中之嶽神社の参拝後に、群馬県甘楽郡妙義町にある妙義神社へ参拝に行っ
て来ました。妙義神社のすぐ近くの町営駐車場に止めて歩くこと2分で参道に
出ました。参道は急坂で普段あまり歩かない私にはきつく感じるほどです。途
中から階段に変わり登っていくと朱塗りの大きな総門に着くと両側には立派な
仁王様が、邪気が入らないように恐い顔をして立っています。じっと見つめてい
ると心の中がすっきりする感じがしました。 総門をくぐり一番初めに目に入る
のは、高さ10メートルもある石垣で驚きましました。参道の階段の先にある青
銅製の大鳥居は歴史を感じる素晴らしいものです。大鳥居をくぐり広い境内に
出て手水舎にて手と口を漱ぎ、右手へ進むと「波己曽神社」(はこそじんじゃ)が
あり、はじめに波己曽神社へ参拝する事にしました。さすがに旧本殿だけある
素晴らしい社です。拝殿の奥の幣帛よりピリピリするような気を感じました。右
脇を過ぎると御神砂があり、いまでも病気の回復などに頂いて帰る人も居るの
でしょう。更に奥に進むと旧宮様御殿と書かれた門があり先には重みのある昔
の建物がある。現在は社務所として使われているようです。

  
階段の先に大きな総門。もとは白雲山石塔寺の仁王門(1773) 重要文化財

  
邪気の進入を防ぐ仁王様         青銅の大鳥居(1668) 県重要文化財

  
波己曽神社(旧本殿 1656)県重要文化財  拝殿の奥の幣帛より気を感じる

  
御神砂(病気回復のため頂く人が居る)      旧宮様御殿(現在は社務所)



 波己曽神社に戻り左側の水天宮に参拝すると、すぐそばの杉の巨木からエ
ネルギーが降り注がれている感じでした。
 さてもとの参道に戻り、いよいよ杉の巨木が石段を覆い被さる中を妙義神社
の本殿へと長く続く石段をやっとの思いで登る。歩きづらく急なので、足がガタ
ガタになるのを感じました。
 随身門へ着くと、今まで余り気にしていなかった随身門に居られ方々からも、
驚くほどの神威(エネルギー)が発せられていて、それが像のどこから出ている
かなども教えていただきました。新たな発見です。更に進み唐門へ・・・。

  
水天宮(左側の巨木から気が注いでいる)     随身門へと続く長い階段。疲れました(^^;

  
  随身門                    右大臣

  
 左大臣                    赤鬼          青鬼



 唐門は国指定重要文化財だけあり、それだけで威風を感じる。唐門の天井に
目をやると、素晴らしい龍神が描かれていて目を奪われてしまった。また彫刻も
見事なほどです.唐門をくぐると本殿へ着く。黒漆塗り・入母屋造りの本殿に鎮
座しておられる神様は、『日本武尊・豊受大神・菅原道真など』です。老杉が鬱
蒼と茂る広い神域は、何とも言いようもないほどの気に満ち溢れていました。
本殿等は国の重要文化財に指定され、彫刻等も素晴らしいものでした。

  
 唐門は唐破風にした銅葺平入りの門(1756) 重要文化財

  
唐門の天井には龍がいる           唐門の扉の彫刻

  
拝殿・幣殿・本殿と立派な黒漆塗の権現造り (1756) 重要文化財

  
多くの素晴らしい彫刻がある。 拝殿にある上り龍と下り龍



 静まり返った境内で気持ちを鎮めて、拝殿にて一人で祝詞を奏上したのち意
識を妙義神社の神々様に合わせていると右脇の広いところへ移動するよう日
本武尊より指示をされ、本殿裏の山を眺め両手を前に差し出していると、指先
から身体の中へ冷気が入ってくるのを感じることが出来ました。改めて感動して
しまいました。

  
   妙義神社の神額             本殿右脇のパワースポット



御神籤の内容
第30番 中吉
神の教え
「わかる此の世にわからぬ物は、神のめぐみと日の光。私共を御いつくしみ下さ
る神様の御心は、大空に照り渡る太陽の光の様にいつ迄立っても変わらない。
それなのに、ともすれば私共の心が神様からはなれる。神様にそむいて逃げま
わる。きっと其の時、心に暗いかげがさす。不安が伴なう。不幸が出来、不幸が
湧いて来る。」


妙 義 神 社
御 祭 神  日本武尊 ・ 豊受大神 ・ 菅原道真公 ・ 権大納言長親卿

鎮座地   群馬県甘楽郡妙義町妙義6                       
              0274(73)2119                        
                            
御神徳   開運・商売繁盛・火防・学業児童・縁結び・農耕桑蚕の神様として
  広く世に知られ、関東甲信越より参拝者が多い。


御 由 緒
  妙義神社が創建されたのは、今から約1500年ほど昔、宣化天皇の二年
(537年)のこと。もとは「波己曽神社」(はこそじんじゃ)だったものが、後に「妙
義神社」になりました。ここには、日本武尊をはじめ、豊受大神・菅原道真公・
権大納言長親卿らが奉られています。江戸時代には上野東叡山宮御兼帯の
社となって、皇室の厚い崇拝を受けるなど、古くから格式の高い神社といえま
す。





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