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小泉総理は年金法案や色々な国民の声も聞かずに勝手に決めてしまってます。このままでは独裁者になってしまうと思います。M.Kさん

関東神学ゼミナール通信 fad27(043) 『この国のいま』 から

    元自衛官から、イラク反戦の訴え      小多 基実夫

 私は197011月に航空自衛隊に入りましたが、72年には自衛官として反戦の意志を表明したために懲戒免職になりましたから、自衛隊にいたのはわずか2年足らずです。よく「自衛官がどうして反戦の思想を持ったのか」と尋ねられるのですが、個々の隊員にとって入隊は、労働者としての「就職」そのものです。

私の場合も自衛隊に入隊する前には、学生運動やベ平連のベトナム反戦のデモにもよく参加したりしていましたし当時の一般的な若者です。入隊後もこっそりとそういう反戦集会やデモに参加している人、チャンスがあればと思っている人は結構いると思います。
 現在、憲法に違反して自衛隊がイラクに占領軍として派兵されていますが、これに動員されている自衛官も一つの職業として自衛官を選んだだけなのに、とんでもない時代に自衛官になったものだと「不運」を嘆いている人も多いと思います。たしかに自衛官は入隊後「軍人教育」もされますが、だからと言って入隊して服装や外見が一変するほどに頭の中身が急激に変わることはありえません。そこには確信をもっていただきたい。
 私が自衛官として反戦の意志を表明する大きなきっかけとなったのは、自衛隊が沖縄に「進駐」することに対して、沖縄の人々から大きな反対の声があがったからです。それまで旧日本軍が沖縄の民衆を殺害し、占領軍然として横柄なふるまいをしたことなど全く知りませんでしたので大変なショックを受けました。それを契機に「軍隊」「戦争」「国」というのは何なのかを考え始めたのです。

当然のことですがこういう疑問に隊内で答えられる人はいません。階級が上だからといっても上官がそういう事を僕ら以上に知っている訳ではありません。これも他の職業と同じで、上司や先輩というのは、専門職としての経験が長いというだけですから、僕ら下っ端の兵士では口も利けない顔も見れないような基地司令レベルの高級幹部でも、「自衛隊はなぜ沖縄に強引に進駐するのか」、現在ならば「なぜアメリカのイラク侵略戦争に加担してウソにウソを重ねてまでイラクに派兵するのか」などということには、何ひとつ答えることができません。

「とにかく国の決定だから行く」「命令だから行く」とぐらいしか言えません。イラクで問題になっている劣化ウラン弾についても同じです。どんなに部下や家族が不安に思っていても外務大臣が無責任に「問題ない」といえば、そこで思考は止まってしまい何ひとつ説明もできないまま、下に、現場(戦場)に押し付けるしかないのです。これも普通の会社とまったく同じです。

私は最近、自衛官の家族に積極的に働きかけて欲しいと、反戦運動をしている人々に呼びかけています。家族は不安でたまらない思いをしているでしょう。そういう家族に、決して排他的な態度をとらず、様々な情報を伝えて欲しいのです。家族からの言葉なら自衛官もきっと耳を貸すに違いないからです。先頃立川テント村の3人の仲間が自衛隊官舎へのビラ入れで不当逮捕されましたが、これなど「絶対に自衛官や家族に呼びかけをしないでくれ」という自衛隊当局の悲鳴に聞こえます。戦時体制に入った自衛隊の弱点、自衛隊の内外を貫く戦争動員体制の弱点がここだと自ら語っているようなものです。

だから「この不当弾圧は、世間から反戦平和運動から自衛官と家族を分断〜隔離し、大本営発表の官製情報しか聞かせまいとするものだ」と全国の官舎に知らせる。ここに照準を当ててどんどん攻めていくことが重要です。

今、私が最も心配しているのは、旭川から始まった黄色いハンカチ運動です。事務局が旭川商工会議所内に置かれたこの「官製戦争翼賛運動」は、旭川市役所内に立ち上げられた「イラク派遣自衛隊員留守家族支援チーム」と戦争動員マシーンの両輪としてとして機能し、隊友会、自衛隊父兄会など自衛隊協力団体を手足のように使ってこれを推進しています。21日に旭川駐屯地で行われたイラク復興支援群への隊旗授与式では家族や来賓の多くが黄色のハンカチを胸ポケットに挿したりハンドバッグに付けたそうですし、自衛官を劣化ウラン弾の危険に曝そうとしているあの川口外相も派手な黄色のネッカチーフを首に巻いて出席しました。2.11の北海道新聞は、兵庫県議会防衛議員連盟が旭川現地に視察団を派遣し、黄色いハンカチ運動を推進していると報じています。「官民」一体となって推進する侵略戦争応援旗「黄色いハンカチ」が日本中の空にはためく日は遠くないのかもしれません。自衛官の中から犠牲者が出た場合、黄色いハンカチは「日の丸」に変えられて日本中でうち振られることになるのでしょうか。

派兵部隊は北海道から順次南下します。2年間で黄色いハンカチが北から日本列島を「戦争推進」に塗り上げていきます。国民的世論という規模とかたちで「次回は自分か」と不安に震える自衛官の「行きたくない」「殺すのも殺されるのも嫌だ」という思いをペッタンコに押しつぶし、声も出させない状況を作り出す卑劣な運動です。

派兵される自衛官とその家族に想いを寄せ、「無事帰還」を祈るよりも「行かない」運動、「追加派兵、交代派兵させない」「即時撤退を要求する」声を自衛官、家族と一体となって全国に広めましょう。(関西・K)


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このあいだの5/3関西憲法講演集会において、次のような発言が出ました。
「戦争に反対する人の多くが、自衛隊に対し、敵意を持っていたのではないか」(元自衛官からの発言)
この発言に対し、参加者からは何も返答がありませんでした。
なぜ、自衛隊に敵意を抱いてきたのでしょうか?
敵意を抱けば、それは相手(兵士)に伝わる。
敵意を抱けば、相手(兵士)を仲間とすることが出来ないはず。
なぜ、今までこのようなことになっていたのでしょうか。
私は、現在20代ですが、自衛隊について、小学校・中学校の歴史の時間に、さらっと習ったような記憶がありますが、そのときに、「腹ただしかった」のは、むしろ、自衛隊を作った政治家に対して腹が立ちました。
「戦争せえへんて言いながら何で軍隊作るの?」って。
軍隊を作るような体制こそが、あかんのとちゃいますか?
それを、自衛官に向けるのは、どう考えてもやっぱりおかしいと思います。
                                                                   20代女性(5月8日)

はじめまして
 百万人署名運動のページで皆さんのことを知りました。
 私の職場は、自衛隊基地の隣にありますので、早速、『家族の願いは・・・』をプリントアウトして基地から見えるシャッターに貼り付けました。
 皆さんの運動が、今後ますます発展されることを願っています。
                         
2004.4.16 T・Mさんより

自衛隊員の母として           婦人民主クラブ 2004.4.15より

 以前に『おかあさんの木』という本を読みました。とても印象に残りました。
 内容は、母親が第二次世界大戦の時期に兵隊にとられた七人の息子たちのために、桐の木を植え、一人ずつの名前をつけて大切に育てる。六人は戦死して、残る一人がやっと帰ったときには、母親は木の下で亡くなっていたという話です。
 特に心引かれた箇所は、日本が戦争に負けて、息子たちを待ちわびながら、母親がつぶやくところです。
 「日本じゅうの父さんや母さんが、弱かったんじゃ! みんなして、息子は兵隊にはやらん、戦争はいやだと、一所懸命いうておったら、こうはならなかったでなあ?」
 今、イラク戦争と自衛隊派遣等が脳裏をよぎる。母規のつぶやきがオーバーラップする。今、みんなが立ちあがらなければならない時ではないでしょうか?
                                             (K・O)
※『おかあさんの木』(ポプラ社)犬川悦生作 箕田源二朗絵
                 *       *      *
 K・0さんは、関西の3・14行動での「発言する軍人家族の会」のヴィッキー・マンクさんのアピールを聞いて、自分の思いをこのように書いて下さいました。「今は自分の息子はイラクへ行っていないが、いつ行かされるかわからない。それを思うとじっとしていられない毎日です」と。
 全国でこんな思いを抱えている自衛官の家族はたくさんいるはずです。
 「日本の自衛隊派兵に反対する運動を支持し、自衛官の家族と手をつなぎたいと思って来日した」
ヴィッキーさんはいっていました。みんなで手をつなぎましょう



2.29STOP!イラク派兵・京都へ寄せた発言

 京都の地に結集された皆様、こんにちは。私は、大久保駐屯地に所属していた元自衛官です。多くの人々の反対の声を無視して、自衛隊のイラク派兵が強行されました。人道復興支援とか、テロとの戦いなど日本政府は言っていますが、かつて日本は、大東亜共栄圏や匪賊馬賊の討伐といって、中国大陸へ侵略したやり方と同じです。戦争への道を止めるには、自衛官に出兵拒否を呼びかけ、自衛隊の中から反対の声が上がれば、戦争をとめることができるでしょう。
 今から11年前、大久保駐屯地に、カンボジアへのPKO派兵に反対する多くの人々が集まりました。しかし、仲間の隊員たちは、誰もデモに賛同する人はいませんでした。平和運動する人達が、自衛官を平和の敵と見ているのでは、と感じていたからです。自衛官は平和の敵ではありません。平和の敵は、侵略戦争を始めたアメリカやイギリスの政府、そして新たな戦争の道をたどろうとする日本政府です。
 皆様、自衛官に派遣拒否を呼びかけてください。皆様の声が届けば、自衛隊の中から派兵に反対する声が上がるでしょう。
 みなさま、本当の平和を目指して、ともに頑張りましょう。
   
                                            兵庫 元自衛官


2003.12.10 朝日新聞より

    


元自衛官としてイラク派兵反対を訴える     学習の友より
                                   中村憲一 26歳

 
九八年四月、故郷の新潟を離れ、陸上自衛隊第一教育団に入隊。不安で一杯、スケジュールは分刻み、寝起きはラッパという生活が始まった。同年七月に第一特科連隊(現第一特科隊)に配属、大砲の取り扱いと射撃手順や操作を習うことになった。その三か月後、部隊での勤務が始まって、仕事が始まる前と終わってからの上下関係が加わり、それからの三年間は使いっ走りの日々の連続である。
 二〇〇一年三月、自らの目標にしていた自衛官の叔父が亡くなった。茨城県の土浦から東京の十条までの長距離勤務が原因の過労死だ。その一件により、一生続けられないと思い、退職を決意した。それから仕事と住まいを見つけた後、それが起こった。九月一一日、ニューヨークの同時多発テロである。日本時間の九月十二日深夜に呼ぴ出しを受け、ヘルメットに迷彩服で動き回り、卜ラックなどに資材を積んだ後に待機。そして衛門警備の増員を命じられ、また待機を命ぜられた。十二日から退職前の休暇だったにもかかわらず、待機命令のために外出ができず、丸一日が潰れてしまった。その日の手当は一円もつかなかった。
 何とか退職できたものの、アメリカはアフガン出兵と空爆、日本はイージス艦を派遺、さらに二さらに二○〇三年、アメリカはイラクを攻撃した。私はイラクヘの攻撃に反対していたが、自分一人でどうしたらいいのか分からずに途方に暮れていた時、某駅前でビラを受け取り、自らの意志を示すためピースウォークに参加した。平和のために何かしようと思っていた時に民青同盟の仲間とめぐり会えたのである。
 戦争終結宣言後、イラクでは米英軍の不法な軍事占領が続き、米英軍や他の国の軍隊でも犠牲者が続出する中、ついに日本人外交官が二名も亡くなるという事態が起きた。危険なのは明らかである。それでもなお、自街隊が派兵された。航空自衛隊を皮切りに陸上、海上の順で先遣隊と本隊がイラクに行った。激しい怒りが込み上がってくる。小泉首相や政府の要人は満足だろうが、行かされる自衛官とその家族の本音は「派兵反対」のはずである。もうイラクに行った同期がいるかもしれない。それだけでも許せないのに現地で殺され、現地の人を殺してしまうかもしれない。だから、自衛隊のイラク派兵反対と即時撤退を訴える。あきらめないで続けていく。
 日本国憲法第九条には「戦争の放棄」か明記されている。国連憲章でも侵略行為に対する防衛の他には戦闘は認められていない。まして国連の承認がない外国での活動は明らかに侵略行為である。今回のイラク派兵は国連と国民の支持を得ていない。
 自衛隊にいた時、演習場で訓練中にあとから来た
米軍が「荷物を落とすから移動しろ!」と言い、トラック
に乗って移動している最中、C130輪送機が飛んでき
て荷物にパラシュートをつけ投下していった。米軍は
自己中心で身勝手だと思い、B29の空爆はこんな感
じだったのだろうかと想像した。政府はなぜ日米安保
条約を守り続けるのか?
 私はこれからも平和な世界を求め、あきらめずに
戦争と派兵反対、そして即時撤退を訴えていく。そ
れが、世界中の流れに対する日本の役目で、自分
自身の正直な気持ちでもあると同時に、亡くなった
叔父への誓いである。



 
   京都新聞 山城版より 2004年1月7・8日

          


旭川自衛隊員の母の声
2003年11月18日(火)「しんぶん赤旗」より
  


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