おごるな!!デジタル


ナンチャッテ…本当は自分への戒めである。
アフリカの奥地では知らないが、私の周囲にはもはや意識すらさせずにデジタル技術の洗礼を受けた機器が並んでいる。
この十数年の間に“デジタル”がこの国を席捲してきた様は、まるで地面から湧き上がって見る見るうちに人家に侵入し、柱を伝い屋根を這い、あっという間に目に見えるものすべてに感染して街全体に広がる未知のウイルスのようなイメージだった。
今、デジタル技術は少なくとも学生時代には想像もしていなかった生活を僕に見せてくれている。

学生時代、自分で作曲した唄を録音したくてデジタルシンセサイザーを買った。
アナログの時代ではせっかく時間をかけて作った音源の設定を保存することができず、次の音を作れば前の音の設定は無効になり、後はメモを見て再現するしかなかったらしい。
つまみ類の調節もすべて目分量。全く同じ音を再び作るのは至難の業だったろう。
デジタルシンセになって設定がすべて保存できるようになった。つまみ類の調節もすべて正確な数字で表示されるようになった。

子供の頃はよく好きな歌をカセットテープに録音したが、50分のアルバムをテープに録音するのに50分以上かかった。それが当たり前だった。失敗すればその倍の時間がかかる。でもよく失敗した。録音レベルの調整がまずくて音がこもったり、逆に音が割れたり…。
テープの中で聞きたい歌を探すのにも時間がかかった。目印なんてついてない。カンで探す。
今は50分のCDをMDに録るのに5分かからない。“頭出し”なんて意識ももうない。頭から出て当然…。誰のお陰か?デジタル様のお陰である。

メールが普及し始めて友達と文章だけでなく写真や音楽などいろんなものをやり取りするようになった。手紙と違って紙がいらない。読みたいときだけ出てきて読み終わったら隠れる。何万通来てもきちんと隠れる。誰のお陰か?デジタル様のお陰である。

フイルムの要らないデジタルカメラ。何百万枚撮ってもネガなんて邪魔にならない。いくらでも“撮り直し”が利き、撮った後でさえいろいろと写真の中身をいじくることができる。
誰のお陰か?もちろんデジタル様のお陰である。

三年前に買ったパソコンを中心にして、さらに私の生活の“デジタル化”が急速に進んだ。
インターネットを使って郵便局や銀行の自分の口座を管理することも覚えた。家にいながら送金もできる。私のような障害者でなくても便利だ。
今もベッドで綺麗なディスプレイ画像を見ながらこの文章を打っている。分からない漢字は辞書ソフトで事足りる。気晴らしに世界中の人たちと将棋もできる。音楽もラジオも聴ける。野球の試合結果も今日のニュースもすぐわかる。思いついたら買い物もできる。代金もベッドに寝ながら払ってしまえる。
昔見逃したテレビ番組のDVDもこのまま見れる。タイムスリップのような感覚…。
週末、友達と約束した映画館を地図で探すこともできる。分からなければその場で友達とチャット(画面上での文字会話)するのもアリ。
サークル活動のアイデアが浮かんでもメモ用紙は要らない。この画面上にいろんなメモが並んでいる。ごちゃごちゃしてきたら画面上に“棚(フォルダ)”を作っていくらでも整理できる。
画面の隅では時計ソフトが動き、カレンダーや今週の予定表もある。
携帯電話もパソコンにつないだ。住所録やメールが簡単に保存できた。
デジタルカメラもつないだ。姪っ子の写真が簡単に保存できた。
オーディオデッキやミキサーもつないだ。昔のカセットテープの曲を保存した。頭だしがめちゃくちゃ簡単になった。
これらはみんな誰のお陰か?もちろんみ〜んなデジタル様のお陰…。

しかし…。
この前インターネットに必要な「モデム」という中継機器の調子が不安定になり、三日ほどネットが使えなくなってしまった…。
メールが使えない。ニュースも分からない。買い物ができない。ラジオも聴けない。誰かと将棋もできない…。
三日間、他に何ができるのか…考えてみた。わからないのだ…何をして過ごせばいいのか。
パソコンそのものが壊れたわけではないが、それでも家財道具をほとんど失ったような感覚だった。これがもしパソコン自体の故障だったら、今までのメールや住所録、日記、写真、音楽、大切なメモ、仕事の資料、地図…などの全てを失うところだった。

生活の中で必要なあまりに多くの仕事の補助を、たった一台の“機械”に頼り切ってることの危うさを実感した。
常々パソコンオタクにだけはなりたくないと思い、パソコンと言えどもハサミと同じ“道具”の一つに過ぎないのだと自分に言い聞かせてきたつもりだったが、気がつくと何をするにも「パソコンでできないものだろうか?」という一極的な発想に陥り、パソコンを全能者のように崇め敬う僕(しもべ)になっていた。

パソコンを買うまでは夜はベッドで本を読んだりラジオを聴いたり携帯で友達にメールしたり、それで十分だったはず。
一日の出来事を思い返す余裕もあった。
部屋のあちこちに紙のメモや楽譜も散らばっていたが、別に不便でもなかった。
もちろんパソコンが悪いのでもなければネットが悪いのでもない。
ただデジタル技術は宿命的に一台の機械、ひとつのボタンにより多くの機能や付加価値を持たせる方向へと進化し、さらにこれから家電などの分野でも一台であれもこれもできてしまう怪物を生み出していくことだろう。
将来、テレビなのか冷蔵庫なのかそれとも洗濯機なのかわからない…なんていうシロモノも出てくるかもしれない。(それはないか…!?^ ^;)
その“怪物”たちに呑み込まれないようにしなければと思うのだ。

よく「デジタル」と「アナログ」は対極的に論じられる。もちろん両者は対語ではある。
しかし同じ次元に並ぶものではない。
人間を含めすべての生き物…そして空も、海も、大地も、風も、光も、すべては“アナログ”な存在であり、「デジタル」はその中で生まれた情報処理技術のひとつ。
図体はバカデカいが、しかし所詮は道具…“ハサミ”に過ぎない。

事務系のオフィスで年配の管理者たちがパソコンを動かすのに四苦八苦してる姿を見てきたが、毎回、分厚い本を何時間もかけて読みながらOA機器と格闘する間があったら、人力でやった方が速い時もある。

「自分はなぜこんなややこしいものと向き合ってるんだろう…」
「自分にとって今これがホントに必要なのか…」
「これのお陰でどれくらい仕事が捗ってるんだろう…」
「便利さと不便さをちゃんと天秤にかけただろうか…」

パソコンに慣れてくるとついつい忘れてしまう問いかけだが、いつまでも持ち続けるべき大切な視点だと思う。
デジタルの光が降り注ぐ環境の中で「自分にとってのホントウの便利さ」を見失わないために…。


 
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