天神橋駅残影


旧新京阪鉄道天神橋駅ビル(天六阪急ビル) 1994年7月28日撮影

 

 まずは時計の針を四分の三世紀程逆進させて頂きたい。

 阪急電鉄が阪神急行電鉄を名乗り、今は阪急京都線と呼ばれている路線が京阪電鉄の子会社である新京阪鉄道の名の下で運営されていたその時代、ここに掲げた古びたビルは文字通り栄光の絶頂にあった。

 「新京阪の超特急」

 そう、豪放な造形のP-6ことデイ100系一党による省線の超特急「燕」を追い抜く伝説的な高速運転で知られ、資本系列が近しく技術的には兄弟と言える阪和電鉄のモヨ100・モタ300による超特急と共に、どこか神話めいた色彩を帯びた言葉で語られる事の多いこの列車は、かつて確かにこの建物の2階に発着していた。

 その名の通り京都と大阪を新たなルートで結び、車輌・設備の規格・技術水準の高度さで東洋一を標榜した米国流の本格派インタ・アーバンである新京阪鉄道線の大阪方玄関口として、そして本社ビルとしてある種のモニュメント性を求められて建設されたこの建物は、我が国における高架線による電鉄駅内蔵型ビルディングの嚆矢と言うべき存在であり、1925年の竣工から大阪万博開催を目前に控えた1969年12月の阪急千里線−大阪市交通局6号線(堺筋線)相互直通乗り入れ運転開始に伴う天神橋駅廃止/大阪市交管轄による天神橋筋六丁目駅(地下)新設によってその本来の役割を終えるまでの約45年間に渡って北大阪の玄関口として機能してきた。

 ここに掲げた写真の右手に見える開口部とそれに続く高架橋の断片こそは、栄光と落日に彩られた「天神橋駅」がかつてここに所在した事を証明する遺構であり、それは同時に、関西最後の原型を保った現役戦前派電鉄駅内蔵型駅ビルであった阪急電鉄三宮駅ビルがあの震災で倒壊し潰え去った後もその様式を今に伝える貴重な実例でもある。

 もっとも、1969年末に鉄道駅としての役割を終えたこのビルはその後「天六阪急ビル」と名を変え、重厚な装飾を持っていた南側正面を取り崩して張り出す様に増築され、更に内装レイアウトも大幅に変更されて最早見る影もない有様となってしまっている。

 実際、所々にひょっこり顔を出す戦前の鉄道駅としての意匠に気を止めないのであればこれは単に使い勝手の悪い老朽ビル以外の何物にも見えない訳だが、この頃のビル全般に言える事として、強度計算に自信のない模索期の建物だけにその設計はかなりマージンがとってあり、しかも川砂利を骨材とするコンクリートの品質もかなり優秀なので、このビルそのものの物理的な寿命はかなり長いと推測される。


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