趣味の経済学
「お客様は神様」の現代資本主義社会
が経済学の神話に挑戦します
If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.――Winston Churchill
30才前に社会主義者でない者は、ハートがない。30才過ぎても社会主義者である者は、頭がない。――ウィンストン・チャーチル
日曜エコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦するとです
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アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
「お客様は神様」の現代資本主義社会
「消費者は王様」を認めさせた消費者運動
戦後の消費者運動を振り返る
日本消費者連盟の誕生
● 戦後の消費者運動を振り返る 主流は主婦の値上げ反対運動だった (2006年4月10日)
● 日本消費者連盟の誕生 竹内直一の経歴と運動に対する考え方 (2006年4月17日)
● 最初に取り組んだのは、コーラの有毒性 以後大企業への「矢文」が追求する (2006年4月24日)
● 果汁が入ってなくてもジュース? 消費者も果樹生産者も困ってしまう (2006年5月1日)
● チクロ問題と創立委員会 『消費者リポート』とNHK『日本の消費者運動』 (2006年5月8日)
● 消費者軽視の企業体質を批判 三越・住友生命・共栄生命──ほか (2006年6月19日)
● 学研百科辞典の誤りと校内販売を批判 連盟に刃向かう唯一の大企業 (2006年6月26日)
● ラルフ・ネーダーの内部告発のすすめ 倫理のグローバリゼーション (2006年7月24日)
● カラーテレビ不買運動と松下訴訟 オープン価格という新しい制度 (2006年7月31日)
● 欠陥車問題追求が大きな節目 ユニオン幹部の逮捕という大きなショック (2006年8月21日)
● 薬品問題・公害自主講座・消費者運動 高橋晄正・宇井純・竹内直一 (2006年8月28日)
● 消費者主権に変わりつつある日本経済 学んだ企業、学ばなかった企業 (2006年9月4日)
仕組みの解明と適切な後始末を
大企業独占告発への矢文
45年6月、ちっともゴキブリの捕れない東芝の「ゴキトール」を欠陥商品だとしてヤリ玉にあげたときのことである。
最初は担当社員が「欠陥ではない」と弁明にきたが、私たちがこれを公取委に不当表示で告発すると、パタリと連絡が途絶えたのである。
それからはいくら催促しても回答は出されなかった。46年1月までに3回も矢文が出された。やっと1月中旬、担当部長から文書回答がきて「回収中だ」といってきたが、こちらの質問のポイントには、答えていなかった。
私たちは「ミスはミスとしてフェアに認める態度こそ消費者の信用をかちとるゆえんではないか」と詰問した。
3月22日になって、はじめて東芝商事の消費者部長と担当の乾電池事業部長が顔を出した。以下はそのときのやりとりである。
東芝 今日はおわびと報告に来た。早く連盟にお目にかかるべきだったが、なかなかすぐに会社全体がそういう雰囲気にはならなかったので遅れて申し訳ない。
ゴキトールにしても、確かに捕れるという実験もしている。皆さんの予測されたほど効果が上がらなかったのだ、ということもわかった。
━━こちらではいろんな条件の違うところで実験したが、ダメだった。かりに入っても大きいのは逃げ出す。そういうものを「欠陥商品じゃない」と言い張っているのがいけない。これはどう考えてもゴキブリ「取り」とは言えない。
東芝 誘引剤(エサ)と一緒に発売していればよかったかも知れない。私どもの実験では、入ると言う人があるのだ。2匹入るとしばらく途絶える。1週間ほど経つとまた入る。事前の実験で、ゴキブリが入ったことを嬉しがって宣伝したことについてはシャッポを脱ぐ。
━━商品のことだから、当初の見込みと違って、思わぬ欠陥がでることもあるかも知れない。しかし、ゴキトールの場合は、欠陥であることが分かってから後の処置が全然なっていないのを問題にしているのだ。大会社らしからぬやり口ではないか。
東芝 会社のメンツということではなく、9月末の謝罪広告という珍しい処置をとったことだし、これからは今までと違って、本当に消費者サイドに立ったマーケティングに徹していきたい。
━━企業はウソをつくべきではない。非常なイメージダウンになる。
東芝 きれいごとに片づけようとする意識は、確かにあったかも知れない。消費者の声は非常に素朴かつ根深い。だから決して軽く扱ってはならないことを知った。姿勢を正し、行動に表さなければダメだと思う。
━━あっさりと、悪かったと言えばよいのだ。それをなぜこだわるのか。
東芝 消費者連盟が総会屋的な動きでないことがハッキリしたのなら、謝るべきだという姿勢になるまで時間がかかった。
━━それほど社内で大問題になったというのに、これまでに来たのは、一番初めに担当課長だけだ。それも、なかば抗議の通告のようなもので、絶対に欠陥でないと言い張った。
東芝 申し訳なかった。
私たちの活動が”告発型”だと称されるゆえんは私たちのやり方が、これまでの消費者運動のパターンと違うからである。私たちは「トップをねらえ」を合言葉にしている。
トップ企業といえば消費者の絶大な信頼感を得ているし、業界をリードする象徴的存在である。私たちはこのトップ企業がいい加減なことをやっている点を暴露し、「トップは無条件に信用できる」という神話をくずすために、またトップの姿勢を正せることによって、業界全体をまっとうな道に引き戻すために、告発活動を続けてきた。
私たちの警告、制裁にトップ企業が耳をかさないときは、決定的な打撃を受けることを身をもって知るまでは、追求の手をゆるめなかった。そして、かなりの成果をあげることができた。
私たちの告発の方法を紹介しよう。消費者から苦情の申し出がある。あるいは独自の調査によってある企業の不正を発券する。この事実を示して「どう処理するか」という質問文書を必ず企業の責任者──代表取締役に送る。
私たちはこれを戦国時代のならわしにあやかって「矢文」(やぶみ)と呼んでいる。担当者とは直接交渉しない。これはいかに小さなトラブルであろうとも、消費者に対しては、企業経営のトップが全責任を負うべきだ、との考えに基づく。
また、担当者のもみ消しを封じるためでもある。この矢文はすべて手書きのコピー紙製の粗末きわまるものだが、年間数百通に達する。
企業に矢文が届くと直ちに反応が現れる。普通の案件である場合は文書で回答が来る。重大なものあるいは火急を要するものは、社長、担当重役、幹部社員が事務局を訪れる。逐一処理経緯を電話、来訪などによって報告してくる。
もし、企業の処理に納得いかないことがあつ場合は、何回でも矢文を出し責任を追及する。
なぜこのように企業が積極的に動くのか。彼らが私たちを恐れるのは、私たちはただ企業にもの申し、相対の話し合いをしているだけでないことを承知しているからだ。私たちは、企業に直接問題をぶっけるだけでなく、監督官庁、警察、検察当局、国会などに遠慮なくこれを持ち込み、
同時に新聞発表をし、私たちの機関紙『消費者リポート』にあからさまにするからである。自社の製品の欠陥や不当表示が新聞、テレビに報道されれば、たちまち売上げにひびくことを十分知っているからである。
現に私たちが告発すると「どうか新聞にだけは発表しねいでくれ」「もう発表したのなら取り下げるよう新聞社に言ってくれないか」など泣き声をはり上げてくる企業もいる。あるいは『消費者リポート』に掲載しないよう「ご配慮お願します」と真剣に頼んでくる企業もある。
(T注 この頃から大企業では「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損するよ」と分かっていたようだ)
それほど社会的に知名度の高くない地方の中小企業でもほとんどが生真面目に回答してくるし、徹底的な調査もする。ある場合には中小企業のほうが真剣でさえある。
こうした私たちのやり方は、もしかじ取りを誤ったら大変なことになる両刃の剣である。現に企業側では私たちの告発活動をきわめて反社会的で危険なものとみて、盛んにアジっている一派もいるのだ。
そのような企業の術策に陥らないよう、最大の神経を使わなければならないことは言うまでもない。スキあらばと、私たちの一挙手一投足を見守る企業陣営を前に、やり直しの許されない真剣勝負の繰り返しを覚悟しなければならない。
私たちはただの一度でも切り返されたら、それでおしまいである。絶対不敗の戦いを挑まなければならない宿命を負い、文字通り日々、白刃の下をかいくぐる心境の連続である。
(『消費者運動宣言』から)
ところで、当時の消費者運動、消費者保護に対する認識はどうであったのか、参考になりそうな文章があったので、ここに引用することにしよう。
椎名通産大臣 「消費者は王様であるなんていう言葉は、寡聞にして、まだ聞いたことがない。初めてあなたから承ったようなわけでございまして、従って、どう考えるかというようなことも何も考えはございません」
中谷哲也委員 「大臣、本当に消費者は王様という言葉をお聞きになったことはないのですか。そうすると、消費者主権という言葉はご存じでしょうか」
椎名通産大臣 「それも聞いたことがございません」
消費者行政について責任の一端を負っている通産大臣と社会党議員のやり取り──衆議院商工委員会、昭和43年4月26日の議事録からの抜粋である。
おとぼけと皮肉で鳴らした椎名悦三郎氏のこと、「消費者は王様なり」は言葉の上だけにのことで、実態はとてもそこまではいってませんよと言いたかったのかも知れないが、今日であったら委員会審議が中断しけねない内容の答弁である。
消費者保護基本法の公布を間近に控えてはいたが、消費者問題に対する行政当局の関心はうすく、消費者運動の盛り上がりもいまひとつといった当時の状況を、象徴的に示す発言と言える。
(『日本の消費者運動』から)
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に 竹内直一 現代評論社 1972.11.30
『日本の消費者運動』 日本放送出版協会編 日本放送出版協会 1980. 5.20
主流は主婦の値上げ反対運動だった
市場経済ではコントロール・センターが一国の経済をコントロールするわけではない。経済が成長せず、物価水準が低下するデフレになると「日銀は何をしているのか?デフレから脱却する対策を採るべきだ」と経済のコントロールセンターとしての中央銀行に期待するエコノミストもいる。
たしかに「市場の動きに任せておくと、市場の失敗が起きる」とか「日銀がマネーサプライをコントロールできないと言うのは、中央銀行としての責任放棄だ」と強力な管制塔(たとえば「平成の鬼平」)の出現を期待する論者もいるようだ。
結局、社会主義経済は破綻したが「社会主義の理念は正しいが、それを実行しようとした指導者がミスを犯した」と、社会主義経済に対する夢を捨てきれない「隠れコミュニスト」が多くいるということだ。
ところで、そうした「隠れコミュニスト」は「大企業の横暴」を警告する。たしかに大企業は社会に大きな影響力を持っているし、消費者を軽んじる行動もとってきた。それが徐々に変わってきて、現代では「お客様は神様」「消費者は王様」「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」
になってきている。企業経営者の意識が変わってきた。そして、そのきっかけを作ったのが「告発型の消費者運動」=「日本消費者連盟創立委員会」であったとTANAKAは主張する。このシリーズはそうした竹内直一を中心とする消費者運動を検証することにする。では、その時代、消費者運動はどうであったのか?
企業の消費者に対する態度はどのようなものであったのか?それに対する消費者運動はどのようであったのか?そして日本経済はどのような状況であったのか?そうした点から時代を振り返ってみることにしよう。
1946(昭和21)年12月27日に閣議で「傾斜生産方式」が決定され、翌1947年から実施された。これは石炭・鉄鋼・肥料の生産に限られた資材と資金を投入するという政策。金利は低く抑えられ、インフレ率よりも預入金利が低い、という異常な状況だった。
さらに1946年2月に新円切り替えが行われた。これは 第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、政府は昭和21年(1946年)2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。
(日銀ホームページから)
つまりこういうことだ「今の紙幣は使えなくなります。銀行へ預金しなさい。引き出すときには新しい紙幣を渡します。ただし、生活費の引き出しは世帯主月額300円、のちに100円、世帯員ひとり月額100円以内が限度で、それ以上は引き出すことはできません」つまり「1月を1人100円で生活しなさい」ということだった。「たけのこ生活」という言葉はその頃生まれた。
その後の主婦連は、「値上げ反対運動」「不良品追放運動」を実施していく。「女性が中心で、物価を問題にする」という点で、戦後消費者運動の1つの典型になった。
「主婦の会」は、主婦の店をつくり、これが消費共同組合主婦の店に変わっていく。こうした主婦の運動はGHQも評価していて、敗戦直後の関西における物価引き下げ運動に大きな影響を与えた。
設立に当たって日本消費者協会は、次のような「消費者宣言」を発表した。
ところが、主権者であるべきわれわれ消費者は、生産者や労働者にの団結力に比べれば、いまなお甚だしく微力であり、したがって未組織であり、ときには消費生活が不健全化し、その声はともすれば社会の底辺にかき消されがちである。
日本消費者協会はこの弱い消費者の声を代弁し、同時に消費者が主権者としての資格と権威とを確保するために全力を尽くすものである。
われわれは、ここに新しい力を呼び起こし、今後の運動の方向をつぎのように定め、消費者運動に邁進することを宣言する。
1、われわれは、正しい商品選択のための情報を消費者に提供するとともに、商品に対する苦情の処理に当たる。
2、われわれは、消費者の声を結集して生産者および販売者に伝え、消費者と生産者との間の疎隔を改め、わが国における消費生活の健全化をはかる。
3、われわれは、政府および地方行政機関に対し適切な焼死者行政の確立を要求する。
4、われわれは、消費者のための、消費者の声による消費社会の確立を期し、消費者主権の確立に邁進する。
5、われわれは、海外諸国の消費者団体との連帯を密にし、消費者の国際的団結を強化する。
日本消費者協会のホームページにはつぎのような説明がある。
財団法人日本消費者協会は、昭和36年9月に設立された、新しい時代の新しい消費者運動の推進機関です。一人一人の消費者にかわって、中立公正な立場で商品テストを行い、その結果を『月刊消費者』に掲載して、消費者の商品選択に役立たせます。また、消費者のために教育活動を行う一方、日常の苦情相談などを通じ、消費者を代表して生産者や流通業者、行政、業界団体等にその声を伝えます。私たちの活動をご理解のうえご支援ご協力をお願いいたします。
1945(20) 10月・大阪鴻池の主婦「米よこせ風呂敷デモ」。11月・市川房枝などの新日本婦人同盟設立。
1946(21) 1月・鴻池主婦の会「主婦の店」開く。3月・松岡洋子委員長の婦人民主クラブ発足。5月・食料メーデー。
1947(22) 7月・独占禁止法施行、構成取引委員会発足。8月・皇居前で食糧確保国民大会。
1948(23) 7月・消費生活協同組合法公布。9月・不良マッチ退治主婦大会。「暮らしの手帖」創刊。10月・主婦連合会結成。
1949(24) 11月・主婦連が新橋駅前で「不良品追放デー」実施。12月・蛭つま会長の関西主婦連合会結成。
1950(25) 7月・日本労働総評議会結成。
1951(26) 3月・賀川豊彦会長の日本生活協同組合連合結成。
1952(27) 5月・血のメーデー。7月・山高しげり会長の全国地域婦人団体連絡協議会結成。
1953(28) 4月・平塚らいてふ会長の日本婦人団体連合会結成。9月・米価値上げ反対消費者大会。
1954(29) 8月・原水爆禁止署名運動全国協議会(原水禁)結成。
1955(30) 6月・第1回日本母親大会開催。9月・原水爆禁止日本協議会(原水協)結成。
1956(31) 12月・日生協、主婦連、婦人民主クラブ、総評、新産別などで全国消費者団体連絡会(全国消団連)結成。
1957(32) 2月・第1回全国消費者大会「消費者宣言」採択。7月・主婦連は不当表示ジュース追放運動始める。
1958(33) 1月・大日本製薬はイソミン(サリドマイド)大量販売。
1959(34) 1月・消団連、物価値上げ反対消費者団体連絡会議開催。3月・主婦連、第1回消費者ゼミナール開催。
1960(35) 1月・日本生産性本部「消費者教育室」開設。8月・主婦連「苦情処理の窓口」開設。
1961(36) 9月・日本消費者協会(日消協)発足。11月・主婦連、苦情相談窓口を35ヶ所に設置。
1962(37) 5月・大日本製薬イソミンによるサリドマイド事件発生。9月・サリドマイド系睡眠薬販売禁止。
1963(38) 10月・徳島地裁、森永ヒ素ミルク事件で、森永乳業に無罪判決。
1964(39) 4月・厚生省、合成着色料赤色1号と101号を使用禁止。9月・阿賀野川有機水銀被害者の会結成。
1965(40) 5月・第1回物価メーデー。
1966(41) 8月・主婦連、ユリア樹脂製食器からホルマリン検出等発表。
1967(42) 4月・全国的に牛乳値上げ反対運動起こる。7月・地婦連、千円化粧品と百円化粧品の効果に差はないと発表。
1968(43) 1月・水俣病対策市民会議結成。イタイイタイ病対策会議結成。5月・厚生省、イタイイタイ病を公害病と認定。
1969(44) 4月・日本消費者連盟創立委員会結成。
1970(45) 4月・日本自動車ユーザーユニオン結成。9月・消費者5団体、カラーテレビの買い控え運動開始。
1971(46) 3月・松下電器、公取委のヤミ再販審決成立。11月・自動車ユーザーユニオン幹部恐喝容疑で逮捕。
1972(47) 9月・消費者8団体、公取委に再販制度廃止を要望。11月・公取委、果実飲料表示に無果汁表示を義務づけ。
1973(48) 2月・石油タンパクの禁止を求める連絡会(石禁連)発足。
1974(49) 5月・創立委員会を解消、日本消費者連盟発足。10月・サリドマイド訴訟終結。
1975(50) 4月・厚生省、OPP使用の米国産グレープフルーツの流通・販売禁止。
1976(51) 6月・訪問販売等に関する法律(訪販法)公布。
1977(52) 6月・独禁法改正。10月・カネミ油症訴訟全面勝訴(福岡地裁)。
1978(53) 3月・スモン訴訟、金沢地裁で制約会社、国の賠償責任を求める判決。
1979(54) 9月・米スリーマイル島で原発事故発生。10月・金の先物取引で被害続出。
1980(55) 10月・東京都環境アセスメント条例成立。
1981(56) 4月・セールスマン登録制度発足。
1982(57) 5月・全国サラ金被害者連絡協議会結成。
1983(58) 5月・東北地方中心に新型ねずみ講発生。
1984(59) 5月・割賦販売法改正。
1985(60) 7月・全国豊田商事被害対策弁護団連絡会議結成。
1986(61) 3月・海外先物取引会社の破産相次ぐ。4月・ソ連でチェルノブイリ原発事故。
1987(62) 1月・農水省、特別栽培米制度導入。5月・全国霊感商法対策弁護士連合結成。
1988(63) 12月・一般消費税成立。
(『戦後消費者運動史』から)
『戦後消費者運動史』 国民生活センター編 大蔵省印刷局 1997. 3.30
竹内直一の経歴と運動に対する考え方
「ただ単に『かしこい消費者』であるというばかりでなく、さらに進んで、不当なことには何ごとにも物言いのつけられる『きびしい消費消費者』へと成長しなければなりません。」
日本消費者連盟の機関紙「消費者リポート第1号」からの抜き書きである。
日本消費者連盟(日消連)は昭和44年4月、東京目黒区のめぐみ幼稚園の2階に事務局を構えて、創立委員会という形で産声をあげた。それは企業の行動を監視し、その悪徳を追求、摘発する、いわゆる告発型の消費者運動の誕生を告げるものであった。
”告発”の時代が生まれるには、それなりの背景がある。日本消費者連盟創立委員会の発足の前年、43年には「消費者保護基本法」が制定されたが、そのころ町には危険な商品、欠陥商品があふれ、消費者の間に生命の安全に対する不安が頭をもたげていた。
主婦連による危険なヘア・スプレーの摘発(40年)、同じく主婦連の検査でユリア樹脂から人体に有害なホルマリンが検出された(41年)。さらには公正取引委員会によるポッカレモンの不当表示の摘発(42年)、カネミ油症事件(43年)が起こり、この間、サリドマイド訴訟(40年)、
イタイイタイ病訴訟(43年)も提起された。大量生産、大量消費で見せかけの繁栄に浮かれた高度経済成長のとがめが、広い範囲にわたって表面化し始めていたのだ。
設立発起人の1人であり、いまなお代表委員として日商連を背負って立つ竹内直一に聞いてみよう。
「消費者は王様なりと言うのは嘘っぱちで、実際は企業の横暴につねに泣き寝入りだ。起票には消費者のことなど頭にない。政府は企業べったり、官僚もまた縄張り争いと思い上がりで全く頼りにならない。
集会を開いて決議したり、チラシを配ったり、デモ、陳情、署名運動といった、それまでの形の消費者運動ではまるっきりパンチが効かないことを、痛切に感じていた。
それが私自身に消費者のために何かやってやろうという気持ちを起こさせ、消費者連盟を生む原動力になったのだ」
竹内直一(大正7年生まれ)、消費者運動に身を投じる前は、農林省のエリート官僚の1人であった。しかし、竹内本人の表現を借りれば、「素人臭い」いくつかの行動が彼をエリートの座から追いやることになる。
彼が農林省から経済企画庁に出向して、発足したばかりの国民生活局の参事官として物価、消費者行政を担当していたとき、牛乳を安く飲もうという消費者の運動を経済企画庁が支持して、牛乳を値切って買うことを呼びかけた。
呼びかけから、時には消費者への作戦指導にまで進む。それは牛乳の小売価格引き上げを図ろうとしていた農林省や乳業メーカーの神経を逆なでするものであった。43年6月、追われるようにして官僚生活に終止符を打つ。
大会で気勢をあげ、決議文を配って歩くそれまでの消費者運動の限界を、国民生活局時代の消費者団体との接触を通じて肌で知った。
組織が大きくなると、メンバー相互が仲間に寄りかかるようになり、また、組織を守ることにエネルギーを多く費やして、本来の活動については小回りがきかなくなる。
自分たちが身近に考えている消費者の問題について、誰にももたれかからずに自分たちのやり方で取り組んでみよう。消費者を食いものにしている政治家や官僚、それに企業の行動を改めさせよう、効果のあるパンチを放つためには、表面的な活動ではいけない。
ゲリラ活動が必要だ──こうして生まれたのが日本消費者連盟であった。
炭鉱労働者から生協運動に飛び込んだ岩田友和(現在内外消費者問題研究所代表)が、創立委員として竹内と腕を組んだ。岩田はバプテスト教団の役員をしており、その関係で協会付属の幼稚園の2階を、月5,000円の家賃で借りることができた。
日消連を支える3原則は、政治的中立、財政的自主独立、個人加入であり、男性参加者が多いという点にも既存の消費者団体との違いがあった。
政治的には特定政党との結びつきをはいしながら、委員会審議等を通じて問題をしばしば国会に持ち込んでいる。国会議員をうまく利用することについては、竹内の役人時代の経験が物をいっている。
(『日本の消費者運動』から)
竹内直一は、日本消費者連盟の代表としてのはなばなしい活躍で知られている。その数奇にみちた人生は、本書の序論で展開されているが、まず、彼の略歴を簡単に紹介しておこう。
竹内が京都に生まれたのは、1918(大正7)年、ロシア革命の翌年で、大正デモクラシーはなやかなりし時代であった。と同時に、この年、米価が暴騰し、善行各地で米騒動が起きた、混乱の時代でもあった。
京都一中、第三高等学校、東京帝国大学法学部と、超エリートコースを歩み、同大学を卒業したのが、1941(昭和16)年、第二次世界大戦の真っ只中であった。彼の青春時代は、戦争の軍靴の足音と共に過ごさざるを得なかった。
と同時に、国の内外の民衆が、権力と軍国主義の抑圧のもとで、いかに呻吟・苦闘してきたかをつぶさに見ることができた。
灯台卒業の翌年1月、農林省に入省、食糧管理局、食品局、統計調査部などに勤務、続いて経済企画庁では、物価・消費者行政を担当した。まさに、食品行政、消費者行政の第一線の担い手であった。
農林省では、大臣官房、大臣秘書官など農林行政トップの下で、官僚や政治家の悪業の数々を注視してきた。
このようなエリートコースを歩みながら、官僚帝国の安逸に染まることはなかった。1968年、牛乳一斉値上げ反対運動を先導したとして乳業各社の要求で退職を余儀なくされた。これをきっかけに、彼は、人生をまさに百八十度転換することになる。
翌69年4月には、日本消費者連盟創立委員会を結成し、代表委員に就任、次々に大企業の不正を摘発し、消費者運動の旗手として活躍することになる。
60年代から70年代前半は、日本経済が高度成長を果たしたが、その一方で、食品禍、薬品禍、公害事件が頻発した。1970年は「安保の年」であるとともに「公害元年」と呼ばれた。
1974年5月には、日本消費者連盟が発足し、代表委員に選出され、食品添加物追放、合成洗剤追放、企業犯罪告発、行政犯罪告発などの運動の戦闘に立った。
消費者運動でも農林省時代の体験、法制度の知識を十二分に生かしたことが、大きな成果を生み出すことにつながった。
(『官僚帝国を撃つ』から)
生産は何のためにある?
敗戦の荒廃と窮乏は日本国民の生活観に大きな転換を要求した。あらゆる生活資材が動員され活用された。
いかに”物”がわれわれの生活に大切なものであるかを痛いほど知らしめた。「日本の復興は産業から」が合言葉となり、国民のエネルギーのすべてはこの1点に集中された。
その甲斐あって、いまや世界きっての”経済大国”の地位をほしいままにし、国民は”豊かな消費水準”を謳歌するにいたった。
ところで、ここでいわゆる”豊かな消費”とは、一定の計算方式によって表される量による評価である。かつては”3種の神器”と名づけられたテレビや電気洗濯機などの耐久消費財も、いまでは粗大ゴミの代表になった。
また、有産階級のステイタス・シンボルといわれた自動車も、いまは文字どおり”下駄代わり”に使われるようになった。たしかに現代の日本は、欲しい物はなんでもたやすく手に入る社会になった。
しかし、一見はなやかに見える私たちの消費の中身に立ち入って見るならば、つまり消費の質という側面から私たちの生活を見るならば、あまりにも問題が多きことに気づかざるを得ないのである。
洪水のように市場に氾濫する商品の中には、私たちの生命さえ脅かす危険な商品、善良な消費者を欺まんするウソつき商品、企業によってその価格と耐用年数が自由に操作される商品等々が横行かっ歩しているのである。
その実態に一端は本書によって明るみに出されているが、私たち消費者が「まさか」と思うようなビッグビジネス、有名ブランド商品ですらその例外ではないのである。私たちは企業経営というものは、”誇り高き紳士の業”と信じ、紳士は偽らずと信じていた。
その聖域にひとたび踏み入れるや、恐るべき欺まんと邪悪と横暴に満ち満ちていることを発見し、がく然としたのである。
なぜ、このような邪悪、横暴がまかり通ようになったのか。いったいこれが、現代社会の運命(さだめ)、文明社会の必然の代償なのだろうか。否である。
私たち消費者は、ここで私たちが行っている消費行動が、私たちにとってどのような意味を持っているのか、についてまず考えをめぐらせる必要があろう。言い換えるならば、私たち人間にとって「経済とは何ぞや」ということである。
私たち人類の祖先が最初に経済行動を営んだのは、生命を維持するための食糧を確保することであった。とれたものを保存して食いのばすという行為が、その第1歩であった。進んでは、農作物をつくり、家畜を飼うという生産活動を営むようになった。
その場合、それはあくまでも「実様なだけ」という範囲に限定されていた。消費するに必要な限度において生産活動が営まれるという自給自足の経済であった。言い換えるならば、生産は消費のために行われた。生産は手段であり、消費が目的であった。
経済が進歩すると、分業が行われ、交換経済の時代に移っていった。生産と消費の距離は次第に離れていった。さらに、資本主義の高度化につれて、経済化rすどうの目的は利潤追求へとその比重を移していった。そのためには大量生産、大量販売が必要となった。
もっと積極的に」”高圧販売””押し込み販売”戦略を採らざるを得なくなった。”消費は美徳”というキャッチフレーズがもてはやされ、そうした働きかけが、手をかえ品をかえて行われるようになった。
商品のライフサイクルをできるだけ短くし、多様化をねらい、”使い捨て時代”の到来となった。人びとはますます消費欲望をかきたてられ、ガツガツと商品の洪水の間を泳ぎ回って買うようにし向けられていった。
企業は営利のために生産し、営利のために消費させるという経済関係がここにでき上がってしまったのである。本来、目的であったはずの消費が、いまや営利のための手段となるという、秩序の倒錯が生じたのである。
このような社会では、産業の発展が目的となり消費はこれに規定され、手段と化してしまう。かつて池田内閣は所得倍増計画のもとに、消費者の分け前を論じる前に、まずパイ──経済の規模──を大きくすることだ、といった名分を打ち出し、高度経済成長政策を強行した。
その結果、わが国は物価高と公害でその”勇名”をとどろかせてしまったが、それも経済が成長するための”代償”だとして当然視された。そして、いまなお国家目標の第1順位にGNPの拡大が置かれている。
戦時中「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンが風びしたが、現在の政策の基調も戦時中の軍事予算優先を、経済成長のための設備投資優先にとって代えただけで、国民大衆の生活は依然として犠牲に供されている。つまるところ「生産は消費のためにある」という経済社会の本来の秩序が逆転し、消費は生産に隷属している。
(『費者運動宣言』から)
消費者の王権奪還を
企業はその販売戦略を有利に展開させるため「消費者は王様である」とたくみに消費者を持ち上げ、財布のひもを緩めさせることに成功した。
消費者はこれに踊らされた。その結果、消費者追求は”裸の王様”いやそれどころか、まるで奴隷のように踏んだり蹴ったりの扱いを受けている。”消費は美徳””いまは使い捨て時代”のキャッチフレーズのもとに、あの手此の手で迫る企業の商法は、消費者こそ金に卵なのであって、カネをしぼり取るための道具にすぎないと考えている証左だ。
消費者はハイエナのごとき企業のあまなき利潤のエジキにされつつある。
そこで私たちは決意する。生産は消費の手段であり、経済は生活の手段である、という自然の原理を再認識し、その秩序回復を宣言する。
そもそも生産活動の究極の目標が消費にあるとするならば、消費の主体である消費者は、経済の社会においては”王様”でなければならない。
つまり企業は、消費者に奉仕する家臣でなければならないのである。現実には”家臣”であるべき企業が、その野望をむき出しにお人よしでおとなしい王様を追い落として、王権をさん奪しているのだ!
消費者と企業との関係をこのように位置付けるならば、消費者が王権を奪還することは当然の行為である。言い換えれば、経済の社会においては本来、消費者が主権者なのであるこのを消費者自身が強く自覚して、自らの手によって、その主権を奪還しようとする。
これがほかならぬ消費者運動の哲学である。そこにはイデオロギーもいわゆる政治的意図も介在する余地はない。人間が人間らしく生きるための当然の権利の主張があるだけである。
その意味において、消費者運動とは、人間回復運動、人間保全運動であると言って差しつかえない。コンシューマリズムの名によって呼ばれる思想の意味するところは、まさにここにある。
一部の経済学者が唱えるように、消費者運動の理念を現代経済社会における対抗力として認識しようとしたり、「売り手と買い手の均衡回復運動」と定義づけるだけでは、その深い社会思想意義を説明することはできないのである。
(『費者運動宣言』から)