「日の丸」はかわいそう!?
国歌を持たない国はあっても国旗のない国は聞いたことがない。
僕が知らないだけかもしれないが…。
子供の頃に世界中の国旗を合わせる神経衰弱式の卓上ゲームが流行って、僕もよく遊んだ。
このゲームのお陰で僕らの世代はいろんな国旗に慣れ親しむことができたが、それぞれどの国の旗かについては全く覚えていない。
もう三十年近くも前の話なので今では世界地図からその名が消えてしまった国も少なくない。
世界には国の数だけ国旗があり、そのデザインも単純なものから複雑なものまで様々だが、日本の国旗「日の丸」ほどシンプルでシンボライズされたものは他にないだろう。
ここで「日の丸」について少し調べてみた…。
国旗としての「日の丸」は正式には「日章旗」というらしい。
言うまでもなく太陽を象徴とした文様で、その歴史は古く平安時代より遙か昔にまで遡(さかのぼ)るとされる。
元々は九州の島津藩が海外交易用の旗として使っていたのを、開国時に商船を区別する旗として江戸幕府が正式に採用したのが国旗として使われ始めた起源だとか。
その後、日の丸は、明治政府、日本国政府に引き継がれ国旗として利用されるが、日本国では正式に国旗を制定する法律が無く、平成11年(1999年)の「国旗及び国歌に関する法律」で初めて正式に国旗として認定された…。
以上がネットで調べた基本的な情報だ。
どんな小さな国でも何かの記念日やセレモニーがあれば自国の国旗を高らかに掲げ、国民も小さなそれを誇らしげに振る。
しかし、こと日本ではちょいと事情が違う。そのことが悲しい。
「日の丸」は「君が代」と並んでよくイデオロギー論争の場に引き出されるが、その度に僕には「日の丸」の悲鳴が聞こえるような気がしてならない。
卒業式の季節になると国旗を掲揚したorしなかったとか、その際、教職員の一部が起立したorしなかったの騒ぎをチラホラと聞く。
そして前述1999年の「国旗及び国歌に関する法律」施行以来、法に背いて起立しなかった者は堂々と処分の対象として“格上げ”されるようになった。
そして、処分に対する控訴とともにこの法律自体が違憲かどうかをめぐって現在もあちこちで係争中…。
「君が代」の章では個人的にイデオロギー論そのものには触れなかったが、ここでは少〜しだけ書いてみたい…というか、それを書かずには話が進まないので。
僕個人としては「君が代」はキライだが「日の丸」は世界に誇れる見事な国旗だと思っている。
しかし、これはデザインの見事さに対する右脳の反応を率直に述べているだけで、イデオロギーを語ろうとすれば立場は変わる。
まず先の法律には絶対に反対したい。
理由はありきたりだが、愛国心の象徴としての国旗や国歌は決して国家権力に強制されて掲げたり唄ったりするものではないからだ。
少なくとも大日本帝国時代、「日の丸」のもとにアジア諸国をひれ伏させた歴史を真摯に振り返るなら、こんな法律は簡単には作れないはず。
しかしこの法律以前からある「右vs.左」論争の中での「日の丸」の捉え方は、そろそろ時代遅れのような気もしている。
もちろん、誰もが天皇を神だと信じる時代を生きた人たちがこの国の政治を執り続ける限り、そしてその人たちが「今一度あの時代を…」と腹の中で望み続けている限り、時代を逆戻りさせないための戦いに「日の丸」を引きずり出し、悪のシンボルとして血祭りに上げて叩かざるを得ない…その気持ちはわかる。
しかし現代の多くの人たちが「日の丸」をどう見ているのか、例えば卒業式で「日の丸」を叩き「君が代」を拒むことで、今の学生たちがどう感じているのか、彼らに何が伝わっているのか、ただ「日の丸」が無意味に傷つけられているようにしか思えない時がある。
本当は誰もが卑屈な思いをせずに堂々と自国の国旗を掲げたいはず。しかし過去に犯した過ちをめぐって右と左からちぎれんばかりに両手を引っ張られ続ける日本の国旗「日の丸」。
「日の丸」を叩くこと以上に、帝国が犯した過ちを後世に伝える方法は他に無いものだろうか。
これが今、僕が左脳で感じている「日の丸」イデオロギー論争への正直な思いだ。
かっちゃん流の感覚で言えば「日の丸」そのものには何の罪もない。
本来、天皇なんかよりはるかに意味のある日本の“象徴”として国民の誇りと共に世界を駆ける使命を担うもの。それが上からは不似合いな法律のスポットライトを浴びせられて無理やり吊り上げられ、下からは反権力闘争の人柱(ひとばしら)として海の底に沈めるための重しを幾重にも掛けられ…。
「日の丸」の“悲鳴”が聞こえるのは僕だけ?
様々な理由で激しく対立する国家間・民族間では、レジスタンスらが抗議の意味で相手国の国旗を焼き払ったりする映像を時折、見かける。
しかし自国内で毎年これほどの騒ぎに巻き込まれ、揉みくちゃにされる国旗は他にあるだろうか。
もし「日の丸」に心があったら、今どんな思いだろう。きっと言いたいことがたくさんあるはず。
誰が聞かなくても僕だけは聞いてあげたい。