
音楽の頁
| 主旨 |
企画 |
初めての方はこちらから |
| 蒐集した音楽を興じて綴る頁 歴史的音源限定 |
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| 往年の名演奏家の |
連載・ディスコグラフィー |
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| 第1回 |
清楚で格調高い抒情美 夭折の天才ピアニスト |
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| 第2回 |
清濁併せ呑む一世一代の 魔神ヴァイオリニスト |
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| 第3回 |
軽やかな技巧で魅せる可憐な コロラチューラ・ソプラノ |
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| 第4回 |
神韻縹渺にして銀糸のやうな合奏 弦楽四重奏の粋 |
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| 第5回 |
真に独創的な表現と 技巧を誇るピアニスト |
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| 第6回 |
火を噴くやうなヴァイオリン 夭折の女司祭 |
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| 第7回 |
気高き貴公子 フランス最高のテノール・リリコ |
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| 第8回 |
コルトー・ティボー・カサルス 黄金の三重奏 |
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| 第9回 |
大作曲家の 巨人ピアニストとしての素顔 |
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第10回 |
高雅にして官能的な ヴァイオリンの至藝 |
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第11回(予告) |
メルバ |
世界を魅了し虜にした 伝説のプリマ・ドンナ |
| 連載・ディスコグラフィー 今後の予定 ボリ(S)/ムツィオ(S)/バウアー(p)/ホフマン(p) エネスク(vn)/クライスラー(vn)/フォイアマン(vc)/ブッシュ弦楽四重奏団、など |
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主幹の蒐集するディスクは歴史的録音が殆どです。デジタル録音は全蒐集の1%にも満たないでせう。懐古趣味と骨董趣味甚だしきを厭ふ方にとつては、頽廃と堕落以外の何物でもありません。ただ、西洋伝統音楽に対する主幹の考へを申しますと、19世紀に頂点を迎へ、第一次大戦による西欧の没落化を受けて発展性を失ひ、第二次大戦によつて最早存在自体を怪しまれるものとなつた、生きた音楽ではありません。王侯貴族、有産市民から大衆へと音楽の担ひ手が移行した時、西洋伝統音楽は支持を得られず王座を退きました。だからと云つて、価値のなくなるものではなく、ギリシアの文芸が現在においても遺物とされないのと同様、長い伝統を持つ西洋の音楽も決して滅びることはなく、それどころか様式的及び理論的には最も優れたものだと云へます。その最良の時期であつた19世紀の名残を伝へる20世紀中葉までの録音が、現在のものよりも優れてゐると主幹は感じてゐます。技術的には現在の方が遥かに高度であると云ふ文章をよく見かけますが、技術と云ふのは表現の為に用ゐらなければ無機的な様相を示します。創造的な表現は、対象となる音楽が創造的であつた時代にこそ可能なのであって、クラシック音楽が衰退して行つた戦後における表現は、実証的でこそあつても独創的なものは少なかつたと思ひます。主幹が重要視するのは、正確な技術と正当な解釈よりも詩的衝動と生命力であります。この詩的衝動と生命力をもつた演奏が、1970年代以降急速に減つてきたやうに感じてゐるのは主幹だけでせうか? 過去の遺産で命永らへてゐる音楽にそのやうなものを吹き込むことは容易でないと思ひます。では、何故そのやうな瀕死の音楽を好んで聴くのかと問はれれば、音楽を含めた文化全体において19世紀のものを愛するからだと答へませう。特に19世紀においては音楽は社会を動かす力を持ち得たのですから。主幹がクラシック音楽を讃美しても、それは亡びゆく美しさへの挽歌なのです。しかし、その美しさたるや魂を抜かれてしまう妖しき美なのです。
感服した音楽家の全録音を蒐集して聴きたいと云ふのは主幹の一寸困つた性癖であります。そのため蒐集道の基本はディスコグラフィーを調べることにあります。ところが、指揮者のものは充実してゐるのに対し、器楽奏者、歌手のものは一部を除いて閑散たるものであります。主幹と同様にこの現状を嘆いてゐる方々のお役に立てればこれ幸いとこの連載を企画しました―と云ふのは表向きで、善意の同好者が主幹の知らない情報を紹介してくれるかもしれないと云ふ意図もお含み下さい。当面は器楽奏者および歌手からディスコグラフィーの製作が可能なアーティストを10名選んで連載します。第1回目は敬愛する夭折のピアニスト、リパッティを取り上げます。第1期の最後は、ヴァイオリン学習者である主幹の提琴コレクションの中でも取分け思ひ入れが強いティボーを第10回記念として取り上げる予定です。
コンセプトは次の通りです。
音楽の頁の更新を促進するために開設した、蒐集したCDを聴いて思ふことを綴ると云ふ、殆ど役に立たない頁です。週に2〜3回は更新していく予定です。歴史的録音に興味ある方は、お暇つぶしにご覧下さい。蒐集の参考になれば、望外の喜びです。「CD評」と名付けるだけでは趣が出ないので、内容を伝へる四つの字を無理矢理組み合はせて、珍奇な題を創りました。
成る可くなら発売直後のものを取り上げて、新鮮な情報を提供してみたいとは思ふのですが、近頃は聴くのが覚束無いほど蒐集枚数が増えたと云ふ嘆かわしい事情がそれを許しません。また、発売直後のCDの話題を書いても、1回や2回の鑑賞で、しかも購入時の興奮を残したままの感想を公にすることには正直自信が持てません。此のやうな理由からも発売直後のCDを取り上げることは滅多にありませんことを了承して下さい。
入手したCDは盤質に異常がないか調べる為にも必ず1度は聴きますが、その後は暫く仕舞ひ込んで置き、他日を待つて入念に聴きます。その為、記事にしたCDが実は1年以上も前に入手したものであるといふことが珍しくありません。ただ、1枚のCDを通算8回から10回くらいは聴くやうにしてをりますので、出鱈目なことは書いてゐない積もりです。
CD評は一目で解るやうにジャケット写真を示し、CD番号を載せてゐます。収録曲目に関しては、全部を載せることが煩雑になつてしまうCDの場合、適宜割愛してをります。本文も余り長い文章では読む気が失せると思ひましたので、短く簡潔にしました。
その為、細部の特徴などは一切触れてをりません。大掴みな形容詞が多いのは遺憾ですが、だからと云つて演奏分析を詳細に行ひたいとは思ひません。例えば、小節番号を付けても譜例がなければ不親切に違ひなく、CDの再生時間を示してもお持ちでない方には無意味でせう。
私はアマチュア・オーケストラでのヴァイオリン奏者の端くれとして、また、幸運にもアマチュア・オーケストラを指揮する機会を幾度も賜つた者の端くれとして、音符の扱ひに関する解釈の違ひなどは演奏の価値を決めるものではないと確信してをります。それぞれの演奏に良い点があり、悪い点があります。聴き手にも好みがあり、求めるものが異なります。細部に拘泥はると、音を追ひ音楽を聴かないと云ふ過ちを犯し勝ちです。演奏から受けた感銘を漠然と述べるに留めたのは、上記のやうな理由からです。
飽くまで歴史的録音を蒐集している方を対象としてをりますので、ある程度クラシック音楽への知識をお持ちになつてゐると云ふ前提で書いてをります。時に専門用語を用ゐたりしてゐますが、不明な点があればお気軽にお訊ね下さい。