城ヶ島に生きる野良猫たち

城ヶ島にいる猫たちの生き方は様々で、人間からエサをもらっている猫、ゴミ等をあさっている猫、観光客から食べ物をもらって生き延びている猫等いろいろいます。定期的に人間からドライフードをもらっている猫たちは幸せな方です。まぐろの加工場から出る魚のクズで生き延びている猫たちは、人間を恐れていて、近づくと逃げてしまう為、避妊手術をすることもできません。
子供は生まれてもすぐ死んでしまっているのは、間違いありません。以前にも草むらの中で、雨に打たれた生後二ヶ月位の子猫の死体が、横たわっていましたし、大人の猫も、ガリガリにやせた猫は2度と見ることはありませんでした。
私が面倒をみれるのは40匹が限界の為、人間を恐れて近づかない猫たちは、飢えとストレスで生後一年位で死んでいるものと思われます。
駐車場で観光客からエサをもらっている猫たちもいますが、もし観光客の人が1年後再びその場所を訪れたらわかると思いますが、メンバーの半分は入れ替わっていることに気づくと思います。私は面倒をみている猫たちには猫缶とドライフードを与えているのですが、仕事が終わった後城ヶ島に行き、しかも分散しているので、毎日全部の猫にという訳にはいかず、ローテーションを組んでやっているので十分ではありません。
観光客の人の中には私がエサをやっていると、ここの猫たちはおいしい物を食べれて、幸せだなあという人がいます。その人にとっては悪気のない、素直な感想なのかもしれませんが、私からみれば、この猫たちが幸せなら、刑務所にいて雨露をしのぎ、ご飯も1日3回与えられる服役囚の方がもっと幸せではないですか、と言いたい時があります。
城ヶ島の冬は北風がとても冷たく、風邪をひいても、草むらの中で震えながら、じっと耐えるしか術のない猫たちの真の姿を知ってほしいと思いました。

猫たちの性格

猫それぞれの性格があって、何匹かの積極的な猫は私のひざの上に乗ってきます。ひざに乗れない猫は、その横であおむけになってゴロンゴロンをやって、くやしさを紛らわせているようです。
不思議なことに、一番なついている猫たちに共通することは、生後一ヶ月位の時には一番私を恐がっていて、距離を置いていた猫たちばかりです。子供の頃一番大人しく、人間から遠ざかっていた猫たちに限って、大人になると、人間になつく傾向があるみたいです。
大人しい猫たちに共通することは、周りに他の猫たちがいる時は、私を無視していて、人間の愛情なんかほしくないよ、みたいな態度をとっているのですが、周りに誰もいなくなると急に僕の所に近づいてきて、頬をすりよせてきて甘え始めることです。それも何度も同じ行為をしてきます。
人間の愛情に接してこなかった猫たちは、人間を完全には信用していないのか、私の顔を見ながら、甘えた声で鳴くのですが、いざ近づくと逃げてしまいます。少し距離を置いて、またこちらを見ながら鳴き始めます。
猫同士の喧嘩も様々です。強い者同士の時は、お互いに鼻先がくっつかんばかりに顔を近づけて、うなりながら睨み合っているのですが、弱い者同士の時はとてもおもしろいです。お互いに顔を合わせるのが恐いので、お互いに顔を横に向けながら唸っています。
喧嘩する勇気もなく、かといって足がすくんで、その場を離れる勇気もないので、早く何処かへ行ってくれ、みたいな声をあげながら、お互いに相手が何処かへ行くのをじっと待ちながら、耐え忍んでいます。その間ずっと顔は横に向けたままなので、いつまでたっても進展しません。
結局私が間に入って2匹を離れさせ、猫たちもほっとした顔をして、その場を去っていきます。
お腹がすいている時は、私がエサを与えようとすると必ず喧嘩が始まります。強い猫は自分が先に食べようとするので、他の猫にパンチを浴びせたり、前足で他の猫の頭を押さえつけたり、自分のエサが全部食べ終わらないうちに、他の猫のエサを食べようとしたりするので、大人しい猫は一口食べるごとに顔を上げて、あたりをうかがっています。
意地の悪い猫は自分の気に入らない猫に対して、エサを食べさせまいと威嚇して、エサのある所に近づけさせないような行為をします。いじめられても他に行く所がないので、弱い猫も必死に頑張って、顔をひっぱたかれながらもこちらにやって来ます。それでも大人しくて、弱い猫はあまり長く生きられず、結局その猫も先に死んでしまいました。
メス猫同士も縄張りがあるようで、自分の縄張りの中では強いのですが、一歩相手のメス猫の縄張りに入ったとたん急に弱くなります。縄張りに線が引いてある訳ではないので、お互いどこで境界線を区切っているのか不思議でたまりません。
野良猫たちは自分の家がある訳ではないので、けっこう皆他の猫に気を使っているみたいで、気が休まる時がないようです。皆ストレスを抱えていて、それが免疫力の低下につながり、病気になるとすぐ死んでしまうのが現実です。
しばらく姿を見せないと思っていたら、よだれを垂らして現れたり、すでに手遅れ状態になっていて、そのまま死んでいった猫たちをたくさん見てきました。猫たちが何よりも望んでいる物は、人間の愛情から得られる安らぎではないでしょうか。

思い出の猫たち

(1) 三毛猫
私が城ヶ島にいる猫たちの面倒を見始めて5年(2005年)になりますが、その間にたくさんの猫たちとの出会いと別れをくり返してきました。
捨てられる猫の多くは生後1〜2ヶ月位の仔猫で、私がボランティアの人に連絡して保護をしてもらっているのですが、今から2年位前、生後1ヶ月位の三毛猫の仔猫が捨てられていたことがあり、ボランティアの人に連絡しようと思ったのですが、その人の家にも常時50匹位猫がいて里親待ちの状態の為、2、3日エサをあげて様子をみようとしたのですが、その翌日捨てられていた場所に行ってみると仔猫はもういませんでした。
あたりを隈なく探したのですが、結局見つかりませんでした。その場所を離れた生後1ヵ月の仔猫が自分の力で生きていかれるわけもなく、少し様子を見ようとした自分の浅はかさに腹が立ちました。
私はペット禁止のアパートに住んでいて、おまけに茶茶丸という猫を保護していて、その茶茶丸という猫が大の猫嫌いの為どうしようもなかったのですが、それでも捨てられた猫の気持ちを考えると、申し訳ないことをしたという後悔の念が先に立ってしまいました。今まで親のお乳を吸っていた猫がいきなり見たこともない場所に捨てられて、恐怖と不安でいっぱいだったに違いありません。
そばには捨てた飼い主が置いていったと思われる、山積みされたドライフードがありました。飼い主は何とか生きていかれるだろうと思って置いて行ったのかもしれませんが、現実はそんな甘いものではありません。私は今でもあの仔猫の泣き叫んでいた声を忘れることができません。
捨てられた仔猫はその次の日にはもう死んでしまうのです。それでも中には幸運な猫も数匹いて、鎌倉の人とか東京の人に拾われた猫もいました。たくさんのドライフードと猫の写真が送られてきたのですが、とても幸せそうな猫たちの顔が印象的でした。

(2) 白猫
今から5年前になりますが、私が城ヶ島でカモメの写真を撮っていると、草むらの中に体が大きく、目のつりあがった、顔の恐い白いメス猫がたたずんでいました。よく観ると近くに仔猫が2匹、一匹は真っ白い猫で、もう一匹は白と黒のブチ猫がいたので、持っていたドライフードを差し出す為に、近くに寄っていこうすると、2、3歩歩いただけで、いっせいに散らばり始めたのです。他の場所の猫たちはなつかないまでも、エサほしさに寄ってきたりするのですが、この親子は全く違いました。
とにかく人間を恐がっていて、エサを置いてその場所から離れていないとエサも食べない状態でした。何ヶ所かエサを分けて置いておくと、親猫のほうはエサを食べ始めるのですが、仔猫たちのほうは恐がって一向に近づいてきませんでした。そのうち親猫がエサを全部食べてしまい、そんな状態が毎日続いた為、仔猫たちは生後6ヵ月位で死んでしまいました。
そこには漁船がたくさんおいてありエサを置くと漁師さんがいやがるので、思うように猫たちを助けてあげることができず可哀想なことをしたなと、今でも時々あの仔猫たちのことを思い出しています。それでも親猫のほうは少しづつ近づいてくれて、エサを入れた容器を差し出す所まできたのですが、必ず私の手を引っ掻くので手の甲はいつも血だらけです。
避妊手術の時にわかったのですが、親猫はその時子宮ガンに冒されていました。顔が憎たらしくて、自分の子供をいじめ、人間になつかないこの親猫をあまり好きではなかったのですが、ある日別のメス猫が通りかかりこの親猫に猛然と向かっていったことがありました。この親猫は何度も向きを変えて逃げようとしたのですが、相手のメス猫が執拗に追いかけているのを目にして、以外にもこの親猫が気の弱い大人しい猫だということがわかりました。
ある日のこと別の場所の猫たちにエサをやっていると後ろの方で猫の鳴き声がしたので振り返って見ると、白い親猫が立っていました。自分の方からエサをねだりにやって来たのでした。近づくと相変わらず逃げますが、それで゛もわざわざ自分の方からやって来る程僕を信頼するようになったのですが、ここまで来るのに四年もかかりました。
それから10日位して突然親猫が姿を消し、一週間位して姿を見せた時左目のまぶたの上に傷ができ、少し出血していました。そしてまた姿を消し、一週間位して姿を見せた時左目の回りが膿んでいて腫れ上がり、血が噴出していました。まさに四谷怪談のお岩さんみたいな顔になっていて、目を背けたくなるような位痛々しい姿でした。近づいても逃げることもせずまるで私に助けを求めている様に見えました。
私は心の中でもう長くは生きられないだろうな、と思いながらエサを差し出すと夢中になって食べ始めたのです。生きようという強い思いがそうさせているのでしょうか、とにかくその生命力にはただただ驚くばかりでした。動くこともできない体でしたので私が触ってもじっと座っていました。私がこの親猫に触ることができたのは後にも先にもただこの一回だけでしたが、つらくて動けないからではなく、長い間見守り続けてきた僕への感謝の証だと、今でもそう信じています。
獣医さんに診察してもらったところガンが全身にまわっていて、末期の状態ということでした。それから六ヶ月位引き取られた獣医さんの所で暮らしていたのですが、その間食欲は旺盛で獣医さんを驚かせたそうです。やがてガン細胞が鼻腔にまで入り込み息ができない状態になったので、やむなく安楽死をさせたとボランティアの人から聞かされました。
もしもあの時僕の前に姿を現さず、苦しみながら草むらの中でひっそりと死んでいたらと思うと、たった6ヵ月でも獣医さんの下で手厚く看護されたことは、あの親猫にとって幸せなひとときを過ごすことができたのではないかと思っています。

(3) 黒猫とこげ茶猫
一般的に猫は単独行動が好きな動物だが、私が面倒を見ている猫たちの中にとても仲のよい二匹の猫がいた。一匹は黒い猫でもう一匹はこげ茶色の猫なのだが、共通しているのは二匹とも3才位でとても大人しいメス猫同士ということだ。
他の猫とは離れた所にいて二匹共有の縄張りを持っていた。メス猫なのでその場所から離れることはなく、いつも寄り添って顔をくっつけ合ったりしていて、見ていてとてもほほえましい光景だった。
黒猫は生まれた時から面倒をみている猫だったが、他に4匹の兄弟がいるにもかかわらず、親猫が交通事故で死んで、生後1才位の時自分だけ少し離れた所に行ってしまった。そこへこげ茶色の猫がどこからともなくやって来て、意気投合した二匹の猫が一緒に暮らすようになったのでした。
エサをやる時も他の猫たちと一緒に食べるのをいやがるので、二匹の為に縄張りのある所まで持っていってやっていた。あまりにも二匹の絆が強いので、逆に僕にはそれが心配でした。もしこの二匹のうち一匹がいなくなったらどうなるのだろうという心配が頭の隅にあったからでした。
二匹が住んでいる場所は道路沿いにあり、魚を運搬する大型車がよく通っていた。悲しいかなその心配がみごとに当たってしまったのでした。
いつもは必ずいる場所にこげ茶の猫しかいなかったので、どこへ行ってしまったのだろうと心配しながら一週間が過ぎてしまいました。他の猫たちにエサをやって帰ろうとした矢先黒猫が何処からともなく現れたのでした。喜んだのも束の間で、左の後ろ足をびっこを引いて歩いていました。
急いでボランティアの人に頼んで病院に連れて行ってもらったのですが、一週間の治療もむなしく死んでしまいました。こげ茶の猫は黒猫が死んだことを知らず、突然いなくなってしまった黒猫をいつまでも探し回っていました。私がエサを持っていっても少し食べるだけですぐにまた黒猫を求めて鳴き叫んでいました。いつまでもいつまでもずっと鳴き叫んでいました。一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎそれでも黒猫を求めて鳴き叫んでいました。
黒猫が死んで一年が経ち今は他の猫たちの仲間に加わって元気に暮らしています。その中の大人しい黒白のメス猫とは大の仲良しで、時々顔をすり寄せて甘えています。

(4) キジ猫
この猫との出会いは今から四年半前でした。私が漁船置き場の近くで猫たちにエサをやっていたら、少し離れた所の枯れ草の上で折り重なるようにして熟睡している親子がいました。季節が二月頃の風の冷たい時でしかも日当たりの悪い所だったので、よくあんな寒い所で眠れるなあと思ったのを強く憶えています。
親も子もキジ猫で仔猫は生後6ヵ月位に見えました。それ以来猫たちにエサをあげにいくと、必ずその親子も少し離れた枯れ草付近にいました。とても仲のよい親子で2匹でじゃれあっている姿をよく目撃しました。僕はこの親子がとても気になりだし、ためしに近くに寄ってドライフードを差し出すと、何のためらいもなく食べ始めました。
とても人間に慣れている様子だったので親子で捨てられたのかもしれません。でもそんな悲壮な感じはおくびにも出さず、野良生活を楽しんでいる様にも見えました。捨てられたばかりだったので、つらい野良生活をまだ理解していなかったのかもしれません。それからは漁船置場の猫たちにエサをやる時にはこの親子にもエサをやるようになり、仲間の一員に加わることができました。
親猫はメス猫ながら気が強く、いじめる猫は一匹もいませんでした。エサを食べる時もみんなの輪の中に入って平然と食べているのですが、仔猫は違いました。エサを少しだけしか食べず、すぐ私の膝の上に乗ってきてしまうので、なんとか食べさせようとエサの入った容器の所に戻すのですが、すぐにまた膝の上に乗ってきてじっと座っていることをくり返すのでした。
猫よりも人間が好きな仔猫でいつも私の後を追いかけて離れることがありませんでした。他の野良猫とは仲良くせず、それが私には心配の種でした。それから半年位して突然親猫がいなくなってしまいました。この辺は夜野良猫が車にひかれることが多く、親猫も車にひかれて死んでしまったのかもしれません。そのあとすぐに仔猫も後を追うようにいなくなってしまいました。
それから一年が経過しあの親子猫を見かけることは2度とありませんでした。観光船乗り場の所にも何匹か野良猫がいたので時々エサをやりに行っていたのですが、遠くから猫の鳴き声がしたのでそちらに目をやると、一匹の猫の姿がありました。夜だったので最初はよく判らなかったのですが、よく見るとキジ猫がそこに立っていました。
近づいていくと私の足元に擦り寄ってきたのでした。成猫だったので最初はよく判らなかったのですが、私に甘える姿を見て以前の記憶が蘇ってきました。このキジ猫はまさしくあの仔猫だったのです。最初は信じられませんでした。てっきり死んだものと思っていたので、まさかその猫が私の目の前にいるなんて...。今までどうやって生きてきたのか不思議でしたが、近所の人の話ではいろんな人に可愛がられているとのことでした。
観光船乗り場の方はあまり行かないのでめったに会うことはありませんが、今も元気で暮らしていることを願ってやみません。叶うものなら僕が今すぐにでも飼ってあげたい猫の一匹です。

(5) 茶トラの猫
親猫はペルシャ猫のような感じの猫で毛がふさふさしていて、とても人間になついていた。その猫が子供を四匹産んでいてその中の一匹が茶トラの猫だった。茶トラの猫はとても可愛い顔をした生後6ヵ月位のオスの仔猫で、人間にとてもなついていて誰かこの猫をもらってくれないかといつも願っていた。
ボランティアの人の話によるともっと小さい仔猫が先にもらわれてしまうので、6ヵ月位になるとなかなか里親さん探しは難しいということでした。オス猫なのに1才になっても体が大きくならず性格はおっとりしていて、おまけに体が弱くいつも微熱があるという状態でした。
他の猫は皆元気なのに、この茶トラの猫だけはじゃれあったり、動き回ったりすることのない大人しい猫でした。それだけに私はこの猫をとても心配していたのですが、オス猫の本能なのでしょうか、1才位になると自分の縄張りを求めて出て行ってしまいました。ところが他のオス猫と比べて体がひとまわり小さいので、何処へ行ってもいじめられてたまに舞い戻ってくるのですが、一年中風邪をひいていて目やにがたまり、体全体が汚れていました。
子供の頃は目がパッチリしていて毛並みもきれいな猫でしたが、今は体が汚れていて目にも精彩がなく、昔の面影はありませんでした。それでもオス猫の悲しい宿命とでもいうのか、今もなお自分の縄張りを求めてさまよい歩いているのですが、僕がエサをやる場所に居着かないのは、他のオス猫にいじめられて追い出されたのだと近所の人に聞かされました。その人が魚をあげても他の猫に横取りされていて、いつも茶トラの猫だけはエサにありつけないと言っていました。
おっとりした性格なので野良猫社会の中で他のオス猫を蹴落として生きていくという力は無いので、何とか救ってあげたいのですが、今はただ遠くから見守ることしかできません。一年のうち何回か巡り合う時があるのですが、合うたびに寂しそうな顔をしていて、仔猫の時のように膝の上に乗ることもせず、よそよそしい態度を取るようになりました。
私が今してやれることはご飯をあげることぐらいしかできないのですが、その時は他の猫よりもたくさんあげるのですが、相変わらず風邪気味であまり食べません。食べ終わるとすぐあてもない旅に出るのですが、そのうしろ姿を見ると思わず声をかけてあげたくなります。
ガンバレ、茶トラ!!

(6) 年寄りの白い猫
城ヶ島には海岸に白秋碑が立っていて小さな観光スポットになっている所があるのですが、その近くにも野良猫が五匹住んでいて、エサをあげていました。いつものようにみんなにエサを分け与えていると、いきなり白い猫が割り込んできて、ニャオニャオ言いながら食べ始めたのです。しばらくすると自分のエサがまだ半分残っているのに、ドライフードは嫌いらしくネコカンだけを食べて、他の猫がまだ食べているのにそこに割って入り、ネコカンを食べようとするのですが、顔をひっぱたかれていました。すると今度は別の猫の所に行ってネコカンを食べようとするのですが、そこでもまた怒られて結局は自分のドライフードを食べていました。
体が大きく物怖じしない、図々しい性格の猫なのですが、いかんせん見るからに年をとったオス猫で弱そうなので、振る舞いは最古参のボス猫のようなのですが、他の猫は全然恐がっていませんでした。人間にはよくなついているのですが、あまり可愛げのない顔で目やにが出て、体が汚れていたので正直特別な感情はありませんでした。
概して人間によくなついている白猫は、大人しくてけんかの弱い猫が多かったのですが、この猫も例に違わず、私がエサをやっている猫の中に人間を警戒している白いオス猫がいるのですが、その猫にいつもいじめられていました。
猫たちは僕が行くと何処からともなく現れて集まり始めるのですが、年寄りの白猫が僕の所に来ようとすると、意地の悪い白猫が邪魔をして、必ず通せんぼをするのでした。威嚇して時には顔をひっぱたくので、その間年寄りの白猫は目をつぶって身をかがめて、ずっとうずくまったままでした。
急いで猫たちにご飯を分け与えて救出に行くのですが、僕がエサをやる度毎にそれがくり返されていました。時には少し高い所からジャンプして年寄りの白猫に覆いかぶさったりしていました。それでも年寄り猫は何の抵抗もすることなく、じっと耐えているのを見て、僕は可愛そうに思うのと同時に、汚らしい外見からあまりこの年寄り猫を可愛がってあげなかった自分がとても恥ずかしくなりました。
それからはこの年寄りの白い猫がいとおしく思うようになり、いつもそばにいてやるようにしました。それから何日かして突然この年寄り猫が来なくなってしまいました。原因はわかりませんが、それまで他の猫の倍はご飯をよく食べていたので、何らかのトラブルがあったことは間違いありません。
それでもいつの日かまたひょっこり姿を現すことを信じて、今日もまた白秋碑の猫たちにエサをあげています。

(7)三毛の親猫
今でこそ城ヶ島にいるたくさんの猫達の面倒をみていますが、僕が城ヶ島を訪れた目的はカモメの写真を撮ることでした。
今から5年位前の12月、いつものようにカモメの写真を撮っていると近くに生後1才位の三毛猫が立っていました。すごく痩せていて足元もおぼつかない位ふらふらと歩いていて、今にも死にそうな様子でした。僕は急いでポケットからドライフードを取り出してその猫に与えたところ、ものすごいいきおいで食べ始めました。
それから毎日同じ場所でエサをあげるようになったのですが、ある日その猫の後をついていくと、草むらから仔猫が3匹飛び出してきてその猫に甘え始め、お乳を吸っていました。ガリガリに痩せていたその猫は親猫だったのです。食べる物もなく、やせ細って自分が今にも死にそうな状態で、それでも必死に子供を育てているその親猫に僕はとても感銘を受けました。
この親猫を助けてあげたいと考え、それから毎日この親子たちにエサを運ぶようになりました。親猫はとても大人しく、子供にもやさしく接していたので、親子4匹古びたゴザの上で折り重なるように寝ている姿は、見ていてとてもほほえましい光景でした。
仔猫たちは順調に育ち、そのうちの1匹は特に私になついていて、すぐに膝に上に飛び乗り、降ろそうとするとつめを服にひっかけてしがみついている程よくなついています。親猫も見違えるほど太ってきました。大人になっても親子は離れることもなく、毎日私が行くと皆で出迎えてくれました。
その幸せに終止符が打たれたのは平成17年の2月でした。親猫が交通事故にあって死んでしまったのです。親猫はとても大人しく鳴き声すら聞いたことがありませんでした。風邪をこじらせて病院に連れて行く為にバッグの中に入れる時も何の抵抗もせず、だまっていわれるがままにじっとしている程でした。
ひいきしてはいけないと思いながらも親猫には格別な思いで接してきただけに、この世からいなくなりむなしさだけがつのる毎日でした。2ヶ月たった今も忘れることはできません。大人の男が猫一匹でと思うのですが、大切なものを失った時の気持ちというものは、一生忘れないでいようと思っています。
親猫の残していった財産、それは私にとっては命の尊さなのかもしれません。今もなお城ヶ島で懸命に生きている野良猫たちには親猫の分まで愛情を持って接してあげようと思っています。

[オススメリンク]
転職
UP
トップーページへ戻る