武器を持つということ


人が武器を持つというのはどういうことだろう…。

何気に「武士の暮らしぶり」をテーマにしたテレビ番組を見ていて『帯刀を許される』という表現を聞いた。
確か“ある藩の家来たちは普段○○の場所での帯刀は禁じられていたが、△△の日だけはそれが許された…”といった具合の話だったが、ボケ〜ッと見ていたので詳しい内容についてはあまり覚えていない。
ただ、『帯刀を許される』という言い回しだけが耳に残った…。

「帯刀」…刀を腰に差すこと。
歴史が超苦手な僕はサムライといえばいつでも刀を腰に差しているものだと思っていたのだが調べてみるとそうでもなかったらしい。
武士と言えどもTPOに応じて“帯刀してよい日・よい場所”というものがあったのだとか。
めでたい行事や何かの祝い事がある日、普段は差せない刀を腰に差し堂々と胸を張って歩く武士たちは、さぞ自分の姿が誇らしかったことだろう。

よく「刀は武士の魂…」などと言うが、武士にとって刀を持つというのはどういうことか…。

刀は基本的に武器である。人を殺傷する力が十二分にあることは日本人なら誰でも知っている。
しかしアメリカの銃社会と違って日本のサムライたちが刀を身に付けるのは、決して治安が悪いからでもなければヤ○ザ屋さんのように地域住民を脅すためでもない。
本来、武士はお殿様を守るために雇われたサラリーマンであり、腰に差した刀は殿を守り、城を守るための武具であった。
そして江戸時代、大きな戦乱もなく平安の世が永く続く中で、やがて刀は武器としての実用性よりも武士の忠義や誇りといった精神性を象徴するアイテムとして扱われるようになっていったと想像する。
だから武士にとって刀は単なる武器ではなく、命を懸けて殿に仕える武人の誇りであり、証しであり、文字通り“魂”であった。そんな刀を万が一にも他人に奪われたり失ったりすれば、或いはそれはその者にとって“死”に値するほど恥ずべき失態ともなり得たかもしれない。
もちろん大して誇りも忠義心もなく、ただ腰の刀に物を言わせて威張り散らすだけの輩も少なくはなかっただろう。そんな連中はいつの時代にもいる。
しかしそれでも武士が刀を腰に差す時、そこにはサムライとしての「覚悟」や「責任」といった、自らの心に働きかけてそれを律する何らかの“思い”が常に付いてまわったに違いない。


ところで、武士にとって刀が単なる武器以上のアイテムなら、アメリカ人にとっての銃はどうだろう。
例えば西部劇に出てくるカッコいい保安官やカウボーイたちにとって、ピストルは“タマシイ”か?
彼らにとって「銃を持つ」ということは一体…。

残念ながらアメリカ人に親しい友達がいないのでそこら辺のことは想像でしか語れないが、少なくとも日本とは全く背景が違うことだけは明らかだ。
日本のサムライたちは殿サマを守るために刀を差し、明治になって殿サマを守る必要がなくなったため新政府に刀を取り上げられた。
今この国で刀を持ち歩けば銃刀法違反で捕まってしまう。
しかしアメリカ人は新天地を開拓する過程で自分や家族を守るために銃を携えてきた。
そしてその状況は今も変わっていない。
つまりサムライの刀は身分制度とも相まって永く公権力の統制下で“与えられてきた”ものだが、カウボーイたちの銃は自分たちの生存権を守るために全くの自由意志で携行され、公権力も自国の治安の悪さを自覚してかそのことにずっと目をつぶってきた。
銃はあくまで自らの安全を守るために持つ実用的な道具であり、少なくとも“soul(魂)”とか“spirit(精神)”といったものが引き合いに出されるようなアイテムではなさそうだ。

ところで銃はいつでも人々の安全を守ってきたのか?
現代まで続くアメリカの銃社会については乱射事件などが起こる度にメディアで取り沙汰され、特に日本のように銃を持たないのが当たり前の国では再三、批判の対象になってきた。
ここで彼の国を批判するのは簡単だが、ダダッ広い国土で警察が機能しにくい理由もあるだろうし、僕たちには解りにくい複雑な背景がいくつも絡んでいるだろうことは想像できる。
とは言え、銃さえなければ命を落とさずに済んだかもしれぬ人たちが毎年たくさんいるのも事実だ。
もちろん銃がなくても、日本のようにナイフなどを使った殺傷事件が相次ぐことはある。
しかし、だからとて銃さえあれば身の安全が確保されるという神話もまた、幻想に過ぎない。
銃があっても決してアメリカ人の安全は保障されてはいない。


人が武器を持つというのはどういうことなのだろう…。

子供たち、特に男の子は武器が好きだ。
小さい頃、いろんな武器を繰り出して戦うロボットやヒーローに夢中になった経験は男性なら誰でもあるはず。
長い棒状のものを見れば振り回して悟空のマネをし、友達を追い掛け回す。。。
プラスチック製の軽いハンガーを見ればヌンチャクのように構え、或いはブーメランのように投げつける。。。
武器を持てばそれだけで何か強くなったような気がした。

僕自身、子供の頃から「電動車いすに武器が付いてたらなぁ」などと考えた。今のように物騒な世の中ならなおさら考える。
人気の少ない道で突然ナイフを持った変なヤツに追いかけられても車椅子だと逃げることができない。
そんな時、スイッチ一つで車椅子から武器が出てきたらいいのに…などとよく考えた。

電動車いすはバッテリーを積んでるから電源はある。手元のコントローラーにはマイコンも入ってる。
車椅子の武装は技術的には難しくはないはず…。
例えばコントローラーの裏にある隠しスイッチを押すと足元からボーガンが発射される、またはコントロール用ジョイスティックの先に付けたボタンで土台のボックスが開いて中からレーザー光線(?)が…。
いや、相手には逃げると見せかけてクルッと振り向いた瞬間に後ろの手押し用グリップから手裏剣、または画鋲ばらまき、催涙ガス、或いは目をくらますための煙幕でもいい…。

もう核兵器を持ちたがるどこかの国とほとんど同じ、超キケンな発想である。

僕みたいなのが容易く武器を手に入れられるということは、すなわち多くの人が武器を手にできるということ。
自分の安全を武器に頼らなければならない社会は、同じ武器の脅威に怯えなければならない社会でもある。
これではアメリカ銃社会の二の舞になってしまう。
結局、「車椅子に武器があれば…」というのも“武器があれば安全”という幻想から生まれる安易で愚かな発想なのだ。


人が武器を持つというのはどういうことだろう…。

どの国でも為政者たちは武器を持ちたがる。
今年に入ってアメリカやイギリスが次世代型核兵器の開発に踏み切ったというニュースか世界を駆け抜けた。
すでに人類を数百回以上も殺せるほどの核があるというのに、どうしてこれ以上そんなものが必要なのか。
例えば敵国に多くの核施設を破壊されて数が足りなくなった時のことでも想定してるのか…そんなことはあるまい。ではなぜ?

憲法で軍隊を持つことが禁じられているこの国でさえ、戦車を持ち、戦闘機を持ち、ミサイルを持っている。
一発で数十億円以上もする弾道ミサイル。その一基の予算だけで公立の数百という学校にエレベーターをつけることが出来る。それでもミサイルが必要な理由…。
武器を持つことはそれほど必要なのか。持っているミサイルの数で他国に負けたら、何がどうなるというのか。。。

もはや武力による外交実現(つまり威嚇とか侵略…)が罷り通っていい時代ではないと思うのだが、世界というのはまだ僕が考えるほど共生の哲学を身に付けてはいないのだろうか。
国家という最大の主権を持つ者同士が向き合えば、互いに永遠にエゴを捨てきれないものなのか。
僕の考え方がまだまだ甘すぎるのか、日本に生まれ育って平和ボケしてるだけなのか…。
いや、そうではないはず。
文明が生まれて数千年、まだまだ世界は幼く未熟なだけ。そう信じたい…。


武器は力。
力のある者は、その力を使いたがる。それは人も国家も同じ。
たとえその時点では必要に迫られて手にした力であっても、それがやがて人や国家の“心”を変えてゆく。
そしてその力で真実を捻じ曲げ、他国を威嚇し、脅し、攻め、奪い、支配しようとする。

武器を持つということの本質はきっと「安心」や「平穏」などではなく、人を、そして国家を「傲慢」にしていくということ。
「傲慢」はやがて「不信」や「疑惑」を生み、さらに大きな力が必要となる状況を自ら作り出していく…。

地球人類が武器の矛先を互いに向け合う時代を終らせるためには、そしてイデオロギーやナショナリズムの壁を越えて一つになって進むためには、やはり圧倒的な力を持った宇宙人による地球侵略(!?)が必要なのかもね・・・☆

☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆

武器を持つ側にもそれなりの論理はある。
しかしその本質はどれもすべて同じエゴイズムの発露に他ならない。これは自信を持って大声で断言しよう。

こうしてこの章で書き連ねてきた戯言は、フツーに暮らすフツーの人たちが日々フツーに感じてる思いを今さらの如く並べたに過ぎない。
取り立てて人を動かせるような説得力も無く、為政者や死の商人たちにとっては辺境のサイトで書かれたこんな文章よりもハエや蚊の羽音の方がはるかに耳障りなはず。

しかし人類が唯一持つことを許される武器があるとしたら、それは「言葉の力」そして「ペンの力」だろう。
もちろんインターネットの力もそれに類する。
もし人間としての誇りがあるのなら、為政者たちは国際社会のいかなる困難に直面しても「言葉の力」で乗り越えていくべきだし、為政者が道を踏み外すのなら僕たちは「言葉の力」でそれを変えていかなければならない。

インド建国の父ガンジーは非武装、非暴力を説き、言葉とペンの力だけで3億の民を大英帝国の支配から解放した。
人間が本当にサルより進化しているというのなら武器を持たずに共存していく方法は必ず見つかるはず。
たとえ何百年かかっても、世界中の武器が不要になる日はきっと来る。
世界情勢を知ったかぶる連中に今はどんなに笑われても、僕はそう信じ続けたい。


 
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