将棋と北斗の拳、あたぁっ!


将棋を知らない方もどうぞ…(^o^)/

僕の趣味、一番が音楽、二番が将棋。
某国営テレビ局で毎週やってる将棋を見てると、対局中は互いに何も喋らずただひたすら盤面を見つめて考え、忘れた頃に“パチッ”と駒を打つ。そしてまたしばらく考え、忘れた頃に今度は相手が“パチッ…”。
興味の無い方には傍から見ていてこれほどスローで退屈で陰気臭いゲームは無いかもしれない。
しかし僕の中にある将棋のイメージは常に影すら見えぬスピードで無数の“突き”や“蹴り”が飛び交い、一瞬のタイミングで技が決まってしまう凄まじい“格闘技”なのだ。
カンフー等の武術との共通点がとても多い。

将棋は子供の頃に親父から教わった。最初は駒の動かし方から。
やがてルールを覚えると親父と何度も勝負した。でも全然勝てない。何度やっても勝てない。
どんなに殴りかかっても蹴りかかっても、かわされ、いつの間にやら僕の背後に立っている…という感じ。
将棋は全部で八種類・総数二十個ずつの駒で互いに相手の王様を取りあうゲームだ。
八種類の駒は全て動き方に違いがあって、横には動けない駒、斜め後ろには動けない駒、前には進めない駒など個性様々。でも親父の駒は自由自在に動いた。
「銀」という駒は横や真後ろには動けないのだが親父の「銀」は横にも滑っていくように見えた…。
実際にはそうではないのだが、僕の目が親父の駒の動きについていけないのだ。
悟空の「残像拳」を見てるのと同じ。

僕は将棋の本を買ってきた。小学館から出てる「こども将棋入門」だったかな。
将棋には拳法と同じく攻めや守りの様々な「型」がある。これを「定跡(じょうせき)」と呼ぶ。
もちろん定跡を覚えれば勝てるというものではないが、その中には北斗二千年…いや、将棋界数百年の歴史の中で先人が編み出してきた攻防の“技”が凝縮されている。
覚えたての頃は守りを考えず先手必勝とばかりについ突っかかってしまうが、がむしゃらにパンチを繰り出すだけでは当たらない。まず正しい構え、安定した姿勢からの攻撃でないとスキが生まれ、必ずしも先手必勝とはならない。むしろカウンターで返し技を食らうことも多い。
本を読んでは親父に挑戦した。

この本、プロの先生が書いたものだが実はなんと、この中で当時小学一年生の羽生善治さん(H18.2現在四冠)が著者から指導を受けている写真が載っていたのだ。
将棋を知らない人でも羽生さんの名前はご存知だと思う。もちろん当時はまだ無名。
しかし本の中で著者が「この子はたいへん筋がよい」というコメントを残していたのを覚えている。
すでに大器の片鱗が見えていたんだろうなぁ。すごいなぁ…。
ま、ちょっとした話のネタということで…。

話を戻そう。中学になって同じクラスに“ライバル”が現れた。どんな競技もライバルと競ってこそ強くなる。
互いに本を読んでは昼休みに勝負した。
紙で将棋盤と駒をこしらえ、授業中に隠れてやったこともある。見つかって取り上げられてシマッタが…。(-_-;)
この頃、将棋の基本的な知識を覚えた。そして少しだけ強くなった。
ある晩親父と将棋をしていて大接戦の末、初めて勝ったのだ。そしてそれ以来、親父には次々と勝つようになった。
それまで影すら見えなかった親父の駒の動きがはっきり見えるようになり、“構え”の中にあるスキや弱点まで見えるようになっていった。
最初はラディッツにも苦戦してた悟空がいつの間にかベジータをも超えていったようなもの…と言えば聞こえはカッコいいが、実は親父がもともと弱かったのだ。初めて親父と将棋をしてから約30年。今では親父の戦い方は手に取るように先が読める。
しかしこの頃はまだまだ教科書のほんの一部を丸暗記したような将棋で精一杯だった。

高校では廃部寸前だった将棋クラブに入り、さらに修行を続けた…。
最初、部員は僕一人だったのでいきなりキャプテンだ。
毎回、アマチュア二段の顧問の先生に教えてもらうことになった。
先生は、強かった…。どこをどう狙ってもかわされ、いつも攻め疲れて息切れしたところを流れるような“華麗な技”で叩きのめされた。親父の時には感じたことのない大きな「壁」に出会った。

先生からは「常に二つの目的を持って戦え!!」と教えられた。
将棋は互いに一手ずつしか指せない。しかしその一手に「二つの目的」を持たせることはできる。
次の瞬間に同じ足で後ろ回し蹴りとハイキックがどちらも打てる状態に持っていくような感じ。相手はここを防げばあちらが潰れ、あちらを守ればこちらが破られて…ということになる。
しかし相手にもまた、一手で両方を防ぎながら更にこちらをけん制するような手が生まれたりもする…。
どこまでも奥が深い。

どんなに本を読み、テレビを見て勉強し、新聞や雑誌の「将棋」欄で研究しても、技や理論を知識として覚えるだけでは強くはならない。これも格闘技と同じで、知識だけでは足りないものが確実にある。
9×9マスの戦場の中、刻々と変化する戦況から“今”がどの時期、どの段階なのかを見極める感覚…。
将棋では『大局観』と呼ばれるこの感覚を身に付けたいと思い、それを意識して戦った。

高校二年生になって二人の強力なライバルが現れる。二人とも強かった。
高校生の将棋大会にも出た。
ますます将棋が面白くなってきた。

将棋では時として盤上に「経絡秘孔」が現れることがある。
もちろん将棋盤には「ドンジャラ」のように吹っ飛ぶ仕掛けはないが、「ここしかない!!」という急所の地点に自分の駒を打った瞬間、相手の陣形が木っ端微塵に吹き飛ぶ“絵”がイメージとして見えることがあるのだ。
しかし動きの中で「急所」が現れるのはたいていの場合ほんの一瞬…見逃せば次の瞬間には消えていく。
常に緊張感を持って挑まなければならない。これも格闘技と同じ。

最初に駒を並べる時、王様を中心にしてほとんどの駒は左右対称に並べられるが、一組だけ右と左で違う駒が配置される。これによって心臓の位置の違いで左右の急所にズレが起こるように将棋にも「右」からの攻めと「左」からのそれに違いが生まれ、当然、守り方にも左右の違いが出てくる。
最も攻撃能力の高い「飛車」という駒が最初は右に配置されていることから、基本的に将棋はどちらも“右利き”の体勢で始まるが、この「飛車」を左に回す構えもよく使われる。
“北斗”に譬えれば、心臓が右にあるという先天的な奇形を自ら利用して北斗神拳を封じたサウザーのような戦い方もアリ…といったところ。

ケンシロウとレイが悪党の策略にハマり、互いに戦うことになる場面があった。
しかし、二人とも互いに構えたまま動けない…相手が動くのを待っているという状況…。
将棋でも実力者同士になるとしばしばこういうことが起こる。
どちらもスキのない構えを見せ合うと、先に仕掛けた(=動いた)方にスキが生まれるので互いに動けなくなる。
しかし将棋のルールに「パス」はなく、自分の番になればどれかの駒を必ず動かさなければならない。
戦況に関係のない駒を動かしたりして時間を稼ぐ場合もあるが、いずれどこかで勝負に出なければならない。
そこでわざとスキを見せて相手の仕掛けを誘う。しかし相手も分かっているので簡単には乗ってこない。
こうして互いにスキを見せ合う展開が戦況をますます複雑にし、少しでも油断すれば思わぬ落とし穴が生まれる。
ギリギリの集中力が要求される一触即発の場面の連続…これぞ将棋の醍醐味。

勝負が白熱してくるとテンションが上がり、ドキドキしてくる。一瞬でも油断したら致命傷を負いかねない。
いつしか互いにオーラ(闘気)を放ち始めることも…。
少しでも強く大きなオーラを放つ方が主導権を握れる。
相手の闘気に呑まれたら負けだ。“剛”の気を“柔”の技で受け流す人もいる。
やがて本格的な戦いが始まれば互いに無傷ではいられなくなり、血飛沫をあげて拳が交じり合う。
まさに“肉を切らせて骨を断つ”戦い。。。

アカン、熱くなってきた…ε-(´o`;A

…高校卒業後、三年間の浪人生活。
この間は相手がいなかったこともあって少し将棋からは離れていた。
が、やがて郵便局に就職が決まると今度は職場で再び将棋相手を探す毎日に…。
当時の郵便局はまだまだ男性の職場だった。
郵便配達をしている荒くれ男たちにとって昼休みの将棋は大切な息抜きの時間。
僕はその中に飛び込んでいった。

しかし…。
ここの男たちの将棋に出会って、また大きなショックを受けることになる。

それまで僕は教科書どおりの将棋しか知らず、教科書が全てだと考えていた。
ライバルたちも皆、教科書を読んで腕を磨いてきた連中ばかり。
「僕だって本を読んで基礎から勉強してきたんだ。そう簡単に負けるはずがない…」
そう思っていた。

しかしここで昼休みに繰り広げられる盤上のバトルはどの本にも載っていない個性的な戦い方ばかり。
僕が学んだ将棋が「型から入る正攻法な拳法」なら、ここでの将棋はまさに「ストリートファイト」的な問答無用のケンカ殺法。
そして「正攻法」が「ストリートファイト」に負けたのだ。何回やっても負けたのだ。
ショックだった。あらためて自分の未熟さと将棋の奥深さを思い知らされた。
少しばかり北斗神拳をかじった末弟ジャギも、ケンカ拳法のアインと戦っていたら破れていたかもしれない。

将棋の戦いの中でこんな言葉が使われることがある(※専門用語ではない)。
「間合い」「タイミング」「揺さぶり」「挑発」「奇襲」「破壊」…
さらには「華麗」「変幻自在」「秒殺」「空中戦」「四次元殺法」「光速」…
そして職場での将棋には更にこんな表現も(?)加わる。
「一発芸」「チンピラ」「ナメる」「イカサマ?」「イケイケ!!」「口で将棋をする???」…

本当に才能のある人(センスのいい人)が教科書を学べばめちゃくちゃ強くなる。
ストリートファイトは所詮、勢いだけのケンカみたいなもので、本当に強い人には通用しない。
しかし僕は相変らず技を知識として追うばかりで、それらの奥にある言葉では表せない直感的な身のこなしが無意識にできるまでには至っていなかった。
技をかける度にイチイチ理屈で検証していては格闘技の実戦は戦えない。
それ以降ここでの昼休みは一から出直すような“修行の時間”となった。

将棋をしてると僕の中にも闘争本能があるんだなぁと感じる。
どんな勝負事もそうだと思うが、将棋でもいざ手合わせをすると互いにその人の人柄や人間性が出てくる。
格下の相手でも全力で戦う人、相手が格下だと見るとナメてかかる人、そこで手を抜いて負けると言い訳をする人、負けても悔しがりもせずただニヤッと笑う人(←一番タチが悪い。「本気を出せばお前にはいつでも勝てるんだゾ」という顔)。
また攻めっ気の強い人、必要以上に守りにこだわる人…。

僕は将棋に負けるとめちゃくちゃクヤシイ。三回も続けて負けると、もうしばらく将棋がイヤになる。
そして勝った時、相手がクヤシがればクヤシがるほどウレシイ…。
しかし、何十回負けても平気な顔して将棋を楽しむ人もいる。
将棋の世界にも“S”と“M”がいる(?)ようだ。

将棋で、相手の王様をいよいよ追い詰めることを「寄せる」という。
「これは寄るんじゃないか」「いい寄せがありそうだ」「互いに寄せ合いの場面…」などというふうに使うが、プロの谷川浩司九段(H18.2現在)は同じプロ仲間でさえも驚くほど寄せ方(終盤の追い込み方)が速いため「光速の寄せ」などと評された。なんてカッコイイ表現!!
この“速い”という感覚、将棋をされない方にはおそらく分かっていただけないかもしれない。残念だ。
(決して駒を打つ腕の動きが速いなどという意味ではありません…念のため)

さて身体の都合で郵便局もリタイアすることになり、またしばらく将棋から遠ざかっていたが、やがてある障害者関係の団体が市役所の一室を借りて将棋教室を開いたという話を聞き、顔を出すようになった。
そこである年配の方と出会う。
この方の棋風は正に“柔”の拳。自分からは攻めずに相手の気を受け流す…。
しかし何もしないわけではない。相手の動きに合わせて臨機応変に構えを組みなおし、常にどこから攻められても応戦できる間合いをとりながらひたすらチャンスを待ち続ける。
攻めっ気の強い僕は、つい自分から先に攻撃を仕掛けてしまう。そして気が付くと相手の間合いに踏み込み過ぎて返し技を喰らう。
…強い人だった。
先に攻撃を仕掛けるのが悪いわけではない。しかしこちらが血気に逸(はや)って浮き足立ってる間も向こうは堅丈な構えを固め続けている。それに見合う構えをこちらも用意しておかなければ、いざ攻め合いになった時に不利になるのは当たり前の話。
この方との戦いで血の気を抑えて“機を待つ”とか“我慢する”ということを学んだ。

そう言えば、落語や時代劇なんかの一場面で長屋の住人たちがひとつの将棋盤を囲んで盛り上がってるシーンをよく見かける。時には「待った」をするかしないかでケンカになったり…。
「あっ、その手、待った…」
「いーや、待てねェ」
「そう言わずに一回だけ、な、頼む、待ってくれ」
「だめだ、待てねェつったら待てねェな」
「なんだとこのヤロウ、一回くらいいいじゃねェか…!!」
…ってな具合だ。
僕は相手の「待った」を許したことはあっても自分から「待った」をかけたことがない。
一応、ささやかで地味な自慢(?)だ。
しかし白熱した好勝負の中、たった「一手」のとんでもない失敗で窮地に陥ってしまった時、それでも「待った」をせずに勝負を続けたら最後はどうなるか?…よほどの大逆転でもない限りたいていは“玉砕”で終ってしまう。これでは相手も勝った気がしなかったり…。
大会などの公式戦でないのなら、あまり意地を張らず適当に「待った」をするのも愛嬌。
負けず嫌いもいいけど「将棋は楽しく」が一番だ。

ところで僕が毎週通う通所施設に、なんとプロ棋士の伊藤博文先生が毎月教えに来られていたのだ。
それを聞きつけた僕はすぐに飛んでいって指導対局をお願いした。
先生はいつも一度に十人くらいの生徒さんと将棋を指す。
対局中、参加者全ての駒の動きを最初から覚えているのだ。
そして対局後には今の戦いを振り返って的確にポイントを指摘してくれる。
気さくで優しい先生だが、やはりプロの指導はめちゃくちゃ勉強になる。
ンなわけで今も施設に先生がこられた時は合間の時間を見つけては教えてもらっている。
プロの先生に直接指してもらえるというのは将棋好きには夢のような話なのだ。

先の市役所でやってる将棋教室にはその後の事情でもう通っていない。
しかし今はインターネットで家にいながら世界中の人と将棋ができる素ン晴らしい時代。
ネット将棋の有名どころと言えば「Yahoo!!」「将棋倶楽部24」「ハンゲーム」などがあるが、気軽に楽しむなら「Yahoo!!」が一番手っ取り早い。
インターネットだから大阪に居ながら北海道や九州の人、更にはカナダに留学中の学生と手合わせしたこともある。

「昨日の敵は今日の友」などというが、ネットで見ず知らずの人たちと指していても互いに全力を出し切り最後まで熱のこもった面白い戦いができたりすると、なんとなく相手と通じ合うものが生まれたりする。
負けても爽やかな、気持ちのいい戦いというか…。

こうして書き連ねてみると僕がたいそう強いみたいに思われるかもしれないが、そうではないのだ。
実は未だに初段にも程遠い…トホホ。才能がないのかもね。
しかし昔はいつも「もっと強くなりたい」とばかり思っていたが、今は「もっと楽しもう」というスタンスで将棋盤に向かえるようになった。

いつか年を取っておじいちゃんになったら、縁側のある家で日向ぼっこしながら近所のおじいちゃんたちとの〜んびり将棋でもしたいなぁ…。
お茶とヨウカン食べながら、その隣りで猫のタマが「ニャ〜」とか鳴いてたりして…。

 
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