小原安正先生について、私などは日本におけるクラシックギターの先駆者ぐらいの知識しかありませんでした。実際にお会いしたこともなく、時々教本に名前をお見かけするぐらいでした。つい最近、ご本人が御自分の半生について書かれた本をお借りすることができたので、読んでみたところ大変面白い!!!私などは到底およばない情熱でギターと向き合い、時代のなかで、さまざまな困難に立ち向かいながら、日本でのクラシックギターの発展のために活動された方のようです。当時の日本の歴史も垣間見ることができて、本当に夢中で呼んでしまいました。
皆さんに、ほんの一部ですが紹介したいとおもいます。
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音楽之友社発行 小原安正著 ギタリストの余韻
おいたち
大正3年4月1日生まれ。北海道の士別というところで、当時は屯田兵によって開拓されて間もないころで、人口9千人ぐらいの町だった。と、ずっと思っていたのだが、じつは旭川の生まれだったらしい。
父親は士別でかなりの地主だったらしく、「・・駅から自分の家まで歩いて20分ほど他人の土地を踏まずにいけるというほど・・・・・・・」と書かれている。
「・・・生母は・・父の愛人であり、私はその次男として生まれた。・・・・・」「・・・私は3,4歳の頃に二つ違いの兄と一緒に引き取られたというが、・・」本人には旭川の想い出も記憶もなく、養母を母と思ってあやしんだこともなかったらしい。
14歳のときに生母が病気で亡くなるのだが、その葬儀の時に自分の出生につい
て、くわしく知ったと書いてある。
音楽に触れた時期
旧制名寄中学に入学した彼は、ハーモニカ部に入部し、夢中で練習したらしい。まだ、ギターについては殆ど知識がなかったが、興味はあったらしく、通販で、ウクレレの広告を見て、ギターと思って注文したが、送られてきたら随分小さく、不思議に思ったと書いてある。
後に、後輩の友達に本物を見せてもらったが、「・・・・それはギターといっても弦が3本しかついておらず、和製の安い楽器だったと思う。それをほんの気まぐれに、ポロロン、ポロロン、とひいてみると、とてもいい音がして、全身が総毛立つような感じになったことは忘れられない。これが私とギターとの初めての出会いであった。」
ギターへのめざめ
進学の時期をむかえた彼は、古賀政男が指導している明治大学のギター・マンドリン部を受験しようとするが、受験当日に朝寝坊で遅刻してしまう。早稲田大学にはいってすぐに、マンドリン部に入部する。昭和8年ごろで、古賀政男の「酒は涙か溜め息か」や、「影を慕いて」が一世風靡していた時期のことである。
しかし、さまざまな理由から、親からの仕送りもとだえ、大学には行かなくなり、退学する。その頃付き合っていた女性と、お互いの両親からの反対を押し切り結婚。21歳の時に長男が生まれる。翌年、母親が亡くなる。すでに父親も亡くなっていた。この頃に、ギターで身を立てようと決心した。