ひとつ屋根の下…


「ひとつ屋根の下」…こんなドラマがあった。もう今から十年近くも前かな。
僕は一、二回しか見たことがないのだが、ひとつ屋根の下に暮らす兄弟たちの中に車いすの青年がいたのは覚えている。他に覚えてることといえば主役が江口洋介だったとか主題歌が「サボテンの花」だったことくらいか…。
ある夜、チャンネルを変えててたまたま見た時があった。
細かい結末は覚えていないが、たしか車いすのお兄ちゃんと盲目の少女が恋に落ちてしまうというストーリーで、少女の両親が車いすの男性との交際に反対していると聞いた彼の兄弟たちが「何とかしてやろう…」と話し合っている場面だった。
兄弟たちのほとんどは
「本人同士が愛し合ってるのにどうして付き合っちゃいけないの?」
「親がどうこう言うことじゃねぇだろ…」
みたいな勢いで話を進めていたが…。
(ここでこのまま“愛さえあれば…”的方向に走って最後がハッピーエンドになったりしてたら、説得力のないただのトレンディードラマで終わるのだが、そうでないのがこのドラマの名作と言われるゆえん。)

若さからついツッ走ってしまう兄弟たちを“アンちゃん”こと江口洋介が涙ながらにたしなめるのだ。
「オレだって二人を応援してやりたいよ…でもなっ!!…」
(ここでアンちゃんのセリフをもう少しまともに覚えてたらこの章にも説得力が生まれるのだが、残念…)
要するにアンちゃんの話は
「現実はそんな簡単な問題じゃないんだ。最後に傷つくのはあのお嬢さんかも知れない、その時、彼女やご両親に対してお前たち最後まで責任取れるのかよ」みたいな趣旨だった(と思う?結末を覚えてる方、教えて〜)。
良質のドラマだと思った…。
車いすの爽やかなオトコ前と盲目の美少女の恋という設定が現実的かどうかは別として、「障害者の恋愛」という当時の日本の社会ならまだまだ“フタをして逃げたくなる”テーマをゴールデン枠の中で真正面から扱った点で大きな意義があったと思う。

内容は全然違うが、酒井法子が健気(けなげ)な聾唖(ろうあ)の女性を演じて好評だった「星の金貨」というドラマもあった。ストーリーもさることながら若い人たちの間に「手話」への関心が広まるきっかけとなった番組として評価したい。
他にも常盤貴子が車いすの女性を演じた「ビューティフルライフ」などなど、ドラマの中の「障害者」像が少しずつだがより自然でリアルになってきたように思う。

僕の小さかった頃はまだ障害者の物語といえば、世間の荒波にも負けず、辛くても清く明るく生きていく“障害者本人のガンバリ”が全てであり、彼らを取り巻く周囲の視点やその在り方まで問える時代ではなかった。
障害者はこの上なく哀れでカワイソウで同情すべき人たちとして描かれ、それでも歯を食いしばって生きていく姿で人々の胸を打つというのが物語の中での“役割”であり、「障害者」という言葉の響きには悲壮感さえあった。
ま、時代が時代だったから仕方ないのだが、それでも僕はそんな物語を見るたび子供ゴコロに
「何か違う…」と感じていた。
僕は先天性(=生まれつき)の障害者だが、いくら鏡を見ても僕の顔には悲壮感のカケラも見つからない。
もちろん人並みに悩みはあるし落ち込むこともある。が、それでも人生はケッコウ楽しい。

今でも年配の、特におばあちゃんたちに出会うといかにも「カワイソウに…」という悲しそうな表情で僕を見つめながら「まぁ〜お兄ちゃん、気の毒やなぁ。でも親を恨んだらアカンで、頑張ってな…。」と憐れんでくれる方がいる。
こちらもそういう目で見られることには慣れているので適当にアイソして返すが、逆にこの人たちこそ本当は人生の楽しみ方を知らない人たち、自分や自分の家族がこういう体になったらきっと絶望のドン底に突き落とされてしまうと思い込んでる人たちなんだろうな、と思うとそちらの方がカワイソウに思えてきたりする。

しかし、ここ20年くらいの間にドラマの中の障害者像の変化と共に実際の社会の意識も大きく変わってきた。
特に若い人たちの感覚は確実に…。

僕がまだ高校を出てすぐの頃のエピソード…。ある日、知人から大学の学園祭に誘われた。
家からは遠いのでキャンバスまでは親父に車で送ってもらうことに…。
車いすは広い場所では電動を使いたいところだが車に積むのが大変なので手動式のものを持っていった。
校門を入ってすぐの待ち合わせ場所で車から下ろしてもらって親父を帰した後、僕はしばらく一人で知人たちを待った。
めっちゃ広い敷地で、学生やいろんな人がワイワイやっている。手動式だとあまり自由に動けない。

…とその時、見知らぬ優しそうな青年がひとり、何か言いたげに僕のところに近づいてきて…
「あの…、車いす押しましょうか…」
少し緊張した表情でそう声をかけてくれた。
「あ、いえ、ここで結構ですから…どうも」
しかし、彼はさらに緊張したような少し慌てた口ぶりで続けた。
「あ、あの、遠慮しないでください、押しますから…」
「いえ、ここでいいんです…」
「いえあの、だ、大丈夫ですよ、押しますから…」
しばらくそんなやり取りが続いて、あまり断るのも悪いので
「じゃ、そこまでお願いします…」と何の用事もない適当な場所まで車いすを押してもらい、そこで彼に礼を言って別れた。
ここの大学生だろうか…彼の姿が見えなくなるのを待って、そこから自力で元の場所まで戻ってきた。

彼は広い構内でひとりポツンとしてる車いすの僕を見て、とっさに「何か手伝ってあげたい…」と思った。
そして声をかけてくれた。でも、その時の表情からしてそれは彼にとってすごく勇気の要ることだったのだろう。
ところが勇気を出して声をかけたものの「結構です…」と言われた。
きっと予想してなかった展開に慌てた彼は“勇気を遣い過ぎた”分だけうまく引っ込みがつかなくなってしまい、先程のやり取りとなったのかもしれない。車いすの人に声をかけるのにまだすごく勇気が必要だった時代…もう今から20年近くも前の話だった。

それから10年以上もたったある日のこと。
既に勤めていた僕は日曜日、電動車いすで近所の友達の家まで出かけた。
友達の家は高台にある長屋で、間口へ出るまでに少し急な坂を上らないといけない。
電動車いすだとかろうじて上れるのだがモーターに大きな負担がかかるので、いつも少し遠くから玄関を眺めて彼のバイクが見えなければ、そのまま寄らずに帰るようにしていた。そしてその日も坂の前の脇道から首を伸ばして坂の向こうに彼のバイクを探していると…。
「車いす押しましょかぁ?」
と、後ろから通りがかりの誰かの声がした…。振り向くと学校のトレーナーを着た中学生くらいの女の子だった。
「あ、いや、大丈夫。ありがとう…」
「はーい」
女の子はそれだけ言うと何事もなかったかのようにそのまま歩いていった。

前に学園祭で声をかけてくれた青年と比べてめっちゃ“自然”なやり取りだった。まさに“ベリ〜・ナチュラ〜ル・コミュニケ〜ション…!!”「車いすの人」に対する人々の接し方が本当に変わってきたなぁと感じた。

最近はスーパー等でも、僕が高いところにあるものを眺めていると「取りましょうか」と自然に声をかけてくれる方がいる。
車いすの人たちがどんどん社会へ出るようになり、健常者にとって彼らが珍しい存在でなくなってきたこともあるだろう。と同時に冒頭のTVドラマなどが障害者を取り巻く社会に与える影響もまた、決して少なくないと思う。

困っている人がいたら誰もが気軽に声をかけられる、そして手伝ってほしい時は遠慮せずに「yes」、必要がなければ「no」とお礼だけのやり取り…お互い必要以上に気を使わず相手にも気を使わせない、そんな自然なやり取りが当たり前になれば日本ももっと素晴らしい社会になる。
先の中学生たちの世代が大人になればそんな社会もきっと夢ではないはず。
そしてTVや映画などのマスメディアにも、社会に対する大きな影響力を持つことへの責任を自覚して、もっともっとそういうビジョンを持った作品作りを期待したい。

お互い声を掛け合うのに勇気が要らない社会に…そんな日が来るのを楽しみにして僕ももっと外に出よう…。


☆(参考)こちらもどうぞ…「僕が車いすで散歩する理由…

 
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