僕が車いすで散歩する理由…
「犬も歩けば棒にあたる」という諺があるが、僕はこの言葉の本来の意味を知らない。ネット上で調べればすぐ分かると思うが、何となくさほど役立ちそうな言葉とも思えないので意味分からずのままずっと過ごしている。自分ではたぶん「家にいないで外に出てみれば(=何かの行動を起こせば)新鮮な発見に出会うこともある」といった類の意味だろうと勝手に解釈している。
ところでこの章には仰々しいタイトルが付いているが「…散歩する理由…」なんてそんな大層なものではない。ただ、車いすでブラッと外に出てみるだけでも結構いろんな人や出来事に出くわす。これが結構オモシロイのだ。
僕は小学校6年の時に今の街に引っ越してきた。以来、高校まで地元の学校へ行き、就職も地元の郵便局、体を壊して入院するのも地元の病院をハシゴ(?)してきたし、郵便局リタイヤ後も地元の地域イベントやサークル活動に首を突っ込んだりしている。
ず〜っとこの街の中で暮らしてきたのだ。
お陰で一歩外に出ただけで知ってる人や思いがけない人に出会うことも少なくない。
つい最近、よく行く郵便局の窓口で学生時代の同級生と十数年ぶりに出会った。今は幼稚園の先生をしてるという彼女、当時から少しハーフっぽい感じのお茶目な美少女でクラスのマドンナの一人だったが、二児のお母さんになった今も全然変わらず綺麗だった。(*^v^*)
友達と隣町のジャスコに行った時には昔入院してた時お世話になったカワユイ看護婦さんとバッタリ出会った。当時、一年目の新人ナースだったが今は退職して専業主婦だとか。ベビーカーを押しての買い物中だった。顔を覚えててくれただけでもウレシイ。
将棋教室等で毎週のように通う市役所でもいろんな人に遇う。
先日も、以前病気がちな母親をよく見舞ってくれてたこれまたカワイイ保健婦さんに偶然会った。
地域割りの都合で今はウチには来ないが、母のことを気遣ってくれていた。
…カワイイ子しか覚えてないのかって…?いやいや…。
僕が二年前まで勤めていた地元の郵便局は職員数200人を超える職場で、その8割くらいが配達員や貯金・保険のセールスパーソン(=昔でいうセールスマン)として毎日赤バイクで街の中を走っている。
皆さんも街を歩けばどこでも赤バイクや赤チャリを見かけることと思う。
(普段あまり意識してないかもしれないが…。)
僕も外に出ればたいてい一、二回は赤バイクに出会うが、仕事柄ほとんど全ての職員と日頃からよく話をしていたので、リタイヤして二年たった今でも街で出会えば声をかけてくれたり、クラクションを鳴らしてくれたりする。時にはバイクから降りて世間話をしたり…。
郵便局は実に転勤の多いところで最近は知らない顔も増えてきたが、やはり知ってる顔に会うとウレシイもの。
そういえばこの前、郵便局で昔アルバイトしていた人ともバッタリ出会った。
8年前に別の郵便局の正職員になったとか。元気そうで何より…うん。
そうそう、今日は昼飯を外で済まさなければならなかったので、以前よく行ってた隣町のたこ焼き屋へ入った。そしたらそこの常連のオジサンと久々に会い、昼間っからビールを奢ってもらった。
帰り道、田んぼの中で虫かごを抱えながら何か探してる小学生を見かけたので、声をかけた。
「何がとれるの?」「え〜と、おたまじゃくし…」「へぇー、おたまじゃくしかぁ…」
とても暑かったがヨッパラッてるのでなんか気分がよかった。
小学生の方は赤い顔した車いすのヤロウに声をかけられて驚いたかもね…。
車いすでひとり街を歩くといろんなハプニングにも出くわす。
僕はたまにひざの上からカバン等を落としてしまうことがある。でも体や腕の関節が硬縮しているので車いすから屈んで自力で拾うことができない。そんな時は通りがかりの人に声をかけて拾ってもらう。
でも、そんな時に限ってナゼか若いおねーさんは通らない…。ほんとナゼか…。
この間も持ってたハンカチを歩道で落としてしまったので周囲を見渡すと、向こうからコワそーな顔のオジサンがやって来るではないか。このオジサンをパスするとしばらく誰も来そうにないので、勇気を出して(?)声をかけてみた…。
「あの、すいません、ハンカチ落としてしまったんです。ひらっていただけませんか…」
するとそのオジサン、コワそーだった顔が急にニコッとやさしくなって、
「おお、これか、よっしゃ…」と気持ちよく拾ってくれた。
そして僕がお礼を言うと「兄ちゃんも気ぃつけて行きや…」と言って去っていった。
こういうスリル(?)も人生の醍醐味。珍しいことではない。渡る世間、いい人もいっぱいいるのだ。
ところでこんな時、僕は立ち去ったオジサンのその後の気持ちを想像してみたりする。
車いすで困ってる人にハンカチを拾ってあげたことで「今日はひとつ良いことをした」みたいな爽やかな気分になってるのか、「当たり前のことをしたまでさ」みたいなクールな感じなのか、それとも立ち去った瞬間からもう何か別のことを考えているのか…。
どちらにしても「自分たちの街に車いすの兄ちゃんがいる」「同じ地域で車いすの人が一緒に生きてるんや」という事実をほんの少し、例え記憶のほんの隅っこにでも残してもらえたのではないか、と思う。
少し大げさな話になるが、地域の中で障害者も含めて皆が互いに支えあえる社会を作っていくためにこういう些細なやり取りの積み重ねはとても大切なことだと思う。
「ひとつ屋根の下…」の章にも関連した内容を書いたが、障害者が地域社会で理解を広げるためには障害者自身が街に出て自分たちの姿を見てもらい、声を聞いてもらうことが必要だ。
“ブラ〜っと車いすで散歩に出かけるだけでもきっと社会を変えていく何かの要素になってるはず…”
そんなふうに思えるようになって最近は散歩も必ずしも時間の無駄だという気がしなくなってきた。
どう?決してカワユイ女の子ばかり探して街をうろついてるワケじゃないこと、わかったっしょ…?
…ま、それもあるけど…。(^―^)b