君が代
私は軍歌が好きだ。もちろん右翼ではない。支持もしないし知り合いもいない。
だが歌詞の内容は別として、軍歌には人を力強く鼓舞するリズムがある。
メロディーだけを聴けば人を元気にする力がある。当然だ。これから戦争へ行こうとする人たちやその家族を励ますという宿命を背負った歌なのだから…。
しかし「君が代」は嫌いだ。イデオロギーの話は抜きにして、その上でなお嫌いだ。
軍歌集モノでよく取り上げられる「君が代」だが、ジャンルで言えば軍歌ではない。そして1999年までは正式には国歌でもなかった。
詳しくは分からないがジャンル的には“古歌”という概念が最も相応しいらしい。
法制化のはるか以前から慣習的に国歌として歌われてきたこの歌、子供のころからずっと思っていた。
“大人たちは皆この歌が好きなのだろうか…”
もちろん、年配の方達にはこの歌の向こうに様々な思い出や情景があることだろう。単に歌の好き嫌いでは語れない想いだ。その方達から「君が代」を奪う権利は誰にもない。
しかしそれは一般の歌謡曲・懐メロの類と同じレベルの話だ。
“「国歌として」皆、いい歌だと思っているのだろうか…?”
…いつもそう思っていた。
「国歌として」、歌詞の意味を正しく理解している人がどれほどいるのだろう…。
「国歌として」、旋律に心を打たれる人がどれほどいるのだろう…。
プロレス、ボクシング、相撲などスポーツの世界では大きなセレモニーの時には必ず流れる。
オリンピックで日本が金を取っても流れる。
文化的習慣とは恐ろしいもので、これを聴くとやはり“日本”を意識し“日本人らしさ”を感じてしまう。
しかし、どうしても好きにはなれない…。
ひとつの国の伝統的な楽曲、歴史的に意味のある楽曲として保存する価値は十分にあることだろう。
だが、切り離すことのできないイデオロギーの問題を引きずってまで国歌の地位を与えるほど魅力のある歌だとは思えないのだ。
スポーツのセレモニーで海外の選手が参加するときは「君が代」とともに相手の国歌も流れる。
その間、海外の選手の場合は胸に手を当てて共に口ずさんでいる光景も珍しくない。中には自国の国歌を聴いて涙する選手もいる。
もちろん大舞台で感極まったせいもあろう。
しかし、「君が代」を共に口ずさむ日本人選手はあまり記憶にない。ましてや泣く選手をや…。
柔道の斉藤仁選手がいつかの五輪で「君が代」が流れる中、唇を震わせて表彰台の上で男泣きした。
これはそれまでの長く辛かった状況がそうさせたのだ。「君が代」でなくても泣いたに違いない。
日本はいつになったら皆が自分たちの意思で誇りを持って国歌を歌えるようになるのだろうか。
国歌が流れるたびに卑屈な思いをするのはもういやだ。
かっちゃん的理想を言えば2000年のミレニアムを記念して新しい日本の国歌を広く国民から公募…なんていうのがベストだった。
が、今となっては時遅し。
日本国憲法に照らして「君が代」は国歌として相応しくないと主張する皆さん、「君が代」の批判ばかりでなく「君が代」にとって代わる新しい国歌を作ってしまいませんか…。
みんなに愛される、素晴らしい国歌を…。