| ◇硬式野球部プロフィール |
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創部
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1929年(昭和4) |
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部長
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三木有造 (2011年〜) |
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監督
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小倉全由 (おぐら・まさよし)(1997年〜)
1957年(昭和32)4月10日、千葉県一宮町生まれ。1975(昭和50)年度卒。三高在学時は、山田隆夫監督時代に内野の控え選手として活躍。日大に進み、在学中から小枝守監督(現・拓大紅陵監督)のもと、三高のコーチを務める。1981年(昭和56)4月、東東京の関東一高監督に就任し、1987年(昭和62)のセンバツで準優勝。その後、一度監督を退き、4年後の1992年(平成4)12月に復帰。1997年(平成9)から母校に戻り、監督就任。2001年(平成13)、甲子園歴代最高記録となるチーム打率.427(当時)の強力打線を率い、初の夏の全国制覇を達成。アルプスから聞こえる第二応援歌をバックに、涙をこらえながら勝利監督インタビューを受ける姿が忘れられない。陽性の、のびのびと豪快な野球が持ち味。2011年夏、2度目の全国制覇を果たす。社会科教諭。旧姓斉藤。
甲子園通算成績:春7回・夏9回、通算16回出場 32勝14敗 勝率.696
三高監督としては春5回・夏7回、通算12回出場 25勝10敗 勝率.714
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コーチ
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三木有造(1997年〜)
| 1992度卒。在学中は青木久雄監督のもと、強肩捕手として活躍。東洋大学卒業後、小倉監督就任と同時に母校コーチ。2011年夏の西東京大会から部長に。『聖地への疾走』(矢崎良一著・監修/日刊スポーツ出版社)の終章に、その人柄が活写されている。 |
白窪秀史(2004年〜)
| 平成11年度卒。在学中は小倉監督のもと主将兼捕手として、明治神宮大会準優勝、春夏2季連続の甲子園出場を達成。日大準硬式野球部でも主将として全日本選手権優勝を果たす。 |
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部員数
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67名 |
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グラウンド
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キャンパスに併設。天然芝グラウンド (左翼95m・中堅125m・右翼95m)
収容人員350名のスタンド、磁気反転式スコアボード、照明塔、室内練習場 |
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合宿所
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グラウンドに「三志寮」を併設 |
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輩出した主な
野球人
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根本陸夫(元ダイエー球団社長・野球殿堂・故人)、関根潤三(元ヤクルト監督・野球殿堂)、田口 周(元ヤクルト球団社長)、佐藤道郎(元中日二軍監督)他。 |
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甲子園戦績
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出 場:春18回 夏14回 計32回
優 勝:3回(1971年春・2001年夏・2011年夏)
準優勝:3回(1962年春・1972年春・2010年春)
初出場:春=1938年(昭和13) 夏=1938年(昭和13)
甲子園通算成績:49勝29敗 (春=26勝17敗 夏=23勝12敗) 勝率 .628
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