入院…その弐〜ああ愛しのオッチャンたち
僕のようにあちこちの病院を入院ハシゴしているといろんな入院患者たちと出会う。
大部屋での入院だと互いに見ず知らずの人たちがある日突然、24時間同じ屋根の下で共同生活することになるワケだ。
ここではお互いを仕切るのは薄いカーテン一枚のみ。プライバシーも何もあったものではない。
この空間で長期入院になれば、お互いどういう人間なのかはもちろん、普段は人に見せない細かいところまで見えてくる。
中にはホントにユニーク、というか変わった人、印象に残る人、そして忘れられない人たちも。例えば…。
Mさんというオジサンがいた…。
なんとなくポパイに似た職人気質のおもろいオジサンだった。とても可愛がってもらった。
入院中、病院一階のロビーにある水槽の金魚に餌をやるのが日課だった。
(餌やりは禁止だったと思うが…。)
このオジサン、お腹の手術をすることになって子供のようにビビリまくっていたのだが、毎晩夜中に給湯室からお湯を運んできてカップラーメンを食べるのをやめない。
いつも夜中になると隣のベッドから「ズルズルっ…ズルズルっ…あ〜ウマ…ズルっ」そしてイヤホンで深夜のお笑い番組を見ながら「ゲッハッハッハッハッ…」という笑い声が聞こえてくる。
うるさいっつーの!!。
ベッド横のキャビネットには「赤いきつね」「どんべえ」「カレー○○」などがいつも入ってて僕もたまにもらって食べた。こういう所でコソッと食べるのがまたオイシイ。
手術は成功、無事退院して行った。
軍隊に行った経験を持つIさんというジイサンがいた…。
ある日、戦地で歯痛に襲われ七転八倒したらしい。しかしそこは戦場、歯医者などいない…。んで、なんと工具兵(軍艦の修理班)にペンチで歯を抜いてもらったというのだ。麻酔なんてあるわけない。しばらくは顔が三倍くらいに腫れ上がったとか…。
だから戦争はコワイ…。でもその話を聞いて大笑いした。
Nさんというオジサンがいた…。
昔テキヤをやってたそうで、一見してそのスジのお方かと思うようなちょっと怖い顔(まゆ毛も薄いし…)だったが義理人情には厚いとても優しいオジサンだった。
夜になるといろんな話を聞かせてくれた。学校では絶対教えられないような話も…。
肺の病気で酸素ボンベを持ち歩いてチューブを鼻につけ、いつも口を軽くすぼめての呼吸を心がけていた。
ほんとは毎日、呼吸が苦しいのだ。
「それを紛らわせるために毎日アホなこと言うて笑うてんねや、ハハハ…」
いつも僕の食事の後片付けまでしてくれた。もう一度会いたいなぁ…。
Fさんというジイサンがいた…。この人もメッチャおもろい人だった。
駅前で果物屋を営んでいたが、野菜やお菓子、タマゴも置いてあり何の店かよく分からない。
立派な体格のこのジイサン、もう齢(よわい)八十だというのに身が軽く、まるでニンジャのように俊敏にベッドから跳ね起きる。とても肺の病気だとは思えない。
この人の整理棚の中身がワケわからん…。金づち、スパナ、ヤスリ、ハンダごて、ドリル、壊れかけのカメラにラジオ、…etc.。ここへは一体何しに来たの?と言いたくなるような道具がぎっしり…。
入院患者たちの便利屋として毎日“仕事”をしてたが別に大工ではない。
若い頃から機械いじりが好きだったみたいで、どこも悪くないモノまで分解しては楽しんでた。
ある晩のFさん、夜中に起きて爆音の電気マッサージ器を使い出したのだ…。
「バリバリバリバリバリバリ…ッ」
これには同じ部屋のもう一人のオジサンも激怒。看護婦からも注意をくらったのは言うまでもない。
また別の日の夜中には、飛び起きた際にマックスボリュームで聴いてたラジカセのイヤホンが本体から抜けてしまい、瞬間、その病棟はおろか上下階にもとどろき渡るほどの大音響が流れた。
何かと“お騒がせ”系のユカイなジイサンだったが、退院した後、一度タマゴを持ってウチを訪ねてきてくれた。
Sさんというオジサンがいた…。
昔はタクシーの運ちゃんだったそうで俳優の藤田まことや大村崑も乗せたことがあるとか。藤田まことは自分みたいな者にも礼節正しくチップも弾んでくれたと話してた。
タクシーの運ちゃんは常にタクシー強盗に備えているそうで、後ろから刃物を突きつけられたら相手に分からないように近くのタクシー仲間に信号を送る方法があるそうだ。
自身も何度もそういう目に遭ったらしく、「殺すなら殺せ!!」と凄んで撃退したこともあったという。
度胸が据わってないとできない仕事やなぁ…。
ちょいとガンコだがコーヒーの好きな優しいオジサンで、いろいろと世話になった。
Tさんというジイサンがいた…。
確か八十になると言っていたが何か事業をやっていたらしく、病室に背広姿の役員らしき人たちがよく見舞いに来て「会長!!…」と呼びながらいろいろとお伺いを立てていた。
このジイサン、背広のお兄さんたちの前で電子手帳を広げて今後の段取り等を指示し、新しい予定はその場で専用ペンで打ち込むというハイテクじーちゃんなのだ。
入院する前に奥さんに内緒でデジカメを買い、病室まで持ってきて初めて箱を開けて説明書を読み始めた。
「よう読まんと解らんわ…ハハ…」
それでも根気よく読むところがスゴイ。ウチの親父も見習ってほしいものだ。
デジカメの試し撮りでモデル(?)になってくれと言われ、撮った写真を記念にもらった。
家ではワープロも使いこなしているそうだ。こんなじーちゃんなら長生き人生も楽しいだろう。
Wさんというオジサンがいた…。
温厚で優しいオジサンだった。
ナショナルの音響関係の技術部で働いていたという。
ラジカセやビデオデッキ等のウラ技を教えてくれたり、レコードとCDの違いを説明してくれた。
興奮したなぁもう。こんな所で音響エンジニアの話が聴けるなんて…。
音楽の好きな人でもあったので病室で僕が作った曲を聴いてもらったことも…。
一足先に退院された。もっと聞きたいことがあったのに…。
よく奥さんが手料理を持って見舞いに来ていた。夫婦ともにとても親切にしてくれた。
ある日、奥さんが僕のためにエビフライを作ってきてくれたことがあった。出来立てのエビフライはめっちゃ美味しかった…。
こんなふうに患者だけでなくその家族や見舞い客にもいろんな思い出がある。
ある時は病室で患者を見舞いに来た奥さんと愛人さん(?)がハチ合わせして修羅場になりかけたことも。やめてよー、こんなとこで…。
奥さんはそれきり来なくなったが、愛人さんは毎日朝からその人に付きっきりだった。患者はおとなしいオジサンだったが愛人さんはとても明るくて楽しい人だった。
別のオジサンの奥さんはとてもイケズなオバサンで、若い看護師をイジメて泣かせた後、僕に舌を出して笑ってみせた。なんちゅー意地悪ババァ、旦那はとてもおとなしく気の小さいオジサンなのに。
パーキンソンで入院してきたオッチャンがいた。なぜかすぐにパンツを脱ぎだす癖がある。いくら看護師に注意されても少し目を離すとすぐ下半身ブラブラ状態。言葉は少ししゃべれるが辻褄が合わない。やはり思考にも病気の影響があるみたいだ。
このオッチャンが初めて僕に話しかけた言葉が「兄ちゃん、ストリップ行ったことあるか?」だった。
「わしな…昔な…ストリップ経営してたんや。今度な、連れて行ったるわ…な…。」
「ほんまかいな。楽しみにしとくわ。」
オッチャンがそれくらい元気になってくれたら家族も喜ぶだろうが…。
このオッチャンを毎日のように見舞うのが、息子のお嫁さん。この人には頭が下がったよ、ホント。
四十代後半のオバチャンだが、実の娘でもできないくらいの世話をしていた。
オムツの交換から毎日のリハビリまで、冗談言いながら時にはそのオッチャン(義父)を叱ったり窘(たしな)めたり慰めたり…。オッチャンの辻褄の合わない話にもじっくり耳を傾けて返事を返していた。すごいパワーだ。
お嫁さん本人は結構アッケラカンとしてたが、病室の人たちも皆感心していた。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)で入院してきたオジサンがいた。
病状が進み人工呼吸器をつけていたので、このオジサンの声は聞いたことがない。
わずかに動く手を使って文字盤を指して意思を通わす。
ここへよく奥さんと娘さんが交代で見舞いに来ていた。
ここの娘さん、目元の涼しいキレイなお姉さんで「ちょっと近寄り難い…」気がしてたが、向こうも当時無精ヒゲが伸び放題だった僕を見て「こわそーなクマ男」だと思ってたらしい。
んでもこのお姉さん、結構そそっかしかったりしてカワユイ…。
そのうち話をするようになったのだがひょんなことからメールアドレスを交換したが最後、毎日のように病室にメールを送りつけてくるようになった。あのねー、ここは病院でしょ!!ケータイ持ってるだけで看護師に睨まれるんだから…。看護師に囲まれて処置を受けてる時にメル着が鳴り、慌てたことも。
でも、ウレシかったぁ・・・。
こっちも看護師の目を盗んで返事を返したりした。励ましたり励まされたり、退院した今でもいい友達だ。
他にもいろんな人たちに出会ったなぁ。
カワユイ看護師(もちろん女性)さんたちにも…。
そこら辺の話の続きは「入院…その参」の章で…。(^.^)/~~