宇宙戦艦ヤマト


松本零士氏原作のSFアニメ。作品について説明の必要はあるまい。
(知らない方はネットで調べてください。)
TV初放映からすでに30年、私と同世代の方にとってはまさに青春の一ページといってもいい涙モノの作品で、現在でもネット検索すれば実に多くのサイトで「ヤマト」を熱く語り続ける人たちがいる。
私もファンクラブに入るほどのファンではないが大好きな作品だ。

最近、この作品についてふと次のような単純な疑問が浮かんだ。
“僕は「ヤマト」の何が好きだったのだろう…”

別に「ヤマト」が嫌いになったワケではない。今でも続編が放映されれば観たいと思う。
そうではなく、この疑問は時代の変化と今の世界情勢の中から生まれたもの…。 東西冷戦が終わり、ベルリンの壁も崩れ、平和ボケした我々日本人は「これで世界の大きな火ダネはなくなった」と勘違いしたのもつかの間、90年代には湾岸戦争、新世紀に入って世界的なテロ、“北”からの威嚇・脅威そして自衛隊員をイラクへ派遣した今年、日本人がいつ“戦死”してもおかしくないという状況になった。第二次大戦終結後これほど日本人が“戦争”を身近に意識し、関心を持った時期はないのではないか。

そんな今、あの「ヤマト」がもし当時のシチュエーションのまま出てきたら、あの頃のような大ブームになってただろうか?
これが先ほどの疑問の主旨である。

「宇宙戦艦モノ」といえば他にもクサるほどある。しかし実在した日本の軍艦をモチーフにし、それを主役にした作品といえばおそらく他にはない。
「ヤマト」は艦(ふね)もリアルなら戦闘シーンもリアルだった。そしてカッコよかった。
それゆえ当時から「ヤマト」は戦争を美化しているなどと批判もあった。

今振り返れば確かに“当時の”「ヤマト」は“日本の戦争”を宇宙に移しただけかもしれない。今のアニメと違い、敵・味方がはっきり(当時はそれが当たり前だったが…)した勧善懲悪型の筋書きでもあり、「999」や「ハーロック」など深く哲学的なテーマを内包する松本氏の作品群の中ではメッセージ色を抑えた、どちらかと言えば娯楽性の強い作品だった。
今の多くのアニメ群のように“戦うことの意味”や“正義の意味”を問うこともあまり無く、敵(侵略者)との命がけの戦いに身を投じる乗組員たちを通して“無償の人類愛”を全篇に打ち出しているが、今の時代にその重みを問えば国家主義・全体主義との線引きが困難で無理がある。

もちろん個人的には「ヤマト」は“名作”だと思っている。
「ヤマト」の魅力についてはオタク的な話になるのでまた別の機会に触れるが、しかしネコもシャクシも「正義」を掲げて爆撃やテロが繰り返される現在の世界情勢の中で、敵(侵略者)を討つことに何の疑問も呈さない「ヤマト」の戦いがどこまで説得力を持つか、そして「ヤマト」の説いた大いなる人類愛がどこまで人々の心を動かせるか、僕には見えない。
ま、昔の作品を今見たら…という話自体、ナンセンスだが…。

近々、「ヤマト」の続編が公開されると聞く。
きっと混沌とした“今”を貫く新しいテーマを見せてくれるだろう。だとしたら楽しみだ。

 
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