1.     天国の運転士からのメッセージ

 皆さん、私を悪者扱いにするのは止めてください。私は決して死を望んでいた訳ではありません。むしろ非常に死に至る危険性を畏れていたのです。

そこで当時の状況を申し上げます。その日は前の駅でオーバーランをし、この遅延を取り戻そうとする気持ちが強かったのは確かです。この辺の事情は新聞報道の通りです。しかし制限速度を越して運転するのは誰でも何時でもやっていることであり、それほどの危険意識はありませんでした。もし危険なら私だってその様な愚行は犯しません。100キロ近辺での走行は前にも経験があり、確実に安全圏だと信じていたのです。本社も転倒は130—140キロと公言していたではありませんか?しかし最新式モーターの加速性能は予想以上で思わぬスピードが出てしまい、その後の異常な状態の事は良く判りません。

永尾さんという元技師長だった人が100キロでも転倒することがある、と発言していますが、それは後解釈というものです。専門家とか言う人は全て後講釈で、少しは恥ずかしいと思わないのでしょうか?

100キロを安全限界というならば、何故その限界を客観的に事前に警告してくれなかったのです?建前は70キロだから運転士は70キロを越すはずがない、というのはこの国で良く使われる詭弁便法でしょう。

大体道路交通で、人は右側通行といっても、駅構内ではどうなのか、正確に決められていないではないですか?また自転車ではどうなのか。

大きな事故の後で、大抵、原因は人的ミスで決着します。その結果「再教育」とか、「技術の伝承」とか格好のよいことを言って、人間の改善しか方法はない、という昔の軍事教練の様な発想で国民を納得させるのです。ですから、新しい立法も行われません。政党もこれは票にならないことを良く知っています。

そうです、私はヒューマンエラー学説の犠牲者です。私は自分の経験を信じて遅延を取り戻すための最大の努力をしたのですから。人間の所為にしておけば誰も糾弾されず、安上がりで、行政も立法も研究機関も現状維持で全て目出度し、目出度しで終わるのです。

 

2.観音様のお話し。

お前達、まだ目が覚めないのか?日航機以来、20年も過ぎていないではないか。その経験が役立たないのか。私は高いところにいるから見えるぞ。この国は既にリスク社会に入っているのだ。もう平穏な時代には還らんぞ。いつも何処かで大事故、小事故は頻発するのだ。だからその対策を考えなければならないのに、鉄道総合技研の研究分野をみよ。技術(システム)の危険性を扱う部門が一つもないではないか。原発、航空研究所も然り。唯一労働科学(人間工学)を担当する部門があるが、その部門の成果が今回の事故防止にどれほど役立ったか、十分に精査してみよ。どの部門がカーブを走行する場合の安全限界(危険限界)を予告、警告していたのか、厳しくチェックせよ。

お前達、自分達が日本人であることを忘れるな。「安全最優先」と「危険を畏れる」とは同一ではないぞ。前者では何もしなくても、この標語は守れる。

後者では危険は7色の虹のように変わるのだ。だから新しい立法と危険研究が必要なのだ。

諸外国の危険産業の安全法制を研究せよ。一度でも日本の議員団がそれらを視察したことがあるか?いつものお涙頂戴で誤魔化しているだろう。

地上では見えないことがワシには見えるぞ。お前達、一度でも坂東観音巡りをしたことがあるか、その荒廃振りをみよ。自分たちに見えないものを畏れよ。

鉄道、航空、原発の関係者よ、いつも行政の前で深々と頭と下げる姿を恥ずかしいと思わないか。お前達の出た大学の恩師は一体お前たちに何を望んでいたのか。頭の下げ方を教えたのか?

先進諸国では産業界が率先して安全法規を整備しておるぞ。私の叡智は全てお前達に授けておる。出来ない筈はないのだ。立ち上がれ。誇りを持て、二度と大惨事を起さないために。

トップへ

運転士は死刑か?
危険源学説について