烟田城

所在地、鹿島郡鉾田町烟田

烟田城は常陸大掾氏系鹿島氏の流れを汲む烟田氏の居城である。戦国時代は南下する水戸城主江戸氏の攻撃を受けることもあり、最前線になっていった。烟田城は南側に突き出た舌状台地上の築城であるが南側の崖は非常に急斜面となっている。江戸氏来襲の脅威にさらされるようになってからは北側の守りとして、鬼門の神社である新宮神社の近辺に「馬場館」という出城もつくった。現在の遺構からは想像もつかないが、烟田の台地上ほとんどが城域だったと思われ、一族郎党が立てこもって敵に備えたのでは無いかと思われる。


現在の烟田城へ行く近道(烟田城時代は道すらない崖だった)

烟田城跡(かまたじょう)
(所在地)鉾田町大字烟田字氷川1423番地外

 烟田城跡は、烟田集落の上部台地上に位置する。
 この地で烟田氏は約360年の間、鹿島郡北部の雄として君臨していた。
 十八代烟田通幹は天正19年(1591)佐竹氏によって太田(現常陸太田市)で誘殺され、城は佐竹氏の軍勢に攻められて落城した。
 天正20年(1592)城域東部に西光院が移ってきた。
 城は廃城となり、江戸時代に旗本渡辺氏が氷川神社を勧請した。(字氷川の地名はその時以後使われている)
 明治22年新宮尋常小学校の敷地となり、昭和8年土塁を崩し堀を埋め校舎が増築され、更に同年冬南側に侵入道路をつくるため、山を崩し残りの堀を埋め坂道が新設された。
 昭和53年校舎改築に際し校舎設計と侵入道路の都合で坂道の上部が改造された。
 上の(原文では右の)諸工事により烟田氏時代の本丸跡は氷川神社の裏と横の僅かな土塁と堀跡を残し、全くその形態を変貌した。
 西光院の境内付近、字外城、字寺後の部に土塁、堀跡残り、昔の姿を偲ぶ事ができる。

      平成八年(1996)三月 鉾田町教育委員会

烟田城観察図

烟田城写真集

1
2土塁
3西光院裏側より下方の堀
4絶壁の南側
5南側の小路

烟田城マップ