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おそらく、このとき西田には、神秘体験に近い状態が生じたのだろう。アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ローズ著の『脳はいかにして<神>を見るか』(2003、PHP研究所)によれば、瞑想によって深い宗教的境地に達した時、上頭頂葉後部の方向定位連合野の活動が低下し、前頭前野の注意連合野の活動は逆に増大するという。これによって、自己と外界との区別が曖昧になりながらも、強い集中力で外界に接している状態が生れる。これによって、自他不二の宇宙と一体化したような意識が生れるという。
こうした状態は、瞑想によらなくても、偶然突発的に生じることがある。仏教では「頓悟」ともいうが、天啓に打たれたような状態といえよう。おそらくは、金沢の街の雑踏にぼんやりと見とれているうちに、その人々の姿や仕草など、次第にそれが何かという通常の思考判断が停止し、日常的な習慣や偏見に囚われない、そのままの事実のみを見るようになり、やがて、その外界の事実と自分との境界が消えていったのであろう。
我々の日常は、様々な習慣や記憶に照らし合わせながら、まわりの出来事を解釈し、そこに様々な快不快の感情を感じたり、行動を促したりする。しかし、外界の景色がこうした思考から遮断されると、何ら解釈されていない裸のままも世界がそこに出現する。そこには、過去の様々な不快な感情の想起が生じないため、目に映るものすべてが新鮮で輝いて見える。サングラスを外して真夏の昼の光をもろに見た時のようなものである。
西田哲学というと、禅の影響ということがしばしば指摘される。確かに、西田は、東京帝国大学を出て金沢で高校教師をしながら生活していた時代に、しばしば洗心庵の雪門禅師のもとで参禅していたのは有名な話だ。しかし、『
西田は哲学の終結を「宗教」だとしたが、この場合の宗教は必ずしも「禅」のことではないし、まして禅宗の特定の宗派のことでもなければ、仏教のことですらない。正確には、西田自身が体験した超越体験そのものといっていいだろう。
マッハは、オーストリアの物理学者で、実証主義の哲学者でもあったエルンスト・マッハ(1838~1916)のこと。音速を表す単位のマッハもこのエルンスト・マッハの名にちなんだもの。絶対空間を否定したことで、相対性理論の先駆けにもなった。実証科学を形而上学と区別し、理論は本来虚構であり論理的構築物にすぎず、事実があくまで先になければならないとした。
科学理論がそのまま実在ではなく、あくまで経験が先にあって、理論は虚構にすぎないという点では、西田も多少惹かれるものはあったかもしれない。しかし、人間の意識もまた科学の対象とし、形而上学を排斥するマッハ哲学には、西田もついていけなかったのだろう。
西田にとって、問題は金沢での経験のような、一種の超越体験の抱える矛盾だったと思われる。つまり、あれほどはっきりと自他不二、梵我一如の体験をしながらも、実際には決して他人のことが手に取るようにわかるわけでもなければ、世界が自分の思い通りになるわけでもない。経験がいくら完全な真理のように思えても、それはあくまで自分ひとりものにすぎない。そこから「独我論」の問題が起きてくる。個人がまずあって、それが世界を経験するとすれば、その経験は個人の経験を超えられない。経験がまず先にあって、そこから個人が生じるのでなければならない。それはマッハ的な、個人もまた経験科学の対象となるというような意味で、経験が先立つのではない。
ここで、西田が思い描いたのは、個を超えた宇宙意識のようなものだったのだろう。しかし、これは哲学的には無理があった。そこに哲学と「人生の問題」との分離が生じ、前半は哲学的な問題でありながら、最終的には宗教に行き着くという構成を採らなければならなかったのではなかったか。
この「
「私は実際苦悶した。私はどうして生きていいか解らなくなった。ただ腑の抜けた蛙のように茫然として生きるばかりだった。私の内部動乱は私を学校等へ行かせなかった。私はぼんやりしてはよく郊外へ出た。そして足にまかせてただ無闇に歩いては帰った。それが一番生きやすい方法であった。もとより勉強も何も出来なかった。ある日、私はあてなきさまよひの帰りを本屋に寄って、青黒い表紙の書物を一冊買ってきた。その著者の名は私には全くフレムドであったけれど、その著書の名は妙に私を惹き付ける力があった。それは「善の研究」であった。私は何心なくその序文を読みはじめた。しばらくして私の瞳は活字の上に釘付けにされた。-見よ!個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本であるといふ考から独我論を脱することが出来た!この数文字が私の網膜に焦げ付くほどに強く映った。私は心臓の鼓動が止まるかと思った。私は喜びでもない悲しみでもない一種の静的な緊張に一ぱいになって、それから先がどうしても読めなかった。私は書物を閉ぢて机の前に凝つと坐っていた。涙がひとりでに頬を伝わった。-私は本をふところに入れて寮を出た。珍しく風の落ちた静な晩方だった。私は何とも云へない一種の気持ちを守りながら、街から街を歩き廻った。その夜蝋燭を点して私はこの驚くべき書物を読んだ。電光のような早さで一度読んだ。何だか六ヶ敷しくてよく解らなかったけれど、その深味のある独創的な、直観的な思想に私は魅せられて了った。その認識論は私の思想を根底から覆えすにちがいない。そして私を新しい明るいフィールドに導くに相違ないと思った。この時私はもの静かな形而上学的空気につつまれ、柔らかき溶け行く私自信を感じだ。私は直ちに友に手紙を出した。私はまた哲学に帰った。私と君とは新しき友情の抱擁に土を噛んで号泣できるかも知れないと言ってやった。友は電報を打ってすぐ来いと云ってよこした。私は万事を放笛擲してO市の友に抱かれに行った。」p.50~52
「独我論」とここでいうのは、単に自己以外は何も存在しない、世界はすべて自己の思い描く幻にすぎない、という一つの理論上の仮定をいうのではなく、むしろ近代化にともなって問題となっていた「エゴイズム」のことであろう。近代化は、それまでの東アジアを支えていた華夷秩序を崩壊させ、いわば、中国の聖人の理想を共通の基礎としていた国際関係が崩壊し、国際関係を弱肉強食の混沌としたものにしてしまった。そんななかで、人間としての理想よりも、まずは勝つための富国強兵が奨励され、こうした風潮は、人間個人にとっても弱肉強食の世界のなかで自分さえよければという風潮を生み出していた。それは、若くて正義感にあふれる学生たちにとっての最も大きな悩みだった。
ここではフィヒテの名前も挙げられているが、フィヒテ(ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
、1762~1814)はカントの理性は経験を超えたものに適用される限り必ず矛盾に陥り、アンチノミーが生じるという思想に納得せず、自我の絶対的で超越的な自由を前提としながら、それは経験によって拘束され、「限定」されるというモデルを提起していた。この限定の二つの方向によって、一方では自己が、一方では経験的な世界が表象されるとした。西田も、『善の研究』以降、こうした「限定」の考え方を広く取り入れ、最終的に自己の個物的限定と世界の一般者的な限定との「絶対矛盾的自己同一」を定式化するに至った。この『善の研究』での「フィヒテ
西田哲学が苦悩であるのは、超越体験に魅せられ、自他不二、梵我一如のあまりに大きな理想を掲げてしまったため、それと現実との落差を埋められなくなったためのように
しかし、西田はそのことに、現実的な解決を見出すことはなかった。むしろ、「それが人生だ」というだけで終ってしまったように思える。
余談
「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして
たとえば、銀幕のスターであれば、前半はスクリーンを見て、後半はスクリーンに映る、テレビタレントであれば、前半はテレビを見、後半はテレビに映る。店員は、前半は店で物を買い、後半は店に立って売る側にまわり、製造業の人は、前半は作られたものを利用し、後半は作る側にまわる。人生というのは多かれ少なかれそういうものかもしれない。子供の頃は与えられる側だったが、ある時を境に与える側にまわる。それが大人になるということなのかもしれない。
大正12(1923)年に詠んだ歌に、
赤きもの赤しと
という歌にしても、これはあくまで
この書を出版してから既に十余年の歳月を経たのであるが、この書を書いたのはそれよりもなお幾年の昔であった。京都に来てから読書と思索とに専らなることを得て、余もいくらかの余の思想を洗練し豊富にすることを得た。従ってこの書に対しては飽き足らなく思うようになり、遂にこの書を絶版にしようと思うたのである。しかしその後諸方からこの書の出版を求められるのと、余がこの書の如き形において余の思想の全体を述べうるのはなお幾年の後なるかを思い、再びこの書を世に出すこととした。今度の出版に当たりて、務台、世良の両文学士が余の為に字句の訂正と校正の労を執られたのは、余が両君に対して感謝に堪えざる所である。
今日から見れば、この書の立場は意識の立場であり、心理主義的とも考えられるであろう。然非難せられても致方はない。しかしこの書を書いた時代においても、私の考えの奥底に潜むものは単にそれだけのものでなかったと思う。純粋経験の立場は「自覚における直観と反省」に至って、フィヒテの事行の立場を介して絶対意志の立場に進み、更に「働くものから見るものへ」の後半において、ギリシャ哲学を介し、一転して「場所」の考に至った。そこに私は私の考を論理化する端緒を得たと思う。「場所」の考は「弁証法的一般者」として具体化せられ、「弁証法的一般者」の立場は「行為的直観」の立場として直接化せられた。この書において直接経験の世界とか純粋経験の世界とかいったものは、今は歴史的実在の世界と考えるようになった。行為的直観の世界、ポイエシスの世界こそ真に純粋経験の世界であるのである。
フェヒネルは或朝ライプチヒのローゼンタールの腰掛に休らいながら、日麗に花薫り鳥歌い蝶舞う春の牧場を眺め、色もなく音もなき自然科学的な夜の見方に反して、ありの儘が真である昼の見方に耽ったと自らいっている。私は何の影響によったかは知らないが、早くから実在は現実そのままのものでなければならない、いわゆる物質の世界という如きものはこれから考えられたものにすぎないという考を有っていた。まだ高等学校の学生であった頃、金沢の街を歩きながら、夢見る如くかかる考に耽ったことが今も思い出される。その頃の考がこの書の基となったかと思う。
明治16(1883)年13歳の時、金沢に出、石川県師範学校に入学。翌年病気のため中退。
明治19(1886)年16歳。石川県専門学校附属初等中学科に補欠入学。翌明治20(1887)年に石川県専門学校が第四高等中学校となり、第四高等中学校予科第一級に入学。同級に後の鈴木大拙がいた。
明治23(1890)年20歳。第四高等中学校中退。
明治24(1891)年21歳。 東京帝国大学哲学科選科入学。
明治27(1894)年24歳。 東京帝国大学卒業。その後中学・高校の講師、教授、明治42(1909)年に上京し、学習院教授を経て、明治43(1910)年40歳。京都帝国大学文科助教授に任ぜられる。
明治44(1911)年41歳。『善の研究』出版。
昭和3(1928)年58歳。京都帝国大学を退官。鎌倉に住む。
昭和20(1945)年75歳。6月7日、終戦を待たずして鎌倉で死去。
第一篇の『純粋経験』は「純粋経験」「思惟」「意志」「知的直観」の四つの章から成り立つ。このうち、「思惟」は第二編の『実在』、「意志」は第三篇の『善』、「知的直観」は第四編の『宗教』に対応している。つまり、過去に書いたこれらの三編の論文に対する概略的な基礎理論を提示していると言っていいだろう。そして、そのもっとも基礎となる、純粋経験の考え方事態について述べたのかこの第一章で、それゆえに『善の研究』の持つ矛盾や問題点は、この章に最も強く現れているといってもいいだろう。
経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自分の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、豪も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自已の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。勿論、普通には経験という語の意義が明に定まっておらず、ヴントの如きは経験に基づいて推理せられたる知識をも間接経験と名づけ、物理学、化学などを間接経験の学と称している(Wundt, Grundriss der Psychologie, Einl. §I)。しかしこれらの知識は正当の意味において経験ということができぬばかりではなく、意識現象であっても、他人の意識は自已に経験ができず、自已の意識であっても、過去についての想起、現前であっても、これを判断した時は已に純粋の経験ではない。真の純粋経験は何らの意味もない、事実其儘の現在意識あるのみである。
純粋経験とは、今はやりの言葉を使うなら、クオリアを伴う経験と言ってもいいだろう。それは直接そのクオリアを体験できない、他人の経験とは区別される。ただ、この冒頭の一節を読む限りでは、意識の内容そのものを反省的に捉えた時には、あたかもすでに純粋経験ではないかのような印象を与える。つまり無念無想、禅的な無我の境地を想像させる。しかし、この後の文章を読んでゆけば、こうした最初に与えたイメージは裏切られて行く。つまり、最初に提示されたこの「全く自分の細工を棄てて、事実に従うて」だとか、「色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前」だとかいうのは、純粋経験の一つの極限を示すものであって、やがて、反省や判断がはたらいていても、それも純粋経験のうちに含まれて行く。それらは「程度の差」ということで同一視され、むしろ純粋経験は判断することによって分裂し、再統一される過程の中で発展するものとして捉えられてゆく。基本的には、判断が加わろうが加わるまいが、現前の生き生きとしたクオリアが存在する意識は、純粋経験に含まれる。
これは『善の研究』が出版されてから、かなり早い時期に指摘されていた問題だった。もっとも有名だったのが、高橋里美の大正元年三月の「哲学雑誌」第303、4号に掲載された「意識現象の事実と其意味」のものだ。この文章は、
「『善の研究』が公にされない前、邦人の手になった独立な哲学書らしい哲学書があるか、またそれは何かと問はれたならば、私はこれに曖昧な返答をするにも少なからぬ当惑を経験せねばならなかったであらう。『善の研究』が一度現われてから、私は迅速に且つ自信を以って是等の質問に応じ得るといふ誇りを有つ。」(『全体の立場』高橋里美、1932、岩波書店P.393~394)
という書き出しでも有名だ。
これによると、
「果たして氏の云はれるが如くに純粋経験の本性は統一であって、其の統一は又氏の云はれるが如く程度上のものとするならば、純粋経験其のものも程度上のものとなり、主客未分だとか、知識と対象とのけぢめがないとか、事実其の儘の経験とかいった所で、要するにさう思われ、さう感ぜられると云うのみで、其実、純粋直接であるといふ事は出来なくなる。或は統一の弱きものは弱いながらに、其の強いものは強いが儘に、それぞれ其の統一の程度を有しつつ同じく純粋経験である問いはれるかも知れぬが、かくしては意味の起源は到底説明されず、随ってこれに対する事実としての純粋経験の本来も説明が出来ず、凡てが意味とも云へれば、凡てが事実とも見え、遂に統一を以って純粋経験の目安とされた其の事からが、無意義に帰して終ふ外はない。是氏の純粋経験の根本に横たわる矛盾ではなからうか。(『全体の立場』高橋里美、1932、岩波書店p.402)
これに対して西田は「高橋文学士の拙著『善の研究』に対する批評に答う」(「哲学雑誌」第303号大正元年9月)でこう答える。(この論文は後に『思索と体験』という本の中に収められている。)
「右の如き氏の批評にたいし、余は先ず氏も想像しておられるように、統一の弱きものは弱いながらに、其の強いものは強いが儘に、それぞれ其の統一の程度を有しつつ同じく純粋経験であるといってよいと思う。余はこれまで往々純粋経験と不純粋経験との区別はいかん、後者は前者頼如何にして出てくるかなどと聞かれたこともあるが、余の考では絶対的に純粋経験というものもなければ、絶対的に不純粋経験というものもない。すべてが見方によっては純粋経験ともいえると思うのである。余は元来純粋経験と非純粋経験とか、事実と意味とかいうように、互いに独立対峙する両種の意識状態を認めているのではない、此のごとき区別は一つの意識の両面にすぎぬ。即ち一つのものの見方の相違というように考えているのである。すべての意識は統一の方面と差別の方面を具えている。即ち一にして多である。ただこの両方面の対立せしめていえば、統一の方面の著しいものが純粋経験であり、差別の方面の著しいものが非純粋経験と見られるのである。この意味においては余は一見、いわゆる純粋経験と全く異なっているとみえる思惟の根底にも直観的統一があり、これに反し、全然純粋経験と考えられている知覚の如きも複雑なるものの統一と見ることが出来ると考えるのである。余が第一編「純粋経験」において論じたところは、純粋経験を間接な非純粋なる経験から区別することを目的としたのではなく、むしろ知覚、思惟、意志及び知的直観の同一型なることを論証するのが目的であったのである。余は何処までも直覚と思惟とを全然別ものと看做す二元論的見方を取るのではなく、この両者を同一型と看做す一元論的見方を主張したいと思うのである。」(『思索と体験』岩波文庫P.107~108)
純粋経験は事実そのままで判断や反省を加えない状態をいうのではなく、むしろ、いかなる意識現象においてもすべてが判断され、反省されているのではなく、判断や反省の内容に解消できないような直接的なクオリアを伴っていると見るべきであろう。
右にいったような意味において、如何なる精神現象が純粋経験の事実であるか。感覚や知覚がこれに属することは誰にも異論はあるまい。しかし余は凡ての精神現象がこの形において現われるものであると信ずる。記憶においても、過去の意識が直に起ってくるのでもなく、従って過去を直覚するのでもない。過去と感ずるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的の者ではなく、やはり一種の現在意識である。幾何学者が一個の三角を想像しながら、これを以て凡ての三角の代表となすように、概念の代表的要素なる者も現前においては一種の感情にすぎないのである(James, The Principles of Psychology, Vol.I, Chap.VII)。その外いわゆる意義の縁暈 fringe なるものを直接経験の事実の中に入れて見ると、経験的事実間における種々の関係の意識すらも、感覚、知覚と同じく皆この中に入ってくるのである(James, A World of Pure Experience)。しからば情意の現象は如何というに、快、不快の感情が現在意識であることはいうまでもなく、意志においても、その目的は未来にあるにせよ、我々はいつもこれを現在の欲望として感ずるのである。 さて、かく我々に直接であって、凡ての精神現象の原因である純粋経験とは如何なる者であるか、これより少しくその性質を考えて見よう。先ず純粋経験は単純であるか、また複雑であるかの問題が起ってくる。直下の純粋経験であっても、これが過去の経験の構成せられた者であるとか、また後にてこれを単一なる要素に分析できるとかいう点より見れば、複雑といってもよかろう。しかし純粋経験はいかに複雑であっても、その瞬間においては、いつも単純なる一事実である。たとい過去の意識の再現であっても、現在の意識中に統一せられ、これが一要素となって、新なる意味を得た時には、已に過去の意識と同一といわれぬ(Stout, analytic Psychology, Vol.II, p.45)。これと同じく、現在の意識を分析した時にも、その分析せられた者はもはや現在の意識と同一ではない。純粋経験の上から見れば凡てが種別的であって、その場合ごとに、単純で、独創的であるのである。次にかかる純粋経験の綜合は何処まで及ぶか。純粋経験の現在は、現在について考うる時、已に現在にあらずというような思想上の現在ではない。意識上の事実としての現在には、いくらかの時間的継続がなければならぬ(James, The Principles of Psychology, Vol.I, Chap.XV)。即ち意識の焦点がいつでも現在となるのである。それで、純粋経験の範囲は自ら注意の範囲と一致してくる。しかし余はこの範囲は必ずしも一注意の下にかぎらぬと思う。我々は少しの思想も交えず、主客未分の状態に注意を転じて行くことができるのである。たとえば一生懸命に断岸を攀ずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続 perceptual train といってもよい(Stout, Manual of Psychology, p.252)。また動物の本能的動作にも必ずかくの如き精神状態が伴うているのであろう。これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入るべき少しの亀裂もない。これを瞬間的知覚と比較するに、注意の推移、時間の長短こそあれ、その直接にして主客合一の点においては少しの差別もないのである。特にいわゆる瞬間知覚なる者も、その実は複雑なる経験の結合構成せられたる者であるとすれば、右二者の区別は性質の差ではなくして、単に程度の差であるといわねばならぬ。純粋経験は必ずしも単一なる感覚とはかぎらぬ。心理学者のいうような厳密なる意味の単一感覚とは、学問上分析の結果として仮想した者であって、事実上に直接なる具体的経験ではないのである。 純粋経験の直接にして純粋なる所以は、単一であって、分析できぬとか、瞬間的であるとかいうことにあるのではない。かえって具体的意識の厳密なる統一にあるのである。意識は決して心理学者のいわゆる単一なる精神的要素の結合より成ったものではなく、元来一の体系を成したものである。初生児の意識の如きは明暗の別すら、さだかならざる混沌たる統一であろう。この中より多彩なる種々の意識状態が分化発展し来るのである。しかしいかに精細に分化しても、何処までもその根本的なる体系の形を失うことはない。我々に直接なる具体的意識はいつでもこの形において現われるものである。瞬間的知覚の如き者でも決してこの形に背くことはない。たとえば一目して物の全体を知覚すると思う場合でも、仔細に研究すれば、眼の運動と共に注意は自ら推移して、その全体を知るに至るのである。かく意識の本来は体系的発展であって、この統一が厳密で、意識が自ら発展する間は、我々は純粋経験の立脚地を失わぬのである。この点は知覚的経験においても、表象的経験においても同一である。表象の体系が自ら発展する時は、全体が直に純粋経験である。ゲーテが夢の中で直覚的に詩を作ったという如きは、その一例である。或は知覚的経験では、注意が外物から支配せられるので、意識の統一はいえないように思われるかも知れない。しかし、知覚的活動の背後にも、やはり或無意識統一力が働いていなければならね。注意はこれに由りて導かれるのである。またこれに反し、表象的経験はいかに統一せられてあっても、必ず主観的所作に属し、純粋の経験とはいわれぬようにも見える。しかし表象的経験であっても、その統一が必然で自ら結合する時には我々はこれを純粋の経験と見なければならぬ、例えば夢においてのように外より統一を破る者がない時には、全く知覚的経験と混同せられるのである。元来、経験に内外の別あるのではない、これをして純粋ならしむる者はその統一にあって、種類にあるのではない。表象であっても、感覚と厳密に結合している時には直に一つの経験である。ただ、これが現在の統一を離れて他の意識と関係する時、もはや現在の経験ではなくして、意識となるのである。また表象だけであった時には、夢においてのように全く知覚と混同せられるのである。感覚がいつでも経験であると思われるのはそがいつも注意の焦点となり統一の中心となるが為であろう。 今なお少しく精細に意識統一の意義を定め、純粋経験の性質を明にしようと思う。意識の体系というのは凡ての有機物のように、統一的或者が秩序的に分化発展し、その全体を実現するのである。意識においては、先ずその一端が現れると共に、統一作用は傾向の感情としてこれに伴うている。我々の注意を指導する者はこの作用であって、統一が厳密であるか或は他より妨げられぬ時には、この作用は無意識であるが、しからざる時には別に表象となって意識上に現われ来たり、直に純粋経験の状態を離れるようになるのである。即ち統一作用が働いている間は全体が現実であり純粋経験である。而して意識は凡て衝動的であって、主意説のいうように、意志が意識の根本的形式であるといい得るならば、意識発展の形式は即ち広義において意志発展の形式であり、その統一的傾向とは意志の目的であるといわねばならぬ。純粋経験とは意志の要求と実現との間に少しの間隙もなく、その最も自由にして、活発なる状態である。勿論選択的意志より見ればかくの如く衝動的意志に由りて支配せられるのは反って意志の束縛であるかも知れぬが、選択的意志とはすでに意志が自由を失った状態である故にこれが訓練せられた時にはまた衝動的となるのである。意志の本質は未来に対する欲求の状態にあるのではなく、現在における現在の活動にあるのである。元来、意志の伴う動作は意志の要素ではない。純心理的に見れば意志は内面における意識の統覚作用である。而してこの統一作用を離れて別に意志なる特殊の現象あるのではない、この統一作用の頂点が意志である。思惟も意志と同じく一種の統覚作用であるが、その統一は単に主観的である。然るに意志は主客の統一である。意志がいつも現在であるのもこれが為である(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung, §54)。純粋経験は事実の直覚その儘であって、意味がないといわれている。かくいえば、純粋経験とは何だか混沌無差別の状態であるかのように思われるかも知れぬが、種々の意味とか判断とかいうものは経験其者の差別より起るので、後者は前者によりて与えられるのではない、経験は自ら差別相を具えた者でなければならぬ。例えば、一の色を見てこれを青と判断したところが、原色覚がこれによりて文明になるのではない、ただ、これと同様なる従来の感覚との関係をつけたまでである。また今余が視覚として現われたる一経験を指して机となし、これについて種々の判断を下すとも、これによりてこの経験其者の内容に何らか豊富をも加えないのである。要するに経験の意味とか判断とかいうのは他との関係を示すにすぎぬので、経験其者の内容を豊富にするのではない。意味或は判断の中に現われたる者は原経験より抽象せられたるその一部であって、その内容においてはかえってこれよりも貧なる者である。勿論原経験を想起した場合に、前に無意識であった者が後に意識せられるような事もあるが、こは前に注意せざりし部分に注意したまでであって、意味や判断によりて前に無かった者が加えられたのではない。 純粋経験はかく自ら差別相を具えた者とすれば、これに加えられる意味或は判断というのは如何なる者であろうか、またこれえと純粋経験との関係は如何であろう。普通では純粋経験が客観的実在に結合せられる時、意味を生じ、判断の形をなすという。しかし純粋経験説の立脚地より見れば、我々は純粋経験の範囲外に出ることはできぬ。意味とか判断とかを生ずるのもつまり現在の意識を過去の意識に結合するより起るのである。即ちこれを大なる意識系統の中に統一する統一作用に基づくのである。意味とか判断とかいうのは現在意識と他との関係を示す者で、即ち意識系統の中における現在意識の位置を現わすに過ぎない。例えば或聴覚についてこれを鐘声と判じた時は、ただ過去の経験中においてこれが位置を定めたのである。それで、いかなる意識があっても、そが厳密なる統一の状態にある間は、いつでも純粋経験である、即ち単に事実である。これに反し、この統一が破れた時、即ち他との関係に入った時、意味を生じ判断を生ずるのである。我々に直接に現われ来る純粋経験に対し、すぐ過去の意識が働いて来るので、これが現在意識の一部と結合し一部と衝突し、ここに純粋経験の状態が分析せられ破壊せられるようになる。意味とか判断とかいうものはこの不統一の状態である。しかしこの統一、不統一というもことも、よく考えて見ると畢境程度の差である、全然統一せる意識もなければ、全然不統一なる意識もなかろう。すべての意識は体系的発展である。瞬間的知識であっても種々の対立、変化を含蓄しているように、意味とか判断とかいう如き関係の意識の背後には、この関係を成立せしむる統一的意識がなければならぬ。ヴントのいったように、すべての判断は複雑なる表象の分析に由りて起るのである(Wundt, Logik, Bd.I, Abs.III, Kap.1)。また判断が漸々に訓練せられ、その統一が厳密となった時には全く純粋経験の形となるのである。例えば技芸を習う場合に、始は意識的であった事もこれに熟するに従って無意識となるのである。さらに一歩進んで考えて見れば、純粋経験とその意味または判断とは意識の両面を現わす者である。すなわち同一物の見方の相違にすぎない。意識は一面において統一性を有すると共に、また一方には分化発展の方面がなければならぬ。しかもジェームスが「意識の流」において説明したように、意識はその現われたる処についているのではなく、含蓄的に他と関係をもっている。現在はいつでも大なる体系の一部とみることが出来る。いわゆる分化発展なる者は更に大なる統一の作用である。 かく意味という者も大なる統一の作用であるとすれば、純粋経験はかゝる場合において自己の範囲を超越するのであろうか。例えば記憶において過去と関係し意志において未来と関係するとき、純粋経験は現在を超越すると考えることが出来るであろうか。心理学者は意識は物ではなく事件である、されば時々刻々に新であって、同一の意識が再生することはないという。しかし余はかゝる考は純粋経験説の立脚地より見たのではなく、反って過去は再び還らず、未来は今だ来らずというの時間性質より推理したのではないかと思う。純粋経験の立脚地より見れば、同一内容の意識は何処までも同一の意識とせねばなるまい。例えば思惟或は意志において一つの目的表象が連続的に働くとき、我々はこれを一つの者と見なければならぬ様に、たといその統一作用が時間上には切れていても、一つの者と考えねばならぬと思う。