ストレス


「○○からくるストレス…」「ストレスによる△△△…」「ストレス社会…」etc.新聞や雑誌、テレビやラジオなどのメディアで「ストレス」という言葉を見聞きしない日がほとんど無くなった。
子供の頃はこれほど目にはしなかった気がする。
確かに今の日本、右も左も前も後ろも上も下もストレスだらけだ。
だがこの言葉、少し甘く見すぎてないか?
今やカラオケなどのレジャーもスポーツの類も“ストレス発散”の道具と化し、いろんな場所で“癒し系”をうたい文句にした商売が大流行だが、癒しがあればどんなにストレスがあっても帳消し…とはならない。
人間ひとりひとりが抱えるストレスもさることながら、社会全体が耐えることのできるストレスの量には限界がある。
はっきり言おう。日本の社会はすでにその限界を超えている。
仕事による過度のストレスは家庭での笑顔や会話を奪い、それが家族にとって新たなストレスを生む。そして家族の不満が仕事でのストレスを増幅させる…。
イライラしている客が増えれば店員もいつしかイライラするようになる。店員のイライラが応対ににじみ出れば、不愉快に感じた客はやはりイライラを持ち帰る…。
ストレスを溜めた親に育てられた子がストレスを溜め、その子たちを預かる教師がストレスを溜める。そして問題教師の噂が出ればまた親たちがストレスを溜める…。
社会全体が抱えるストレスの絶対量が減らない限り「ストレスぶつけたもん勝ち!!」の悪循環を断つことはできない。
「うつ病」など増加一途の心身の病をはじめ、相次ぐ信じ難い異常な犯罪、社会不安を呼ぶ奇怪な集団行動、人生の荒波を越えてきたはずの大人たちの自殺、輝きを失くした子供たちの瞳…。
社会全体から元気を奪っている要因として「不況」や「高齢化」など個々に考えるべき課題はあるが、それらが共通して生み出す負の産物が「ストレス」であり、人々の精神を蝕み続ける直接の要素であることは誰も異論ないはず。

ストレスを生む原因は何か。すべての要因を集約して1つの言葉で表すなら、それは「競争」だろう。
企業間で、個人同士で、自身が自覚しているか否かを問わず様々な「競争」が社会全体を支配し、精巧なアナログ時計の歯車のように機能している。

別に自由資本主義を批判するつもりはなく、そんなレベルで話しているのではない。
競争しない生き物はいない。避けては通れない競争もある。
ただ人間以外の生き物は自分たちの種の“器(うつわ)”をわきまえ、競争の“限度”というものを知っている。そしてすべてと“調和”して生きることを知っている。
この国では、激しい競争を勝ち抜いた一部の勝者たちがとてつもなくすごい勢いで“人間らしさ”と“調和”を置き去りにして合理化された文明社会を作り上げてしまった。
時代を逆戻りさせて…などと戯言を言うつもりはないが、しかし早すぎる時代変化の流れはどこかで一旦、止めるべきだ。
世界にはまだまだ日の出とともに起きて活動し、日が暮れたらもう何もしないという国がたくさんある。貧しくても人々の目が輝いてる国、人間本来のペースで働く国がたくさんある。
今のこの国の社会で皆が笑顔で生きていけるほど、ヒトはまだ進化していない。
“時間を止める”方法論については私の浅知恵では分かるわけもないが、競争原理とは別の次元で社会を導く深い哲学が必要だろう。

ひとりひとりがストレスの被害者であると同時にストレスの発生源であることを自覚し、そして時代の流れが人間のテンポを超えてることに気付こうとしなければ今に大変なことになってしまう。
「ストレスを残さないよう○○で心身ともにリフレッシュ!!」
…こんなノーテンキなことを言ってる段階ではもうないはずだ。
毎日ストレス人間に囲まれているかっちゃんは、そう思う。

 
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