趣味の経済学
コメ自由化への試案
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もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ
▲コメ自由化への試案 Index
1 もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ
2 関税率の工夫とノブレス・オブリージュ
3 問題への取組姿勢
4 農水省事務方の苦悩
5 自給自足の神話
6 現代に生かそう大坂堂島の米帳合い取引
コメ自由化への試案
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アマチュアエコノミスト TANAKA1942b がコメ自由化への試案を提言します
If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain――Winston Churchill
30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない
日曜エコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
好奇心と遊び心いっぱいのアマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
アマチュアエコノミスト TANAKA1942b がコメ自由化への試案を提言します
趣味の経済学
趣味の経済学
▲ 2 関税率の工夫とノブレス・オブリージュ 特定の国からの輸入に頼らない制度 ( 2001年5月21日 )
▲ 3 問題への取組姿勢 積極的な自由化への対策 ( 2001年6月11日 )
▲ 4 農水省事務方の苦悩 その悲痛なメッセージを代弁する ( 2001年7月2日 )
▲ 5 自給自足の神話 それは文明発祥と同時に神話になった ( 2001年7月9日 )
▲ 6 現代に生かそう大坂堂島の米帳合い取引 需給調整と価格安定のために ( 2001年8月6日 )
▲ 7 農家はプットを生かそう 江戸時代の大阪堂島の商人に負けるな ( 2001年8月13日 )
▲ 8 キャベツ帳合取引所はいかがでしょうか? これならば将軍吉宗も納得だろう ( 2001年8月20日 )
▲ 9 帳合取引所はカジノなのか? 待たれる市民投機家の参加 ( 2001年8月27日 )
▲10 指数取引が価格を安定させる さらなる取引商品の開発を ( 2001年9月17日 )
▲11 備蓄米はコールをロングしておこう 合理的な備蓄米制度と安定供給 ( 2001年9月24日 )
▲12 交換の正義が守られないとどうなるか? 今も生きてる、江戸商人の知恵 ( 2001年10月1日 )
▲13 文明開化で「自給自足」が神話になった 前半のレジュメ ( 2001年10月29日 )
▲14 農協はどうなるのか? 歴史的使命を終えた購買部門 ( 2001年11月5日 )
▲15 農協購買部門、各方面からの見方 農家は農協をとことん利用してみよう ( 2001年11月12日 )
▲16 農協、その事業内容の確認 「お客様は神様」の時代についていけるか? ( 2001年11月19日 )
▲17 3段階の系統組織 組織ダイエットはなるか? ( 2001年11月26日 )
▲18 コメ産直を考える 産業として伸びるキッカケとなるか? ( 2001年12月3日 )
▲19 信用事業は、頼母子講から金融自由化の荒波へ 住専での経験は生かせるか? ( 2002年1月14日 )
▲20 農協はいずれ、単なる農家の親睦団体になるのか? 事業部門毎に株式会社として独立 ( 2002年1月21日 )
▲21 農地売買自由化 農民を土地に縛り付ける封建制 ( 2002年2月4日 )
▲22 「身土不二」や「地産地消」について なるべく多くの人に味わってもらいたい (2002年6月10日)
▲23 スローフードというグルメ 食品産業のトレンド卵となるか? ( 2003年4月28日 )
▲趣味の経済学 Index
安定供給のためには、自給率を下げること
(1)コメを海外からの輸入に頼ると、輸出国が日本との外交交渉事でコメを材料に使うかもしれない。
(2)世界情勢が不穏になると外国からコメを輸入できなくなる。
(3)世界的な異常気候になるとコメが不作になって、日本に輸出できなくなる。
一つひとつ検討してみましょう。
(1)コメは「売ってもらう」のか?「買ってあげる」のか?どちらでもない。自由貿易では売り手と買い手は平等だ。
だからコメの輸出国が外交交渉の材料に使うとすれば、日本も外交交渉の材料に使えばいい。「我が国の言うことを聞かなければ、コメを売らない」と言ったなら、「いいですよ、他の国から買うから。その代わりこれからはずっと買ってあげないよ。」と言えばいい。
さらにコメを特定の一国ではなく、多くの国から輸入していれば、輸出国が共同で日本への輸出を制限するのは難しい。アメリカ・オーストラリア・タイ・中国の政府が協議して、日本へのコメ輸出を禁止するとしたら、日本の一部の勢力から「かつてのABCDラインと同じ経済封鎖だ。
この事態を打開するにはもう一度大東亜戦争を始めるべきだ。」と、頭山満・大川周平・北一輝のような国粋主義者が出てくるかもししれない。
もっとも実際の業務は貿易業者が行うので第三国経由など、政府の規制はききにくいだろう。それに日本への経済封鎖はコメよりも、石油・鉄鉱石・半導体などのほうが効果的だろうし、それよりも日本からの投資を制限する方が効果的かもしれない。
各国が日本からの投資を制限し、日本の資本収支が赤字にならないとすれば、経常収支が黒字にならず、輸出が低迷し、日本は今以上の不景気になる。しかしそんなことをすれば、相手国の方も困ってしまう。
だいたい日本に対する経済封鎖などという発想は、大東亜戦争前夜の政治的・経済的発想と言うべきもので、真剣に取り上げるべき問題ではない。保護貿易という発想は、世界中が金本位制にこだわり、ケインズが一般理論を発表した時代の発想なのだ。
自由貿易がどんなに諸国民の富を豊かにするか、政府関係者だけでなく、ごく一部の「自由貿易は先進国だけに有利なシステムで途上国にはメリットがない」と信仰宗教のように信じているグループを除いて、誰でも分かっていることなのだからだ。
(2)世界情勢が不穏になって、日本にコメが輸出できない時とはどんな場合だろうか?
アメリカ・オーストラリア・タイ・中国、どこからもコメが輸入できない情勢だったらその他の貿易も滞るだろう。第2次大戦後このような事態は起きてない。もしもアメリカ・オーストラリア・タイ・中国、どこからもコメが入らない事態となれば、それは第3次世界大戦だろう。
つまりこの場合は「食糧安保」ではなく、単なる「安保」なのだ。「世界情勢が不穏になったら?」という不安は、コメの自由化とは関係ない、と言える。この場合は「食糧安保」ではなくて「有事立法」なのだ。
コメ作り農家にとって、コメは大切なものだし、コメのない生活なんて考えられないだろうし、「コメこそ日本の文化だ」と日頃から主張している文化人にとって、コメよりも繊維製品・半導体・乗用車・IT産業が大きな話題になるのは耐え難いことかもしれないが、世界情勢が不安になっても、コメはあまり大きな話題にはならないだろう。
もっとも少数者になればなるほど、レントシーキングという手段を選択するだろうから、圧力団体としての活動は活発になるであろう。
このように考えてみよう。
(A) 100%日本で自給している場合。
(B)国産、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国それぞれの割合が20%程度の場合。
(イ)豊作と不作の確率がそれぞれ50%として考える。
(A) 100%日本で自給している場合は2年に一度は不作。(B)5カ国とも不作になる確率は、2の5乗=32。つまり5カ国全部が不作になるのは32年に一度のこと。
(ロ)では豊作・平年作・不作がほぼ同じ確率で起きるとしたらどうだろう?
(A)の場合3年に一度は不作。(B)の場合5カ国ともに不作になる確率は3の5乗=243。つまり5カ国全部が不作になるのは243年に一度のことだ。
(ハ)それでは10年に一度の凶作はどうか?
(A)の場合は10年に一度。(B)の場合は10の5乗。つまり10万年に一度のことになる。
このような数字を並べなくても説明は簡単だ。「不作に備えるには、供給地を多くする」、「リスクを少なくするのは難しくても、分散させるのはたやすい」この説明で十分だろう。
(1)と(2)
から自給率の向上と食糧安保とは結びつかない、と言える。そして
(3)からはむしろ自給率の向上は食糧安保とは反対になる。
もしもアメリカ・オーストラリア・タイ・中国の他にもインドネシア・ミャンマー・ベトナム・ウクライナ・ペルー・南アフリカからも輸入するようになったとしたら、すべての国が不作になる確率はどの位だろう?
そうしてこれらの国が日本に対する経済封鎖を実施するのがどんなに困難なことか?これは読者のみなさんの想像にまかせましょう。
あるいはこんな喩えはどうだろう?
<例1>普段から取引があり、高いの、安いのと、やり取りしている同士、一方が「今回はいつもよりたくさん売ってくれ」と言ってきたら「いいけれどその代わり儲けさせてもらうよ」と言いながらも、売ってくれるだろう。
<例2>しかしいつも「うちは自分のところで間に合わすから、おたくからは買わないよ」とけんもほろろ、取引に応じないところが、「今回だけ特別に売ってほしい。でも今回だけで、この次からは買う予定はない」と言って来たらどうしよう。
ずいぶん身勝手なわがままで、「そんな人とは、そんな業者とは、そんな国とはつきあいたくはない」が本音だろう。
「食糧安保の観点からコメの自給率を高めよう」、「コメは一粒たりとも輸入させない」などという身勝手な「尊農攘夷論」はもうやめにしましょうよ。衣食足りて礼節を知る私たち日本国民、これではあまりにも礼を失していますよね。
では食糧の安定供給のためにはどうすればいいのか?結論==「世界各地から輸入し、供給地・輸送ルートを多くすること」
言い換えると「安定供給のためには、自給率を下げること」なのである。
特定の国からの輸入に頼らない制度
例えば、平成15年1月から平成15年12月までの国別の輸入実績を調べる。ある国の輸入量が全輸入量の40%だったとすると、平成16年4月から平成17年3月までのその国からの関税率を40%とする。
次の年、平成16年1月から平成16年12月までの輸入量が35%になったとすると、今度は平成17年4月から平成18年3月までの関税率が35%となる。つまり日本への輸出量が多い国は次の年には高い関税率となり、日本への輸出は押さえられることなる。
日本人の主食であるコメがどこか特定の国に押さえられるのは、食糧の安全保障の点からみて好ましくない、と考えるならば、特定の国に依存しないようなシステムにするのがいい。この試案はそのための関税率の工夫である。では今まで実績のなかった国はどうか?
この関税率に従えば、0%になる。
今まで実績のなかった国でも、日本へコメを輸出しようとするだろう。
安定供給のためにコメの輸入を自由化しようと提案すると、「世界のコメ市場はとても小さくて、日本に輸出するだけの量が確保できない」、「アジアのコメはインディカ米だから日本に輸出はできないだろう」、「日本が世界のコメ市場に参入すると、市場が混乱するし、国際価格が上昇し発展途上国の国民に迷惑がかかる」等の心配、反対意見が出るだろう。
たしかに現在の世界のコメ市場を見ればその心配ははずれてない。しかし日本の市場が開放され、今後も日本への輸出が規制されないと分かれば、各国各地でコメが輸出用に増産される。
需要があれば供給が計られる。平たくいえば「儲かりそうだとなれば、人が集まり、事業を興し、生産を開始し、ハイリターンを求めて資金が集まる。」拝金主義と非難する人はいるだろうが、これが資本主義であり、世界の経済のあるべき姿はこれしか考えられないのだ。
この制度での政府の役割はあくまでもレフェリーである。政府が国別の割り当てを決めたり、関税率の特例を作ったり、あるいは直接輸入交渉を担当したりといった、プレーヤーとして登場すると市場のメカニズムが働かなくなる。
前回のHPで生産国5カ国として例を挙げたのだが、各国が20%というのはあくまで一つの例であって実際はそのようなことはないだろう。つまりいつもでこぼこがあるということだ。パレート最適とはひとつのモデルであって、実際はその前後をふらふらさまよっていることになる。
それでも市場のメカニズムが有効に働いていれば、常に近づくような動きになるだろう。時には近づく途中で止まってしまったり、あるいは行き過ぎてしまったりと。しかしそれに満足せず、政府が計画し、統制し、パレート最適を実現しようとすると、かつての社会主義国の悲劇になる。
そして資本主義の所得の不平等を正すべきだ、という正義論を持ち出すと、結局ジニ係数は下がるが、人民が平等に不自由になり、平等に貧しくなる社会になってしまう。それは個人の政治的、経済的自由を保証する功利的な制度とはかけ離れたのになる。
ところでこのような関税率、国別に税率が違うのは最恵国条約に反することになる。いずれはこうした制度は廃止して関税率は一律にするのがいい。一律にしても供給が不安定になることはないだろうが、今は自由化反対の声が大きいのでこうした関税率を採用するのがいい。
日本の市場が開放されコメの貿易量が多くなれば、つまり世界のコメ市場の取扱量が多くなれば、このような特別な関税率を適応しなくても安心だということが理解されるであろう。
<ドンケル試案のアイディアを借用>
上記の関税率案では平成16年度から関税率を変えるになっているが、直ちに関税化すると混乱も多いだろうから、ドンケル試案のアイディアを借用しよう。初年度は500%の関税率。その次の年は 400%。その次の年は 300%.、一年ごとに100%ずつ下げていく。
そうして上記の関税率の適応は100%の関税率の次の年からになる。
<ノブレス・オブリージュ>
上記の関税率案では最低0%の関税率の国が出てくるが、新しい関税率の案ではすべての国に関税率を10%上乗せする。40%の国は50%に、35%の国は45%に、0%の国は10%に、そうしてこの10%の関税収入を国際連合に贈与する。
「世界には十分な食事をとれない人々がいる。この人々の食料のために使ってください。」または「日本国民が海外からコメを輸入したら、その代金の10%を国連に贈与しますので、発展途上国のさらなる発展のために使ってください」と言う趣旨だ。衣食足りて礼節を知る私たち日本国民 、そろそろノブレス・オブリージュということを意識し始めてもいいと思います。
積極的な自由化への対策
1993年12月15日、細川内閣当時のガット、ウルグアイ・ラウンド農業合意での方針転向以後の国の政策は外圧による政策変更というパターンを取っている。
政策担当者が政策変更の責任を外圧に取らせている。もしかしたら政治家も官僚も「自給率の低下は自然の成り行き」と考えているのではないだろうか?「農産物の自由化はWTOの方針でもあり、日本政府は自由貿易の必要性を十分理解しているので、これを押しとどめることはできない」
「しかし、今までコメは一粒たりとも輸入させない、と言ってきた立場上今更自由化、とは言えない」「政府の立場はあくまで自給率の向上とし、世界の流れ、外圧によって政策変更とするとすれば余計な摩擦を生じさせないだろう。」と考えているのかもしれない。
だとすると嫌々ながら農産物の国内市場開放が進み、嫌々ながら食糧自給率の低下が進む。もしそうならばここで「嫌々ながら」の方針を転換して、「積極的にこれを進めよう」と考えてはどうだろう?というのがTANAKA1942bの発想。 考えが行き詰まったら反対のことを考えてみる。そうすると思いもかけない解決策が思い浮かぶことがある。
このHPの「首都高速道路の料金は2000円に値上げを」はそれだ。「渋滞で 700円を払う価値はない。しかし値下げはできない」それならば逆に値上げしたらどうなるだろう?と考えると新しい解決方法が見つかる。「国民はメディアに操作されるか?」もそうだ。
草野教授が批判するTVのモーニングショー、「こうあるべきだ」と考えるから腹が立つので、視聴者というお客様・神様に制作者がおもねているいるのだ、と考えるとその評価が変わってくる。「TV制作者は視聴者に気に入られようとして、心にもない番組を作らなくてはならない。かわいそうに」となる。
「タイ米を買うことは、タイに迷惑か?」もそうだ。タイの生産者とタイ経済のことを考えると、決して迷惑ではない。そうしてもし、あの時点で日本国民がコメ自由化を決断していれば、東アジア通貨危機、タイとインドネシアはあれほどの危機にはならなかったのだろう。
こういう考え方、結構へそ曲がりで無責任に思えるかもしれない。しかしTANAKA1942bは日本の農業発展に無責任な姿勢ではないと、自負してる。
それは「住専処理に税金投入は当然」を読んでいただければ分かってもらえると思う。
1996年3月、この文を発表した当時、日本のテレビ・新聞・雑誌などのマスコミは「住専処理に税金を使うな」との一大キャンペーン中だった。あのキャンペーンに参加したジャーナリスト・評論家・エコノミストは「農協の一つや二つ破綻してもいい」と考えていたのだろうか?
「金融不安より前に農業パニックが起きてもいい」と考えていたのだろうか?あの当時からマスメディア、マスインテリは読者・視聴者がお客様なので、この神様に気に入られる情報を提供しようとして、自分の政治的・経済的な基本的な立場を捨て去ったと考えるべきなのかもしれない。
細川内閣のガットでのコメ政策変更、マスコミで知る限り青天の霹靂だったと思うのだが、関係者のみなさんは予測済みだったのだろうか?そうして十分な対策も練られていたのだろうか?
このHPの返信欄にはこう書いてある。「お名前:カッコいいハンドルネームでどうぞ!これは趣味のHPです、堅苦しい職業・肩書き・社会的地位は抜きにしましょう」もしそうでないと「あなたはコメ作りの実状を知らないからそう言うのだ」「そう言うあなたこそ、我々サラリーマンが都会でどんなに高い家賃に苦しんでいるか分からないだろう」「大学という象牙の塔にこもっているから、そんな生活感のない無責任なことが言えるのだ」「自分には全国の情報が集まってくる。素人が裏付けのない曖昧なことは言うべきだはない」「それはらば、特別な情報を持たない素人は黙っていろと言うのか?」など、感情のぶつけ合いになる恐れがあるからだ。
そうして、「コメは自由化すべきだ」と考えていても、食糧庁の役人が実名で発言するには勇気がいるだろうし、同じように、自由化になったら儲けようと手ぐすね引いている商社の社員が、実名で「コメは自由化すべきではない」とは発言できないだろう。
今ネットでは田中外相応援団ができている。一方で「外相には不適格なので解任すべきだ」との主張もある。では解任して後任には誰を推薦すると言うのだろうか?外相経験者なら改革を進めるはずがない。自分の過去の業績を否定することになるからだ。
「とにかく解任すればいい」は後のことを考えない、「何でも反対政党」と同じ態度で、「日本政府は独占資本とアメリカ帝国主義との傀儡政権である。このことを人民に訴えるためには過激な行動も辞さない。とのかく今の政府を倒すために団結しよう」と同じ発想に感じられる。
そして後のことを考えずにとにかく現状を壊すとどうなるか?豚のナポレオンを主人公にした小説「アニマル・ファーム」にその恐ろしさを予感するのは筆者だけなのだろうか?そして世界は自由貿易の方向に向かいながらも、「コメは自給すべき」との主張を繰り返し、その対策・将来のビジョンを示さないでいるのには、同じような無責任さ、不作為の責任を感じる。
それよりも、未熟で、不完全で、時には矛盾もあって厳しい批判を受けたとしても、それでもビジョンへのたたき台になる提案をする方がずっと建設的だと思うことにしてこのHPを続けているということを理解してもらえれば、それで十分。
その悲痛なメッセージを代弁する
(1)「変化した私たちの食生活 お米の消費が減る一方、畜産物や油脂など、大量の輸入農産物を必要とする品目の消費が増加してきました。その結果、食料自給率は一貫して低下し、40%(平成11年)となっています。」
との記述。主要穀物(コメ、小麦、大豆、トウモロコシ)の需給表を見ると、コメの消費量が毎年少しずつ減っていること、およびコメ以外の自給率の低さに気づく。
さらに(2)「国内500万haに加え、海外に1,200万haの農地が必要 このような私たちの食生活は、国内農地面積(491万ha(平成10年))とその約2.4倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています。」との記述もある。
(1)に関する数字を見ると、小麦、大豆、トウモロコシ、について自給自足は絶望的になる。
(2)に関しては、どのように理解していいのか迷う。農水省の方針「自給率アップ」ならば、自給率 100%にするためには、(A)国内農地面積を3.4倍にする。(B)生産性を3.4倍に、つまり単位あたりの収穫を3.4倍にすることなのだ。
(C)では消費量を3.4分の1にすればいいのか?毎日3回食事をする人が1日1食にすればいい、とでも言いたいのだろうか?
自給自足を目標としながらも、それが絶望的であることを裏付ける記載をする。何故だろう?「自給率をあげよう」のかけ声に水を差すような文を載せるのは何故か?
農水省の担当者は何を考え、何を目的としてこの文を書いたのだろうか?ここでアマチュアエコノミストが素人探偵に変身する。担当者の立場に立って、担当者の気持ちになって考えてみよう。たった1つの真実見抜く、名探偵コナンが推理する。
「国の方針は自給率アップ。しかし各種の資料を検討すれば、これが不可能なことは明白だ。ちょっと経済学の本を読んだ人なら、保護貿易が国民を貧乏にすることぐらい誰でも分かる。しかしそれを言っちゃあお終い。
農家・農協関係者・その人達の票で当選している議員・文化人・ジャーナリスト、これらの人たちが、「生活権を奪うのか?」「農家を守れ」「コメは日本の文化だ」「田圃が果たすダム効果を無視するのか?」「美しい日本の自然と文化を守れ」このように役所に圧力をかけてきたらどうしよう?
担当者としてのボクの立場が危ない。まだ役所を首にはなりたくない。養わなければならない家族もいるし、ローンも残っているし。ボクが本当のことを言うのはあまりにも機会費用が大きい。(この点についてはHP「接待汚職の経済学」を参照)でも真実を伝えるべきだ、との良心はある。
誰か分かってくれないだろうか?「自給自足は神話だ」ということを。立場上分かっても言えない人は多いだろう。ボクのような農水省職員・農協関係者・今まで「コメは日本の文化だ」といってきて今更転向できない文化人、今まで支持してくれた購読者を裏切れないジャーナリスト。
でもこの広い日本、ボクのメッセージを理解して代弁してくれる、自由な立場の人はいると期待しよう。そんな人にこの数字・メッセージが伝えられればいい。
こうしたボクの気持ちと立場を分かって、ボクに代わって「自給自足は神話だ」と言ってください。そんなアマチュアエコノミストが出てくれることを願ってこの文章を書きます。」
ここでバーチャル・インタビュー。農水省のエリート官僚山下さんにご登場願って、軽く一杯やりながら本音のところを語って頂きましょう。
官僚「田中さんねぇ、田中さんのように田の中で稲の育つのを見るのが趣味の人はいいけれど、農村で食えないというのは,住んでいる人の数が多すぎるということなんですよ」
「だって考えてごらんなさい。田畑の面積は限られている。
つまり、生産力に限界があるんです。だから住んでいる人の数が多いと分け前が少なくなる。したがって、農村では生活できないんですよ」
「ですから、農村の人たちは半分、都会へ出ていらっしゃい。これから都市周辺の農地をどんどん転用して住宅建設をすすめますから、そこへ移っていらっしゃい。
そうすると、農村に残った人たちも生きていけるんです」
田中「何をいうんですか、村の人間は半分、都会に出てこいというけれど、若い者ばかり出ていってしまって年寄りだけげ残されているのが農村の現実じゃないですか。残って者のパイは大きくなりませんよ」
官僚「あのね、われわれ国の仕事というのは、国民をまんべんなく豊かにすることであって、なにも住みにくい農村に人を住まわせることじゃないんですよ。住みにくいところに無理に住まなくてもいいんです」
官僚「コメの自由化結構じゃないですか」
「日本のコメ市場が自由になれば、日本向けのおいしいコメづくりのオリンピックが始まりますよ」
田中「そんなことしたら、10年後には、日本の食料自給率はカロリーベースで3割をきりますよ。穀物だけだと1割台まで落ちる。本当に農業のない国になりなすよ」
官僚「食料自給率が3割を切ってはいけないという根拠は、何ですか?」
児童のいじめによる自殺が社会問題になっている。事件後の学校側の発表で「いじめはなかったと思う」とのコメントが多い。ふだんから「うちの学校にはいじめはありません」と校長が言っていれば、「そんなの嘘だよ。ボクはいじめられているんだよ。あいつらをしかってよ」とは言いにくい。
それを言える勇気があればいじめられることもない。でも何らかのメッセージを発しているケースが多いはずだ。それを家族や教師など周りの大人が察してあげなければかわいそうだ。児童に向かって「自己責任」を押しつけられるほど、日本の社会は自己責任の確立した社会ではないようだからだ。
農水省のお役人さんには失礼かもしれないが、いじめのケースと同じように考えるべきだと思う。生活を賭けてまで道理を通せとは言えない。ここは一般国民が気持ちを察してあげるべきだと思う。
もう「自給自足」とか「コメは一粒も入れない」とか「自分の食い分は自分で手当しよう」といった「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ。
それにしても農水省のお役人さん、他の部署の人も元気ないなー。いくら族議員の力が強いと言っても、たかが「ネギ族議員」「椎茸族議員」「い草族議員」なんかの圧力に負けちゃって。「コメ族議員」に比べれば取るに足りない力でしょうに。
コメ問題、自給自足問題、で頭がいっぱいになっちゃって、自由貿易がどんなに国民を豊かにするか、保護貿易がどんなに不安な国際関係を生み出すか1930年代の世界恐慌,ABCDラインから大東亜共栄圏に突っ走った歴史、それを忘れるなんてどうかしてますねー。それに比べて外務省のお役人さんのすごいエネルギー。
「外務大臣と差し違えるのも覚悟の上」との気迫が感じられる。これだけのエネルギー、各省庁の事務方が発揮したら規制緩和・行政改革・財政再建・不良債権処理・構造改革など一気に進むと期待できるのだが、残念。
もっとも誤解のないように言っておくとTANAKA1942bは田中外相応援団派です。
それは文明発祥と同時に神話になった
まず、食料を自給自足している日本人はいないことに注目しよう。コメ、小麦、そば、キャベツ、長ネギ、椎茸、大豆、オレンジ、サンマ、鯖、エビ、牛肉、豚肉、鶏肉、塩これらすべてを自給自足している日本人はいない。
小さな集団、小さな自治体、都道府県、そして日本国全体、どの単位を取っても食料を自給してはいないのだ。
強いて言えば、「地球単位で言えば自給している」あるいは、ごく一部の発展途上国に、閉鎖的な少数民族の集団があるかもしれない位だ。個人として自給自足しているのは小説上のロビンソンクルーソーとフライデーくらいだろう。
「東京都民はコメを自給すべきだ」という公約で都知事が当選したらどうなるだろうか?当選するかどうかは読めないが、「自分達の食い分は最低限自分達で確保すること」と信じている有権者は多いようだから、案外立候補者は出るかもしれない。
都知事の公約を実行するには、東京都の行政単位「区」と「市」に「食糧自給委員会」を設置する。委員会はそれぞれの区で 100%自給を目指す計画を立てる。収穫時期になって 100%が達成できなかったら、東京都の他の区か市から買うことができる。
ただし他府県からはダメ。従って余剰生産で自治体の利益を出してもかまわない。そうすればその区の住民の地方税が安くなる。委員会の下に地方公務員が実際の稲作運営を進める。ボランティアや児童、学生、PTA、それにサラリーマンも一時的に作業に参加する。
計画時点では積極的な賛成者はあまり多くはないが、宣伝が行き届くにつれて参加者は多くなる。
「自分の食べる物は自分で作ろう。これが自己責任だ」「誰が作ったか分からない食材よりも、自分たちで作った食品が一番安心だ。作った人の顔が見える食料を食べよう」「人任せの食べ物は信頼できない」「一粒のコメも大切にしよう」「贅沢は敵だ」「都会の人間関係は冷たい。
コメ作りを通じて価値観を共有できる共同体をつくろう」
「東京でも「地産地消」を広めましょう」等、多くのスローガンが町に溢れる。
批判は出なかった。反対者は何も言わずに静かに東京を去って行ったのだった。
まず、東京中のコメ屋が廃業し、スーパーからコメ売場が消える。東京都民がコメを買わなくなると、他県のコメ作り農家の収入が激減し、生活が苦しくなる。産業としてのコメ作りがなくなり、儲からないから品種改良や技術革新への投資が行われない。「コメ作りは日本の貴重な伝統文化だ」と元気に言う人がいなくなる。「自分の食糧は他人が作った物を金で買うのではなく、自分で手当すべきだ」と言うより「いくら金があっても商品としてのコメがないので、自分で手当しなければ、ひもじい思いをすることになる」となる。
東京が経済の中心でなくなり、実質的に地方の時代となる。経済成長は止まるが、デフレで物価が安くなるので国民から非難の声は挙がらない。国民すべてが平等に貧しくなり、統計上もジニ係数は低下するのでエコノミストのなかにも「国民の所得格差が縮まった。とてもいいことだ」と支持する声も挙がってくる。一度お蔵入りした「くたばれGNP!」に流行語大賞が贈られ、「スモール・イズ・ビューティフル」も候補に挙がる。省エネが叫ばれ多くの迷案が出た。「深夜は一般家庭には送電ストップすべきだ」との提案は、全日本ローソク製造業組合からだった。選挙でどの政党が政権を取っても、NGO,NPO、市民運動、住民運動、自然保護運動家の主張が尊重され、「東京都民はコメを自給すべきだ」の政策は続行されることになる。
東京都に住み税金を払っていれば、家族に必要なだけのコメが支給される。外で食事をするときは外食券食堂を利用すれば良かった。これで問題は解決するはずだったが、その外食券食堂のコメをどうするか?が問題になった。これには都知事も困った、あくまでも自給自足に徹すべきか?それとも外食に関しては他県米を認めるか?都民を納得させる政策が見つからない。そうこうするうちにヤミ米が摘発された。少しくらいなら、と目をつむっていた検察も、目に余るヤミ米についに動き出した。「食糧自給委員会」も動き出す。東京の地方テレビMXTVも「反ヤミ米キャンペーン」に乗り出した。
それまではコメの配給状況を毎日報じていたが、キャンペーンが始まるとさらに詳しく報道し、繁華街には多くのテレスコープを設置し、時には一週間ぶっ通しで「反ヤミ米キャンペーン」を放送するようになった。放送が始まると「憎悪週間が始まった」と言う人もあった。「検挙された者は、三角帽子をかぶせ町中を引き回せ。」との提案もあったが、これは採用されなかった。
違反者が出ないようにと、農作業の始業時に大声で誓いを唱和するようになった。「われら東京都民は自分達の主食であるコメを自給することを誓います」この時全員赤いネクタイをすることになっていた。そしてこの誓いを「われら」と呼ぶようになった。こうした中で都知事は忙しくタフに仕事をこなしていた。睡眠時間は3時間だ、との噂も流れた。このため都知事のニックネームは「ナポレオン」となり、若い人は「ナポレ」と略して言った。識者はこうした言い方を「ニュースピーク」と名付けた。市民運動が活発になり、幼稚園の片隅から始まった運動が全国展開したり、本郷の「自主講座・公害原論」では沖縄からの講師の話に学生・市民が耳を傾けていた。
東京の産業構造は少し変わり始めた。製造業、情報産業などが元気なくなり、代わりに観光業が伸び始めた。武蔵野台地で蓄えられた豊かな地下水が湧き出るところ、洗足池、井の頭池、三宝寺池、豊島園、六義園、三四郎池、不忍池、こうした所が観光地として賑わい、新たな東京の産業として注目を集めている。
もう少し東京の変化を見てみよう。都内各地で田圃が開墾される。新宿区では歌舞伎町の一角にも田圃が出現し、コマ劇場も今はその跡形もない。戦後間もないとき新宿駅からビルもなく、そこにあったなにやら恐竜のモニュメントのような見せ物が見通せたときのような光景になる。当然近くの大久保小学校、大久保中学校の校庭の一部は田圃になっている。それでも年に2回、銀座とともに学生で賑わう風習は失われてなかった。観光地でさえコメ作りに参加する。三宝寺池から上石神井駅までの一帯は若い稲が成長し豊かな実りを予感させる。その地域の学校では生物の授業時間に、周辺地域の動植物の観察だけでなく、稲穂作りに参加する。生徒はそれを誇りに通学する。
東京の中心部から少し離れたところ、方位で言うと北西部に、この町はあった。生命あるものはみな、自然と一つだった。町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘が盛り上がり、斜面には果樹がしげっていた。春がくると、みどりの野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、かしやかえでや樺が燃えるような紅葉のあやを織りなし、松のみどりに映えて目にいたい。
春は沈黙していなかった。
人類が食糧の増産技術を手に入れ、自分が必要とする以上の食糧を生産するようになると、食糧を生産しない人間が現れた。彼らは食糧を生産する代わりに、生活用品、生産道具、美術工芸品、まつりごとに関する物、等を作り、食糧と交換する場所へ持ち寄った。その取引場所が市場となり、都市になり、文明が発祥した。さらにその都市で必要とされる物以上が生産されると、都市同士の取引が行われるようになりそれらのいくつかの都市が結びつき国家が生まれた。初めのうち必要な物を入手する方法として「贈与」「略奪」が多かったが、やがて市場での「交換」が主流になる。それは「取引費用」の安さに気づいたからだろう。20世紀になってアメリカで論文が発表されるよりずっと以前に、人類は「交換の正義」「取引費用」の大切さに気付いていたのだ。
このように自分が必要とする食糧を、自分で作らない人が現れたとき、人類の文明が発祥したのだ。人類の多くが自分では食糧を作らなくなり、それでもまだ類人猿に近かった頃、部族のみんなで食糧を探し求め、みんなで分け合った頃の記憶がDNAの記憶素子に組み込まれていて、時々そのファイルが開かれて懐かしく思うときがある。精神的なショックや、ストレスがたまり自我を押し潰そうとしたときにファイルが開いてしまうようだ。まだ神話になる前の時代、その頃人類は食糧を求めることだけに神経を使っていればよかった。天災や病気は人間の想像を超えた存在、「神」の意志であって、悩み考えてもどうしようもないことだったので、ストレスがたまることもなく、精神的には豊かな生活をしていた。その頃の懐かしさが高まって、「自分達の食い分は最低限自分たちで確保すること」と遺伝子が言わせているのだ。という説はいかがでしょうか?
アマチュアだからこのような乱暴な、反証不可能な仮説が立てられるのであって、専門家はこのような遊びはできない。(カール・ポパーに叱られる)「これこそアマチュアの特権なのだ」ということで、みなさんにアマチュアエコノミストをおすすめする次第なのであります。(これでやっと、タイトル通り「アマチュアエコノミストのおすすめ」ができます。ただし、「自給自足は神話」は経済学の常識であり、「経済学の神話」にはいずれ力を蓄えてから挑戦します。)
食糧ではないが、日本の得意技術金型。この技術と製品の輸出を制限したら、世界中の加工業者が悲鳴を上げる。そして日本の金型技術は需要が少ないから衰退し、職人の腕が鈍り、得意産業ではなくなる。ブッシュ政権が主要同盟国に理解を求め推進しようとしているMD、多くの電子部品を必要とし、その中でも主要なDRAM。その生産は日本企業4社と韓国企業1社で全世界の半分以上を生産している。1995年1月17日の阪神大地震、その直後に、ある日本の家電メーカーに世界中から電話とファックスが入った。「工場の被害はどうか?」「生産は続けられるのか?」なにしろこのメーカー1社だけで世界の大半の液晶ディスプレイを生産しているのだから、この工場が生産停止となれば世界のPCメーカーの生産に影響が出る。PC以外でも影響が出て、ハイテク産業全体に影響が出たかもしれない。
超微粒子研磨剤というものがある。半導体のシリコン・ウェファーを磨く粉で、その一番細かいものは、横浜にある企業で世界の9割が作られていて、もし横浜に大地震が起きこの工場が操業不能になると大変なことになる。かつてベトナム戦争の頃アメリカ軍がTV爆弾を使い、これにソニーのTVが使われているのではないか?とニュースになったことがある。アメリカ政府は否定し、それ以上真相究明はなされなかった。
東芝の子会社がソ連に工作機器を輸出した。これがココム輸出禁止製品にあたり、ソ連はこの工作機器を使い原子力潜水艦のスクリューを製造し、その工作機器によって作られたものは音が静かで潜水艦探知機に引っかかりにくいとのことだった。つまり「ソ連の原潜は日本製の工作機器によって作られたので性能がいい」と言えるのだ。これには後日談があって、子会社の不始末を親会社の東芝社長が記者会見で謝っていた。東芝の子会社は未成年者が多く、親会社の社長が後見人として保護しなければならない会社なのかもしれない。
つまり常に最先端のハイテク技術は民間企業1社に独占されているという状況になりやすいわけだ。こうした市場経済のルールを変えることはできないが、それだけにこうしたマネー・ゲームを批判する人は後を絶たないだろう。何しろ「核兵器を廃絶しよう」「環境破壊を防ぐために資源・エネルギーの無駄使いはやめよう」「自分達の食い分は最低限自分達で確保しよう」のようにいつまでも達成できない目標なので、いつまでも同じスローガンを唱えていられるからだ。
「自分達の食い分は最低限自分達で確保していた」頃の人類 が経験したことのない、将来に対する不安を抱えながら、現代人は生きていかなければならないのだ。
このようなアマチュアにしかできない、誇大妄想教のような話に迷い込んだとしても、自由貿易は発展させなければならない。「自分達の食い分は最低限自分達で確保しよう」との発想から生まれる保護貿易がどのような結果を招くか?1920年代、世界の先進国が保護貿易に走り1929年10月(暗黒の木曜日)、NYウォール・ストリートの株価暴落に端を発した世界恐慌、そして後発植民地主義国=大日本帝国の首根っこを押さえようとして仕組まれたABCDラインと、これに対抗して考えられた大東亜共栄圏で「自分達の食い分は最低限自分達で確保しよう」とした「最終戦争論」からはずれたあの無謀な戦争。この教訓は先進諸国の政策担当者ならすべて心得ている。たとえ一部の圧力団体の機嫌をとるために、長ネギ・椎茸で間違いを犯しても、それ以上のことは過ちは犯さないだろう。
大東亜戦争について言えばこうなる。自給自足にはその範囲が広ければ広いほど可能性が高い。大久保さん一家より、大久保2丁目より、新宿区より、東京都より、日本国より、それに加えて、朝鮮半島、満州国、大東亜共栄圏、それも広ければ広いほどいい、となって侵略地を広げていったのだ。当時の選択肢は(1)自由貿易か?(2)自給自足地拡大か?の二者択一でしかなかった。しかも先進諸国は「自給自足の神話」の見えざる手に導かれて、保護貿易への道を走りだしていた。遅れて先進国の仲間に入った大日本帝国がこの流れを止めることはできなかった。むしろ一緒になって「自給自足」を促進せざるを得なかった。
国を挙げて「自給自足の神話」を守ろうとした例は他にもある。スターリン指導のネップ(新経済政策)・ソホーズ・コルホーズ、毛沢東指導の大躍進・文化大革命・人民公社、エンベル・ホジャ指導のアルバニア、ポルポト指導のカンボジア、そして・・・
そしてこれらの悲惨な状況は当時外部に正しく報道されてなかった。1930年代ヨーロッパのマス・インテリは、ソ連の悲惨な状況を知り得たであろう著名な文化人もNEPを礼賛する発言をしていたし、日本でも文革当時の報道はジャーナリストも文化人も四人組の宣伝係りに嬉々としていた。そして「地上の楽園」。これらに共通のキーワードは「平等」と「自給自足」であった。(一国社会主義、自力更正など)「自給自足の神話」を国家公認のイデオロギーとするとどんなことになるか?これらの悲惨な結果を見れば明らかである。その教訓を生かすためにガットが、そしてその発展的機構、WTOが機能している。先進諸国があのような過ちを繰り返すことはもうないであろう。
農水省HPその他多くのHPで確認できる、主要穀物の輸入量。これらの輸入率を見てもらおう。輸入量/需要量。小麦88%、大豆 100%、トウモロコシ99%、塩85%、砂糖64%。さらに、アメリカからの輸入量/需要量。小麦61%、大豆74%、トウモロコシ96%。これは誰でもアクセスできる数字。「自給自足の神話」を信じている諸氏がなぜ問題にしないのか?たった一つの真実見抜く、名探偵コナンの推理は「農水省事務方の苦悩」で明らかにした。
本題はこれから。アメリカ政府がこれら3品目の日本への輸出規制を提案したらどうなるだろう?危機管理の担当者は当然研究していなければならない。対策は?日本政府はどのように対処すればいいのか?消費者は?消費者は高くても買うだろうから、日本の農家はこの時とばかり増産するのか?「お前はそれを願っているのだろう」とか「そんなことを言うと、アメリカは本当にそうするかもしれないから、黙っていた方がいい」とは「言霊信者」の発言になり、政治経済問題ではなくて、宗教問題になってしまう。では政治経済問題としては、どのような対策が必要なのだろうか?アマチュアエコノミストTANAKA1942bの考えはこうなる。「対策案は考える必要なし」「演習問題としてはおもしろいテーマだ」となる。そこでこれを1つの演習問題として取り上げてみよう。
「日本はアメリカへの乗用車の輸出を数量規制すべきだ。さもなければわが国は小麦、大豆、トウモロコシの輸出を規制する」と要求してきたら?しばらく様子を見ることだ。しばらくすると、アメリカでの日本車が値上がりし、アメリカのディーラーが売り上げ不振から政府に文句を言い始める。しばらくすると小麦、大豆、トウモロコシの生産者も地元の議員に働きかける。「輸出規制をしたら代わりに政府が買ってくれるのか?そうでなかったら輸出規制はやめてほしい。さもなければ、今度の選挙で違う候補者を応援するから」と圧力をかける。市場経済では消費者が神様、民主制度では有権者が神様、この点は日本もアメリカも同じ。という訳でアメリカ政府は交渉では日本に対し強硬であっても、規制はできない。そしてその決定はアメリカ経済にとっても正解なのだ。アメリカは日本より、食料、エネルギーなどの自給率が高い。しかし世界経済のリーダーたるプライドがある以上、自由貿易の仕組みは壊せないのだ。
農作物3品に関して心配ない、との考えはTANAKA1942bの見通し。しかし「コメを輸入に頼ると、外交交渉に利用される」との懸念を持つならば、こちらの方こそ心配すべきだ。コメは自由化されてもアメリカ一辺倒ではなく、オーストラリア、タイ、中国も日本への売り込みを図るだろうし、さらにその他の国の中からも売り込みがあるだろうからだ。(これに関しては=その1=を参照。)つまり「尊農攘夷論者」は「食糧安保」ということについては、「真剣に考えてはいないな」と思えてくる。答えの出しにくい順から言えば、「ハイテク安保」「軍事面での安保」「農産物3品安保」の順になるのだろう。
「自給自足」を考えるとき、単位地域をどうするか?によって評価は違ってくる。東京都、新宿区、大久保町、大久保2丁目町内、大久保さん一家、あるいは首都圏、関東地方、本州、日本国、大東亜共栄圏、東アジア地区、ASEAN諸国、地球の北半球、地球。地球単位で言えば自給していると言えるのだろう。たとえ地球外の太陽エネルギーを利用しているとしてもだ。
自給率の基準範囲は日本列島だけなのか?それならばある地域ではコメを作るが、ある地域では全く食料を生産しない人がいてもいいのか?大久保さん一家が自給してなくても、新宿区で自給していればいいのか?新宿区で自給してなくても東京都で自給していればいいのか?東京都で自給してなくても日本列島で自給していればいいのか?それなら日本列島で自給してなくても大東亜共栄圏で自給していればいいだろう。それができなくてもアジアで自給できればいいだろう。それも無理なら地球で自給できればいいだろう。それなら「自分達の食い分は最低限自分達で確保すること」の趣旨に反する。「自分達」とは日本列島の住民のことなのか?それならば朝鮮半島、満州国、大東亜共栄圏はどのように考えたらいいのか?
「自分達の食い分は最低限自分達で確保すること」とのスローガンは信仰宗教に近い精神的な目標と考えるがいい。具体的な政策にしようとすると、「食料」の具体的な品目、「自給」の地域など煮詰め始めると先へ進めなくなる。一人ひとりの心の中にしまっておく、精神的な目標、あるいは「信仰宗教」と理解するのがいいのだろう。
なぜコメの消費量が減っているのか?「我が社の主力商品の売り上げが伸び悩んでいる、何故だろう?」となると全社上げての対策が検討される。この疑問に答えられなければ会社の売り上げは鈍り、社員のボーナスは期待できず、放っておけば倒産の危険性さえある。いくつかの対策が打たれるに違いない。有効な対策が見つかるまで試行錯誤が続くだろう。その時つくづく思うに違いない「お客様・神様に気に入られるのは大変なことだ」と。それは大企業でも・中小企業でも同じ。製造業でも、情報産業でも同じ。テレビで言えば視聴者が神様。視聴率が下がったら、視聴者に気に入られるように内容を変えていく。その時「視聴者は現状を正確に把握していない。この番組を見て理解すべきだ」などと説教しても始まらない。その姿勢とは「我々情報提供側=サプライ・サイドは一般国民より賢くて、善悪・損得の判断ができるが、多くの国民はその能力に欠ける」と思い上った考えだ、ということになる。
パン業界も、インスタント食品の業界も、調味料も、ソフトドリンクも、業界内でのシェア争いと他業界との競争に力を注いでいる。そうして売り上げを伸ばしている。それは神様に気に入られるための努力なのだ。それに比べてコメはどうだろうか?
食管法の下、お客様は政府・議員だった。議員に働きかけ、議員を説得し、議員を動かし、政府に圧力をかければそれで良かった。消費者は神様ではなかった。地元議員に働きかけ、政府に消費者を説得してもらえば良かった。あるいは政府に代わって、政府の言葉として消費者を説得しても良かった。日本の食糧政策はどうあるべきか?政府とサプライサイドで決定し、消費者を納得させれば良かった。資本主義経済では珍しいケースだった。しかしそれに慣れ親しんだ人たちは異常とは思わなかった。実は旧社会主義国での食糧政策はこのようであった。そしてサプライサイドの近くにいて、この人たちを応援していたグループに社会主義に共感を覚える人たち・隠れコミュニストがいて、この人たちは「お客様は神様」ということを理解しないか、あるいは反感を持っていた。このためサプライサイドは未だに「お客様は神様」に気づいていない。
神様は結構冷たい。「コメは日本の文化だ」と言われれば、なにも反論せず頷いて、それでいて反対の行動をとることがある。それも理由を言わずにだ。神様を非難するのはたやすい。ただし、神様に嫌われ、コメ離れを覚悟してならいいだろう。これが資本主義経済・市場経済で、政治の世界の民主制度・デモクラシーも神様の態度は同じだ。従って日本ではほとんどの政治家、企業、生産者、商売人は神様を大切にする。メディアでさえ経営を考えているポストはそうだ。
個人がどのような信念で生きるか?これは自由だ。しかしその個人の生き方と社会のあり方は必ずしも一致しない。一人ひとりの人間にとって真理であることが社会全体にとって真理でない場合がある。「自給自足の神話」は人類の文明が発祥した時から、個人にとって真理でも、社会にとって真理ではなくなってしまったのだ。そして「自給自足」を神話としたことによって、人類の文明はさらに発展し続ける。ハイテク技術の「進歩」と「安保」のトレードオフの不安を抱えながらも、この進行を止めることはできないのだ。
猥雑な都市、マネーゲームの競技場としてのTOKIOが戻ってきた。有閑階級の恋愛沙汰や贅沢三昧がTVのモーニング・ショーの話題を独占する。一部の知識人が苦虫を噛みしめたような顔で批判する「マスメディアは国民を政治的アパシーになるように、イメージ操作している」と。そんな批判をものともせず、情報消費者・神様のご機嫌を取ろうと猥雑な情報をせっせと販売する。都民は情報産業に「正義の味方」を期待せず、販売される情報を消費し、それを楽しむ。
主要な盛り場では怪しげな商売が目立ち始めた。若者相手のキャッチセールス、新しいタイプの出会いサイト、高利の町金融、昔からあるピンク産業、夜の蝶とそれを追う殿方のための各種商売、どんな効果があるのか飲んでみなければ分からないドラッグ、一時自粛していたノーパンしゃぶしゃぶ、およそ日本に今まであった怪しげな商売がこの都市に集中し、表に出しにくい札束が飛び交っていた。時には警察の手入れもあった。現場の盛り場では野次馬が群がり、手入れの内容をあたかも見てきたかのように講釈する者もいた。まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。この私悪の集まりはしかし、東京全体で見ると確かな繁栄への道でもあった。このように各部分は悪徳に満ちていたが、全部そろえばまさに天国であった。
田圃の跡地にはマンションが建ち、野鳥が少なくなる。しかし自然がなくなったわけではない。コメ作りをやめた分、製造業、サービス業、その他ソフトサイエンスに特化しただけ、都民の生活が豊かになり、人々が近隣効果に関心を持つようになり、環境保護への投資が増大した。かつて田圃だった土地が住宅地となり、その周辺には緑の公園が点在する。自然とは手つかずのままがいい、との考えもあるだろうが、手入れをしてこそより良き環境が保たれるのだ。1920年から始まった明治神宮の杜、80年経った今見事な森に育ち、日本の造園技術の高さを世界に誇れるものになっている。新しい東京では桜公園、ツツジ通り、ポプラ並木が高層マンションと共存している。中小河川が整備され、雨水の利用と地下への誘導技術の進歩により、田圃のダム効果を強調する人は少なくなっている。
いろいろ変化があるだろうが、沢山ありすぎて書き切れない。その他いろいろは、みなさんに想像して頂くとして、何が言いたいのか?そう、「東京都」を「日本」と置き換えて、「他県」を「アメリカ、オーストラリア、タイ、中国、その他コメ輸出国」と置き換えて考えて頂きましょう。日本がコメ市場を開放する、ということは、「東京がコメの自給をやめる」ということ。海外のコメ生産者が日本に輸出する、ということは「他県の農家が東京都民にコメを売る」ということ。東京のコメ市場を開放することによって、消費者としての東京都民と、生産者としての他県の農家、双方に利益があるのが理解できるだろうし、同時に、日本がコメ市場を開放することによって、日本国民と海外のコメ生産者に利益がある。ということが言いたくて、東京都民にしばらくの間コメ作りをやってもらった訳である。
「東京都民はコメを自給すべきだ」の政策が放棄されると、日本国内のコメ生産者にその恩恵がくる。同じように日本国民がコメ自由化を決断すると、外国のコメ生産者が喜ぶ。そして日本への売り込みによって豊かになる人が出てくる。このように自由貿易は双方に利益がある。決して「ゼロサム・ゲーム」ではないのだ。強いて名付ければそれは「プラスサム・ゲーム」なのだ。そこで日本国民はどのような態度をとるべきか?答えははっきりしている。「自由貿易を促進する政策をとるべきである」。かつて戦後の苦しいときに自由貿易で力を付けた日本経済、これからは周辺諸外国にも力を付けてもらい、せいぜい日本のハイテク商品をいっぱい買ってもらって、日本の食糧自給率を下げられるよう、政策を方向づけるべきだ、と主張するものである。
ところで、諸外国の立場を考えるなら、もう少し突っ込んで考えてみよう。それは=その2=で提案した、関税率の工夫、「全てのコメ輸入に10%の関税を上乗せして、それを国連に贈与する。」という試案だ。=その1=で書いたように、ふだんは「買わないよ」とけんもほろろ、それが突然「売ってください」とは、礼節を失ったわがままな態度だ。日本人らしくない。そう思いたい。あのようなことはもうナシにしたい。そろそろノブレス・オブリージェということを意識したいと思う。民主制度と市場経済が根付き、衣食足りて礼節を知る、私たち日本国民、それがふさわしい国民になったと自負しているのだが、諸氏の感想はいかがなものであろうか?
人類は「自分が必要とする」以上の食糧・日用品の生産を可能とする技術を手に入れ、「自分が必要とする食糧・日用品」のほとんどを他人に頼る生活を始めた。先進諸国では飢餓の恐怖から解放され、生活に必要な日用品は十分手に入り、これらを選ぶ基準は「必要度」から趣味・センス・カッコよさといったことに変わりつつある。一方「先端技術の進歩」とその「安全保障」がトレードオフの関係にあることがはっきりしてきた今、未来に対するはっきりしない不安が増大し、それ以上にこうした不安テーマを解説し、不安を煽り、救いを売り込む、解説業・著述業・宗教業が職業選択自由の保証の上に業績を上げてきた。
こうした状況が「自給自足の神話」を復活させているのかもしれない。このように考えると、ハイテク時代・高度情報化社会での生き方に対するヒントが見い出される。高度に分業化され、生活用品の多くを他人・他の社会に頼るようになった生活で、それから生じるストレスを解消する方法、それは家庭菜園・日曜大工・キャンプファイアー・サバイバルゲームなど文明発祥以前の生活を体験することかもしれない。幸い市場ではそれを意識してかどうか分からないが、消費者に選り取り見取り、多数の商品が提供されている。ここでも巧妙な市場メカニズムに感心させられるのだ。
さて、「自給自足の神話」、これが神話であることは証明できたのであろうか?「自給自足の神話」と「先端技術の進歩とその安全保障とのトレードオフ関係」これらについてはまだまだ議論はつきない。しかし 「自由貿易こそが国民を豊かにする」という常識だけはしっかり押さえていなければならない、と主張するものである。
私の個人的趣味につき合って、最後まで読んで頂いたことに感謝いたします。有り難うございました。
需給調整と価格安定のために
大阪堂島の米帳合取引の説明は専門書に任せることにして、ここではコメの取引所として世界で初めて先物取引を始めた、ということに注目しよう。そしてその知恵を生かして、現代版米帳合取引所を作ろうという提案だ。といっても特別目新しい発想ではない。商品取引所は昔からあるし、穀物は今でも「東京穀物商品取引所」「中部商品取引所」「関西商品取引所」「関門商品取引所」で取引きされている。トウモロコシ、輸入大豆、小豆などの穀物に加えてコメも上場しようと言うのだが、この際新しい取引所を設立する気持ちで、その内容を検討してみようということだ。
コメの取引所の構想は多くの人たちが検討しているはずだ。いずれコメが自由化されることは誰もが考えているだろうし、その時の対策も考えているだろう。東京穀物商品取引所は自分のところで扱おうと考えているだろうし、商社はそこで利益を上げるにはどのような仕組みが有利か考えているだろう。いずれ取引所設立が具体化してくれば自分達に有利な構想を提案することになるだろうからだ。アメリカ、オーストラリアの生産者もどのような取引所ができるか注目しているだろう。しかし日本では言霊信者がいるようなので、今具体的な提案をすると、信者から非難され、今後の仕事がやりにくくなりそうなので黙っているのだろう。
そこでアマチュアエコノミストTANAKA1942bは誰も発表しないうちに構想を発表しようと思う。関係者はかなり具体的な構想を持っているだろうし、それらが発表されれば、アマチュアの出番はないだろうからだ。
だれも発表する前なら少しくらい不格好な試案でも許してもらえるだろう、との甘えもある。しかしそのように言いながら、「本当に考えているのだろうか?」もしかしたら「自由化になったときのことを言うのは、自由化を望んでいると思われはしないか?」と心配し、考えることも、準備すること手を着けてない人達がいるのではないだろうか?と心配にもなる。取引所ができても、買い手は準備万端であっても、売り手は勉強不足、準備不足という事態になるのではないか、との不安がある。
取り引きは「現物取引」「先物取引」「オプション取引」になる。「先物取引」は@「先渡し取引(Forward=売買予約、建設中のマンションの予約販売など)」A「帳合い取引(Futures、大坂堂島米会所の帳合い取引=現物の受け渡しを伴わない取引)」B「指数先物取引」になる。
「現物取引」では銘柄をどうするか?で取引所の特徴が出る。「こしひかり」とするか?「新潟産こしひかり」とするか?「魚沼産こしひかり」とするかで違ってくる。魚沼産こしひかりを生産している農家や取り扱い会社は「魚沼産こしひかり」という銘柄をつくって欲しいし、その他の生産者、取り扱い会社はそうではない。買い手側も個人と外食産業では違うだろう。
この取引所の特徴は「指数取引」にある。コメの個別単独銘柄では数量が少なく、買い占めなど価格操作が行われる恐れがあるので「指数取引」で対応する。特に生産者の上部団体は価格の高値維持をねらって価格操作を試みる恐れがあるからだ。株式市場でさえ、PKOだとか、担当大臣が市場関係者に価格操作を以来するような国柄なので、コメ市場という馴れない人たちが参加する市場では、価格操作できないような十分な対策が必要になる。
取引は「ザラバ」がいいだろう。「板寄せ」の方が合理的との考えもあるが、この市場は外国人投資家を参加させなければならない。そのためには「ザラバ」がいい。国際的なコメ取引所を目指すことになるのだから、日本の伝統に拘ることはない。同じような趣旨で、クリアリング・ハウスを設けるのがいい。江戸時代の知恵「消合場」もいいが、同じ働きなら外国人投資家も参加しやすいような制度がいい。