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寅さんファンの多くがシリーズ屈指の傑作と認めるリリー・シリーズの第二弾。今回のオープニングは奴隷商人から妹を救う海賊になった寅の活躍を描くものだが、夢という設定ではなく寅が観ている(実際は客席で寝入ってしまっているが)映画という設定である。
いつもはこの夢に続いて柴又へ帰ってきた寅の姿がタイトルバックになるのだが、今回は展開に微妙な違いを持たせている。まず、寅は柴又へ帰ってはこない。その代わりに柴又を訪れるのはリリー(浅丘ルリ子)である。前回のラストでは寿司屋の女将さんに収まったリリーだが、やはり堅気の暮らしには向かず離婚したという設定である。そして再びドサ回りの歌手をやっていると言い、旅のどこかで寅に会えるかも知れないと言い残して去ってゆく。
一方、寅は北海道で奇妙なサラリーマン兵頭(船越英二)と一緒に旅をしている。一流企業の管理職に就く兵頭は、真面目すぎる日常生活に嫌気がさして蒸発中なのである。このシリーズが第八作目で描いた「放浪と定着」の相関関係をより具体的に描き出したと言ってもいいだろう。定着に嫌気がさした兵頭は放浪を実行し、放浪のエキスパートである寅と行動を共にしているというわけである。
ほどなく、二人は屋台のラーメン屋でリリーとバッタリ出くわし、奇妙な三人組の旅が始まることになる。三人だから同じ部屋に雑魚寝もできるし、駅のベンチで寝ることだって出来る。大人の男二人と女一人というとすぐに三角関係に結び付けてしまうのは安物のメロドラマ。この映画は大人の男女の自由で気ままな結びつきを寓話のように描いて見せるのである。楽しそうに馬車に揺られる三人、夕暮れの海岸で波と戯れる三人、そんな場面を見ていると、「定着」に縛られて生きる人々はフッと「放浪」を実践したくなるに違いない。
興味深いシーンがある。漁港で漁に出て行く船とそれを見送る家族の姿を見た兵頭が「あれが本当の人間の生活だ」としみじみとした口調で呟く場面である。これは前回、寅とリリーがシンミリと語り合った場面の繰返しである。ところが、今回の寅とリリーにはそんな感慨などなく、不足している宿代の心配をしているのである。まったく同じ場面でも、人はその場その場の状況で心境を変えてしまえるものだ。それは日常生活の中ではごく当たり前のように演じられているだろう。だが、一本の映画で表現するのは意外と困難である。それをいとも簡単に描ききってみせたのは、言うまでもなくシリーズものなればこそなのである。
小樽にやって来た兵頭は、寅とリリーに初恋の人が住む街だと打ち明ける。事情があって結婚できなかった忘れられない女性である。一目会いたいという兵頭に寅はそうしろと言い、リリーは「今更会ったって女は幻滅するだけだよ」と言う。「お前も夢の無い女だねぇ」と寅が言うと、リリーは「夢じゃ食えないからね」と答える。リリーのキャラクターがより鮮明に描きこまれてゆく会話である。
兵頭は未亡人となって喫茶店を営む初恋の女性(岩崎加根子)に会うため、喫茶店に客として入ったものの声もかけられずに出てしまう。追いかけてきた彼女が「あなた、ちっとも変わらないのねぇ」と呟き、二人は簡単な言葉を交わして別れる。短いながらも二人の関係が凝縮された素晴らしい場面だ。しかも、その兵頭の話を聞いた寅とリリーが意見を対立させ、挙句の果てに寅が「お前も亭主と別れたなんて言ってるが本当は捨てられたんだろ」と毒づいてしまい、リリーが涙を浮かべて「あんただけはそんな風に考えないと思っていた」と怒り、結局三人の旅が終わりを告げることになるまでが見事な流れとして描き出されて行く。日常を逸脱したところに生まれる放浪の寓話は、しょせん短い時間にのみ許された夢物語である。だから長くは続かない。そうした現実認識をきっちりと描きだしてみせる山田演出に改めて脱帽だ。
リリーと喧嘩別れした寅はションボリと柴又へ帰ってくる。するとほどなく、やはり気まずい別れを気にしていたリリーが訪ねてくる。再会した二人はたちまちにして仲直りをしてしまう。済んだことはケロッと忘れることの出来る男女の理想的な関係がまったくの自然体で成立していることに驚かされる。
しばらくして、元の生活に戻った兵頭もとらやを訪ねてきて、北海道の旅を楽しそうに思い出す。さて、このとき兵頭が持ってきた一個のメロンが後に見事な小道具となる。寅さんファンならご存知の「メロン騒動」の始まりである。後日、リリーが再び訪ねてきたので、そのメロンをみんなで食べようということになる。ところが、その時寅は不在。おばちゃんもさくらも寅のことを数に入れるのをうっかり忘れてしまう。そこへ帰ってきた寅は自分のメロンがないことを知って烈火のごとく怒り出す。寅の怒りは正論である。しかし、それに対してリリーは寅を大人気ないと評し、寅のわがままぶりをストレートに指摘してしまう。これに怒った寅は何も言えず飛び出して行く。寅とリリーの間にはこうした本音をぶつけ合える関係がいつの間にか成立しているのだ。寅もリリーの前ではわがままな自分を素のままに出せるし、リリーはそれをきっちりと批判できる唯一のマドンナなのである。
この作品が素晴らしいのは、その喧嘩で二人の関係を終わらせないところである。プイと飛び出した寅ではあるが、夕立がきそうになると知るや、仕事から戻ってくるリリーを
駅まで迎えに行ってやる。リリーはそれを見て嬉しそうに寅の傘に入る。短い会話のセンチメンタリズムと叙情的な音楽とが渾然一体となって生まれたシリーズ屈指の名場面だ。わずか数分のこの場面だけを取り出して何度でも観たくなるほどの素晴らしさである。
このほか、リリーの侘しいステージを見て来た寅が、とらやの人々に「もし俺に金があったら」と前置きして語る「リリー松岡ワンマンショー」の情景なども胸にグッとくるいい場面である。
やがて、さくらと博は寅とリリーなら夫婦になってもうまくやっていけるのじゃないかと話をするようになり、二人は思い切ってそのことをリリーに告げる。するとリリーは少しだけ考えて「いいわよ」と答える。さくらは狂喜して寅にそのことを告げると、寅は「冗談だろ」とリリーに聞く。これは第十作の千代と似たシチュエーションだが、今回の寅は決してオロオロしない。リリーならそのぐらいの冗談は言うだろうという認識がある。しかし、リリーの態度はいつもと少し違う。それで寅は少し調子を変えて「冗談なんだろ」と聞き返す。するとリリーはフッと笑って「そうよ、冗談よ」と答えて去って行く。この場面がこれまた凄い。演出のタイミングといい、四人の役者の演技といい、パーフェクトである。特に浅丘の一瞬だけ見せる悲しみ笑いが素晴らしい。
なぜ寅はさくらの言うようにリリーを追いかけないのか? それは寅だからである。それを理屈で説明しても仕方が無い。ここまでの14作品を見つづけていれば、寅が追えないことに説明など要らない。が、敢えて説明するならば、三人の旅が長続きしなかったように、憧れとしての「定着」(すなわち夫婦生活)もまた脆く壊れやすいものだということを寅は(理屈としてではなく)知ってしまっているからである。リリーは寅にとって最も大切な女性になっている。それは前述の名場面の数々で如実に語られている。だから、ひと時の「夢物語」で終わるしかない夫婦生活はタブーなのである。ハッキリ言えば怖いのである。寅は恋愛不能者である。つまり、家庭生活を築くことにも不能なのである。山田は家庭生活こそが人間の本質的な幸せであると説くと同時に、自らの命題に対するアンチテーゼをも寅を通して提示し続けるのである。
そして、驚くべきはリリー・シリーズが更に続き(次回は第25作目)、この作品よりも更に深遠なる男女関係とその精神世界を解き明かすことである。 |