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高屋窓秋たかやそうしゅう名吟集
─前衛から新古典へ─

ゆきゆき亭 こやん


     参考;『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集 現代俳句の世界16』1985、朝日文庫

 近代俳句は明治二十年代の半ばに正岡子規まさおかしきによって確立されたもので、折から日清戦争が勃発し、富国強兵政策からその後の侵略戦争・軍国主義への口火が切られた時代だった。
 そうした世相の中で、子規の俳句革新は、それまでの日本の詩歌俳諧の伝統的な手法をことごとく禁止し、西洋的な写実主義を金科玉条とするのみならず、それをあたかも日本の伝統であるかのように粉飾してきた。これが近代の詩歌の発展を大きくゆがめたことは言うまでもない。ひとたび、写生説がわが国の伝統だというイメージが定着してしまうと、写生説に逆らうことは我々の先祖代々受け継がれてきたこの国の文化伝統そのものに牙を向くことになってしまう。実際、反写生派の歌人俳人たちは、常に西洋を根拠にし、伝統に縛られていたのでは西洋に遅れを取るというだけで、果たして本当に写生説が日本の伝統だったのか、その根本を問うことを忘れていた。あえて進歩のために伝統破壊の汚名を引き受けるところに負い目があった。
 こうして、日本の現代詩は、我々の日常的な感性を否定し、西洋の理論を学んで模倣するだけの観念的なものとなり、本人たちはこれが世界に通用する詩だと信じているようだが、その実態は数十部程度の同人誌を仲間内の間で交換し合うだけのお粗末なものとなっている。
 私は高屋窓秋たかやそうしゅうがそうしたマイナー作家の中に埋もれているのが、きわめて不当であり、それこそ勿体無いお化けが出そうなものだと思っている。窓秋の句は古典と比べても遜色がないばかりでなく、作風もポップであり、もっと大衆に親しまれてもいいのではないかと思う。窓秋が埋もれている唯一の理由は、写生的でないというくらいのことで、それが「俳句」の伝統から外れるとみなされてきたからにすぎない。しかし、それは正岡子規以降の写生説から外れているだけで、長い俳諧の歴史の中からすれば、決して「本」を外れるものではない。むしろ、写生説に囚われない自由な発想から、本来の俳諧精神を呼び起こしたといったほうがいい。

 高屋窓秋:明治43(1910)年2月14日、名古屋生れ、まだ幼少の頃に東京に引っ越す。
 大正12(1923)年、父の転勤により、熊本へ引っ越す。
 大正15(1926)年、ホトトギス派のグループに誘われて、俳句を始める。
 昭和5(1930)年、東京へ移住。
 昭和6(1931)年、法政大学文学部入学。
 昭和8(1933)年、「馬酔木」第一期同人となる。
 昭和10(1935)年、「馬酔木」を脱退。
 昭和11(1936)年、法政大学卒業。句集『白い夏野』刊。
 その後満州に渡り、戦後、引き上げてきてからいろいろ結社を渡り歩くが、この間の作品はそれほど多くない。
 昭和45(1970)年、「ひかりの地」50句。
 昭和58(1983)年、「緑星」113句。
 昭和59(1984)年、「星月夜」140句。
 平成11(1999)年、没。

 雪嶺よさくらの園となりにけり   窓秋

 紀貫之きのつらゆきは雪が降るのを見て「花なき里も花ぞ散りける」と詠み、吉野の桜の花の雲はしばしば雪に例えられてきた。雪の嶺も花と思えば花となり、花咲く山も雪と思えば雪になる。

 春くれば花の一ひら破れ山河   窓秋

 「破れ山河」とは杜甫の「国破れて山河在り」だろうか。戦争に敗れ、国は焦土と化したとしても、春が来れば花が咲く。

 久遠よりかすみの鳥は眺めをり   窓秋

 明治初期の井月せいげつの句に、
   何処どこやらに鶴の声聞く霞かな   井月
というのがある。この句には井月の絶筆との伝説もあり、既にあの世に旅立つ魂から現世の鶴の声を既に意識が遠ざかり霞む中に聞いた句ではないかという説もある。霞は近くにあるものも、どこか遠くの異世界のもののように思わせる。窓秋の句は逆にどこか遠い世界から異世界の鳥自分の方を眺めているというものか。

 野に出れば永きひかりを春の水   窓秋

 新年には若水を汲むと、永遠の命が授かると言う。小西来山こにしらいざんの句に、
   元日やされば野川の水の音   来山
の句もある。春の川の水のきらきら光るのを見て、川水は絶えず入れ替わっていても、川は太古より光を反射させ続けているように、永遠の命を感じさせる。

 白椿雲一山に交響す   窓秋

 真っ白な椿の花は山にかかる一片の雲のようで、響くものがある。

 花すみれ白き春野の汚れけり   窓秋

 すみれは「墨」から来た名前だと言われ、深い紫の色が墨で出来た染みのように見えるところから来たともいわれる。すみれは「澄む」にも音が通い、純粋さと汚れとの両面を持ち、純粋さゆえに汚れてゆく悲しみをたたえている。ちなみにフランス語のヴィオレには、すみれ(バイオレット)と暴力(バイオレンス)の両方の意味がある。すみれは荒地に咲く花で、通常は野に咲くすみれを詠む。芭蕉の山路のすみれはむしろ例外的。

 花すみれ春のひかりは純粋に   窓秋

 すみれは可憐に咲く純粋な花でもあるとともに、純粋ゆえに汚れる悲しみをたたえている。それは青春の思いのようなもので、小さな内気なすみれを照らす春の光は、あくまでも純粋である。

 地球ごと風がまはるよ蝶飛来   窓秋

 地球には自転によって生じるジェットストリームというのがあるが、風に乗って蝶がやってきたのを見て、この地球全体に絶えず風が駆け巡り、世界が一つにつながっていることをイメージする、スケールの大きい句だ。

 きらきらと蝶が壊れて痕もなし   窓秋

 『荘子そうじ』に荘周そうしゅうが夢で胡蝶こちょうとなり、夢から醒めれば元の荘周となる。人の生死・転生はかくの如きものとは、有名な「胡蝶の夢」の故事だ。夢の中の蝶は夢の中できらきら光る燐粉に分解し、壊れて跡形もなくなっても、命はどこかに引き継がれてゆく。荘周と窓秋は韻が通う。

 蝶一個死は瞬間に非凡なり   窓秋

 蝶は『荘子』の「胡蝶の夢」の故事により死と転生の暗示を伴う。子規にも、
   草化くさかして胡蝶となるか豆の花   子規
の句がある。豆の花が蝶に似ている所から、胡蝶が転生して豆の花になったという発想だ。

 春の山斧に木山のひゞきあり   窓秋

 斧の音にかえって静寂を感じさせ、その音の遠さに山の深さを感じさせる。ノスタルジックでもあり、エコロジカルな感じもする。

 山中や密かに花のふりかゝる   窓秋

 山の中にひっそりと咲く花は、
   もろともにあはれと思へ山桜
      花よりほかに知る人もなし
                     行尊ぎょうそん
の歌を彷彿させる。

 山さくら春をふりくるみ空かな   窓秋

 山の高いところに咲いている花が散ると、あたかも春そのものが空から降ってくるように思える。

 春のなか白髪の村を通りけり   窓秋

 白髪の村の老人たちには、仙人の面影がある。
   花守はなもりやしろきかしらをつき合せ   去来
の心にも通じる。寂びた中にも永遠の命へのあこがれが感じられる。

 夏の日へひそかな挽歌耕せり   窓秋

 「夏の日へ」」というのは、まだ夏ではないということで、季語は「耕す」。春の句となる。宗祇法師の発句に、
   秋風のおもかげそよぐ早苗かな   宗祇
の句がある。種を蒔き、新たな命をはぐくむが、それはやがて収穫という死をもたらすためのもの。食べるということは人間の避けられない殺生の罪であり、人はその罪を背負いながら、万物の生命の循環の中で生きている。

 星はこれ桃のゆめより生れけり   窓秋

 桃は仙人の食べる永遠の命をもたらす果実であり、夜空にきらめく星たちもまた、命がかくのごとく輝かしいものであれとの夢によって輝く。

 頭の中で白い夏野となつてゐる   窓秋

 これは昭和七年の句。今ならば画像の効果で夏野の回想のシーンをハイキートーンで描き出したり、映像をホワイトアウトさせたり出来るが、当時としてはそれを先取りするような画期的な表現で、この一句をもって窓秋はホトトギスの写生を超えたと言ってもよかった。

 黒ずみし太陽とあり夏祭   窓秋

 太陽に目がくらんだ感じだろうか。夏の祭りの喧騒の絶頂は、どこか祭りの後の寂しさにつながる影を感じさせる。強すぎる光は、それだけ深い闇を持つ。

 野より野へ広野の鳥はいつか秋   窓秋

 何か映画かゲーム画面のような句だ。悠々と広野を見下ろしながら飛ぶ鳥に、景色がいつしか春から夏へ、夏から秋へと変わってゆく、そんなイメージだ。

 言の葉や思惟の木の実が山に満つ   窓秋

 思惟は椎との掛詞なので、この句は椎の実(どんぐりの一種)の句となり、秋の句となる。かつては食用とされていた。特に縄文時代には、どんぐりの澱粉は主要な食料とされていたという。そんな縄文時代の森の文化を偲んでか、森を大事にするエコロジカルな思惟と椎の実の稔りとが重なりある。切れ字の「や」はこの場合「に」に通うもので、言の葉に思惟(椎)の木の実が山に満つ」となる。

 おほぞらや渦巻きそめし星月夜   窓秋

 星月夜は月のない夜の、星の明るく輝く様を月夜に例えたもので、「無月」と同様、秋の季題となる。(芭蕉の時代には無季で、星の美しさよりも闇のほうに重点が置かれていた。)とはいえ、この場合はゴッホの絵のように、三日月くらいはありそうだ。ゴッホの絵に描かれた星のまわりの渦巻きは有名だが、一説には癲癇の発作の時に見えるものだともいう。

 一瞬の海の悲しみ流れ星   窓秋

 海にはいろいろな悲しい歴史や物語が思い浮かぶが、それは読者がそれぞれ想像すればいい。夜の海をよぎる流れ星の一瞬の光。なかなかポップな句だ。

 夕焼けて秋草原の火なりけり   窓秋

 夕焼けというと、我々は秋だというイメージを持っているが、江戸時代には無季。「ホトトギス」の近代俳句では夏の季語とされている。
 夕焼けは空気中の塵に乱反射して起る現象だから、産業革命以前の世界では、今ほど空は赤くならなかったのだろう。特に空気の澄んだ日本の秋の夕暮の空は、もっと青から緑に近かったのではなかったか。
 秋の夕焼けのイメージが世に広まったのは、大正十年に作られた唱歌「赤とんぼ」(三木露風 作詞)だろう。しかし、案外本当に秋の夕焼けのイメージが定着したのは、高度成長期のスモッグが社会問題になった頃で、夕焼けに町工場の煙やサイレンの音が日本人の原風景になったのではなかったか。

 ふくろうの声ふところの孤独かな   窓秋

 「ふくろうの」と「ふところの」が韻を踏んでいて気持ちがいい。フクロウは一方ではミネルバのフクロウのような賢者の象徴だが、一方では夜に活動する肉食性の猛禽ということで、不気味がられてきた。それはイブにアダムを寝取られ、月に追放されたリリスの恨みの声でもある。日本でも「夫喰らふ」とされ、鬼子母神にも結び付けられてきた。

 十字路のいづこにも冬兵士をり   窓秋

 山口誓子の句に、
   十字路にてばいずこも秋の暮
とあり、これは、
   寂しさに宿をたち出でてながむれば
      いづこもおなじ秋の夕暮れ
                     良暹りょうぜん法師
の心にも通じる。誓子の句も軍国主義の時代の行き場のない悲しさを詠んだもので、窓秋の句はこれを冬の句として、寒々とした中に、どちらへ行こうにも兵士がたたずんでいるとした。

 冬の野に一本の木の音がする   窓秋

 枯野というよりも荒地の中の一本の木だろう。一本の木の他に風が音を立てるようなものがない。

 野の下に冬日のみどり芽ばえつゝ   窓秋

 易に「地雷復ちらいふく」という卦がある。上が坤で下が震の卦だ。易では一年を下から上への陽気・陰気の循環として捉え、地雷復は旧暦の十一月、ちょうど冬至の頃を現す。陰気の五つ重なる底に、かすかに一本の陽気の上昇の兆しが見える。「一陽来復」という言葉は、今では正月に用いられるが、本来は冬至を表すものだった。もっとも、新暦の正月は冬至のほぼ一週間後だから、間違いとは言えない。

 森すべて息する深さ緑星   窓秋

 緑星というのは、緑の森に覆われたこの地球のことを表す造語とも取れるが、占星術で「三碧木星」「四緑木星」という言葉があることから、木星のこととも考えられる。(ちなみに筆者は木星人。)窓秋には、
   立ちのぼる幻の渦碧星   窓秋
の句もあり、「緑」は「碧」にも代わることができる。
 緑星が木星のことだとすれば、この句は夜の景色となり、月のない星月夜に、木星がひときわ明るく輝いている景色となる。森の中だと星はよく見えないから、これはフクロウか何かになって、広大な森林を俯瞰するような視点になる。
 森は昼には光合成を行い、酸素を吐き出すが、夜の森は普通に呼吸して二酸化炭素を吐き出すため、夜の森は酸欠を起こす恐れのある恐ろしいもので、「森すべて息する深さ」はすがすがしさではなく、魔物が潜んでそうな、畏怖すべき深さといえよう。

 緑星火砲を肩に死ぬは誰   窓秋

 緑星を単に地球のこととしてもいいのだが、夜空にひときわ明るく輝く木星のこととした方が姿がある。鬱蒼と茂る草むらの中に倒れている名も知らぬ兵士は、ベトナム戦争の面影か。火砲はバズーカ砲かロケットランチャーのような肩の上に乗せて使うタイプのものだろう。「名もなき兵士」という言葉があるが、名前のない人間なんてものはいない。

 緑星不図眺めをる湖の上   窓秋

 この句も、湖の上に木星が輝いているとした方が意味が通る。