世界怪魚釣行記 TOP  「我武者羅無茶苦茶 後編」 BLOGモンゴル・タイ2004年編
モンゴル釣行3 2004年7〜9月
モンゴル釣行記完結編「我武者羅無茶苦茶 前編」
羊の国に来たからといって、群れていてもしょうがないぜ! 「我武者羅」に転がりまくって、「無茶苦茶」に暴れまくる! モンゴル釣行記完結編
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我武者羅無茶苦茶 序章

 
乗合ジープが地平線の彼方へ走り去ると、「独り」になった。蒼い空と限りなく続く草の原、あまりにも単純な景色の中に取り残され急に寂しさがこみ上げてきた。いくら走っても変らぬ風景、揺れる車体と巻き上がる埃、ギュウギュ詰めの車内。乗合ジープの過酷な移動も今となっては恋しかった。しかし、しばらく草原の風に包まれていると、「自由である」ことの楽しさを強く感じた。 「はぁ?今時自由なんて…」と思う奴もいるだろう。でも、俺の言ってる「自由」は「何をやってもよいが、何もかも自分でやらなくてはならない状態」のことだ。同じ言葉でも、日本でお子様に使い古された「自由」とは違うぜ!
 
今回、食料を一切持ってこなかった。そしてこれからの移動手段は自分の「脚」のみ。釣れなかったら「飢え死に」、歩けなくなったら「野たれ死に」。
誰にも何も強制されず、誰の目も気にすることもない。ただ、誰も助けてくれない。「自分の脚で歩き」「自分の目でポイントを見極め」「自分の手で魚を釣る」、辺境の地でそんな「自由な釣り」がしたかったのだ。

 しばらく歩くと突然大地が裂けた。日本を発ってから9日目、あの日と同じように断崖を見下ろした眼下約50mにはチョロートゴル(岩の川)が流れている。ここは3年前のあの夜、初めてタイメンを釣ったポイントだ。ここから今回の旅、「我武者羅無茶苦茶」が始まるのだ。

 しかし…、それから10分と経たずに「勇ましかったはずの心」は萎えた。約50mの断崖絶壁、総重量28kgの荷物を担ぎながらの下り、正直こたえた。「なんでこんなことをしてるのだろうか?」、息絶え絶えになりながらなんとか川辺に下り立った。「自由というもの」は辛く切ないのである…。

 さて、「アウトドアライフ」は「テントを張る場所を決めること」からすべてが始まる。荷物を降ろし辺りを見回した。「石が転がってない平らな地面」に建てるのは当然として、できれば「太陽を遮る木の下」がよい。おまけに「その木から洗濯物を干すのに丁度良い枝」が張り出していれば尚よろしい。 「近くにマキは豊富に転がっているか?」 「焚き火は何処で?」 「釣りのポイントから近過ぎてもいけないし、遠過ぎても駄目だ」、いつものことだが頭を悩ました。そして、時間はあっという間に過ぎていった。
 蒙古の辺境でテントを張っていると、「幼かった頃、野山に秘密基地をつくった」記憶が蘇る。あの頃、本当にドキドキしながら自分だけの空間を作ることに夢中になった。しかし、
知恵と体力を備え経験を積んだ大人が、あの時と同じ場所で心を躍らすことはできない。
だからこそ俺は、蒙古の辺境に秘密基地を作りにきたのだ。
 「大人になってしまった少年よ、もしあの日のドキドキを取り戻したいのなら、荒野を目指せ!」
これがその秘密基地なんですけど…。 そして、入浴中です…。

 さてさて、テントを張って焚き火の場所を決めたなら、お次は食料の調達だ!
 6lbラインに小型スプーン7gを結んで釣りを開始した(蒙古の釣りにしてはセコいタックルだが、釣れなきゃ食うものが無いからね…)。
 5投目、急流域の岩陰をトゥイッチで攻めていた。スプーンが岩陰の反転流から抜ける時、ストップを加えると突然「コンッ」ときた! 「今晩のオカズを逃してなるものかぁ!」と、いつもより慎重にファイトをする。そして釣れてきたのは55cmのレノック(コクチマス)。このぐらいの魚は蒙古ではいくらでも釣れてくるが、とりあえずの食料確保にほっとした。その後、レノック7匹・グレーリング3匹を釣って当分の食料を確保。俺は夕食の準備にとりかかった。
 食材は釣ったばかりの魚と川原に生えているタマネギ。適当にぶった切って鍋に放り込む。そして、これまた適当な量の塩と調味料をパラパラふりかける。俺は「アウトドア料理は適当でなくていけない」と頑なに思いこんでいる。最近の「アウトドア=野外で凝った料理を作って楽しむという風潮」には正直馴染めない。料理を作るからには美味いにこしたことはない。しかし、辺境で何か目的を達成しようするとき、料理ごときに頭を悩ます暇などない。とにかく「食えれば」いいのだ。アウトドア料理は「早くて簡単」、そして「つべこべ言わずに黙って食え!」が理想だ。ただ、適当に作った料理を美味しくいただく為に「とにかく命一杯腹を空かせろ!」という基本は忘れるな!
良方サイズのレノック。 夕食はレノックスープのみ…。

 味気ない料理ではあったが、とりあえず満腹になった俺は焚き火に木をくべながら暗くなるのを待った。俺はチョロート遠征では「日没を待つ時間」が一番好きだ。夕飯を食べ終わると、いつも「タイメンとの闘いのこと」で頭が一杯になる。「ルアーはどれが良いだろうか?」「ラインは傷んでないか?」、昼間に下見をしたポイントを思いだし、その夜の釣りを頭の中で組みたてる。辺りが暗くなるにつれ、だんだんと気分は高揚していった。
 そして、時計の針が23時をさした時、辺りは暗黒の闇に包まれた。
いよいよ「鬼狩り」開始である。
3年前、115cmのタイメンを釣ったポイントに忍び寄った。ここは「対岸寄りに転がっている大岩」に強い流れがぶつかり、川の中央付近から対岸にかけて淵を形成している。ここら一帯では最も深いポイントで、いかにも大物が潜んでいそうな雰囲気だ。
 一見するとその淵の最も深いところに何かが潜んでいそうに思えるが、しかし俺は「タイメンがいるなら淵より5mほど上流の瀬の中」だと思った。3年前115cmを釣ったのも対岸際の「瀬」の中だったし、2年前に最後に1日だけここで釣りをしたのだが、その時も2度大きなアタリがあったのは「瀬」であった。タイメンは深場に隣接する急流域にステイしていることが多いと思う。

 ラインの先に結んでいるのはもちろんビックバド改。このバス用のアメリカンルアーはチョロートのタイメンを狙うにはベストに近いと思う。急流域で使っても変らない「強い動き」、そして比較的浅いチョロートで「根掛かりしない潜行深度」。この二つはチョロートのタイメン用に不可欠な要素だと思う。
 そして1投目、ルアーは対岸ギリギリに落ちた。すぐさまリーリングを開始して流れを横切らせる。大きくロッドをしゃくり直後にストップ、一瞬深く潜ったルアーが浮上すると、途端に「ゴゴンッ」ときた。ドラグが少し出て緊張が走った。「タイメンか!?」 しかし、比較的緩やかな流れまで寄せると引きはそれほどでもない。ガンガン巻いて岸に抜きあげる。釣れてきたのは50cmほどのレノックだった。そんなことを何度か繰り返しているうちに、だいぶ場が荒れきた。タイメンを釣るには「場を荒らさない為に、レノックを釣らない」ということが大切だが、ビックバドは必要以上にレノックにも抜群に効くのである。そこで、ポイントを休めるために淵をTOPで狙うことにした。
 今年、「日本でのバス釣り」はタイメンに備えてTOPルアーだけを使ってきた。その中で実績があったものを次々と試してみたが、その中で抜群に良かったのは「オリノコモンスター」だった。これはジッタースティックの改造版のようなルアーだが、立ちあがりが良く、強い流れの中でも安定してアクションをつけることができる。今まで使った日本製のバス用TOPルアーの中では唯一「強さ」を感じさせるルアーだ。大岩周りの流れのヨレを攻めると、驚くほどアタリが続き興奮が高まっていった。

 しかしこの夜、「あの音」が谷に響くことはなかった。鬼(巨大タイメン)が獲物を捕食する音だ。レノックがTOPにでる場合「バシャ」というしょぼい感じの音だが、「鬼」の場合はまったく違う。それは「ゴボォッ」という、まるで「ルアーが地獄の底に吸いこまれていく」様な音である。これまで何度か聞いた事があるが、その度に頭の中は真っ白に、心臓はバクバクと鼓動するのだ。
 この夜、谷底には「バシャ」という気の抜ける音だけが響きつづけた。翌朝もう一度挑戦することにして、俺はテントに潜りこんだ。

 夜明け前、「ガサッガサッ」という音で目が覚めた。「フライシートの張り出しスペース」に置いていた夕食の残り、なにかがそれを漁っているようだ。音の大きさからネズミ系の小動物だと思ったが、やはり闇夜での獣の気配は薄気味悪い。テントのジッパーを上げ、そっと辺りを覗った。
 ジッパーを上げると、途端にその音は止んだ。テント周辺を見まわすが何もいない。しかし、ライトを消し寝袋に潜り込むとその音はまた始まるのだ。そして、ライトをつけては止み、鳴ってはライトをつけ、そんなことを繰り返していた時のことである。突然「バサッ!」という音とともにテントに何かが覆い被さってきた。「うぎゃぁぁ〜」、あまりの驚きに叫び声をあげてしまった。音の大きさからある程度でかい動物であることは推測できた。音はテントの上で鳴ったことから、ネズミなどの小動物ではない。もしかして…。少しパニックに陥った俺はテントを飛び出し、棒を振り回し叫びまわった。「出て来い!コノヤロォォ〜!!」 その後、その音は止み辺りは静寂に包まれた(冷静になって考えると、それはチョロート川でよく見かける「黒っぽいサギのような鳥」ではないかと思う)。
 一睡も出来なくなった俺は、まだ暗い中釣りを開始した。昨晩と同じように「瀬」をバドで、「淵」をオリノコで攻め続けた。しかし、結果は同じだった。釣れてくるのは50cm台のレノックばかり、「ゴボォ!」という音を聞くことは出来なかった。「なぜだろうか?」、当初の計画ではこのポイントで早々に110cmクラスのタイメンをあげる予定だった。そして、川原伝いに北上し、下流の「川が大きく蛇行するポイント」で120cmを目論んでいた。しかし、タイメンの気配がまったく感じられない。「時期が早かったのだろうか?」、前回は9月の上旬だった。「タイメンはまだ上流部に昇って来ていないのかな?」、あれこれ考え頭を悩ました。
 そして、夜が明けた時、その答えは分った。朝日に照らされたチョロートは御汁粉色に濁り、まるでアマゾン川のようだった。昨日、遠く南の方角(チョロート上流部)で雷が鳴っていた。しかし、秘密基地周辺では少し雨が降っただけなので大丈夫だと思っていたのだが…。昨日の昼過ぎには澄んでいたチョロート、こんなにもあっという間に変ってしまうのか? 
 その後数日間、再びチョロートが澄むことはなかった。下流部を何箇所か攻めてみたが、タイメンどころかレノックを釣るのもやっと…。俺は一旦タイメンを諦め、テルヒンツアガーン湖でパイクを狙うことを決めた。

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我武者羅無茶苦茶 本編1(テルヒンツァガーン湖編)
 地平線の彼方へと続く「轍」をトボトボと歩き始めた。この「轍」はジープの車輪が草の海に作った跡だ。ウランバートルから西に350kmも過ぎると舗装路はなく、この地ではこれが「ザム(道路)」と呼ばれている。途中、気まぐれな運転手によって作られた道は幾重にも枝分かれするが、終いには1本の道になり西に続いている。これを辿って行けば、迷うことなくテルヒンツアガーン湖に辿り着けるはずだ。
 しかし、チョロート川から湖までは直線でも約30km、正直気が滅入った。荷物の重量は変ってないが、来た時より遥かに重く感じられ肩に食いこんだ。タイメンが釣れていれば「湖まで歩くこと」も面白いストーリーとして成り立つが、今となっては意味がない。少しだけ歩いてその場にへたり込んだ。「はぁ、ヒッチハイクでもするか…」。「ヘタレ野郎!」と言われようが、
「獲得」のない「努力」は行なう意味が無いのだ!(我ながらもの凄く調子よい奴ですね…笑)。

 草の上に腰をおろして待つこと1時間、1台の車が砂埃をあげながら走ってきた。すかさず親指を立て「ヒッチハイクポーズ」をとる。このポーズ、今時やるにはちょっと勇気が要る。世界各国のガイドブックが発売され、誰でも簡単に「旅行」することが出来る時代にヒッチハイクは気恥ずかしい。しかし、使い古されたこのポーズも蒙古ではなぜかばっちりキマルのだ。草原にはまだ「旅」が残っているからかもしれない(もっとも、蒙古の田舎ではヒッチしか交通手段がないのだが)。
 その車は俺を10mほど走りすぎて止まった。窓からヒゲ面オヤジが顔を出し、「湖の先で仕事があるので、乗っていけよ! 金は要らないぞぉ」と言った。そして、後部席に座っていたピチピチモンゴリアンガールが「どうぞ!座って」と微笑んだ。これは非常についている! やはり「獲得」のない「努力」は捨てて正解だったのだ! デレデレしながらその車に乗りこみ、俺の新たなる旅は始まるのであった(笑)。
 さて、新たな旅立ちには祝杯が必要だ。案の定、車内では宴会が始まった。ヒゲ面オヤジは運転しながらもグビグビとウオッカを飲み干した。18歳になるという美しい娘も控えめに小さな器を飲み干した(恐らくどこにでもいるような娘だったと思うが、辺境で魚と獣に囲まれ暮らしていると全ての女が美しく見えてくる。これを「辺境の美人度数錯覚現象」と人は言う。ホントかっ!?)。そして俺はというと、久しぶりに人と会った嬉しさからか、アルコール度数40℃に達するウォッカを浴びるほど飲んで意識朦朧。終いには寝こんでしまった…。
 それから何時間が経ったのだろうか?目覚めると、目の前には湖が広がっていた。千鳥足で湖岸に立つと、それは確かに白い湖「テルヒンツァガーンノール」だった。しかし、この場所は記憶にない。一体何処なのだろうか? ふと遥か彼方の対岸に目をやると、そこには3年前にデビット達と過ごした湖岸が広がっていた。どうやら湖の北岸に行くつもりが、南岸に着いてしまったらしい。既に西の空には日が沈み始めており、この日の「北岸行き」と「パイク釣行」は諦めた。
 しかし、そんなことはもうどうでも良かった。この日はヒゲ面オヤジの友達宅でさらに激しい大宴会が繰広げられた。そこで俺はさらに飲みつづけ、拙いモンゴル語で見知らぬ人にあだ名をつけていった。それは「マンガル チョノ(気狂い狼)」「マンガル タルバッガ(気狂いプレーリードック)」「オヒン ボフッ(水牛娘)」「プーチン ウオッカ(意味不明)」「ティンザウルス(ティラノザウルス)」などという下らないものばかりだったが、モンゴル人には大いにうけて一躍草原のヒーローになってしまった。

 翌朝、モンゴル人が運転するロシアンバイクにまたがり北岸に向かった。この人は俺が「気狂い狼」と名づけたオッサンだ(オッサン!わざわざ送ってくれてありがとう。あだ名は「サェハーン チョノ(素敵な狼)」にしておけば良かったな…。申し訳ない!)。
 南岸から北岸へは、タリアト村を通りすぎ、湖から流れ出すソモン川を越え、火山の脇を通らなければならない。道はあってないようなもので、バイクが上下左右に揺れるたびに二日酔いの頭が痛んだ。
 1時間ほど経って、バイクは北岸を望む小さな峠を越えた。懐かしい風景が通りすぎる度に頭の痛みは和らいでいった。そして、バイクは湖岸の高台に止まった。三つのゲルが湖に向かう形で並んでいる。これは3年前からの友人「遊牧民ミャグマ」のゲルだ。しかし、そのゲルの後ろに見知らぬ丸太小屋が建っていた。「はて? 2年前はこんなものはなかったぞ?」、大声で名前を呼ぶと丸太小屋のドアが開いた。入り口から顔を出したのはまぎれもなくミャグマ、一瞬驚いた表情を見せ、その後俺に微笑んだ。
 「ミャグマー サンバエノー(やあ、ミャグマ。元気?)」 「サェン サンバエノー(うん、お前はどうだ?)」 「この丸太小屋はなんなの?」 「あぁ、俺が建てたのさ!」 そしてこの日から、ミャグマの新居に居候することになった!


 北岸到着後、直ぐに湖に出撃した。ポイントはミャグマ家から歩いて10分、2年前に90cmのパイクを釣った岬の先端だ。岸から3m先のブレイクラインに水草が絡むポイントである。先ずは16ポンドラインにサクラマス用スプーン(21g)を結んで釣り開始、広範囲に探っていった。ブレイクラインはもちろんのこと、沖に点在する水草周りを次々と撃ってゆく俺。しかし、この日は生憎の曇り模様、7月の終わりだというのに結構肌寒いのだ(この地のパイクは暖かく風のない日が圧倒的に高活性。パイクがエサとなる小魚を追ってシャローに出てくるからだ)。開始から約30分、アタリすらなく惨敗ムードが高まった。
 そこで小物用タックル(6lbライン、8cmサスペンドミノー)にチェンジしてパーチ狙いに切替える。すると直ぐに20cmクラスのパーチ(現地名アルカンナ)をGET。続いてルアーがブレイクラインからシャローに抜ける瞬間にヒットしたのは36cm、自己記録37cmに迫る大型サイズに気分は高まった。
 その後、しばらくキャストを繰り返すが、アタリは途絶えた。しかし、諦めかけたその時、いきなり「ゴッゴ〜ン」とアタリがきてドラグが鳴りまくった。この引きはもしや? そう、6lbラインにパイク(現地名ツォルハイ)が掛かかっちゃたのだ! 普段は「走らない鯉」のような単純ファイトも、ライトタックルでは非常にスリリング! しばらく、慎重にそしてドキドキしながら闘った。そしてなんとか砂浜に引き上げたのは75cm。この魚としては中途半端なサイズではあるが、2004年度の初パイクにして6lbラインでのGETに満足した初日でした。
左写真、6lbライン直結で釣った75cmのノーザンパイク。右写真、36cmのパーチ。

 それから三日が過ぎた。遊牧民との暮らしはいたってシンプルで、日の出とともに目を覚まし、腹が減ったら飯を食い、人が集まれば茶を飲み酒を飲み、日が暮れたら寝袋に潜りこむだけの繰り返しだった。もし、「日々の暮らしの中で本当に大切なものは何か」を知りたかったら、しばらく彼らと暮らしてみると良いだろう。遊牧生活には無駄なものが何一つないからだ。
 お客さんの俺は蒔き割りも、水汲みも、家畜の世話もする必要がなかった。遊牧生活では役割分担が明確に決まっているからだ。女は火をたき飯を作る。子供は蒔きを割り、水を汲み、羊を追いかけ回す。男は馬に乗り獲物を狩る。釣り人の俺はロッドを振っていればそれで良かった。しかし、釣果があがっていたかというとそうでもなかった。というより…、ある理由で釣りそのものができなかったのである。
 俺がロッドを片手に湖に出掛けると必ず声をかけられた。三年目となるこの地ではほとんどの人が知り合いだった。昼間から酔っ払っている男達から「まあまあ、お前も飲んでいけよぉ!」というお誘いが毎日続いたのだ。宴会は一度始まると止めど無く続いた。男達が円になって座り、順番に酒を飲み干してゆく。アルコール度数40%を超えるウォッカのボトルは次々と空になっていった。
 俺はウォッカが嫌いだ。味がなくひたすら強いだけで「酔っ払うためだけ」にある酒だ。無理に一気に飲み干すと、喉は焼けるように熱くなる。先程、遊牧生活には無駄なものがないと言ったが、ただ1つあるとすれば、それは「ウォッカ」に違いないだろう。
 しかし、俺はこの宴会が嫌いではなかった。いやむしろモンゴルでは一番楽しい一時だ。男達が酔うごとにマンガル(気狂い)になってゆく様を眺めているのは楽しいのだ。ただ、釣りが出来たほうが良いに決まっているのだが…。


 この日は早々に宴会を抜け出し、ボートで湖に漕ぎ出した。釣りがしたかったというのはもちろんだが、「このままではアル中になるのではないか」という不安からだ。向かった先は2年前に「3時間、2人で11匹」という爆釣を経験した岩石島だ。この島の周辺は水草が豊富で地形の変化が激しく、近辺では最高のポイントである。しかし、釣りを始めると困ったことになった。西風が強すぎて、数投する間にボートがどんどん流されていくのだ。岸辺の水草シャローをピンポイントで狙いたいと思っていたが、正直釣りにならなかった。
 そこで、狙いを「沖に所々に浮かぶ水草周り」に変えた。そこなら少々効率は悪いが、流されながらもなんとか攻めることができるからだ。はじめに使ったのは小型のスイムベイト。ボディに切れ込みが入っているこのルアーはタダ巻きでブリブリ動き、パイクに効いた。しかし、トリプルフックが1個しかついていないため、アタリがあってもほとんどノラない。また、やっとのことで掛けた奴がメータークラスの大物であったが、ボート際で痛恨のフックアウト。
 それから、ルアーをめまぐるしく変えた。今回は数多くのルアーを用意してきたので、「アタリルアー」を絞り込みたかったからだ。その中で良かったのは14cmクラスのシャローミノー。水草に絡んで使い辛かったが、引っ掛かからなければ抜群にパイクを誘う力が
あり、80cmと60cmを手にすることが出来た。
 その後、強風・向かい風の中を20分以上漕いで、島の西岸に移動した。西岸は高波が押し寄せ釣りにならなかったが、そこから島の中央に向け入り組んだワンドが形成されており、波から逃げる様に進入した。するとそこは水草が生い茂るシャロー地帯で魚の気配がビンビン感じられる。そこで俺はTOPにチェンジした。取り出したのは「オリノコモンスター」、水草でできた細い通路を攻めるなら、短い距離で細かくアクションするルアーが良いと思ったからだ。
 そして10分ほど経った頃だろうか? 「それ」は起こった! その場所は「沖からワンドへ続く深い溝の行き止まり」、水中から伸びた水草が島を形成していた。沖から進入したパイクにとって絶好の隠れ家となっていたようである。オリノコを島の際にキャストし激しくドックウォークさせながら目の前3mまで引いてきたその時、突然ルアーの下に巨大な影が現れ「ドォーン!」、大きな水飛沫があがった。すぐさま命一杯あわせると、そいつは左右に暴れ回りラインがズルズルと出ていった。スピードは遅く慌てることはなかったが、ボート際まで寄せると見たことのないサイズのパイク。のた打ち回る巨大パイクにランディングはてこずった。なんとか口にギャフを掛けボートに引きずり上げたのは104cm、三年目にしてとうとうメーターオーバーを釣ったぞぉ!
TOPで来た104cmのノーザンパイク。

 104cmの炸裂によって「燃える闘魂状態」になった俺はもう酔っぱらいに構っている暇などなかった。翌日から毎日湖に漕ぎでた。湖上は相変わらず強風が吹き荒れていたが、苦労しながらもパターンをつかみつつあった。パイクは岸辺のシャローと沖を行ったり来たりしている。荒れ模様の時は沖の水草に潜み、穏やかな陽気になるとシャローに出てくる。そこで、沖を流し釣りながら風が止むのを待ち、その時がきたらシャロー、それも「ディープとのアクセスが良い所」で大物を狙う作戦を立てた。
 しかし、3日目73cm、4日目83cmと釣果は振るわなかった。2年前に比べるとなにか物足りないのだ。あの時はアタリがもっと多かった。また、釣りが出来ないほど覆われていた岩石島の水草群が半分ほどに減っている。「今年は厳しいなぁ」、何度も溜め息をついた。
 そして向かえた5日目。14cmミノーで早々に60cmを捕った。前日まで1匹を捕るのに苦労していただけに気分は良かった。しかし、ペンチでフックを外した直後、左手に強い痛みが走った。見ると親指から血がドクドクと流れている。ほんの一瞬歯に触れただけのに恐るべしノーザンパイク…。
 その後、風が弱まったので104cmが炸裂したポイントに向かった。オリノコで水草島周りを丹念に探るが水面は静かなままだった。そこでルアーを代えようとタックルBOXを開けたその時、目の前15mで水面が揺らいだ。「なんだいるじゃん!」、すかさずミノーにチェンジしキャストした。1投目は何事もなかった。そして2投目、少し遠目にキャストし水面が揺らいだ地点でジャークを加えたその時、「グゥン」という鈍いアタリがあった。すかさずアワせるがちょっと様子がおかしい。動きは鈍いがとにかく重い。ラインが少しずつだが確実に引き出されていった。「これは相当でかいぞぉ!」、ドラグを緩めると魚は湖底に走り、終いには水草にもぐったまま動かなくなってしまった。しかし、絶望感に襲われながらも何度かロッドを揺さぶると動き出した。少し弱ったパイクは強引に巻き上げると以外にすんなりボート際まで寄って来るが、その度に反転して湖底に潜ってゆく。スピードが遅く、あまり走り回らないので慌てることはなかったが、先日の104cmを超える魚体に胸が高鳴った。そして慎重にファイトを重ね、遂にあがったのは110cm! 思ってもみなかったそのサイズに、その夜はウォッカで乾杯! またまたアル中街道まっしぐらの俺だった…。
パイクの牙で左親指大量出血…。 110cmのノーザンパイク。

 毎日「変化」のない風景に囲まれて暮らすのは耐えられない。「ここじゃない何処か」を求めて旅を始めた。昨日と異なった道を歩き、昨日と異なった言葉を話し、昨日と異なった獲物を狩る! 毎日同じことをして生きるのはまっぴら御免だ。俺は変化のない時間を生きるのは嫌いだ。
 しかし、一度旅をした場所をもう一度訪れる時、その「変化」に寂しさを感じるのは何故だろうか? アジアの人々にとって「変化」こそが重要で、「過去」は何も意味を持たないような気がする。あっという間に街並みが変わり、ファッションや志向が変り、何もかもあっという間にどんどん変ってしまう…。
 そして、その「変化」は草原の湖に建ち並ぶ小さな集落でも起こっていた。3年前、俺が初めてミャグマのゲルを訪れた時、彼らは普通の遊牧民だった。しかし、一昨年から彼らの生活に「変化」が起こった。というのは、ウランバートルにあるホテルの外国人客が車をチャーターしやってくるようになったのだ。ミャグマのゲルは彼らのホームステイ先に使われるようになり、その収入で丸太小屋が建った。そして、余ったお金は酒代に変り、ミャグマは朝から酔っぱらうようになってしまった…。
 俺は自分が旅人であるに関わらず、観光化が始まったこの地に寂しさを感じた。そして自分だけの秘密の場所を知られてしまったようでなんだか悔しかった…。

 そんなことを感じていたある日、湖畔に小さなテントが一つ、ポツンと建った。そこに居着いたのは白人女の二人組み。さっそくミャグマは興味津々で、「話しかけてみようぜ!」と俺を誘った(まったくこのオッサン、英語はグットとハングリーしか話せないくせに、やたらと白人と話したがる…)。
 話しかけてみると、彼女達はフランス人だった。蒙古の辺境にはなぜかフランス人の旅人が多い。しかも馬で旅をしたり、一人で歩いていたり、何故かみんな揃って変態だ。しかし、彼らとはなぜか気が合うのだ。先ず、彼らのほとんどがヘビースモーカーで、隣で気兼ねなくタバコを吸えるのがいい! そして、テントにシェラフ、クッカーと完全装備で自由気ままに旅をしている姿がいい! そして何より、個人主義者で他人に無関心なところが尚いい! 旅にベタベタした馴れ合いは必要ないのだ。
 彼女達もヘビースモーカーで、気ままな旅人で、個人主義者だった。しかしどこか愛嬌のある旅人でしばらく話しをしているうちに仲良くなった。何度か会う度に、「モンゴル料理」の不味さに話しは及んだ。彼女達は遊牧民から何度かご飯をご馳走になったそうで、「あんな不味いものは他にない」と言い「オエェー」と顔をしかめた。それで、いつもモンゴル製のウドンを茹でてケチャップをかけて食べている。
 しかし、毎日3食とも「ケチャップうどん」を食べなければならないのにはさすがに参っていたようで、食べ物だけが悩みの種だと溜め息をついた。そこで俺は提案した。「ブロシェ(仏語でパイク)を釣って食べよう! フランス料理を作ってよ!」。

 そしてある日、俺達は湖に漕ぎ出した! その日は晴天であったが、西風が強く湖面は波立っていた。そして二人が女としては巨大過ぎたこともあり(失礼!)、重過ぎてボートは思うように進まなかった。
 先ずは食料を確保しておきたかった為、ボートを漕ぎながら俺が釣りを開始した。そして幸先良く水草周りでアスリートミノーを使い83cmを釣り上げた。夕食の食材を手にしたことで一安心、お次は彼女達に釣りを楽しんでもらう番だが、風は一層強まりボートの方向を一定にするのがやっと。そこで接岸し、彼女達にキャスト練習をさせながら風が止むのを待つことにした。
  さて、この二人のフランス女。一人は名前を「セゴー」という。パリでイベント会社に勤める彼女は180cm近い長身、そしてぶっきらぼうな性格だ。もう一人はプータローの「クレム」。オットリとした性格でどちらかというと御嬢様系か。釣りをほとんどやったことがないという彼女達だったが、しばらく練習するとなんとか投げれるようになった。しかし面白かったのは、彼女達のキャストがそれぞれのキャラクターを見事に反映していたことだ。セゴーはその巨体をフルに駆使して力強いキャストをする。力み過ぎのため方向が定まらないが、飛距離はでる。一方、クレム。ゆったりとしたフォームでふんわりとキャスト、15mぐらいしか飛ばない。
 そしてしばらくすると風がおさまった。この二人にパイクを釣らせるため、俺はオールを握った。クレムの飛距離は約15m。真直ぐに飛ばすことができるが、シャローをピンポイントで狙う場合パイクに気づかれる可能性が高い。また、セゴーも方向が定まらず狙ったポイントにいれるのが難しい。そこで、沖に所々に沈む水草周りを流し、シングルフックのスプーンを好き勝手にキャストをさせることにした。何度もキャストをしているうちに、水草の上をルアーが通過しパイクが釣れる可能性があると思ったのだ。
 ゆったりとした風を受けてボートが少しづつ東に流されてゆく中、二人は想い想いにキャストをはじめた。その時俺はどちらか一人にパイクが釣れるならセゴーの方だと思っていた。水草はどこに沈んでいるか遠目には分らない。それならルアーを引く距離が長い方が、そこを通る確率が高いだろうと思っていた。しかし、「キャー」という悲鳴とともにロッドを先に曲げたのはクレムの方だった! サイズは恐らく80cm前半だろう、初めての獲物にしては大き過ぎるサイズにクレムは慌てふためきバラしてしまった。唖然とする彼女、しかし10分後再びロッドが曲がった。今度は70cmクラス、引きもそれほどでもなく落ちついてボート際まで寄せることに成功した。しかし…、今度は俺がランディングに手間取り痛恨のフックオフ。彼女に詫びを入れながら、俺は「これでクレムのツキは終わった…」と思った。しかし、である! クレムはなんとその数分後、遂にパイクを仕留めたのである! 50cmと小物ではあったが船上は大歓声に包まれた。
 クレムの笑顔にホッとしながら俺は思った。これは「運」ではない。「運」は一度きりのものでそう何度も続かない。彼女の釣り方は一見技術がないように見えて、実はパイクの「波長」と合っているに違いない。キャストもアクションのつけ方も下手に見えるが何故かいつも魚を釣る人が稀にいる。釣り人はそれを「運」という言葉で片付けたがるが、俺は違うと思う。その人は魚の生態と波長があった釣り方をしているのだ!
 ということで、俺はクレムの釣りをじっくりと観察することにした。彼女は非常にゆっくりとリールを巻く。そしてアクションは何もつけていない(時折水面をルアーが飛び出すぐらい早く巻くセゴーとは対照的だ)。水草は水面下約1mまで伸びている。彼女のスプーンはそのわずかに上をナメルようにヒラヒラと泳ぎ、居着きのパイクを誘っていたのではないだろうか?
  自分の推測が正しいか? 俺は試してみたいと思った。そこでセゴーにボートを漕ぐのを変ってもらい、少し遠目から攻め始めた。4投目、十分に沈めてからゆっくりとリーリングを開始した。目には見えないがスプーンが水草の上ギリギリを通過することを意識した。すると突然「ゴンッ」ときてロッドが絞り込まれた! ガンガン巻いて寄せると「ザバッ」とグットサイズのパイクが飛び出した。船上は大騒ぎになったが俺は冷静にパイクのドテッパラにギャフを撃ちこんだ。そして「今夜はこれを食おうぜ!」と一言。キマッた…。わずか数投で96cmのランカーを捕った! 大和男児の株は急上昇したに違いない。俺はクレムの釣法を真似たことは黙っていようと思った…(笑)。
96cmのパイク。よ〜く見るとリプトンティーの空き箱で作った「日焼けガード」を鼻に装着してるのが笑える。

 その夜、湖畔で焚き火を囲みブロシェパーティーが開かれた。俺達の他に三人のフランス人が何処からかやって来てそれに加わった。会話はフランス語でさっぱりチンプンカンプン。時折クレムが英語に訳してくれるが、しかしそんなことは気にならなかった。一面の星空の下、小さな火を囲みながら聞こえてくるフランス語の滑らかな響きに包まれるのは悪くなかった。フランス人が五人も揃ったというのに、やっぱり料理はパイクの炭火焼だったけどね…(笑)。

我武者羅無茶苦茶 本編2(風の谷編)

 翌朝、旅立ちの日に相応しく雲一つなく晴れわたった。クレムとセゴーはウランバートルへと帰って行った。フランス式の別れの挨拶なのか?軽く抱き合い首筋にキスをする。大和男児にとっては慣れない習慣にちょっとデレデレ。しかし浮ついてはいられなかった。俺もこの日、タイメンを本格的に狙うため旅立つことになっていた。目指す先はテルヒンツァガーン湖から北に100km、チョロートの支流が流れる「風の谷」だ。予定4泊5日の相棒は遊牧民の「エンビシ」、酒飲みになって役立たずになったミャグマに代わってバイクを運転する。
 しかし、である。バイクにまたがり見送るモンゴル人に手を振ったが、エンジンがかからなかった。「またか…」、いつものことだ。俺は草原に腰を下ろしタバコに火をつけ、一見デタラメなようで手馴れているモンゴル人の修理を眺めた…。
 そして1時間ほどしてなんとかエンジンは生きを吹き帰した。しかし、約2km程湖岸を走り抜けそろそろ山道に入ろうとしたその時、エンジンが動かなくなった。それからしばらく修理に追われるエンビシを眺め、道端の石ころと化した。修理が1時間以上にも長引くとさすがの俺もイライラしてきた。道端で群れる羊の鳴き声が妙に腹立たしい、追い掛け回し憂さを晴らした。俺は「羊」という生物が嫌いだ。群れている生物は全体として見た場合、調和がとれて美しいが、個体を観察すると思いっきりマヌケだ。群れから少しでも離れてしまうとオロオロと慌てふためく姿。そして、群れの中にいる安心感からか、車やバイクが近づいても轢かれる寸前まで逃げなのだ! そんなことはどうでもいい…。結局修理に3時間ほど費やし俺達はなんとか旅だった。あぁ先が思いやられる…。
 それからバイクは生まれ変わったように爆音を轟かせ続けた。山道に入ると「はたしてこれが道と呼んでよいのだろうか?」と思うほど無茶苦茶になったが、エンビシの運転冴えていて道に無数に突き出た岩をかわし、山を登り川を越えた。そして2時間ほど走った頃だろうか? 急に周りの風景が変った。山は深い木々に覆われ、まるでシベリア鉄道からいつか見たロシアの風景のようだった。明らかにタリアト周辺とは異なったエリアに入った気がした。次第に天候が悪化し、空は厚い雲に覆われ始めた。雨がパラつき、遥か彼方の空では雷が鳴り出した。それからさらに2時間後、びしょ濡れになった俺達は高い山々に囲まれた小さな村に到着した。そこが今回の目的の地「風の谷」、エンビシの生まれ故郷である。
 しかし、首を左右に180度傾けるだけで端から端まで見渡せるほど小さな村。空が厚い雲に覆われていたこともあり、薄暗くみすぼらしい村に唖然とした。俺は「こんな所まで来てしまったなぁ…」と思い、なんだか帰りたくなってしまった。しかしエンビシは「ここが俺の生まれ故郷だ!」と上機嫌、一軒のみすぼらしい商店でロシア製のチョコレート詰め合せセット(2000tg・約200円)を買ってきて、「今から兄さんの家に行くぞ!これはお土産だ。」と大事そうに仕舞った。
 村の少し外れにその家はあった。木を張り合わせた粗末な塀で囲まれた敷地にゲルがポツンと建っている。エンビシが何か叫ぶと女の子が飛び出して来て、続いて男が入り口から顔を出した。それを見た俺はちょっと驚いた! 「なんでこんな所に竹中直人が…」。
左写真、エンビシとのキャンプ生活。右写真、風の谷の街中。

 エンビシから兄と紹介されたその男は竹中直人そっくりだった! しかし、顔から下がごつくてデカい。おまけに名前は「トムビシ(デカくない)」というそうだ。そのアンバランスさが妙におかしく、俺は挨拶をしながら笑いを堪えるのに精一杯だった(笑)。
 トムビシさんのゲルにお邪魔すると、「スーテツァイ」が注がれた。モンゴル人宅を訪れると必ずこの塩味ミルクティーが最初にだされる。続いて「塩茹でウドン」が大きな器に山盛りで出てきた。このウドン、ほんの少し塩味がついているだけで、羊の脂身がプカプカと浮き相当不味い。しかも、やっとのことで食べ終わると直ぐに2杯目を強要される…。そして、酒。これはもう言うまでもないだろう。俺は次ぎから次ぎへと持成される激マズ料理を空にしながら、気が気でなかった。「今夜釣りを行なうなら、まだ日が暮れないうちにポイントを開拓しなければならないよなぁ…。」
 結局、トムビシさんのゲルを経つ頃には日が西の空に傾き始めていた。俺達はバイクを飛ばして村外れを流れるチョロート支流に向った! 十数分後岸辺に立つが、想像してた川とはかなり違うことを感じた。川は平原を流れているため、起伏に乏しくノッペリとただ広がって流れていた。石がコロコロと転がる川原の風景は日本のソレとそっくりだった。「これはもっと奥地の山岳地帯に行かないと厳しいなぁ…」。
 しかし、日没まではあまり時間がないこともあり、周辺で今夜のポイントを決めるより他にしょうがなかった。しばらくブラブラしていると、急流域に小川が流れ込み複雑な流れを形成するポイントを見つけた。「悪くはない」、しかもその下流では流れが小高い岩山にぶつかり、カーブしている。手前側約15mは激シャローだが、岩山側の対岸寄りは水深がありよさげだった。「今夜はここにするか!」、周辺でタイメンを狙うならここ以外には選択肢は無さそうだ。俺達はテントを張り焚き木を集め、夜に備えた!
 湿った木でなんとか火を起し、川の水を沸かした。そして、コーヒーを飲み終える頃には辺りは闇に包まれていた。俺は焚き火の明りを頼りにタックルをセットし、「小川の流れ込み」から探り始めた。村から続く小川は日中に降った雨の影響で茶色く濁り、勢いよく本流に流れ込んでいた。その流れは本流の強い流れと複雑に絡み合い「淀み」を形成している。俺は流れに強い「オリノコ」を選び、下流側からその「淀み」を攻めていった。しかし、ポツポツとレノックは釣れてくるが、一向にタイメンのアタリがない。「ビックバド」に変え2mおきに丹念に探ってみるが結果は同じだった。
 そこで、50mほど下流の「川が岩山にぶつかりカーブしているポイント」に移動した。その地点の川幅は約50mぐらいだろうか? 「流れ込みポイント」とは逆にタイメンがいるであろうポイントは向う岸の深場。俺のタックルでは岸辺ギリギリにルアーを落とすには少しだけ距離があり過ぎた。手前側は30〜40cmのシャローが続いているため、ウェーディングを試みることにした。パンツ一丁になり、意を決して川に足を入れる。真夏とはいえ、蒙古の夜は肌寒く水は相当冷たい。しかし、開始直後からレノックのアタリが頻繁に続いた。魚はやはり岸辺の深場に溜まっているようだった。寒さに震えながらも期待に胸を熱くした。そして3匹のレノックを釣った後、少しだけ大きな捕食音が闇に響いた。引きはそれほどでもないが、60cmクラスのレノックに比べて明らかに走った。そして、浅場に寄せるとバタバタと水面を割って暴れだした。「トォール!(タイメンだぁ!)」と叫ぶと川原で居眠りをしていたエンビシが飛び起きた。上がったのは80cmと小型ではあったが、俺達は「この年の初タイメン」に手を取り合って喜んだ。そして、タイメンが釣れた時に必ず吸う決めタバコ「ダンヒル」をこの年初めて吸った。これは初めて蒙古を訪れた年、UBからチョロートに向うバス停で「タイメンが釣れた時に吸おう!」と店で一番高いタバコを買った時からずっと続いている。「年々、地理も言葉も覚えタックルも戦略も進化してゆくが、最初の1匹を釣るまでは苦労するなぁ…」、俺はタバコの煙りを吐き出しながらしみじみと思った。
 しかし、1匹を上げたからには後は大物だ! 俺は再び冷たい川に立ち込んだ。そして、それから10分後、再び「オリノコ」にタイメンが食いついた。74cmと小型だったためすぐに寄って来たが、ランディング時に後部ヒートンが吹っ飛んでしまった…。強度的には問題のないルアーだったが、さすがにアマゾン・日本・蒙古と散々使い込んだだけあり、相当痛んでいたようだ。また、フックを外すのに手間取り、そのタイメンは弱ってしまった。そこで、川原の小さな池に放し、一晩様子を見て駄目だったら食べることにした。
 この事件がキッカケで、「今夜はもういいや…」と思ってしまった。それから少しだけ釣りを続け、最後に「DIXY」に推定1m近いタイメンのアタリがあったが、寒さのため直ぐにやめてしまった。妥協ポイントでの予想外の釣果に気を良くした俺達はシェラフに潜りこむ前、焚き火を囲みビールで乾杯した。すっかり酔っぱらって上機嫌のエンビシからは歌まで飛び出す始末。そして、寝る間際になり一言。「寒いから、お前のテントに入れさせてくれよ!」。どうやって眠るか気にはなっていたが、まさか1.5人用のテントに酔っぱらいのオッサンと二人っきりで眠ることになろうとは…(笑)。
左写真(80cmのタイメン) 右写真(74cmのタイメン)。

 「旅のアクシデント」は何の前触れもなくやってくるものだ。その日、日の出とともに目覚めた俺達は少し浮かれていた。初日にあっさりと2匹のタイメンが釣れたこと。そして、朝食後「奥地へ開拓に向う予定」で気分は高揚していた。その時、まさかこんなことになろうとは夢にも思っていなかった…。

 その朝川に水を汲みに行くと、前の晩に釣った80cmのタイメンが浅瀬に浮いていた。「確かに元気よく川に戻って行ったはずなのになぁ。なんてこった…」。一方、弱ってしまったためキープしていた74cmの方は一晩で蘇生し、小さな水溜りで元気に泳ぎまわっていた。そこで俺達は80cmの方を食べ、代わりにその魚を放してやることにした。今年から無暗にタイメンを食べることは止そうと思っていたのだ。
 暴れまわるタイメンを掬い、素早く写真を2枚撮った。そして水の張ったナイロン袋に入れ、川までの距離約20mを全力で走った。後ろからエンビシがあとに続いたが、石を蹴るその足音は途中から突然途絶えた…。
 水辺に着くとすぐにタイメンを放った。始めは驚いてじっとしていたタイメンだったが、やがて尾鰭を揺らし流れと逆行して泳ぎ始めた。
 俺は一息ついて何気なく後ろを振り返った。「ええぇ!?」、一瞬我が目を疑った。なにが起こっているのかさえ分らなかった。目の前10mでエンビシが横に倒れていた。そして、異様なほど首を大きく上下に揺すっている。振り下ろされた顔は何度も岩に叩きつけられ、赤いものが飛び散っていた…。
 「うわあああああ!!! エンビシィィイ!」、狂ったように叫び声をあげ駆け寄った。エンビシの頭を後ろから抱きしめ、名前を呼び続けた。力を込めて押さえていないと、弾き飛ばされそうなほど痙攣は激しい。額と鼻穴と口から血が吹き出し、目は裏返って白目だ。
 「落ち着け落ち着けぇ!」そう自分に言い聞かせ、今何をすべきかを考えた。「恐らくエンビシは転倒した際、頭を強く打ったのだろう。しかし、この状態はどう見ても尋常じゃない。もしかしたら脳内出血しているかもしれない。だとしたら助からないだろう…。こんな小さな村に病院などあるはずがない。」、医学知識の全くない俺はエンビシの様態からもうダメだろうと無責任に判断した。「このまま俺が看取るしかないのか…?」。
 しかし、その時ふと彼の家族のことが頭を過ぎった。「エンビシには妻と小さな子供が二人いる。確か男の子と女の子だ。たとえもう助からないなら死目には会わせてやりたい。しかし、彼女達は遥か彼方のテルヒンツァガーン湖だ。間に合うはずがないよな…」。色々な想いが頭の中を巡り、そして結論を下した!
 「しばらくの間一人にするのは危険だが、兄のトムビシさんを呼ぼう! 訳の分らぬ外国人の腕の中で死ぬなんてあんまりだ!」。俺はエンビシをシェラフで包み、全力で走りだした!


 それから半日が過ぎ、時計の針は18時を指していた。エンビシはまだベットの上で眠り続けている。そして俺はこの日初めての飯を食べ終え、朝から続いた緊張感からやっと開放されていた。「それにしても今日は疲れたなぁ…」、一息つくと朝からの出来事が次々と思い出された。
 あれから、トムビシさんのゲルに運ばれたエンビシは意識を取り戻し、「頭が痛い」と小声で呟いたままベットに転がりこんだ。しばらくして、村に一つだけあるという診療所から医者と名乗る厚化粧のオバさんがやって来た。トムビシさんは「ほっと一安心」という顔をしたが、俺はちょっと不安だった。ド田舎には不釣合いなほど華やかな服装をしているオバさんは医者にはとても思えなかった。そのオバさんはエンビシに何やら一言二言質問し、聴診器を胸に当て難しそうな顔をして頷くと、小奇麗なハンドバックから点滴剤を取り出した。「やっぱり医者か!?」と思っていると、エンビシの腕に勢いよく針を突き刺し満足そうな笑みを浮かべ「もう大丈夫よ」と言った。そして、もてなされた塩茹でウドンを綺麗に平らげると、「アムッタイ(美味い)」と言い残し帰って行った。
 「こんなんでホントに大丈夫なのだろうか…?」、今朝の惨劇を目の当たりにした俺にはその診察はあまりに適当に思えてならなかった。俺は「この地では大怪我をしたら命の保証はないなぁ…」と思い、あまり無茶なことをするのは止めようと誓った。
 しかし、点滴が終わり6時間余りが経過すると、エンビシの様態は好転した。顔の傷は痛々しいが、話しが続くようになった。「エンビシ、大丈夫か?」 「あぁ」 「朝のこと覚えているかい?」 「いや、記憶にないな」 「どうしてこんなことになったんだよ?」 そしてエンビシが答えた言葉に俺は驚き、そして声を失った。
 「1ヶ月前に酔っぱらいと喧嘩して、ナタで頭を割られたんだよ」、「ほれ見ろ!」そう言って髪の毛をかきあげると大きな傷が二つあった。「その時は3日間意識が戻らなかった。それが原因じゃないか?」俺は驚き、声を失い、そして飽きれた…。「モンゴル人は多分不死身なんだ!」、心配した俺がバカだった…笑。

 日が西の空に沈み、ゲルに蝋燭の明りが灯る頃になると、エンビシが目を覚ました。「まだ少し頭が痛い」と呟いているが、だいぶ体調は回復したようだ。今朝失っていた目の光は普段に戻りつつあるように思えた。
 「とんでもない日だったなぁ…」、エンビシが血だらけで倒れていた時は最悪の事態も考えた。こんなにゆったりした気持ちでこの日の終わりを迎えようとは想像できなかった。俺はシェラフをバックパックから取り出し、寝る支度にとりかかった。しかしその時、エンビシが口を開いた。「兄さんと釣りに行きなよ」、「え!? いいの?」とトムビシさんの顔を覗うと、「もちろんだ!」という顔で頷き荷物をバイクに積み始めた。
 バイクは闇の中を川へ向って走った。ライトで照らすが石がゴロゴロと転がっていて、トムビシさんは慎重にハンドルをきった。俺はエンビシの二の舞になってたまるかと、必死に背中にしがみついているだけだった。
 バイクが止まると、そこは丁度エンビシが倒れた所だった。俺はその光景を思い出さぬようそそくさとテントを張り、壊れてしまった「オリノコ」の代わりに「DIXY」を結び、再びパンツ一丁で川に入った。水の冷たさは昨夜にも増して体にこたえた。足を深く踏み進むと、頭の先まで「キリリ」とした痛みが突き抜けてゆく。緊張から解き放たれ緩みきっていた気持ちは再び引き締まった。攻めるのは昨夜と同じ「カーブの深場」。対岸スレスレに落とし、流れを横切らせると続けざまにレノックが4匹釣れた。昨夜の好調は続いていたようである。
 そして、深場が終わりに近づき、少しだけ緩やかな流れに変る所に落とすと、すぐに「ゴボッ」と出た! 思いっきりアワせ強引に浅場に誘導すると、バタバタと水面を割って暴れ出した。「トォル!」と一言叫び、岸に寄せた。目の前に横たわったのは86cm、アベレージを少しだけ上回るタイメンだった。
 しかし、俺はこの1匹を最後に岸にあがった。トムビシさんが「もう寒くて限界か?」と笑ったが、俺は満足していたのだ。この日は「タイメンが1匹釣れた」、ただそれだけでいいような気がした。焚き火で体を温め、トムビシさんと「トルタメック(タイメンが釣れた時に吸う決めタバコ)を1本づつ吸い、テントに潜りこんだ。
 テントの外は今朝の騒乱がまるで嘘のように静まりかえっている。川の流れだけがサラサラと微かに響き、その清らかな音が悪夢を流し去ってくれるような気がした…。
 しかし…、その静寂はすぐに破られた。「グオォ〜、グオォ〜」 「熊か!?」、いや隣で寝ているトムビシさんのイビキだ…。彼はエンビシよりさらにゴツイ体をしている。1.5人用のテントでは顔との距離がわずかに30cmだ。耳元で響き続けるまるで「熊の叫び声」のような騒音に、再び悪夢をみる俺だった…(笑)。
左写真(86cmのタイメン) 右写真(Oさんから貰った「DIXY」)

 翌朝ゲルに戻ると、エンビシはズルズルと音をたてながら「塩茹でウドン」をすすっていた。食欲があるのは元気になった証拠だ。大きな口を開け2杯目のウドンを頬張る姿を見て、ホッとしながらも「よくあんな不味いウドンを2杯も食えるなぁ」と飽きれた(笑)。
 そして午後、エンビシの体のことを考えて、遠出は避けて近くの川を探索した。向かった先は風の谷より「上流部」だ。「川を溯るに従い山の地形と絡み合い、面白い流れをしているのでは?」と思ったのだ。
 しかし、しばらくバイクを走らせるが、川はどこまで行っても山に没することなく、山間の平地を流れているようだった。おまけに水量が無く、川底が容易に見て取れる。「上流はダメだなぁ…」、水量がある「下流の山岳地帯」に狙いを絞ろうと思った。
 結局この日はレノックを数匹釣って岐路につくことになった。
 そして、それがこの旅最後の獲物となってしまった。それは、翌朝エンビシが「親父に会いたい!」と言い出したためだ。奴の親父さんは、風の谷から30kmほど北東の山の中に住んでいるらしい。「タルバガン狩りに連れていってやる」というエンビシの言葉に騙され、俺はそこへ向った。
 野山を越え川を越え、バイクを1時間半ほど走らせると、山間に4軒のゲルが寄り添うように建っていた。バイクが近づくと中から小さな子供達が飛び出して来て、続いて老いた顔立ちには不釣合いなほど屈強な体をした爺さんが出て来た。エンビシはその人を「親父だ」と紹介した。俺が「サンバエノー」と挨拶をすると、ニタリと笑い自宅に招き入れた。
 ゲルの中は村にあるものよりだいぶ質素な感じだった。ふとベット脇に目をやると、捕れたばかりだというタルバガンが折り重なって放置されていた。タルバガンというのは北米に住むプレーリードックに似ているリス科の生物で、ちょうどこの時期蒙古では狩りの最盛期を迎える。写真で見る分には愛嬌がある生き物だが、死んだ姿をマジマジと見ると「巨大なネズミ」のようで不気味だ。
 「ゲゲッ!積み重なっているとさすがに気持ち悪いなあ…」、じっと見つめていると、「食べるか?」と爺さんが聞いてきた。俺が「いや、食べたいわけでは…」と口篭もっていると、エンビシと共にそそくさと調理に取り掛かってしまった。
 料理法は「ボートク」といい、蒙古特有のものだった。まず首を切り落とし、その傷口から手を突っ込み内蔵を取り出す。そして、中に熱く焼いた石を詰め込むと「蒸気」と「肉の焼ける匂い」がたつ。針金で首をしばり内部を密封すると、お腹はパンパンに膨らみ、中からグツグツと音がする。そしてしばらく放置し、中から煮えてくるとできあがりだ!
 完成したボートクは草原に運ばれ、ナイフを入れられた。腹が切り裂かれると「金色のお汁」が溢れ出し、香ばしい匂いが辺りに立ち込めた。しかし、死体から一部終止を見ていたためか、あまり食欲は湧いてこなかった…。しかし、「食え、食えぇ!」と熱心に勧める爺さんのてまえ、一切れだけ口に投げ込み金色のお汁と共に流しこんだ。すると「あっ!」と驚くほどそれは美味かったのだ。硬くも柔らかくもなく丁度よい歯応えの肉が、少し苦くコクのあるスープと絶妙に交じり合っていた。俺は「サエハーン アムッタイェ(スゲ〜美味い)」と呟きながら夢中で肉を口に運び続けた。そして料理を取り囲む人の輪は増えてゆき、涎をたらした犬も寄って来て、あっという間に骨だけになってしまった。
 1頭のタルバガンを綺麗さっぱり食べ終え、することの無くなったモンゴル人の一団。やはりというか当然というか宴会が始まった。爺さんがニヤリと笑いタンスの陰からウォッカを取り出すと、その後は飲めや歌えやの大騒ぎになり、ビンを1本開けては次のゲルへと移動を繰返し、4軒目に辿り着く頃には皆ヘベレケになっていた。そして俺はといえば、調子に乗ってお得意の「モンゴル語でのあだ名つけ」を披露。その中の一つ、「チンギスハーンの美人妻」というのが今までの最高の笑いをとることができ、嬉しさのあまり「チンギス妻・・・・・」と連呼しながら意識を失った そうだ…(笑)。
 そして、6時間後、ほんの少し正気を取り戻した俺達はその集落を後にした。バイクに乗りこみエンジンをかけると、周辺のゲルから一斉に人々が出て来て手を振った。それに応えて俺達も「ザア バイルタエ(さようなら)」、大きく手を振る。バイクのスピードが増すごとに彼らは小さくなっていった。「また会える日が来るのだろうか?」、感傷に耽っていたその時、酒に酔って上機嫌のエンビシが大きくエンジンを吹かし、猛スピードで山を下り始めた。草原の山とはいえ所々に岩が突き出ていて、時折乗り上げて僕らは大きく宙を舞った。「おいっ! いいかげんにしろよ!」、しかしエンビシは聞く耳を持たない。大声で笑い声を上げながら、益々スピードを上げていった。
 「こいつ、そうとうにできあがっていやがる…。これが少し前まで血だらけでうめいていた奴のやることか? こいつはもう過去のことなど忘れてしまったのか? そして、もし転倒してしまったらどうなるか、その「先」すら考えることもできないのか?」、俺は腹がたった。
 とその時、エンビシが叫んだ。「タケ〜、サエハーン!(武、最高だぜ!)」。仕方なく俺も「エンビシ、サエハーン!」と応えてやった。しかし、ひと叫びするとなんだか楽しくなってきた。そしていつしかエンビシと一緒に大声で叫びながら、そのスリルに身を任せた。
 しかし、こんな馬鹿げたことをしてるのに不思議と恐怖はなかった。確かにだいぶ酒に酔ってはいた。しかし、それだけだろうか? 例えばここが「ヘルメットを被らないだけで警察に捕まるような国」だったら「それ」は怖かっただろう。そんな国では「結果」ばかりを先に考えてしまうからだ。しかし、ここは「現在(いま)」を考えることしかできない人々が暮らす国だ。誰も転倒したときのことなど考えはしない。ただこの瞬間、髪が風になびく快感を、酒に酔って夢見心地で草の海を突き抜ける爽快感だけを感じて生きているのだ。彼らは「現在(いま)」が楽しければそれでいいのだ…。
 どれぐらいの距離を走り続けただろうか? いつの間にか俺達はテルヒンツァガーン湖岸を走っていた。もうすぐミャグマの丸太小屋が見えてくる頃だ。ふと後ろを振り向くと燃える太陽が湖に沈もうとしていた。俺は想った。こんな旅をいつまで続けられるか分らない。ほんの一瞬であったにせよこいつらと過ごせて良かった。
 「現在(いま)」はあの沈みゆく夕日の美しさに似て、「一瞬」だ…。
後編に続く!
毎年、タルバガンを食べてペストが発生するこの国。
食べる勇気はありますか?(笑)。