The letter from MANI-K
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2011年03月07日 月のうさぎの秘密
来年の干支は卯、うさぎですね。うさぎと言えば、やっぱり月の上と連想する方も多いのではないですか。どうしてでしょう。月面の模様から想像されたみたいですが、では、何故うさぎの模様ができたのかお話しましょう。 時間・歴史は限りなく循環するという『輪廻』という概念のもと、仏教では、様々なものに生まれ変わりながら、輪廻転生すると言われていますが、釈迦も輪廻を繰り返した後、その輝かしい誕生を迎えたようです。 人間として生まれた時は、王、大臣、商人、修行者であったり、また時には、シカ、クマ、ゾウ、魚、ウサギなどの動物であったり。そして、その都度よい行いを重ねていたとか。こういった前世のお話を『本生』(ほんじょう)と言います。・・・夏なら、つい“ほんなま”と発音したくなりますよね。 そして、『うさぎ本生』のお話から、月の模様の謎が明らかになってゆくのです。 釈迦が、うさぎ王だった時、他の動物たちと、訪れた修行者に捧げ物をすることになりました。他の動物たちは、果実や肉など様々なものを捧げますが、自分は何も捧げるものがありません。そこで、うさぎは、焚き火をしていたその火の中に自らを投じ自分自身の肉を捧げたのです。 この修行者は実は、帝釈天が姿をかえて訪ねて来ていたのでした。帝釈天はこの尊い行為を人々に知らせる為、月の表面にうさぎの姿を描きました。 うさぎが火に飛び込もうとしている場面が、インドの遺跡に石像画として残っています。そこには修行者(帝釈天)、動物達も共に掘り込まれています。 このような本生図は、日本でも見られます。法隆寺の玉虫厨子には、餓死寸前のトラに自分の体を差し出す王子(釈迦)の物語が描かれています。 仏教の広がりとともに『本生物語』も世界中につたわり、民話や童話の題材にもなったとか。『アラビアンナイト』『イソップ物語』『今昔物語』などにも影響したらしいです。 本生のそれぞれのお話には、このような自己犠牲や布施行があります。前世で、はかり知れない功徳を積んだので、現世で悟りを開くことができたということ。そして釈迦として転生し、もう二度と輪廻転生しない涅槃への道を歩んで行くのです。 月のうさぎ模様は、うさぎの善行の証だったのです。卯年の今年は、火に身を投じるとはいかないまでも、お互いにいたわり合う気持ちを皆が持って過ごせますように。 |
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2009年11月14日 精進料理について思うこと
精進とは、どういう意味をもつのであろうか。国語辞典では、『修業すること、菜食すること、努力を続けること』とある。手元の仏教書によれば、大筋のところ同じであるが、少々意を異にするところもあるようである。『精進とは、心の安らぎを得るために、悪事を避け、善行を積み、信心や修行に励むのをいう。生活のための努力とは趣きを異にする。』とある。神仏の心あっての精進ということで、「ダイエットのため、精進料理を食べに行こう。」などというのは、間違っているといえる。 昔、日本仏教では肉食が禁じられていた。その流れで、今日仏教徒は、父母兄弟の忌日や命日を精進日として、その日に仏道に励むために、肉食を避け、主として野菜を食べた。野菜料理が精進料理と呼ばれるようになったのは、このような理由からのようである。 では、精進料理とはどういう料理であろうか。上述のように、仏の心に通じる料理であるのだから、野菜料理であればよいというものでもあるまい。私の言いたいのは、野菜料理ばかりであっても、立派な松華堂弁当のように調理段階で廃棄率の高い料理は、野菜の命を無駄にしているので、精進料理とは呼べないのではないかということ。以前、家庭菜園をなさっている女性がこんなことをいいながらサラダを作っていたのを思い出す。「キャベツの葉を無駄にしちゃだめよ。薬を使ってないから、全部食べられるわよ。」これぞ、まさしく精進の心だったのだと、今しみじみと反芻できる。 最後に私の考える日々の生活での精進料理について書きたいと思う。健康の為には野菜だけというわけにもいかない。私たちは、様々な物から命をいただきながら生きている。野菜の命、獣の命、鳥の命。それぞれの命を無駄にすることなく、必要な分だけ大切にいただくことが、精進の心につながるのだろう。冷蔵庫の中に残っているハムの残り、蒲鉾の切れ端、野菜の芯など、上手に使い食べてあげること。そんな食事が、本当の精進料理になるのだろうと私は思う。 |
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2007年12月03日 なまずの秘めた能力
なまずという魚は、人を惹きつける何かがあるらしい。我が家を初めて訪れた人は、必ずと言っていい、玄関の水槽に目をやり、 「あっ、なまず。」と口走っている。一言声を出さずには、いられないらしい。存在感大有りと言ってよい。見て見ぬふりをする人は、あまりいない。さすが、我ペット、たまちゃんである。 先日、電気保安協会の人が、ヒューズの点検に来たときのこと。そのおじさんは玄関に入り、下駄箱の上の水槽を見るや否や、 「わっ、なまず。始めてみた。」というのである。なまずが珍しいというよりも、なまずを見たことがないという大人の方が珍しい。しかし、ここで引っかかるのは、なまずを初めて見たらしいのに、そのおじさんは一目見て、「なまず」と口走ったのである。見たことがないのに即答したというのは、どういう意味があるのかについて、私は咄嗟に思い巡らした。本物を見たことはなくとも、ピンとしたヒゲと、くりくりとした目で、デフォルメされたなまずの挿絵などを見たことはあるはずである。ということは、このおじさんは、たまちゃんを一目見て、巷で目にする挿絵のなまずに、たまちゃんを直結させたのであろう。このことから、たまちゃんが、いかにイラストなどで形容されている通りの愛くるしさ持ち合わせているかということが、お解かりいただけるのではないだろうか。当然ではあるが、おじさんは、さすがなまず初心者だけあって、たまちゃんが日本産か外国産かなどという、一歩踏み込んだ会話には、進展させようとはしなかった。一通り電気点検を終えたおじさんは、私の差し出したお茶を飲みながら、たまちゃんの泳ぎっぷりを目で追ったり、水槽ガラスにお玉のような頭をこすり付けるたまちゃんに対して、赤子の前で大人が舌をならしてあやす時のような仕草をしたりした。 「かわいいでしょう。」とおじさんにけしかけると、うんうんと頷きながらも、目は、たまちゃんから離そうとはしなかった。そうとう気に入っているようである。「このおじさん、なまず飼いだすんじゃないかなあ。」と、思いながら、 「ご苦労さまでした。」と、お礼を言って見送った。おじさんが立ち去った後、ヒューズのレバーに新たに取り付けられた長いひもが、水槽の前で、ゆらゆらと揺れていた。 なまずは、やっぱり人を惹きつける何かがあるに違いない。 |
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2007年11月29日 ティタイムの持つ意味は
イギリスでいただく紅茶って、本当においしい。日本で飲むのとは、全然ちがう。まろやかというか、やさしいというか、いくらでも飲めてしまうのである。そして、必ずといってよいが、紅茶と一緒にビスケットをいただくのである。これがまた、紅茶にぴったりで、いつまでも、ティタイムを続けていたいという気持ちになる。 どんな会合にも、ティタイムは付き物で、在英中は、あらゆるところで、それに遭遇し、紅茶とビスケットの世界を堪能したものである。友達とのティタイムでは、会ってからお開きまでそれが続き、色々なビスケットを食べ比べ、魚が水を飲むように、紅茶を飲みまくっていた。はしたない。自分でも客観的に見て、ちょっと引く光景であったように思うが、そのくらいおいしく、至福のひとときだったのである。ついでに言えば、私の主観で一番おいしいビスケットは、粗切りチョコレートと丸ごとヘーゼルナッツの混ぜ込まれたもの。思い浮かべただけでも蘇る、あの、ザクッという歯応えが。 話は、ライフドローイングの教室に戻るのであるが、このように、既にティタイム大好きになっていた私は、デッサンの休憩時間に、講師のクリストファーの 「ティタイムにしよう。」という呼びかけに、緊張していた心の糸を、ホッと緩めることができたのである。手渡されたティカップには、暖かいミルクティがなみなみと注がれていた。彼は、今まで緊張していた私の心が弛緩され始めているのに、気付いたのであろう。「ゆっくり休んで。」と、微笑みながら、ビスケットを勧めてくれた。ティのぬくもりが、指先から、次第に体に伝わり、癒されていくのを感じながら、皆々が、穏やかに会話するのを、ぼんやりと眺めていた。 飲み終えたティカップを回収しながら、クリストファーは、私に耳打ちした。 「ティタイムでは、会話をしなければ、いけないよ。ティタイムは大切な時間だから。」 ライフドローイングで、学べるのは、デッサンだけでは、なかった。 |
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2007年11月12日 ライフドローイングの魅力・・・その2
「大丈夫、とにかく始めてみよう。」戸惑う私の心を見透かしたように、彼は私に耳打ちした。 「始めは、5分だ。」ホール全体に彼の声が響くや否や、一斉に、被写体に向けて立てられる鉛筆や指。均衡のとれた体を描く為、それらを役立てていた。こうすれば、全身に対し、頭、体、足それぞれの占める割合を的確にすばやく判断できる。遅れを取ってはいられない。皆に続けとばかりに、私も鉛筆をかざす。 何かを上達させたいのならば、たくさん褒めてくれる先生につけ、と何処かで聞いたことがあるが、その通り、彼は、非常に良い指導者であった。記念すべき私の第一回目のデッサンは、 「なかなか、いいぞ。以前やっていたことがあるのか。」と、私にとっては、ほとんど賞賛に近い励ましの言葉を与えられたのである。 「もしかして、私って上手なのかも。」彼が意図していたであろうように、私の心は動かされて行く。昔もおめでたい性格であった。かなり扱い安い系統の生徒であろう。やる気満々となった私は、二、三枚描き終える頃にはもう、心から「楽しい〜。」と感じ、「ここに来て良かった。」と確信していた。 前半は、短時間で全体の様子をすばやくつかみ、描写するという練習をし、後半で、一つのポーズをじっくり描きこむという流れで、進められる。そして、前半と後半の間には、イギリス人にとって、忘れてはならないものがあった。ティタイム、それは彼らにとって大切な時間であるらしい。 |
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2007年11月08日 ライフドローイングの魅力
ライフドローイングとの出会いや突入の様子をこれまで読んで頂いてきたが、ライフドローイングが、裸婦デッサンであるということをお伝えしただけで、その詳しい内容にも触れないままであった。怪しい二人組にまつわる出来事を書きたくて、ついつい先走ってしまったのだ。話は前後するが、今回の話題は、肝心のライフドローイング本質の詳細を申し上げたいと思う。 その日のモデルは、ガレージで働く二十歳前後の女性であった。ガレージというのは、車屋さんのことで、BMW、ジャガーの販売店から、日本ではとっくに廃車になる運命の超中古車が並ぶ店まで、全部ひっくるめてガレージと呼んでいる。彼女の勤めるガレージは、街中の小さな整備場で、この教室から、すぐの所。以前、我が愛車のご機嫌が悪くなった時、駆け込んだ、というか乗り込んだことがあるので、覚えている。そのガレージから連想される金属臭と油塗れの汚れた印象。彼女がやってきた時、掛けていた大きな黒ぶちの眼鏡と粗雑な服装が、その印象を引きずらせていた。 人間、印象というものは、身なりで殆ど決まってしまうようである。銭湯に行ったら、何処ぞのご婦人も衆生の我々も同じに見えることから、それは事実明白であるが、勿論これは外見の話で、人間の本質の事を申し上げているのではないということは、お解かり頂いていると思う。 さて、照明が消され真っ暗になった部屋に、一方向から当てられるライト。その強い光は、まるで劇場舞台のスポットライトのようだった。暗闇でデッサンの用意をする我々。彼女は堂々と登場した。そこへ、そのライトの真下へ。暗闇の中、映し出された彼女は、俗塵を払い落とし、特別神聖な何かに変貌を遂げたかのようであった。かき上げる栗色の髪が、真っ白な肌を引き立たせている。傷跡一つない白い肌。触らずとも、その肌の柔らかさは、容易に想像できた。 「描けるのだろうか、私に。」こんなに繊細な対象をどんな風にかけばいいのか、皆目わからなかった。困惑している私の肩を叩いたのは、講師のクリストファーだった。 |
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2007年10月29日 怪しい二人組み・・・その1
どこの世界にも下心を持った奴というのはいるもので、イギリスのオックスフォードの名も無きデッサン教室にもけしからん奴が、出没した。いえいえ、名も無きではなく、名はライフドローイングでした。とにかく、其奴はというか、其奴たち二人は、ポケットに手を突っ込み、何も持たず背中を丸めて、神聖なるドローイング教室の扉をくぐって入ってきたのである。私は一目見てピンと感じ取った、「我々は下心あります。」というオーラを。 「此奴らの魂胆は、間違いなく裸婦モデル。」と直感したのだが、 「いやいや、人間外見だけで判断してはいけないというのは常識中の常識。こんな風に決めつけるのはよくない。」と自分に言い聞かせ、 「しばらく様子を伺おう。」と、思い直した。 しかし、それは無駄な仏心であった。 彼らも、指導者のクリストファーから画用紙と鉛筆を借り、描き始めた。はじめは、彼らの思うように描かせていたクリストファーであるが、そのうち、彼らに付きっきり指導。このように、私は彼らを始終観察し、あれこれ詮索せずにはいられないのであるが、周りの皆は、何も気にしていないようである。 「やっぱり、イギリス人って他人に干渉しないんだなあ。」と自分の他人干渉型体質を実感するのであるが、やはりどんな絵を描いているのか気になってしかたがない。それで、覗いてみた。 「ちっちゃ〜」それが、第一印象で、大きな紙の角に描かれていたのは、ソーセージほどの大きさ裸婦、というかソーセージのような物。やはり、私の読みは正しかったのである。彼らは、ソーセージのような物を2,3本描いて楽しそうに帰っていった。私はさようならの代わりに、 「不届き千万確定じゃ。きっと罰があたるに違いない。神様仏様お見通しなのだ。ここ教会だし。」と、去って行く彼らの背中に念力を送ってやった。 思う念力岩をも通すというが、私の念力が効いたのか、はたまた神様のお仕業か、罰があたってしまうのだ、この二人に。そうとも知らず、次回再び裸婦鑑賞にやって来るのである。間抜けな二人となってしまうとも知らずに。ふっふっふっ |
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2007年10月19日 モデル登場
その臙脂色のガウンを羽織った女性は、颯爽と現れるや否やガウンを脱ぎ、輪になって待つ我々の真ん中に立った。私は、自分が裸になったわけでもないのに、まるで自分がそうであるような気がして、どきどきしてそのモデルを見ていられない。皆は、動揺する様子もなく、イーゼルの向きを調整したり紙の準備をしたり。しかし、私は、視線をどこにやったらいいのか、自分一人気まずい気分を噛み締めつつも、動揺しているのを悟られないように、見せかけの慣れた手つきで、鉛筆の尖りぐあいを確かめるふりをしていた。しかし、体は、かっかを沸き立っている。 「皆…すごい…。」最初のモデルの登場シーンだけで、猛烈感動である。裸婦デッサンに来ているのであるから、いちいち恥ずかしがっている方がおかしいのはわかっている。でも、描き手も自然だが、モデルの女性は、私の感覚からは考えられないほど自然で、まるで今からシャワーでも浴びますかというようにガウンを脱いで裸になり、シャワーの前に身体をほぐすかというように、身体をねじったり手足を伸ばしたりしているのだから。皆の前で裸で。 「う〜ん。やっぱり日本人とは、体格も違えば、感覚も違うなあ。クールというか、かっこいいというか。」 自分の中で、ごちゃごちゃしていた感情をあれこれ反芻しているうちに、どうやら場の雰囲気に慣れてきたらしい。今や、その女性の様子をまじまじと伺いながら、「この人の職業は何かなあ。」と詮索したり、背中にある小さな蝶の刺青に気づいて、「イギリスでは、ポピュラーなのかなあ。」と考えたりと、心に余裕が出てきた。付け足しであるが、この女性は、美大の大学生であるということが後でわかった。 まもなくデッサンが、始まる。 「うむ。コレはなかなか本格的だなあ。まるでプロの画家になったような気がする。」 まだ何も始まっていないのに、気分はルンルン上昇中であった。 |
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2007年10月15日 ライフドローイングの扉 ・・・その2
窓から差し込む夕日が、建物いっぱいに満たされていた。高い天井に、白い壁、ホール全体に敷かれた木の床。小さなドアには不釣合いな程、広々と広がっている空間。その場にいたのは、十人ぐらいだったであろうか。おのおのがイーゼルを立てるなど準備しながら、おしゃべりに余念がないようで、誰も私に気づかない。 怯みかけた自分に、もう一度「かんばれ。」と言い聞かせ、できる限り、元気に言い放った。 「Hello.」 その瞬間、ざわざわしていたホールは静まりかえり、皆の視線は、ドアのまん前に立つ東洋人の私に向けられた。鳥肌の立つのがわかった。全員西洋人だ。私は小さい方ではないが、その時ばかりは、周りの体格のよい白人たちに比べ、自分がひどく幼い子供のように思えた。でも、おどおどしてはいられない。気を取り直してもう一度、元気に、そして満面の笑みを作って挨拶した。 「Hello!」と。 人間、外見は違っていても、挨拶すれば、心は通じてくるものである。 「Hello.」「Good evening.」・・・と口々に返してくれた。 元の雑然とした空気が戻ってきたホールの中へ、私は進んでいった。「もう大丈夫、やっていける。」と確信しながら。 腕に立っていたはずの鳥肌は、いつのまにか消えていた。 |
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2007年10月12日 ライフドローイングの扉
頬が紅潮していたのは、真横から射す西日のせいか、それとも、今から始まろうとしている未知の世界への期待のせいか。真新しいスケッチブックと鉛筆数本の入った鞄をたすきに掛け、夕暮れの並木道を自転車で走っていた。オックスフォードの夏の夕暮れは、まるで日の入りを忘れているかのようで、いつまでも橙色の夕日が街を照らしていた。 学生時代に戻ったように、胸は高鳴っていた。ライフドローイング教室第一日目。うまく入っていけるだろうか。そればかりが心配で、デッサンが上達するか否かなど、その時はどうでもよかった。なにしろ、頼りにできる人は誰もいないのだから。 小さな教会の前には、既に二台の自転車が止められていた。辺りには人影はなく、ひっそりと静まりかえっている。その二台に並行して私の自転車も止めた。そっと教会の木の扉を押してみたが、びくともしない。閂が掛かっているらしい。 「場所を間違えたのかな。」急に心細くなってきた。 掲示板にある張り紙をもう一度確認して、 「ここで間違いない。頑張って行け。」と自分に言い聞かせた。すると裏手の方から、微かな話声が。チャペルに沿って敷石が右奥へと続いている。私は、それを一つ一つたどる様に進んだ。ほんの数メートルなのに、かなりの距離に感じられた。敷石に導かれ、そして、ついに、その小さな扉にたどり着いたのである。このドアを開けた時から、新しい何かが始まる。びくびくしていた自分の中で、再び胸が高鳴りだすのを感じながら、ドアのノブに手をかけ、ゆっくりとまわし、音をたてないように気をつけながら、ドアをひいた。 |
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2007年09月30日 Nude との出会い
「ライフドローイング・・・これは、何だろう。」 そう思ったのが、それと私との出会いだった。イギリス在住の時、絵を習いたくて、公民館や集会場を巡り、そこに貼られているポスターから情報を集めていた。絵画教室と聞くと仰々しいように聞こえるが、イギリスでは、かなり生活に浸透していて、ごく身近なものになっている。水彩画、油彩画、静物デッサンなど近辺で探しただけでも、数え切れない程あったので、どうしたものかと思案しながら幾日も無駄に過ごしていた。 運命的と言えば、大げさすぎるが、これという時には“ピンッ”とくるもので、その貼り紙を目にした時は、これは何ぞやと気にかかってしかたがなかった。ドローイングというところから、何かを描写するのであろうことは想像できるから、私の求める範疇に属していることは明白である。しかし、ライフが、どういうことなのか、さっぱり分からなかった。 偶然というのは、本当にあるものだ。その二、三日後、友人が我が家を訪ねてくれた時、絵を習いたいと思っていることを話したら、 「Do you come to my class? My class is Life Drawing.」というのである。 「You said Life Drawing! Yes?」 「Yes.」 なんと、あの気にかかっていた貼り紙は、以前から友人だったクリストファーが貼ったもので、彼が教えていたのだった。友人だと思っていたが、絵を教えているという事も知らなかったのだから、一方的に友人と思い込んでいたといってもよい。 そして、真っ先に尋ねたのは、 「What is Life Drawing?」ずっと、ひっかかっていたことが、これですっきりする。 「Draw the body.」人物画かなあ〜。 「Body?」どういうこと? 「Yes. Nude.」ヌード! こんなチャンスまたとない。今しかない。これしかない。 「I want to join your class! Teach me.」 こうして、これからの身の振り方は決まった。 「外国人の裸婦か〜。どんなんだろう。」と、ちょっと、よこしまな思いを胸に、一日千秋の思いで、数日後の記念すべき第一回目を待ったのである。 その時の様子は次回に。 |
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2007年09月27日 あなたの趣味はなんですか
あなたは趣味をお持ちだろうか。私は絵を描くのが好きだ。はい、下手の横好きです。油絵を描くのだが、基礎もない上、画力にも恵まれていない。しかし、理想だけは高いので、製作中は、実力と理想の板ばさみとなることしばしばで、機嫌よく描いているかと思えば、突然猛烈に落ち込んだりする。 「どうして、上手くいかないの〜。なんでこんなに下手なの〜」と、ぼやき、周りに迷惑をかけている。 「本当に、描くの好きなの?やめたら?」と、不審がられたり迷惑がられたりするのも当然で、 「私、本当に好きなのかなあ。」と自問したりするが、自答できぬまま、絵は出来上がっていく。そして、感情の起伏を何とか乗り越えて完成ということになる。しかし、それが三流であろうがそれ以下であろうが、仕上げたばかりの作品を前に座する時には、心清らか明鏡止水の心境で、すごく癒されるのである。こういうのを、傍迷惑でおめでたい性格というのであろう。手がけてから仕上がりまで、諸々の感情が錯綜するが、終わり良ければすべて良しで、それで趣味として成り立っているに違いない。 本堂と善光寺堂を描いた油彩画を、現在、当寺で置かせて頂いているので、来寺の折には、是非、観て頂きたい。 「ああ、これが、わめきながら描いた絵か〜。」と思って頂けたら、それぞ本望ありがとうという感じである。 近頃は、摩尼寺の一齣を描く事に専念していて、今取り掛かっている作品は、何かといえば、それは内緒。現在壁にぶち当たり、猛烈落ち込みど真ん中で、這い上がれるかどうかという状況なので。しかし、何とかするつもりである。皆様、全然期待してらっしゃらない事、重重承知の上でのお願いは、「ちょびっとだけでも、覚えておいて頂けないだろうか。次の作品も、お寺に掲示する予定だという事を」。合掌 余談になるが、以前デッサンに通っていたことがあって、そこで、面白い体験をしたことがあるので、それを近いうちに是非お伝えしたいと思っている。お楽しみに。 さて、とりとめもない話はこれくらいにして、油絵の作業続行に取り掛かるとしよう |
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2007年09月20日 Do you know HANNYASHINKYOU-般若心経?
Do you know the meaning of KANJIZAI that is the opening of Sutra, HANNYASHINNKYOU? It means seeing things without the prejudice. HANNYASHINKYOU asks you, “Don’t you see the things in your own view?” “Don’t you stick to your think more than the necessity?” “Do you see the thing without distinction? “Don’t you judge the person through the colored glasses that is the position, the title, and the face? “Don’t you have the mind of the doubt? “Do you live bountifully by a free mind? Each person has various views. But all of them are not absolute. And until approaching death some people live happily, and some people live with unhappy mind. That is because of your too much desire and devotion. Throw them away. Live freely and bountifully. That is the teachings of HANNYASHINKYOU. HANNYASHINKYOU is the teachings of Empty. And Empty means living in a relaxed feeling without worries. That is the teachings of Buddha, Oshakasama. |
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2007年09月17日 自分をみつめて
人に何か意見を求められた時、あなたは、自分の意見をいうことができるだろうか。私は、できるだけ答えようと思っている。いや、そうしたいと思っている。 持って生まれた性格が、優柔不断である私は、考えなしに他人に同調してしまうことが多かった。そして、それに対して何の疑問も持たなかった。自分が付和雷同していることに気づいていなかったのである。むしろ、和を保っているぐらいに思っていた。精神的に成長していなかった。真に情けない思考力であったのだが、幸運にも、それを私に気づかせる機会に恵まれたのである。 それは、もう十年ほど前のこと。私は、当時イギリスに住んでいた。自宅は、三階建てのフラット(集合住居)。郵便受けは、共同のエントランスにあり、その辺りで、住民同士が挨拶したり、世間話したりというのが常だった。しかし、まだ渡英して間もない頃で、外国生活に不慣れだった私は、そういう交流に入っていく術がわからない。とにかく「ハロー」だけでやり過ごしていた。そんな時、ある金髪の女性が、私に話しかけてきたのだ。 「きのう、テレビで日本の関西新空港の特集をみたわ。あなたも見た?」と、いつも、ハロー一点張りの私に。年齢は当時の私と同じくらいで、やさしそうな人だった。「No.」と告げると、彼女は番組の内容を説明し始めた。空港建設の過程において、犠牲になったものが多大であったという事、現在の問題点など、大まかに私に話して聞かせた。話しながら、その問題に対する自分の気持ち、思いを確かめているようであった。そして、説明を終え、彼女は尋ねた。 「あなたは、この事についてどう思う?」 何も答えられなかった。今から思えば、いくらでも答えるべき返答はあったはずなのだが、当時の幼稚な私は、 「わからない。」と答えてしまったのである。 その女性は、少し肩をすくめ、立ち去った。とてつもなく大きな一撃だった。その女性の外柔内剛の魅力、自分の不甲斐なさ、惨めさ、それらが合わさった衝撃。その日、私は、いつまでも泣いた。自分の未熟さに泣いた。 この事件以来、「自分をしっかり持とう。」と、心に決めている。 |
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2007年09月12日 会いたくて
映画を見に行った。久しぶりに、どうしても見たいのが、あったから。上映封切されて、随分経つから、既にご覧になった方も多いのではないか。‘オーシャンズ13’である。とにかく、ジョージ・クルーニーとブラピに会いたくて。 上映開始時間は、11:30。朝からばたばたと、雑用しているうちに刻々と時間は迫って、自宅を出る前から、気持ちは充分焦っていた。二人の元に馳せ参じるため、映画館へ車を飛ばしたのである。いつもの映画館付近についたら、その辺りの施設一帯の様子が様変わりしていて、どこから駐車場へ入ったらいいのか、わからない。 「とにかく、どこからでもいいから、入ってどこかに止めよう。」 迷い込むように、立体駐車場に入った。平日の朝だというのに、どの階も満車で、4F屋上まで上がってやっと駐車完了。 「レディースディは、やっぱり込んでいるな。急がないと。」焦る気持ちで、小走りにエレベーターに向かった。しかし、会う人会う人、皆おじさんばっかり。 「へんだなぁ。レディースディのはずなのに。」 エレベーターに居合わせたおじさんと一緒に乗り、1階へ。気の良さそうなおじさんだった。そして、1Fに到着する直前、そのおじさんは気さくにこう話しかけてきたのである。 「お嬢ちゃん、今日はでるかねえ。」 「へっ・・・」 咄嗟のことに応答できない豆鉄砲の鳩が、2,3回瞬きしているうちに、エレベーターは1階に到着した。開くドアの隙間から、すさまじい音とまばゆい光。 「これは・・・」 迷い込んだのは、パチンコ屋さんの駐車場だったのだ。慌てて駐車場に戻ろうとする私に、 「違うの?」と、おじさんが私に尋ねたような気がしたが、私は返事をする余裕もなく、昇りエレベーターに乗り移っていたのである。おじさん無視してごめんなさい。 やはり、いい思いをするのには、苦労がつきものだ。チケットを手に、スクリーン前のシートに座った時の安堵感といったら。いや、達成感に近かったなぁ。 ともあれ、幾多のハードルを乗り越え、無事時間内にゴールにたどり着けたのである。 めでたし、めでたし。 そして、ジョージ・クルーニーの甘い目尻からあふれ出す笑みに、しばし陶酔したのだった。うふっ。 |
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2007年09月10日 秋刀魚の数字の秘密
魚屋にいくのは、なかなかおもしろい。種類が豊富で、並んでいる魚介を見ているだけで楽しい。ましてや、生簀でもあろうものなら、殆ど水族館のように見入ってしまう。底の方では、ヒラメやカレイがへばり付いているし、その上を、タイやオコゼやノドグロなんかが混浴していたりする。そして私は、時間を忘れて水槽に、へばり付いているのである。「おいしそう〜。」と思いながら。水族館では、「かわいい〜。」とか、「きれい!」とか思うのに。勝手なものである。 「魚よ、ごめんなさい。」皆さんも、魚をいただくときは、最後まできれいに食べるようにしましょう。それが、食べさせていただく我々の、魚へのせめてもの礼儀です。 ところで、私には、お気に入りの魚屋がある。市場の一角にあり、店の構えは立派とは言えないが、その分ところ狭しと、木箱や発泡スチロール箱が、積み上げられている。魚市場から仕入れて、そのまま店に陳列させているのであろう。どの箱も、氷が敷き詰められ、同じ向きの魚が行儀よく並ぶ。何を買うか、非常に悩むところだ。手前には、イワシ、サンマ、サバと定番の手ごろなところが並んでいる。その向こうの箱では、キンメダイが、出回ったばかりの十円玉のようなきらきらと光る目で、私に訴えている。「おいしいよ〜。」って。そして、「でも、高いわよ〜。」という声も発しているので、視線を隣の箱にそらしたり、手前の定番に戻したり。目移りしてなかなか決断できない。 (下へ続く) |
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2007年09月10日 (秋刀魚の数字の秘密 の続き)
(上からの続き) そんな時、すぐ横でサンマの箱を積み直していた魚屋のおじさんが、いきなり、 「教えてやろうか。」というのである。突然のことだったので、正に、豆鉄砲をくらった鳩となった私は、 「えっ。」と発してしまった。しかし、そんなことにはお構いなしで、おじさんは続ける。 「ここを見るの。この20を。」と言いながら、サンマの発砲スチロールの箱に印刷された数字を指差した。何を言いたいのか、さっぱり分からなかったのだが、おじさんの話は、こういうことだった。魚市場では、サンマの発砲スチロール一箱の重さは決まっていて、20と印刷されていたら、20匹入ということらしい。そして、大概25などが多いらしい。要するに、数字の小さいほうが、立派なサンマが入っているということである。 こんな話が聞けるなんて、魚屋であればこそ。スーパーでは、こうはいかない。 「だから、今晩のおかずは、サンマにしなさい。」とおじさん。 もちろん、サンマを買った。なんか得したなあ。 |
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2007年09月06日 比叡山を訪れて
JR湖西線の比叡山坂本駅に着いたのは、午前九時。列車の扉が開くや否や、小さな駅は、降りてきた乗客でいっぱいになった。リュックに帽子の出で立ちの人々。どの人も、これから訪れようとしている地に思いを馳せているのであろう。誰もがにこやかな笑みを浮かべ、仲間同士楽しげな会話を交わしている。参詣に来た人、史跡巡りに来た人、景色をたんのうしに来た人、皆それぞれの思いがあるのであろう。 坂本の町は、美しい石積みが道沿いにどこまでも続く、上品なたたずまいを見せている。この石積みは、穴太衆積みというそうだ。この穴太衆積みの石塀に沿って、車で15分程行ったところに、安楽律院はある。生い茂る木々で閉ざされた参道を抜けると、にわかに視界は開け、光の降りそそぐ境内へと出た。 安楽律院を訪れるのは、初めてである。しかし、よそよそしい気持ちがしないのは何故だろう。見覚えがあるような、懐かしいような空気。何処かしら摩尼寺のそれに似ているように思う。当寺を参拝された経験のある方なら、お解かり頂けると思うが、林木に囲まれた階段を登り、山門をくぐって境内に入った時の感覚に。 昔は便利な乗り物などないから、かつての参詣者たちにとって、お寺参りは困難だった。樹木の生い茂る山道を徒歩で進み、参道の階段を一歩一歩踏みしめながら登る。もちろん天候がいつもよろしいわけではない。やっとの思いで、ここにたどり着いたのである。そして、この明るく広い境内に迎え入れられた。威厳に満ちたお堂を前に、両手は自然と合わさり、合掌したことであろう。 「ここまで、来ることができました。ありがとうございます。」と。 今の私たちは、悲しいかな、便利すぎてその感動を共感することはできない。すぐに手に入れることができるから。 安楽律院の境内の石塀にもたれ掛かりながら、そんなことを考えていた。 |