくれる有り難い人々の御縁。

 つまりは、ヨッコイショと背負うものかな。これから解放されたら、もっとフヌケになるだろう私は。

 日本武道館「第29回日本古武道大会」。

 「厳選された?」常連の大流派は、毎年、国内外すべての大会に出場する。

 反対に、ロビー外交がヘタな我が小流派は、2年に1度しか呼んでもらえぬ。生きているうちに何度もない回数で、公衆へのイメージが形成される。絶対に失敗は許されない。

 岩木山神社神官の背中を思い出す。真冬の七日堂祭の占い神事。一週間前から潔斎を重ね、当日、渾身の力で柳の大木を振り、火打ち石でご神燈をつける。

 大勢の農家が一年を懸けて成り行きを見つめる。神官による神事の失敗は、お金の問題で済まされない、いにしえから積み重ねてきた神社の信仰、集まった万民の幸を懸けているのだ。絶対にミスは許されない。

 そのとき、自らに宿る大きな力を感じるという。この方も「自分はオンリーワン」ではなく、社会の中のひとつの装置にすぎないことをハッキリと自覚し、自らの存在よりも大きいものを背負って闘い続ける人生、に生まれてしまった人なんだ、と共感した。

 前々日から一族で、水道橋の東京ドームホテルに泊まった。

 26階。眼下に遊園地の賑わい、街のいろんな姿が見えた。

 なんて暖かく、豊かな都市なんだろう。

 豪雪地帯からやってきた私は、初夏にタイムスリップした錯覚となる。平日なのに休日のようにたくさんの遊民が歩き、レストランでダベっている。日本人の10人に1人が首都圏に住む。対して100人に1人しか青森県人はいないという。

 多くの選択枝にあふれる世界。有効求人倍率。東京は1.5倍に復活したというが、ふるさとは、全国最下位の貧しさという新聞情報をリアルに感じた。

 夜は、不必要なほどライトアップする。キレイだ。でも電源はどこの地方からだ?地表は全く自然のスキマが無いほどコンクリートでカバーし、凹凸に乏しい。よくもこれほど開発の手を入れた人間の偉業を賛美したい。

 寒いっ!と身震いする人を何名も見たが、アンタ、津軽に来たら死ぬよ…。

 ドームの魔法戦隊マジレンジャー・ショーには、早朝から狂気の長行列ができていた。賑わいが終わった無人のステージ、さっき歓声を集めていたマジイエロー役、松本寛也氏が、独りスタントの練習。ホテルの窓から見える。

 壁一枚向こうを賑わいが通り過ぎている。誰も気付かないヒーローの孤独を感じた。 夕食のため外出すると、偶然、松本氏が向こうからポツンと独り歩いてくる。思わず声をかけ、励ましの言葉を伝えた。ソフトな好青年であった。

 大会当日。でも今回はなぜか緊張しない。武道館の床は滑る。4年前はキンチョーのあまり、ガチガチに力んで滑ってしまい、新しい?ワザを生みだしてしまった。だから、みなさんよく、何度も床の感触を確かめて、足袋の裏にスポンジで水を含ませて滑らないようにする。

 だが今年は、公衆の目前で失敗してもかまわん、それぐらいのキケンも受け止め、楽しもう、なるがままにとハラが据わっていた。

 それでも出番が近づくと緊張が高まる。たぶん我が眉はつり上がり、顔は能面のようにこわばっているだろう。それではパフォーマンスがダメになる。カラダだけでものびやかにリラックスしていなくては、と焦るから、二重人格のオカシナテンションになる。

 いつもの稽古のようにやるだけなのだ、と父はいう。ここは多敵の戦場ではない。満場の客がいようとも、エラい来賓が来ようとも、我が型には全く関係が無い。

 相手は父のみ、打太刀と心身をつないで、呼吸すればいいだけなのだ。これが難しい。誰も見ていない稽古でもなかなかできない。

 あえて自分をダマす。上部に見える観客席の賑わい。その我が視界を切り取ってしまい、意識から外す。次は左右の来賓とカメラ席も視界から切り取る。見ていて見ていない。ときと場合によっては、必要外の情報はカットして、わざと視野狭窄、「バカの壁」を作ると自由になることがある。

 一瞬、二階観客席が立ち見まで出ているとわかって動揺。「しまった!滑るぞ!足袋に水を含ませたらよかった…」

 バカな。斬り合いに後戻りは無し。今ここでやれることをやるだけだ。失敗すればいい、そのままワザの一部として飲み込んでしまえばいい。慌てるなら慌てろ…。

 出番が来た。我々親子のためだけにステージが開けられる。意外なほど落ち着いてリラックスし、人ごとのように歩んでいく。

 緊張をうまく飼い慣らしている感じだが、やはりいつもと感覚が違っているのだろう。少し間合いが遠くなる。仕方ない、間合いは目視とともに、足裏の感覚で床の位置を確かめながらやった。斬り合う間合いはいつもより詰めた。

 終わって父はいいとはいわず、まあまあだな…。自分でも現状の6割しかやれなかったと反省。

 我々の次は、韓氏意拳光岡英稔師範も修行されたという竹内流柔術だった。投げられながら相手を蹴ることは、当稽古会でも出ていたっけ、興味深い。

 父が某武術雑誌のインタビューを受ける。以前、取材いただいた武術ライターのY先生からは、剣術史料をお送りいただけるとのこと。勉強になります。ありがとうございます。

 お隣に座られた某居合術そして某剣術の御宗家らは、私の小さい頃を知っているからか「大きくなりましたネエ」とお声をかけてくださる。跡継ぎ問題に悩まれているという。 十年前、出場流派の中で若造は私ぐらいだった。今は多くの流派で世代交替が進み、若返っているように思えた。

 メールでご教示いただいている埼玉のS氏にお会いできた。林崎の座り方、押立の詳細もお教えいただいた。今後ともよろしくお願いします。

 いつも誓うこと、次来るときはもっと上達する!!

 あと数日で、日本武道館のステージで演武している。

 今年は、他の大会やマスコミ取材がアクセントになって、半年前から詰めた稽古をした。

 帰宅後、毎夜は父と稽古。でも残業や豪雪、飲み会が度々ジャマした。つき合い悪いネエと皮肉。いっても理解されないだろうから、黙ってスミマセン…。

 暗く寒い稽古場へ。少しずつ年取ってきた父。永遠はない。毎回これが最期と思い型を打つ。

 毎年は呼んでもらえない小流派。幼い頃はNHKテレビで、祖父と父の演武を見た。長じるに従って、大坂や各地、オーストラリアの演武会で小太刀を務めるようになった。

 中学生の頃、妹と出場した大阪城では、長尾流躰術の故前田師範が祖父のところへご挨拶にこられ、緊張した。盛岡市の武道館でやったとき、前夜は緊張して眠れず、ホテルの窓から街を見つめていたことを思い出す。今は少しコントロールを知る。

 日本武道館で、亡き祖父に代わって演武するようになって何度目か?

 でも、日本武道館は特別だ。武道家やアーティストが死に物狂いの努力をへて登るところ。小物の私は、先祖の七光りで上がらせてもらっている。実力ならばとうてい呼んでもらえないことは重々自覚している。大変恐れ多い。

 初めての頃、真ん中で、いくら雄叫びを上げても、広大な空間の中で、自分のすべてがかき消えてしまう思いをした。武道館演武に比べたら、他でやることは怖くない。

 理想の技にはほど遠い。急ブレーキ、急発進の力まかせ。今はそれが精一杯。完成を待っていては永遠に世に出られない。それをご披露するしかないのです、申し訳ありません!!

 二年前の演武。出場流派たちをシビアに批判する某ホームページ。「あの型はあれでいいのでしょうか?何かをシンボライズしたのでは…」などと、物知り顔した見当違いのご意見もあったが、我が演武は複数の見知らぬ人々にお褒めいただいていた。

 「○○流剣術よかったですよね、何か鬼気迫るものが感じられました。普段から相当ギリギリの稽古をしているのが、素人目にもわかりました。なかには、紹介程度の形を打つ人もおりましたので余計目立ったのだと思います‥」(原文引用)

 涙が出るほど嬉しい、過分すぎるお言葉だ。独りポツンと歩んでいる稽古が報いられるかのようだ。本当にありがとうございます。

 でも、ダメなのです。そんなバカ力の技から脱却できないのです。

 2001年の正月、数年前に無くなった祖父から手紙が届いた。生前、家族旅行の神戸博覧会でコッソリ出してくれたらしい。「流儀を立派に継いでください。一流の剣道家になってください。永遠にサヨウナラ‥」。

 生きているうちに何もいわなかったのに。重いコトバだったなあ…。今も

 その2代前の先祖も子孫に手紙を残す。「太平記」足利尊氏への置き文ではないが、私は父祖達からよく伝言を受け取る位置に生まれたらしい。それなのに代々で最弱の鈍才、先祖たちの期待を見事に裏切って生きている。

 ごめんなさいっ!!

 最善の道を選ぼうと努力しているが、求める道に先例モデルが無い。恐らくこれほど変化する現代で流儀が生き抜くことは、先祖達でさえ経験していない状況だろう。

 「これでいいのか?取り返しのつかないマボロシに溺れているのでは?」と夜中、独り恐怖することも。

 それでも、いつの間にか、カラダに同化してきた役割が、私の憶病を引っ張ってゆく。新しい海は、新しい船乗りが渡るというぞ。

 願立雑感『願立剣術物語』を ワープロデータ化している事は書きました。これを 『翻刻』というのだそうです。私は研究者ではありませんから つらつら書き写すが如くなもの。その言葉の意味すら解らずタイプしているような感じであります。

 またまた 思う事がありました。今なら これこうしてタイプし 間違っていたら容易に修正する事が出来ますが 墨筆による執筆は容易にそれを許してくれません。

 私達でもある事ですが 疲れて来たり集中力が途切れて来たりすると 先には漢字で書いたものが平仮名になったり 漢字が(多分)違う漢字をあてがったりしているよな…。また時には 同じ内容の事を書いている場合も…。そんな感じがしました。ただ 思い強く これは何度も連呼したいというのも 中にはあるような感じがします。

 後半40段から最後の62段を書き終えました。それだけで これらの事を言うのは早計なのですが これまた私達も書くとこうなりそうな感じとして 『後半から締めに掛けてどのように持って行くか…』という配慮や思いを感じます。これだけはさらにさらに… 別の言い方をすればこう… そしてさらにさらに…。何かこう 学校に初登校しようとする一年生の子供に親が「ちゃんと 先生の言う事聞くのよ」「わすれものな~い?」「ほら ボタン 掛け違っているじゃない」「もっと ちゃんと ぴしっとしなさい」「あと…あと…」「わすれものな~い?」←今言ったばかりなのに…

 ともかく 最後の最後まで言わずにはいられない…言う事抜けてないか?…そんな思いと似たようなものを感じます。また お腹満腹…でも 最後の締めの一口に…と迷い箸。そんな終えるに終えれない様もちらり伺えたり。

  剣術は 人に殺気気配を感じさせず するりと抜く内知らぬ内に勝ち得る凄いものなのでしょうが 文章はその人の鏡のように その時の心の内手の内を書き記す事に 格闘にも似たような様な思うが故の発露がひしと伝わって来ます。時には ああもういいや このぐらいで…と 私達にもありがちな 集中力の抜けをも感じたり…。

 私は 古語の語彙 引用に対応するだけの知識は全然無いものの 香りを楽しむかの如く 書き写す中でそういう事を体感しているような気がしています。学術的 武術的に 喧々諤々 口角泡を飛ばして 議論もいいですが 「それって ありだよね~」「あるある~~」…ちょいと軽薄な表現ですが これを公開して『願立ネットフォーラム(勝手に付けてる)』が自由な意論を披露しあう場になればいいなあと思い 今日もコツコツと翻刻している次第です。ノこの書き調 なんとなく『願立』ぽい感じしませんか?古剣どの?感化されて来ている感じがします(苦笑)。

 さて いきなり馬鹿な事を書くかと言われるかもしれませんがノ。漫画で 剣道ものでは 村上もとか氏の『六三四の剣』が好きで 最近はこのような事もやっているので 揃えたいと思ったりもしています。そんな関係で 古本屋に入り ちばてつや氏の『おれは鉄兵』というのを見つけ 何となく買ってしまいました。

 ちば作品と言えば『あしたのジョー』が有名です。その原作者の梶原一騎氏も武道を嗜む方でした。ちょっと横道に逸れますが 梶原作品の『あしたのジョー』の中の 両手ぶらり『ノーガード戦法』とか一見突拍子もない事柄が 実はとても奥深い術理を表現しているのではないか?と思っています。

 同時期の『巨人の星』の 『大リーグボール一号』という人の気を読み バットに当てて打ちとる魔球や 『大リーグボール三号』の 極限まで力を抜き投げる事で 風に柳というか空中飛ぶ塵を握ろうとしてもすり抜けて上手く握れないというような如く バットをすり抜けて行く魔球。それを破る為に ライバルが逆立ちをして極限まで腕に力が入らぬようにするノとか 結構荒唐無稽なスポーツ漫画のある中で 意外とその実 結構リアルな事をモチーフに書いてあるような。『あしたのジョー』と『巨人の星』は当時の二大巨頭と言ってもいい漫画であり その両方の原作を書いた梶原一騎氏が 何をもって発想したか?と推理する事は面白いかもしれません。

 いづれも 古武術にある脈流を感じでやまないからです。さて 確か ちば氏の『おれは鉄兵』とは 『あしたのジョー』以降の作品と思っています。『あしたのジョー』という漫画では 梶原一騎氏との作品を巡っての 壮絶な表現バトルを展開してたようで まさに最後のシーンの主人公矢吹丈が燃え尽きて灰のように白くなったような表現のカットは 名画と称してもいい域にまで ちば氏の技量を高めたとも言えますが あれはちば氏自身の様だったような気がします。

 その後発表する『おれは鉄兵』は 『ハリスの旋風(カゼ)』をオーバーラップさせてしまう作品とも思ってしまうのですが 当時どこか『あしたのジョー』の呪縛で居着いたものを解き払いたい…拭いたいような意識が感じがしていました。確かに あれ程の作品の後ですから 次作品は相当大変だと思います。読者も期待があったのではないでしょうか?でも それに対して意外と肩透かしを喰らわしたような感じの作品です。

 でも それなり楽しめましたから 前は原作付きの作品であったものの ひとりで描いてもひょうひょうとしてこんな作品が描けたのですから すごい方になったと言ってもいいのではないでしょうか?もう巨匠です。漫画家さんは ある時から化けますので その瞬間に立ち会えたりすると面白いものです。初期と後半を見比べたりして 楽しんだりもします。

 この度 あらためて『おれは鉄兵』読んでみました。ちば作品の王道的な主題ではありますが 何か厚みのようなモノを感じました。ちば氏に何かより『抜け』た境地を感じさせます。そして 今回思った事は 言えば反論ありましょうが どこかしらストーリーにも ちば氏が表現しようとしているものの態度にも かすかに『願立』の脈流を感じたのです。

 無垢にひょうひょうと思う事をし 今ここにある『普通の事』と思われるものを あらためて考えさせてしまうような行動を展開して行くのです。何か この先には『願立』の境地があるのだと 思うような作品ではないか!と言う感じです。

 漫画を描くとは 自分の頭と格闘するだけではなく 原作者 編集者 読者 そして締め切りノさまざまなものと格闘する壮絶なる格闘技なのかもしれません。武術に近い境地を感じずにはいられないのです。

 以前『肩凝り体操』について 漫画家川島れいこ女史のHP (http://www.k-reiko.jp/)の中の『ひとり言』より引用させて頂いた事があるのですが 今回またお許しを得て ここに引用したい文があります。旦那様は 大島やすいち氏(代表作は『おやこ刑事』『バツ&テリー』。武術ものでは『一撃伝』というのがあります)。

 おっと 一応引用させていただくので 宣伝をば…。川島れいこ女史は 映画『さよならCOLOR』を漫画化し この程単行本として刊行されました。ある意味 彼女の漫画は世相の映し絵。漫画と言えど数十年も立てば とても貴重な民俗学的データになるはずです。彼女の活動は それだけでなく『漫画原稿を守る会 』の中心的役割をしている方。子細は http://www.genkou.net/log/mamorukai/index.htm私的な部分を投げ打って 頑張っている方なのであります。

 ともあれ 引用文『(前略)  …主人とは昼食と夕飯時以外、あまり顔を合わせることが無いので、同じ仕事場で原稿を広げていると、何を話していいのか話題に困ります。しかもアタリのような、いい加減な下描きから、どんな動きや表情もスラスラとペン入れ出来る主人の隣で、長いこと描いているのに、一向に絵の上達が見られない私の原稿を広げるのは、結構勇気のいることです。

 ケンカなどのアクションシーンを描く時は、主人のアシさんたちに混じって、下描きをチェックしてもらうことがあります。大抵の場合はほとんど直され、どうやったら人物だけで、遠近や俯瞰の構図が上手く取れるのか、じっくり教えてもらうのですが、たったひとコマに、30分も1時間も下描きにかかることもあります。

 「漫画は記号やで」不意に、落ち込んでいる私に主人が声をかけました。「記号?」「上手いなァ…と思った人と同じような絵を描こう…と努力をしても、持って生まれた才能やキャリアにはどうしても追いつけへん。

 それより『鼻は○にしよう』とか『△にしよう』と自分で決めた記号を描いたら、それは『鼻』だと読者が認識してくれるように、『これは美人なんだ』『これは自分の漫画の中では、正しいデッサンなんだ』と信じて描いたら、読者はそのようにちゃんと理解して、話を読んでくれるものなんや。何も写真のように見た通りに描こうと思わんでも、自分のハッタリを信じたらええんや…」

 なるほど…ハッタリですか…。ちょっと自信がつきました。たまには主人と仕事について、真面目に会話をしてみるのもいいものです…。』

 『自分のハッタリを信じる』とは まやかしと言う意味ではなく 『自分の意を信じる』という事。催眠療法でも 施術者が自信をもって暗示を施さないと被験者に通じません。実のある言霊を発しないといけないという事。 道々は違っていても 極意は同じなのかもしれません…。

 またもひとり勝手な考え遊び稽古。表現の多才さが加われば この面白さ もっと皆様にお伝え出来るのですが 修行が足りません…。  

 八方…八相とも書くのでしょうか?

 今年も豪雪で 道路両脇は雪の壁。もう人間様の歩く場所などないような世界。子供達の通学には 危ない環境となってしまいました。壁というか 塀の上を歩くというか 崖際を歩くようなものなのです。

 すうっと平らな道となっていればいいのですが ぼこぼこ。足を取られれば 車という濁流にひき殺されてしまうのです。つい先だっては 車ではありませんが 鉄道線路沿いの壁を乗り越え 渡ろうとした子供が列車に轢かれ亡くなりました。そんな事があったので 歩行者を横切るだけでも緊張している日々に 輪を掛けたような精神状態で 車を運転しなければと思っています。

 しかし 車がスリップしたりと 雪道では 自分の想定外の事でコントロール不能になる事も多いのです。冬の事故。何度か経験しました。でも 気をつけていても 起したり起きたりしてしまうのが 雪道での事故なのです。…

 ともあれ 今日吹雪きの中 車を運転していました。差程 速度は出てはいませんでした。間もなく交差点。信号を気にしつつ前進。ふと 雪の壁の上に子供の気配。軽くブレーキング。停止したところに そりをもった子供らが雪壁を滑り降りて来ました。

 亊なきを得た訳ですが 今の一連は一瞬の事であり かといって急に慌ててブレーキを踏んだわけでもなく 自然に足がブレーキを軽く踏んでいたのです。別段 自分の運転技術の高さをひけらかすつもりはありません。事実 人をはねた事だってあります。車の死角に入ってしまったので見えなかった事は 警察の方にも 『相当な偶然の運の悪さだな』と言われた程ですが…(慰めになっていない~)。

 『引かば押せ 押さば引け』ではありませんが 自然の流れの中での一連の動作。あれが慌ててブレーキングをしていたら 慣性の法則で 停止距離が長くなり 子供を轢いていたでしょう。

 『一心に気を配ろうとする余り 虚が生まれる。力抜き 八方に目配りしているようで配らず。眼に入るものに合わせ 心動じず自然と動く…』こんな感じが 何かで読んだ『八方の目配り』だったような気がします。こんな事は 現代私達が生きている時代に 武道では無い他の道をずうっと精進して来た方々でも やっている事。それも プロ中のプロと呼ばれる方の技術ばかりでなく 一般的に例えばこの場合『車の運転』等と言う現代にある普通の人の日常の行為の中にもいっぱいあるのではないでしょうか?

 私は 『古武術』は何も特別な力での技が突然変異として表れたのではなく 日常の動きや行為の中にある事の 特化したものだと思っていますから 平素日常の中で 私達も達人的極意的行為を 結構しているのではないかとも思うのです。『八方の目配り』なんか そこらへんのベテランドライバーなんて普通の事のようにやっているのです。

 あと 普通にやっている古武術的な事って何かな?と思い巡らしてみました。『相抜け』…武術的には凄い術理の到達点です。どんな強い相手でも 負ける事はないという事。でも それすら現象として 私らが観ている中にありました(私の独断での考えですが…)。

 それは 野球のバッティング(…でも なんでもいいんです。玉に当てるという行為)。前に稽古で 『パンチを受ける』という事をしました。いつ来るか判らないパンチを待つより 来たパンチに当てて行くつもりで手を出すと ゆとりも生まれ 受ける事は 先の形より楽になりました。相手の呼吸を計らず ただ自分の中で『待つ』だけとは つらいものがあります。バッティングも 同じ。恐らく 一流のバッターに語らせたら 剣術の極意とあまり変わらない極意があるのではとも思います。『打った』時が 彼等からすると『相抜け』の境地そのものなのです。

 ふと 小林信彦著『発語訓練』の一遍である『すばらしい日本野球』という小説(?)を思い出しました。『野球』の『やきゅう』は 『やぎゅう』つまり『柳生』の変わっていった言葉とし 野球は日本から発祥しているかのように(どっかで似たような色んな発祥地争いがあったな~) 偽外人の評論家名で著者が 刻々と証明しているパロディ話。 『バット』はまさに『刀』なのであります。

 これに もっと極意的な話しをテイストすれば さらに重厚な内容になったかも…。なぜならば 『野球と武道』 ほとんどオーバーラップしそうですから…。ふと 私達的にすれば 現代の日常の中に極意を探し読み解いた方が 伝書解読より早く具体的に出来るのではと ひとり 馬鹿な考え遊びをしてもいます。

 これらは やはり『願立剣術物語』を書き写している影響なのかもしれません。写しながら 当時の風潮風俗 言葉表現の使い方が 判らない故に 読み解けないのだな~と痛感します。こういう事はないでしょうか?英語の文章を読んでも理解出来ないのに 人が身ぶり交え話していると 何となく判るという事。『願立…』でも何でも 伝書は 文字というある程度最大公約数な記号の組み合わせです。肉声であったり 動きを見る事が出来きて それを今風の言葉に直したら どんな表現や文章になるのだろうと またまた思うのでありました。

 もっとも タイムマシンでも乗って 過去に行き その場で聞いた方が早いのですが 何一つ出来もしない へたれた自分が眼の前に居て聞き入ろうとすれば 「痴(し)れ者め!」と刀一閃!首と胴が…あるいは右と左が永遠に離れてさせられてしまいそうです。

 誠に 『八方の目配り』『相抜け』…研究等なされている関係者の方々 また実際に崇高な術理として厳しい教えをなさっておられる諸流派の方々 勝手な文字遊び 御容赦ください。また  現代人の生活の中に埋もれ気づかないでいる極意とか術理 知っていらっしゃる方 どんどん教えてくださいませ。

 このところ自分が運営しているHPが忙しく 稽古日誌を書く暇がありません… というのは嘘。

 暇はあるから 今ウェブ上だけでも なりわいの宣伝営業にでもなれば…という思いで書いているわけでして 稽古日誌の方が書きネタが希薄になって来ているので ある意味 バランスがとれるんじゃないかと 思っているのです。

 書きたいテーマはあるのですが もう少しテーマの肉付けを考えるあまり 書くに至らないでいるのです。なあんて 大した考えはしていないんですけど…。

 車屋さんが 新車発表のカタログを持って訪問して来ました。聞けば 300~500万はする代物。どうすりゃそんな金が出るのだろうと思いつつ カタログだけは受け取りました。

 以前 ゼロ戦の操舵索の剛性低下方式について述べた事があります。古武術の術理とあい繋がる所があるのでは?という観点で述べさせていたものです。

 また さらに操舵性という事では 『車の走り』についての考察もした事があります。

 今回は 先にもらったカタログを眺めながら ブレーキングシステムと相撲について考察してみたいと思います。

 実はそう思ったのは 先月28日の稽古会で S先生が仙腸関節と脊髄の関係を 相撲の寄りきりで実験してみた事に始まります。

 本当は 違う術理を検討するべく 総合格闘高校生H君との遊び稽古をしてたのです。

 その前に書いておかないと忘れそうなので ちょいと横道(うる覚えですので間違っていたら S先生ごめんなさい)。でも 実は リンクしている話しでもあるので…。

 一つは 『相手が一度にニ動作をすると どちらかに人間は反応してしまい片方を見逃す』という事。

 これは マジックなどではよく使われる手法。『スチール』と言うそうです。

 視線ですらそうして誤魔化されるわけですが 接触してベクトルの法則の『分力』を使うと どちらかの力方向に反応してしまう間に 別方向の力で本来の方向に導いてあげるというのも その方法論の延長上なのかも知れません。

 ただし『分力』は力が分散されるので 力としては小さくなり 思う目的は達せられません。

 上手く『揺』らがせながら  相手の体軸から強固に発する力を 『いなす』とか『崩す』とかして 目的を達するのです。微妙にそれを相手から感じ取って 『ぶつからない』ように先手先手と導くという事。これらを瞬時の間に成すという事は 修行稽古にプラスして『センス』も必要になるのだと思います。

 ともあれ これについて 一番わかりやすいイメージとして浮かんだのが 相撲の『ガブリ寄り』。(書いている内に 釣りの『引き寄』もイメージしましたが それは割愛)。

 相手回しを引き付け こちらは地を踏み締め足より力を伝達し 頭から胸で相手を上に煽り…と 細かな交互の動きの伝達で 相手の腰を伸ばさせ重心を高くさせる…所謂『崩し』をしてやるわけです(相撲の方の異論はあるかもしれませんが…)。

これも一種の『揺』らぎ。でも実は本来の力の方向は土俵外に向けているのです。

 まずいぐらいに 最近はやらなくなってしまった太極拳で ほとんど套路の名前を忘れてしまい困っているのですが 相手の股関節に拳による『撃ち』をする際 一度撃って その衝撃が返って来るのをまた撃つというのがあります。

 丁度 ボールがバウンドして戻ろうとするのを 『撃ち押え』るような感じのイメージを私はしています。

 力学的には 『撃つ』拳は差程剛健でなくとも 『撃って戻って来た』力を押さえる『技術』があれば さらに強い力の『打』となりうるかもしれません。

 『瞬時の連続打ち』のイメージに浮かんだのは ドラムを速いトレモロ。手を小刻みに動かすのではなく ドラムを叩いて戻って来るステックを上手く押さえ込むような感じ。

 そして『打の強さ』は 跳び箱を飛ぶ際のロイター板の踏み切り。脚力だけでは あれ程高くは飛べません。大地の力を 上手く身体に伝達させて 飛んでいるわけです。 

 しかしこれらは『揺』らぐという観点では同じですが 向わせる方向が違いますから 厳密性に欠けるかもしれません。

 私のような凡人では 到底達し得ない技(接触した際ベクトルの法則の『分力』を使う)ではありますが その原理は確かにあると実感出来るのが 『ゆで卵を切る』事。

 以前にも書いたかもしれせん。

 ゆで卵に包丁を当て 引いたり押したりするだけでは きれいに切れないのに 手首を小刻みに動かす事で すうっと切れるという話(バイト先のコックのチーフが教えてくれた技)。

 これを刀でやりましたら すごい浸透力を持って斬り込める事でしょう。

 突拍子もない事を言って 関係者の方を怒らせるかも知れませんが またまたイメージとして浮かんだのは 兜割りと 示現流の『打ち』。それらの中に秘められた『気合いとともにある手の内』には そんな術理が知らない間に入り込んでいるのではないのでは…と思ったりもして ひとり想像遊びをしています。

 おっと知らない内に 本題の為のヒントもここに書いているような感じもします。

 実はこの点も 古剣氏の家伝剣術の術理の中にあるような気もしています。

 この事について ますます 本題から離れて行くような気もしながら書かせてもらうと…。

 またまた実は 最近何ゆえ 『杖』や『棒』での武技が存在するのだろうと思っている事。刀のように切る事の出来ないから 刀と対抗してもだめなのに 何ゆえ存在するのかという事。

 刀は斬る道具と言っても 『斬れ』の持続時間には限界があります。人の肉の脂で切れ味は衰え(肉屋でもバイトした事があり いつ触れたのか判らないのに皮膚が斬れている事のある鋭い包丁で経験済み) やがて刃はこぼれて もはや『刀』ではなく『鉄の長い平板』。

 最後になれば 力で『打ち据える』道具と化してしまった事もあったはず。ましてや 甲冑での合戦では 『突く』事も有効であった訳ですから 『引き斬る』技術は 結構狭義の技なのかもしれません。

 その話しを 古剣氏にもしましたら 似たような事を言って頂きましたので 合点に後ろ立てをもらった次第です。

 ともあれそうなれば 『打ち据える』道具術としては『杖術』も『棒術』もその存在は確固たるものであり その『打ち』に至っては 浸透力があるとても強い『打ち』を発する手の内があるような気がするのです(もっとも相手の『斬り』が悪ければ 杖すら両断には出来ません)。

 それは 『構え』であったり『身体の捌き』だったりする事は S先生より不良生徒として御教授していただいた『杖』の型で 痛感もしてはいました。

 この『打ち砕く』という事も これら刃の無い武器術の『特化』された特徴のような感じで書いていますが 実はそんな事はなく 刀の『斬り』にも繋がり しいては拳による『撃つ』事にも繋がっている一連の術理とは確信しています。

 マジックの『スチール』の話しから 接触しての『揺らぎ』の術理と少し話を急ぎ過ぎました。本来の話に戻します。

 剣術においての『スチール』として書きたかったのは 『動きをぼかす』という意味でした。

 知らない内に 優位を取られるというのは 実は『斬る』以前(非接触時点)にそういう事も行われているという事。

 どうも 力を有効に伝達する身体の妙味ばかり考えていましたが これも加えて一つの『術』となっているのではないかという事であります。

 よく『微妙に軸線を外される』という事を聞いたりもします。これは この事の延長にあるのではないかと考えています。

 単純に言えば 刀を前に突出したのに気を取らせておいて 自分の優位な位置を確保する事という事もそうなのかもしれません。いいえ 抜く以前の状態から もうすでに色々な『術理』『教え』があるような気がします。先人の方々の編んだ伝書は こざかしく『術』や『テクニック』のみに成り下がって 本来の意味をぼかしてしまわぬよう 『伝え』には工夫をこらしているような…ともあれ S先生はその事を検証しておりました。

 『先の先』で自分が動いてみせて 相手の撃尺の間合で『動き』を誘い 『後の先』で相手打下ろす剣を制する事を S先生は何度か試されました。

 次ぎの段階では 腕にて剣を打下ろすというより 片膝を落とす(あるいは抜く)ようにして身体全体でする事の『打ちの速さ』をも検討しておりました。

 片膝を落とすという事は 太刀が振り降りる軌跡は同じでも 軸先が微妙にズレを生じるようで 知らない内に我は躱し相手を『打ち制す』事となっています。

 実験としては あくまでも自分の『動きをぼかし』てしまう事の検証ではあるのですが 片膝を落とす(あるいは抜く)事が結果 いつのまにか打たれてしまう事になるのではないか…という点にまで検証がおよびました。

 また『膝を落とす(あるいは抜く)』とか『転ぶように』とは 速さもあり『打』に浸透力もあるような。

 また示現流の『立ち木打』に通ずるのような赴きの動きにも見えました。

 この『片膝を落とす(あるいは抜く)』という表現はしましたが 『前のめりになって転びそうな身を 無理に制さず 両膝を浮かす(抜く)ような思いで前に進む』という感じの方があっているのかもしれません。

 その事によりしてしまう体捌きで 相手左…時には右の小手前へと 身体が移動して刀構えた形は 古剣氏の家伝の型のような感じを覚えたのでありました。

 まだ 袋竹刀で防具をつけてやらないと 実際の体感は判らないと S先生は言っておりましたが すっと打ち込もうとした際に躱された感じは 妙な感がありました。

 剣道をやられている方ならばよくある体感なのでしょうが 剣道をした事がない身ですので 何とも言えませんが ふと 身体に『そうしてやるのだ』と教え伝えるより『こうすれば こうなってしまうのだよ』というアプローチを身体にしてやれば いい感じで出来るのかもしれないと思った次第なのであります。

 ともあれ 『身体が反応する前から すでに事は始まっているような…』とは 何の遊び稽古をしていても感じている事なのです。 

 さて 本題。

 S先生は 次ぎにH君と四つに組み合い 押させました。ビクともしません。

 その前に…。

 私は前も述べていますが 股関節を痛めています。

 膝から来て 今は足首にも違和感があります。あきらかに右左のバランスが悪いのを歩行すると感じます。

 行き着けのカイロの先生に 骨盤を矯正してもらいました。思っていた通り 脊髄を両脇から支え込んでいる仙腸関節の位置関係が悪くなっていました。庇うあまりなのか 胸椎も歪んでいました。

 その話しをS先生にもしたのです。

 S先生は少林寺の師範でもありますから 稽古の際に もったいなくも柔法による見立てをして頂きました(S先生有難うございます)。

 施術されながら 以前雑誌『秘伝』で御互道の三枝師範が 故塩田剛三師範の仙腸関節の瞬時の動きによる技へ反映した凄さを語っていた事を述べたのです。

 そうしたら 四つに組み合い H君と押し合う実験稽古を行う事になったという次第なのであります。

 ふと ある光景が浮かびました。

 昔 小錦が『プッシュ旋風(突き出し)』で他の力士を寄せつけず それを喰らわないように体を躱す事で活路を見い出していた力士の多い中 当時の横綱千代の富士は小兵にもかかわらず まともに受けて 動じなかった事があります。

 当時ちょうど 東京にて太極拳の老師に教えを乞いに行って その話しをしたところ どうも彼は中国拳法で言うところの『発勁』を用いているのではないかと言う話となりました。

 滑る土俵のまん中で動じなかったわけですから 微妙に軸線をずらしたり いろんな身体の妙法を本能的に駆使した事には間違いないと思います。

 『発勁』なるものは実際に観たり体感した事もないのでなんとも言えませんが その光景は 以前観た故塩田剛三師範の演武ビデオで かかって来る相手に対し 瞬時に胸を突出して それに合わせると相手が吹っ飛んでいたのを観て 一瞬の爆発力を感じたものに似ているように思いました。

 それはいろんな事が精妙に体内で組み合わさって出来る亊とは言え その一端が三枝師範の言うところの『仙腸関節の瞬時の動き』も関与しているという事を思い出し 似たような事を横綱千代の富士にオーバーラップしたのでした。

 脊柱を剣だとすると 骨盤そして仙腸関節は握る手。瞬時の打込みの際 手の内をきゅっと締める事で 地を蹴った力が伝達されます…そんなイメージをしたのです。不動の形です。

 で…そこで私が注目した事は 横綱千代の富士の足。土俵を指で噛むようにというか 掴んでいるようにも見えたのを思い出しました。

 通常 胸を合わせて突き出しの稽古の受けをしますと ずるずると土俵際まで滑って移動してしまいます。

 では 何故 横綱千代の富士は滑らないで 根っこが生えた様にいるのか??

 ふと浮かんだのがABS(アンチロックブレーキシステム)の事でした。

 タイヤが 滑りやすい路面でブレーキを掛けた時ロックして スリップしだす現象を 路面からのその状況を車が判断して ロック寸前にブレーキングをオフし またオンをするという 車が自動的にポンピングブレーキをしてくれるシステムです。。

 それに似たような事で 足の指を微妙にニギニギしてみたり 体幹で重心を細かく移動する事によって それを回避しているのではないか?と思ったのです。

 そういえば アメリカンフットボールをやっていた友達に ブロックの事を教えてもらった時 小刻みに足踏みしろと言われました。

 じっと構えて踏みこらえた方がいいような気がしますが それだと相手と体力差があった場合差し込まれてしまうのだそうです。

 先の話しで考察してみると 地面を滑り 差し込まれる前に足場変えをするという事は 同時に体軸もロックされて差し込まれる事を防いでいるようにも思われます。

 さらに 相手の力を感じて 常に優位な方向に相手の体軸を『いなし』『崩し』て 体力差勝負をしないのです。

 ここで 先の話しとリンクしました。

 ともあれ 最初は小さな力だったものを 大地の力をも借り少しづつ倍加させ(決して力でするのではなく) やもすれば相手を吹き飛ばすのには さらに今度は『仙腸関節の運用』をもってする事なのではないか…と考えた訳です。

 『仙腸関節の運用』のイメージは 枝豆を摘んで 中の豆を押し出すイメージです。瞬時に骨盤を締め脊柱を押し上げるのです。ほんの数ミリであっても 『寸勁』という考えからすれば 凄い力なのかもしれません。

 剣でも 一瞬手の内を締める亊での効果もある事は いろんな稽古をさせていただいて理解してはいますので ありうる話しです…というか 横綱千代の富士に不動なる体勢をとらせ 塩田剛三師範は爆発力にまでしているのを観てもいますので 私の嘘八百考察も 真実味があろうというものです。 

 私は達人の域になる事は到底無理ではありますが これらをイメージして稽古する事が肝要で 少しは違う体感が出来るだろうとは思っています。

 教えを乞いに…習いに行くには この地は遠く また 年齢も遅くなってしまって残念。

 だから 修武堂は色々な所から色々な方が遊びに来てもらうので うれしく思います。

『来られる方はがっかりするのでは…』と古剣氏はびびっていますが 武の強さを競うところじゃないから いいんじゃないでしょうか…。 

 しかしながら ABS(アンチロックブレーキシステム)。コンピューターは 頭の進化の過程をなぞっているように 機械工学は 身体運用の妙をなぞっているようもも感じます。

 実は 工学は古武術に近い発想をしていて 反対から見ると身体運用の妙を解き明かすキーワードの宝庫なのかもしれませんね。

 というか 皆さんも知らない内に身体というモノを持っていているだけで 『古武術』と関わりをもってしまっているとも言えるわけです。

 いいえ むしろ『古武術』とは 身体の事 人間の事を表すひとつの『表記体系』なのかもしれません。

 豪雪で埋まる実家。数時間、屋根の雪と格闘した後、ボンヤリ顔でFMスタジオへ。

 ラジオ収録では当会S氏と、あらんかぎりのコトバを駆使して、宣伝した。前夜、経験者の無刀氏にレクチャーを受けていたはずだが‥。

 一般の方々にこの分野を説明することの難しさと無力感をいつも思う。そんなときは、張り切ってしゃべった分だけ落ち込むのだ。外部向けの講習会を宣伝するときはよく落ち込んだ。後に続く人達のために、世界を広げておかなくては‥。凄い達人に教えてもらうご縁が見つかるかも‥。でも、もともと宣伝するために稽古しているのではなかったはずだ‥。

 でもアナウンサー倉田女史は、さすがプロ。優しく包み込み、うまく話を引き出していただいた。深く感謝申し上げます。弘前市域限定のFMアップルウェーブ。http://www.applewave.co.jp/main.html 2月16日(木)放送予定「津軽いじん館」(16:00~16:30、リピート 19:30~20:00)。ドモる2人の「異人変人」です。

 稽古の上で興味深い日本史研究。駒沢大学で、日本の合戦史、武具史を研究されている近藤好和氏の一連の著作だ。近現代武道やチャンバラ映画に洗脳される前の、日本人の戦闘のリアルを教えてくれる。

 「騎兵と歩兵の中世史」(吉川弘文館、2005年)では、南部家文書から元弘4年(1334)の「曽我乙房丸代道為合戦手負注文」を取り上げている。鎌倉時代の近所、津軽平賀郡大光寺合戦での負傷者の状況報告だ。

 たいていは腕や股、眼、膝などのヨロイの隙間に弓矢を受けているが、長柄で前腕から脇の下を貫通された者、槍で胸を突かれて半死半生となったものがいる。剣道のように小手面胴は狙っていないぞ…。武器が刀じゃないし、ヨロイ武者だから?

 剣道といえば、雑誌AERAや月刊剣道日本3月号を騒がせている、H本元総理ら4名の6段昇段問題。中央で行われた昇段試験合格者名として、当日参加していない彼等の名前があり、他参加者から疑問を呈されたというのだ。

 実は警護等の問題から、特別に密室で実技試験等を行い、全員に合格証が発行されたのだという。しかし本来、名誉6段が無い剣道では、実力段かどうか各地から連盟に問い合わせが殺到しており、昇段を目標に地道な稽古に励むことが侮辱されたと怒る方も少なくないらしい。

 剣道は人間形成の道であるといい、権力に弱いとは信じたくない。剣の世界で、アメリカグローバリズムを達成し大組織となれば、維持するために必要なことも様々出てくるのは自然であろう。権力者に名誉免状を差し出すのは、江戸時代から日本の芸道でやってきたことだ。  

 でも昇段はモノサシのひとつであって、究極の最高目標となりうるろうか?いいではないか。欲しい方にはやっても。額面がどうだろうと、正味は隠せない。それに、価値観の多様化によって、段位の絶対性や社会的認知度も揺らいできたと思う。武道仲間ほどには、外部の人は重視してくれないことも多い。

 昇段、他人の評価、組織や社会に左右されなず、もっと普遍と本質につながる大きな稽古目標はいくらでも掲げられると思う。そうでなくては永久に安心はない。剣はそうしてきた時代の方が長かったはず。昇段するためのコツという本は、近世史料に見たことない。

 私のマイナー剣術復活などは、誰の評価も昇段もありえない。社会的にも定着しないことはわかっている。最期は自分独りで納得して全うしたかどうかでありたい。今からその覚悟をしておかなくては。

 「人は何とも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」(坂竜)

 すみません。大言壮語で。

 2005年年末から今年始めにかけて、全国向け雑誌、地元の新聞とFMラジオなど連続してマスコミ取材をいただいた。こんなお粗末な剣術でいいの?と恐れ入るばかり。みなさん、さぞやネタにお困りなのだ。小心者は、取材が終わった夜、恥ずかしさに布団の中で「アッといってろくろっ首」(梶井基次郎?)。

 雑誌はこの1月に刊行された。観念的であった従来の剣術誌に比べ、カラー分解写真を多用してかなり具体的にわかりやすく、最新の情報や論考も入っていて、完成度の高い本である。その続編で扱っていただいた。大変光栄だと一同皆大喜びです。本当にありがとうございます。

 生まれて初めての本格撮影。緊張でガチガチ。カメラアングル用のためいつもより間合いを近くし、数十秒間ずつ、いちいち動きを止めて撮影するため、低い腰でストップしたときは膝が割れそうに痛い。流れを失い、全身居着いた姿勢となるからだ。こんなにヘタだったと私の未熟さを多いに宣伝した。特に稽古で乱れた髪型は、親族に大不評。

 そして見慣れたボロ伝書が付録ポスターになった。こんなんでいいの?生々剣に関する記述の一部もあります。ご高覧ください。

 新聞とラジオ。一般向けなので、稽古日誌のようなマニアック、クドさをやめる。自分が面白いと思ってベラベラしゃべってはダメ。他人の立場になってシンプルに、分かり易く、短い言葉で、骨格が伝わればいいと割り切って話すことが重要。授業で鍛えられた。

 取材をいただきました方々に深く御礼申し上げます。

 ただ、これらの取材で、実力が伴わないのに人前で宣伝することの、私自身の愚かさと恥知らずをヒシヒシと感じてきた。何が面白くて取材されるかわかりませんが、ホントに何もできず、口先だけ、悩んでいるだけの男だとハッキリしておきます。 

 さて、解析を始めた先祖の剣術伝書。数行しか読めていないが、やはり型はスグ実戦に使うものではなく、それぞれの型は何かを学ぶための課題であることは確かだ。先祖もそのように稽古していたことがハッキリした。間合いはこの型とあの型で学ぶ…と記述しているからだ。

 だから、チョット手応えがあったと、すぐに実戦モドキをやろうとする私は、逆戻りしているようなものだ。

 そして型稽古では、互いに技の起こりや出来具合を確認するために、掛け声や「褒美の声」の応酬をするという。なんと騒がしい稽古だろう。声を出す剣術は中世期、無声の剣術は近世のタイプだという研究がある。

 このやり方は、同じ型を稽古をしているようで、随時、師からの微調整が入るから、カタチだけに陥らない。しかし、何がいいのか悪いのかわからない私がマネすれば、さじ加減を間違えて、互いにコンチクショーのつぶしあい、下手な乱取りになってしまうかも。

 明治生まれの祖父は、曾祖父の高弟から習った型や伝承をノート数冊にまとめている。そして幕末に藩の密偵であった役小田孫兵衛師伝の型のノートが一冊。これが私の宿題帳である。

 他流派に比べ技数が少なくてヨカッタのかもしれない。こんなに歩みが遅い私では、生涯かけても数本しか習得できない恐れがあるからだ。

 なんと、型の中には、子供用と大人用に動作を変えて習う型がある。両者を比較すれば、隠された型の構造と目的が推測できるか。同じような稽古体系の流儀をご存知の方は、情報をお寄せください。

 我流稽古。足で蹴らない。両手を前へ捧げた流れで歩み出す。腰をねじらない。両肩と腰骨が真っ直ぐな垂線で結ばれている感じ。だがその二つの垂線は、突っ張らず、ゆるまない。こうしないとカラダ全身の一体感が生まれない気がする。

 左足前で、刀を右肩にかつぐようにした八相。歩みながら右脚と刀を前へ斬り込む。でも全く歩みを変えずに進んでいく。できなかった。

 斬り出すとき、左前足がストッパーとなって歩みを阻害するからだ。人前での演武ビデオを見て恥ずかしく思った。相手と切り結ぶとき、左右の足が入れ替わるのだが、左前足を踏みしめて一瞬止まっているのだ。そこを斬られてしまう。以前は甲野師範のマネをして、左前膝を上へ抜くようにした。それでも歩みの流れが止まる。

 前回をヒントに。蹴らずに歩んでいき、斬り込むときに、空中に浮いている一枚板の腰だけが、右前にスライドするようにする。

 するとジャマだった左前足が消えてしまい、刀もスルリと打ち込める。かつ歩みの流れも変化せず、歩み続けられる。ラクだ。たぶん素手での突きにも応用できないか。ただし、足で踏ん張った腰ではないことに注意。

 秋田の山中にいる。

 夜帰る一人部屋。人気無し、テレビ無し、やること無し、電話もつながらず。自分で布団敷いて稽古かな。

 山伏岳、高松岳、神室山という標高1300mクラスの山あいは、三軒の宿と僅かな戸数しかなく、雪が降り積もる音さえ聞こえそうな静けさだ。何か創ろうという芸術家が長期滞在する理由がわかる。

 無手の両手でも稽古するという願立。そして意拳の挙式、家伝剣術の生々剣。日中、山中の資料倉庫で、何か共通するものを勝手にひらめいていた。

 といっても以前に戻っただけ。両手を静かに上げていく。前方へ倒れようと発生する微かな流れを止めず、全身が遅れず付いていく。もう一度やろう。

 例え手先でも、上げはじめると全身が前に引かれる感覚が発生する。転ぶまいとそれにブレーキをかけたり、手を上げるためにヨッコイショと、胴体を踏み台にして持ち上げてしまっては、ダメだ。カラダが居着いて残ってしまう?

 また、ビシッと腕を延ばしきってもダメだ。意拳では、張らず緩まずに自然なカラダの伸展範囲を「有効範囲」というらしい。私の勝手な感覚では、ピンと腕を延ばしきると手と胴体がバラバラになって、進んだときに足や腰が後ろに残ってしまう。だが有効範囲ならば、手先と足や腰がゆるやかな一体感を持って歩める気がするのだ。 

 だから指先からスッとあげ、力んで指先の軌道をジャマしないようにしてついていく。すると全く蹴らずに、急発進で全身が一度に前に。特に意識しなくとも腰も一致して着いていくかな。ただし、その流れを持続して歩いていくのは至難のことである。

 近年の剣道史研究によれば、幕末、シナイ稽古が流行した中で、重視されたのが「打ち込み稽古」であるという。現代剣道の「懸かり稽古」か?

 当時の記録の中には「打ち込み稽古」をすれば、息が長くなり、体力がつくと明言している記述がある。我が弘前藩でも、小野派一刀流の藩主が、流派を超えて「打ち込み稽古」をやらせたようだ。このような稽古法が、近現代剣道を生んでいったと私は考える。現代格闘技の乱取りやスパーリングにも共通する発想ではないだろうか。

 しかし、家伝剣術の教えに「打ち込み稽古」や「体力や持久力をつけろ」という教えが存在しない。古い剣術の多くもそうだろう。ではなぜ「打ち込み稽古」が無かったのか?

 雄叫びをあげて地を蹴ってガンガン飛び込む。ダッシュと急ブレーキ、急旋回をくり返して足にマメを作る「打ち込み稽古」、懸かり稽古スタイル。それは「諸流の根源」といい「生々と清らかに発生する」「自然力」という「生々剣」の術理とは全く反するからだではないか。

 先ほどの稽古。足はどうなるか。全身一緒に動けば、腰も足も置いてけぼりにならない。足捌きなどどうでもいいのかもしれない、一緒に動けば、足はその場でふさわしいカタチで自動的に着いてくるような気がする。

 願立では、足と手を一緒に動かすな、足は遅れて手についてくる、と書いてあったと思う。だが本当は遅れずに一致するべきで。足を使うなという意味の表現ではないだろうか。

 私の重い左脚。歩くとき左足裏が水平に着地していない、よじれているからだ。

 剣道や格闘技の軽快なステップとは違ってノサノサ歩むことになる。ノサノサといえば、

弘前藩一の剣豪、近世中期の浅利伊平衛を思い出す。彼は武者修行先の江戸で、電光石火に振り廻す二刀剣術家に対し、ノサノサ立ち会ってアッサリと押さえ込んでしまったという。傍らで見ていた弟子による記述は、現代で実際に遣える人の技の印象と似ていて、リアル感がある書き方だ。浅利が日本各地での他流仕合で遣った小太刀木刀は、無数の刀キズでボロボロだ。

 彼は當田流から始まって、またたく間に複数の武術流儀で免許をとった。ということは、ひとつの流儀の術理は、ほか各流儀と共通性が高いということか。

 帰りの電車。雪でときどき止まった。読書時間が長引いていいかもな。

 隣の身なりのいい初老の男性が、独り何度もため息、関東弁で大きな嘆きをくり返し、ソワソワ落ち着かない。いいトシして自分の気持ちをコントロールできず、子供のようなふるまいだ。

 即答を求めず、待ちましょうよ。雪国は、自然は、人間の思い通りにいかないのです。全くどっちが年寄りなんだかわからないなあ。といいかけて、自分だって上達遅くてイライラしていることに猛省。

 帰ったら、方々からメールをいただいていた。

 アメリカ在住で、某有名剣術をされている方からもメールをいただく。

 御流儀の中興の祖のエピソードとともに、励ましのお言葉をいただいた。大変光栄である。でもあまりに不相応な自分が恥ずかしい。御指導よろしくお願いします。

 秋田。山形県境に近い山中、秋之宮温泉に資料調査。

 弘前から奥羽線で4時間、さらに乗り合いバスで40分。近くには小野小町の生地、私の好きな文人武者小路実篤が好んだ温泉も。ケイタイは圏外。

 元禄年間に龍神のお告げで開かれたという湯治宿S。課長と貸し切り二泊三日。温泉はサイコーだ。朝弱い私を強制起動させる。

 いつまでもつかっていたい!と欲深くなる前に、エイ!と上がってしまう。人一倍、欲張りな私は、日常生活のいろんなことで、いつまでも安楽を味わい、腑抜けになってしまう。だから早めに、6割の満足で切断、流してしまい。自分に区切りをつける。

 仏教で、こだわることや執着は、苦しみにつながるというらしい。それは武技で居着いて敗れることと同じかな。昔、武士が潔かったそうだが、それは居着かないため、具体的なカラダの使い方から学んだ護身術のひとつではないだろうか。たぶん、その方が軽やかに次への体勢がとれる。たかが温泉で?と思うでしょうが、10年前からやっている習慣です。それだけ自分の欲望を信じてません。

 仕事は特別展のための民具資料調査。某私設博物館のA氏にお世話になる。

 同氏は昭和30年代、急速に変化し始めた村落社会を感じ、孤軍奮闘、私財をなげうち、膨大な量の民具、様々なジャンルの生活用具を収集して半世紀。その資料数は数千を超えるだろう。100年後の人類は、この博物館ひとつで、19世紀から21世紀初頭の文明の姿を推測できる。

 そして同氏は,数軒しかない山村に住みながら、国際社会の現状と日本社会の未来を見つめて論じる。ニュースに登場する有名人だけが社会構成者ではない、無名の哲人達の人生も世を支えているのだとわかった。

 実際、この東北地方は日本のメシを支えている。新聞で見た2004年農林水産省のデータによると、全国都道府県で食料自給率が100パーセントを超えているのは北海道200、秋田141、山形122、青森117の四道県だけだという。全国平均は40パーセント、東京、神奈川、大阪にいたっては1から3パーセント以下で、食料生産ができず、輸入品や他県産品に頼らざるをえないのだという。

 人口数や産業構造の差など、一慨にはいえないが、東北は日本の食料庫、消費するのが大都市圏とは大丈夫か?なんとバランスの悪い日本列島。役割分担といえばいいが、歴史上、自分の食料が無い土地が誕生するのは異常な例ではなかろうか。いざ戦争、自然災害となって国内の流通がストップしても、ふるさとにいればメシが食えるかな。

 もとい、山中でのA氏の人生は,現代社会にとって、ソンばかりで効果が見えない蟷螂の斧かもしれない。だが飯が食えるだけでいい、問題は己が心底満足できることをやっているかどうかだ、といった言葉が、目先を焦る私にズシリと染みた。

 最近でも消えていった文化は少なくないようだ。庄内地方の伝統的な筆作り。1978年当時、最後の職人が断絶を嘆く記事。これがダメならあれにしよう、選択できる人にはわかるまい。最終ランナーの悲愴を感じた。それから30年。モノと道具だけここに残して消えていった技。明日は我が身か。

 気がつくと、整理棚に、黒ずんだ木の鎖鎌があった。昔の稽古用か。

 我が剣術でも、かつて最終ランナーがいた。明治初頭、最後のサムライであった父祖は消えゆく剣術を嘆いた。でも100年後、消えた火を再び起こそうとするバカ子孫が登場するとは、予想できたかな。

 わからないのだ未来は。

 年度末。矢継ぎ早に仕事が入りイヤになる。抜き差しならないのに、誰かの担当が滞ると、こちらまで響いて泥沼へ。カラダの使い方と同じだ。

 立ち止まってため息。スケジュールを眺めていた方がプレッシャーだ。少しずつでも止まらずに対応している方が、前進しているのだ!という安心感につながる。

 でも生業と稽古のバランスを見失いたくない。

 いいわけになるが、江戸時代の先祖だって、剣術ばかりやっていたわけではない、藩士としての行政職と平行しながらやった。暮らしから遊離した武術は、現実と向き合うという特長を失い、現実社会とかけ離れた特技、普通のスポーツになってしまうかな。

 ムラで呼んだイタコの神降ろし。調査員3名で記録撮影。青森県内では1月から3月にかけて、シャーマンが各ムラを回って歩き、土地の神々と交流し、その年を占う。

 4代前の父祖が住んだ土地へ。屋敷跡は畑になっていた。その真向かい公民館には、オシラサマ4組を前に、イタコH田氏と40数名のお婆さん方。

 イタコの経文が始まったとたん、我々の複数のデジタルビデオカメラ、デジタルカメラ、録音機がマヒした。シャッターがきれない。ビデオカメラはテープの挿入すら拒絶する。 原因不明。何やっても直らず。目の前で十数の神々が、降りてきてはしゃべる。でも記録できない、どうする!?このような機械トラブルは、どうしてか、上司Kが参加する調査で必ず発生する。案の定今日も…。

 30分経過。やけくそになって、私はビデオカメラに、フーッと息を吹きかけた。なぜそうしたかはわからない。とたんカメラが、拒絶していたテープを飲み込んだ!もう一度フー。完全復活…!!順調に撮影が進む。なんだこりゃ…。

 もうひとつ、近くの地蔵堂。南京錠が閉まらず困っている、悪い知らせか?と男性と婦人方がやってきた。手の空いていた私。カメラで両手がふさがっているので、片手でカギを握った。アッサリかかって皆さんに驚かれる。ここはやはり御縁のある土地なんだ。

 人間相手のフィールドワークは、近代合理的思考で調査しているつもりで、すくいきれていない現象がある。報告不能な不可思議に遭遇してもソッと見送る。でも、いつまでも心が揺さぶられる。 

 同行は精神科医S氏。現在、東北大学宗教学博士課程在籍中。近代医療と伝統的なシャーマンの比較をテーマとする。同業者から、古い柔術を通じて気功を修得する話を聞いたというから面白い。S氏は、柔和で落ち着いた物腰だが、秘められた意志の強さを見る。 ここ100年「近代」を問い直すこと、そのことで未来を模索していこうとする姿勢には、同じ志を感じる。 

 その同窓生、アメリカシカゴ出身で、シャーマン研究のために米空軍をやめ、日本で家庭を持ったA氏。日米の身体意識の差を聞く。

 日本人の肩凝りは、欧米人には無く、あえていうならば「背中が痛い」ことになること。

欧米で「肩」といえば「肩先」のみを意味するが、日本では両肩先から首にかけての広い部分を意味すること。それらは以前から知っていた。

 だが、「足」といえば日本人は、脚部全体をイメージするが、欧米では太股から足首までの「レッグ」と、足首から先の「フット」を明確に区別すること、疲れたときに欧米人はアタマが痛くなるイメージが多いこと、英単語に「腰」にあたる言葉が無いことに驚く。

 欧米人は「腰」といえばウエスト、ベルトを巻く部分のみで、その下はすぐ足だと考えるらしい。そして身体の最重要箇所は、アタマ、次ぎに腕、足と意識する人が多いという。

 腰と腹をどう使うのか、悩み始めた私は、それらのパーツが無い文化にめまいがした。異なる身体のとらえ方は、どんな生活スタイルの違い、文化の差違を生むのだろう。

 おそらく現代日本人の多くは、A氏の欧米人の身体に共感するだろう。私自身も知らないうちに影響を受けている。その中で、前近代の身体技術を読み解こうとする道筋は、全くの変わり者だ。

 今度、生まれて初めて、父と刃引きで型をやる。刃引きの注文製作について、博物館を訪れた刀匠N氏に相談。新しいことが見えるかな?

 こんな力は 誰でもあるとは思いますが 一応…。

 ふと ある人の事を思うとその人から電話が掛ってきたり 電話が鳴るとその時瞬間的に思った人だったりする事があります。 私の場合は ある特定の人…。別段憧れの人…という訳ではありませんから あしからず。

 また その上さらに特定の人だと 会うなり あらぬ事をその人の前で話し出したりもします。 それも その人の亡くなった方が 私を通して語っているような事。 でも 言っている自分が 胡散臭く思われたく無いので 適当にぼかしたり 開く口を押さえようとしたりも…。

 嘘八百だろうが 開く口に任せて言えばすっきりもするのでしょうが 決して異能の力を持っている訳でも無いのに言う事は 単なる虚言癖ともなります。そう思われるのが恐いのです。 しかし それでもこんな眉唾な事ながら恐る恐る書けるかというと それらに大体共通する事は 霊感の強い人だったり そのものズバリのそういう事を商売になさっている方の前だけで起こる現象だからです。 これが 特定の…という意味です。 

 私自身が そのような能力があるのではなく そういう人にいつのまにか乗せられているという感じ。困ってしまいますね。 格闘技をしている方で経験されている方もいると思いますが 知らぬ内に乗せられてつけ込まれ どうしても勝てない相手というのはいるのではないでしょうか。 力を吸い取られるようであったり 妙に自分のエンジンが掛らなかったり その場面場面は多様ですが 所謂苦手意識というのは そんな事が例え小さい事であっても 切っ掛けとなり どんどん波紋のように広がって 最早その呪縛から抜けだせなくなってしまう事なのかもしれません。

  もうひとつ…。これがまた困り者の力。 仕事で よく信仰心が厚いというか なんらかの宗教色が強いというか そんなクライアントとの巡り合わせが結構多い(さほど物件したわけじゃないけど)事。 そして 決まってトラブル気味にもなって終わります。そういうのが見えかくれするなら しなければいいのですが どうもいつの間にか 付き合いが始まり 結果そういうはめになります。 トラブルの全部はそうではないし 自分の仕事の仕方の悪さを棚にあげているのかもしれませんが やっぱりそういう因縁かなあ…と思う事は多々あります。 

 以前 クライアントが信心している方がいらっしゃるというので 一応間取りを診てもらいますか?と こちらから言った事があります。 そうして その方のところへ行き「やはり こういう事になってしまうんじゃないかと 思っていましたので (クライアントに)言われる前に来ました。」と 経緯を少し話した後 私が考えた間取りを検討して頂きました。 直されたのは窓の位置だけで その後雑談となりましたが この際だと思って 思いきって聞いたのです。

 「どういうわけか やっている仕事例は少ないのですが 何かを信心なさっている方との御縁が多く でも決まっていい感じで仕事を終えた事がありません。仕事が悪いせいなのかもしれませんが 誠意だけは尽くしてはいるつもりでも なんらかのしっぺ返しも多いのです…」その方いわく 「皆さんそれぞれカミサマを持っていらして それが喧嘩してしまうんですよ。」と言っていただきました。 結果というか現象としては理解したとしても では 君子危うきに近寄らずで そういう方達の仕事を回避するのには…とは さらに突っ込んで聞きたかったのですが 本当の相談になってしまうので聞けませんでした。 

 その方に相談するという事は その方そのカミサマに身を委ねるという事。すがりたい気持ちなのに何故か押さえてしまうのです。私のカミサマが心証を悪くしてしまうかもしれないと気を遣ってしまったからかもしれません。そういう点では お守りを携帯するのもだめです。決まっていい事が起きないばかりか 身体が変調してしまいます。 

 ある時 寅さん映画で 寅さんがつけている 成田山の焼き印札のお守りが欲しくて 成田市の友達にもらった事があります。 つけていた間は 本当に大変な日々だったような気がします。なんとなく気付いて 外したらよくなりました。 以来 神社も寺でも手こそ合わせますが 付き合いで行った場合(例えば地鎮祭などの神事)のみで お願い事はしません。 するのは 無事息災で過ごしている旨の事後報告と『本来なれば大事のところ小事で済ませていただき ありがとうございました』と感謝の念での拝みです。身内を連れて行った際には 一人賽銭箱の前から離れた所で待つ程。

 ですから 初詣では送迎係です。決して 異教だからという主義ではありません。お寺でも教会でも ばんばん入りはします。 どうも私にまつわる霊的なものは『手を合わせて頼みゃ~なんでもしてくれると思って ふてい野郎だ!』と そこのカミサマあるいは私のカミサマがげんこでも喰らわしているようです。 それでも『ちった~いい目もさせてくださいよ~』と頼んだ日にゃ~ 後が大変となります。

  一度 ○木○子女史の『なんとか占星術』というのを見ました。 悪い事は 時期的にも大体符号をしているのに ちょいといい事は二年三年のずれはざらです。 今は 『時間は人間が割って決めたものなんだもの 自然の時間とずれたって当たり前』と思うようにしています。 気象なんか 今年は雪が多いとかやっていますが 地球の長い歴史の中では 目に見えない程ブレ。想定内であって 人間がギャ~ギャ~言っても仕方が無い事なのです。 そんな周期のぶれはあっても 太陽高度は夏が近くなれば上がり 曲がりなりにも雪は融けて行くのです。 

 ともあれ 『お守りあげる』ってのが一番私にとっては酷なプレゼントとなってしまいました。 さて実は 体質が変わってしまい にんにくが身体に受け付けません。 食べると ふにやけてしまい 力が無くなってしまうのです。ひどい時は 酔っぱらったような状態になってしまいます。 本当は大好きで よく自分でも料理する時は使っていたのですが…。 私の前世は ドラキュラだったのでしょうか? 

 宗教 信仰 信心絡みでの関わりは 意図的に懲らしめられてるように巡り会わされているとも思う程の事が多々ありました。 前世は 悪魔だったのかも…。女性が小悪魔と言われて可愛いがられもしますが このオッサン悪魔はボロボロにさせられます。『わしゃ なにしたっちゅう~ねん!勘弁したってくれや~。。。』てな具合には言いたいぐらいです。 

 さて そんなオカルトチックな話しのついで…。 オーストラリア人のG氏が お父上より伝えられ 自分の工夫を加えた『柔術』のDVDを製作中です。 編集はプロみたい。すごいです。今はパソコンとネットさえあれば 製作会社なんてのはいらないと思う程。「DVDに 『オーブ』映ってるヨ。武道館何かあったトコロ?」

 『オーブ』とは 小さいボールのような球体で 透けて 飛び回るのです。霊魂と違うのでしょうか?「なんか変なもの よく見る。息子達も見るよ。笹森記念体育館で 女の子と女の人覗いてるって 息子言った」とG氏が言いました。「ココ いろんな堰と河川の入り交じるアタリ。洪水もあった~ハズ~ゥ。小さいムゥラ~(村) ハズレには お墓あったり…。流れて来たのがあるカモシレナイデ~ス」と 外国人が話す日本語口調に つられて私もなってしまいました。

 この地は その昔は古戦場だったりしたのかもしれませんし 処刑場や殺人現場の類いだったのかもしれません。 そういう風に その地についた霊ばかりでなく 武道館という建物自体が引き寄せる力があるのかもしれませんし その人自身が連れて来てしまう場合だってあります。G氏がそうですもん…。

 「おれは 見えないんだよな~ そういうの」と某氏。「いいえ 見えているんだけど そうだと気付かないだけなのかもしれないですよ」と私。「ソウソ そうなので~す」とG氏が 我が意を得たり!と言って来ました。「よく テレビなんか観てる。誰か横にいる感じする。だから横見る。でも 誰もいないネ~。そんな事ある…」とG氏が言いました。「OH~ナント言う事でしょ~。そんな事 ニホンではよく聞きま~すがぁ 外国 あるとは。どこでもオナジね~。」私はおもわず カタコト日本語になってしまいました。 

 さてさて 昨日はブリザードの中 屋根の雪下ろしをしました。 今日これを書いていた日の日中は快晴…。 一生懸命雪と格闘した次ぎの日はよくこんな天気になります。お天道様は凄くて 融かします。昨日の努力はなんだったんだと思います…。 よく 備え良く傘を持った日には 雨が降らない事が多いです(マーフィの法則みたい)。

  最近した事ありませんが パチンコで 私がやった後の台は よく出たりするのを見ました(以前パチンコのシステム知らなかったので 当たりでドンドン出て来た時には 壊れたと思って逃げた事あります)。 

 ともあれ 武術は 霊事神事と切れない関係にもあるものですから これからもっともっと そんな目や偶然とは言えない事柄に出会う事になるかもしれません。 これを読んで頂いている方とも あるべくしてある なんらかの縁をも感じます…なんちゃって。

 身構え、そして腰はどうするべきか?

 近現代剣道では、腹または腰で打て、腰を入れろといい、腹を前に突き出し、背中がカーブを描くかのように構えることを「正しい構え」とする。この構えは、居合道や空手道、合気道などの近代に整備された武道に共通する姿勢と見た。

 幼少の頃は、基本に忠実だと誉められた私の剣道は、長じるに従い、よけいな知恵?がつき、「全然ダメな」構えとなった。

 猫背だ。腰がまるで入っていない、足幅が狭い、左膝裏の「ひかがみ」が曲がっている。打った後走り抜けない、とうてい昇段は無理であろうと親父に叱られる。

 でも、腰を入れて正しい構えをしたとたん、にぶい私は、さらに脚が重く居着いてしまう。カッコ悪い構えの方が少し動けるはナゼだ。

 古い剣術や意拳などの中国拳法は腰を反らせない。高名な剣術師範は、外見は猫背でフソッと立ち、首から下の感覚を消して、腰や丹田を重視しないという。

 それでも、五輪書、願立剣術物語、家伝剣術等の伝書では、腰についての記述が出てくる。いったいどういうことだ。「願立」から気になった部分を引用する。 

(七段目)「五体は天地の釣り物也、片つりになきように心得べし、頭の俯くも、一物仰ぐも、一物腰をひねり、腹を出し、肩を指し、足をつかい、或いは大股に行き、或いは踏ん張る、是皆片つり也、物に取りつき、其とどまる所に閉じられ、氷となり、水の自由なる理を知らず、(略)」

(三十一段目)「身の備え、釣り合いの事、足下軽く、膝節たるみなく、せとをり、腹の内ろくに、小腹を重く、腹を据え、肩を落とし、項の筋をはり、左右の手を差し延ばし、右を先へ、左右の肩を釣り合い、手の内何ともなく、ただそのままにして、習の道を行う事専一なり、総て五体は釣り物也、(略)」

 なんとなく、五輪書や諸流、家伝剣術の教えと類似した構えのイメージが浮かびあがる。願立について次の点を考えた。

 ①「腹を出すこと」「足をつかうこと」が否定されている

 ②「せとをり(「背通り」か)?、腹の内ろく(真っ直ぐ)に、小腹を重く、腹を据え」 ということ

 ①②をまとめれば、「背から通って、腹の内側までを真っ直ぐにし、腹は突き出さず、小腹は重く、腰を据えて、足を使わない」ということか?

 近代武道とはチョッと違うことが予想されるが、具体的にはわからない。「小腹」と「腰」を別々の部位として書いているが、それぞれどの部分に当たるのか。「小腹が空く」と現代人はよく言うが。

 問題の「腰」だ。「腰を据える」「腰のハマリが悪いと全体のバランスが崩れる」とは家伝剣術にもある。「頭を仰がず、うつむかず」も同様で五輪書にまである。この部分を現代武道家が読めば「やはり、正しい構えはそうなのだ!!」と反った腰で喜ぶはずだ。

 しかし近代武道のやり方では、凡人の私の場合、重く地に居着いてしまう。上半身だけの剣道だけならばいい、もっと広い世界、足斬りへの対応、体術、受け身に対応できるか?どうする!?

 岩木山麓某中学校の柔剣道場。出前授業の空き時間に工夫。

 腰部を強く意識し、その上にドッカリと真っ直ぐに伸ばした上半身を置くと、足は地に貼り付いて居着く。つまり全身が死んだ固まりとなってしまうからか。

 よって自分の体感に聞く。例えば「背筋がまっすぐ」とは外見ではなく、体感でこわばりが発生しない、ニュートラルな位置にアタマを置くべきで、人それぞれ異なるのだと開き直る。腰も同じか。カラダ全体をフンワリ浮かせるように、腰部を上半身とも、脚部とも癒着をはがし、腰だけ少し宙に浮かせる。「気を一体に通達す?」微妙なバランスもどきを取った。外見にはわからないだろう。でも、少しでも気を抜くとスグに元の重い体に戻りそうだ。

 どうやって移動するの?。「願立」は「足は置物だ、全く使うな」と説く。そして「一つの指令のもとに全身が動け」と説く。それならば足で蹴らずに、浮遊している腰から先に動かしてみようかな?。すると全身がスッと遅れずに付いてくるような感じがする。  浮いている腰だけを左右にさばく。するとカラダはねじれず、左右に割れずに、全身が一致して自然についてくる気がした。足遣いも意識しなくとも、自動的に過不足無く付いてきているようだ。確かに腰は全身の中央部かもしれないなあ‥。

 フッと気付くと「何をウロウロしているんだ?」という他人の視線に気付いてやめた。この体感から「願立」のフレーズが浮かんだ。

(八段目)「(略)ことに五体の内、左右我々(割々)に成り、一方の下知によらず、なかんずく、左の手を働かすこと莫大の非也、無手両手にて習事、左右我々(割々)にならざるためなり、至らずして片手にて習い付れば、右手ばかりよく行き、左身は跡に残り、前後有て一円像の理にあらず、

(十三段目)「(略)肘より上はひとえ身になるべけれども、腰より下は向う身にならずんば、行事成るまじき程に、ねじれ身と成るべき哉」

 「願立」は動くとき、ひとつの命令に従って全身が動くべきであるという。司令塔が複数あると体がバラバラになる。だからといって、片方の右手ばかり行って左身が残ると、全身のバランスを欠いた私のヘタ剣道になってしまう。左右に割れることを防ぐため、願立は、無手の両手で習うことをやるらしい。左右に割れないことが向身(正対姿勢)の重視につながっていると私は考えた。なんだか意拳に似ている点が多くないかなあ。

 以上、現在の工夫である。「願立」に最近凝り始めたのは、熟読するたびに、家伝剣術に似ている点を感じてきたこと。何より、敵に合わせたり、対応マニュアルの駆使などから全く抜け出し、「ただ中央を取る事、肝要なり」とする根本姿勢にほれ込んだからだ。

 生意気にも「武道は人間形成の道である」という近代武道の文句がお題目に見えた。いろんな師範の言葉や著作を拝見してもナットクできない。ただの武力ではないか。

 しかし「願立剣術物語」を読む度に、実技のみならず、他分野、現実のとらえ方、宗教、哲学にも充分通じるような内容の高度さに感動が深まる。現代では実用性の無い剣だが、それが生み出した智恵は巨大すぎて、近現代の武道が読めずにきたのではないか。

 現実に対応する実技として生まれた哲学、そして行動と思想が全く一致している技術。アタマとカラダを分け、理論と現場は別だと思う近代文明や現代社会ではほとんど無い世界ではないか?。とすれば、かつて剣が創った世界は、現代でも斬新な光を放つだろう。

 特殊な事例だろうか。縁もゆかりも無い我が田舎剣術でさえ、似たようなことを記しているのだから、かつては各地に存在していた智恵と技術群だったとも考えられる。古武術と近現代武道は、技術上かけ離れたが、それだけでなく技術は、現実の世の中をとらえる方法を失い、コートの中は達人、でも実社会では単なる趣味人となってしまった可能性があるのではないか。

 しかし「願立剣術物語」の前には、「武の稽古がどうして人間形成になるのでしょうかか?」「剣は現代社会で役立つのですか?」という我が質問が、恥ずかしい愚問に思えてくる。リアルな斬り合いに勝つため、あんな風にカラダを工夫していれば、嫌でも高いレベルの心身にならざるをえないのだ。時代遅れの土地と環境に生まれた私は、小さな窓から「近代」を再検証する役割があると自任した。

 というように電車の中、コートのポケットからボロボロのコピーを取り出し、読んでは、ニヤリ、ジッと空をにらんだり、ため息を繰り返している男は異様でしょうなあ‥。

 遊び。自宅でバランスボールの上に正座。友人からプロスキーヤーのトレーニング方法だと聞いて試したが、居合のフキョよりズッと簡単だと思った。でもこの場合は、全身各部をバラバラにするよりも、一つにつなげた方がバランスを取りやすいようだ。

 いつものノラ猫。コラ待てーとダッシュすると逃げられるが、出くわした瞬間、考える前にスッと歩み寄ったら、かなり接近でき、猫が焦っていた。

 オーケストラのコンサートに行った。

 初めてである。集まっている人々の雰囲気が、武道や武術に集まる人々とは全く違い、対抗性や質量感?が感じられず、かえって柔らかく力みが抜け、軽やかで明るい雰囲気で包まれていた。同じ地域に住んでいても、全く違う世界を生きている方々がいる。それぞれの世界で何かを目指して。役割分担かな。

 オーケストラが音だけと思っていたが、こんなに身体的なもので、見て面白いとは思わなかった。演奏では、複数の人間が、楽器ごとにほぼ同じ腕の角度、ほぼ同じ動作で、遅れずに一斉に波のように動く。その楽器を弾こうとすれば、自ずと同じ姿勢が要求されるのか。大勢の人間の波の揺らめきと同時に何もない空間から音が爆発してくる。それを三次元で体感した気がする。

 全体がひとつのことのために、機能する。このように自分のカラダ各部も、それぞれの瞬間をとらえて、それぞれの任務を過不足無く、一斉に務めればいいのに。

 曲全体の構成も、人間でいえばロボットのように不自然な動きではなく、カドや起こりがうまく消されていて、ひとつの自然な流れに錯覚させてくる。

 演奏者達の身体と意識、発生する音を、指揮者が誘導している姿に同調すれば、目の前の空間から、混然一体となった三次元の波を、指揮者が全身で引き出してくる感覚だろうか。

 音楽を知らない私にとって、オーケストラは、見て楽しむ身体表現なのかな。何も知らないド素人が生意気いいます。ご容赦を。

 翌日午前は、NHK講座で拙い民間信仰の講義を担当。終了後、高校時代の恩師に特上寿司をご馳走になる。

 退職した恩師は、蝶の遺伝子研究のため、ここ10年、毎年海外で40日間の密林調査を年間5回実施している。

 昨年は、外国人調査を受け入れない中国のため、雲南省近くの国境沿い、ミャンマーの山岳地帯、ナガ族の村へ行ったという。ポーター15名を雇い、徒歩で片道一週間で到達したムラは、米作地帯で習俗が日本と似ていた。盆踊りそっくりの踊りがあったという。

 ただし、一生隣りのムラへも行ったことがない人が多く、平地の人は小柄だが、高地の人は大柄だというから、よほど人間の交流が遮断されているのだろう。隣りムラを通過してときのに撮影したデジタルビデオを見せると、尊敬され、ムラ中集まって見にきたという。

 身体は強靱だ。生まれた子供の半数がマラリアで死ぬ土地。生き残った人々は自然選択を経て強い。日本人が一日かかる山道を、小柄な現地の人が、三時間弱で小走りで移動するという。我々はたぶん、生物種としても弱ってきているのだろう。 

 飛び上がるほど、うれしいことがあった。コンサートの夜。大学院博士課程で中世の京都八坂神社史を専攻し、宝生流能楽も嗜み、現在はふるさとで会社を経営している畏友F氏と小料理屋へ。クセ字の家伝剣術伝書を翻刻してもらう。実は4代前の幕末の先祖から読んでいないタイムカプセルで、私の拙い翻刻では一部しか解読できなかった。

 大学生の頃、明け方か、夢を見た。寝ていた座敷の枕元の書棚から、燦然とレーザーのような何束もの金色の光を放つ、家伝剣術の最終伝書を発見し、父へ知らせねばと小躍りして、目が覚めた。その前後の時期に、隣りの書棚から発見した一冊の伝書がこれである。かなりのボリュームだ。同じ伝書で簡略化したものが、長野県の松代藩で失われた同系流儀からも発見されている。

 実家はいろいろ出てくる。移築してから100年、それ以前は別のところにあったボロ武家屋敷だ。座敷の鴨居には三筋の錆びた槍が掛けられており、そこの部屋は斬り合いができるように天井を貼っていない。何代も前から開けていない戸棚があちこちにあり、ときおり見知らぬ古いものが出てくる。家伝剣術の伝書類の多くも、捨てられる寸前に、私が学生時代に家中から掘り出して集めたものだ。まだ未知の伝書や道具がどこかにある可能性が高い。

 F氏は、武は門外漢だが、剣術伝書解読には適任であった。なぜなら、武道知識だけでは足りない、散りばめられた当時の武士の幅広い教養をも解析できるからだ。田舎侍が、大阪天王寺の鐘の拍子や、香道、茶の湯などの作法を、剣技の例えに使っていた。F氏はそれらを実演付きで解説できる教養がある。

 翻刻が進む。目の前で、失われつつあったはずの詳細な技術伝承、戦国期の先師や流祖の技術、それぞれの型の意図するものや、かつての切組(型)稽古の様子、様々な護身法、諸道具類の仕立て方等が蘇ってくる。

 そうか、だからあの型だ!というものもあれば、ますます疑問が深くなる課題も。見慣れたはずの家伝剣術の、見知らぬ古態を知らされた思いで、胸が震えた。

 時代の中で、一度忘れられた伝承を復活させることは無理であろう。消えた伝承は、私の人生を拘束する重要課題でも、世の中においては超マイナーなだけに、世界中どこにいっても、大金を積んでも、永久に知りうることはない。

 将来あの世に行ってから先師達に教えてもらうしかないなあ、と思っていたものだ。その一部でも生きている間に見られたとは、天恵に浴したかの嬉しさだぜ!この地にとどまって生きていると、割れたパズルの破片に出会えることが最大の利点である。

 まだ全部の翻刻は完了していないが、思わずF氏に礼を述べるのに土下座してしまった。これからも酒でつってお願いしようかな。

 翌日、勇んで父に報告した。夢のような最終伝書ではなく、新たな始まりである。読んだだけでは武術オタクだ。体感を通して自得していく長い時間が必要だ。私は間に合うか!?

 どつぼに はまらないように

  実は 唐突なのですが 自分の仕事のHPを製作しています。 身内にはだまっていたですが 一部の身内には これでばれる事になりました…。別段 それはそれでいいのではありますけれど よくある日記日誌の類いのHPなので ある程度自己倫理ラインを持っていないとまずいな(身の内を曝してしまう)…と思う今日この頃。

  ともあれ 仕事に関する話題提供は勿論ですが 私の人となり(薄っぺらですけど)をも紹介しようと 今パイロット版として お仕着せ(既成)のHP画面にはめ込んだ簡単なHPを立ち上げたのでした。

 私の仕事は お客さまが目の前にして初めて成立する仕事です。作ったものを披露し気に入れば買って頂く商売ではありません。芸術家の類いはそうなのですが 私らの商売を そのように勘違いしている感じもありますが…。 ともあれ仕事の性質上 時にはお客さまの身の内の奥底まで立ち入らなければならない事があります。 ある意味 裸にさせてしまうわけです。

 しかしながら 医師のように さしたる効能が等価で表れればいいのですが それ程ある!とは言いがたいかもしれない…また感覚として捉えにくいものですから ようよう裸にはなれたものではないという代物です。 仕事がうまく進んだというのは 今考えてみますと 自分もある程度裸になっておつき合いし出来たものが それなり 今も継続したおつき合いまで産んでいます。

 HPを立ち上げたことで ますます裸になって行く事になります。 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり…別段 捨てるという事を自暴自棄なイメージで言っている訳ではないのですが 実名が出てしまうだけに 覚悟がいるような気がします(そういう意味では 合気錬体会の吉丸師範のHP掲載の半生記には ここまで書くか…と思う程 そういう思いが感じたものです)。

 参考に他のHPを観たりもしますが ブログなど 昔以上にパソコンが人間に近付いて来た…いわゆるインターフェースが良くなって分 ちゃんとオンオフのスイッチを頭の中に構築しておかないと 蛇口の締め忘れや 電気のつけっぱなし同様 後でツケが回ってくるような気がします。 映画でいう映倫や 医学でいう倫理委員会ではありませんけれど 一人一人の中の倫理感が今以上に確立されていないと 身体は服を着たりして防備出来ているのに 頭の中は無防備となってしまいます。

 裸になる事を納得しているならいいのです。でも いつのまにか曝している事を気付かないでいて 見られた事を怒り出す訳に行かない世の中だという事を知らなければならないのに それを知っているのかなと思うHPすらあります。 

 裸を曝している人がいたら 見ない訳無いのが人の常。 恐いのは… 曝す事に快感開放感を帯びている人はそれでいいのですが 裸に見せて実は作為的に違う裸を見せている人。 もう一人の自分と言うのはあってもおかしくはないし それを別なところで見せる事での開放感もあってもいいとは思いますが 本来無い姿…または抑制されて出てはいけない姿… それから仮想して作り出した姿など それらから抜け出れなくなり それが本来の自分と入れ代わってしまう事が恐いのです。大仰なと思うかもしれませんけれど こんな何気ない安易な存在(暗示媒体)こそ そういう危険性を孕んでいる事を知らなければなりません。

 現実に 長崎では女子小学生殺人事件が起きました。 もう画一化した倫理観の中に人間をはめ込む事では 歯止めが効かぬ世の中になって来たと思います。 本当の意味での 個性尊重個人主義という事を 我々は考えさせられる時代なのかもしれません。

 言っては来たけれど 真の意味の啓蒙化はされて来たわけではなく 形ばかりだった事を教育分野を先頭に社会は認めなければなりません。 もはやこの世は 信じられるのは自分だけ。のし上がるには いろんな手練手管 時には自分の弱味を見せているようにして断つ事など 兵法百花繚乱のインナーワールド戦国時代初頭の姿なのかもしれないと思っています。

 ともあれ こちらの稽古日誌と混同しないように棲み分けないといけないのですが つい話しがリンクしそうになったり 極めて私的な内容になりそうだったり コントロールが難しいです。 しかし 仕事柄文章作成の修練をしないといけなくもありますので あえてトライしだしています。 そしてここ同様 悪戦苦闘してもいます。 自分で覗く際 上がる来訪カウントの数字を 心の張りにして…(自分で上げてんじゃん!)。

 リンクしては…と言っては頂いているものの まあ 今はこの日誌のこの章を読んだ方だけにだけ御案内。 どんな方らが読んでいるかは知りませんが 一応知っている方へだけは 告知…という事でm(__)m

 http://www.geocities.jp/aao6204/index.html 

 いつかちゃんと 思う画面のHPが出来たら 修武堂へリンクお願いするとしましょう。商売…メシの種なんで宣伝しないと。

  さて 雪も慣れてきたせいか 割と降っても 心動かす事が無くなってきました。 二月が一番極寒ではあるのですが 実はそれでも注意してみると 三寒四温 春の徴候は見えて来たりもするのです。

 そんなおり 道路脇の踏み固められていないところに 車輪を取られ 身動き出来なくなっていたトラックがありました。いわゆる ぬかってしまった(スタック)というやつです。 いかに四輪駆動のトラックとは言え 後ろが軽いので 前輪が埋まってしまった場合 路面に力が伝達出来ません。 そのトラックの運転手の方は 小1時間(?)程悪戦苦闘していたようです。

 雪を払うブラシで タイヤを掘り出そうと すごい気の遠くなる努力をしていました。それしか道具がなかったようです。 私の車(ワンボックス)には 昔は山での仕事が多かったせいか 自力脱出の為に スコップは無論の事数々装備しています。といっても レスキューではありませんしJAFでもありませんので大した事ありませんが…(はては寝袋・ザイルまで…昔はウィンチもありました)。 

 ともあれ タイヤの下にいれて路面とのグリップ力を高め 自力脱出する為の装備(スノーヘルパー)での脱出は困難と判断し 牽引ロープを使う事にしました。 昔は ロープを幾重にも束ねたりワイヤー製のがあったのですが この牽引ロープの凄いところは ロープがある程度延びるのです。 それによって 牽引する為に自動車を動かす際 普通はピンと張ってしまった時点で ガクンとショックがあるのですが そのショックが緩和され じわっと引っ張る感じとなります。

  やがて それでも伸びきるわけですが 伸びきった時点で よほどの車の自重差やスタックの状態が大変ではない限り アクセルを慌ててふかす必要がないのです。『遊びのないシビアな反応』とはなりません。 この事はとても重要で そういう考え方は 機械工学の中で色々と使われています。 自動車で言えば『ハンドル』。ちょっと回しただけで その動きが反映されてしまうと まっすぐ走る事さえ困難になります。

 この牽引ロープの動きを見て思ったのは 零戦の操縦索の剛性低下方式。 どういう原理かを稚拙にも説明すると… 速く飛びながら方向を変えるという事は 風圧で舵の利きが悪くなる…つまり反比例した関係になりますので それを どんな速度でもまるべく一定に操縦桿に負荷を伝えるように 操縦桿と舵とを繋ぐワイヤーの剛性を低く(伸びやすい)して対応したもの…つまり『遊び』を発生させるわけです。

 私達が自動車で高速道路を何気なく走っていますが 本来 例えばハンドル1cm動かすと ある一定の距離の間に1m横にずれるとします。 自分で慣れているスピードでの操舵性よりスピードが速くなりますと 操舵性の感覚としては『反応が早い』と感じるわけです。 これでは スピードが変わる度に操舵反応に対する意識を 絶えず変えないといけません。

 零戦の操舵の場合 スピードが出た時点の風圧力でワイヤーが伸ばされる事で すごい力で瞬時にこらえる事がいらない…つまり 素早い伝達を遅らし あわただしい操作感覚の切り替え負担を減らしたわけです(…うまい説明になっているか とても不安)。 ちゃんと追随出来る反応感覚と力があれば 剛性低下や『遊び』はかえって邪魔になりますが 零戦のような高速で飛ぶ飛行機には 人間の反応感覚としては必要なのです。 

 レーシングカー等は 通常私ら等には恐いと思う程の敏感な操舵特性にセッテングされていますし(これが直接伝達即反応の限界?) スキーの一流の選手の板は 私達の板より固い設定となっています。 斜面からの情報伝達を 『柔らかい板でぼかされたくない』からゆえ。でも その板の固さゆえの突き上げ等を押さえられる強靱な足膝腰が必要とされます。 

 古剣氏に マイケルジョーダンの『舌』の話しをした際 「彼のシューズの底は固くて曲がらない」と言っていましたから 同じような事なのでは…と思いました。 ともあれ 『牽引』『剛性低下』…。これって 振武館の黒田師範や胴体力の伊藤師範の稽古の中にあったような? また『柔らかい板でぼかされたくない』とは 逆を言うと『柔らかくしてぼかす』という事。なんとなく体術の術理に似ています。 さらにまた 『いつでもリラックスした状態いれば 落ち着いて反応出来る』という事なのかもしれません。 

 このようになる為の武術的身体とは やはり通常以上に色んな関節の延びや自在性がひとつの要因として問われるのだと思います。 肩回りや胸回り 骨盤回りは言うに及ばす まずは骨と骨の繋がりの部分が柔らかくある程度の伸縮性も無ければいけないのかもしれません。

 ふと 去年の春 桜の頃に来られた K野さんを思い出しました。 彼は 東京で身体感覚の妙を探究されておられ 別段武術を云々したいと思っているわけでないとしていらっしゃる方でしたか その場でキャタピラが空回るような回り受け身や 抜いた事のないと言われた三尺三寸の長太刀を 胸や肩そして腰の割れや延び(細分化)で いとも簡単に抜いてしまわれました。

 ともあれ 機械を初めとした一般日常の中で使われているものの原理は 意外と身体運用に使われる内容と似ているものが まだまだあるのかもしれませんね。

 伝言 K野さん また遊びに来てくださいね。 あの 受け身。もう一度 目に焼きつけておきたいもので…。前は びっくりするだけで じっくり見れなかったものですから。

 追記 本当は 二月に行われる古武術の大会に古剣氏とお父上が出られるので 私こそそっちに行きたいのですがでも 会いたい観たい方や場所 御挨拶したい方 そしてお参りしたい所 いっぱいあって時間が足りないでしょう。 あんなに東京に行っても 行きたいところがなくなってしまったので 早く帰って来たはずなのに 不思議なものです。 しかしながら たとえお金と時間があっても 今春中までこの地を離れられない事情が出来てしまいましたから しかたがありません。  

 ○イブドア社がテレビを騒がしている。だいたい彼が成功者であろうとなかろうと、私には関係ない一個人だ。もっともっと知りたい情報があるのに。

 我々は知らず知らずのうちにマスコミが創り出す幻像を、日本全体に関わる重要現実だと勘違いして世の中を知ったつもりになる。本当はこんなに様々な人生があるのだから、ある方にとっては全く不必要な情報でさえも、政治的またはマスコミの企業としての都合で取り上げ、まるで関係深い超重要情報に錯覚させている。カラクリが見えてしまえば、人々はもっと確かな情報源へと移っていくに違いない。

 いいときはあんなにヒーロー扱いしたのに、ミスが発覚すると手の平を返したようにバッシングするマスコミ。一貫性が無い。恥ずかしくはないか?!世に向けて賞賛した責任を最後まで貫くべきだ。これだけはやる、という意志が無いからだ。

 そして悪イメージの「官」に対して、正義のようであった「民」のトラブルが続く。

 単純ではないのだ。官にも民にも良と悪が混じって存在している。でも私益ではなく公を「官」を仕事に選んだからには、要求される倫理が人一倍であって当たり前。なのに民からのバッシングを恐れて、帳尻合わせばかり、官も高邁な発言と行動があまりに少ない。願立剣術物語も身体の一貫性を説いているぞ。

 博物館の企画展が終了。次に向けて展示替え。トンカチ、クギ抜き、ハシゴで大工仕事。縄文時代の環状列石のなんと重いことよ!

 肉体労働も稽古にしてしまえば楽しいもの?ここ一週間、前回の稽古日誌の通り、全身をまんべんなく意識する、ということを楽しんでいる。

 私は大ざっぱな非論理派?。モノを作るときや論文も感じたことが先で、後から理屈をつけていく。だからカラダも細かく分析するのが苦手で、大まかなイメージを感じて稽古することしかできないようだ。

 温泉につかっているように身体まんべんなく。心なしか、この寒気でも寒さに強くなるし、朝弱い男の目覚めがよくなる。ココロも軽やかさと安定感を感じる。

 いつもコートのポケットに「願立剣術物語」のコピーを忍ばせ、通勤電車で斜め読み。

 アッ素晴らしい!と思っても、翌日にはスッカリ忘れている微妙な味わい。

 「願立」10段「身の内を一杯に滞りなく指し伸ばす也、延ばせば向こうへ行くより外なきぞ、心も身も手も所作も少しもたるみなく物に一杯の気に叶う剣術を性の位と言う也(中略)長き竹の本を少し動かせば竹の末葉の先まで一度に動く如く也」、12段の「一心総体に充満して少しも性の続かざる処なき故に」などを読んで、カラダをまんべんなくということや、「生々剣」を連想した。

 この「性」の読みは「生々剣」と同じように「せい」と発音するのだろうか?ファイトだ、気持ちで負けるな、ガンガンやれ!とは言ってない。ガンガンは、スポーツでは重要な要素だが、ときに性悪人間を作る。

 「生々」。辞典でいえば「万物が生い立ち育つさま、生き生きしているさま、活動してやまないさま」。「清々」なら「きわめて清らかなさま、すがすがしいさま、はればれと快いさま」とある。清らかに生命が萌え出るようなイメージ。私のように「今日も疲れたけど、ひと踏ん張りだ!ドッコイショ!」という全く力んだ汗苦しいイメージが無い。私の感覚はまるっきり対極にいるのか?

 ひと休み、手にクギ抜きがあった。コッソリ、その重さを全身で持つ感覚を遊ぶ。

 宮本武蔵は、軽い木刀を重く扱えというらしいが、私のレベルでは、軽さに負けて、振り回してしまう、重めのものを動かす方が、全身がつながっているということを試せるか。

 右利きでブキッチョな左腕。居着いて凝っているところを考えて直そうとするより、モノを取ろうとしてサッと差し出した手先が、自然に動くよう意識すれば、他の身体各部は自ずと決まってくるか?

 よく腰が大事だという。父まで。でも近現代剣道のようなドイツ式の反ったギックリ腰をイメージして拒絶感があった。でも願立でも家伝剣術でも、腰の重要性を示した記述があるのに気付く。どういうことか。

 脚立の昇り降り。面倒になれば上に乗ったまま、はねて移動している。

 願立では「足は手に引かれていくぞ」とはあるが、手と足のタイムラグがあれば問題だ。両者のタイムラグが無く、全身が一斉に動くようにするには、中間にある腰が一緒についていけるかどうかということも関係あるか。

 この「願立剣術物語」。案外、全文が発表されることが少ないとみた。よって当HPで全文を掲載し、ささやかながら皆様のお役に立てればと願う。十数年前に所蔵先図書館にいって、写真撮影してきたものを頼りに、現在、自分なりに全文を翻刻中。ご期待を。

 

 剣道道場、寒稽古納め。懇親会では、我が藩の古流剣術も稽古されている剣道高段者の先生方とお話できた。

 失われた流派を数世代先へ残すためどうするか、ご自身の役割は何であるか覚悟されている、といわれた某先生に敬服の念がわく。

 そしてある流派。中央にも伝承がもたらされ有名になったが、同じ兄弟弟子の伝系が当地にも残り、別々に代々稽古されてきた。私も幼い頃から拝見している。

 それぞれ若干の技術的差違があるようだ。より原型を学びたいと当地をはるばる尋ねてくる方も多い。しかし当地の方々は、自己修養を優先、宣伝をしないため、全国的にはあまり知られていない。

 数年前、甲野師範の稽古会。関東から参加された剣道家に、当地にも同じ流派の伝承があるとご紹介したところ、「うちの方が正統ですから」とアッサリ胸を張られた。あからさまな若さがうらやましくもあり、私は笑いをこらえた。ご流儀に対する信念は大事だ。それがなくては懸命に稽古しない。だが、ときと場合によって胸に秘めておかなくては、無用の災いにさいなまれるかもなあ。

 しかし現実には、この流儀は、どちらも近世以来の同じ師範に由来し、分かれたのが数世代前。同じ道を歩むべき同志であるといえないか。

 日本の一般的な武術流派がそうなのだ。江戸時代の日本は、一流一藩制といい、同じ流儀が様々な複数の藩にバラバラに存在した。しかし、その日本各地の同名流儀をすべて統括するような強力な一人の宗家が生まれることを、幕府が許さなかったという。つまり、江戸時代は○○流宗家のような存在が、日本各地の藩にそれぞれ何名もいたのだ。「唯一人」と書いた伝書がたくさんあった。

 ねつ造ならともかく、キチンとした伝系で修行したならば、宗家と免許が何人いてもいいことになる。それを登録商標や特許権のように「宗家はただ一人」というのは、近代的な新しい思考ではないだろうか?歴史的な現実である、代々複数あった伝承ルートを否定し、無視してしまうことは、ご流儀の先達方に対しても失礼だと思うが、いかがだろうか?

民俗学でも「うちの神楽が正統だ」というのは要注意である。

 その意味において、古武道より、現代剣道やスポーツの世界の方が開放性を感じる。近代以降、古い武術が少数派となった原因がそこにもあったのかもしれない。私自身よくよく自省していかねばならないことでもある。何を最優先にしてエネルギーを注ぐのか。多くの人々と分けあい、アイディアを持ち寄ってこそ蘇る術理があるかもしれない。

 まあ家伝流派こそ、中央からは○○流の支流としてしか認識されていない。

 しかし一応、代々やってきた。今から二百数十年前、越前国から蝦夷地を目指していた一人の侍が嵐に遭い、途中で津軽の鰺ヶ沢湊に寄ったことから、我が一族は代々この課題に束縛され、小さいバトンを次々に受け継いできた現実がある。ある事情を抱えていたその方が、船から降りなければ、私はここにいなかったろう。ひょんなことから数世代にわたる人生達が左右されたとは感慨深いものだ。

 継ぐことで嫌なことも少なくない。数年前、のんびり屋で怒ることのない妹が、珍しく腹を立てて帰ってきたことがあった。

 そのとき、彼女は某高校剣道顧問であった。遠征先の懇親会、先輩からいわれた「お宅のお爺さんとお父さんは、ご流儀を「独り占め」にしている」云々と‥。祖父の代からよく聞く非難らしい。どうしてだろう!?。

 「うらやまれる」ことは、「実力が無い」のに、何らかの「利益を持つ」ものが対象となる。「実力の無さ」ではその通りかもしれない。だが、この流儀に何の利益があるものか?こちらが教えてほしい!

 「独占」とおっしゃるが違う。拙い田舎流儀は、江戸時代は数百名の門弟があった。大正期まで門人制度があり複数のお弟子さんがいた。昭和期は、祖父が個人的に弟子をとったようで、その中のお一人が神奈川県某剣道連盟で重鎮をされている。むしろ近代以降、全ての弟子が流儀をやめ、社会から忘れられていった存在なのだ。

 流儀が我が家のみに縮小した現在。宣伝、売り込みが大嫌いな父は、人に教えるような立派なものではない、うちだけ坦々とやっておればいいと、取材も広告依頼も9割は拒否。勝手に掲載してくれる方はいるが、ますます超マイナーに。利益は全く無し、名誉にも肩書きにも全くならない。

 それでも自己満足、カタチばかりでも伝承するために、代々の家族全員が、身も心も、時間も生活環境も、お金も、人生すべて、その分よけいに投資せざるをえない犠牲者だといえよう。継ぐか?継がないか?という代々の親子ケンカが絶えない因縁深い家?。老いを感じはじめたという父を見ると様々な思いがわく。

 現代社会で超マイナー分野。流行のエコノミストから見たらバカな投資活動、「負け組」であろう。ただ、錆びた剣でも、代々一族の犠牲が込められた上に、私が存在させてもらっていると思えば忍びない。これが何のためになるのかな?と疑いつつ、何かに結晶させねば、みんな報われないと、シコシコ磨かざるをえない。

 以上。どなたかわからないが、この不便さを知ってのご批判であろうか。全く「オススメ」でないのです!だからこそ9割以上の古流儀が消滅したのです。他にオイシく、名誉のある世襲制はいくらでもあります。ご自由にそちらをお選びください。

 そして、父から子へという、か細い伝承。よく人からは、いつ絶えるかわからないのでは?とご心配いただく。よほど頼りなく見えるのだろう。

 でも心配ご無用!大丈夫!!という根拠の無い絶対の確信?が本人達にはあるのです

 むしろ反対に、私がこんなに嫌がっているのに、何故かやらざるをえない状況が分厚く迫ってくる。

 ということは、たぶん、私の存在はそれをするための乗り物、試験機種の一タイプか。ひょっとすると私の生命よりも、行為の方が優先されてしまうこともあるだろうなあ。それが惨めなこととは全く思わない。私は他に行くところがない、むしろ使ってもらった方が光栄だ。

 たぶんそれは、我々一族の都合を超えており、「コイツらは役立たず」とわかれば、他に優秀な乗り物を探すだろう。だから絶やそうとしても、当分は流れ続けるだろう。消滅があるとすれば、小さきものだから、大型獣に狙われてではなく、性能の悪い乗り物とともに自滅していく道だろう。

 それよりも、うちの小流儀より、もっと消滅の危機にさらされたり、今は全盛でも、いつでも断ち切れそうな様々な分野が、有名、無名に限らず、世にゴマンとあるのでは‥?そちらを心配しましょう。

 最近、父が家伝流儀を、県か市の文化財指定へ申請しようかという。

 国内各地では20流派の武術が、県や市の文化財指定を受けている。例えば、八戸市の文化財神道無念流居合など。実は当流も祖父の代にお願いをしてダメだった経緯があり、我が家の悲願であった。

 父の思いを知れば複雑だ。でも残念ながら難しいだろうと思う。

 まず文化財審議委員の視点だ。近世武芸は、日本史では学芸分野で扱うことが多い。だが、当地ではその分野の研究が進んでいるとは思えず、学芸は武士の思想と学問史ばかりの記述である。でも当時の武士の技能が思想と学問ばかりであったはずがない。それでは脳ばかり、カラダが無いではないか、腰の剣はイミテーションか?。

 いかにも運動よりも、机上勉強のみ優先してきた研究者の分析視点だと思う。身体がない視点には、世の中に無数に存在する身体知も見えない。だから近世武芸を一文化としてとらえる思考も生まれない。人の世、すべてが研究対象となりうるはず、現実に存在するものを、これは対象にならないといった瞬間に、引きこもりなのである。

 そしてもうひとつは、我々武道関係者にも非があったのだと考える。同じ身体技術でも、なぜ、祭礼や能、歌舞伎、神楽、獅子舞、津軽箏曲、和船などの職人技術などが文化財指定を受けやすく、近世武芸がキワモノ的存在なのか。

 それは我々、武道、武術が、自慢話に引きこもり、大きな社会の流れの中での立ち位置、役割を曖昧にし、他者にも解りやすく語る努力をしてこなかったことにも責任があるか。

 だから武道、武芸は個人の趣味、多くの人々と共有された文化ではないから、公の文化財には指定できない、といわれればどうする?当時の軍制の一端を担ったこと、多くの武士やの心身を形成した実用技術および教養であったこと、村の名主やマタギも護身術として使い民俗芸能にまで影響を与えたこと、その形成には日本各地との交流から、武のみならず、伝説、神道、仏教、陰陽道、礼法、日常技術など多彩な要素が混入されたこと、ややがては近代武道のベースとなり、多くの人々の心身を涵養した歴史的な技術だと説明できるか?

 当HPの拙論「身体技術伝承の…」は、かなりの冒険作でミスも多いが、あえて恥を覚悟で「我が武道自慢」を広い社会の地平につなげていく努力をしたつもりだ。地元では、低段者が生意気だ、こんなの誰も読まないよと、学論としての批評以前のことをいわれた。

 でもそれは、論文ににも、最初から異端にならざるを得ない立場である私の疑問にも全く答えていない。そのように好悪の感情がからむ武だから、文化財にならないのだ。

 一方、甲野師範の『身体から革命を起こす』に取り上げていただき、中央の剣道連盟の師範数名の方からも励ましをいただいた。そのとたんに評価し始めた地元の方がいて、見識の無さにさらにがっかりしたのだった。

 文化財指定。私はあまり期待しない。無い価値は、これから自分で少しずつ形成していくしかない。引退した歴史的遺産ではなく、現役で使える技術にしたいと願うばかりだ。

 以上つまらぬグチだ。21世紀でもこんな時代遅れの人間がいたという、未来の民俗学への珍資料です。

 

  1月15日小正月。我が道場は寒稽古納め会。といっても寒さはまだまだ続くだろう。

 16日は、当会の定例稽古に、新しい方が何人かおいでになった。各地には無名でも凄まじい達人がいるお話も聞けた。S先生からは、横へのさばき方のヒント、突き蹴りで予想接触ポイントをズラすことの効果をアドバイスいただく。G氏からはナイフ取りの体術とともに、彼の超能力ともいうべき不思議な体験、その力を柔術の乱取りへも応用したお話を聞く。無刀氏からは、生々剣の新考察をいただき、かねてからの私の予想とほぼ一致していた。実り多い稽古だった。

 ここ数日は、移動するときにカラダ全身が遅れずについていくことを考えている。それにつけても我が武技の拙さ、稽古法の問題点を実感。

 うまくいったかと思えばダメの繰り返し。上達できないのにやり続けるとは、マボロシを追うような全く空しい人生だと意気消沈。夜はつき合いで下戸なのに深夜まで酒を飲み、今朝の久方の竹刀稽古が、うまくいかない気がして、面倒でしょうがなく、天然巻き毛のボサボサ頭、死人のような顔で稽古にいった。

 小野派一刀流の刃引き真剣の演武を拝見。金属がぶつかり、すり合う音に背筋が凍る。

 私は木刀で家伝剣術を演武。父が大太刀で上段から左肩を袈裟に斬ってくるのを、我は片手の小太刀で、下段から斜め左上へすり上げ、返す刀で相手の右首を斬る。

 のつもりが、父の斬りをすりあげた瞬間、我が小太刀が、鍔元近くから真っ二つに折れ、切っ先部分がすり上げた方向へ飛んでいって壁面に激突。人がいない場所でよかった。

 いつもかなりの衝撃をともなう型だとは感じていた。木刀もしっかりした作りであったはず。演武中に木刀を折ったのは初めてだ。仕方なく、折れた小太刀で残身を示し、構えを解き、礼をして別の木刀にかえて続行した。

 私の刀法のマズさを痛感。太めの木刀でも棟で横に受ければ、真剣と同じように折れるのだろう。刃部ですり上げなくては。その方が刀の構造上、そして斬りの動作も体の構造上、自然か。普通、刀法は実際に刀を使わねばわからないという。簡単な木刀レベルで知らされたのは、天啓といえよう。ありがたや。ありがたや。

 次に高段者の先生方から剣道の稽古をいただく。久しぶりの剣道は緊張するなあ。打たれに行くつもりで。

 今日の竹刀稽古はひとつだけ、意拳や願流でいうらしい、初動を全くよどませず、変化させずにスーッといくこと、ハッと釣り合いをとったのを、ゆるませないことを実験しようと考えた。レベルは違うが。そのことは迷いと弱きの多い私にとって、武技でも日常生活でも足りない点である。

 中段に構えたとたん、おかしくなったかと絶叫するが、焦らずジッと動かず、機会が熟したときにスッと打ち込むようにした。この間の心理的な駆け引きが、剣道では心の修行だというらしい。その魅力に取り付かれて稽古する方が多いのもなんとなくわかった。

 私は起こりを崩され、打たれ、面打ちでは何度もノドに迎え突きをくらう。防具の中まで突き通されながら、ヤケクソの面を連打した。父には気持ちの起こりを読まれ、確実に出小手をとられる。

 でもその中で私に奇妙な動きが出た。父に引き出された感じで、カラダが誤作動した。

 つまり、互いに中段に構えていて、私が手をサッと伸ばそうと感じた瞬間、父が小手を狙ってきたのがわかった。察知した私の脳が、「やめろ!止まれ!」と自分のカラダにブレーキを指示したはずなのに、勝手に「小手、面」といつもより速い連続打ちがオートで出た。

 その違和感といったら全く気持ち悪い。他人の腕を第三者が眺めていたような感じか、ケイレンする腕を止められなかったといった感じ。その瞬間は1秒に満たないほど短い時間だったが、頭と腕との間の連絡が、何往復かして混線した感じが生まれたとき。脳が「オレが指示する前に、勝手に動かしたのは誰だっ!」と慌てて怒っていた。意識しても二度とできないかも。

 この筋肉とこの関節を動かして‥。自分のカラダなのに、アタマで分析しようとしても、思い通りにはならないのだなあ。ならば元来の不可思議な自動操縦システムに乗っかって、それがうまく発動する方法をとった方が効果的なのかもしれない。

 久しぶりの竹刀稽古。体育的にはスタミナ不足であった。そして父には、打突後の左足の引きつけがまだまだ遅く、後ろ足を引きずるようなクセがある。当てるよりも姿勢が重要だ。いつまでも直らないぞ!!とメタクソに叱られる。チクショウ!とと思ったが確かにそうだろう。昇段試験等の剣道の美から見れば、私は悪い見本である。

 でも打つ機会がわからず、全く空回りしていた以前よりは、余裕を持って相手に対することができるようになり、少しずつ確かに変わりつつある自分の技術を感じて、非常に嬉しかった。

 なぜ変わったのだろう?。これは父から竹刀剣道用の効果的な構えと攻め、打ち方を教えてもらった、剣道世界の中で互いの技が限定されているから、稽古会で他武道に対するよりも、予測や対応がしやすい、ということばかりではないと思う。迷いながらの型稽古や他武道の効用もあるかなと考えている。

 なぜならば普段は、剣術や居合、体術の型稽古もどきや、当会の皆様と他武道しかやっておらず、竹刀剣道の地稽古はほとんどしていない。それぞれ別のもので、バラバラに考えるしかないと思っていた。でもその自分が、自由な打ち合いの竹刀稽古が少しだけラクになった?という小さな実感を覚えたということは、両者の間に具体的につながるものがあるのか?

 そして武の稽古には、心身のリセット効果があると思った。始めは道場に立っても、足が重く居着いてコンディション悪し。しかし剣術で木刀が折れた。剣道の地稽古でヤアー!!と絶叫して突っ込んでいった瞬間。グダグダ迷いが瞬時に消し飛び、別人格に。よどんではいられない、意識をフル回転させて向かい、変化し続けなくてはやられる!!

 スイッチが入ると夢中になっていつの間にか軽やかになる。このように、武の稽古はこの自堕落な男シャキッとさせ、心身を総動員させて瞬時に判断、対応する場に立たせてくれるショック療法にもつながろう。

 なぜ普段ボンヤリなのか。たぶん私は、全身の血流、または意識の濃さが、身体全体ではなく、まばらで、ところどころ空白で休んでいるような部分がある気がする。これを人によっては気の流れ、オーラなどとアヤシイ言葉で例えるのかもしれない。

 だから体調が悪いとき、イライラしているときほど、身体感覚の片寄りがヒドく、重く固いカラダと足、ココロだ。

 だが武のいい稽古をしたとき、これが全身にまんべんなく広がり、ヘ理屈アタマが消し飛んで、身も心も熱く、流れ、高揚感、自在感を得る気がする。悩んでいたヘ理屈が全くどうでもよくなり、人とのコミュニケーション能力も、作業効率も、あらゆることへの対応力が、「いつもよりは」マシになる。独りよがりだろうが。

 竹刀稽古や乱取り稽古は、瞬間湯沸かし器のように、一瞬で強制的に全身へ、熱と意識が広がるものとすれば、型稽古はジワジワとゆっくりと全身へ広がる方法といえよう。「気を一体に通達す」と説く家伝剣術の教え。「気」は感じたことがないが、いいえて妙な文章なのかもしれない。

 重くて居つく足はランニングで、居つく気持ちは気晴らしで、それぞれ軽やかにしようと思いがちだが、決して身体感覚の広がり方と無縁ではないのだろう。特に上半身の各部がサボって休んでいる私のカラダが、その分、足の居付きと気持ちの詰まりを引き起こしていると感じた。

 今日の心身の高揚感は、主に竹刀稽古で強制的にインスタントで生まれたもの。この感覚が残るうちに意拳のタントウをやれば効果的かな?。やったら、切り返しで使った両肩の筋肉がやや暴走しすぎて、のびやかな動きを阻害する感じがあったため、悪い癖をつけないうちにやめた。インスタントの高揚感は、まとまりがつかないのかもなあ。   

 「怠らず行けば、千里の果ても見ん、よし波風の、いかに荒れようとも」秋田の大館藩士の娘であった亡き祖母が、年賀状に書いてくれた言葉。

 それは、浄土宗『往生要集詮要』(『漢語燈録』巻第六)の「四修(ししゅ)」の要(かなめ)である「無間修(むけんじゅ)」(昼夜を問わず行住坐臥にたゆむことなく、「往生するぞ」という念を堅持して、称名を継続すること)に通じる言葉「怠らず、行かば千里の果ても見ん、牛の歩みのよし、おそくとも」に似ていた。「ただ歩み続けよ」

 「一体に気を通達する」を工夫しながら博物館内を歩いている。通達できれば、少しネクラな気性が明るく変わるかな。

 父が死んだ後 学級のガキ大将とその一味に虐められるようになってからだろうか あんな『力』があるのを知ったのは…。

 いいや…確かに虐められ辛い小学校生活ではあったけれど あの『力』に気付いたのは 担任の暴力教師に対してした事が切っ掛けだったような気がする…。

 担任は すぐ怒る人だった。怒り 立たせ 怒鳴り その上革靴の踵を被う部分が無いようなスリッパの踵のしかもその角で 頭をよく叩いた。 宿題を忘れた…とすればもちろんの事 何か学級の誰かが悪い事したらば(たとえばガラスを割ったとか) 胸ぐら掴み 吊るし上げ 揺さぶり ゲンコに握った手の中指を一段高くして擦るようにも殴った。 目から火花が出 鼻から苦い匂いのようなものが出た。時には こぶまで出来た。 

 毎日毎日 学校にいる間じゅう ガキ大将とその一味に虐められていて 朝の登校する時間も距離も苦痛で 顔を見上げて学校に行った事はなかった。足には重い足枷を付けられているようで重く それでも当時は 不登校という概念すらない時代だから 行くのは当たり前な事ではあった。 そんな行く先に待つ 同級の連中の恐怖のひとときとは とても辛いような気がするのだが それでも足は前に繰り出せた。あの事を考えると…。 

 たとえば 道すがら 宿題を忘れた事を思い出す… 担任のあの顔 あの仕置きを思い出した途端 足取りは前にも増して 足枷の重量がドンと増えたような気がして その時点から『超』恐怖の登校時間となるのである。 出来れば 帰りたかった。逃げたかった。 歩いている内に 身体が不調になってくれないか 嫌だけど事故に気付かない内に合わないかと 心臓は高鳴り冷や汗が出て 頭はパニックを起こしそうになりながら登校しなきゃいけないという事と 戦う時間だった。 今に思えば 帰ればよかったのに 帰れなかった。 

 以前 数十年軟禁されたのに逃げ出そうとする事が出来なかった人の事件があったが とてもその人の気持ちが解るような気がしたものだ。 学校へ行く道すがら 宿題忘れをとがめ責め立てる担任の姿がリアルにイメージとして浮かぶ。 殴られる痛さも浮かんで来る。『ああ嫌だ。恐い。どうしよう。』 そんな妄想ではち切れんばかりの頭で 学校へ向う。 

 呪われた学校が 気がつけば目の前に表れ その恐ろしい口に吸い込まれて行く。 古い木造校舎の自分の教室までの廊下は 死刑台への道のようだった。 席につき 始業ベルが鳴り いよいよ担任の登場を待つ。 次にある段取りはこうだ…。 立ち上がるようにと死刑宣告を受けた後 一通り罵倒を受けた後 即執行されるのだ。  

 もう頭は何も考えられない…。 頭の中は恐ろしい情景の情報が詰まりに詰まって身動きが取れない程で 何も考える余地すらないのだ。 ただ これから始まる凄惨な儀式に身を委ねる一連の動作だけが リフレインしていた。

 ガラガラと教室のドアが開いた。担任登場…。 もう 私の意識はピークで 気持ち的には失神しているようなものだった。 恐らく… この幾倍かは知らないが これが死刑執行の日に 自分の独房の前に来た刑務官の足音が止まった時の心境に近いものなのかもしれないと 子供ながら思った程だ。

 でも その日は違った。教室に入って来たのは あの恐怖の担任ではなかった…。 『担任じゃない!?!?!?!…』 次の瞬間自分が どう対処していいか解らない別のパニックが引き起きた。「え~ ○○先生は今日は急きょ都合でお帰りになりました。よって 他の先生が手分けして 今日の皆さんの授業をやっていく事になりますので よろしくお願いしま~す。」と 間延びした声でその事を伝えた。 

 気持ち的には もうその場にへたり込みたかった。意識が遠のくなら 遠のいて横たわっていたかった。 今日 忘れ物による 死刑執行はまぬがれたのだった。 どういうわけか その日以来 忘れ物があって怒られたく無いとか やりたくない事があったりとかすると それによって引き起きる凄惨なシーンを強くイメージすると 不思議と回避出来るようになった。

  百%の確率とは言いがたいが その原因も解った。 それがうまく行かないのは 『強く思う…強く鮮烈に思うイメージ』が足りなかったからだだった。 白昼夢を観ているのではないかと思う程 その仮想世界で 凄惨な場に身を置いているような気持ちになる強いイメージを思い込み いかに恐怖心で怯える自分になりきるが 『成就』のカギだった。それは相当きついものがあったが 現実に起きてしまうという思いが優ると 高い確率で その反対の事が起きるのだった。 

 応用もした。 テレビでプロ野球など観戦して贔屓のチームに勝ってもらいたい時は 翌日のスポーツ紙や巷の酷評までイメージしたりすると 逆転したり 絶体絶命のピンチを免れるのだった。 少し違う応用としては 相撲で贔屓の力士を応援してしまうと 必ずに近い程負けるので 願掛けの『○○断ち』ように その力士の取り組みだけは見なかった。 相撲の場所が始まっている事すら気にしないでいると 優勝したりもした程だった。 ともかく 徹底した『ネガティヴシンキング』に身を置く事で 逆夢とする能力を持っていた。 そして その事はずうっと黙っていないと 能力が無くなってしまうんだと思ってもいたのだった。 

 昨今は『ポジティヴシンキング』が賑わしている。 今 長い闇の中にいる陰うつな世相に 大衆が防衛本能なのか はたまた反作用なのか 不穏な情緒に対しての対処法として 身体の内なる部分が発令している事のかもしれない。 『笑い』ビクスなども その例だろう。 一方 鬱積した心は 世相に奇妙な猟奇的な事件を割と多く巻き起こしたりもしている。

  健全な部分?では 古代ギリシャローマ時代 奴隷同士もしくは動物との殺しあいを見せ物として 鬱積を興奮に変えたのにも似た 格闘技戦のテレビ番組流行ってもいる。 それからヒーリング… スピリチュアル…と 本来 心の傍らにおいて嗜んで来たものさえ煽り出し むさぼり縋ろうとしている。 考えてみると 孫子の兵法も五輪の書の根底はネガティヴシンキングではないか。

  断って置くが ネガティヴシンキング=鬱なるもの…マイナス思考ではない。 『内なる部分を見る 考える』という意味だ。そういう意味では 自分の身としているわけではないが(付け焼き刃という意味) 老荘思想もそうだと思う。宗教もそうだとも言える(全部ではないだろうが)。 戦いに於いて 討って出るなら それ相当以上の退路の作戦を考えて行動する事…そのぐらいしないと 勝ちは薄く 負けとなった時は被害は甚大となる。ばん回すらおぼつかない。 

 そういう意味で あえて退路も断つ『背水の陣』も ひとつの選択肢としてあるのだ。 行けいけで進軍したものの しくじった時のあられもない味方陣営の姿は 歴史が証明している。 このような危機管理も ネガティヴシンキングだ。 なるほどポジティヴシンキングは ある程度の世情の牽引役とはなるであろう。だが 巨岩を動かすには足りない。また 危険だとも言える。 なのに今の世相は 声高らかに そのような事を提唱しているのを見ると 内心恐ろしく思っている。 『ポジネガ』は その意味のまま 表裏一体なのである。

 八光流の奥山始祖の『首を絞められたら笑いなさい』というのは まさにその事を言い得ている。不利な状況でこそ『覚悟』を持ち『笑う』ぐらいとなる…これがワンセットだ。 現実も見ず 『ポジティヴシンキング』を実行する事は 危険すぎる。 氷山のように 水面下の『ネガティヴシンキング』があるからこそ 『ポジティヴシンキング』となれるのだ。だから 『ポジティヴシンキング』先行はいけない…。

 物事を逆夢に変えてしまう異能の力(しかもよい事には使えない…宝くじを当てたいとか…)というより  呪詛の能力にも似た力は 今は… 無い。ほぼ消えてしまったと言っていい。 それは いつしか使う事も少なくなり ある時そういう力がある事を人に話してしまったせいだと思っている。もう大分前の話しだから忘れてしまったが もうその力を使う事に子供ながら疲れてしまったのだろう…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

 なあんて まじっぽい話しを書いてしまいました。 さて 念ずるあまり 意識の中で『なりきる…演じる』というのは 結構難しい事ではありません。 それをもし 外に表現するという事の 自分の内なるものから外へのコネクトがどれだけ出来るか…が問題なのです。 前述の文中にある 八光流…の話しがそうですね。 昨今 演劇や演技自体…表現する事 パフォーマンスの為のワークショップがあったりして その方法論には感心させられる事もあります。

 これらの事は 何も目新しい事ではなく 戦後 数々の名優を輩出したリー・ストラスバーグ主宰のニューヨークアクターズスタジオあたりのメゾットに すでに実践されていました。 演劇も少しかじっていた私(シナリオ…は難しくても せめて大道具やりたくて…恥ずかし)には あるテレビ番組で そのスタジオで行われているメゾットを観て 衝撃を受けたものです。 

 もっとも 映画などでの演劇という表現は 演出しなくても 彼等欧米人の日常の動き自体が向いているのではあります…。 でも チャップリンのような表現は むしろ歌舞伎とか日本的な手法に近く サイレント時代の日本映画の帯びる質感は似ているような感じもすると考察してしまうのは 演劇界も巻き込んだ傍若無人な考え方でしょうか? 実際 ですから 私的には好きでしたが バスターキートンの映画はサイレントの中では異質な感じがありましたし 後年のトーキーの頃のチャップリン作品には 不完全燃焼してしまっています。  

 後年 女優になった私の後輩より テレビ番組で共演している男優さんが アクターズスタジオ日本版の卒業生だよと聞いた時には びっくりしました。 日本人の演技は どうあっても歌舞伎の『ミエ』 のような切れ目と誇張された抑揚を感じでしまいますから 一人だけがそうした演技をしても その場に流れるリズムみたいなものが合わないだろうに…と思ったからです。

 また 日本語とその為の呼吸法 そして日本人自身の普段の所作が地味な為 中々自然に見えて しかも判る演技という事を難しくしています(それを逆の方向から見ると 私達が西洋演劇作品を演じる日本人に対する違和感なのでは…と思います)。

  実際 その辺の違和感や矛盾を打破しようとしたのか (以前も書いた)ずうっと昔に放映された勝新太郎監督主演の刑事物のテレビドラマ。 しかし 当時の録音技術の限界で 内こもった普通の人間の活舌の悪い自然な会話での演技は 聞き取りにくかった事を 今でも覚えています(ドキュメンタリーなんかは 普通にそういう事があります)。 その後も 勝新さんの動向には注目していました。 他の作品でも その妥協点を模索していたような演技なのだなあと感じていたのですが それを思うといかんせん後年の不祥事での 不遇の内の活躍は残念でなりません。 ともあれ歌舞伎界出身(歌舞伎役者ではありませんが…)で時代劇を中心として活躍して来た彼が そういう方向を目指した事は興味深い事です。 

 ですから さらに後年… 北野武映画作品にそういう部分を感じるなあと思ったら 彼が『座頭市』をリメイク。 個人的に 『北野武は勝新を意識しているのかもしれない』と思ったら  ほくそ笑んでしまいました。 おっと話しは逸れました。 私達が突然演技しようとしても 何か魔法に掛ったかのようにぎこちないのは 素直な伝達経路にフィルターというかベールをかけてしまうからであります。 ちょうど 剣術が出来て その動きが『体術の動きだ』としても上手く出来なかったり 今まで体術で組み合う事での体さばきが出来ていたのに 相手が武器を持った途端にそれが出来なくなる…という事に似ていると言えます。

 この間 古剣氏の義弟K氏が稽古会に来られ 武術経験が無い彼に 小太刀の型での 今我々が考えてる術理を体験してもらうために終始した事は 『相手が前に居たとて 気にせず普通に身体が動かせる事』を言い聞かせ 身体に納得してもらう事でした。「何気なく歩いていたら 前に水たまりがあって 靴がその中にハマるまいと 直前引き上げたら どうなります?」「その時 私が腕を引っ張りますから その時の感じ覚えておいてください」…そんなような事ばかり。

 彼自身 照れもあるのでしょうが 別に武術をするというのではなくて 実際そのような事があった時の身体の素直な行動をしてみてください…と言っても出来ないものです。 いかに普段私達は自分の身体にブレーキばかり掛けているかという事を義弟K氏は証明してくれました。 しかし 時間が経つにつれ…といっても小一時間で 何となく小太刀の型が様になって来た事で  我々がいかに武術的身体という『こだわり』で作られた重い甲冑のようなものを着ているのかという事をも 思い知らされたのでした。 

 そういえば年末 形意拳をやっておられるN氏とライトコンタクトをしましたら 彼の連綿として繰り出されるライトパンチに合わせようとしてしまって 最後は身体が固まってしまった事を思い出します。 彼の流れ 彼のリズムについて行く事はないのに 合わせようとした結果でありました。 来るのを待てば おのずと緊張してしまいます。 

 これを バッティングのように『当てて行く』という意識になると 少し楽になります。 もし ここで『当てて行く』として差し出した自分の手が 相手より早く相手の圏内に差し込む事が出来たら どうでしょう? この時点で 形勢が変わって来ます。次の段階の考察は別の機会として ともあれ実演してもらうためのライトコンタクトではありましたが 身体が急に起きた状況に反応出来ずフリーズしてしまった自分は不覚でした。素直に 当てられる事を体感していればよかったのです。

  思うに 『稽古』とはそうならない為に 実戦の中で途端に出来てしまうフィルターというか呪縛のベールにあちこち綻び破れをつけて さあ実戦という時にその殻を撃ち破り 自在に動けるようになる為のお膳立てのような気がします。 しかし いかに綻びをつけ 破れやすいようにしたとしても 最終的にズタズタに破り抜け出る為には 自分の力量とセンスが必要なのです。 そうやって 内と外 陰と陽 ネガティヴとポジティヴ その間を自在に行き来が出来 調和させる事が出来れば どんなものさえ分け隔てなく対応対処出来るようになるのかもしれません。

 それにしても…あの幼き頃の異能の力。惜しい事しました。 実は 今も復活させようと努力しているのですが でもあの頃のようなピュアな心 失ってしまっている事を思い知らされるばかりです。 世俗の垢にまみれたオッサンとなってしまいました。ほんとはナイーブでピュアなのに 神様は解ってくれないようです…。 そこの! 私を知っている方々! お笑いめさるな!

 おまけ…『くそ~ ナイーブでピュアじゃないのか…ナイーブでピュアじゃないのか…皆がそう思っているのかあ…皆がそう思っているのかあ…』↑と 『ナイーブでピュアな心』を取り戻したいばかりに 『ネガティブシンキング』しても ここが微妙なところ。やもすれば『被害妄想』となり 全然功を成さないのであります。難しいんですよ~あの力…。ネクラと思われてもいい また欲しいなあ…。無理だな~無理だな~←またやってる!

 古い雑誌をペラペラめくって居たら『正座と胡座(あぐら)』の事を書いていた記述を見つけました。

 今その雑誌を探してみたんですが見つかりませんのですが 確か 正座は外に向う勢いを表す座り方。胡座は内なる方へ気持ちを向ける座り方のような事を書いてありました。

 そういえば 胡座は座禅に繋がる動作です。正座は 以前も書いたのですが 首を差し出し床に額をつけるまでしない内は どこでも戦闘体制に入れる座り方です。

 少林寺や杖道そして居合いに通じていらっしゃるS田先生は 座った体制から 刀を抜き出している内から力ある『斬り』をしないとダメだと 座してより片膝立てて横一文字水平に斬りをする動作をして説明させていただきました。

 実は…。

 最近全然 先生より御指導頂いた杖道の初めの動作や居合いの動作 の稽古が色々な事が重なり やっていない事。ましてや 古剣氏よりの林崎流居合の検証の為の一番先の動作の稽古もやっていず これではいかんと思い 今年初頭 刀の抜きぞめ(そういうのかな?)をして心新たにしようと ひとり家で座してより抜いてみました。

 そうしたら 全然手の内がしっくりこず 抜いても 抜き振っている際の軌跡が一定していなくて 抜ききった時ですら 動作もおぼつかなく愕然としていたのです。

 刀が 手の内で動いてしまいます。きゅっと絞るような気持ちでやるのですが 途中の刀の軌跡がぶれすぎて 制し切れないようです。

 これは 『抜く』という事の動作を 今まで何も考えずやって来たのが どこもかしこも問題だらけな事がやっと判って来たからかもしれません(←いいように考えちゃって)。

 ともあれ 全然『斬』っていないのです。単にそういう動作なだけ。 最後に踏み込んだ足だけが これ見よがしに音を立ててはいます。

 太極拳での震脚もそうですが 単に足を踏みならすのでは 意味がありませんし 膝を痛めてしまう元です。

 今年初頭で観た剣道大会で 修武堂のメンバーである剣道をしているKさん(Kさんって多いな~)が審判をしていましたので ちょっと『剣道』の事を聞く機会を得ました。

 面打ちの際 踏み込んで足打ちならす音だけは大きいけれど 竹刀で打つ音は差程でないような気がするので あれじゃ意味がないのでは…と聞いたのです。

 自分の事を棚に上げ あれじゃ手打ちなだけ 当てているだけじゃないですか…とも聞きました。

 すると剣道をしているKさん曰く 昔は 足音はほとんどせず 面を打ち込む音がすごかった…との答え。

 ここで 音が凄い事を云々するつもりはありません。

 いかに打った時の力積とその浸透力が伝達されているかであり そういう『打ち』は 音は鈍く(結果として大きく)威力は重く 『受け』の太刀さえ押さえ崩してしまうのかもしれないと言う事を言いたいのです。

 S田先生は 抜き出す辺りから 刀に『斬り』を感じるような斬りを 座してよりの体の運用を説明してくれました。 

 立ち上がる際 上体の重心の振り方と膝から上の足腰の所作は無理がなく 上体に強張りが無いので すなおな軌跡を描いて刀が振れています。

 これみよがしに いかにも『斬ったぞ!』という感じの形ばかりの極めポーズもなく 足を打鳴らす感じもありません。

 座して…つまり正座からの『抜き』『斬り』は 胡座よりやりやすいという事ではないでしょうか。

 時代考証をしたわけではありませんが 城中や館内で 主人に目通りする際 胡座から正座に変わったのはいつか?また 刀を傍らにおいて目通りしたのが いつ頃から無くなったか?それらに何らかの連動性があるような気がします。

 胡座の場合 ようよう立つ事は難しいとするならば 刀を傍らに置かれても危機管理がしやすいと踏むならば 正座は抜きやすいですから 刀を傍らに置く事はさせなかったのでは…と思うからです。

 稚拙な推理です。でも そこからふと更に疑問があるのです。

 居合いの型で 正座した上 腰に刀を差す型があります。袴の『裾さばき』をもって 足さばきや体を練る事のように 座して『鞘の扱いのそつなさ』を練る事とするとか なんらかの意味があるのならいいのですが 何となく 日常生活の中にはあまり無いシチュエーションなような気がします。

 そういうような意味合いでは 着物 帯の締め方による動作所作と 建築物の作りの変遷との連動関連性にも興味があります。『敷き居をまたぐ』『階段を上る下りる』などの際の 着物での動作所作との連動関連性です。

 階段を上る際に感じるのは 足をわりと前斜上に繰り出せる洋服では 緩い階段でもいいのですが 歩幅を稼げない着物では 蹴上げる事は容易なような気がします(あるいはめちゃくちゃ緩い階段)…おっと そういう考察は この場ではいりませんね。

 話しを戻します。

 またまた実はでありますが 今ちょいと韓国ドラマ『チャングムの誓い』が マイブームでして つい観てしまっています。

 昔懐かしい『赤い』シリーズのようにコテコテの進行のドラマではありますが つい観てしまいます。

 同じシーンなのにカットが違うと雨だったり晴れていたり あれは電線?あそこに揃えてある靴はサンダルじゃない?… ちょっと無理繰りな『偶然』過ぎて嘘臭さくない?…等等 微笑ましく思う事多々あるドラマですが ちょいと興味深く思った事があります。

 ちょいと『嫌韓流』の受け売りばかりでなく気になる事でもあるのですが 日本の文化を亊あるごとに 韓国というか朝鮮が源流としていて 剣道も『コムド』と称したり 合気道も はては青森県である『ねぶた ねぷた』も 源流は朝鮮の文化だと言っています。

 歴史は 古事記や日本書紀のように作ったもんが勝ちで その事実性よりも 今だそういうプレゼンテーション合戦がいるという事が 人間行動学の見地から興味深いとも言えます。

 ともあれ『チャングムの誓い』は 料理の心得として見たりする事も面白く チマチョゴリの作りと着物との関連性を読み解こうとするにも面白いです(髪型も…)。

 さて それらの中で 兵士が教練で両手で刀をもってやっていたシーンがあります。

 映画『スターウォーズ』のように ライトサーベルの剣法にどうもしっくり感がないのと同じ気分を味わった事は 予算の関係か…と御愛嬌ではありました。

 さて興味を持ったのは 主役級の男優(日本で言うところの武士みたいな役)の方が 刀を腰に差す…もしくは吊るす事をしないで ライフル銃を持つように左手に持っている事です。

 剣法も片手によるもの。刀は直刀のようでした。殺陣は中国武術の殺陣のような気がしました。

 ちなみに 料理の包丁は 先反りの出刃包丁のようなもので 千切りしてました。下手に切ると 皮一枚で繋がってしまいます…。

 女性の座り方は片足立て膝で 立てる膝より チマチョゴリで見えないもう片方の足の折り畳み方にも興味が湧いています。

 さて この座法について…。

 片方を立て膝にしておくだけでも立ちやすいですが もう片方をなるべく股近くに引き寄せておく事で 素早く立てます。

 身体を少し前へ傾け 足を引き寄せる…あるいは実は片方だけ正座のように足折っている?という初期動作(予備動作)を持って その後にある一連の流れの中で立ち上がるという事を 『胡座』という状態から考えてみますと 振武館の黒田師範の座してからの立ち方や 古剣氏の家伝にある趺踞(ふきょ)からの立ち方も 一連の流れ(胡座という立ちにくい動作からの立ち方)の中のひとコマなのではないかという事を 古剣氏に話しました。

 以前も書いた事がある太極拳の套路で擺脚跌岔(はいきゃくてっさ)も 座った状態から立ち上がりますが 動作を区切りながら(止めながら)してしまうと 立てません。

 意識の上で 流れの中の一つの状態とすれば意外と立ち上がれますから  趺踞(ふきょ)や居合の中である座法も 単に身体を練るというだけでなく そのような事なのでは…という考えを抱いたのです。

 これは 単に『立ち上がる』とした動作についての事ですが 最初から力積のある浸透力のある『斬り』も 同じ手の中にあるのではないかともさらに思いました(今だ説明出来ないけれど…)。

 実は…(今回はその連続ですが) 古剣氏家伝の最初の型『生々剣』の事 ずうっと考えていました。

 ただ 前に突き出す刀。それを振払おうとしても跳ね返され そのまま突き刺されてしまう…。

 実際は 当然振払って来る剣のエネルギーで だまって突き出している刀は弾かれてしまいます。それを逆に弾いてしまうには…と思っていたら ふと『ビリヤード』の事を思い出しました。

 ビリヤードで 玉に玉をぶつける際 まともにぶつけると キューで打った玉のエネルギーが全部当たった玉に吸収されてしまいますが 少しづつかすめる角度を変えて打つと ある角度をもって玉同士が弾かれ離れて行きます。

 キューで打った玉も 当たった瞬間 直線からコースを変えてしまうのです。

 でも 打った玉がなおも直線コース…厳密には一度曲がり掛った玉が またその直線ラインに戻るのですが そうなるには 玉に横回転を与える事で出来ます。

 当初この事を考える前 刀を突き出しているのに 振払われる時の刀の接触点が刃先ではなく 側面だとすると折れやすいのでおかしいな…と疑問がありました。

 それには刃先を少し寝せておいて 振払われた際に刃先と刃先でないといけないようにしておかねばならないのでは…と思ったのです。

 さらに 先程のビリヤードではありませんが 刀に回転を与えるというにはどうするか?と思いまして 浮かんだのは 刀の『反り』。

 接触した瞬間から 寝かせた刃を下に向けるという動作(差程捻る動作をしないという動作)で  接触した時点から粘るように鍔元まで引き込んで来てもいいと思うようにすると  刀の反りが そのスライド中に相手の刀を回転して弾いているような形にしてしまうのではと思ったのです。

 振り払おうとした刀の軌跡をビリヤード台の面…つまり平面と考えた時の 払う刀の軌跡を考えると 当たった刹那 やや押さえ込むように被せるつもりですると もっと制しやすいのではとも思ってやった自分の手の内をみると これは鹿島神流の国井師範の言うところの『足はハの字。手はソの字』なのでは…?とも思いました。

 実際には 手は上から見ても『ソの字』には見えません。その形は 相手から見ての字の形。

 そういう気持ちですると 脇はしまっているものの 肩は上がらず いわゆる含胸抜背のようなイメージとなるのです。

 これら刀の特性を生かし 上腕二頭筋のオンオフでするストレートパンチのような動作でなく ただすっと伸ばす…合気錬体会の吉丸師範の言うところの『伸長力』のようなものを 振払いに来た刹那から発揮し それに加え 体幹的な…先程述べた『立ち上がる』で使うような意識の上での身体運用を 総合的に出来ると 『生々剣』のイメージに近いものとなるのではないかと思ったのです。

 稽古会の日。刀の寝かせなどの構えや心得は わりと私の推理と近いものがあり 少し瓦解しました。

 と同時に 古流の術理(この場合 素朴過ぎる程の古剣氏の家伝剣術)は 私の怪しい物理的推理など遥かに凌駕している世界のものと その凄さに感嘆した次第です。

 そう思い あらためて家伝の型のビデオを拝見すると これに関わる身体運用と心法が出来れば 後は単なるそのバリエーションなのでないかと 浅学無知なくせに思ってしまいました。

 つまり 『最初の型っていきなり家伝の極意なのでは?』と思ったのです。

 そこには ようよう行き着くものではありませんが 一番最初にその型を配するとは 何があっても一番稽古をしてしまう型ともなりますから 嫌が応でも練られていくようにわざと仕組まれているのかもしれません。

 太極拳では 套路の最初を見ただけで錬度が知れるとも聞いた事がありますから 似たような目論みにも見えたのです。

 一見単純で素朴ではあるけれど 実は真髄で いくら稽古しても行き着くには難しいから どんな事があっても一番最初で一番稽古してしまう位置に配したわけです。家伝の始祖はすごい! 

 古流武術という暗号は 練れた身体(懲り滞りのない自然の身体)を通さなければ 解読出来ないようになっていて 現代人には行き着こうとも行き着けないから 魅力があるのかもしれません。

 まったく インディジョーンズの冒険のようなものではありませんか!

 古剣どの 勝手書いてすみませんです。  

 去年の末あたりに 股関節周りの筋肉を痛めたみたいです。

 悪い左膝を 滑ったりでもして捻らないように注意していたのですが 冬靴は重いので 車に乗って 足を前に出しているだけでも 揺れの反動で右に左にと捻られる事が顕著になって 膝を庇うあまりそうなったのかも知れません。

 おかしなもので 股関節の具合が良くないなと思っていたら その内左足首まで妙な感じになり 最後は悪い膝が痛み出して来ました。今では右膝も具合が良くなく 正座すると膝関節の伸びが悪いので 正座がしっくり来ません。イス座りの際 左臀部に力お掛けたくないので 右後ろ脇腹まで硬直してきました。

 軟弱なのかもしれませんが 針の先のような小さい事が どんどん波及して 大事になってしまっているようです。

 膝や足首は 生活には支障あるものの 固定しシップして置く事が出来ますが 股関節は そういった固定安静養生はしにくい箇所です。

 シップをすると少しは緩和されますが やがて立ち座りしている内にテープでの固定しか出来ないので とれてきます。

 具体的には座骨神経痛のような痛み。しっくりと座れないので 車の運転はやや苦痛でもあります。

 キネシオテープで  だまっていても足首が外転しているので それを阻止するように 螺旋に内から外へと上に上るようなテーピングと 梨状筋肉あたりへのテーピングをしたりもしましたが とうとうかぶれてきましたので止めました。

 しかし テーピングした事で改めてまざまざと判った事は 本当に身体の一ケ所を可動させているつもりでも 身体全体が伸びたり縮んだり つまり身体全体で動いていない所はないという事。

 極端な言い方をすると 足を上げるだけでも 首の筋肉や指先まで少なからず連動はしているのです。

 これは 極めて当たり前の事なのかもしれませんが そう考える人は少ないのではないでしょうか?

 身体のどの部分も欠けてはいけない事とすると これまた逆説的に言いますと 例え小さな影響を与えても 身体全体に広がり 大きな影響とも成りうるという事です。

 柔よく剛を制すという事にも繋がる事かもしれません。

 今日の稽古会に 大東流のS氏が来られ 体験したいと来られた古剣氏の義弟K氏と体術のレクチャーをしておりました。

 それに私も加わり 今の時点で考えうる術理の原理を わかりやすく説明しようと思い付いたのがドミノの話し。

 最初は小さいドミノから順々に大きなドミノが倒れるように 『小さい(自分の)力』が『(投げられる 転ぶ 制す)大きな力』に増幅(力の伝達される過程)されて行くのではないか…と話しましたら S氏はもっと明解な実験をしてみせてくれました。

 義弟K氏に直立してもらい 手のひらを上に片手を前に差し出してもらいました。

 出され伸びきったところで S氏はその手のひらにそっと手を添え 引く動作。

 義弟K氏が少し前のめりになったところを さらに引く動作。一度体勢が崩れ出していますので さしたる力も入りません。

 決して強く引いて 相手とぶつからない…抵抗しようという反射意識を起こさせないように 現実にはぶつかっている事が判らない範囲で こちらは相手に少しの力を加え引き続けただけ。 相手がどんどん復元出来ない体勢にまで 『不利な体勢』をさらに『不利な体勢』にまで増幅したわけです。

 こりゃあ~使える例え!頂き!ψ(..;)メモメモ

 ならばと 私が僭越ながら 握られた手(作用点)に抗する力がぶつからない(さとられない)ようにして 制していく例えの実験をしてもみました。

 つまり 力点は同じ位置で 自分が抗する為の有利な支点を作り出す原理として 『腕相撲』でやってみたのです。

 お互い『くの字』に腕を曲げ握りあって 普通に腕相撲をすると 当然力の強いものが勝ちます。

 そこで 「レディゴー」のかけ声で力を入れたと同時に 自分の肘をぐいっと相手の肘の方に押し込みました。

 腕相撲のルール的には 肘をこんなに押し込んだり(二次元的展開) ましてや浮かせたり(三次元的展開)は出来ない事ですが 手首を巻き込むように相手を引き込んで来て 自分にとって優位な支点を作り出してやる事はよくある事ですから 意味合い的には似ています。

 ただ この場合パワーがないと出来ません。当たり前ですが…。

 ともあれ 同じ肘から手にかけての距離が同じだとすると 力点の力(腕力)がモノをいうという事ですが  物理的に支点から作用点までの距離が短くなれば 同じ力もしくはそれより小さい力で勝つ事が可能と成ります。

 肘を相手に押し込むような動作をすると判りますが 手から肘の着いている床までの垂直距離は短くなるだけではなく 肘に捻りの負担が少なくなった位置にもなるので よけい優位になるのです。

 これは ある種類の技について限定の例えなのかもしれません。 瞬時に相手に悟られず出来れば この場合作用点を動かさないで出来れば 相手を制する事となるわけです。

 ただ この実験は 力の差がむちゃくちゃ離れていないから出来る亊。この二次元的作用だけでは さらなる力に抗じ 反転させる事は難しいです。

 つまり三次元的作用がいるという事。…と言いつつ S氏と私は顔を見合わせ 少しは判りかけてはいるのかもしれないけれど まったく実は違っていたり 狭い見方なのでは…と思っている事。

 また これがお互い立っていて動いている中で瞬時に作用させる方向が見出せ するりと技として相手を倒れる方向に導けるようになるのには これまた難しい事…等等と笑って誤魔化しあいました(?)

 ともあれ このような事を考えるのは なんとなく最近『ぶつかる ぶつかっている』という事が うすぼんやりと感じるようになって来たからかもしれません。

 今までは『やるぞ かけるぞ』と思う余り 動き出すとまったく相手の動きがお構い無しでした。最近は そんな自分が判るように…。あくまでも判るだけで 動く自分を修正出来ません。

 S氏は 『薄皮を重ねるように 精進するしかないですね』と お若いのに修行僧なような台詞。

 思わず 心の中で拝んでしましました。 (ー人ー;)南無南無…

 しかしながら それでもこの合気系の武術の魅力があり今だに人が集うというのは それを体現している先人がいて それを私達の世代でも知っているという事なのかもしれません。

 そういえば 合気会の支部長は 実際に植芝始祖にも習った事があるというし 先だって亡くなられた西尾師範は 青森県ゆかりの方でよく来青されて指導されたとか(やっぱり)。

 他の先生方も 私らはビデオ等でしか知らない岩間の先生方やら 分派なされている前に合気会におられた時の先生方やらの教えを受けている方々なのですから 話だけでも貴重な会だという事が 先頃の弘前合気会の忘年会で知りました。

 ともあれ こうして考えると 『修武堂』は実に会派やジャンルを超えていろんな方が関わり合ってくれています(ちょいと剣術系が薄いですが…)。

 やはり 藩政時代の『修武堂』という色んな武道の交流修練場の威光が今日まで来ているのでしょうか。

 ぶつからず求め引き出し合う事での効用は こういう事でもあるのかもしれません。

 やはり『愛』なんでしょうね。多くの道に達した達人達が 『博愛』やら『敬愛』やら その言葉を臆面もなく使うようになるのは こういう事(ぶつからず求め引き出し合う事での効用)があったからかもしれません。

 まあ 『愛』こそ転じると 恐ろしいパワーにもなる事も 合気道その他を通して知りましたけど…。

 太極拳の先生には 「実に巧妙な騙しともなるから 効果は絶大なのだよ」と悪戯っぽく言われ事 今思い出しました。

 ふいに優しくされると 『虚』となり バコ~ンと打たれたり スパ~ンと投げられたり。

 八光流の奥山始祖は 首を絞められたら笑いなさいとしたとか。 笑う事でリラックスが出来 胆も座るのだとか。また 絞めている相手が笑い出したら 精神的に「攻撃しよう」という意志が希薄になる…としてありました(でも そんな勇気が出るまで大変だな…)。

 合気護身術のT先生は よく風体に似合わず(失礼)実演して見せる時に 掴ませた相手に対して 厳つい顔から途端変じて シナをつくり「あら~~ん やめてぇ…」と猫なで声で寄り添って来る事があります。

 そりゃあ 相手は『虚』を突かれます。あまりにも落差がありますから…。そうしている間に すうっと入り込み 極めたり投げたり…。「愛」ゆえに 落差が作りだせるのだといういい例です。

 人生経験の多い諸兄には 馬の耳に念仏の話ですね。歳を経るごとにうまくなるはずです。  

 さて稽古日誌 中学柔道ボーイズ編

 今日は 言い出しっぺのS田くんだけでした。

 本当は先週七日に稽古初めと決めていたのに 冬休みの宿題があるからと その日はドタキャン。 

 でも 直前に稽古日決めたのならいざ知らず 宿題の上がりが悪いからと 突然のドタキャンはいかがなものか…とチクリ。

 それから 嫌いな先生と一悶着起こして 私からの課題で 先生に手紙を書きなさいと言った件 実行したかと聞きましたら 『はい』と答えました。疑ったらキリがないですから それ以上は聞かない事として…。

 ともあれ 先の義弟K氏の見学体験に 古剣氏より乞われて説明をしてしまったので あまり指導出来ませんでした。おわびのしるしに 少し彼と乱取り。

 おやっ?と思った事。

 あの体重なのに 前はふわふわしてぜんぜん軽く感じたのですが しっかと重みが出て来ています。

 ただ 足を交差しての足さばきは 足払いの餌食です。まだ 組み手争いも強欲ではありません。

 彼が ふにゃけた半端な右大外刈をして来たました。どうしよもない引き手の手の使い方。身体が前には出ていても手さばきが全然ダメ。投球フォームで言うところの両手の有り様がなっていません。足を引っ掛ける事しかしていないのです。手に力なく 窮屈な位置に追いやられています。柔道にはないですが 立ち関節技の餌食になりそうです。

 でも 奇妙な感じがありました。表現しにくい描写なれど表現すると 大外刈を掛けようと体を浴びせて足を掛けようとする際 意識が疎かになっておいてけぼりを喰らった両手が 窮屈なりに窮屈に見えなかったのです。手首が柔らかいが故 それなりにおさまった形になっていました。

 技自体は指導しないといけませんが 組み手争いをし相手の技をちょっとした力で封じる時とか なんらかの技を掛ける時には この柔らかい手首はとても有効なのではないか?と。

 おお 運動神経的には未知数すぎて言ってはいけないことなれど 神永上村伝の手さばき 手首の使いが 体現出来るかも…。この手首の柔らかさがセンサーとなり 体さばきと 力でない腕のちょっとした伸長力が加われば 体力任せに投げ技を堪える事をしなくてよくなります。その分ゆとりが生まれて来るわけです。

 理論的には とても敏感な釣り竿のように 来た獲物を察知するのですから…。あくまでも理論的にはです。

 次に彼は技も知らないので 右左の得意不得意もありませんから 試しに左大外刈をさせてみました。

 ちょうど パソコンのキーボード入力のように 習い立てはローマ字変換もかな変換も同じ難易度みたいなもの。慣れようと思えば どちらもやれていけます。幼児の時点で 数カ国後を修得してしまうのと一緒です。

 たとえはこの辺にして 右大外刈をする時は 右手で相手左襟を掴んでいますが 相手には右肘をとられていますので ようよう動かせません。プロレス技の低い相手にはラリアットのようにというか高い相手にはアックスボンバーのように 右手を有効に使う事は難しいのです。

 彼の場合 腕力も余りないので 同じ体重クラスの相手より 決められた右肘を振払ったりして解いての右大外刈は難しいと思います。

 ところが 左大外刈ですと 相手は自分の左襟を掴んでいますから 左手はフリーなので 体さばきと柔らかい手首とリーチのせいと 左技は一応相手にとってポピュラーではないので 差し込んで容易に入ってきました。サウスポーピッチャーと右バッターのようなもんです。

 これに ボクシングのフックかアッパーのような身体運用が身に着いたら 行けそうです。それよりの体の転換を覚えれば 腰投げ技の何種類かが出来そうです。

 掛けた刹那 その中途半端さに「身体あびせろよ!」と言いましたが 遠慮しているのか 戦闘に対するモチベーションが低いのか やはり半端で終わりましたけれど…。

 ちょっと荒療治ですけれど すかさず寝技に引き込み 首を締めてあげました(ひどい奴!)。

 寝技に持ち込まれたら ようよう立てない体躯ですから 『すぐさま立ち上がらないと首締めに合う』という条件付けです。

 犬のしつけではありませんが 『やられる』と思った時の 反射的な回避行動を 覚え込ませないといけません。

 私なんか 締めで落ちての醜態さらしたくない一心というかトラウマで もう必死で逃げます。

 先輩のいびりの道具でしたし…(出稽古先の先輩でしたけど)。

 ある商人の方が言いました(テレビだったかな~)。

「道ばたに お金が落ちてる思うたら 勝手に頭下がりよるやろ。そう思うて頭下げるんや。下げるだけなら ただやもんな。そいでもって 下げた分だけ いつかは金が巡って来る思うたら だまってても何ボでも下げとうなるやないか。打出の小槌やな。でもな ほんまに真剣に下げなあかんで。お天道さんはお見通しや。嘘臭いと すぐ見透かして しっぺがえし喰らうで。」

 稽古会での話しに少し戻ります。

 総合格闘技などで技の攻防がありますが あれは一定条件のルールと閉鎖環境の中での事。実戦では 一撃のモノで終えないといけません。

 そういう点では オーストラリア人のG氏のリアルな柔術は 稽古してても殺気がありますし 下手な受けは出来ません(ほんとうに痛いんです。見た目より浸透力あるんですから)。

 あくまでも古人の戦いに思いをめぐらし そんな井戸端会議をしている中に そのG氏が加わって来ました。   

 「フフン ソ~ディス! イッパツデ ヤラナキャダメヨ」と実演。 手の内でのナイフの隠し持ち方から 間合いを察知されない詰め寄り方(これまたリラックスした感じの立ち方) そして死角からの斬り…それも 一発と言いながら 斬られた!と思った瞬間に流れるナイフの軌跡の中で 二度三度の容赦ない斬り。

 私らが昔話しをしているだけだとすると 彼のは今ある現実そのもののようでした。

 ふと… 外国人に絡まれたら 空手やカンフーの真似するといいと言われましたが 相手が臆さない場合は 三十六計逃げるにしかずだなあ~と 思いました。

 ともあれ S田くん。これがいいとは まだ判りませんが もっとやわらか手首の効用 考えてもいいかもしれないと思った次第です。

 さてちょっぴり 座礼 様になってきました。でも立ち礼は 背中丸め頭下げ「ぺこりっ」って感じで なんかまだ無防備でキビキビしてません。ありゃ~ これから戦うんだってモチベーション全然無しです。

 立ち礼は『これから襲うよ』っていう意思表示であって 「ぺこりっ」じゃ 『いつでも襲って来て』てなもんです。しっかりしてくれ S田ぁ~~!(;ー"ー)ノ☆

 最後 講話。

 確かに重心が落ちて重さが出て来た感はありますが 四股歩きやストレートパンチ等 それぞれのメゾットを 実戦に織り込めるか否かは その人の発想力やセンスに掛ってきます。でないと 全然別個の事をしているだけで 時間の無駄になります。

 自分で色んな練習メゾットと実戦がシンクロさせて出来るようになる事と 自分が強くなりたいと思う事が相乗効果として出て来て 普段どんな事でも工夫発想して稽古になるわけで そうなれば 私のレベルを卒業する事が出来ます…という話しをしました。

 一生やって行くものとして 例えそれが柔道じゃないかもしれないですけれど ひとつのよりどころを持って それから発展発達する そしてたえず考え工夫する意識は必要なんじゃないでしょうか。それは勉強でもなんでも同じ 足りない分は足りない分としてしか反映されてこないのです(ほら そのいい例が目の前に居る… T  T ;)。そんな事言いたかったんだけど わかったかな~。

 年末の総合格闘技戦。小川対吉田。過去を思い自らを千尋の谷底に落として今の地位を築いた小川と 進化をこだわらず天才的に吸収している吉田。

 なんだかんだいっても 腕をひしがれてもタップしない小川と 最後のマイク合戦では吉田から漏れた「小川先輩」という照れ腐そうな台詞に 彼等は本当に柔道好きで 柔道があるから今日があったんだな~としみじみ。

 しかし 股関節を痛めてはいますが 吉田のした回し蹴りを観て ちょっと回し蹴りというメゾットは気になるぞと 調べ出している今日この頃です。 

  古剣氏が 我が母方の実家に来られました。

 古剣氏は 生業(民俗研究)の一貫として講演活動もなされており 実家の長である叔父が先立ちを務める老人会での講演の為の打ち合わせをする為でありました。

 叔父には 別な思惑がありました。

 私の実家は 実を言うと 昔士族であった古剣氏の家の小作人であったとか。

 実家のある集落自体 古剣氏の名字そのものが付いてある俗名の地名が 村の古老の間ではまだ行き交いまかり通る程 縁があるのだそうです。

 さらにさらに聞くと 叔父は 古剣氏の祖母様(小学校の先生)の教え子。出来がよかったので たいそう可愛がられたとも言っておりました。

 世が世なれば 古剣氏は 我が実家の若殿様。ですから 膝を交えて酒等酌み交わす事等なかったわけで 叔父には格別な思いもあったようです。

 ともあれ 叔父は『先祖は小作人として契約関係を結び 米を上納しておりました』と 田舎式の飲めや喰えやの持てなしをしながら感慨深げに言えば 古剣氏は『あいや いえいえ おかげで こうして私ら一族は生き存えて来たのでございます。感謝感謝』と 酒宴の終わりの〆と差し出された御飯を旨い旨いと食べながら ぺこぺこ恐縮しておりました(なんか時代劇の台詞の掛け合いみたいでした)。

 恐らくその場には 小作人であった我が一族が 若様の訪問を感慨深げに見つめ 『若様お顔を上げてくださいませ』と言い 片や 古剣氏の祖母様をはじめ交流の合った士族の頃の御先祖様方が『おうおう』と懐かしく笑って歓談していたような気配がありました。

 私などは 外に出た人間であるせいか 深い因縁のある二人には立ち入る隙間などないぐらい 部屋はそんな和やかな気で充満しておりました。

 さて 我が一族には感慨深い日であったその日より数日前 津軽藩ゆかりの古刹にて 新春恒例の抜刀術奉納演舞がありました。

 あの中村泰三郎師範にも教えを受け 年末の東京での大会で個人優勝をもしたM先生(私にとっては合気道の練習日に隣で子供達を教えている恐いけど優しいおじいちゃん先生のイメージが強いのですが…)のグループによる演武です。

 時折吹雪く寺院前の広い場所。下は雪が積もり固まっています。出で立ちは袴をはき稽古着姿でしたが 足は長靴でした。

 そんな中 会の方が次々と巻きゴザを斬って行きましたが やはり足場が滑るのか しくじる方もいらっしゃいました。

 ギャラリーは 「ああ~」とため息。ただでさえ『斬る』という事の難しさを体験させてもらった私には その至難な事を知っているので 安易にため息は出ませんでした。

 普段の状況より 雪中では数段難しいのだと思いながら観ていた矢先 ある方が斬り損ねて刀を持ったまま転倒してしまいました。

 他の方々は スパイク付きの長靴での演武でしたが この方は普通の長靴だったのです。

 ギャラリーは失笑を押さえるような雰囲気でしたが 袈裟に斬った巻きゴザを 瞬時に刀を返して空に飛ぶ中を斬る腕前の方ですから 転んだ可笑しさより ふっと雪中の斬り合いの様がリアルに浮かびました。

 さしづめ… 

 鞘から抜きざまに 右より逆袈裟で薙ぎろうとした刹那 足下をすくわれて倒れてしまったが 足元が滑るとは言い訳にはならないと自分に恥じる間もなく 心戒め慌てず目線を相手から外さず立ち上がり 深く踏ん張れるように幅広く足元を固めると 背後より「鋲付きのわら靴じゃ。これにて しっかと仕留めよ!」との声。「あいやかたじけない」とすぐさま履き替え 何ごともなく すっすと斬り終えてしまった…そんな感じでしょうか。

 足場(自分の中にある『足場』も含めて)があるなしでは こうも違うのだという事を見せてもらった訳です。 

 恐らくこれが足の埋まる程の雪でありましたら どういう状況が生まれるのでしょうか。

 昔 雪上ラグビーの真似事をした事がありますが 雪の上を走るのがつらかった事を覚えていますから 大変なものだと思われます。

 帰って後 雪中の斬り合いと言えば 『桜田門外の変』を思い出し 調べてみました(なんでか『忠臣蔵』が思いつきませんでした)。

 春ももう間近な三月末(旧暦では三月三日)とは言え まだ雪があったと記されてあります。

 桜田門外で起きた井伊直弼襲撃事件は 15分の間の出来事となっていますが 斬り合い自体の凄まじさと共に 資料の行間には 雪中で斬り合い 首級を得るには術理もへったくれもなくなっていたのだろうという事が感じとれました。それも一重に 演武を見学したからかもしれません。

 ふと 日本人は 武技そして武器として 何ゆえ刀にこだわったのだろうと また新たな疑問が湧きました。

 今日の世界の兵器開発をみても あの時代であっても どんどん新しい武器が開発されて来てもいいはずなのにです。

 殺傷の生々しさを見ようとしないようにと アメリカは何年か後には 戦闘機は無人にするとか。

 『戦争』や『争い』がいいわけありませんが なんかこう こんな『戦い』の有り様を見せられてしまうと 彼等は何をしたいのか?と思ってしまいます。

 生々しさを見たくない故 冷淡にゲーム操作するように『戦い』を変貌させている事が 逆に精神構造が生々しく恐ろしいもののように感じられてなりません。

 これは一国だけの話しではなく 世界全体の風潮である事も否めませんが…。

 そういう点では 余りにも素っ気無い…そして配慮思慮もない結論ですが 刀をモチーフに ちまちま人間の中にある『争う』という本能を考えあぐねている日本人は どこか健全な所があるのかもと思ってしまいます。

 そんな折り 映画『亡国のイージス』というのをDVDで観ました(イメージ的には 『沈黙の艦隊』とか『ダイハード』)。

 自衛隊の協力があった故の 演技する場のリアル感はありました(映画的には もっとゴテゴテさせたものを加味した方がいいんでしょうけれど…)。

 その中で交わされる 主要人物達の会話(うる覚え)。

 状況は 舞台となる海自の艦艇内である不穏な動きを監視する為 秘密裏に潜入させた自衛隊内情報機関要員の如月(勝地涼)が 躊躇なく外敵を排除した事について 艦艇内を熟知し部下思いの先任伍長仙石(真田広之)が 問いかけるシーン。

如月「 撃たれ前に撃つのが戦いの常識だ」

仙石(冷酷に言う如月に向かって お前はそんな奴じゃない…という意味で)「撃つ前に考える…それが人間だろ」

後のシーン

突然表れた敵ヨンファ(中井貴一)を前にして 躊躇する如月。冷酷な眼をして 躊躇なく撃ち逃げ去るヨンファ。

倒れている如月を見つけ 抱き起こす仙石。

如月(息絶え絶えに)「撃つ前に…考えました」

仙石(憤った思いで)「考える前に考えるんだよぉ!」(如月を抱き締める)

 一体どっちやねん!と おちゃらけたコントとして 取り上げたわけではありません。どれひとつ間違った答えではないよな~と思ったという事を書きたかったからです。

 手前みそな解釈でありますが…

 「 撃たれ前に撃つのが戦いの常識だ」は『先の先』であります。

 「撃つ前に考える…それが人間だろ」は『後の先』とも言えますし この場合は躊躇や迷いがあるのが『人間』であるという意味で言っていたような気もします。

 そして…

 「考える前に考える」とは『先の先の先』とも言えますが 正しく(←ここがミソ)早い反応は 反射神経より思考の方が優るとも言っているような気がします。

 その為には 普段から躊躇や迷いのような雑音(ノイズ)で思考回路をとどこうらせないようにする事ではないかと考えると これまた『覚悟』『意地』の問題でもあり それにはどんな稽古が必要かと考えさせられもしました。

 そしてこれが 『わからないから考える事』という人間の本能として忘れてはならない事であり 『争い』においては抑止ともなる事で 探究心ばかり先行して開発される兵器やそれを押し進める国々に考えてもらいたい事ではないかと思っています。

 あんまり軽薄な提起はしたくないので この辺にしておきますが…。

 ちなみに私観ですが 『イージス(盾)艦』という考えは まあ日本の国体にあった兵器(?)とは思います。

 けれど モノの本によると ひとつの特徴であるステルス性は ゴテゴテある艦橋マストなどで大分低いとか。さらに あの威厳のある近くの国が まだ制御が不確実だんだんだ~と科学力の低さを露呈する内容を表明した人工衛星用の物騒なロケット(?)が間違って飛んで来ても 打ち落とす技術というか兵器がないので あれは単なる洋上に浮かぶ高価なレーダー基地とまで 酷評されています。

 でもしかたありません。貿易黒字で『儲け過ぎ』とやっかみ言われ だから選択の余地なく押し売りされたとも聞きます(いつもアニメ『ドラエモン』を見ると思いま…日本って『のび太くん』だなあって…じゃああの国は『ジャイアン』??)。

 こうなりゃ 日本は『先の先』の思考で 夢物語の『シールドバリアー』とか『無力化光線』を開発する事ぐらいは許した方がいいかもしれません。

 そうすりゃ どこかの国のように する事ないから兵器開発したらそれが国を潤す基幹産業になった…みたいな事になって潤おうかもしれません。平和の為の道具ですから 罪の呵責も帯びないし…。また 儲け過ぎとバッシングかな~。

 えっ?でも 結局 それを凌ぐものを作られる?

 いいえ~。誰が最高レベルのモノを 売るもんですか。まねされるだけですから…。

 作れる技術があっても 作らないのです。

 仮に作っても 自分用。販売は二級品。どこかの大国やパソコン業界だってしている事なんですから。

 さしずめ「撃たれる事になるかもしれない弾を売るなら 火薬を少なめにして売る事が 常識だ」てな感じでしょうか?

 そこいら辺の事考えて 日本の産業界の方々。

 さしずめアトムやガンダムに憧れて 好きこそものの上手なれと 作っても意味がないとされていた人間型ロボットの技術も いつのまにかすごいレベルなってしまいましたけれど くれぐれも安易に海外流出などさせないでくださいませよ。

 どこかに国じゃ まじでロボット兵隊にしようとSFもどきの事考えていますし あろう事か いずれ日本は実がそう考えていると吹聴されてバッシングを煽動されるかもしれません。

 こんな話し マッドな連中が多い世の中 絵空事じゃなくやってしまう奴が出て来るから恐ろしい…。

 もし ロボットに関しての科学者が 失踪したり でなくても外国にスカウトされたら 要注意ですね…。

 先に登場した 我が叔父の友達に 種子島にいる人(宇宙関係?)がいるそうで いつも何を考えているのか解らないと家族が言っていたらしいから 勉学一筋で社会の雰囲気や常識が読めないエリート科学者は危ないです。

 ほんと~~~~に 日本はこれでも平和なんですよ。皆様。 

 1月7、8日。豪雪の中、韓氏意拳の鹿間氏が、はるばる山形から指導にきていただいた。深く感謝申し上げたい。私は勤務日で出席できなかったが、懇親会では興味深い話がたくさんできた。

 体重をそのままロスすることなく移動し、その重さを載せた技にするには云々…!?。家伝剣術の稽古の上でも大きな示唆になるような気がした。といっても私はお話を盗み聞きしていただけ、しかも「体認」を通していないから勝手な推測にすぎない。

 型についても、鹿間氏と「稽古人」氏との話で再び考え直した。型はそのまま実戦に使うための存在ではないということ。以前からアタマではわかっていたつもりだが、ついつい負けん気が邪魔して稽古が曲がっていく。型の動きはひとつの考案にしかすぎなく、いかに本質、普遍的な理、「原理原則」を抽出できるかということらしい。それが何かを感じたいために、韓氏意拳を少しずつ学ばせていただいていた。 

 だから手応えを求めて、小太刀の型で剣道に対し、打った!打たれた!と一喜一憂し始めた私は、また元の迷いの道へ戻りかけていたといえよう。

 それ加えて、一番の課題は、武技以前にカラダの根本を養成するという韓氏意拳の優れたシステムが、かつての日本武術にも存在していたのか?もしあったとすれば、どの稽古にあたるのか?ということだ。

 もともとカラダの根本ができている人がやるならば型は生きているが、それが無い私では、永久に今のカラダのまま、技のコレクターか、ドングリの背比べのゴマかし稽古を続け、疲労とケガ、肉体の限界を感じて老いていくしかない。

 どうするのだ?やはり生々剣に戻るしかないか。

 翌々日の稽古で「無刀」氏から生々剣へヒントをいただき、視点を変えた。

 何度かみなさんからアドバイスいただいていた剣が重くなる技術だ。私は生々剣に間合いの変化と歩法を読もうとしていたが、それこそ軽く打ち合う剣道ゆえの発想か。伝書には「清々と生まれるチカラ」とあったはず。だからチカラについて考えねばならない。

 スッと伸ばした剣に我が全体重が乗り、重さをどこにも漏らすことなく、そのままスッと敵への間合いへ入っていくこと。上段からの斬りに打たれてもブレずにそのまま歩んでいく。

 剣や拳に全体重を乗せることは、かなり以前から甲野師範から実技で教えいただいていた。中国拳法や古伝空手の世界にもあるらしい。そうなれば、触れた剣先にポンと我が全体重が乗っていくため、少しの接触で相手はカラダごと崩されてしまう。身体に触れれば大きく切断されるだろう。

 体術ご専門の方々が剣に重さを求めると思っていたが、そうではないぞ。うちの剣術だって、次の型二本が、上段からの斬りを受け止めた相手の剣ごと、つぶしてしまう技だ。また乱戦の中、些細なワザで相手に致命傷を与えるのは困難だと、立木打ちを推奨する。 これらのことからも家伝剣術は、相当重さのある斬りを要求しているといえよう。しかし鈍重なバカ力ではなく、技が熟して生まれる自然力であり、速さと柔軟な変化と共存した重さだということは前に述べた。

 速くて変化に富むが重い剣となれば、スナップでパンパン打ち合う竹刀剣道の発想のみでは理解できなくなる。もしこのような剣と対せば、手先で構えている剣道の中段こそ、ソクイ付けされて潰され、格好のエジキとなりやすいか。だから自ずと剣同士触れない上段や八相が増えるか、正眼でも某剣術流派のように両腕進展し、腰を落とし、体幹と剣がつながる構えと進化していくだろう。そう思えば、古流剣術構えの現実味が見えてくる。

 もう一度工夫していくぞ。吹雪で通勤も稽古も五里霧中です。

 武術は全くダメでも、づぐり回しを開眼!!

 「づぐり」とは、円錐型で心棒が無い、津軽地方の伝統的な木製コマである。荒縄で巻いて雪上へ投げて回して遊んだという。我が博物館では、冬休みの親子向け「づぐり回し大会」を企画。でも、なんと事務局の私が回せない。

 数ヶ月前、集中的に特訓。づぐりは、パワーでブン投げてしまう。コマは回らず遠くへ吹っ飛ぶだけ。なんと見学に来た中高年の非力な方々の方がビュンビュン回している。

 ある老人養護施設へ出前講座へ行った同僚は、お年寄りの妙技を目撃。杖をついてヨタヨタ歩いてきた御老体。フラリと風に揺れたかと思ったら、足元でづぐりが高速回転していた。まるで武術の達人だ。

 なんでパワーで勝る私ができない。生来の不器用さゆえか‥と、二度とコマには触れず、泣く日々を過ごしていたのだった‥?

 大会当日、1時間前。追い詰められた私は、ヤケクソで練習しようとテキトーにやった。その瞬間、一発でできたのだ!?子供の頃もそうだった。できないはずの鉄棒逆上がりが、運動テスト直前の練習でいきなりできたもの。本番に強い、というか、追い詰められないとやらないナマケ者なのか。

 習得したづぐりの回し方は、自分のイメージとあまりにかけ離れていた。あまりにカンタンで、力もテクニックも全くいらないのだ。「回すぞオー!!」と思い切り投げる必要が全く無い。荒縄を巻いたづぐりを前へソッと置くだけでいいのだ。それだけでなぜかづぐりは高速回転を始めるのである。

 このコマが、こんなに速いスピードで回る力を私は与えていないぞ。どこからこの回転パワーは出てきたのだ?何か自分以外の力か?本当に不思議な感動である。実はスッと手を伸ばして、コマに巻いた縄が自ずととけていく動きにまかせれば、コマへエネルギーが与えられる。力で投げると縄の動きが死んでしまう。先人達はよくこの技術を発見したものだなあ。

 でもその現実をアタマが信じられなくて、ついつい力で回そうとやってしまう。するとコマは全く反応してくれない。何でも力を入れようとする私自身にあきれてしまう。なぜか意拳の稽古を思い出したのだった。

 

 日本海側。雪が止まらない。家でも除雪。吹雪の中、やっとたどり着いた職場でも除雪。「降っても降っても、まだ雪止まぬ♪」街が埋まっていく。

 我が稽古場。寒さは心臓にまで響く。素足になれば床に凍って張り付きそうだ。ストーブの前でジッとしてればよかったな。私はバカではないかいな!?将来長生きできないな。

 時刻表がアテにならないJR青森駅。横殴りの吹雪の中、ホームに新宿駅並みの大混雑が立ち続ける。列車の車輪が凍結して動かなくなったという。しかたない。行列の中、タントウの稽古でもするか…。

 雪が降る中、再び実家で屋根の雪下ろし。足元がツルッと滑った。一瞬のことでこらえきれず。スノーダンプごと屋根下へ落下!真下にはサワラの木の生け垣と雪囲い。直撃するか!?少しでもマシな落ち方をッ…!!落ちながら、スノーダンプを向こうに飛ばし、空中で落下ポイントをズラすよう努力。生け垣をかすめながら着地。腰まで深く雪ヤブに突き刺さったが、全くケガなし。危ないといころだった。フーっ!

 この冬、雪害で亡くなられた方は七十数名にのぼるらしい。近隣でも自分の庭の雪片づけにいって遭難し、数日後遺体となって発見された例や、田んぼに自動車ごと突っ込んで何日間か車内に閉じこめられたという話を聞く。なんと痛ましい。

 稽古場の屋根上。雪を固まりごと数メートル下の川へ落としていく。雪まみれなのに熱く上気してきた。なんぼ降ろうとも寒かろうと生きていくぞ!!。

 寒いときには乱取りで自己発熱がいい。自由乱打のやり方は誰でも知っている!?

 でも、踊りではない「生きた」型稽古について知る人は少ない。もちろん私も模索中。 知人が、刀の型稽古をメインとする道場に通い始めたとき、そこの先生に「型以外の動きで斬ってこられたらどうするのですか?」と恐る恐る質問をしたそうな。すると「バカもの、これは剣道とは違うのだ!!」と叱られたという。

 それが答えになっているのかどうかわからない。先生の真意もわからない。でも両者の思いを察すると苦笑してしまう話だ。我が型稽古はどうする?つきつけられている質問だ。

 少々、芽が出始めた?小太刀の型。「芽が出た!?」という表現は、進歩の仕方が、装置を加えたとたんシステム向上!という機械式だけではなく、今までの稽古や発想、経験がどう功を奏したかわからない、熟するまで待つのも必要だという、不可解な大自然の摂理に従う農業のような気もするからだ。

 なんだかんだいって私がカラダ、上達の仕組みをわかっていない、ムダが多いからかもしれん。まずはできることからやるべし。なぜ芽が出始めたのか?ということから推測し、今後の型稽古の改善にならないかな?

 思えば小太刀の型は、刀をよけてやろうと意識せず、張り出すヒジからカラダすべてがグイと引っ張られるだけ、足は使わない、という単純なイメージ。それで芽が出始めた。ただその流れをジャマしないように全身を使う。複雑なテクニックを必要としないからこそ、刀の速さに対応できる。

 現代の型稽古は「決めポーズ」を重視する。型ばかりではない、竹刀剣道の地稽古においても同じ。打った後の姿勢で有効打突かどうか判定される。それが残心だといわれることもあるが、「オ小手エ~ッ!!」といって絶叫して走り回り、審判への過剰なアピール行為へとスライドさせる人も多い。柔道のヤ○ラちゃんでさえ、投げながら審判の顔色を見ている。審判と戦う技!?。

 「決めポーズ」を重視することは、そこで動きをいったん停止して表現し、それを帰結点、区切りとして判断しているということだ。動いていたものを途中で止めた状態で判断する。それは西洋発の近代科学の手法と似ている。だが、変化し続ける存在の全貌をとらえることが難しいらしい。

 なぜなら、その止まった時点での要素しか見えないからだ。例えば川の流れ。それぞれの岸辺の流れをバラバラにスケッチしても、川全体の動きは見えてこない。個別の流れは、全体の中でこそ生きて決まってくるからだ。そして「今の流れを見たか!」といった瞬間に、その流れは過去へと消えている。

 生物もそうだ。バラバラのパーツを集めても、生き物の総体にはならないという。ガンダムのプラモデルとは違う。全体とのつながりの中でこそ、各部分が生きてくる。

 戦いも武技も同じく変化し続ける生き物。一々動きを止めて、分析しながら稽古することの無意味さは、韓氏意拳でもいうらしい。だから集団で稽古するために、イチ、ニ、などと号令をかけて区切ってしまうことも問題だ。動作だけでなく、内なる拍子も、イチ、ニ、の単純なものとなってしまう。立ち会った敵がそのスキマに入ってきて敗れるだろう。

 フィットネスクラブも同じ。BGMをかけながらトレーニングに励む。あれは、運動中、朦朧とした意識のときに、体内リズムをBGMリズムへと洗脳させているのに近い。気分はノってエキサイティングだが、音楽リズムの強弱にあわせて、自分の心身にスキマが生まれていく。

 我が先祖は、水を入れた杯を、棒を突き刺した板に載せ、指先でつまんで縦回転させて、「水が氷のように固まって」こぼれ落ちないリズムを、戦いで使えと表現している。水バケツ回しのキツいバージョンだ。そのリズムには全く強弱が無いので、音楽にしたらつまらない。でも回転し流れ続けるリズムの密度の濃さに、全くつけ込むスキマが無い。

 そのリズムは自由乱打だけではなく型稽古でも使いたい。ゆったりとリラックスして、各部の流れをボンヤリととらえながら、動きと内面リズムの流れを止めないようにやるといいのか。一般的な稽古のように、ビシッ!バシッ!!というメリハリが無く、ダラダラ、イメージトレーニングをして「遊んでいる?」「踊っている?」という感じになるか。

 今の低レベルな私の剣術型は、急発進、急ブレーキを繰り返す、メリハリと問題の多い型である。一般の方が褒めてくれても嬉しくなくなった。亡くなった祖父のノートを見れば、4代前の先祖、幕末の戦争にも参加したラストサムライがやる型は、ユッタリ、ノサノサしていたと記している。うちの型はただでさえ素朴な動きなので、演武ではさぞやみなさん退屈して見ていたであろう。でもその動きは、本当は生きたワザにつながる質の動きであったのかもしれない。できれば将来、真剣でそのような型を打てることが夢だ。

 夜中0時前。ふと思いついて試してみたくなる。稽古も、論文を書くときも、絵を描くときも、ヒラめいたときが一番のチャンス。何かが生まれることがある。その空気を逃がすと次はいつかわからない。独り、部屋の中で久しぶりに三尺三寸の刀を帯びた。

 「フキョからの抜刀。押立。フキョから抜刀・鞘口で相手の左眼に当身・頭上に天横・天縦と構え・相手の小刀が突いてくるのを右へかわし・相手を袈裟に斬る。」弘前藩士が流派を超えて稽古した居合だ。何か必ずあるはず。

 今までは、この文章中の中黒「・」でひとつひとつ区切って、己のカラダを分析しながら稽古していた。つなげて稽古するまでは、まだまだ未熟だと考えていたからだ。

 あえてすべての動作のつなぎ目を溶かして、流れにしてみた。それでこそ見えてくるものはないか?。急いで動いては全体の調和が破綻する、だからといって無理にスローモーションにしようとブレーキをかけても「生きた流れ」が死んでしまう。どちらでもない、無理なく動ける中庸の速さ。

 抜刀して右一重身、鞘当とともに自ずと向身に戻りつつ、天横で身体は沈みながら、刀が左頭上後方を突き刺しながら、右へと旋回する動きに、カラダが引かれることが、相手の小刀を横へかわす動力源となる。そして突きに対して頭上から刀を振り下ろす。その振りで座っていた我が尻に浮き身がかかり、立ち上がりながらも同時に横へさばくことができる気がした。それぞれの動作はダブっていて、文章で表現できません。文章で書くことこそ流れを止めてしまうことか。

 今まで座っていて重いはず、ドッコイショと動いていたカラダに少し浮きがかかり、スムーズな移動が可能となるような感じは、流れているからこそ発生するチカラであるかもしれない。かつ、溶かした動きは、内面のリズムも細かく高速の回転となり、つけ込まれるスキマが消えていくし、いつでも変化できる技につながらないか。後日、最初のフキョの座りでさえ、流れの中の一過程として稽古することを「無刀」氏が提案してくれた。

 そして長大で重い刀だからこそ、カラダとの一体感が生まれ、流れる動きを発生させてくれる感もある。一体感といえば、よく体術の方が武器を持つと、いきなり不器用になる。あの柔術の達人ヒクソン=グレイシーでさえ、刀を握って構えたポスターは不自然でイケてない。

 それは握り方が固いことのみならず、意識が握った拳で止まっており、刀の先まで通達していないからのような気がする。つまりカラダと道具がバラバラの存在なのだ。反対に武器術しか知らない私は、素手になるとカラダの一部が失われたような感覚となり、それをどうしたらいいのかわからない感覚なのだ。

 もとい。今までひとつずつ動作を区切って分析していた我がカラダは、ブチブチ流れが絶えて重く居ついて、ロボットのようなカタチばかりとなっている気がする。だからいつまでたってもダメなのか。

 同じところに止まって固着すること、よどむことは、自然や生物、人間にとって、汚濁、老い、病、死につながるらしい。仏教や神霊にご縁が深い友人F氏は「魔を生むのだ」という。人の世もそうだし、武技も同じなのかな?

 これはフィクションとして書きます。

 テレビに 冬の味覚 ふぐ料理が紹介されていました。 そういえば とある関西の地方都市での夜の商売のバイト時代… よく来て頂く御贔屓さんの小料理屋のご夫婦が バイトの私達共々 店に招待していただきました。『ふぐ』が入ったので 食べさせてくれるというのです。 だいぶ昔の記憶ですので定かではありませんが 板前の御主人の小指が無かったような。 結構 バイト先の店には そんな方が多いので 見慣れてはしまいましたが…。

 女将さんの方は とても着物の似合う美人な方。立ち振るまいも いかにも普段から着物を着慣れているような感じで 私達にはお客さまでも さすが客商売をやっている方ですので 人への気遣いが感じられ 変な意味でなく気になる方でした。 

 ともあれ ふぐ刺し。 食べた事のない私には 旨いのかも判らないだけでなく ふとどきにも『こんな薄い刺身じゃ 有り難みがないなあ…』と思ったものです。 あれ以来 ふぐを食べた事がないので ふぐが旨いものかは今だ解らないでいます。 帰る道すがら車の中で在日であるマスターが「あの二人はな 夫婦やないんや。」とぽつりと言いました。「女将は元舞妓さん。だんなは元ヤクザ…。おかみはな 背中に刺され傷があるんやで…」 子細な話は忘れたので それこそ作り話になってしまいますが 恋沙汰の末に刺されたとか言われたような。 そうして聞いてしまうと この小さな地方都市でひっそり小料理屋を営むおかみさんのあの気遣いも 板前の御主人のあのもの静かで職人然とした雰囲気も なんとなく深く暗い『業』と それ故のなんとなく『覚悟』みたいなものから来るものなのかもしれないと思ったものです。

 そんな話しの結末に 「ふぐ 旨かったか?実はあの店な ふぐ料理をする営業許可はないねん…」と マスターは悪戯っぽく笑ってみせました。 ふぐ毒の恐ろしさは聞いてはいるものの ピンとは来ないので 食べてすぐの今なんともないので 「はあ」とうなづくしかありませんでした。 考えてみると 見るからにグロテスクなものが実は旨いと知って 今は食べているものでも 最初に食べた人は偉いものだとは思いますが 人間も食べなければ生きられないと知っている本能から 先人が命を賭けて数々の種類を自分達の食物として来た事には 頭が下がる思いです。 ましてや 見た目はただの魚である『ふぐ』には もの凄い毒がある事など知らないで食べ その旨さを知ったが故に 後に毒での死者が出ても 食べる事を止めなかったわけですから 人間の食欲は『死の恐怖』すら凌駕する凄い煩悩なのかもしれません。

 後年 今すむ地元のある酒宴で 京都で修行した和菓子屋の若旦那と飲む事がありました。「旨い(甘い)ものの究極を知りたいと思って 食べた事がありますか?」と 日本酒に酔った若旦那が言いました。「私はありますよ」と にやりと言うのです。 若旦那は ごくりと一回唾を飲み込んでから 人を見据える様に「舌先が痺れるんですよ。毒なんでしょうね。でもね 食してみずにはいられなかった…。兄弟子に そのギリギリの旨さを知る覚悟があるか?と言われたもんでね。」 どこまで本当の話かは知りませんが 人間が知りたいと思う為貪欲さ(探究欲・好奇心)の末恐ろしさを感じ また私にはそんな『覚悟』があるかと問われているようで 私は酒が覚めてしまいました。

 人それぞれ いろんな因果に纏わりつかれ 人それぞれそれなりの『覚悟』を持って生きているはずだし またやはりどんな事でも『覚悟』はいるものだと思わずにはいられません。 『一期一会』という言葉の中にも『覚悟』という気構えが内在していて それ故に その時その時が『大事』にしないといけないのだと思うようになりました。 『大事』にするという事も『覚悟』なのです。 はたして 私も含め 今の人達にはあるのか?と思う事があります。 

 今 私の生業の業界(建築)では ある設計士の方が発端となり 国をも揺るがす社会問題にもなっています。 確かに あの設計士の方の行為は許されるものではありません。 彼がどういう心理で国会喚問や報道の渦の中に居れるのか 知る由もありませんが 家族親戚までも巻き込み それでいても 人にはいけしゃあしゃあと見れるでしょうが 質問に淡々と答える姿に ある種の『覚悟』が伺えるのは 私が節穴な軽率な男だからでしょうか?

  決して彼を『潔い人』とは言いたくはないし言ってはいけない事なのかもしれませんが 酸いも甘いも知り 人を人とも思わないで人を押しのけてのし上がって来たそれに関連する老齢な方らが 妙に『保身』に走る姿を見ると おかしな事に あの設計士の方がまだ『潔く』見えてしまうのが不思議です。 うそぶいて 居直ってもらった方が 見ているこちらからしたら居所があるのに あのように淡々とする設計士の方がいて あられもなく高潔潔癖であるような主張をなさる老齢な方 そしていつかは自分に波及してこないかとびくついて息を潜めている方々がまだ水面下にいるのだと考える時 気持ちがさっぱりしません。 

 同じ業界の者として 人には居直りに聞こえるかもしれませんが これは社会的体質が問われている問題で それは行政も含めどの世界でもある事。 たまたま自分のセクションに吹き荒れる嵐でないという事 対岸の火の粉としか見ていない事を どうして彼等も含め 皆さんが言わないのかなあと 不思議に思ってしまいます。マスコミだって 公平性と言いつつ 媚びていたり 迎合している事を言った上で いろんな事すればいいのに…(そういう意味では ヤラセのお笑い番組の方が私は好きです)。 今この時に戦争や紛争その他災害などで犠牲になって行く人々がいても 自分がそういう目にあっていないのだから 関係無いんだよ しかたないじゃない…と いけしゃあしゃあと言えばいいのにと いつも思うのです。 『これまた自然』と 喉元まで出ているのに言えない人間の性が 歪みを大きくしているのかもしれません。

 さて 新年とある剣道の大会を見る機会を得ました。 パンパンと次から次へ繰り出しで行く竹刀の攻防。打たれる事を気にしないで 自分の『打ち』をあれやこれやと繰り出します。 打たれる事を気にしないで自分の『打ち』に気持ちを込める事は間違っていないのかもしれません。 古剣氏のところの家伝剣術『生々剣(名前間違っていたらごめんなさい)』や示現流の気持ち気構えの持ち方 またこの間『意拳』の講習会で先生が教えてくれた王郷斎老師と形意拳の尚雲祥老師の手合わせの逸話などに そんなような事を感じます。

 ともあれ 竹刀を真剣と考える時 その『打ち』には 致命傷じゃないもの致命傷なものとがあるのでしょうが 打たれても『浅い』として つかさず相手が『(強い)打ち』をした場合… これがポイント判定となるかはわかりませんが どうもこんな感じばかりの剣道とはいいのかなあとも思いました(浅くても脳天斬られてるじゃん…)。 もっとも 打突部位にいかに有効に当てるかというスポーツとして ルール上の枠があるのですから それはそれでいいでしょう。 その為のテクニックを御指導なさる事も メンタルな部分のトレーニングとして 人生訓や思想をお話になる事も どんなスポーツもある事ですし 『健全な肉体に健全な精神が宿る』というスタンスからも そして何よりも礼節を重んじる その際たるスポーツとも言える『剣道』には感心している程です。 

 以前 身内より外国のオリンピック級のライフル競技のトップ選手は 『哲学者』のようだと聞いた事があります。 どんなアスリートも 技術面はある程度のレベルまで来ると 最終的なものは こういったメンタル面の凄さが優劣を決めるのでしょうから そういう部分の修養を強く内包している剣道は 凄いなあと思っているのです。 柔道や空手その他格闘技の世界では ちょいと覚えたからと 『悪さ』に使っていない人間はいないわけではありません。時には 武勇伝 伝説にまでしている方すらいます。 

 また競技自体 やもすれば人を殺める術な故 精神性を重視しているスポーツとしてあるものの方向性は 他のスポーツ以上に生臭く…やはり寝首をかくがごとくの攻防だったり 奥のないパフォーマンスの表演会になっていると言わざるをえません。この部分では 柔道は国際ルールに飲み込まれてしまいました。ですから 単純にスポーツとして観ればいいのですが いつも判定には疑問があります。 どれが優れているとは言いませんが 剣道の方は 如実に人間としての精神性を全面に出しているような気がするだけに それでも御指導なさる方が指導熱心なあまり竹刀であられもなく小突く様を時折見る時 嫌な気分になってしまいます。

 柔道でも 何人掛りで回され投げられ 知らないから教えてやると称して先輩に締め関節でいびられ御指導を受けもしましたが 『精力善用 自他共栄』なんて大分後から知った事で それが当たり前の事だと思うのは やはり武器(竹刀)を振り回す方が 印象的に悪いからかもしれません。 だらだらやっていると 恩師には柔道なのに『蹴り』は入れられゲンコを喰らいもしましたが 竹刀を持ってのシゴキでない分 精神的には楽でした。 

 ですから剣道でもないのに 竹刀振りかざし御指導なさる部活を見ると 嫌な印象を帯びたものです。 剣道の統べてがそういうものとは思う程の 軽率な人間ではないとは思っていますが 武道と言いつつスポーツであると観た時 どうしても 柔道以上にフラストレーションが溜まるこの感じが 拭えないでいます。 

 しいて今思う事を自分の事を棚に上げ 生意気そして習いたい(剣術ですが…)と思うが故書かせてもらえば 『覚悟』が半端…いいえ羨望するが故『徹底さ』がないのかなあと思っています。 おやおや凄い事を言ってしまいました。関係者の方ごめんなさい。でも一応言った事には責任を持って言い放っていますので どうか御指導御鞭撻をくださいませ。 

 ふと 古い武術雑誌の中に 示現流始祖東郷重位の『春駒問答』という一文を見つけました。 自分流の要約で違うのかもしれませんが…。 弟子が 春駒がどのくらい深いか判らない崖縁にて片足を踏みかけて雄々しく猛々しくいななく様を示現流の『意地』と称したら 重位は首を振り そのようなところでも平気で草をうち喰っている様が示現流の『意地』よと称したそうです。

 昔ある鳶の方が 『高層ビルの鉄骨の上を歩いていたとこ テレビの取材で向かいのビルから撮られたんだけどぉ。画面が揺れて ちゃんと収まらなね~の。オレの歩いているビルの鉄骨 風で揺れてるからなんだと。やんなちゃうよね~。」と屈託なく茨木弁で 語った事を思い出しました。 また 私の古い女友達は 出産の時大量出血したそうで しかもRH(-)。意識朦朧とする中 回りの人間が妙に慌ただしくてうるさかったなあと これまた屈託なく教えてくれました。 「おいおい そりゃお前 死にかけてたんだよ!」と突っ込んだら 「そうみたい」と言っていました。

  もうひとつ…。 私の生まれ育った町内には 綺麗なお姉さんが多く その中でも割と懇意にして頂いた方がいました。 実は 生死に関わる持病をお持ちの方…とは後日知った事。 結婚なされはしましたが 妊娠出産は進められないと言われていたのに 懐妊し そして出産と引き換えに残念な事にお亡くなりになりました(憧れの人でした)。産む事を強く望んでいたそうで いわば覚悟の出産だったわけです。 こういう例を引き合いに出すのは 場違いだったのかもしれませんが 戦いに望む際の『覚悟』も並み大抵のものではないとは思うものの 平素ある日常の中で 平気で命を賭すような事をいとも簡単に内包している『女性』という動物には 永遠『男』は勝てないのかもしれないと つくづく感じる話しなのであります。 

 今にして思うと 冒頭の元舞妓さんの女将の 人への気遣いの凄さはある種の殺気でもあったような気がして来ました。 女性は やっぱり恐いんだと思います。 ねえ お歴々の皆様方。       

 夢を見ても 目覚めたら忘れてしまう事が多いものです。

 かの三島由紀夫は 枕元に筆記するものを置いていて 夢から覚めたら その夢を記録したとか。 この手法は 結構いろんな方がしているようですが 私の場合 そんな几帳面な事が出来ないばかりでなく  起きた時点で忘れてしまうので 覚えていればめっけもの…としています。

 おかげで 素晴らしいアイデアばかりでなく 数々の人生の有り難い啓示すら 落としてしまっているようです。 でも最近は 気にしなくなりました。 そりゃあ ずぼらなばっかりに みすみすチャンスや素晴らしいアイデアを落としてしまっているのですから 残念しごくではありますが そういうホシの元に生まれたと諦める事の心地よさを知ってしまったからかもしれません。 痴呆や惚けに苦しむ事をしない歳になったのかも…。 

 さて そんな折り 実は書くも恐れおおいながら 甲野師範とのお手合わせをした夢を見ました。 久々『覚えていればめっけもの…』が出来ました。 ところは どこぞの体育館。恐らく 講習会なのでしょう。 私が甲野師範にレスリング技のフルネルソンを掛け それから脱するという事をやりました。 何ゆえそうなったのかは判りません…。

  考えてみると 私 講習会の運営をば手伝いはしましたが 甲野師範の体の動きに触れ体感した事はないのです。 またまた考えてみると 第一回の講習会では ある方の質問で『合気上げ』の考察の際 正座して手を揃えて臍下の丹田辺りに置いた状態にて対座し その手首を握られ拘束された状態から逃れる事を あれやこれやとやっていましたが 剣術にしろ体術にしろ 接点際の攻防とでもいいますか 師範の稽古では このような意外とじっくり組んでの稽古というのはなかった…あるいは少なかったように感じます。 それはそれでいいのです。非力な者が強力者とあらかじめ組み合った上で それを制するは難しい…と考えるのは 一般的には間違っていないと思います。 そこいら辺の話しに対しての考察もしたいところですが それはべつな機会にするとして さらに夢の続きをお話をする事にいたします。

 夢ですから みょうちくりんな話立てになる事は御容赦ください。 私が 甲野師範をがっちり押え プロレス技でいうところの スープレックス(人間風車)を掛けようとしたら 甲野師範の首が伸びた感じがしました。 ろくろ首ではないにしろ ちょうど亀が首を伸ばしたりするような感じで 「ニュウッ」とというか「ヌーッ」とというか ともかくそんな気持ち悪い感触でした。 そうやって私がスープレックスを掛けようと首を極め 甲野師範の両脇から手を入れて背中でがっちり組んだのに ぬるりとすり抜けるような感じがあり 次の瞬間 私は前のめりになったかと思うと その後空中を舞っていました。 つまり投げられたわけです。

  夢の中での事を 覚めてから反芻してみました。 そこで思った事…。 掛けられた投げ技は思い出せませんでしたが 甲野師範の首が亀のように伸びたというのは 実は首を伸ばそうという意識でいると『肩が下がる』という事になるのではないかという事を思ってしまいました。 …で 立ってやってみました。首を軽く伸ばし気味にしようとすると少し緊張があるので リラックスを心掛けすると 意識して『沈肩』するより よけい肩が落ちる感じがしました。なんか『なで肩』になったよう…。  ナンバ身体論よろしく胸郭ボックスつぶしとか 胸鎖関節をコントロールするとかして『肩を 落とす』事をするより 『肩が 下がる』という事だけの身体運用に限定すれば なんかこの方が楽に『肩が 落ちる』ような気がします(あくまでも夢で見た話ですので 関係者の方お許しを…)。 

 それは以前お話した事がありますが 『肛門を 締める』という感覚ではなく 太もも付け根後ろ(お尻の下)を少し意識するだけで楽に『肛門が 締まる』という感覚と似た様な考え方です。  また『蹴る』とか『踏み込む』じゃなくて 『垂直離陸』とか『膝を抜く』とかいう 逆転の発想にも似ているような。 首を伸ばそうとした意識でいると 重心が高くなりそうな感じがしますが 肩が落ちている分さほど上がった感じではありませんので それにプラスαしてちょっとだけ意識的に重心を上に上がらないように…という意識を持ってやると 滑るように動くのにこける気がしないという事が出来そうな感じに思えました。 能の歩き方か何かで読んだ 顎を軽く引いて 頭頂部が上に釣られているような…とは こんな感じなのかもしれません。

 またこの文を推敲中 ちょっと読んだ『願立剣術物語』に 『五体は天地の釣り物也…』との記述もありました。 よく引用もする 千葉周作が修練の為に 道場の床に大豆を巻いて その上で剣術の稽古するというのも こんな感じで身を安定させたのかもしれません。 また相撲も 土俵というは土の粒の上での攻防ですので 実は踏ん張りの利かないところを いかに重く重心を落とす事によって踏ん張るかですから 意識として『肩落とし』も心得となっているかもしれません。 ただ相撲の場合 突っ張りなどの突き技がありますから 『肩落とし』をしても 顎に突っ張りを食らわないように前傾して対処したり 体感として『首は縮めてつつ 実は肩は落とす』としてやっているのかもしれません。本当に首を縮めて肩に力が入った『いかり肩』だと 今度は突き技を繰り出そうとする時の回転も悪くなるからです。 ともあれ便宜的に『首を伸ばす』としましたが 前述の揚げた例のように いかにイメージしてもらえるかの例えの一つですから そんなに厳密に考える事ではない事には注意しないといけません。

 それから 以前『魚の泳ぎ』について書いた事がありますが この身体運用もその線上にある話ではないかと 得意の一人合点をしたりもしました。  …で 去年の内輪の稽古納めで 古剣氏の小太刀の型で少し実験してみました。 やはり 言うは易し やるは難し。だめでありました。 蹴らず するりと太刀の脇を抜ける事が 前以上に楽になるかと思ったら ぎこちありません。首を伸ばそうとする意識の為に 肩から上に力が入ってしまいます。 古剣氏にも遊び稽古として実験してもらったのですが 首を伸ばそうとするあまり 首に幾条もの筋を立ててて 強ばった顔になっています。歌舞伎で見栄を切る時の顔のよう…。 古剣氏は真面目な方ですので あまりにも真剣にするものですから 内心吹き出して笑ってしまいました(ごめんなさい。でも 古剣殿 『遊ぶ』というリラックスの中で 発想を巡らしましょうや。頭も身体も…。その方が 身体にも染み込みやすいと思いますよ。私などは「やるぞ!」「おぼえるぞ!」などとやって ぜんぜんモノになったためしがないのですから。特に勉強は…)

 方向性はいいとは思うのですが 上手く今ある動きに融かし込む事は無理のかと思いつつ されどしつこくこの考えを捨てられないでいつつ でもやはり夢は夢なのかもしれない…(往生際が悪い!)と思いましたけれど その後 雑談で マイケルジョーダンの事が話題にのぼり はた!と思ったのであります。

 マイケルジョーダンのドリブルなんかの写真を見ますと よく舌を出してやっています(なんとなく私は ラクダの舌を思い出すのですが…)。 その写真を見たのはなんの本でしたか忘れましたが(『胴体力』?) ともかくジョーダンの身体能力のすごさを書いていましたし たしか『舌』の事も触れていた事を思い出しました。 考えてみると 上半身を緊張させていては 口を開き 舌を出してくねくねさせる事は出来はしません。 逆に言うと 口を開け 舌がくねくね出てなびいた感じになっているという事は いかに上半身の力が抜けているか…という事ではないかと思います。もっとも そういう事を機能させる為に『舌』があるとすればある程度の長さがあった方が有利かもしれません。 

 ふと 倒れそうになりながら 倒れないで姿勢を保てるというのは 高層ビルの『制震構造』に似てると思いました(緩衝装置等による『免震構造』とは違います)。 いろいろタイプはあると思いますが 私の言っているのは 最上階に地震による揺れを相殺する為に その揺れ方向と反対方向に動くウエイトを置いておく構造です。 考えてみますと そういう瞬時の動きにバランスを保ちつつ対応するために 体にとって『舌』が制震構造にシステムとなり コントロールをする事もありかもしれません。

 試しに 周りに気付かれないように 舌をフリーにして(首から上をリラックスに心掛けるという意味で) 歩いてみました。 しかも わざと千鳥足気味に…。前に進行しながら左右に振れる際 ちょいと難しいのですが 右に行き過ぎかけたなと思った時 目と舌の意識を傾きかけた体と反対方向の左に向け また行き過ぎたなと思うと その反対の動作をするのです。 ちょっと まだ体幹的な部分でするのには 体が理解出来きらなかったので 今度はあからさまに舌(短いんですが…)を出しやってみました←端から見たら『危ない人間」です。 

 おや??? 前にも少し思った事なのですが…。 中国拳法の『酔拳(正式には酔八仙拳でしたか?)』は酔った時のようにリラックスした体で…と言う意味を表現する為 あのようなトリッキーな感じにはなると思ったものの 千鳥足で迷走して 転びそうになる際 どうしても『踏ん張る』『強張る』が出てしまいます。 でも 舌先や 顔 視線を おっと危ない!と転びそうな方向と反対側に追いやるというか 引っ張られるようにすると 割と姿勢の復元が楽な感じがしたので 『酔拳』って こういう事をしているのかなあと思ってしまいました。 まあ『酔拳』自体 あんな動きされたら 『危ない人間』に思えて ようよう飛びかかる気にもなりません。 ちょうど ノーコンピッチャーの前では 及び腰になってしまうバッターと同じ心理状態ですね。

 話がズレついでに書きますが 人間が利き手利き足の酷使をはじめとした偏った筋肉運動とか いろんな事が原因で起こる筋肉緊張による体の歪みがあっても立っていられるのは 絶えず体が勝手にバランスを保とうとしているからです(専門家ではないので 上手い表現が出来ず すみません)。 たとえば 右わき腹が痛くて筋肉が緊張し縮んでいるとします。 必然右側骨盤が上がり 右足が短い感じになります。このままだと 右に倒れてしまいますから 体は何とかバランスを維持しようと 右肩を一生懸命上げるため 首が左方向に傾きます。

 歯の噛み圧も左の方が強いのかもしれません。見た目は くねった体となっています。 一番わかりやすいのは 重い荷物を片手に持った時。 荷物を持った手肩が下がりますから バランスとる為に 首は反対に傾いてしまいます。人間って ああなればこうなるように出来ているのですね。 歩く際は ヨットを操船するように 体も一生懸命色んな部位を駆使して 右へ左へと修正(重心移動)していますが 立っている時点でも そうやって地球の中心に向かっての重心軸の維持をしようとしているのです。 まさに 太極拳の老師が言ってくれた『人は松だから』という事を あらためて確認してしまいます。 

 また 昔の武術雑誌を読んでいたら 振武館の黒田師範が寝転ぶ姿の写真に添えられた文では『正中線は身体の中心線ではない。身体が寝転んでいても正中線は屹立(きつりつ)する』と述べられておりました。 思わず そうなんだよな~と 身体も練れないてない未熟者なのに 合点した次第であります。 

 ともあれ 『舌』の話しとはなりましたが 首から上の筋肉の運用も考察してみると 面白い発見があるかもと思った次第です(他にも『舌』についての記述した昔の文献があったような…)。 まあでも 舌をだらりと出し ラリった感じで歩くのを試すのは あまり人前ではやらない方が賢明かもしれませんね。きもいっす!!

  さて 話しはもどり 無理くり補足の『首伸ばし』考…。 ふと 陸上の短距離走のゴールでのフィニッシュフォームを思い出しました。首を思いきり伸ばし 少しでも前へという感じです。 冒頭の話しではありませんが 人間 すり抜けようとする時 やはり『首伸ばし』をしてのではないでしょうか。 通常そう書くと ついぞ力の入った(緊張)ものをイメージしがちではありますが 実はそうではなく 効果的にするには 何かに首を引っ張られるような感じ…なのではと想像してしまいました。 そういった観点で 鳩などの鳥の歩行を思い出しました。

  彼等はパントマイムの『壁つたい』のように まこと見事に 首(頭)を前に繰り出しながら歩きます。厳密には 首を振らないで歩く鳥もいますし 鳩も高速で歩く時は 首は振らないらしいです(小刻み過ぎて 振りが体幹で行われているのかもしれません)。駝鳥などは 首は振らないですね。鶴や鷺はまた違うような…。白鳥アヒルなど 鳩と同じく足が短いのに水鳥はまた違うような(陸上歩行と水上走行でもまた違うような) ?

  ともあれ この首を振る動作というか 首を前に突き出し その位置に身体を持ってくるというのは なんとなく合気道の動作を思い出してしまいました。 相手の腕を掴んで引いたり押したりすると(『かけるぞ!』という意志) 相手が察知して防御動作してしまいますので そうさせない為のイメージはこうなのでは?と思った事があります(言うは易しですが…)。

 今度は柔道の話しですが 私の先輩にすごく背負い投げの上手い方がおりました。 その方の技は 崩す為に引きずり込んで投げるという感じではなく 自分が投げたいなと思う方向への試合中の流れで動きだそうとした一瞬の停止の隙(実は巧妙に『促し』『導き』の仕掛け働きかけを悟られぬようにしているのですが…)に すっと身体を翻したと思ったら こちらの体が飛んでいるという感じ。抵抗感もなく不思議な感じなのですが これが背負い投げを『担ぎ技』の分類とせず『手技』と称する由縁なのかなと思うと同時に 『鳥の歩行』を見る度 その事をイメージしてしまいます。 

  さてこの『鳥の歩行』。私達が 鳥が『足』で蹴って歩行して見えているというのは 厳密には膝から下の部分でありまして さらに言うと足首から下で走行している感じとも言えます。 これを人間がしたらどうでしょう? そのままだと そんなに早くは歩けませんが 面白い事に首を前に出すように…いいえ厳密に言うと 前に転びそうになる(前傾姿勢)よう感じでやると  急激にスピードは増します(なんか能狂言の歩き方しているみたい…それとも城中をそそくさと歩く茶坊主のよう??)。 それに 視線を前の方に…と意識すると 『動き』がさらに力のあるものになりますから よけいスピードが促進されます。

 おおよそ『蹴って走る』というのとは程遠い感じの動きのような気もするのは 私の一方的な考えかもしれませんが ずっと昔の武術雑誌の中で 合気練体会の吉丸総師範が書かれた文の中紹介されていた剛柔流空手の『猫足転身』という稽古法(歩法)の表現に近いのではと思ったりもしています。

  そういえば 縁もゆかりも無く ただ総師範の本のファンというだけで 総師範が倒れられたと知り 会の有満様に通して『お見舞い』もどきのメールだしましたが その後お加減いかがしているものか…。一日でも早い回復を祈ってもおります。 あれあれ 話しが妙な方になりました。

  ともあれ これらをもって ますます『肩から上の身体意識』に注目するようになった次第(本当は身体みんな大事なんですが…)。また 課題がひとつ増えました。 さてさて…。 私は飲み込みが悪いので 人から見たら馬鹿みたいな事を ゆるゆるやって体感して確かめて行くしかないのだと思い  今年も稽古して行くのだと思います。

 昔 会社時代 上司に 「おまえは 便利なものがあるのに あえて使おうとしないで 旧式のものを使い 不器用に効率悪くやる奴だが でも それがいいところのかもしれない…」と 褒め言葉というか皮肉なのか なんか微妙な事を言われた事がありました。 そういう習性なのですから仕方がありません(進歩無いな~)。 ですから こうして書く事で まだまだ行き着いていない事 的外れな事 すでに言われている事…等など 色々思われ 失笑をしてしまう方もいらっしゃるでしょう。 しかし こうした迷走があるが故 御指導御鞭撻を受ける出会いが 今年もあると思うと こういうスタイルのまま行く事 この場を借りて ひらにひらに御容赦願う次第 なのであります…。修武堂に来て下さる方々 今年も よろしくお願いします。m(_ _)m 

 雪が降る。もう降らなくてもいいのに…。

 実家で屋根の雪下し。今どきの家々はしなくていい構造になっているのだが、移築してからでさえ100年になる我が家は、雪下ろししなくては戸障子が開かなくなるのだ。庭の東屋などはホントにつぶれる。現在のは何代目かな?そのうち、屋根に人が上る変わった風習の家だと近所で思われるようになるかな。苦役と思わず、武芸のいい稽古だと考えねばやってられない。

 東北の雪下し作業では、毎年何人か死傷者が出る。

 我が家は、まずい増築のため、構造上いつも数センチの厚い氷で覆われる屋根部分がある。その氷を取り除かねば、屋根から水漏れが始まる。

 全身、スキーウェアとデカイ長靴で完全防備。二階の窓から屋根の上へ。膝までぬかりながら、目標ポイントへ移動。本当に全身を使う歩行だ。こんなときモデル歩きやウォーキング法は全く意味をなさない。あれは人工空間のみしか使えないのではないか。

 まず表面に三十センチ積もった雪を取り除き、下のブ厚い氷の層を砕く。

 昨年、氷を叩いているうちにアルミ製のシャベルは曲がった。鉄製の重いスコップで叩いたら、バカ力で屋根にまで傷をつけてしまった。今年はその反省から、シャベルの持ち手の木製部分で叩く、殴る。というより、あまりに固い氷なので、両手で持って力いっぱい何度も、槌のように振り下ろす。かつ氷は砕いても下の屋根には傷つけないという微妙な加減。

 もうひとつの難しさは、思い切り振り下ろしている足元の屋根が、油を流したかのようにズルズルすべることだ。屋根の一番端に立っているため、振り下ろしたいきおいですべって、屋根下へまっさかさまに、ということもある。だから思い切り振り下ろしても足元は浮かす。武術でいう平起平落かな。失敗したら大ケガだな、という怖さの中で稽古するのは格別だ。一度すべって体勢が崩れ、脇で見ていた父に掴まれ助かった。

 次は、稽古場屋根の雪下し。まず使うシャベルを屋根雪の上に放り投げた。そして梯子をかけて登り始めたら、上までいったところで、乗っていた梯子が雪に沈み始めた。慌てて目の前の屋根に取り付こうとしたが、足元が下降してゆくためジャンプはできない。手に乗った鳥が飛び立とうとするときに、手の平を沈めれば飛び立てないと同じ原理だ。

 なんとかしがみつく。しかし足元は無くなった。つまり「く」の字型の体勢で、上半身は屋根、下半身は屋根下へと宙ぶらりんのままとなった。

 上に行くために、必死に指がひっかかるポイントを探して雪をかくが、かくほどに崩れてゆく。行くも戻りもできない。こうなれば、二本足歩行でも四足歩きでも無い。昆虫のクモだ。胸の辺りの重心が、あと数センチ下へ動けば、屋根へ上がれるのにできない。

 もがく。予断を許さなくなってきた。ミスして落下すれば、屋根と周囲の木々にぶつかり、雪の下にあるコンクリートの階段にぶつかって骨折はまぬがれないだろう。そう感じると恐怖でますますカラダがこわばるので、あえて恐怖感は別のフォルダに入れておいて、別の自分を起動させて、稽古だとリラックスして工夫するようにした。フリークライミングって難しいんだろうなあ、と。

 無理だった。下から近づいてきた父が「無謀はやめろ」と梯子を立て直してくれた。でも梯子も自分の脚も見えないので、ブラブラさせて接触点を感じてから脚をかけ、屋根の端に指をかけ、一瞬逆エビぞりになってから梯子に乗る。

 体力にまかせて、あえて危険なことしているような気がしてきた。稽古というより、愚か者の蛮勇であった。絶対にマネしないでください。

 追記。民俗調査中、岩木町の某お宮で、嘉永二年(1849)に、種田流槍術の五十嵐所吉なる人物が、門人達と七千回、数千回という数稽古をしたという奉納額を見つけた。タンポ付きの木槍の穂先二本が打ち付けてあった。同様の奉納額は弘前市内で當田流剣術、林崎流などでも見たことがある。

 数稽古は、未熟なままでは悪いクセを染み込ませるだけ、ワザができた後でというらしい。私にはまだまだ遠い話だ。

 もひとつおまけに。研究中の小太刀。技を区切って止まった状態から始めて、剣道相手に通用しない?。ならば、歩み寄りながらさばく、全く本来の型通りの方が効果的かもしれない?と気づく。疑う者は救われない。信じる者が…。

 2005年12月29日、当会の有志で稽古納め。

 寒い木造道場。防寒対策はしっかり。私は高校講師時代に拾ってきた小さめの柔道着(四戸某と黒マジックペンで書いてある)の下に、ハーフパンツ、野球用のアンダーシャツを着込み、皮足袋を履いて稽古。寒稽古は幼い頃からいやというほどやってきた。だって冬は雪でも毎日ストーブ無しの稽古だったもの。今はガマンすること自体に自己陶酔するより、そのエネルギーをワザの工夫、のびやかなカラダにまわしたい。 

 小太刀の型をご披露し、それぞれからアドバイスをいただく。K氏のご子息にも相手してもらった。竹刀剣道では余裕を持って対せる相手でも、型になれば遠慮仮借無い打ち込みには通用しないことを痛感。それにやればやるほど、地稽古のように互いに次の手を予測した動きへと変形し始め難しくなる。何をやっているのかわからなくなる。でもどんな状況でもクリアしなくては剣道人は認めてくれないだろう。課題となった。

 空手をベースに中国拳法や古流剣術、居合、剣道などを経験されてきた某有名師範は、その自著で、現代の剣術家で、剣道の自由乱打を完全に制することができる方は、残念ながらほとんどいないのでは…?というコメントを出されていた。耳が痛い。

 小太刀のさばきをビデオで撮影して動きをチェックした。自分の主観からみるとほとんど動いていないような地味な動きだ。だが、よくよく見ると両脚の力みが抜けて、同時に滑っていること、動き始めと終わりのとき、全体の動きがほぼ一致しており、今までの私の動きからは異質なものに少々前進した感がある。

 当会のS先生は、普段、少林寺拳法の支部長をされながら、杖道と居合道も稽古されている。でも、みんなでイチ、ニ、サン…と号令をかけて、一斉に武張った動きをする一般的な居合ではなく、気配無く、よどみ無くいつでも変化できる居合を工夫されている。

 例えば、剣道連盟制定居合の一本目、正座から立ち膝へ変化しながら抜刀する動作も、イチ、ニの動作を溶かして、一動作にするために、右膝を半歩早めに進める。すると抜刀も立ち始めたときには、抜刀が一動作早めに始まっていることにもなるようだ。

 また、歩みながら抜刀する際、その内の一歩、左足を出した際、同時に左腰をも内側に突っ込み、抜刀しながら右足を出して歩んでゆく。すると抜刀の際に左側を後ろに置いて居着くことがなくなる。これらの動作は、目立たないため、なぜそうなるのか教えられないとわからないだろう。相手のワザを見取る難しさだ。

 帰り道、新車を運転しながら思う。我が問題点がハッキリして、落胆するかと思いきや、意外にもますます稽古意欲が燃えさかってきた。

 これは、このヤロー、相手を倒そう!という脂ぎったファイターの闘志ではない、自分ができるようになりたいという、クリアだが芯の通るような内省のベクトルだ。

 私にも、倒すぞ!勝つぞ!という闘志はある。負けん気は人一倍だろう。試合では重要で重要なモチベーションだ。部活時代はそうだった。しかし、いつもいつもそれで磨いた心身は相対的なもの、常に相手に左右され、他のものにせかさせる不安な存在だ。新しい相手が現れるほどに安心は無く、ゆらぎつづけるので、燃えている割には弱き存在。そして選手引退というタイムリミットで終わってしまう。

 だが、このワザを可能にしたい、身につけたい、という自己向上熱は、他者に左右され、せかされ、操られるものではない。期限と目標ランクは生涯をかけて自分で決める深く落ち着いたクリアな意欲。追求の果てには、心底求めるものをやったという「内に省みてやましからず」、深い安心の境地へとつながるものではないだろうか。

 それでは、自分に都合良く仕立てた、単なる自己満足に聞こえそうだ。だが私の場合、いや、諸々の伝統技術の世界では、課題が他から与えられる。よって、ひとりよがりとはなりえないはずだ。

 このようなことは家伝剣術の型稽古でなんとなく感じてきた。いい稽古のときは、相手の攻撃を「今ここで解くべき自分の課題」としてそのまま受け止めて、闘志のベクトルは己の内を深くさぐり、否定すべきは己、「病を去る」ことに没頭できる。

 だが、稽古中少しでも「やったな、チクショー」という感情が混じり込むと、その炎に我が心身はすべて包まれ、もうひとりの自己分析する感覚は消える。他者のアドバイスを受け入れる余裕も消える。

 つまり、自分を肯定するために否定すべきは相手。我田引水、その場限り、現状の我が身を押し通そうと、少しでもウラをかいて、スキを狙いにいく。プロになれば、競技以外の場でも相手の心理を乱そうと組織的に画策する。

 それは生き死にをかけたとき必要な兵法ではある。だが、いつかは頭打ちの迷路に入り込むか。我が身体技術の質的向上稽古としては、充分に留意すべきことが多いと感じる。

  12月30日。自衛官N氏が東京から帰省。再び臨時の交流稽古。かけつけたG師範と旧知の仲だと知り驚く。

 技術交流といっても、当方から提案できる技術など特に無し。小太刀のさばきを何度か体験していただく。意外にも体術専門のN氏に「これは面白い」と少々評価していただき、嬉しかった。

 その後、斜の構えから相手の構えを張りながら中段、そして逆袈裟に斬る大太刀の型を紹介。私自身意味不明の動きであった。

 しかしN氏は、斜の構えから中段へ変化する動きについて、中国拳法の縮める、伸ばすという技法につながるのでは?というアドバイスをいただく。これは当会のK氏が以前から推測していた理論と重なる。張り出す剣に重さと浸透力が生まれる。私の課題となった。

 その後、N氏が体術から剣術につなげる稽古として、竹刀同士、接触してから剣が粘り着いて離れず、中国拳法の聴経か、日本剣術のソクイ付けのような稽古を教わる。いつも思うが、体術専門の方の考えられる剣技は、当方も気づかない視点が多く勉強となる。

 最初は、力の密度のスキを抜いて袈裟に斬ったりできたが、すぐにこちらのクセを読まれると、いなしても、いなしてもどこまでも剣に吸い付いて粘ってこられる。少し抜こうとすると、そのスキを差し込んできて我が拳や指を斬ってくる。だからうかつに剣と剣と離せない。このような稽古は現代剣道ではやらない。不慣れな剣の操法と粘るような密度の濃い力の使い方に疲れた。それが私の力の使い方の特徴であり弱点だとわかった。

 このように体術系の方々は一般に、剣技でも重さや粘り着く強さを求める。だが反対に剣道家は全く考えないといってよい。竹刀同士が触れても力で受けない。すぐにいなして、離して、抜いて、パンパンと打突しにいく。力を入れるのは、スナップでポンと打った瞬間だけで、とっさのときに反応できるために脱力を常に心掛ける。よって剣道は体重制やパワー差が関係無い。

 私は、体術を習うときでも剣道式の力の使い方のようだ。相手の腕を握ってもジッとしておらず、相手の筋肉がピクリと動くと反応してスグに離したり、いなしたりしてしまう。だから体術の型稽古が成立せずに嫌がられるのだ。反面、持続する粘りつくチカラがないので、相手を押さえ込む、極めることができない。

 この体術家と剣道家の力の使い方の違いが、甲野師範を訪れる剣道家が戸惑う点のひとつではないか?。剣道家は思うだろう。剣に速さは必要だが、なぜそんなに剣の振りを重くして相手をつぶす必要があるのか、軽くパンパンと打つだけでいいのではと。

 だがそれは、打突にしか有効性を求めない竹刀剣道ゆえの技術なのだろう。打ち込んで相手をつぶししただけでは有効打突とはならない。それに有効打突の認識自体が、粘り着く、押し込むような動きを考えていない。

 しかし触れれば斬れる真剣、刃物ならば、接触して粘りついて相手を崩していくワザは実用性が高いはずだ。そのことはG師範やN氏のナイフ術を体験しても感じた。だからそれを想定した上で古流剣術を見るべきだ。夢の中、戦さ場で主君を守護していた私は、追撃してくる甲冑武者の剣に対して、パンパンと打ち合わず、粘り着いて、のしかかって斬っていた。

 そしてG師範。その護身術はなんと多人数をも想定する。だから相手に対して直線に入ることは少ない。横へさばきつつ、接触ポイントから自分で回転しつつ変化していく。なるほど。私は互いの中心線を意識するあまりに、そこにとらわれた直線上の真っ向勝負の先入観が支配していたか。それは一対一の戦闘法なのかもしれない。多数の敵には、多数の正面と中心線が生まれるのだ。だから面で対応するのか。家伝では「横へチラチラと変化し見えにくい剣」を使うという。先ほどの斜の構えの型かもしれない。集団戦といえば、幼い頃、面に風船を付けて集団で、剣道のバトルロワイヤルをやったことを思い出す。横や後ろからやられたものだ。

 稽古後の玄関で、なぜか幽霊の話に。今日集まった方々、私以外は全員、霊感がある方ばかりらしい。全く無い私だから、恐れずにイタコや水虎(スイコ)様、地蔵信仰、死者供養などの民間信仰調査へ突っ込んでいけるのかな。

 12月31日、年越しは、実家の武具部屋から材料を掘り出してきて、竹刀を二本作りながら紅白とK-1を見た。ホイス=グレイシーと日本人格闘家の試合では、寝たままで、上から飛びかかってくる日本人のパンチを微妙に反らすホイスの技術を上手いと思った。

 2006年元旦。

 元朝6時から剣道稽古へ。防具をつけてまともに剣道稽古するのは半年振り、八段と七段の先生数名に地稽古をお願いした。

 いつもは構えてスグに面に飛び、体力をムダに急速に消耗していた。今回は構えてからの攻め、相手を読んでから動くことを工夫した。攻めて、攻められて、打ちたくて、はやる己の気持ちを細かく砕き、カンタンに相手の拍子に誘導されないように対した。お一人目の先生には、構えが変わって良くなったとお褒めをいただいたが、二人目以降は体力をムダ使いしてメチャクチャに。我ながらホントにヘタクソですなあ。そして竹刀は刀法よりも竹刀用の打突法が便利だと思った。

 稽古終了後の訓話。道場長である父が、全員を前にして恒例「年頭の挨拶」を。「人はなんのために剣道をやるのか?」という話だ。実は前日の大晦日。実家で新年のため神棚の注連縄を新しくする作業をしながら、私が父へぶつけた質問だった。

 「剣道は現代社会で何のためになるのだろう?人間形成なら他の道でも立派にできるはず、刀が現実向けの道具で無くなった今、剣道だけの利点とはなんだろうか?」「剣の理法が、具体的にどのように人格形成につながるといえるのか?」「それに現状では、剣の理法ではなく、完全に竹刀の技術となっている。ならばどう考えるのか?」「汗かいてビールが旨い、段が上がった、試合に勝った」それだけなら楽しみや健康のためにやる普通のスポーツと全く変わらない。なのに剣「道」なのか?」「同様に剣術も同じ点において疑問だ…」どなたに尋ねても心服する答えに会ったことがない。

 生意気な若造だ。だが、同じような疑問の一部は、故大塚忠義師範も述べられていた。これらの疑問は剣道が大好きな人々は疑いもしない。その前提条件に疑いが止まらない人はやめていくだろうから、解決されることがない。大嫌いでもやらざるを得なかった偏屈な私だからこそだ。時代の変化に遅れ、唯我独尊、内向きの抽象論と化しつつある武道理念が心に染みてこず困っている。

 いや、既に剣道の存在自体がオンリーワンではなく、ライバルでもなく、ある特定の場面を切り取った、相対的なひとつの分野にしかすぎなくなりつつある私にとっては、他にも素晴らしき武はたくさんあるし、剣術再生がメインなのだからどうでもいいことなのかな。明治維新以降、近代剣道にお世話になってきた家なのに、新年を迎えてのこの心境の変化は、我ながら意外であり、寂しくもある。

 さて、父は訓話で「日々、古い自己を破壊して新しくしていく行為、自己の改革だ」と話した。それはそれで斬新な発想だ。私こそ家伝剣術の工夫の楽しさに埋没して、最近その問いかけを忘れていた。そのままでは閉じこもったオタクだ。いけない、いけない。社会に、人生に対して全く無力な剣だ。

 確かに武術をやっていなかったら、私は今よりさらにダメ人間であったことは確かだ。今振り下ろされてくる剣の下では、未来への思いも過去への懐古も助けてはくれない。前後裁断、今この瞬間を生きねば、と私に一番欠けていることを、実体験で学んでいるところだ。それで更正しつつある私が職場で頑張れば、間接的に剣が実社会に貢献したといえるかな。月並みだが。

 でもこれを高尚な?趣味として、オレだけの楽しみだ、オンリーワンでなぜ悪い、世の中には参加しないぜ?という安易な逃避が重なるから、個々人が空中に浮き、砂のようにバラバラで、崩壊しやすい社会になったのか。居所を知らない砂が、わかりやすい安易なフレーズに踊る大衆となって力を持つ。暴走する者を止められない。犯罪者も誰かの「信長ごっこ」も。「信長ごっこ」は、己のメンツ守りと全体の帳尻合わせは努力しても、ひとりひとりの人生の責任はとりませんよ。みんな「自己責任」ですから。

 武の稽古こそ、団体組織や他人の言葉にぶらさがらず、自己責任で求めたい。自分の心身で判断し行動するサムライが増えれば、無力ではない。やがては集団としての社会や国家の流路にも影響を与えていくかもしれない。

 それは初夢です。借り物ではなく、自他ともに深くナットクできる答えを見つけたいものだなあ。でも細木数子氏によれば、私は大殺界、不運の時期にいるらしい。そうかなあ?できる足元から少しずつ。今年こそ!! 

 唐突な話しでなんですが…。

 ペンネームを『無刀(ムトウ)』と何気なく決めたのは 刀・剣術の類いをやった事が無いからという意味からなのですが 稽古会では 剣術と体術の間という事で 本当に『無刀取』を中心にやるようになってしまいました。

 その為 せっかく安物ではありますが 居合いとか古式の剣術の為にと模擬刀を買ったのに あれやこれやと稽古会ではいろんな方やいろんな事もしたりしてお相手するので 抜く機会が少なくなってしまいました。

 模擬刀は ホントに安物で謙遜でも何でもありません。修学旅行ででも買えそうな価格のものです。でも 重さ的には本身に近いようでしたし ネットで買いました。

 購入先は京都ですので 大方観光客がターゲットなのでしょうか?でも 先方の方の対応が恐縮してしまった程とてもよかったので 入門用にしてはいいかなと満足もしています。

 という事で 愛おしんでもいる模擬刀ではありますが 稽古会にいらっしゃるS先生が 稽古終えるとこれまた恐縮もので油をつけてくれて 手入れの法を親身になって教えてくれますので 我が模擬刀は果報者なのかもしれません。

 おっと 話しが逸れました。

 『無刀取』は 古剣氏の家伝剣術『小太刀の型』にも通ずる所もあり それなり目的や方向性も合致する課題ではあります。必然稽古のウエイトが高い項目とはなって来てもいます。

 そんな中 合気道で『力を抜く』とか 甲野師範の『垂直離陸』とか 稽古人氏の固い決意の程を感じる当地での企画運営の『意拳』の講習会というのに出会い いろんな『目からウロコ』がありました。

 そうやって いつの間にか一年が経とうとしています。

 そして最近 古剣氏の文章の中に 何気ない事で書いたのでしょうが 『無力』という言葉を見つけ はたと思ったのです。

 なんの事はありません。『無刀(ムトウ)』と『無力(ムリョク)』は ほんの少し違う字なだけだという事を発見したのであります(しょうもない事ですみません)。

 さらに もしかしたら私のペンネームを『無刀(ムトウ)』ではなく『無力(ムリョク)』と思っている人がいるかもしれないなあと思うと 単純に 箸が転んでも可笑しい年頃の女子高生のように 笑ってしまいました(女子高生…なんて発想自体 おっさん的ではありますが 『笑い』にはガンにも打ち勝つ力があると言いますから 勝手にウけてしまう事は御容赦)。

 ともあれ この『無力(ムリョク)』。なんか『自力』『他力』という言葉の仏教的な響きにも似て思え それはそれは奥深い言葉に思えてもきました。

 私の場合 まだその域まで程遠いとして 『力』の頭がまだ足りない…芽が出ないという事で『刀』となっているのだと こじつけ99パーセントな言い回しではありますが 我ながらいいネーミングをしたものだと思って気に入っています。

 それに『ムトウ』自体 『武藤』さんという名字もありますから 響きだけなら普段使われてもおかしくないなあとも思っている程 とても柔軟に対応出来るネーミングでもあります。

 自画自賛の項はこの辺にして 本題の『無力』。

 今月の『秘伝』を買いまして その中に六方会の岡本師範の特集があり そこに載せられている文章が とても具体的にイメージ出来る記述だったので 誰が書いているのだろうと思って辿ったら よく本誌に書かれてある吉峯氏の文章でした(納得)。

 文中 目を引いたのは『脱力とは 余分な力を抜く事。必要な筋肉しか使わない…云々』というところ。

 太極拳には『四両撥千斤』とかいう教えもありますし 柔道の『柔よく剛を制す』も似たようなラインにある言葉ではないかと思っています。

 書ける程のものはないので いささか人目はばかるのですが 意拳の講習会では 『そこの林檎を取ろうと思って手を伸ばしなさい』と言われました。

 何気なく普段やっている動作をして…という事なのですが 『思い』が出てしまって出来ません。

 これは 普通に合気道で『体の転換』をするのを 不馴れな木刀をもって同じ動作をしようとするのとか 不馴れな異種の武器や格闘技と張り合った場合に似ています。

 いかに 体が意識してしまうと強ばるか…いかにロスしているか。

 ふと 机の下に潜り探し物していて 不意に立ち上がる(机の下という事を忘れている)と しこたま頭をぶつけ いつまでも痛みがとれないという事がありますが(私だけ?) これを相手に対しての『打ち』と考えると すごいかもしれない…と 浅学を顧みず思ってしまいました。

 最近 よくソファやカーペットの上で ごろ寝してしまう事が多いのですが いかに無理な体勢で寝ている かという事を思い知らされました。

 臥薪嘗胆として どこでも寝れると思っていた…いいえ そうでなければならないとしていたのですが 妙な体勢だったり 不均一な寝床では 寝ている間も体が頑張ってしまって 強ばってしまうのです。必然眠りが浅いです。

 ある時 いつものようにソファでごろ寝して夜中目覚め ちゃんと寝床に寝直しに行った際 少し眠気も覚めたせいもあって しばらく寝つけませんでした。

 ふと 寝た体勢で 自分の体と対話を試みました。

 そうしたら あちこちから 強ばりを訴えて来たではありませんか。

 『ここはこの範囲で…』『こちらは この範囲が…』と すごいすごい!

 いやはや『体の各位の皆様方ごめんなさい。鎮まって下さい。鎮まって下さい。』と ほんとうになだめ回っている感じでした。

 不自然な体勢で寝ているという事でもそのようなのですから 二足歩行をしている時点でも バランスよく居ないと強ばって当然です。

 そういう意味では 意拳の『形体運動』(こういう用語でしたっけ?稽古人殿…)は 立位で体と対話出来る優れた方法だなと 妙な合点をしています。

 そういう意味でばかりではないのでしょう…。浅学ですみません。

 それにしても この間 稽古人さんが先立ちとなられ企画した講習会第3弾があったのですが 事情によりお手伝いも出来ず まだ出れませんでしたから また講師の先生方を通して 自分の体の『居着き強ばり』が確かめられなくて残念でした。  

 ホントまだまだ『無刀』で『無力』の域に達するには程遠いようです。

 でも同時に ぼちぼちなのを楽しんでいる自分もそこにはあります。ですから はたでは節操なくも思える程 色んな事をしているのですが 苦でもなくいれる自分がそこには有ります。

 なりは武術でも 私にとっては体と対話する手段としての赴きが強くなって来たのかもしれません。

 そういう点では カスタムナイフ作家でもあり柔術の先生でもある外国人のG氏は 常に危機管理を頭において生きていますから こんな流暢に居心地よさを語ってしまってはいけないとも思ってしまいます(いったいどっちやねん?)。

 最近ニュースで 核兵器が東欧圏からいつの間にか流出していて その所在が判らないというのが報道されていました。

 『どこで いつなんどき…』と考えるのが本来普通で 『まさか?こんなところじゃ?』という考えは本当は最早いけない御時世となってしまいました。ある意味 今は『隠れた戦時下』なのかもしれません。

 核兵器の前では いくらなんでも『無力』でありますが 『いかなる事があっても平素に…』という意味で体や頭を硬直させて『動き』をぎこちなくならないようにという意味で 『無力』の域に達していたいものだと思います。

 これって 一見力が入った感じに印象受ける『覚悟』の究極型…いいえ本来の形なのかもしれません。

 しかししかし 今まだ『無刀』も遠く 『刀』の字の『┐』の部分もない『無ノ』…つまり『無能』てな域なのであります。 

 

 前回 『隠れた戦時下』という言葉を書いて また思いを巡らせました。

 考えてみると 表立った『戦時下』は 日本は1945年に終わりました。

 余談ですが それから数年後 あれ程打ひしがれた戦争であったように歴史の情報からは感じえたのに 対岸の火の粉である『朝鮮戦争の特需』に対しての歴史の情報は 戦後復興にも寄与し 末端の町工場までなんか『よかったよかった』というような記述ばかりが見受けられるように感じられ 違和感を隠せませんでした。

 『喉元すぎれば…』とか『これが人間さ』という言葉に 違和感無く共感してしまう歳になってしまったと 心のずうっと奥底での反省を 一応はしている自身の若気さへの照れはあるのですが 一方今現在日本を動かしている方々は角棒振り回していた世代の方々でありますから あまりにも見事な転換には 若気さの残っている私にとっては開いた口も塞がりません。

 そういえば 私が会社というものに入社した時の上司の方々は その時代の方々で 「自分達の入社した時は 同期に『お前はどこのセクト』だった?」と耳打ちして確認しあったと聞きます。

 面白いもので…と書くのは嫌なんですが 因果応報とはよく言ったもの。

「時代は 僕らが作るんだ!」と言ってはじけていた方々の子供孫は 別な形で目上のものをはじいています。でも これはある種 おめでたい平和なだからと言えるのかもしれません。

 本来 外に出ると ものを取られたり連れ去られたり殺されたり… それが前提で教育され人々は生きて来ました。

 刀狩以来 そして戦後は銃刀所持が厳しくなったというのは 翻すと 治安を保証する社会制度を作り上げた先人の努力にもよると言えます。

 でも今は たとえ防犯のためにと街灯がついていても 人が住んでいる気配が充満している街中も 安全とは言えない世の中に日本もなってきました。

 前行ったアメリカでは 公衆トイレからなにから あらゆるところに 日本で言うと風俗産業の小さいチラシのようなものがベタベタ貼ってありました。

 それは『Kidnap』とか『Missinng』…つまり子供だけでなくいろんな方の『行方知れず』の情報提供を訴えるもの。圧倒されてしまいました。

 また夜 まあ日本ならキャッチバー当たりでぼったくられるだけで済みそうな程度なんでしょうけれど こちらは事情がもっとリアル。「あそこに行ったら命は保証しない」と真顔で言われた時にも なんてリアクションしてよいか判らなくなりました。

 ちなみに 東京赤坂の『ぼったくりバー』に知らないで勤めた人に 話しを聞いた事がありますが 払わない限りここからは出られないとちょいと思わせる『監禁の恐怖』の手口は そんな難しいものではありませんでした。

 その場は殊勝に金を払って 後で警察に通報すれば…なんて言いますが そういう防犯キャンペーンされたらそういう手口が無くなって行きそうなものですが 今だあるのですから 単純ながら巧妙な心理をついているものなので 無くならないのは当たり前なのかもしれません。

 ともあれ 『守れる』のは自分自身しかなのです。

 大昔… 『皮膚を境に 内なる部分(肉体)を鍛え 精神も鍛える…。 外なる部分では 衣服で身を守り さらに家というか住処が要塞として守り やがては群れや族として連係してエリアを守り(決まり) 発展して村 町 都市 国となってゾーンを守り(法と秩序) 果ては地球そして宇宙の理りを守り…』と 妙にこむずかしい事を延々述べた私の大学の卒業論文が起点となり 今だその呪縛から開放されず仕事をこなしています。

 家も体を纏う(守る)鎧…と考えた時 その中で自分がしたい事として極端な話『要塞』を設計してみたくてその筋の機関に就職したいなとも思った事もありました(単純に『秘密基地』に憧れただけかも?)。

 反面 ビーバーや他の動物の巣づくりを見て思い そしてアメリカのハンドメイドハウスのムーブメントに触れた時(その時フラードームに出会いもしました) 『家』は自分で作るもんだよな…とも思いました。

 武術的な事を こうして知り得る事で いろんなご縁も出来て面白くもありますが どうもこうして私がしている動機の根底には 『家つくり』も一つの備えなければいけない『武技』なのだという事がライン上に あるからなのかもしれません。

 昔 武将は優れた城づくり町づくりの建築土木学の長… 城塞建築家 都市計画家でもあったのですし それは『人の動き』を知らねば出来ません。

 話しはガクンと落ちますが 自分を守るという事の『技』として 災害時の被災者の暮らし方にも興味があり調べた事もあります。

 また 段ボールハウスに住まわれている方のハウスの中や暮らしぶりにも興味があります。時間があれば研究したのかもしれませんが 先頃 そんな本が出たそうです。似たような事 考える人いるもんです(私に文才とフィールドワークする時間と金があれば…)。

 各地方地域だけでなく 国やもっと大きな括りで 『家』というものをどういう風に捉えているかにも興味があります。

 そんな観点で見たアメリカのログハウスは 乱暴な括り方ですが もともと開拓地に入植時 斧など簡単な工具で作れ 獣やその他にある危害への守る最小単位の 井桁つくりで出来る簡単な防護柵だったのが 加工技術も進歩し『家』になって行ったのではと考察しました。あくまでもなるべく早く出来るからです。

 2×4工法もそうですね。作り組み立てる奴は素人でいいように 作り方や段取りを考える奴が大変だけれど そういうシステムとして考えられているものです。マニュアル好きの人種ならではだなあと 思う事があります。

 ともあれ 開拓しにきて 家を作るのが彼等の本分ではないのです。野宿しながら家を流暢に作っているという事は 狼 熊 クーガの類いにいつまでも 身をさらす事にもなり 仕事がままなりません。

 仕事も出来 子づくりにも励み 子だくさんになって開拓地を広げる労働力としたいと思うが故 簡単で堅牢にする事なら努力を惜しまず その上でさらに土地を広げて行ったと これまた乱暴な言い方ですが これが開拓精神の根底の一面なのだと想像してしまいました。

 そして… 果ては奴隷を入れもしました。それがやがて人種差別を生み やがて黒人の方の人権運動につながりました。 

 また 子供もいっぱい作る事(これがレディファーストの根底です。女性に優しい?とんでもない!卵をいっぱい産む鶏を大事にするのと一緒だったのです)をさせ過ぎたら 女性は労働力を作る道具ではないと立ち上り これがウーマンリブの起因を作りました。

 ともあれ なんとなく せわしないような感じに思える彼等開拓民族は どこかに元来の狩猟肉食族のDNAが作用し 今食べれても明日はどうかしれない…という切迫感(おかげで今は肥満大国ともなりました)と 『ムラを出たからにゃ 一旗上げんと…』という切迫感(次男坊根性)に似たような感じがあったからなのではと… これがアメリカ合衆国という国の性格なのでは…と思ってしまいます。

 もういい加減 世界の頂点に立っているのに どこかがっついている感じがしてなりません。もっと悠然としていいのにと思うのですが 妙にせこく 陰険に感じてしまうのは 私だけでしょうか?

 どこの国もそうですが 人ひとり個人個人は すごく そして素晴らしい人が多いのに どうして国という単位になると おおよそそのステレオタイプから外れる事がないような気もします。

 おっと 柄でも無い事書いてしまいました。

 ともあれ『家』の考え方は 各国違う事は確かです。

 壁板一枚の長屋など さしあたってアメリカ人にはイメージ出来ないのかもしれませんね。

 無理くり話しをつなげてしまいますが そんなぜい弱な仕切り 防護だから 日本人は武術を発達させたのかもしれません?

 あっちの人間は 開拓に必死だったので 防護をとりあえず厚くし てっとり早い道具を作った方がいいとして 銃などを発達させたのかもしれません。

 大工道具などの考え方は まさにその通りで 『切る』一つについても こっちは腕…技…修練で真直ぐ切り あっちは あてがうだけのアタッチメントをつければ 誰でも切れるようにという感じという発想のもとに発達して来ました。

 ならば武術大国の中国はどうなのさ…となりますが あちらは…う~~~ん(考察中)……(考察中)…(考察中)…(考察中)…(考察中)…。(閃)!!!!

 平民と権力者の距離感からすると 日本以上の距離感があって 武器その他の脅威となるものは権力者の管理下にあり 平民は体術から後は簡単な武器術までしか編み出す事が出来なかった…という仮説はどうでしょうか?

 日本では マタギのように銃を持った猟師が生業としてありましたが 中国では 平民が銃を持てたか(馬族盗賊山賊以外)…という事を調べてみるのも面白いかもしれません。

 国家転覆にもなりかねない鉄砲という武器を 平民にも持たせたのですから 寛容だったのでしょうか?

 意外と 日本で殿様の顔を拝顔する事は確率的に高くても 中国では 皇帝の顔を拝顔する事などは確率的には皆無なぐらい距離感があって 武器や武術の統制も厳しい中で だからこそ民衆は研鑽したし 思想的なものと繋がった…なあんて。

 いやはや 『家』という観点からも『武術』は語れる事がなんとなく判りました。

 しかし 残念ながら似非民俗学者の知識の底は この辺で終わりなのであります。

 ちょっと テーマが大きすぎましたね。オーバーフローです(悲)。

 

 『話は面白く 屁は臭く』という言葉があります。

 美味しいものをより美味しく…という言葉もその類なのかもしれません。

 麻雀に『サラシ』という手があったような気がします。地域によってルールも違うらしいので 本来はなんと称するのか知りません。

 最初から手牌を全部公開する事で 勝ちを得ようとする方法です。『サラシ』とした事でボーナスポイントももらえたような…。

 一見背水の陣のように見えますが それなりの勝算を持ってでの『手』。

 相手も 逆に相手が見える事で何が来るかと疑心暗鬼になり攻めにくいという事らしいです。兵法のひとつ『空城計』ですね。

 なお『空城計』自体は 賢い人間には使える手らしいのですが 猪突猛進型の人間で 考えも無く突っ込むタイプの人間には 使えないそうです。

 …という妙な前振りから 今回は始まります。

 いきなりですが 中学柔道ボーイズの そして少年の部のやりだしっぺのH田くんが 校内暴力沙汰を起こしました。

 稽古会でストレートのレクチャーした後日の出来事です。

 事情を聞くという そういう部分(親でもないし 学校側の人間でもないし…)に立ち入る事が いいのかは判りません。ただ こうして関わり会いを持っているわけですし 稽古会はじめ他の方々にも私が紹介した手前 会う事にしました。

 私達のしている事は 大きく括ると『暴力』という術の稽古です。ただ 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』でもあるわけですから 抗する術として覚える事 研鑽する事は悪い事とは言えません。

 でも 使えるようにもなる訳ですから ここで自我をコントロールする術もなければならないと ミイラとりがミイラになってしまいます。

 ちょうど今 NHK出版『この人この世界 禁断の科学』という本を読んでおりまして 科学者の『真理と倫理』の狭間(ジレンマ)についての事を 色々と書き連ねてある本であります。

 その中の一節の 原爆の爆発実験に成功した時 科学者ケン・ベインブリッジは 科学部門の責任者であるロバート・オッペンハイマーに対して言った言葉が印象的でした。

「これで我々全員悪党だよ」

 …考えてみると たかだかボランティアで中学生を週末の数時間を一緒に共有しているとは言え している事は『武術』なのであります。

 さきの言葉の出た状況と本来の意味は違うのでしょうが この知らせを受けた瞬間 『これで我々全員悪党だよ』という言葉が浮かびました。

 数々の武術の教えには 色々な切り口(考え方)はあるでしょうが 究極であるところの『意識をしないで出来る』とは 『平気で…平素な心で なんのためらいもなくする(殺る)』という事。『抑制装置を自在に解除する』という事ではないかと思っています。

 恐ろしいイメージですが 小さい子が笑いながら悪意なく刃物振り回しブスリとやってしまうがごとくです。それを理性ある大人になっても いつでもオンオフして出来るというのが ある意味 最終到達点あります。『殺意という気配さえない』という事を目指しています。

 ともあれ してしまった事情 そして言い分も聞かずして怒るわけにも叱るわけにも行きません。

 事情聴取ではありませんが 時系列を追ってどれだけ詳しく本人が修飾無しに私に説明出来るかで 私への信用度も判ろうというものでもあります。

 私は 人の話しをあまり聞ける人間ではないのでありますが この度は なるべく聞くよう努力する事にしました。

 内容は 普段気にくわない(合わない)先生に 規則をやぶっている事を承知で 注意されたのに対してうそぶいてしまい その中で一番体格も良く目立ち 先生にもいわゆる目を付けられていた彼を 先生が職員室に連行していこうとした際 掴まれた手を振払いまた掴まれた手を振払ったら(組み手争い??) 間違って手が先生の顔面に当たった…ならいいんですが 自分の記憶的にも隠ぺいしているのか 言いにくいのか どうも 掴まれて振払った時に 同時に反対の手が相手顔面ややかすめてストレート気味のパンチが入ったみたい…な事を 言いにくそうに語ってくれました。

 ワンツーで 最初のジャブ打ち 引きながらツーで反対の手がストレート。そんな感じのイメージ。 再現してもらったら 下手くそながらストレートそのものでした。

 たった一時間の間の十数分のレクチャーでありましたから 修得したわけではないと断言出来るものの 私は まずい事になったなあと受け止めました。

 かといって 私が今頃になって 学校に関係者ですと のこのこ出ていったとて なんと私の立ち場を説明出来るか…考えあぐねてもしまいました。

 とりあえず 嫌いな先生とは言え 入学して数カ月で人をそう決めつけていたら 世の中に嫌いな人間を死ぬまで作り続けないといけないかわからないという事。

 校則に矛盾点を感じるなら いたらない言葉でもなんで主張しないかという事。

 短絡的に行動する事は 何にも先には生まないだけのテロ行為と通ずるものがあるのだという事。

 少しずつ『我慢』『辛抱』『押忍』の心と 小事に気にしない心を持とうやという事(私自身にも言っている事!)。

 嫌い苦手なやつだからこそ その隣にいてみる事もしてみたら 何か違うものが見えてくるかもよ…という事で 今回先生に手紙を書く事を約束させました(彼 稽古の知らせ等でメールを交わしているのですが 文章が素直な感じなんです。彼 文章力あります)。

 その文面では ひたすら謝る事を書きなさいと指示。

 そして休み明け 先生にはまっ先に謝りに行く事を約束させました。

 できるかな…。

 彼には 彼の後ろにいろんな人間が関わって控えている事。

 それが これからも増えて行くのだから 自分はどうなっても その人達には迷惑掛ける亊になったら…と考えた上で行動しなければならない事を言いました。

 煩わしいからひとりでいい…なんては 絶対無理なんだからとも言いました。

 一方そう言ったからには 私もその責任を負う事になっているのだから 例え親が私を恨む事があっても 他の方に迷惑を掛けるような事になるのなら それなりの『覚悟』をもって 彼を断じるぐらいの気持ちをこれから自分で考えていかないといけないと…と思ってしまった次第です。

 私に 新たな課題が出来てしまったようです。

 そしてまた 『覚悟』というキーワードが 目の前に表れて来ました。

 さてさて どうなりますか…。

 今日はハリウッド映画の関係者数名が、極秘でイタコの実体について相談に来た。某有名な作品の続編を作るそうだ。現実と演出は違うから難しいだろうなあ…。

 そろそろ今年も終わる。相変わらず進歩少なき年であったが、様々な武のご縁もいただいた。素手の格技の方が多かったかな?

 素手の体術や格闘技、武術がこれほど盛んに異種交流をやるのに、剣道、なぎなた、居合道、抜刀道、杖術、古武道などの武器術が、互いの交流を全くといっていいほど閉ざして、やらないのはなぜか? 危険だから?

 剣道となぎなたは、特別に異種試合をやることがある。ほとんど同じ防具と打突部位を用いるし、剣道式ルールだからやりやすい。なぎなたの方に利があると聞く。

 だが他の武器術は、すべて攻撃部位やルール、状況設定が異なっているからか、全くやらない。

 もうひとつは現在のライフスタイルからくる現実感であろうか。

 素手の格技、武術は、特別な用意をしなくとも、素手の暮らしの現代、子供の遊びなどの日常生活の中から、そして護身術に応用するなど、現実味を連想しやすい。

 だが現代、法律上武器の携行が禁じられている現代で武器術となれば、現実感が無い。

 現実感がなければ、稽古していても道場内限りの運動だと思い込んでくる。そして自分の種目技術が、そのルールによって限定された構造であることも実感できない。○○道の何段といっても、その競技内だけでの強さであるかもしれないということが。

 たぶん異種交流をやってみれば、気付くことは多いはず。今までわからなかった技術の効用が見えてきたり、仲間内でしか成立できない技術体系が崩壊したりして、パニックとなり、今までの基本を考え直すはずだ。私はそれを目指している。

 つまり、現代の武器術が想定している実践もしくは実戦とは、実は競技試合や道場稽古という、「人口空間」の中にしかないといえよう。

 しかしそれが、なんでもありの外での現実でも通用する武術だと認識してしまえば、とんでもない。傘一本あれば、どんなケンカも怖くないという剣道高段者がいたが、多いに勘違いである。乱闘に対応するには剣道技術だけではカバーできない。木刀を持って暴走族に注意に行ったが、やられてしまった剣道高段者のような悲劇が生まれてしまう。

 だからといって現在の体術系や格闘技が、そのような現実の武技を代表するとはいいがたい。こちらもルールの上での強さだといえよう。

 例えば、武器への対応が完成されていない。柔道高段者の警察官が素人のナイフに倒れた。現役有名格闘家が素人のナイフに切られる。どちらも競技場ではすごく強いのだ。でもそこから出て現実の世界と対峙したとき、我々と同じ素人となってしまう可能性がある。

 古武道大会。あれでは空手や柔道のような護身術にもならない、伝統を継ぐ行為のみが大事だ、というコメントには疑問を呈したい。かつての姿には、現実と何でもありに向かうシステムがあったのだ。それを稽古する現代の解釈が間違っているのである。漫然と古い伝統に酔いながら稽古するのと、この型は現実に何を要求するものなのかと稽古するのとでは、同じ型でも天地の開きがある。

 私は伝統に酔うだけで、意味不明な古き型を一生やり続ける「文化財管理者」にはなりたくない。その境遇に甘んじることは絶対に耐えられない。今ここで使えるワザを示すことが重要だと思う。普通ならば古きは捨て、自由に剣道や現代格闘技を選べばいい。

 しかし、選べない境遇に生まれた。個人が自由に選択できる時代だが。大きな疑問を感じつつ、古い型をいじくりまわしている。そして近代剣道との境界に悩んでいる。行くことも帰ることもできない。

 「こんな世界があるとは全く気付かずに、普通に剣道をやり、普通に昇段試験を目指していく方が悩まなくてヨカッタのかもな‥」当会創立の同志S氏も語った。

 「現代において何のために剣道を、剣術をやるのだ?」父に問うと「みんな好きで試合や昇段を目指してやっているだけで、そのように深く考えてやっている人はいないかもしれない。」と笑いながら答えた。

 「古き」と「新しき」に縛られた、我が動機と課題設定は、変わっていて誰も見向きもしない。目をつむって好きな方へ通り過ぎる人ばかり。だが実は古武道と近代武道の100年以来の課題と重なるのだ。

 誰か一人ぐらいは、ここに踏みとどまって悪戦苦闘する人もいなくては。それが私に与えられた役割で、私が解くべきライフワークとなるはず‥?その意味において、変化も選択支も少ない地方の古い剣術の家に生まれたことが、逃げられずに悩むための条件設定のためかと納得できる。(独りよがりの信仰か妄想ですが。)

 僅かでも、具体的な上達だけが「妄想か?」という不安を少し照らしてくれる。それをやらなくては私自身が救われない。

 今年の具体的な技術発見は、11月末から12月にかけての小太刀さばきぐらいしかない。でも私にとっては、今まで古典芸能だと疑ってきた家伝剣術の、一定の競技を超えた武術としての具体性を気付かせてくれた。今後の稽古眼目を教えてくれる、新たな希望につながった。

 修武堂の皆様を始めとして、今年稽古いただいた方々、当HPをご高覧いただいた方々、ご縁をいただきましたすべての方々に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 これからも精進してまいります。2006年もご指導よろしくお願い申し上げます!!

 正面への斬りを左へさばくとき、右前足がつっかえ棒のようにジャマになる。解消したい。「願立」の歩む二つの足で一つということ、家伝剣術の「斜の構え」で「一足から三足で満月に至る」こと、アイスバーン上の歩行が、感覚の中でなんだかつながりそうだ。その稽古には家伝剣術の「斜の構え」を使うらしい。

 また、小太刀のさばきで、なるだけ自分の脚、膝の力みを抜いてすべらせた方が、より速く深くラクに相手の側面に入っていけるようだ。そうなれば、正面への斬りをさばくと同時に、相手の顔面に小太刀の柄の当て身が、意識せずとも自動的に入る仕組みとなる。

 また残身だといって小太刀を肩にかつぐことは、実はカラダ全身の浮き身につながる気がしてきた。昨日テレビ「世界ウルルン滞在記」で、ベトナムのハータイ省ズーサー村の古武術「天門道」が、川へ長いゴザのようなものを浮かばせて、沈まずにその上を数十メートル走り渡る曲芸をしていた。俳優の一太郎氏がチャレンジしていた。

 川を渡るとき、お菓子のグリコマークのように両手を真横に高く広げて走るのだが、いわゆるナンバ走りとなり、甲野師範がいう、火事場で阿波踊りのように逃げる昔の人々の走りを彷彿とさせる。私は家伝小太刀の経験から、動きの中で腕を上げることで、走りにも浮き身がかかって沈みにくくなるのでは?そして、刀を持つこと自体が、浮き身と全身の連動につながることもあるのかな?と勝手に連想した。

 いずれにせよ浮き身になるから、地表でもラクにカラダを滑ることができる。今まで滑るのが怖くて、日本武道館でも足袋の裏に水を含ませることを、他流の師範らから教えていただいた。だが、しっかり蹴ってフットワークを使う徒労感を知った今は、むしろ滑った方が抜群に効果があると思うようになった。

 もしかすれば、家伝剣術型で要求されている動き自体、脚力を否定するようにし向けられた構造なのかな?まだなんともいえないが。

 といってワザと?ツルツルの夏靴で冬道を通勤していた。目の前の交差点でステーンと後頭部を強打し、動かなくなった男性。周囲の歩行者が駆け寄り救急車を呼んだ。明日は我が身かと弱気になって滑らない冬靴を購入。

 そして、小太刀の体当たり。以下の「五輪書 水之巻」を連想させる。

「一 身のあたりといふ事

 身のあたりは、敵のきわへ入りこみて、身にて敵にあたる心也。少し我顔そばめ、我左の肩を出し、敵のむねにあたる也。あたる事、我身をいかほどにもつよくなりあたる事、いきあふ拍子にて、はづむ心に入るべし、此入る事、入りならひ得ては、敵二間も三間もはげのくほど、つよきもの也。敵死入るほどもあたる也。能々鍛錬あるべし。」

 相手が正面へ斬り込んでくる動作と同時に、さばきつつ、左肩から体当たりで突き飛ばす。袋竹刀でやると打ち込まれてしまう。まだできないが、前述の型ができた勢いで現実的なヒントが見えそうだ。うまくいけば、斬りの途中で身構えられない相手の側面に、ぶつかっていくことになる。

 私は大学時代、ラグビーサークルでウイングとフランカーをやっていた。何度かタックルしたり、受けたりして、気絶したり骨を痛めたりしてその実感を学んだ。

 しかし衝突ポイントを予測して受け止めたタックルと、ポイントを読み間違えたタックルでは、同じ力でも衝撃の浸透力と心理的インパクトは全く違う。動きの途中で、予測をはずされ、左脇から心臓付近へ受ける体当たりが、場合によっては「死入る」ということもウソではないだろう。

 これは小太刀の型稽古の体感から連想した。人前で演武したとき。父の正面斬りをさばきながら、その左側面に体当たりしたとき、勢いあまってお互い予想衝突ポイントがズレ、私の左肩の衝撃で、父の左腕が木刀からはずれて跳ね上がり、その鍔が私の右目に入った。 一瞬激痛がはしり視界がふさがれた。打ち合いの中、有効打突にはならずとも、無数の攻防がカラダをかすめていることは、剣道防具では感じない世界である。右目が見えずとも連続して来る相手の太刀をさばかねばならない。まばたきせずに最後まで型をやろうと努めた。本当の斬り合いならば‥と考えた。

 今日は剣道稽古の帰り。久しぶりにマシントレーニング室へ。ランニングマシンで40分ほど走りながら、小太刀を片手に駆け寄ること、走りながら抜刀することをイメージしてカラダの使い方を工夫する。

 道具を使いながら、素手で戦いながらの走りは、両手を交互に振り、カラダをねじるオリンピック式走りでは、何もできなくなる。だからやはり腕を振らない、ナンバの走りとなってしまうのではないか。そして速さは関係ない、道具を扱いながら、いつでも全身と進行コースを変化できるという複雑なカラダの使い方が必要とされるのかな?

 周りの方を見れば、ダイエット効果のためか?必要以上滑稽なほどに手を振ってカラダをねじる女性もいた。その中で独り、左右の手をダラリとさげて幽霊のように走る私は異様であったろう。振り返って考えてみれば、家伝小太刀の型自体、右手に小太刀をブラリと下げ、足はハの字で走り寄るので、どうやっても手は振れないのだ。西洋の手を振りねじる走法がスピードを競うものであるとすれば、手を振らないナンバ走りは走行中に道具を扱い、しかも左右に急変更ができる実用のものであるといえるのかもしれない。

 他のマシントレーニングも多くの若者で賑わっていた。バーベルやダンベルを上げたり、マシンに歯をくいしばる人々。何かの種目強化の補助としてやる方もいれば、トレーニングそのものが目的と化している方もいる。

 10年前は安いマシンジムを買って必死にトレーニングした。やるほどに筋肉はついたが、竹刀の振りは遅くなり、微妙なコントロールができなくなった。

 今は全くやらない。トレーニング理論を知らないので、どうしても限定的された単純な運動に見え全く興味がわかない。人間のカラダは、マシンだけですべてがカバーできるほど単純ではないと感じるからだ。

 人間の複雑な動きの中から、ホンの一部を切り取ってくり返して強化するマシン。だがそれで作った動きを、全体の動きへ返して組み込もうとしても、パズルのようにあてはまるのかどうかな。

 だって人間の動きは全身の協調である。例えば、似顔絵を描く人が眉毛ばかり練習してもダメである。どんなに素晴らしい眉毛でも、顔全体のバランスの中から決定されていかなければ、周囲とかみ合わない異物となる。それに実際のパフォーマンスでは、自分でも気がつかない筋肉が連動している場合が多いのだ。

 よってマシンで強化した動きは、実はマシン相手にしか通用しない力となるのではないか?実用の力は、そのものの動きの中から養成した方がいいのではないだろうか?

 先日からいう小太刀のさばきも、ランニングやマシントレーニングからは全く解けなかった。今このトレーニング室に立って、どのマシンがそのさばきの鍛錬に結びつくかと考えても、どれも全く関係が無い。剣にひかれて進むこと、膝を抜いてさばくことは、どのマシンを使ったら鍛錬できるのか?やるほどむしろ、抜くべき膝は固まり、動きを阻害する方向へいきそうな感覚がした。

 何も知らないものがいう古い考えです。すみません。トレーニング理論が進化している現在は、もっと素晴らしいマシントレーニング方法が存在しているに違いない。でも、それが一般には普及する前に、マシンにとらわれて限定されたトレーニングに没頭している人々がたくさんいる。

 私にとっては全く変化しないマシンを相手にするより、常に変化し、先をとったりとられたり、騙したり、騙されたりする、人間相手の武術稽古の方が、はるかに複雑で難しく、現実に対応する運動でエキサイティングだと、トレーニング室の若者達にオススメしたかった。

 友人の結婚式の司会をやった。

 生まれて初めてだ。なんでまたこんな私に頼むのか。人前でしゃべることは慣れているはずが、失敗が許されない場ではキンチョーしました。

 アガルとしゃべりもパフォーマンスも速くなり、周囲の変化を感じ取って反応する余裕が無くなるもの。独りよがりだ。

 だから、緊張する自分に対し、冷静に見つめるもう一人の自分をしっかりキープする。それに手綱をとってもらいながら、はやる体内リズムにブレーキをかけ、約100名の人々の揺らぎを眺められるよう自分を騙す。

 台本をもらったが、変化する大勢相手にセリフ通りやろうとすると失敗する。だからハナからキーポイントだけ押さえ、後は臨機応変でいく。すると正解が無いのだから失敗もも無くなる。ミスもその場で成功へつなげていく。

 それに観衆100人VS私1人の対決だとビビル必要はない。ほとんどの観衆は全体の雰囲気に身をゆだねた固まりとなっている。場の立場上、主体的にリードするモチベーションは司会しか持っていないともいえよう。そう思えば全くの不利ではない。武術と似ているなと思った。

 と偉そうに書くが、失敗ばかりでお恥ずかしいものだった。いい勉強になりました。

 K氏からお借りして、佐藤愛子氏の著作『私の遺言』を読んだ。

 ご高名は存じ上げていた。作品は初めてだ。写真で拝見するご尊顔。大坂生まれと伺うが、失礼ながらお顔は、面長で目鼻立ちがハッキリとした津軽に多い顔、私と同類とお見受けした。やはり同じ旧弘前藩士の末裔だそうだ。ちなみに太宰治の顔もムラ調査でよく見かける津軽顔といってよい。

 藩士時代、佐藤家はうちと同じくらいの家格だそうで親近感がわく。だが近代以降、佐藤紅緑氏、サトウハチロー氏、同女史など、その隆盛振りは我が家と比べ物にならない。

 昔カタギで、カンタンにはゆずらないという佐藤氏が、別荘に起こった怪事件から、霊界の存在を認めざるをえなくなり、立ち向かった三十年間の実話。歌手の美輪明宏氏から「武士の家は人を殺しているから因縁が深い」と指摘されたそうだ。

 とすれば…、うちもそうだよなあ‥?

 人殺しの剣技を代々多くの人に広めてきた。どだい、戦国末期の一時期以外は文官だった佐藤家に較べ、それより前から後までずっと武官だった我が家の方が、直接、間接に、たくさんの人を不幸にした可能性が高い。だから21世紀なのに子孫は、未だ刀が手から離れない人生となっているのか?やはり呪われた一族かなあ~。

 一族で幽霊を感じる人間はいない。私も民俗研究で全く度外視してやってます。年がら年中、シャーマンや民間信仰を調査しているため、カンタンには信じない。第三者の眼から人間の心意、俗信、ひとつの習俗、文化として記録している。

 友人に新興宗教へ連れていかれたことも何度かあるが、なかなか信じられず、あれは論理のすり替えだな、これは既成宗教のパクリだなと見破ることは少々得意かな。

 でも実はたった一度だけ、見えない世界に衝撃を受けた経験がある。そのときはトリック?が全く見破れなかった。合理的説明ができなかった。これから先は全く信じがたいおお話です。

 相手は、宗教家でもなんでもない、20歳になるかならないのフツウの女の子。だが「そのとき」だけは全く別人、卓見した老人のようになる。そのH女史によれば自らの背後に、「大きなお爺さん」がいて教えてくれるという。

 その方を通じて「ある存在」との対話ができた。ド素人に、隠された我が家の伝書の中身を一瞬で透視される。無神論者の警戒心がほどけてしまった。ここで疑問のすべてをぶつけなくては一生後悔する!と、矢継ぎ早に家伝剣術の質問をぶつける。私と先祖以外、誰も知らない内容を、さらにその奥まで、なんで即答できるのだ…!?

 当時、何も信じない投げやりな生活をしていた私は、己のライフワークを諭された。広い世の中から見れば、我が一族だけのささやかな宿命だ。剣術の再生を志し、アチコチ歩きはじめたのはまもなくだ。

 数ヶ月後のクリスマス。稽古帰りの中央線は恋人達で賑わっていた。新宿駅で独り「見つけたぞ!うちの剣術は蘇えるぞ!オレほど幸せな人はいないかもなああ…!」とニヤニヤする私がいた。周りは、破れたジーンズに模擬刀を抱いたアブナイ男だと怪しんでいたろう。でも、とてつもない希望と喜びにひたっていた。

 今、冷静に思えば「知らされた」というより、「うまくノセられた」のかもしれない。H氏の語りはすべてが事実ではないかもしれない。冷静に振り返れば、事実に数パーセント私の期待が混じって事実が変形したこともあった。そうとしても相手から、一瞬にして大量かつ複雑な情報をとる読心術の天才だ。それでも合理的には説明できない部分がたくさん残っている。数度みていただいた後、H氏にお会いしたことはない。私が啓示をいただくためだけのご縁であったといえよう。

 ホントかどうか。今では調べる方法も無いし。私にとっては必要情報をいただいたことだけでいい。まあウソでいいじゃないか。啓示だと思い、一生覚めないバカでいくのも立派なこと。どうせ他によりどころも才能も無い。独り「背中を見えないチカラが支えてくれる」と、そのつもりになってアホウが、知らぬがホトケ、断崖絶壁を渡ってしまったら。

 それから10年。口先だけでなんも進歩無し。だが先日以来の小太刀。芽が出た程度だが、1年前までの私にすれば「ウソでしょ?できるはずないよ」の世界だった。

 その乗り越え方も、苦労の果てにやっと習得できるのだろうか?というイメージを裏切り、できない?という固定観念を捨て、別に発想を変えただけ。あまりにあっけない。手応えが無いからホントでできたなのか、ときおりチェックしなくては不安だ。

 こんな展開になるとは思いもよらなかった。遠くを求めたが足元にあった?という極意歌ではないが、少しできた後で、今までのやり方の問題点がリアルにわかるようになる。今まで「どうして具体的にわかりやすく教えてくれないの」とひねた。でもこの経験で、身体を他人に正確に伝達することの難しさがわかった。「あの意味不明な言葉は、ああいうしかないのだ。一番具体的な説明だったのだ」と。

 特に「足で蹴ると間に合わない」「ねじらない」「足は置き物なり‥手に引かれて行くぞ」「熟していくことが大事だ。20代でできなかったことが、30代でできるようになり‥」という言葉が、私にはリアルな現実となりかけている。

 なぜ相手の斬りをさばけるのか?説明しようと体育学で測定器を使ったり、モーションキャプチャーで記録し、達人技を科学的に分析しよう。それは現象の表面をなでているだけだ。幼い頃から感覚的に疑問だった。

 条件が全く変化しない、条件が限定される無生物ならば、固定した視点の科学的分析でとらえられよう。だが変化しつづける人間はカンタンじゃない。普通の剣道の面打ちでさえ、相手、自分のそれぞれのカラダの内部や意識の変化、互いの関係など、膨大でしかも変化しつづける様々な条件。その膨大な無数の組み合わせと情報を、言葉や数値、映像で説明しようとしてもしきれるはずがない。

 その意味において、人によっては、武技も霊感同様、再現性が低くく、合理的に説明できない不思議の世界といえる。悪霊が見えるH女史にとっては、それをはねかえすチカラがあるという剣技が不思議の世界だったが、それぞれの適性分野が違うだけなのだろう。

 人のココロ、ご縁も不思議の世界だ。人間の思考や感情も科学的に説明できるといった単純なノーベル学者がいた。でも世界のすべてを説明するには、まだまだ科学は心細い。

 以上、不遜にもわかったふりをした。だが未だに武の入り口にもならない。氷山の一角、いや1パーセントにも達しない小さな小さな歩み。実感をともなうささやかな希望をやっと感じたにすぎない。このかすかなヒントをもとに他の扉も開けたい!という信仰が強くなる。神仏を信じていない私は、実は迷信の世界にいるのかもしれないな。

 先週は、浅虫温泉の小学校へ出前授業。

 吹雪。校庭はすべて深雪に沈む。我々のワゴン車が突進を繰り返すが、埋まって動かない。膝までぬかり、車の進路を掘って会場へ導いた。20名の子どもたちが待っている。

 津軽では毎日、雪の下から、人間社会を掘り出さなくては、我々が消えてしまう。

 今年だけで、県内各地の小中学校を約50校回った。イベント行事も含めれば、約1万5千人の児童生徒の前でしゃべったことになる。

 各校体育館の多くは老朽化している。子供たちの夢をうたう校歌、昔の卒業生による版画が掲げられている。版画は失われたムラの繁栄を映す。多くのムラ人が、山野に満ちあふれ、ムラ祭りでは乱舞している。

 今は少子高齢化、人口減少、経済の悪化が急速に進むふるさと。人々のエネルギーはどこへ消えたのか。まるで失われた神話だ。

 テレビでは、首都のクリスマスを彩る、電飾の巨大な固まり東京ミレナリオ。ウットリと歩く人々。反面、原発があるのにふるさとは真っ暗だ。やはり原発は、電力を大量に使う土地でこそ必要なのでは。ウットリと責任はセットでお願いしたい。

 帰りの電車は吹雪で進路を見失い、峠の大釈迦駅で約1時間立ち往生した。閉じ込められた車内で、みんなイライラ。人間の造った交通機関は自然の前になんとモロいことか。毎日のように遅れている。閉じこめられた車内で眠る人、週刊誌をめくる人、メールを始める人。ここもFOMAがつながりませんよ、ドコモさん‥。

 私はお陰で、「願立剣術物語」を最後までジックリ読めた。

 でも私の低レベルだから、一部しか理解できない。大掛かりな解析プロジェクトがあるようだ。だが今はこのまま、自分の体感で何度もかみ締め、読み続けることがベストか。

 たぶん大筋はこうだ。(章ごとの意訳は別の機会にする。)

 こうきたら、こうしよう、ああきたら、ああしようという、小ざかしい工夫には終わりが無く、そんな目先のことに命をかけるのことは全くアテにならない。

 その果てなき迷路を抜け、自ずと勝ちを得るためには、自分の病を去って「正直を立てる」ということらしい。なんでもマニュアルに迷う現代人は耳が痛い。

 だが現実に、どうすれば、「無病の身」になり、「正直を立てる」ことになるのか?

 ここで現代武道人が読めば、ハタと膝を打つ。「そうだろ!だから、稽古を通じて悪いクセを直して、昇段試験に合格するような「正しい構え」を作ることが大切なんだよ!」 残念ながらそれは全く違う。史料を読めば、既存の「正しい構え」こそ、「病の身」だといわれそうなのだ。

 この「無病の身」は、史料を読むほどに、そのレベルの高さが想像できる。それを追求することは、凄まじく、カンタンなものではない。

 「筆舌に尽くしがたい」という「無病の身」。確実に存在していても、霧のようにあいまいで、言葉、数値、映像、モーションキャプチャーでも記録は無理。自転車の乗り方を言葉で説明しなさい、と言われて困るのと似ているかも。

 「カネで手に入らないものは無い」と拝金信仰を豪語した○リエモン。無理なものはあります。だって市場に売ってない。それをハッキリとつかみ、現実にカラダで示せる人が、過去に何人かいたようだ。ほとんど奇跡に近い。

 ただ、当時の多くの武士でさえ、目前の師匠をリアルに感じながら、習得できず、記すしかなかった。だから、カタチばかりの形骸化もあった、理屈ばかりで神秘化してしまうことは紙一重であったろう。わかったつもりで立ち会ったら、バカバカと打ち込まれてしまう、私のようなアホ武士だって多かったろう。

 その習得する超困難さに、カンタン誰でも、あるレベルまでならスグに強くなる、シナイ打ち稽古が流行したのも無理はない。

 しかしだ。高度な人間の能力開発には、ため息の出るほど長い時間と、無数のトライ・アンド・エラーが必要とされる。大器晩成というではないか。それに何が未来につながるものなのか人間にはわからない。だから何がいらないものなのか、何が大事なものか、わからないまま歩み続けることも大切なのだ。

 でもその余裕を許さない、ソッコー性とわかりやすい即物性しか見えない「ガキの時代」が来ている。特に文化、教育面の削減については目もあてられない。なのに、外国人向けに日本文化の観光で売り込む国家戦略だというから、矛盾している。

 我々は今後、経済効率と、マスコミに操作される「大衆の意見」、今ここで役に立つか、立たないかという小さな眼で、世界のすべてを知ったつもりになり、人類が積み重ねてきた多くのデータベースを切り捨てていくだろう。「こんなものいらない!」とカッコつけて気持ちよく?。

 そしてその余裕の無い狭い眼は、自分自身をも「まあまあ、人生こんなもんよ‥」と過小評価することにつながるだろう。金が無いのはわかる。私だって無い。でも捨ててはいけないもの、未来への重要なデータが、無意味な闇の中に潜んでいるような気がする。

 アントワーヌ・ド・ サン・テグジュペリ 作「星の王子さま」も、「大切なことはね、目には見えないんだよ」と言ってましたなあ。隠れていたものの重要さ、見えなかったチカラに気がつくのは失った後だ。リアルな痛みとしてくる。倒れながら「そうか、こんなに大事だったのか‥、あのとき‥、でももう‥。」。手遅れもある。

 私はそれをカラダの使い方で実感した。意外な筋肉が、意外な役割として、全身にとって欠かせない存在であることが、ケガして初めてわかった。

 「無駄なもの」をそぎ落としていくことは、願立の「無病の身」にもつながる大事な行為だ。私もアクセサリーゴテゴテ感は大嫌い。シンプルが大好き。腕時計やアクセサリーを付けただけで、全身が歪む気がする。

 しかし、現代の捨てる感覚と、願立が大きく異なる点は、「何が本当にいらないものなのか」「本筋は何か」よくよく吟味しているかどうか、ということだと思う。

 一瞬で捨てた大事なもの。再び発見し取り戻すには、気も遠くなるような数世代にわたる時間と、無数の人生のトライと失敗、運、が試される。耐えられるのか?その覚悟があるのか?

 韓氏意拳を学び始めて,そろそろ1年になろうとしている。初めて受講したのは,今年の1月30日に開かれた,山形県米沢市での光岡先生(韓氏意拳日本分館代表)の講習会だった。余談だが,その冬は雪が深く,雪かきや屋根の雪下ろしが大変であった。今冬は,あれ程降らないよう祈っていたのだが,ここ数日,12月には珍しくかなり降り積もっている。

 さて,今年の1月の当修武堂の定例稽古の際に古剣氏のお誘いを受け,それをきっかけとして,修武堂会員のうちの4名で米沢まで講習会を受けに行くことになった。事情により,私は他の3人に先駆けて,一人で仙台発の高速バスで米沢へ向かったのだが,最終便だったので,米沢に着いた時は,夜9時を過ぎ,人通りや車通りは少なかった。バス停留所がバス会社の事務所のあるところだったので,一人残業をされていた方にホテルまでの道を聞き,歩いてホテルへ向かった。地図で見ると近く見えたのだが,実際歩くと以外と遠く,道路も融雪装置で雪が半分とけた状態で水がたまり,靴の中も濡れ,「タクシーを呼べば良かった」と悔やんだ。

 そしてホテルに着いたが,そのホテルはまるで個人で運営されているような印象で,フロント近く以外は暗く,受付にいた年配の女性は,眠そうなお顔をされており,迷惑をかけたようで申し訳なかった。

 さて,1泊して次の日,いつもは朝食を摂らない自分には珍しく,朝食を摂ったのだが,そこの食事は,まずご飯が,お代わりがすぐできるようにか,小さいおひつに入って出てきた。それと,おかずも一品一品の量は少ないが品数が多くて,なかなか豪華であった。

 朝食の後,準備して出かけ,いよいよ受講した訳だが,私が受けた印象は,今ひとつよくわからなかったものの,理論・考え方と実際に体を動かして学ぶことの間に齟齬がなく一致しているようだ,というものだった。

 そのことは,光岡先生と甲野師範との対談本で,既に出版されている「武学探究」にも書かれており,私が「韓氏意拳を続けていこう」と思った理由の一つでもある。韓氏意拳では,最初に「自然舒展(自然で伸びやかな状態)」そして「一形一意(一つの動作をする際には,意(体を動かす脳からの命令)も一つのみとし,動作と意のタイムラグをなくし一つのものとすること)」が大事だと言われるが,講習の最初から話だけでなく,実際に動く時にもそれが求められるのだ。当然,初めて受講した私がそのように動けるはずもないのだが,そういった形で講習会が進められるのを体験し,それが続けていく決意に繋がったと思う。

 また,帰宅した後もしばらく一人で練習していたのだが,やっていくにつれ,以前の自分と比べて動きが速くなってきたような感じと,今まで意識にも上らなかったような体の部位が動いているのが時々感じられるようになってきたことも,続けようと決意したもう一つの理由である。それが韓氏意拳で求めることかどうかはわからなかったが,その時点では,かすかではあるが,自分とっては明らかに変化が見られたことが「これは本物だ」と判断した理由である。

 このようにして私は,生来の凡才がどこまで行けるかわからないが,韓氏意拳を一生をかけてやっていこうと決心した。

  最近 古剣氏の家伝の剣術の『型』の検証におつき合いする事が 増えて来たような…。

 部外者だから思う勝手な解釈意見を言いつつも『型』は『型』としての赴きを失わないようにさせないと 氏の祖先が「勝手にかき回すな」と化けて出てこないととも限りません。

 その方便なのでしょうか「ならば修武堂の型としましょう」などと 屈託なく古剣氏は笑っています。

 『型』というのはどんな位置付けにあるものなのか…と 今さらながら考えてしまいました。

 昔は読んだ柔道の教本での それぞれの技の型は その通りしようとしても どことなく自分のオリジナルになってしまいます。体の状態が 皆それぞれ違うわけですから 仕方が無い事。

 東京オリンピックの重量級金メダルの故猪熊氏の事をお話してくださった方は 「猪熊先生に『背負い投げ』について書かせたら 本一冊出来る」と言っておりましたので 『型』は その人その人で実戦の中で変化させる基準点なのだなあと思った事があります。

 そうやって考えて行くと 『型』一つに対していろんな解釈を創造させてしまう事や いろんなエッセンスを注入させてしまうのは とてもフリーな状態なものですから当たり前だと言えますので 問題は『型』というのは その『基準点となるべくあるもの』という事を意識したものでなければならないのだなとも思いました。

 あまり『型』の時点でいろんな解釈やいろんなエッセンスつけてしまうと 創造出来る面白みもなかったり神秘的な演出をされたあまり歪んだものになってしまったり 違う方向に行ってしまうのです。

 違う方向というのは 新発見されたもの…という場合もありますから一概に悪い事ではないとも思いますが なんと言いましょうか 『型』の表演を観てもビビっと来ない『単なる動作』としか映らないものもや 「え~~?」とちょっと眉間にしわがよってしまうようなものが 私的にはあります。

 でも中には 古文書を読めるような自分に読み解ける技量があれば その深遠に触れれるものもありましょうから 否定的見解は軽率ではありますが…。

 古剣氏の剣術の『型』の検証のおつき合いさせていただいて 色々意見言いながらも後で後悔する事は 祖が型を編まれた時代や環境状況を知らないで 口出ししている身の程知らずの造詣浅い自分が そこにいるという事。

 浅学で申し訳ないのですが 剣術は甲冑を着てでの場合と 平服(着物)を着てでの場合とでは 剣術もその有り様が変遷して来たと聞きますから 純粋に編んだ型の意味合いを知ろうとすれば それにまつわる色んな事を テーブルの上に並べた上でないと 本当は正確な解釈を言えたものではありません(柔道だったらそんな事考えた事なかったですが 恐らく古式の柔術の『型』の検証するなら 同じ感じになっていたかもしれません)。

 そう思いつつも 古剣氏のお父上ご祖父上が演武なされたビデオを観て 前の時点では ただなんとなく『型』なのだなあ…という程度だったのが 最近は どうしてこんな動きなのだろう?とか 奥伝の型などに至っては 時代劇の殺陣のように段取りよくうまく決まればいいけれど…と思う程 そういう技として繰り出すのには 相当の修練と胆力がいるなあと 臆面も無く思ってしまいました。

 すっと躱してエイッと斬る…奇妙キテレツな大技ではなく 型としてするには 失礼ながら私でも練習すれば出来そうなシンプルな動作…技(他の型の方が 演ずるだけなら難しそうな手さばき足さばき体さばきです)。

 でも 実際はそんな上手く行くわけない…から 奥伝の技なのだなあと思わせてくれます。

 中国拳法などは 実に巧妙に『型』の後ろに色々な用法(バリエーション)を折り込みまぎれさせているとも言われていますが 結局フルイに掛けられてシンプルな一手(演じられる型)みたいになっても行くとも聞きます。

 柔道だって上手い方のを見ると たとえ猛稽古の末 色々文章に出来ない程の事がその中に折り込まれているとしても 結局教本通りなきれいな技…と思わせられてしまうものですから 剣術の型を自分の技とするべく…そして実戦用に動きを融かし込んで 使えるようにしたとしても 研鑽すると結局 『型』でやってみせている動作にしか見えなくなるのかもしれません。

 そうして考えると 何気なく使っていた言葉ですが 『型』を『技』とする… 私らが柔道などの教本を見 または諸先生先輩方から指導を受け 自分のものにしていくというのは まさにこのプロセスであり 何の特別のものではないのだなと思えます(私は差程柔道センスがなかったせいか 自分の指導する技の掛け方が絶対のように言う先生には 反発してもいましたが…)。

 なんか剣術だからと言って 違うものではないと思えるようになりました。

 私らのやっている事は 『型』の検証をして 実際の『技』としてなるようにしている事であり 『型』をいじっているわけではないのだと思うと 気持ちが楽になりました。

 さらに 道具(武器)を使う術というのは 何気なく感覚でしてしまえも出来る体術と違って 体だけでなく頭でも理解して また道具自体の特性(太刀で言えば 『反り』とか『柄が何ゆえ丸棒ではないのか』とか…)という事も理解してやれないとだめなんだなあと 『型』の検証におつき合いして思ったのでありました。

 なんか 書いている内に すごく当たり前の事を書いている事に気付きましたが 御容赦御容赦…。

 さてさて 稽古日誌ジュニアの部。

 中学柔道ボーイズのH田くんとMくん 総合格闘高校生Hくんと それぞれの雰囲気が飲み込めてきましたので すこしづつ独自メニューを加えれればと思案しはじめています。

 Hくんは まだ子供の頃に遊びの中で培ってくるような動きが不十分なような気がしたので 走ったり転んだりごろごろしたりと いろんな動きをさせながら 身体能力を上げていければ…と思ったのですが もう体の成長はその過程を過ぎたので もっとアイクティヴに足腰からじょじょに上に向かっての筋力をつけるメニューを考えねばと思って あるところでいらなくなったボートこぎマシンを借りてきて与える事にしました。

 ただしガンガン回数をこなす事をしないで どういう風に力を伝達したらいいか考えさせるため 弱い負荷でゆ~っくりやる事を指示。トレーニングマシンを使うのは本意ではないのですが ノリは太極拳のような感覚です。

 目的は 足首膝回りの筋肉と オールを握った時の握力の強化です。足首膝そして股関節などは 四つ足歩きや四股などで伸ばされていますし 手首は天性の柔らかさを持っているので OKかなと思ったからです。

 問題は上半身なのですが 固いのでもう少し地道に…と思っています。

 最近ダンベル買ったらしいのですが まあ今は力こぶつけるだけが精一杯の使い方しかしていないので 別に何も言っていません。

 部活に行っても 上手く溶け込んでいないようなので そんな練習に出ていないけれど 何かしらしようとしてるのですから いいかなと思っています。

 でも 来年は二年生。何とか 形を付けて試合にも望ませてやろうとは思って 今合気道の会で 体軸の体感と体のさばきを覚えてもらう意味で ご父兄の都合のつく限り行かせています。

 後は 前私がコーチしていた柔道少年団に行かせる段取りもつけました。

 あくまでも理想は 体操競技の選手のようにやっている運動の中で筋力その他の能力がついてくるといいと思っているのですが ちょいと巻くところは巻いてやろうかなと思っています。

 勿論 私は専門家ではないですし 専従で何かしてやる役目を負っているわけではありません。

 私のツテを初めとした 道具立ての範囲での事。それで 助走がついて行けば 彼は勝手に進んで行く事でしょう。それが 最終目的なのです。

 次ぎにMくん。いかにも柔道しているって感じなので まだ他のスポーツが出来ない音痴になってしまうのはまずいので 支障が無い限り 別のスポーツをさせる事にしました。

 今回はHくんが ボクシングをやっていますので 彼に今日はストレートをレクチャーしてもらいました。

 これには 別の思惑があります。『教える事で覚える』という事をH田くんにしてもらう為と さらにH田くんには技術力の次ぎに彼に備えてもらいたい『戦闘意志』を芽生えさせる為です。彼は格闘プロになりたいと言うのですから…。

 こういう方法がいいかはわかりませんが 教える事で芽生える『自覚』の上に成り立つパッション…単なる『怒り』というのではなく『激しい感情』を持ってもらいたいのです(熱中先生ってやつです)。

 もの静かで優しい彼なので それはそれでいいのですが その上にプラスするには…という事を考えています。

 私は 彼のセコンドやトレーナーになるつもりはありませんから そこまでは…と思うのですが やってもらっているメニューの意味を一応説明する為には そういう部分を見据えた事でやらないと…と思うからです。まあ 性分ですね。

 もっとも本当なら 群雄割拠する地で自らを刃物に研ぎすます術を見い出し ハングリーに自分を追い込んで行って 試合の場数で芽生えさせる事が 格闘技でプロになるための早道だと思うのですが ならばこの田舎では限界があります。

 でも この地にいる事は無駄ではありません。ここでの事が 『ママゴト遊び』と思うかどうかは彼の考えひとつなのです。

 ともあれ 教える事で 逞しくなってもらおうじゃないの!ってえのが思惑です。

 彼は 『ヤラナケレバ ヤラレル!』『クイコロシテヤル!』『アスノメシノタメ』…etc。どんな 戦闘に対する意識でやって行くかは判りませんが そういう事のスイッチングが必要性を覚えてもらえればいいかな…と思っています。

 あれあれ Mくんの話しをするつもりが Hくんの話しにすり変わってしまいました。

 まあストレートとフック場合によってはアッパーだって 柔道の組み手には使えますから MくんそしてH田くんに覚えてもらえるのは一挙両得です。

 本当は 前蹴り ローキックだって 使い用はあるのです(反則ぎりぎりですが…)。そこいら辺は 今度合気道の先輩であり躰道もやっているH山さんにレクチャーしてもらいましょうか(この稽古日誌読んでいるらしいので話しは早い??)。

 今回の稽古では面白い実験をしました。

 幅は狭いが長さが長い板と 幅は広いが長さ短い板を用意し 丸棒の上に起き 各自乗ってもらいました。

 バランスボードです。ホントは買ってやれればいいのですが そういう訳にはいきません。

 総合格闘高校生Hくんは 幅は狭いが長さが長い板でのバランスをとるのには苦労しましたが 幅は広いが長さ短い板では 前者程ではありません。

 中学柔道ボーイズMくんは反対の結果でした。

 Mくんが 幅は狭いが長さが長い板でのバランスを Hくんよりはとりやすいだろうとは予想してました。

 推測ですが 長い板では足を広げる幅が広くなり安定します。Mくんのように柔道をしていると 足の裏全体に体重が乗るように立っているので 足の裏の重心点の位置の自覚が出来ているような気がします。

 そのイメージを保てさえすれば 足の裏の長さより狭い板でも 重心の位置がブレずにいやすくなります。

 片や Hくんは上半身を強ばらせ気味な上に つま先立ちでの身体運用が多いせいなのか 重心を柔軟に移動してバランス保持修正するのを難しくしているのではと考えています。

 必然 足の幅を開いて安定する要素を与えても 足の裏が全部乗らない板の上では ようようバランスを保てなかったのではないでしょうか。

 逆にMくんは 肩幅胸厚の凄くある体型。つまり だまっていても重心が高いと考えられます。幅は狭いが長さが長い板で足幅を広げた場合では それでも柔道で鍛えた足の裏全体で乗っている感覚を保持出来るとバランス感覚で保てますが 肩幅よりやや狭いぐらいの長さの板では いかに幅がある板でも 難しかったのかなと思いました。

 ともあれ その板と丸棒をHくんに貸しましたので やってみて少しでも身体感覚が変わって来たとなれば めっけもんです。

 実は 講習会の当日夜 十数日前から入院していた伯父が亡くなりました。八十余の生涯でした。

 本当は 状況的には講習会の運営に携れないぐらいでもあったのですが 病床の傍らに居ても何もしてあげる事はありません。

 ましてや 親父代わりで私ら親子を育ててくれたとはいえ 病床での係わりは連れ合いである伯母をはじめ子供ら孫達が主ですから 我が一家は一歩引いたところで見守る立ち場となるのはしかたがない事でした。

 もっとも 伯父が口が満足にきけたら あの伯父の気性からすると『来たからってどうにもなるもんじゃね~。何が出来るってよォ。』と言っているような気もしました。いつも 入院すると そんな感じでしたから…。

 事実 入院しはじめの数日後(実は秘密にされてました) 見舞いに行くと『答えるのも苦しいのだから帰れ』とばかりに 手で追い返す仕草をされた程。

 でも来たからには 何か思いを告げたくて 「喰えるようになるよう 頑張ってよ。人間喰わなくなったら 死ぬんだって オレに教えてくれただろうに。」と 満州帰りの兵役経験者の伯父に言い含めるように帰りました。

 踵を返して帰ろうとしたら 私の背中に向かって『わかったから もう帰れ…』そんな仕草をされたような…。

 ともあれ不謹慎ながら 実は私ら兄弟達間では 伯父の高齢化にともない枯れて行く様を見て 『覚悟』して置く事をずうっと以前から申し合わせていました。

 何ごとにおいても『最後』『しまい』はあるという意味で それが現実味を帯びて来たという事を 頭にインプットしなければいけなくなって来ていたからです。

 血の繋がりが従兄弟程は無い事は事実でありますので 肉親とは心情が違うからなと その言い様が薄情と言われてしまうと困ってしまうのですが…。

 私は これは当事者の問題で 当事者以外の者は いかようにあっても関与する事は出来ないのが『死』なのだと ずうっと色んな方々の死での別れで思い知らされて来ました。

 本当は 魔法でも超能力でも心霊現象でもいいですから『奇跡』は信じたい…いいえ信じてもいます。

 しかし 神は自分の為に慈悲深い事をしてくれるわけではない事… むしろそう思えば思う程 意地悪にさえ思えるように見せつけられる『死』。

 このような事象…心を翻弄させられる 死に神の思うツボにはまらぬよう さも一縷の望みや期待もしていない素振りで静観する為には これみよがしに『今日するべき事をこなすしか 自分のバランスが保てない』と身体が命じた事に従い 講習会の運営の出来うる範囲ぎりぎりまでお手伝いをする事にしたわけです。

 講習会一日目が終了するまでの間 何の電話も無くいたので 正直『もっているじゃないか』『すごいなあ』と さすがなりは細みでも若い頃相撲で活躍したという伯父の体躯の強靱さには感心してしまいました。

 いかに心臓が弱っていても 並みの人ならもうもっていないと言われた程の人です。

 事実 自分が自ら伯父を触った事というのはこれが初めての 摩る為に触った伯父の足首の骨の太さには驚いた程立派な体躯でした(火葬した際に見た股関節大腿骨も 標本にしたい程美しく立派と不謹慎にも思ってしまいました)。

 ともあれ講習会が終わり その足で病院に駆け付けると 伯父は小康状態でありました。

 気管挿管したせいでしょうが 心臓とその周りの筋肉に負担を掛けず酸素が回っているようで 自力呼吸で寝息静かに眠っています。

 他の器官なら 安静にする事も可能ですが 死ぬまで動き続けないといけない『心臓』の宿命… つまり 心臓に いつも動いてばかりいて大変だから 少し安静(休む)に…とか もしくは休止しておいてもらおう…なんて事は 『休んでいて』ではなく『死んでいて』という事なわけで それを延命するということは 身体がこうなってしまった原因である『心臓』を 限界でぼろぼろの上にさらにぼろぼろになるまで動かす事でしかないと考えると 本当に切なくなってしまいました。

 いつも稽古会で思わされている事ですが 『動く』というのに際し どの筋肉どのパーツも連動しているわけで 単に呼吸するだけでも その動きの為に体全体が『大なり小なり』負担しあっているのだという事から考えると まったく心臓と言うのは いつも『大なり』の立ち場で活躍している大した附随筋で出来たパーツなのです。

 誠に本当に 精妙に『からだ』というものは出来ているものなのだと思うと同時に 心臓はその中でも やっぱりすごいなと思った次第でした。そんな事 この場になって思う自分の性分に『妙さ』を感じつつ…。

 やがて…。

 私は 父親の死際をはじめ 人の今際の際に立ち会った事はありません。

 ただ…こう言った文章に引用同列させる事がいいのかどうかはわかりませんが 飼っていた犬の最期は看取った事はありまして その時は突然でしたので 犬なのに人間にするように口をつけ人工呼吸したり心臓マッサージしたりと必死でもありました。

 死に際しての色々な形あるのでしょうが 血圧がある時すうっと下がりはじめ 看護士の方が心臓マッサージをだいぶやって頂きましたが 伯父のように電池もそろそろ無くなりすうっと機能が静かに停止して行くような感じの臨終の姿を見るのは初めてでした。

 後で考えてみると妙なもので その間 伯父の顔を凝視しているつもりでも ついぞ血圧や心泊数 酸素量を表示しているモニター画面を見てしまいます。

 死出の旅行く瞬間は モニターで知るのではなく 伯父自身でなければならないのにです。

 こんな馬鹿な事はないなと ふと思いました。

 亡くなるなら 不十分な設備と手当てしか出来ないかもしれないが 自宅で死を迎えさせてあげたかった…。

 伯父は そう思って我が父を自宅に帰らさせて来れたのに 伯父自身は薬漬け機械まみれというには軽い段階でしたが 病室で一生を終えたのでありました。

 そこに残ったのは『肉体』という物体でした。

 思った事は 伯父という動く肉体を動かしていたモノが 老朽化して動かなくなったので 何かが出て行った…という感じです。

 見えはしませんでしたが 確かにそこにあった『魂』が抜け出て行って その存在を確認したような感じがしてなりません。

 私は 長年伯父と言う体内に宿り その肉体の限界にて宿り生きる責を終えて 去って行くその『魂』に向かって自然と頭を下げずにはいられませんでした。

 すこし話しが逸れます。

 父が死んだ時には 私のところに『別れ』を告げに来た…という確かな実感 いわゆる霊的体験をしているのでしょうが どうも最近 『だからどうだっていうの』という感じで そりゃあ御先祖様を敬う気持ちはありますし感謝はしていますが それより何より今日の糧明日の糧の為に 生きる事に赴きを置かねばならんと思う事ばかりですので 気にも止めなくなって来ています。

 そんな折り 伯父の入院もあったり… 講習会の準備をしたりの中 身内が以前読んでいた江○哲○氏と作家○藤○子氏の対談集を 散らかって積み上げてある本の中から見つけ 何げに読んでしまう機会がありました。

 そこには『幽現界』とか『幽界』とか 『これが霊界の構造だ』みたいな事も書いてましたが そこいら辺の事は 昔色んな雑誌にも書かれてあったり またあるところで熱心に私に○川○○氏の『○○の○学』の本を薦める人がいて数冊読んだ事もありましたから 似たような事だよなあ(見え方は皆一様ではなくまた表現も一様ではない事も 武術でも同じだと思っていますから別段違和感なく)と思いつつ一挙に読んでしまいました。

 生来嫌いなジャンルではないのですが 何で読もうかと思ったのは 江○哲○氏が作家○藤○子氏と対談している事に奇異感を感じたのもあったからかもしれません。

 読めば ○藤○子氏は映画『エクソシスト』も真っ青な体験をしているようで 成る程と合点した次第ではありますが 最近縁戚の今居する場所が 氏の父である○藤○緑の生家跡だという事を最近知ったので 実は『○藤家』というものに興味があった事も起因しているのです。

 こう書けばなんでもありではありますが 縁戚が仕事で転々とした先と 『○藤』家が転籍したコースとある時期から同じ(厳密ではないですが…)。

 最近 古剣氏のご先祖は 私の母方の実家およびその集落とは 大層ゆかり繋がりがある事が判り ひえ!これまた何かの不思議な縁と思っていたので みょうちくりんなこじつけ臭くはありますが 『○藤』家とも何ぞ因縁があるのではと思った次第なのであります。

 そんな中 その後伯父も亡くなり法要も終え ふらり入った書店で 今度は一冊だけあった文庫『私の遺言』と言う○藤○子氏の本を見つけ購入しました。

 自慢になりませんが どうも女流作家の本というのは苦手で 読んだと言えば 金原 ひとみ氏の『蛇にピアス』ぐらい(これまた極端?。読まず嫌いなので せめてと芥川賞直木賞作品は文藝春秋で一挙に読みますもので…)。

 ともあれこれは小説ではなく 先の…映画『エクソシスト』も真っ青な体験…を折り込んだメッセージ本とでもいうのでしょうか そんな本でありました。

 内容は割愛するものの その中で気になったところは 氏の前世はアイヌの女酋長だったというくだり。

 十数年前 仕事でシアトルからカナダに行った際 あるインディアンの方の一団と出くわした事があります。

 現地のエージェントの方に聞くと 仕事をもらい また燃料である木切れを集めもしているのだとの事。

 私の目的はビジネスだったのですが 仕事話が耳に入らない程 その一団の事が気になって気になって そして中に入りたくて入りたくてどうしようもない感情に襲われ堪えるのに必死で でも行ったらもう自分はこっち側に戻らないかもと思った程でした。

 あんまりこんな内容を書いているからと 『ひょっとして 前世はインディアン』なんて書くのは安直過ぎるので そんな事は言いたくはないのですが 氏の前世はアイヌの女酋長…というくだりには なんか懐かしい共感を帯びたのです。

 さて ここで話しを戻します。

 先程伯父の最期の事を こうして書くのは 実は心に焼きつけて置くべく書きたいと思ったわけですが あの時…その瞬間…「もったいがない」という言葉が浮かびました。

 「もったいがない」というのは「もったいない」の元らしく 「勿体がない」という字を書くそうです。

 これは 私の木工と木彫の恩師があるタウン誌に書いたエッセーの内容で 書いてあった事。

 『勿体』というのは宗教用語らしく 私達が普段使っている言葉としては『物体』という字らしいです。

 恩師のエッセーは ある方の死に際し 奥様が「もったいない もったいない」と嘆き悲しんでいる所の情景を書いていました。

 人間 生きて動いてはじめて人間であり 死ねば そこにあるのは骨に肉を纏わりつけたモノ(人形…ヒトガタ)にしか過ぎません。

 そのエッセーでの 奥様の言葉は「惜しい人を亡くした」という意味ではなく 魂と肉体がワンセットであってはじめて存在する「勿体」が無くなってしまったという意味のなのだったような。

 この事を踏まえ思うに… 伯父は伯父(魂)が伯父(肉体)を離れ 伯父という立ち場(勿体)をやめただけであり 伯父という存在だった時の係わりあいのそれなりの惜しさは誰にも負けないぐらい私らにはありますけれど ふとなんの悲しむべき事があろうかとも思えたのでした。

 別な表現で言うと そのように思わせてくれるような間隔(付き合い方)で 私ら親子を養護養育してくれたからだとも言えます。

 ともあれ 佛教系では49日 キリスト教では50日 この世に滞在すると言いますから こんな事を書いている私を見て 伯父は『仕事にかまけて 馬鹿者めが』と笑っているかもしれません。

 そうまだまだ腑甲斐無い奴と思うなら 現世復帰 出て来てもらっても構わないのですがね…。

 そうしてみると 以前も書いたように 私には霊感がないと思っていながらも書くのですが ここ十数年で 数人の方だけは後ろに気配を感じるものがあって 人によっては右隣とか 左上とか なんとなく感じる方向が固定されてあるのですが 未亡人となられた伯母は 伯父が亡くなった当時ガタリと老け込んだ感じがしたのに 昨日会いましたら 妙にしゃっきりしているのです。

 前は優しい感じだけだった赴きに なんとなく懐かしい厳しさも感じられます。

 さらになんとなく 伯母の左隣やや後ろ気味には凛としたものを感じます。

 ありゃ 伯父かもしれません(今日なんか 食堂のテーブルで豆をはじいていた伯母の左隣のイスにいるような…そこは伯父の定位置でもあります)。

 居るとわかったら まだまだ いつも通りの頭の上がらない生活は続くようです。

 さて先程 紹介した本『私の遺言』の最期の方に あの猟奇的事件の神戸の『酒鬼薔薇』事件の事が書いてありました。

 加害者である少年の中に内在する『悪魔』の事を云々していました。

 そういえば 最近の広島の小学一年生の女の子を殺害したペルー人も 『悪魔が入って来た』と言っています。

 どうも あちらの人間が よくこういう事に際して言う常套句ではあるのだそうですが よく『魔がさした』という言葉も日本ではありますから 非科学的な事とは言え 妙に符牒が合うのには気になります。

 ある宗教団体に入信している方は あのニュースを観て 真顔で『悪魔っているのよね』と言っていました。

 悪魔かどうか知りませんが 私も仕事上であまりに理不尽な事があって ふっと怒りが込み上げて来た瞬間 突然目の前が暗くなり 気がついたら手に仕事で使っている刃物を手にしていた事がありますから ほんの一瞬いわゆる『魔が入る』という瞬間だったような気がしますから 誰でも可能性はあるのだと思います。

 しかも 最近は意外と安易に『きれる』と称して 誰でもその状態に入りやすくもなっているような気もします。

 そこには 本当に『悪魔』や『魔』というものが介在しているかは判りませんが 小説やドラマでは よくそんなシーンがありますから 意外とポピュラーなものと認めねばならないような気がします(似たような事 以前も書きましたね。いよいよネタ切れですか…)。

 …で そこでさらに思う事。

 被害者の方の心情としては いわゆるやられる瞬間 追い詰めて長時間恐怖を与えられての場合を除くと 意外と「あっ?!」と思う瞬間での事のような気もします。いわゆる 状況を把握出来ないでいるという事です。

 私も 指や手が無くなりそうな大怪我をした事がありますが それまた一瞬 痛いという指令が身体を巡るより 想定外の事態を把握出来ず 激痛よりパニックになっている頭がそこにあり 段々情報が集まり次第 激痛となって行きました。

 私は そんな表現をしてしまいましたが ある文献では 一瞬で余りの激痛のあるような事態に遭遇した時 ショックを与えない為 そこから脳までの神経を本能的に一時的にブロックするのだとか言うのを読んだ事があります…あれ 脳内麻薬が出て麻痺するって話しだったでしょうか??(うる覚えな話しなので 間違っていたらごめんなさい)。 

 おそらく 刀などで斬られる瞬間などというのは 特にそんな感じもするのです。

 …と書くのは 前世で斬られて亡くなったからかもしれません。まあ おおかた侍というより 足軽か何かもしくは罪人… どうイメージしても偉いやつだった感じはしないのです。

 まあ だからどうしたって事ではなのですが…。

 さて 何の風の吹き回しか 我が父親の写真の入った箱を整理しようと 久しぶりに観ました。

 その中には 父宛の葉書の数枚入っていました。

 どういうわけか 状況は同じ。高校を卒業し軍隊に入った友達からのものばかりでありました。

 また 内容の雰囲気も同じというか 共通した感じが伺えました。

 ものによっては 検閲があったのでしょう。『可』のスタンプが押してありました。

 内容は 簡単に『元気だけど 頑張るから 元気にやれや』みたいなもので どうも文章的には 行間に何かもう一言あってもよさそうな感じの 中途半端なものばかりでした。

 私もそれなりの経験をして来たオッサンになったからなのでしょうか それら葉書に共通して読み取れる事は 二十歳近辺の若者が 戦時下という時代の中 それがその時代の成人男子のならいと部隊に入隊する命を受けて 表面だっては気持ちを律して出征して行くも 内心は 整理もつかない…なんやら判らない…言い知れない不安な気持ちで不穏な所に行くような… そしてその中で 精一杯の精神のバランスをとっているがあまり 『頑張るから…』と決して歯切れのいい語調ではない言葉で 「お前どうしてる?オレやっているよぉ…」みたいな感じに思えたのです。

 これは 今にも共通するような一般的な若者の考えだったのかも…と思ってしまいました。

 本来は『天皇陛下に命を捧ぐ』も『靖国で会おう』などと言う 武士のような考え等 いくら教育されても全般的には持ち得なかったのです。

 当たり前ですよね。父親の回りには ひとえに明日の生活の為にと家業の農業を手伝わされながら 生きて来た若者が大半だったのですから…。

 あの当時の若い方のりっぱな手紙や遺書を読んだ事もありましたが 本音は 急に異界に引きずり込まれ ついぞ不安にもなりがちなのを押さえてやっていたんだなあと 思わずにはいられません。

 社会には半ば義務として虚勢…。母親には心配かけまいと…。そして  同性同年同士の書簡だからこその垣間見れせれる心情が そこにはありました。

 さて…写真の中には 伯父がスポーツ(相撲)にいそしんだ学生時代の頃の写真 軍隊での写真 そして終戦で復員し商売を立ち上げた時のそれぞれの写真を見つけました。

 観る者の感じ方はそれぞれありましょうが 復員後のいわゆる戦後間も無い頃の写真の伯父は 私にはちょっと精神的にボロボロというか 疲れた顔しているなあと思いました。

 それから数十年。だからこそ 伯父にはご苦労様と言いたくもなるのかもしれません。あらためて合掌。

 追記。

 中学柔道ボーイズの一人Mくんが 個人戦優勝しました。めでたいめでたい!(←話に節操がないですが…)

 試合会場では いつもロボットのように肩いからせた固い感じの印象の彼が 私がついていけない程の冗談とも本気ともとれない面白い事を言ってばかりで 私的にはうけていました(応援しに来たつもりなんですが…)。

 まあ柔道を教えているわけではないので それなり気楽さはあるものの 一応来たからには M君もいかつい声で「アドバイスください」と真顔で言うので 他の先生諸氏の手前(友人や先輩もいるもので…) 小声で「膝緩めてさ~ するすると歩いてやんなよ。したら上半身固くならないんじゃない…。」とアドバイス。

 ただ言うのは簡単ですが 中々いざ試合になると出来るものではありませんし 『膝緩め するする…』なんてイメージ 判りにくいと思いますが なんとなくでも稽古会や講習会にも参加した彼ですから 言葉は理解してはいたのかもしれませんし 冗談言い合ってふざけれるぐらいリラックスしていたようですから 私個人的には勝とうが負けようが 内容が楽しみでした。

 さて決勝は 技を掛けたと言うより 相手が技を掛け自滅して転んでくれた…という感じです。

 試合後 柔道教室でのコーチなのでしょうか

 「ラッキーで勝ったようなもんだからな。」と戒めて言われてもおりましたが 試合中 彼の立ち姿に力みなぎった感じに見えなかったものですから 意外と『するする』歩いていた内に 相手が転がっただけなのかもしれません。

 なにせ それをラッキーとするならしても 決勝に上がってくるだけの選手同士なのですから 相手が自滅で魔が刺したも含め なんらかの作用があったのだと評価してあげなければ 彼が可哀想です。

 ともあれ優勝は 稽古会に来ていたからではなく(なにせ稽古会では鍛える事や基本的に教えてやる…という事はないのですから…) ひとえに 彼が部活以外に出稽古や稽古会での一時と 柔軟にかつ貪欲に努力した結果なのであります。

 まあ そういった上で 『ラッキー』勝利と言われたものであっても 価値はあるのであります…。

 もし リラックスを意識したものであったとしても あの感じよもう一度と執着してしまったら 次ぎの勝利はないでしょう。

 『勝った』時のイメージを大事にするのはいいのですが 居着いてしまう事の恐さはあります。

 わからずとも 前に進む事が 若い内は肝要なのかもしれません。

 ともあれこの朗報は 稽古会に来ている方達も 素直に喜んでくれるでしょう。

 もうひとりの中学柔道ボーイズH田くん! 君も 意識せず 自分のペースで するする行こうや!

 がむしゃらにやっても 君の今の体では 壊してしまうんだからね!

 追記の追記…

 彼の驚愕的身体の特徴がこの程判明しました。それについての考察と進歩のレポートに こう御期待!!←いいのかあ?こんな事言ってぇ~? 

 「八字二刀」。家伝剣術が、相手の斬りを左右へさばく術理を説明した言葉だ

 当流は17世紀中期、武神八幡大菩薩を流名に冠したことがあった。幕末は弘前八幡宮境内を稽古場とした。ご縁のある八幡の「八」の字が、技の構造と密接に関わるようだ。

 小野派一刀流は当流の特徴を、「右へ打てば、意外にもさらに右へ、両足一足飛びにかわす」と記している。幕末から近代にかけて、素面木刀での他流仕合や、同じ道場内で竹刀稽古を研鑽しあったご縁。さすが的確に見抜いている。

 今日も雪で凍る道場。地下足袋を履いたK氏と、出勤前のH君に、私の剣術検証にお付き合いいただいた。

 降りしきり、すべてを覆う雪。大自然を前に、人間はホントに無力なんだな。人間にとって気候が良すぎる人工都市空間では、人間がコントロールできない世界があることを実感できないだろう。それを知ることは重要だ。武術でも。

 例の小太刀だ。全く相手に触れずに横へ抜ける。状況設定が大変難しい型。おそらく普通の剣道感覚からは不可能というだろう。私もトライしてから十年間打たれるばかり、全くできなかった。ところが先日、奇跡が起きたのか?

 まずK氏に披露した。‥効いたかな。その後、ポイントを数点お伝えし、ご自身でやっていただく。

 K氏は一瞬で習得されてしまった。H君も最初は固く、胴体を強引にねじる動きをしてしまうが、今朝アイスバーンの上をどうやって歩いてきた?思い出してごらん、というとかなり間に合うようになった。

 たちまちの修得は、K氏の才能に負うところもあるのだろうが、ちょっとの伝達で、今まで頑張ってもできなかったことが、ラクにできるようになるとは、全く不思議である。 私こそ、最近全くランニングや筋トレを全くしていないのにできるようになった。フットワークの方法では十回に一回もできなかったのが、これでは十回に九回は成功するようだ。コロンブスの卵かな。様々に遠くを求めたが、実は足元の家伝剣術にあったか‥!という思いがする。まるで極意歌のようだ。これが失われた術と呼べるものならば嬉しいのだが。まだわからん。

 アッケなくて不満だ。まだまだこんなものではない‥と欲が出てくる。

 イジワルして、真っ直ぐではなく、さばくのを追いかけるように、少し袈裟斬りでやってもさばけるようだ。K氏はさばくと同時にこちらの顔面にエルボーをくらわせてきた。それもありだろう。

 そして、さばいた後まで考える。相手との位置関係、ポジショニング。さばいた後、中途半端な位置にいては、相手の二の太刀、横薙ぎをくらう。よって死角まで入り込み、敵より遠く、我より近い位置でこそ、完全に制したことになろう。死角を利用することは、合気道と空手をアレンジした護身術のT師範の教えである。

 そしてその死角とは、どこを斬っても、つかんでもいいという状況だから、上下、前後左右の3次元で考えなくてはならない。となれば、2次元平面上での前後運動を繰り返す剣道感覚ではなく、格闘技、体術系の空間認識に近いだろう。

  右へのさばきの糸口が見えたら、左へのさばきも考える。これは剣道風、常に右足前の構えを刷り込まれた私にとってかなり難しい。

 家伝剣術型の構成は、必ず右へさばいた型の後に、左へさばく型がくる。それは難易度の順番か。

 家族に素面を新聞紙で打ってもらう。容赦なく。そのうち一撃は新聞紙が眼に入った。

 左へのさばきは、右への動きを、鏡像を見るように写し替えればいいはずだが‥。

 うまくいかない‥。左へさばけず、何度も打ちをくらう。あくまで動きは単純なイメージでやるが、どうしてもダメなときはパーツに戻して考える。そして再び全体へ戻す。

 問題はさばくときに、右足前から左足前に入れ替わるのだが、右足がつっかえ棒になることだろう。そうなればカラダがねじれて、動きも居着いて必ず叩かれるようだ。全く右足は無いものとして、左脚をカカトから前へ、カラダもねじらずに左腰骨も同時にすべらせる。K氏によれば、右前脚に体重を乗せず入れ替えるのが、ワルツの踊りにあるらしい。

 大太刀の型も引き出してくる。相手が切り込んでくるときに、刀の柄を右前、あるいは左前の地面へ、柄を下に、垂直にストンと植えるようにする。このとき進行方向の肘が突き出され、その肘から前へ全身が引かれていくイメージ。袋竹刀でやれば、垂直に立った剣は、相手の肘を斬ると共に、横なぎに来るであろう二の太刀へのシールドとなることがわかる。

 そしてさばくルートだ。ずっと前から甲野師範に、カラダを回さず、相手の斬りの中心線に沿うように入っていくと教えられてきた。カラダを左右に分割してズれるようにして入っていくイメージを抱いて稽古していた。または抜刀の姿勢で。

 しかしヘタクソな私の場合、直線上で左右のカラダを入れ替えても、結局は斬りの太刀筋から逃れられず打たれている。イメージでは直線上を入っていくのだが、現実にはそれプラス真横への平行移動が含まれるか。結果としてはやや斜めに入ってさばいているようだ。できてから自分を分析するがよくわからない。

 そうか‥!これが家伝剣術の「八字二刀」か‥!!左右へのさばくルートが「八」という字で示せるとはこのことであったのろうか‥。

 これをヒントに、従来やっていた今までの型が大きく変容してくるだろう。ノド輪、腕を取る‥、今までやっていた動きが全く新鮮に写ってくるだろう。

 私が家伝剣術型を稽古する上で、一番やっかいなのが自分の中に染み付いた、剣道風の固定観念である。いいこともあれば、悪いこともある。サボり剣道でも染み付いて拭い去れない。そのことは他の武道をやられた方が見れば、スグにわかるようだ。

 例えば、何の型をやっても正面と正面の衝突。右脚前で摺り足。打突しなくてはならない…など。それで型が見えなくなり形骸化させてきた。

 しかし有り難いことに、どうしても剣道では解析できない動きが型に混じっていた。そのことに悩むことが、すべてを剣道式に改変してしまうことにブレーキをかけ、目を開かせてくれるのだと感謝したい。違和感を突き詰れば、新しい世界を教えてくれるのか。

 今後、私の剣術の動きには、メリハリが消えてゆくだろう。今まで褒めてくれていた剣道家は褒めなくなり、何をノラリクラリやっているかと叱られるだろう。だが、それはカタチの美ではなく、現実に使える武術へと進化していくルートである。

 超天才である新陰流の上泉伊勢守、宮本武蔵は、若さにまかせた青少年時代ではなく、三十歳を越えてから初めて、全く新たなワザのステージを見出したという。故佐川幸義師範になると、70、80、90歳と歳を重ねるほど、新たなステージへと進化していったという。

 その年齢その年代毎に達しなくては見えない世界があるらしい。それは精神だけではなく、「枯れた技」のキレイごとでもなく、現実に使える身体技術においてだ。

 凡才でもマネしたいなあと痛切に願う。けれど現代は子供中心の経済、文化だから、20代で人生の全盛期が過ぎ、後は「私もトシですよ‥」と控える人ばかり。何も知り得ないのに私も余生か?それほど世の中はウスイのか。

 まだまだでしょう?世の中小さくしているのは自分の小さなアタマだ。だからといって、雑誌の「ちょいワルオヤジ」も、よけいな欲望を捨て切れていない、自意識過剰のスタンスが見っともないよなあ。人知れずとも、ひとつに枯れゆく覚悟、ガンコ老人の背中を道標としたい。

 といいながら、一般的な現代の価値観と、少々ズレてしまった自分が、時々コッケイで愚かに見える。街の賑わいを見ながら、深く考えずに皆さんと同じライフスタイルを、普通の剣道をやっていれば安心なのになあ‥と。

 でも、あちらに戻っても、私の生まれつきの宿題は解けない、本当に安心することができないからなあ‥。

 この課題を他に解く人がいない。街を歩く無数の人々のうち、誰が解こうとするものか。捨ててかえりみないだろう。だから、今のところは、私が与えられた本分を行くしかないのだ。それが有意なものになるならば、町の変わり者で終わらず、道は大道になり、続く者が現れるだろう。

 現在、高校時代、カッコつけて読んだ文庫版「五輪書」を再読中。いろんな人がいろんな解説を付けた。剣道段審査の問題となり、ビジネスマンまで読んだ時代があった。みんな「非常にリアルな武術書だ」という割には解説がピンとこなかった。

 このような技芸と感覚の書は、辞書が役に立たない。実際にそれを身に通していかなくては、読めない?と再挑戦。私のレベルでどれだけ読めるかわからない。が、少なくとも研究者がご丁寧に付けてくれた辞書的注釈が、アテにならないことはハッキリしてきた。

 嬉しいニュース。当会の稽古で、K氏から特別メニューを受けている中学生が、柔道大会で個人優勝したらしい。頼むぜ。次を担う者よ。

 同じことを教えられても、本当に理解できるまでには、自分が熟する時間が必要だ。

 それに似た話が「願立剣術物語」にもある。十数年前、仙台稽古会で森文夫師範が、八戸市立図書館で複写してこられた近世の剣術伝書だ。

 甲野師範は大変喜ばれて、帰京の新幹線(当時私は東京で大学院生をしていた)で、ご一緒にそのコピーを拝見した。同じ箇所を示して、五輪書と似ていますね…などとお話しながら帰ったことを覚えている。

 その後、師範は史料をベースに精進を進められた。愚かな私はコピーを傍らに忘れた。

 ところがその後も、その史料の武術的価値が方々から聞こえてくる。師範の著書、韓氏意拳の光岡師範‥。最近は周囲からの注目度が、以前より落ち着いた感がある。史料を直接書いた人物の経歴が明らかになったため、調べて師範に報告したぐらいだ。

 弘前講習会が終わった翌日、なぜか気になってカバンにほうり込んだ。通勤電車でもう一度熟読。少しは成長した私に浸透してくる部分が増えたか‥?

 ところどころを見ると、今回、師範が新しく教えられたワザも、この史料をベースに探求されたものではないかと感じた。何かの拍子で、理解できる感触が消えてしまう気がして、ケイタイをポケットに入れなおす動作でさえ、ためらわれた。

「‥肩根弓射に似たり、但し弓は左備え也。是は前構え也。

 先そのままの体の備え、ろくにして項の筋をはり、肩の付け根より落とし下げ、前へ押しかけ、両手を成るほど指し延ばし、木尺を継ぐが如くして骨のくさり動かず。

 また手を延ばすと及ぶとの二つ有り。敵の方へばかり長及延びたるにはあらず。

 それは身の外也。身の内を一杯に滞りなく指し伸ばす也。

 延ばせば向こうへ行くより外なきぞ。心も身も手も所作も少しもたるみなく、物に一杯の気に叶う剣術の性の位と言う也‥」

 師範がかつて「四方輪」をひらめかれた箇所の一部だったと思う。改めて読んだ私には、家伝剣術の一本目、「生々剣」が要求している動作、術理と似ている気がしてならない。

「独りはっと釣り合いたる其心所作、終わりまで続きたる勢い二度緩む事なかれ、敵の太刀矢の如く来るなれば、…」

「心のびくりびくりと驚く病有るは、独り夢覚めずして敵に偽引かれ、俄かに夢覚めるによりびくりびくりと心改まる也」

「敵上を打たんと見せて討たず、半かえりして下を打つ事有れば、我もまた行く処まで行かず、半かえりして敵下を打つに合わんとするは、犬の塊を追うに似たり。

 全く道にあらず。私の才覚道也。其一刹那の内に慮り知る才覚を以て、敵の変に合わんとする事、通神も及ばず、ただ我が勤める処の道、正しく所作によくはまれば、覚えず知らず敵の変に逢うこと、我が左右の手を合わする如く也。

 聊か他も計るにあらず。我が道を勤むる事肝要なり。‥」

 似たような記述はまだまだある。以前から心に響くのは、こうきたら、こう受け止めて…などという「はかりごと」には終わりが無い、それよりも自らのクセを消滅させ、「正直を立てる」ことこそ、知らずして敵をうち砕く技術につながるという記述だ。

 書き手が、ひとりよがりの型稽古ではなく、ドギマギする自由乱打を経験し、その果てなき迷路を知った上で、全く違うステージへつきぬけていたことがわかる。

 無限のバリエーション全てに対して、自分の身のあり方ひとつで対応していくということは、武術に限らず、些末な対策マニュアルの迷路に悩む、我々の暮らしをも連想させる。

 夜の稽古場。父との剣術稽古。零下で全く火の気が無い。普段着のまま着込んでやる。素足に皮足袋を履くだけで全く耐寒性が全く違う。

 ある小太刀の型。父は十八番である現代剣道の切り落しと共通する理を思つく。

 そして甲野師範にお褒めいただいた小太刀の型。正面を斬ってくるのを、なんと刀にもカラダにも全く触れずに、右横へさばいてかわす。まるで時代劇のようなウサンくささ。

 ところが、師範はこの型を、浮き身がかかりやすいこと、体幹を伴った動きが養成されやすいことを指摘された。その後の稽古で、なんとこの私がかすかにできつつある感触を覚えた。

 相手が斬ってくるのに対し、前へ伸ばした右手の小太刀を肩へかつぐようにする。

 絶対に地を蹴らない。蹴っては残される肩先か、左足を斬られてしまう。だから肩へかつぐ小太刀の動きに、自分の体全体が浮かされて、体幹ごと引かれるように斜め右横へ体がすべるようにする。同時に左肩も後方へ消えてゆく。右足はカカトを外へ突き出すように入っていく。同時に右腰と肩も、少しの誤差なく一度に連れていく。一年前、稽古日誌で、アイスホッケーの急停止を書いたと思う。それに近い。

 ただし以上は、動いた結果を分析して述べたこと。あくまでもイメージは、小太刀に総身が引っ張られるという単純なイメージで行う方がいい。個別に各所を意識していては、バラバラになって死に体となるし、瞬時に機能できない。

 父に袋竹刀で試したとき、最初は肩先へ当ててもらい、さばけたか?!もっと厳しく中心を割ってくるのはダメだろうと、試した。これもできた!?注意深く見ると、さばいた剣が、我が胸元をギリギリに真下へ通過していく。(ここで太刀筋を変化させることは、次の段階だ)

 前膝の遣い方も重要だ。ガッシリ立たない。足裏全面を地につけて、冬の津軽のアイスバーンを歩くよう、薄氷の上のようにソッと立つ。(この立ち方は雪国の生まれなら、幼い頃から全員自得している。でなくては一歩も歩けない。みなさんその足で走ることも)もちろん撞木足。前膝が抜ける寸前で止めておく。こうするとつま先立ちでドキドキ、フェイントの応酬を使うよりも、相手の動きを待ってから反応できるような感じがする。

 以前から横へさばくことに注目しているのは、小野派一刀流「一刀流極意」が示す家伝剣術の特徴であることだけでなく、突き蹴り、体当たりなど正面衝突パワーゲームを重視する現代武道へ応用できないかと空想するからだ。

 特に現代剣道だ。正面の刺し面の速さを競う合うのは、剣道において稽古でも試合でもよく好んで使われる技術だ。父は剣道稽古で切り落としが十八番だ。

 だが真剣で正面を競った場合、よほど熟練していなければ、すべった刀の余勢で互いの頭蓋か、袈裟か、拳を割られ相打ちとなるだろう。これは真剣での打ち合い稽古からの実感だ。刃物ならずとも棒の打撃でも同じか。

 合い面は竹刀と防具で身体が守られているからこその、ワザである可能性が高いのでは。剣道では、定められた打突部位へのヒットは重大に認識するが、はずれた竹刀の余勢が身体のどこへぶつかっているかは、わからない。防具を脱いで初めて痛みとして認識できるだろう。私はそれで以前、指を骨折した。

 触れれば切れる真剣、接触すれば砕かれる棒、杖だからこそ、相手に触れられずに変化したい。だからといって型のようにカンタンに左右にさばくなど、大人と子供以上の腕の差があっても超困難だ。合気道開祖の植芝盛平師範が木刀で似たような型をしているビデオを見たことがある。また少し半身になって面を打つのは、合気道にも縁が深かった剣道の持田盛二範士もだという。

 横へさばくため、以前はダッシュや縄跳びを繰り返して脚力を強化したり、抜刀の理合いを応用しようと工夫した。どれも若さに頼ったり、要求される動きが複雑すぎて、乱戦の中で事前準備ができそうにない。

 しかしこの家伝の小太刀は、単純なイメージで誰でもすぐに修得できる気がする。抜刀のカラダで横にさばこうと工夫していた頃は、どうしても左半身腰部がその場に残ってしまい、そこを打たれる気がした。今回は一度に一重身へと変形するため、全く残る感覚がない。もしかしたら逆に抜刀にも応用すればいいのか。

 今まで全く別物と確信していた古流剣術と現代剣道が精神論ではなく、本当に具体的な現実の技術においてつなげられるか?という課題が少し見えたかな?。

 でもその方法は、近現代剣道の足さばきで、腰から、タメを作ってという方法、つまりカラダの一部は発射台として残していく、通常の基本とは全く観念が違う技法である。私の方法では腰が入っていない、手先で打っている、踏み込みが甘いと否定されそうだが、それでは触れずに変化する技の実現が難しいと考える。

 夜、合気道の稽古へお邪魔した後、ガストでドリンクバー。K氏、格闘技のS氏に相談すると、八極拳や心眼流にある同じ技法だというアドバイス。やはり私は既に先人が見つけていたものを発掘しているにすぎないなあ。

 全く足を意識せず、刀と手に導かれることで、全身が一斉に移動すること、それは家伝の生々剣や「烏足(からすあし)烏は体に連れてよく跳ねるものなり」と通じるのかもしれない。体幹に足が遅れずについていくこと。「跳ねる」を地を蹴るジャンプと理解すれば間違う。またこれは、K氏と工夫した無刀取りのヒントになると予想。

 しかし数日後、再び父の袋竹刀を前に苦戦した。以前より設定をシビアにした。今度はこちらの起こりを狙って、もっと速く本気で打ってくれとしたのである。

 お互い、先をとろう、とられまいとジッと構える。私の機をとらえた父の袋竹刀が振り下ろされる。小さくて速い剣道のスナップ打ちに近い。先日より打たれる回数が少し増えた。父は私の小太刀の初動をとらえれば、狙いやすいのだという。これは、手にカラダが遅れて私の体が一斉に動いていないからだ。

 もうひとつの発見は間合いだ。相手の長剣の間合いの中ならかなりキツいが、そこから数センチ遠ざかるだけで、さばける確率がグンと上がる。

 居間では素人の家族に、新聞紙を丸めて、何度も素面を打ってもらった。顔面はかわせるものの、胸を数度当てられた。なかなか難しい。悔しい!メラメラと上達熱が沸騰する。

 でも、以前より、ダンゼン成功する割合が高くなったことだけは確かだ。なぜならば、かわし方がよりギリギリの数ミリの差まで詰まり、しかもさばきながら眼をあけて次の動作につなげられる余裕があるのだから。

 どだい状況設定も相手が腕だけ動かせばいいのに対して、我はその瞬間に全身すべてをさばかねばならないという圧倒的に不利な条件なのだ。それでやるのだから。

 また型では、相手の顔面に切っ先を向けて歩み寄るところから始まる。よって、こちらが切っ先を中心からはずして誘いをかけるまで、不用意に相手は斬ってこられない。家伝剣術いわく「正と合わせ、奇と変化する」。しかも歩むので間合いが刻一刻と変化する。そこが相手の斬ってくるのをコントロールできる有効なポイントとなるか。

 以前の抜刀の応用よりは、有効な方法だと推測してよいだろう。今のところは。

 17世紀の先祖は8人に周囲を囲ませて打ち込まれても、触れられずに抜け出たという。

 ホントかねえ?でも他のエピソード群の特徴や、型の構成を見ると、とにかく触れずに変化するワザが当流の特徴であったといえよう。

 はたから見ても素朴で見栄えのしない古き型。変化の多い首都圏で原点を求めるのは至難の技だ。民俗学柳田國男の方言周圏論ではないが、原点回帰ならばこの片田舎こそふさわしいのか。そのまんま残っている場合がある。古き我が型が様々なものを紡ぎ出すデータベースとなればいい。まだまだこんなはずではないなあ‥、悔しい、なぜ打たれる…!!と、夢見ては醒める繰り返しが続きます。

 今日は、十和田市の山あいの小さな学校へ出前授業。

 のどかな風景に警察のサイレンが鳴った。近くで未成年による家宅侵入および強盗事件があり、犯人が逃走中だという。学校のすべてのドアにカギがかけられた。

 武術で小さな我が身ばかり気にしていたが、ふるさとは今、行き先が見えない暗闇の中にいる。世相を反映してか、都会並みの犯罪が増えてきた気がする。

 全国ニュースでは景気回復の兆し。求人数がバブル期のレベルまで復活してきたという。

 全くどこの国の話か。我が県は、バブル期の恩恵はこなかったが、不景気の影響だけはまともに受けた。現在、自殺率が全国二位、有効求人倍率はワースト3に入る。シャッターが降りたままの商店街。毎年全国トップクラスなのは、青少年の平均身長、座高、体重の体格と、インスタントラーメンの消費量くらいか。生業の乏しい土地を捨て、有為の人材がどんどん流出していく。ここで生きているだけでサバイバルなのです。

 反面、地元でそんなに電気を使っていないのに、中央に送電するため原発が乱立し、片田舎なのに国家防衛の最前線となる軍事施設が強化され、地元には産業が無いのに、関東から産業廃棄物を捨てにくる。ムラの電柱には、「改革をとめるな」と自己満足、都市さえよければいいと都会育ちのキツネ顔がブラ下がっていた。

 先週は、同じく出前授業と営業で津軽半島を一周した。鉛色の吹雪の下、身を潜めるようにしている、ふるさとの村々を眺めていた。

 緑あふれる我がふるさと。春夏には、自分の身体感覚を広げてゆけば、そのまま溶けてしまいそうな青が広がる。自分も大自然につながる存在だと思う瞬間だ。

 それが冬になれば、白い怪物が唸りをあげて、厳然と人間の住む世界を切り取っていく。

 この寒さの中で、自分の身体感覚を広げて、白い大自然に溶け込もうとする気は全くおきない。そんなことしたら、自分の内側の熱がすべて一瞬にして飛び散り、存在自体が消えてしまいそうで、恐ろしくてできない。

 家伝剣術伝書が記すように、寒さで肩先からこわばりを感じる。胸の熱を奪われないように、意識もバリアーを張って内側へ内側へと小さく向かう。

 当地は何するにも、まず寒さをこらえることから始めなくてはならない。これで伸びやかな稽古ができるのか。代々、この寒さを肌身にすり込みながら稽古してきたんだろう。 幼い頃、毎朝の剣道稽古で、寒さと眠さで意識朦朧としたまま、暗い道場に連れていかれる。吐く息は白く、凍った道場の板の間を素足で歩けば、剣山のように痛かった。

 懸かり稽古の激しさと熱でやっと眼を覚ます。急激な寒暖を繰り返した心身は帰宅後、ストーブの前でボンヤリとし、朝飯を食べ、学校へ向かった。その体感が深く今も残る。寒くて、熱い、私の冬の身体感覚はだ。

 この地で生きていことを選び、選ばされて生きている…。でもこのままでは遠くない未来。大好きな我がふるさとは、生きる術を失った人々が移住を余儀なくされ、廃墟と化す日が来るのかな。ここにも町があったんだよ…なんてね。などと同僚と話したが、まるっきりジョークに聞こえないから怖い。例え社会が成立できなくなっても、私達が懸命に命を注いだ痕跡が残っているといいですなあ。

 鉛色の空、雲間に光るジェイコブズラダーを見つける。闘うよ。

 ブームを呼ぶ「下流社会」だ、セレブだと。テーブル上の計算と一部の流行だけ見て世の中を知ったつもりか。何をいう。各地で生きている人々の生の暮らしに触れたことがあるか、盤石な地下からの根を感じたことがあるか。

 最近は物事のすべての価値を経済学者が判断できるかのように勘違い、勝手に専門外まで批評する。大学の研究分野、文化の価値までもそうだ。数値がすべてをあらわすと勘違いしている。しかし数値も言語も経済も、人間の文明の一部、視点の一つにしかすぎないはずだ。

 例えば、なぜ売れるのか?なぜ人々がその賞品に価値を、美を見出すのかとなれば、利潤や経済構造のみならず、社会、文化、歴史的背景までとらえなくてはならない。そこまでゆけば経済学の範囲を越えてしまうのだ。

 「お宝鑑定団」ではじき出される値段、イコール文化的価値でも普遍的価値ではない。単なる不特定多数に売れるか、売れないかの商品価値だ。しかし世の中にはヘンな人がいる。メインルートからそれている「下流」の私にとっては、数億円のダイヤは我が悩みから全く救ってくれないのだ。いくらカネを積まれても剣術は再興できない。だが、ゴミのような家伝剣術ボロボロ伝書の方が、生きてゆく意欲をダイレクトに揺さぶるのだ。

 経済学、政治学が万能の学問ならば、なぜにここまで不況となる前に予測して回避できなかったのだ。数値しか信じないという現象は、我々が、歴史的に醸成してきた様々な価値観自体が衰退し、単一化してしまった証拠だといえよう。ひとつの眼しかないなんて、ファシズムか。恐ろしいとは思わないか。

 そんなのですべてがわかるものか。懸命に生きているプライド、先人への敬慕があるならば多いに怒ろう「ふざけるな」と。我が父祖達が地を流して切り拓いてきた土地を「下流」とは呼ばせない。無力でちっぽけな蝦夷だが、私は精一杯、反証となるつもりです。

 確か昭和50年代、作家田辺聖子はエッセイの中で、明治維新のコアとなった薩摩武士のことを書いている。

 幕末、薩摩の侍はイモと呼ばれ、無粋な田舎者として、江戸の遊郭ではさんざんからかわれた。

 しかし維新の動乱では、江戸の粋な旗本侍は役に立たず、薩摩を始めとする田舎侍が中核となって新しい明治を創った。都市の豚が地方の野猪に駆逐されたのだ。しかし野猪も都市に安住すれば豚と化してしまう。イモと笑われながらも、密かに力を蓄えている現代の薩摩武士はどこにいるのか?と女史は結んだ。

 と、ここまで書いて、我ながら、なんと青臭く、落ち着かない三十代だねえ‥!?

 そうですガキです。でも燃えている「つもり」でなくては、今晩も吹雪の稽古場で凍結するしかないのです‥。皮足袋だけが頼りかな。

(追記)

 NHK教育「からだであそぼ」の「きょうのサムライ」。毎回、袴姿で帯刀したケインコスギ氏と少女が、武士の作法モドキを紹介する。彼は幼い頃から海外のアクション映画で培った、見せるための動きで、誇張した固い動きをしている。スグに斬られるなあ。

 今日は、竹光を剣道風の中段の構えにして、摺り足と継ぎ足をやってみせた。「これが敵から身を守るサムライのワザである」とナレーションがついた。

 違うんじゃないかな?。単なる近代剣道の技術で、サムライとはあまり関係が無い。このコーナーで紹介される技法は、近代武道が勘違いした観念をそのまんま紹介していることが多い。現代武道家の監修かな。誤った日本イメージについては、よくよく留意したいものである。

 そして、女性向けのファッション誌VERY1月号には、ナンバ式美容法が。これらのように、裏だった世界が大衆向けに紹介されるとは、なんという時代か。

 最近密かに 夜の稽古会…なんか如何わしい… 夜の社交場…これとも違う… 夜の会議場… ええい面倒臭い! ともあれ ミーティングに市内某ガ○トというファミレスを使って 集う事が多くなりました。

 24時間営業なので 子供を寝かしつけてからのSさんや 近くに住む古剣氏など 割と皆の中間点でもありますので 色んな洋装の若者の多い中 なんとなく違和感はあるものの 自然にそこがたむろする場所となって来ました。

 私達の集いは 純粋に打ち合わせの召集であっても いつのまにかついぞ武術談義なってしまいます。さすがに立ってやってみる事はありませんが 議論白熱して大声になっても 都合がいい事に周りが騒がしいので気になりません。

 私などは 某ロックコンサートの最前席で大音量の中で居眠りする程ですから むしろ心地よい感じなのかもしれません。

 また 仕事柄マンウォッチングをしてしまうので ああいう場は 実は楽しくて仕方ありません。

 でも 私らはちょいとオタクなおっさん集団で 会話も

「…こうやったとて 人は死なんでしょう。」とか 「これなら 簡単に斬れるかもしれませんね。」的な内容となるのですから はた目には危ない連中です。

 現に会の方で 練習していたら 御用の方(警察)に通報されたりした…などという武勇伝(?)をお持ちの方もいらっしゃるので 考えてみると妙な団体なのかもしれません。

 でも 確かに本来殺傷の術理であるものを検証しているが故の会話の内容ではありますが 『人間がどうやって二足歩行になっていったのか…?』的な見地にも似た高尚な立ち場(?)での検証でありますから 言葉単語はぶっそうな意味合いでも 決してそうではないという事を 稽古日誌を読んでいる方々は御理解していただけるものと思っています(おいおい 誰に言っているんだ??)。

 昨日は 総合格闘技と合気道での兄弟子であるH山さんと古剣氏と三人での話。

 なんぼそういう集団だとて まるっきり全部が武術談義というわけではなく 世間一般の四方山話から このご時勢でのおじさん達の悩みから 奥様方との御理解を得る為の苦労話 家事育児に至までと なりはおじさん達ですが よくもまあ女子高生みたいに話は尽きないものだと思う限りの展開を呈しています。

 古剣氏などは およそ文章の内容からは想像も出来ないほど ひょうきんで表情豊か。時折おどけて見せるので 思わずこちらが赤面したり…(うそ!)。

 中でも お父上との稽古での話しは ほんとかよと思う程コミカルな内容で 私の美術の先生でもあるお父上とはオーバーラップ出来ないぐらい。

 相撲にも『しょっきり』という趣向がありますが 古流剣術にもそんなのがあったら…と想像してしまいました(不謹慎な事思い すみません)。

 ちなみにこの『しょっきり』 単なる座興の趣向のように見えますが そこに秘めたる相撲の恐ろしさをさりげなくちりばめているのですから それなりの力量のある者でないと 演じられないと聞いた亊があります。間違っていたらごめんなさいですが あの双葉山もやったとか。

 剣術界の方々はお固いから無理かなあ…。

 ともあれ そんなこんなでついぞ長居はしてしまうものの はたでたむろっていてだべっている方々も 内容こそ違え 相当な時間いらっしゃるみたいですから 森の中に木を隠すではありませんが ぜんぜん気にならなくもなって来ました(次の日がつらいですが…)。

 さて昨日の秀逸は『サバイバルゲーム』の話し。

 以前 多人捕りというか 多人数に対しての対処について稽古会ではした事がありますが ふと気付いた亊は 「よ~いドン」とか「始め!」とか 今の自由稽古は なんらかの切っ掛けをもらってから動き出すという事でした。つまり あらかじめ気構えをする猶予を促されるわけです。

 『サバイバルゲーム』では 時にはチームで動く事を求められますし 一人対複数での対処をも求められ またいつどこでどの方向から来るのか判らないながらでの意識の維持の大変さは 相当凄いものがある事は 想像出来ます。

 今書いている事は 軍事訓練をして来た方には鼻でせせら笑われる程の内容なのかもしれませんが ふとこの話しをH山さんから聞いている内に 何となく懐かしいと言うかとても良く解る気がしました。

 それは 私達が子供の頃鬼ごっこやかくれんぼで体感した意識と同じライン上にあるのではという事です。

 さらにふと考えてみると 今の子供らは『かくれんぼ』すらしているのでしょうか…と疑問が湧きました。

 こういう遊びは 地域別なだけでなく時代と供にルールなどが変化(進化)していくものですが ふと変化 進化が止まっているとしたら それをなんと見るべきかと話しながら思いました。

 じゃんけんすらしている姿をあまり見た事もありません。

 「えっ? 今はそんなルールになってるんだ~」と感心する機会も少なくなりました。

 ともあれ 隠れている横を 鬼が探しに来て通る… 息を飲み 息を殺す… 心臓はドキドキ…なんてスリル。

 片や どこの物陰 どこの死角に潜んでいるか あらん限りの頭の推理と五感を駆使して 探索するスリル…。

 最近は 死角のある公園はいけないとされてしまう世の中ですから かくれんぼなんて出来ないのかもしれません。

 本当は そんなんじゃないんです。周りが周りを普段は無関心でい過ぎるからなのに…(そのくせ 何かあると過剰に反応する。でも上辺だけは 人の事を自分の事のように…。じゃあなんとかしましょうとなると 途端…)。

 公園の遊具だとて 怪我はつきもの。腐って倒れたというのは そういうものを設置した側が そういうものだからと管理する事を怠ったから。高い保険を付けて 責任保証を唱うメーカーのものは採用せず 安価で買い管理費をけちった為が根底にあります(あれ? なんかの事件に似ている…)。

 百歩譲っても ブランコさえ危ないとしたりするところすらあるのです。

 そしてまた ブランコごときに乗れない癖に ブランコごときに心踊らせる子供も少なくなりました。

 この間 テレビゲームで『メタルギア』というのをやっている子供を見ましたら やれグレネードランチャーだマシンガンだハンドガン 手榴弾に地雷に サバイバルナイフ… 地の利を把握し戦術的や戦略的に逃げるも攻めるも判断を謝ると形勢逆転の憂き目に会うし それぞれの武器の殺傷力殺傷範囲殺傷の特性を把握し エイドキットまであったり あげくの果ては 死んだ者を盾にしたり出来るところまであるのではないかと思われる程のリアルなデータを盛り込んだゲームなのでびっくりしましたけれど かくれんぼでのアドレナリンの上がり具合にはまだ適わないなとは思いつつ 単なるゲームとしてこれをやれる子供らに この世のいく末を思ってしまいました。

 おっと 話しはずれましたね。

 あと 話した内容として 『組み技系と打撃系の武術の流派では その融合系の流派が色々派生して新陳代謝しているのに 打撃系をはじめとした体術系から武器術系(剣術等の事)となると融合の活発度がないのは不思議だなあ』という話し。

 昔の武芸の方なら 体術武器術の隔てなく…また融合した中で身体が動いていたのでしょうが 今は武器術系と 体術系とは明らかに隔たりがあるような感じを禁じ得ません。

 その点 中国武術系は 手の延長として体術から武器術に至る体系はよくみられます。

 もの知らぬ門外漢の私が言っている事ですから実際は違うのでしょうが 先だっての講習会でも 体術系の方は多くても あまり剣術(剣道)系の方の参加が少ないなあとは 正直思いました。

 一部雑誌の上での 研究家の方の検証に留まってしまってはいけない文化である『日本古武術』だと思いますから どこかの国のように表立っては出して交流しているように見せているのですが 実は肝腎は出さないようにしているといった感じでもいいですから まずは国内でもっと総合的に学術的に検証し保存に勤めるよう国が動かないといけない気すらするのですが…。

 おっと そんな大それた事は他の方に任せるとして それぞれ牽制関係にあるが為に難しい事なのでしょうが このままで行ったらレッドデータとなる派すらあると聞きます。

 存続の為に 商売に走ると どうしても曇りがちともなる事は必須ですから 考えるべきギリギリの所なのかもしれません。

 この辺の話をすると 古剣氏は力なく笑っておられるだけ…。胸中はお察ししますが…。

 でもしかし そんな時代じゃね~し!と言っているのは日本人だけで 戦後日本の美術品の多くが海外に流れて行ったというか 徴集されてしまった経緯を考えると ちゃっかり武技のノウハウを流出しまくってもいたのであり 当時はオリエンタルテイストまでは吸収されても スピリットまで理解出来る程の事前情報は今程は無かった為に かろうじてこうしてあるのだと考察しています。

 最近は 日本人以上に日本人ぽい外国の方もいますのに 日本人じゃない日本人が多くなって来ているので 遠い将来『原日本人』はいなくなるかもしれません。

 学生時代 「お前 津軽だから民謡のひとつでも歌えるんだろ?津軽三味線だって出来るんだろ?」と言われた事があります。

 そんなあ…津軽生れだからって そんな乱暴なステレオタイプな見方はないだろうが~と思ったものの 関西弁を使えるやつらが皆漫才出来るとは限りません。

 そういえば アメリカ人が皆オーバーアクションで接してくると思われると迷惑だと言ったアメリカ人がいますから そりゃそうなのかもしれません。

 まあでも ふと考えると何かしら 生れ故郷の事が出来ればそりゃそれにこした事はないわけで ふと私には何があるか?と考えた時に ああ…ねぷた囃子と太鼓が出来るなあと思った次第。

 これも テレビゲームがあったなら 覚えなかったかもしれません…。

 ともあれ 日本の文化を秘密主義にしろとは言うつもりないのですが 明治維新以後駆け足で駆け抜けて来た日本が ないがしろにして来た事を 今一度振り返りお座なりにして置いたものを整えなおさないと また『古武術』も書物のページが離散してしまうような憂き目見てしまうなあと 密かに憂いでしまうのです(ちなみに私は日々の生活に負われ雪囲いしてません…これがどんな意味を持つか雪国の方は知っておるでしょう…やばいなあ…)。

 そういう点では 国主導での団体はあるとは聞きましたが 先のような見地から集っているのかは 私は知る由もないのですが 武術研究家の方々が身銭切ってやっていると聞くと なんだかな~という心境になってしまうのです。

 まあそれよりなにより 自分の稽古!(口だけ??…苦笑) 

 いきなり重いタイトルですが 別段そんなつもりはないのです。

 ふと 言葉が浮かんだので 何となくそれにそって書いてみようと思っている魂胆であります。

 さて いろんな目に会い いろんな人に会い いろんな考え方に会ってきて 今思う事は 『死生観』というものは その環境…いいえその時立つスタンスによって結構(思った以上にという事)様変わりするもんだなあという事。

 そうでなくとも 『生きたい』と思っている人間の死生観と 『死にたい』と思っている人間の死生観…では大いに違うのは 今まだ何となくで上手く言えませんがそう思います。

 『死生観』とはその人の生き様ですから 性格的な事まで 関わってくるのは確かだと思います。

 昔 ある方(知人)に『死』が割と近くに迫って来ていました。

 多かれ少なかれ 私達は『死』に向かっているのは 間違いないのですが 面と向かって確約されてしまう(宣告)と 困ってしまいます。

 その方は その事の知らせを聞いて自宅に会いに行った私に対し 普段のように迎え入れ接してくれた中 ぽつり「お先に行く事になったよ…」と悪戯っぽく笑ったのか 困った顔なのか表現しきれない微妙な顔で 私にそう告げました。

 どのぐらい話したでしょうか 薬も効いているのでしょう(とても強い薬で 普段は飲まないようにしているのだそうです。その分反動もあるとか…) 座って私と食卓も囲みました。

 帰り時間となりました。ひどい雨降したので 病気のため体力が衰えて来ているその方に代わって 奥さんが私を 駅まで送ってくれました。

 帰りの電車まで時間があったので 少し奥さんと会話する事になりました。ちなみに奥さんは外国人です。

 今後の事 商売の事 いろんな事を話しましたが 突然話しの流れを切るように 普段もの静かな奥さんが「私は ミラクルを信じているのに 彼のお父さんは 『死を覚悟し みっともない生き方はするな』という。なぜ そんな事言うのか?」みたいな事を言い 矢継ぎ早に『どうしてお父さんはそう言うのか?。』『日本人は皆そうなのか?』と 夫の身内の方に聞くに聞けない事を 差程知り合って間も無い私に言われたのです(彼との知り合い方は妙な縁からで その事は今は割愛しますけれど 病に蝕まれて行く姿を遠くから来た親戚にすら見せたく無いと会わなかったのに 会えたのは私を含め極少数の人間でした)。

 私は 返答に困ってしまいながら 『信じるミラクル』も『みっともない生き方はしない』も 方向的には同じであると感じ(前を向いて生きるという事)がましたので それを一生懸命伝えるのですが上手く伝えられませんでした。

 言葉として日本語で日本人同士ならもう少しましではあったでしょうが 奥さんは外国人。

 こんな話しの内容となったら 私の語彙量の無さもあって 理解不能なのは明らかです。

 もし私に語彙量語学力があったとしても 日本人としての生き方の意味合いを 外国人の方に伝える正確な単語を見い出すのは 至難の技とも言えるでしょう。

 でも その時思ったのは ちょっと不謹慎でもあるのでしょうが 『死生観』というものは極めて東洋的なもの…と思っていたものですから どうせ解りはしないと思った事。

 しかし 話している内におぼろげながら意識をあらためた事は 宗教心とも信仰心とも違う部分にあるような気がする『死生観』は 国や文化が違っていてもあるものなのだなあという事でした。

 さてさて それから幾星霜。その知人は遠く異国に眠っています。

 とても昔堅気のお父様に ああ言われもしたのに 祖国日本に別段のこだわりもなく(?)余生は奥さんの生まれた国へ行く事を同意し その後その国の土となりました(でも 日本の童謡集のテープをいっぱい持って行ったような…)。

 いいえ 奥さんは 日本では『生きようという環境』が削がれてしまうという事で 『治す』為に自分の生まれた国に連れて行ったわけですから 私の表現は本意ではないでしょう。

 でも 後にもらった知人の遺書というか病床からのメッセージは あきらかにこの世を旅立たなければならない無念の思いと 残された家族の事への思いを折り込みながら 男として精一杯胸を張り『グットバイ』を言おうという 日本男児の『男気』を感じさせるものでありました。

 丁度 その地も北国。遅い桜の季節…でなくても 桜散ったなごりの頃でもありましたから とても国際感覚のある方ではありましたが 『桜散ル』頃…やっぱり『日本人』だったんだなあと思ったものです。

 ひさしぶりにその知人の奥さんよりメール(英文)を頂き さらにビジネスで銀座に店を小さくやるために来日していて その事が英字新聞に載ったのだという事を知らされ その事を書いた英文に悪戦苦闘しながら英訳をしている最中 甲野師範の講習会が催されました。

 去年は受講者。今年はスタッフとして 古剣氏に去年受講してみた時の感想とその問題点を言わさせてもらいまして 大いに参考にして頂きました。

 その分 本当に古剣氏は公務もお有りの中 私供も手伝うと言うか一緒に運営してはいましたが とても仕事量も増やしてしまい大変だったと思います。

 終わってみると 肝腎の自分達が何も講習受けていなかったなあと古剣氏は笑っておられました。

 またやる事になった暁には 今度は参加者全員で 運営出来ればいいなと密かに思う次第です。

 御参加して頂いた方々 また企画が立ち上がりましたら どんどんお手伝いの申し出して上げてもらえれば 嬉しい限りです。

 さて 今回の甲野師範。あくまでも去年との比較ではありますが 前回以上にパワフル。

 それはもう弘前駅にお迎えし 食事を同席させてもらった際からそうでして 話しだしたら止まらない。話しするだけでなく その場でする事も止まらない…ほんとそんな感じでした。

 個人的見解ですが 昔太極拳を習いに行った際の老師の方のよう…。

 その場で色々話し その場でちょっとやってみたりやらされたり 人目などあまり眼中にない…といった感じ(老師の師は 台湾で朝の通勤通学の人通りの多い歩道で『ちょっとやってみて』と指導を受けてましたから…)。

 誤解をしてもらっても困りますから補足しますが それは決してなりふりかまわず 他の方々の事も考えずという事ではありません。夢中になって 人に迷惑をかけてまで…という意味でもありません。

 ともあれ 戸惑ってしまって躊躇してしまうと勿体無いという感はありましたが 酒席での実演は面くらいました(何せシャイなもんで…)。

 ですから 明日講習会に来られる方々には ちゃんと絡んで絡んでやってもらうようしむけないと 身銭を切って来ていただいている意味がなくなるよなあと 決意新たにした次第でした。

 当日 中学柔道ボーイズもお手伝いに来ました。中学生は彼等だけ!しかもばっちり翌々日のニュース番組の取材で映っていました。

 師範に 稽古相手にも指名されたのですが 思いきりが悪く 講習のよい教材とはなりませんでしたのが悔やまれます。

 ただ なんで私達の稽古会があるのか 何となくその意味は解れたかもしれません。

 柔道の乱取りをするわけでもなく四つ足歩き等ひたすら妙な運動をするのですから…。

 ともあれ どういう方面どういう方であれ 一角の名を成した方に会うというだけでも 彼等にとっては将来糧となるはずです。

 そう言う意味では 単にポワ~ンと突っ立っていただけですが よかったなあと思っているのです。

 さて質疑のコーナーを設け シャイ(?)な受講者の方をもっと絡ませようと魂胆しました中 妙な質問をする方がいました。『骨の外し方 入れ方を教えてください』という話し。

 たしかに 骨の構造…関節の構造として 『外れた入れた』という表現のあてはまる関節はあります。

 私は 昔鴨撃ちの方に 鳥の肩関節肘関節を解体する過程で外して行く事を教えてもらいましたが するり外れるのにはそれなりにしなければならない『ナイフ入れ』と 外す方向性がある事を教えてもらいました。

 結論として言いたいのは 容易に外れる方向性があったとしても そうならないように人体(生物体)の構造は上手い事出来ているという事。

 テレビでの活劇モノのように 暴漢に対して立ち向かい捌いた上でエイ!とやり「大丈夫 ただ肩の骨を外してやっただけだ…」と言いのけるような事は 脱臼癖があったり筋肉や靱帯等骨同士をつなぎ止めようとしているものが『緩い』とか『遊びがある』とかが無い限り容易には出来ないので 護身術の技として ましてや動きの中では無理だよなあと思った次第。寝技として じっくり拷問のように攻めるのなら別なんでしょうが…。

 甲野師範は 少しもたじろがず単純にして難しい事の説明を真摯に淡々としてくれていましたが それでも難しい話しなので いい意味 物騒な話しでもある設問の解答がケムに巻かれたなって感じとなり 少し胸なで下ろした次第。

 この稽古日誌や このホームページを読んでいる方はどう思うか解りませんが 何ボ思想的に崇高な教えを持った流派流儀であっても 武人たる人達は 最後の一手をようよう明かすものではありません。

 いかに弟子であろうと 自分の見極める眼を養う媒体でもあるのですから 教えの場は これまた我の修行の場。

 それを我々が 講習会を経て魔力を得るものと思ってしまうのはお門違いなのだという事を その時同時にまたあらためて思いました。

 二日目。私はスタッフでありながら ある事情があって講習会には参加出来ませんでしたが 合間を縫って 師範が稽古場で内輪の稽古をするというので行きました。

 そこでの目からウロコ話し…(というより 師範の話は 突き詰めれば極当たり前の事ばかり。それをそう見れない そして出来なくなった私達を気付かせてくれる…と言った方がいいかもしれません) 。

 古剣氏の稽古日誌でも書いてありましたが 総合格闘技のそして私の合気道の兄弟子にもあたるH氏が 打突系による『無刀取り』について意見を求めておりました。

 打突系では 掴んで制する技よりは踏み込まなくても 拳もしくは蹴りが当たりさえすれば 相手の戦闘意欲を削ぐ事になるかもしれませんが その場合 死角ポジションに位置取りして打突するという行為とはならず その場で少し踏み込んだ程度での打撃となるので 相当早い剣には剣術の心得のない私でも 太刀という道具を持った時点で ようよう捉えらる事が出来るのです。

 対打突技同士なら いかにどちらかが早いかで決着着く所なのでしょうが 剣対打突なら そういう対峙の仕方をしてしまう時点で 打突の方がもう負けは確定といった方がいいでしょう。

 合気道でも当て身の有効性を言ってはおりますが 中々振り下ろされる剣をかいくぐり制するのは難しいものであります。

 師範の術理を駆使した振り下ろされる剣をかいくぐる『躱し』の凄さも見せていただきましたが 最後に躱さず 相手の股の間に滑り込み 捨て身技『巴投げ』のような形となって 足を股間 鳩尾 顎に当てる動作には あっと思いました(私の心中では『ああ この手があったか』と思った次第)。

 滑り込んだ時点で 相手の急所は打ち放題です。

 甲野師範「意外とこんな感じの方が 有効に対処出来るかもしれないなあ」とぽつり。

 甲野師範にしては 即物的な技だなあと思いつつ 有効だからと反応した動きなのだから それはそれでありなのだと 発想の自由度の無さを猛省。何も難しい事しなくても 開いている扉を開けただけ…という単純明快な答えを導けるかどうかが 大事なのです。

 さて H氏「でも こうして下になっているのだから その他の人間が攻撃して来る可能性もあるのでは?」と言いました。

「自分の身を盾に 『さあ オレが押さえているから オレはどうなってもかまわない こいつをやっつけろ』と言える奴というのは 相当訓練されて自分が犠牲になってもという考え方だから そうそういるわけなく 第一下と上で刀を掴み合い ぐんずほぐれつの状態の中に割って入れるものではないでしょう。」

…そんな話しは どこかでも聞いた事あります。

 ともあれ 振り下ろして来た刀に向かって行くという事は お互いの速度がプラスになって行くわけですから 躱すというのは 相当難しくなるはず。

 それを滑り込むように倒れるという事は 数学的には速度が同じか遅くなるので 反応にはゆとりが出て来る事にはなります(もっとも計算上の話しですが…)。

 実は 私 昔の得意技が『巴投げ』だった事もあり もう少し考察させてもらいますと あわよく滑り込み次に『蹴る』動作をする事の際 床面に着いた背中…つまり大地を味方にして足を伸ばす事(蹴る事)で その力は普通に蹴るより 相当強くなります。

 柔道の場合 『崩し』が上手く行けば 自分より体重の重い人でも そうして蹴り込むと差程苦もなく軽く結構な飛距離で投げる事が出来ます。

 タイミングよくいけば 非力だった私でも2メートル近くは投げた事もあります。もっとも その前に身体能力のいい人なら 体をひねったりして回避行動の猶予を与えてしまうので 『巴投げ』は本来は頭首を折るつもりで即その場に『落とす』感じが肝腎です(柔術になってしまいますが…)。

 ともあれ そのぐらい 大地に背中が接した(地球を後ろ楯した)刹那の蹴りは 強いのです。

 しかし その感じはとても難しく 床に着きながら滑り込み過ぎてもだめでしょうし(摩擦で減衰) さりとて超低空で滑り込んで その後重力により背中が接触した時点もしくは接触する直前に『蹴り』の動作をすると 例え超低空(紙一重の高低差であっても)いわゆる背中腰を打ってしまい自分も痛めてしまったり ひどい場合は 蹴り損じたりすると巨漢なら潰されてしまい いわゆる『捨て身』が『捨てられた身』となって 『死に体』となってしまうのです。

 さらに…。

 『巴投げ』同様 後で思い返したら ちょっと稽古会では出来ないな~と思った次第。

捨て身技は 養正館望月稔師範の所の技群を見て 決して身を捨てて一発逆転を狙うような投機的な技ではないと知ったものの 型として象形化して稽古するに至っても 実際の刹那をイメージしシンクロさせるには 程遠くなるなあと思ったり…。やっぱり 出たとこ勝負の一発技なのかなあとか思ったり…。

 そうやって考えてみると 実感出来る『型』とするには…(あるいは精妙な術理を折り込み隠すには)と 古の武術家も苦心したのだろうなあと 妙な思いを馳せてしまいました(だから 暗号ゲームのように 古剣氏の家伝の術理を考察するのをお手伝いするのが面白い)。

 ともあれ今は 袋竹刀や防具そしてマットや畳があるので あまり抽象化した『型』としなくても出来る環境でもありますので 『無刀取り』の一用法として研究してみようかなと密かに思っております(お相手して頂く方…多分古剣氏…?間違って股間直撃したらごめんなさい…防具にはファウルカップはいるのかも…)。

 しかしながら 立ち向かい するり抜けて(躱して)制するという魅力も捨てがたい。

 実はその点で 最近中国拳法の流儀である『八極拳』の用法(ビデオでしか見た事ないんですが…)がずうっと気になっておったのですが 先頃小太刀の型で似たような事を実践し いい感触を得たと古剣氏が言っておりましたので それを体験出来ればと楽しみにしてもおります。

 実際 古剣氏の家伝剣術の小太刀の型は なんとなく『八極拳』の赴きを感じておりました。

 ともあれ 古剣氏の稽古日誌での検証レポート 皆様方こう御期待しようではありませんか!(プレッシャー…意地悪…ちょいと過ぎましょうか…) 

 分れ道 泣く笑う 臥薪嘗胆 昔の人の骨 十年の価値一年の価値 象の時間ねずみの時間 心臓の鼓動 附随筋 風前の灯火電池が切れる

 講習会の後、寒い道場で甲野師範と仲間数名だけで稽古。私は真剣と家伝剣術の型の見直し。総合格闘技のH氏は無刀取りを質問。

 師範と真剣での斬り結びは一年ぶりである。真剣同士を打ち合う稽古は、幼い頃から見慣れていたが、刀がボロボロになるのを嫌がるため、全国的にも珍しいことなのだという。 最初に師範が三脈を診て、危険を占う。少し緊張気味の私は自分の脈がわからず。「脈が無いよ、私は既に死んでいる?」といえば、「死人ならもう負けない、安心しなさい」と仲間が笑う。

 師範には手加減していただいた。剣と剣が衝突し、すり合うと時々、野球ボールほどの火花が散る。昨年はガチガチであった私も、手の内を和らげ、少しはリラックスして斬り合いを工夫できるようになった。

 それにしても斬り結んだとき、鏡のように滑る剣と剣。突き蹴りや組み討ち、木刀や竹刀を受けるよりも、何倍もタイトで緻密な空間把握と動きをしなくては、攻防の隙間をすぐに重金属の剣がすべり込んでくると実感。

 他にも私のヘタさがある。斬りや体術の動きでは、相手とぶつかるポイントのみに力が入り、その前後では空っぽのことが多い。しかし師範によれば、動きのどこで触れても威力のある動きでなくてはならないといい、中国拳法にも同様の術理があるという。

 それを聞いて私は、関東で一刀流を修行されているS氏からいただいたメールを思い出した。私が稽古日誌で記した、「転ぶ歩法」を剣術稽古で試されて効果があったこと、歩行中に自転車と衝突したが負けなかったことなどを報告いただいていた(S氏、私こそ勉強になります。お礼申し上げます)。

 袋竹刀稽古。こんな貴重なチャンスはないと、失礼を承知で矢継ぎ早に家伝剣術の型の疑問をぶつけていった。同じ型でもできる人がやればできるのだ。数年工夫していてもわからなかったことが、師範のアドバイスによりその多くが氷解していく。そうかこのように解釈して遣えばいいのか。ここは動きを溶かして遣うといいのか。師範は我が剣術を「まさに古流だ。面白い、いい流儀ですねえ…!!」と何度もおっしゃられる。

 いつも書く生々剣。師範は願流剣術の「ただそのままの剣体我独り立ち上がれば、重きも独り落ち、我も独り行く道也」と共通する術理を目指しているのではないかと、指摘された。どうしてそんな難しい型が一本目なのでしょうかと訪ねれば、たいがいの日本の武術の傾向だという。

 大太刀で正面からの斬りを左右にさばく型。まず私のやり方を拝見していただく。右方向への型のみは、見ていた師範とS氏から「もう、できているよ」とお褒めいただいた。 次の型では、師範は「もっと鋭く、もっと速く打ち込んでこい」と繰り返されるので、私も必死になって間髪入れずに何度も面部へ打ち込む。なんだか自由乱打のようになってきた。

 そして特に私が幼い頃から疑問だった小太刀の型に興味を示される。正面へ斬ってくる相手の太刀に全く触れずに、横へさばくのだ。その際の片手小太刀の操作はシンプルすぎるほど。だが、体幹を伴う動きと浮きがかかりやすい動きで、非常にいい型だ、公開したらどうか、と励まされた。そのご指摘が最近の我が工夫と重なる部分があったのも嬉しい。

 家伝剣術を信じていない私は、実家のヌカ漬けが誉められたようで照れくさかった。

 ご子息とも竹刀を合わせたが強い。父上のを見て盗んだといわれる。私は、蹴らずに両足を細かく早く動かす方法を教わる。私でも今までの観念を変えただけでスグにできるようになり、元の方法は無理な気がしてカラダが受け付けなくなった。コツコツやるよりも、一瞬にして変化した我がカラダ。不思議だ。

 師範によればご自分が20年かかったルートをご子息が2年で習得されてしまった。自分のは無駄な労力だったと謙遜された。まねて学べる環境がいつも身近にあることの重要さ、そして武術は慣れろではなく、上達するには術理があるということだ。

 本当に充実した三日間であった。甲野師範とご子息に深く感謝申し上げます。

 一年に何度もできない特別の日が終わり、我々は日常の稽古に戻っていく。

 講習会の運営をうまくできず、ご迷惑をかけ、自分でもクタクタに疲れたはずだった。しかし何故か、終わった夜にはフツフツと「もっと稽古しよう」という情熱が以前より涌いてきた。意味のある疲れはかえって生命力を強くしてくれる気がする。カネがあってもそれが無い暮らしはなんと空虚か。

 私の場合おそらく、家伝剣術を解く新たなヒントをいただき、己の中に新鮮な視点が生まれただけでなく、講習会を通して様々な分野の多くの人々と共有できたことで、自分の歩む狭いケモノ道が少しづつ、世の中で確かさを増していく実感を知った喜びなのだろう。

 真冬が来る。また暖房の無い道場の床は凍り、真っ白な寒さに閉ざされ、心身が縮む日々が続くだろう。小学生の頃、吹雪の朝5時、合同稽古に行くため乗せられたワゴン車が、凍り付く霊柩車に見えたことを思い出す。今も私の剣術が何のために存在するのかわからない。だが私はこの熱があれば、地吹雪の白い闇でも、独り自分を励まして行けると思う。燃えよ剣

 脚の痛みが消えてから、動けるカラダにココロまで踊り出してくる。単純バカだ。

 やることが詰まっている。帰宅してからも剣術稽古か講習会の準備。あと二ヶ月で仕上げる民俗関係の原稿が数種。間に合わない。催促の電話が。行き帰りの通勤電車でノートパソコンを叩く。方々からいただいたメールにも返事していない。すみません。

 11月26日、27日の甲野師範の弘前講習会。皆様のお陰で大盛況に終わりました。深く御礼申し上げます。

 師範の最新術理の体験から始まり、ライブ感覚で進んでいくいつものスタイル。不特定多数を相手に、講話しながらワザをかけるという、師範の孤軍奮闘をサポートし、引っ込み思案な同郷人がドンドン質問して工夫していただくよう、少し進行を変えた。

 その概要は、28日夕方の青森朝日放送「スーパーJチェンネル」特集で放映していただいた。デスクのN氏とK記者に感謝申し上げます。また、11月29日の「陸奥新報」朝刊にも掲載していただく。K記者有難うございます。いつも取材に追われる甲野師範も、首都圏に較べてこちらマスコミのマナーの素晴らしさに深く感心されていた。

 我が会は、素人約10名のささやかな会だ。利益が目的になりようもない。赤字ならばいつでも幹事の私がかぶるつもりです。それよりも、ふるさとの人々に、このような世界があることを知ってもらうこと。その御縁の中から、武術が、我が田舎剣術が再生するヒントをいただくこと。自分と家伝剣術が、存在していい場所を取り戻したいのだ。

 最初は少なかった申し込み。日が迫るほどの急増し、様々な武道の師範や格闘技のみならず、スポーツ、福祉関係者、未経験者など。当日の朝まで約40名以上の申し込みが続き、飛び入り、そして隣の剣道や空手大会に出ている師範達がのぞきにくるなど、多くの反響があった。司会と運営でドタバタしていた私は、全く聞いている余裕がなく、内容がわからない。懇親会では何人もの方に、「またぜひ企画してくれ」と励まされる。そのニーズの高さに改めて驚く。

 二次会も終わって夜12時過ぎ。ホテルへ甲野師範をお送りする途中、「現代において古武術という特異な分野が再注目されるとは、いったい誰が予想できただろう」というお話になった。同感だ。特にこの地方においてもだ。

 東京は様々な個性が存在しやすい土地だ。私は十年前、国分寺付近に住み、大学院に通っていた。首都圏には、あらゆる武道・武術・格闘技・スポーツ理論の道場やセミナーが集まっており、どれでも選び放題、受け放題である環境がうらやましく、あちこちのぞいてまわったものだ。

 どの分野もそうだろう。人口が多ければ、それだけ多種のニーズと、受け皿が発生し、それぞれある程度の人数が集まる。集まれば、例え弱き存在でも同じ穴の中で守りあって、夢が続く場合がある。だからこそ、どんな変わった個性でも存続でき、新しい未来を生み出すための実験場、データベースとなる。

 だが地方で個性が居場所を獲得するのは難しいといえる。みんな限られた資源と土地にしがみついて生きているため、バリエーションを許す余裕が無い。社会的な拘束力も強く、ムラ八部というコトバもある。都市よりも変わり者であることに耐える信念と闘いが必要かもしれない。

 残念ながら家伝剣術も、ふるさとでは奇異な存在である。この地に我が流儀が根付いて二百数十年。廃藩置県でお役ご免になり、弘前藩、八戸藩の代々の武芸の家は次々と消え、近代武道に交替した。二十世紀後半には県内で、近世以来、武芸を血筋で継承してきたのは我が家だけとなる。己は変わらずとも、時代の変化で変わり者となったのだ。

 5才から仕込まれ、相手は祖父から父へと変わったが、変わらないのは、家伝剣術と自分の存在が、周囲から浮いているような感覚である。なぜ同じ剣道の友達がやらないものを、私はやらされているのだろう。こんなヘンなもの、見ている人々が、理解も評価もしようとはしない役立たずの個性に、我が家では何代もの身体、ココロ、財産、人生を投入して守ってきたのだ!?

 マイナーな存在。剣道大会で勝っても、地方の剣士として生涯を送った祖父のことを評して、中央の某有名体育大学出の剣道師範は、「あなたの父上はいくら剣術宗家でも剣道の素人なのだ」と皮肉ったという。若かった父は黙って拝聴していた。あまりに不用意なそのセリフは、その人の剣風をも類推させる。今なら私がカタキを取りにいく!?ところだが、その師範も既に鬼籍。本の中では、同故郷の近世の武芸者リストを見ても堂々と、「全く知りませんなあ」とコメントされている。この地における、剣術と剣道との歴史的断絶性を物語るセリフだ。

 近代国家制度の進展とともに、武術、農林漁業、大工、職人など、すべてのワザはマニュアル化して中央集権制となった。近代の競技スポーツであるからこその中央集権的な発想なのだ。当時としては仕方がない。

 だが、生きていくためのカラダは「逆」中央集権だと思う。ひとりひとりが自分で探求すべきカラダを持っているから、わざわざ中央本部まで習いにいかなくとも、先人達がふるさとで、自分の身体と環境から見出していたワザがあった。お山の大将ではない。広い視野を持って取り組めば、自分のカラダも、普遍的な広い世界とつながる可能性があるようだ。

 実際に、甲野師範が十数年来の術理バイブルとし、光岡英稔師範が韓氏意拳との近似性を褒め称える「願立剣術物語」は、南部盛岡藩士が記し、近代の八戸青年会が、青年教育のために収集していた青森県の史料なのだ。なぜこの辺境に、中国大陸の超達人ともつながり、昨今のトップアスリート達が再注目するカラダの技術が形成されていたのか。

 前日25日の夜、師範を津軽三味線ライブ演奏の店「山唄」にご案内した。ご子息、S先生、K氏も同席。弾き手の動きから武術の術理を考えられていた師範がおっしゃった。

 史料を見れば、近世の弘前藩や八戸藩には、無名でも凄まじい腕の武芸者が何人もいたはず。無名の達人は現代の世界各地にもいる。知られていないだけだ、との励ましのお言葉をいただいた。

 外部に指摘されるまで、身近なふるさとの素晴らしさに気が付かないことは我が県人にはよくあること。そして流儀の名前が必ずしも達人を生むのではなく、個人のセンスと求め方も大きなファクターとなるらしい。

 そうだ。ふるさとにも失われた多くの身体の知恵とワザがあった。ただその具体性を示せる人が失われた。近代以降、その再検証にチャレンジした先人達の足跡を知っている。 今度こそはと思う。しかし今の私にはそのチカラが全く無い。だから今回は甲野師範のお力を借りて啓蒙し、私以外の人のチャンスを増やすのだ。

 私には見とれない失われたものでも、他の多く方々の眼で見直せば、いつかセンスのある方が道筋を探り当ててくれるだろう。そのキッカケを作るのが今回の私の役割ならば、キチンと果たせたのか。達人にはとうていなれない私の役目は、そんなところにもあるのかもしれない。

 現代において、この時代錯誤の宿題をいただく確立は何億分の一だろうか。日本人に生まれる確立、人口の少ない津軽に生まれる確立、古ぼけた剣術の家に生まれる確立、先祖が廃藩置県や二つの世界大戦を経ても剣技伝承が残せる確立‥と無数の条件をかけていけば超マイナーな分、その確立の低さに、実は呪うべきではなく、幸運な私ゆえの個性だと深く深く感謝すべきなのだ。

 二百数十年間、代々剣技で世の中に少しでもお役に立つことのみが、父祖からの血をつないできた小さな一族のよりどころ。他はなんにも財産がない。時代は違えども、各世代の者が、生来与えられた小さな役割を、それぞれの時代の課題に応じて果たしていくことに、なんのためらいが必要か。 

 家伝剣術が父と私しかやっていない、ちっぽけな存在であることは「むしろ喜ぶべき素晴らしいことだ」と、かねてから甲野師範は周囲の方々にもおっしゃっていた。

 つまり、親子二人だけの田舎流儀は、有名な大流儀のように、看板やしがらみを受けることなく、誰にでも教えを乞い、自由に負け、失敗し、工夫することができる。様々なことに首を突っ込んで、古流としてのメンツは無いのかと批判する方もいよう。つまらないプライドだ。それより伝統の化石ではなく、使える具体的なワザでいたい。看板は無くとも、百年後の世に生きているのはどちらか。

 しかし迷惑をかけているのは我が会の皆様。いつもいつも私の我がまま、思い付きに引きずり込んでいる。本当に申し訳ございません。それでも親身になって助けてくれる皆様に深く感謝申し上げます。

 このところ 本当の意味で『稽古日誌』になっています。

 さて 今回は中学柔道ボーイズは テストの為休み。

 でも 格闘少年Hくんは今日も来るだろうと 私は前の晩忘年会の酒も飲まず しかしながらしっかり美味しいものは頂いて150キロぐらいの道のりを ミゾレも雪も何のその 深夜に帰って来ました(私偉い!?)。

 着いたのは朝方。仮眠二時間。このところのチョ~寝不足はピークに達しておりました。

 なんと熱心な!と美談に聞こえるやもしれませんが H田くんの携帯のメールアドレスのメモを忘れて来ましたので(早めに登録すればいい話しなのですが…今だどこにメモがあるかもわからず…) 帰って来て伝言するしかないわけで まこと科学技術の発達による恩恵生活は こんな事でもろくも崩れてしまうのであります。

 いっぺん電話もパソコンも電気もストーブも車もない状態にしたらどうなるか?…と 想像するとぞっとするものがあります。

 まったく 携帯電話は 人間に『段取り』という『先を想定した気構えとシミュレーション』する事を曖昧にさせてしまいました。

 いつでも出来る…という過信は 本当に後で人間をパニックに陥れるという事を もう一回覚えておいた方がいいと思う程です。『気遣い』という赴きも希薄になったような…。

 また『スピード』とか『即決』とか こういう機器が発達したおかげで ますます加速がついたような誤解を生んで来ていますが 実はその逆。

 いつでも出来る…という過信が 事をぎりぎりまで遅らせ そのぬるま湯が『用意周到』『配慮』を二重三重になす事をおろそかにしてしまう為 一回ほころびると あられもな展開に陥れられてしまうのです。

 分析したわけでは無いのですが 昔よりなんとなく『過敏過ぎる程の気配を察知しようとする気持ちと能力』が希薄になったような気がします。また 技術向上以前に そういう習練もなす時間を取っていないような…。確かに法や基準規制による社会整備がなされて来て 見えないところでそれが機能しているとも言えますが…。

 まったく 携帯電話などの現代三種の神器と言われるような数々の恩恵によって深層心理に蔓延したこのような事になってしまう思考展開は 日本と言えば…少ない予算と数少ないチャンスの中での技術革新…という気風(起死回生 一発逆転 神風という言葉も好きですし…)を根底から崩してしまう結果になってしまっていると言わざるを得ません。

 そりゃあ 予算が潤沢なら結構ですけれど 工夫する意欲が希薄になりやすい事も事実なんですから… 。

 別段責めるつもりはないのですが かの宇宙開発だとて そりゃあ予算が少ない…失敗出来ない…という極めて日本的なお家事情の中で進化をさせて来たのに 最近の失敗は 何となく昔の頃と失敗の『質』が違うような気がします。

 今を起点に 過去の『失敗』を見 そして『成功』例を見ていると 『失敗』は『あんな設備や環境なんだもの…』と言いたくなりますし 『成功』は『神憑かり的な職人達の技』と思えてなりません。

 余談ですが この間優勝したマラソンの高橋尚子選手の靴を作る職人さん イチローのバットやグローブを作る職人さん ヨシムラの手曲げのマフラーを作る職人さん(ちょっとマニアック)…と 言えばイメージしやすい職人さん達から 日本の産業を下支えしている職人さん達まで 日本の職人さん達は本当にすごいのです。

 だから『ロケットを町工場から作る』というコピーを聞いた時は なんの驚きもなくうなずいてしまいました(じゃあなんで 儲けて大きくならないの?となりますが そういう事に着目し引き出し展開させようという役目の人間が 日本人には少ないからなんですが…)。

 敬愛を込めて『職人』という言葉を使いましたが いわゆる科学者も含んだ大きな意味での技術屋さんとして 昔 高校時代の物理のY谷先生は 放射性物質の授業の際 日本の『原爆開発』の話しをしてくださいました。

 日本も原爆開発をしていたというのを知ったのは その時が最初。

 記憶が定かではなくて 先生はそれに関与したとか 戦闘機の設計に関与したとか なんか微妙な記憶の断片しかないのですが ともあれ 今のようにコンピュータもあるわけでもなく 技術レベルも設備も実験予算も材料も無い中 それはそれはすさまじい科学研究というより苦行労働に近いものだった事を感じたのを覚えています。

 確かに戦時下でもあり 国民一丸となって走っていた時期でもありますので 原爆の恐ろしさを思っても その研究に携わった人々を云々する事は私らには出来ません。

 でも 人を大量に殺戮する事なのだという事を 不本意でも外して考えた時 その時に生きた技術者のバイタリティたるや 凄いものを感じもします。

 違う話として…

 大学時代の恩師(建築)が 自分の恩師(建築)の話しをしてくれた事があります。

 ある時 恩師の恩師が軍部から 『拷問器』というか『自白器』を作るように依頼されたそうです(この話しは以前書いたかもしれません…)。

 傍観者的視点で見れば 依頼というより命令だったのかもしれませんが 恩師の恩師は見事にそれに答えた設計をしたそうです。

 それは 一見『棺桶』のような物で 直立させると 座るに座れないスペースだったといいます。

 そして中は真っ暗。ちょうど口の辺りだけ 食事用の開口部が開閉出来るようになっていたそうです。

 する事は その中に閉じ込めておき ただ放置するだけなのだそうです。人は発狂寸前となるそうです。

 その恩師の恩師は 戦後戦犯として捕らえられ その罪を責められました。

 しかし 恩師の恩師は毅然と『私は 依頼者の要望に答えただけだ。その満足行く結果が得られた事に 何の恥じる事があろう』と言ったそうです。

 日本は負けて 勝てば官軍の連合国側ではありますから いかにそうであってもそう言わぬが…とは思うのですが すごいもんです。

 しかし 何故 私の恩師は何ゆえそのような事を教えてくれたのかは 事ある事に書いてみせる事で自問しているのですが 今だ明解に答えを出せないでいます。

 『拷問自白』の為とは 言うだけで残虐性があるものですが 作ったものは中途半端な棺桶一つ。

 これこそ建築の建築たる事を知っている上でのフォルムでありましょうから そして結果を出したわけですから 相当凄い事なのです。

 そんな中 この間「『正座』に関して載っているから…」と 「稽古人」氏から宇城憲治氏の著書をお貸し頂きました。

 その中の一文に 徳川吉宗とある弓の名人の話しが書かれてありました。

 内容は 弓に覚えある吉宗が弓名人の試合を挑んだのですが 当の弓の名人 将軍に勝つわけにもいかず さりとて負けるもの…として 結局は 的を外して数矢射たのだそうです。

 しかも 同じところに…。さしもの吉宗もこれを見て 負けを認めたとか。

 何やら 一休さんの『このはしわたるべからず』みたいな話しにも感じるのですが 先の話しや先先の話しにも通じて『意地』『気概』そして『覚悟』を感じさせる話しではないでしょうか。

 最終的に 備えた道具や技術がトップでも『意地』『気概』が無ければ 生きては来ません。

 また備えた道具や技術が非力でも 日本人は『意地』『気概』で克服して来た部分があったからこそ 今日の発展があったという事を 悪しき点をもひっくるめ認めざるを得ないのではないでしょうか?

(補足ですが 戦時下の国ではどの国の方も男女係わり無く『意地』『気概』を持って頑張っていたのです。)

 そう思うと 時代錯誤に感じた『気合いだ~(本来の意味の気合いとは違うだと思うんですが…)』と叫ぶアニマル浜口パパも 相当真理を突いているんだな~と思ったり…。

 そういえば 最近は『笑い』がキーワードとか。あなどれません あの方の野性的理論は…。

 それら皆ひっくるめて 『覚悟』という原動力がないと進みはしません。

 けっして肩をいからせ 歯を食いしばる事ではなく 力抜き 周囲を平静な目で配り 粛々と事をなす事の方が 本当の意味で『覚悟』の域なのだと思います。

 私には 程遠い『頂(いただき)』ですが…

 …といきなり大上段となった話しですが ここに『段取り』悪い男が 忘年会での酔いつぶれた輩を尻目に 眠い目を擦りながら H田くんのため…いいえ たった一言『連絡ひとつも出来ない大人』と思われたく無い為に帰ったのでありました。

 まあ それらお茶らけた理由はさておいて…。

 甲野師範の講習会の為に 色々と「古剣」氏が獅子奮迅 縦横無尽?いやはやなんと説明してよいか 鬼気迫る形相で頑張っているのを 微力ながら側面で支援しようという意味合いから 仕事の為稽古会を欠席する「古剣」氏に代わって 来られた方々に申し送り事項もあるので…というのが大きな目的でもあり それが出来たら帰って寝たいなあとも思いつつ 武道館へ。

 案の定 H田くんは待っていました。彼は 聞く所によると高校では陸上部に所属しているのですが 部活にはほとんど行かず 大東流系の合気道 ボクシング ブラジリアン柔術を含んだ格闘技を 習い回っている上に 私が所属している稽古会に来ています。

 その前半 面白そうだからと 中学柔道ボーイズのメニューに参加しているのです。

 前回バランスが悪いなという事を指摘していましたが 合気道の道場でも似たような事を言われているらしく まんざら見立てが間違っていなかった事に 内心安堵したりもしました。

 そうこうしている内にちょうど ロビーで武道館の管理をしている職員の方で いかにも相撲をしているような方とばったり会い この機にと 『四股』および相撲の練習メニューにはどんな物があるか 純朴高校少年(?)のように「相撲の練習法教えてください!」と伺う事にしました。

 やはりメインは『四股』。でも 聞いてはみるものです。

 『四股』の要領には 色んな要素が入っており なる程と思う事ばかり。

 『四股』は 腰割りなど静的運動におけるストレッチ的要素もありますが バランスもある程度養成されるという事はやっていると分かります。

 しかし実は 動的運動として バランスの維持制御の体幹認識も養成されるようになっている事を知りました。

 …というか 一度はやった事がある人が多いでしょうから なんだ~という話しになってしまうのですが ちゃんと教わった通りやろうと思ったら 相当大変な難しいメニューでありまして 『四股』から『四股踏み』そして『四股歩き』となると そりゃあもう『四股』の様相をなせるものではありません。

 『四股』まではいいです。次に『四股踏み』。

 『四股踏み』は腰を上げ これから重心を掛ける足(軸足)に上げる足を引き寄せる時 なるべく前屈みにならないようにして ついぞ体は重心をかける足の方にねじり また頭を向けてしまいそうになるのを我慢して あくまで上体は前を向く姿勢を崩してはなりません。これが大変。苦しいのです。

 その際 少し膝上方を支えた感じの手で いわゆる膝を入れる感じになりますので 腰割りの時とは違う筋肉のストレッチも兼ねる事になります。

 そして 足上げ。足がきれいに伸び 高々と上がる 美しいというか格好のいい四股をするプロの力士がいますが 考えてみれば横綱ぐらいになると 格好の悪い四股をする人はいませんから それは逆に強さの証明なのではないかと まじまじと実感する程 足上げが上手く決まりません。

 そればかりでなく 床を踏み締める…中国拳法でいうと『震脚』なのでしょうが これまた ひどいもの。上手く足の裏が着地せず つま先になったり踵になったり 小気味よくないのです。

 意外となめて掛っていましたので H田くんともども出来ない自分が腑甲斐無くなりました。

 実は 体力は無いので 彼等と同じメニューとは行きませんが 四つ足歩きが最近やっとフィットしてきたし 我ながら『そん居』『座礼』もいい感じになってきたなあと思ったのですが これでまたガッカリしました。

 ともあれ ロビーでの特別レクチャーを受けた私ら二人は 早速柔道場で本格的に試してみる事にしました。

 いや ほんとに『四股踏み』は難しい。…で次ぎに『四股歩き』。

 『四股歩き』は上げた足を下ろす際に 少しだけ前に出す事で前進して行きます。

 けっして 重心を掛けた軸足で蹴り出して進む事ではありません。『歩く』という意識ではなく あくまでも重心を操作した結果 前進する…という事なようです。

 H田くん 右足(あれ?左だったかな?)を上げ下ろす時ぐらつきました。『あれ?』と思い ずっと観察しているとまた同じです。

 彼に ちょっとうつ伏せになってもらい 足の長さを比べると崩れる方の足が短いのが判明しました。

 振り下ろす落差が大きい分 くずれやすいのでしょうか?

 ちょうど均一に段差があった階段の一段だけがちょっと段差があると 思った感覚以上に落差があるので 前につんのめるに似ています。

 ちょいと骨盤を調整して またやってもらいましたら 今度はしっくりくるようでした。

 左右の筋力バランスが悪かったり ボクシングばかりでなく踏み込む動作の入っている運動行為で 片方を過激に練習すると そんな感じになります。

 そのままにすると 背筋のバランスも崩れ 平衝をとろうとするあまり片側の背筋は(長い方の足側)頑張ってしまって疲労してしまいます。

 今 野球のソフトバンクホークスの監督である王貞治氏は かつて『一本足打法』で名を馳せた人。

 読んではいませんが 新聞広告か何かで『一本足打法は 究極の体幹均衝法』とかなんとか書いていましたので 偏った筋肉の使い方をしていたわけでは無いという事なのでしょう。

 でないと 上述のような事になってしまうのです。

 なんて やけに詳しく書けるのには 理由があります。

 実は私の母親が変型股関節症で手術をし 右と左の足の長さが変わってしまい 二十年以上を経た今 悪く無かった足にも負担が掛かり この度来年手術する事となったのです。

 今まで 素人ながらずうっと小さい時から母親の体をマッサージして来ました。

 手術までの間 長い足の方の背筋が異常に発達したのを通り越し硬直していましたのを見かねね 思いきった靴底の厚みの靴をオーダーしましたら 少しはバランスが良くなったのか 硬直していた背筋が柔らくなって来ましたので とてもその事が実感してよくわかるのです。

 使い過ぎて硬直した筋肉は もとに戻るというのは 往年の名投手金田正一氏が 曲がらなくなってしまったと思った剛腕が今では曲がると言っていましたから 内心は確信していたのではあります…な~~んて。

 さてさて 『四股』で自分の体のバランス具合が分かりましたので 高々と安定して差し上げる足となるには 開脚して『股割り』等の付帯した運動もした方がいいのではとも思いました。

 スポーツトレーニングにおける相関してやる運動というやつは こういう事なのかもしれません。闇雲に色んな運動メニューをこなすのではなく アスリートはこんな感じで積み上げていくのでしょうね。

 私らも そうして股関節の可動域を広げ さらに『四股踏み』の足上げ足下ろしをよりよい稽古とする課題が見つかりました。

 今のところの目的は H田くんのバランス養成でありますが…。

 ともあれ『四股』は 踏み込んでの膝に手を当ててさらに負荷(アイソメトリックスです)を掛けたり 大きく沈み(ストレッチです)込んで等で 考えると色んな要素で大腰筋他色々な筋肉を鍛えるようにプログラムされているし それと相互連動する運動の大事さも 判ってきました。

 何せ 相撲は 体のぶつかり合いです。鉄道を走る車の先には緩衝器が着いているように ぶつかった際には股や膝をうまく使って衝撃を受けないと 体は痛みます。

 ですから 巨体に似合わず体を柔らかくしようとするのかもしれません(近年角界入りした子らの怪我が多いと親方連中が嘆くのは 子供のくせに体が固いからというのでも判ります)。

 その上で アメフトのように自らの体に『肉』というプロテクターを纏う為に食べる…ある意味理に適っている事なのかもしれません。

 アメフトといえば 横綱で三代目若乃花(ちなみに初代若乃花の生家跡というのが車で程ないところにあります。前田光世といい。由来がある場所がこんな近くなんて…)が引退後 アメフトに挑戦した事があります。

 残念ながら大成出来ませんでした。それは何故か考えた事があります。

 上手く説明とはならないかもしれませんが 空手とボクシングの違い そして土俵のある日本相撲と土俵のないモンゴル相撲とでもいいましょうか…。

 相撲は 俵そして徳俵…厳密に言うと 俵と徳俵のコーナーを上手く使う事を 攻防の中でインプットされています。

 その為には じっくり足場を固める体勢というか姿勢による攻め方が体に居着いています。

 一方 アメフトは縦横無尽に来るオフェンス側をディフェンス側がブロックしたりタックルして防ぐという感じになります。もう最初から相撲で言う『変化』があるという前提です。

 ディフェンス側もこれを逆手にとると 小さい体であっても 大男が面白いように吹っ飛ぶ事もあります。

 ともあれ 体のぶつかり合いではありますが 最初のスタンスから違うと言えるでしょう。

 プロになればなる程 自分をその種のモノに 体を特化つまり居着かせていますので 水が合わない事があっても当然なのだと思います。

 あの バスケのマイケルジョーダンでさえ 野球で大成しませんでしたし…(意外と 財も名声も成したので モチベーションを持って行ききれなかったのかもしれませんが…)。

 こんな『考え遊び』をしましたら 面白い推察が浮かびました。

 アメフトの場合 縦横無尽に人にもボールにも対応しないといけませんから ディフェンス側の人間は体も大きいだけじゃなく 肩幅もリーチも長いと有利なのかもしれません。

 一方 相撲は肩幅の広い人はいるにはいますが リーチはあっても肩幅があるのは決して有利ではないのではないでしょうか?

 突っ張りを繰り出す時の胸や肩甲骨を使う事を考えると 肩幅があると繰り出す効率が悪いような気がするのです。

 またぶつかり合いをした時 肩口が正中線より遠い分 『輪軸の原理』で 理論上ですがそこめがけて当たる事は 相手の体がひねりねじりやすくもなります。

 ですから 相撲の構えは 突っ張られる自分と言う的を小さくしようと 大きい体なのに胸を折り畳み 前面をコンパクトにしようという感じです。

 また 肩幅が広い人が『投げ』を打つ場合の 脱きゅうとか怪我率も多いのかもしれませんね。

 肩のテーピングが目立つのは 現代っ子体型の骨弱し体固しの上に『肩幅広め』という理由もあるからなのかなあ…なんて。

 『相撲をするなら あまり肩幅が広いと不利』 …こういう着眼点で こんど相撲を見てみましょ。

 以前 「古剣」氏と 昔の剣術をしている侍の姿を見ると『なで肩』が多い事を話した事があります。

 関取だとて 太さが目立つせいか むきむきで肩幅バーンとした感じの力士というイメージとはならないような…。

 振り回す『突き』技も少ないので ボクシング程胸肉はある感じがしません。そのくせ前方に繰り出す突きの為に 脇下から背中にかけての筋肉はこんもりあるような…(触った事ないですが…)。

 そういえば 太極拳の師に「太極拳の理想体型は『ひさご腹で背中もっこり』なんだよ。ブルースリー体型にはならないからね~」と細い体で笑って答えておられた事を思い出します。

 やはり振り回す『突き(パンチ)』がないからなんでしょうか…。

 考えてみると 相撲は無差別級競技。また 引き込んでの技が前提の柔道より 人間が自然に取っ組み合いで動こうと思った時に出る初動動作による展開の武技なような気がします。

 柔道の方が高度な身体動作というのではなく とっつきやすい分 相撲は奥が深いと言えるのではないでしょうか?

 腰にも引っ掛けず 投げを打つのは結構難しいような気がします。

 ともあれ 相撲は当たって一瞬。長くて数十秒。それに勝利するには 『覚悟』の差がとても出てくる武技なのではと思います。

 だから 『闘気』とでもいいましょうか 番付の上の力士から発するオーラは違いますもの。

 ふと 林檎移出業を生業としている従兄が 年に一回の林檎の収穫でその年の相場の勝負をしなければならない『つらさ』というか『難しさ』を漏らした事を思い出しました。

 人生何年生きられるか判らないけれど 勝負して数十回…たった数十回なんだと 言った事を思い出しました。

 数えられるだけしかない勝負回数に 身を一回一回おいて 苦しむプレッシャーも独特なもんでしょう。

 従兄の父…つまり 叔父は痩せた体ではあるものの力自慢でもありましたが 高齢になり不整脈に悩まされ 今病床に伏せっていますから 大変な日々を生き抜いて来たのだと思います。

 景気のいい時期もあったでしょうが 私が聞いた話は 一家離散 自殺…そんな相場師の末路ばかりでした。

 人間それぞれ色々な『覚悟』があるものです。

 今自分に欠けているものは何か?と考えた時 それは才能でも技量でもなく『覚悟』なんだろうな…と思った次第です。モードスイッチは まだ入っていないのかもしれません。

 今日も稽古会に 中学生の柔道少年H田くんとMくんと高校生の総合格闘技少年のHくんが来ました。

 正直 実はこの間パソコンのOSがいかれてしまい 全部インストールしなおし…データチェックと 仕事は全然出来ず お客さまにも迷惑を掛けている状況でありまして 稽古どころではないのです。

 しかし メールアカウントの書類が見当たらず再発行郵送してもらう事とか ずうっと机に座っていても進まないものは進まない事も有り そして上述の彼等も来るので 寝不足気味で冴えない風体になってはいるのですが 行く事にしたのです。というか 来るから 行かずばなりません。

 そうなりゃ 指導モード。でも 3人にもなり それぞれ身体能力も違うので 今のまま(三人いっしょのメニュー)でいいのかな?と思い始めて来ています。

 H田くんは 体が大きいのを持て余し気味で 膝に負担が掛っているための 身体操作。体も固いです。

 Hくんは 総合的に鍛えているので 体は柔らかく飲み込みも早いですが ちょいと総合格闘技のプロを目指しているには優しい感じ。格闘家特有の剃刀みたいなというか狂犬みたいなというか 時には人を人と見ない残虐で冷酷な感じともなれる戦闘モードのスイッチを入れるのには私は役不足ですが そのための下ごしらえぐらいは意識した事考えてやらないといけないのかなあとも思っています。

 まあ 格闘家で賞金稼ぎするには 嘘でも人を喰うぐらいのモチベーションを持たきゃ無理ですので 一般的に考えると残念ながら田舎じゃ難しいですが…。

 ともあれ彼には何が必要かなと なにげにちょっと断面が半月型のクッションの上に立ってもらいました。意外にも すうっと静止した姿勢を維持出来ないのです。

 少し前から思いはじめている事なのですが 四つ足での状態での体のほぐしを目的とした動きは 保持確保出来る場が四点もあるので それなり求めていた事をこなせるのですが 直立姿勢になると『バランスをとる』という事にもとられてしまうので 理解しても 自分の体の肉付きや癖がでてうまく出来ないとかの色々なファクターも加わって 特定の動作の飲み込みが悪かったり 場合によってはセンスがないんじゃないかとか言われる 個人差が顕著に出てくるのだなあと思っています。

 大東流もやっているせいか体捌きは出来ますから 重力に対しての体軸はあるようです。

 でも重心の下方に安定をさせつつ重心の自由操作(上下左右前後)が上手くないのかなあと思いました。

 これは今度はどういう事にも顕著に表れてくるかというと 立ってでは持ち前の運動神経でフットワークはいいと言われても 四つ足状態での攻防…いわゆる寝技やレスリングのような 地べたに近い位置での3次元の動きに難が出てくるのではないかと思うのです。

 イメージは蛇のようなのたうちまわる感じ…。

 私達は 『踏ん張る』という事をしようとすると 結構一瞬目をつぶってしまいますが グラウンドでの攻防では 直立している時の足に掛ってくる重力を受けての反力という持続的な情報がないから さらに三半規管を駆使した上に 慣れていない体全体を足の裏のようにした感覚を補助するため 視覚も味方に付けてより一層の姿勢制御をしないといけません。

 体全体で踏ん張るし 体全体で地を這うフットワークをするわけです。そのベースがあって 手足を使い 時には飛び 襲い掛かるというプラスアルファは驚異となるわけです。

 でもぐんずほぐれつな時には 自分の状態すら認識出来ない上に 踏ん張って危機を脱出しようとするあまり目をつぶってしまったら よけい好転はしません。

 巧者は 脇が空いてたり 腕が延び気味になっていたり その他首や足 あらゆるところの隙を ぐんずほぐれつ組み合っている中で見えてなくとも体で察知し 相手は攻めてくるのです。

 Hくんには これからそんな事を考えたメニューをしないとな~と思いました。猿のようにすばしっこく 蛇のようにねちっこさが加われば 寝技が弱くて自分の勝負のフィールドでなくても いいアイテムとはなるはずですから…。

 自由自在のバランスを…。果ては玉乗り バランスボードとなるのかなあ…。

 順番入れ代わってしまいましたが 続いてMくん。H田くんが連れて来た先輩です。

 胸板厚い 四角く安定したがっちりタイプ。でも どうも固いんだよな~。ロボコップみたいな動き。

 実は 前回初めての時に 『座礼』の意味を体感してもらおうと 手を前に出してお辞儀してもらいました。

 彼のお辞儀は 肘を横に張り ほとんど床から手 肘 肩に掛けての見てくれは見事な直角です。そうした状態で 私が背中に乗りました。

 次に 手をふっと前に出した時の位置というのを確認させ 今度はその状態でお辞儀。そしてまた私が背中に乗りました。

 どの姿勢が 上から乗った状態の時に対処しやすいか?という実験です。

 彼の答えは前者でした。本当は 手をさっと前に突き出している状態は あまり肘も曲がっていないので 力をそんなに必要としないで  瞬時に棒のようにして 力を入れずに抵抗出来ますから 力学的にも利にかなっているのですが 彼は肘を直角に曲げた体勢が 「力が入る」と言います。

 私は 「どういう状態が自然で 力がいらないか?なんだよ~。力抜いてくれよ。それからなんだから~。」とリラックスを促しました。

 肘肩に 力が入っていないので 今度は…と思ったのですが やはり答えは同じ。

 困っちゃいました…。

 以来ずうっと悩み考えていたのですが ある考えに達しまして その確証を得る為 前回彼と乱取りして実力を見てもいませんでしたので 今回乱取りしてみる事にしました。

 確かに力はありますが 驚くほど軽かったです。重々しさを感じません。固く重いだろうと思われる石が空中浮遊してる感じ。

 昔の仕事の話しをするとなんですが ログハウスを作っている時の話し。

 チェンソーメーカーが違うと カタログ重量が同じでも エンジン部の重心バランスとチェンソーバーの長さとの関係によるバランスなどを合わせたトータルバランスで 体感重量が随分違い それが作業の疲れやすさに関わってくる事を知りました。

 このような事を引用して判るように Hくんは『ある要因』でバランスが悪いのでは?思いまいした。

 試しに もう技のきれもない私ですが ちょいと足払いをかましてみました。

 案の定 タイミングもへったくれもないヘボ足払い。この武道館には 柔道では強剛とし名を馳せた某高校の元監督の方(私と同年代 中学は同地区で 私は知っていますが…)が勤務されていて 見られたら恥ずかしい程のものです。

 でも Mくんは足がもつれ転びました。

 確かに 上半身の胸板の厚さが物語るように 腕のみで考えると組み手の攻防は強いものはあり なかなか懐に飛び込む技は現役でもない私には恐くて出来ません。仕事もある身でもあるので 無理して怪我もしたくないですから…。

 次に 三人に…ガチガチに体を力ませて…上半身を力ませて下半身(主に膝)はリラックスさせて…全体的にリラックスさせて…と 乗り方を変えた形で半月型クッションに乗ってもらいました。

 一番目の乗り方では 数秒も持ちません。半月型の曲面が床に不安定な形で設置しているわけですから それに追随するように重心も微妙に調整しないといけないのです。

 おそらくMくんは 上半身が力んでずっといる状態なので重心が上に固定気味であり よって組んだ感触が軽いのではないかと思いました。

 棒の先に大きな錘をつけて直立させたものは いかに自重が大きくても 小さい力で転倒させる事が出来ます。まさにそんな感じ。ちょっと大技で投げたら 掛ってしまいまして 投げて彼が空中で飛んでいる間 『軽いなあ~』と思ってしまいました。 

 彼は 自分でパワーのオンオフが上手く出来ず 連続系で技を繰り出せる手立てを持てないばかりか 重心を翻弄する連続系の技に弱いようです。

 なまじ力があるものですから 掛けられて それに対抗しようとこらえてしまいます。

 でも 力自体には限界がありますし 彼より力がある連中はいっぱいいます。

 彼には 「どうも四六時中 力みっぱなしなような気がする。ねえ?スタミナ自信ある?」と聞きました。純情そうな柔道少年は苦笑気味に首を横に振りました。

 フリークライミングでは 岩を掴んで緊張は7秒ぐらいで その後は心臓より下に腕を下げ 血を行き渡らせるのだと言います。『レスト』とか言うそうで…。

 また それとは対称的ではないかと思うのですが 意拳ではタントウのいい感じ(リラックスでも緊張でもない ともあれいい感じ。自分でもよく判らないのです)が 3秒も続かないものだといいます。

 なんか 同じ辺りの事で論じているような事に感じられます。

 話す方向性は違っていても Mくんを見てそう推察したりするのは そういう事柄に触れたからなんでしょうか…。

 ともあれ彼の課題は 上半身のリラックスなんじゃないか?という事で メニューを考えて行こうかなと思っています。

 でも 来年は3年生となりますので 少しは実戦モードの赴きも考えるべきなのかな…と悩んでもいます。

 先にちゃちゃっと書いてしまいまいしたH田くんは 四つ足歩きのせいか胸板が薄くなりました…というか 余分な脂肪が取れた感じになった事を報告しておきます(誰に向かってしよんねん??)。

 膝の負担をもう少し軽減する為 あくまでも練習の仕方の考え方を覚える所であって鍛える場ではないのですが いろんな動きをさせて 体重を絞る事にも赴きを加えようと 来週から厚着してその上に道着をきてもらう事を指示しました。

 一応それはそれでいいのですが 胸から下(腹回り)を落としたいのに 腹筋はまだ数回しか出来ないので どうしたものかと悩んでいます。

 …で そこで浮かんだのが デューク更家氏のウォーキング(本持っています)。

 昔あったカチンカチン体操…というか アイソメトリックスのやり方で各部位の緊張と弛緩での静的運動に 心肺機能を高める動的運動のウォーキングを加えて…なんて安直な括り方はしたくないのですが そんな感じがいいメニューなんかなあと思っているのです。

 何せ 受け身も転んだ時の感じが ドシン!てな感じだったのが 少し身のこなしが出来て来たのか 少し受け身らしくなって来たし 四つ足歩きも少し様になってきたのですから もうちょいと何とかならんかと思うのです。

 虐待になるので出来るべくもないのですが 焼ごてをちょいと近付けたら 「うわっ!」て驚く程早く動くポテンシャルは持っているのですから(お尻をペン!と試しに竹刀で叩いたもので…) そういうオンオフが出来てくれば 闘争心はありそう(いい意味で使ってくださいよ!H田くん!)なので いい感じになるんだと思うんです。

 ともあれ私は 単にあるがままの中にある可能性を引き出す役ではあるのですが あの中学生坊主達が「稽古お願いします!」とメールしてくるので ついがんばってしまい さらに欲が出てちらり期待感を見せて欲しいなとも思ったりします。

 …そんなこんなで 『教えるって何だろう?』『先生という言葉』を ふと考えてしまいました。 

 先の中学生坊主達も その道の頂点になるかどうかなど判りはしませんが 磨いてくれというので磨くし 磨けばそれなり光ってきたところも見えて来ています。そうなれば 私としても もう少しがんばっちゃおうかなと思いに行くのです。

 なんかそんな感じが 『教える』『教えられる』の関係なのかなあと うすぼんやり思っています。

 かつて 一学級分の人数 しかも小学生以下から中学生まで ある事がきっかけで柔道を教える事(ほんとは 今流で言うと日曜学童保育みたいな感覚でしたので 教えているという感じはありませんでした。だから 続けられたのだと思います。その内見兼ねて 子供を教えるのは面倒臭いと言っていた諸先輩や後輩も来てくれましたから 思惑通りになりました。むしろ大人にそういう気持ちになってもらいたかったからです。何せ立ち上げの際には 以前自然消滅した経緯があり 仲間は懐疑的だったのです)となり  怪我も気にしつつしないといけませんから 午前中いっぱいやると 午後はもう神経疲れ果てて せっかくの休日は寝ているような有り様。

 つらくもありましたが でも子供らが来るので 引っ張られるように行っていました。

 その内体制も出来だしましたので 後進の方をはじめとした柔道の指導の技量の確かな人に その責を代わってもらいしたが あの時 本当に『教える事で学ぶ』という事を体験出来た事は とても財産となったと感謝すらしています。

 今また こうした縁があるわけですが 今回は特に 彼等には『教えている』つもりはないというスタンスでいようと思います。

 ですから 『先生』と呼ぶ事は無しにしています(私もついぞ目上の方 技量のある方には言ってしまいますが…)。

 ただ稽古会の流れの中で自分がやっている事であり 彼等のフィーリングにそれがシンクロするものがあるならまた来ればいいし やっている横で聞きたければ聞けばいいというスタンスなんだという事を いろんな言葉にしてそういう約束事をば教えてはやっています。

 『まねぶ…真似ぶ…学ぶ』と言う事。

 『教えている』という感覚はないので ただその時間を過ごし 聞いたりやったりするだけでいいと親にせき立てられて行く学校の延長上と思っているなら 彼等も『吸収している(教わっている)』という事にはならないでしょう。

 でも 私らもそういう教育環境の流儀にどっぷりでしたから わからないでもないのですが 流れ作業のような教科書消化の授業で 疑問を持っても言わずにそのままで過ごしてしまって 結局は理解しないで終えてしまう癖みたいなものがついてしまいがちですので 先の事のような事を彼等に言うのです。

 でも どうしても『受けていればいい』という関係(マインドコントロール)からの覚醒を促すのは こんなに難しいものなのかと思っています。

 次ぎのマジックは何と?待たれてもしかたないのです。私には ネタがない事に早く気付いて欲しいのですが…。 

 どこかの都道府県では 予備校の先生の授業テクニックを学ぶとして 先生に対して行われた事があります。

 今の先生に何が足りないか?という点では言わずもがなではありましょう…。

 でも 予備校の先生を 公の教育機構の中に組み入れても そんな動きが出来るならさせてみろと 私が教師なら思う所です。

 そんなのが嫌だから 脱教師して塾講師している人もいるのですから なんとなく滑稽な様に感じてしまいました。

 お偉方の考える事は 子供より判りません。現場の先生はいい迷惑だろうなあ…と思いました。

 縄張り意識ばかり強いのも なんだかな~とは思いますが…。

 私の先生だった方は 面白い人でしたが 酒気帯び運転で懲戒免職になって その後の人生を終えました。

 親も含め そのころから絶対なものだとか神格化もしなくなりだし 先生に至っては 『先生って職業は聖職なんじゃないんだなあ』と思うようになったのは 担任の先生の不祥事で学習したのは皮肉でもありますが 知り得てよかったような気がします。

 先生だって人間です。むしろ『聖職』と祀り上げてしまった事より不幸が始まったような気がします。そりゃあ 霊力もないのに神様に祀り上げられれば 困惑しつつも その内その気になるのと同じです。

 でも現在 どこかで復権 どこかでリセットしないと 収拾がつかないのも理解出来ますが 関西弁で覚えた『われ なんぼのもんじゃっちゅうんじゃ!』というところを いつも踏まえて置かないといかんなあ~と思う次第です。

 そうじゃないから いつかボロが出て 津軽弁でいうところの『なんぼあんでもない』というところとなってしまうのだなあ~とも思うのです。

 私などは 別に自分を卑下しているわけではなく 正々堂々『なんぼあんでもない』と自負しながらしようと心掛けています。

 時折天狗になる事も 気付かない内にありましょうけれど…(ですから古剣どの 『建築家』なんて言葉 やめてくださいね…)。

 ひとりで仕事していると そこいらへんの位置関係が 見えない事が多々ありますので 稽古会またそれで紡がれた縁では とても学ばせてもらっております。

 本当に稽古会の皆様や H田くんMくんHくんには 感謝してやみません。

 こんなおっさん 叱られてなんぼや…と思ってやっておりますので これからも御指導の程お願いしたいと願っておるのです。

 その点 『講習会』というシステムは あらためて考えると とてもいいシステムなのかもしれません。

 自分から学びたくて 身銭を払い 時間を作り やってくるのです。

 ここにある 先生と生徒の関係は理想的なのかもしれません。

 そういうところが根底にあるのか 学校が嫌だったはずの大人が カルチャースクールなんかに通い 盛況なのでしょう。

 でも 好きなものしかやらない。流行っているからやる。身銭を切っても 垂れ流しみたいなものにならないように…。

 またまた でも そういう浮動票の階層みたいな人もいるから 講習会は成り立つんですけれどね…。講演もする側が商売ッ気をいかに垣間見させないでやれる事がひとつのテクニックになって来ている時点で ズレだして来ていると思います。

 難しんだよな~。そこいら辺…。経験者は語るです。

左太股を稽古で痛打し、数日間、歩くたびに激痛がはしっていた。

 生兵法はケガのもとですね。体術でスライディングキックを受けたその晩に、かばって動いていたためか、同じ箇所に誤って木刀を受けたのだ。

 もともと痛みには鈍感だ。子供の頃はコケて膝から肉片を垂れ下げながらも、鬼ゴッコが面白くてやめられなかった。今回は機能的に動かなくなったのだ。

 二日間は、歩行はもちろん、寝返りを打つこと、自動車の運転席に脚を置くことも不自由になった。ある角度になると、ガクンと膝がロックされて尻餅ちをつきそうになる。テニスをやる知人からは「そんなムチャなことに意味あるの?」といわれる始末。

 また稽古が止まるのか!?動かなければ何も生まれない。年取るほど治りが遅いというが、自分はどうだろうか。三日目の夜、ウソのように痛みがひけ始めた。うれしい。こんなに以前のカラダは身軽だったのか。

 私のケガはいつも、不器用で重い左半身が多い気がする。幼い頃、オートバイの前に飛び出して左脚?を骨折した。高校生の頃、毎日のように荒いバスケをやって、左手薬指を骨折した。今年は体術と剣術の実験稽古で左肋骨にヒビを入れた。今度は左脚だ。なぜだろう‥。ヘタクソだからだ。

 幸せなことに毎回完治しているからいい。だが、ケガは、我が肉体のモロさとももに、全身の協調、バランスの重要性を、リアルな実感として教えてくれた。

 打撲は左太股前の筋肉。脚と背は、弱い私の肉体の中では比較的、筋肉の層がブ厚いと思う部分だ。無駄な筋肉なのだが、少しは頑丈だと思っていた…。これしきの打撃でこんなにモロいとはガッカリだ‥。人間のカラダ、いや私のカラダの防御力は、対武器のみならず、対素手なら何発かくらってもガマンして…という戦術についても、信用ならんな。

 普段の立ち居振る舞い。ケガした部分を使わずに、他の部分でリカバーして動けばいいジャン、とは甘い考えだった。意外な動きで激痛が走る。こんな姿勢でもここ筋肉は連動していたのかっ…!(カックン、転倒…)結局、ケガした部分をかばうため、ヘンな姿勢となり、だんだん全身のバランスがメチャクチャになり、他の部分が凝り固まっていくのがわかる。

 ケガしていないときの身体の自由さが恋しい!カラダとつながるココロまで卑屈にゆがんでいく。なんと弱い我が精神よ。イカを自分でおろして食中毒になったとき、あまりの腹痛にトイレに座りながら「切腹するぞっ」と真剣に思ったもの。用を済ましてスッキリすると、デザートを食いたいな、と思ういい加減な私だ。

 カラダの一部でも、すべての部分と連動して、全体のバランスを作っているとすれば、人間のココロも、ほんの一部でもトラブルを負うと、その部分にフタをして、残りの部分でうまくやろうとするのは難しいのだろうか。

 無理をすれば、バランスが崩れ、他のどこかの部分の負担が大きくなるのだろうか。会社や組織も同じだという。時間をかければ欠損をカバーするかのように、新たな全体バランスが創られていくのかもしれない。 

 ケガぐらいなんだ、とカッコをつけたい。確かに武技と危険性は絶対に切り離せない。いつもいつも、ルールと防具に守られた稽古では、スポーツと異ならず、現実の複雑さと向き合う武では見失うものが多いという。

 安全な防具のための技が生まれることはどこの世界でもある。弘前藩でも19世紀に一刀流が、シナイ稽古でのケガを防ぐため、小手と面の防具を導入した。その後の剣道へつながる技術変化を見れば、ご存知の通り。

 動きが質的に転換するまで、乱取りは無意味だという考えもある。その通り。

 だが、私は、剣がキレイになる前の、ドロ臭さを知ってみたい。必要悪として素面での痛みと、予想外の危険性を実感として学習しておくことは重要だと思う。その先に今のカタチがあるのだろうと考える。実際その体験から少し見えた型の理合があった。

 だが、危険ならいい、カゲキこそ武道、武術だと、確たる術も見通しも無く、毎回の稽古で、異種格闘技だ、やってやろうぜ!と、イチかバチかの危ない立ち合いをくり返し、勝てばラッキー、負ければケガを休んで治すを繰り返し、いい大汗かいた、と満悦していることもどうかと思うようになった。

 考えようによってそれは、単なる度胸試しか、ギャンブルにすぎない。いつも我流のままで、生死の境目を安全に渡っていく方法を模索し、実践しているとはいいがたい。一時の負けん気のために、取り返しのつかない故障を背負えば、到達できる武技の範囲が限られて、若く元気な青春時代の自慢話で終わってしまうこともあろう。

 病院のベットで寝たきりの大柄なご老人。元柔道の猛者。若い頃はバンバン人を投げてガンガン稽古したが、今は普通のご老人よりカラダが動かなくなったとのお話。空手や生涯スポーツをうたう剣道の世界でもあるという。

 空手をベースとして、「自成道」を創始された時津賢児師範は、剣道も学ばれ、その競技化性を批判しながらも、防具で安全を確保したゆえに「心に響く一本」を求めるシステムが確立できたと評価し、空手への導入を説かれている。そのため、乱取りでは薄いグローブと面を使用されていたかと思う。安全だから知ることができる稽古があるのだ。

 長い過程を生涯にわたって、様々な工夫を歩み続けていくために、不要なケガの苦しみで足踏みしてしまう時間と労力が惜しい。だから乱取り実験はときおりでよい。

 特に私は、相手との接触寸前の間合いから先が、いつも緊張のあまりココロもカラダも固まって意識がぶっ飛んでフリーズしている。振り下ろされる剣の下で眼をつむって身構えラッキーに頼っている。それは武的に致命的な穴だ。何度やってもダメなことは、度胸試しの乱取りをいくら続けても直るはずがない。安全だからこそ、高められる質がある。

 私は平均寿命まで約半世紀は残されている。だが辿りたい歴史の厚さと、与えられた宿題までの遠さを想像すれば、ここ十数年のあまりに遅い歩みでは、到達するまで全く時間が足りない…!!

 20代の頃、このままでは、なんと進歩の無いちっぽけな人生になるのかと、夜中アッ!と独り目覚めて大きな虚無に身震いすることがよくあった。

 弱虫とお笑いください。ケガに悩んでいる時間がもったいない。少し民俗調査の原稿料をいただいたので、安いプロテクターを買って安全に工夫するつもりです。

 いきなりですが 荘子の事を書いたものだったと思いますが 『人為的な愛には限界があり 人が愛によって助け合うという事は世の中もうすでにおかしくなっているという事…。』というのを読んで 色んな意味でどきりとさせられました。 

 人間愛として 墨子の『兼愛(だったかな?)』なんてのは 貫こうったって並み大抵ではないのですから 人為的なものは限界はあると しみじみ思います。 どうも 世の中 平和だなんだと言えば言う程 もう一方では争いの火種は大きくなっていると思うのは気のせいでしょうか?

 なんか 喧嘩の仲裁の際 穏やかに割って入って行って しまいには巻き込まれ 一番声高になっているのは 必死に収拾しようとしている仲裁人…という場面が浮かびました。

 上述の言葉には その先があります。『皆気兼ねなく自然に生きればいいのが理想…』みたいな事だったと思います。 それは けっしてずうずうしく自分勝手という事ではありません。 『こうなれば ああなって… ああなれば こうなって…』と 当然あるべき事が自然とからみ合っていればいいという事ではないでしょうか。

 そんな『考え遊び』をしていると ふとカンフー映画の殺陣を付けている場面を思い出しました。 「…こう来たら こう受けて こちらがこう手をだしたら そっちはこう足で受けて 手を出して…」 一方 日本の時代劇の殺陣ってどうなんでしょう…? 「こう斬ってきたのを こう受けて それをはずしてこう斬り付ける…。そっちは受けて 突き放して…」 文章では上手く表せませんが おそらくその殺陣をつける時の赴きは違うような気がします。 

 例え カンフー映画での青龍刀などの武器での戦いであっても 日本映画での空手や柔術などの戦いでも そんなような気がします。 ある本によると 中国人の喧嘩は 大衆を巻き込んでいかに自分が正しくあるかという事を主張する舌戦の部分が多く 日本人はいきなりポカポカ殴り合うと書いてありました。 『呉越同舟』という言葉がありますが 日本列島にいる私達島国人間はそんな感じで 顔で笑って協調を重んじようとしつつ 結構自分の立場をよくしようと水面下では神経戦を 自分でも知らない内にしているのです。 船の上で 堂々自分の主張をする事など 狭いし皆を巻ぞいにしてしまう事になりかねないとしている内に 思いの限界(ストレスのピーク)にいきなり「ええいっ!」きれてしまうという事に似た場面もあります。

 そうして浮かぶのは 先手必勝 先の先という言葉。後の先だとて 要は初動の教えです。 日本人は 先に言っただの 先にしただのを こだわったり 日常の中に作法礼儀道徳観まで こういう事を高めていっているよな~と思ってしまうと こういう評論はあながち似非論でもないような気もしてきました。 もともと いわゆる『きれる』要因のある民族なんだと 合点してしまいました。

 さて そこでまたふと思う事。 異論や否定されていいんですが 中国拳法を少かじった程度でいうのもなんですが 先の舌戦ではありませんけれど 中国拳法って自己主張の体術のような気がして来ました。 先の殺陣の話しでは なんとなく柳のように自然にかわしながら 自己をくり出すような感じに受け取られてしまいますが あくまでも自分が中心にあり センサーのように施した感覚に触れたものに自然に反応する…という感じです。

 何せ 権謀術数 兵法で抗しきれず 最終の砦は 自分の身一つ。生き延びるためには 触れてくるものは倒す…です。 そのためには 一度引いてみせてと言う事はあっても 身を委ねるといった事まではしてないような気がします(こんど そんなフィルターで観察してみよう…っと)。 日本の武術は 相手の反応にどう追随して行くかの過程での技。『川の流れに身をまかせ…』なんていう情感を醸し出す民族ですから あくまでも『先』にこだわりはありつつも やっちゃったらおしまいなわけですから 最後の最後まで琴線は『受け』の立場なんではないかと思うのです。そして出来れば 川の流れのように『躱すでもない躱し』に理想をもとめ 究極は何ごともなければいいという『ことなかれ』まで行き着きたいと思っている民族なのかなあ…と思うのであります。 なんせ 呉越同舟ですから…。

 一部の武術や武術の思想で『ただ斬るのみ。刀を振るのみ。』と言うのもありますが それらは違う感じがしますけど 上手く説明できませんが でも根っこは同じような気がします。 ともあれ よく意味の解らないような日本国の防衛理念『専主防衛』なんかも受け入れられてしまう土壌(それに異を唱える人達もいるのだけれど)なのは そんな呉越同舟の環境下なのだから生まれてくる思想なのかもしれません。 これって 『後の先』的思想なのだと解釈すると 兵器の仕立ては ずんずん乗り込む『戦略』のアメリカさん仕様ですから 的外れなものが多々あるような気もします。いかに助けは借りようとも 軍需産業国にはならないまでも そういう見地からの兵器開発しないとまずいなあとは思うのです。

  この間 むつ湾岸を車で仕事先にお客さまと同行していたら 海上保安庁の船が走っていました。船を持っているお客さまなので それを見ながらこう言いました。 「密漁はいけないって言っても 魚とる人自体が密漁するんだもんしょうがね~よ。あの船より 早い船仕立てて行くんだから…」 最近は こちらではりんごの盗難がよくありますし 米の他大根など野菜も盗まれる世の中になってしまいました。 …なんか兵器開発というと語弊がありますが ちょいと見地を変えた開発はした方がいいのではと思ってしまいます。 日本民族呉越同舟と言いますが そう言った意味では 地球自体も同じです。

 舳先でだだこねる奴 まん中で我が物顔でにらみ利かせて広く陣取る奴 少しでも自分の場をよくしようと船が揺れる度にどさくさにまぎれて陣地を広げる奴 船乗るの初めてでマナー知らずの結構迷惑な奴…いっぱい居ます。 戯れ歌かなんかで 内容は『なんだかんだ言っても 呉越同舟。屁をこいたら 皆臭い…』てのがありますから まあこの狭い船で 自分だけどうのこうのしようとするのは 馬鹿みたいなもんなんですがね。 そんな事を言ったら 人口が増えてしまう…と 影ながら異を唱える人もいるかもしれません。

 呉越同舟と言えど 小競り合い諍いはありますし 天変地異だってあります。 生きているのは人間だけではありません。なるようになって行き 滅びるものは 知らない内に滅んで行っている事実があるのですから まあ そんな中で努力や苦しみ悩みを持って 種を繋げて行く生物なんだと思います。おっと大それた事書いたような…??

  ともあれ武術は 来たらやっつけてしまう事にしろ 躱してやっつけてしまうにしろ どんな高貴な思想をくっつけても  相手を制する事が目的ですから 妙な妄想はしない方がいいのだと私は思いやっています。 むしろ 私らも畜生と蔑む獣とあまり変わりがないのだとまで 思ってやっています(別に熊やライオンをめざしてやっているわけじゃありませんが…)。

  この間 太刀を持たさせてあげたら にこにこして楽しんでいる方がいました。 昔 ログハウスの講習会で チェンソーを持たせたら 夢中になってしまって なかなかやめない方もいました。 彫刻の先生は 『破壊は人間の本能なのだよ』と言っていました…。 建設と言えど 『破壊』がなければ成り立ちません。材料を作り出す事だって その場に構築する事自体だって…。 老化を研究している医学博士の友達に 「どうして 癌細胞ってあんなに人を冒してしまうのかね~?自分らの糧である人間死んじゃったら あと増えようがないじゃん?」と馬鹿な質問をした事があります。 答えは忘れましたが ねずみや鯨イルカの集団自殺(?)を思いだしてしまいました。

 さて 冒頭『人為的なものには限界がある…』という事で書き出そうとしてたのは もう一つの事が書きたくてであります。 前回 『魚』の事を書いた後 筋肉の『随意筋』と『不随筋』の事を調べてみました。 その際調べた『魚類』の事自体 訂正や付加しないといけないことばかり…と思いもするのですが それはまた今度にする(?)として…。 『随意筋』と『不随筋』のような 解剖学的に目に見えるものと対照的なのは 『つぼ』とか『経絡』という概念。神経でも血管でもありませんから 不思議な感じなものです。 どうして人間はそんな概念が持てたのかとも思います。

 最近 『つぼ』は体表面だけでなく 体内部にもあるという事を知りました。そうなりゃ 何がなんだか 頭の中がぐるぐるしてきます。 そんな概念的な事で グルグルなっていたら 『不随筋』を『不随』ではなく『随意筋』のように動かす…という事をもしようとする人もいるとなると もうビックリ。 昔 心臓を自在に止めるという事が出来るヨガの行者の方の実験した模様を映したフイルムを見た事があります。 『随意筋』は 「うごけ」と指令する脳からの系統と反射的にあたかも独自に動けるようなパソコンでいうところのショートカットシステムがあると 昔の知識として記憶していたような気がします(違っていたらごめんなさい)。 『不随筋』に そんなシステム経路があったら 間違って心臓止まってしまって…なんて物騒で笑い話にもなりませんが 一応死ぬ時はカットオフするわけですから やはり脳との関わりはあるのかもしれません。 こんな事書いていると 専門家の方々の失笑の視線を感じます。

 ともあれ…。前に 脊椎損傷で車椅子生活だった人に 断裂した神経になんらかの形でバイパスして信号を伝達し 歩けるようになる研究をテレビで見た事があります。 それを観て 機械的な二次的手段を使わなくても 断裂した神経を経絡や念力でもいいですから 動かす術はないもんかなと思ったりしました。 実際 正確な事は言えませんが 脊椎損傷の方が用便をする際残された動く筋肉の連動で腹部に圧迫を与え 用便するような訓練すると言っていましたから そんな世界まで広げると 何となくもっと光明があるような気もします。 また 程度にもよりますが 腹部から下が不随になっている方で 完全に歩行が困難な方でも特殊な装具を付けて歩行訓練の成果を見せている方もいます。

 私は 理学療法士ではありませんけれど その場面を見て 『あっ 体幹の認識と重心の自由操作だ…』と密かに思いました。 その頃から 『重心は下にあって安定する事がいい事とは言い切れない』と思いはじめたのかもしれません。 体幹を意識すれば 自由に(別段『玉』のようなものではありませんが)重心を操って 動きを作り出す事が出来る…この場合歩くという行為が出来るのかもしれません。 『立ち上がる』時は手を使えばいいし 車椅子から解放されるのなら歩行だって杖の補助があってもいいのです。 『不随筋』が『随意筋』のようにいつかはコントロール出来るように 『いつかは歩ける』という希望の念とて おろそかに出来ません。念力伝達で筋肉動かないもんでしょうか…。 車椅子で合気道する方もいますし 体が上手くコントロール出来ない中 杖道をしている方もいますから 根っこが同じような感じのする武術的な練習メゾットを 理学療法の世界に反映させれればいいなあと思ったりしています。 武術家の方が秘伝的部分をもっと公開して 研究してもらいたいものです。 ああ 夢また夢でしょうか。

 ましてや 念力まで…なんて言ったら 今はアホあつかいでしょうが 昔は人間が飛ぶのだって信じられなかったわけだし 今は機械と脳を直結して動く事すら研究されているわけですし 考えてみたら筋肉などない原生生物が鞭毛などを動かして運動しているわけですから そういうメカニズムが解明されると 逆に武術的身体操法の妙も 進化にまた進化するかもしれません。 今回は ちょっと無理くりな話しでした。

 …とここで筆を置くつもりでしたが 風呂で読んだ文藝春秋11月号でノンフィクション作家佐野眞一氏が書いた『革命児・中内功 最後の日々』の中で 故中内氏の面白い言葉が載っておりましたので 抜粋したいと思います(無断掲載になるかな…?)。 

 故中内氏は 第二次世界大戦の際 その大半が戦死したと言われるフィリピン戦線に従軍され 数少ない生き残りだったそうです(人肉喰いの話しとか そんなあたりは水木しげる氏の漫画で読んだような…)。 佐野氏に対して「戦争でいちばん恐ろしいものは何だと思います?」と逆に質問したそうです。 佐野氏は困惑しながらも「敵の弾…」と答えたそうです。 「いやそうじゃない。となりの日本兵がいちばん恐ろしかった」と言ったそうな。 これって 呉越同舟の人の深層心理なのだと思います。 さてちなみに… 人が焼ける臭いは イカを焼いている臭いに似ていると思った事があります。 融解した高温の鉄の雫が 腕に当たり ズブズブと体にめり込んで言った時 そう思いました。     

 久しぶりに定例稽古に参加。

 様々な経験を持つ方々が集まる、にぎやかな風景に気づく。

 少林寺拳法支部長のS氏は、居合道、杖道、ヨガを、オーケストラ楽団員のS氏は當田流棒術、柔道、合気道、ボクシングを、外国語教員のG氏は空手や数種類の中国拳法から編み出した独自の柔術を、建築家のK氏は、柔道、合気道、太極拳、護身術を、H君は剣道、柔道、空手を、意拳のS氏は、米沢へ武術修行で欠席だ。ゲストとして、躰道、合気道を修め、某総合格闘技サークル代表格のH氏がブルーの総合柔道着でおいでになった。数種類の格闘技を稽古している高校生や、2名の柔道部中学生が、K氏開発の特別トレーニングメニューを受けている。

 いつも稽古会は、最初と最後に全員で座礼をしたら、あとは各自バラバラに好きなものをやる 。特に決まりはない。武器を使おうとも、体術やろうとも、身体調整やろうとも、ガンガン乱取りやろうとも、静かに型を練ろうともなんでも結構。それぞれの課題があるからだ。

 始めた頃は、家伝剣術という、お寺の中の安住を出て、辻に立って様々な人々の中でもまれて修行する僧侶の話をマネしようと考えた。しかし最近は肩の力がぬけた。私にとっての定例稽古会は、普段独りで地味な型稽古で工夫したものを、対人や乱取りの中で実験したり、他の視点から意見をもらったり、違う武技を学んだり、自分の固定観念を壊し、視野を広げてもらう場としてとらえている。私以外、皆さんそれぞれの武の達人でいらっしゃるので、タダで習える私は幸福である。いいでしょう!

 今日はまずG氏から、ナイフ取りと対多人数の方法、悟られないパンチなどの護身術を学んだ。G氏の柔術は、海外で父上から習った柔術や軍隊格闘術をベースに、空手や数種類のカンフーとの交流、海外での実際の乱闘の経験から培われたマーシャルアーツだ。素手の他にもナイフ、チェーン、ヌンチャク、ピストル、手裏剣等の技もある。ナイフ取りは、相手を制してナイフを奪い取る際に、頸動脈を狙うまで気を抜かない。突き蹴りも失敗した後まで考えておられる。

 多人数相手の技は、現代武道では合気道の他では見たことがないが、実際のケンカでは多分にありうる状況である。その意味において、一対一で始め!とやる種目は、スポーツといえよう。複数の敵の集団の外側から入り、突き蹴りを一筆書きのように使って、敵の背中側を抜けていく。木立ちの中を木々にぶつからないように走り抜けていくように見える。ときに敵同士が重なるようなポジションにする。私も小学生の頃は、剣道で対複数や、アタマに風船を付けて雪上でバトルロワイヤルをやらされた。その意味では現代剣道にも武術としての記憶が残っていたのか。あまり空手や柔道、格闘技では聞かない。

 G氏は、剣については全くご経験が無いというが、体術に剣技と似ている要素が見え隠れする。例えば気配を消すためにブラリと下げたところから打ち出すパンチは、剣術の下段からの打ちに似ているし、ナイフ取りの体捌きも、左手と右手を同時に使う突きも、剣術の斬りや居合の柄当てに似ている気がした。

 そのうちにK氏、ゲストのH氏と袋竹刀の軽い打ち合い稽古になった。K氏にはいつもお相手をいただいている。小太刀の家伝剣術の体当たりや喉輪については、ご自身の武道経験から具体的なヒントをいただいている。踊りかと思っていた我が剣術型について見方が変わりそうだ。打ち合いでは、今まで大きかったK氏の斬りが、剣道風の柔らかく小さい斬りで、柔軟に変化するようになり、私の小太刀は全くダメだった。

 体術全般をやられるH氏も、剣は初めてということであるが、反応や間合いの感覚もうまい。無刀取りにチャレンジされたが、間合いの詰め方も様々な方法を試みられ、柔軟でスピードがあり大変参考となった。いつも思うが、体術の方はカラダの瞬時の変形が凄い。突っ立つ人が多い剣道も見習うべきか。

 面をつけずにやるといわれたH氏の姿勢にサムライを見た。躰道の技であろうか、上段からの私の斬りを浴びながらも、こちらの太股へ、地を這うかのような姿勢になって、鋭い蹴りをヒットさせてきた。一瞬我が足が止まり、動きが封じられた。叔父も昔、躰道の稽古で、背中を見せながら下から蹴りを繰り出すのに、かなりとまどったというが、このことか。剣を持った優位性に安心しきっていた私は、蹴りの恐ろしさを知った。

 体術系の方が来れば、いつも尋ねること。鍔競り合いが現代剣道のような単なるクリンチにならずに、次の技が繰り出せないか、体術ではどうする?。私は打ち合いで小太刀を使う場合、身体が接触する間合いまで入ってから、すかさず片手で、大太刀を持つ相手の手首をつかんで制し、小太刀で相手を刺し通すということをやる。これは、家伝剣術の小太刀の型をヒントにしている。だが大太刀同士ではどうだろう?

 大太刀同士では、みなさんたいてい、腕を掴んでいくことは考えず、両手は剣を持ったままだ。体術系の方は、蹴りや足からみ、膝蹴りをやろうとする。戦前の剣道に似ている。できれば型のように歩みを止めずに、近間では、片手で刀の峰を支えて持つ鳥居の構えや、柄当てを自在に使えるようになりたいものだ。

 いつもはこの他に、動く人間相手に使える居合を目指し、型を分解して、議論しながら、ゆっくり、じっくり根本から再検証することもやっています。

 乱取りばかりでは自分の技は変わらない、若さや故障とともに消えていくワザにとどまる。乱取りはあくまで検証実験のひとつ。自分のカラダを能力を組み替える型稽古、できれば独習の型にとどまらず、相手をつけた上での上質な型稽古法をも確立したい。動きの質が転換した者同士で、刃引きの刀を使い、ゾクゾク寒気がするような精妙な型を打ちたいものだ。

 私が目指しているのはご存じのように、剣道、居合道、古武道、型武道、格闘技、護身術のどれでもない。四百数十年の流れにつながる家伝剣術の再生だ。かつての実際の斬り合いに通じる精妙な術理だ。それが私の人生の宿題。でも生来の鈍才に加えて、幼い頃からの剣道風のクセがとれなくて道遠し。

 帰宅してから、また父に剣術型稽古をお願いする。折れた袋竹刀は父が竹を割って修繕した。それを使う。特に上段から斬ってくる手の内を、下段から斬りあげる型。できない。いつもの木刀とは異なり、気遣いなく当てて工夫させてもらった。間合いもより詰める。昼間叩かれた経験と失敗が、古き型の再検証に生きてくるといい。

 ※追記

 本日、修武堂のロゴデザインをHPに掲載する。原案は、当会で稽古している家伝居合の伝書のトンボ絵をモチーフに、当会の建築家K氏が作成し、それを「CREATIV ART 101 DESIGNS」代表の肉体派デザイナー花田一男氏がリファインして、完成させていただいた。花田氏は私にとって剣道道場の先輩である。お二人に深く御礼申し上げます。

 お陰様で韓氏意拳第二回弘前研究会が無事終了した。

 自然力を探求する。しかしタントウ中、また自分の勝手な考えに縛られて動けなくなった。自然に動いたか‥?いや考えるな‥?のくり返しで、どうしていいいかわからなくなった。しかし摩擦歩も習い、歩みに関する認識を新たにする。ますます面白くなりそうだ。道場では我が剣術「生々剣」の再生について、貴重なヒントをいただいた。翌日はいつもより全身が柔らかく、ポカポカ暖かい感じが残った。

 研究会のことを広くみなさんにもご紹介したい。しかし古い武術ほど、全く知らない方にその凄さを説明するのが難しい。ありふれたキャッチコピーをつけられないのは、それが元来、一般的な常識とは違い、普及には向かないからだろう。

 例えば、次回の甲野師範の第二回弘前稽古会の告知も、宣伝のためによく知られた有名人の名前を並べて、目を惹くよう私が小細工した。でも実は不本意である。少数精鋭でじっくり、という考えもある。だが一方でなるべく多くの智恵が集まれば、開ける世界も多くなると思うからだ。この世界の妙味は、私の言葉を重ねるほどウソに聞こえる、自分のカラダで体験してみてわかる世界だ。

 人との応対は武に通じるという。仕事で青森市内の民俗調査。私の担当は信仰分野だ。個人宅への聞き取りは、礼儀として事前にアポイントを取るべきであるが、状況によってはアポ無しで「飛び込み調査」もやる。

 悪徳商法がはやるご時世、アポ無し調査はどんどん難しくなった。たいていは、怪しいセールスマンか、宗教の勧誘だと警戒され拒絶される。

 当たり前だ。私でもそうする。だから、ギョーカイでは、名刺無しでやれれば一人前だといわれる。例え話を聞けても、初対面の方からどれだけ信頼を得るかで、引き出す情報の質や量も全く違う。間合いもある。家の玄関を開けて、敷居を一歩またげたかどうかでも全然違う。

 このような聞き取り調査は、民俗学専攻の大学教員でも苦手な方もいれば、始めたばかりの大学1年生でも得意な人もいる。同じ家に行っても、調査員によってご馳走されてり、追い出されたりと全く違う展開をみせる。セールスのようにスラスラうまくしゃべれるかどうかではない。その人の印象、信頼感、コミュニケーション能力など、まさに「人間」が問われるのだ。私も何度も拒否され、嫌な思いをした。少しずつ名刺無しで聞けることが増えつつある。

 不特定多数の人間を相手にすること。最初の出会い頭の一瞬で、その後の交渉の進展が決まることなど、聞き取り調査や人とのコミュニケーションは武術に通じる。自分と違う存在にどう対応するかだ。これが、互いに同じ前提条件とルールを打ち合わせてから行うために、同じ世界でゲームが成立するスポーツとは、全く違う点だという。

 聞き取り調査を第三者として見ていれば、拒否されるには、しかるべき理由があることがハッキリ見えてくる。コミュニケーションの中でどこかに穴があるのだ。武術の立会いでも動きの穴をつけこまれて敗れるというらしい。敷居はまたぐことは物理的には誰でもできる。しかしその際に、ある雰囲気を敏感に探り取れるセンサーが無ければ、少しの行為で墓穴を掘ることになる。間合いを知らずに太刀の下に歩み出るバカと同じだ。相手に夢中になっていては気づかない。我と自分以外の冷静なもうひとつの眼が必要だ。

 礼儀は武に通じるとはよくいったものだ。それが最近になって、キレイ事ではなく、具体的な話なのだろうと実感できるようになった。ただしこの礼儀とは、オス!!という、仲間同士しか通用しない、相手の状態を無視して自分を押しつけるだけの、型通りの体育会系的礼儀ではない。見知らぬ相手や雰囲気でも柔軟に変化できる礼儀である。

 ただし、聞き取り調査、オーラルヒストリーの難しさ、曖昧さに学問の手法としてのルーズさを指摘する人もいる。

 調査先もいろいろだ。代々の家門を守る宗教者、個人の出願で成った無名の民間宗教者。素晴らしい家門でも、そこに安住できることが自分を守るバリアーだとしか認識できない人は、えてして私のような調査者や、個人の悩み相談者を、予定外の嫌な質問をする「侵入者」としてしか認識できずに、ひたすら排除しようとすることがある。

 反面、独立まもなく、家門を確立していない民間宗教者の方が、日頃から不特定多数の人々に対峙してもまれているためか、人を選ばない。それだけに世の中に向き合っている生々しいエネルギーを感じる。どちらが本来の宗教者か。武術・武道の世界も同じかな。

 私の民間宗教者への興味は、学問的なものと共に、自らのワザを修行で確立していく行為についてだと考えてきた。しかし先週から考えが変わりつつある。それは、自分の剣術の伝承の中にも理由があるのかもしれないと気づかされたためだ。

 日本の古い武術の多くは、武技の中に呪術を含んできた。ある方からお教えいただいたが、神道流や竹内流では、武技と同じカテゴリーの中に、憑き物や邪霊を払う等の呪術が含まれ、近代まで伝承されてきたという。武とは物理的な力だけでなく、呪術的な力も同質と見ていたのだろう。だから古くから侍は、宮城の鬼門に配置されてきた。武技を「体育」と「宗教」に分別したのは近代だ。

 明治生まれの祖父は、学校長であったせいか、子どもの頃に岩木川でよく狐火を見ても、自然現象だ、迷信だと、神仏や幽霊の類を信じない、近代の合理的精神の持ち主であった。それ以降我が家は、禅宗の檀家だが、特定の信仰や迷信には全くご縁が無いという、一般的な現代家庭だと思ってきた。

 しかしよく考えれば、祖父以前は違う可能性があるのだ。我が剣術伝書の中には、複数の印を結ぶための巻物や、陰陽道の絵文字?と呪文、八卦を記す宗教的文書がある。本来、家伝剣術のルーツ自体が神官であり、先祖には神社の勧請に関与した者が少なくない。そう思えば、家伝剣術の性格自体が、決して彼ら宗教者から遠い存在ではなかったことに気づくのだ。

 まあ、「幽霊がここにいる!」といわれても全くわからず、霊媒者から「あなたは幽霊の類をはじく体質だ。だから絶対に幽霊を見ることがないはず」とも言われた私だ。だから宗教者としてのセンスは皆無です。よって民俗学の研究対象とはするが、武技はそれとは別に、自分のカラダを見つめる方法として稽古していくつもりである。ワザが低レベルなうちに宗教や精神に逃げたくない。 

 浄土宗の寺院内で聞き取り調査中、正座をしていて脚部への加重が少し消え、脚を動かせそうな気配を感じた。重心を落としすぎると脚が痺れる。上下からカラダが縮んだようにする。少し中丹田と背中の意識が濃くなる感じにすると、カラダが重くない。居合につかえるかな。

  岩木山に雪が積もった。黒い岩山に、ホワイトチョコレートのパウダーをふりかけたようだ。三回降れば麓にも雪が降るという言い伝えがある。

 「無刀」氏の日誌「農耕民族」。天秤棒と角材かつぎにハタと膝を打つ。直線の天秤棒かつぎがわからず、我流でやっていた。しかしなぜか同氏が提示した方法と偶然にも一致している。角材かつぎも、飛行するヘリコプターの「前傾姿勢」のようにやればラクとの話。これも思い当たるフシがある。

 ここ二週間、朝夕の通勤時、手提げカバンを誘導装置に歩いている。ラクでスピードも出るのだ。最近の家伝剣術稽古からの応用だ。いつも紹介する「生々剣」や、両肘を張って構える中段の構えから歩を進めるとき、ヨッコラショと地を蹴らない。なるべく構えた剣の重さに引っ張られて、転ぶようにスタートし、流れに乗って進んでいく。

 この剣を通勤カバンに置き換える。直立、片手にダラリと下げたカバンを少し前へ出す。するとカラダが前傾となり、重心が頭の真下から少し前に移動して、全身が前へ倒れ始める。このときだけは、カラダをバラバラにせず、まとめて棒状に使う。アソビを取るということか。

 カバンと鎖骨が地面に平行移動するように、カバンに引かれてそのまま歩いていけばよい。蹴らない脱力した脚が、勝手に前へ進む。小股で回転数も多くなる。今までカラダをパーツ分けして技巧的に使って歩こうとすると、まとまりつかず。ギコチなかった。この方法なら、動きもカンタンで実行しやすい。

 胸を張って重心を真下に置く、普通の歩き方では、体重とカバンの重さを支えた両足が、いちいち地面を蹴るため、カラダへの負担が大きく疲れる。だがこの前傾して歩く方法は、慣れてくると少し空中にカラダを預ける、または地面に平行移動している感覚で、自分の体重もカバンの重さもあまり感じない気がする。家伝剣術いわく「モノが体にかからない」かな?

 でもあまり倒れすぎると、ブレーキをかけようと膝が力んで遅くなる。そこまでいく手前、倒れすぎないバランスを保つようにして進むと、乗り物に乗ったように長時間でもラクに歩けそうだ。ブレーキをかけるときは少し尻持ちをつくイメージにすればいい。

 何かにつまづいても、脚が脱力しているし、地面をアテにしていないため、体勢を立て直しやすく、コケにくいようだ。

 何かと衝突する場合。普通はぶつかるポイントを目指して加速するため、その前後の移動時間は空白で威力が無い。そのときにやられたら逆につぶされてしまう。しかし転倒し続ける歩法ならば、どの場で衝突しても体重が乗った重い衝撃となるに違いない。

 だから剣技では、相手との相関関係や変化で間合いがズレても、衝突の重さが変わらない体当たりとなるともいえよう。他目からみると普通の歩き方。走っていないのになぜか速い。雑踏をカンタンにブッチギれますよ。

 倒れる技法は、現在の競技空手でも使う方がいるらしい。世界的なトップ選手だったアレクサンダー=ビアモンティ氏のコメントだ。突き放つときをプールに飛び込むようにやる、横へのさばきで脚ではなく、骨盤で動く。(『月刊 空手道』2005年12月号)

 倒れる技法に学生時代から気づいていればよかった。ウイングとフランカーであったラグビー時代。グランドを蹴って急ダッシュするのを繰り返して、よく前足太腿裏のハムストリング(特に内部の方)が筋肉痛になった。むしろ疲れたときや子供時代の鬼ごっこの方が、さぼってうまく使っていた。

 最後にひとつ。民間に伝わっていた凄まじいワザ。重さ100キロを超える丸石(力石)を持ち上げる方法がある。バーベルのように取っ手が付いていればいいが、丸い石はすべって危ないだろう。以下は、昭和44年頃、石川県奥能登地方の民俗調査で、民俗学の常光徹氏が、石井今朝道翁から聞いた話であるという。

「石にはたかっちょいて(石を跨いで)、糞(ばば)たれ腰になって、じいっと脛まで取って上げる。腿の上で、これはどこへ肩をつけたら痛うないか、担ぎよいかということをまわしてみて、それから痛うないと思うところがあったら、うつぶいて、じっとこうして抱いたまま糞たれ腰を伸ばして仰(あお)のくんよ。じっと抱きついて、石を腰へひっつけたまんま、こう、腰を伸べるのも肩へ上げるのも一緒でなけりゃいかん。ずうーと押し上げていくのと、体が伸びるのと一緒に上へぬけてまわる。石が肩へ上がりきる、我(わ)の腰が伸びる、一緒よ。それでなかったらだめ。なんぼ力があったて、腰が折れたら落ちる。それには、受け腕(石をのせる側の腕)と、張り腕が強うなかったらこたわん。三十五貰でも八貫でも、ここなく(腕)へのっとる(のせる)力がなかったらいけん。堪えるようにして持って、張り腕でじわじわ押し上げてまわしていきよる。だいたいは技じゃなあ。丸い石で、なんちゃつまむ(持つ)ところないんじゃけ」 

 なんだか、甲野師範が提示されていた、中国武術の平起平落の術理と共通した部分を感じるのは私だけか。

 この話を提示して、常光氏は「ともすれば見落としがちな、しぐさや行為にまつわる経験や技の伝承を注意深く、すくいとっていくまなざしが、これからの調査では必要だと考えている。」と述べる。(常光徹「初めての採訪」『昔話伝説研究20』昔話伝説研究会1999年所収)(ちなみに常光氏の指摘は、文字や口承、心意のみに注目してきた民俗学の欠点を指摘している。人間の伝承は言葉だけではない、カラダがある。そのカラダの伝承も、文字か言葉のみで記録できると思っているから思考の限界がある。そもそも研究者は、カラダを使う人が少ない。それが視点を狭くしていることもあろう。)

 この丸石上げはかつて、全国各地のムラの産土神社の祭礼で、ありふれた競技や占いだったらしい。天秤担ぎもそうだが、時代や場が違っても、なぜ自ずと共通したカラダの使い方になるのか。考え方や方法には個性あるようでも、同じ人類としてのカラダの効率を求めれば、自ずと互いの術理の共通性が高くなるのは自然なのか。

 とすれば、自分のカラダを見つめることは、インターネットと異なり、特別な権利が無くても、誰でも、どこに暮らしていても、人類共通の普遍にアクセスできる凄い方法だ。

 これが一定のルールで行われる近代スポーツならば別だ。その世界では、ルールを作る者、支配する者が最も強い。だからその近くにいた方が競技力が上がりやすい。そのため自ずと近代以降のカラダは中央集権となった。

 だが本来、条件を選ばない、普遍的なカラダの操作を考えることは、誰でもできる、中央集権にはなりにくい「野の学問」だったのではないか。

 確かに様々な方法論について情報を集めることは重要だ。しかし、自分のカラダを見つめる本質さえはずれていなければ、有名師範や有名団体に所属せず、中央の講習会に通わずとも、山奥のムラで「お山の大将」に留まらない、達人が生まれる可能性があるといえないか。

 実際に各地方には無名の達人達が輩出されてきた。何々流とは名乗るが、おそらく本流からは遠く外れて変容したであろう流派から、山野や海で獲物を追う人々の中から、ときおり、凄まじい技術を習得した人々がいた。我々はたまたま記録された、僅かな人物しか知らないが、それが明治以前の武芸と技術の長い歴史であったといえよう。

 大きな組織が決めたカラダを盲信するのは危うい。そのカラダには、創始者が発見したハイレベルな要素だけでなく、普及と制度維持という政治的要件も多分に混じらざるをえない。それは仕方が無い。それに心身のすべてを預ければ、安心とライセンスはもらえる。 だが本質を求めるのならば、自分の証明は自分でやるしかない。頼るべきは自分しかいないと、孤独の覚悟を決めて精進していくしかない。古い武術の世界には、そんな孤高の背中がたくさんあった気がする。

 伯父から この間の米担ぎのお礼にと 一人暮らしで漁師をしている老人から貰ったと言う『福来(フクラギ)』を 一尾お裾分けに預かりました。

 『福来(フクラギ)』とは 出世魚で『鰤(ブリ…ハマチ)』の子供です。 

 さっそく三枚に捌きました。 当たり前の事なのですが 魚は刺身となる身の部分がほとんどで 骨を覆うように付いています。動物の筋肉と骨の関係とは違うようです。 生物学的にはあるのでしょうが 脊椎には関節に纏わりつくような腱とか筋が見受けられません。筋自体は ときおりマグロなんかには感じたりしますが…。 彼等はその身体を駆使して あの身のこなしをするのですから どういうシステムになっているのでしょう。

 私ら動物のような関節と筋肉の連携という感じではないと思います。 芯のある軟体の中の成分ひとつひとつが 瞬時に役割分担してオンオフし 軟体の形を変位させる…という感じでしょうか。 ふと コンピューター内部(記憶部分)の一個一個の磁石が オンオフ(二進法)して プログラム内容を表し書き込んでいるような感じが浮かびました。 

 さて 最近重心あるいは重心の移動について 頭の中で『考え遊び』をしています。正中線や丹田…いろんな事が浮かびます。 車に乗りながら ふとある事に気付きました。 

 魚の泳ぎは 人間がすると ちょうどスーパーマンかウルトラマンが飛んでいる形(身体を重力に対して直交)でやっています。 頭と言うか顔は 水を切って進むには丁度いい鋭い形になっています。いわゆる流線形という形の先端の部分です。 人間なら 鼻先が異常に前に迫り出し 脳天の方から見るとくさび型という感じに変形進化しなければならないでしょう。必然 目は正面から見るとくさびの先を対称に左右の真横についている形です。 肋骨も 二足で立っている姿を正面からだと 左右に広がる平面に見えますが 魚型に変形すると背中と胸が張り出た前後に広がる形とならないといけません。 

 今のままの人間の形なら 水平に水に浮かんで沈もうとすると 水の抵抗を受けやすい形となりますが 魚のような形となると 水を切り分けた形で上下運動も瞬時に出来ます。 みんな 理に叶った形になっているわけです。 

 人間が この地上で重力を感じながら 重心の移動が上手くなるため 魚のように…といっても 今の身体の形状を変えるわけにいきませんから それに近い形(態勢)だけでもしようとしたら どうなるだろうと想像しました。 

 一重身となり 脳天から見ると両肩を通る軸線になるべく顔の向きを合わせ(多分意識してすると 普通に顔を横に曲げる以上に曲げないといけないかもしれません) 身体を水平にして飛んで行く訳にはいきませんから 身体を進行方向に前傾するというか 転ぶ一歩手前のような形になるのではないでしょうか。 そうしていけば泳ぐように方向転換していく感じを得れるかもしれません。 

 筋肉への指令のイメージは 車で言うところの4WS(この場合同位相…つまり同じ方向に4輪とも向く4輪操舵)てな感じでしょうか。 誤解してもらっては困るのですが 別に他の動物の運動形態を模する事が 人間の身体操法にとっていいのだと妄信しているわけではありません。 

 この場合 『体捌き』とか『躱す』という事のイメージで考察しているわけですが 想定される環境条件では それのみ(魚のようなイメージだけ)でいけるわけではありませんし 構造上いかに真似ても無理な部分はあるわけです。 例えば 我々のいるところは 水中ではないという事。骨と筋肉の構成の仕方が違うという事…多々あるわけです。 さて こういう事を『考え遊び』している内に 4WS的に動こうとする時の『魚の重心。魚の重心移動って どうしてやっているんだろう?』という事を考えだしました。

 なんとなく最近は 正中線や丹田はあるのだろうけれど不動の位置にあるものではなく 体内に溶けていながら 動くもの…と思うようになりました。 重心なんか どんどんいい位置に動かして 展開させるものだと思います。 いいえ 私達は実際日常生活で 移動をスムーズにする為だけでなく はずみ車の勢いのように前進後進とかの推進力の補助としても 無意識に使っています。

 意識的に その原理を掘り起こして使おうとするのは 柔道なんかの『崩し』。『自分のいい位置の重心と相手が不利となる重心の関係を作る』事で攻防するわけです。 ともあれ 車の運転は座ってしていますが 車自体の方向転換は絶えず走りながらの上で じょじょに変化している訳です。急ハンドルをしたとて 横にスライドしてから また前進しているわけではありません。 この感じが 魚が泳いでいるイメージに近いのでは…と車を運転しながら思ったわけです。

 無理くり車にかこつけて言いますと 魚の場合の重心は前方にあり 推進力自体は全身を駆使して得ているわけではありますが ちょうど『前輪駆動』車が前輪で駆動し操舵もしている…つまり 身体を引っ張っているような感じなのではと思いました。 これが イルカや鯨のように 推進力を尾ひれの上下運動でする違いもありますが 彼等の駆動輪としてのイメージは『後輪駆動』的なのではと思います。 操舵は前輪 ミッションも前輪の方という感じです。 

 重心は 前の方にあることは変わり無いのですが システム自体は根本的に違うのです。 バードカービングの余技として 一時イルカを彫った事がありまして感じた事は 背筋腹筋が強いんだろうなあという事。特に腹筋の強さを感じます。ですから必然 魚のような偏平型とはならず 断面的には 円に近い楕円の形になっていったのだと思います。 先の魚の『泳ぎを真似る』という記述では 身体を一重身にするという事で話しましたが 本来は 魚の筋肉は人間で言うところの横腹筋など 左右に付いてある筋肉を駆使していると言えるのではないでしょうか。 ヒラメやカレイなんかは 魚の構造をしているのに面倒臭くも 身体を平らにして泳ぐ種類もあります(そそらく 浮き袋の位置関係が違うのでは?)が その話しをしたら おかしくなるので割愛。

  鮫に至ると 身体も大きくなり 地上に進化する直前の形態なのでしょう 泳ぎ方は魚的というより 地上のトカゲ・イグアナの走法ようなイメージでの 左右に身体を振る動きを感じさせます。 イルカ程ではないにしろ 腹筋もあるように感じます。 魚の専門家でもないのに 生意気な考察してしまいました。

  さて さらに最近は 正中線や丹田そして重心などを 点とか線とか面という概念で考える事は 無理があるなあと考えはじめています。 でも 物理学的に言うところの『仕事』という現象を追う時にイメージされる なんらかの作用線とか作用面もないといわけではありません。 そうしたら なんとなく『操り人形のように 吊られているように移動する』『氷の上をすべるように…』という いろんな口伝が ちらちら気になり出しました。

  千葉周作道場では 豆を床にばらまいて稽古したと読んだ事があります。 いかに いにしえの人達は 涙ぐましい工夫に明け暮れたものでしょう。 重心を上手く運用駆使するには 従来の支点となる軸や面をイメージして 三次元であっても二次元的分解解析するのではなく 『ナンバ身体論』でいうところの 胸郭ボックスや骨盤ボックスを変形させる事(伸ばしたり 縮めたり 歪めたりに加え コンパクトに折り畳もうとしたり… じょじょにではありません…パッと変わるような感じ)によって いきなり三次元で展開させるのではと 勝手な仮説が思い浮かびました。

  表現力がないのでもどかしいのですが 『ここにあったものを こちらに…』という単的な指示を身体にするのではなく 『ふっ…と動いたら こちらに…』という感じ。 胸郭ボックスや骨盤ボックスを変形させる事と言うイメージについては そういうメカニズムが身体にあるんだよ~ぐらいの身体の確認程度の認識で 意識する事でもありません…。 などなど そういうデジタルチックなものを アナログ的に吸収反映させるという事。 ここに書いている事も なんとなく…ふ~ん…そう…ってな感じで 後は意識はしない…じゃなくて 心を居着かせないという表現の方 つまり普通にしていればいいという事。

 ちょうど 車に乗っていて 眼に映る看板類を見つめても まじまじと読まないで 車の走行(流れ)の中で あるな~と言う感じ。『速読法』もそんな感じですね。 あれ?? なんか段々 文章の形を成さなくなって来た…。 もう実際に そんな域なんか とうの昔に脱している人達がこの世に存在するのですから このような『ホザキ』は失笑を買うだけですが 出来の悪い奴の解けないで堂々回りする因数分解式であっても やらないよりは 頭(この場合身体ですが…)を動かすだけいいのかもしれないと思って 今日も一瞬の時間を見つけては『考え遊び』をしています。 心が居着かないようにする ポジティヴな言い訳とでもいいましょうか…。

  しかし しみじみ思うのは 重力の押さえ付けられた中での三次元の展開…という観点で考えると つくづく人間は不自由なフィールドを進化の場所に選んだものだなあという事。 …で 古武術は 泳ぐ魚や飛ぶ鳥の三次元の自在の身体操法を 本来内在している術として 自分の中に回帰させようとする事。 でも 魚の言い分は 水という抵抗の凄さと汚染されると空気以上にドロリと吸収した影響を顕著に出てしまう世界であるという事。 鳥に至っては 重力に必死に抵抗して飛んでいるのであって そんないいもんではない…という声が聞こえて来そうです。

  地上のように 飛行での『転換』は蹴り込んだりして地上のような固定された場が使えるわけでなし 飛行機程ではないですが 相当つらいものがあります。 人間様の作った飛行機は CCV-運動性優先形態機の実験や 小説の世界では脳と飛行機を直結させて…てなんてのが 近未来も未来物でも結構出ていて(ガンダム等の一連はそうですね。手塚治虫世代が今日の日本の人形ロボット工学の進歩に貢献したように ガンダム世代もこれからもっとやらかすかもしれません…) 

 鳥に近付こうとしていますが 地球の重力下では 捻れとか力学的な問題で まだまだ考えなければなりません。。 考えてみると それぞれの進化は なるべくしてなった形態ではあっても 先の見えない博打でもあるという事でしょうか?なんとなく 『あみだくじ』を思い浮かべてしまいます。 じゃあ 何故 人間はこんな事するのでしょうか…。 万物皆 博打する為に この世に生まれて来たのかもしれません。 進化自体も『賭け』 人生も『賭け』なんでしょうね。 ちなみに…私…まるきし『賭け』弱いです…。じゃんけん…ああ負けると想像してしまいますから その通り負けます。 面白いもので じゃあ反対のイメージすればと思うのですが 出来ないものです。 まあ 強きの人がいても 最終的には 皆行き先(黄泉の国)は同じなんですから それがどうしたなんて思ったとて始らないんですがね。 

 前回は 座礼について 自分なりに判った事を書いたのですが その後も色々な気付きが出て来たり 読んだものの中に ズバリ指摘するものがあったり ちょっと動けば埃が立つではありませんが 色々なものが私の目の前に現れて来ます。

 才は無いながら 多少は慎重配慮して文献を辿ったりもするのですが その際に読み流して見落としていた言葉が 後で重要だったりポイントだったりしていた事が判ると 冷汗物です。

 ですから なんと この『稽古日誌』は寛容なところなのだろうと しみじみ思う次第でありました。

 今日 無いお小遣いをはたいて月刊『秘伝」を買いました。

 なんと今回は 小笠原流礼法の座しての礼および立ち所作が出ていたではありませんか。

 いやはや もっと早く知っていればと思うものの 仕方有りません。一応小笠原流礼法を文献やネットで調べたのですが この本誌で載っていた内容での一節に『(立つ時 先に)踏み出した足ではなく 後ろ足で立つようにする』と有りました。

 考えてみると よっこらしょと立ち上がる時には 踏み出した足の膝の負担を軽くする為 手を床についたり膝に当てたりしますが 前屈み気味になっています分 どうしても意識は踏み出した足に『立て』と指令している趣が多いような気がします。

 最近実感するのですが 大抵の場合 どんな所作でも全体の筋肉が動いていない事はないと言う事。役割負担配分はあるでしょうが…。

 逆に 『今 腕を使って 物を揚げるのだから それ以外の筋肉達よ 休んでなさい』とする事が どんなに難しい事か。

 カヌーなどすると ほとんど上半身の筋肉運動なので 下半身をリラックス(決して脱力しているわけではないのですが 艇を安定させて走らせるには 言葉は妥当ではないものの 下半身をリラックスして上半身を追随支援するような感じ)させないといけないのに 中々こういう時には そんなオンオフが出来ないものです。

 それを ごく当たり前の発想なのですが 後ろ足もちゃんと『お仕事(蹴るような)』すれば 立ちやすくなります。

 これを意識させれば かの柔道少年くんの巨体も立ちやすくなるでしょう。もう少し早く判っていれば 今日の稽古(研究稽古会はお休みでした)で教えたのに…。

 いかに 私達は体全体に共同作業させていないか…という事の現れですね。

 妙な事に 今日のトレーニングメニューに『操体法』を少し教えようと思って(柔道少年Hくんは身体が固いもんで)やったのですが 身体全体調和を持って如何に動かせないか…という事に気付かされたばかり。

 たかだか 『後ろ足で 立つ…』という事なのですが 眼からウロコでした。

 易しいようでも 色んな事が関わってやっているんだなあと 思った次第です。

 この間から その様な事に関連する事として 『何ひとつ所作のひとつひとつに意味がないわけじゃない』と 柔道少年Hくんや この間から参加の格闘技高校生H田くんも参加して やっているトレーニングとしての『座礼』ですが 座る事から 手をつく事 視線等礼に至るまでの 身体の使い方を検証しながらやったら 彼等二人上手くなりました。

 ええ~!教えている私を置いていかないで~と言わんばかりに よくなりました。

 なかでも H田くん。時代劇に出ても(大広間で 殿様に一同礼する家来その一…なんて)いいぐらい 気の満ちたいい礼です。

 TPOをわきまえて 『和む』気持ちを持ったリラックスした座礼(茶道なんかの)も出来るようになれば もう最高です。

 なんか格好よかったです。…と言う暇は 私にはあるのでしょうか??面目つぶれないように 精進しないとと 反省して帰って来た次第です。

 さて 話しは変わります。

 この間 久し振りに合気道の稽古に行きました。抜刀の会に参加してのはじめての稽古です。

 全然上達していない不良会員ではありますが 『体の転換』で あれ?と思う感じがしました。その後 杖を持っての練習。この時もあれ?と…。

 生意気な事書きますが 刃筋が意識出来て振る軌跡に躊躇が無くなって来たような気がしたのです。あるいは 不自然でも身体の動かし方が解らなくてそのままだった部分が 直したり改善は出来ませんでしたか なんとなく見えるものがあった感じがしたのです。

 日常仕事で 精神修養が足りない為 ともかく主張して事を為す事に終始してきました。

 最近 合気道でも 『技をかけようとする意識』の強さによる 障壁をとみに感じてもいました。

 柔道での癖だとも思います。

 最初の『あれ?』の後 私は初めて御会いしたS先生(とても柔和な優しい笑顔の先生でした)に 『小手返し』の相手をして頂きました。

 前は上手くやれたような気がした『小手返し』ですが 最近はもっともやれない技であります。

 「(私の小手を掴みながら) 手首を曲げてやろうとするのではなく まあるく包むように優しくやると 効きますよ。」と 柔和に笑いながら 子供の手の平にお小遣いをあげて 『落さないように…』と優しく包むように手を握る事を促すような仕草とでもいうのでしょうか そうしてやられると 前椀から肘までの痛さが一挙に肩後ろまで 固い筋肉が伸ばされて悲鳴を上げ 思わず転ばずにはいられませんでした。

 「優しくやった方が 効くんですよ」と また優しい笑顔で小手返し。私は思わず受け身。

 けっして 笑いの奥に冷たいものを感じないので 痛みが全身に走る前までは そんな警戒心が浮かびません。

 強面の先生だったり 技量の上の方だったり 真面目に真剣な趣きのオーラを放つ人は 痛いなあと警戒するのですが そんな感じを帯びないのは 一重にS先生の人徳なのかもしれません。

 それで 本当に自分は『技を掛けよう』とする気がありありなんだなあという事を まじまじと感じ入った次第なのです。

 いやはや 『優しく』なる境地にはまだまだ至りません。

 ふと思い出しました。太極拳での『化勁』について 老師が言われた事。

 「じつに太極拳(化勁も含めた事)というのは 相手を化かしてやるよう巧妙にいろいろな事が隠された いやらしい拳法なのかもしれませんね。」と ニヤリと悪戯っぽく笑った事を思い出しました。

 これは 身体の『起こり』を察知されないようにして いつの間に仕掛けてしまう…と つなたない表現ながら理解しましたが それが難しい。

 合気道も 他の武術も 相手が初動した時(『起こり』)というのは ほんの一瞬でもない限り また手など掴んで伝達する条件がつけばなおの事 対応反応は出来ないまでも 察知自体は出来るものです。

 『あっ!?』と思う瞬間に 緊張させたり頑張らせたりさせないようにする為には 『これから 危険な事するんだよ』と教えてしまってはいけません。

 脳が びびっと警戒指令を発し ホットライン(反射神経)で反応させる速度は 何せ体内で行われる事ですから 体外で行われる技の動きの速度より早いのです。

 先の太極拳の老師は 「手をぎゅっと掴みなさい」と言って掴ませましたら そおっと しなりとその手に手を優しく添えました。

 「へ?」と思うやいなや 間合いを詰められ 裏拳が顔面近くにありました。

 優しくない自分。優しくなれない自分…。いやはや やっとの事で 頭でなく身体で気づかされた事は 謙虚に進歩したんだと 自分を誉めてあげたいですけれど その現実には奈落の底に落されたような気分でもあります。

 こういう事を以って 『人生死ぬまで勉強だ』と言わしめるのでしょう。

 あらためて 諸流の先生 師範 老師の方 そして先輩方に 感謝する事は無論ですが 柔道少年Hくん 格闘技高校生H田くんにも だらけた私に色々気付かさせてくださって感謝する次第であります。

今回は短かったでしょ? 「古剣」どの…。

 新聞を見開くと 大阪ではヤクザの抗争 東京では理由なき殺人など得体の知れない事件 青森県では身内の…と 地方によって色どりが違うものだと思った事がある。

 大阪では Y口組三代目が襲撃されたと情報が駆け巡った時 あるクラブでは誰も客がいなくなったと聞く。お客様はみな ヤ○ザさん達だったわけだ。

 元ダチ同士で 敵対組同士となった人は お互い遭遇しないように気を遣ったとかいう 妙な話さえある。

 ともあれ そのまんま東映の映画の世界に 関西はあった時期があった。

 何せ喧嘩があったら 110番じゃなくて組へ電話…てな感じの環境。いつの時代やねんと 突っ込む声が聞こえるが…。

 もっとも 滋賀県でナイトクラブでバイトしていた時には ヤ○ザさんも避けて通るという方達を知った。

 湖西の○○町の人達。すごい電圧の送電線を組み立てる仕事を請け負う人達が多く住む町だ。

 明智光秀ゆかりの地でもあり 『黒鍬の者』という言葉を聞いた事があるから 末裔だったりして…。

 板子一枚下は地獄と 船乗りにも剛胆な人は多いと聞くが こちらの人達は そこの奥様連中まで凄い人がいた…。 

 おっと この話しは尽きないが いずれまた…。

 さて 一方東京に住んでいた時は 近くの交番が爆破されただの 会社の横を流れている用水路にぷっかり浮かんでいる…だの そんな話しは結構あった。

 ちょいと話しは違うが 近くで東京大空襲の時の不発弾が見つかったので 処理するまで避難命令が出た事もあった。ふっと 戦争の残像に触れた訳だ。

 弟は 地下鉄は使っていないものの 恵比須が勤務先。場合によっては サリン事件に遭遇したかもしれない。

 …なんとかかもしれないなんていうのには 私だって負けない。ホテルニュージャパンも逆噴射事件もそれなり接点はあるのだ。

 会社時代。本社に同僚から電話が入った。

 「戻るの遅くなる…」「どうして?」「列車飛び下り自殺があって…電車止まって…」「え~!そいで今どうしてんの?」「この電話の近くに 白い布の被さった…」

 私もほろ酔い気分で電車に乗ろうと ホームに入って来た電車の止まるのを待っていたら いつもより先頭車両が手前で止まった。

 慌てた様子で運転席から運転手が降りて来て ホームと車両の間の隙間を かがみながら見て小走りに…。

 どこからか「飛び下りだ~!」という声に 驚いた乗客は 開いていないドアをこじ開け 後は窓からと 気味わるがって飛びてて来た…。言っちゃ悪いが だからってどうにもならない…そうして麻痺して行く自分を感じた。

 先日東京の友から電話があり 最近よく電車が止まって困ると行っていた。私も条件反射のように「年の瀬だからな~」と言ってしまった。

 ともあれ 「お前を東京湾に沈めてやる」なんて 刑事物の三文ドラマのセリフじゃないが 神奈川県警の友は 冗談じゃないぐらいに 身元不明の死体はいっぱいあるんだと言っていた。

 ほんとうにあの街は妙な所だ。物を引き換えなくとも 頭と口があれば現金を得れる街でもあるのだから…。

 さて 青森県。身内の間のトラブルでの殺傷事件が起きると こんな地方だからなあと妙な合点をしてしまう。

 自殺者も多い県だし 昔は『○○が憑いたから 追い出す為に 叩いたら死んだ』なんて事件は オシラ様イタコの県でもあるから 妙な新興宗教がそんな事する前から 時折 なんの不思議もなく新聞に載る程の県。

 間違っているかもしれないが たしか保険金殺人で身内(わが子)を殺害した…という事を初めてしたのは この県の者だったような…。

 読もうとは思わなかったが 横溝正史が描く身内の猟奇的な所の世界は この県の風土がモチーフになっているのではないかと思った程である。

 そう言えば 隣県であるが金田一は この県に近いし…。

 今日 他県で娘が母親を毒殺しようとした…というニュースが流れた。気が滅入る。「古剣」氏の出前授業での話しを読んで 今どきの小学生の実体を知り 気が滅入っていたところなのに…。

 そういえば 昔はもぐり(内緒で)日曜や休日に子供を預かっていた保育園の園長先生のお話を思い出した。

「昔は 行政や他の保育園にも怒られながらも 日曜休日働かないといけない親の方の為に 自分の休み返上して子供預かったものなのよ。休日保育の走りね…。今は制度化されて どこもやっているでしょ。あの頃がなんだったんだろ~って思うのよ。最近は 制度化された事をいい事に 自分が休みだからと 子供預けて遊びに行く親もいるんだから ますます考えちゃうよね~。」

 昔 地域の保育園の実態調査を手伝った事があるが アンケートに返答してくれたところは三分のニ程。

 小子化傾向にあるのだから どんどんこういう機会を使って宣伝すればいいのに… また もともと親が知りたくとも横並びの情報開示の媒体がなかったからニーズがあるのに…という主旨に賛同して 調査を手伝った。

 やってみた印象は 自分達のやっている事を他と比較されたく無い…という感じ。保育業界とは閉鎖的な感じがした。

 もともとどうも 教育者の方達は 比較評価する事は好きだが自分が比較評価される事が嫌いなような気がする。出来悪い私は 教育者にもなれず(分不相応だし…) いつも比較されダメレッテルを張られて来たから ヒガミだろうか…?

 ともあれ一方 アンケートに協力していただいた保育園は これでもかって感じのテンコ盛りのメニュープレゼンテーションのオンパレードで 保育園なのか幼稚園なのかわからないって感じの所もあった(保母さん大変そう…)。

 それぞれ園のポリシーの上での事なのだろうけれど もともとは親が望んでいるから…という事が そういう事となって反映しているわけでもある。

 親は 保育も教育も専門家に任せておけば安心という事とか。なんか妙…。

 片や 子育て支援センター事業というのがある。

 わが町の行政では 昔先生してたり 御夫婦そろって健在でわりと波風たった風な噂を聞かない(田舎なもんで 情報はすぐ…)ところの子育て卒業おばさんが 子育て支援要員に任命された。

 おいおい そんな事で困っている人間の目線に立って動いてくれるんかいな…と疑問に思う。

 …で 町内で知っている子育てサポーターの昔先生だった方に 『どんな事するんです?』って聞いたら 要領を得ない答。

 何がいったいどうなるの??

 悪いけど そういう方にひとかどの報酬をあげるのなら 働くお母さんに丸一日休業保障して 自分だけで面倒みるのが大変なら保育園で一緒に休日保育に参加して 子供と遊ぶ事させてあげたらいいのに…と 思う。

 私の毋が仕事の為帰宅が遅く 帰って来ても誰もいない家で 一人保育園から帰って来た妹が泣いていた話をよくするから こんな事思うのかもしれない。

 でも あの時 私は何していたのだろうか?遊びに行って 妹放ってた??記憶に無いなあ…。今だに その負い目か 妹には頭が上がらない←余談。

 抜刀でお世話になったY先生。

 この方は 戸山流(中村流??)を直々中村泰三郎先生から 教授受けたというお方。理は同じとして 他流の造詣も深い。小さい頃から松濤流空手をやられ 剣道を習って指導された事もある方。現在は 空手を教えている。

 その空手教室は 最近小さい子供らがいっぱい習いに来られているのでさぞや大変だろうと 御自宅近くの抜刀の練習場にお邪魔した際に そんな話しになった。

「最近は 子供を怒れない親が多いから こういうところに来て 怒るわ ガツンとやるわと 私らがやってしまうわけだろ。感謝されてしまうんだよ。果ては 親も子供と一緒にやろうかな~なんて言い出すんだ。ほんと 子供を怒れない親が多いな。」と 複雑な顔をしておっしゃっていた。なんだかな~ってなわけである。

 稽古風景は ほんとに厳しく 保育園ぐらいの年齢の子供なのに休ませずやらせている。子供は 夢中になれば休むなんてしないのだ。集中力が途切れて ざわついてしまわないようにという事でもあるとの事だった。けっこう統制が取れて 子供達も神妙な顔でやっている。

 一応 来たいという子なら来いという事で 親の強制では来させないとの事。

 恐いながらも 面白そうなおじいちゃん(Y先生すみません)なので 全体主義的な緊迫感や悲愴感はない。何故 こう知っているかというと 合気道を習っている隣で いつもやっているからでもある。

 昔は 合気道も研究したらしく 今と昔はぜんぜん違うと言っていた。当て身はあるわ 派手な感じで自ら投げられないと関節を痛めるからと 当時の荒々しい稽古風景を教えてくれた。

 どういう訳か 植芝盛平道主の古いフィルムを持っていたらしく それをビデオにしてだったか 合気道関係者にあげた話しもしていた…。

 ふと 子供が親を殺め親が子供を殺めという一連の世情もあいまって 『刀』と『子育て』がリンクした。

 刀は 抜き身で放っておけば 錆びる。鞘に入れていても 使わないでいれば同じ。挙げ句の果てに 抜けなくもなる。研いで手入れしないと使えないのは刃物はみな同じ。

 また 操る側も 抜いて振る事をしないと慣れない。でないと 恐怖心という先入観から逃れられない。振ってみて 斬ってみて 恐ろしさも知り 同時に凄さも知る。そして気持ちが 生半可ではいけない事も知る。生半可では 怪我もする。すっぱり斬れるならいいが 手入れ怠り 錆びていたりぼろぼろな刃なれば ばい菌でやられるだろうし傷口も醜いかぎ裂きとなって 修復が難しくなる。

 昔 ログハウスを作っていた事がある。チェンソーを使い 丸太を加工するのだ。ちょっと教えた事もある。チェンソーのエンジンをふかし 高回転で回し その回転する刃先に顔を近付けて見せ

「どうも 皆さんホラー映画の影響か チェンソーについて結構恐怖心があると思うんですけれど でも こんなに近付けても恐い事はありません。何故か…。危ないという事が確認出来るから…。これ以上近付けたら駄目と知っているから 安心出来るんです。そして手入れしているから…。なまじ安全装置だなんだと妄信したり 使い慣れてもいない機械で そんな事したら いつやられるかわかりませんので 身を委ねる気にはなりません。かといって 自分で手入れしたこれだとて何をしでかすかわかりません。私の手入れが完璧だとは言い切れないからです。でも それを知り 覚悟出来るから こうして近付ける事も出来 安心もするのです。ちょうど 川の濁流に飛込む事の無謀さ恐さを知っているけれど でもその濁流を見る事が出来るようなものかもしれません…。」

 ともあれ 刀の扱いというのは…いや 精神論としてでない部分の武術論というのは どこか『子育て』に似ているような気もして来た(気狂いに刃物の例えはあるけれど…)。

 世の親に 抜刀術をしろという訳では無いが 『武』という字は『戈を止める』と書くわけ(本当はそういう象形の意ではないらしい)でもあり 武術全般の中に『備え 気構え そして思う気持ち』を見い出せれば 子供と意思の疎通はあるのではないだろうか。

 私は 世の子供達に武道をやる事を勧めるつもりはないし 精神論として手本にしろとも言うつもりは無い。ただ 自分の中では こうして時を経て来て 言いえている部分が相当有るなとは感じている。

 私自身稽古を通して 読み返してみているようなものだ。まあ こういう事もやってみればいいんじゃないですか…てな感じ。

 ちょっと違う意味で言ったのであるが この間テレビで荻原次晴氏が 

「子供の内の方が 恐怖とかに慣れやすく また慣れておかせる事が 後で伸びるのです。」というような事を レポーターの顔でなく ひとりのスポーツの先導者として言っておられた。

 今の時点の気持ちいっぱいいっぱいなところを克服すると さらなる広がりがあるのだという事でもあると思った。

 実際は 自分の極限点も限界点も知ろうとしない子の方ほどいきがっていて しかも見た目以上に潜在する人数は多いような気がする。いきがり 大人を小馬鹿にする…。

 そんな彼等のツボ所に触れてしまうと キレる。完膚なきまで押さえ付けてしまえばいいのだろうけれど 今様の大人という良識の社会はそれを許してはくれない。だから 逆手にとって キレながら つけあがってもくる。

 大人ってなんだろうか 見栄張らず 本音で 子供と同じレベルで 怒ったり 泣いたりしてもいいような気もする…。

 ともあれいずれは 彼等も なんぼやっても自分の上には上が居て 自分の存在の小ささを知る事は来るのだ。

 だから『ひよれ』とは(要領良くとは)言うつもりもないが 早く気付いて肩の力が抜けたら もっと上手く行けるのに…と思う。

 まあ 今の私がそれにやっと気付いているぐらいだから 無理かもしれない…。

 これらは 所謂ワルガキだった人の事をイメージして言っているのではない。

 イイ子で 『汚物の捨て所(表立ったはけ口)』を持たない子らの方が問題なのだ。

 昔 警察のお世話にもなった友がいるが 彼は自分の『魔』を知っているからこそ 今仏さんのような顔となって 仕事や地域に貢献している熱い人でもある。

 彼のような人間の眼には こういう子供達が歯がゆくてしようがないと思っているのかもしれない。

 考えてみると 今の連中は解らないが 昔突っ張ってブンブンしてた奴ほど マイホームでホットなパパが多いような気がする(自分の娘に言い寄る男は許さんぞ~みたいな…)。

 私はわりとイイ子だったから?(出来は悪いけど…それにバイク乗らせてもらえんかったし…) 逆にイイ子の醜い所が よく見える?

 そんな思いが こんな事書出せたのかもしれない。

 またまたそういえば 昔登校拒否していた女の人が よく他の親から相談受けると困惑顔で言っていた。

 でも彼女は みな置かれている状況も時代もぜんぜん違うわけで どうして自分の子供の事なのに 他人の自分に相談するのか すがる気持ちに同情しても 親の気持ちがわからない…と言っていた。そんな事だから 子供の気持ちも知り得ないのでは…とも。答えなんて 人に求めてもないのに…とも。

 考えてみると 当たり前の話しである。しかし そうやって鋭い事言うから 年上の親の人達がまたすがりに来る。悪循環に 辟易していた。今彼女はどうしているだろ…。 

 最後。なんの脈絡もないかもしれないが…。

 ヤ○ザさんも位が上になると 外見とても紳士な人も多い(多分?)。修羅場をくぐり抜け 丸くなったという事か(修羅場…ちょっと想像したくない)。

 ナイトクラブでバイトしていた頃 よく可愛がってくれた人がいた。

 何せ店に入るなり 「今日の喰いモンなんや? 適当に作って ちょいと腹ごなしここでさせろ」と 日課のように厨房に入って来て 椅子にドカッと俳優安岡力也ばりの体格と凄みの上に丸坊主姿で座って 私やチーフに言うのである。ホールに舎弟や客を待たせてもお構いなしだ。

 「昨日の残りモンで まかない作ろか思うてたところです」とびびりながら言うと 「そんでエエから はよ作らんかい」と急かす。

 日頃の自炊の腕?でのまかない飯を作ると 食べてくれた。

「こんなとこで 食べんでもいいじゃないですか。別なとこに席作りますけど…」

「ええんや ここで」と こうるさい事言うなとでもいうような感じで言われ またびびる…。

 やがて食べ終え…「ああ 腹ごなしになった。ありがとな。」とニヤリ笑って出て行くのである。

 ホールでは 街で肩で風斬って歩いている強面の若い衆がびびりながら相手している人なのだから 本当は恐い人なんだと知ってはいるものの その笑顔はいい感じの人であった。

 彼も 若い時は 凄み一辺倒の若い衆だったのだろうか…。ああして 厨房で食べるのは 食べている時に無防備だからという配慮からなのか…。恐いじゃないか そんな事想像するのは…。

 しかしながら Y口組系の組の人は来るし 一見嘘だろと突っ込みたくなるような感じのヤ○ザさんばりの警察の方も来るし 芸能人も来るし さっき話したヤ○ザさんも逃げ出す○○町町内の御一行も来るし 夜遅くやる店だったから 近くのソープのお姉さん方も店がはねてからやって来るし 同業のママさん達が客を連れてやって来て ライバル店のママ同士がかち合ったらさあ大変…と すごいクラブ…すごいバイトであった。

 なんと表現していいか…人種のるつば…。でも 歌の文句じゃないが でも『僕らはみんな生きている』てな事を実感させてくれた青春時代であった。

 あれ?『子育て論は武術論』…てテーマはどこ消えた??←いつもの事。

PS  バイト先で可愛がってくれた方に ウナギの皮の財布を貰った。

 仕事で韓国に行ったのだという…。留守中 恋人であった方がクラブに遊びに来た際 世話になったからという理由からだ。

 しかし… 韓国で仕事…?これまた 想像したくないから それ以上は聞けなかった…。

 でも財布は 相当の年数使わせてもらった。魚の皮とは 強いものだ。

 色々な事が重なり 仕事が深夜となる事が ずぅっと続いています。

まあ 処理能力と集中力が無いからですが 疲れています。

 …と言いつつ その合間にも 合気道や研究稽古会には行く自分が なんなんだとも思ったりもしています。

 合気道は どういうわけか 気が巡る感じもあり肩凝りが取れる感じがしますので 疲れていても遅刻しても迷惑の掛からない程度の時間ならば 道着を積んで車で稽古場所向うようにしています。

 気分転換にもなりますもので…。

 しかし本当に どう言う訳か忙しいのです。かといって 収入の伴う忙しさではなく 雑事が合間合間にある為の忙しさ。

 それが不平なのではなく どうしたら上手く切り抜けられるかという事がもどかしい程考えられない自分が そこにある訳からです。

 思考力の老化なのでしょうか…?

 老化と言えば 今農業は老齢化が進み 我が伯父の家でも後継者がいないながら 米の収穫の際 自然乾燥 低農薬(あれ無農薬?)の為 機械化せずに頑張ってやっています。

 単に 普通当たり前の昔ながらの農業しているだけで この先の余生を考えると 高級車並みの農業機械を買う気にもならないという極めてシンプルな理由です。

 考えてみれば 形は農業機械ではありますが そんじょそこらの綺麗な身なりのお金持ちが乗り回している高級車さえかすんでしまう程の価格の機械を ほんの短期間のシーズンに乗り回すのですから ある意味土まみれのお百姓さんの方が 茅葺き屋根の築百年以上の家に住み しかも会社で五十年以上潰れないでやっているところなどまれなのに 代々『百姓』をしているというのは すごいとも言えるのではないでしょうか…。

 (高級)農業機械でホテルに乗り付けディナーなんか食べに行っても いいんじゃない…なんて 伯父とは馬鹿話しをしたりもします。

 ともあれ 伯父も高齢なので この時期前の日に脱穀してトラックに積んだ籾の入った袋を倉庫に入れたりするのを 朝のちょいとした合間にしに行ったりします。

 でも朝の身体の動かない時間での労働ですから 自営業の私は腰を痛めたら大変です。

 伯父の集落は 昔士族であった頃の「古剣」氏の先祖ゆかりの地でもあり 面白い縁で 今この様な稽古会にこの歳になって参加し 剣振り回しているのだと言う話をしながら 30~40キロ?ぐらいの籾袋を 如何に力を使わないで…などと 労働の中にも稽古がてらの楽しみを加えて肩に担ぎ上げ貯蔵庫に…。

 結局は全身を使わないと 持ち上がりませんが 逆に気付いた事は 特定の筋肉しか使わないと そこが痛むという事。

 本当にある箇所の筋肉を遊ばせたり 先行させてある特定の筋肉ばかり使うと痛めるもとだよなあと あらためて考えさせられました。

 「昔の人は 今の人より小柄なのに 準備運動するわけじゃないし でもこんな重労働を延々やるわけだろ。そこには何かあるんじゃないかって事は あながち自分の仕事に繋がる事なんだよ。」と 何故研究稽古会に参加しているかもっともらしい講釈を 何袋も苦力(クーリ-)のように運び 息も絶え絶えにしながら言いました。

 そうしたら 伯父がこんな事を言いました。

 「昔は そこかしこに草相撲や力自慢大会なんかあったりして そんなかで強い奴と言ったら 意外と小柄な奴が多かったもんだ。」

 そこかしこと言えば あのグレイシー柔術の祖となったコンデ・コマこと前田光世の生家とも差程遠くない地域でもあるわけですから 眼に浮かびました。

 「力自慢と言えば 駅に行くと貨物車に荷物を積む ○○通(日通とかの運送業者)の連中が目立ったり…。」

 陸は陸でそのような方達もいましたが 港湾なんかに行くと これまた小柄ながら大きな荷袋を担ぐ力自慢の人達も見た事があります。今は機械化も進み 芸術的な操作でフォークリフトを操る人達に変わってしまいましたが それでも手作業の部分は無くならない訳ですから 今もそういう仕事はあるでしょう。確か労賃もよかったような…。

 余談ですが フォークリフトもその業種業種によって 操作の妙が違います。 

 私が知っているのは リンゴ箱などパレット積みしたものを運ぶリンゴ移出問屋業者… 袋ものなどや長いものの形が定まらないものを瞬時に理解し運ぶ港湾業者… 長い木材を運ぶ木材業者… 機械化されたロボットのように 無駄な動きを本当に出来ない 車などの製造工場での部品運搬…ぐらいですが それぞれ感心してしまう程の技量の方々はいるものです。

 話しは戻して…。貨物駅でのそういった業務に携わる方で思い出すのは あの重い貨車を押して動かす様。ある程度動けばあとは楽と今は知っているとは言え あの『力』には子供ながらも驚愕したものです。

 ともあれ 籾袋の荷下ろしは 二時間しか寝ていない身体の割りには 思った以上の苦もなく(めちゃくちゃ苦労すると思ったので…) 合気道で受け身した次ぎの日程筋肉痛もなく終わりました。

 そう言えば「古剣」氏と 天秤棒の担ぎ方はどうするのだろうという話題になった事があります。

 私的には 昔見慣れた光景ですから 別段考えてみる事はありませんでした。

 恐らく そういう道具しかない時代に生きていれば 見ながら 自然と体得して行く技術なのだったとも思います。

 それを今は 改めて考えてみないと行けない時代に今いる訳で またひとつ失われて行くいにしえの身体操作の妙なのかもしれません。

 「古剣」氏には

 「もし 検証するのに 国内で出来ないとしたら 他のアジア諸国に行かないと行けないかもしれませんね。」と言いました。

 ふとその時に 脳裏に浮かんだのは『天秤棒』の形状。

 どこかの国では 肩 背中のラインに合わせるように なんとも言えないカーブに削り込んだものを担ぐ姿を見た事があります。

 そうして歩き方は 一重身にならず 肩と股関節一致の足捌きで そのまま正面を向いて歩きます。

 調べた事もないのでわかりませんが よくあるまっすぐの天秤棒では 一重身となり 天秤棒も片側の肩に『点』として担ぐのではなく 肩から盆の窪にかけて沿わせるように『面』として担ぎ その合力を背骨に伝達させるように担がないと 肩が痛くて堪りません。

 思ってみれば リンゴ箱を担ぐ際にも 肩に乗せているようで 実は肩を少し上げ力の流れが滑り込むように背骨に向うようにして担がないと 肩を痛めてしまいます(それでなくとも 今収穫の時期は肩が腫れて痛かったものです←軟弱者です)。

 ともあれ 一重身での担いで歩くという事は そうあからさまでもありませんでしょうが 足を交差するような歩きになる感じとなりますが 天秤棒をエルゴリズム的に形状をシェィプしてやることで 両肩で力を受け その合力を無理なく背骨に伝達し 骨盤から股関節を通る際の負荷を軽減すると 綱渡りでするような運足はいらなくなるのです。

 さらに身体を やや前に前傾しようという面持ちさえイメージすれば 勝手に足は前に出て行きます。

 恐らく 頭で物を持つのも似たような道理を備えてやっているのでしょう。

 これが 一重身となれば 足を交差させる分 いろいろ身体の各部を複雑に駆使しなければなりません。

 ちょっとした 道具の工夫が それを楽にした訳です。

 天秤棒担ぎとは違いますが 以前材木屋だった友人に 角材を持つ際 真ん中を担ぐのではなく少し前気味に担ぎ 材を立て気味にして そして前傾して歩くと軽く感じると言われた事があります。

 水平に保って担ぐと 材料が長い分だけ その質量以上の重みが微妙にたわんだ際にモーメントとなって加わり さらに歩く際に上下運動をしてしまうと 『しなり』がグッグッと重みとなって 更に加わるのです。

 おそらく天秤棒担ぎだとて 上下運動は厳禁でしょう(そんな事したら 金魚売りは水がこぼれてしまいます)。氷の上を滑るように歩かないとつらいと思います。

 ともあれ 木材を前傾させて歩くというのは 余分な重みを発生させないようにして 例えば水平にすると長さ三mを 担ぐ際に傾斜させ二mの巾にして歩くのです。

 ちょうど 三角形の底辺と斜辺の関係のようなもの。当たり前の長さを斜辺とすれば 前傾させる事で底辺長さとなって見かけ長さは短くなるわけです。

 それに 自分の身体の前傾を加える事で 前進しようとする力(推進力)が生まれ 運びやすくなるのかもしれません。

 それは ちょうどヘリコプターが前進するような格好に似ています。

 この様に まっすぐ天秤棒にも それなりの利はあるのでしょう。

 しかしながら 身体運用を工夫するか 道具を工夫するかと言う点で あるラジオ番組にて聞いた事ですが 日曜大工道具の話しで 『日本人は技術を研鑽するが 外国は誰でも出来るよう道具を工夫する…』という事を言っていたのを思い出します。

 これについては なるほどと思いもしましたが 最近はちょっと違う考えも持っています。

 それは…。

 我々日本人の主たる基盤が農耕社会であり さらに働かせる者と働かせる集団の関係が共同関係ではない上下の関係で 道具を工夫させるよりは 人を投入する事で効率をあげる事に終始してきたからとも言えます。

 道具の工夫云々は置いておいても 社会主義での集団農業では 強制も競争も無い為生産性が上がらなかったと言われますから あながち今でも日本は競争にかこつけた上下関係という名の『強制』で行われているのかもしれません。別段 ○○金というドブ漬けが云々と言っているわけじゃありませんが…。

 そういう中で 必然自分だけは隠れても楽もしたいと思うのが人の常ですから 徒手空拳の技として身体運用の技を培って来たのかも知れません。

 今だに 道具の手入れなどする(させる)暇も気持ちのゆとりもない程 生産に従事する事のみを余儀無く為せる風潮のある国民です。そういうのは時間外。自分ですると促されているような 御時世です(サービス残業??)。

 道具の手入れや工夫という 適度な休養やその時には見えない効率化を 信じる事が出来ないでいる訳ですね。

 おかげで 壊れたらアッセンブルで交換 メンテの技術 現場での工夫の発想の芽は育たなくなっているとも言えます。手工具として面白い『カンナ」ですら 替え刃式の世の中。さぞや草葉の陰で 名立たる棟梁達は嘆いている事でしょう…。

 どこやらの国は 今だ奉仕という名の強制の意識下で 人海戦術をさせている所があります。実は本当に皆 国に奉仕しようという労働意欲あるからかもしれませんが 昔つらい労働を支える為に労働歌がいっぱい日本でもあったように そういう集団的イデオロギーでは 皆平等なはずなのに労働歌が多いのは何故かなといつも思ったり…。

 おっと話しは逸れました。 

 一方 狩猟民族系の人種の人達は 狩りで収穫が無い事もあります。

 それは 追い掛ける自分の体力が不足だったり 弓自体の矢の射出速度が遅いなど 自分の今置かれている限界を知る機会ともなり その上で何をするか…?という時に 道具の進化をより一層促進(先の弓の例では 弾力のある弓の素材や工夫をしたり 張力のある弦を作り出したり…)させたのではないかと ひとり合点しています。

 ある国の住宅メーカーの話しですが 設計師はどういった家を考えるかをし 工場の先立ちの人(カーペンター)は それをどうやって効率よく作るか考え 工員(ビルダー)は『作る』と言います。

 何となく 私達カーペンター=大工さんというイメージがありますので 『作る』までのイメージを持ってしまいますが どうも住み分けが違うようです。

 カーペンターは 工員(ビルダー)の技量は均一ではありませんから その均一でない中で 一定のクオリティーを向上維持なせなければならいない事に長けている知識と技量も持っていなければなりません。

 これが 私達から見ると よくもまあこんなにマニュアルを作り上げるものだと思う程 それによって作り上げられるマニュアルづくりとなるわけですが 本当にすごいものがあります。…というか それが彼等にとって普通な事。

 日本人の感覚では 『マニュアル』を作る事に投入される費用とノウハウがこんなにいるものかと思われる程です。まあ 国内の自動車及び家電メーカーはその中でもよくやっています。

 さて 身体運用の進化も 道具の進化も ある意味両輪でして来たと言えるのは 中国かもしれません。

 身体運用のマニュアルの編み方など 中国武術では日本のものより よりイメージしやすい(取りかかりやすい)ものとなっている様な気がします。

 でも それは背景として権力者の『後押し』を感じずにはいられません。

 その為 擁護し研鑽させる土壌は 日本よりあったような気がします。

 一方日本では 集団の中での密かに自分独自で編み出した技術ですから ようよう他に公開してしまう事を損と考え 閉鎖的な中での進化や伝承でしか出来ない状況を作り出したのでは…とも思ったりします。

 それはそれなりの利点もあるのでしょうが…。

 面白いものです。進化豊穣の機会と様相は 環境によって こうも違ってくるとは。

 最後に ある居酒屋に行った時の話し。

 食事も出来る所…としてもある場所なのですが 客が飲んで騒ぐのはしかたないとしても 若い方達が騒いで奇声を上げたりともかくうるさかったのです。

 お連れした方が 如実に嫌悪感を現しました。

「まったく こうして騒ぐのは日本人と中国人だったか忘れたが そんな事言われた事があるよ。」と言いました。

 まあまあ 皆辛い労働から今日も開放されたのですから しようがないのかもしれません。

 ふと…『う~~ん。じゃあ 狩猟民族が 夜焚き火してもの静かに食べる様は 物音を立てて 外敵から襲われる事を恐れての事??末裔達は その習性をまだ守っているのかもしれない…。』と密かに思いました。

 イメージしてください。今だ戦争や紛争のある地域の方達の夕べの様を…。

 そういう状況下でいると おのずとそうなってしまうのかもしれませんね。

 どうも 農耕民族対農耕民族 農耕民族対狩猟民族 狩猟民族対狩猟民族の戦いの様相は 違うような気もしてきました。

 幕末のサムライ写真、ご覧になったことがありますか?稽古の参考になりそうです。

 仕事が忙しく、二日間、庭での剣術稽古ができなかった。

 最近珍しく熱心になったのに、休めば、せっかく離陸して流れるかと思った稚拙な気づきでも、途切れて墜落してしまうのではないか‥と心配だ。

 論文を書くとき、何か作品を創るとき、四六時中その発想の中で中毒になっていれば、凡才の私でも発酵させて、少しはマシなカタチに仕上がっていくもの。そして不思議と必要な情報やご縁が集まってくるもの。その流れを逃さないように。

 思考が乗ってくれば、定まらない視点を泳がせながら、頭部を囲む周囲の空間の中を手探りで、何かないかと探す感じだ。外界に薄いシートがかぶさり、ときどき会話を忘れている。自分は浮揚感とともに、鼻筋から眉間、眼球にかけて流れが通って、身の回り、特に額の前の空間密度が高くなる。ポッ、ポッとアイディアが連続して浮かぶときは、すばやくメモしないと次々と忘れていく。食欲はどうでもよくなる。

 少ない頭脳がフル回転で、なんとかガンバっているのだろう。今考えるために興奮しているなというハッキリとした自覚がある。アブナイね、やめましょうと思う。だから凡才なのだ。

 酒もタバコもやらない私にとって、一種の酩酊状態か、軽い高揚感か。一番はそれを掘り出したい、見つけたい、という強欲な執着だろう。

 でも武の稽古は、実際にカラダを使って考えねば。出張中の新幹線のシートでもカラダの工夫ができる達人がいる。私もそこまで到達したい。

 そんな中、たまたま手にした、港区立港郷土資料館の『開国150周年記念資料集 江戸の外国公使館』(2005年)。幕末の写真集はたくさん出ている。当時の日本と欧米のカラダ、身体技法を見る写真集としても、大変興味深い。勝手に感じたことを書きます。

 幕府の外交担当の武士達を写した、北区青山の海蔵寺所蔵の肖像写真。スッと肩から下の力みがとれた立ち方。通訳であった福沢諭吉は新田宮流免許?の腕で、某剣術師範によるとその写真の姿勢から、なかなかの腕前だったと判断できるそうだ。

 中には撮影用に、首の後ろに固定台をつけられて、欧米人の好みの姿勢に矯正されたかな?と思える不自然な首の人もいる。写真館で撮影した経験のある方はご存知だろうが、撮影前、ポーズをとると、首や手首、つま先の角度まで微妙に直される。外形を無理に矯正するため、自分の感覚では不自然きわまりない姿勢に感じる場合もある。それは西洋風の美的構図にカラダをあてはめようとするためだ。ただ外形をいくらいじっても、写真撮影自体が、三次元の精妙なカラダを、特定の一点からとらえて、二次元に転換する行為であり、真実そのままを写し取ったことにはならない。武技のとらえ方も同じかな。

 幕末写真の人々。現在の我々から見れば、欧米から来た外交官の人々の姿勢に親近感を持つだろう。アゴを引き胸を張り、ドッシリと重さを感じる姿勢で、地面に脚を押し付けて立ち、イスに腰掛ける。ニューヨーク市立大学所蔵で、ボルグが描いた、初代アメリカ公使タウンゼント=ハリスの肖像などはその典型例だ。

 ベッドウエルが描いた『エルギン卿遣日使録』(早稲田大学図書館蔵)は、芝の西応寺で日英修好通商条約を締結する幕府役人と、イギリスの高官達を描いた西洋画。幕府の人間もイギリス人も同じく、頭を上へ伸ばし、ハト胸を張り、腹を突き出し、背中がカーブを描く、「気を付け」姿勢で描かれている。イスに座るときもそうだ。裃を着たその「正しい」姿勢に、現代武道家は「美しさ」を感じるだろう。

 だが当時、現実の侍の姿勢は全く異なっていたようだ。

 同じ事件を撮影した写真では、同一人物であろう幕府高官の姿勢が、さきほどの絵画とは全く違う。ビクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵で、ジョスリン撮影の写真。七名の幕府高官が、同寺境内に屏風を立て、ゴザを敷いて正座し、立つ。撮影したジョスリンには、幕府高官が、屏風をバックスクリーンに威儀を正そうとした意図がわからなかったようで、写真の構図は全くそれを無視したカタチだ。

 彼らの姿勢は、先ほどのハト胸の西洋画とは全く異なり、胸と肩がスッと下へ降り、首もやや前へ、猫背気味だといえる。

 つまり先ほどの西洋画は、写実として描かれていながら、無意識のうちに登場人物のすべてを、作者である欧米人の考える正しいハト胸姿勢で描いてしまった可能性が高いのだ。

 反対に日本人がイギリス使節を描いた絵「ゑびすのうわさ」では、日英ともに猫背なのだ。これは逆にハト胸の英国人を、日本人が、自分達風の猫背姿勢や画風で表現してしまったのだろう。

 これら写真と絵画の違いは、文化によって異なっていた互いの姿勢に対する認識に、ズレがあったことの証左にはならないか。

 当時、攘夷浪士によるテロの対象となっていた、外国公使館を警備する侍たちを撮影した写真もある。アムステルダム海洋博物館所蔵で。1863年にベアトが撮影した、寺の境内でのプルスブルックと警護の武士たち。オランダ総領事3名は、背筋を伸ばし、十頭身で、モデルなみに地を踏んでスックと立つ。その周囲を、傘をかぶり大小を差した約17名の侍が取り囲む。彼らは選ばれた腕利きSPであったろう。

 その侍たちの立ち姿は、モデル体型のハト胸のオランダ人と全く違う。首が少し前へ出て、両肩と胸がスッと下へ落ち、腹は突き出さない。背中はまっすぐで、カラダ全体が下へと流れる着物のラインに沿ったような立ち方。カヤ棒か幽霊にようにソッと立ち、足の力みやカラダの重さを感じない姿。

 彼ら侍の姿勢は、現代武道の昇段試験や体育の時間の気をつけ!では否定されるであろう。むしろ現代武道の昇段試験に合格するのは、欧米人ハリスの姿勢だろう。なんで?それはどういうことを意味しているのか?

 正座も凄い。先ほどのジョスリン撮影の写真。年寄りの文官達だろうが、私はこれほど低く、しかも力まずに正座することはできない。彼らは重心が下へ落ちているようで、やや浮いているという微妙なバランスか。ふつう硬くなるはずの脚が、正座でもこんなに脱力しているとすると、痺れないかもなあ。さらに術者ともなれば、脚が自由に動いて、正座からの抜刀もフキョも居つくことなく、かなり自在に使えただろう。

 ベアト撮影の「外国人を護衛した侍たち」の6名。特に右端の侍の力んでいないカラダでの正座も全身の力みが抜けている。しかもあの思い重金属刀をガッチリと握らず、ふわりと持っている。どこかで拝見した、某古流の先代師範の座り方に似ているかも。その方は近代剣道の大家が驚くような術理を体現していたという。

 正座は難しい。現代でも冠婚葬祭で正座をすると、慣れていない人はスグにわかるもの。欧米の方など、大きなカラダを窮屈そうに縮めるが、膝が折りきれず、異様に高い座高となってしまう。

 古い因習の家に生まれた私は、幼い頃毎日のように正座させられた。成人となってその習慣から逃げ出したため、正座がヘタクソになった。最近は残念ながら、日本の若者だけでなく、中高年の方でも来日したばかりの外国の方にも思えるようなコッケイな正座?が多い。老化のせいだけでなく、若い頃から正座の身体技法を習得しているかどうかだと思う。正座でなくとも、デカイ体で満員電車の中で、コンパクトにカラダを扱えない無神経が増えている気がしてならない。コンパクトに操作できないカラダは、他人への不快感を生むだけでなく、昔ならばスキだらけ斬られやすいのカラダだったろう。

 もう一枚の写真では違ったカラダがある。アメリカ公使館ハリスの給仕をした助蔵、滝蔵らの集合写真では、若い男が十名立ったり、座ったりしているが、彼らは武士ではないかもしれない。先ほどの侍に較べればその姿勢は、カラダの各所に力みが残り、やや重い、我々の姿勢に近い感じがしたが…。

 ワーグマンの絵で、長崎領事のモリソンと書記官オリファントが、武士に襲撃されて室内で応戦する写実画「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」。侍が右片手に日本刀を持って戦っているが、その刃の向きが不自然で斬れそうに無い。描き手が知らないのだろう。

 対照的にモリソンの、撞木足で右一重身となり、左手を腰に、右片手にムチを持って肘を前方に突き出し、左肩上から振り下ろそうとしている姿は、日本の剣術の構えに似ている。異国の武技でも、同じような技法になるのだろうか。しかし、日本刀の侍、ムチとピストルの欧米人二人と、武技は三者三様。かみ合いそうもない、凄まじい異種仕合ですなあ。

 写真に写った自分の立ち姿を見た。居ついて重そう、脚も力んでいる。置き物のようだ。真剣の斬り合いと隣り合わせだった侍たちの抜けきって柔らかで、重さを感じなさせない立ち姿。そして家伝剣術5代前百蔵師範の写真。チョンマゲに着物姿で帯刀し、イスに座っているが、フワッと乗っかっているという感じで、脚も踏みしめていない。ドッカリ座るハリスや私の姿勢とあまりに違う。ということは私の稽古は、彼ら侍の剣技とはまるでカラダが違うという証拠だな‥。

 侍の立ち姿は、今後の稽古の指針になる。それからは、剣術稽古の最中も、あの侍の柔らかい姿勢をイメージして遣うようにしている。頑張って動くほど、刀の速さについてゆけない、変化に応じられない。現在の未熟レベルゆえの私見。要検証!

 かつて、ふるまい方、しぐさは、所属する文化や身分、場に規定され、躾けられたのだ。 堅苦しいといって捨ててきたそれらの技法は、その人が何者か表示し、何を意図しているかという明らかなボディランゲージであった。間違えば命を落とすこともあったろう。

 現代の我々のそれは、各自の好みにまかされているか、自覚しないまま野放し状態といえる(スポーツ技術は違う。それは限定されたルールの中での身体であり、日常生活のふるまいには直接つながらないからだ)。

 どちらがいいかはわからない。それを近代のように一つのカタチに規格化するのは、洗脳や支配につながるからアブナイ。ただ、現代人が言葉や文章、服装、ケータイなどのスタイルにはうるさいわりに、日常のふるまいやしぐさ、カラダについて、「自由がいいよ」といってほとんど意識していないのが不思議でならない。だから中には、クセか何かのマネか、いいか悪いかもわからず、意味不明で非効率な身ぶりやふるまいで生活している人が多いだろう。「脳化」という言葉が流行ったが、カラダが消えて脳みそだけ、バーチャル化している証拠ともいえようか。

 人間にはカラダもあるのだ。フジTVのドラマ「踊る大走査線」の青島刑事や和久刑事にあって、真下刑事に無いものはカラダだと思う。だから実存感が、魅力がない。現代のその空白部分に、様々な健康法や宗教、エクササイズ、マナー法、武術のひそかなブームが発生しているのだろうか。

 今日も小学校へ出前授業。業務用バンに、民具満載でどこへでもいく旅芸人。一日最低2,3回、積んでは下ろす。昔の道具の巨大で重いこと。木臼、石臼、鉄製のカマド、唐箕、火鉢、水桶、行火、ソリ‥など数十種類。ガムシャラ運ぶとカラダを壊す。

 何事も稽古。重さを全身に散らすようにして持つ。天秤で水桶をかついで走るのが慣れた。

 各校の授業では、落ち着いた学校、生き生きとした学校で嬉しいこともあれば、残念ながら少しギスギスした学校もあるようだ。信頼関係が希薄なのか、子ども達が大人を大人と思っていない。ある面、子ども達も先生方も不幸だ。

 掃除していた見知らぬ子、私の足元へモップをすべらせてぶつけ、ふてくされた顔で「この人がいるからモップが動かないぜえ」。面識の無い大人にたいした度胸だ。叱られていないのだろう。

 誰かの歌のように「そのままでいいよ」などといつも優しく受容ばかりでは教育じゃない。ケースバイケースだ。だから自分はサイコーと思う、デカイ赤ん坊「お山の大将」馬鹿が増えている。それは精神の引きこもりだ。

 教員だったころ、生徒たちと一緒に掃除をしていたら、「未来の貴重な財産である僕たちを働かすなんて、それは粗末にすることだ。だからやらない」と訴えてきた生徒がいた。 普段はソフト?な私だが叱った。「そんなに君は偉いのか?俺は君より長く生きて、少しでも立派になろうと努力しているが、自分が価値ある存在になったとは少しも思えない。一生かかると思う。君だってそうだ。これから自分の価値を作っていく途中なのだ。そうなってからものを言うのだ!」

 いつも優しい笑顔のパパをCMで見れば違和感がする。大人が子ども達のわがままをすべて受容してどうする。いつも叱るのもよくない。理解する大人と理解しない大人の使い分け、役割分担をあえて作るのだ。祖父も親父もガンコでニコニコ理解してくれるタイプではなかった。よく反抗したが今は感謝している。

 今日のクラスは、生徒たちが担任の問いかけをわざと無視して、違う答えを発して冷笑する。まだ小学生なのに末恐ろしい。こちらも真剣にやる。君も真剣に受け止めろ!!といきたいが、こちらはあくまでゲスト。控えめに微笑していたが…。

 今日はいつもの、生徒の発問を引き出すスタイルの授業は向かないと判断。お話が当方にまかされたとたん、同僚はドデカイ声かつ笑顔で、よどんだ雰囲気にカンフル剤を打ち込み、グイグイ引っ張っていくアグレッシブな授業スタイルに切り替えた。私も笑顔だが、ワザと騒ぐ生徒の横に入っていくようにした。

 自戒を込めて繰り返す。我々大人は、優しさに加えて、悪いことは悪いと、必ず毅然とした態度も示さねば。例え指導が通らなくてもよい。理解しあえず嫌われるのも大人の役目だ。本当の思いやりだと思う。身を挺して、世の中は自分の思い通りにはならないことを示さねば、子ども達は学ぶことができない、人間社会で生きていけない、自分の存在さえ宙に浮いて迷うだろう。彼らは将来、我々のすべてをバトンタッチする期待のホープなのだ。ある年齢を過ぎれば手遅れ。その前に野放しにしたくない。

 すみません。ついつい力んだ。稽古では、力んでモタつく我が脚を軽やかに。

 かつては変則的なダッシュやステップ、ランニング、縄跳びなど試みた。だが若さでもギリギリで、年取ったら使えなくなることはすぐに想像できた。それに日本の剣術で要求されているものとは少々違うなあというイメージ。鍛錬だ、とつま先で歩いていたら、渋谷の某ホールで剣術の某有名師範にクスッと笑われた。

 その後もいろいろ工夫したことは以前書いた。脱力と転倒、落下をベースとする水鳥の足のマネ、無足の法のマネ、凡才はどれも身に付かない。カラダのパーツごとの動きを意識すれば、決まりきった型の中でさえ、カラダ全体の歯車が狂う。間合いが詰まるとココロも、足もあわずにつまづく。あやうく真っ向から振り下ろす父の木刀を受けることに。

 「気を一体に通達すること」「烏足。カラスはカラダによく連れて跳ぬるものなり」と家伝剣術。気があるのかないのかわからない。ただ、動くときにカラダ全体のどの部分も遅れずに一度に動けばいいというらしい。船が進むとき船首に少しも遅れずに船尾がついていくように。そうすれば突いた拳に全身の重さが乗っていく。かなり以前から甲野師範がおっしゃっていたと思う。

 私見だ。地を蹴っては脚が置いてけぼり。蹴って歩けば左右の脚が、重心を落としては持ち上げるという行為の繰り返しとなる。今の工夫は、手の僅かな動きや剣の重さに誘導されて動き出したカラダ全体の重心が、地に落ちることなく低空飛行を続け、ツーと鳥が足を止めないように歩むイメージだ。

 いつも紹介する「生々剣」。なぜ下段から静かに剣を差し上げていくのか。カッコつけや攻めではない。たぶん自分のカラダの内観を確かめているのだ。上げていけば、自ずと脚がすべり出す流れが発生するときがくる。その発生した流れを乱さないように進んでゆく。二、三歩目の方が難しい。そこで地に落ちてしまうことが多い。そこでカラダは重くなり、居ついて斬られるだろう。

 家伝では「一足から三足へ、満月に変わる」と記す。意味不明のフレーズだった。たいていの斬りの動きが、三歩を基準に構成されることに加えて、なんとなくイメージが‥。

 それと共にカラダのバランスも関わるか。階段で、胸を反らし、腹を突き出して登ると、カラダが重くキツい。家伝剣術の「頭、肩、背‥のバランスが大事‥」「頭を前後へ傾けるのはいけない」「腰のハマリ悪しければモノ体にかかる」などのフレーズが浮かぶ。特に胸を反らす登り方「腰のハマリ悪しければ」の状態かもな。ラクに登るにはと工夫。

 中国武術では、動き始めを間違うと、その後のすべての動きは間違いだというらしい。だから自らの動きをよくよく吟味して稽古するべきなのだろう。

 しかし憶病すぎてもダメらしい。悩み多き私は、せっかくいい感じで動き始めても、「やめ。こんなはずではない、まだまだ…」と半歩でやめては逡巡を繰り返す。悩むことにも限度がある。完璧のための完璧か。ときに迷うために迷っており、それでは永遠に一歩は踏み出せないと自省。

 それに似ているのが、マンガ「魁、クロマティ高校」だ。ある話ではパソコンに簡単な部品を取り付けようとして、悩むばかりで準備から一歩も進まない。些細なヘ理屈で、全体と本筋が見えない。失敗も怖くて、アタマの中でグルグル考えるだけ。自ら行動できなくなっている現代人を描いているようで、思わず吹き出す。

 何かをするためには、理詰めと慎重さの上に、ある大胆さとふてぶてしさが必要だ。どんな分野の仕事でも同じではないだろうか。理に酔って実行しない私のような人間は、生涯何も成さずに終わるだろう。

 何のために理屈はあるか。十代の頃「何のために生きているのか」悩んで眠れなかった。どんな哲学書や宗教に触れても納得できず。我は無意味な存在だと絶望した。青い顔をして眠れない。

 しかしあるとき、理屈は、人間がより良く生きるための「道具」であって、それ自体が一番の目的ではない、その前に自分は生きている、という現実に気づいた。自分で作ったロジックで、自らをいびつにしていたことが馬鹿にように思え、開放され腹が据わった。なるようになるさ。夜はグッスリ眠れるようになった。その後、我が主人であった理屈は、家来に格下げされた。

 矛盾だらけの現実世界を、人間の狭きアタマで完全説明できると考えることは、思い上がりだろう。わからなくとも矛盾していても我は生きている。特に未開の地を目指すのなら、慎重と大胆をより良く混合させること、どちらに偏っても大事をなすことはできない。武術の工夫も同じだろう。私は型稽古で、愚かにもまた、少年時代と同じアタマで自縄自縛をしようとしている。

 あえて重心を下丹田におかず、中丹田に漂わせ、腕または剣に引かれてトトト…と動けば、あの重い脚はどこへいったやら。方向転換や急停止するときには、全身を瞬時に変形させることによって、重心を変えて移動すればいいかな。そこは難しい。例えばあえて文章化すれば、前へ間合いを詰めていながら、急に後方へかわすとき、脚を上に抜き、背中から尻にかけて流れが落ちていくというべきかな。意識し始めるとギコチない。脚を何度の角度で一歩引いて、とやれば、鋳型に封じ閉じこめられた死んだ型になるだろう。それは変化する生死の場で通じない。むしろ脚がどう動いているかわからないのがいい。だからあえて意識しない。なるようにまかせる。

 そうはいいながら、単純な鋳型、変化できないマニュアルに陥らずに型稽古をするのは、かなり難しい。どうすればいいのか。

 毎夜稽古場に通い、じっくり動きの質を練るといいながら、決められた形式の中で酔って、それ以外の対応力を失い、相手との共同幻想に引きこもっていないか、いつも新しく課題を見い出して遣っているか、常に己をチェックしなくてはと感じてきた。人に見せるためではなく、自らを組み直し、新たな段階を見出すための装置にしたいと願うばかりだ。

 鋳型にはまるなといって、型稽古の最中、わざと状況設定を投げ捨てて、違うことを仕掛けてイジワルする方もいる。こうやったら型は使えないだろうと。そんなときでも無理に型通りに応じなくていいと考える。

 達人による指導の一環ならいいが、相手の状況が変化したのに、こちらだけいつまでも以前の状況に固執するのは武術とはいえない。負けて当たり前だ。相手に応じたワザに切り替えて応じるのが自然だろう。先ほど書いた学校での授業だってそうだ。おおまかなシナリオはある。しかし生きて刻一刻と変化する生徒の、その場の状況を感じ取って即応し、こちらの授業も変化していくべきだ。もっとも、初心からそのようなお互いだまし合いの型稽古ばかりでは、技は伸びないだろうなあ。

 また、型稽古の一環として、居合を真剣で稽古することに意義があるという方がいる。なぜならば危険な道具を使うから、武士の魂のシンボルだから、自ずとその緊迫感が精神を鍛えるのだという。

 そうだろうか?自らの刀を危険だと感じるうちは、その操作に習熟していない私と同じ素人レベルだということではないか。料理人が、自分の包丁を怖がる話は聞いたことがない。刀に恐怖を感ぜず、手足のように操作できねば、斬り合いの中に入っていけないはず。 それにあつらえてすぐの刀は、単なる金属器で魂の器ではない。持った瞬間にサムライイメージを感じるのは大人の幻想であり、何も先入観の無い赤ん坊は、ただの重い棒だとしか認識しないはず。だから単なる金属の塊を、自分の稽古でそれに仕上げていくのだと私は思うが。

 21時過ぎ、父と稽古。どうしてそんなに無駄な力が入って不器用なのだ、いくら型でも独りよがりに技を出すな。相手との関係の中で遣え等々。

 生々剣に構えて対峙したとき、夜空を白鳥が渡っていく声に気づいた。また冬が来る。

 終わって家に入ると、剣術のかけ声よりも、ドス、ドスという鈍い音が遠くから響いてきたと母が言う。体当たりのときに互いが接触する音ならいいが、変化するとき、まだまだ地を蹴っている私のヘタさを示しているのだろうよ。ガッカリだぜ…。

 奥様に 健康の為食事制限を掛けられているというO氏と 人目をはばかるようにマクドナルトに入って 色々話し込んでしましました(奥様ごめんなさい)。

 色々なお話があったのですが 今回のネタは『礼』。

 長年剣について修められて来たO氏に初めてお会いした時の印象は 『礼』が上手いなあという事は 以前も言ったと思います。

 私も 以来意識してやってはみるものの どうしても尻が上がり 今だ不様な礼で 恥ずかしい限りです。

 『礼』について ふと考えてみると その所作のひとつひとつに意味というか原理が有り そのような(礼法の)体を為しているのではないかと思うようになりました。

 その礼法には 小笠原流などは有名でありますが 今有る形にマニュアルを編む前には 色々な状況や条件が有った上で それを整理したのが 礼の『法』や『術』なのであるとすれば その『色々な状況や条件』とはなんだったんだろうという事を O氏と話し合った訳です。

 この様な話になったのは ある伏線がありました。

 実は 私 今 稽古研究会の稽古時間の一時間を裂いて ある中学生に柔道を教えています…というか 柔道以前に身体を動かす事を主眼にした家でも出来るような内容を含んだ練習法を教えています。

 やり方というか こうしたトレーニングしたらいいんじゃない?と言う事を教えているわけですから 別段鍛えているわけではありません。

 その子が 普段 目的意識を持っていれば 時間を見つけてやる稽古は 日常にいっぱいあります。

そういう工夫するための発想のトレーニングと言ってもいいかもしれません。

 自らが そうしてやっていかなければ なんの意味もないのです。

 少し その子にとってこむずかしい事も言うのですが 門前の小僧の例えもあり 少しずつ理解が増えればいいなという感じでやっています。

 彼は 90キロ超級クラスの上背と体重の子。

 見ると 正座して立ち上がるのでも 手をついて立ち上がります。急に成長して 上半身の重みにぜんぜん下半身が…とくに膝がついていっていないようです。

 腕立て伏せ 腹筋は ほとんど出来ないに近い状況です。力自体は一般のその年代の子供としてはあるのでしょうが ヘビーな自分の身体をコントロール出来る程はないようです。身体も固いです。

 身体が固いというだけで怪我しやすいと言われているのに そのヘビーな体型ですから もし投げられでもしたら 相当のダメージを喰らうでしょう。

 根性だけはあるようで あるメニューの時 肘から血を流しているのに もくもくとやっていました。

 

 しかし 私は 「だめならだめと言う事。できないならできないと言う事。」と口を酸っぱくしていいます。昔の私らのいた根性系のスポーツなら 考えられない言葉です。

 でも 最近の子供らは 身体が固いというばかりではなく 加減や限界を知らない子が多いような気が…つまりある意味 自分の限界点を知らないような子が多いと思ってします。極端な言い方では 自分の最高心拍数を知らないとでもいいますか….。

 自分の今の『へたばり点』を知る為にもさせている訳ですが だんだんいい加減な動作になって効果も期待出来てもいないのにいたずらにやる事には意味がないと思っていますから 本当ならアラーム警告を正確な『へたばり点』で発してもらいたいのです。

 しかし 通常私達も子供の頃 親や先生に 「何してるの!早くしなさい!どうしたの!」と ただ急かされる環境がついぞ多かったわけで でもその事には「わかったよ!」と反抗はしますが反論はしません。

 どうして駄目なのか 自分なりの言葉足らずの言葉でしかありませんが表現する機会を与えず 頭ごなしな怒ったような叱責には…言っても仕方が無い…という事をインプットしてしまう訳です。

 道徳的には口答えとなるような事はだめとされる風潮でありますが こちらはレベルアップの為にお手伝いしようとしている訳ですから お医者様が「どこが痛いの?大丈夫?」と言った事に 例え自分流で表現が上手く無くとも 伝えてもらわないとだめなんだから…という事を判らせる事を こういう事がとても困難にしているのだなあと つくづく感じてしまいました。

 『ここまでしか出来ません』『上手く出来ません』『もういっぱいいっぱいです』と 私はいわゆる泣き言を言う時点を知り その後の為の指針にしたいのですが どうも理解はしてくれません。

 そりゃそうです。「解らないならば 出来ないならば 何故言わない。申し出もせず ダラダラとなるなら 止めてしまった方がいい」と私も怒る(?)わけですから 一見矛盾した感じで面喰らうのも当たり前なのかもしれません。

 今は 毎週週末近くに 彼本人から稽古を申し込みに来ないとしない事にしています。

 前までは 親にけしかけられて電話しているような雰囲気を感じていましたが 最近は自分の言葉で 自分で電話してくれるような感じとなりました。

 私は そんな微々たる変化の積み重ねでいいのだと思っています。

 私は 今彼が こんな私のところへでも来ようとする動機である『試合に負けて悔しかったから…』という思いを大事にして そのお手伝いが少しでも出来ればいいかなと思っているのです。

 そんな彼との稽古で 座礼立ち礼を教えています。私とて 不様な礼ですので むしろ一緒に勉強している感が強いですが 以前も書きましたように『教える事で覚える』という事もあるので 試行錯誤してやっています。

 さて 座礼の前には 先ほども言いました様に 身体が上手く動かせないので 身体をウォームアップさせる事も目的として含んだ色んなプログラムをやらせています。

 今のメインは 四つ足歩行です。四つ足歩行と言っても色々な歩行法があり 割と原始的な歩き方をしようと トカゲの歩行をさせています。

 股関節や膝関節の柔軟と背筋強化と腕立て伏せの代りとなるようになればと思ってやらせているのです。

 もう少ししたら 身体を左右に振りながら歩く もっとよりトカゲに近い歩き方をさせようかと思っています。

 四つ足歩行の最終型は 馬のような走りともって行きたいと思っても思っています。

 やってみれば判りますが 如何に人間は四つ足で歩かない いいえ歩けない動物になったものかという事が判ります。四つ足歩行は 太古の昔に捨てた人間にとって 苦痛で長くも出来ません。

 でも 構造的にそういう事が出来る過程を経て 人間は今の進化をもたらした訳ですから もう一度なぞってみる事で 色んな事を気付き 基礎を作り 強化する事になればいいかなと思っています。

 本当は 水棲生物の段階の筋肉を作ってもらいたいから 水泳も考えたのですが 日常出来る運動とはなりません。ですから さらに両生類から爬虫類(ほんとは無足歩行…つまりヘビ歩きもさせたいのですが 私も出来ないので…)に進化した時点を体感してもらっているわけです。

 ともあれ 先程四つ足歩行の最終型を 『馬のように…』としましたが それは対して意味が無いとも思っています。

 それは 筋肉のつき方や関節の可動域が 『走る』為に特化した形だからです。むしろ ゴリラなど二足歩行になる一歩点前の歩行を体得してもらいたいと思っています。

 四つ足から二足もどき歩行のそれらによって 腕立て伏せや鉄棒『も出来る』身体能力が備わればというのが 思惑です。

 別段 そのような特化した運動の回数をこなせる事を 主眼としているわけではありません。

 子供の頃 遊びの中で鍛えられる事で  型こそなしていなくても 何となく鉄棒にぶら下がっていれましたし 腕立て等は おそらく赤ちゃんの時 はいはいしている時点で もし『腕立て』のやり方を理解出来ていたら 何の苦もなくやってしまえただろうと思うから そのような事を思うわけです。

 ここいら辺までは 身内が買ってくれた『子供の運動能力を伸ばす本』とか 恐竜に関する文献や デザインで一頃風靡したルイジコラーニの本が 少なからず影響しています。

 これを書くに当り コラーニの本を繁雑な本棚から引っ張り出しました。

 たしか 機関車のデザインを四つ足動物のように レールに車輪を突っ張り 背骨で客室を吊る構造でデザインしたのを思い出したからです。

 読みながら考えてみますと なんと二足では不合理な事をしているものかと思いました。

 四つ足では 手足四点で重さを最初から分担していますが 二足では一旦内蔵から何から骨盤で受け それを二足に伝搬しているだけでなく 手に抱えた荷物や頭の重さと 骨盤と言う支点から離れれば離れる程重さが実質量より重くなったものまで 三次元で支えなければなりません。

 その為に 驚く程精妙で精密なバランスセンサーを備えたわけですが サーカスの熊でも自転車やバイクに乗りますし ライオンでも玉乗りしますから 意外と凄い進化ではなかったのかもしれません。

 なんたって 水中と言う小重力の中で 身体を鍛えたのですから…。

 しかし『進化』とは 自然に逆らって行く事なのかもしれませんね。

 老子の皮肉りが聞こえて来そうです…。

 さて次のプログラムは 『四股歩き』をさせています。相撲の摺り足で同側の肩と股関節を同調させる歩きです。昨今は流行っていますね。

 本当は この子の身体には 相撲のような運動プログラム(四股 股割り 摺り足 受け身等々)が 有効ではないかと思っています。すぐに聞きにも行ける環境なので その内に行こうとも思っています。

 その次ぎには 木刀を持たせて O氏に教えてもらった古流の足捌き(もどき?)による素振りをしてもらっています。

 四つ足も四股もこれも 同側の肩と股関節を同調させた動きです(四つ足から二足で歩くようになり 道具を使う…とは ほんとに進化の過程みたい)。

 木刀を振る事で もう少し腕力をつけてもらいたい狙いはあるのですが 無理繰りに特化した余分な筋肉をつけるより どうしたらスムーズに重さを感じず 回数をこなせるかという狙いもあります。

 でも 水泳をしはじめの頃 むやみに疲れるばかりだったのに やがて軽く水がかけるようになるのと同じで 自分で『いい振り』を見い出してもらう為 足遣いは教えて 後はあえて何も言いません。

 木刀を 足捌きをし軽く感じて振るという事は 柔道の『投げ』に通じる動きだなと思ってもいますので 正しい体軸を掴み その上での体捌きの軌跡を身体で覚える事というのは どこか太極拳での教えに近い所があり 成果が見えて来ればと期待もしています。

 また柔道の『八方崩し』の理合を覚える以前の下ごしらえとなるのでは?とも思ってもいるので 素振りによる足遣い体捌きを強く意識させてやっています。

 ここいら辺の考え方は 私も教えていただいている合気道の会では木刀や杖をやりますので それからのパクリです。

 ともあれ 四つ足から素振りの体捌きまでこれら一連は なんとなく『ナンバ歩き』に至るまでの進化を 身体に呼び覚まさせている感があるなあと ひとり合点をもしているのですが…。

 その他もう少し 身体を虐めるメニューはあるのですが それらも終われば 受け身をやらせています。

 身体を作る事もして行かなければならないですが 学校では柔道の部活をしている訳ですから 今の彼の身体を防護する術をここでは補習として徹底的に身につけさせないと まずいからです。

 今の時点では彼にとって 初心者な上に 身体をもてあましていますから 身体を『曲げる折る捩る』という事も出来ないでやる受け身では 結構痛いと思っているとも思います

 本当で言えば 身体の動かし方のメニューを進めて行けば 先に上げた『曲げる折る捩る』という事での柔軟性に対するメニューもやらなければならないとは思っています。

 『胴体力』の考え方と 促進させる為に『操体』などは有効だと思っていますが 覚えてもらう為の二人『操体』は 何せあの巨漢ですので 大変で 私にとってもいい運動になっていますが 一時間という限りある時間では 時間も無く 続けて行く中でじっくりボディメンテを覚えてもらうしなと思っています(言い訳…恥ずかし…)。

 ですから 『トカゲ歩き』と その後にやる『寝技』に それをある程度効果期待しているので 『受け身をする』というのは 上手くなるのは勿論なのですが 痛みをあらかじめインプットする事で 痛みに対する恐怖心を麻痺させる事を目的としてやっているという意味合いが強いです(合気道の稽古の時は 顔をはじめとした身体中を自分で叩いて刺激しますし 相撲を初めとした格闘技では 気合いを入れる意味でもありますが 痛みで怯まないようにと 自らを叩いてから試合に望むシーンはよく見られます)。

 ここまでするだけでもう本当に時間が少なくなってしまうので 技の反復型稽古とでもいいますか『打ち込み』や模擬実戦である『乱取り』はしません。

 ただ『乱取り』は 組手の攻防や転びそうになった時のバランスを知ってもらうためと 一連のメニューでどれだけ改善されたか確認する為に少し(慣れられると困るので)はやりますが 主に実戦形式としてのメニューは『寝技』を少しずつしています。

 イメージは ヘビのようにのたうちまわる粘っこい 畳床での攻防の為の 寝た状態から身体操作です。

 ここで 無足歩行運動をさせていると言ってもいいでしょう。

 やっと次には 座礼の仕方となります。

 私は 『座り 礼をするまでに それなりの理由をもった所作をすれば 座礼となる。』と教えています。

 左足から折り畳むは まだ刀抜ける態勢の意(弓は反対足だったような)。まだ 相手と視線は外さない。

 次に右足も折り畳み ゆっくり尻を踵に落す。まだ 相手と視線は外さない。

 足の甲を 畳につけ正座。まだ 相手と視線は外さない。

 股は幾分開く(拳ひとつとか二つとかあるけれど 前のめりに飛び出すのに力の入りやすいように開く)。

 両手を(本当は どちらかが幾分先として いつでも刀に手を掛けれる意識を持つのかも…)膝前に差出し 指先を床につける。指が曲がるぐらいには 重みは掛けない。まだ 相手と視線は外さない。

 両手差出す位置関係も 自分で手をついて飛び出しが容易となる位置を見い出す事。

 開きも 『円相』の構え。太極拳では 弓が張って弾力を持つような形にも似ているし 意拳でも 自然に手を前に差し出した時に出来る形にも似ている。ガチガチに突っ張らない。

 そして なるべく視線を外さないようにして 身体を折りますので首が伸びた形になっており 最後は首の力を抜いて目線を床に落し 観念し深くひれ伏す…この時点を持って 無防備な自分(首)をさらけだし 無抵抗の意を表明する。

 …こんな風に 『視線を外さない』などという 最後まで相手を信用しないような行為は 『礼』に反するという風に言われますが 視線で放つ『意』が敵対心ならば そうとも言えます。

 しかし 所作ひとつひとつが 『備え』の意を持った『構え』『態勢』である事は否めないのではとも思います。

 もし 城中で皆がお殿さまの前でひれ伏していようとも 誰か乱心するかもしれませんから お互いその『備え』として 座礼の中に折込みをする事は不思議ではありません。

 そして最後の部分の所作は 首を差し出し 観念しているという表明でありますから この上ない服従の意となるのです。

 なんか そんな感じのイメージをもって 『座礼』すると 少しはピシリと締まった『礼』ともなって来ました。

 余談ですが ある神社の神主さん元校長先生で弁もたち 仕事柄昨今の地鎮祭等での礼法がなっていないとの事で レクチャーしながら神事をしてくれるユニークな神主さんです。

 ニ礼ニ拍手一礼は元より 神事の流れで 座礼も立ち礼もその頭の下げる深さで意が違うと教えてくれました。

 神事儀式が無事終わり 最後に神様に帰ってもらう際には 心底から来て頂いた事に感謝を込めて最敬礼(立ち礼)をしてくださいと言います。

 この最敬礼もまた 身体深く折り首を差し出し どうぞ斬られてもしかたがありませんというぐらいの無防備無抵抗の意であります。この上ない 敬愛尊敬の意でもあります。

 ああ このぐらいの気持ちを持って ひれ伏すのだなと思っていましたが こうやって考えてみると 帰って行く人(この場合神様ですけれど)に際する最敬礼は 首を差し出しても もうやられはしないという安堵からでもあるなあとも思いました。

 面白いもので 誰かが来た際には お辞儀はしても 意外と目や頭は気配を追うものです。帰る際に 引き返して来ない安全圏の間合いを感じると 深々とお辞儀をするものです。

 礼 お辞儀というのは 一つの意思表示のボディランゲージではありますが 様式化する元は やっぱりこのように自然の発露からなのだなあと 稽古をしながら気付かされたのでした。

 ある意味 稽古に来てくれる中学生には そういう事を気付かさしてくれるので 実は感謝感謝であります。

(礼法を調べるに当り あるサイトに当りました。読み出す前に書出しましたので 矛盾してしまっている所はありますが 興味深かったので御紹介しておきます。

http://homepage3.nifty.com/motokenn/Motkenn-Motkenn-seitei-reiho.htm   )

 さて 気付きはまだありました。何故尻があがるか…という事。

 どうも 腿をあげる時に伸びるお尻の方(腿の付け根)の筋肉も固くなってしまっている事もそうですが  そうなると膝関節の伸びが足りず 尻を正座の際には落とせても お辞儀をした際に  尻が上がり膝が折れていない状況になるのではとも思いました。

 そういえば 昔の日本人は正座を生活の中でしてきましたから 日常がストレッチみたいなものですし 考えてみますと タイ式マッサージなどでは関節自体の可動域を広げる為に捩ったり廻したりするだけでなく 引っ張るような手技があります。

 一見 筋肉を伸ばす為とも思っていたんですが 正座でなる事と同じ線上の事をしているなあと推察しました。

 関節…正確には 軟骨のある部分のクラリアランスの自由度をあげるという事。

 以前言った 身体の各所の強張りをリセット解体するという事は こういうところまでしないといけないのではと思った次第です。

 それを意識して稽古して 黒田師範と岡島先生の『整体稽古』で見せた『心の底からごめんなさい』と座礼する(知ってる人は知っている…)のを試してみれればと思っています。

 それより何より 彼は成長についていっていなくて そして私は以前の古傷で 膝が良くないので じっくりとそこいら辺を改善する為のメニューを考えようと思っています。

 要は 負担軽減の為に上半身を痩せればいいのですが それだけではいけない事をも 正座をする事で気付いた次第なのです。

 最後に… 

 今回その彼との稽古を終わった時にも ふと気付いた事があります。

 今までは 座礼をし 立ち上がる際に手をついて立とうとしていたのですが それが今回少なかったような気がしました。

 その事を お母さまに伝えたところ 「そういえば 前は ズボン履くのでも 座ったまま横着して履いていたのに 最近立って履く事も多くなった」と言っていました。

 ちょっとずつの変化なのですが 身体の動かし方が上手くなって来た証拠だと思います。

 なんとなく 嬉しくなってしまいました。

 まあ 教える限界(私の能力)はありますので 早く次なるものを自分で見い出し 私から卒業して欲しいと 彼には言っています。

 求めれば 道は向こうからやってくるのですから…。

 寒い…。朝夕冷えるようになった。

 昼間、小学校への出前授業では、めいいっぱいハキハキ明るいお兄さん?をやる。仕事の顔を知る方々は、私のことをソフトで武道をやるようなコワオモテに見えないという。勘違いだ。実はこれほど短気で気難しいガンコ者はいない。イヤなヤツですよ~。

 仕事が終わって、夜の深閑とした林に包まれた稽古場へ通うとき、素の顔にチェンジしていく。寒さで闇が一層深く感じる。しかめツラ。おっくうだ。雪が降れば、またいつものように素足が床板へ吸い付くのだろう。

 反対に、父との家伝剣術稽古は熱を帯びてきた。

 昨日は一連の型稽古の後、実験をお願いした。木刀を袋竹刀に変え、叩かれていいようにフルフェイスの面をつけ、小太刀をお願いする。駆け寄る我へ斬ってくるのをさばいて、喉輪や体当たりを行う型で、どれだけ間合いを詰められるのか?そうすれば何が見えてくるのか?帰りの電車の中から、やってみたくてソワソワしていた。

 仲間と袋竹刀稽古で実験するときは、いつの間にか自由乱打に陥ってしまう。まるっきりできない。今日は、父の方はフェイントはつかわず、変化もつかわず、駆け寄ってくる私の中心を単純にまっすぐ斬ってもらい、その斬りをガイドラインとして、私がさばいて次の変化につなげていくという、丁寧な初歩からの稽古だ。しかしだからこそ安心して、相手のとの拍子も含めて、自分の動きをじっくりと工夫検討できる。

 足を止めない、蹴ってカドをつけて動かない、相手の斬りのラインに対して吸い付くように、流れを泳ぐ魚のように。右腕にダラリと下げた小太刀の重みで一重身に変化するようにしてみる。

 すると正面へ斬ってくる相手のスピードと、さばく自分のスピードが合成して、互いのカラダが、思わぬ速さで思わぬ方向へすれ違う。前回も書いた。そのとき思わず彼我の間合いと関係を認識するのが一瞬遅れて、混乱して立ち止まってしまう。

 特に体当たりの型は、右にさばくやいなや、左側の相手に体当たりをしかけるために、カラダを急転換しなくてはいけないのだと思ってきた。その体当たりも、宮本武蔵の「五輪書」のイメージがあった。

 しかし違うようだ。相手の斬りのライン、つまり彼我を結ぶ中心線上に沿うようにさばいて止まれば、その後は左へ体当たりする必要はない。我は止まっているだけで、相手にとっては相対的に体当たりになるらしい。

 相手から見れば、敵の中心線をまっすぐに割るように前へ踏み込んでいったとたんに、左側面に岩礁のように相手のカラダが急に出現するので、いままでの前進軌道が大きく横へ崩されることになるのだ。これは例え大きなダンプカーであっても、アクセルを踏んで走り出した瞬間に、斜め前から小型乗用車が衝突してくれば、かなりのダメージを受けるであろうことと似ている。

 その上に、駆け寄ってきた相手の位置エネルギーが、衝突の一瞬でこちらのカラダに乗り移ってくるため、前へ進んできた自らの位置エネルギーと反発しあって、衝撃は複雑で大きくなるのではないだろうか。

 以上は、現段階における稚拙な推論だ。もっと稽古が進んで目が開いてくれば、全く異なることを言い出すかもしれない。ご注意あれ。 

 ともかく先日の抜刀の会を思えば、高速でゴザをバラバラに切断していた重金属、刀。あの斬りの中に身を置くことを考えれば背筋も凍る思いだ。しかしその斬りの下を、脆弱な生身のカラダですり抜けて生きのびなくてはならなかった、剣技はそのためのワザであったはずだ。その推論は今も変わらない。

 稽古が終わり、稽古場を闇に返すとき、我に帰って身震いする。こんなに暗く寂しい林の中だったか。幽霊の存在は信じない。例えあたりの闇に魑魅魍魎(ちみもうりょう)が潜んでいようとも、熱を帯びてきた稽古を邪魔したら許さんぞ!

 父と真剣か刃引きで最高の型を打つことが目標だ。そのために明日は何に気づけるか?課題がたくさん紡ぎ出されるのが楽しみだ。

 抜刀の講習会へ、未経験者3名でお邪魔した。我々の斬りは本当にモノを切断できるのか?大変貴重な勉強となった。会の方々へ深く御礼申し上げます。

 ゴザを巻いて水を含ませたものを立て、真剣で斬る。会の師範方は様々な構えから、自在にいともカンタンに切断していく。凄い。このような稽古は今に始まったことではない。幕末の某藩の武芸稽古風景を描いた絵でも見たことがある。

 我々も真剣をお借りして、二十太刀くらいずつ、斬らせていただいた。はじめは全くできないだろう、恥をかくなあとお互い心配しあった。

 刃がついた真剣で稽古したことはほとんどない。幼稚園の頃、先祖のボロ刀?で家の柱に傷をつけたぐらいだ。錆びているのにカンタンに斬れるのでビックリした記憶がある。

 今回、真剣を思う存分振り回せると思うと、刃への恐怖でガチガチになるかと想像した。だが、案外そうでもない自分がいて、手の内を和らげて持ったり、型の動きを工夫する余裕があったりして意外だった。つまり、真剣はいくら斬れるとはいえ、触れなければ斬れないのだと感じた。触れなければ鉄の棒にすぎない。料理包丁を持ちながらビビる人は少ない。長めの包丁だと思えば、必要に恐れることはない。私にとってはむしろ、自分が修練していないために対応力の無い、寝技や直接打撃の突き蹴り、弓やボウガンの方が怖いかもしれない。

 案外できるものだ。トップバッターの私は、袈裟、逆袈裟とバカ力まかせの斬りだが、なぜか失敗はしなかった。当会のK氏は、肩上からのコンパクトでリラックスした斬りで、スパスパ斬って誉められた。木刀も握ったことがなかったF氏も、一本目はとまどっていたが、斬っているうちにコツをつかんだようでスパスパ斬り始めた。取材に来ていた女性の新聞記者も、危うげな足取りでも斬った。

 さすが、F氏のご先祖は、弘前城内で乱心者を三尺三寸の刀で両断し、下にいた同僚にはキズ一つつけなかったという達人だ。先祖の血が蘇ったかああっ…!?

 二度目の私は、連続技とリラックスを意識しすぎて、後半はだんだん斬れなくなった。まだまだですなあ。袈裟斬りのとき、半身の撞木足にかまえてみたが正対に直された。腹に力を入れよという。胸を張った姿勢から、抜刀にも近代剣道の技術が大きく影響を与えているような気がした。斜め頭上から袈裟に斬る、私のバカ力斬りは、斬った後、刀が大きく流れてしまうのがダメだとい、止めるのだそうだ。おそらく次への斬りに変化するためだろう。ならば力で止めず、カラダ全体の動きで自ずと止まるようにしなくては、重い刀がスムーズに急停止、急発進、急ターンできないだろう。翌日、背中の肩甲骨と内股のそけい部付近の筋肉に張りを感じた。「斬ってやる!斬ってやる!」と不必要に力んでいたようだ。

 なんとか斬れた我々は、まぐれのビギナーズラックであろう。だが、ちまたでよく言うように、刀は刀法を修得していなくては使えないというが、それほど難しい道具でも無さそうだ。剣道などの特殊なスナップ打ちではダメだろうが、素直に振ればゴザを斬ることは、どなたでもできそうだ。その機能性ゆえに、平安期からそのカタチが定番となったのだろう。

 ただ、それ以上の太く固い大木や、軽くて揺れる草の葉などを斬るとなれば、かなりの修練が必要であろうし、まだまだ凄まじい使い方があるに違いない。我々が知らないだけだ。精妙さとはほど遠い私。

 武術ならば、特に動く相手は斬れるかということが重要だろう。動かないゴザなら、足幅を広くとってドッシリと構え、呼吸を整えてから斬れるが、意志を持って変化する相手、反撃してくる相手には違った技術が必要となるのではなかろうか。以前から、父もその意味において疑問を投げかける。

 家伝剣術では、死体などを斬る「据え物切り」では、心を静めて手の内を和らげ、存分に打ち込んでやっと斬れることが多いもの。忙しい生死の場ではなかなかそうはいかないと記す。刻一刻と変化する彼我の中で、どっしりと構えて刀を振ることは死を意味する。空手の瓦割りも同じだ。止まった瓦に100キロであてるより、動く人間に5キロであてる方が超難しい。

 そして、いくら超高速で大木をも切断する斬りでも、まるでオノを振るように、技の起こりがさとられ、間合いも刃筋も変化できないガチガチのものならば、そこにつけこんでくる柔弱な太刀に敗れよう。十数代前の先祖太郎兵衛師範は、敵の技や拍子の「オコタリ」につけこむことを説いた。家伝剣術の足遣いやカラダ遣いが柔弱なイメージなのは、変化の中で対応するためだ。次回もしチャンスがあれば、刀をダラリと持ち、踏みしめない全身リラックスした使い方、または歩みながら、走りながら、動きながらの抜刀、カラダ全体で変化させる太刀筋なども工夫してみたい。

 なぜか和服の武術的機能についても連想した。和服は動きをぼかすというが、一方で、斬りのターゲットとなるカラダをぼかして、太刀がヒットしたのか、しないのか、肉体接触までの間合いもわかりにくくする機能もあったのではないかなあ。

 翌日、実家稽古場で家伝剣術。父からは予備動作見え見えのバカ力打ちを注意された。昨日の据えもの斬りで力みすぎたクセが残っていたようだ。

 しかし大太刀の型も面白い。小太刀の型では、幼い頃から意味不明で宗教めいた?動きと思っていた間合いの詰め方が、K氏のご指摘で、八極拳や心眼流でも同様の型があることを知った。

 以前、実家剣術は見慣れた漬け物のようで、新鮮味はなく、何もひらめかないと書いたが、今やそうではなくなりそうだ。やっているうちになんだか、新鮮な発見の予感がしてきたのだ。全体の輪郭が見えそうな予感もだ。今はその予感が言語にできるほど確かではない。もし僅かでも見えてくるならば、琥珀の化石の中から、大昔の生きた技のDNAを実感として抽出することも遙かな夢ではない。そうなればいいが。ささやかな希望だな。 

 怪力男いきなりであるが 『大山デブ子』という名を御存じであろうか?

 青森県出身の奇才寺山修司が寺山ワールドで描く所の曲馬団には 自分の身体をいろいろな見せ物としての生業とする連中がいて その中のひとりの女性の名前である。(ちょっと固い感じの文調ですが 今回はこんな感じで…)。

 『大山デブ子』をはじめとしたそんなフリークスは よく言えば『世界びっくり人間』に出て来るような人々であるが もう少しおどろおどろしくした趣きを映画は醸し出させていた。(―――お断り:この時点でのフリークス:奇形異形の人についての記述は 一重に私の悲しいかな語彙表現力がないからでして 四肢欠損や先天あるいは後天的障碍のある方達の事を指しているのは確かなのですが 仕事柄そういう方達と関わり会いを持って 何をもってそういうかと思う程でもあります。かくいう私も障害者…という程のものでもありませんが 事故で利き手指先に軽い感覚障害があります。指先は薄い手袋をはめて感じる感覚となっています。寒い時は 軍手みたいな…。社会的認識としては 何をそのぐらいと断じられてしまいましたが 手仕事的な事で生業をしているものとしては―――指で製品の質感を確かめるとか 高い所に登る時に指先でものを掴む時にその触感で確かめる―――とか 死活問題であるのにもかかわらず 健常の方にとっては『障害を持つ』という事の意味についていかに希薄である事を そんな些細な障害を持った事で知り得ました。

 考えてみますと 人間全ては障害者でありまして 昔の古傷 神経痛 近眼老眼は身体的障害 癖となると精神的障害…となれば なんのそんな障害と健常の線引きがいるものかと思う程。土台性差すら 男から見れば女が障害者。女から見れば男は障害者。生物学的には 雄は雌の変異形なのだと聞いた事がありますがともあれ 北欧では『障害がある…』とは 妊婦さんや子供を抱えたり荷物を抱えたりしている人達の事まで指すと言われ 目からウロコでありました。

 御存じでしょうか あの『車椅子マーク』は『車椅子を使っている方をはじめとした 日常その場で不便を感じている方専用あるいは優先』という意味を…。車椅子マークイコール身体障碍者という事と社会的勘違いが 心底にある差別意識を払拭出来ないでもいます。障碍があるというだけで 働けないでいる事もありますのに 働かないで補助で生きていると 本末転倒な世の中でもあります。

 よく考えてみて下さい。自動車産業は ここいら辺りで百姓をやっている機械工学を納めた人間ではない人達が製造しています。冗談に 「今年出稼ぎで オラが作った車は買わね~方がいいぞ~。」なんて笑いあう程。効率工夫の際たる産業がこのようにしているわけですから 仕事が生まれない訳がないのですが 邪魔に追いやってしまった結果の社会状況は 後天的に障碍を持ってしまった人等はとくに 奈落の底貶められたほどの立場と思ってしまっているのです。

 障碍があるないというので 線引きされるのは可笑しい話ではあります。ある御夫婦で奥様が脳性麻痺の詩人の方には 仕事ではっぱを掛けられたりもしてました。母親も考えてみると障碍者なのですが それがずうっと日常でしたので なんの違和感もなくあります。大叔母は聾唖でした。後年 勤めた会社の職人さんには多くそのような障碍をお持ちの方がいまして 筆談まじりで仕事の打ち合わせする事に煩わしさを感じないものですから よくよく現場を組ませられたものです。組ませられた…という表現は本意ではありません。誰とでも組む事はいいと思うのに 私なら大丈夫だろうという意味合いで会社がそのようにするものですから いかに障碍に理解がある会社とは言え 少し悲しい思いを帯びたものです。

 でも それなり勉強にもなりました。言葉には色が無いように感じるでしょうが 抑揚をつけた言い回しで いろいろニュアンスが変わります。しかし 筆談ではそれが表せません。ちょうどカラー写真の微妙なニュアンスを白黒にしたような感じとなってしまいますので 筆談による表現と言うのは結構難しい事を知りました。また意思伝達という部分では こちらからしたら聞き取りにくい脳性麻痺の方の言葉でも家族は解るという事は いかに『言葉』というものが曖昧なものであるかという事も いろんな関わり会いから知りました。ですから 古文書や伝書の記述などの その場その時に聞けない『言葉の化石』を読み取る事の難しさを しみじみ感じ入ったりするのは そういう経験とリンクしたものです。

 ともあれ今 この度だけ障害いいえ障碍者の方の事について抵触する部分は 大目にみてやってください。…というか 例えば聞くに耐えない意味の言葉でも 外国語ならばなんの反応も帯びません。『障害』という言葉も『障碍』という言葉も 言っても言われても 差別侮蔑の言葉と感じなくなる世の中になればいいのにと思う次第です。差別の『差』だとて 上下関係という意味で無くて 単なる『違い』とか『個性』と認知認識されるような言葉として 使われるようになればいいなとも思ったり… ではでは 話しを続けます。)

 そういう人達は 毎年弘前城の桜祭り期間中にも小屋掛け興業していた。私も幼い時何度か父親に連れられて観た事はある。併設して 曲馬団…もといサーカスやお化け屋敷も興業されていたが お化け屋敷の方は 父親の後ろを目をつぶって歩いた事が一度きりあるだけで 恐くて以来行った事がないが その見せ物小屋は何度か観た記憶がある。こちらは 寺山ワールド以上におどろおどろしさに磨きがかかっていて 後年 似たような出し物(多分同じ)を 大分の友だちが観た事があると言っていたから そうして全国巡業して廻るのだという事を知った。『…男に…女… 親の因果が報い…』という例の口上の見せ物である。その友は 学校に 見せ物小屋を仕切っているところの子が転校して来て ホルマリン漬けの…(なんだったか記憶に無い…ヒトだったような…)を持って見せびらかしてくれたと言っていた。後で その興行主である親に発覚し こっぴどく怒られたらしいという顛末付である。

 ともあれそんなのは 小学校時代理科室や保健室でいろんな標本見るのが好きだった子供だった(掃除当番は率先してやった)ので 差程おどろおどろしくは感じない自分であったが 何か闇の世界に触れるようで どきどき恐怖と興味で 息を飲んでその話しを聞いた記憶がある。

  理科室や保健室の話しが出たが  そこにはいろんなホルマリン漬けの標本があったものだ。今はどうなのだろうか??その中で 半ばトラウマに近いインパクトを与えたのは 『サナダ虫』というものだった。図鑑で調べもしたが 妙な想像も手伝って 私の頭では今でも以下のように理解をしている…。 『サナダ虫』というは 体内で成長すると口から肛門までの長さとなり… 口を開けると のどの奥に 『サナダ虫』の頭が見え こちらが食べた食物を食道を通る前に横取りされて食べてられてしまい 肛門近くまでの長さに成長した『サナダ虫』のシッポから消化された排泄物が出で それが肛門から… つまり 先に食べられ 何ら宿主である人間は栄養を吸収する事もなく 排泄口としてのみ肛門を使われ 人間はやがては痩せて死んでしまうという 恐ろしい虫なのだ。恐ろしい事に 引き抜こうとすると 節くれだった身体が途中でプツンと切れてその先から何度でも再生され 体内から出る事はない。唯一 虫下しのような薬でその末端の節ごとに少しずつ壊死させては その屍骸片を肛門から出た分だけ地道に取り除く。体内を巡って育った数十m?の『サナダ虫』を そうやって薬を飲んで壊死させて行くという気の遠くなる作業をするのだ……。ほんとは違うのだろうけれど 図鑑での知識が妙に歪んだ想像の知識と混じり合い膨らみ 今だに頭の中にはびこっている。だから すごく長い寄生虫いいや寄生獣『サナダ虫』のホルマリン漬けを見て 色々な事を妄想するととても恐ろしかった。

 話は逸れた。ともあれ 弘前で観たそれらの体験は 寺山ワールドなレトロ西洋風な曲馬団ではなく サーカスだって テレビで見る円形テントでの興業ではない 小丸太を荒縄で結わえた小屋掛け作りであったから 子供心になんか違和感を持って観ていたような気もする。サーカスという響きは どうしても西洋の円形テントが似合うと思っているからであろう。寺山描く所(映画で)の曲馬団も 見た目レトロ西洋風でもあるけれど 中身は昔観た見せ物小屋の世界の住人達ばかりだから 和洋混在してこれまた違和感を持って観た記憶がある。まあ それが寺山ワールドであるが…。『○○男…に○○女…』聞けばおぞましいキャッチフレーズやニックネームを 呼び込み口上でよくも考えるものだと思う人達のショーである。寺山ワールドの映画では 『春川ますみ』という ぽわ~~んとしたキャラも出来 反対にキリッとしゃきっとしたキャラも見事にはまる 類い希な女優さんの隠れファンでもあったから 演ずるところの大山デブ子だけは気に入っていた(大して出ていないのだけれど…)。これは余談…。

 のっけから マニアックな話になってしまったが 最近稽古会に遊びに来てくれる合気道の先輩のH氏のお父上は 寺山修司と同級だったとか言っていたので それを思い出し つい今日の枕に書いてしまったという次第…(枕にしちゃ長い!)。ちなみに 米軍の基地のある三沢市には 寺山の記念館がある。そこは 寺山ゆかりの人達に素焼きタイルに何か描いてもらい それを焼いて外装に張っているというモダンアートな建物とか(行った事はない)。そのタイル製作を手掛けたメーカーであるINAXスタイルの青森の所長には その施設の建設当時 私も仕事を依頼してあったので 大変御迷惑かけた事を思い出す。

 ともあれ 所長が 寺山ゆかりの人達を訪ね タイルを差し出し描いてもらった話しは面白かったような記憶もしているが(ほとんど覚えていないのだけれど…) 相当大変な仕事であったらしい。一方 私の依頼した仕事は そんなアートな仕事ではなく 伊奈の焼き物職人の腕の凄さを見せてもらうような仕事であった。

 依頼は タイルに点字文字を焼付け さらに筆文字の原稿を そのかすれ具合も忠実に象眼してもらうという作業の代物。トイレマークを知り合いの書家に書いてもらい 同時に触ったら点字文字にもなっているというもの。さらにレリーフの様に トイレ内部の見取り図が浮き出ているので 部屋の感じが判る… それを別々に作るのでは無く 一見すれば単なるサインタイルのようにしか見えないタイル。さすがにそんな注文初めてなので 何枚か作ったとも聞いた。そのぐらい 職人の意地を感じる品物と言ってもいいぐらいの代物であり そして出来栄に私自身は脱帽した…。

 点字は あらかじめビーズ玉のようなセラミック粒を作り それを点字として配列張り付けしたのだという。文に書くには簡単だが 焼き物は 土が乾いた分収縮し焼くとまた収縮するので この粒子大の物を 思った寸法にあげるのは至難の技なのだ。作った職人を誉めて欲しいとまで 出来上がった際 所長は言っていた。筆文字の象眼も見事であった。そんな思いをした仕事だったからであろうか 所長は転勤になった後でもしばらく私のような輩でも年賀状を個人的くれた。大手となるとよほどの事がないと 私ような若輩者には年賀状等はくれた事がない。あまり仕事を依頼もしない輩に いちいち年賀書きしていたらキリがないからだ(ごもっとも…資源の無駄です)。

 ともあれ かの有名な帝国ホテルのレンガタイルも 伊奈の職人が作ったとか…。その末裔の方達の心意気を観て欲しいのであるけれど 実は残念ながら盗まれてしまって現在は無い。何年度かのデザイン系の年鑑には載ったそうであるが 品物は とある所の公衆トイレの表示板として ばっちりドアに接着してつけていたのであるが きれいにとられてしまったのである。いたずら半分に壊したりする輩はいるとは思うが その努力(剥がす)に感心してしまう程 綺麗に持ち去られて無いのである…。もし盗んだ輩がその価値を知っての事とすれば 持ち主の行政機関には悪いけれど INAXの仕事がそのぐらい評価されたという事だから これはこれですごいと言っていいのかもしれない…。

 おっと さらにさらに 話しは逸れてしまった。(お世話になったので ちょいと無理繰りINAXの宣伝めいてしまいました…)話しを戻す(脱線し過ぎ!)。『明治は遠くなりにけり』などとも言うが 『昭和も昭和で遠くなりにけり』…そして陰惨な戦争もあったけれど『古きよき時代』とも称してもいいような時となって来たような気がする。私が通っていた小学校に ある時すごい人がやってきた。『怪力男』である(ちょっと初老であったけれど…)。実は私は 誰よりも先に その人を校長室の前を通り過ぎた時 座って校長先生とお話しているのを目撃していた。

 奥さんらしい人と一緒で 校長先生と話し込んでいた。次の日(だったと思う)… 授業が潰れ 『怪力男』の興業が行われたのである。とある男がやって来て 学校に興業を申し込み 次の日にやるのであるから それなりあの時代も 今のようなせこせこしていない『古きよき時代』だったのかもしれない。わが町には桟敷のある映画館があって そこに東京オリンピックの映画を観せられたり 学校では年に何度か『映画教室』というのがあり講堂でも映写会が行われたり…それで今回は『怪力男』の興業である。なんとも言えない いい時代だったのではないか…。

 ちなみに 映画教室では 何度も字幕スーパーの『禁じられた遊び』を観た(今だに どういう映画の内容か解っていないような気がする)。また今にして思えば 北朝鮮や中国の子供達のがやたら出る その国のプロパガンダ映画も観せられた。子供らが皆赤っぽいネッカチーフをして 小さい本(ナントカ語録??知ってるけれどまあいいじゃない…)を持って手を振ったりしていたのを覚えている。子供ながらに 同じような顔つきで はつらつとした笑い方をして『なんなんだ あいつらは??』と思っていた。今流で言うと『キモイ』感じだったのかもしれない。

 さてさて 『怪力男』の興業。彼は 髪をオールバックにし ガウンを着て壇の上に登場した。プロレスラーのような格好で 上半身裸で下半身はタイツ。力道山スタイルである。けれど さほど大きい身体ではなかった。大きい身体でないのに『怪力』…いいや何らかの秘術をもってなし得る『怪力術を使う男』なのが売りであったようだ。彼は 第二次世界対戦中 スパイとして活躍し 今でも身体の中には銃弾(散弾?毒針だったか…?)が入っていて 手術で取りだせない危険なところにあるのだと言って なんとレントゲン写真をかざしてみせた(遠くてよくわからなかった…)。いつそれが動いて心臓とかに廻り 死ぬかもわからないのだとも言っていたような…。つまり 大きい身体ではなく その上このようのハンディもあるのに そしてそんなに若くも無いのに 『怪力術』を持って今だこのような事が出来る…というのが売りだという事を言っていたのかもしれない。スペインでは 闘牛場で牛と格闘した事もあったとか…。

 これまたその前に 町の桟敷付の映画館で 牛の角を折る極真会館の大山倍達の映画を観ていたので そりゃあすごいと驚愕!数々の波乱万丈快刀乱麻な武勇伝が語られた後 『怪力男』はガウンを脱ぎ すこし弛んだ上半身に力道山のようなタイツ姿で いたるところに針を刺したり 火を吹いたり 飲み込んだ物を出したりし 最後には 車のサスペンションである板バネを『あちゃ!』というかけ声で曲げて見せた。ヨガの荒行 気合い術の類いだったのかもしれない。でも 子供心には 巡業の度あのバネを 何本も持ち歩くのは大変だろうな…と思った程度で 後はまあ凄い…なあと思っただけ。見せ物小屋でなれていた私は いたるところに針なんてのは 大したインパクトを与えなかった。しかしブルースリー以前の『あちゃ!』だけは耳に残ったらしく しばらくは おちゃらけてよく話しの合いの手を入れる時に無意味に使ったり それこそ気合い術としての『魔法の言葉』として 力を入れる時に発する言葉として口癖となっていた。他の男の子も その例外ではなかった。

 気合いを掛けた時に 瞬時に力が増大するならば それは凄い事である。実際 ウエイトリフティングでは 見慣れた光景ではあるし 我々だって 力を込める時には声を発する。それは筋肉を十二分に発揮させるという事を本能的にするからであろうか。今 このように稽古研究会などに寄せさせてもらうと 『歳を経ても変わらない力』という曖昧でよくわからない事に なお一層興味が尽きなくはなった。それは 自分自身が 実際10年ひと昔…光陰矢のごとし… 今若いと言っても あっと言う間に老人になるのだ…という事を 現実的に感じるようになって来たからでもある。別段強くはなれなくとも 身体が思うように動かなくなる事と 自分の頭の摺り合わせが出来ていない事に 最近愕然としてしまうせいもある。でも『年寄りの冷や水』とは まだ言われる歳ではないが 『歳を考えて…』という言葉には まだ抵抗したい年頃ではあるのだ。

 大東流の佐川幸義師範は 死期近くなるまで強さを進化させていた…などと聞くと へ~と驚愕してしまう。後年 実は人知れず鍛えていたと聞きもしたので やっぱり日々精進日々努力がいるとのかと 思い知らされもしたが あの金さん銀さんでも 筋肉トレーニングにダンベル体操したら認知症まで緩和されたというし そういうのも大事なのかも…とも思いもしている。老人の福祉施設でも 筋トレルームがあったりもしているので なおさらだ。でも… 介護ヘルパーさんが 「おじいちゃん 今日は○回出来た。すごいね~」なんて 保育園児にいうような言葉でやるのは違うような気がする。昔は なうての「プレイボーイ」だったおじいちゃんが そんな言葉にヤニ下がってしまったら 昔の名が廃るというものだ。じいさまと言えど 男なのだ…。

 ここに 吉丸慶雪師範の著書が数冊ある。師範は 中国拳法にも造詣が深く ずっと昔からどうも合気道や古武術とつながりはあるぞと踏んでいた私よりはるか以前に 私のような趣味の領域ではなく 武を追求する人として 多岐に渡る考察をして 秘伝秘術としてではなく 人間科学として武術のあるひとつの形を残そうとして尽力されている方である。最近 師範の著書が出たので買い求めた。『合気道 極意の秘密』。ページをめくると 『最後の書』となるとある。よくよく読めば 倒れられ 病床についておるとか。思わず ファンレターともつかない お見舞いのメールを主宰している会の方へ送った。それは 連載漫画が作者の都合で打切られてしまう事に帯びるファンの心境にも似ているのかもしれないが 同時にどうしてこのような事をやっておられる方は 心臓や脳に疾患を持ってしまうのか…と思いが メールにさせたと言っても過言ではない。

 厳密に統計をとったわけではないので なんの根拠もないが ただジョギングして心臓発作を起こし亡くなる人が多いと聞くし 陸上をやって身体を鍛えておるのに短命という話しも聞くと 『鍛える』とは一体どういう事なんだろうと思ってしまう。太極拳の台湾の師は 念入りに準備運動している弟子を見て なんでそんな事をする…?と言う。武士ばかりでなく 昔の人には今のような体育理論など存在しないから 戦や農作業に行く際には ストレッチなどはする事もなかった。日常動作が 準備運動でもあり運動でもあったわけだ。しかも 筋力やスタミナを増強しようなどという学術的スタンスを持ってもやってもいなかった。食いものに関しては精の付くものを食べるとかぐらい。運動後のケアとして 疲れや痛みを癒す為の煎じ薬や膏薬…という考え方は 昔からあったが…(東京オリンピックの女子ハードルでは 日本人選手が両こめかみに膏薬を貼っていた。最近普段でもそんな人にはお目にかかった事がない…)。

 私は 理学療法士でも作業療法士でもないので それがあっているかは解らないが 思うに 歳をとってからの『鍛える』というのは『筋力のアップもしくは維持』という考え方なのではなく 『筋肉への意識の維持』という事なのではないのかと思うようになって来た。もっと言えば 『段差があるので気をつけなければ…』という『意識自体の維持』である。ある三世代家族の住宅では 床の段差を無くした設計にしたら 小さい孫が他へ行くとよく転倒するのだといっていた。フラットな床ばかりの環境での生活が 孫に摺り足しかさせなくなり またぐとか足を上げて危険を回避するという 日常では意識せずする思考回路の育成をさせない。

 思えば こちらの地方では 冬は滑りやすかったり段差のある環境の中で老人になっても生き抜いて来た。だからバリアフリーという言葉だけが一人歩きしている世の中 事の本意を咀嚼しないで行われ 伝承さえされない始末を 最近は憂いでいる。吉丸師範の著書を読み 意拳や以前やった太極拳での動き… いやそれ以前に日常生活している中での身体の動かし方を顧みてみると 確かに『意識』があって身体が発動してはいるが 窮屈であったり回りくどい形で結構制約してしまっていたり固定されたものが多いような気がする。

 しかし うまくは説明出来ないが 不自由で制約があった方が したい動作が特化されて出来るのでイイ場合さえある。例えば 四つ足動物のように『走る』という行為だ。そこに実は よく聞く『型稽古』による身体の練りという事に繋がるものがあるのではとも感じている。今の身体のままで 不自由に制約しても その動きとはならない。充分自由な解体した(リセットしフリーに)した身体となった上でないと 各箇所を適所適度にロックしてその行為の為に特化した形にはなり得ない…という風な事を 思うのである。自由に解体された身体であるから 瞬時にまた違う形に変形特化が出来る… なんかそんな事を想像するのである。

 意識し筋肉に指令発動してという 二段階プロセスでは間に合わない。一拍子に変化しなければならない。そこにあるのはイメージしただけで 型稽古は変形特化する為の意識を練る事だ。身体を固くガンガン練るのでもなく かと言って柔らかくしておくのでも無い…という事。歳をとっても 昔の事はよく覚えているとか 夢に関しては老人も若い人も変わらないようであるから 如何脳は自由無限のキャパシティがあり これらは先程の言った事の正当性の片鱗を期待させてくれる。そのために 今からでも 無意識となってしまって固まった身体の強張りを 解体する為に色々な事を為すという元に意識をもってする事と考えている。

 これは 今こうしている事でも出来 ジムでは出来ない事でもある。ジムに行くと 身体と頭をますます分けてしまう…とは言い過ぎではあるが 普段息しているこういう時でも出来る事があるのではという事は 昔の人の動きを気にする事でもあるのだと思うのである。それを知るのには 古武術という素材は面白いのではないかと 手前味噌で思ってしまった次第である。

 しかし それにしても 『怪力男』さんは どうしているのであろう?…と同時に 以前話した事のある勝浦にお住まいだった家相学の大先生(憲兵? 武官?で各国を転居し家相学を納める)とか中村天風先生とか 第二次世界大戦の裏舞台でおられた方々が 色々な形で戦後を生きられたと思うと 歴史といううねり(波)は凄い物だなあと思う次第である。私自身は 風に柳 漂う無限のプランクトンで つくづくいいと思っている。

 追記 『二十歳の声を聞き…と思ったら あっと言う間の二十年で四十代。かっこいいといきがっていた輩も 今は娘息子にうざがられ 娘にいたっては 悪い虫でもついたら許さんとばかりの 自分の所業も棚にあげ思う始末。…と思っている間に五十となり ふっと仰ぎ見て七十までの二十年はあっという間と思い知る。

 人生若い内から 大事に生きなきゃいけません。』などと 綾小路きみまろ風になってしまいましたが 何ひとつ生きる中で無駄なものはないと思う今日この頃。ファンレター(?)を出した 吉丸師範も徐々に回復なされていると 会の先立ちの方より礼状をもらい有頂天。

 図に乗ってこの場を借りて…吉丸師範様 『最後の著書』と言わず 引退してもまた復帰する例は多々有る世の中。欲の虫が湧いて また筆を走らせ 後進にいっぱい宿題をお与えくださいませ。 

 博物館の仕事で、ここ数週間、毎日のように各小学校へ実物資料を持って「出前授業」に行く。大人気で申し込みがやまない。教育普及事業の一環だ。

 児童の純粋な眼差しを前に、清々しい思いで熱弁を振るう。反面、低年齢向けの「わかりやすい授業」だけを目指して、内容がシンプルになりすぎた物足りなさがある。

 「教育」とは一歩間違うと、自分の成長を止めて、他人にえばるだけの自己満足となってしまう。特に年の離れた子供達に対して気をつけたい。今の私がそれだ。自分の研究ができていない「研究員」などオカシイではないか?

 もっと突っ込んで、小賢しい屁理屈や大胆すぎる仮説を提示して、反論されたり、というレベルで鍛えられたい。博物館は子供のためだけではなく、すべての人々に対応できなくてはならないはず。

 そして民俗学は経世済民。今、この社会を支えている大人の方々向けに、日常と社会を見つめ直し、新しい視点や工夫を発見することに、少しでもお役に立てるような講座も増やしたい。そうでなくては学問は、「ケッコーなご趣味」で終わる。

 最近は、勤務が終わり、満員電車で帰ってから、夜は実家の稽古場で、祖父の遺したメモと、幕末の師範小田孫兵衛翁の記録をもとに、父と家伝剣術の稽古を続けている。孫兵衛氏は、京都詰めの弘前藩士で、密偵をやっていたという。

 稽古場のある庭は広く、夜はうっそうとした林の闇に包まれ、不気味だ。この町は、近世以来の武家屋敷街で、他県から修学旅行生が保存された武家屋敷を見学に来るが、過半数は現代風の住宅街となりつつある。その中で人知れず、江戸時代から古ぼけた剣術をやっているとは、時代からズレた奇妙な家系だというしかない。

 だいたい夜になると静寂なはずの闇から、ときおり、「ヤーッ!!」「トオーッ!!」という二人の男の絶叫がするのを、近所はどう思っていることやら。庭に稽古場があることを知る方は少ないだけに、何の事やら理解できない方が多いはず。通報しないでください。

 しかしながら、独りの工夫も重要だが、父に相手をしてもらうと新しい気付きがある。

 特に小太刀の型で、相手に駆け寄り、正面からの斬りを横へさばきつつ、相手にノド輪を入れる超難技がある。全く刀を使わない。まるで時代劇のようで信じがたい。これは、右への体さばきと左手での喉絞めが、左右へ矛盾する動きで変だなと思っていたが、父に稽古をつけてもらって、林崎居合の一本目の抜刀と鞘当ての動きと共通するものではないかとひらめいた。

 それでいてノド輪や体当たりのとき、相手の力に衝突しない力を使うから、簡単な行為で相手が大きく崩れるのではないか?それをイメージしてやると、さばいてからお互いの間合いの詰まり方が速すぎてコントロールができず、もろにノド輪が入る。約束稽古なのに危険を感じてきた。

 そして小太刀を片手に、相手に駆け寄る動作が多いのだが、稽古してみてやはり、陸上競技のように腕を振ることはしないし、できない。以前ブームとなったナンバ歩きを、滑稽なほど強調したかのような間合いの詰め方もある。また独り工夫する楽しみができた。

 我慢では三年持たないというが、考え方を変えて、今日はあれを試してみよう、明日はこうしてみるかと思えば、同じ動きでも毎日新鮮な喜びになる。熟してくるとともに見える風景が違ってくればいいなあ。

 刀法もそうだ、以前から真っ直ぐかぶらず、斜めに、ときに肩へかつぐように刀を振りかぶる動きは、同系列の香取神道流と家伝居合をも連想させてならなかった。口伝では、カブトの前立てにぶつからないようにするためだという。以前この方法で抜刀術を試したところ、カンタンに斬れた。

 先日、中国武術の講習会に出て、不自然に力んでいる自分を指摘されてから、刀を持ったときに、不必要にこわばる自分のカラダを感じ、今まで軽かったはずの刀が重くてならない。自分の腕を上げることでさえ不必要に力むのに、さらに道具を持ったときどうしたらいいのか。

 斜めに振りかぶる刀法は、以前動きにスキができないと書いたが、それだけでなく、まっすぐ振りかぶるよりも、カラダの使い方に無理が生じない印象がある。

 また、脱力でも緊張でもない、「自然」なカラダについてもまだまだわからない。「強いて力を出そうとするな。一体に気を通達すると生じる自然力を使え」という家伝剣術を解析するヒントになりそうなのだが。

 その後、竹刀を持たされて現代剣道の面打ちも指導される。現代剣道では八段の父は、面打ちが得意で、よく稽古相手からは風圧を感じる面打ちだといわれる。現代剣道と剣術とは別物だといいながら、独自の剣道技術を指導。父は全く中央の有名先生方とご縁がなく、祖父の教えと、この田舎の道場稽古だけで八段を習得したため、連盟内での政治的権力は皆無だが、オリジナルな技術を形成したといえよう。

 なるべく蹴らずに打ち込む、静止状態から急に動き始めるのではなく、カラダの流れを止めずに打ち込め、剣先より前に気持ちをぶつけていくように等。なるほど素面でも、こちらの中心を的確にとってくる。最近、他武道も教わっているが、これほど精密で、シビアに中心をとられたことがなかったかもなあ。それが剣の利点だろうか。

 そして、剣道の基本とは違うが、父の勝手な発明だという竹刀の持ち方を示した。そうすると構えていても疲れず、竹刀が前へすり出して、ふところが深くなり、刃筋は自ずと立ってくる。

 これは驚いたことに、数年前甲野師範から御指導いただいた、中国武術をベースにしたという、両肩の内部状態を変えずに、肘から先だけ裏返すという術理と似ているのだ。先ほどの蹴らないで打ち込む方が効果がいいというのも理屈は似ている。

 マネしたのか?と問いただすと、そうではない。師範のことは全くの不勉強で知らない、毎日の竹刀稽古で個人的に考案した秘策だ?誰にも教えないゾと笑っていた。まあ父は、普段から剣道関係か美術関係の本しか読まず、幾ら甲野師範の本を薦めても、全く受け付けないガチガチの石頭だ。マネではなく、無理なく効果のある技を工夫していった先の偶然の一致だろう。

 ということは、世の中には、経験主義から偶然にも、伝統の凄まじい術理と同じ理合を発見している無名の方がたくさんいるということだ。妹の教え子の高校男子相撲インターハイチャンピオンも、武道・武術は全く知らないが、頭ごなしの稽古の中から、「どんなに大きな相手でも、カラダの中の真っ直ぐな棒のようなものをつかむとコロッと転ぶことがわかった」といっていたという。それは武道・武術の中心線でなくてなんだろう。

 ただし、長い経験で偶然発見するよりは、始めから師がハッキリと示して導くのとでは、その後の短い人生の中で、到達できるレベルが全然違うだろう。経験オンリーでは、幸運にもたった一つのことを気づいたときには、既にカラダはボロボロ、余生も無いということもあろう。

 だから、古き剣技の再現を目指す私などは、一生かかって登山口を発見できればいい方なのかもしれない。本当に悔しいが、私の存在は、数世代かけて山頂を目指すための布石の一つにすぎない。武士は志のためには、その遺骸がドブに捨てられても悔やむまいというが、できるかな?

 まあいい。今まで田舎剣術をやることの不平不満をずいぶん述べてきた。すみません。しかしなぜか最近は、家伝剣術を工夫することが、少しずつ自分だけの喜びとなっている。

 「世界の片隅のマイナー分野で‥」という消えない寂寥感が、最近なぜか、どうでもよくなってきた。どこにいても武技に関わっているだけで、漂う存在ではない、世界と地に足を着いているような実感がある。

 自分が求められている場で、本来やるべきことをやっているという満足感か。むしろ、足元にある小さな窓から、自分と陸続きである大きな普遍的な世界をのぞけるかもな?という期待か。そしてそれは世の中の損得や浮き沈みに左右されない。だいだい私は、人間が作ったシステムに必死になって、従順に従おうと生きている。それは人間が作っただけに、完璧ではなく、改良し続けることが必要で、いつかは壊れる安心ならないものなのに。

 だから人間が作ったものではない、ココロトとカラダの運用を探求することは、決し小さな独りよがりではない。所属する世界の差異を越えて人間の存在、ひいては自然のシステムを実感することにつながる、といえばカッコつけすぎかな。

 思えば中国武術のご縁が、心の裏打ちとなっているのだろう。稽古とは自分にオプションパーツを後付けしていくものだと思っていたが、自然について、自分のカラダと外界が別の存在ではなく、一体のものとしてとらえること。稽古はむしろ自分の余計なものを取っていく行為であること。そのことが空理空論ではなく、実際に凄まじい武技を生むことを実証されている。外へ求めなくとも、既に自分の内部に与えられている、とする考えは、武技コレクターのようにアチコチ探し回る焦りを生まないだろう。

 そして何より、自分に与えられたできない型について、できるようになりたくてしょうがない。なんのためか?ということではない。どちらが強いか弱いかと相対的な稽古や、昇段試験に受かるためとなれば、ドングリの背比べ。焦りにあおられ、中央の偉い先生に習わなくてはならないし、目的を果たせば消えてしまう花火のような情熱だ。 

 だが「できるようになりたい」という思いは、地味でも炭火のようにいつまでも火力が続く、損得や権威から自由である。ということが、ようやく実感として想像できるようになった。

 稽古する型がホンモノかどうかは迷わなくともよい。先祖ができたから。そしてその再現が、私に与えられた世の中での小さな役割だから。そのレールを読み間違えなければ、ツルギの山々を独りで渡ることがあろうとも、私は生かしてもらえるだろう。

 生意気すぎました。すみません。最後に皆さんにお知らせ。来る11月26日、27日の土日、再び弘前の地で、甲野善紀師範の講習会を開催する予定。詳細は後日ホームページで告知したい。

 全く経験の無い方でも、どなたでも歓迎します。特に触れる機会の少ない、北海道、北東北の方々。ふるってご参加ください。一緒に稽古しましょう。お待ち申し上げております。

 レンタルビデオに行ったら 『東京オリンピック』のビデオがあったので おもわず借りてしまいました。

 思えば幼少のみぎり 学校の方針だったのでしょうか 小さな町に一軒だけあった映画館に行き その映画を観た記憶があります。

 映画館は 昔は割と大きな町には一軒ぐらいはあったような気がします。

 私の生まれた町の映画館には 芝居小屋のような枡席がありました。

 旅役者の芝居も上演された事もあります。

 今は有名になってしまった旅回わりの役者さんのお母上は わが町出身といいますからここで旅回りの芝居に憧れて その道に入ったのかもしれません。

 ともかくレトロな映画館でした。

 ともあれ 映画。

 人間の記憶というのは いい加減なもので この映画を借りようと思ったのは 国立競技場群が 有名建築家の手によるもので その建物を作られる様が映っていたような記憶があったからなのですが それは脆くも思い違いだった事が 冒頭で知ってしまったのでありました。

 しかしながら 数十年ぶりに観る映画で それなり新鮮でもありました。

 『東京オリンピック』総合デザイン部門では 今住んでいる市(弘前)の方が参加したと聞きます。

 ちなみに 昔のゴールデンバットのパッケージデザインをした方が 生まれた町の出身で なぞの死を遂げたとか極めてミステリアスな話しが伝わっておるので 自分に文才があったら ノンフィクションでも書くのにと思ったり…。

 ともあれ 時代時代でアートな部分に この本州北端の地の人間が関わっているというのが判りますと 結構我の事のように自慢げになってしまうものです。

 さてわが町自慢はこの辺にして ともあれ市川崑総監督の 時には浮世絵的でもあったり クローズアップで大胆な構図割りだったり スローモーションを多用した映像や 考えると苦労したタイミングの映像(そりゃあそうです。リハーサル無しなんですから…)等等には感心します。

 一見 シュールな感じにも見えますが 訳のわからない実験映画的なモノで無く きっちり見せるところ 象徴的なシーン… シュールに描いても観客に解らないとだめだよ…という作り手の姿勢がよく見えた作品でした。

 ぶっ飛んだのは 砲丸投げの玉がフィ-ルドに落下するカット。

 画面いっぱいの大きさで砲丸が落ちるポイントにぶれなく正確にカメラを合わせるなどどうやったんだと思ってしまいます。

 そこに落ちる事をあらかじめ予測していなければ出来ないようなものです。

(あっ!あれは効果としての『やらせ』だったのかもしれません。)

 スローモーションだとて 連続写真のようなものや 体操選手を競技場ではないところで黒いバックの前で後撮りしたり 結構色々な事をしています。

 知っているわけじゃないですが ああいうのは 開催期間中撮りながら 閃いて 交渉して撮り加えないと無理なシーンです。

 タイトルクレジットを観ると 谷川俊太郎や今は有名な方も数多く 参加し作られた映画でありました。

 オリンピック裏話は 建物の事 選手選抜に際しての国や企業や自衛隊等の協力体制事情 デザイン全般(トイレマークのようなサイン=ピクトサインで競技を現したのは 東京大会が最初) 日本のユニフォームデザイン(VANの石津さん)や音楽でのそうそうたるお歴々。トラックのアンツーカ ランニングシューズの事 電光掲示板の事(これも最初) 航空自衛隊のブルーインパルスの事 聖火と聖火台の話 音楽の事 あの代々木の丘陵地帯の自体の事や 戦後20年も経っていないでの開催に際しての昭和天皇の心情などなど それこそNHKで何本も番組『プロジェクトX』が作れる程 いっぱいあるのですが この映画自体も語れば長い物語があるのかもしれません。

 さて スポーツ理論の変化で 今とは様相の違う選手の動きの競技が多いなとも思いました。

 『動き』という言い方が合うのかどうかは知りませんが 走り高飛びでは 男子選手がベリーロールで2mを飛んでいるというのは意外とびっくり。

 これまた合っているどうかは知りませんが 体操女子の床の演技は 今のとは比べたら酷なぐらいの難度の低い演技なのですが よく見ると面白い事が判りました。

 それは あまりよくない表現をすると いわゆる技にキレが無いのですが どうも男子選手のような筋肉の使い方をしていないからなのではないかと思うのです(当たり前ですが…)。

 今の小柄な女の子が主流の女子体操界では 男子のような重い身体を長い時間持続させるパワー系の技は無理であっても 回転系の技は男子と遜色なく瞬時のパワーを駆使した技群が多いような気がします。

 小柄な女の子ですから その様な技での印象は 小気味よさ…そして可憐さをオーバーラップさせられますが この時代の体操選手は 悪い言い方をすれば いわゆる少し重い感じとも言えますが それがどこか優美さという『美』のカテゴリーを見せてくれるような感じがしてなりません。

 体型も 今のようにもろ筋肉隆々の体操用の身体つきとなってしまって 色香のある『美』を感じさせなくなった女の子達とは比べるべくもなく 優美です。

 『線』が優しい…とでもいいましょうか…。

 これまた言い方が変ですが 今の選手は オリンピック用に特化した身体の人種という感じ。サイボーグみたいな感じ。

 東京オリンピックの頃あたりのは 市民対抗運動会レベルのような線の柔らかい体型の選手達ばかりで 親近感すら湧くのです。

 もう今は 『世界びっくり人間』を見に行くような 見せ物的な感じ…と思うのは 私だけなのでしょうか。

 ドーピングが なかば当たり前になって来ているのですから もはや普通に進化している人間の過程を確認するべく オリンピックに見る事は不可能なのかもしれません。

 さてさて 柔道。

(ここからの描写は あくまでも映画『東京オリンピック』を観てでのものであり 異論はあるのは当然だと思いますが おおめにみてやってください。) 

 無差別級で 神永先生(別段教えを乞うたわけではありませんが どういうわけかそう読んでしまいます)が ヘ-シンクに負けたという事は もう今の人達には判らない話なのかもしれません。

 映画は いろんな方のショットを入れ込みながら その場面を観せてくれました。

 『空気投げ』の三船久蔵さんの顔もありました。

 確かアマレスとかボディビで有名で これまた柔道に縁のある八田一朗氏(?)も見受けたように思います。

 ともあれ どういうふうになって負けたかというと 神永先生が『左背負い?』を掛けたところを前のめりにつぶされ 寝技で極められたのでした。

 あらためて見て もっと細かく言うと 『左体落し』だったのかもしれません。足の位置が相手身体右半分の位置でしたから 連続技として『小内刈』にも変化出来るような位置で 実際本能的に そのような仕草も見られました。

 あるいは 上背のある人への 『左内股』だったかもしれません。しかし 上背のハンディがあっての内股なら 相手が充分態勢が崩れていないと無理で 僅差の実力の拮抗状態では難しいと思いますが…。

 実際 あの時どんな事を思いでいたかは 神永先生も鬼籍に入られてしまい知るよしもありませんが どこか柔道日本を背負っているんだというプレッシャーの中での試合の中で 『スキ』をこれ以上伺い待つのはまずいといった感じの『左背負い』だったのでしょうか?

 私のような低次元の柔道での心理状態では 負けた時監督に『「貴様は 何をやっておるのだ。技を掛けようとする意思があったのか!」とどやされたら それまた堪らないな…』と思い ふにゃけた技の一つもモーションで掛けてしまいそうです。

 でも もしそんな状態だったとしても どやすお歴々が半端な人達ではないのですから それすら出来ないでしょう。

 試合に負けてどやされる先で 私ならばいっその事その場で絞められて しばらく落ちていた方が楽なぐらいの…心臓が口から出てしまうぐらいの…人達の注視の元 神永先生はやったと思います。

 国民 柔道界(しかも日本的競技として選ばれた競技なのです) ヘ-シンク そして自分。

 三方塞がりどころか 四方なのですから 恐ろしい中での試合だったようにも思います。

 大袈裟な言い方してしまいましたが ともかく相当な心理状態(プレッシャー)がさせた神永先生の技は 下手な上に妙な表現ですが『限り無く本気に近い』中途半端な技に見えました。

 どうも 『技に迷いがあった』とは表現したくない 別の質だと 私は表したいのです。

 あの方達のレベルまで来ると柔道は 掛け逃げか牽制の『技』で『虚』を誘発させる…といった 見え透いた低級な柔道をしません。

 ですから 『限り無く本気に近い』中途半端な掛方とするのは  何らかの意識(ポリシー?プレッシャー?)が邪魔をした故でないと そうはならないのではと思います。

 天才肌で ある域に達している方の技にしては 見た目『切れ』のある技という感じに見受けられませんでした。

 軽率な言い方をすれば 技の意識の発端発動は『号を煮やした』という事。強引に見えました。

 性格的イメージ的には神永先生とは オーバーラップしがたいものです。

 あの方達のレベルは ほんのコンマ何秒の間のスキにツケ入る恐ろしいレベルですから そんな安直な事は命取りになってしまうのです。

 *注意 ここからすこし( )内の言葉を意識して読んでください。

 『限り無く本気に近い』中途半端…というのは 本気とフェイクのせめぎ合いで 神永先生の意識と身体(本能)の域が この場合 限り無く本気に近いラインで技を発動して それはヘ-シンクの体力的な優位さもあり つかまえて反撃するには 好都合な『半端な』技でした。

 『逃げる』事を 身体(意識)が発動しても出来ない位置まで入り込んだ『技』だったからです。

 たぶん瞬時の(意識)の上では 危険を察知して掛けるのを止めて戻ろうとしたのでしょうが…。

 ここまでは 百歩譲って 私らなどの試合ではある事ですから しようがないとしましょう。

 次に 『両手背負い』等 両手を使っての技の弱点でもある引き手と反対の手→この場合左手が上った態勢となり 左脇が空いてしまいました。

 そこへ (本能)的に少し重心を落したヘ-シンクは バックから脇の下より手を入れて 神永先生の重心を上げ 上半身をコントロールした感じとなりました。

 あからさまにそんな動きに見えたわけではありませんが ひとつの流れの中で  少々浮き気味となった神永先生の身体は もうその時点で『死に体』だったような気がします…。

 ちなみに 重量級の代表で 神永先生のライバルでもある猪熊先生は 『手技』の『背負い』で金メダルを取りました。

 『手技』と書きましたが 本来 人を担いでよっこらしょと投げるのは『背負い』ではないと 私らは教えられていますし 実際『背負い投げ』は『手技』と分類されています。

 上手い人に投げられると解るのですが 組合っている内に ふっと前にいた相手が目の前から消え 少し自分が前屈みになったかな…と思ったら もう次ぎの瞬間は ふわり宙を飛んでいます。

 身体がぶつかっている感じがないのです。

端で観ていても 掛ける方の体の上下動はありますが 手はただこねくっているだけ。

合気道みたいな感じです。上手いタイミングで入ると 投げる者の背中は 投げられる者の腹部胸部にはぶつかっていません。

 実際 猪熊先生が勝った『背負い』は 猪熊先生が相手より上背が低い事も功をそうし体をするっと移動し転換して 相手のつんのめりにさせ その動きを助長させるように 手の動きを合わせただけの感で 状態の前後の煽りもなく投げた感じでした。

 状態位置は 相手のやや横後ろ そしてやや前傾してありました。

 この態勢では 胸が開いた感じが無いので 脇が空いても充分(意識)としての力は入っています。

 位置的にも 相手に後ろから抱きかかえられて浴びせ倒す事も 上体を後ろに煽る事も出来ない位置です。 

 神永先生の態勢はそうではありませんでした。

身体は左上の方に捩じれさせられています。もともと 捩った形で入っていますから わりとちょっとした事でよけい捩じれます。

 つかさずヘ-シンクはバックの位置で神永先生の身体をコントロールしながら 腰を沈め 踏ん張りかかっていた右軸足に手をかけて 『朽ち木倒し』のように前に倒しました。

アマレスではよくある技です。

 神永先生は 自分の身体の傾きに反応し (本能)的に手が出て 前受け身。

 左脇が開いた形での態勢の『亀』のスタイルとなって 這いつくばりました。

 その左脇の下にヘ-シンクの手が差し込まれ 引き起こされて袈裟固めまでの一連となったのです。

 普通は 背負いでもなんでも掛けて返され倒されると 弱く 技に自信のない人ほどシミュレーションされ学習して反応していますから すぐ『亀』の状態になって脇を固め防御の形をとります。

 弱い者程 すばしっこい動物がいますから いわずもがなです。

 神永先生は 何度も言いますが そういう態勢をとるまでに至る掛けた『技』が少し深過ぎ 挽回出来ないままコントロールされて 倒された際の『亀』の状態は 悲しいかな守りの程度は私ら程度の防御力でありました。

 脇を開けたままの『亀』など怒られたものです。

 もっとも 寝技が強い人は そうい誘い方もあります。

 でも 『亀』の状態からでの寝技の誘いは 体力差を考えると無益と(本能)的思考は導いていたはずです。

 そして 結果…。

 さて(本能)について…。

 柔道をして来た中で培われた意思が本能(的)となる時 それがかえって仇となる場合があります。

 受け身すら そうとも言えるしれません。

 相撲であの若貴兄弟など 土俵際ギリギリまで手をつかないで居た為 よく顔面に擦過傷を負ったりしました。

 本能として 受け防御をしてしまう事と ギリギリまで戦ったわけです。

 高校時代私は 体育でのバスケットの試合で突き飛ばされて 硝子窓に激突しそうになった事があります。(本能)的に 手が前に出て激突のショックを柔らげようと前受け身のような形をとろうとしました。

 体育館の窓には ボールでの硝子割れ防止(防曝用)の鉄格子が取り付けられています。

(本能)的に手を前に出したはいいのですが 運悪く鉄の丸棒の間に手が入り 危うく硝子を手のひらで羽打ちするところを 瞬間『あっ硝子!こりゃ危ない』と察知して 手が硝子を突く切な引き戻し おかげで しこたま顔面と胸を鉄格子に強打(よく手のひら開いていたのに抜けたものです)。

 その後漫画じゃありませんが しばし蝉がへばりついたような格好になったと思ったら次ぎに床にぱたりと背中から倒れました。

 幸い頭は打たなかったものの(これまた本能?) しこたま背中を打ち しばらく息が出来なくなってしまい 死ぬかと思いました。

 最初から後ろに転んだら 背中から落ちてもそんな事には ならなかったと思いますが本能的意識が 前の方にあったものですから それを急には変換出来なかったのです。

 さてそんな話しはともかく 神永先生の本能(的)なものは 他にも作用しています。

 それは強くなっていった上での本能が 初歩的にする『亀』を学習しきれないまま終わったという事です。

 弱いからこそ 『亀』を本能(的)にしてしまうようになれるのかもしれません。

 天才の脆さとは 意外にそういうところで出てしまうのかもしれません。

 弱いが故の工夫が 私らより希薄だったとも言えます。

 負けた事が少ない人は とくにそうです。ひどい時には 負けた時の態度すら解らない人もいます。

 『居着く意識』が こんなにいろんな事を邪魔していると思ったのは 少し『意拳』を体験したからかもしれません。

 以前 寝る際に 身体の強張りの部位を身体自身に聞いてなだめる話をした事がありますが 起きている状態の 日常考えてもいないでしている『何げない…』という意識が いかに不自然に『何げない』という状態でしている事も多いという事を知りました。

 意拳の講習会では 就寝以外での自分の身体を知る術(すべ)を垣間見れたような気がします。

 おっと まだほんの付け焼き刃ですので これはこの程度に…。

 話しを戻します。

 押さえ込まれて30秒。勝敗は決まりました。

勝って当たり前と言われた日本柔道が負けた瞬間です(当時そう評したような気がします)。

 神永先生の 起き上がって開始線にもどり正座して服装を直しながら 一瞬少し唇を噛みかけようとし それをも押さえようとする 何とも微妙な表情も印象的でした。

穏やかなイメージの神永先生ではありますが そういう人だからこそ あの時は孤独で孤独でこの世で自分程孤独な人間はいないと思い そしてとてもとても悔しい思いをしていたのだろうと思うと とても切なくなりました(淀川長治調…)。

 最後 ヘ-シンクと握手した時の表情は よくもまあ あの状況であんな晴れやかな顔が出来るものだと思う程  敗者となってしまいましたが そこにそこに尊敬を通り越したものを感じてなりません(これまた淀川長治調…)。

 でもあの時 今回のテーマに無理繰りかこつけるわけですが 神永先生の思いは『自分(意識)の未熟さに負けた…』と思ったのではと 私は想像してしまいます。

 これは 自分の身体反応に対しての思いであり 『勝つ』とか『勝つんだ』という意識とは違います。

 これだと 負けたらば 沸き上がって来る感情は『悔しい』という思いとなってくると思います。

 神永先生は さわやかな笑顔で勝者を讃えました。

 自分の非力さ未熟さに 真摯に目覚めたから故だから あんな表情になれたんだと思います。

 人間そうなると 思わず自分を笑ってしまうものです。

 あざ笑いではなく 気持ち良いすっきりとした笑いです。

 一見『悔しい』という思いは 向上心の現れのように感じてしまいますが 自分に裏切られたと思う感情…つまり自分を信じていなかった事を露呈してもいます。

 自分を自分で信じ切れていないところに 魔が入り スキも出来やすいのです。

スロースターターであったり 相手に飲まれていたり どこか自信なさげが 本当はそうでないのに やられてしまうのは そういう辺りの事なのでしょう。

 だから 少し違うなと思ってもいる(どこか履き違えしているという事)のですが 故に最近の日本のスポーツ選手もプレッシャーに負けない為の 根性論ではなく リラックスを心掛けるテクニックを駆使しだしてもいます。

 でも 心底意識の中までそう出来ているかは 結果の出たその後の態度に出てしまいます。

 特に 西洋的で先進的テクニックは その発祥した所の社会性とか民族性とかを理解した上で導入しないと 最終的には悪い方向が露呈してしまう事が多い気もします。

 日本人は 島国の人間ですから 地続きだからといつでも必要な情報が見れるという条件下には居ません。

 結果 ちょいと見て わかったような気でいて真似てしまうような兆候も多いです。

 熟考し 何度も失敗しながら覚えるというような事が出来ない人種とも言えます。

 宇宙開発なんかそうですね。アメリカのように段階を踏みながら開発するだけの予算もないので いつも勝負している感じがあります。

 いい意味いい方向もありますが 悪い方向に行ったりする場合も多いのです。

 また 中国系の企業が ブランドをすぐ真似てしまう事での被害を被っている企業があると言いますけれど 日本人もその際たる人種であると言えます。

 スピリットまで学ぶ(まねる)まで居ればいいのに ある程度まで行くと わかったような気持ちになって やってもいい程度範囲とかの真の勘所を会得せず 独断(いい意味じゃ 創意工夫ですが…)的なものになってしまいます。

 仕事でも わからなかったら聞けばいいのに…と思う事 多々あります。

 私も そんな失敗多いです(今だ…)。

 読み解けるまでの力量はありませんが 時折古流の技で 同系同種の技であろうと思われるものが 突き合わせると 何故こう違うのか?と漠然と思うのも そのひとつなのかもしれません。

 さてさて 神永先生は 次の日は会社出勤日で淡々といつも通り仕事をしていたといいます。

 『潔さ』…。かっこいい…。

 今は 自分を表現しないと損な時代ではありますが この『潔さ』の美学だとて 『逆もまた真なり』と 考えあらたにさせられた次第です。

 ところで 神永ヘーシング戦について オランダ人のヘーシングに負けたというようなイメージを持っている方も多いかもしれませんが 実はこれまた日本人が日本人に負けたと言っても過言ではありません。

 お家芸のスポーツが その後失墜して行くのは 実は裏に日本人が関与している事が多いような気がします。 柔道だけではないのです。

 一見『恩を仇…』のように見えますが かえって外国で御指導する方々の せつなる日本に対するオマージュさえ感じる程(相撲界でよく聞くように 上の者に勝ってこそ お礼の気持ちという美学に近いのかも…)です。

 最後に 先程来から 『へーシンク』と呼称を略して表して来ましたが 日本文化でもある柔道を通して 彼は日本人以上に日本人スピリットを持った人間もいないのでは…とも思っています。

 資料で知る彼の人となり ビデオを通して あるいは遠い記憶での見解ではありますが あの試合で勝った時の態度も立派だと感じ入ったものです(あくまで そういうものを通してでの見解ですが…)。

 あの試合。『勝ち』が決まった瞬間 彼は淡々とした表情で立ち上がり その後 ある方向を手を前に突き出し制する仕草をします。

 後年知り得た事ですが 興奮した取り巻きの方が 畳の上に上がろうとしたのを止めたのだそうです。

 何せ 試合場の畳(本当の柔道用の昔ながらの畳表を使ってたのにはびっくり)は神聖な場所なのですから…。

 私は 高校時代 校内スポーツ大会で柔道の審判をした時 畳に内履のズックで上がっていた上級生を 万座の席で注意した事があります。

 放課後 運悪く(?)下校がその上級生の方とかち合いました。

 そして人気の無いところに呼ばれ 振り向きざまに鞄で頬を撲られ 運悪くベルトの穴に入れるバックルの金の棒が 頬に刺さりました。

 恐さの中に やられるな~という覚悟はあったのですが 頬に刺さるとは…。

 自慢話を書くつもりで書いたのではありません。

 後年 親戚の家業を手伝っている時 その方が雇われていました。

 さぞや私を見た時はバツが悪かったに違いありません。

 密かに 明日は我が身。どこで出くわすか判らない。自分も悪い事出来ないな~と 自分を戒めたものです。

 ともあれ それ以来 男気のある正義感など持った事ありません…。

 むしろ あの時の別な促しようがあったのではないかと 思って反省している次第です。

 あえて争いの火種とならぬ事に腐心する(なにせ弱く小心者なものですから)…。

 己を知らず ぶつかる事… これは禁めなければなりません。

 意外と難しい。 

 泣く時は泣く…助けを求める時はあられもなく『助けてくれ~~!』と叫ぶ…恐けりゃ逃げる…。

 人間そんなに強くはないのです。

 知っていれば これらも自然の中で出来る行為です。(でも 『泣く』などは 中々人前ですっと出来る人少ないのではないでしょうか?)

 今だ 出来もしない『無刀取り』を稽古して これらをあらためて知った訳でもあります。

  去る10月2日(日),弘前市の勤労青少年ホームで,弘前では初となる,韓氏意拳の講習会が開催されました。
 当日は,東北内家武学研究会の鹿間裕行氏を講師としてお招きし,16名の方に受講していただきました。
 講習会では,韓氏意拳の理論・哲学の説明や実際の動きの講習を行い,受講者一人一人順番に,実際に手を触れて指導していただきました。参加された皆様の大半は,おそらく初めて韓氏意拳に触れられたことと思いますが,いかがでしたでしょうか。皆様の益々のご発展の一助になれば,幹事としましても嬉しい限りです。
 講習会終了後に行われた食事会でも,鹿間氏から韓氏意拳の哲学の他,様々なことをお教えいただくことができ,私自身大変勉強になりました。
 ここで,一つお知らせがあります。もう既に修武堂のホームページに掲載されておりますが,第2回の韓氏意拳弘前研究会の開催が決まりました。詳細は,稽古予定のページにあります。韓氏意拳第2回弘前研究会

 関心をお持ちの皆様,ぜひこの機会にご参加下さい。お待ちしております。
 最後となりますが,講師の鹿間様,山形からおいで下さったK様,そして受講された皆様,お陰様で,今回の講習会は,ひとまず成功したと言えるのではないかと思っております。誠にありがとうございました。今後とも,よろしくお願いいたします。

 爽やかな秋空。弘前公園の本丸跡にて有志と中国武術のおさらい稽古。

 数代前の先祖はここへ出仕し、武芸の稽古もしていた。同じ場所で子孫が異国の武術を習うとは思いもつかなかったろうな。

 いつも御指導を受けるたび、発想の全転換を迫られ、目からウロコが落ちる思いでパニックだ。今までの武技に対する様々な疑問を振り返えると、それに対する答えがすべて用意されているかのようでグウの音も出ない。まるで巨大な心身の実践哲学だ。

 ただ、その深遠な世界の万分の一のみを、のぞき見しているレベルなので、真の理解にはほど遠く、勝手な感想にすぎないことをハッキリとお断りしておく。

 自然にのびやかに動こうとしても、自分の固いアタマがブレーキをかける。自分のカラダに聞かずにバカアタマで勝手にやる。向かいに立っていた当会のK氏やS氏は、不必要に鬼の形相になる私を見て「まるでマサイ族か何かの呪術面だ」と失笑していた。

 全くその通り。みんなが楽しんでいるときにも、意固地な私の生き方そのものだ。

 前回、「クラゲでさえ必然性の中泳いでいるだろう。本能の壊れた人間は、様々な情報と虚飾で必然性を見ることができない。」と我流で考えた。以前、甲野師範は、理性の発達しすぎた人間は、自然とは何かがわからなくなっている、といわれていたような気がする。そのときは、武術とつながる話なのかどうか、全く意味がわからなかった。

 しかし、今は何をいわんとしているのかが、かすかな感覚として予想できる。

 特別な能力を付け加えるのではなく、人間の本来持つ能力を使う武術。それが筋トレや乱取りの積み重ねでは到達できない、信じがたい技を生むらしい。きれい事やまやかしではない、嘘のようなホントの話だから、この世にはまだまだ凄まじい世界があることを知って、嬉しくなる。

 日本の剣術では、16世紀末、伊藤一刀斎が師の鐘捲自斎を打ち破ったとき、痒いところをかくような、人に自然に備わる機能を働かせることが剣の妙機だといった。

 「後来習態の容体を除き、…本来精妙の恒体に復す」(後から習って覚えたカラダを除いて、生まれながらの精妙なカラダへ戻す)とは、19世紀初頭、スタミナとパワー任せのシナイ打ち合い稽古に限界を感じた白井亨が、型稽古を通じて老齢でもなお強い、一刀流寺田宗有から導かれた教えだ。

 強いて力を出すな、ワザが熟してくれば「自然力」が自ずと生じ、生々と清浄な動きが生じるとするのは家伝剣術の教えだ。

 しかし、自然に備わる機能とは?本来精妙の恒体とは?己の心身の自然とは何か?これらの説明について、高尚であいまいな精神論は聞いたことがある。現実味の無い、宗教めいた全くの美談だと考えていた。具体的な技として、実感としては寡聞にして全く知らなかった。だから稽古もオカシイ。

 とくに現代人は、安易に「自然体でやろう」「ナチュラルな私」「オレ流」という。みなさん自分が好きでうらやましい限りだ。自分を信じていない私には、それが「意固地な我流」「だらしなく漫然とすること」「好き放題」と感じアヤシくてならない。

 何が本来の自然なのか?人間は自然のホンの一パーツにすぎない。だからパーツが、自分が含まれる大自然の全てを把握することはできないのかもなあ。

 勝手に人間が自分のアタマで考えた自然ではなく、自ずとそうせざるをえない、普遍的、必然的な自然とは何か。動植物もそれによって動いているとすれば、人間のアタマで組み上げたワザは不自然な独りよがりかもしれない。最近カラダを細かくパーツ毎に分けて、技巧的に使う方法論が数限りなく開発され、袋小路に入っている感がある。しかし瞬時の攻防と変化を前に、特別なテクニックほど起動が遅れ、たちまち崩壊するだろう。私が考える前にカラダは生きて動いている。それを利用しろというのだ。

  もし心身の自然について、偶然にも中国武術と日本武術で共通したものが発見されていたとすれば。この御縁から、そのことが実感として感じとることができれば。家伝剣術にも再生できるかもしれないという希望がわく。こんな嬉しいことはない。

 そして、稽古をいただきながら日本武術の古い伝書の多くが、抽象論で書かれている背景が類推できる気がした。技の手順でさえ、「さばいて斬る」としか記していない。私のような現代人が読めば、あまりに不親切な説明に「具体的にどうするのよ?」と文句が出てくる。

 しかしそれは、生きた技はそうとしか書けなかったのだ。近代武道の型説明書のように、何歩で何メートル歩いたら、45度の角度で斬る、と固定して図解してしまえば技が死んでしまう。

 やはり武技の伝授は、文字だけでは、映像だけでは伝えられない。集団指導もダメだ。モーションキャプチャーでもダメだ。技の継承はそんな簡単な情報の質と量ではない。実際に個人のカラダから個人のカラダへ直接渡していかなければ、全くわからないだろう。

 あらゆる武術の目的は、その本質を追求することにおいて同じである。とすれば、家伝剣術などの形式にとらわれることなく歩んでいくことも必要なのでは、ということは自分でも感じていた。図らずも、今回おいでいただいたS氏からもメッセージをいただいた。有り難い。その通りである。

 自然とは?まだまだ私はわからない。わからなくとも既にカラダにはある。アタマだけでも柔らかくして、もう少し自分の存在を信じてみよう。ただしそれは「自分を誉めてあげたい」などという子供じみた独りよがりではない。ちっぽけな自分にとどまらず、自分がその一部としてつながって生かされていること、大自然のシステムを信じるということなのかもしれない。私の心身は、私のアタマで創造して操縦しているのではなく、もっと大きなものによってもたらされ、疑う前に生きて動いている。

 よく、世の中つまらんという人がいる。でも見方が変わるだけで、身近な世界が深く、広大であり、それを探求することがいかに楽しいことか。歯を食いしばって「倒してやる!!」と我慢を重ねるガンガン稽古では、永遠に気づけないこともあるのだなあ。

 遠くおいでになられたお二人に深く感謝します。

 「秘伝」誌で林崎居合の記事があった。座法について様々な居合流派と比較されていた。以前から私も、その共通性が技法を解くカギになるかと工夫していた。しかし相手をつけて稽古する方法が、居合の中では珍しいことが、居合素人の私にとっては意外である。

 前回、「武術稽古において、新しい技を発見したと思っても、それは既にあったルートの再発見に過ぎないことがある」という叔父の言葉を書いた。

 その通りだ。私ごとき鈍才が大発見するはずもない。しかし埋蔵経典の話を思い出す。

 チベット仏教ニンマ派の教え。古い経典が、遠い昔に洞窟の奥深く埋蔵され、忘却されてしまっても、後世、時代がそれを求めるようになれば、再び発見されて世の中に現れてくる、という教えらしい。その通りに蘇った経典は、十年前に日本で臨死体験で流行った「死者の書(バルド・トェドル)」など幾つかあるそうだ。

 近代武道の世界でも、古伝の武術が見直されている。

 極真空手の超トップ選手だった、数見肇氏と岩崎達也氏のムック本「新世紀リアル空手バイブル」(ベースボールマガジン社2005年)を買った。

 普通は買わない格闘技の本だ。しかし中に盛り込まれている技術が、「相手が刃物だったら」と相手に触れずに対応する技術、間合いの操作論に、現在少し剣で考えていることが似ていたためスグに買ってしまった。お二人とも直接打撃の空手を極め、総合格闘技も経験した上で、古伝沖縄空手の凄さに驚愕し、全く新たな道を模索されているそうだ。古い武術が太鼓判を押されているようで嬉しい限りだ。

 私の田舎剣術でも、再び世の中から求められる時代は来るのか。私のレベルでは今は何も示せない。私の代はそれまでの準備世代か、それともラストの代かな。

 まあ今は私独りの嗜みでいい。ともかく、カラダについての必然性を実感したいのだ。日常の振るまいにおいても、偶然に動いた、そうなったではなく、機能美が必要だ。そうでなくては、空中をただよう物体にすぎないのでは。

 動きの必然性。素直に剣道を一生懸命やっていた中学生の頃、風呂の中でマンガ「北斗の拳」のマネをしながら、パンチを独り工夫していた。

 マンガや本ではパンチといえば、全員同じパンチを打つように書いているが、同じ動作でも拳から胴体にかけて、肘や肩、肩甲骨など複数の可動部があり、少しずつ違うだけで無限の組み合わせがあろう。同じパンチなどありえるのか?全員で同じ技を稽古しているつもりで、全員違うこともあろうに、と疑問に思っていた。

 街を歩けば、全員違う歩き方をし、違う座り方をしている。服や言葉にはルールがあるのに、カラダの動かし方は全員我流か?

 クラゲでさえ必然性の中、泳いでいるだろう。本能の壊れた人間は、アタマで考えた様々な情報と虚飾で作り替えてしまって、必然性を見ることができないといえる。

 あやふやなカラダは、あやふやなココロにつながる気がしてならない。それは体格の大小や美醜に関係ない。私のカラダは自分でも認識できない白地図部分が多く、そのため精神も満たされていない気がするのだ。

 いい稽古の後、身体いっぱいに血流とココロが満ち溢れたような充足を感じることは、カラダとココロを同調させ、相手にやられないため、必然の元に機能しようとしたからではないか。カラダの白地図の多くを塗るためには、激しいやっつけ仕事のような運動では、同じ部分だけに絵の具を塗り重ねているようなものだ。そのうちその部分の紙(カラダ)だけが破けてしまう。よってすべての部分にまんべんなく色を塗るためには、型稽古の方が有効だ。

 そのような心身の必然性を知る方法が、私の場合は剣術だった。方法は人によって異なる。ものを作る人、商いに生きる人、他人を癒すために生きる人…。

 自分にとっての必然が無ければ、漂う泡沫のように心もとない。それを知るために武術をやる。どこかで聞いたような話になったなあ。

 捕縄というか縄による術の文化は、極めて当たり前な事ですが、狩猟や牧畜での、動物を捕らえる時にも使いますから、西洋でもあります。

 ロープワークとして、帆船時代以来船乗りの方も使うわけですから、縄の結び縛りの技術は、原理的(『拠りを上手く利用して逆に戻らないとか…)には同じ事を使っているわけです(断定するまでの素養を持っていないのに…、専門家の方すみません)。

 しかし、捕縛術としては、例えば『早縄』は、分銅や鞭のように自在に使い、手首を搦めて捕り縛るには、関節の可動域とか構造…、つまり合気道など柔術を知らないと、搦めて、関節の可動域にそって導き、最後に逆手に捕って極めるような事が出来ません。

 恐らく、まだ知りえたわけではありませんが、『早縄』は縄で如何に早く縛る…という事ばかりでなく、そんなところまである技術のような気がします。

 そういう点では、分銅術の他、西洋の鞭術や投げ縄術にまで至って、興味は尽きません。

 資料文献によりますと、捕縛(縄)術は、武芸十八搬の最後に覚える事ともありますし、ある資料文献の著者は、合気道を基点にした柔術の関節技の著書もありますので、体術の行き着く先に、捕縄術というのもあるのだなと思っています。

 そうしてみれば、遊び稽古というか、合気道を理解する為に、手を捕る変わりにタオルをもたせ、自在に入り身や体の転換を教える先生も居ます。

 『二の腕から下の脱力』を理解させる為でもありますが、持たせながら力の導く方向が、ちゃんとしていないと、力がぶつかり合い、技となって行きません。

 ここいら辺を理解し応用すると、手首に縄を掛け、入り身や体の転換をする事で、投げや倒しをした後、極めに至り、最後は縛りにいける(しかも例えば、カウボーイが子牛を倒して四本足を素早く縛るような)…、つまり『早縄』の術理を知る事になるのではと思うのです。

 以前、いろんな武芸にも精通していた太極拳の師には、袖の内に隠し持った縄で、手首を掴まれた瞬間、縄を掛けらた事があります。

 確か、細縄の先の釣り針のような形をした鈎状のものを見つけて質問した時、突然口元に入れて引っ掛けられ、そのまま身体を縛るのだと その真似事をされた事があります。

 引っ掛けられた痛さで、首は充分にねじらされて抵抗出来ないでいる上縛られるのです。

 鈎の使い方は、その他いろいろあるようですが、これらはどこぞの流儀の『早縄』の術だったのでしょうか…。

 しかし、この度、思いも募り知りたいと思ってネットで検索しても、用語として『早縄』というのに行き当っても、その概要は掴んでいません。

 ある資料文献の記述では、これこそ逆技(返し技、抗し技)を作られては困るので秘伝とし、公開しないと言っています。

 地方に居する身としては、直接聞く事も出来ないので、いかんともしがたいです。 

 さて、仕事の関係で集めたロープワークの文献と捕縛の術の本を比較して見ながら、すこしノット(結び方)をすると分ったのですが、船などで使うものは、一つのやり方を帰結した形(輪を作り、船を係留する為だけとか)する考え方なような気がしました。 

 ぐるぐる巻き(大袈裟な表現ですが)縛り上げるという目的の捕縄術では、結び目から連続して次ぎの結び目を作って展開(縛り上げ)して行きますから、スムーズに連動した結びの段取りを考えないと、結ぶにのも外すのにも時間がかかり具合が悪い(身柄引き渡しの際に、縄を一旦解き、引き渡し先が新たに縛る…とか)のだなという事が解りました。

 この様に、最初のスタンスから違います。ですから、ノットもロープの原理や特性を上手く使う事は同じでも、ノットの形状は違うわけです。

 あるノットを偶然作った(解いたらやり方がわからなくなった)のですが、三つのループ(輪)を一ケ所で繋ぐ形にしましたら、ある方向に引くとビクともせずループの大きさは変わりませんが、別な方向に引くと、一個のループだけ小さくなってしまい、またある方向に引いても戻りませんでした。

 つまり、縛った状態を想定しますと、もがけばもがく程縛りがきつくなる…という状態なのではないかという事。

 まったくもって、縄の術は、数学的であり物理的であり、さらに『早縄』に至っては、体術的に知らねばならない身体の構造とか、体術としての身のこなしまで要求される術であるのだな…と理解しました。

 ここに、『SMなどに見られる緊縛術』とは、最初のスタンスが違う事を何故術の継承者達が力説しているのかという見解を、ここに知ったわけです。

 見かけた事あるでしょうが、手品で使うロープマジックのテクニックで、縛っているのに、一端を外すとスルリと全部解けてしまうのもあります(マジック自体、とても数学的な世界なのです)。

 たぶんこれがある一面で見せる捕縛(縄)術の妙であります。

 このように、錠のように頑丈でありながらも鍵ひとつで開けられるような『解き』が隠されている(推論)…とか、もがく程締まる…とか、ここが倒錯の美学としてある『SMなどに見られる緊縛術、結び縛り目の美しさ』とは、違う世界の顕著な所なのでありましょう。

 資料文献で見られる捕縛用麻縄自体、毛羽立ち痛そうに見えるのですが、もう一方の世界のは、毛羽も取りなめしてありますから、縛られる人にやさしい(?)配慮がなされてあるようです。 

 ともあれ、日常生活には、捕縛(縄)術で高められた技術が、何気なく入り込んでいるような気がします。

 狩猟から農耕に至った作業の中で作り上げられた技術は、捕縛の術として特化もされ、さらにフェードバックされた過程で、バラバラに…。いいえ、別なコンセプトとして特化(操船や造園、搬送の技)もされ、そしてまた日常生活行動(括ったり、縛ったり)のアイテムとして至っていると、民俗学的にも追求推論すれば、面白い話しとなるかもしれません。

 縄の術に限らず、『武技』は侍とか戦闘をする者達が特化した技術ではありましょうが、実は、日常で人間が動いてやって来た事がベースになっているという事を検証する事が出来る、とても面白い素材だと思っています。

 ですから私も、建築を通した人間工学的な見地ではありますが、自分の素養としてあってもいいアイテムと思って、研鑽没頭するのかもしれません。

 ほんと、ロープワークひとつだって、頭の体操のパズルみたいなもんで、習得しようとしても中々難しいものなんです。

 縛る技術だって、運送を生業にしている人には、事故の要因(荷崩れ)にも至りますから、大変な技術なんです。

 倒錯の世界でもあろうがなかろうが、培われてたノッチ(結び)のひとつひとつ…、ロープ(縄)の原理特性…、いいえロープや紐という繊維を拠ってつくったものの存在自体、私にとって調べると面白い世界でもあるのです。

 なにせ、小さい時、藁を綺麗に縄にする老人達の技を観たり、自分で紐や糸を捩って二つ折りにすると反対に撚れる事の不思議さを楽しんだ事。

 大きくなってからは、家業でトラックの荷物を縛り上げる事をやらされていた事。

 自分の今の生業では、鳶のおっちゃんの美しい結び方に見入った事…造園もそうですね(おっとこれは…^^;)。 

 それ繋がりで最近調べているのは、細い丸太で足場を作る縛り縄の技術。昔の仮設の小屋掛にも使われていた技術。

 なかなか行き着きません…(閃き!そっかあ!!。倒錯の美学の技は、『捕縛』じゃなく、物を対象とした『緊縛』の技の流用だったんだ!縛り師の方々、古伝捕縛術を学ぶもいいですが、古伝の建築学も狙い目ですぜ←そんなカテゴリーあるかな…?)

 そんなこんなで、『縄』の魅力を感じているのかもしれませんね。

 まあ、研究稽古会的には、『早縄』探しています…。

昔、東京銀座だったと思いますが、パントマイムを観せてくれるパブがありました。

今もあるかはわかりません。

サラリーマン時代に、同期の飲み会の企画として、そこを見つけ、やる事になりました。

パントマイム自体観た事がないわけではありません。

いろいろな動作の面白さ…、あたかも壁とか、あたかも綱引きとか、あたかも階段上り降りとか、そういうものだとは認識していました。

しかしそれは一方的な見方。

ストーリーもあり、それが展開する空間を表現し、二人とか複数での展開もあり、その時は、ラブシーンで、キスまでしてました。

そのものズバリを見せてしまったら、パントマイムとしては邪道では…と思うこちらが、頭が固いのであって、まったく自由な表現でいいのだと、認識を改めました。

後年、ムメンシャンツという、スイスがどこかの方達のパントマイム表現を、東京の草月ホールで観た事がありましたが、虫の顔のような仮面をつけたりしての、動作やら何やら、発想力にすごいなあと思ったものです。 

それにしても、古武術をやる方はよく聞く言葉でしょうが、

『身体の各パーツがバラバラにほぐれていて、自在に動くものだ』と思いました。

パントマイム…面白いです

http://www.officeww.com/mime/

http://media.ebaumsworld.com/umbilical.wmv

演劇など、その表現をするためにスポーツマンのように身体を鍛えているのを観た事もあります。

でも、大劇場で、大声を出して大振りで表現しないとわからないのならともかくも、人間を演じるのに、か細い声の人もいるだろうし、鍛え上げていない身体の人だっているのですから、そんな事をするのは、いかがなものか…と思った事もありました。

でもそうではなく、どんな人間でも演じる為に各パーツを自由にしておかないと、そういう人間を組み立てられないのだという事で、身体の鍛練というか、パーツほぐしをしているのでは…という事が後年になって瓦解したのでした。

ちょうど、絵の具の色が癖のある色ばかりだと、思うような絵画が描けないようなもの…と言えばいいのでしょうか?

ちゃんとした、絵の具の色として整理し、白いキャンバスに展開し構成するのです。

さて、比較的写実的な絵画のような表現であるものを『演劇』(厳密には色々な表現がありますが…)とすれば、情念を喉の奥から絞り出し表現するというか、特化し表現する『舞踏』特に『暗黒舞踏』系は泥臭いシュールリアリズムのように見えてなりません。

そうしてみれば、『暗黒舞踏の創始者』と言われる『土方巽』氏は秋田出身。

青森県という土壌で『寺山修司』氏が何故ああなったのかと考えるのと同じに、『土方巽』氏は秋田によってどうしてあのようになったのかと考えると、面白くて眠れなくもなります。

そういう点では、淡谷のり子氏や太宰治氏も同じ。考えてみると、昭和初期の『文化』の急先鋒を担った人間が青森県人にいたのです。軽薄な言い方ですが、かっこういい人達という事になりますでしょうか?

でも、彼らは 、青森県には何も還元してくれなかった事も事実。

何故?凱旋して、何ぞ還元してもいいのでは?と思うのだけれど…。

県民性の違いなのかもしれません。

奇しくも、淡谷のり子氏に会いに行った知人に聞いた話ではありますが

『わたし、青森は好きだけれど、青森県人は嫌い』と言ったとか…。あれ?『津軽は好きだけど、津軽人は嫌い…』と言ったのかも…。

ふと言い得て妙とも思いました。

そうしてみりゃ、太宰治氏もそうだったんだろうと思うし、あの棟方志功だって、ねぶたを楽しみはしたんだろうけど、眼鏡の奥底じゃそう思ったんじゃないかと思えない事もないような気がします。

今頃になって、褒めそやし、自分は知らないのに知人友人面する人が増えて、困惑していたのかもしれません。

ある方の話し

「南部の人達は、夢の話しつまりビジョンを語ると、その先はどうなるのか?と聞く。津軽の人達は、それはいくらかかる?いくらする?と聞く。話しが萎む」と…。津軽人、下世話なのかもしれません。

十三湖から水上運送で栄えもした津軽は、絶えず流行を貪欲に取り入れもし、ちょっとでも古いものは捨てて来ました。

好奇心があるとも、ハイカラ趣味とも言えますが、子供に次から次ぎへとおもちゃを与えると、もらったはなから、先ほどまで使っていたおもちゃをポイするのにも似ています。

そう言う意味からでしょうか、私の伯父のひとりは「古いもの…と訪ねると、多くは南部から出て来る」と言っておりました。残す事の価値観を知らないのでしょうかね。津軽人は…。

安物買いの銭失いも多い感じするし…、バブルのなごりをみると…、いいえ、公共物の使われ方をみると…。

中央で活躍している人も、別に郷土の後押しを受けて、名をなした訳ではありません。

ちょいと落ち目になれば、捨てもする気質で、自分もやられたらかなわないとでも思っていたのかもしれませんね。

なんかみんな繋がっているような気がします。

おっと、話しはあらぬ方に…。

さて、古武術がらみで無理繰り話しをすると…

私は、演劇評をかける程の素養はないので、大した事は書けませんが、似非演劇映画青年でもあった私は、そんな中、『たそがれ清兵衛』で山田洋次監督は、土方巽の系を継ぐ『田中泯』氏を起用した事に興味を覚え、本当は邦画に差程面白さを感じず、日本アカデミー賞で日本の俳優さんやスタッフが内輪騒ぎしているようにしか見えなかったので、このところ観ないでいたのですが、この邦画『たそがれ清兵衛』は観てみる事にしました。

彼が表現の為に鍛練して来た身体を、どうあの映画で山田監督は動かすのだろうかと思ったからです。

映画的には細かい点(集落のセットや最後のカット等)で不満があるものの、やはり、真田氏との殺陣の長からみの動きは、普通の俳優さんと違うように感じました。

まあ、これについてはこの程度の事なのですが(各自観た方が早いと思いますから…)、山田映画の武術に対する考え方、真田広之氏の殺陣…、映画全体いい感じて、不覚にも見入ってしまいました。

質は違えども、黒澤明監督の『侍もの映画』の為の考証事に対するウエイトに近いものを感じたからです。

ちなみに、邦画を観なくなったのは、天皇黒沢監督のせいでもあると思っています。ファンでもあるのですが…。どうも晩年はつまらなかったからです。

もちろん、異論はありましょうが…。

だって、東宝は、『ゴジラ』やなにやら何度も生き返らして、子供騙くらかして踊らせて、金を巻き上げたと思ったら、大作で黒澤監督に、当るも当らないもど~んと予算あげるんですから…。

そんなにえらいんかな~って…。

まあ、『影武者』で勝新太郎氏が降板した頃から、興醒めしてました。

どのみち、黒澤勝新と船頭二人になっちゃいそうなもんですから、無理ではあったんでしょうが…。

またまたちなみに

この勝新太郎氏。時代劇でしみついた芝居の立ち振るまいを捨てて、新機軸の演技論として、ある刑事もののテレビドラマを作った時は、これまたぶっ飛びました。

人は誰もが活舌が言い訳ではありません。また、日常、発声法を意識した会話もしません。

アフレコしようにも、唇の動きが悪いと、撮った映像を観て、口は合わせにくいものですから、職業俳優さんは、口をちゃんとはっきり動かす事が身に着いています(?)。

まあだから、たまに後ろ姿でのカットやロングショットでのカットに、アフレコつけて、明らかに合わない場合もありますので、こりゃ難しいです。

ともあれ、勝新さんは自らも主演し、普段の言葉で普段の声で話す、セリフ調にならない日常会話という画期的な映像を撮ったのです(たぶん記憶が間違いなければ…)。

ですから、大部分はアフレコ無し、その場の録音。しかも廻りの音まで拾った音(ピンマイクによるミキシングすれば違ったんだろうけれど…まだそんな技術がなかったし…)。ドキュメンタリーのような音の効果で、つまり、リアル感はありますが、とても聞き取りにくいものでした。 

やはり、私達人間は、ある程度情報として整理されたものでないと、物事を受け付けにくいという事を、その時知りもした訳です。

まあでも、その時から、監督勝新太郎を羨望してやみませんでしたが…。

またまた古い話、お兄さんの若山富三郎氏と、ある番組で殺陣をした時の凄さは、今でも忘れません。

子供ながらに、父親に連れられて『座頭市』や『兵隊やくざ』を何作も観ているのですが(歳いくやねん?)

武術的とでも言うのでしょうか、そういう見地からすれば、若山富三郎氏の方のファンでありました。

だからその後大分してからの作品『唖侍 鬼一法眼』は 続々してみました。

あの身体で『とんぼ』を切るのですから…。

記憶的には、ああいう体格での『とんぼ』は、香港スターのサモハンキンポ-ぐらいです(ひえ~マニアックな話し)。

ともあれ、演技するという事。その為の理論やボディワーク…あなどれません。

またある話しでは、バレーダンサーと喧嘩したら危ない…と聞いた事もありますし…。

でも、母校で演劇科のバレエ授業を観た時、肥満していた身体の人(男性)のレオタード姿は、ちょっと引いてしまいました…。

私も痩せよう…。

人のふりみて、我がふりなおせ…です。

 早朝、温泉に温泉に行きました。

 誰も入っていないと、潜ったりして遊んだりします。

 決まって、プカリとうつぶせに浮き、あたか『土左衛門』のような格好になったりもします。

 でも、気をつけないと、心臓マヒでもして溺れている人に間違われるかもしれませんの で、そうそう夢中になっては出来ません。

 夢中になるもんでもありませんが…。

 ふと、体を硬直させての場合と、リラックスさせての場合の、浮き沈みや液体を感じる感覚が違うのを知りました。

 今さらながら、なんと人間は陸上で暮すようになり、二足歩行をするようになって以来、筋肉は重力とのせめぎ合いをしてきていたのだろうという事が、容易にリラックスを越え完全脱力する事が難しいかを知ります。

 小魚の方向転換の様などは、前進ひと拍子の動き。

 これを、陸上で体現するのは、容易なものではありません。

 浮遊出来る空間で、どこが強張り、酷使しているか、体と対話出来る事から始めるといいのかな…とも思ったりします。

 最近、多忙で研究稽古会に来ていただけない作業療法士のO氏に、以前、寝れない話をした時『仰向けに寝て、どの位置が床に着いていないかを確認する事により、強張りを知り、それを解消してやると、体が楽になって寝れる…』みたいな事を教えていただいた事があります。

 なるほど、背中が床にフィットしてないというのは、ブリッチして寝ているようなもの。

それで、数時間いるという事は、疲れもします。

 体を羊水のような中に入れて、寝れたら、疲れが取れるだろうな…とは思います。

 一時期、『タンキング』とか称して、体温に近い塩水だったと思いますが、それが入ったタンクの中に入り、リラックスする…というのを聞いた事があります。

 いいかもしれません。

 そんな事を思っていたら、テレビで『ワッツ』というのを紹介していました。

 水中での理学運動療法の考え方に、指圧マッサージの技法…とネットで調べたら、コメントが書いていました。(http://akuanaia.hp.infoseek.co.jp/watsu1.html)

 この場合、する人(バギー)とされる人(レシーバー)と、相対でするのですが、水中自体がリラクゼーション出来る環境でありますから、そういう状況で人と接する事での効果を使い、これほどアクティヴではありませんが、集団で行う精神療法があったような気もします。

 男女隔てなく全裸で行うのですが、行着けば、そうなってしまうのかもしれません。

 そうしたら、最近買った雑誌の『ヨガ特集』でも、全裸でする教室が載ってました。

 水から陸へ。先にあげたどの中でも、キーワードとして共通するものがあるような気がします。

 先の『ワッツ』より検索したら、株式会社アクアダイナミックス研究所という所のHP http://www.aqua-adi.co.jp/08.htmlに行着きました。

 ふと、その中の企業理念の一節に、共感を帯びる文章があるので、引用して起きます(無断転用お断りの文がなかったので…、また宣伝がてらに掲載しましたので、株式会社アクアダイナミックス研究所の方、御容赦…) 。

 『(前略)…この水があらゆる生命を誕生させました。私たちヒト、つまり直立二足歩行をする"裸のサル"は今から数百万年前に忽然と登場しました。ヒトは水生哺乳類と同様に体毛を失い、全身を厚い皮下脂肪で覆い、塩分の含んだ涙や汗を流し、音声を発しながら草原の中を歩いていました。サルからヒトへと進化する過程で、水棲生活をしていたのではないか?水中で垂直に立ち、歩くことを覚えたのではないか?などの進化論上の仮説があります…(後略)』 

 またまたふと…体術をやっている人の剣術が違うように、意外と古式泳法術を納めている方の体術や剣術も、その動きが違うのでは…と、妄想したりもしました。

 閃きました!

 水泳でダイエットをと思った事があります。

 しはじめの頃は、水をばしゃばしゃして、効率の悪い泳ぎしか出来ません。

 だから最初の頃は、それで効果がありました。カロリーを浪費してくれるからです。

 でも、なんか、水にうまく乗れるような感じになって来たら、途端体重の減り具合が減速して来たのです。

 合気道でもなんでもいいのでしょうが、それを水中でするのです。

 どこか、力の入った技は、自分の体内の中でぶつかりあってしまう事は感じでも、ならばスムーズな力の流れのラインを、地上でイメージし見い出すのは難しいからです。

 クロールでもなんでもいいのですが、手を水から抜いて、また水に入れてかく…という『抜き手からかき手』までの動作でも、抵抗なく抜けて抵抗なく水に手を差し入れ、『かき』が最少で最大の効果がある…という一連のベストラインが『水泳』ではあるように、水中の中で動く時(体術)、その動作のベストラインを知り得る事が出来るのではないかと思うのです。

 そういえば、上手く出来ない『趺踞』での腰や股関節の使い方、「古剣」氏の『林崎居合』の検証での、座したままでの体捌きを、銭湯でしてみたら、何となくイメージが体で解った感じがしましたから、こういう稽古もいいかもしれません。ちょっと斬新過ぎるかな~。

 いいえ。ひょっとすると、「古剣」氏の叔父上が言うように

 『たいがいは 先人がすでにやりつくした道を再発見しただけ…』かもしれず、どこぞにそういう事実のあった文献や、古式泳法を納めた武人の方の書き綴ったものの中に、そのような事が言及されてあるかもしれません(それはそれで落胆とはならず、嬉しくなります)。

 しかし「古剣」氏。ファッションでも、ひと昔前のが流行るように、今の時代に無いものなら、例え先人がやりつくしたものであっても、やはり『新しく斬新』なのでありますよ。

 そして、誰もやれないまた少数しか出来ない技術なら、そりゃ~また凄いのであります。

綿々と守って来た家伝の術も、誰も出来なきゃ、いつも新鮮に、端では見えるのです。

 だから、古武術の師範の方達だって、時流にのって今注目されているのですから…。

 さてさて、思いは果てしがありません。

 お金と暇があれば、カヌーだけでなく、フリークライミングや馬術もしたいと思ったりします。

 今やっていることに、何かしら繋がるものがあるのでは…と思うからです。

 本当に動けなくなる前に、体験したいものです。

 平和な話ですね。

 仕事で行った先の近くに、御無沙汰してしまっている、木工と鳥の彫刻(バードカービング)と油絵の師である方が住んでいるので、ひょっこり訪ねてみる機会がありました。

 齢74歳。

 戦時中は、特攻艇『震洋』の要員として、いつ死ぬか判らない中で青春を過ごし、なんらかの関係で待機していた土浦の飛行場では、『ウォンウォン』と爆音響かせ、高高度で飛来するB-29をなすすべもなく見送って、西南の方向の赤い空を見つめ、悔しかったと言います。

 東京大空襲です。

 戦後は、結核を患い、もう先は無いと宣告され、それでも生きて、そして今は糖尿病と戦って…いいえ、仲良く付合って生きています。

 『何度も死ぬめにあった…』としみじみ語る師は、生きている事、生かされている事の不思議さを思ってやまないとも語ります。

 そんな師の鳥の彫刻は、力の抜けた、人間の作為の感じられない、いい感じのポーズの趣きがあります。

 普通、猛禽類などの彫刻などは、人間の作為が入る(勇ましく見せようとか…)と、どこか嫌らしさがあるもの。

 師の彫刻は、そういうところがありません。

 彫ってみると解るのですが、鳥は実にその生態をするためにその形を為している…とでも言うのでしょうか、眼の位置、嘴の形状、羽、足の位置とその形状と、そこに生きる為に形作られなければならない形となっています。

 鳥の彫刻の域は、その鳥になったつもりでいると、その形が見えて来るような感じではないかと、師の作品を見る度に思います。

 いかに、精巧に作るのがバードカービングの妙ではあり、実に巧妙なカリキュラムを体系つけて、一般の方でも、そのプロセスさえ守れば、結構いい感じでは作れるものではありますが、師の作品は、さらにそれから抜けた感じすらあります。

 今はもう意欲無くなり、ひとつも作らず、作品は全部皆寄付したとの事。

 本来なれば、その境地は、天命の終わりを感じさせるのでしょうが、私らにもあるように、また気が向いたらやり出すか、違うものに眼を向け出すかもしれないと、師とお話すると思ってしまいます。

 なんというのでしょうか、『死』について語る思う無価値さを感じでしまうのです。

 師の作品で、私が大枚はたいても買いたい(あればの話しですが…)と思う作品があります。

 それは、『夜鷹』という作品です。

 うずくまり、なんの動きすらないものではあるのですが、とてもとてもよいのです。

 彫りもそれほど精妙ではありませんし、着彩色の筆入れも荒く、また『夜鷹』自体地味な色の鳥ですので、全然映えという点では、無いに等しいのですが、本当によいのです。

 バードカービングは、アメリカの先住民族の、猟の為のおとり人形が起源らしいのですが、ある写真で、無造作に藁草のようなもので作った鴨のデコイ(何となく鳥?って感じ)を見た事があります。 

 師のその作品『夜鷹』も粗野な表現のものではありましたが、その時の共感に似たようなものを感じてなりませんでした。

 最近、うすぼんやりと感じる事があります。

 それは、『達するという事は、さらに先がある事を知る…』という事。

 山登りをすると、あそこが頂上…と思って登ったら、さらに先の方に頂上がある事で、一挙に疲れが出てしまう事があるのに似ているような感じに似ています。

 恥ずかしながら、私め、ある資格を苦難の末習得しましたが、実は内心後悔もしています。

 それが到達点だと思い目指したら、さらにその先に、どう進んでいいかも判らない、広大な荒野がある事を知ってしまったからです。

 古武術の稽古に参加させていただいて、この世界こそ、そうなのだと感じ入っています。

だからこそ、嘘八百も通ってしまう世界とも言えます。

 さて…、『達するという事は、さらに先がある事を知る…』という事を、実はうすぼんやりと感じているのではありません。

 先のバードカービングの師が、やる気が今失せていても、必死に気持ちを呼び起こし、バードカービングの会での共通テーマ(今年?あれ来年だったっけ?)としてある『青い鳥(この場合青森県にいる青鳩の事を指しています)』を彫るのだと言っておりました。

ちなみに、師はこの会の初代会長。そりゃそうです。この人が県内でやり出したようなもんなのですから…。

 ともあれ、齢幾つになっても、苦しみを持っている姿に『生』を感じるのは言うまでもありませんが、『(メーテルリンクの)青い鳥』の物語を思うと、先の『土左衛門のように浮いてみて』思い巡らす事がいっぱいあるように、武術は体から発した日常的な動作の一貫であるとすれば、キテレツに見えるものでも、実はその『理』は、我々普段の中にあると思うからです。

 そういえば、「古剣」氏の幼い御子息は、何の思いもなく無造作に木刀を握る時、左手前に左足前とするとの事。

 それは彼にとって自然な事なのかもしれません。

 左前をあえて矯正するのでなく、右前も出来るようにとする事で、さらなる身体の運用を導いてやれば、新たなる可能性を見出せるかもしれません。

 何せ、子供は理屈でなはく、体に正直な点では、どんな身体に関する事をやっておられる方より凄いのですから…。

 子供に絵など描かせても、ある絵画の巨匠などは自信を消失したという話も聞いた事があります。

 面白いもので、お猿さんや象さんに描かせても、偶然性の美はあるのですが、やはり伝えたいという思いが『素直』にある人間の子供の絵と、発するものに感じるものが違いますから、案外古武術的な動きのピュアな部分を、小さき子供らの中に見出せるのかもしれません。

 おお、『素直』!…こりゃ~一番、私どもが失った事なのかもしれませんね。

 だからと言って、赤ん坊に向って、『師匠、ご教授!』とは言っても、理解してくれませんでしょうが…。

 おっと!『頭に理解させよう…』という魂胆。もはや、こりゃだめなのかもしれません。

   世の中の垢つき過ぎ…。溜息です…。 

 県武道館が各種大会で使えないので、実家の狭い稽古場で定例稽古会。今日はなぜか異種武器が集まった。

 気が付くと、ある者は棒形手裏剣と星形手裏剣、ある者はヌンチャク、ある者はボウガン、ある者は鎖鎌、ある者は鎖分銅術、ある者は居合。それぞれが工夫し始めた。なんとマニアックでアブナイ集団か、皆で笑いあう。

 手裏剣は、やはり星形よりは棒形の方が、重く深く刺さるし、刀法を応用できるのか。

 ブルースリーで有名なヌンチャク。初めてだ。よく映画のマネをする少年がいた。私は関心が無かったが、G氏の操作を見て、複数の相手に対して、カラダの回りにハリケーンでバリアーを張ったような効果があるのではと思った。でも一歩間違えば、自分を殴り倒してしまうなあ。

 鎖鎌は小学1年の頃から知っていた。当時、北辰堂剣道道場で、住み込みの藤田老人が、剣道防具を付けて鎖鎌を持ち、竹刀の祖父と稽古をしていた。見慣れた風景だった。祖父はよく、剣道と鎖鎌の異種試合の話をした、次々と剣道が負け、最後の者が竹刀を鎖でからめ取られ、ダメだと覚悟して目をつむって突きを入れたら勝った、という話だ。

 K氏のハンドメイドによる稽古用鎖鎌を回す。鎖を肩先から回せば、単純な円だが、肩甲骨から体幹部を柔らかく使えば、鎖の回転に変化が加わる。次回は鎖鎌と袋竹刀で自由乱打を試みたい。

 このように武具から身体操作を学ぶことは多い。

 例えば、先月は鰺ヶ沢白八幡宮大祭調査で、祭礼行列に、古代の盾を持つ集団を見つけたちきのこと。盾裏の取っ手の輪が垂直方向についている。やはり盾も斬り手で持つのか。小さい頃ガンダムプラモを作りながら、盾の持ち手が横向きなことに違和感を感じていたものだ。「この掴み方じゃ、盾の上下部分で攻撃を受けきれず、反ってしまうんじゃないかな。」。しかし行列の盾のように縦に持てば、手の平を返さないことで肩の筋肉がねじれないため、可動域も広がり、攻撃を受ける力も使いやすいだろう。また刀剣の掴み方がそのまま応用できる。ガンダムは人間じゃないから横持ちでも強いんだろう。

 そのうち、狭い稽古場が飛び道具の稽古であふれ、お互いぶつかりそうになったので、S氏と刀を持って庭へ。

 庭では女郎グモが大発生。あちこちの通り道に巨大な巣を張り巡らしている。庭はあまり手入れをしていない分、クモのエサとなる自然資源が豊富なのだ。

 抜刀しながらクモの巣を切り始める。確かに全身脱力した方が剣が速く走る。

 たまに空手大会のデモンストレーションで、居合を素手で無刀取りする型が披露されるらしいが、本当なのか?武器を持っただけで人間の攻撃力は全く違うステージになるもの。居合の手練れに対して、私には絶対できないことだ。

 よほどの技術差が無い限り、剣を相手にして素手だけで対応するのは超困難だと考える。素手同士のみを想定した武技は、現代人にとっては正々堂々に見えるが、昔の侍にとってはむしろ、武器を取り上げられた場面での特殊な武技であり、より治安がいい現代社会向きの技術なのかもしれない。以前、K1や総合格闘技の有名現役選手が、素人の通り魔のナイフで切られたことを思えば納得できよう。

 クモの巣を切っていて、面白いことに気が付いた。巣の糸にポンポンと触るとクモは反応して動くが、高速で糸を切り離したときは、クモは全く反応せず動かないのだ。スパスパと糸をかなり切ってしまったのに気づかない。習性なのか。

 トンボの群れが飛んでいた。二十年振りにトンボ取りをやる。止まったトンボに手を伸ばしていく。間合いが詰まるほど緊張してぎこちなくなる。速く取ろうとすると逃げられる。しかし、動きは遅くとも、動きの流れを少しもゆるめることなく、日常で棚の上のゴミをつまみ取るように、サッと無造作に手を伸ばした方が、すんなりトンボが取れる。何故か面白いように取れるし、全く疲れない。

 そのことに武技のヒントがありそうでならない。

 この世には、様々な武器が存在してきた。武芸十八般。武器コレクターで終わらず、ときにそれぞれの特性を学ぶことは非常に面白い。そのことが様々な場面での武技への対応法を知ることにつながると、海外で複数の相手とのケンカを切り抜けてきたG氏はいう。もっともだ。

 それとともに、道具は変われども、それらのベースとなる身体の質、動きの質をどう養ってゆくのか?そのことが一番重要だ。それが、こうきたらこうする、ああきたらこうという、武技のトートロジーを抜け出すことにつながる。 できれば日本の剣の中にもその方法を見つけたい。少しずつ寒さが増してきた秋の日差しの下、S氏と見解が一致した。

 通勤時、電車を降りてから雑踏の中、見知らぬ方々と徒歩でレースのつもりで歩く。力まずに全身使って、より速く歩く工夫。歩きにカドがあれば、我が内面のリズムにもカドが立つ。なかなか難しい。

 どうやら歩く速さは、体格や足の長さばかりではないようだ。小柄でガリガリでも、もの凄く速い女性もいる。今日は低空飛行するかのような気づきがあった。両肩を落とし、鎖骨が地面と平行移動するように、腕はあまり振らない。

 たまたま腰の後ろにウエストバッグを巻いていたら、ずり落ちてしまい、自ずと尻が落ち気味、尾てい骨を丸めるようになった。するとなんだが具合がいい。

 背中下部、仙骨のあたりから両脚全体を使うようにする。着地はつま先からともカカトでもなく、足裏全体で着地か。お陰で最近、足指の関節が柔らかくなった。膝はあまり曲げない方がいいかな?私の場合、右脚の開放感に比べて、左腰と左脚が癒着して詰まっている感じがして困っている。

 ただし中国拳法に触れて以来、以前のようにカラダの各パーツごとに分割して考え、技巧的に使うことに疑問を感じてきた。あまりに局所を技巧的に使う動きは、イザというときにできない動きではなかろうか。カラダの動きのプラス、マイナスは、全体を通して相殺し、全体の調和をイメージするのはいかがだろうか。元来の日本武術がそのような気がしている。

 帰りの夜道で工夫がノッてくると、リラックスしているのに、カラダ全体に流れが生まれて、翼を得たような高揚感がある。今晩はそうだった。ダメな日は歩くたびに、ロボットのようなダメさを感じてホトホトイヤになる。書店に立ち寄り、私が唯一見るマンガ、「バカボンド」を見て気持ちを入れ替えた。(5,6年前、たまたま手にして、雰囲気に引き込まれて読み出した、流行っているのを知ったのはしばらくしてからだ。しかし剣技が、江戸時代初頭なのに、現代剣道に似ている気がする。作者の経験を元にしているのだろう。)

 歩みの達人といえば、十数年前、オーストラリア建国祭での海外演武へ招聘された際、ご一緒させていただいた、琉球王家秘伝武術本部御殿手の故上原清吉師範の穏やかなご尊顔を思い出す。その歩法は甲野師範や黒田鉄山師範も賞賛されていたと思う。近くで拝見するとスタスタと何気なく歩まれているようだが、武器を持ってかかっていくお弟子さん達が、次々と飛ばされてしまう。懇親会で高弟のお一人が、「どうしても知らぬ間に間合いを詰められてしまい、どうにもできなくなるのだ」とおしゃっていたのが印象的だ。

 先日は、市内のデザインスタジオ「101」で、当会のシンボルマーク作成の打ち合わせ。原案はその道のプロ、当会のK氏だ。近日中に公開できるかな。お楽しみに。

 その後で、またまた合気道稽古へお邪魔する。私はジックリと基礎から学ばせていただいているが、ギコチなさすぎだ。相手と自分の体感をつないで、一体化してとらえることができないようで、力んで独りよがりに動いてばかり。受け身すら怪しいので、皆様にご迷惑をかけに行っているようなもの。

 でも合気道の木刀の型は興味深い。開祖が鹿島新当流剣術を参考にしたともいわれるが、うちの剣術にも似ている型もあった。イチ、ニの動きの過程を溶かして使えば、凄まじい太刀になるのだろう。

 全くの初心者なので隅で稽古しているのが安心する。しかし中休みでは、家伝剣術のことをご紹介いただき、デモンストレーションを求められ、恐れ多くて居場所を失った。演武はいきおいあまって木刀が止まらず、お相手をしていただいたK氏の鼻先を叩いてしまった。本当に申し訳ございません。受身もできない男がいきなり演武したから、周りの方は不審に思ったことでしょう。これからは隅に捨て置いてください。

 でも各方面で教えを乞う機会が増えれば、おそまつでも己が何者か、名刺代わりのワザが必要だ。次は何か提示できるよう備えておくべきだ。K氏からのアドバイスにうなずく。

 帰り道、合気道の他に、躰道、総合格闘技をやっているH氏と1時間、武の立ち話。ふるさとには、様々なスゴイ武の経歴を持つ人、熱い人が、人知れずたくさんいることがわかってうれしくなった。

 やはり、昔から津軽は武人の地なんだなあ。当地は近世までは各古流、その後、昭和期までは当地も剣道、柔道が中心であったが、今は多くの新しい素手武道が脈動している。全国に比べれば、これからの段階なのであろうが、素手の近代武道が当地で盛り上がり始めたのはいつの頃からか。それには叔父の経験が参考になる。当家は剣ばかりではない。空手?をやった人間がいた。

 父は三人兄弟。少年時代は皆、祖父から剣道と家伝剣術を習った。しかし長じるに従い、長兄の父だけが剣道、剣術を続けた以外は、二番目の弟が明治大で野球部のピッチャーに、三番目の弟は空手(現在の躰道)へと転向した。

 末弟の叔父の剣道は強かったといい、現在八段の剣道師範によれば、学生時代、叔父に歯が立たなかったという。私が家伝剣術の再検討のため、様々な武技を学んでいるというと、六十代半ばの叔父は、初めて躰道の話をしてくれた。

 叔父が二十代始め、役場に就職してすぐのころだ。何かいい運動はないかと、躰道弘前支部の門を叩き、。多くの学生に混じって突き、蹴りや側転などのワザを覚えた。

 そのうち、開祖である祝嶺制献(シュクミネセイケン)師範の東京の自宅道場に合宿することになった。その本部道場では、早朝ランニングから始まる。突きや蹴り、体転などの稽古だけでなく、柔道経験者が対剣道の技を工夫するといって、叔父に竹刀を持たせて素手で立ち会うこともあったという。

  そのときに剣道の経験だけではわかりえない、体術特有の間合いや攻撃線、回し蹴りの怖さを実感したという。また、昼間の稽古はおろか、夜中寝ていると「夜襲!!」と叩き起こされて、急に稽古が始まったりと、キツかったという。

 ある夜、開祖を中央に幹部師範らの飲み会に同席させていただいたときのこと。学識も深い開祖は、武道のみならず人生哲学などの様々な分野の話もされ、体術と剣の共通点について、若き叔父に問いかけたそうだ。

 叔父は、剣道で聞いた古い逸話を紹介した、すると周りの幹部師範らが「大先生に向かって生意気な話を!」と怒り出し、場が騒然となったという。すると開祖は、「落ち着け、まあ、いいではないか」と高弟達をたしなめてくれ、その懐の大きさに助けていただき、さすが開祖は違うと感じたという。

 私が家伝剣術を見つめ直すために、他の武技も習っているというと、叔父は、新しいワザを発見したと感じることがあっても、たいがいは先人が既にやり尽くした道を再発見しただけに過ぎない方が多いのでは、と指摘した。確かにそうなのかもしれない。

 それにしても父も叔父も、剣以外に世界を持つところが当家の伝統だ。父は英語と美術教員で、絵と版画をやり国画会会員、叔父は野鳥の会支部長で、街に棲むスズメとカラスの生態学研究家。父は絵画も剣も「対象をどうとらえるか」という点で共通するのだという。当稽古会の方々も武の他にも特技をお持ちの方が多い。私は己の狭い世界を広げていただいている。

 だからといって、文武両道やるぞと、無理にアチコチ手を広げずとも、武は世の中を見つめるのぞき窓の一種だから、おのずと諸芸とつながっているはず。例えば私ごときレベルでも、全く知らないはずの生け花の中心線を見抜けるのだ。

 軍隊式の体育一筋は面白くない。競技で強くても、社会を生きることに非力なのではしょうがない。近代体育ほどその傾向が強いのではないか。ひとつでつまずいても、異なる世界がヒントを与えてくれる、複眼の豊かでしなやかな生き方がしたい。いつも青臭い文を書いて、いきがっている私に足りないことだ。

(※ちなみに、2005年9月22日から25日、弘前市一番町「田中屋画廊」℡0172-36-9208にて、父を含む四人の画家による「四人展」を開催します。もしよろしければお立ち寄りください。)

 前回、伝統の話を書いた。私は田舎剣術を継ぐ「時代遅れの男」だ。

 何度も書いているから、いまさらいうことでもない。幸いか不幸か、私は「流行」とは、地理的に隔絶された「道の奥(みちのく)」に生まれ、携わる分野も、古流や民衆の伝統的生活の研究(民俗)という、時間的にも現代から遅れた「野」の世界に関わっている。まさにカッコ悪い「時代遅れの男」。

 性格的にもライブや祭りでノることや、サッカー場でサポーターをやること、ベストセラーを買うこと、流行っていることが、付和雷同のようで恥ずかしく、絶対できない。一人冷めている。ダメですなあ。場を考えて社会人としての演技はしますよ。でも本当にエキサイトするのは稽古でコテンパンに叩かれたときだけかな。

 そのガンコさもいいかもな、と思うコメントを読んだ。政治評論の西部邁氏だ。

 彼は、現代日本が、デモクラシー(民衆政治)ではなく、ニーチェの現代文明論の3M、モーメント「瞬間」、ムード「気分」、ムーブメント「運動」という、つかの間の流行気分に付き従っていく巨大な大衆の動きが中心となる、マスクラシー(大衆政治)であり、「踊る」大衆に便乗した「疑似独裁」の発生を嘆いている。

 大衆が、わかりやすい、強力なリーダーを求めるところなど、第二次世界大戦前夜や、スターウォーズエピソードⅠ・Ⅱ・Ⅲを私は連想してしまう。日常生活の小さなことでは、ホントにうるさく自己の権利を主張してやまない現代人が、どうして社会全体のことになれば、素直に流行りに付いていくのだ?不思議でならない。

 また西部氏は、そのマスクラシーが、ここ十年で必ず崩壊するといい、その中で、生活体験の中で常識や伝統をわきまえて判断するコモンマン(庶民)の重要性を説く。 

 私の「時代遅れ」性は、今、急激に怖さを増してきたマスクラシーを、外部から冷ややかに眺めるコモンマンの姿勢を学べる利点に通じていくか。

 私が田舎剣術を守り伝えていくのは、社会を見る眼のコアになるか。

 稽古会の方々と突き、蹴り、次に袋竹刀の打ち合い稽古をいただく。G氏からはナイフ対素手も教えていただく。

 特に対ナイフ術は、海外特有の護身術かと思っていたが、最近は日本でも現実味を帯びてきたといわざるを得ない。考えてみれば、路上で刀剣を振りかざしてくる人はいない。その意味においては我々のやっている刀剣術は昔の侍の現実であったが、今やファンタジーであり、現代の実用武術がナイフ術であるといえようか。また、フェイク、だまし合いが出てくる。それに対応できないと武道ではなく競技なのであろう。

 いずれにしても、間合いに入れば、触れられないよう、自動的にカラダもココロも凍りつき流れていかない、足が床に張り付いて止まる自分がいる。見えない壁を自分でつくって越えられない。なんでできない。ここから先も変わらずに入っていく人は狂気だな。祖父は「平常心是道」と好んで書いた。今になって大変な教えだと思う。焦って家伝剣術のいう「当たるか、当たるまいかメクラ打ち」。

 一度知ってしまった脇道。気づかずによそ見せず、みんなと同じく普通に剣道をやっていれば、達成感もあり、悩まなくてよかったのかと思う。

 でもそれは私の課題を救わない。一人ぐらい違う道でも誰にも迷惑はかけない、全体から見れば何かの必要悪かもしれない。

 先週は、山形県米沢市で光岡英稔師範による韓氏意拳の講習会に参加させていただいた。そのハイレベルな技術の万分の一も覚えられなかったが、アタマで考えて力んでばかり、不自然な自分の心身を痛感させられ、パニック状態だ。帰り道、自分の剣術型稽古のやり方についても認識を新たにしなくては先が無い、と感じた。師範及び関係者の方々に深く御礼申し上げます。

 そこでお知らせです。来る10月2日、当会S氏が事務局となって、青森県初の「韓氏意拳」弘前講習会を開催します。筋肉バリバリの運動に限界を感じている方々、全く違う世界があることを実感されたい。是非オススメします。ただし質重視の講習となるため、少人数限定です。詳しくは、当ホームページの韓氏意拳弘前講習会のお知らせをご覧ください。

 素晴らしい伝統に甘えないことについて。たまたま、ある剣術のホームページが目について気になった。

 正統か、支流か。古武道界ではときおり、流儀の系図を掲げて正統だ、ニセモノだと一生懸命騒ぎ立てることがある。なんとご苦労なことか。

 私も学生の頃、家伝剣術のルーツを求めて各地を旅した。今思えば稽古の方が最優先だったなあ。

 だって、今ここで落ちてくる剣をよけるのは、系図でもルーツでもない、自分の技なのだ。深く自省を込めて。死力を尽くして系図の正統性を訴えるより、受け継いだ自分のワザが今ここで通用するのかどうか、それが一番大事なことでありたいと願うばかりだ。道遠しだが。

 それでも伝統武道はルーツにこだわるらしい。私はこう考える。

 なるほど門外不出で限定された「正統」伝承の流儀もあったろう。しかし、日本文化の家系や諸芸の系譜というものは、フィクションが当然だと考えていい。

 記されていることは現実の他にも、形式や伝承も含むのが当たり前。つまり記載されている情報は全体の一部か、流儀の記憶や自己イメージ、シンボルであり、全くの真実だけと思うことは、その流儀の可能性をせばめてしまうことになる。

 どだい、スタートの開祖が、架空の神仏から啓示を受けているではないか。ウソだと目くじら立てず、なぜに事実とは異なる形式や伝承を含ませたのか、分析する方が、文字には現れない、系図製作者の意図や、所属する文化圏など、より多くの深い事実とメッセージが現れてくる。いくら客観的に記そうとも歴史史料はその作者の主観が現れるもの。

 それにもともと武技は、様々な職能を持つ、様々な身分の人々と共有されてきた文化で、それゆえに熟成されたのもの。一人の師匠からの教えのみと思っても、人間は他にも、周りを流通する様々な情報を知らず知らずのうちに取り込んで、自分のやり方を形成していくもの。我々のしゃべる言葉がそうだ。

 あらゆる影響を総合して流儀の伝承が成り立っている。そのような雑多な寄せ鍋性?は、伝書に含まれる、様々な語句のルーツを調べるだけでわかる文化の「豊かさ」なのだ。現代の契約や権利関係のようにキッチリとパーツ分けできるものではない。

 「伝統を守ることが大事」と固定するが、その尊敬する先人たちだって、その時代毎に通用する、リアルなワザとして工夫してきたのだ。どうしてその歩みを止めるのか。

 安易に変える、創ることを推薦しているのではない。人を斬ったことが無い者が、新たに真剣の型を創る愚かさはわかる。しかし人を斬ったことのある型でも、よどんで腐れば、スポーツ競技に敗れるのだ。

 二十歳の頃は憧れの古武道界であった。演武会に行けば、全国に素晴らしい流派があることを知り、是非ご縁をいただき、お教えを乞いたいと願った。

 しかし団体に加盟していても交流できる場が少なく、同じ会費を払いながら、特定の流派だけ毎年演武会に招待され、海外派遣も同じ流派、その選出方法もよくわからず。その運営は今もオープンな感じがしない。

 どうやっても固定されて動かない世界に生まれてしまったと、愚かにも若造は、エネルギーをもてあまし、田舎剣術の悔しさを感じた。あの夜、弘前公園から眺めた満月は忘れられないなあ。

 そう思えばヘソが曲がった。来賓の挨拶で、青少年育成のため、精神性を鍛えるためというが本当だろうか?それは何の分野でもがんばれば鍛えられること。古武道だけの特権とはいえない。昔の武士の精神を学ぶ?、武士は武技のみにあらず学問もやった、それならば歴史研究の方が近道だ。そして何より、それを学んで現代にどう生かすのか?既得権の自慢ばかりでは?

 見えないモノが見える友人は、空気が流れない空間、流れのない水たまりには「魔」が宿りやすいといった。いい得て妙だな。人間も同じだろうか。

 あれでは古武道を継ごうとする若い人々はやってこないだろう。どだい古武道・古武術・古流武術と名乗るところが、生き血を失った「昔の化石だ」といわんばかりではないか?今も生きているならば、武術、武道でいいはずだ。誰が作った言葉だろう。明らかに近代以降だ。関係者はなぜ怒らない?。

 古武道が、単なる型保存会として錆びないため、「古代」武道にならないため、生き残るための課題は、山ほどあると感じるようになった。それに較べてなんとオープンで、貪欲に他分野を吸収し、進化し続けている素手の格闘技界か。その生命力に若者が集まるわけだ。

 某師範は、様々な流儀を渡り歩いた末に、最も最高だと感じられる武術に出会えた幸せをいう。共感する。しかし私も他流派を学べても、選べない。最後に帰らなくてはならないところがある。それが、私の世界を狭くしている限界かと思うことがある。まあ、テレビを見ても、チャンネルを変えている時間ばかり長くて、ひとつも番組を見ていないタイプもあるが。

 でも古きに縛られているばかりではない。250年前、遥かな海を越えてやってきた流浪の武士は、この流儀を当地に伝える際、その身に抱えた災いが当家に及ぶのをはばかり、自らの系図を断ち切って見せ、ここで新たに流儀を起こす覚悟でやれ、未来どんな名人が生まれるかわからないと、我が先祖を激励した。

 そうなのだ。つまり私は、伝統をかたくなに神棚の奥へ飾るために、生まれてきたわけではないようだ。今まで勘違いしていた。

 実は、過去から伝達されてきた宿題を、未来に向けて、少しでも解いてゆくことが、ささやかな私の役割といえよう。今この社会全体の変革期に、伝統の諸家に生まれてしまった人々に共通する使命なのかもしれない。過去だけでなく、今とも闘っているのか。生き血を注いでいるか。私はかなりの役不足だが、それができなければ、遺物か死物として甘んじる道しかない。

 断ち切られた古い系図のパーツを見て、伝統に学ぶ、しかし伝統に甘えず呪縛されない、浅はかな流行りに惑うことなく、今ここから先は、自分が立っていくのだと思う。すると、渡されたバトンの重さだけでなく、新しい街道を切り拓いてゆく不安と爽快感がこみ上げる。

  体格のハンディは、いかんともしがたい…と思っていたら、『スタミナ』は、いかに体躯が小さくともつける事が出来、それがいろいろな身体の運用を駆使する礎ともなり、最近は神話ともなりつつある『柔よく剛を制す』が出来るのかもしなない…という事を書いた事があります。

 という事は、若い時から『スタミナ』は本当にない自分は、運用の妙を知る事は無理だな~と内心挫けていました。

 そう思っていたら、今度はある文章で『手首の強さ』について記述してあるものに出会いました。

 『柔かくも強いスナップ』…なんか、ピッチャーの事を評しているようですが、先日中学生の剣道大会を観た時、今の形態での剣道でもそれは有効だし、剣術のみならず体術にもいいのかもしれないという、実感を持ちました。

 剣道は門外漢ではありますが、ポ~ンとスナップを利かせて、軽そうな『打ち』の連打(切り返し…と言うんでしたっけ?)するのにも手首の強さは入りますが、飛込む速さプラスアルファで、スナップが効いていれば、グ~~ンと竹刀の速さは増し、よけい伸びのある力強い『打ち』にもなるな~と思いました。

 『脱力』と書けば、力のない腑抜けた感じを思ってしまいますが、実は『力』も無ければならないなと思います。

 緊張して、その場からすばやく動けない感じの固い(流動的になれない)力ではありませんが、やはり『力』と言えるものは必要なんだと、思うようになっています。

 それの礎として、『スタミナ』であり『手首の強さ』も要素としてあるのではと思うのです。

 無論、他にもあるのでしょう。

 それらが総合して、ある『力』となっているのでは…と思いました。

 実は今日、私人間ドックでした。そこでの話し。

 こちらの地方では、林檎が収穫されると、仲買人が生産者から買い付け、その時期の相場に合わせて出荷し益を得る林檎移出問屋業があります。

 冬になると、出荷に合わせた選果梱包をする為、地元の御婦人方がその仕事専門で季節雇用を問屋さんがするのです。

 昔から来ている人が多く、その付合いをずうっと続けている問屋さんも多いです。

 でも、最近はその季節雇用の御婦人方も高年齢化して来ています。

 ある男二人の会話。

 「そろそろ、人も雇い出して、出荷してるのかい?」

 「ああ。」

 「若い人も来てる?」

 「まあまあね。…でも、昔から来ているばあちゃん連中もいるからね。」

 「クビにして、刷新すりゃあいいじゃない。」

 「ああ、店は、若い人入れて、だんだんばあちゃん達が居にくくなる状況にはしてるん だけどさ…。ばあちゃんのくせに、これまたよく働くんだ。要領効率もいいもんだから、 そうもいかないのよ…。」

 選果出荷の仕事の内容を詳しく書くのは割愛しますが、それなり、女性には、立ちっぱなし、寒い、りんご箱を持つ力仕事と、きついです。

 でも、我が実家でも70界隈のおばちゃんが、うようよお局様よろしく今だ現役でしています。

 生活の為とは言え、おばちゃん達は今年も、一服時は、若い男の従業員をからかったりして、パワー全開しているのです。

 『要領効率』…。前回の中山律子さんではありませんが、歳を経るならば、ちゃあんとこの事を体得して行く意識がないとだめなんだな~と思いあらたにしたのでありました。

  脱力…というより、リラックスというニュアンスの方が、合っているのかもしれません。似ているようで、意味合いの網羅度では、そっちだと思います。

 木箱を大工さんでもないのに釘を打ち付け、一夏にどんどん作るおばちゃん(ばあちゃん)。

 林檎が入った箱を持ち上げるおばちゃん達。

 ほんと、『極意』は身近にあると思わせる情景です。

 私は武術的に強くなりたいのではなく、こんなばあちゃん達みたいな感じになりたいと思うのです。

 しかし、生活習慣病に片足突っ込んでいるような我が身には、程遠いかもしれません。

 さて、『駆け出し…』として、書き散らかして来た、文章稽古の為の駄文、これにてお終いであります。

 個人的には、いい稽古となりました。

 「古剣」殿はじめ、会の皆様方、勝手言いっぱなし、お許し頂き、感謝感謝…

 プロボーラーの中山律子さんが、ラジオに出演しているのを聞く機会がありました。

「ある時、力を入れるところ、抜くところを知りました…。」

 もう昔のフォームではないとのでしたが、そこそこの点数も出るし、ボウリングも年齢に関係ない事を確信したそうです。

 私は、ほとんどボーリングはしませんが、『格好良く投げたい』とイメージで投げても端で見ると(他人を見てですが)ぜんぜんそうじゃない事を知った時、このギャップはなんなんだろうと思った事があります(センスがないだけなんですが…)。

 また、こっちが力任せに投げている横で、子供がよたよたと進みボールを投げ、転がるのろのろボールがピンをだらだらと崩れるように倒していくのを見て、試しに自分も格好などつけず、背中丸め、胸をすぼめ、腕はスイングなどしないで、レーン直前までしずしずと進み、その場で放るようにしたら、結構いける事を知った時、友だちと楽しみで来ているという事を優先するべきか、スコアにこだわるべきか…、まだ、不器用なくせに負けず嫌いだったものですから、そんな事ゲーム中密かに悩んでしまった記憶もあります(プロになるわけじゃないんだから、楽しめばいいんです)。

 ともあれ、いつも思うに、やはり血の吐くような鍛練の末の技や身体運用の妙は、ある到達点を見せてくれるなあという事。

 そういうのって、武術やボーリングも他の道も変わり無いのですね。

 こちらも、読み取れるぐらいの修練はしないと、神妙な技は、枯れた趣きもあり、よぼよぼ老人の動きにしか見えないのかもしれません。

書道で言うと 楷書も満足でないので(小学生並み…) 行書 さらにその上の草書の趣きに浸る事は出来ないという事でしょうか…。

 さて、帰省していた弟が残して行った本がありまして、一気に読んでしまいました(といっても漫画ではありますが…)。

 『嫌韓流』という本です。内容を説明するのは、難しい漫画です。

 でも、こういう本というのは、我々も、狭い社会や交友関係の中で、『あそこの人はこういう人達だから…』とか、とかく最大公約数でイメージを総括してしまう事と似ている事思いました。

 なんでも、朝鮮の人達は、小中華思想(これまた上手く説明出来ないけれど、誤解を恐れず言えば、大本家の正統な分家みたいな意識…田舎じゃよくあります。家柄思想とでもいいますか…)を持っていて、日本は東の果てにある卑しく末席にも座れない民族で、それに統治された事は屈辱汚点であるような潜在意識がある…てな感じに読み取れました。気持ち的には解ります。

 でも、田舎じゃ、よくある話し。日本自体、本家分家意識は無いとは言えません。また『家柄』意識っていうのは欧米でもあります。

 それから東京の人間でもないのに都会派気取る輩の考え方や、玉の輿というのも、同じ延長線上にあるようにも思います。

 ある時、ある『市』内に住む方の家からお嫁さんが、近郊の『村』の方の所に嫁入りする時、そのまま行けば『下って行く』というような事になるので、花嫁の父の号令一発、その『村』を通り過ぎ、またUターンして『市』に向うような形でお婿さんのいる『村』に行きました。

 いわゆる『登る、上がる』という形にこだわったわけです。

 遁甲術の見地からすれば、行かねばならない方向が不吉な方向な場合、一旦別な地点に場を移し方向を変えるという事もありますが…。

 『国柄』を、『人』のように括るには大きすぎるわけで、言ってみれば、ロシア系の性格の人もいれば、アメリカ的であったり、中国的であったり、韓国や、朝鮮人民共和国のような人だって、この地域にもいます。

 基本的には人間ひとりひとりの『個(孤)』なのですから、論じあう時にはひずみ摩擦が生じてしまうのは人間関係では当たり前です。  

 だから、国内の統制をするは難しく、ましてや国同士でまとまるというのは、相当な奇跡なのかもしれません。

 という事は、よく外交に関する話の中に出て来る言葉として、『どうしてあの国は…』なんて言う言い草も、考えてみると可笑しい話。

 いかに公平な立場を気取っても、相対的なもので、どちらかに偏っているかなんて言う尺度は存在しないのです。

 あくまでも、ひとりよがりに、その国の立場で観たその国の考えを主張しているわけです。

 まあ、ひとりよがりだと気付いていても、そう思ってしまったら、主張も出来なくなります。

 外交交渉は、いかに面の皮が厚いかで決まるって感じします。

 一方内に目を向けると…、『民衆』はその時の風潮や論評に左右され、めだかのガッコよろしく、『ああだ』と誰が言ったのかも判らないのに『ああだ』と言い、今度は『こうだ』と言えば『こうだ』となる主体のない(群集心理)のには、いつも個人的には辟易してしまう所(自分もその構成員の一人ではあるのですが…)。

 いかに『民衆』が『国』の中心と持ち上げられても、実の所は『国(おかみ)』が主なのは、暗黙の事実なのですが、この『おだて』や『くすぐりのツボ』を上手く使い、古今の独裁者達は『民衆』を煽ったわけでもあります。

 まあ、独裁者自体も『何か』に憑かれて(煽られて)そうやっているようにしか思えなくもない所もありますが…。

 だから独裁者は『ひどい事をしている』とも思わないのでしょう。

 勝てば官軍。あくまでもそういうレッテルは相対的なものでしかないので、失脚に追い込まれても、事実は認められないのはしかたありません。

 時の施政者の人達は、どこかそのぐらい面の皮が厚いがところがないと、狂ってしまうのではないか…と思いますから、紙一重なのかもしれません。ねえ、そう思いませんK泉さん??

 気のせいか その時の為政者の人達って、最初と最後の肌の張りがぜんぜん違うのに気付きました。

 厚い面の皮を支え切れなくなって来たからだ…とひそかに思います。

 K泉さんは、すごい保った方だと思います。

 ある程度、脳天気で剛胆だから、面の皮も厚くなっても、その厚さの重さに耐えれたのかもしれません。

 顔の脂ぎって来たところ、目や頬のむくみ腫れ弛み、変装用のゴムマスクが取れそうな感じがしてならないのです。

 おっとそんな話しじゃありません。

 『国』という存在を思う時、『企業』という、実際は誰が何が呪縛しているのか判らないモノに踊らされているのと、同じじゃないかと思ったりもします。

 そして、バブルの大型倒産劇を見て判るように、よりどころを失った企業戦士の立ち振るまいがあられもなくなくなってしまうのを見ると、『国』と『民衆』の関係はなんなんだろう…と考えてしまいます。 

 だから、知っているの国々の人々は、聞いた感じからすると、どうも皆建て前としてはあっても、本当の所は『自分』と『国』とは別物じゃないかと認識している感じがします。

都合よく、スイッチして使い分けています(○国の方なんかは 根底にある主体は『一族』であり、国は適当に従っていればいい…みたいな感じに思った事があります)。

 でも普通は『国』の方が上手で、いつのまにか『民衆』は煽動されてお先棒担かされているほうが多いようか気もします。

 そして、自分の見解はあって『国』とは意にはそぐわない所もあるとしても、実の所、嫌々従っているところもないわけではないような気もします(正直になれないのが、こざかしい『弱き民』なのです)。

 主体性ってなんだろうとも思ってしまいます。

 もっとも、民衆がうるさくわがままだと、『国』を維持するバランスが保てなくなり、いつも政権交替する事にもなりますけれど…。

 一方、『国』は国で、国家間のきな臭く醜く恐ろしい話や事情を、いちいち説明して、それの受けれるだけの心構えを、民衆は備えてもいないと踏んでします…。

 ↑そう、施政者は考えているんじゃないでしょうかね。

 親が、子供に『腹減った!』『あれ欲しい!!』とだだこねても、財布の中身がなんで無いか…を説明してもしかたない事情に似ています。

 さて…

 私は前にも書きましたが、ある時を境に、ニンニクを身体が受け付けなくなりました。

友達には、『これで朝鮮の女性と結婚出来ないなあ…』などと、半分マジで言ったものです。

 こんな事を書きながら、まっさきに、大阪で暮していた時、バイトで地域調査の為アンケートを毎戸配布をした際に、朝鮮の方が多く住むという地域で出会った、とても綺麗な女性を思い出しました。

 同時に、その地域であった老婆に『ニホンゴワカラナイヨ!マタ、オマエラ、ワタシラヲオイダスキカ!』と怒りあらわに言われ追い掛けられた事も思い出しました。

 後で聞けば、アンケートの回収率はあまり望めないと思っていた地域だったそうで、何も知らない田舎者である私に、そのエリアを担当させたのだそうです。

 大阪をはじめとした関西の人達もバイトで来ていたのですが、その地域には行かないだろう…または行かせないという事での、抜てきだったわけです。

 でも、バイトに一生懸命(同じ賃金でも、田舎に較べ楽な仕事なのは驚いた。○ドナルドや○野屋のバイト料金が、こちらの肉体労働でのバイト賃金より高いんですから…)だった私は、バイト先の人が驚くほどの回答回収率でした。

 まったく、田舎モンだと思って、いいように使われたわけです…と言いつつ、「オラ、青森の津軽から出て来てなんにもわからね~だ」と言って廻りましたから、それなり在日の人や、地域の世話役さんには、好意的に接してももらったからかもしれません。

 田舎モン、異邦人は、けっこうあざといのであります。

 それを知っているから、時には排斥の憂目にも会う訳ですが…。

 私観ですが、都会でひねた感じの人と出くわすと、だいたいが地方出身者。幼気な田舎青年が都会にいかな事があって揉まれたのか…と思ったりしたものです。

 在日のマスターが経営していたクラブでアルバイトした時の話。

 ふとある時そのマスターに

『なあ、○○ちゃん(私の愛称…恥ずかし)。たった一玉のウドン、兄弟で分け合って食べるなんて事想像出来るかい?』と言われた事があります。

 悲惨話なら、こちらも『寒い』というキーワードで 朝起きたら蒲団に雪が積もっていた…とか二階から出入りしていた…などと言えますが、そんな軍隊将棋みたいな事してもしかたありません。

 まあでも、歴史に翻弄されていた事は事実でもあります。

 しかし、そんな意味合いからすれば、『国』というものを切り離したら一般日本人も歴史に翻弄されたのは同じだとも思いますから、どこまで言ってもしかたない事なのになあ…と思った事があります。

 ちなみにマスターのお父様は、大勢の子供を抱えそれなり苦労もし、その中でいつのまにか在日の中では顔役世話役的な立場におられる人らしかったです。

 関西からみれば、私も田舎者→異邦人だったという感じを持っていただけたのでしょうか。

 『終戦後、いじめられた同胞の為に、焼き討ち…』とか、ドラマみたいな話しをよく教えてくれたものです。

 後年、終戦以降のいろんな朝鮮人他いわゆる第三国人と日本人のトラブルや大きな事件を知るに至り、『ドラマやなかった…』と思った次第。

 何か縁があるのかもしれません。

 それだからでしょうか、サラリーマン時代の自分達の酒の飲み場は新橋から銀座界隈。所謂闇市のあったあたりですし、『新橋事件』…つわものどもの夢の後ではありませんが 新橋は妙に懐かしさも感じ、自分的にはフィーリングが合っていたものです。

 割と近年に近い頃の私の前世は そういうのに関係してたのかもしれません。 

 またまた思い出しましたが、ある時津軽から友だちが訪ねて来て、大阪梅田で飲んだ事(痛飲)があります。

 帰り、夜遅く、あまり人気のない環状線の車両で、津軽弁丸出しで話していたら、いつのまにかそれまでいた乗客が降りたと思ったら、隣の車両にこそこそ移ってたりしてたのを見てしまいました。

 結局、私らの車両は、津軽の友だちと私だけでした。

 『なんやねん?!こりゃ~?!』…、そりゃ~、朝鮮語にも聞こえたりドイツ語にも聞こえたり、フランス語にも聞こえる異国の言葉だよ!津軽弁は!

 でも、いにしえの大和言葉が純度の高い隔離状態で残っていたり、京都から津軽のお殿さんが嫁さんもらったから京都弁ぽいところだってあるんだからね!!!!

 

 ともあれ、その夜は雪。

 朝起きたら、積もっていました。

 おかげで軟弱な都会は大混乱…。

 『ざま~ないったらありゃしない!』…なんて、はしたない。

 純朴な津軽の若者は、遠く故郷を思ったのでありました(『前略おふくろ様。都会で長 靴がいらないと思ったのは、間違いでした。びっくりしたのは雪掻き出来ないのです… 都会の人は軟弱です…街は立ち往生しています。多分歩いている人は山陰か北陸の人が 多いのかもしれません…』)。

 

 後年、また朝鮮からみのエピソード。

 サラリーマン時代、取引先が所謂『北』系の所に行って、『南』系の話題をポロリ言ってしまい、ちょー怒られた事もあります(当時南北どちらも私の担当でした)。

 果ては、上司まで陳謝に出向き、先輩には『国際問題だな…』と半ば冗談とも取れない事まで言われた事があります。

 取引先の女性社員のチマチョゴリに見とれてしまったからかもしれません。

 ビジネスもパワーゲームですから、それを弱味と感じた会社側は、その後何をしても不利な展開になったようです。

 『感じた…』と勝手に思い込んだのかもしれませんが、国が国だけに…という思いが働くのは当たり前。

 相手には、いい交渉条件を与えてしまいました。武術的に言えば戦略です。

 ノーコンピッチャーというイメージを持たれる事での、有利な展開もあるのです。これに似ているかもしれません。

 当時の上司の方々、御迷惑掛け、申し訳ございませんでした。m(_ _)m

 でも、なにかにつけて『朝鮮人だからな…』というのは、あてはまらないような気もします。

 それに似たのには『ユダヤ人だからな…』ってのもありますし、『アラブ人だからな…』ってのもあります。

 日本人だって、他の国では『日本人だからな…』ってのもあります。

 フィルターを透して見られるセリフは 国じゃなくてもあります。

 『青森県人だからな…』というのや『沖縄県人だからな…』『大阪…』『名古屋…』というのも。

 青森県にいたっては 『津軽人だからな…』というのと 『南部人だものな…』というのもあります。

 津軽に至っては、『○○町だからな…』(いよいよ伏せ字にしないといけなくなる…)とか、弘前市だとて『旧市内』と統合されての『新市内』というのすらあります。

 これに関しては、今また市町村合併が行われましたが、似たような事での摩擦が起きない訳がないと思っています(起きてるはず)。

 M&Aかなんかは知りませんが、企業では『合併劇』というのは必ず対等とは成り得ない事、何度か見て来ている私は、その憂目に追いやられていった人も知っているので、そう確信してしまうのです。

 ともあれ、同じ町内や部落内だとて、『○○さんの家だから…』とだってあります。

 身内の中にも、『○○だから…』ともあるのです。

 キリがありません。

 さて、根暗でイジイジしたアメリカ人もいますし、日本人以上に日本的な外国の方もいます。

 また、大陸的な感じの大らかな日本人もいます。

 わりと、ちゃらんぽらんなイスラム教徒もいますし、キリスト教的な感じの考えや活動するお坊さんだっています。

 『…だからな』と括ってしまって自分に納得させたがる習性は、他に知られると摩擦を生んでしまいます。

 一方『社会秩序』『法』『ルール』など、いつのまにか人間界で構築された『無形のもの』は、考えてみるとなんの拘束性も無く、勝手さえ出来るという事(あ!言っちゃった!)が根っこにあるわけですから、トラブルが発生するのはしかたないのです。

 なんだかんだ言っても、人間も『個(孤)』な動物なんです。

 ふと、お互いの喉に短刀を突き立て、お互い『動くと刺すぞ』的な中で人間は生きている(自分以外は信じない)…という様が浮かんだのは、あまりにも辛辣でしょうか。

 だから、核兵器を持ち合い批難しあっている国々の姿は、とてもアホらしく見えるのは、私だけでしょうか?

 もっと言えば、武術を知ろうという私どもは、一体どういう意味があるのだ…というところまで来てしまいます。

 …そうして、どうどう巡りをして、人間はこれからも生きて行くのかもしれません。

 そう思うと決まって、ふと、おもちゃのロボットが壁にぶつかってもなおかつ歩こうとしている姿を、思い浮かべてしまうのです…(『愚かな…』とは笑えません)。

 もともと『個(孤)』なのに…と考えると、ずうっと戦国…いいえ明治まで、集団→集落…藩という単位で、拡大しつつ同民族(厳密には同民族ではないのでしょうが…)争って来ました。

 似たような感じでも、中国なんかはスケールが違います。

 『南京大虐殺』での、死者数が問題になったりしていますが、なんらかの方法で正確な数字さえ出れば、その評価の正しさは判るのでしょうが、これが出来ていないから論争してします。

 少なくとも数名となれば『大』の字は取れるのでしょうが、戦争自体、大虐殺のしあいですから、中国の歴史での数字を鵜呑みにすれば、いにしえから大虐殺の歴史と言っていいと思います。

 無論、それは中国にばかり該当する事ではなく、全世界人間の歴史は、そんなもんです。

 そしてさらに歴史を見ると、殺戮、虐げられた人達の数も拡大して広がりますけれど、取り込まれて行った集団の単位では、遺恨は風化して行っているような感じもありますから、平和的にはしてもらいたいですが世界統一国家というか、地球単位でまとまれば、テロ等は戦争行為ではなく、そこらへんで扱われている犯罪行為としての認識になってしまうのかもしれません(人類は一家 みな兄弟…)。

 じゃあその後は…。映画で言うと、『インディペンディンスディ』的展開となり、次には『星間戦争』つまり『スターウォーズ』的な展開になっていくのかもしれませんが、結局基本的構図は変わりません。

 とりあえずは、その頃『戦争責任』とかなんとかの事で、日本は言われる事は無いのでしょう。

 何故ならば、『昨日の敵は今日の友』として取り込んでいったのに、また他国(他星?)との有事がある時、そんなわだかまりを持っていたら、背後から今味方なのに裏切られるとも限らないからです(信じる…信頼の構築とは難しいものです)。

 現在、中国は中国、朝鮮は朝鮮…と、歴史の中であった部族間とか細かくあった国同士の『戦争責任』とか色んな賠償問題は今でもあるとは思えませんから(実際は民族部族の遺恨はあるのかも…)、せめて同じ黄色い人種として、いつか対日本とある遺恨が収束する事を願うばかりですし、その事で理解する努力は私たちもしていかなければなりません…なんて、ちょっと話しは重過ぎてきました。

 戦争を知らない子供達に、いきなり恨みつらみ言っても、無理なんですから…。

 ともあれ話しは戻しますが、私はこのように良いも悪いも何かと『朝鮮民族』とは縁があるようです…というか、むしろ日本人は色んな人種が混じっているので、そういう縁も引き合うのもしかたないのかもしれません。

 そう思うと、そんな実は同胞でもある民族を思い、何かの機会にソウルにでも行きたいとは思うのですが、今ではコリアタウンを通り過ぎてもキムチの匂いで身体の力が抜けてしまいそうなのに、多分無理かもしれません。

 そういう意味では、正直なところ、私は朝鮮が嫌い…というより苦手という事なのでしょう。

 冷麺も焼肉も好きではありますが、食べる時は、その後三日間は床に臥せり、人一倍放ちやすいにんにくの匂いを消す為に、部屋に閉じこもっていなければならない事を覚悟しなければなりません。

 だから、ソウルの飛行場降りる勇気は今の所ありません。

 ああ、とうがらし買ってキムチも漬けたいし、チャンジャ食べたいのに…。

 ステレオタイプなフィルターで見て判断はしたくないですが、性格的には、中国の方より苦手系が多いかも…。

 さて、こうして朝鮮の事を引き合いに出して好き嫌いを言ってしまうと、誤解を招きかねないのですが、何度も言うように人間は『国』というものでは括れないという立場での話しですので、大丈夫とは思います…。

 実は、遅かりし感のある事なのですが、今まで自分は嫌いなものに対しても、いい顔をしていたという事を知りました。

 つまり、無理していた訳です。

 この、無理する事が、さらに苦手…という意識になり、心底嫌いという方向に逆揺り戻しモーメントが働いてしまう事があるのだな…と気付いたわけです。

 だから『嫌い』として冷静な目を持つ事も、武術的にも大事なのでは…という事にも繋がるな~と思ったりもしています。

 ともかくも、根っから人徳のオーラのある人ならともかく、私のような似非な野郎は、ひとかどの歳でもあるのだからと自分に無理するとすぐメッキがめくれてしまい、赤っ恥となります。

 だから、意外と嫌なもの嫌と言う事は、身体にいいのかもしれないのでは…と思うのです。

 歳を喰えば喰う程、色んな事カミングアウトした方が、残りの余生さっぱりして暮らせるのでは…と、最近とみに思うのです

 私は、韓国はやや、北はまったく、中国は困った事に、嫌いです。それから…etc。

 このまま嫌いな国をと書くと、残る国の方が少なくなってしまうかもしれません。

 でも、それは『国』というイメージからであり、日本人にされた仕打ちという点で、私も憎まれる対象ではありますが、私としては、前述の在日のマスターにしろ、中国人の方にしろ、そして北朝鮮の人も? 私にとってはとても面白くていい友にだってなれる人達もいると思ってやみません(でも、騙して工作員にしないでください。信じやすい人間ですので…)。

 反対に、憧れがあって人間も素敵と思われる国の人でも、嫌だなと思う人間もいると思います。

 人間は、『国』単位ではなく『個(孤)』の単位なのですから…。

 孫子の代まで祟るという程、人間の業そして怨念はすごいものかもしれませんが、けちょんけちょんに完膚なきまでに人を制する事での先の自分を考えると、とても虚しくもなります。

 でも、半端も、その後に禍根を残しますからよくないとし、徹底した遺恨の芽を根絶やしにするという考えもあります。

 窮鼠猫を噛む…という事もあるので、些細なものすら見逃さない…という事なのでしょう。

 先人は、経験上、非情さのもとに生き延びてきたのです。

 古武術を通して、なんだかん色々な心法に触れる事もありますが、結局は『殺傷の術』を検証している事で、よけい、このような事思うようになりました。

 前回、似たような事を渋川流の言葉で引用しましたが、力があったとて、世界にはそれを上回る力はいくらでもあるわけで、人間がいかに争い、命の犠牲を悩み痛み叫びつつもなお累々と重ねても、自然の驚異などは、いともたやすく無情で人間の命を奪ってくれてもいます。

 まあ、うらみつらみ嫌い好き…何があろうと、『自然』としてはそんな道理に関係なくあるわけですからしかたない事ですし、これまた誤解を恐れず言わせてもらえば、過去がなんだこうだというのが虚しく見えてしかたがないのです。

 それもこれも、地震、津波、台風の被害の状況を見たせいでしょうか…。

 ともあれ、いつかは韓国のおいしいキムチは食べたいし(体質変えたい)、北朝鮮の冷麺も食べたいし(気軽に行きたい)、中国の水餃子も気持ちよく食べたい(そんな抗日の人多いのだろうか?)…そんな世の中にはなって欲しいものではあります。

 高尚な話なのか、おちゃらけた話しなのか、今回の話は妙でした。うまくまとまりません…。

 ネタも無くなってきたせいなのかもしれません。 

 選挙が終わった。某政党が圧倒的多数を占めたという。政治のことはよくわからない。しかし新聞の笑顔を見て、なぜか「独○」の文字がちらついて寒気がした。だいたい、一番に掲げた公約は、我々が一番必要としているものではなかったなあ。世の中素直な方が多いんだなあ。それでホントに大丈夫なのかな…。少しずつのズレが、止められない大きな流れにならねばいいが…。なんだか怖いぜ。

 武術の流れについて。

 前回、ああしたらこうする、こうきたらああする、といった類のネコとネズミの化かし合いのような、技術論を書いた。永遠に終わらない水掛け論だ。もっと根本をとらえた稽古をせねば、ワザのコレクターで終わってしまうよなあ。

 博物館は薫蒸作業のため休館になる。収蔵庫で偶然、一刀流の伝書包みの中に、弘前藩士が記した「□□無敵流」伝書を見た。 当時は一刀流のみではなく、様々な流儀も並行して学んだのだ。

 間合いを詰めるときに「スルスルト流水ノ如く」、斬りをかわすとき「一拍子デ転化シ」などと、他流派にも共通する表現があった。また見つけた。人気の南部藩願流剣術のみならず、家伝剣術の生々剣にもつながるような術理だ。

 以前も述べた。剣でも素手でも、間合いを詰めるとき、小刻みなステップを踏み、フットワークで懐に飛び込むことが有効だと信じている我々は、「流水」といわれても、キレイ事だと見てしまう。

 でも、これほど流派を超えて説かれる表現ならば、具体的にかなりの効果があった現実の術理であったと考えざるをえない。

 例えば、剣術の自由な打ち合い稽古で、せめぎ合いの一足一刀から、飛び込んで打って終わるような剣道方式では、いくらその後の継ぎ足をしようとも、飛び込んだ先で尽きている。そこから脱却しなくて、私は密着してからの素手の体術に対応できないだろう。

 前回書いた、遠い間合いから近い間合い、密着へと変化するなかで、歩みと意識を止めず、どの局面でも止まらない、尽きない技を持つことだ。このことは、剣も素手も同じだと考える。

 ステップとフェイントで、やっとパンチをかわしたが、そこで目をつむってこわばって止まり、密着できない、だから永遠にパンチの間合いのまま、ドキドキしながら捌き続けなくてならないことになる。やがて、タイミングをとられて相手のターゲットと成り果てる。

 宮本武蔵も、近代剣道の大家中山博道師範も「歩み足」を多用したときく。我が拙い袋竹刀稽古においても、相手の大太刀に向かい、我は不利な小太刀で、ステップを踏むよりも、速くもなく遅くもなく、ツルツルと間合いを詰めて密着してしまうことが有効だ、と思う瞬間が何度かあった。

 ただし、ただ歩んではやられにいくようなものだ。何度も打たれた実感をベースに、歩調はユッタリでも、内面のリズムは超高速回転でなくてはならない。「流水」というのが難しい。動きのカドも、リズムも拍子も、溶けて見えなくなるほど、なめらかで速いということだ。

 だから、斬りの瞬間も、剣道の面打ちように、手と同調してドンと地面を踏みしてはいけないだろう。ドンと踏んでは、下の地面からの反発と、上から斬るの威力がぶつかって、居着くだけでなく、斬りの威力も半減する。歩みも止まり、技も止まり、流れない。剣道稽古で厳しくしつけられたこのクセを取るのはやっかいだ。

 もし両者が流水となった凄まじい立ち合いは、ジャッキーチェンや、マトリックスのようなガチガチして、打つぞ、突いたぞ、というド派手なものではなく、第三者が見れば全く見栄えのしないスルスルと穏やかなものに見えよう。巌流島の武蔵と小次郎の仕合を目撃した侍が、するすると両者が歩み寄ったら片方がぱたりと倒れただけで、よくわからなかったと記していると聞いたことがある。

 もし体格差と体重差が武器となる瞬間が、受け止めたときだとすれば、受け止めない、触れないことがそれを乗り超えるワザのポイントか。受け止めない、触れないワザこそ、剣技の専売特許であったはず。

 「流水」の如く、技も意識も流れ続けるために、今までの私のクセを全くぶっ壊してしまわねば。特に、叩いたぞと実感を求めること、フェイントをかけてやろうというサル知恵、怖いと思う臆病が、力みを作り、「流水」を凍らせてしまう。止まれば相手の目印となって討たれる。おっと、これじゃ、願流のサルマネ文章だな。

 型でじっくりと詰まりを壊そう。しかし、今までのように一々動きを止めて分析していては、その瞬間の止まって死んだ動きであり、全体の中での把握もできない。型であっても涼やかな動きの流れの中で稽古していく方がいいらしい。

 それを乱取りで実験する。でも普段の通勤時の歩みさえ、どうしてもいびつで、流れる水からよほど遠い。

 


Copyright(c) 2001 My Company. All rights reserved.