200年後が見たくて…
僕は人類史の中で一番いい時代に生まれたように思う。
この国の人や社会がまだ健全で、生きてゆくのに一生懸命で、それでもまだ心にゆとりがあって、ほのぼのとした時間がどこの家庭にもあった時代に生まれることができた。
この国で何百年と受け継がれてきた伝統や言い伝えのいくつかを子供の頃に体験でき、素朴で熱い人たちと出会って人間としての生き方を教わり、過去数百年分以上に匹敵する科学の進歩と時代の変化を僅かの時間で目撃し、様々な魔法が生まれる瞬間・いくつもの人類の夢が叶う瞬間の中を過ごすことができた。
これがあと二十年早くても遅くても今の僕の幸せはきっとなかったと思う。
小さい頃、テレビゲームが無くてよかった。
おかげで折り紙をたくさん覚えた。本も読んだ。楽器にも夢中になれた。
いろんなことを空想できた。
家族で同じテレビを見て話をするゆとりがあった。
あと20年遅く生まれていたらゲーム漬けになっていたかもしれない。
電動車いすがあってよかった。
これが100年前だったら僕は自由に外を歩けなかった。
仕事をするどころか友達も作れずに死んでいたかも知れない。
家庭用の人工呼吸器があってよかった。
これが30年前だったら僕は二十歳代で死んでいた。
仮に20年前だったとしても、病院で一生を過ごすことになっていたはず。
胃ろうがあってよかった。
おかげで食べる力を失っても栄養をしっかり摂れるようになった。
20年前だったら、やっぱり今ごろ生きてなかったかも…。
子供が襲われない時代でよかった。
安心して街を歩けた。
あと20年遅く生まれていたら学校の帰り、おちおち寄り道もできなかった。
パソコンがあってよかった。
身体が不自由でもいろんなものが見れて、買えて、作れて…。
新しい友達にも出会える。
職場でも勤めていた十年の間に次々とパソコンが導入され、仕事の質がずいぶん変わった。
10年前だったらこんなホームページもなかった。
いい楽器があってよかった。
手が不自由でも音が出せる。表現が出来る。
20年前だったら僕みたいなド素人がこんなに音楽を形にはできなかった。
デイセンターがあってよかった。
光園があってよかった。
ハートパークがあってよかった。
みんなに会えて…。
ところで…。
冒頭に書いた「(今が)人類史の中で一番いい時代」という表現は、逆にこれから先の未来が必ずしも人類にとっていい時代になるとは思えないという意味を含んでいる。
僕は長生きをしたい。
せめて200年後の世界をこの目で見てみたい。
今、人類はすでに早急に解決しなければならないいくつかの課題に直面している。
これらの課題のほとんどは数百年も後まで引きずっていられるような生易しいものではない。
少なくとも200年後までには何かの答えが出ているはず。出さなければ人類に未来はない。
200年後…。
地球の温暖化はどこまで進み、どこまで食い止められているだろう。
人類全体の根本的な意識改革や何かの大発明がなければとんでもないことになっているはず。
化石燃料の枯渇はどこまで進んでいるだろう。
石油も石炭も今の時点でもう数十年分しか残っていない。
太陽熱発電と原子力発電、200年後の人々はその時どちらを選んでいるのだろう。
日本の少子化はどこまで進んでいるだろう。
再び人口構成グラフがピラミッド型になることはないにしても、逆三角形型に近づく一方では社会全体が精神的にちょっと辛すぎる。
「種そのものの衰退」という言葉が決してSF映画の世界だけのものでなくなってしまう。
200年後…。
心の病はどこまで解明されているだろう。
これはきっと薬だけでは解決できない問題のような気がする。
心の病を引き起こす要因がどのレベルでどこまで明らかにされているのだろう。
人類は生命そのものの謎にどこまで迫っているのだろう。
教育はどこまで変わっているだろう。
教科書検定制度はどこまで哲学と融合したものになっているだろう。それとも今より更に歪んだものになっているのだろうか。
天皇制はどうなっているのだろう。まだ続いてるのだろうか。
2005年現在、女性天皇を認めるかどうかの論議がにわかに熱を帯びているが、日本の象徴=社会のマスコットとして飼い続けるにはあまりに金(税金)がかかりすぎるペットだ。
200年後…。
北朝鮮はどうなっているだろう。
今の体制のままでは国そのものが200年ももたないと思うのだが…。
他国からの圧力と内側からの革命、この国を変えるのはどちらか。
世界中でテロ活動はまだ続いてるのだろうか。残念ながらまだ続いてるんだろうな。
彼らを追い詰めている理由は多様。彼ら自身もまた自分たちの正義を信じて命を賭けている。これを力だけで抑えようとしている間は決して光は見えないはず。
200年後…。
生態系全体の生命力はもっともっと弱くなってる気がする。絶滅種もたくさん出てるだろうな。
人の身体機能もきっと変化してるはず。
人はまだ歩く時の手の振り方を覚えているだろうか…。
足と交互にではなく、一緒に手を出す子供たちがたくさんいたりして…。
少し夢のある話もしよう…。
200年後、スポーツの記録はどこまで伸びているのだろう。
まさかフルマラソンで二時間を切ったり、百メートルを八秒台で走る人間が現れたり…なんてことはあるんだろうか。タイムレースに限界はないのだろうか。
どちらにしても記録のために悪魔に魂を売るような行為がないことだけは祈りたい。
医学はどこまで進歩しているだろう。
風邪の特効薬なんてできてるのかな。ガンは完全に制圧されてるのだろうか。
僕のような筋神経疾患の治療法はきっと確立されていることだろう。
200年後、宇宙はどこまで解明されているのだろうか。
光の速さに近い乗り物はできているのかな。ワープなんてまだ机上の理論なのかな。
探査機を太陽系の外に送るくらいは可能になっているはず。
宇宙旅行はもう普通のビジネスになっているだろうな。
もしかしたら移住可能な宇宙施設も存在しているかもしれない。
…ふと、こんなことも考える。
200年後、割り箸や爪楊枝、ティッシュや漫画本は消えているかもしれない。
だって木が足りなくなるもん。でも合成○○とかに形を変えてるかもね。
障子貼りや草鞋(わらじ)編みの文化なんて、知っている人はいなくなるだろうな。
おせち料理も…。
今は瞬間冷凍とかで人を数十年、老化させずに保存できるらしい。いや、もしかしたら数百年も可能かもしれない。
まるで映画「デモリションマン」の世界だ。
しかし生命の掟に逆らってまで長生きをするつもりはない。
この方法だと時代の変化を見つめることは出来ない。
人類が何に気づき、何に目覚め、どんな努力をしていくのか、その様子を見届けたいのだ。
長生きはしたいが浦島太郎にはなりたくない。
果たして200年後、人の心は…?